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「共に育つ教育を進める」

斉田 貴志

last update: 20151222


第19章

共に育つ教育を進める

                               Saita, Takashi
                                斉田 貴志

 「アカデミア・小さな学校」や「東京シューレ」などのフリースクールは不登校,学校不適応を起こした子供たちの「学校に行かなくてもいい生き方」を認め,彼らに新しい教育の場を提供していた。そこでは子供の個性や自発性を尊重し,個々の能力や理解力に応じた独自の教育がなされていた。
 このようなフリースクールができてきた背景として公教育に対する批判があるだろう。自由な教育を理想としている教育(論)者のなかには「公教育は子供の個性を無視した,画一的な知識詰め込み教育だ。だからいじめや体罰,不登校などといった問題が起こるのだ。」と非難する人もいる。公教育が画一的で悪いとは一概には言えない。しかし,公教育から離れていく子供が増えてきたのは事実だ。文部省の調査によると,1993年度1年間に学校を30日以上休んだ公立小・中学校の児童・生徒は74,432人(小学生14,709人,中学生59,723人)で過去最多であった。★01
 しかし,このように公教育から離れていく流れがある一方,その公教育に入ろう,入れようという流れもある。それは障害児たち,そしてその親たちと関係者たちによるものだ。障害児たちは今まで当然のごとく特殊学校・特殊学級に入れられてきた。もちろん特殊学校・特殊学級も公教育のひとつである。しかし,障害児たちは障害のない子供が当たり前に通っている地域の普通学校(学級)から排除されてきた。
 日本の教育制度は分離教育を基本原則としている。障害児には障害のない子供とは別の場所で,その障害の程度にあった特別な教育がなされるべきであるとされてきた。しかしそのなかで,障害児も健常児と同じ場所で一緒に受ける教育,つまり統合教育を求める運動が展開された。1967年,八木下浩一(脳性マヒ・当時26歳)が地域の小学校への就学運動を始め,1970年に埼玉県川口市立芝小学校に学籍を獲得し就学した。また知的障害児の親たちの運動として,1971年に渡部淳を中心に「教育を考える会(通称「がっこの会」)」が結成され,「どの子も地域の学校で」をスローガンにかかげた。同年,大西赤人(特異体質障害者)に対する埼玉県立浦和高等学校への入学拒否事件を契機に「障害児の教育権を実現させる会」が結成された。1972年には篠原睦治を中心に「子供問題研究会」が結成され,「どの子も地域の学校で共生・共育」を目指した。関西では1975年に「「障害児」の生活と教育を保障しよう市民の会(通称「しよう会」)」が結成され,障害を持つ人々が地域・校区で生きていくことを目指した。1973年の予告政令で1979年から養護学校義務化が実施されることが明らかになると,分離教育を進める文部省・教育委員会と統合教育を推進する運動を進めてきた障害者,親,教育関係者はさらに激しく対立した。1977年から始まる脳性マヒの障害児,金井康治の地域の小学校への転校を求める運動,同年の知的障害を持つ梅谷尚司の校区の中学校への就学を求める運動,1979年の視覚障害と知的障害の重複障害を持つ石川重郎の地域の小学校への転校を求める運動,1980年の全盲の障害児仁茂田ルミ子の地域の校区の小学校への就学を求める運動など,分離教育を是とする立場から障害児の統合教育を拒否する教育行政当局と,統合教育を求める当事者やそれを支援する人々との激しいぶつかりあいが展開された。1981年には「障害児を普通学校へ・全国連絡会」が結成され,全国規模による障害児の就学に関する情報を把握し,就学運動への助言と支援をするネットワークが広がった。制度としては分離教育のままだが,このような運動の広がりのなかで多くの障害児が普通学校(学級)で学ぶようになった。★02
 これらの運動はフリースクールの流れとは対照的に「地域の普通学校(学級)にこだわる生き方」を進めている。どの子も地域の学校(学級)に行くことを望んでいる。しかし,なぜ「地域の普通学校(学級)」にこだわるのだろうか。普通学校(学級)のなかでは障害児たちは障害が故に同級生にいじめられ,教師にも差別されかねない。調布にあるフリースクールに通っている子供のひとりは横浜からバスと電車を乗り継いで約2時間近くかけて通っている。彼は以前地域の中学校でいじめられた経験があるそうだ。地域の学校では自分を認めてくれる場所を見いだすことができなかった。
 私は統合教育を進める団体を調査することで「地域の普通学校(学級)にこだわる」ということを考えていきたいと思う。「共に育つ教育を進める千葉県連絡会」とこの連絡会を構成している団体を調査対象とし,それらの代表にインタビューをさせてもらった。

T 「共に育つ教育を進める千葉県連絡会」

 1 概要

 「共に育つ教育を進める千葉県連絡会」(以下,「県連絡会」,代表:山田晴子さん)は千葉県教育委員会との交渉団体として1991年2月に結成された。「障害のある子供もない子供も一緒に地域の学校で育つこと」を求めて運動をしてきた千葉県内各地の会が集まり,交流会を開いたのがきっかけである。結成当時は市川,市原,柏,佐倉,習志野,船橋,松戸の各地から8つの会が参加していた。その後,印西,大多喜,千葉,長生,流山,八千代,四街道の各地に新しく会ができ,それに「千葉『障害児・者』の高校進学を実現させる会」を含め,現在16団体で活動している★03。会を名乗ってはいないが,各会に関係する人が住んでいる地域は常磐線沿線から総武線沿線をカバーし,県中央部まで網羅している。活動範囲として千葉県内ほぼすべての市町村を対象としている。
 会員はおもに障害児を持つ親,それに教師や関係者。知的障害や肢体不自由の子供を持つ親が多い。しかし障害の種類,程度にはこだわらない。最近は視覚障害,聴覚障害の子供の親とも知り合ったそうだ。「障害のある子供もない子供も一緒に地域の学校で育つこと」を求めている人たち。子供の就学や学校生活について悩み,問題を解決していこうとしている人たち。「船橋・地域で育つ会」では不登校の子供を持つ親との関わりもある。会員数はあまりはっきりしていない。はっきりとした会員制度はない。その時に集まれる人達でやっていく。出入りがあってもいい。きちんとした会員制度がかえって市民運動のネックになる場合があると考えている。各地域の会の会報(柏:1500部,習志野:1000部,船橋:1400部,印西:100部)を読んでいる人を合わせれば, 会員もしくは関係者は千葉県内外に約1500〜2000人いるそうだ。年会費は個人会員は1000円,団体会員は3000円。
 会の運営に直接関わるのは事務局。事務局員は約10人。市川,市原,印西,柏,千葉,習志野,船橋の各地域の会から1〜2人が参加し,構成している。事務局会を月に1回くらいで開いている。予定や行事,会報の内容を決定したり,県教育委員会と交渉する上で,どのような課題があるのか,どのように交渉をしていくかを検討している。事務所はないが,代表の自宅や船橋の夏見台団地の一室を借りた「仕事場」が活動の拠点となっている。
 年間15〜16万円ぐらいで運営。収入としておもに年会費や交流会などの参加費。助成金などはもらっていない。「全体が分離(教育の体制)のなかで(私たちは)それにいわば反対に,棹差しているようなかたち」だから,期待していないそうだ。支出としてはおもに会報の印刷費,郵送費。その他に交流会などの時の会場費,雑費。足りない場合は交流会の時などにカンパで補充。ただし昨年(1994年)は出版物の製作費,売り上げがあったので総収入 2,616,582円,総支出 1,927,109円となった。
 おもな活動は千葉県教育委員会との行政交渉。就学時の問題,または就学後,小・中学校のなかで起こった問題に対しては義務教育課と交渉,高校進学の問題に対しては指導課と交渉。交渉には会員が60人以上集まることもある。また隔月で交流会をしている。公民館や市民センターなどを借り,自由におしゃべりをし,交流を深めている。各地域の会の近況報告なども。さらに障害児の就学に関する電話相談,講演会,ビラまきなど。各地域の会や個人の支援。
 「県連絡会」としての会報は『そのうちぽっと』。年6回。700部印刷,約500部配布。行政交渉報告や行事報告,各地域の会からの報告。独自の広報媒体を持たない小さな会や個人に紙面を提供。最近,障害者団体の定期刊行物として認められ,一部8円で郵送できるようになった。会費をもらっていない人にも郵送し,彼らの活動・考えを広く知ってもらおうとしている。学校やマスコミ関係にも郵送している。
 出版物『千葉県の統合教育』,『みんなでたのしも――千葉県の統合教育』。千葉県内での統合教育についての事例集。障害児が普通学級に就学する時の困難,学校生活のなかでの問題を訴えているだけではなく,楽しい学校生活の報告なども収録されている。

