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「住民主体のまちづくり――世田谷区を事例に」

足立 貴史
『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第13章

last update: 20151222


第13章

住民主体のまちづくり
世田谷区を事例に

                             Adachi, Takashi
                              足立 貴史

 『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第13章

T 世田谷区を取りまく「まちづくり」の変遷・・住民参加から住民主体へ

 1972年10月,第15次地方制度調査会は「特別区制度の改革に関する答申」を提出し,区長公選,都から区への大幅な事務移譲,特別区の人事権・財政上の自主性の確立等の措置を提言した。これに基づき,地方自治法の一部改正が国会において審議され,1974年5月に改正がなされた。ここにおいて特別区は,都の出先機関的なものでも半自治体でもなくなったといえよう。大規模なものは別として,通常の公園や11m以下の道路といったものの計画・建築確認に関する権限も移譲され,以来,世田谷区は住民参加のまちづくりを基本計画の中にも位置づけてきている。
 世田谷区は1982年に「まちづくり条例」を制定している。この条例は,安全で住みよいまちづくりを住民参加によって進めることを基本理念として掲げている。1984年,これに基づいて「まちづくり推進地区」を指定した。住民の主体的運営による「まちづくり協議会」が認定される。推進地区とは住環境整備が特に待たれる地域であり,協議会は住民による学習会,まちづくり提案の作成・提出といった活動が行われる場である。そして協議会の提案に基づいて,区が公共施設に関する事業を行っていく。このシステムで住民参加のまちづくりが進められ,その成果として徐々に整備が行われてきた。太子堂地区は住宅が密集し,道路も狭く,防災上危険な都市整備が行き届いてない地域であった。そこで住居の建て替えを誘導しながら,皆でデザインを考えた 100u程の小さな広場をつくっていく。一方で,その地下には防火貯水槽を設置する。通常の都市整備からすればその成果が遅々としているかもしれないが,それまでのスクラップアンドビルドの都市整備とは違う「修復型」のまちづくりが住民参加で行なわれた例である。またこの他にも,都立世田谷清掃工場の煙突や桜丘区民センターのデザインに関しても住民からのアイディアを募集して決めている。
 しかし一方で,このシステムの訂正が迫られていく。まず1つには,特定地区に限らず,区内全域にその対象範囲を拡大していくことが要求される。推進地区を制定すると,それらの地区においては住民参加によって例えば公園なりが作られていくが,一方で他の地区に関しては,「行政の実施計画にはそのようなことは書かれていない」,あるいは「時間が無い」「予算が付かない」「人がいない」といった理由で,同様な住民参加のまちづくりが認められないという状況が生じてしまう。推進地区における住民参加で行われた事業は,「モデル事業」にとどまり,その「モデル事業」はあくまで補助金事業であって,それを普遍化していこうとしてその全てに予算をつけようとすると,自治体の財政が危機的状況に陥ってしまう。予算だけでなく,そういった住民参加のまちづくり事業に携わっていく職員も必要なわけで,人材の不足も予想される。推進地区内における住民参加のまちづくりを,単なるモデル事業として終わらせないために,新たなる仕組みが求められたのである。
 第2には,協議会形式が問題とされる。端的に言えば,このシステムによる住民参加のまちづくりは「行政側がお膳立てしている」のである。つまり,行政がある目的を持って発意し,主導的に進めていくある段階において住民の参加を得るというスタイルなのである。そういった住民参加のまちづくり自体は批判・否定されるものではないし,実際にそれを実施している自治体が少ない現状からすればむしろ評価されるであろう。しかし,この「行政主導型住民参加」ではなく,より一歩進んだ「住民主体」が今後のまちづくりに限らず,地方自治に求められるのではないだろうか。住民がその必要に応じて発意・提案し,住民の内から次第に高まってくるイメージ・要望を形にした上で,行政側に働きかけつつ,その声を反映させていくような「住民主体」である。

