HOME > 全文掲載 >

『就労支援シンポジウム 報告特集』

障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議 19960908 p44. ※h.

[文献情報]

Tweet
laat update:20150915

※「KSK通巻一一三八号・一九九六年九月八日発行」と奥付にある。「KSK」等は発送経費の事情等もあって定期刊行物として発行されたもので、実質的には単体の報報告書として扱った。
※作業者注:人名や肩書や連絡先などはすべて発行時点のものです。


p表紙

KSK障大連ニュース
就労支援シンポジウム 報告特集

就労支援シンポジウム会場の様子

上 パネラー右から中沢・三輪・植田・関・北野・藤野の各氏 左端は司会・楠
下左 障害者本人の立場からアピール金さん
下右 会場風景(第二部シンポジウム)

月日:1996年5月31日 於アピオ大阪
主催:シンポジウム実行委員会
共催:障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議

障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議

p2

  報告書発行にあたって

 「もう待てない!」―大阪市新長期計画から2年を経ても進展がない中で、就労支援への関心と注目を示し、支援システムを「地域からつくりだそう」と企画しましたが、当日は主催者の予想を大きく上回るご参加をいただきました。
 大阪市外にも関心が高く、府外は遠くは埼玉から、そして障害者団体のほか学校、施設労働団体、自治体の関係部局など各方面からご参加がありました。
 200名を越す熱心な参加に支えられた企画の成功は、「これ以上足踏みはさせない、時間を空費しはしない」という一線を画すことになりました。
 7月来、大阪市も就労支援検討会を発足させ、具体的な議論に入っています。障害者団体もこれに参加するとともに、民間の就労支援活動に関するアンケートなど、この企画上でも提案の調査研究に着手しています。
 短い準備期間にもかかわらず、発行するニュースでの宣伝・よびかけ、企画賛同費など多くの団体にご協力をいただきました。各パネラーの方には、この報告書のテープ起こし原稿チェックなど、企画後にわたって面倒な作業をお願いしました。改めてお礼申し上げます。
 ご参加の皆様には、会場の狭さなど色々と至らないことが多くご不便をおかけいたしました。報告書がお役に立てば幸いです。企画資料集は当日配布しきったため、資料の一部再掲しています。
 結集されたパワーに、私たち自身も励まされ、微力をつくす所存です。これからもおカぞえをよろしくお願いいたします。

 1996年8月末日 シンポジウム実行委員会

p3

  この企画の主旨について
  シンポジウム実行委員会

 障害者の自立と完全な社会参加を求める運動は、この20年ほどの間に各地で広がり、たとえば介助では、ガイドヘルプやホームヘルプなど必要な人が必要なサービスを受けられることを求め、また、駅にエレべ一タ一をつける、住宅は車いすでも使える設計を基準にするなど、障害者や高齡者も不便を強いられないまちづくりを提起してきました。そして、そのいくらかを、実現してきています。
 「働く」ことは今なお、いくつもの壁がありますが、「働けない」とみなされてきた障害者も、必要な支援を必要なときに受けることができれば職業生活を送れることを、福祉作業所や障害者経営の事業所、グループホームなどで積み重ねてきた就労支援の中で、私たちは確信してきました。そのことは、障害者雇用企業や職業訓練施設の中からも、実証されています。
 古くから障害者の職業訓練は、「訓練してから就労へ」という方針で、何年も何十年も施設や作業所や訓練機関で貴重な時間を費やすことになり、例外的なケースを除いて、就労へのステップになり得ませんでした。これに対して、障害者の自己決定を基本におき「まず職場に入ること」そして「実際に働く過程で、必要な設備や工夫・サポートを進めること」が、説得力のある方法となってきました。アメリカで9万人と言われる「援助つき雇用」、日本では職業訓練の一部で取り入れられた「職域開発援助事業」等があります。
 2年前、大阪市長期計画で「就労支援センター設置」(下記)があげられ、各方面から注目と期待が集まりました。労働行政をもたない市町村である大阪市が、就労支援センターの設置に踏みきることで、「国・都道府県」と「市町村」、「労働」と「福祉」といったタテワリ行政の壁に穴があき、新しい風が通うことが期待されました。
 私たちも、たびたび市に要請してきました。大事なのは、障害の程度や種類などによって「作業所・在宅」「施設」「企業就労」…とそれぞれの決まりきった境遇に閉じ込められてきた障害者が、日々暮らしている地域で、自分にとって必要な支援サービスを受けて就労にチャレンジできるようにすることだと考えました。具体的には、モデル事業の実施や、なるべく小さな地域ごとに 就労支援センターの支所を設けること、就労支援者の育成派遣等を提言しています。
 しかしこの2年間さまざまなやりとりを通じて、壁は厚く、このままでは、就労支援センターというタテモノはできても、とりわけ作業所や在宅にいる障害者、多様な問題をかかえながら企業 就労している障害者にとって、また民間非法人の就労支援実施団体にとって、ほとんど活用できない事業になる心配があります。そうなれば、長期計画のレベルからも後退してしまいます。
 今年度、初めて就労支援事業について調査費がつきました。それを機に、もう一度、私たちに何ができるか、地域にどんな支えがあれば働いていけるかを考え、就労支援のあり方を提起しようと、この企画を準備いたしました。
 講演では、障害者雇用支援センター開設に至るまで、箕面市で展開されてきた、自治体ならではの就労支援をお話しいただきます。
 本日の講演とシンポジウムをとおして、@大阪市において私たちが今必要とする就労支援システム、地域ネットワークA市町村―国―都道府県・民間の就労支援活動・労働組合・企業・学校・施設などそれぞれにとって、何が求められ何を取り組むべきか、B調査研究のありかた、などの課題を、具体的に考えていきたいと思います。
 もうこれ以上、時間を空費することなく、一人でも多くの障害者が試行錯誤を自分自身で体験し、仕事につくことを支援するシステム、さまざまな問題に対応しつつ就労を支えるシステムづくりに、力を結集していこうではありませんか。

  ※「就労支援センター」の設置 (障害者支援に関する大阪市新長期計画1994年3月より)
 授産施設、福祉作業センター等を利用している障害者や在宅の障害者、あるいは一般企業で働く障害者の就労支援を行うため、企業実習を主体とした短期適応実習、援助付職業訓練から雇用への展開のためのジョブコーチや就労支援ワーカーの派遣、企業からの依頼をうけての就職後の再訓練、企業に対する継続就労のための指導や情報の提供を行うとともに、関係機関のネットワークを支えるなど、総合センターとしての機能も果たす「就労支援センター」の整備を図り、障害者の就労の確保に努め、安定した就労の継続を支援する。

p4

  もう待てない!
  地域からつくりだそう、障害者就労支援システム

1996,5,31

《講演》 藤野紘明さん 箕面市障害者事業団事務局長 p4〜
《シンポジウム》 中沢昭広さん 旭区・手の花の家 就労支援者 P15〜
 三輪豪さん 椛蝌a総研勤務・障害者 P16〜
 植田善夫さん 椛井製薬・総務部人事課長 P22〜
 関宏之さん 大阪市職業リハビリテーションセンター所長 P24〜
 助言 北野誠一さん 桃山学院大学・社会学部教授 P29〜
 藤野紘明さん
 司会 楠敏雄さん 障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議事務局長

  もくじ
(p11)講演への質疑応答
(p15)第二部(シンポジウム)
(p32)議論

  資料として(パネラーのレジメ以外)
(p28)堺市第二次障害者長期計画
(p38)地域生活支援としての就労支援
(p40)府立高等学校における障害者生徒の進路

  企画の感想、ご意見(当日のアンケート) …p41〜42

筒井:
 お待たせしました。これから「障害者就労支援シンポジウム」を始めていきたいと思います。最初におわびですが、会場が狭くご迷惑おかけしています。いすを確保しようとしていますのでしばらく待って下さい。
 今日のシンポジウムなんですけれども、お手元の資料を見ればわかるように、大変盛りたくさんな内容になっています。限られた時間ですが、私たちの運動の方向を再確認して今後の具体的な取り組みを作っていきたいと思います。
 本来ならここで企画主旨を説明の予定ですが時間の都合で省かせて頂きます。資料の初めに書いていますので読んで頂きたいと思います。
 申し遅れましたが本日の司会進行役、障大連の筒井です。最後までよろしくお願いします。
 講演は箕面市障害者事業団事務局長の藤野紘明さんです。藤野さんはいろんな画期的な活動をされています。今日のお話も興味深いと思いますので、みなさん期待して聞いて下さい。では籐野さん、よろしくお願いします。

  第一部(講演)

 講演藤野さん(箕面市障害者事業団事務局長):
 こんにちは。僕は調子乗ると早くなるので言って下さい。一月ほど前に近所の本屋に立ち寄った時におもしろい題の本がありました。「人を幸せにしない日本」という本。買うといたらよかったと思っています。住専問題、あるいは公的介護保険の制度の先送り、エイズの問題など、みなこれに当てはまるような気がしてなりません。金に魂を売りよった奴の目はほとんど腐り切ってるように思いませんか?それにひきかえ、障害者と共に生活をされてる人は、生きるんだ、生きていくんだということで目が輝いているように思います。私は障害者問題は素人です。
 私が障害者団体と一番初めにかかわりを持ったのは20数年前です。「青い芝の会」って御存じですかね。「青い芝の会』が箕面で全国大会を催された。そのときの強烈な印象が残っています。時代が時代でしたからね、思いがたくさんありました。それから私は市民スポーツ、社会体育行政が長かったもんで、障害者団体の運勳会とかスポーツ大会などに側面から関わってきたことがあります。これは後でお話ししたいと思います。障害者の労働の場を確

p5

保するということで20数年前に、箕面市に「豊能障害者労働センター」というのがありますがそことの話し合いで、おそらく日本で初めてだと思いますが、市民プールに売店を出したという経験もあります。大先輩を前においてお話をするので、良からぬことを口走ったり、本論からはずれるようなことになったらいけませんので、メモを見ながらお話をしていきたいと思います。
 本日は、箕面市が就労支援に対してどういう取組をしたか、あるいは私が以前いた市民スポーツ課でどういう経験をしたかを、約1時間レジュメ(p12)にもとづきましてしゃべっていきたいと思います。
 まず、箕面市でどういう支援をしたかということ。皆さん御存知かも知れませんけれども「障害者事業団」とはどんなもんやというところから入らしていただきたいと思います。去年の1月ですかね、勉強会に河野先生が来られて、「障害者事業団」がどうしてできたかというところまではお話をされたと思います(☆注1)。私はまだ事務局長になって1年半です。事業団について少し、それとこの1年半の間に気づいたことを話していきたいと思います。
 障害者事業団は、二つの側画がありまして、職業的に重度と判定された方を直接雇用して仕事をする。もうひとつは拡大を図っていくという二つの面があります。十億円の市の基金と、モデル事業と、市民の寄付で十億350万くらいの出えん金でスタートしました。なかなかいろんな問題があります。ここに書いていることはかなりきれいに見えます。「あー、障害者事業団て、いろんなことやって、いろんな仕事ができて、まあまあええなあ」と。全国各地からいろんな方が視察にみえますけれども、このとおりには絶対いかへんでという話をしよっちゅう聞きます。
 と言いますのは、委託事業、収益事業、パイロット事業と分かれておりますが、一番の委託事業なんかは、市から委託を受けた事業ですから儲からへんですわな。百円きたら百円出すというような事業です。ふたつめの缶ビールのリサイクル。障害者事業団で市から委託を受けて仕事をしておりますが、僕はここに来て、3K以外の仕事はないのかということに気がつきました。機会がありましたら、リサイクルセンターの缶瓶の選別、あるいは緑化事業の花苗の水やりとか植木の世話の仕事をいっぺん見に来て下さい。これ以外に障害者は仕事がないのかと疑問を持っています。私は契約では3年ということになっていますが、残ったろかいなと、やることようけあるのと違うかなと思っていますが、まあ僕個人の意見だけでどうなるかわかりませんけれども、もっともっと他に仕事はないのかということを模索しています。いつもそう思っています。
 二番目に収益事業と書いていますね。これが、障害者事業団の目玉なんですよ。これをやって儲けんことには、利益を上げんことには、障害者の支援活動あるいは広報活動、いろんなものにお金を回せないということになります。これが伸びなければ「障害者事業団は市におんぶにだっこじゃないか」と、こう思われても仕方がないと思います。三つ目のパイロット事業は、カブトムシの幼虫を販売したり、いろんなことをやってるんですが、これも微々たる儲けですが、障害者の働く場、あるいは実習の場として、いろんな関係団体から実習に来られます。働く経験をしてもらう実習の場に、この力ブトムシの幼虫の販売とかビル・メンテナンスとか、いろんなものをやっています。
 ここまで言いますとすごく障害者事業団きれいですわね。これからが問題ですが、非常にいろんな問題が重なっています。と言いますのは10億円の基金でスタートした時点では、利息すなわち果実収入でおまえとこやれよ、と10億円の基金を組んでもらったわけですね。その当時に百億円くれ言うた人がおったわけですわ。これはやつばり先が見えとったんやなと思います。当時十億円で利息が6千万、7千万ありました。だからパイロッ卜事業あるいは障害者の雇用、これについても割合楽だったんですよ。ただ今の利息は0.45と言いますと450万円しかあれへんわけですわね。だからその差は市に補填してくれ言うても絶対してくれへん。ということで、障害者の雇用が当初の思惑通り進んでこないというジレンマに陥っています。450万でしたら、もう何もできんわけですわ。今年の予算、来年の予算は、順番に積んでいたお金を食いつぶして来年からはいよいよどうなるんやろ。障害者事業団は潰れるの違うかという話をしております。日本でひとつしかない初めての公益法人です、言うてうってますけれども実は火の車です。評議委員会や理事会でも言われるんですね。「なぜ重度障害を雇えないか」と。あるいは「車椅子の人をなんで雇えないんだ」「なぜ知的障害者だけなのか」と。今言いましたように、車椅子の人とか、重度障害者を雇用するには、どうしても介護をする健常者がいるわけです。そうなりますとお金がいります。450万では回らない。いろんな悩みがあります。ですから来られる方には、「なかなかうまくいくもんやない」と、「右へ習えで作られたら大変ですよ」と申し上げています。

p6

 障害者事業団ができて、ここ迄来るのに5年が経ちました。17名の障害者、16名が知的障害者、一人が身体障害者、おりますけれども、彼らは彼らなりに一生懸命頑張っております。給与体系もここに書いていますけれども、障害の程度によって差があっても給料は一定支払うべきだということで支払いをしております。でも今言いましたように内情は火の車ということで、来年はどうなっているのか…。そのへんは市との協議であります。
 箕画市は何やってるかということになりますと、まず一番が、障害者事業団の設立をしたということ。
 就労を支援する事業ですけれども、これは障害者事業団で自主的に始めた事業があります。二番目にあります、職場実習事業です。
 職場実習事業は、どないして職場実習に実習生を行かすかという、どこの会社にどうしたらいいかという、ものすごく簡単な方法をとっています。新聞に求人広告でチラシが入ってくると、それにかたっぱしから電話をするわけです。片っ端から電話をして、ちょっと色気のある会社にすぐ乗り込んで行って、「おたくはどうですか」と話をする。職場実習事業というのは、必ずしもその職場で採用、雇用してもらうという位置付けはしておりません。今言いましたように新聞のチラシの中からとかいろんなものを見つけて、電話をして、スタッフをつけて4週間、1か月ですね、その会社に入り込んで実習をする。そこで双方の条件が整えばその企業で雇用してもらう。この時には、企業の協力金3万円の他、実習生に295円をお払いしております。と言いますのは、障害者の方も自分の金銭管理が必要なんですよ、どうしても。だから必ずお金を支払うという方法を採っております。
 「障害者雇用支援センター」がこの4月から準備して7月からオープンしますが、この職場実習事業は、障害者雇用支援センターに移行します。おもしろいのが、職場実習事業には、スタッフが必ず企業についていくこと。実習生だけそこへ行かしておいて会社にまかすではダメなんですよ。指導員という資格のあるスタッフが必ずついていく。そしたら企業はすごく安心をします。それで実習を受けてくれた企業には、これ良い意味なんですが、就職を断りにくくする状況をつくるということですね。これは悪い意味でもなんでもないんですよ。スタッフがついて行き徹底して説明して理解をしてもらう、という方法を採っています。それで今迄9件のうち4件くらいの雇用ができたという、こういう実續もあるわけです。
 続いて障害者雇用支援センターの開始に至る経過。なぜ箕面市障害者事業団がこの障害者雇用支援センター制度に手を上げたかということにつながっていきます。これは、平成6年か7年の中ごろに大阪府から各自治体に、労働省でこういう制度ができたから乗る市町村はありませんかという調査がきました。ただここで問題になりますのが公益法人、法人格が必要である、ということですね。その法人格を持っていましたので、局長どないしようかという相談があって、私、初物の食いですので、いけいけということでいきました。
 ただ、開始に至る経過でなぜ手を上げたかというのはひとつふたつ理由があります。職場実習事業では一人の実習生を一企業に連れて行って実習をする。終了しなけれければ次の会社にスタッフが足りないので行けないことがあります。金も自前でやらなあかんということがありましたので、労働省の制度に乗ってやろやないか、と乗っかりました。
この障害者雇用支援センターの制度に乗ったのはいいんですけれどもそれはそれは大変な事務ですわ。許可が下りるまで。法律の中に「市町村レべルで障害者雇用の促進策を」という一項があったんです。これやったら箕面市、あるいは障害者事業団が目指しているのと合致するやないかということで、手を上げて乗りました。ところが、それはそれは大変な作業が待っておりました。膨大な資料ですよ。役所どころじゃないんですわ。すごい資料作りですよ。それと要求される資料が、今やから言いますが、許可おりとるから、ちょっとくらい大目にみてくれてもかまへんやろと思いますが、予算書、ばっと夜中にファックスが入ってきよるわけですわ。
 「なんで大阪ではガソリン代が125円やねん」と。東京は安いんやでと。あるいは、鉛筆何本買うねん。ボ一ルペン何本使うねん。わからへん、こんなこと。そういうことが一個一個返ってきよるわけですわ。金を出す団体からですね。というのんで、途中でね、大阪府の労働部の方も今日おみえや思いますけれども、お世話になりました。途中でね、私も気にいらん事もあってやめようかと、内部では「おりてもたろか」と。でも乗りかかった船ですし、その上の私ですから、まあ僕は簡単ですわね。いけいけどっどっ、言うとったらいいわけですけれども、職員がたまりませんわね。それでまあ私どもの職員、有能な奴がおりますのでね、それと大阪府の労働部の職員の方にお世話になって、やっとこさ認可が下りたわけですわ。
 ただ地方の一自治体でこういう支援センターを作るのは、もひとつやっぱりいい気じゃなかったそうですな。というのは12万ですわ、箕面の自治体。12万人口くらいで何ができるねん、という思いも国・中央にはあったように思います。今のいろんな