 2 交渉団体として

 障害のある子が,障害のない子と同じ学校,つまり普通学校(学級)に行きたいと願っても,制度上認められていない。日本の教育制度が分離教育を基本原則としているからだ★04。しかし,それでも普通学校(学級)に入りたいと願っている親子やもうすでに入っている子が増えてきている★05。その中でさまざまな問題が出てきた。県内の学校で障害児の普通学級からの追い出しやいじめ,体罰などの差別が相次いだ。「習志野ともに生きる会」,「松戸ともに生きる会」,「船橋・地域で育つ会」などは10年以上前から地域で活動し,個々に対応してきた。しかしこれらの問題はひとつの市町村で解決できる問題ではなくなった。ある地域で解決されたと思われた問題が他の地域で再び起こる。個々の問題解決では限界がある。県教育委員会から県内の各学校に指導を入れてもらうかたちにしてもらわなくては対応しきれない。そこで千葉県教育委員会との交渉の窓口として「県連絡会」が組織された。
 結成以来,障害児が普通学級に就学するまでの教育行政側との対立,普通学級には障害児は在籍していないとされている点,さらに入学してからのいじめや体罰の問題などを改善してほしいと,県教育委員会に訴えていた。1992年6月には県教育委員会に再度同内容の要望書を提出し,同年9月3日に要望書に対する回答を兼ねた話し合いが持たれた。しかし県教育委員会は「障害の状態に応じて教育を受けることになっている」,「担当は特殊教育課であり,問題が起きれば解決する」と返答。同年9月9日に再度話し合いが持たれたが,決裂。この様子を1992年9月10日付の『千葉日報』は「千葉市中心部の県教育庁ビルで9日,障害児などを持つ親などの会の母親ら約60人が,現状の問題改善に前進が見られないため,「担当の県教育庁義務教育課課長に話し合いに出席してほしい」と,7時間も同庁幹部職員に詰め寄り,押し問答となる異例の事態があった」と記している★06。
 現在は定期的に県教育委員会の義務教育課と交渉を持つようになったが,問題改善はまだ満足のゆくものではない。いまだに親子の意志を無視した就学指導が行なわれている。普通学級への就学が認められても親の付き添いが条件であったり,入学後に改めて特殊学級を勧められる例も少なくない。

山田「普通学校に入りたいという希望をやっぱり尊重してほしい。そのために県内に全体に行き渡るような指導をしてほしい。それから入ってから,当たり前のことですけどみんなと一緒に楽しい学校生活ができるように,そういう学校体制作りに指導をしてほしい。原則としてはいつもその2点に尽きるんですけどね。それをまず県の教育委員会にはずっと言い続けています。少しずつは前進しているような感じがします。」

 3 障害児の高校進学

 現在,千葉県では保護者が子供を普通学校に入学させるという「強い」意思を持ち,それを表明している場合は,教育委員会が強硬に特殊学級や養護学校に入学させるということはない。今,それ以上に問題になっているのは「障害児・者」の高校進学問題,小・中学校と普通学級で過ごし,成長してきた知的障害児の高校進学問題である。
 「千葉『障害児・者』の高校進学を実現させる会」(以下,「実現させる会」,代表:岡田潔さん)は1989年1月に「菅野誠也君の習志野高校入学を実現させる会」として始まった。この年,菅野誠也君を含め3人が県内の公立高校を受けたがすべて不合格とされ,3人は都立南葛飾高校(定時制)に入学した。1989年4月に会の名称を「千葉『障害児・者』の高校進学を実現させる会」と改め,1990年3月に3人,1993年3月に1人,障害児の高校進学を実現させた。
 現在5,6人のスタッフを中心に月に1回,県教育委員会指導課との交渉をしている。1994年12月15日,県教育会館で行なわれた交渉を見学させてもらった。指導課長を含め6人の指導課の担当者に対して「実現させる会」の関係者は40人以上集まった。「実現させる会」は知的障害児の障害ゆえのハンディに対して配慮を,また受験者数が募集定員に達していないのに不合格にする「定員内不合格」を出さないように指導課から各県立高校に指導をすることを求めた。しかし指導課は「公正性」を保つため特別な配慮はできない,校長が適任者を選ぶことになっていると主張し,意見が噛み合わなかった。「実現させる会」は目前に控えている来年の入試に対してどのような対応を示してくれるか,具体的な受験方法をどうするのかを尋ねたが,満足のいく返事はもらえなかった。平行線をたどったまま2時間の交渉は終わってしまった。
 現在の高校入学試験は「学力」によって選抜される。このため知的な障害のある子供にとって入学試験は大きな壁となっている。
 しかし,「実現させる会」の代表の岡田さんは次のように語っている。

岡田「同じ年の人との付き合いを求めていくには学校しかないわけだろ。勉強っていうよ  りもそういった触れ合う機会が保障されることがいちばん大事じゃないかなって,俺思うよ。… どこの学校を選ぶかは別問題として(高校進学率が)94%越えているわけだよ。義務課程と同じなんだよ。俺ぐらいの時は60%ぐらいだったけど,もういまは94%を越える現状のなかで高校の意味も変わっちゃったんだよ。一般化されちゃったわけだろ。そういうなかで障害児だけが学校にくるなっていうのはちょっとおかしいと思うな。生活の一部になっちゃっているわけだろ,高校自体が。… 高校自体が一般化されちゃった… 社会に背景があるんだけど教育委員会自体は変わっていかないんだよ。」

