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「レジャーとしてのボランティア/生活すべてがボランティア
――企業人の意識・主婦の意識」

土屋 葉
『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第7章

last update: 20151222


第7章

レジャーとしてのボランティア
     /生活すべてがボランティア
企業人の意識・主婦の意識

                               Tsuchiya, You
                                土屋 葉

 『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』第7章

「ボランティア」という言葉の持つ響きが変わってきている。従来の「ボランティア活動」には「不幸な人や恵まれない人たちのために特別に犠牲的な奉仕をすること」,「まったくの手弁当」というイメージがあった。だがボランティアに参加した人達は「助けられているのはむしろ私のほうだ」という感想を持つという(金子[1992])。また企業がボランティア活動に目を向けるようになり,社会のなかでもボランティアの位置づけが変わってきている。全くの無償ではない「有償ボランティア」も出現してきている。こうして,ボランティア活動は新しい意味を持ってきているように思われる。
ボランティア活動には様々な性格のものがあり,活動する人も様々な肩書を持っている。調査を進めていく中でこうした人びとに会い,様々な興味深い意見を聞いた。明確に自分の行っている活動を「これは私の仕事だ」と言う人,また「仕事が基盤にあってこその趣味だ」と言う人,そして「まだ,答えは出ない」と言う人,そしてまた「生きがいだ」と言う人,「生活の一部だ」と言う人…。ボランティア活動に関わる人びとが,自分自身の活動に何を感じているのか,ここではとくに企業人と主婦の活動に対する意識をインタビューやアンケートを通して得られた回答から探ってみたいと思う。

T 「レジャーとしてのボランティア」(企業人のはなし)

 主に企業人で構成されているボランティア団体であるKIDS(→第6章)のミーティングに行った。平日の午後7時から,ということだったが,道に迷った私たちがミーティング会場となっているある会社の中の会議室にたどり着いたのは時間を10分ほど過ぎていた。そこでは30歳前後くらいの女性が2,3人でなにやらお喋りをしていた。机の上にはお菓子や飲み物などが置いてある。なんだかミーティングというよりも「集まり」「溜まり」と言った感じを受ける。その後ちらほらと人は集まりだし,7時半を回ったころ,10人余りが揃ったところで話が始まったようだった。というのも,それまで雑談のように話していたことの延長,といった感じだったからだ。それでも,次回のイベントについて詳細に書かれたプリントが回され,物事は着々と決まっていっているようだった。
このミーティングは4時間くらい続くと聞いていた。なぜ,そんなにもつらいことを,と私は思っていたのだが,彼らを見ていて答が出た気がした。なぜなら,彼らはこのミーティング自体を楽しんでいるからだ。お菓子が飛び交い,写真が広げられ,無駄話も笑い話もときおり挟みながら,およそミーティングとは思えないようななごやかな雰囲気のなか,しかし話は着々と進行していく。この状況を彼らは楽しんでいるのだ。何かにたとえるなら,学生の「大学祭実行委員会」のような雰囲気がある。自分たちで何かをやろうとする気迫,気力,そしてこれから起こることへの期待などがこの空間には渦巻いている。
 「ボランティアは趣味」だと書いてあった一葉のアンケート用紙を思い出した。たしかにこれは趣味かもしれない。「仕事」とは明確に何かが違う,と思わせる。では企業人にとって「ボランティア」と「仕事」はどういう関係なのだろうか。ボランティアには「仕事」とは違う魅力があるのだろうか。

 1 企業人にとってのボランティアとは

企業人にとってのボランティアの魅力とは何だろうか。インタビューやアンケートから抜き出してみよう。インタビュー対象者は5名である(A〜E:第6章のA〜Eと同じ)。
 Aさん(女性) Bさん(男性)         KIDSで活動
Cさん(男性) Dさん(女性) Eさん(女性) テラリストで活動

 @ 達成感
−「活動をしていてよかったことっていうのはありますか。」
A「達成感というか。イベント式のものが2つあるんですけど,かなりやってきたこと が成果につながるんで,それが達成感。みんなそれは思っているようですね。」

 今回調査を行ったKIDSの「スタッフ」と呼ばれる人々は,全体をコーディネイトする役割を担っている。KIDSの活動のひとつに「ディズニーランド・プロジェクト」があるのだが,こうした人々はこれに参加するだけではなく,当日の進行,ゲストの交通手段,弁当などの手配,施設側との交渉,などなど運営の面で前々から企画を支えるために活動するボランティアでもある。そういう意味では当然,イベントが終わったときには,当日参加するだけのボランティアとはちがった感慨を抱くだろう。Aさんが語っているのはそうした企画,運営面での地道な活動が成果につながったという喜び,満足感である。

−「面白かったことは。」
B「… 7割以上,スタッフは女性が多いんでね,一般論ですけれども,女性はどちらかというと補佐的な仕事を会社のなかですることが一般的なんだけれども,意思が,意欲があって,結構実力がある女性がたくさんいるんでね,そういうやり方に目覚めると,なんか面白くてしょうがないみたいなことを言ってますしね。ただ…いろんな責任を肩に背負うんでね,いろんな重圧もあるみたかったですけれども,でもやりきったってことで,いろいろ達成感みたいなものもあったみたいですね。そういうスタッフの中の人間たちを見ててもかなり面白かったなあっていうのはありますね。」

Bさんのインタビューからは,成果に対する達成感だけではなく,特に女性は自分たちの企画から始まり,物事の運営をしていくという,普段の自分の立場とは違うことができる物事の「過程」そのものに魅力を感じていることがうかがえる。アンケートにも「何かをやり遂げる充実感を得たいから活動を続けている」という31歳の女性の回答があった。こういった「過程」があるからこそ得られる達成感も大きいのだろう。また「そういった女性達を見ているのが面白い」とBさんが言っているのも興味深い。

