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「子ども支援塾ネット」

伊藤 優子
『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第16章

last update: 20151222


第16章

子ども支援塾ネット

                                 Ito, Yuko
                                 伊藤 優子

 『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第16章

 子供たちを受け入れる場所としての民間教育機関を調査する中で,はたして塾は子供の味方になりうるのかという疑問があった。塾を考えてみると多かれ少なかれ学校制度を補完する形で成り立っているため,ともすれば学校に迎合してしまいがちな印象を受ける。しかし,進学塾のように競争原理を掲げる塾とは違って,子供のパートナーとして子供の側に立って経営をするという塾の集まりが「子ども支援塾ネット」であった。このネットワークは私たちの調査する対象としても興味深い点が多々ある。「教育」という分野において「公」に対する「民間」という立場でフリースクールや親の会等と共通するところがあり,塾という立場だから抱えてしまう問題もある。その活動や理念とともに,抱える悩みなどを紹介したい。

T 「子ども支援塾ネット」

 1 「東進会」で

 −「あの,どのようなことをされているのですか。」
  「ええ,普通の補習塾ですよ。うちは,ええ。」
 −「… で,通われてるのは,どのような… 」
  「ごく地域の子供たちですよ。」
 −「で,あの,でも,こちらの方に,子ども支援塾ということで,なんか,ネットワー  クが…」
  「はい,あるんです。」

「子ども支援塾ネット」の本部が置かれている「東進会」という塾は,東京都練馬区の閑静な住宅街のなかにある。「東進会」という看板がかけてあるために,ここで塾をやっているのだなと分かる。しかし,ここが全国的なネットワークの本部のある塾かと思うほど,外から見ると普通の塾(というより住宅)と変わらない。1959年開設。現在,小学校4年から中学校3年までの50名程が通ってきている。自宅の一室を教室として使っており,12〜13畳の部屋の中にはいると,奥のほうに黒板と学校で使うような机と椅子。学校の様に黒板を前にして机椅子が並べてあり,授業をする様子が見えるようだ。部屋を奥と手前に分けて,一人で勉強する子と皆で勉強する子が分かれて出来るようになっている。手前には10くらいの机がかたまっていて,グループ形式での学習が出来る。その脇にはもう一つ黒板があり,図形の問題の解説が残っていた。周りには,問題のプリントが棚一杯に積まれていたり,コピー機があったり,隅に申しわけなさそうにマンガの雑誌も置いてあったりと,どことなく雑然とした印象を受ける。塾長でありネットワークの代表である八杉悦子さんに,この部屋でお話をうかがった。

 2 「子ども支援塾ネット」の歴史

 「子ども支援塾ネット」は,悦子さんの夫であった八杉晴実氏(1934年生れ,1990年の8月に亡くなられた)が呼びかけて,1990年の5月に結成されたのだが,その前には長い歴史がある。

「最初のころはもう,非常に塾は悪者扱いだったんですね。学校の先生も,「塾行くぐらいなら,成績を悪くする」みたいな,本当におどかしたりね。塾に行かせない方法をなんとかしようっていうんで,非常に風あたりが強かったんですね。」
−「まだそのころは学校信仰があるっていう…」
「ううん,もう学校信仰以前の,本当にあの,塾なんていうのは何だっていう職業みたいに見られて。でも,けっこう実際は,もうわからなくなっている子とか,また逆に勉強したい子がもうちょっと楽しいことをやりたいとかね。そういうニーズに応えるっていうか,そういう形で塾がそろそろ浸透してきだした時だったんですね。けども公教育の側からすごい敵視されたんですね。それに対抗して,おかしいじゃないかっていうんで,『先生塾は悪いのですか』っていう本を出したんです。それ以来,マスコミから… テレビだの,本だの,雑誌だの… うちにきてる子たちが非常に元気で楽しくて,もう学校よりずっと楽しいということで,しょっちゅうそういう取材も来ましてね。… 今までの塾悪者トーンから,塾だっていいことしてるっていうふうな見方に,だんだん変わってきたわけなんです。」