 「実現させる会」はこれまでに「入学者選抜実施要項」のなかの選抜方法の受験者の区分けのうち,判定会議にかけることなく不合格と決定されていたC組を廃止して受験者全員を判定会議の対象とすること,障害を持つ生徒の高校受験上の配慮をすること,1次試験で定員に満たない場合は必ず2次募集を実施することなどを要求し,そして実現させてきた。しかし1994年2月,「実現させる会」に関わる2人の知的障害児が受験したが,合格者数は定員に満たないにもかかわらず,不合格となった。
 今年(1995年)の2月にも4人の知的障害児が県立の全日制普通科を受験した。試験の当日は受験上の配慮がなされ,ある子供には別室で介助者2人(中学校の担任と会の人)が付き,拡大された問題用紙,解答用紙が用意された。知的障害児にも答えやすいように記述問題を選択問題に変更するように求めていたが,これは認められなかった。試験自体はスムーズに行なわれたらしい。3月6日,県立高校の合格発表(一次募集)があった。しかし,4人とも不合格になった。そのなかで今年も定員内不合格が出た。4人のうちの1人が受けた高校では定員割れをしていたが,その子供1人だけ不合格にされた。
 その後,全日制の二次募集,定時制の二次募集も受験したが落とされた。ある子供が受けた定時制高校の二次募集は30人募集で11人が出願。3月29日に受験があり,31日発表。彼の受験番号だけなかった。そこの校長がいうには「コミュニケーションの問題」だそうだ。この日,「実現する会」のメンバーは県教育委員会指導課に抗議にいったが,指導課課長は「やるだけのことはやってきた」と開き直るだけだったらしい。今年も障害児の高校への門は閉ざされた。★07

 4 自助グループとして

 概要でも述べたように,「県連絡会」および各地域の会に参加している人の多くは障害児を持つ親たちである。とくに母親たちが活躍している(もちろん父親たちも参加している)。とても溌剌としている。私がインタビューに伺ったとき,彼女たちは明るく,はきはきと答えてくれた。県教育委員会との交渉を見学されてもらったときも,教育委員会の担当者を相手に臆することもなく,はっきりと自分の意見を主張していた。強い。「普通」のおばさんたちとは少し違う。しかしはじめからそうだったわけではない。
 「障害」のない子供の親の場合は子供の小学校入学前の数ヵ月間はとても待遠しい一時だ。4月から通う学校は地域の公立小学校か,または自分たちが選んだ私立の学校。しかし,「障害」がある(と見なされた)子供の親たちにとってこの時期は不安と戸惑いの日々である。子供を普通学級に就学させるか,養護学校・特殊学級に就学させるか。教育委員会からは執拗に養護学校・特殊学級を勧められる。普通学級に就学させると決心しても教育委員会との対立が起きる。

山田「入学に関しても就学相談の過程でやっぱり非常に心を傷つけるようなことを言われたりね。それから普通1月の末日,1月末までに来年小学校入学っていうお子さんに対して保護者に入学通知のハガキが来ますよね。… そのハガキを向こうが全然出さないとかね。でも3月31日に出たとかね。ひどい場合は入学式前日とかね。… そういうかたちでその入学通知をいつまでも送ってこないとか。」

 普通学級に就学できた後でも何度も養護学校・特殊学級を勧められ,学校側の差別的な対応に会うこともある。教師から差別・体罰を受け,子供が自傷行為を起こすまでに至ったとき,その母親は「このまま死んでしまうのではないかと思うほどでしたが,私は何もしてやれず,ただ一緒に泣いてやるだけでした。」★08と記している。

山田「入ってからも学校や担任の対応によってやっぱり非常につらい思いをすることがあ  るんですよね。」

 障害児を持つ親たちは学校との関わりのなかで多くのつらい経験している★09。「県連絡会」および各地域の会は,同じようなつらい経験を持った親たちの集まりであり,自助グループとしての側面も持っている。

 −「対象は,障害を持った子供を入れるという…。」
山田「対象は,地域の子供たちと一緒に学びたいってことで,そうすると自動的に普通学  校になることですから,そこに入れたいという気持ちを持っている親御さん。それからすでに入れている親御さん。というのは入れていてもいろんな問題が起こってきますからね。ですから,ずっと入れながらもその会として,お互いに励まし合うような関係が必ず必要ですから。」

 ある母親は子供の就学運動を始めるにあたって不安を感じていたが,「こうした気持ちを,県連絡会の代表である山田さんに直接ぶつけてみました。彼女はひとつひとつ丁寧に話を聞いてくれ,率直に答えてくれました。この時期,しっかりと私自身の気持ちを整理し,納得できたことは本当によかったと思います。」★10

 私が「県連絡会」の代表の山田さんにインタビューに伺ったとき,山田さんの他に障害児の母親が2人集まっていた。お茶やお菓子を食べながら快くインタビューを受けてくれた。彼女たちの子供は知的障害を持っているが,高校進学を目指している。この日は今年の高校入試についてどのように働き掛けるかを相談するつもりだったらしい。

 A「これからしばらくの間どう働き掛ければいいんだろ。今のままでは落ちる,私。」
山田「○○高校みたいにさせたい,××高校で。○○高校ね,中のB先生が動いて,先生方と有志になるかもしれないけど,来学期そうそうには(障害児の高校進学について)話し合いするんですよ。」
 A「××高校もそうしたい。」
山田「それやろうよ。… 私,電話してもいいよ,C先生にも。… それで先生を紹介し  てもらったり。やろ,それを。××高校でもそれをやらせよ,ね。」

 彼女たちはお互いを励ましあい,運動を進めている。一人一人で学校に働き掛けるのは難しい。だからこそお互いを助け合っている。障害児の就学の問題は「私」の子供だけの問題ではない。他人事ではない。
 会員以外の人たちにも就学に関する相談会や電話相談(「障害児の就学ホットライン」)を行なっている。同じ悩みを持つ同士支え合い,つながりを広げていっている。

山田「普通学級に入れたいんだけど,どうしようっていう相談が各会に入ってくる例が多いです。だからそこでその方々に交流会に来てもらったり,年に1回就学相談会っていうのをやってますから,そこに来ていただいたりしながら,会報を作り,つながりを作り,講演会かなにかをするときにはお誘いを出したりすることで,要するに人間的なつながりを作っていこうってことをずっとしてきています。」