 A スキル(技術)
A「ふつうのボランティアとは違って,企画というか,ボランティアの施設に行って何かをしてあげるだけではなくて,企画する楽しみみたいな,自分のスキルを生かしながら違うこともできる,それでズルズルと深みにはまって。」
B「ある程度のビジネスマン,ビジネスウーマンの集団なので,ある程度その処理の仕方とか,仕事の進め方っていうのはある程度手慣れてるかな。問題点さえパッとクリアになると,なんらかの答が出てくるし。その辺は非常に面白いというかね。」

 「自分の技術を生かせる」ことも魅力の一つになるらしい。企業人は特に「自分の技術でできること」を持っていることが多い。普段はそればかり使っているが,いったん日常の場所から外に出て,改めて何らかの形で役立てるとき,その喜びは大きいものであることは想像できる。KIDSのミーティングにはワープロやノートパソコンが持ち込まれ,パソコンの用語が飛び交い,さすがに企業人だ,と思わせた。先に「学生の大学祭実行委員会のような雰囲気だ」と書いたが,企業人と学生の差はやはりある。企業人にあって学生にないものは,多量の情報と豊富な経験,そしてそれに由来する問題解決の能力である。

 B 自由
B(活動をしていくなかでのメリットは)「会社にいただけじゃ味わえないような,いろんな体験。具体的に言うと私に50人も部下はいませんよね。みんな部下じゃないんだけど,50人の組織をみんなでうまく運営していくなんていうことは,会社では,自分が積極的に関わってみんなが動いているとは思わないよね,いろんな権限があって,やってくださいって言うと,やらざるをえないから彼らはやるのかもしれない。そういったことと違った世界っていうのを体験できたりとか。」

 アンケートにも「現在の活動を続けている理由は何ですか」という質問に「仕事とは違い,自分たちの意思で自由に活動できる点」(27歳 女性)という回答があった。確かにBさんの言うように,会社という一つの組織のなかでは全ての人が積極的に物事に関わっているとは言えないだろう。みんなが積極的に働くということは滅多にないことなのかもしれない。そういった意味で「仕事を離れた」それぞれの人の,自由な意思に基づいた積極的な活動を行うボランティアが,彼らにとって魅力のあるものだということがわかる。

 C 人間関係の広がり
 「現在の活動をしていて良かったことは何ですか(上位2つを選択)」という質問に対して,14人中9人が「視野が広がった」と答えたのに次いで,8人が「人との交流が増えた」と答えている。「人間関係の広がり」はよくメリットとして挙げられる答だが,企業人の場合はすこし違うようだ。インタビュー,そして「現在の活動をしていて,おもしろかったこと,腹がたったことは何ですか?」というアンケートに対する結果を見よう。
A「自分のまわりの人間って,自分と似たような人間じゃないですか,同じ会社だったり,同じ学校だったりとか,同じ会社員やってるとか。けどKIDSの人達っていうのはとにかくいろいろなことをやっている人が多いので,その点でいろいろな刺激が受けられる。いままで見たこともなかった職業の人を,というとなんだか変ですけど,いろいろ刺激し合える。」

「いろいろな分野の方と知り合う機会が増えた」(34歳 女性)
「いろいろ個性豊かな人に出会えた」(31歳 女性)
「いろいろな人とのかかわりからいろいろなおもしろい事があった。」(27歳 女性)
「いろいろある。人間っておもしろいなと思う。会社のなかだけではわからないことがある。会社などの組織に属さない人を通して,また会社などの組織とは別に活動する人の姿を通して,それを見る」(30歳 男性)

 注目すべきことは,企業人たちが,自分の企業のなかではなくボランティア活動をしていくなかで知り合った人間関係が面白い,と言っていることである。さきほども出てきたが,「仕事」以外,というところがポイントなのだろうか。
企業人にとってのボランティア活動の魅力とは何かをみてきた。活動を行っていくうえで,達成感や満足感,また自己の自由な意思に基づいて,技術を生かすことのできる喜びなど得るものは多いことが分かった。また,会社だけの人間関係とは違い,様々な人と出会えることも大きな魅力であるとも言える。それではボランティア活動が企業人の生活のなかで占める割合はどれくらいなのだろうか。
 アンケートの中の「次の項目に対するあなたの時間配分を簡単な数字の比で表してください。仕事:遊び:ボランティア活動= : : 」という質問に答えた8人の平均をとってみると,およそ仕事:遊び:ボランティア活動=2:1:1という結果が出た。
 また「ボランティア活動」「家族との時間」「仕事」「友人との時間」「自分の時間」
といった項目を,時間を優先している順に並び変えてもらったところ「あまり順位はつけ
られない」としながらも14人中10人が「仕事」を一番に挙げた。「ボランティア活動」を1番にしたのは1人で,以下2番目5人,3番目5人,4番目1人,5番目2人だった。
 以上の結果からは「仕事」をまず優先している企業人の姿が伺える。彼らにとってボランティア活動と仕事とはどういう関係を保っているのだろうか。2ではそれを見る。

 2 「仕事」「私生活」「ボランティア活動」・・3つのバランス

「バランス」という言葉は企業人にとってのキー・ワードのようだ。アンケートのなかでもインタビューのなかでもしばしば使われていた。

C「自分の付き合いが会社だけだったら,精神的に,ものの考え方からして会社中心に ならざるを得ないでしょう。だから自分をいろいろなものに関わらせていくというのは,大切だと思いますね。…うん,ま,ぼく自身は,仕事はやっぱり給料をもらっているから一番大事ですよね。だけどやっぱり自分がいろいろやっている中の活動の一つとして仕事をとらえたい。そういうときに,単に頭の中でそういうふうに考えるだけじゃなくて,別の,継続的にある程度責任ももってやっている活動があって,そこの仲間達との付き合いもあって,で仕事もあるという状態を作っておくことで,いわばこう,会社からも精神的に自立して行けるんじゃないか,と自分で思うんだよね。」