 そうやってみていた子たちに,「ある所でつまづいたらそのまま置いていかれるっていう」「新型の」落ちこぼれの生徒が増えてきた。1974年に「わかる子をふやす会」が誕生。

「公教育が少し雑になってきたんです。それを,救えばいくらでも救えてできるようになるっていうことを,やってきました。いろいろ研究して。そのうち,知り合いの子なんかで,学校行けない子を預かるようになったんですよ。その頃,不登校,登校拒否って言われてて,主人が不登校って言い直したんでけども,その子たちがうちへ来ると,ちゃんと来れるし,また学校に戻ったりね。… たまたまNHKのテレビ出た時に,…困っている人達に会を作りましょうと呼びかけましたら,…全国から電話がすごいかかってきたりして。…登校拒否が,あちこちに現れたけども,社会的には全然認められなくて,怠けたんだとか,家庭の教育が悪いとか,子どもが病的なんだとかって非常にボロくそに,言われたもんで。田舎なんかで学校に行けないと,もう,一家心中考える人とか,非常にひどい目にあって迫害されたり,周りから白い目で見られたりっていうことがいっぱいあって,それが潜在していたもんですから,そういう行動をきっかけに,みんな相談がきたわけですよ。で,学校行けない子だって,うちへ来たら楽しく勉強してるんだから,居場所のない子は塾で引き受けようじゃないかっていうんで,「子供支援塾ネット」っていうのを作ったんですよ。」

 1985年,「わかる子をふやす会」と別に,「支援塾全国ネット」(正式名称「学校外で学ぶ子の会・支援塾全国ネット」)と親の会「学校外で学ぶ子の会」が誕生。以下は「支援塾全国ネット」の入会案内の一部。

  「“子どもの味方”をし,“子どもの幸せ”を中心に考える全国の良心的な私塾の経  営者が参加して,研修・交流し,「学校外で学ぶ子の会」の支援をします。(「学校  外で学ぶ子の会」は不登校・学力不振を皆で考える父母の会です。)
  《会員の姿勢》
   1・競争原理で子どもを追い込まない
   2・営利追求を第一目的としない
   3・原則的には小規模塾で,子どもの味方をする
  《会員の活動》
   1・「不登校児」に家庭的な雰囲気で学べる場を地域の塾で提供する。
   2・「学力不振児」(学校で落ちこぼされた子)を塾でわかるところから教える。
   3・ネットワークを作って,私塾の仲間の研修,交流の場とする。(研修会の安定,    ネットワーク通信などを送ります)
   4・総会,講演会,研究会はできるだけ参加する。」(八杉[1990:31])★01

 さらに,1990年5月,約1年の討議を経て,「支援塾全国ネット」は「子ども支援塾ネット」に,「学校外で学ぶ子の会」は「家族ネットワーク」に名称が変わり,「わかる子をふやす会」は両者に統合され,新たな性格をもったネットークに生まれ変わる。

「これまでの塾ネットは,不登校や学力遅れの子供達の支援という,言わば鋭角的な対応を会の方針として打ち出してきました。… しかし,ここ数年の世の中の動きを見ていて,はたしてそれだけでいいのか,という危機感が頭をもたげてきたのです。… 「学校学力」ではなんの問題もない,あるいは「優等生」と呼ばれる子ども達の中にある「やばさ(冷たさ)」「もろさ(偏り)」など私塾を営むものとして捨ておけない状況が見てとれるようになり,かえってそこに視点を向ける必要性を,八杉さんはじめ,会の人が考えるようになったからです。
 …「支援塾全国ネット」は「子ども支援塾」と名を変え,“不登校,学力遅れの子どもの味方をしましょう!”という看板をはずし,もっと広い角度から子どもの味方をするという方針を打ち出すことにしました。」(八杉[1990:192-193],文責は近藤一三氏)

