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「冒険心のすすめ──同和教育から学ぶ、新しい人権教育の風」

松波めぐみ

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last update: 20151221


冒険心のすすめ──同和教育から学ぶ、新しい人権教育の風

松波めぐみ 1996
アムネスティ・インターナショナル日本支部「ニュースレター」1996年9月号


「同和教育から学ぶ〜国連人権教育の10年の可能性を探る〜」と題した学習会が、3
回連続で大阪事務所で行われました。講師は各回とも、大阪教育大で同和教育を担当する
森実さん(賛助会員)。これからの日本での、そしてアムネスティでの人権教育の可能性
を探っていく上で非常に示唆に富んだ内容でした。「え、どうしてアムネスティで同和教
育の話を?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、一緒に考えてみませんか。
●説教されると、人権こわい?
 こんな厳しい差別(人権侵害)があるのです、と突きつけられた時、人はどう反応する
だろうか。その時はショックを受け、何とかできないかと思う。信じられなかったり、内
心自分はその立場でなくてよかったと思うかも知れない。しかしそこが学校の教室で、作
文を書けと命じられたとしたら、大概「差別はいけない」「人権は大切だと思いました」
と書くだろう。もし「仕方ないのではないか」なんて書けば、先生に怒られるだろうから。
そして数十分もたてば日常の生活に戻り、よほどその問題を身近に感じる動機がない限り
忘れてしまう。日常会話、井戸端会議ではまず使われない人権というコトバ。学校の授業
でしか触れたことのない多くの人にとって、「人権」は堅苦しく近寄りがたいというイメ
ージに留まりがちだ。
 森さんは長年、教員志望の学生に同和教育を教える中で、どうしたら学生が自分のこと
として差別や人権の問題を捉えられるようになるのか、具体的な行動に結びつくのかを考
え、試行錯誤してこられた。従来の小・中学校での同和教育の典型例は、「部落差別の事
例を本や映画で学ばせ、感想文を書かせる」というものであったが、私を含め学習会参加
者の中には、そのタイプの授業にしっくりこない感情を抱いた記憶を持つ人が多かった
(*注1)。森さんの大学の学生も同様だという。
 この従来のタイプを森さんは『説教型(責任感型)』と呼ぶ。43年前に設立された全国
同和教育協議会は、一貫してこのやり方の問題点を指摘してきたそうだが、実際に行われ
ている『説教型』の授業では、大半の学習者の素朴な疑問を押さえ込んで、偽善者になら
なければいけない時間になってしまう。自分の気持ちに嘘をつくのはイヤだから、学ぶこ
とそのものに忌避感を持ってしまうのだ、という森さんの話は説得力があった。現実の差
別問題には複雑な側面があり、特にある程度の年齢になれば、パカッと割り切れるもので
はない。同和教育について「タテマエ、タテジワ、タニンゴト」という言い方があるそう
だ。つまり、差別はいけないと綺麗な建て前をしゃべり、深刻だからと眉に縦じわを寄せ、
本音の所は他人事と思っている、という意味だ。
 「この言い方は結構世間受けしましてね。でも自分は、本音と建て前という枠組みが好
きじゃない」と森さん。「それって、『結局人間なんて汚いもんだ』という人間観が土台
にあるように思えるでしょう?人間はそれほど綺麗なものではないかもしれないが、それ
ほど捨てたもんでもない。人の本音がそんなに汚いものばかりかどうか、簡単に言い切っ
ていいのか。差別なんてしたくない、という自分も本当の自分なら、差別してしまいそう
になる自分も本当の自分ではないか。その両方の自分という枠組みが『内的葛藤』であり、
それをしっかりと見据えることが大事なんです」。

●大切な内的葛藤 〜『生い立ち共感型』の試み〜
 多くの人が差別問題に内的葛藤を持つのは、社会の中に差別を無くそうとする面と支え
てしまう面、両方があるからであり、疑問を持つのは自然なこと。教える立場としては学
習者が自分の中の葛藤に気づき、受け止めることを促すこと。そのうえで個別の問題への
率直な疑問に具体的に丁寧に答えていって初めて、学習者は問題に素直に向き合えるよう
になるのだという。森さんは『説教型』に代わる学習方法として『生い立ち共感型』を追
求した。フィールドワークや聞き取りを通して、差別された人と自分自身の経験や思いを
重ね合わせていく。被差別部落出身でなくても、「世間の仕組みが自分を縛っていた、傷
ついたが人に言えなかった、家庭の事情を恥じ友達に嘘をついた」といった経験は、かな
りの人が持っている。「ああ自分にも同じような経験があったんだ」と思えた人は、自分
を押さえ込んでいた被差別部落の人が解放運動に出会って自分を肯定的にとらえ直し、人
生を切り開いていく姿に接すると共感しやすいだろう。そういう人は、知識だけでない態
度の変化にも結びつきやすい。森さんの体験でも、「一見遊び人風の学生が初めて自分自
身のことを語り始め、周囲の友人も最初は驚くが勇気づけられる。語った学生は自分が人
に影響を与えたことに自身を持つ」といったプラスの相互効果が認められたという。それ
でもこの型が直接響くのは、森さんの経験では約3分の1の学習者に対してだけだった。
『生い立ち共感型』の良さは確かにある。3分の1が答えることによってそれ以外の学生
も問題を身近に感じることはある程度出来る。しかし一体どうすれば他の、3分の2の人
の心を直接動かせるのか。ここで森さんは「同和教育は曲がり角」と実感する。被差別者
VS差別者という固定的な考え方。被差別者でも他の人を差別しうるのに、同和問題と他の
人権問題とのつながりを考える視点の無さ。同和教育の活発な学校がなかなか広がらない。
そんな行き詰まりを感じていた所、国際人権教育の世界に出会う。