U 「世田谷まちづくりセンター」による支援システム

 5年間の準備期間を経て,1992年に「世田谷まちづくりセンター」が(財)世田谷区都市整備公社内に設けられ,また公益信託「世田谷まちづくりファンド」が設立された★01。センターによって人的・技術的支援を,ファンドによって財政的支援をすることによって,住民主体のまちづくりを支えていこうという趣旨である。センターを財団法人内に設立すること,また公益信託という制度を採用することで,行政から一歩離れた地点から独立した支援を意図している。
 まちづくりセンターは,三軒茶屋駅から程近いビルの中にある。同じフロアーに(財)世田谷区都市整備公社他いくつかの事務所が入っており,衝立のようなもので仕切られている。その衝立の内にセンターがある。入り口にはパンフレットや資料等の出版物・書籍などが置かれ,閲覧・購入ができる。
 スタッフは総勢6人。公社職員が2人,区からの派遣職員が1人,そして非常勤とはいっても常勤並に詰めている2人とアルバイトが1人という構成である。建築や造園に関して専門的に学んだのは公社職員の2人だけで,その1人で所長である卯月盛夫氏がリーダーシップを発揮しているが,主要な議題については全員で対応しているという。
 1994年度の人件費を除く予算総額は3000万円。区からの補助金が60%,受託収入が約24%,図書販売等による収入が約16%という内訳になっている。ファンド助成事業・住民参加事業の運営支援,書籍等の編集発行などに支出されている。センターは(財)世田谷区都市整備公社内にあり,その公社は 100%世田谷区が出資しているものである。よって,センターの職員の人件費は行政側から出ている。財政的に世田谷区への依存度が大きいことを問題点として指摘しておく。
 まちづくりセンターは,「行政・住民・企業のどのセクターにも属さず,等しい距離に位置すること」(卯月氏)を目指している。卯月氏はセンターの価値を,「公の場で議論をする機会がなかった」なかで「コミュニケーションの機会をつくっていく」こととしている。そのコミュニケーションの間で,カタリスト catalyst 即ち触媒としての役割を果たし,単なる技術提供だけではなく,仲介や調整をしていくことが大切であるという。「顔を見て,何か開けるってこともあるじゃない」とは卯月氏の言葉である。しかし現状では,住民のサポートにまわらざるを得ない。それは行政や企業は組織力も大きいし,財源も持っているのに対して,住民というセクターの中にはそれらがないからである。他の2セクターのような組織力,財政力を住民というセクターは持っておらず,「バラバラで,何か被害がでそうな時」(卯月氏)にだけ住民は発言するという。そこでセンターとしては,住民の立場に立ってモノ申す必要があり,住民と他のセクター間の架け橋的役割を果たしている。しかし,住民の側に立って一方的に文句を言うというわけではなく,住民に対しても文句を言う。住民は個々の利害に基づいて,それぞれの意見を提出するから,「それを一つの意見にまとめなさい」と文句を言うのである。行政や企業のプランに対抗できるオルタナティブをつくるには,地域住民としての集約された意見が必要とされる。さもなくば,「相手にされない」のである。
 だがいうなれば,住民というのもエゴのかたまりであって,その総意を取りまとめることは困難な作業である。その総意を引き出すための技術のひとつがワークショップ★02である。ワークショップとはひと工夫された会議といったところであろうか。センターでは,例えば,旗揚げアンケートやカードを使ってのグループ・ディスカッションを行なったり,現地を実際に歩いてみる(時にはアイマスクをして目の不自由な人の立場に立って歩いてみる)というようなことを行なったりしている。効率,能率を追求するのならば遠回りかもしれない。しかし,リラックスしてもらう,気軽に参加してもらうとともに,このような体験を経て,参加の実感と主体としての発言を引き出すのが目標である。これらコミュニケーションの技術・手法といったものの開発,蓄積がセンターの機能のひとつである。
 またセンターには財政的・技術的支援という機能がある。まちづくりに関する情報を発信するだけでなく,支援機能を兼ね備えているセンターは数少ない。世田谷の場合,「まちづくりファンド」によって財政的,「まちづくりハウス」によって技術的支援が行なわれる。まちづくりセンターは住民とファンド,住民とハウスの間に位置し,「財政的・技術的支援」を支援している。センターとファンド及びハウスに関する具体的説明は後ですることとして,センターとハウスに関して端的に言えば,「行政が雇ったコンサルタントを派遣する」というかたちではなく,住民の主体的なまちづくり活動を支援する「まちづくりハウス」を支援するという関係である。住民はまずセンターに相談にくるが,より継続的・専門的な支援を求めるときには,センターよりもハウスの方が適切なのである。センターによるハウスの支援は,ファンドによるハウスの設置・運営に関しての助成という形をとる。ハウスを育てる役割をセンターが担っているといえよう。センター(あるいはファンドといってもよいが)の支援の特徴的なところは,「行政から一歩離れたところにいる」ことから,たとえその活動が行政政策に反対する運動であっても支援することができるという点である。行政の推進するプロジェクトの情報を伝えることによって,住民の反対運動を押さえ,プロジェクトの円滑な推進を図るようなことはない。