p7

小さなことを聞いてきよるのも、イジメに近いですわね。こういう問題もおそらくそのへんから出てるん違うかと。自治体でも50万60万人の自治体を当てにしとったんでしょうなあ。あとで申し上げますが、おもろい訂正もしとるんですわ。国は箕面市障害者事業団て書いてなかったですね、書類に。大阪府障害者事業団って書いてましたわ。そのへんの認識がなかったように思います。だから今でもおそらく、「12万人口の自治体に何ができるねん」と思ってるん違うかね。
 後ほど申し上げますけれども、もうすでに応募が、10名定員のところ14名を越えています。十三の就業センターの職業評価も終わってます。だから、明日明後日には結果が出るということになります。あと五つの県でやっておるやつは、後で資料をお示しして、資料の中から説明したいと思いますが、まあ箕面はこのセンターに対しては自慢ができるということです。
 この障害者支援センターは簡単に言うと、スポーツで例えればボクシングジムです。新人が入ってきて、ボクシングジムの門をたたいて、トレーニングを1年2年積んで試合に出ていく。そういうように思ってもらえば、雇用支援センターってのは簡単に理解できます。試合に出て、ファイトマネーを手にすることですよ。ファイトマネーを手にして納税者になることがまず第一やと思います。納税者になって月給をもらって、街に出て、トラブルも含めて遊ぶ。いろんなことがありますわな。飯を食う、レス卜ラン行く。本来のノーマライゼーシヨンにつながるんじゃないかと私は思います。今、障害者事業団ヒュ一マンライフの諸君がおりますけれども、必ず給料日にはいろんなところに行っています。レス卜ラン行ったり、カラオケに行ったり、カラオケなんてほとんど御詠歌に近いんですけどね。それをどんどん奨励しています。それからお昼弁当でも、家から持ってくる、あるいは食堂からとる、中で食べるなど。週に1回や2回は外に行きなさいということを言うてます。「表で食べてこい」と。そういう人たちが街に出てこそ、本来の障害者の認識にもつながるんじゃないかと思いまして、「どんどん表に出え」というふうに指導しています。
 なんのかんの言うてましたが、いちおう12万くらいの人口でこれを受けたからには自治体のモデルとなるように頑張りたいと思います。支援センターに課せられた責務は重大なものがあると思います。が、支援センターだけでは訓練終了後、どうにもなりません。そこで、例えばここに訓練に来られている親御さんの会社、あるいは知り合いの会社等に、PRをしてもらって、協力企業になってもらうというような体制作りを、今年始めたいと思います。これを作らなければもう、障害者事業団、あるいは雇用支援センター、十三の職安、池田の職安、このへんだけで就職先を探すのはたいへんですので、いろんな体制作りを進めていきたいと思います。そうしなければ10名の訓練生がどこにも就職できなかったとなれば、はっきり言って失敗なんですよ。この訓練よりも後の方が大変なんです。この支援センターは基本的に企業就職がもちろん目的です。でも社会的ハンディのある人が企業就職なかなかできへん場合がありますね。行政が当然引き受けるべきじゃないかと私は思います。
 後ほどお話しますけれど、知的障害者を箕面市で初めて採用したんですわ。その時責任者は私でしたんでね、この経験を少し後でお話したいと思います。それからここに書いております、就労支援システム作り。大阪市さん、どのへんまで進まれているかわかりませんけれども、正面きってこういう問題を持って行って、「これを作れ」「あれを作れ」と正攻法で行くのも方法であるやろと思いますけれども、こういう話してもええんかなあ、自治体なんかでは誰がこの自治体を牛耳つとるか、いう奴をまず探すわけです。そいつをくすぐるという方法があります。そういう裏の道も使ってこそ、物はできるということですから。正面たたいて門から入って行って、なかなかできません。ええかげんな奴もおるしね。だから牛耳ってる奴をくすぐってやるということ。この方法をとったら割合にできるんじゃないかと思う。ま、僕はそんなことしてまへんで。一応そういうふうな方法もあるということを教えてあげたい。
 次に、この支援センターで16名の応募があってスタートするんですけれども、先だって所長研修、これがまたすごいんですわ、1週間、千葉の幕張で、うちの所長が行ってきたんです。今指導員が行ってますけど、12泊13日缶詰の講習をやってます。次の週からまたもう一人の指導員が行くんですけども。その所長研修会でね、びっくりしたことがある。我が所長はね、39才なんですよ。活性化を図るためにどうしても所長は若い者やないとあかんと。それでこういう支援センターの所長は5年や10年やってもらわな、元とれへんで、という話で市ともやり合いました。で、わが方は39才のプロパーの職員が所長として赴任しております。そこで研修に行った時に他の所長さん、まあ年は言いませんが、例えば「ホテルの目覚まし時計は音が低いな」と言うたら、「わしら4時、5時に起きてまっせ」という話が返ってきたそうです。年はそれでだいたい想像してください。おまえが所長か、というよう

p8

な顔で見られたということで、天下りの先やったらあかんでと私思います。こういう支援センターは。やはり。1年や2年でやめていくような所長やったら、おらん方がましや、思いません?そういうふうな人ばっかりで、研修中にグーグーいびきかいて寝とったという話もしていました。注意されたら「はあ、すいませんでした。」で終わりやと。言うたら悪いけど、OBとかが来てるから、講師の人若いですからあまりきつい注意もようしない。ですから、朝、早起きするような人が、支援センターの所長になってるというのが、後5つの県でやってるとこですね。うちは39才です。ですからまあ10年できるやないか、ということです。頑張らそうと思うております。
 そこでまず問題になったのが、人が集まらないということ、訓練生が集まらないということが、この懇談会の席では出てきたそうですわ。例えば何々県、内部で喧嘩しとるわけですわね。「そよ風の家」とか箕面にありますやんか、「何々ワークセンター」とか。そこの人を引き抜いたら困るとか、こういうような話があるわけですわ。ちなみにこの場だけやから、国の資料であんまり表に出したらいかんと言われてるけど、僕に渡したらみな出してしまうんやけど、「障害者雇用支援センターの指定・運営状況」という国からきてる書類があるんですわ。ここで言いますと、熊本県と滋賀県と埼玉県と福岡県と宮崎県。それと今度大阪ですね。今年度から宮崎県と大阪府でスタートします。宮崎県は宮崎市でやるんですけど、県が主体ですね。熊本県、滋賀県、埼玉県、福岡県は、まず熊本県が2市8町2村になっている。滋賀県は3市4町です。埼玉県が8市でやってる。福岡県が4市9町。宮崎県が宮崎市で1市です。こういう状態で初めよったわけですわ。それで人口は80万人から51万人、埼玉県になりますと113万人ですよ。福岡県で52万入、宮崎で30万人。箕面で12万人ですよ。これはちょっとまあ自慢してもええなあと思います。熊本県で区域内の人口82万人で定員20名。8名しか集らない。それから滋賀県51万人ですわね。この3市4町で。20名の定員のところに訓線生9名ですわ。埼玉県、8市で113万人。30名定員で26名、もったいないですな。福岡52万人のとこ。定員20名で12名ですね。こういう状態です。
 箕面は人口12万人で、10名定員で、今14名職業評価を受けております。ただここで、職業評価で「君はもう勤められるよ」ということになって3人くらいになったら、今大きいこと言うたんやけどこれ困るなあ、と思てるんですけど。そういう状態で、全部定員になっていないという問題が研修会で出てきたそうです。これは僕はどう考えていいのかよくわからないんですが、県単位でやれば駄目かいなと思います。やつばり1市でやった方が効率いいんじゃないかと。こんな3市4町とか2市8町とか8市とか組んで、うまいことまわるんかいなという心配、まあよそのことやからほっといたらええんやけども、放っとけませんわな。障害者問題というのは、国あげてトータルで考えてもらわないかんのやから、箕面だけ良かって豊中が悪いとか、滋賀県が良かって大阪府がええとか悪いとかいう問題じゃない。全国通して卜ータルで考えないかん問題ですので、このへんをちょっとキープしておきます。
 それで、自治体でどこまでできるかという話になりますけれども、12万人口の自治体で何ができるかということで今まで申し上げたんですけれども、12万人口だからできるということがあります。と言いますのが、東京都も自治体ならば箕面市も自治体です。12万人口といいますのは、だいたい機動力が発揮できる規模なんですよ。中沢さんのレジュメに書いてあったけど、「地域に密着した」いうて書いてあるけど、そのとおりやと思います。これ、おおきく広域になると駄目なんですね。ですから12万人口ぐらいやったら機動力が発揮できる入口の自治体です。だから割とうまく回っていたということ。と言いますのは、市民の顔がよく見えるということ。それから施策立案の時に、具体的な対象者の把握がしやすいということ。どういう障害を持って、どこに住んでおられるかのが、わりあい12万人口ぐらいやったらわかるわけです。ですから施策立案の時非常に容易であるということ。裏を返せば、問題が目の前に在ってすぐ手をつけようという自治体になるわけです、12万くらいやったら。ということですわね。もうひとつは、市民とダイレクトな関係になってるということですね。これは良いか悪いか、行政マンにとっては大変しんどいと思いますよ。市民とダイレクトな関係で「これや、あれや、これや…すぐせえよ」と。すぐ情報が入ってきよるということですね。12万人口の、良し悪しですけれども、市民にとっては、あるいは障害者市民にとっては、わりあい結構な市ではないかと思います。それで、対象者の把握が容昜であれば容易であるほど、実態に応じた施策の運用が必要になります。
 一番いい方法は、「国とか府が基本的な制度を作ってください。そして金を出してください。運用は自治体に任せてください。」これが一番良い方法だと僕は思います。口は出さない、まあ現状はね、国に横並びですわ。口は出しよる、金は…。金出しよるから、しょうがないですわな。だから今言うたように、基本的な制度は国、府で作ってもらって、各

p9

自治体の特徴に任して、物事をやりたい。これはもちろん障害者問題だけじゃないですよ。僕が20年以上体育行政やっとったけど、いろいろ努力しましたけれどね、やっぱり口出ししよる。これをやめて改革をしてもらわんことには、いろんな問題が進みません。私はそう思います。
 今のやり方でしたら、市独自の実態に応じた施策を発揮しようと思えば単費になります。単費と言いますのは、役所の方はよく使うんですけれども、その自治体だけでお金を持つ、補助金も何も出ない。単費でやらなければ仕方がないわけだね。そうしますと、この財源がやっぱり市町村の限界点になってくると思います。ですからなかなか単費では普遍化しません。例えば施策は、普遍化をしてもらわなければなりません。と言いますのは、A市へ行ってあるのにB市にないで、と。転勤とか転移した時に同じょうな行政の恩恵をこうむれないという制度。A市に行けばあるしB市に行けばないと。普還化をしてもらわんことには、こういう問題は片付きません。自治体によって差が出るというね。
 多様な市民のニーズに的確に対応するには、行政だけでは困難であります。行政主導型ではなく、障害者市民とか健常者市民の意見の反映が非常に必要なんです。それで僕はいつも思います。僕も行政出身ですけれども、行政マンだけに任せてたらろくなことはないですよ。はっきり言って。例えば、話それますけれども、歩道の問題とか、公園の問題ありますな。こんなん全て健常者市民を対象にして作ってると思いません?歩道なんか何で段差があるんですかね。それから公園でも、器具大き過ぎてますわな、それから歩道でも乳母車が通られへんような所に植木を植えとる。細い歩道でも。車椅子通れませんやん。緑がのうても生きていけるわと言いたいんやけども、まあ緑も必要だけども。行政マンという奴は自分で考えては勝手にそうやって進めよる。この辺の改革も必要やないか。あるいは公園の器具が多過ぎる。車椅子で自由に走り回れるような公圍はありませんよね。児童公園なんかほとんど遊具だらけですね。何にもいらんですよ、子供っちゅうのは自分で考えていろんな遊びしよるから、必要やないと思いますね。そのへんが行政に任しといたらろくなことがないうことになるんですわ。
 もちろんいろんな就労支援施策作りは行政が進んでやるのがあたりまえですがね。箕面の障害者事業団も作る時には行政だけじゃありませんでした。障害者市民、市民、あるいは行政が、三者一体となってやりました。だから支援作りには行政を巻き込んで、障害者市民の汗も当然必要となってきます。だからそれが施策につながるのは当然でありますし、またあたりまえであります。箕面は障害者事業団を作るのに、行政を巻き込む方法としてひとつ、一番元気な係長クラス、中にはええかげんなサボリもおりますが、一番元気な時の係長クラスで「障害者が働く場の設定」という研究会を作りました。この行政内部からの研究会の発想が、今の障害者事業団に結びついております。ですから大阪におかれましても、就労支援センター作りに、行政内部で一番生きのいい係長クラスを集めて、「就労支援システム作り研究会」というようなものを設置してもらって、内部から押し上げてもらうという方法を採られる方がええんやないかと私は思います。というようなことで、地域に密着した就労支援をやるということ。ですから大きい、例えば40万50万の市町村でひとつ作るなら、大阪市なんかの場合は区単位でこういう支援システム作りを進めてもらった方がうまくいくんじゃないかと思います。
 冒頭にも申し上げましたけれども12万人口の自治体というのは非常に動きやすい。僕が障害者事業団に来て思ったんじゃなしに体育行政やってる時でも、非常に人が集めやすい。一点集中方式言いましたけれども、そういうふうに例えば2か所に別れていろんな催しをやると、8千人、9千人が集まれるという、こういうふうな市でありましたら、非常にやりやすい。ですから何も、簡単に財団法人箕面障害者事業団の設立できたとか、あるいは雇用支援センターが開所できたとか、市役所における重度障害者の実習を行ってるとか書いてありますけれども、何もスラスラときたわけではありません。いろんな行政と、あるいは障害者事業団、あるいは障害のない一般市民との葛藤がありました。で、箕面市として障害者雇用率を法定の2%から3%に上げるんやでというようなことも、これは内部だけの話じゃなしに、やっぱり障害者市民の間から出てきた話だから。ですから運動団体の方はね、思いきってやることですよ。先程言いましたように牛耳ってる奴をくすぐったり、今言うたように内部からそういう組織を作ってもらって上げるという方法を採るとかね、前に前に進むということですわ。逃げたら駄目ですわ。私は、1年半で見た感じでは、以上のような感想を持っています。前へ前へ進むということですよね。女子バレーボールの総監督であった小島監督の口癖が「前へ行け、前へ行け」なんですよ。ちょっと意味違うやろけど。だから後ろに下がってはだめですよということです。どんな活動でも、運動でも、前へ前へ行って下さい。後ろに下がらないようにしてほしいと思います。
 それから5番目なんですけれども。一番難しいのは、雇用支援センターを作っても、先程申しました