「わが子が登校拒否になったと,電話一本で「どうしたらいいでしょう」とノウ・ハウを求める。「近くに支援塾があったら教えて下さい」・・。電話サービスか何かと勘違いしているのか,自分の欲しい情報だけを一方的に要求する。…
 人と人がバラバラで,自分の必要なとき必要な部分だけをお互いに利用し合う。こんな部分的なギブ・アンド・テイクのおつき合いでは,自分に損となれば即相手との縁をきってしまう・・そんな関係の中では,子どももまともに育つはずがあません。
 私たちは,方向転換することにしました。
 地域での各家庭の文化交流を推し進めて行く方向をめざすとともに,それぞれの地域と地域がつながり合って,家族のネットワークをつくっていこう・・と。また,私たちのような小さな塾がそのための“基地”になるならば,その方向に力を注ごうじゃないか・・と。」(八杉[1990:189-190])

 不登校や学力遅れの子達だけでなく「普通」の子も,塾という場だけでなく地域・家庭へという,活動の拡張がはかられる。そこには,不登校という現象だけが切り取られ,自分達がの不登校児を受け入れる塾,塾を紹介するお手軽な場所として使われてしまうことに対するいらだちのようなものが見える。

 3 活動

 八杉さんの自宅・兼・「東進会」に本部がある他,関西支部(吹田市),東北支部(仙台市)がある。現在会員になっている塾の数は約 200。年会費は2000円(1000円だったのを94年7月に改訂),94年度の収支は,会費が約27万円,寄付金が約11万円,計約38万円。その大部分は会報『子ども支援塾ネット・・ネットワーク通信』の作成と発送に使われる(郵送料が約13万円,作成費が10万円など)。各支部でも通信が発行されている。
 ネットワークとしての活動は,年1回の合宿(様々な地域を持ち回り),各支部での交流会,研究会,そして会報の発行である。指導法の研究報告,子どもとの接し方についての意見の交換等が会合などで行われ,会報で伝えられる。また会員の思い,主張が会報に投稿される。こうして支援塾ネットは,それぞれの塾が行っている活動をより良くするための方法を共に考えている。
 また,同じ問題を抱える同胞ということで,励まされたり,共に喜んだりと多くの思いを共有するという側面も持っており,精神的な拠り所ともなっている。最近では神戸地震で被災した子どもたちに文具を送る「友情ノート運動」を行った。支援塾ネットと家族ネットワークが合同して,向こうの子どもたちに何か出来ることはないかということで,手近にある文具を一人分ずつ袋に詰めて,向こうの家族ネットワークへ送り,そこを通じて子どもたちに配付するというネットワークを活かした活動である。また被災地で被害にあって塾を閉鎖せざるを得ない人達への援助なども行い,助け合う組織である一面もうかがえる活動であった。
 子や親が抱える問題への対応は,基本的に個々の塾(そして個々の家族ネットワーク)が行う。それらは,学校や行政を直接相手にするのではなく,親や子どもに対する側面的な支援活動として行われる。子どもたちがやりたいと思ったことに学校などが反対しているときに,援助や後押しをする。具体的には,いじめられて転校した子が中学で地域の学校に戻るか,私立に行くかという相談に様々な立場で意見を言ったり,一緒に考えたりしている。支援塾ネットはそれをさらに支援するかたちだ。それも,支援塾ネット全体というより,ネットワークを通してつながりのある人,例えば八杉さんが,例えばある地域でいじめがあったときに子どもの人権相談の弁護士を紹介したり,親に対してこういう方法があるよとか,法的に認められているよといった助言をする。
 このように,「こども支援塾ネット」は,まずは志をもった個々の塾があって,その各々が語り合い,活動の拠り所とするネットワークという性格が強い。
 さて,その志,理念と現実とは違う。違うからネットワークがある。では,その現実をどう変えていくのか。そして,現実の中でどうやっていくのか。それが気になる。