V 「世田谷まちづくりファンド」による支援システム

 まちづくりのための公益信託は全国でも数少ないという。「まちづくり基金」といっても土地区画整理事業の剰余金を基にした公益信託がほとんどの中では,まだ珍しい例である。世田谷の場合,基金は(財)世田谷区都市整備公社からの当初の出損金3000万円をスタートに,1994年3月現在,公社からの1993年度分2040万円,個人からの寄付 472万円,法人からの寄付 876万円を受け,総額は6388万円。そう大きい額ではない。現在は,年約2%程度でしか運用できないため年間 100万円程度の拠出しかできない。それでも,「健闘しているほう」(卯月氏)といえようか。目標額は「10年間で5億円」だという。
 このファンドは,行政・住民・企業の3者からの出資による基本財産をもとに「真に中立の立場」で支援していこうという理念を持っている。それにしたがい,助成対象の決定プロセスの透明性を公開審査会によって確保しようとしている。一般的には,公益信託の助成先を決定する運営委員会は非公開である。にもかかわらず公開していくのは,個人や企業からの寄付も募った「募金型」基金だからである。たとえ今は小さな基金だとしても,地域の当事者が育てている基金という意識を大事にしようという意図,「住民主体」のまちづくりを視野に入れていることが感じとれる。
 実際にファンドが助成している部門は以下の3部門である。
 (1) まちづくり活動・・自主的まちづくり活動を行っている住民グループを助成
 (2) まちづくりハウス設置・運営・・住民を支援する民間の非営利専門家組織を助成
 (3) まちづくり交流・・まちづくり活動を行うグループ間の交流活動を助成
 年間総額 500万円の助成(ファンド運用益以外にも,図書販売等による自主財源をあてている)を,94年度は15団体に行っている。
 助成事業のハイライトとして,前述の公開審査会(6月),中間発表会(11月),最終発表会(翌年4月)がある。これらの場は情報交換の場であるとともに,やる気を促す場である。特に公開審査会においては,審査後の議論によって,委員の意見や落選グループの反論が行き来するという。センターの価値を「コミュニケーションの場の提供」,「一種の触媒役」としている点においても,これらの場の意義は重要である。公開審査会はまず,助成申請団体がその活動内容を発表(3分間)し,それに対する質疑応答(3分間)があり,そして助成先決定のための話し合いが行われる。総括質問,評価基準や印象が話し合われ,投票が行われる。昨年度は部門の変更,減額といった議題,「まちづくりとは」といったことまで話し合われた。おもしろいのは「敗者復活」である。審査員が推薦をし,2人以上の推薦があった団体については助成が決定される。助成額は公開審査会終了後の運営委員会で正式に決定される。
 一方でファンドに関する問題点も,その規模の問題はさておくとしても,いくつか指摘できる。
 第一に「住民主体」意識の難しさである。いくらセンターが,その位置づけを「行政・住民・企業のどのセクターにも属さず,等しい距離」としても,助成を受けるということは,まちづくりセンターやファンドという公のモノに認められることと等値化されかねない。これはセンターやファンドといった仕組みの問題ではなく,住民サイドの問題といえる部分の方が大きいであろう。
 第二に「中立」の難しさである。運営委員の選出をはじめセンターの関与が大きい点もある。たとえば運営委員会をサポートする事務局はセンター内にある。それはセンターとファンドの設立時からの関係上,やむを得ないかもしれない。しかし93年度から,募金に関わる事務や公開審査会等の運営に携わる「ファンド協力スタッフ」を公募し,20名弱の区民ボランティアがいる。少しずつではあるが,運営委員と区民の手にファンドが移行しつつある。この動きがより一層大きなものになることが待ち望まれる。
 またほかに,ファンドの性格そのものに関しても心配すべき点がある。「募金型」基金であるゆえ,大口の出資者が将来的に出る可能性があり,さらに万が一,その出資者の利害と相反する活動が助成対象・候補となった場合,果たしてどこまで「中立」が守られるか。もう一ついえば,「まちづくり」の定義が曖昧なため,福祉や教育といった領域からも助成申請がくるといった場合どうするのか。あくまで状況の仮定であるからして,無用な心配かもしれないが,いずれにせよこのファンドの仕組みをより改善していくには,さらなる実績と社会の理解が必要とされる。