 −「母親に対する相談とかもやってらっしゃるんですか。」
山田「やってます。電話相談とか。今年はまだやってないんだ。」
 A「佐倉はこの間,教育相談とかやった。」
  … 
山田「この本(『千葉県の統合教育』)出して,これが新聞で取り上げられたら,うちが出たでしょ。うちがダウン症って書かれたものだから,ダウン症の子を持った親からずいぶん。全国から。しかも産まれたばっかりで,いま保育器から出てきたとかね。ダウン症とわかって1週間目とかね。そんな人から何件もありました。」
 D「山田さんの力強い生き方はやっぱり希望になるんじゃない。」
山田「それでしゃべっていたらさ,急にひとりの人が,誰だったかな,「もうパーっとい  ったほうがいいですねって,パーっと」とか言っていたのよ,向こうが。「そうそうそう」って言って意気投合しちゃって。まだ生後2,3ヵ月ぐらいなのに。」

 彼女たちはこのように運動に関わり,お互いを支えていくなかで変わってきた。事務局員の一人は「千葉県連絡会の歩み」★11のなかで次のように記している。

「初めて教育委員会交渉に参加した時には,自分の言いたいことの半分も言えなかった人達が,数か月の間に,自分のこと・子供のことを正々堂々と主張できるようになるのです。」★12
「新しい相談があったときに,「こういう問題は,こうすれば解決できるのよ。」,「付き添いなんかすると,子供にとって何のプラスにもならないわよ。」というように,つい数ヵ月前まで半分泣き顔だった人が,新しい参加者に話すのを聞けるようになりました。」★13

U 地域の普通学校(学級)にこだわる

 1 地域の普通学校(学級)へ

 「県連絡会」と各地域の会は障害のある子もない子も地域の普通学級で当たり前に生活できることを求めて活動してきた。そのために教育委員会との交渉を続けてきた。その中で多くの困難に直面してきた。彼(彼女)たちはお互いを励まし合い,活動を続けてきた。
 なぜ地域の普通学校にこだわるのか。彼(彼女)たちが子供を地域の普通学校(学級)に通わせたいと願う気持ちは素朴である。ダウン症の子供を持つ山田さんはその気持ちをこう述べている。

山田「育てていくなかでいちばん痛感したのはやっぱり友達がほしいということだし,地域の,要するに障害のないお子さんが普通に当たり前に持っているつながりというか,輪がありますよね。その中にうちの子供もいれたい,そしてその親もつながりのなかで友達関係作りたいし,子供もそういうなかで理解してもらいたい,知り合いになってもらいたいっていう気持ちがずっとあったんですよ。」

 自分の子供を「地域の子供の輪に入れたい」という願いは障害の有無に関係なくすべての親の願いだろう。この願いはいかなる理由があっても無視できない。人間として生きていくなかで当然正当化されるべきことだと思う。
 このような地域の子供たちの輪に入る場として何処があるだろう。今の状況を考えるとまず地域の普通学校(学級)しか思い浮かばない。
 しかし,教育委員会による就学時健診や就学相談(指導)によって「障害」があると判断された子供たちは特殊学校,特殊学級を勧められる。親がこの勧めを受け入れると,子供は地域の子供たちとは別の学校(学級),「障害の程度に応じた指導」が行なわれる特殊学校(学級)に通うことになる。その子供は違う学校(学級)に通うことによって,地域の子供たちと分けられてしまう。

山田「やっぱり分けられちゃうっていうのは人と人との間に,そのつもりではなかったとしても,垣根ができてしまいますよね。だからその垣根の向こう側に行けといわれる側なわけなんですよね,障害のある子はね。そのことがいかに疎外感を持つことになるか,本人もそして家族も。… 例えばバスに乗って養護学校なんか遠くに行きますよね。もう地域の子供たちの目なんかにもう全然触れないですよね。だから,例えばまだE(山田さんの三男)が学校に入る前に近所で遠くの養護学校にお子さん入れている方なんかあったんだけど,そのお子さんの顔はわかるんだけど,近所の遊び場があってそこにその子も来ているわけですよね。だけど全然だれも知らないわけなんですよ,その子のこと。私も,いやこの子は近所の子じゃないのかどうなのかと思いながら声をかけてもよく通じなくてっていう経験を何回かして,それでたまたまその子とお母さんが一緒の時に声をかけたら実は養護学校に行っていると。すぐ近所だったんですよね,聞いてみたら。でも全然,その要するに関わりになるというか,同じ場所にいたって子供たちは仲間だとは思っていないわけですよね。だからこれじゃと思いましたね。」

 もし,地域の普通学校(学級)以上に子供たちが集まり,関わりを持っていけるような場があれば,地域の普通学校(学級)にこだわる必要はなくなるかもしれない。そういう場がなかったらこれから作っていけばいいかもしれない。しかし,子供は成長していく。「地域の子供たちの輪」に入れる,新しい場ができるまで待っていられない。

「統合の機会,統合された場所がいま日本のどこにありますか。どこにもありません。だからそれを確保しようとしたら,とにかく地域のみんなが行っている学校へ行って,その場所が良かろうが悪かろうが,自分の子供を受け入れてくれるような場所に変えていくしかないのです。統合された場所があって,仲間付き合いがあった上で,それぞれリハビリとか個人指導とか必要なことがあれば与えられるべきでしょう。これは障害のある子に限ったことではないと思います。すべての子がそれぞれに個性があるんだから,その子に必要なことは与えられるべきです。」★14

 2 就学時健診・就学相談(指導)について・・子供の就学先を決めるのは?

 障害児を持つ親たちが教育行政と関わるなかでまず最初に突き当たる壁は就学時健診,就学相談(指導)である。障害児たちはまず就学時健診・就学相談(指導)によって,障害のない子供と分けられることになる。地域から離されることになる。各地域の会の活動はこれらを拒否・反対することから始まり,そして今も続いている。
 就学時健診(就学時健康診断)は,1958年に公布された学校健康法に基づき,市町村教育委員会が実施しているものである。翌学年の初めから小学校に就学させるべき子供を対象に,毎年11月頃行なわれる。就学時健診では,子供の栄養状態や内科,眼科,耳鼻科,歯科などの疾患の発見や異常の有無の他に,知能テストが行なわれることになっている。「その目的は第一に,障害を持つ子供を発見して,就学指導の対象児として特殊教育諸学校や小学校の特殊学級に就学させること」★15にある。市町村教育委員会は就学時健診を実施する義務はあるが,保護者が子供に受けさせる義務はない。しかしこのことはあまり知られていない。就学時健診を知らせる通知には「必ず受けるように」と書かれていることが多い。
 就学時健診で「障害」があると判断された子供およびそれ以前に保健所や福祉関係施設,そして教育委員会の資料から「障害児」としてチェックされていた子供は,市の就学相談(指導)の対象となり,教育委員会が作っている「就学指導委員会」の審議対象になる。「就学指導委員会」は教育センターの指導員,小学校長,医師,特殊学級ベテラン教員などが委員となり,障害児が就学するとよい学校を判定する機関である。市町村の教育委員会では,その判定を「専門家の決定」として保護者に伝え,それに従うように強く勧める。従わない場合は,本来1月中に出すことが法律で決められている「就学通知」を遅らせてまで保護者に強く迫る場合が多い。教育委員会の強い指導に負けて特殊学級や養護学校に就学を決めた例も後を絶たない。★16
 「県連絡会」および各地域の会は県教育委員会と交渉を続けるなかで,親子の意志を無視した就学相談(指導)をしないように要求してきた。その成果として拒否する人が毎年いる地域(習志野,船橋,柏など)ではあまり問題なく拒否できるようになった。しかし,会と関わりがなく,就学時健診・就学相談(指導)を受けることが義務ではないこと,拒否できることを知らない人に対してはいまだに執拗な指導が行なわれている。
 就学時健診・就学相談(指導)での争いは,今日の日本の教育制度によって教育を受ける子供の意志または親の意志がいかに蔑ろにされているかよく示している。

