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「母体血清マーカー試験」

佐藤 孝道 1997**** 『検査と技術』25:787-789

last update:20130718


虎の門病院産婦人科
佐藤 孝道

<図表はすべて割愛>

母体血清マーカー試験とは

 母体血清マーカー試験とは、α−フェトプロテイン(AFP)、hCG(free β-hCGが用いられることもある)、uE3などの母体血清中物質がダウン症胎児を妊娠していた場合に増減することを利用して、胎児がダウン症である確率を母体年齢単独よりも、より正確に算出しようとするものである1)。ダウン症児を妊娠する確率は、母体が高齢になるほど高くなることが判っている。この確率をいくつかの母体血中物質の増減を用いて補正し、より正確な確率を出すことによって妊婦やその家族の判断を助けるのが検査の目的である。
 母体血清マーカーの組み合わせは表1に示したものが一般的である。現時点では、どの組み合わせが最適か明確な優劣はつけられていない。また、こうした物質が、胎児がダウン症の場合に何故増減するのかもよく判ってはいない。さらに将来より有用な母体血中物質(マーカー)が発見されるかも知れない。よいマーカーの条件は、(1)測定法が簡便で再現性が高い、(2)胎児がダウン症以外の場合とダウン症の場合で測定値にできるだけ大きな差がある、(3)そうした差が妊娠のより早期に顕著になる、などがあげられる。
 表2に胎児がダウン症であった場合の、母体血清マーカー測定値の増減を示した。α−フェトプロテインとuE3は低値を取り、free β-hCGは高値を取っていることが判る。つまり例えば32歳の妊婦の血液を検査して、α−フェトプロテインとuE3が低値で、free β-hCGが高値であれば、胎児がダウン症である確率は32歳という年齢から出てくる確率よりも高いことが推定される。これを統計学の手法に従って計算するのが、母体血清マーカー試験である。
 なお、測定値の表現にはMOM(multiples of the median:中央値の何倍の値かを意味する)という数値がしばしば用いられる。MOMは施設間や測定法間の測定値の差を評価・比較するのに役立ことがある。

母体血清マーカー試験における確率計算

 この確率計算の概略を示すと(図1)、例えばある物質の測定値の分布が胎児が正常の場合は図1−(1)のN、ダウン症の場合はDであったとしよう。この場合、ダウン症集団とダウン症以外の集団の高さ(確率密度)の比率をlikelihood ratio(LR)と呼び、LRと母体年齢固有の確率をかけたものがそれぞれの妊婦の胎児がダウン症である確率になる。
 N,Dの確率密度を計算式で求めるためには、それぞれの分布曲線が正規分布(正規分布をしていなければ計算式では求められない)をしている必要がある。正規分布は、平均と標準偏差だけで示される特徴がある。測定値そのものは妊娠週数や体重によって影響を受けるから、妊娠週数や体重を補正し、さらに測定値の分布を正規分布させるために対数変換を行う。
 実際に用いるマーカーが1個以上、n個の場合はn変量正規分布に従うものとして計算する。
 この計算はかなり面倒ではあるが、パソコン使って、市販の一般的なソフトによって計算できる。

確率計算には何が必要か?

 母体血清マーカー試験でn変量正規分布に基づく確率計算を行うには、(1)それぞれのマーカー物質についてダウン症以外の妊娠の測定値が正規分布をすること、そしてその平均値と標準偏差が判っていること、(2)ダウン症児を妊娠している妊婦についても(1)と同様の点が判っていること、(3)マーカー物質測定値相互の相関係数が判っていること、の3点が必要である。
 (2)のデータは(1)のMOMで表現され、十分なデータが一施設、一人種では不十分な場合が多い。日本人のデータもまだない。しかし、MOMで表現される場合、人種差はあまりないと考えられており、現状では我が国でも文献から得られる欧米人のデータを解析に用いている。

母体血清マーカー試験の倫理的な問題

 母体血清マーカー試験は、他の羊水検査や絨毛検査と、出生前診断の一種であるという点で同一の意義を持った検査である2)。この検査の本質は母親と胎児に大変厳しい選択を迫るものである。したがって、基本的には羊水検査や絨毛検査と同じレベルの倫理的な捉え方が必要である。血液検査だから倫理的にいい加減であってよいということはない。この点は検査を受託するものにも求められる。
 出生前診断については、様々な考えがあるが、基本的にその目的は個人やカップルの「幸福」を目指すことにあると考えられている。大切なことは社会や国家の視点からのものではないし、ましてや企業の利益のためにあるのでもないということである。また、「幸福」とは万人に共通の基準で判断できるものではない。さらに、「幸福」を保証するためには、妊婦やカップルの自発的な判断が必要である。しかし、自発的な判断を妊婦やカップルが独自に行うには、必要な情報が不足している。必要な情報を提供する場がカウンセリングになるが、これも”非指示的”に行われる必要がある。
 繰り返すが、母体血清マーカー試験は他の出生前診断と同様に、社会とか、国家や企業の視点から実施されるものではない。社会、国家、企業からの視点は、障害者を排除する”優性思想”に繋がり、倫理上も絶対に許されない。

母体血清マーカー試験のその他の問題点

 母体血清マーカー試験には、検査そのものに係わるいくつもの問題がある。列記すると
(1)最適なマーカーの選択と組み合わせは何か
(2)よりよいマーカーはないか
(3)検査の時期は妊娠何週まで早くできるか
(4)妊娠週数の不正確さはどの程度、確率に影響するか
(5)妊娠週数は何で補正するのが適当か
(6)人種差の影響はどうか
(7)喫煙や血液中諸成分の影響はないか
(8)多胎(双胎や品胎など)の場合にも使えるか
(9)母体血清マーカー試験で異常があった場合に、再検査は意味があるか
(10)ダウン症以外の染色体異常はどの程度スクリーニング可能か
(11)妊娠経過の異常の予知に使えるか
(12)検体の保存、運搬の影響はどうか
などがあげられる。

文献
1)佐藤孝道、宮川智幸、塩田恭子:染色体異常の出生前診断と母体血清マーカー試験.新興医学出版.東京.1996.
2)Wertz DC, Fletcher JC, Berg K: Guidelines on ethical issues in medical
genetics and the provision of genetics services. WHO, Switzerland, 1995.


*更新:小川 浩史
REV: 20091016, 20130718
佐藤 孝道  ◇全文掲載
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