W 「まちづくりハウス」という非営利専門家組織

 地域のまちづくりに関する(例えば建築家や弁護士のような)専門家が,自分の知識や経験を住民によるまちづくりに活かし,地域に還元する活動の場が「まちづくりハウス」である。行政でも企業でもなく独立した位置から,市民ベースで非営利な活動をするという意味では日本版NPOといえる★03。まちづくりという活動は,ときに専門的な知識を必要とする。行政や企業といったセクターに働きかけていく場合,専門的知識がないとどうもつらいものがある。行政やときには公団といった他のセクターのプランに対抗するオルタナティブを提示することは重要なことではあるのだが,当事者である地域住民だけでは,個々の利害も衝突するため,バラバラな意見を集約するのが難しい。住民の総意を形成する段階において,個々にはイメージを持っているのだが,具体的な計画にまで収斂できない,まとめられないといったとき,やはり専門的知識があると都合がよい。住民主体のまちづくりをその専門的知識や経験によってサポートしていくのがまちづくりハウスである。またハウスで活動する人も,地域住民であることを忘れてはならない。

 1 「集合住宅デザインハウス」

 建築家野村徹也氏を中心に,集合住宅における住−生活環境の改善を目指すハウスである。住宅街の中にピンク色のパレット型の木の板に「集合住宅デザインハウス」と書いてある小さな看板が掛かった家があり,野村氏の自宅をハウスとして兼用している。ハウスに常駐のスタッフは野村氏以外いないが,大学生他6名がハウスの活動を支えている。大学生は皆,野村氏が教鞭をとる大学で建築を学び,同氏の講義を受け,卒論の指導を受けている,あるいは受けた学生である。彼らはハウスでセミナーを受けたり,ワークショップの司会を任されたり,ハウスの発行物である『集住デザインボード』の執筆を担当したりといった活動を無償で行っている。それは大きな意味での勉強の一環として考えられており,野村氏からすれば若手育成の意味が込められている。
 『集住デザインボード』は月に一度 250部発行されている。昭和30年代に建てられた公団賃貸住宅の自治会や専門家宛てに郵送している。同時に読んだ感想を返信してもらえるようにしているのだが,残念ながら全く返送してこない人もいれば,評価してきてくれる人など反応はさまざまだという。
 その活動のきっかけになったのは,西経堂団地という住宅都市整備公団の団地型賃貸住宅★04の建て替えであった。この団地は1958年に建てられた公団賃貸の団地で 660世帯が住む。高さは4〜5階建てで,団地の敷地内にはけやきや椎の木,桜などが繁る緑豊かな,静かな団地である。この団地に建て替え計画の話が伝えられたのは1986年のこと。老朽化と土地の高度利用・有効活用が理由であった。それを受け,団地内の自治会はアンケート調査や建て替えについての勉強会,よその団地の見学といった具合に行動を始めた。そして1991年10月に公団側から具体的計画が示された。それは以下のようなものである。
 ・最高11階建ての高層住宅で全880戸。
 ・新しい家賃は1uあたり3000円(これは公団の家賃としては高額だという)。
 ・団地内の中心に位置していた児童館は西側に移転,児童公園も縮小移転,樹木も排除  し駐車場にする。
すくなからず予想された事態であったが,公団側の一方的な姿勢を前にして自治会側の対策も無効だった。公団と区に対し計画見直しの陳情を行ったが,特に変化はなかった。 そのころ世田谷区はセンターをつくる前段階にあり,そのなかで「まちづくり活動企画コンペ」が開かれるところであった。団地自治会はこれに応募,受賞することができた。野村氏はこの後,西経堂団地の建て替えに参加することとなる。野村氏は大学卒業後,10年間中学・高校の教師を勤めた後,イタリアに留学。イタリアで都市計画について学び,1980年に帰国。大学に研究生として在学した後,民間の不動産企業に就職し,そこで集合住宅の建て替え問題に直面した。このことから「住民自身がやらなければ」という思いを抱き,それが活動の原点になっているという。
 まずはアンケート調査から始めた。その結果は3/4の人が,建て替えが済んだ後も住まい続けたい,しかし家賃が高くなりすぎては…というものであった。お年寄りがどこに住んでいるかといった住宅の現状を把握したり,実際に公団のプランに即した模型を造ってみたりと様々なことにみんなで取り組んだ。みんなでプランを考えるときも,同様に模型を使って話し合った。法的・経費的な実際的部分は野村氏ら専門家が補い,「西経堂団地建替プラン」を翌92年1月に公団に提示した。