F「今もひとつ電話が来ているんですけどね。… (就学)通知が出る前に委員会から連絡が来て,ご両親が呼ばれて話をしたとき,ご両親は普通(学級)に入れたいといったにもかかわらず,教育委員会の方はお子さんにあった方を,もっといいところがあるからもっと考えましょうみたいなことを言って,次には特殊に見学に行かせちゃうんですよね。で,そこの場でご両親にお宅の子供は普通学級に入れる能力はないと,そこまで言うんですよね。そうすると親っていうものはここを投げたら小学校に行けないんじゃないかと思う親もいるわけですよ。何も知らないわけですから。まして教育委員会のそういう人から言われたら。じゃあお願いしますって言ったけど,やっぱり親はね,同じ保育園の子も同じ学校にいく子もいっぱいいるわけですよ。そして相談に来て,やりとりの最中なんですけど。」
−「通知は1月には来なかったんですか。」
山田「その人は特殊学級のが来ちゃったんですよ。いちばん最初に親が普通学級に入れたいといっているわけですよ。でもそれを特殊学級を見させて,そこに委員会の人がついていって,あたなの子はついていけないから駄目だと。能力的に駄目だと言って,まったく教育委員会主導ですよね。最初に親が普通学級に入れたいといって,その意志はどこにいったのか。まったく無視されているでしょ。」
… 
−「親が普通学級に入れると主張すれば最終的には入れると聞いたのですが。」
山田「その「最終的に」ということの内容なんですよ。この人の場合は最終的に行けるっていうことを知らなかったのね。知らなかったならば,途中であなたの子は無理ですよ,あなたの子はここです,と委員会の人がついていくわけでしょ。じゃ,これ以上は駄目なのかなって思っちゃうわけですよね。でもそれは希望が通らなかったわけでしょ。」
F「だから委員会が就学指導の時なんかに,いま分けて特殊とか養護とかありますけども,普通に行っている子もいますと言ってくれればいいわけですよ。情報としてね。でもそれはしないでお宅の子は特殊です,養護ですって,そこがいちばん合っているって言われるわけですから。」
山田「だからそこで何度でも言えば行けるっていうことを知っていればね,委員会がそういうふうに言ってきても,でもうちは普通学級に入れたいですと言うでしょ。でもまた言ってきますよ,委員会はしつこいから。それを何回も繰り返すんですよ。… それでも親があくまでもどうしても普通学級に入れますって言えば,それを強制してまでは。… それなのにそれこそ北海道の室井みたいに特殊学級を作ってそれに入れちゃうとかね。千葉ではそこまではしないっていうこと。「最終的に」というのはそういう意味なんですよ。つまり踏み躙られても,踏み躙られても言っていれば向こうがあきらめて普通学級の通知を出すっていうことなんですよ。」

 子供の就学先を決めるのは誰か。まず子供自身であろう。本人が決めることができなければ親であろうか。

−「普通学校に入りたいっていうのは本人の意思で。」
山田「それは私がそういう道がいちばんこの子を人間扱いする道だと思ったわけです。」

 しかし,親が子供の気持ちをすべて理解しているとは限らない。親が善かれと思ってやっていたことが子供の意志を無視することになることもあるだろう。そのことを意識する必要がある。

山田「その途中で岡田さん(脳性小児マヒの男性,「実現させる会」の代表)と出会って,彼の当事者の気持ちを聞いたときにやっぱり親と本人は違うんだっていうことを岡田さんからしみじみ教わりました。」
−「どのように違うの。」
山田「…私としてはEをみんなのなかに入れてっていうふうに考えてきたことは岡田さんが望んでいる道と重なると思うんですよ。だけどもつい親の気持ちを前面に出して,つまりなんていうのかな,やっぱり常にそのことを意識して,本人はどうなのかな,私はこう思うけど私は本人じゃないから本人はどうなのかなっていう見方をね,やっぱり心のどこかに持っている必要があるなっていうことを教わったんです。」

 しかし,今の日本の教育制度では子供の意志も親の意志も尊重されていない。千葉県では「最終的」には親子が決定することができるが,その決定までの過程が教育委員会によって閉ざされている。選択ができないように仕向けられている。山田さんはこのような親子の意志を無視した就学相談(指導)の原因を日本の法体系のなかに見ている。

山田「日本ではまったく権利主体が個人にあり,その個人の集まりが国民であるという考え方ではないですよ。例えば憲法には一応ある。憲法は世界の流れがあるから,個人の尊重ね。基本的人権をかかげているでしょ。教育の場でいえば教育基本法もそう。教育基本法も憲法にしたがって,教育の原則を決めるわけだから。… 国家の形成者として,しかも個人が尊重される。そういうことがはっきりうたってあるわけでしょ。それから学校教育法にいきますよね。学校教育法というのは今の学校制度を制度面で決めている現実的な法としては基本なんですよね。学校教育法になったときに,基本的人権,権利主体はどこにいったのか。そういう観念そのものがまったく抜け落ちてるでしょ。だって,それがあれば,こんな今のような就学指導ありえない,そうでしょ。山崎恵さんのような訴訟も起こりえない。だってそうでしょ。本人と親がここに行きたいと言っててね,全国的にそうやって行っている人もいるなかでね,校長が意志に反して特殊学級を作ってしまって,そこに入れてしまって,要するに分離に押し込めたわけですよ。そこで裁判までして,かつ彼女は負けている。それは学校教育法なんですよ。学校教育法では子供たちの就学先を決めるのは基本的に行政なんですよ。行政と校長の権限なんですよ。今の例のように,最初に普通学級に入れたいと言った。ところがその意志はまったくウヤムヤにされた。まったく消し去られてしまう,就学指導のなかでね。それは親の意志を大事にしなさいとか,信頼関係を作りなさいと言いながらも,最終的に決めるのは行政であるというのがわかっていて,行なわれているわけですね。」

 教育を受ける権利主体である子供の意志,そして親の意志がまったく無視され,分けられてしまう。親子が望んでいる統合の場が失われる。★17

山田「普通学級に入れないと,あなたのお子さんには合ったところがあると,そして障害児だけが集められた所に行く。これは地域の子供たちの輪のなかに結果として全然入れないことになる。これはやっぱり地域のなかの一人の子供としてね認められていないことになるって本当思いましたね。だからこれはやっぱり私にとってはうちの子に対する人権侵害になると思いました。」