 4 理想と現実

 支援塾はもともと営利目的ではなく,子どもの側に立った塾であろうという趣旨のもと
作られた。しかし,塾は月謝を取って経営しているという生業の側面を切り離すことは出
来ない。いかに子どもの側にたって,子どもの満足を考えたとしても,成績が上がらなけ
れば親は塾を辞めさせてしまう。成績のことを考えないといけない。逆に成績がよくなると辞めていく生徒もいる。
 塾事情も変化してきている。かつては塾を作れば子どもが集まってくるという時代だったが,今は経営が成り立っているのは大手進学塾で,零細塾は生活が成り立たず,ほかに別の仕事をしなければならないこともある。また,大手の塾も,きめ細かい指導をし,子どもとのつながりも考えるようになった。成績優秀の子も学力の低い子もマンツーマンで対応し,不登校も引き受ける。
 こうした状況のなかで支援塾としての独自性は何なのか,支援塾としてやっている意味は何なのか。そして,どうやって現実に塾を経営していくのか。最近の会報には,「支援塾としてのあり方」に関する話し合いが載っている。「なにを『支援』していくか」「塾で生計をたてること」「補習について」など。同じ人の文章の中でも,いろいろと考えあぐねながら,いろいろなことが書かれているのだが,理念的な部分がストレートに現れている部分もある。

「生徒がゼロでも支援塾… 生徒に『これこの間やったばっかりじゃねえか』と言うとき僕は支援塾ではありません。生徒の親に得々と過去の受験データを説明しているとき,僕は支援塾ではありません。自分の子どもが何か出来ないことがあって自分でも不安を抱いているのに声を荒げてしまうとき,僕は支援塾ではありません。だけど,今すぐ塾に入りたいという子と親の不安を静めてあげられたとき,僕は支援塾です。塾に来ている子たちと腹がよじれるほど笑っているとき,僕は支援塾です。そして,我が子の不安や悔しさにシンクロできたとき,僕は支援塾です。」(『子ども支援塾ネット・・ネットワーク通信』37(1994.7.10)より)

「…生きるために食べるように,生きるために学んでいる。ところが生きる意欲を無くしている子どもたちにとって,学ぶことはただ煩わしい雑事でしかあり得ない。また,生きる意欲があるらしい子どもたちでも,学ぶとは,試験であり,点数であると理解している彼等には,学ぶとは即ち苦痛の対象でしかあり得ない。相手を倒す武器でしかありえない。成績の上下で人間の価値が決まっている学校はまさにそのさいたる城である。我々には,競争原理の対象物となっている「学ぶこと」を,本来の生きる糧としての「学ぶこと」に置き換えるという役割が残っているように思われる。「学ぶこと」が金・物や社会的地位・身分のためのではなく,「心の形成」のためであることを「心に刻む」という役割があるのではないか。」(『子ども支援塾ネット・・ネットワーク通信』36(1994.5.15)より)

 会報での報告をみる限り,合宿などの話い合いの機会にも,かなりシビアな議論がなされることもある。時には気が滅入ったりということにもなる。以前の会合などでは,八杉晴実氏が,議論を詰めていくときびしい部分と,気を楽にして元気を出してやっていこうよという部分とを,彼がいるということ自体によって,まとめ調停していた部分があったようだ。彼は,組織の名称を変え,性格を変えていこうとしていた矢先に亡くなった。彼の存在が大きかったことは,実際に会ったことのない私たちでさえ会報に載った会員の言葉からうかがえる。一人の人物のある種のカリスマ性によってまとまっていた組織が,その人を失った後どうやっていくか。これは多くの組織が抱える課題でもある。
 こうして見ていくと,なかなかつらそうでもある。しかし,つらいだけでやっていけるものでもないだろう。個々の塾,塾を営む人は何を考え,どういうふうにやっているのだろう。このネットワークに所属する塾の一つ,「松柏塾」でお話をうかがった。

U 私塾としてやっていくこと

 1 「松柏塾」で

 千葉県松戸市の「松柏塾」(塾長・吉田治夫氏)の様子も「東進会」と似ている。こちらは住宅街のなかの小さな商店街の一角にあり,自宅とは別に教室として場所を借りている。一階には学校のような机椅子が並べてあり,正面にはホワイトボードがある。やはり周りにはプリント類が積まれた棚がある。二階は住宅の一部屋を開放した感じで,二人掛けの長椅子と机が置いてある。流しや冷蔵庫があったのが印象的だった。またサイドには事務机もあり,ちょうど職員室にある教員の机のようである。夫婦で塾の経営をしており,治夫さんは主に中学生以上をみて,弘子さんは二階で小学生と書道を見ている。私たちが調査に訪れたときには書道の時間で,大きな書き初め用紙に向かっている子と,下に座って墨をすっている子達がいた。
 「入塾案内」には次のように書かれている。