 ・最高8階建てで,4〜6階建ての中層住宅を中心とし,全800戸。
 ・現存の児童館,公園を残す。樹木もできるだけ残す。
 ・全戸,日照4時間を考えて,斜めに配置。
 ・高齢者向けに1DKもつくる。 ……。
今回は公団側からの反応があった。10日余りして,第2次案が自治会に伝えられる。
 ・最高10階建て。(←11階建て)8〜9階建てを中心に,3〜5階建てを配置。
 ・全850戸。(←880戸)
 ・ワンフロアー4〜6戸。(←10戸)
 ・児童館・公園はほぼ現状維持。
さらにこれを受けて今度は団地側で議論し,それを公団に伝える。9月に再度公団の修正案が提示され,また団地住民の間で話し合いが行われた。住む側とつくる側,本来,話し合いがもたれて当然であろう両者間に,ようやく一方通行ではないツーウェイ=コミュニケーションが生まれたのである。10月から転居が始まり,96年に第1期が完成。2001年に団地全体の建て替えが終了する予定である。コスト問題も含め,今後も入居者と公団の話し合いは継続されていくであろう。階段式で徐々に家賃を上げていくという公団側の提示があるが,住民側は合意していない。ゴミの増加といった問題から高齢化社会といった問題まで,公団も考慮しなければならないことは多い。
 西経堂団地と同年代の建て替えが必要とされている公団住宅は東京圏内に約1万戸あり,民間の同様に建て替えが必要とされる集合住宅まで含めればその数はさらに多い。それらの建て替えの際,共通して問題とされることとして,建て替え後の間取り・共有スペースの配置といった住空間に関する項目,建て替え後の家賃というコストに関する項目があげられるという。西経堂団地の場合がそうであったように,一方的に公団側から建て替え計画と公示価格を基にしたという新家賃が突然提示され,噂としてあったとしても入居者に届く情報量が少ないことが,それらが問題となる背景にある。ときには,現在の家賃の5倍の額が提示されることもあるという。入居から40年近く経った現在,入居者も年を経て定年を迎え,現役を退いた人も少なくない。月10万円以上の家賃を払える人がどれだけいるというのであろうか。建て替えによって住み慣れた土地を離れていく人もいるそうである。このハウスのような活動が,今後,より求められることになるだろう。
 野村氏は,「建て替えにおいて大事なのは『人間関係のデザイン』である」と強調する。「人間関係のデザイン」から「住空間のデザイン」,そして最終的には「コストデザイン」という手順で建て替えを進めていくとうまくいくという。そして「人間関係のデザイン」には,1)出会いのデザイン,2)参加のデザイン,3)計画立案のデザインという3つの段階があるとしている。住民は最初からひとつの総意を持っているわけではない。段階を踏まえていかなければコンフリクトが発生し,「虫喰い」的なとても総意とは言えないものしかできあがってこない。住空間といっても団地内には publicな屋外空間とprivateな屋内空間があるし,最終的にはコスト問題という領域に足を踏み入れていかなければならない。そのためには,コストデザインに至る過程において,リーダーとして活動している人物だけでなく,あまり発言をしない「周辺」の人々を笑わせて取り込んでいくことが「人間関係のデザイン」において重要であると野村氏は語る。「建て替えが目標なのではない,人間関係をスムーズにすることが役割である」ということを,現在コストデザインの段階まで来ている西経堂団地の建て替えから学び得たという。そして「公団と住民の二極構造の中であくまで第三者的立場で中立に立ち,そこから居住者側の意図をくみ取って,bottom-upしていく」ことがハウスの役割であるという。
 現在野村氏は,西経堂団地のみならず,同様に建て替え問題を抱える他の集合住宅にも関わっている。そこでも,イメージを立体造形で表現したり,実際に歩き回りながら音に耳を澄ませ,音環境をあらためて見直すといったワークショップを行っている。「人間関係のデザイン」をここでも実践している。
 集合住宅デザインハウスは「まちづくりファンド」から80万円(94年度)の支援を受けている。95年度は他の財団からの助成が決定したという。助成金はおもに『集住デザインボード』の発行に支出される。ハウスの運営には,野村氏の原稿料・講師料他の収入もあてられる。野村氏の時間も全てハウスやまちづくりの活動にあてられている。「金なんて考えてられない」という野村氏の言葉はまちづくりに対する氏の姿勢を表している。時間にせよ金にせよ「割に合う,合わないは別」とも話す。自分の経験を還元していくという気持ちが野村氏の活動を支えている。
 2 世田谷街並みづくり支援ハウス