●海の向こうの出会いから 〜『冒険心型』提唱へ〜
 1990年に識字の国際会議に出席した時、非英語圏からの参加者の姿に衝撃を受けたのが
森さんの転機になった。歌や演劇など多彩な表現方法を用い、最底辺の人々をエンパワー
(力をつける)する。民衆の立ち上がりが大事なんだ、ということを理解できる方法で伝
えていく。折しも『国連人権教育の十年』(*注2)の準備が始まっており、人権教育に
正面から取り組む人に国内外で多く出会った。「国内派」だった森さんは、様々な取り組
みに感心する一方で「何や、似たようなことで悩んでるやん」という発見をしたりする。
自分の今までやってきたことの狭さを痛感し、「国際派」への認識を新たにした。ちなみ
に日本のアムネスティについては、『なんでアムネスティ』という本(*注3)から大き
な刺激を受けたそうだ。その後海外の豊かな人権教育の研究実践からも学んだ森さんは、
現在では『冒険心型』(*注4)の人権教育を提唱するに至り、実践を始めている。
 冒険心型人権教育では、参加型の創造的な活動を通して、人権をグローバルな視点から
体験的に理解しようとする。被差別体験を持たない学習者にも有効だし、個々の自由な発
想を活かし、伸ばしていける。人権問題に対し「難しいが、だからこそやりがいがある。
挑戦してみよう」と意欲的主体的に行動する人を育てるのを目標とする。以前の説教型が
いわば「〜してはいけない」という自分を縛るものだったのに対し、冒険という夢とロマ
ンに満ちた目標を設定するのだ。『冒険心型』では個別の課題を取り上げる場合でも、他
の問題との関係を視野に入れる。森さんは自分の体験から言う。「自分が面白いと思うこ
とを選んでやればいい。そう考えると私自身、楽になりました。自分が今やっているの
(*注5)も、自分にとってええなあという再発見があるからでね。」

●やってみよう、冒険心型アクティビティ
森さんが考案したアクティビティ「機会の平等、結果の平等」を皆でやってみた。ある
町の企業(A社B社・・・G社)が、学歴・資格・経済状態などの理由で、町の人口の2
割を占めるマイノリティを社員として採用していない(または採用しても定着しない)と
して、その言い分を見ていく。「これは差別か、否か、どちらともいえないか」意見を出
し合って、話し合う。観念でなく参加者の具体的な経験に基づく話が出来るのもアクティ
ビティの良い点だ。「正解」はどこにもない。ここに集まっている人の中でさえ、さまざ
まな違う価値観があることに気づく。またその過程で、そもそも差別って、平等って何だ
ろうと考えていくことができる。一般に日本では、学校の中で「一つの基準、正解に自分
を合わせること」に慣らされていると思う。そうでなく、自分の頭で考え行動する態度を
育むことが、人権を守っていく上でも大切なのだとわかる。

●セルフエスティームとアサーティブネス
 知識としていくら人権の大切さを学んでも、いざ自分や他の人が差別される場面に出く
わした時の力にはなりにくい。そこで人権意識の基礎になる概念として紹介されたのがこ
の二つだ。セルフエスティーム(自尊感情、自己肯定感)とはごく簡単に言えば「自分が
好きだ」という気持ち。これを十分に持てないのは世間の価値観で自分を責めたりするか
らで、そうなると、他の人の苦境を目の前にしても心が動かされにくいという。この状態
から回復するには、他者からの全面的な受容とアサーティブネス(相手を攻撃しないで自
己を表現する力をつけること)が必要だ。『冒険心型』では、ロールプレイ等を用いて学
習者がこれらのスキルを身につけていく。これが現実に差別や人権侵害を跳ね返すために
力を発揮するという。

●山の麓に何がある?
 森さんはこれからの人権教育を考える材料として、人権問題(に取り組む人)を山に例
えて話された。同和問題山、女性山、在日山、「障害」者山、アムネスティ山、等々。そ
れらを登る人らは、その高い山のてっぺん(結婚差別や「良心の囚人」は象徴的な「てっ
ぺん」である)を目指して頑張るが、一般の人にとっては、そんな大変な思いをしてまで
山に登る必然性をなかなか見つけにくい。また山に登るのに必死になって、他の山や麓の
部分が見えなくなることもあるだろう。でも実はそれらの山々の麓はつながっている。問
題の根っこの部分であり、それこそすべての人に関わりがあるものだ。麓の方の人権意識
を変えていくことなしに、山のてっぺんの解決もおぼつかないのは明らかだ。これからは
「麓にいて、漠然と抑圧の空気を感じているが、どうしていいかわからないような人」に
も届くような、そしてそんな人が自分に特に必要な「山」を見つけて登るための「体力
(=スキル)」をつけられるような人権教育が試みられるべきだろうと提起された。