p10

けども、受入先です。1年訓練し、2年訓練して、どこへ受け入れてもらえるか。私は今それを非常に心配しております。企業回りもせなあかんやろし。そこでこの5番に書いてありますけれども、理事会と評議会いうて障害者事業団にあるんですけれども、雇用主の方の企業主から2名理事を増やしました。これはゼスチャーですけれども、一応2名増やしまして、何もすぐ雇用してくれやなしに、理解をしてくださいということで、雇用主の方の理事を2名増やしたんです。ということで、ひとつひとつを手を打っていくという。理事を増やし、体制作りを進めて、行政とのやりとりで金利の低いのを何とか補填してくれへんかというような。これね、ちょっともうひとつバラしますと、10億円のうち2億円は運営基金といいまして、いよいよあかんようになったら2億円使うてもええよ、ということなんですよ。8億円は絶対使えない金なんですよ。だからその2億円を食いつぶしてもいいよということなんですが、私が事業団の事務局長の間に2億円食いつぶしたら何言われるかわからんから、そんなんあかんということで支援センター作りやってきました。だから前へ前へ行って下さいよ、皆さんも。後ろにさがらずに。いろんな方面からつつく方法もありますし、今言うたように内部からいろんな組織を作ってもらう方法もあると思いますからね、いろんな方法でひとつ頑張って下さい。
 前にいた教育委員会での経験をちょっと話してくれと言われたんですけれどもね。(p14)私とこ、身体障害者が21名ですね、雇用しています。知的障害者が初めて採用されたときがあるんですね。その時、障害福祉課がいろいろとうろうろとしよって、どの課に配置をするか相談があったわけですけれども、なかなかよその部署は沈黙を守りよったわけですわ。初めてでしょ、どうしていいかわからない。で、僕がこういうことなら任しとけということで、市民スポーツ課に配属をしてもらいました。
 その時、なぜ配属に自信があったかといいますと、それまで養護学校の3年生を毎年、10年くらいに渡って実習で受け入れてました。スポーツ課として、施設管理、あるいはワープロ、あるいは受付事務について、知的障害者あるいは身体障害者の方の実習を受け入れていた経験がありましたので、それで知的障害者を最初に雇用した時に私の課に配属をしてもらいました。  市民スポーツ課に来た知的障害者は、十三の判定で就職には「不適当」と言われた人なんですけど。その人が入ってきて半年くらいはなかなか慣れんで苦労しましたけども、半年くらい過ぎますと、時間中にワープロの勉強しよったわけですね。それから電話の応対もできるようになりましたね。適材適所というのがありますね。適材適所と言いますのは、自分で見つけるものであって人から与えられるものでないと思いますから、この彼の場合は適材適所を見つけたわけですね。ワープロは打つわ、電話番はするわ、受付事務はみなするようになってきた。初めの半年、1年ぐらいは、植木の葉刈りやったら下から切ってしまうしね、草引きいうたら花苗植えたやつ全部掘ってしもたり、そうゆう人でしたけども、1年ぐらいになりましてから戦力になってきました。だから行政はどんどん、どんどんと知的障害者を雇うべきなんです。
 この後、僕が市民スポーツ課を出てから、非常勤でもうひとり知的障害者が雇用されております。ただ、同じ職場に二人並びますと、非常にいろんな問題が出てきてるそうです。すごくもめるという事と、お茶くみの当番を忘れたりね、まあいろいろあるらしいですけど、でも働くことには変わりありませんから、これからどんどん、どんどん行政に知的障害者を使ってくださいという、雇用せえという話を事業団あたりから持っていきたいと思います。
 一番初め、冒頭で申し上げましたけれど、やはり3K以外の仕事を探すというのが私どもの仕事なんですよ。本当に大変な仕事ですよ。リサイクルセンターの缶瓶の選別を手でね、マスクをして、やかましいから耳当てて、手作業でアルミと鉄を分ける。それから瓶ですね、瓶は4色に分ける。その4色をきっちり見分けてやってくれます。白、茶色、青と黒かな。その瓶をケースに放り込みます。そういう仕事をしてくれています。だから先程も言いましたけれども、これ以外の仕事はないのかと。市はないのんかと。委託はこの汚い仕事しかさせないのかいと。こういうすごい憤りを私は持っています。緑化でもそうですわ。夏の暑い時に水まきに行く。これも、他にないのんかいと。その程度しか、障害者事業団の障害者に対する仕事はないのんかと。いうふうに思っております。ですからこれの改革には、あと1年半では足らんなあと、先程言うたんはそこにつながってきよるわけです。そりや、何とかして住みよい街作りしたいと思います。
 この文章にも書いてますけれども、親は先に死なれへんねんという話がよくありますわな。安心して先に死ねる世の中にせな駄目ですよ。これは行政当局つっつき、国をつっついて、障害者がひとりで生きていける街づくり、国づくりに持っていくのが、団体の活動ではないでしょうか。私はそう思います。
 どうも、ど素人の話を最後まで傾聴くださいまして、ありがとうございました。

p11

  講演への質疑応答

筒井:
 ありがとうございました。大変意義のあるお話だったと思います。特に、職業判定で働くのは無理だと言われた障害者が、今は重要なポストについているという話は、私たちがこれまで謳っていたこと、運動も間違いではなかったんだと確信を持ちました。ここで10分程度ですが、どうしてもこれだけは質問したいという人がおられましたら、手を上げてお名前と団体名をおっしゃってください。2名さまに限らせてもらいたいと思います。

八木:
 藤野さんの話聞いていたら、これまでやったら僕も就職してましたけれど、就職ちょっとやめてみて、ほんでいろんな就職ですね、重度の方の実習の話もちらっと聞いたり、あともうひとつは、実習費、なんぼくらいもろてるかとか、国の指導などと、障害者が就職で職安に探しに行ってもあんまり、就職がでけへん人も中にはおるし、今のその話聞いてても、車椅子の人でも就職したくてもできない人もおりますほども。「希望の家」にほとんどの施設の人が来てますけども、「希望の家」も人数がちょっと多くなって、通ってる中には就職して、やめて「希望の家」来てる人もおれば、会社に就職できずに「希望の家」来てる人もおりますけども、ぼくらも早く就職したいし、期限で3年で「希望の家」に今来てる人も、早く就職して「希望の家」を出たいと思ってるし、これからいろんな運動に参加していかなければならないし、どうか、また、就職もこれから頑張っていきたいと思っています。終わり。

藤野:
 ふたつほど答えることがありますね。実習手当の問題ですかね。1時間295円。これは国の基準でもなんでもないよ。障害者事業団がサラリー賃金を割り振りなんかして、これ独自の考え方でちょっと計算もちょっと難しいんですけど、1時間295円、今年から300円、実習手当を払います。それから、重度障害者、車椅子の方の実習もリサイクルセンターでもやっております。大変です。前向いてできないで、横向いてやってるような形でね。いっぺんこの缶瓶の選別、見学に来て下さい。できんことはありません。重度障害の方でも介護者がおってやってますので、ぜひお立ち寄り下さい。

納:
 「大阪府下障害を持つ教職員の連絡会」の納と申します。5月19日に総務庁が文部省に対して、障害者をもっと都道府県の教育委員会が採用するように。現在は法定雇用率の半分しか達成されていない。採用に関しても、勤務環境に関しても、具体的に予算を採って実施するようにという指導を出しました。けれども、私たち、大阪府教委と交渉してきて、少しは動いてきてるんですけど、なかなか、まだまだ、障害者が学校で働くという状況を作るのには時間がかかりそうな感じがしています。総務庁の勧告では、教員の採用試験を重点にして勧告しているところもありますけれども、先程の話で、行政に対してもっと障害者受け入れさせたいとおっしゃってましたけれども、教育委員会が採用するのは教員ばかりでもないと思いますので、それ以外の仕事は少ないですけれども、学校に障害を持った人の就労の実習、就労に出かけていく、就労の訓練に出かけていくというようなことはお考えにならないでしょうか。そういう風なところからも刺激していただくと、教員側としてもありがたいんですけれど。

藤野:
 先生の資格を持った人が実習に来るの、これは我々の管轄外ですけどね、障害者事業団として今、いい話、聞きましたね。そういうことを、教育委員会で採用せえという話は、箕面市では教育委員会も法定雇用率を越えています。3.02%くらいかな。だから、学校現場へ実習に行けという話、これはええ話や思いますので、これは取り入れてもらって、取り入れさせたいと思います。これは参考にして、いっぺん事業団に帰りまして、支援センター共々話し合いをしたいと思います。この発想、僕も全然わからなかったですけども、いい発想や思いますので。学校現場でやれと。事務職もおるしね、校務員さんもおるし、いろんな人がおりますわな。そういうとこで実習をしたらどうか、ということでしょう。いっぺん考えたいと思います。ありがとうございます。

筒井:
 まだたくさんあると思うんですけども、時間の都合でこれで終わらせていただきます。大変ありがとうございました。

p12

  自治体でここまで出来る―箕面市での取組みから
  (財団法人)箕面市障害者事業団事務局長藤野紘明

  1 (財団法人)箕面市障害者事業団

 箕面市障害者事業団は市が10億円を出捐、障害者団体がモデル事業から、百万円、市民の寄付が、二百五十万円と、額こそ違いますが、思いとしては三者の協力で、平成2年6月に設立された公益 法人で、認可庁は大阪府労働部です。事業団には大きく分けて二つの側面があります。職業的に重度な障害者を直接雇用して職種開拓や、職域拡大を行っていく面と、一般の企業に雇っていただくための手助けをする雇用促進の側面です。1つ目の直接雇用に関しては、正規職員として履っている障害者が17名います。知的障害者16名のうち療育手帳のA判定が8名、B1が6名です。
 障害者職業センターでの重度判定は14名です。それに脳性マヒのひとが1人います。市の受託事業である、公園花壇の管理をはじめとする緑化推進事業に5名と、市内から収集されたカンビンのリサイクル事業に8名、公共施設内で運営している2軒の喫茶店、これは自主事業ですが、ここに3名の知的障害者が働いています。また事業団では、授産施設や作業所のメンバ一、あるいは在宅、不況で解雇された人たちに実習の場、短期的な働く体験の場も提供しています。
 給与体系については障害者の雇用促進を掲げる公益法人としては、障害の程度にかかわらずきちんとした給与を支払うとの方針から最低賃金はクリアーしたいとの思いがあり、時間給の最低賃金(当時523円)現在(548円)を墓礎に年齢経験給を加味し、独自の給与体系を創りだしている。

   (主たる事業)
1 受託事業
 ア 市からの受託事業として公園花壇の管理を始めとする緑化推進事業
 イ 市からの受託事業として市内から収集されたカンとビンのリサイクル事業(カンとビンの手選別)
 ウ 障害者福祉センターささゆり園管理運営事業
2 收益事業
 ア 喫茶店運営事業(公共施設内で2店。8年度新たに1店)
 イ 物品販売事業(夏期市民プールの売店・箕面の滝前売店)
   (8年度新たにフラワーショップ開店)
   (自動販売機設置事業・肉等の販売事業)
3 パイロッ卜(試行事業)
 ア かぶと虫養殖販売
 イ ビルメン(施設の清掃)
 ウ その他
4 広報・啓発・調査研究・相談事業など

  2 就労を支援する事業(職場実習)

 雇用の促進については、自主事業で行っていた職場実習事業が市からの受託事業になりスタッフをつけて行っています。作業所や授産施設、在宅の障害者の中から希望者に一般企業での実習を行う。(実習後双方の条件が整えばその企業で層用してもらう)スタッフが4週間一緒に付き、企業に協力金(1人月3万円)を支払う。実習生にも実習手当て(1時間295円)を支払い、企業には財政的にも負担をかけませんという事業を実施していますが、今年度より雇用支援センターの訓練プ口グラムに組み入れていく予定。

  3 障害者雇用支援センターの開始に至る経過

(1)箕面市職場実習事業の実績
 @2年間で9件の企業実習、4件の就労

p13

 A企業現場で援助を行うことの重要性がわかった
 B一方、職場実習事業では、一件終わらないと次のケースに行けない、企業に行く前に十分なトレー二ングをすることができない、障害の多様化により専門的な機関との連携が必要になってくる等の課題が出てきた。
(2)障害者雇用支援センター制度
 @ 障害者の履用の促進等に関する法律の改正による本制度を知る(平成6年度)
 A 法律によれば、本制度の主旨は次のとおりであり、箕面市及び本事業団の目指す「市町村レベルで障害者雇用の促進策を」にも合っていたので手を上げる(平成6-7年度)
  (ア)職業生活における自立を図るために継続的な支援を必要とする障害者に対する職業準備訓練(企業への職場見学。職場実習を含む)
  (イ)就職後に必要な助言その他援助
  (ウ)雇用事業主に対する助言その他援助
  (エ)通勤への同行等を支援する者(障害者雇用支援者=ボランティア)に関する惰報の収集と整理
  (オ)事業主や支援対象障害者その他関係者に対して障害者雇用支援者に関する情報の提供及び職業リハビリテーションに係る情報の提供、相談その他援助
  (力)障害者雇用支援者に対して、(エ)の支援を適切に行うために必要な知識及び技能を習得させるための研修
  (キ)その他支援対象者がその職業生活における自立を図るために必要な業務
 B 指定
平成8年3月25日付けで大阪府知事より障害者雇用支援センターとしての指定を受ける。
 C 発足
平成8年4月1日発足、障害者来ての訓練開始は7月1日予定。運営財源は、日本障害者雇用促進協会がほぼ3/4、箕面市がほぼ1/4。

  4 自治体でここまで出来る

(1) 財団法人箕面市障害者事業団の設立
(2) 箕面市障害者雇用支援センターの開所
(3) 市役所における重度障害者の実習(養護学校高等部3年生の教育の一環として受け入れる)
(4) 箕面市における知的障害者の正規公務員として採用(平成2年度非常勤職員でも雇用)
(5) 箕面市としての障害者雇用率を法定の2%でなく、3%に定める(箕面市障害者市民の長期計画)
(6) 箕面市障害者雇用対策懇談会(事務局=商工観光課労働福祉係)の開催

  5 今後の課題

p14

  藤野さんのお話しの参考資料
  知的障害者を雇用して(仲間として上司として)

 箕面市では、障害者の職員探用は昭和57年に身体障害者4名を別枠の競争採用試験により採用して以来、実施していなかった。当然のこととして、障害者団体から継続実施の要望がなされ平成2年、当事者の声の高まりを受け、2回目の別枠採用試験を実施した。対象となる障害者の障害、試験の実施方法、職種選定など種々の論議を行政内部で行い、その結果公募による面接方式をとり、知的障害者1名を、正規の公務員として初めて採用した。しかし、配置職場を障害福祉担当課が中心になり模索するものの最初はどこの部署も沈黙。それじや市民スポーツ課で任しとけと、意気込んでスタート…席はどこにしょ…何をしてもらう…誰をパー卜ナーにするか…etc課員一同議論伯仲
 雇用主ってやつは、障害者であれ、健常者であれ、雇用した時点から、即戦力と期待する。これは大いなる間違いである。こせこせしてはだめ、焦らず、ゆったりした気持ちで接する。幸い就労した職場では養護学校高等部の知的障害者の受け入れ実習の経験が参考となったが、正規職員としてはなにぶん最初であるがゆえ少し戸惑った。知的障害者をどのように職場環境になじませるか、また施設利用者にどのように啓発していくか。
 採用当初は緊張からか自己主張ができない。半年ぐらいかかる。慣れると我が出るようになる(ここまでくるとシメタものである)
 1年を過ぎたころから受付業務や、電話での応対が何となく出来るようになり、ワープロもマスター、大したもんだ。大いなる戦力になってきた。最初の1年は何だったんだ。植木の葉がりでは、枝から根こそぎ切ってしまう、除草作業では、植え付けた花の苗もろとも抜いてしまうなど、今では考えられないような失敗も多々あったが、我々健常者にいろいろな意味で考えさせられる機会を与えられたことを糧として、職員一同障害者への取り組み方に大いなる自信と変化が起こってきたのである。職業的重度と認定されている知的障害者であっても適材適所であれば、十分に就労が可能であり、行政が範となるよう、広く門戸をあけ、雇用を考えて行くべきである。もちろん最善策は一般就労との考え方から企業に働きかけるのも当然であるが、昨今の不況時、切り捨てられるのはいつも社会的にハンディのあるものであり、特に障害者である。20数倍の競争率が示すように、ある意味での行政のありさまが問われているように思う。このような人たちに行政が手をさしのべるのは当然ではないか。
 現在の私の勤務する職場には知的障害者16名、身体障害者1名が履用され、喫茶店、公園花壇管環、リサイクル事業等々に就労しているのである。働くことを核にしたノーマライゼーションの実現のため行政は市民に対して障害者雇用問題を積極的にPRをし、理解を求め、障害者をもりたてお互いの市民生活にプラスになるよう心がけてほしく思います。そして、障害者のおられるご家族の方が、安心して死んで行ける世の中に早くしようではありませんか…

元教育委員会市民スポーツ課長
現(財)箕面市障害者事業団事務局長 藤野紘明

p15

  第二部(シンポジウム)

楠:
 ただ今から第二部のシンポジウムに入りたいと思いますので、集中をお願いします。
 今回、知的障害者を含めて障害者の就労を考えるというシンポジウムですが、私たちのいわば障害者運動における就労で基本的に押さえておきたい点というのは、ひとつは従来の障害者自身が能力を伸ばして、そしてどこかにうまくはめ込んでいこうという発想を少しでも変えて、障害者が働きやすい環境、そしてそのための条件をどう整えて受入を可能にするのか。つまり、障害者の努力はもちろんですが、問われているのはむしろ受入側の発想の転換だということがひとつ。そして、単に抽象的に能力主義反対と言っているだけでは、就労という取り組みは進まない。やはりそのためには、具体的に何をするのか。これも開発をしていかなきやならない。そういういう観点で、新しい発想と、新しい取組をどんどん出していく。そのために試行錯誤をし、失敗もおそれずに、率直に出し合い、点検をし合い、そしてそこからひとうひとつ着実に積み上げていく、という姿勢が必要なのではないか。先程の藤野さんのお話もその点を踏まえた、非常に具体的な取組の経過を御報告していただいたと思います。
 これからのシンポジウムでも、当事者の立場、あるいは支援者の立場、そして実際にそれを切り開いているさまざまな立場から問題提起をしていただいて、皆さんと一獅ノ考えていく。ということで行っていきたいと思います。おそらくこれも、1回限りで今日何かすべて結論を出して、イエス、ノーという解決をするということは不可能ですから、焦らずに、お互いに問題提起をし合って一緒に考えていこう、一緒に作り出していこうという視点に立って、ぜひ議論の方もお願いしたいと思います。
 では早速、問題提起をしていだきますが、最初に本日のシンポジストの方を順番に御紹介します。大阪市内の旭区の「手の花の家」の中沢昭広さん。次にこの「手の花の家」で働き、あるいはそこから企業への就職を試み、いろいろ苦しみながら闘っている三輪豪君。受け入れ企業の立場ということで、旭区の植田善夫さん。それから大阪市のリハビリテーシヨンセンターの所長、関宏之さん。で、助言者として桃山学院大学の北野誠一さん。先程お話頂いた藤野さんにも加わって頂いて、後で討論に一緒に参加していただきたい。以上のパネラーでシンポジウムを行っていきたいと思います。
 時間が限られていて、先程も言いましたように十分、お話いただいたりディスカッションしたりできないかもしれませんが、それはまた引き続きということで、とりあえず今日は第1回目という位置づけでお顧いしたいと思います。
 それでは、手の花の家の中沢さん、お願いします。