・「自分の生活の中でのKIDSの位置づけっていうのは…」
B「難しいですね。… 例えば仕事がありますよね。それから趣味がありますね。家庭がありますね。それからボランティア活動がありますよね。どれが一番大切かっていうと,どれもだと思うんですよ。役割が違うし。まぁ,お金稼いでちゃんと生きることが前提ですけどね。… 正直言って私の場合,これが趣味だとか,これに命を捧げていますとか,あんまりないんですよね(笑)。… 仕事っていうのはある程度吹っ切れてくると楽しいものですよ。自分の実力だけじゃなくて,会社というバックグランドがあってこそできることとか,かなりあるでしょう。そういう点では,(KIDSにしても)私がなんかやろうと言ったってKIDSっていう仲間がいるからできるのであって。そういう意味じゃ達成感もかなりあるし。KIDSを通して社会というものが見れるし,もちろん会社を通して社会を見れるし,家庭を通しても社会を見れるし,そうですね,位置づけっていうと…,全体で私の生活みたいな感じですかね。」

D「大変にならない程度でやってるんですよ。疲れたらやってないし。」
E「あんまり無理してもしょうがありませんし,体壊してボランティアされてもね。だからそこの所はうまくマネッジしながら,仕事と経営と,レジャーとボランティアをうまくバランスよく,っていう具合で。… 一般的にはみなさんリフレッシュされてる方が多いですね,声として。自分の世界が広がったとか,視野が広がって良かったとか。… ボランティアも生活の一部だと思いますので,個人的には。ですから自分の生活そのものの視野とか観点が広がっていけばボランティアにもよい影響があるんじゃないかと思うんですよ。よりよい人生を,と言うと大きいんですけれども。」

4人の発言に共通しているのはボランティア活動と,仕事と,プライベートの生活が三角形の形でバランスをとっているということである。
企業人にとっては,「バランス」というのがとても大切らしい。あとに出てくる主婦た
ちは決して口にしない言葉だ。企業人たちは,仕事では仕事の,ボランティアではボランティアの,それぞれの利点,やりがいなどを感じている。共通しているのは,どこで活動をしているのも「自分」である,ということであり,だからこそ3つの面を合わせて「全体で自分」だと言う。そして,「自分である」と言えるために大切なのは,その場所,その場所での自分を生かすために「無理をしない」ということなのである。

−「活動を続ける上で何か大切なことというのはありますか?」
C「そうだな,無理は,続かないよね。ただ,自分で納得できる無理を一定期間続ける ということは誰しもあるでしょう。… (けれども)納得できない無理を続けている と,そのうち 爆発しちゃって,パッとやめていなくなっちゃうよね。」
 アンケート結果からもそれが読み取れる。「活動をしていくうえでいちばん大切だと思うことは何ですか?」という質問に対しては次のような回答があった。

「自分の生活とボランティアを上手に両立していきたい」(28歳 女性)
「ふりまわされず自分の時間を持つこと」(31歳 女性)
「あくまで無理をせず長く続けること」(32歳 女性)
「無理をしない。しかし楽しんで行動する。そういったものは続けられる」(27歳 女性)
「その活動に対して自分が納得できるか否か」(34歳 男性)

 Cさんのインタビューやアンケートのどの回答からも,「無理をしない」ことを基調にし自分の時間や自分自身を大切にしようという姿勢が伺える。「仕事」を基盤にしている企業人だからこそ,「ボランティア」では無理をしない,ということなのだろう。

B「仕事がかなり忙しい時もあったけど,KIDSが理由で仕事を遅らせたらそれはバツなんだよね。それはそれなりにミーティング終わったあと,家に帰って朝まで仕事するとか。でも毎回毎回やってるわけじゃなくて,ポイントポイントでふんばる。」

 仕事とボランティア活動とのメリハリをうまくつけながら毎日の生活を過ごしている企
業人たちの姿がこの台詞からは読み取れる。だからこそボランティア活動でも,仕事でも
充実感を得ることができるのだろう。

−「活動資金なんかは… 」
D「基本的に手弁当です。… 相手の行政さんがその方がやりやすいという事情もあるようなので,いただくこともありますが,基本的には全部自費です。それからどこかが補助するというのは今のところありません。… 求めてもいないんですよ,こちらも収入ありますからね。趣味なんで,趣味にお金かけるのと同じですから。」
−「じゃあ特に(お金を)拒みもしないと。」
E「最初はびっくりして拒みましたよね」
D「そう,いらない,とんでもない,って言ったんですけども,向こうもそのほうがや りやすいという事情を聞くに及びまして,じゃあせっかくですからいただきましょう, ということで素直にいただくことにしています。」
−「それは交通費だけじゃなくって… 」
E「ええ,2000円,多いところで3000円。」
D「交通費に+αぐらいですね」
E「お金の管理が入ると逆に面倒だからないほうがいいです。」
D「…お金目的だと不純になっちゃうと思うんで。」

−「交通費なりで2000円,3000円もらえるとか,そういうのはあるんですか」
A「あ,それはないです。ボランティアはあくまで… ボランティア。」
企業人にとって,活動の対価としてのお金は,それほど重要ではないようだ。ケース・バイ・ケースで,相手の気持ちを考えながら,その時その時で,お金の問題を解決している。しかし,基本姿勢は「‘趣味だから’お金はもらうものではない」というものらしい。あとで出てくる主婦たちが,お金をもらうにしても,もらわないにしても大変に悩んでいるのと対照的で興味深い。
 Dさんの発言にもあるように,企業人には基本的な「収入」がある,ということが報酬にたいする論議につながらない一つの原因であろう。そして,お金には困らないからというだけでなく,「仕事」がまずあり,その上で,それと別の活動としてのボランティアが成り立っている。企業人にとって,「仕事」はボランティア活動の基盤である,と私は思う。これがなければボランティア活動はありえないかもしれない。