 3 分離教育のもとでの学校について

 現在の分離教育のもとでの学校についてどのように考えているか。
 分離教育が抱える問題というと盲・聾・養護学校での特殊教育について指摘されがちだが,地域の普通学校(学級)での教育も分離教育の結果によってもたらされたものだ。その地域の普通学校では今さまざまな問題が起こっている。
 山田さんは今日の学校での問題,いじめや不登校の原因は障害児と健常児を分離するところにあると感じている。

山田「今の,いじめの話ありましたよね。あんな話,本当ひどいと思うけど絶対なくならない。子供が自殺し続けているでしょ。… なんであんな状況になるのか,本当今つくづく思うんだけど,はじめに障害のある子を分けちゃうわけでしょ。今の分離教育。非常に能力主義ですよ。その知能指数によって分けるんだから。そして知能指数いくつ以下は特殊学級,養護学校ってするんでしょ。そういうふうに通常の教育には耐えないと行政が判断した子供たちを最初に分けちゃうわけですよね。分けちゃってあとの子供たちは今度点数評価で,要するに相対評価で,結局受験に向けて競争させるわけですよね。それも苛酷だと思いますよ。だからその中で,新聞にも出てたけど,中高にいくに従って,学校は楽しくないと。結局勉強で成績が悪いとかなってしまうと。そういう関係がまた今度そこですごいランク分けで固定化されていくわけでしょ。その中で当然学校生活が楽しくなくなるし,学校にいけなくなるっていう問題も出てくるし,子供たち同士でそういううっぷんばらしをしようということは起こってくると思いますよ。今のように点数で細かく,今の学校生活,評価される方向にいくでしょ。生徒会活動も何も含めて。だから今のように普通の子供を受験にまでかきたてるね,競争を支えているのは分離教育ですよ。いちばん底のところで。障害のある子が別にされているからね,それが可能なんですよ。その可能な競争のなかでまた不登校とか落ちこぼれとかあるいは自殺する子供たちまで産み出しているっていうのが全体の教育だと思うんです。だから分離しているこの垣根をとっぱらって,もう全体を見直さなくてはならない時期にもうとっくにきていると思う。」

 このような学校のなかで不登校を起こす子供が出てきた。そしてそのような子供を支える試みのひとつとしてフリースクールがある。「アカデミア・小さな学校」や「東京シューレ」などのフリースクールでは不登校を起こした子供たちに新しい教育の場を提供し,「学校に行かなくてもいい生き方」を認めていた。そこでは子供の個性や自発性を尊重し,個々の能力や理解力に応じた独自の教育がなされていた。
 しかしこのフリースクールという試みは統合教育を求める「どの子も地域の学校で」という考え方に反するように思える。つまり,フリースクールに通っている子供は自分たちが選んで通っているとはいえ,地域の子供たちとの関わりから離れることになるのではないか。

−「フリースクールのことでお聞きしたいのですが,… フリースクールも分離された ものでは。」
山田「あのね,これが分離とは思わないわけですよ。… (ランク分けされ,競争するように仕向けられた)その全体のなかで,義務教育のなかから,競争に耐え得るとされた子供たちであってもね,そういう学校に拒否反応示したり,学校のなかでさまざまなハンディキャップを背負わされてしまったり,そういう子たちがでてくるのは当たり前ですよ。だから「アカデミア・小さな学校」も,そういう子が沢山できてきている状況ですよね。登校拒否児だってすごく増えているし。それからそのなかでLD(learning disabilites:学習障害)っていうのも中間的でどうにも分類がしようがないんでしょ。親たちだってすごく迷いますよね。そういう今の,私が認識しているような学校の体制のなかの歪みっていうか,それは子供たちにもろにいくわけだし,その中にこういう学校についていけない,行くのが嫌だと,拒否するというかたちで子供たちが表さざるえない。そうするとそういう子たちは学校に行けなくなる,行かなくなる。そうすれば民間のなかで,市民のなかで,なんとか対応しなきゃと。その子たちだからといって家に居ていいのかというと,そういうわけでもないと。どっかには行きたいという気持ちもあると。そういう子供たちに対応するようなね,フリースクールが各地に出来てくるっていうのはこれは当然だと思うんですよ。だからこれは私たちが批判している分離教育というのとはまったく本質的に違います。」
−「もし公教育がなくなって,民間教育機関がたくさんでき,認められて,もちろん障害のあるなしで差別されないが,地域の子供が地域の学校に行くというのではなく,子供が好きなところに行くというような学校制度になったら,障害をもつ子供はどうなると思いますか。」
山田「そうですね。そしたらまたそれぞれ選んでいくんじゃないんですか。そこで本当に選べるのなら。たとえば私は思うんだけど障害の持つ子が地域にこだわるというのはね,こだわらざるをえない状況だからこだわっている。つまり分離でそこから引き離されちゃうわけでしょ。そうすればその中で知ってくれる人もいないわけだし,ものすごく不利益ですよね。だから地域にこだわらざるをえない。だけどもっと社会的にどこに行ったってね,障害児・者に理解があると。どこにいたって安心できるという状況になれば,それこそ遠くに行きたい子はそれこそ遠くにいったって私はかまわないと思う。外国に行きたいと思えば行ったってかまわないと思う。どこに行ったって。理想的にはそうでしょ。だけど今は地域から離れたらそこで忘れられちゃう。そこにはいないことになっちゃう,障害児が。いないことになったときどれだけの不利益を受けるのか。それは自分に返ってくる。だから地域の子供たちの輪をこっちで作っていかなくちゃならない状況だから,地域のみんなが行く学校に行きたいと。それしかないと。だけど,どこにいたってみんながわかってくれる状況になればどこにいたっていいわけですよ。… フリースクールは私は全然否定するつもりもないし,自由になさる方はなさるというふうに思うんですよ。ただ私たちはフリースクールを作るというかたちで動くということはちょっと考えていませんね。ただ現実にはいろんな障害を持ったお子さんが各地のフリースクールに受け入れてもらっているということもあるし,それはそれで,それこそそれが必要ならばやっていいんじゃないかと。」

 障害児が地域の学校にこだわらざるをえない状況に置かれている。この状況さえ改善されれば障害児をめぐる就学問題とフリースクールという試みは矛盾しない。しかし,改善されるためにはまずは障害児が地域の学校へ当たり前として就学できるようしなくてはならない。

 4 「理解の場」としての地域の普通学校(学級)

 「千葉「障害児・者」の高校進学を実現させる会」の代表の岡田潔さんは脳性小児マヒという障害を持っているが,小学校の6年間は地域の普通学校,中学校の3年間は養護学校で過ごした。彼は小学校の頃のことを思い出して次のように話してくれた。