中沢:
 こんにちは。中沢といいます。今日はこんなにたくさん来られるとは思っていませんでして。40人か50人かなと思っていましたら、非常にたくさんの方がお見えになってまして、ありがたいような、元気がつくような気がして、これを機会にまた頑張りたいと思います。今日はここにお歴々の皆さんが並んでおられまして私たちの話なんてのはほんまの前座の話なんですが、それでも一生懸命やってきてる話、これから花咲かせる話、いろいろしていかなあかんと恩います。
 最初に4つ程、思ったこと、言うとかなあかんことを忘れんうちに言うておきたいと思います。
 ひとつは、ぜひ働きたいという知的障害者を支える活動、運動を各地で盛り上げてほしいというふうに思います。で、今日隣におる、三輸豪君もそうなんですけれども、知的障害者を雇用してあげようというような事業所は非常に少ないのが実です。昨年私たち独自の調査で、大阪市内の事業所に調査をしたところ、知的障害者を雇用してもいいよ、考えてみようかなというのと、積極的雇用するという解答が、今現在障害者を雇用している事業所で8.1%、してない事業所で1.1%という寒い結果でして、知的障害者が働くというのはかなり分厚い壁になっておるというのは現実の問題としてあります。それで職安なんか行きましても、なかなかこの子にみ合う仕事がないなんていう話になりまして、挙げ句の果てに、いっぺん十三の障害者職業センターで判定を受けてくれという話になり、そこでなかなか難しいという話になると、たいがいの障害者は「ああ、やっぱり難しいかな。近所の作業所、あるいはどっか訓練所でも行こうかな」と、そんな中で就職をあきらめていくという現実は、あちこちにもたくさんあると思います。だから旭区で、働きたいという知的障害者の応援をこれまでしてきましたけれども、ぜひ各地域で、その気持ちをどうくみ取って、どう支えていくか必死になってやっていってもらえるような組織を各地域で作って頂いて、ぜひ支えていただきたいというのがひとつ。
 二つ目に、これからお話する々支援の中で、知的障害者がいろんなところで働いてますけれども、様々な支援があれば知的障害者もりっぱに働ける

p16

実践や事例がたくさんあるということを、ここにいらっしゃってる企業の皆さん方や運動体の皆さん方にもわかっていただきたいということ。
 それから3つ目には、支援するシステムですね。今回この大阪市が就労支援センターを作るということなんですが、支援するシステムを、できるだけ地域に密着した形のセンター、そしてまたそれを統括するようなセンター、そういうシステムをきっちり作ってほしいということと、その中で働く支援者は、やはりその知的障害者の、あるいは障害者の立場から、立場に立ちきってと言いますか、現実その差別を受けてる、その差別を共に感じて、共に腹たって、どないかしようやないかというような、そういう素地というか、そういうのをつけていただけるような支援者をぜひともその中に養成してほしい。システムがなんぼできましても、実際にやるのは支援者ですので、やはり支援する人の資質をどこかできっちり作っていってほしいと思います。
 それから4番目に、この間大阪市に2年がかりで、「知的障害者の別枠採用制度を作って公務員採用を進めてほしい」ということを、いろいろお話してきてるんですが、ぜひ公務員として知的障害者がありとあらゆる所で働いているという状況を大阪市が率先して作って、民間の事業所なんかの先導的な役割を果たしてほしい。と思っています。
 言いたいことを最初に言わせていただいたので、ここらで隣におる三輪豪くんと、今日はかけ合い漫才するつもりで来てますので、三輪君自己紹介お願いします。

三輪:
 三輪豪です。大和総研に勤めています。よろしくお願いします。

中沢:
 それでは、レジュメにも少し書かせていただきましたが、私たちがどういう基盤の上に立つて就労支援や、障害者解放運動をやっておるかというようなことで、一番最初に私たちの基盤の組織である「地域で共に生きる教育と生活をすすめる会」というのがございまして、ここの組織で2つの作業所、1つの事業所を拠点に、就労支援、生活支援、そして教育の問題なんかをやっております。ここの会の話を少しだけしておかなあかんかと思います。もともとは地域の学校や仲間から切り捨てられてきた障害児を、みんなと一獅ノ勉強させたい、職の子供達と遊ばせたい、という親の思い。それから能力で

(p16右列 コラム)
  障害就労支援センター創設に期待して
  手の花の家 中沢昭広

●「地域で共に生きる教育と生活をすすめる会」について
●就労支援をてがけて
●地域に密着した就労支援にこだわる理由
(旭区の場合)
●大阪市就労支援センターに期待するもの
地域密着型就労支援センターを集約するセンターとして

p17

分け隔てて勉強させるなんてことじゃなくて、当時は就学免除とか在宅も多々ありましたし、養護学級ですね、今でも養護学級というのはありますけれども、そういうのではなくてみんなと一獅フ学級で、一緒に育てようという教師集団等が一緒になりまして、1975年に「親と教師の会」というのが結成されました。それが今、すすめる会の母体になっております。
 それで、三つの柱を軸として活動しておりまして、ひとつは在宅をさせない、二つ目が高校の門をたたく。三つ目に労働の道を探る。この三つの柱を立てて20年間活動しています。現在、旭区の小学校3校と中学校2校が、学校として加盟していただいていて、在籍する障害児や親、教師、我々関係者などで活動を展関しております。ずーっと地域校区の取組や放課後の仲間作りの取組を続けてきている中で、1982年に中学校を卒業して、私もあの人の行ってるあそこの高校へ行きたいんや、と言う子が出てきて、その子の思いをどう支えていくねん、という運動が始まりました。
 それをきっかけに「公立高校入学を実現する会」というのを結成しまして、それ以降十数年間、旭区にあります市立植宮高校への交流を進めてきました。始まった当初は交流という形でもなかったんですが、この10年間の取組の中でだいたい授業以外の所では高校の生徒さんとの交流が図られております。その中で周りの子供達もどんどん変わっていくし、本人達もいろんな周りの生徒たちの中から刺激を受けて変わっていくという姿があります。そういう取組の中で、うちの就労の取り組みっていうのは、1980年から始まってきたという状況です。三輪君も地元の小学校、中学校を、原学級で卒業し、高校へ行きたいということを申し出まして、お父ちゃんもお母ちゃんも、高校なんか点数とられへんのに行かれへんやないか、という話もあったんですが、どうしても本人が高校へ行きたいということで桜宮高校を受験したくちです。
 その辺のいきさつと、不合格になったんですが、それでも高校行きたいという思いとか、高校生活のことを少しここでしていただけたらと思います。

三輪:
 高校へ行きたいと思つたのは友達がいっているからです。僕も一緒に、友達と一獅ノ高校へ行きたいと思ったからです。ほんで三年間交流行って、文化祭があったんですよ。体育祭と文化祭があって、3年の最後の日が盛り上がって、本当に学校いって良かったなあと思っています。まあ、行ってよかったです。

中沢:
 それで、彼の後に今まで代々7人か8人続いて、うちのメンバーたちは高校に通っているんですが。中学校卒業してほとんどの友達が高校へ進学するという状況の中で、やはり自分も高校へ行きたいという気持ち、それからその後、卒業して働いてたくさんお金をもらって、自分の好きなことで使いたい、といった気持ちも、いわば原学級保障の中で仲間と一緒に育ってきた中での、当然といえば当然、ごく自然な流れというか、気持ちじゃないかと思います。やはりこの20年間の取組の中で当たり前の感覚、当たり前の要求というのを障害者本人が持っているということ。それから20年やってますので、先輩がずーっと道を切り開いていってますので、先輩と後輩との関係、支えあいが非常に強くて、次は自分が高校へ行く番やとか、次は自分が就職の門をたたく番やとかいうことで、その時々にいろいろつまづいたり、しんどくなった時に、支え合いがすごくあります。ピアカウンセラーにあたる人がたくさんいて、いろんな相談を受けたり、アドバイスをしたりということの中で力つけてるということは非常に大きいなと思います。
 一方親の方ですけども、実はやはり親というのは、こんだけ障害者にとって生きづらい世の中で、親が孤立してしまうと子供を抱え込んで、すぐ気持ちがふさがってしまいがちになるっていうのが世の常ですが、うちの会の中で親が一番すごいなと思っていますのは、親どうしが子育てのこと、思春期のいろんなこだわり、性の問題について、どういう医療機関でどういう相談したら一番うまいこと行くか、先生の話やら友達関係の話だとか、いろんな話をしている。時には「うち、ちょっと都合が悪いから今日、面倒見てくれへんか」という子供の面倒の見あいとか、それこそ差別を受けて口惜しい思いをみんなに話して「ちょっと一獅ノ相談乗ってよ」というような話。こんな話の中で親どうしが支え合う関係がすごくできていると思います。そういうのが高校の問題にしろ、就職の問題にしろ、現実はこうだけども、この子の思いはこうやから、ここを打ち破っていこう、という会の原動力になっているんだなあと思います。
また、先程楠さんからありましたけど、障害者の在り様というか生きざまというか。これもできへん、あれもでけへん、ということじゃなくて、本人の生きざまとかをどう受け止めてきたか。ともすれば「もうほんま、難儀なやっちゃな」と暗い話になりがちな部分も、すごくエネルギッシュで面白いところがあるから、ここをどうみんなで支えて伸ばすかという話を、いい話、楽しい話として受け止めなが

p18

ら、行政や地域に言ってきたというのは、僕はやっぱりうちの親の会の力ってのはすごいなと思います。そういう運動の背景の中でうちの就労支援というか、就職の取組があるわけです。それで三輪君なんですが、学校を卒業するちょっと前くらいから就職活動に入らなあかんということで、管轄の職業安定所にまず登録に行きました。登録してもすぐに見つからない。特にうちの管轄は梅田職安なんですが、そこではワープロが使えるとか、パソコンに入力ができるとか、電話対応ができるとか、なんかそういう今の機械関係の求人が非常に多くて、なかなか見合う仕事がないということで当初はみつからなかったんです。そんな中で、「とりあえず職業センターで職能判定を受けてくれたら」また「助成金の関係もあるのでいっぺん行ってこい」という話がありまして、どういうことかいっぺん見てみようと十三に判定を受けに行きました。その時の話をちょっと豪君からお願いします。

三輪:
 それで、あかんかっていやだったんですけど。それでも就職をしたいという思いがあって頑張りました。飛行船の給料はちょっと安いもんで、外で働きたいと思いました。

中沢:
 飛行船をケチョンケチョンに言うのが豪君でして、飛行船は今、月給2万5千円なんです。一生懸命に物を売ったりしてるんですけど、結果的に今来ている障害者のメンバーに2万5千円しか給料払えないんです。その2万5千円の給料なんか、もう安くてこんな所に居れんというようなことで、文句をずーっと僕たちに突きつけてきまして、僕たちの方も儲けて何とか金出す、という話もしてたんだけれども、「そんなもんじゃない。私は外へ出る」というようなことで、毎日毎日「仕事見つけてくれ」「無いか?」「職安行こう」というようなことで。それにだいぶ打たれたということもありまして、その気持ちと、僕らの頑張ろうという気持ちで、結構職安の方には「早よう見つけてくれ!」ということを何べんもお願いに行きました。判定は豪君が言うたように「仕事をするのは難しい」と。
 知的障害者といいますと、手先が器用で単純反復仕事に向いてるなんて思っている人がおるようですが、彼の場合は手先が器用なほうではないんです。いろんな細かい作業をやってみても、手先の仕事はちょっと苦手なんです。

(p18右列 コラム)

  就職活動をふりかえって
  (株)大和総研勤務 三輪豪

旭区地元地域の小中学校を卒業

87年
 大阪市立桜宮高校受験不合格の後、交流生として通う
 3年間の「高校生活」の中で交流枠の拡大、充実をかちとる
89年
 求職登録、交流修了後の就職活動に入る
 障害者職業センターにて職能判定を受ける
 作業能力上就識は難しいとの判定
90年
 とぐるま製作会社面接―実習…仕分けミスが多いということで不採用(1月)
 かまぼこ製造会社面接―実習…冷蔵室内での作業であったため健康上の理由から辞退(4月)
 金属加工会社に面接―採用(11月)
  ボール盤穴あけ、厚さ計測、化学薬品を使った洗浄
  やればできる、なんでもできるという社長方針
  同世代の従業員が多くアフターファイブのつきあい
92年
 不景気によるリストラで退職(12月)
 大手化学メーカー面接…不採用
93年
 (株)大和総研面接〜実習…採用(4月)
96年以降総務系の仕事に勤務



p19

最初に面接で紹介してもらった所が、ネジを選別する仕事だったんですが、そこの所は仕分けのミスが多いということで向こうから断られました。次に行った所がかまぼこの製造会社。面接に行って、実習させていただいたんですが、これは彼の方がかなり冷えた冷蔵庫内での作業だということで、健康上の理由から辞退した。何かないか、ええとこないか、ということで職安に行って、結構職安の方は一生懸命、うちと定期的な懇談もやってまして、いろいろあんな所こんな所、探してくれてたようです。結局卒業して初めて行った所が、金属加工会社で、FAXの中に入ってる金属状の板みたいなものがあるんですけれども、それを加工している会社。で、そこの所、どうやったかな?

三輪:
 うるさいおばちゃんがおって、何回もやめたいぐらいやったんですけど、2年間行きました。うるさいおばちゃんばっかしです。最悪でした。でも、忘年会の時も行ったんですけど、会社の忘年会行ったら、若い人らがいるから、そこの社長さんがおもしろくって、自転車乗れるかと聞かれて、乗れるというたら「よっしゃ、入れたる」言うてくれまして、忘年会盛り上がって、その社長が盛り上がってくれて、ビンゴゲームがあるんですけど、それに当たったんです。会社で沖縄に行ったんですよ。沖縄へ行くのは2度目でした。

中沢:
 ここの社長さんが、ちょっと書いてるんですけど、「できる。やったら何でもできる」「よっしゃ、雇うたろ」「君もやれば何でもできる」って、もうそればっかり言うてた社長で、そのパワーと、そのエネルギッシュさにこっちも大分押されまして、やったらできるんちゃうかみたいなことがありました。本人もそのつもりで行ったんです。最初ボール盤の穴開け行きまして、金属に穴を開けるしごとやったんですけど、どうしても最後の所でプッとずれてうまいこと行かん。その後その板を削る仕事で、0コンマ0何ミリかなんかに削るようなところに板をいれるんですけれども。その表裏がうまくいかんということで、「何べん言うたらわかるんや!」ゆうようなことが度々あって、そのへんでは豪君も帰ってきていろいろブツブツ言うてましたんで、こちらは飛んで行って、こういうような方法でやったらいけるんじゃないかとか、横向きで積んでくれとったらいけるんちゃうか、とかいろんな話をしとったんですが、おばちゃんの方もどうも気に食わない。そのへんは解消できないまま会社へ行ってましたが、若い子が多くてアフターファイブのつき合いが非常に多かったので、彼もやっぱり給料よりかは、その会社での同僚とのアフターファイブのつき合いとか、今言うた沖縄に行ったとか、そういうのが非常に良かったので、続けてその会社には行っておったんです。
 あと労働環境の改善の提案なんかもここの会社ではしまして、油で汚れた金属を、特殊な液体で、バケツみたいな籠みたいな物に入れて洗う仕事も一時したんですけれども、その液体がどうも吸うてしまうと身体に良くない、めまいがするとか、頭が痛いということがありまして、マスクをこういうふうにしてはどうかとかいうようなことを職安の方と相談して、そこからここの会社に提案して設置して頂いたり、そういうこともここの会社ではやって来ました。そんなことで、いろんな応援をしながらこの会社へ行ったんですが、残念ながらこの会社が不景気で、バブル崩壊になりまして、リストラで解雇せなあかんようになりまして、三輪君もそれに入ってしまったというようなことで。その後また面接に行ったりしたんですけど、最終的に今、大和総研という所へ行ってます。で、大和総研での仕事と、今の悩みを少しだけ言うてもらって、終わりたいと思います。

三輪:
 大和総研にいったらいい人ばっかりで、優い人ばっかしなんで、役にたってるなと言われてうれしい。さらの札を綴じたりとかいろんな仕事を今こなしています。書類をとじたりとか、別の紙をとじたりとかいろいろの書類をやってます。時間があったら、別の階に行って、何か仕事を取ってきとかやっています。