 建築家小俣忠義氏が中心となって活動しているのが「世田谷街並みづくり支援ハウス」である。このハウスには建築・都市計画のみならず,法律・不動産・土木などの専門家8名が関わっている。世田谷まちづくりセンターが運用する「世田谷まちづくりファンド」,ハウジングアンドコミュニティ財団による「住まいとコミュニティづくり活動助成」から活動資金の助成をうけつつ,地域住民のまちづくりに専門家として相談に応じたり,助言をしている。
 ハウスの設立は1993年だが,その活動は1983年にまで遡ることができる。このハウスの活動のきっかけは,下馬3丁目・6丁目の建築協定である。1983年に地区にワンルームリースマンションが立てられる計画が持ち上がり,それに対して地域住民が反対運動を起こしたのである。そのときの手法が建築協定★05である。当時,各所で建設が盛んだった,ワンルーム・リース・マンションがこの地域にも建設される計画が持ち上がった。ワンルーム・リース・マンションについては当時から様々な批判がなされていた。たとえば,周辺住環境の悪化を招く――例えば日照が遮られる・ゴミの出し方などのモラルの低下――,入居者への配慮が足らない――例えば収納スペースの不足・自転車置き場等の不備――といったものが挙げられる。この地域でも建設反対運動がはじまり,それがのちにハウスの活動へとつながっていく。
 計画されていたワンルーム・リース・マンションは建築基準法に合致するものではあったが,高度・北側斜線★06等に関する数値は法の限界にあった。予定地に北面する区画に居住していた小俣氏らは,その計画に対し反対運動を始める。「建物は3階建て以下,8戸以上の共同住宅は各戸の面積を29u以上とする。共同住宅は3戸に1戸の割合で15uの駐車場を設置する」といった規定の建築協定を周辺住民で締結したのである。しかし建築協定を結ぶにはその土地の地権者の実印が必要であり,また地域内には法人所有の寮もあってその法人の了承,そして建築協定自体に対する理解を要するといった障害があった。「一緒にまちづくりを」していくためには地域の様々な人々,2世帯居住者や老父婦,未亡人といった人々の不安や悩みも参加の障害となったという。小俣氏らは法人を含む周辺住民に対し,熱心に「時間をかけてなるべく多くの人と話をして説得していく」ことによって働きかけ,建築協定の実現に漕ぎ着けたのである。ときには弁護士が,ときには都市計画家が住民と話すことによって,「まちづくりというものに参加すれば自分自身も心豊かになれるであろう,安心して住めるであろうという実感をもってもらった」のである。小俣氏は自分の役割を「地域の人の気持ちや境遇を捉えて,それにあった人をアドバイザーとして連れてくる」ことであったという。氏は自分達のまちづくり運動を誰かがリーダーシップを発揮して進めていく「先導型」ではない「当事者型」としている。「後ろから下から押し上げて」「縁の下の力持ち」によって建築協定,まちづくりを行っていくという意識である。
 実際には,この計画区域については,地権者がその計画を進めていたディベロッパーであったために協定に参加せず,協定は直接的にその土地に対しての拘束力はもてなかった。だが翌1984年4月,建築認可が世田谷区からおりた一方で業者は建設計画を中止した。直接的に建築協定による阻止はできなかったが,協定を結んでいく過程は地域住民が自らのまちについて考え,結束していく機会となった。業者が守らなくとも自分達は最低限のこととして守るという姿勢,意欲がこのまちづくり活動である。
 住民主体のまちづくりの有効な手段の一つとなり得るかもしれない建築協定だが,問題点もある。まず,建築協定は建築基準法に規定されているのだが,その規制は協定委員会によって管理されているため,公的な拘束力は発揮されない。ただ,このことについては,建築協定によるまちづくりにおいて住民の主体性が維持されるとして,小俣氏らは特に問題としてはいない。それよりも協定地域を拡大していく際に,たとえ一区画でも新たに協定区域に取り込むと「協定区域の変更」として他の全ての地権者の実印が再び必要になるといった制度的硬直を問題としている。その対処として建築基準法の改正,あるいは自治体独自の「まちづくり協定制度」といった建築協定に代わるものを挙げている。
 最終的に建設計画が撤回されたことによって,建築協定が他のワンルーム・リース・マンションの建設が予定されている地域住民にとって現実的な有効性を持った手段となり,区内にも建築協定地域が増加した。協定に関して小俣氏に話を聞いたり,相談しに来る人もいたという。自らの地域に加え各地の建築協定に携わってきたことが,ハウスの活動につながっている。反対運動の段階から,建築協定の段階,そして「環境イメージづくり」という段階にハウスのまちづくりは進んできている。建築協定の更新に際して,住民が自ら自分達のまちをどう作っていこうかということを考えるようになっていた。建築協定は「最低限このぐらいは守りましょう」といったものであってどのようなまちを目指すといったことは書いていなかったが,前向きに,創造的なまちづくりをしていく出発点となったようである。
 小俣氏らは「下馬3丁目・6丁目建築協定を乗り越える会」として,1993年3月にハウジングアンドコミュニティ財団から「住まいとコミュニティづくり活動助成」★07を受ける。住民主体の創造的なまちづくりの指標として「環境パターン」なるものを作成しようというのが,活動目的であった。しかし協定が更新を迎えるに当たって,相続税対策,地権者の世代交代による意識の変化・希薄化といった問題に直面してもいた。これらの問題は各協定地域でも浮上することだろうから,それらに対処するための支援体制を整備することを小俣氏らは意識するようになる。同じく1993年6月には公益信託世田谷まちづくりファンドからの助成も得て,活動の対象地域を限定せずに「世田谷街並づくり支援ハウス」として活動を始めるのである。
 まず最初に,協定地域の住民へのヒアリング調査を実施して協定に対する評価,課題,意識等の把握を試みた。結果としては,交友関係ができた,地域住民の意思が統一されたといった地域としての団結を感じている一方で,協定地域の拡大に対する要望があったようである。次に,「モービル・ワークショップ」を開催した。これはポラロイドカメラとボードを持ちながらみんなでまちを歩き,各自が目についた街並みをカメラに収めコメントを付けるといった街並み観察である。そしてそれらの分析から,「環境パターン」の作成を行っていく。「すてきな街並み」のイメージの共通要素としての基礎パターンを提示し,住民の手によるまちづくりに役立てることを目指している。しかし単なる事例集になってしまう危惧もあるため,その作成過程において住民の声を取り入れようとして基礎パターンの第一次案を参加者にフィードバックするという方法を採っている。将来的にはパターンを豊富にした上で住民が街並みを創造していく上でのヒント,あるいは「共有できる言語」として活用されることを目標としている。