岡田「俺が小さい時はよ,普通の学校にいっぱいいたんだよ,障害児が。… うん。養護学校なかった時代は。例えば,心臓が悪い子とか知恵遅れの人とか俺のように肢体不自由とかいっぱいいたんだけど,クラスの人たちは別にそれが当たり前だったんだよね。クラスの中に1人か2人は必ず障害児がいるから,それが普通の人にとっても別に当たり前だったんだよ。養護学校がだんだんできる過程において,いなくなってきたっていうのがあるんだよ。養護学校がない時代は1人か2人はいたの,必ず。どこの教室も,特別じゃなかったんだよ。それが養護学校義務化になって,それが問題なんだよ,逆に。俺が小学校の時3人いたんだよ,クラスに。」
−「障害者が? 障害っていわない程度の人が?」
岡田「いわないけど,車椅子,一人は心臓が弱かったんだよね。あと俺だよ。もう一人はここ(腰をさして)脱臼していた子とか,いたの。… まわりの人間はそれが当たり前だと思っているから。… そんで,給食当番,俺もやっていたんだけど,俺はよそうのできないから,こういうの(フォークをさして)を配ったり,マーガリンを配ったりしてたけど。あとは何も言わなかったんだよね,みんなは。できる範囲のなかでやった。まわりのみんなはそれでいいと思っていたんだろ。岡田さんは給食を配ることができないとか,みんな知っているわけだろ,何ができるかとか。そういう関係があればいいんだよ。だから養護学校なんてない方がいいんだ。」

 学校とはいったい何をする場か。国語・算数などを学習するだけの場なのか。いや,そうではないと思う。睡眠時間を抜かせば,子供は1日の半分近く学校で生活している。このような状況での学校は単に教科を学習する場であるだけではなく,共に生活をするなかでお互いを理解する場である。
 岡田さんは小学校6年間を通して「理解の場」としての地域の普通学校(学級)を肌で感じてきた。だからこそ障害児が普通学校(学級)に入れるように積極的に活動している。この感覚は岡田さん個人だけのものではない。現在の障害児教育の世界的な流れは明らかに「分離から統合」である。養護学校が廃止されている国もある。

山田「今世界的な流れは統合でね。なんで世界的な流れが統合かっていったら,理由がありますよね,明らかに。要するにお互いに理解し合わなくてはどうしようもないと。共に生きる社会なんか理解し合わなきゃできるはずがない。… だから統合して理解し合える場を作ろうというのが世界的な当たり前の流れですよね。」

 障害のある子供は(もちろん障害のない子供も)地域のつながりのなかで理解し,理解されることによって生きていける。特殊教育が目指しているように障害を軽減・克服することによって生きていけるのではない。

 −「岡田さんは養護学校とかにはどういう問題点があると思いますか。」
岡田「俺,養護学校,中学1年から3年まで3年間行っていたの。… はっきり言って今の養護学校っていうのは中身がないの。Hさん(脳性マヒの女性)も言っていたけど,生きる力にはなっていかないんだよ,障害者の。満6才から18才まで社会から別の世界なのよ。要するにどうなるかっていうと,障害者だけの世界で死んでいくの。18才になったとき,社会にポンと出されるわけだろ。出されたときにどうやって生きていけばいいかわかんなくなっちゃうんだよね。切符の買い方とか,例えば,養護学校でたしかに切符の買い方とかやるけど,また違うと思うよ。1,2時間やったって。生活っていうのは毎日の問題。そんで,そういうことやったって,じゃ,駅の前で介護人をビラまいてみっけるとか,そういうこと教えてくれるかっていうと,教えてくれないんだよ。現実的には。」

「社会から排除されずに地域のなかで育っていくには,普通学級で学ぶのが当たり前のことです。そして,日々の生活を共に過ごしている中から,ごく自然な付き合いができて,友達が広がります。帰宅後の近所での遊び仲間を作り,教師たちを含め周囲の人たちの理解を築き,地域社会の一員としての生活が根づいていきます。「障害」をなくしたり,軽くしたりというのではなく,できないところは手伝うということを含めた関係をふだんの付き合いを通して作ることが地域の中で生きる力となります。」★18

 しかし,日本の教育制度は分離を進めるものであり,障害児たちは「理解の場」から排除されている。彼(彼女)たちの怒りのもとはそこにある。

山田「(日本の教育制度は)それをわざわざ分けて理解する場を作るまいとしているわけでしょ。しかも理解し合える場がないことでもって不利益を受ける,被害を受けるのは全部障害者の側ですよ。普通の人は別に理解しない,普通の人って障害のない人はね,別に理解し合わなくったってそれなりのね,要するに健常者のための社会で回っていっちゃうけど。理解してもらえない,理解し合える場が保障されない,障害のある人の側はね,その中でどれだけ不利益をこうむるか。これはやっぱり差別って言ってもいいと思いますよね。そういう状況なのにね,それをまたさらに分け,特殊教育の方にね。何考えているんだようって思います。正直言ってね。」

おわりに

 「地域の子供たちの輪」に自分の子供を入れたいという親たちの願いは今の日本の教育制度によって無視されている。行政の指導によって就学先が決められる。教育は誰のためのものか。教育を受ける子供本人のものだ。障害児にとって健常児と学ぶこと,共に生活することは意味がある。健常児にとっても意味がある。子供もしくは親が地域の普通学校を望むならそこに就学させるべきだ。それを拒否することは差別であると思う。
 教育委員会側も「子供のため」と信じて就学相談(指導)をしているのだろう。私は行政のサービスとして就学相談はあってもいいと思う。しかしそれはあくまで相談の域を出てはいけない。適切な情報を与え,相談にのる。決定は子供本人もしくは親に任せるべきだ。
 もちろん,今の学校の状態で統合教育を進めても,うまくいかない場合もある。現在のの統合教育は一部の「理解」ある先生たちに担うところが大きく,他の先生たちの「理解」の得られない場合も多い。このような状況では障害児にとって辛いことになる。いじめられたり,体罰を受けるときもある。
 養護学校で働いている先生の意見はだいたい次のようなものであろう。

「一緒にいさえすれば統合と考えてしまう風潮があるが,それは全く意味のないことで,そんな統合ならやらないほうがいい。統合するなら,障害児にもメリットのある方法を考えてからにして欲しい」★19

 私はこのような意見ももっともだと思う。現在の学習指導要領のなかではかなり難しいと思う。しかし,それなら「障害児のもメリットのある方法」を考えればいい。変えていけばいい。山田さんをはじめ「県連絡会」のメンバーはそれを考え,変えようとしてきた★20。意義あることだと思う。
 障害児が当たり前に地域の普通学校に通うような状況になれば,すぐにとはいかないかもしれないが,障害者と健常者とのギャップは少なくなっていくだろう。しかし,現在の分離教育のなかでは障害児に会う機会はほとんどない。

山田「分離教育と偏見のある社会っていうかね,付き合ってくれる人も少ないし,付き合い方そのものが,要するに分けられているから,普通の人といわれる人そのものが障害児・者との付き合い方がわからないわけでしょ。」