 3 企業人の求めるものは

 企業人はボランティア活動に何を求めているのだろうか。「人のための地道な慈善事業」というイメージとはかけ離れた,都会の情報社会のなかで文明の利器を駆使し,活き活きとボランティア活動に携わる企業人たちを追ってきた。彼らは,自分の意思で活動を行うなかで,企業では求めにくい多彩な人間関係,何かをやり遂げるという達成感などに魅かれて,そしてそれを求めて活動を行っている,というのが私の受けた印象だった。
 企業人のボランティア活動は社会参加の欲求に発している,という意見がある。「仕事ではなく他の部分に存在意義を見いだそうとしている,生きがいと仕事の分化だ」と(内藤[1994:70])。これはある部分では正しいかもしれない。人間関係が広がったり,自分の世界が広がったり,というメリットは確かに「社会参加」というボランティア活動の側面によってもたらされるものである。しかし,私が出会った企業人に限ってみれば,「仕事ではない部分での存在意義をボランティア活動の場に見いだそうとしている」というのはあてまらない。アンケート結果を見るかぎりでは,多くの人は,「仕事はおもしろい」,が別の意味で「ボランティアはおもしろい」という意見を持っているようだった。★01
 また,ボランティア活動を「生きがいだ」という人は少なく,「自分の余力に応じてやるもの」,「自然なこと」,「全体の生活の一部」といった意見が多かった。アンケートの自由回答欄にも次のような意見があった。

「自分にとっては自然な生活になっているので,客観的に順番をつけるのは難しい。ボランティア活動,市民団体といっても責任は伴うし,人間関係であり何も特別なものではないと思う。」(30歳 男性)

 「仕事」も「ボランティア活動」も自然に自分の生活のなかに組み込まれていて,何も特別なことはない,というのが企業人の集約された意見のようだ。
 企業人の最もベーシックなものである「仕事」,そして「ボランティア活動」それから「遊び」などのプライベートなものなど,これらすべてが合わされたものが自分だ,と企業人たちは言う。「バランスを上手くとりたい」という彼らの姿勢は彼らの生活,また人生そのものに対する理想なのかもしれない。
U 生活すべてがボランティア・・主婦のはなし

C「(「こんにちは」の週2回のケア活動の他に)趣味的なことは週に1回やってますし,あとは家のなかのこともやらなくちゃいけないんで,で,ここに週1回来てますでしょ。だから結構忙しいんですよ。」
H「皆さんボランティアやってるけど今の主婦っていうのはいろんなことやってるのね。
… みんなボランティアでなくってね,スケジュールをたてているもんだから,パートしている人もいれば,いろんな趣味持っている方も多くてね,いろいろなところに関わっている方が多いですね」

 「主婦はけっこう忙しい。」私にとっては意外な事実だった。主婦のボランティア活動というと,時間的にも経済的にも余裕のある人のやることだというイメージが私のなかにはあったからである。しかし主婦はパートにも出ているし,趣味的なことにも時間を費やしている。もちろん「家庭のことも忙しい」と言う。なぜそんなに「忙しい」主婦たちが自分の生活のなかにボランティア活動を組み込ませているのだろうか?
また「ボランティア活動をしている主婦は生きがいを求めている」というイメージもあった。これは多くの人が抱く共通のイメージではないかと思う。しかし調査を続けていくと,本当にそうなのだろうか,という疑問が生まれてきた。なぜなら,私が出会ったボランティア活動に関わる主婦たちは皆,楽しそうではあったが「これに賭けている」と言い切る人は少なく,むしろいろいろなことに携わり,その中の一つ,といった感じでボランティア活動に関わっている人が多かったからだ。これは新しい関わり方ではないかと思う。
「忙しく」なった最近の主婦たちが,どのようにボランティア活動と関わっているのか,その中で何を感じているのか。また「主婦であること」の意識と,どのように関係しているのか。パートに出る主婦,仕事を持っている(自称)主婦たちが「仕事」との関わりをどのように考えているのかを探ってみたいと思う。
 「サービス生産協同組合たすけあいワーカーズこんにちは」(以下「こんにちは」→第11章),「稲毛ホワイエ」(以下「ホワイエ」→第11章),外国人に日本語を教えるボランティア団体「C.I.V.C(千葉インターナショナル・ボランティア・サークル)」(以下「IVC」)の3団体にアンケート調査を行い,合計54の回答を得た。また10名の方にインタビューを行った。
 Aさん・Bさん・Cさん・Dさん:「こんにちは」で活動を行っている
Eさん・Fさん・Gさん・Hさん:「ホワイエ」で活動を行っている
Iさん・Jさん        :「IVC」で活動を行っている

 1 主婦の時間の使い方

ボランティア活動に参加している主婦は,実際どのように時間をやりくりしているのだろうか。具体的な数値をみてみると,表1のようになる(「こんにちは」,「IVC」のパートには自営業それぞれ1人を含む)。団体によって多少の差はあるが,活動を行う層としては50歳前後の子育ても終わりに近づいた女性たち,ということができる。そのうちの約半数が職を持っていて大半はパートタイマーである。パートタイマーの平均就労時間は週 2.6回,週合計9.85時間★02,活動に費やす時間は「ホワイエ」(ここの活動者は大半が週に1回以下というごく少ないペースで活動を行っているため,平均値をとらなかった)以外の2つの団体の平均では週1.83回,週合計5.93時間となった。
 この結果から,活動に携わっている主婦の一週間の動きを想定してみよう。平日の午前中は家事などをしているうちに終わってしまうだろう。また,平日の夜はもちろん,土曜日,日曜日は家族のために家にいなくてはならない★03。主婦が比較的自由に動けると思われる平日の午後に,パートに週3回行き,活動に週2回参加する主婦を想定してみる。パートと活動に毎回3時間ずつ参加しているとすると,週合計の時間数はそれぞれ9時間,6時間となり,だいたい平均に近い。この結果,平日つまり月曜日から金曜日までの午後は全て予定で埋まることになり,移動の時間なども含めるとかなり詰まったスケジュールとなる。これに加えて,買い物の時間や子供の学校関係や地域の集まりなどが入ってくると,時間をやり繰りするのはもっと大変になるだろう。主婦が「忙しい」と感じるのも理解できる。そのうえ趣味的な活動をこの中に組み込んでいる主婦もいる★04。おそらく家事をやり繰りするか,土曜日,日曜日のどこかの時間を使っているのだろう。
傍目にも忙しい主婦はいったい何を感じながら活動しているのだろう。何に喜びを感じ
て活動を続けているのだろうか。2ではそれを中心に見ていこう。