「1977年(昭和52年)小さい地域の塾としてスタートしました。
 子どもたちの勉強面での躓きの是正や,発展学習,さらに受験・進路決定へのアドバイスなど,地域に密着した『学習塾』です。
 すべての学習は,「わからない所」から「自分のペース」で始めるのが基本です。まず「わかる」「わからない」が,はっきり言えるような信頼関係を作っていくことを心がけています。全ての面で自信をなくしている生徒には,いかに興味を持たせるか。高校生ぐらいまでは,学習面での能力差など絶対にないという私の確信を,子供たちに理解してもらった後に『学びの楽しさ』が生まれてくるはずです。
 高校を卒業して何年かして,看護学校や,その他資格試験の勉強に来る卒業生たちに囲まれたりすると,本当の意味での楽しい学びが実現します。高校や大学入試で終わらない永いつき合いの出来るように,子供の成長を見守る中で生まれてくる,さまざまな問題を,地域の中で父母の方々と一緒に考える場づくりもしております。」

 この後に,小学生・中学生・高校生の部,習字教室(大人対象の教室もある)の案内があり,「不登校・通信制・定時制など昼の時間を利用できる方のお手伝いをします。ご相談のある方は,お気軽にご連絡ください。」と付記がある。「その他,塾で実施していること」として個人面談,教育相談,塾の恒例行事(夏のキャンプ・お泊り会・博物館見学,等々)があがっている。家族ネットワーク「松柏ふれあいの会」の案内もある(以下の話の中にはこの会の活動に関わる部分もかなり含まれている,混じっている)。月謝は中学3年生の2時間×週2回のコースが月13000円,等。1クラスは7〜10名程度。
 弘子さんにお話をうかがった。

「午前中に来ている子は,高校の時には全然顔を出さないで,高校を卒業したら,何をしていいかわからないんで,1年遊んで,看護学校に行こうという希望をもって,また勉強にきてます。就職するんで,資格とるからって,何年もたってから来たりとかそういうのもあります。… 実際にここでもって,仕事の合間に資格試験の勉強に来て勉強することもあります。… 直接は教えませんですけどね。顔が見えますからね,そろそろちょっと休みなさいみたいな,お母さんの役割をしてますね。」

−「さっき横になってたあの子は…」
「帰りましたよ。このごろまだいいのよ。ものすごく荒れる時はもう手がつけられない。学校の中でも自分の意志が伝えられない。… もうやっかいなのはごめんだと,やめてほしいと思ったことは何回もあったけど,いや,ここでつきあわなかったらと思ってつきあっているけど。ほんと,やっぱり意志の疎通ができるようになりました。… 頭はすごくいいですよ。いろんなこの学年の子供たちが言わないようなことを言ったり,したりするんだけども。常識的な学校の枠に入り切れない。ここでも入ってほしい中に入りきれない。だから,他の子供たちに迷惑にならない程度には,あの子を許す,私が。… このことをわがままで許されるはずはないでしょう,みたいにしたら,どんどんつぶれちゃうでしょう,あの子。難しかったけどね。でもわからせるようにわからせると,よくわかる,あの子。大人の考えをがんと押しつけると反発してくる子だけど。
 −「… みんな一人一人違うのがすごくみえちゃう」
  「そうね。それはやっぱりずっと自分の子供も小さい時から今成人して,そういうのを見てきた,こういう年齢になったから見えるのよ,多分。若い時だったら,その先はまだ見えてないわけじゃない。だから不安になったり,あわてたり,汗かいたり。… だから不安になったお母さんなんはここへ来れば,ほっとして帰るというのはある。」
「だんだん子供たちの方もここはなんの場所,ここはなんの場所と使い分けをするようになっているんじゃないかなと思う。昔の子というのは全部ここは全てだったけどね。父兄の方でもそうですよ。ここは勉強する場所,塾なんだからというふうなそういう使い分けをするように……」
−「ここに来てる子供たちにはここはやっぱりあくまでも勉強する場であるんですよね」
 「本当わね。学習塾なんだから。」
−「…フリースクールとか,居場所的な塾とか,それについて」
「それは大事だと思いますよ。… だけど,それだけでやってくとなるとすごくたいへん。そういう子も中にはいるけど,ほかの子たちの90%はうちの経済を支えてくれていて,そういう子たちがいなかったらうちはやってかれない。全部居場所的だったら,それなりに最初から根本的にやってかないと。…それと勉強するということに」
−「もっと幅をもたしている。さっきの話によると。」