 確かにそうだ。私は大学に入ってから「障害者」といわれる人たちと付き合うようになったが,初めの頃はどのように接していいかわからなかった。今もわからないときがある。必要なことができなかったり,自分が善かれと思ってやったことが余計なお節介になったりしたことがある。
 分離教育と偏見のない社会を求めるため,障害児・者たちおよび親たち,関係者たちは地域に普通学校(学級)にこだわっている。「地域にこだわらざるをえない」状況に置かれている。
 インタビューのとき,Aさんがポロリとつぶやいた言葉がとても印象に残った。それを最後に載せておく。

「暮らしのなかで普通の暮らしをしていくためにですよね。それが頑張らなきゃできないところが辛いよ。」



★01 『読売新聞』1994年12月8日。
★02 堀[1994:371-379],北村[1987:207-221]を参照。
★03 共に育つ教育を進める千葉県連絡会は以下の16団体で構成されている。
  「市川・共に生きる会」(代表:大崎律子)
  「市原地域で共に生きる会」(代表:小出典子)
  「印西ともに生きる会」(代表:元吉真理)
  「大多喜地域で共に生きる会」(代表:石橋民子)
  「柏地域で生きる会」(代表:宮田清子)
  「佐倉まあるい会」(代表:中邨淑子)
  「佐倉子供とともに生きる会」(代表:藤江みどり)
  「千葉市地域で生きる会」(代表:高橋巌)
  「長生ともに生きる会」(代表:信平慎一)
  「流山・地域でともに生きる会」(代表:五十嵐明子)
  「習志野ともに生きる会」(代表:大藤伸之)
  「船橋・地域で育つ会」(代表:山本千枝子)
  「松戸ともに生きる会」(代表:横山茂代)
  「八千代共に生きる会」(代表:佐藤真紀子)
  「四街道市民自治の会・ともに育つ会」(代表:戸田由紀子)
  「千葉「障害児・者」の高校進学を実現させる会」(代表:岡田潔)
  ※現在,松戸に新しい会をつくる動きがある。
★04 現在の日本において障害児の教育は学校教育法によって定められ,「特殊教育」として制度化されている。そして,実際の教育は,次の3つの場において行なわれている。第1は特殊教育諸学校といわれるもので,盲学校,聾学校,養護学校である。第2は通常の普通学校のなかに設置されている特殊学級である。第3は普通学校の普通学級である。養護学校は障害の種類に応じて,精神薄弱養護学校,肢体不自由養護学校,病弱養護学校の3つに分けられる。このように現在の障害児の教育は普通学級のなかでいわゆる健常児と共に学ぶ機会がないわけではないが,原則として分離教育である。(堀[1990:2-3])
 千葉県教育庁学校教育部義務教育課特殊教育室の調査によると平成6年度,盲・聾・養護学校及び特殊学級の在籍数は以下の通りである。
 特殊教育諸学校:盲学校(1/46)148人。聾学校(2/53)259人。養護学校,精神薄弱養護学校(21/498)2256人,肢体不自由養護学校(6/250)815人,病弱養護学校( 2/75)215人。かっこ内の数字は(学校数/学級数)。
 特殊学級:弱視(3/3)9人。難聴(11/12)47人。精薄(499/538)2163人。病弱(14/19)82人。言語(106/144)809人。情緒(38/52)282人。かっこ内の数字は(設置校数/学級数)。(千葉県特殊教育センター[1994:32-34])
★05 普通学級に在籍している障害児の数は正確には把握されていない。「県内の普通学級に障害児は存在していない」ことになっているからである。しかし「共に育つ教育を進める千葉県連絡会」による公文書公開請求によって,1993年に千葉県教育委員会が公開した「心身障害児就学指導委員会の審議状況」(1990年度〜1992年度)から大雑把に概算すると毎年 400人前後が「小・中の通常(普通)学級,適」と出なくても普通学級に入っている。1990年度は 349人,1991年度 451人,1992年度 412人。また,就学指導委員会の審議対象になったが「小・中の通常(普通)学級,適」と出た子供は,1990年度は661人,1991年度511人,1992年度461人。しかし,これらのデータは就学指導を受けた子供のデータであるから,就学時健診,就学指導を拒否している「県連絡会」の子供はこのデータには入っていない。(共に育つ教育を進める千葉県連絡会[1994:238-241])
★06 『千葉日報』1992-9-10
★07 千葉では障害児の高校進学への門は閉ざされたが,広島では「障害者の高校進学を実現させる会」に関わる4人の障害児の高校入学が実現された。会に関わる受験生全員が合格したのは広島では今年初めてのことらしい。(「船橋・地域で育つ会」会報『じゃなかしゃば』 No.62)
★08 共に育つ教育を進める千葉県連絡会[1993:16]
★09 学校との関わりのなかでつらい思いをしているばかりではない。共に育つ教育を進める千葉県連絡会の出版物[1993],[1994]には楽しい学校生活についても多く報告されている。
★10 共に育つ教育を進める千葉県連絡会[1993:2]
★11 浦島[1993]
★12 浦島[1993:120]
★13 浦島[1993:121]
★14 千葉こどもサポートネット編[1994:191]の座談会での山田晴子さんの発言。
★15 共に育つ教育を進める千葉県連絡会[1994:209]
★16 共に育つ教育を進める千葉県連絡会[1994:208-210]と 小笠[1992:18-33]を参照。
★17 1995年2月16日付の『朝日新聞』に「ハンディのある子どもの教育の場を決める就学指導の手引きを文部省が14年ぶりに作成」,「これまでは「障害」の程度に応じて半ば機械的に特殊学級や養護学校などへ振り分けられていたのに対し,新しい手引きでは教委側が子ども本人や保護者の意見も聴き,十分に相談して学校を決めるよう求めている。」という記事が載った。しかし,「船橋・地域で育つ会」が文中のGさんの相談を初めて受けたのは2月24日。「最終的」にはこの就学指導の手引き通り,Gさんの子供は地域の普通学校の入学通知をもらったが(3月12日に),それまでの間は相変わらず,子供や親の意志を無視した就学指導が行なわれていたらしい。(「船橋・地域で育つ会」会報『じゃなかしゃば』No.62)
★18 千葉「障害児・者」の高校進学を実現させる会事務局[1993:69]
★19 浅倉・松丸[1994:129]
★20 山田さんは学習指導要領について次のようなことを希望している。
山田「学習指導要領の問題を一緒に考えられるような民間の集まりみたいのがあったらいいと思いますよ。私は「統合教育を目指す学習指導要領改編の会」みたいなのがあってもいいと思う。そういうのを私たちのなかから作っていかないと。… 私たちはぜひ先生たちに。そこまでやるのは先生の仕事だと思うんですよ。指導要領に従って教えてきているね。だから先生たちのなかで,それこそ大学教授のなかでね,ぜひ民間の,例えば障害のある子も一緒にやったときの指導要領はどんなものならいいんか。そういうものに手を付けて研究してもらいたい。そしてこちらの民間の案を作ってもらいたい。そういう案のなかに自分の希望を入れたい。今すごくそれを思います。」


  ◆障害者と教育

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REV: 20151222
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