                   表1
こんにちは 稲毛ホワイエ IVC 平均 合計
回答数(男性)  22(0)  23(1) 10(0)   ・・ 55(1)
平均年齢  48.3   53.4 50.5 50.7 ・・
専業主婦:パート 10:10 15:6 4:4 ・・  29:20
パート週平均回数 2.8 2.3 2.7   2.6 ・・
パート週平均時間 10.3 12.0 7.25 9.85 ・・
週平均活動回数 1.86 ・・ 1.8 1.83 ・・
週平均活動時間 5.25  ・・ 6.6 5.93 ・・

 2 活動のなかで・・「人のため」?「自分のため」?それとも…

ボランティア活動は「慈善事業」,「世の中や人のためにする活動」というイメージが強かった。それに対して実際の活動を体験した人達は「満足感を得た」,「友人を得た」,「ものの考え方が深まった」など「自分のためになった」という感想を持つという(『月刊世論調査』1994-5)。主婦たちが何に魅力を感じながら活動を行っているのか。本当に「自分のため」になるという実感を持っているのか。アンケートの質問項目にT「現在の活動を続けている理由は何ですか?」,U「現在の活動をずっと続けていくつもりですか?それはなぜですか?」という2つを設けた★05。自由に回答してもらったために全員の回答が得られたわけではなく,回答数も充分ではないがその断片は知ることができるだろう。
 Uに対しては大半の人が「はい」と答えた(表2)。「はい」と答えた人の活動を「続けている理由」,「続けようとする理由」は,a:自分のため,b:人のため,c:やむを得ないの3つに分けることができた。この結果を以下に示す(表3)。

            表2 活動を続けるつもりか
こんにちは 稲毛 IVC 企業人
続けるつもり(はい:いいえ:わからない) 18:1:3 23:0:0 10:0:0 11:0:3

            表3 活動を続ける理由
自分のため 自分+人のため 楽しい 自己の向上のため 人のため やむをえない
こんにちはT 10 5 1 4 3 1
     U 7 5 0 2 1 1
ホワイエ(U) 13 2 2 9 0 1
IVC  T 8 0 3 5 0 0
     U 3 1 2 0 0 0
企業人  T 4 1 4 0 0 0
     U 5 0 1 4 1 0

全体として,これまでのアンケート結果と同じようにどの団体も「自分のため」という
理由が多かった。しかし書かれた内容を読んでいくと「自分のため」という中にはまた「自分のため+人のため」,「自分の楽しみのため」,「自分自身の向上のため」の3つに分けることができた。今回調査を行った「こんにちは」,「ホワイエ」,「IVC」の各団体は,子育ての終了した主婦層が中心であること,また前者の2つは福祉の領域であることが共通しているが,それぞれに異なった形態で,それぞれの活動を行っている。ここではその場所ごとの主婦の思いを,主にアンケートの結果から追ってみたいと思う。

I「いま,社会的な風潮で外国人に日本語を教える,ていうのは最先端をいくボランテ ィアのひとつだから…」
I「どっちかっていうとやっぱり国際交流のボランティアはかっこよくって,福祉のボ ランティアは…なんて言うか,ちょっと暗い,とかそういうイメージはありますよね」

日本語を教えるボランティアというのはイメージがよいようだ。実際,この団体は人手が足りない,ということはないという。外国語を操る技術や日本語を教授する「技術」が必要であること,また「国際的」で「知的」な感じがイメージを良くしているのだろうか。こういったいわば自他共に認めるボランティアの中の「華」的存在の「IVC」では活動を続けるのは「自分のため」といった回答が 100%を占めている。
 その中でもTに対する回答では「仲間と一緒に勉強ができ,外国人から彼らの文化も学びとることができる」(47歳),「楽しく,自分自身も勉強できるから」(56歳)など,Uに対する回答では「楽しさと充実感があるから」(56歳)などがあり,「自分の楽しみのため」に分類できるような回答が大半だった。また8個の回答のうちで「勉強」「知的興味」「自己の開発」などという言葉が5つ,「楽しい」という言葉も4つ使われている。
 「IVC」の回答からは「人の役に立つ」ことよりもむしろ「自分の満足」や「自分の楽しみ」が全面に押し出されている。そういった点では企業人のボランティア意識と似ているかもしれない。これらの結果からは外国人と触れ合い,彼らの文化に触れ,自分も外国語を勉強できる楽しみを見いだしている主婦たちの姿が浮かび上がってくる。彼女たちは確かに主婦であるが,この場所での活動に「主婦である自分」を持ち込む必要は全く無い。それゆえに,彼女たちは純粋に「楽しい」と言えるのかもしれない(ただ別の部分で「主婦であること」が持ち込まれることについては3にみる)。
 しかし,主婦のボランティアの大半は福祉分野で活動している★06。「IVC」のような企業人に近い団体は稀である。次にその福祉領域をみてみよう。
「こんにちは」ではTとUの合計回答数27のうち,トータルして17人が「自分のため」と答えている。その中身は「自分自身が豊かになるから」(46歳)という言葉に表される,「自分自身の向上のため」に分類されるものも見られたが,それ以上に多かった答えが「こんな私でも少しは人の役に立っている,という喜び」(57歳)や,「自分のためであり,また待っていてくれる人達がいて,喜んでいただき,役に立っている」(43歳)という「自分のため+人のため」に入るものであった。質問Uに対しても「自分を必要としてくれる人がいることを大切にしたい」(44歳)「人の為になっていることが自分の為になっているので」(50歳)「お互いに助け合っていきたいから」(53歳)というものがみられた。「こんにちは」ではこういった「自分のため+人のため」という回答が17人のうちの半数以上の11人を占めた。次のようなインタビューの回答にもそれが表れている。