中沢:
 それでまあ、今のところは順調にいっているんですけど。彼もいつも言うてるんですけど、今嘱託ですので、人間関係と給料と身分保障が今の悩みだということです。人間関係のところは、会社でいつも一緒に毎日居るいうわけにはいきませんので、そのへんをどう調整したらいいかなということが、今の所私たちの悩みです。
 彼だけじゃなくて他に就職しているメンバーでも、レジュメに書いてありますようにいろんな応援を私たちの所でやって来まして、その中で感じていることは、地域に密着した就労支援のセンター、拠点がぜひ必要だなと思います。それは、旭区の場合で言いますと、彼の生い立ちだとか、彼ができるこ

p20

ともそうですけども、彼の親の価値観だとか、あるいは彼の人生での友達関係だとか、彼がとつとつと話しすることの背景になるものをたくさん知っとかなあかんのと違うかと僕は思つています。そんな中で彼が会社の中で、あるいは地域社会における差別と本当に闘う力、一緒に歩める支援者でないといかんのじゃないかというのがありまして、僕はそれでいくとできるだけ地域に密着して、一獅ノ活動したり生活する中での就労支援者というのを養成できないかということを思っております。
 最近水戸や滋賀の方で報道されてますが、会社の中で知的障害者がめちゃくちゃえらい目におうます。金は盗られる、殴る蹴られる、強姦されるみたいな虐待の報道されてますけれども、そのへんのチェックをやっぱりどこかでできるようにしておかなあかんと思ってまして、その辺の所をしっかり見抜けるような支援者というのを、各地域に養成できたらという思いがあります。  やっぱり地域で一緒に活動してますと、いろんな地域の情報ですね、人間関係とか、どこどこの会社がこんな人求めてるとか、今日の通勤支援、私空いてるから行ってあげるよという人がおったりとか、そういう意味では、外から来て「この子の就職、お願いします」という形じゃなくて、地域で一緒に活動してる人の得る情報量や人間関係やら、支える人の関係なんかは大分増えるやろなと思います。何かあったらすぐ飛んで行けるということもやっぱり魅力であるので、私は、今回大阪市の就労支援センターというのが、今年1年間で絵が描けていくんだろうと思うんですが、ひとつはやっぱり地域に密着したセンターが実態に応じて点在しておって、その各センターを集約するセンターとしての就労支援センターをぜひ作ってほしいなと。そしてその中身としては、職業リハビリを重点的にやるというようなことだけではなくて、そういうことからはもう少し脱却して、今言ったような就労支援者を養成してもらうとか、行き先ですね、働きたいと言うても受け入れてもらえる所がない現状なので、受入れ手をそのセンターから開拓してもらうような、何かいい方法がないかなとか、いろんなそういう実践例を研究してもらって、それをこういうパターンで、こういうふうにやれば、うまいこといってる例もあるよということをやってもらったりとか、実態調査なんかもやってほしいなとか、そのセンターに期待するものがあります。そのセンターの、ひとつのセンターとして私たちも今後がんばっていきたいと思っています。これで終わります。

楠:
 ありがとうございます。
 実は今から20年ほど前でしたか、三輪豪くんのお父さんと私はまったく同じ誕生日でして、一獅ノ誕生パーティをやったことがあります。その頃豪君はちょうど6才ぐらいでしたかね。1年生に入るか入らないかくらいの頃だったとおもうんですが、その頃はまだオウムがえし程度で騒いでたのが、今はちゃんと自分の思いをしゃべる大人になって、非常にこれから期待が持てるなと強く感じました。
 続いて、実際障害を持った当事者を受入れたという経験、現在も受入れておられる立場から、沢井製薬株式会社の人事課担当の植田善夫さんの方から御報告をお願いしたいと思います。

植田:
 沢井製薬の植田と申します。こういう場でお話させていただくほど当社の法定雇用率は芳しいものではありませんので、かなり気おくれして気恥ずかしい状況であります。できるだけこちらの方で実っ際にあったお話を聞いて頂いて、もし何らかの御参考にしていただければという気持ちで今回参加させていただきました。(p23)
 当社では1名、女子の知的障害者の方を雇用しております。平成6年の12月ですから2年弱くらいになるんですけれども、元々採用の経緯は法定雇用率が著しく悪くて、職安の方から指導がきまして、その時に職安の紹介で、飛行船の先程の中沢さんの方にいた女性を採用させていただいたということになりました。当初から今まで、清掃業務を中心にしていただいているということで、最初は2時聞とか3時関とか、会社に慣れてもらおうという形でスタートしています。
 最初は従業員も、ほとんど初めてそういう知的障害の方と接触するということもありまして、あわれみというか同情みたいな部分と好奇心が混ざったような、複雑な目で眺めていたんですが、慣れてくるにしたがって、彼女自身に社会マナーの問題というか、そういうのがかなり目立つようになりまして、逆に批判的というか、「もういらない」というようなことまでこちらの方に話が来ました。
 どういうことかと言いますと、まず、もの珍しいというんですか。彼女が会社の組織の一員になってロビー等で清掃してもらうんですけれども、朝に人が来ると必ず名前を聞くんですね。挨拶も当然しますけれどもそれ以外に、「あんただれ?」というかたちでまず聞く。次に行き先を聞く。「どこにいくの?」というのを必ず聞く。誰であってもきくんで

p21

す。彼女は会社の中で私が一番偉い人だとたぶん今でも思っていると思うんですけれども、社長であろうと常務であろうと「あんただれ?」と聞いて、受付にはパートの人がいてるんですけれども、その人たちはこの人間が社長であるということは知っているんですけれども彼女はそういうことを知りませんので、社長に対して「あんただれ?」と聞いて、社長自身もうまく答えずに、「植田課長と社長とどっちが偉いの?」というような話まで質問してたということで、苦虫もかみつぶしたような顏で社長も常務も、常務はかなり年をとってまして「おじいちゃん」と呼びまして、彼女は。日ごろは気難しい顔しかしてない常務なんですけれども、彼女と接する時はどうしてかニコニコするというんですか、半分苦虫をかみつぶしたような顔になってますけれども、そういう話をしていました。
 最近はもう慣れて彼女も聞かなくなりましたけれども、それが結局社内だけではなくて、社外の人にも全て聞くようになりまして、当然社外の人間はそういう状況とか全く知りませんので、結構急いでいる急用のある社外の人間もおると、どうしてもクレームがきて、何とかしてくれと。で、まとわりつくんですね、答えるまで一緒に歩いて「なまえは?」「どこいくのん?」というのをずーっと歩きながら話しますので、やっぱり外来者にとってはかなり迷惑になりまして、それを何とかしてくれというのが、一番最初のクレームです。
 その次のクレームが出たのが、時間感覚がほとんどなくて、彼女には9時から来てもらってるんですけれども、たいがい9時5分、10分と、必ず5〜10分遅刻してくると。家を出るのはかなり早く出ているらしいんですけれども、何でかどっかで立ち寄りをしてるみたいで必ず5分10分は遅れてくる。というので、それについてもかなり何度も何度も文句を言って、9時には入るようにということもしました。でも最初の2か月、3か月目くらいは全く効果がなくて全然改まらなかったですね。で、中沢さんにもかなり何度も相談しまして、どうしたらいいかなあということで御相談かけて、結果ですね、時間探索含めていちおう生活確認表を作ろうということで、表をつくりました。
 それぞれ彼女がしては駄目だということを、例えば「名前は聞いてはいけない―元気であいさつはしてもいいけど名前は聞いてはいけない―」「行き先は聞くな」「必ず9時には仕事をはじめる」ということですね。それから後、廊下を拭くのに水切りをしてモップで拭くんですけれども水切りもほとんどを最初のうちはできなくて、彼女が拭いた後を必ずパートの人がもう一度きれいに掃除し直すということで、パートの人にとっては掃除してくれてるのか汚してるのかわからない状況でありましたので、それも「水切りはきっちりする」ということでかなり何度も何度も、毎日朝のミーティングというんですか、担当の者と彼女が話するという作業をしてもらいました。
 だいたい1か月ぐらい繰り返すと彼女はもう自分自身でチェックしますので、できなければ反省してもらって、できれば会社の方も「よくやった。頑張れよ」ということで慣れるようになり、現在ではほとんどそういうことはなくなりました。そういうチェック表もしておりません。
 最初はなかったんですけれども、一時期、彼女も二十才くらいの娘でして年ごろですので、口紅を塗ることに興味を持ちまして、毎日のように口紅を塗っておりました。だいたい20本くらい毎日会社に口紅を持ってきてまして10回〜20回くらいは塗りなおすわけです。クレンジングで拭くわけではなくてティッシュぺーパーで拭くだけですから、くちびるの周りにずっと口紅が広がりまして、オバケのQ太カみたいなくちびるになりましてですね、かなり注意したんですけど彼女にとってはそれが唯一の楽しみいうんですか。働いて給料もらうようになってお化粧したいということがあったんですけれども、傍から見てね、どうしても口紅とは思えないような状態になっておりまして、これも中沢さんと協力して、顔見るたびに口紅塗ってたら怒って駄目だと、似合わないということで、何度も何度も言って最近はもう全く塗らなくなりましたけれども、一時は隠れてまで塗ってると。でも隠れてでもすぐわかると。出てきたら唇が2倍くらいにふくれて大きな状態になって出てきますのでいくらごまかしてもわかるということでありました。それについても何度も何度も注意して、顔を見る度に改めるようにして、最近は全くそういうことがなくなりました。
 で、彼女の仕事の仲間というんですか、パートナーはほとんどパートの方が中心でしてだいたい50代の方が中心です。彼女にとっては慣れ親しい態度で抱きつくというんですか、身体をすり寄せたり、肩に手をかけたりとかいうことを結構してたんですけれども、50過ぎたかなり高齢のおばさんですので痩せた方ですと、かなり体力の有る女の子ですので「こんにちは」と言ってグシャツとすると骨が折れるぐらい痛いということで、それもかなり注意して、挨拶だけにしなさいと。身体で抱き寄せてはいけないということで何度も何度も同じ注意をしてやっとできるようになった。中沢さんと話さしていただいて、とにかく何度も何度も注意すると。何度も何度も同じことを繰り返して言うと。そういう

p22

ことがやはり効果があったんではないかと感じております。
 あと彼女にとってすごく怖い存在というんですか、自分が首になる、首にできる人みたいな存在、まあ私なんですけど、をひとり作りまして、彼女は私を見るとかなりおびえております。時々目を伏せたりする時もありますけれども、とにかく私が顔を出すとちょっとぼーっとしてても仕事をするみたいなかたちで、かなり緊張するみたいなんですけれども、こういう存在を一人作って、どうしても言うことを聞かないと他のパー卜の人も「言うことを聞かなかったら植田課長に言うよ」と。と言うと彼女は言うことを聞くようになる。ということで何か困ったことがあると私の名前を出して、何度も何度もしてるうちに直ってきた。
 最近では特に逃げたり、目を伏せたりすることはないんですけれども、やはり街中で会っても嫌な顔をして素直に挨拶はなかなかしてくれない。普通の他の人ですと「おはよう」とか簡単に挨拶してくれるんですけれども、私が「おはよう」と言ってもにやっと笑ってうつむくだけで挨拶がないと怒ると、他の人にはちゃんとやってると言うんです。ちゃんとどうして私にできないかというと、やっぱり怖いみたいな感じを言うてましたわ。
 そういうような形で、2年弱ですかずーっと進んできまして、やっと彼女自身も仕事に慣れまして最初の反復作業の仕事から、今パートナーの女性と二人で組んで清掃してもらってるんですけれども、もうひとりのパートナーの方はパートタイマーの方でありまして、高齢者で力仕事が弱いということがあって、彼女が当然体力もあり力仕事は十分できる状況ですので、彼女自身が積極性が出てきまして、全部で5階建ての建物なんですけれども、会議室とかそれぞれ事務室がありますけれどもそこの全てのゴミ箱のごみを、今まではそのパートの方が全部やってたんですけれども、彼女自身が自分でやると言い出しまして今は全部彼女がやっている。いちおうそれも10回以上一獅ノ同行した形でやりだして、何も言わなくても一人でするようになった。いうことでかなり積極性が出るようになって、まわりが彼女を見る目も徐々に変わりつつある。完全に改善されたわけじゃないんですけれども、最初の1か月2か月の状況からすると全然違う、かなり改善された状況にはなっております。
 当社としては、彼女自身がやはり社会人としてできるだけ、当然給料もたくさん払おうと。お金についてはかなり執着心を持っておりまして、いっぱいい給料が欲しいということを常日頃会う度に言ってます。いっぱい給料もらうためにはいっぱい仕事せなあかんよ、という話をして彼女自身もそれがひとつの励みみたいな形になって今は頑張ってるんですけれども、社会人としてできるだけたくさんお給料をあげたい。当然仕事があっての給料になりますけれども、彼女自身が普通の形で社会人として生活できるような形で育っていけるというか、そういう状況を会社として、私としても見守っていきたいと考えています。以上で終わります、どうもありがとうございました。(p24につづく)

p23

  障害者雇用について
  沢井製薬株式会社 人事課植田善夫

 当社の知的障害者雇用は、現在女子1名である。平成6年12月縁あって旭区の障害者関係施設から当社に迎えることとなったが、採用の経緯はともかく、最初は従業員も好奇心と同情の交じった気持ちでみていた。
 1か月が経過すると、「可愛さ余って憎さ百倍」程ではないが、彼女をみる目が一変してしまった。もっとも大きな原因は、彼女自身の社会人としての習慣の欠如であった。通常の社会人としての生活経験がほとんどないままに当社で就業したために、一般的なマナ一が欠落していたことにあった。
 例えば、時間的な感覚(始業時間に遅れる、終了時関について何度も繰り返し聞き実際の仕事はほとんど手につかない等)のズレがあったり、誰彼かまわずに名前や行き先を大声で尋ね社外の人からクレームが来たことも何度となくあった。そのたびに注意をするが全く効果がなかったためである。
 彼女の仕事は、廊下や階段の清掃であつたが、床拭きの後、靴跡が付いていたり、モップの水切りが不十分のため、必ずもう一人の担当者がもう一度拭き直しを行っていた。
 そこで、生活確認表を作成し、彼女自身にチェックさせて一日ごとに話し合いの時間を設けて反省させた。確認表は、遅刻、靴跡、水切り、大声など細かく設定し、1項目ごとにどうして出来なかったのかを何度も繰り返して話をし、全項目が出来たときはおおげさに褒め上げるようにした。その結果、半年後にはかなりの改善がみられるようになった。
 当社には、彼女と同じ職場にパートタイマーの女性が数名働いている。最初は、「可哀想」的な接触をし、協力的であったパートの方も3か月後には逆に「目障り」的な行動をとるようになり、彼女の排斥まで訴えるようになってしまった。彼女がパートの方が注意していることに対して全く従おうとしなかったためである。そこで、彼女がこわがる存在となる人物を設定し、常に口やかましく注意するようにした。その結果、彼女はその人物が注意する事柄については、きちんと守るようになった。
 現在では、積極性もでるようになり他の仕事(ゴミ箱掃除等)も出来るようになった。当社では、彼女が社会人として普通に生活出来るようになるまで見守りたい。その期待に応えるべく彼女も日々成長し、頑張っている。

p24

楠:
 障害者が社会性を獲得するという、あるいは条件を奪われてきていますから、そういう立場で一般の就労をした場合、当然いろんな卜ラブルや摩擦や、あるいは本人の側にもいろんな苦痛やらあろうかと思います。その中での本人の頑張り。今はちょっと時間がなくて十分聞けなかったんですが、受入れた側のいろんな工夫とか、どう変わったのかとか、そのへんもまた討論の中で補足があればまた聞かしていただければと思います。
 それでは今、当事者あるいは支援者と受入れ側からお話を聞いたわけですけれども、そのへんをふまえて今度は大阪市のリハビリテーションセンター所長の関さんの方から、とりわけ重度の知的障害の人たちの就労支援システム、どういうシステムが求められているのかということを中心に問題提起をお願いしたいと思います。