 さっきの話というのは

「「あー,こうだったのか」というふうなおもしろいものに結びついてくる,「そうだ,あの時言われたことだった」というふうに,ことがわかってくれば,よいと思うんだけどね。子供も,点数に結びつくことも喜びなんだけどね。基本的には点数だけではなくて,いろんな体験をさせたいという。」
−「楽しく学ばせる,みたいな,そういう感じですか
「そうね,楽しく学ばせる。ただ,それが何かに関わっていく。」
(去年は,小学生達が,牛乳パックを再利用して作ったお面を福祉作業所から送ってもらってそれに子供達が色を塗って,劇をつくって,劇を上演した。)
「勉強だけという今日の学歴社会的なものに対しては批判的?」
−「批判的じゃない。それはそれでいいと思う。…それはそれでみんなそれぞれ生きてればいいと思っています。…私が自分でやりたいと思ってるんですね。自分が楽しみたい。自分が楽しくて,「ねー,こんど劇をやろう」と言ったら,子供たちが乗ってくる。」

 中断したお話の続き

「本当はね,進学塾のような形にしたら,経営が楽,ときっと生徒も集まってくるわ。でも進学塾が並んでいるからね。でもきっともう少し何年かたったら,何を大事にするかということを皆さん気がついてくるような気がする。… 私はずっと続けるんじゃないかと思う。… 私達は子供に関わってまだ17年くらいでしょう。他の仲間から比べたら少ない少ない。みんな20年,30年という人達がたくさんまわりにいるわけね。まだまだ子供たちにこんなこともしてみたいとか,そういうふうにまだ思ってるわけ。もう全部やっちゃったという感じがないのね。… 自分がおもしろいうちはやってると思うの。」
 松柏塾は,かなりの部分,「普通の塾」である(八杉さんも東進会を「普通の補習塾」だと言っていた)。理念を追求していくとかなり苦しい気がする,と先に述べた。「生徒がゼロでも支援塾」だが,しかし,その支援塾はやっていけない。松柏塾にも苦しいところがないわけではない。しかし,経営が成り立つ範囲内で,「楽しみたい」からやっている。手間のかかる子もいるが,それは別の子(の親が,経済的に)カバーしてくれている。結果として両方の子がいることができる。「勉強すること」を否定しない。ただ,その「勉強」に「おもしろいこと」を混ぜていこうとしている。