(活動をして良かったことは?)
C「自分も自分の親を誰かにみてもらうだろうな,っていうのがあったのでいずれはそういうお年寄りの面倒をみてあげたいなっていうのがあったんですよね。だから今,自分の親なり,お年寄りの方がいて,助けてって言われたら「はいはい」ってすぐ行けるっていう感じはありますよね。前だったら,ちょっと躊躇しちゃうんですけど」
A「お互いのやってることが目に見えるって言うのかしら,自分の手の届く範囲にある, っていうのはすごく安心感がありますよね。助けてほしいときに助けてくれる人が身 近にいる,っていうのがいいんじゃないかな。」

 2人のインタビューからは他人が困っているときには自分が手を差し出し,逆のときには助けてもらう,という「互助」の姿勢が読み取れる。また,お互いに助け合う姿勢が見えるこの活動自体を高く評価し,満足しているようだ。
これに対して「ホワイエ」では「自分のため」と言った13人のうち11人が「自分自身の向上のため」,「自分の楽しみのため」に類する回答を寄せている。インタビューでもこんな言葉が聞かれた。

H「ここはボランティア組織としてつくるという目的ではないからね,ぼけ老人のデイ ・ケアルームをしましょ,っていうことでできたところだからボランティアっていう のは二次的に起こってきたっていうふうに思うんですよ。」
H「…ここは勉強する場だからやめたくない,となかなか来ない人でもやめないんです よ。それなりの楽しみがあって,他の人とやるのが勉強になる,っていうのか…があ ると思うんですよね。… ここで何を学ぶのかと言えばお年寄りの生活っていうのか ね,学んでやっぱり自分のものにしていこうという…」

 「ホワイエ」の基本姿勢は「学ぶ」ことらしい。活動者達の多くも,お年寄りとの交流から沢山のことを学び,「学ぶ」ことで自分を向上させるという喜びを見いだしている。回答には「いろんなことを教わるし,自分のペースで続けていけそうだから」(?歳),「楽しくやりがいがあるから」(43歳)「自分の生活のなかで,特別に人間とは何かを考えることができる大事な時間」(47歳)「自分を向上させるため」(?歳)などがあった。
同じ福祉という領域のなかで,同じように高齢者と関わっている主婦たちの,それぞれ
の場所での感じ方はまちまちである。「ホワイエ」では痴呆老人と触れ合うことが自分の勉強にもなり,それが楽しいと感じている主婦たちの姿が見える。また,「こんにちは」では,高齢者のいる家に訪問して,そこからいろいろ感じることを面白いと感じ,また自分が必要とされることに喜びを感じる主婦たちの姿が描ける。
 こうした違いは,それぞれの活動の形態の違いや,その場所に集まってくる主婦たちの
意識の違いなどから起こってくるものであろう。前にも述べたように「ホワイエ」には痴呆老人の生活,介護を学びたいという主婦が主に,また「こんにちは」では「地域でお互いに助け合おう」と考えていた主婦が主な担い手になっている。★07
 しかし,彼女たちの活動している領域や,形態の違いに関わらず共通した喜びや悩みも
インタビューのなかでは語られた。次の節ではそれを中心に見ていこう。

 3 「主婦だからこそ」

 「私は主婦だから」と,どの団体の主婦たちもよく口にした。領域や活動形態に関わら
ず共通して聞かれたのはこの言葉だけだった。
 主婦のボランティアの基盤は,企業人のそれが「仕事」であるように,「自分は主婦で
ある」という意識であるように思う。先の言葉はそれを端的に表している。
この言葉のなかには2つのニュアンスが含まれていると思われる。
まず「自分には技術(資格)がない」ということ。これはプロフェッショナルなものと
比較した場合の,自分たちを卑下する言葉として使われることが多い。「私たちはただの
主婦だから」と。しかしすぐに彼女たちは,これを逆手にとって,例えばある活動に対し
て「ただの主婦でもできる」と言ってしまう。そしてさらには「主婦だからこそできる」
と,ある種の優越感を持って言うこともある。ここでは「自分は家事(育児・介護)にか
けてはプロだ」,という強い意識が表れてくる。とくに「特別な技術を必要としない家事
援助」が求められる場面ではこういった言葉が語られることが多い。また「家族を自分が
(経済的にではなく)支えている」という意識も共に表れてくる。
 しかし「主婦」という言葉は不安定である。企業人のように「自分には仕事があるから」と言いきれるような基盤が何もない。それは主婦の「仕事」とされている家事の位置づけの曖昧さから来る。そしてそこに付随して発生する「経済的自立」という問題を突きつけられたとき,それはいっそう浮き彫りにされてくる。「主婦だから」と言う彼女たちは,活動のなかでなにを感じているのか。インタビューの中から抜き出してみよう。
 @ 満足
・「こういう活動をしていて,自分としてはどう思いますか。」
A「自分としては主婦業をやっていてとくに資格もなにもないわけでしょう。キャリア もないし。とするとね,ふつうに家事をやっていた自分が,その時間,自分の力を提 供できる場があるっていうのは,すごく,安心というか,嬉しいですよね。それでケ アを受ける側も喜んでもらえるっていうのかしら,そういう満足感ていうのはありま すよね。」 … 
・「やっぱり活動をしていくには,自分の得られるものというか,自分のためっていう のは大きいんですか。」
A「もう,ほとんど自分のためですね。… 」

「こんにちは」の活動は「一般的な家事(掃除・炊事・洗濯・買い物)」「簡単な介助」が中心である。「キャリアもなく資格もない」主婦たちは「主婦業」をしている普段の自分のままで,活動に参加することができる。そして主婦としての自分を認めてもらいながら人と交流ができ,また人にも喜んでもらえる。それが満足感につながっているのだろう。