関:
 ただ今御紹介いただきました、大阪市職業リハビリテーションセンターの関です。与えられましたテーマは、就労支援はどうあればいいか、どんなシステムがあればいいかということです。先ほど三人のお話を聞いていたら非常になごやかな話なんですが、私の話はそうはいきませんものですから、少し早口になるかもしれませんが時間も限られていますのでお話をしてまいりたいと思います。(p27)
 1番目に就労問題と書いておりますが、雇用就労すなわち、「9時〜5時労働」と福祉的就労という隘路があるわけで、厳しい線引きがあります。観念的にと言いますか、専門家的にといいますか、線引きがある。それがあたり前のようにいわれているが本当にそうなんだろうかという疑問があります。
 皆さんも御承知と思いますが、去年大阪府労働部が知的障害の方々を雇用されている企業の実態調査をされて、いわゆるA判定の人たちが13%、B1の人たちが33%、B2の人たちが31%、企業に働いているという調査結果が出ておりますが、ここで見るように知的障害の人たちにとっての就労問題っていうのは、いわゆる障害が軽度だから、重度だからということではないということがわかっていただけると思います。ですから、たまたまその人が会った、例えば中沢さんみたいな人に会った人は就労するでしょうし、またどっか専門家づらをした人に会ったら就労してないだろう。そういうこわいところに実は支援者たちがいて、その人たちが障害のある人の人生を決定してしまうようなとんでないことをしている、と言いたいのが、一番目です。
 1-(1)-Aですが、利用できる社会資源があまりにも少ない。日本には実際には保護雇用制度というのがありません。福祉工場、重度障害者多数雇用事業所というのがありますが、そこでは決して重度の人たちは採用されていない。そういった表向きと裏向き、現実との違い。それの中間的なものがないのです。
 それから1-(1)-Bですけれども、このへんはテメエがやってるからということかもしれませんが、雇用就労というのを軽く言い過ぎる。気楽に言うな、ということですね。大変なんや。それは今もお話があったようにその人の一生がかかっておりますし、企業は企業で大変な思いをされている。雇用率がなんぼでとか、何人就職させたとかいうことを、易しくというか、気軽にそれを言っちゃいけないんじゃないか。その人たちに私はうんざりするということです。もっと大切なことがあります。
 1-(2)のところです、現にそうは言ったとしても、実は障害を持っている人たち、あるいは保護者の人たちが、就労を望まなくなっているという現実があります。これは例えば養護学校を卒業された人たちで就労した人たちが減っています。その原因はいったい何なんだ。ということなんですが、一説にはそれはみんなが就労を遺棄するといいますか、嫌うというような風潮があるんだということが言われておりますけど、そうではないだろう。もし失敗したときに、それを受け止めてくれる場所やしくみがないという現実に言及すべきだということです。例えば就労をしていくためには8つくらいの条件があると言いますが、要するに就労する知的障害者の人たちの評価はするわけですけれども、それを支援する側の評価はありませんし、もちろんどういう企業なのかということについての評価もしないわけです。就職に失敗しても授産施設だとか養護学校には帰れない。その人たちがどうなってるかというと、おそらくは都市型の就労問題の一番大きな問題ですが、いったん就労した人たちがたくさん在宅しているという問題をどうするのかという課題があるんです。そういった人たちを見ていながら敢えて就労させたい、またはしたいと思うだろうかということです。
 1-(3)のところで、僕はついこの間もアメリカへ行ってきましたが、あんまりアメリカのこと言い過ぎや。そんなに良い国と違いまんがな、いうふうなことが言いたいわけなんですが。とにかく日本にも資源がたくさんありますし、おそらくアメリカよりもそれは統計的に言えば、障害者の人たちは日本の方がずっと雇用されているんだと僕は思います。労働条件ももう少しいいと思います。

p25

 ですから私たちがやってることを、一つ一つマイナスで見ないでプラス面で少し見ていきませんか。私たちが今一番欠けているのは、福祉だとか労働だとかいう線引きに慣れてしまっているということ、これをどうかしなければならないということではないでしょうか。
 大きな2番目ですが、要するに事業がたくさんあっても、あまり連携されずにやってるものですから、うまくそれが流れていきません。大阪市が非常に前向きに検討していただいて、私どものセンターでは知的障害者の定員が35人である。20人だったんですが応募される方がその3倍も4倍もなってきた状況に鑑みて、就労支援事業という新しい制度を起こしてもらいました。また、住之江に能力開発施設をつくってもらいました。やっとこれで定員が55人の施設になったのですが、それでもまだ80人から今90人近い人たちが応募をされている。
 ですから初めに就労離れが進んでいると言いましたけれども、実は違いました。ニーズに答えるということよりはやっぱりニーズを掘り起こしたということだったと思います。ですから今後それに更に答えていく必要があるということです。
 労働省が進めておられる職業的自立事業というのがありまして、それは就労離れをしている方々、保護者それから御本人たちに対して「そんなことはないよ」「仕事しようね」ということを一生懸命言う本を出していまして、『今からでも早くはない。今でも遅くはない』(☆注2)という、「いっくら早くてもええやないか。あきらめんでええのんちがうか」ということを言いたい本なんですが、私は今、その本をもって全国を歩き回っております。そういう仕事をしてるので、皆さんがそしたら就職をめざそうじゃないかとおっしゃっていただいて私のセンターに来て頂いたとしても、私たちは定員以上に採っています。かなり無理しています。今日も指導員来ていますが、やめとけって言うくらい定員以上に採ってます。それでもやれることには限界がある。
 もうひとつはパソコン通信事業というのを大阪市につけていただきまして、それは身体障害の人たちでとりわけハイテクに対して、コンピューターを勉強したいとかそういったことの門戸を開放したいということで、来られない方には私どもの方から出ていきましようということもやっています。これはあるいは怒られるかもしれませんけれども、就労って時に「今の現状を認ぬて就労させろ」というのも、それは一理あると思いますけれども、これだけの世の中になってる時にできればパソコンあるいはワープロ、こういったものの操作あるいは知識は持っていてほしいなと、これは特に身体障窖の方々に対して思っています。そういったものを通じて、あるいはパソコン通信の講習のようなものを通じてこういったことをしたいということです。
 今、企業倒産だとかリストラといったことがあります。それでやめた人たちがいます。いったん会社に入っててだめになった人たちがどうしているかというと、私どものところでは「いつでも帰ってきなさいよ」と言ってるわけですが、帰れない人たちがいる。今まで卒業した人たちが450人います。中沢さんと豪さんの話を聞いただけでもそれだけのス卜ーリーがあるんですから、450人の人たちがそれぞれの物語があるわけですよね。ですからそれを私たちだけのアフターケアーという形でどこまで見ていけるのかなという限界も持っています。
 それから企業だとか労働団体との連携と書いていますけれども、企業顧問会というのを作って企業の方々にいろいろ指導して頂いているというのがひとつと、ここに来ておられますが連合大阪が非常に良いアプローチをしてくださるということなので、少し私たちの中で基礎がためをしているところなんですが、大阪障害者雇用支援ネットワークというものをつくろうということで、とりわけ企業の中で雇用率の1.6%をなんとかクリアーしていただけないかということを進めております。
 2-(6)のところには、これを言うと皆さん嫌になられると思います。私も嫌です。産業社会というのが、以前ですとぽんぽんぽんぽん経済状態が良くなっていきますよという安心なところに我々がいたのですけども、もうわからなくなってしまった。もうひとつは知的障害者の人たちのことで言いますと今まではずっと製造業だけで職業訓練をしたりしてたわけですけども、そういう業種がどんどん減っていく傾向にある。こういったものにこれからどういうように対応していかなければいけないかという課題。それから以前ですと比較的理解して頂いたような企業、しかも中堅どころの企業がかなり厳しいリス卜ラに入っています。今までと違った形で私たちは職場開拓というか、職業を作ってでもそこへ雇用してもらうというふうなやり方をしていかなければいけない。
 いいことに大販には中小企業家同友会という中小企業の皆さんのすばらしい会があります。そういった所がかなり大きな力を発揮して頂けるんだということを期待しております。
 今、私どもでは情報処理科という身体障害の方々のためのコースを持っておりますが、ここの先行き

p26

が一番難しい。情報処理環境の変化が速くてもうわからない。ですからどんな訓練をして、どういうふうにしたら就職できるだろうかということが少しわからなくなってきている。ですがそんなことばっかり言うとれませんので、そこの中から何とか就労できるようなある種の力をもっていただきながら就労に向けていきたいと思っています。
 そこの下に書いていますが、広域拠点施設の限界。一か所二か所でもってやりまんがなと言うのは、およそ私たちの努力をはるかに越えてしまったということが言えると思います。職員の労働過重や倫理感に頼ってやっていたのではこの先更に多くの支援ができなくなってしまうだろうということです。
 それから就労を促進するための条件というのを書いていますが、障害者の方、保護者の方にちょっと嫌な言い方かもしれませんが、就労するというはっきりとした意識を持って頂きたい。それはその条件が整わなければ持てない筈なんですが、できるだけ私たちもその条件を整えていきますから、ぜひそういう気持ちを持って頂けないかということ。それから二番目には、就労ってのは憧れでは就労できません。9時〜5時労働ってのはとんでもない企業原理の中に入っていく過程ですから、それにきちっと対杭できるという力がなければいけないだろう。ない場合には、そういった力を持って支援をしなければいけない。
 企業に対してですが、雇用率の厳守と書いていますがせめてこれは守って頂けないかということ。それから障害者としてではなくて、人材として雇用していただけないかと。
 今中沢さんもおっしゃった水戸の話。それから滋賀県の話。そういう形で障害者の人たちが食い物にされていく、そういった状況というのは聞くだけでもおぞましいし、許せません。
 それから3-(3)ですが、実は大筋として「身体障害の人たちの雇用の話はすんだ、知的障害の人たちも先が見えてきた。だから次は精神障害の話なんだ」というふうな、雇用支援の流行でもあるのかとでも言いたくなるような流れがあるんですが、それぞれ問題を残して推移しているということを忘れてはいけないということが言いたい。ひとつは法定雇用率の問題ですが、知的障害の人たちはそれから除外されている。
 労働行政の地域化ということですが、先程箕面の実例をお話頂きましたが、拠点事業の時代は終わったということでしょう。
 地方自治体にということですが、一度就労を経験した人たちがそのまま何の支援も無しに在宅になっているというそういう実情がある。ですから中沢さんのような人がいて、在宅の障害者の方と企業を再び結ぶという役割が必要なわけです。例えば企業の問題でいいますとさっきの企業内でのセクハラの問題であるとか、給料がちゃんと支払われてないとかいろんな問題がありますが、そういう時に代弁できるような、あるいは障害者の方が何か問題があった時にすこしそれを修正できるような、そういった役割を担うような人や場所が必要なんだろう。
 それから職業生活支援体制をと書いていますが、職業というのは生活の一部で暮らしの一部なんだと、「就労」だけを分けて考えるわけにはいかないよ、ということなので職業生活ということをひとつにくくった支援体制が欲しいなということです。
 我々にということなんですが、安易な限界設定、これはあかんということです。内向きの対応というのは、制度はこれしかだめだから、これ以上だめだというふうなことを言ってしまう。もうひとつは、専門家づらはやめようと。私たちはやっぱり就労ということを通して社会に参加し、自分で自分の主人公になつていくということを支援することでしょうから、そういった形でのいわゆる、側に立つといいますか、そういったことを忘れない専門家でいたいということと、それから今までやってきたことの枠組みを越えないと、とてもじゃないが私たちは仕事ができないだろうということです。
 それで一番大きなテーマとして与えられておる就労支援モデルということなんですが、皆さんがたのお手元に『雇用就労』というこういう紙をお配りしています。(p28)これは、私どものではありませんで、今日もお越しになっておりますけれども堺市がこないだお出しになりました、第二次障害者長期計画の中に載ってるものです。この長期計画の中には数値目標だとかそういうものも入っていますし、きちっとした調査をされてある程度予測をたてられていて、厚生省がお出しになった数値目標に準じていないと言いますか、実態の中から目標を出されていて、そのひとつがこの雇用就労なんです。雇用就労という問題を、作業所で、授産施設で、一般就労で、というようなことではなくて、「働く」ということでくくっておられるというのが非常におもしろいと思います。これを今やっていくのは非常に大変なことかもしれませんが、こういう視点でシステム作りをしていかなければいけないだろうと思います。
 まだまだ言い足りないこともありますが、こんな話はおもしろくないでしょうから、このへんで。

p27

  就労支援はどうあればよいか、どんなシステムがあればよいか
  =就職・職業生活を支える条件について考える=
  大阪市職業リハビリテーションセンター 所長 関宏之

  1. 就労問題
 (1) 雇用就労(9時〜5時労働)と福祉的就労
@厳しい線引き(観念的/専門家的?)
A利用できる社会資源が余りにも少ない
B雇用就労を抽象論ですませることのできる気楽に人たちにはうんざり
 (2) 加速する就労離れ…支援者・保護者の意識低下/ためらい/あきらめ
 (3) アメリカはそれほど進んだ国ではない…援助付き雇用・ADAに対する幻想

  2. 当センターを巡るいくつもの課題
 (1)職業リハビリテーション…システムとしてはあるのだが
 (2)大阪市職業指導センターの開設…一極集中化の解消にならず
 (3)就労支援事業・パソコン通信事業による対応
 (4)解雇や企業倒産に伴う離職・転職者への対応…いつでも帰ってこいよ
 (5)企業・労働団体などとの連携
 (6)混沌とした産業社会…職場開拓の隘路
@産業構造の変化→産業の空洞化/製造業種に限定してきた就職活動の見直し
A事業の再構築(リストラクチャリング)と雇用意欲の低下
B見通しの難しさ…情報処理産業などの変化のはやさ
 (7)労働行政にもとづく広域拠点施設の限界…拠点から地域へ

  3.就労を促進するための条件
 (1) 障害者・保護者に
@就労するというはっきりとした意思
Aあこがれだけでは就労できない
 (2) 企業に
B雇用率の厳守
C人材としての障害者雇用を
 (3) 労働行政に
D法定雇用率の適用方法の検討
E労働行政の地域化(市町村へ)
F助成金制度の改訂を
 (4) 地方自治体に
G就労問題についての総合的な相談窓口の開設(障害者・企業・支援者)
H職業生活支援体制を
 (5) 支援者に(機関・施設職員に)
I安易な限界設定・内向きの対応・専門家面はやめよう
Jネットワークを構築するという意思と度量(既存のしがらみが越えられるのか)

  4.就労支援モデル…就労支援センターに何を期待するのか
 (1) 神奈川県方式…厚生行政による就労支援/重度障害者多数雇用事業所/労働団体
 (2) 箕面市方式…市単事業/労働省による雇用支援センターの開設
 (3) さて、大阪市では

p28

図:堺市第二次障害者長期計画(堺市民生総務部発行)1996年3月 第三章「雇用・就労」より

堺市第二次障害者長期計画


p30

楠:
 では北野さん、お願いします。

北野:
 桃山学院大学の北野です。おそらく大阪市の長期計画にも、また箕面市の長期計画にも関わって仕事をしたから呼ばれたんだと思うんですけれども、実は箕面市も長期計画はもう出まして、私も委員長させていただいてこういう関係の会を12月に箕面市でやったんですね。で、その時は気が楽だったんですよね。気が楽というのは、箕面市でこういう講演をした時に、ある程度先が見えていたというか、箕面市ではこういう感じでやっていくんだというのがある程度見えておりましたので、質問が出ても、これはこんな風にいく、こんな風に展開するんですということが、ある意味で気楽に言えたんですけども、皆さんの前で、大阪市でこういう計画を立てて、その計画はいったいどんなふうになるんだと言われましても、少し、これだということではまだ言えないというか、まだ皆さんと一緒に作つていかなあかん部分が非常に多いというのが事実であります。
 こっちがしゃべることはほとんど無いんですけれども、いちおう図表をいくつか作っておきました。これも私が一番気になってるところなんですけれども、われわれ福祉なり社会関係のそういうことで仕事をしている人間でいつも一番思ってますのは、やっぱり障害を持つ人達の卒業後の進路の問題なんですね【図1】。長期計画を作る場合も、学校卒業後、養護学校の場合もありますし、普通学校のありますし、大学や専門学校の場合もあるんですけれども、学校を卒業されてからの進路を展開し保障し、なおかつ、どうサポートしていくのかというのがやはり一番大きな課題。これは長期計画でも一番大きな問題になったところなんですけれども、今、関先生の方からお話があったと思うんですけれども、今これを見ますと養護学校では一般企業なり自治体に就職されている方が知的障害の場合で3割くらいですかね。身体障害の養護学校ですと1割という感じになっていると思うんですけれども、多くの方が現在福祉作業所、自営業、各種の授産施設や職業訓練関係の学校、一部更生施設や療護施設、ごくごく少ないと言いましても一部自宅待機、そういう実態があります。こういう形が今の学校卒業後の方の生活の事実なんですね。
 しかも民間の企業で勤められた方は一年、二年半、三年という、いわゆる補助金との関係でですね、このあたりで実際にやめられたりやめさせられたりと言うのでしょうかね、やっぱり首になったりやめ