X 住民主体のまちづくりの構造的支援に向けて・・それぞれの課題

 世田谷区はまちづくりセンターとまちづくりファンド,そしてまちづくりハウスという組織・仕組みで住民主体のまちづくり活動を支えている。他の地域において住民主体のまちづくりを推進していこうとするとき,世田谷のこのシステムがダイレクトに活かされないにしても,この経験は何らかの形で応用されてよいと思う。そのためにも,それぞれの組織・仕組みについて,また全体としての課題をあらためてまとめる。
 センターの役割は,「行政・住民・企業から等しい距離」に位置して,中立の組織として「コミュニケーションの場づくり」を行なうことである。しかし前にも述べたが,財政的には行政に頼っているのが現状である。将来的に,いかに財政的に自立するかが課題といえよう。また言うまでもなく,ファンドの規模拡大は当面,大きな課題である。財政的課題は,センターに限らずハウスも抱えている。集合住宅デザインハウス・世田谷街並づくり支援ハウス,いずれのハウスも助成金がその主な活動資金である。おおよそにして助成は年度単位で行なわれ,スケジュール的にはその申請や活動成果報告のための準備に追われてしまう。今年度助成を受けられたからといって,来年度も受けられるかどうかは定かではない。複数の助成を申請することによって可能性は上がるかもしれないが,それには活動のための時間がさかれることになる。2年単位,3年単位といった複数年度単位の助成が待たれるところである。
 現実には財政上の課題がもっとも重要であるが,行政上の問題もある。小俣氏は,任意に総合的にまちづくりを進めていく上では行政のセクショナリズムが障害になるとして,総括的な窓口の設置を求めている。建築基準法に規定される建築協定に関しては建築課,都市計画法に基づく地区計画に関しては都市計画課というのが現状なのである。またより大きな枠のなかでは,卯月氏が指摘するように東京都と世田谷区というふたつの行政主体間の問題がある。現在,私鉄の複々線化・高架化が計画されている地域がある。その事業に関してはいくら世田谷区に働きかけても,事業認可を行なうのは都であるため効果がない。その事業が行なわれるのは世田谷区内であって,区内では「住民参加・住民主体のまちづくり」が行なわれているにもかかわらず,都が扱う事業だからという理由で同様の住民参加が行なわれなくなってしまう。例えばドイツではまちづくり・都市計画に関する権限は全て地方自治体に委譲されているという。
 もっとも大きな課題は構造上の課題である。行政・住民・センター・ハウスの4者の理想的な関係を考えなければならないし,また企業というアクターがいかに関わってくるかという問題もある。現在もっとも曖昧な立場にいるのはセンターである。センターは情報の集約とその公開,人の派遣という役割を担うクロコ的存在であって欲しいという声もある。卯月氏自身も「言葉としてはあるけど」中立は難しいと言う。将来的にハウスがもっと自立した組織となりうるのならば,「行政から住民サイドに歩み寄った」立場にスタンスを移してもいいのではないか。ハウスがサポートするのは住民の活動団体一つずつである。しかし個々の団体においてその意図するところは違うのであって,住民というセクター内で衝突が起こった場合,その調整役としてセンターが機能するという仕組みが望まし いのではないか。住民同士の利害が衝突することは,十分に予測されることである。またセンターには,現在の縦割り行政間の懸け橋的役割も期待されるし,現在,個人レベルでの交流しか行なわれていないハウス間の懸け橋も同様に期待される。
 企業というよりは都市改造に大きく関わってくる建設業界を含めた新しいシステムを小俣氏が提案している(前頁の図)。行政と建築業界が共に,住民主体のまちづくり活動を支えていくための新しいかたちである。「世田谷まちづくりファンド」のようなものに両者が資金をプールし,それによってまちづくり活動を進める住民やハウスを支援するというものである。建設業界の「近隣対策」をこのようなかたちでのまちづくりに転用すれば,お金の流れが透明になってよいのではないかと思う。