E「私自身はボランティアを有償でやるっていうのがいまいちすっきり…落ちない…。」
−「有償ではできないっていうのはどういうことなんですか?」
E「縛られちゃうっていうのかな…。それよりも私は専門的な知識がないから,…つま り人間と人間としてのつきあいはできるけれども,お金をいただくっていうことはそ の道のエキスパートにならなくてはならないってことでしょう… 私たちは主婦で人 間対人間のおつきあいをしたい…親をみるような気持ちでみたいに…。」

Eさんは「ホワイエ」で活動をしている。内容も活動時間なども「こんにちは」とは異なるが「主婦業が生かせる」と活動者が感じている,という点は共通している。またDさんが「プロではなく主婦のまま,親をみるような気持ちでお年寄りとつき合いたい…」と言っているのが興味深い。

 A 誇り
F「さっき私たちはみんな素人でって言いましたけど,逆に言えばねプロで理論ばっかりでお年寄りを見るんじゃなくて私たちは,ハート,お友達というか,それでつきあうことにかけては,プロ以上に,内面的にはね,気持ちの結びつきは取っているような,その自負は皆さんあるんじゃないですか。」
G「それが乱れるとできないんですよ。人間関係…」
F「分かってもらえる,嬉しかった,昨日できなかったことが,あの方は今日できた, ってことがすごく話題になるんですよね。」
−「やっぱりそういうことがいちばん大切なんですか?」
G「やっぱりそういうことに喜びが感じられるから…」
F「一番嬉しいなって思うのは,元気でここで過ごして,迎えの人にバトン・タッチし て,嬉しそうに帰られて,そして自分が帰るときにああ,満足した,っていうそれが ボランティアのあれじゃないかな…。なんともいえない満足感っていうのかな,本当 に心の結びつきは取っているような気持ちはみなさんあるんじゃないですか。」

 FさんとGさんの言葉からは「自分はプロではない」と言いながらも先程引用したDさんの言葉にもあったが,「プロにはできないお年寄りとの心の触れ合いを自分たちは取っている」という誇りが見える。

A「会社とかそういうところではなくて,いわゆるお母さんたちが地域で活動してるって初めて知ってね,こういう人達も世の中を支えているんだな,っていうのを目にしたときにね,すごくいいなあと思ったんですよ。会社と家の往復だけしかみえてなかったんで,それがまず,きっかけですよね。」
−「… 純粋に自分たちの活動を楽しく,有意義に過ごせればいいと…」
A「それもあるし,社会的にきちんと参加していかないといけないっていうのはありますよね,市民として,収入を得てるわけではないけれど,自分が暮らしているこの地域のなかにきちんと責任を持って発言していきたい,その発言していける場をつくっていきたいっていうのはありすよね。」

Aさんのインタビューからはささやかではあるが,地域を支えている「お母さんたち=主婦」に対しての誇らしげな様子がうかがえる。収入を得ていない主婦だけれども,地域に暮らして地域のために活動し,そして自分たちの発言や活動が地域を支えているのだという自負がある。これも「主婦だからこそ」感じることだろう。
 最後にBさんの印象的な言葉を書いておこう。

B「やる気のある男性が入ってきても,お願いできる仕事がなかなかうまいのが見つか らないってのが現実なわけ。… そういった意味で主婦っていうのはね,子供を育て て,おむつも交換してるわ,ご飯も食べさしてる,赤ちゃんと年寄りの差だけど。そ ういった意味では経験って大きいのよ。家事も全部やって来てるわけ,掃除,洗濯…」

「自分たち主婦が家庭の家事の何もかもを引き受けている。男性にはできないことだ。」これこそが主婦の本音の部分かもしれない。

 B 不満・・経済的自立について
−「なぜ,経済的自立をしたいとお考えですか?」
J「(夫が亡くなった時には)経済的自立をしておかないとボランティアはできないで すよ。… 収入を得て生活をしなきゃならない,生きていかなきゃならない…」
I「…でももう一つあります。家庭の経済をおびやかさない,っていうこと。自分のや
 ってることはせめて自分の少し得るあれで…。」

 女性の自立が叫ばれはじめてから「主婦」たちの立場は悪くなってきた。「自分の生活費も稼がないで遊んでばかりいる」という,一部の(?)批判を彼女たちはかなり気にしているようである。ボランティアをやるにしても,「自分は夫の収入によって暮らしているのだ」という負い目が彼女たちへのインタビューの端々に表れている。これを解消するために,彼女たちはまた,いろいろの理由で,自分を納得させているかのようだ。

I「生きがいっていうとあんまり平凡で使いたくないのだけれど,たとえば仕事,パートとかなんとかやって収入を少し得ることよりも,よっぽど大きい喜びがあると私は思いながらやっています。」

J「(活動を)2年ぐらいやっていて友人たちから「いいかげんそんなことはやめなさいよ。人のためにして馬鹿馬鹿しいでしょ」って言われました。その度に腹をたてていたのですが,彼女たちはパートに行って少し稼いで,そのお金でお茶を飲んだりカラオケに行ったり…まあそれが人生をエンジョイすることだと思っている。けれども3年目からは「社会大学のようなもので自分も勉強になるし,楽しいからあなたたちも一緒にやったら?」と言うようになったら,自分自身気が楽になりましてね,それからは,これは自己開発のようなものなんだ,と思うようになり,どんどんのめり込んでいくようになりました。」

J「…長い間いろいろな分野で活動させていただいて,表面的にはとても充実した日々を送っているのですが,いつも心の隅に離れないひとつの問題があります。それは経済的自立のことです。… 私は夫が理解してくれて,夜も出ようと思えば出られる…ほんとにいつでも出られる状態にあるわけですれども。… いざというとき,主人が亡くなったとき,私は全てを失なうんですよね。収入がありませんから。そう思っています。このへんは結論は出ないんですけれども。長い間ずっと疑問に思っておりましたので。… 日本語の登録講師としてお金をいただいてもやっております。ただ,これはじゃあ自分が生活できていく金額かというとそうではないところにやはり経済的自立はなりたってはいないのではないかな,と思っています。」