(p30右列 図の挿入)
【図1】学校卒業生の進路 【図2】生活主体者としての障害者への支援システム 【図3】就労システム
p31

られたりされるケースが出てくる。一度学校から振り分けられてしまいますと、そこから次を支援するような仕組みがちゃんとないんですよね。箕面市では事業団がそういう全体の調整の作業も支援をされているんですけれども、大阪市の場合は全体に、いっぺん行ってしまったらその後それを支援する仕組みがなくて、そのへんを担っているのが実は作業所である。作業所がある意味でそういうものも含めていろんなことをごちゃごちゃやっているのが実態だと思います。
 しかし今言ったように一般企業に入られてやめられる方も出てきますし、自営業でも困ってる人はいっぱいおるし、施設から出てこられてもあるいは途中で入られて悩んでいる人もおるし、まだ自宅待機の人もおられる。そういうことですと、その全体の調整という、全体にそういう人たちを支援するような場、いつもここに行ったら相談してもらえて、就労の問題で支援なりができるセンターを作りたいということを書いたわけなんですが、それがどう展開できるのかという所で、これから一歩ずつ踏み出していかなあかん時に大阪市は来てるんだと思われます。
 ただ、これまでは労働行政というのは国と府の仕事であるというイメージがかったので、箕面の方でもそうでしたね。労働行政というのは国と府の仕事であって市町村のやる仕事ではないという思いが市町村の行政にもありましたし、いろんなところであったと思うんですけれども、国が出してきた雇用支援センターというのは市町村でやりなさいということでしたので、つまり今までと違って市町村で雇用の問題について真剣に考えなさいという土俵を労働省なりが提供してるんだから、やる気のある市町村は、箕面市でもそうですし、今私が委員長やらせてもらってる尼崎市でも実際にそれを取るために一生懸命いろんな戦略を練っております。
 そうしますと次に【図2】ですけれども、前にお話しされた中沢さんと三輪さん、植田さんの話にあったように、障害を持っていらっしゃる方の生活全体のなかで就労問題を考えていく視点がなかったら、実際には遅刻の問題、女性として目覚めてきた時のそういう対応の問題、いろんな社会的なルールを学んだり、人間関係など、いろんなことを企業と支援する仕組みが共に、一獅ノなって考えていかなあかんということがあると思うんですね。
 そうしますと生活主体者である障害者ご本人の、たとえば土日どんな生活をしてはるのかとか、日曜日に行く所もなくてつまらない思いをしているようなことであれば、仕事に行く気になるのかどうかという問題が出ますので、土曜日日曜日に豊かなプログラムがあるか、お友達はいるのか、ガイドヘルパーがおって遊びに行ったりできるのか、そういう余暇、スポーツ、家族関係の事とかアパートの事とかいろんなことを全部知ってる、生活全体をつかんでいる方が地域で支援して、それを企業の方もそれを受け止めて支援されるという、それがうまく合体、連携できないとこういうものは進まない。そういう意昧でそれを全体にやれるようなしくみを考えていかなあかん時期に来ていると思いますし、おそらくそういう問題提起を皆さんが今、してこられたと思います。
 あと最後に【図4】ですが、実は箕面で長期計画をたてて、小規模作業所が将来どうなるのかという問題で、やはり推進委員会で問題になりまして、小規模作業所の検討委員会というのを作ってやっぱり私がまたその委員になってしまったんですけれども、箕面ではまだ人口12万で4つしかかないこともあって、だから今すぐやり易いんです。4つの所を4つのパターンくらいに振り分けて、それぞれに新しい道、方向性を見つけてもらうというのでこういう図をつくったんです。今札幌市でもこれで見直しが始まってますけども、大阪市もある意味で作業所が将来地域の中でどんな役割を担うのかということについて見直し作業をせざるを得ない状況になると思いますので、その時に作業所が将来事業所なりいろんな所に展開されるのか、あるいは授産施設のような形で職業訓練を受け持たれるのか、重度の障害者の方が多い所でデイアクティビティーセンターという構想が国からも出ておりまして、デイアクティビティーのセンターのような形で将来展開されるディケアの仕組みを取り入れられるのか、あるいは地域で生活しておられる障害者の、地域で自立生活されておられる方に対してサービスを提供する自立生活センターのような機能をもたれるのかという、いくつかの構想があるのでしょうけれども。
 そういう展開と就労支援の仕組みがどんな風に将来うまく結びついていけるのかという視点も含めて皆さんで一緒に考えていけたらと思っております。以上です。

p32

【図4】作業所の今後の方向性

p33

楠:
 ここでもいくつか大きな問題が出されました。一言で就労支援と言いっても、法制度上の問題をどう整備していくのか。それからいわば当事者の社会性、あるいは生活のリズム、それから人間関係をどう広げていくのかというテーマもありますし、それを支える支援態勢、バックアップ体制をどうするのか。 あるいは人権、権利擁護の観点からどう支えていくのか。それから具体的な設備、仕事の職域。こういった問題を含めて、そのへんをひとつひとつ広げていかないと、就労支援といっても課題は山積みされているだろうと思います。皆さん話したいこと、訴えたいこと山ほどあると思いますが、残念ながら発言は2〜3人になると思います。要点をまとめてお一人3分程度でお願いします。どうしても発言なさりたい方はおられますか。

牧野:
 京都から来ました牧野といいます。今まで職安に何回も通ったんですけど、能力判定で「できない」ばかり言われ続けててきた。僕は、仕事がしたいという気持ちと出来ないという気持ちのずれがずーっとあったんですが、いろいろな話を聞かせてもらって、実際に支援者がいるということはたいへんいいと思います。京都もそういうふうにやっていきたいと思っていますけれど、日本の障害者雇用率の制度はなぜそういうものが必要か、ということについて、僕としては制度に対して非常に疑問をもつ。その目的は、企業の障害者雇用によって企業にお金を払うということですけれど、それはまあいいとして支援センターにもお金を払う必要があるのではと思います。いろんな方法でたくさんの障害者を雇用していくための環境が必要ではと思います。

楠:
 法定雇用率の低さとか現行の制度の問題に関しては、ここに並んでるみんなが不満、不信を持っていますね。ここにいる人は行政の代表ではないので、なぜなのかという答えに関しては持ちません。代わりに説明しても意味が無いと思いますので、むしろ今、牧野くんの言われた、企業や行政と当事者の間に立つ支援者の役割が非常にだいじだという話ですが、その支援者をどう育成していくのかというあたりについて、たぶん関先生のところでいろいろ努力されていると思いますので、そのへんの取り組みをちょっとお聞かせいただければと思います。

関:
 お答えしにくい質問ですが、支援者っていうのは一番大切なのは逃げないということだと思いますので、とにかく逃げない支援者を作るというのが一番だろう。私たちの仕事というのは制度が無いことを指摘することも大切なのかもしれませんが、現に支援の必要な方が目の前におられるわけですから、具体的に就労にまで持っていかなきやいけないわけです。手練手管をいろいろ使ってでも逃げないように。ずっと良い支援者でいるということは、ずっと素人でいるということなのかなと思いますので、答にはなりませんがずっと素人の目を持った支援者でいたいものだと思っていますし、そういう人たちをたくさん作っていきたいと思っております。

楠:
 地域の作業所が今、実質的には支援の中身を持ってる人材を抱えているし、実際に実践しているだろうと思います。そのへんで中沢さんから支援者の心得というか質といいますか、そのあたりで自分自身の体験やそのへんの悩みも含めて少し補足していただけたらと思います。

中沢:
 関先生の方から逃げないということでおっしゃいましたけれども、時々、もう逃げたろもうやめとこ、と言うてしまいがちなんですが、その時にいつもいつも、「俺の就職どないしてくれんねん」と言うてくるメンバーがおり、うちの親の会の親ってのは非常にあたたかくて、あの手この手できますもんで、逃げるに逃げようが無いような状況の中でやっております。僕自身は非常に感性が鈍くって、一緒に生きて一緒に活動をして、彼の人生を追体験したり、また抱えてる問題を自分自身で共有しながら一獅ノできるというようなことが非常に苦手でして、その度にいろんな人からつつかれたり、本人からも提起を受けたり。落ち込んだり、できない時にそういうことを提起されてまた頑張ったりということだと思うんですけれども。みんな情があついので義理人情でだいぶ押されてということもあったり。
 大切なことはやっぱり決して妥協しないと。こういう世の中ですから妥協もあるんですけれども、初めからあきらめないということをこの10年間くらいでみんなに教えていただいたなと思います。僕も最初始めた頃は、とてもやないけどこんな会社雇ってもらえないだろうというのがはなからありまして、それは無理や、無理や言うてました。本人が行く言うてんねんから、それをどう支えるか考えた

p34

らええねん、というような時期もありましたけれども、がむしゃらにやって来たというのがほんまかなと思います。全然答になってないです。すいません。

楠:
 良い支援者を育てるというのは、言ってみれば逆に当事者や親との相互関係、ぶつかり合いですね、当然親や本人も鍛えられなきゃならないし、支援者を鍛えるにもそういうぶつかり合いが大事だ。そのためにも逃げない、あきらめない、それから関先生が言われたように、素人の目、新鮮さがだいじですね。専門家ってのはすぐこんなもんだとか、分析をしてしまって、こんな現実があるんだからとか、能力はこんなもんだからと言って否定してしまいがちですけれども、やっぱり新鮮さ、開拓者というような視点を忘れずに求め続けるということではないかと思います。
 他にこれまでの話を聞いて疑問なり、これからの中身の悩み等がありましたら短時間でお願いしたいんですが。

(お名前ききとれず):
 10年前に養護学校に行ってたんですが、高校3年の春になったら進路指導があって就職か、それとも福祉。就職を希望したんですが、受けてもあなたは無理やからやめとけと言われました。養護学校の先生が、やめとけだとか言ってました。10年前はそうだったんですが、今はどういう状態になってるか教えて下さい。

楠:
 養護学校現場の先生方とおつき合いのある方は。

関:
 私が言うのですか?固い先生もいますし、やわらかい先生もいます、ぐらいなことだろうと思いますが。非常に頑張っておられる先生方も今日はここに来ておられますよね。昔ほどしゃかりきに就労に固執されなくなったという傾向はあるんではないかなと思います。どうでしょうね。やわらかい頭の先生、どなたかおっしゃっていただけませんですかね。西成高校の先生、何かありませんかね。

楠:
 進路指導というか、進路支援の苦労か何かありましたら。

福西:
 西成高校の福西です。とにかく在宅にしないということでやって、自分たち学校の力量で手に負えなかったら西成障害者会館にお願いしたり、関先生にお願いしたりという形で、いろんな機関を利用して障害を持っている子の就労実現にむかってやっているつもりなんですけれども、なかなかうまく行かない場合もありますが、あきらめないでやろうという姿勢でやってます。

楠:
 やっぱり私が聞いている範囲で言いますと、傾向として作業所が、表現は悪いですけれども、逃げ場になってるというんですかね。たんなる当てはめの場所、行く所なかったら作業所へ入れといたらいい、とややもすればなりがちだということですね。作業所というのは非常に重要な役割を地域で果たしているわけですけれども、それが作業所しかない、というマイナスの発想で作業所が位置づけられている、これではやっぱり意味が無いんじゃないかなという、そういう傾向は一方でどうもますます強くなってるんじゃないかという危惧を感じます。
 他、どうでしょう。何か質問、意見。

(お名前ききとれず):
 私は今4千人以上の大きな大企業で働いています力、手話通訳のようなコミュニケ一ションの保障はありません。今の二一ズに答えるように電子メールとかインターネットを使っています。人間関係の問題にきちんとこたえるように能力開発が大切だと思っています。

楠:
 4千人という大きな企業で頑張っておられるようですけど、本当はもう少し苦労など、体験を聞かせていただけるといいのですが。また別の機会にぜひ、会社での苦労、困ったこと、それをどうクリアーしてきたかなども、聞かせていただければと思います。他ありませんか。

東牧:
 枚方の障害者労働センターという作業所のスタッフをしています東牧と申します。北野先生におうかがいします。先程の16頁(作業者注:当日配布資料)の表で、作業所が今後進んでいく行方をそろそろ整理しなければいけないんじゃないかということをおっしゃいましたが、私もそのへんは常々考えているんです。

p35

 北野先生があげられた4つの展開がありますけれど、我々の労働センターを含め、各作業所がそれぞれ今後の方針なり行方を整理しなければならない、そういう時期に来ていると思うんです。それと労働行政が今までの国都道府県から市町村も携わらなければならないということは、先程から出ている就労支援システムとして障害者と、就労に結びつける支援者の存在というのがやっぱり大きいと思うんですよね。現実は公的な支援システムが整うまでは、作業所のスタッフがそれをまかなってるわけです。それを整理しなければならないと言いつつ、やはり障害者のよろず相談所であったり、緊急駆けつけ部隊であったり、生活を実際にプログラミングしていると。整理はしたいんだけれどもいろんな要素が絡まってるわけですから、そういう作業所のスタッフが、今後やっぱり障害者と就労を結びつける支援者となるためには、やはり今の作業所助成というかミ二授産としての作業所を助成する制度しかないというのが現実ですね。
 行政としてもこの作業所助成の在り方を支援システムを支援するシステムとして考えていかなければならないと思いますし、現段階で各自治体で作業所の補助制度なり援助制度でいろんな意味でランク分けされているとか、こういう傾向を持った作業所はこういう助成で、また別の傾向を持った作業所は別の助成でというのが今あれば、おっしゃって頂きたいと思います。

北野:
 この話はどこまで踏み込んでいいのかよくわからない話ですが、大阪市と府がどんな風に将来このことを考えられるかという問題になります。
 今のところ毎年作業所の補助金はわずかづつですけれども上がってますよね。丼勘定でと言いますか、中身がどんなものであれ一定の要件を満たしておれば一定あがってるんですよね。おそらく、事業内容といいますか、その中で行われている役割なり、事業内容に応じた将来的な見直しが将来出てくるだろうと私は思っています。つまりその時は作業所として5人の人間がいてるからまずそこに何百万なり1千万の金がついてというのがもともとあって、それにプラスこういう事業が付帯的に行われるからそれにまた5百万の金がつくというような話になるのか、それとも事業としてこういう事業をしているので事業費として何々つくという形で、事業に対する補助金という形になるのか、おそらく一番難しい話になってくると思うんですね。
 それで、これはどういう場合でも同じだと思うんですが、ある事業をきっちりやってる所とやってない所に同じ金が流れるということが将来的には大きな矛盾になりますので、事業をきっちり展開されている所には、事業に対する基本的な補助ということになる形でみなさんが将来いろんな形で展開されるのか、いや事業といってもまとめようがないからともかく丼で、5人おったら何百万、10人おったら何百万という形でそれはそれで作業所というものであるという展開をされるのか、ただその時に両方ともというのが、今の段階ではそういう方法であると思うんですけれども。
 尼崎でも同じでしてね、審議会でも要求がふたつ出てくるんですね。というのは、ひとつは長期的な展望がはっきり見えないからともかく補助金を上げろという要求と、長期的な展望を出せというふたつの要求が同じ所から同じように出てくるんですけれどもね。私はおっしゃるとおりだと思うんですけれども、それを整理して長期的な展望を考える時に、これについてちゃんとした、例えばここで自立生活センター型といいましたね。この自立生活センター型というのは地域の障害を持ってる仲間に対する支援活動でありますから、自立生活のプ口グラムを提供された介護の支援の仕組みを作られるケースもあるだろうし、就労支援に関する事業をされてるところも出てくると思うんですね。
 そうすると就労支援をされておる所に対して一定のお金が出る場合に、どういう要件を満たしたらそのお金が出るのか。その時に就労支援という形でお金が出ておって、なおかつそれ以外にも何人かの人がいらっしゃるからお金が出るという形になるのかどうかというとこらへんの整理が、いろんな所で話し合われていかなあかん部分だと思います。
 札幌でもそういう話で毎年勉強会していますけれども、勉強会でありましてね、事業に関してお金が出るという形できっちりできてる作業所のシステムの変換を行っているところは日本全国で無いと思います。

楠:
 作業所の役割もいろいろ議論のあるところですし、行政側とか審議会等に何とかせえと要求するだけじゃなくて、我々自身がこうあるべきじゃないのかということを提案しないと変えていけないんじゃないかという気もします。われわれもそういう議論を今続けている最中なんですが、なかなか難しいところですね。
 あとひとり発言をしてもらいたいと思いますが。よろしいですか。特になければそろそろまとめに入りたいと思います。

p36

 今日は非常に重要な問題提起をたくさん受けましたけれども、体験交流とかいろんな悩み、課題をもっと出し合う場、いわばこれの第2ラウンドのようなものをまた実行委員会で企画して頂くと。今日まだ言い足りない方たくさんあるでしょうが、それは別の機会にということで、最初にお話頂いた藤野さんに、今までの質疑を聞いた上で何かもし御感想があれば一言お願し、できればと思うんですが。

藤野:
 障害者事業団というのは先程も出ましたけれども、受入側と支援者側、両面あるわけで非常に難しい。よそからみるといいなあと思われますけれども、非常に難しい問題があるわけです。今は時間がないので言いませんが、非常に難しい問題があるということだけ言っといて終わりたいと思います。

楠:
 それも、また別の機会に難しいことの報告を伺いたいと思います。
 それではパネラーの皆さん、何か言い足りないことありませんか?