 世田谷という地域は何ともいえない特殊性があると感じる。「成熟した市民意識」とでも表現して,あながち間違ってはいないと思う。少なくともまちづくりに関しては先進的な地域であるし,それもこの地域だったからこそ可能だったのかもしれない。他の地域にこれらの経験がダイレクトに活かされるとは思わないが,それらが蓄積されることによって,我々の社会にとって何らかのプラスに働くであろうと考える。形式だけの住民参加ではなく,住民が動きだして行政に働き掛けていく住民主体。自分たちの住まう地域だからこそ,自らが考え,行動し,良好な住環境を創造していかなければならない。「まちづくり」はモノをつくるだけではない。地域の住環境を整備していく活動である。そしてそれは他の誰でもない,自らがやらなければならないことである。



★01 その前史,設立までの経緯を含め,センター,ファンド,助成対象グループの活動について,世田谷まちづくりセンター編[1994]。卯月(センター所長)[1990][1993][1994],柴崎(センター主任研究員)[1993],宮内[1992]等活動を紹介した文章や新聞記事等も再録されている。なお,公益信託とは企業や個人が資金を提供し,受託した信託銀行が運用金を公益と認められる事業に拠出する制度(→第4章)。奨学金などに活用されることが多かった。
★02 ワークショップの手法を具体的に紹介した本として世田谷まちづくりセンター[1993],この本の紹介として浅海(センター研究員)[1993]。ワークショップについて他に浅海[1991],小野[1993b]。
★03 まちづくりの領域では比較的早くからNPOが注目されてきたようだ。「せたがやまちづくりフォーラム」主催の「まちづくりシンポジウム」第2弾として,「日本におけるまちづくりNPO展開の可能性・・アメリカの経験に学ぶ」が1994年3月12日に行われた。また世田谷まちづくりフォーラム/世田谷まちづくりセンター[1994]も刊行されて,いる。他に,林泰義[1992]を含む『新都市』46-4(1992年)「特集:まちづくりと市民・企業活動」,田中弥生[1990],鈴木孝[1992],林・宮地[1992],小野[1993a],林[1994],川口[1994],秋山[1994c] など。Gratz[1989=1993] の中でもNPOの活動が紹介されている。イギリスの「グランドワーク」について小山善彦[1994」。武蔵野市のコミュニティづくりについて高田[1994」,小樽市における町並み保存運動について堀川[1994]。ナショナル・トラストについて木原[1992],その中では法人格の問題,住民の自主性と行政との関係についても論じられている(木原[1992:217-224])。
★04 団地型に対して,「1Fにテナント,2F以上が賃貸住宅」という形式のものを市街地型の賃貸住宅という。
★05 建築基準法において,市町村が一定の「区域内における建築物の敷地,位置,構造,用途,形態,意匠又は建築設備の関する基準についての協定を締結することができる」とある。建築基準法のような法的強制力はないが,協定参加者はその内容に拘束される。地権者の「命より大事な」実印が必要とされる。
★06 建築基準法によって建築物の高さが制限されている。「当該部分から前面道路の反対側の境界線又は隣地境界線までの真北方向の水平距離に1.25を乗じ」たものに,用途地区によりプラス5又は10メートルとある。
★07 住まいとコミュニティづくりについての民間グループによる先駆的・創造的な活動に対する助成。「1)探検・点検型,2)施設の提案・創造型,3)住環境の保全・整備型,4)自然の保護・活用型,5)その他」の5項目に関して助成が行われる。総額1000万円,1件あたり 200万円が上限。第1回の活動助成報告書として,ハウジング・アンド・コミニュニティ財団[1994b]


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REV: 20151222
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