●アムネスティに引き寄せると 〜私の感想〜 
 同和問題(教育)とアムネスティの違いを指摘するのは簡単だが、学び合えるものがあ
ることを発見した。身を切られるような差別の痛みから始まり、日本社会の中の積もりに
積もった構造の中で、叩かれもがきながら発展してきた同和教育の歩み。そこには、泥臭
いけれど日本の中で人権を考えるための貴重な知恵が隠されていそうだ。「どうしたら人
権(問題)を自分に引き寄せて考えられるようになるか?」という森さんの長年の問いか
けは、アムネスティの活動の柱の一つ「人権教育・人権意識の喚起」そのものであり、ア
ムネスティ自体を外に広げる上でも必要だと感じた。国連の世界人権宣言なんぞを掲げる
アムネスティは、ある面「泥臭くない」が、その分、理解されにくく根付きにくい面を持
っているのかもしれない。泥臭く身近な問題と世界人権宣言とをどう結びつけるか。同和
教育が「国際派」からの刺激によってグローバルに視野を広げていっている今、同時に、
アムネスティも他の運動やNGOから学べることが沢山あると思う。
 ところで、学習会の後の居酒屋で森さんに言われたことがある。「ほほう、松波さんは
『アムネスティ生い立ち共感型』なんですねえ」。どういうきっかけでアムネスティに入
ったか、という雑談の中で、親との宗教をめぐる葛藤から「思うこと、信じることの自由」
に切実に興味を持っていた時に偶然アムネスティを知った、という経緯を話した時だった。
自分の個人的な体験と「自分が自分であることを理由に投獄される人」を重ね合わせるこ
とがなければ、私は入会しなかったと思う。私のようなケースは多くないかもしれないが、
こんなことを考えてみた。
 アムネスティを人に知らせ、身近に感じてもらい、行動に加わってもらおうとする時、
いくつかのアプローチがあると思う。「人権侵害はこんなに深刻。人権問題に取り組むの
は国際社会の責任です」という責任感型。「民族や宗教、思想信条ゆえに排除されること
なく、自分が自分らしく生きられる社会を作りたい。遠くの囚人が私につながります」と
いう一種の共感型、「溜息が出るほど世界の状況は大変だけど、その分やりがいがある。
世界中に仲間もいる。アムネスティに関わっていると、国際的でダイナミックな動きがわ
かる一方で人権侵害に遭っている個人と直接つながれる。人権教育を含めていろんな可能
性がある」というような冒険心型。いろんな型があっていいし、もちろん組み合わせて使
うこともできるだろう。こういうことを考えてみることが、会員拡大のため(!)のみな
らず、「山」の麓に働きかけていくことにつながると良いと思う。
限られた字数では盛り沢山の3回のごく一部しか伝えられないが、目から鱗が落ちる体
験が出来た。もっともっと話を聞きたい、話し合いたい、いろんなことをやってみたい。
と、冒険心をかきたてられた学習会だった。
(*1)同和教育は一般に大阪府、奈良県など関西地域の公立学校で盛ん。今回の学習会
参加者の中でも、出身地域により経験の違いが大きかった。
(*2)国連の人権教育の十年は昨年('95年)から。ちなみに、なぜこれが必要かという
森さんの説明は、アムネスティにも深く関わりそうだったので、記しておく。
@国際人権基準は沢山創られたが、今後それを生活に根付いたものにしていくことが課題
だからAグローバルな問題が広がり、人権の普及は人類の存亡に関わる急務、B人権活動
家が、政府からは抑圧され、人民からは孤立している(!)状況を乗り越えるため。
これを含め森さんの実践や考え方を知るための必読本として、森さんの近刊『いま人権教
育が変わる 国連人権教育10年の可能性』(解放出版社、\600)がある。
(*3)森さんは外で講座を持つ時の配布資料に、日本における人権をとらえ直すための
推薦図書として、よくこの本『なんでアムネスティ?』(阪本和子著、農文協、¥1300)
を挙げる。(面白くて、私も超お薦め)
(*4)森さんが名付けた冒険心型の「冒険」とは、「@危険であること(人権を守るた
めに権力と闘うことは冬山に登るよりも危険)、A自分で選んだ、主体的なものであるこ
と、B新しいこと、C社会的な意味があること」を意味する。本多勝一の『冒険と日本人』
(朝日文庫)からの引用による。
(*5)森さんはアジアの子ども買春問題に取り組むNGO「エクパット関西」を旗揚げ
している。


REV: 20151221
◇アムネスティ・インターナショナル日本支部http://www.amnesty.or.jp/  ◇障害者と労働  ◇全文掲載
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