各パネラー:
 ありません。

楠:
 皆さん遠慮深くて、時間に協力していただきましたけれども。
 それでは問題がたくさんあるので、まとめないことにしますけれども、特に今回私自身が強く感じたことは、障害者と一言で言っても、多様な困難を持った人たちというのが一言で言えることだと思うのですね。これだけいろんな課題、いろんな困難を持った人たちがいる。その人たちをひとくくりに障害者と言っても、なかなか問題は解決しない。いわゆる知的障害といわれる人たちは、人間関係や生活を作っていく上で非情な困難を抱えている。その人たちに対するバックアップの体制なりフォローがないと、どんなにしごいて訓練をしたところでそれは限界があるし、本人に苦痛を強いるだけになってします。さっきもいいました社会性の獲得は必要ですけれども、これは決して単に本人に対して努力を強いるだけでは解決しないし、かえって本人にとってプレッシャーを与えることになりかねないのではないかということを私はこの間ずっと感じてきました。
 就労支援のシステムは早急に作らせていかなければいけないわけですけれども、そのシステムを作る上でのもっと細かなフォローの在り方を、ぜひ今日の討論、あるいはこれからのさまざまな取組を通じて一定の蓄積を私たちの側でしていく必要があるのではないか。企業や行政側にですね、こういうものが必要なんだ、こういう中身が必要なんだということをもっと明らかにしていきたいですねそう言うことを強く感じました。
 本当に就労支援センターの課題ってのは、我々の側もまだ端緒についたばかりだと思います。ですからまさに、あきらめずに、ニーズにどんどん積極的に、問題提起をしよう。そして企業や行政の方にも一緒に考えようや、というスタンスで積極的に提起をし、陣地の中に引き込んでいくという視点に立ってこれからの運動を進めていきたいと思います。
 今回のシンポジウムはこれで終わります。
 後、集会アピール等がありますので、司会の方にバトンタツチをしたいと思います。シンポジストの皆さん、ご苦労様でした。

筒井:
 この後、集会アピールを用意しております。その前に、障害者の正社員化を求めている二宮さんの方からアピールをお願いします。

二宮:
 みなさんこんにちは。二宮と申します。私は今、大丸百貨店に働いて8年目になる者ですが、嘱託社員という一年契約、ボーナスがないといった不安定な身分のもとで働いている者です。それで、どうしても正社員を希望する。やはり障害者雇用で嘱託という不安定な身分である。これは私個人だけではなく、大丸の障害者が嘱託採用であるという矛盾を3年前から、障害者団体の仲間と、障害者雇用に関心のある弁護士の方と共に、大丸人事と話し合いをして来てました。そしてその他、私も地域の労働組合に入って、大丸本社と団体交渉をやりましたが、なかなか会社側は嘱託雇用に固執し、団体交渉がこの4月に決裂しました。抗議運動として5月1日に心斎橋店前でビラまきを行いました。もっとこういう問題を、社会的にしてゆかなければならないという気持ちから、社会的にもっとアピールし、障害者の嘱託採用という不安定雇用の差別性を社会的にアピールしていきたいと思います。6月5日、水曜日の夕方1時間、また大丸心斎橋店の御堂筋前で2回目のビラまき行動を致したいと思います。ビラにも書いているとは思いますが、皆さんにもこういう障

p37

害者の不安定雇用の社会矛盾について、障害者が正社員として働けるように社会的にアピールをしたいと思いますので、できればこの場を借りて皆さんの御協力をお願いしたいと思います。今後も御支援お願い致します。どうも失礼しました。

筒井:
 6月5日、ビラまきに参加できる方は、お願いしたいと思います。
 続きまして、大阪市が就労支援センター設置に向けた調査予算を2年めにして初めてつけるということになりました。ところがまだまだその調査の内容とか、そういうのは全然決まっていません。私たちもこの調査は充実したものにしていきたいと思っています。そこで、資料の3頁に載っていますが、調査の内容を整理していきたいという意向もあります。障大連の臼井の方から提案してもらいます。

臼井:
 臼井です。資料集の33頁(注:当日資料)に、「民間の就労支援ケース調査と、構想研究についての提案」というのを載せております。今日の話でもいろいろあったように、今地域を支える制度がない中でも、いろいろな就労支援の取組がされてきました。そういう就労支援の活動の今までの実績、そして具体的なひとりひとりの障害者の就労支援ケースについて、どのような支援なり、社会的システム、制度が機能したらいいかということを調査を元に政策提起にしていきたいという主旨のものです。
 御協力お願いしたいところとして、学校卒業してから就職できなかったか、その後職を離れた障害者本人、民間の中の団体の就労支援を受けて就職した、または就職しようとしている障害者本人に語っていただきたいというのがまずあります。
 それから、支援をした団体。就職先となった会社、事業所、それから学校とか関係機関あるいは行政など、幅広く御協力いただきたいと考えています。
 おおざっぱには今年いっぱいケース調査を進めて、来年それを元に新しい政策に反映させていけるよう、いろいろ考えながらまとめていきたい。スタッフで学習検討会などをしてパンフレットにまとめていくような形になると思います。中身はここに書いてあるように、障害者自身のプロフィール、就職前後の経過、就職先についてのプロフィール、今どうしているのか、特に重要なのは分析と点検というところ、構想を作っていくためのものです。企業に対して一般にいろいろアンケートや調査はあるんですけども、こういう形で本人の声を最大限聞いていくという調査というのはほとんど行われてこなかったように思います。ぜひ御協力をお願いしたいと思います。
 この黄色いアンケート用紙の真ん中、3番のところですけれども、この調査に御協力頂けますかということと共に、いろんなことについて御協力いただけますかという項目があります。ぜひこのアンケートにも御協力をお願いします。

筒井:
 ありがとうございました。みなさんぜひこの調査に御協力お願いしたいと思います。
 続きまして本日の集会のアピールということで、まず「出発のなかまの家」のキムさんおられますか。

金:
 出発のなかまの会の金光雄です。
 どんぐりでパン配達とかフックの仕事に、他にテープをはずす仕事をしています。
 親戚の会社で仕事をしていました。プラスチックの会社でテレビのわくを作っていました。課長や工場長によく「まじめにやらんかい」と怒られました。間違ったからです。友達はおばたさんでした。社員旅行に行った。仕事はやめたくなかったけど、やめた。やめてほしいと言われたからやめた。
 普通の会社で働きたい。ワープロを使ってしごとをしたい。たくさん給料がほしい。しごとでわからないことがあれば、教えて下さい。
 私たちに働く場を、あたえてください。

筒井:
 ありがとうございました。キムさんは2週間ほど前から緊張していたそうです。本当にありがとうございました。それでは最後になりますが35頁(作業者注:当日配布資料)の集会アピール案を読み上げていきたいと思います。時間がありませんので所どころ省いて読み上げていきますが、よろしくお願いします。
 …拍手…
 ありがとうございました。これで終わるのでなく今後とも地域での活動、運動体での活動、作業所での活動、一人でも多くの障害者を就労させていくために、皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います。きょうはどうも、ありがとうございました。

 ★以上は、テープ起こしにもとづき、分析は編集者にあります。

p38

  集会アピール

 きょうは、「地域からつくりだそう、障害者就労支援システム」のテーマで、ごいっしょに話し合うことができました。
 障害者、なかでも全身性障害者や、盲ろう者のような重複障害者、そして知的障害者の多くは、子どもの時から、「働くのはとても無理」とされてきました。精神障害者は、とくに強い偏見のために、就職することが困難です。学校を出ればだいたいは作業所、作業所にも行けなければ在宅。施設に入れば、ずっと施設に入ったまま。企業に就職できても、多くの場合、低い地位にとめおかれ、仕事以上に人間関係が難しく、ここ数年不況のあおりで解雇や自宅待機となる人もふえています。
 しかし、実際に「働くのは無理」と言われた人が、試行錯誤しながらも必要な支援をえて、一般企業でいきいきと働いていることは、きょうのシンポジウムでも話されたとおりです。
 たとえば次のようなサービスが、利用者本位で提供されればどうでしょうか。

 一人一人が必要な時に必要なサービスを利用できれば、じゅうぶん、働いて暮らすことは可能です。市町村は、「障害者基本法」にもとづき、これまで福祉行政で把握してきた障害者市民の実態とニーズを、就労促進の視点から改めて把握することが求められています。そして、生活圏での一人一人の顔が見えるサービスは、市町村単位だからこそできることです。
 そのうえでは、広域行政をになう国や都道府県との適切なリンクが欠かせません。さらには、労働の分野での権限や財政を、市町村に移すことも課題になっていくでしょう。
 260万の人口をかかえる大阪市には、センターをひとつ建てたというようなものでなく、法人・非法人をとわず民間で就労支援活動を行っている所をミ二就労支援センター(ブランチ)として位置付け、いくつものブランチをそれぞれの地域の核にして、就労支援システムを動かすネットワークを形づくれるように求めます。
 大阪市で今年から始まる調査検討では、民間で積み重ねられてきた就労支援活動から、その成杲と教訓をくみとり政策に活かすことが、ぜひとも必要です。
 これまで非法人の障害者団体の多くは、他に使える制度がほとんどないため作業所制度をとりながら、必要に迫られるままに介護派遣など生活支援、各種相談、就労支媛など、ありとあらゆる分野の活動を進めてきました。
 この蓄積もふまえて、以上のことを要請するとともに、それぞれの分野の活動を確立し新たな政策のあり方をさぐること、垣根をこえて力を合わせていくことを誓い、集会アピールとします。

1996年5月31日 障害者就労支援シンポジウム 参加者一同

p39

  地域生活支援としての就労支援
  出発(たびだち)のなかまの会

 当会は、1973年以来、障害児・者が地域で育ち、暮らし続けることを願い、作業所、グループホーム、地域センターを作り活動してきました。主に、知的障害者メンバーと活動してきたのですが、一般就労への取り組みは、積極的ではありませんでした。その中で、当会のメンバーが、地域の中学校の卒業を控え、進路の問題で悩みました。すでに、作業所は運営していたのですが、卒業イコール作業所しかないのか、この選択肢のなさは何なのか、と怒り、悩んだのです。15歳の春に大きな選択をして、5年間地域の保育所で働き、グループホームで自分の生活を築いているYさん、Sさんの例を通して、当会の地域生活支援としてのささやかな就労支援を紹介します。

  Yさん(21歳)
1990.4 府立定時制高校入学
    無認可保育所実習開始
1992. 4 乳児保育園勤務(入所児童(者)処遇特別加算を利用したパー卜勤務 ☆注3参照)
1993. 4 グループホーム入居
1994. 3 定時制高校卒業

 中学校を卒業して、作業所に籍をおき、共同保育所に実習に入りました。同時に、定時制高校への通学もはじまり、小柄なYさんの体力、気力がもつだろうか、と心配しました。家から作業所、 作業所から保育所へ生野区の端から端への通勤は、毎日小旅行のようでした。道を覚えるまで、作業所のスタッフ、母親が同行しました。2年間、毎日同じ道を、補助輪付きの自転車でガラガラ行 くYさんは、ちょっと有名になりました。実習中、仕事の中身はどうしよう、時間はどうしよう、おもらししてしまった、保育所のお金がいつのまにかYさんの財布に入っていた…など様子をききがてら、作業所のスタッフが保育所と話し合いました。
 体力も何とかいけそうだし、次の展開を考えようとしていた時、近くに乳児保育園が新設されることを知り、パ一ト勤務をお願いしましました。今では、0歳児のおむつ替えや、食事の世話、だっこしてあやすなど、なかなかの保母助手ぶりだそうです。同年齢の保母さんたちの中で、仕事だけでなく、お化粧や、アクセサリーなども学んできて、生活に彩りが加わりました。保育園の方も、Yさんをひとりの職員として、保護者に紹介したり、会議に参加させたりしてくれています。現在は、グループホームのスタッフが、ときどき保育園にいっています。
 また、夜の習い事、休日の外出など余暇の部分は、地域センターが、Yさんと相談しながら組み立てています。仕事、生活、余暇、それぞれがおたがいを支えあっているように思います。

  Sさん(21歳)
1991.4 A区の保育園で実習開始
1992.4 生野区の保育園に勤務(入所児童(者)処遇特別加算を利用したパ一卜勤務)
1993.4 グループホーム入居

 言葉による理解や、会話が得意な分、Yさんとは違った悩みを抱えがちなSさんです。特に1月から3月ごろには、職場でもグループホームでもイライラし、疲れやすく、すぐ泣き、「子どもが言うことを聞いてくれない」などのグチが多くなりました。職場から、「最近、様子がおかしい」と連絡が入り、Sさん、職場、グル一プホ一ム、母親の四者で話し合いの場を持ちました。
 今までは、Sさんが自分のことで連絡されるのを極端に嫌っていたので、それぞれが、Sさんのためと思い、言ったり、してきたことがパラパラで、Sさんは混乱していました。例えば、朝、体 調がすぐれず出勤できないとき、母親は「遅れていくのは職場に迷惑だから休め。」グループホームでは「連絡いれといて、様子見て、遅れて出勤したらどう?」職場では「しんどかったら休んでいいよ。」と、実にバラバラなことを言われ、どうしたらいいのかわからなくなっていました。そこで、体調の変化や、気になることを、Sさんが伝えられないとき、電話したからといって、陰口でも、悪口でもないのだということを納得してもらい、お互いに連絡を取り合うことになりました。
 職場では、4歳児担当だったのですが、子どもの動きや、会話についていけないことが、しんどいのではないか、ということで、今年度は、持ち上がりの予定を変更して、2歳児の担当へ変更になりました。最近、子どもたちの楽しい話が多くなり、「2歳児はかわいいわー」だそうです。ま

p40

た、病院通いが必要なSさんは、通院のために、遅刻するのが苦になっていたらしく、夜に受診できる病院に変わったとたん、うそのようにすっきりしました。  Sさんの今回の不調の波で、小さなことの重なりで、生活全般にわたって調子が崩れること、一つ一つのことをSさんがどのように理解しているか確認した上で、日々の支援があるべきだと教 えられました。
 Sさんも、職場、グループホーム、地域センターをよりどころにして、仕事、生活、余暇と青春を謳歌しているように思います。Yさん、Sさんとのお付き合いの中で、一方通行の支援ではなく支え合いの関係だなあと実感しています。


(p40下段 図)
★出発のなかまの会・各拠点

  グループホームとんぼまる
 4人の青年が生活しています。昼間はたびだち共働作業所で働いています。
  グループホーム和楽苦荘
 4人の青年が生活しています。昼間はたびだちと、どんぐり作業所で働いています。
  グループホームきらら・のろっこ
 きららでは3人のギャルが生活しています。2人は保育所で、もう1人は他の作業所で働いています。のろっこでは、和楽にが荘での生活を卒業して、念願のひとり生活をめざして練習中の青年が暮らしています。昼間は、たびだちで働いています。
  たびだち共働作業所
 10人の青年が働いています。最近、就職しているけれど、不況で、「仕事がないからおやすみです。」と、のぞきにくる人が増えました。また、「僕の仕事がなくなったらどうなるの?」と、本人が悩んでいるのだけど、とか、会社の人とこんなトラブルを起こしたのだけど、とか、相談ごとがひっきりなしです。
  どんぐり作業所
 9人の青年が働いています。2人のギャルは保育所で働いていますが、この作業所に所属してケアーを受けています。
  ゆうゆう
 ガイドヘルパーの派遣事業をしています。グループホームにすんでいる人、自分の家にすんでいる人、作業所に通っている人、就職している人、いろんな人が余暇を楽しんでいます。メンバー同士の支え、ヘルパーさんの支えを受けて、就職している人もいます。(以下一行分、字が読み取れない)

p41

  府立高等学校における「障害」を有する生徒の進路保障について
  大阪府立高等学校同和教育研究会
  事務局 糀秀章

 府立高等学校に在籍する「障害」をもつ生徒の数はここ10年間で飛躍的に増大してきている。これはもちろん、小・中学校における共生の教育の取り組みとノーマライゼーションの潮流の現れであると考えられる。もちろん、高校における入学選抜制度は現在も「障害」をもつ多くの子どもたちへの門戸を固く閉ざしてはいるものの、高校入試における様々な配慮の拡大の中で、確実にその壁を破り、多くの子どもたちが入学してきている。校内において「配慮」を要する生徒は1985年では約200名であったが、1994年度には1000名を越えている。また、定時制高校と一部の全日制高校には知的障害と呼ばれる生徒も在籍している。
 この間、高校の現場ではその受け入れに際して、一定の議論がなされてきたが、多くは校内での生活、評価、学力保障が中心的なものであった。しかし、こういった課題は生徒とともに過ごす中で、教員だけではなく、周囲の生徒も巻き込む中で一定切り開かれてきている。そして、現在高校が最も大きな課題としてとらえているのは、「卒業後の進路保障」である。もちろん、進学を希望する生徒も多く、大学なり専門学校での個人生活が成立するためには、人間関係のスムーズな取り結びが必要であり、高校での集団生活はその重要な役割を担っている。
 一方、就職を希望する生徒(もちろん進学希望の生徒も卒業後の思いは同じである)は何といっても「一般就労」である。わけられず当たり前に生きていくことの過程の中に普通高校への進学があるわけであるから当然であろう。
 従来より、職業安定法に基づき、学梭は生徒への職業斡旋を行ってきたわけであるが、普逼高校においては、「障害」をもつ生徒の就職指導を、職安と早い段階から連絡を取り合って行ってきている。と同時に各校がばらばらに企業との話し合いを行ってきた。しかし、多くの高校ではそのノウハウをもっていないのが実情である。
 しかも、そこには「障害」者に対する就労の社会的な状況が反映されている。つまり「働ける」障害者以外の生徒の就職は困難を極めているのである。その上、最近の経済不況の影響からか従来就職していた職場からも閉め出される傾向にある。その結果として、「職業訓練校」への入学が増大しているが、それは就職の先送り的な意味合いが強く、訓練校卒業後の進路もままならない状況にある。こうした状況を受けて、下記の点が望まれる。
1) 各校独自の求人開拓には限界がある。行政が中心となって積極的に求人を開拓し、早い時期(具体的には3月くらい)に一括で提示していただきたい。
2) そのために各職安だけでなく、府内に専門窓口を新設して、各校の相談にのっていただきたい。
3) 企業の中には、普通高校に「障害」をもつ生徒が在籍していることをよく知らないところも多い。「障害」を持つ生徒が多くの普通高校に在籍していることを広く伝えていただきたい。

p42

  当日のアンケートでよせられたご意見など

  【企画に関する意見】

  【思ったこと/日ごろの実践との関連から】

p43


  【障害者本人の思い】
※上記以外のもの、原文のまま


p44

(資料)
1996年6月16日朝日新聞(大阪市内版)
☆注
注1 95年1月の河野秀忠氏による講演。障害者就労支援講演記録集として障大連から発行している。
注2 全日本育成会発行。第2弾「就労へのためらいにこたえる」QA集も96年8月発行された。
注3 入所児童(者)拠遇特別加算
 厚生省の制度。児童福祉施設等の業務の中で、高齢者など(知的障害者を含む)に適した業務について、これらの者を非常勤職員として雇用した場合に、加算するという制度。

p裏表紙

就労支援シンポジウム 会場風景
この冊子内容についてのお問合わせ等は下記にお願いいたします。
下記・障大連(1980年〜)はシンポジウム実行委員会をよびかけたもので、府下の障害者団体、労働団体など現在51団体による連絡会です。各課題の部会、学習会、企画、行政協議、調査研究などをおこない、障害者が中心となって運営しています。

編集人/障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議(代表・川端利彦)
通信係/〒537大阪市東成区東中本2-3-8 岩本コ-ホ°705
TEL06-981-1720 FAX06-981-1764 (担当・臼井)

一九八四年八月二〇日第三種郵便物認可 毎月一二回(二、四、六、八の日)発行
KSK通巻一一三八号・一九九六年九月八日発行

*作成:臼井 久実子 青木千帆子
UP:20100408 REV: 20150908, 20150915
障害者自立支援法  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)