 2 何を変えていくか

 問題が公教育という塾の外部にある以上,外部に向かって働きかけないとならないのではないかという思いが私にはあった(今でもある)。八杉さんは次のように言う。

 −「今の現状の教育制度に関して,こちらでは,現状に対する提起をしたりとか…。」
「いや,提起とかはしないけど,まあそれは親が考え方を変えなきゃどうしようもないんですよ。そういうことをみんなで少しずつ,浸透させていくっていうこともしてますけどね。」
−「じゃあ,どっちかっていうと,公教育に反発しているよりも,公教育で不可能にな ってしまった部分を,こういう塾で補っていくっていう…。」
「うーん,そうですね。スタートは,やっぱり公教育のおかしさをね。もちろん今だって公教育はおかしいっていうのは変わらないけども。それと戦ったって結局,それについていきたがる親がいる限りはしょうがないわけでしょ。もう最後には親の問題ですよね。それを変えていかなきゃね,子どもがその間にたって苦しむだけです。そういう方向がまあ,家族ネットワークですね。」
−「何だか私も話についていけなくなってしまいました。私ちょっと教育問題とかやろ うと思ってるんで,現在の教育の,こういう問題みたいなものをちゃんと調べてどこ から直していったらいいのか…」
 「そうなのよね。」
−「ちょっと考えをみつけたいなって思ってたんですけど。…」
「手がつけられないよねー。…うん,だから,制度をいじっても,もうだめでしょ。だからとにかく私たちがやっているのは,公教育がもっとゆるやかに,もうほんとの総合した,一部の部分だけで。生活全般を学校の責任みたいに…,親もそう思っちゃうんですよね。生活まで学校に面倒をみてもらおうみたいなね。それじゃあだめだから,なるべくその公教育の働く部分っていうのは,少なくていいいと思う。総括したほんの一部でいいと思うんですよね。で,もっといろんな,もっと自由なね。それこそ小さいときから勉強させたいと思ったら,やらしたらいいんでよすよ,私立でもね。ま,だいたい失敗するけどね。で,あとで後悔しても,間にあわないけどね(笑)。もっと早くから自分で考えさせて,例えばまあ,そういう学校信仰だって,いますこし崩れるかもしれない。今学校出たって,就職できないような時代になってきているじゃないですか。でも,私たちまでの時代は,だいたいいい学校でてる人はいい生活をって結びついてきてますよね,ほとんど。だから,その夢をみんな追いかけているから。そうじゃないんだってのが,だんだんわかってくればいいんですけどね。」
−「今日はもとから,そういうようなお話で…,私達が意識を変えていかなければなら ない…」
 「そうですね。まあ要するに学校信仰っていうのがね,ちょっと。個性化の時代だし, いろんな生き方がある。最後は人生論になっちゃうね。」
−「でも,教育ってやっぱり普通,人生に関わってくるような問題じゃないですか。だから,それで何か子どもを,不登校ってことで,すごく何かもうだめなのよっていうレッテルをはっちゃうような教育っていうのは何かすごく今は…」
「うーん…。だんだんねえ。ただ少しずつわかってきてます。でも,やっぱりね,実際自分の子が不登校になると,みんなあわてますよ。悩んで何年かそれを,もう,あきらめていくわけですよね,早い話が。結局がんばったって,どうしようったって,子どもはそのように動いてくれない…それで,だんだん,「あっそうか,学校だけじゃないんだから,結局この子が幸せな道を選べばいいんだ」っていう。だんだんなってくるんだけどね。それがやっぱりみんなの協力。あきらめっていうよりは。」

 現状を支えているのは親なのだ,それが変わらなければ変わらない。そして,学校に行かないとどうにもならないという時代ではないのだから(学校に行かなくてもなんとかなる時代なのだから),実際,変わっていないわけでもない。そして,「変われ」と言って変わるものでもないのだから,こういうネットワークがあって,親が思いきること(あきらめること)を支えてあげられればよい。これが第一点だ。
 そして,これに関連して,学校(教育制度)を変える,良くするというよりも,学校が「ゆるやか」に,「ほんとの…一部の部分」になってしまえばいい。これが第二点だ。
 「人生論」が「制度」の手前にあるのだったら,その「人生論」は(現実の変化に結びつかない)「単なる人生論」でなくて,変化につながる「正解」だということになる。そして学校に「思い入れない」こと。そうかもしれない。そういうふうに私はあまり考えていなかった。しかし私はインタヴュー(対話?)の中で納得していない。それは,多分,八杉さんがおっしゃっていることが間違っているということではなくて,他にもすべきことがあるはずだ,ということだと思う。たとえば,変えていかないといけない制度がある,とか(第18章に続く)。



★01 この本(『全国子ども支援塾ガイド』)の203〜290頁は「全国子ども支援塾案内」になっており約 170塾が紹介されている。(八杉晴実氏には他にも数多くの著書がある。一部を本報告書末尾の文献リストにあげた。)また『別冊宝島』111(1990年):190-229 にもこのネットワークに加盟する多くの塾が紹介されている。『月刊高校生』1994年3月増刊号「'95新版 登校拒否関係団体全国リスト」にも「子ども支援塾ネット」「家族ネットワーク」の紹介がある。なお,関西の教育産業グループ「成基コミュニティ」が事業の一環として開設した不登校児専門の学習塾「レッツスタディ三条」について,『企業市民JOURNAL』編集部[1993]。


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