・「こういう活動をしている人で,自立っていうのはよく聞くんですけど経済的自立は 目標にしていないと思うんですけど」
A「できていないからこういう活動に参加できると。そのへんはやっぱりすっきりして いないと。全員そこを突っ込まれたら…。」

B「この仕事はお金にはならないんです。お金は得ているけどきちんとした収入にはな らないの。… だから,自分の生活費として,きちんとした収入を得たいんだったら やれる仕事では,逆にないの。」

「結論は出ない」,「すっきりしない」などという言葉に表れているように,3人の話からはかなり「経済的自立」に苦悩している主婦像が浮かび上がってくる。
 自分たちの活動を「パートよりも価値がある」=収入を得るために働くことよりも価値がある,と自信を持って言い切っているように見えても,一方で一人で生きていくのには充分な収入を得ていないということが彼女たちには重くのしかかっている。逆にその重みをはね除けるためにパートを否定している,とさえ言えるかもしれない。
もちろん自分が収入を得なくても暮らしていける,ということは彼女たちの経済的な拠り所であるだけではなく,精神的な拠り所にもなっているはずだ。しかし,それが失われた時のことを考えた途端,自分たちの価値のある活動は足元から崩れていくことになる。
それに気づいてしまった主婦たちは,パートを否定したり,或いは「活動のために」自分で収入を得る道を模索しようと試みる。だが,その道はあまりにも「自分たちの活動」とは対極に位置している。そのため,否応なく「経済的自立」と「活動の自由さ」の間にはさまれた主婦は悩みつづけることになる。
AさんやBさんの話は象徴的である。「こんにちは」は有償ボランティアであり,収入を得ることを目的としているわけではないが,活動に対しては時給が支払われる。しかし「経済的自立」をしていない主婦だからこそ,こういった活動に参加できるのだと言う。有償,無償の問題については後でも触れるが,ここでも「すっきりしない」状態がある。

 4 「仕事」との境界線

 「『私は無職?』−主婦の迷い」という見出しで,無職と有職の境目の曖昧さを問いか
けた主婦たちの記事があった(『日本経済新聞』1992-12-9)。その中に,様々な形でボランティア活動にかかわる主婦たちの呟きが載せられていた。

「市が行う健康診断を受けに行って,つい無職の記事を丸で囲みながら,私は本当にそうなのかしらと一瞬迷いました」(生活協同組合の非常勤理事の女性)
「私ははっきり有職と書きます」(生活協同組合の非常勤理事の女性)
「パートで働いている人なら国勢調査に記入できるのにボランティアにはできないのが不満で不思議でもある」(社会教育施設で学習ボランティアをしている女性)

 他方,生活クラブ生活協同組合の理事長へのインタビューの記事の中には,「5年前から支払われることになった理事長報酬は月額7万円。金額はともかく,家族に「仕事だ」と言えるので意味は大きい」(『朝日新聞』1994-11-16千葉版) というくだりがあった。
このように,活動に関わる主婦たちの中には,生活に充分な収入ではないが報酬を得て「仕事だ」と言う人もいれば,報酬を得なくとも「仕事だ」と言う人もいる。しかし特に福祉領域の場合は,同じ活動が公的な「収入を得る」仕事として認められているものもある。それゆえに「仕事」と「ボランタリーなこと」との境界線は引きにくい。
 また主婦の中には自分は他のパートなどに出て「仕事」をしながら,ボランティア活動を続けている人もいる。また,現在は無職であっても,家庭に入るまえに「仕事」を持っていた人もかなりいる。彼女たちは自分の体験や現在の「仕事」と合わせて,自分たちの活動をどのように位置づけているだろうか。

・「最近,こういう活動ってふえてますよね。主婦とかが,会社のパートをあえてしな いで,こういう活動をしていく。… なんでだと思いますか。
A「なんででしょうね。自分でもやっぱり,正直言って,会社に勤めて収入は安定するけれども,毎朝行って,往復して,時間を提供して…っていう気力と体力がもうないってことですよね(笑)。… すごくおかしい話なんだけど,やっぱり夫が安定した収入を得て,家庭生活の収入基盤があるっていう,そういう状態によっかかってますよね。それがなきゃ,働かざるをえないって人がいっぱいいるわけだから…」
−「やっぱり,共働きでなきゃやっていけないって人もいますよね。」
A「だから,世の中の,仕組みのなかの,組み合わせのなかの一つって感じなんで … こういう活動に参加できる条件が整っているといえば整っているわけですよね。」
 …
−「Aさんはこの活動はずっと続けていきたいなって,思っていますか。」
A「あのね,続けていきたいなとは思いますけれど,来年の今頃やってるかどうかの自 信は全然ないです(笑)。」
−「何でですか。」
A「やっぱりね,どういうふうに状況が変わるかもしれないし,もう一度きちんと定収入を得たいってなるかもしれないし,ただ,もしそういう気持ちになったときにやる仕事っていったら,結局はこういう関係の仕事になるんじゃないのかな。」
−「パートとかっていうのは全然考えたことないですか。」
A「… そっちへ移ろうって気持ちはいまのところ全然ないです。」
−「… これは収入を得るっていうこととはまた別のことなんですか。
A「なんですよね。そのへんは私自身はまだぜんぜんきちんと答えられない,っていう のはありますよね。好きでやってるって言われれば当然そうだし,趣味って言われれ ばそうだし,仕事なのか遊びなのかって言われればきちんと答えられないし。」

(活動を続けていくつもりか)
B「(笑)それはつらいわね。あの,そうね,今のところはやるつもりでいます。ただ先のことは人生分からないから。元気でいるうちとか,家族の問題とかいろいろね。経済的な問題とか。あの…」
−「パートにでなきゃいけなくなったりとか?」
B「ええ,わかんないですよね,夫が倒れたりとか,子供が大学行ってお金がかかって,とてもじゃないけど養育費もとかさ… ちょっとパートに他に働きに行かなきゃとか,そういう場合もあるかもしれないし。私の個人的な都合で言えばね。
 … パートは,私はもう自分でただお金を稼ぐためにやってるの。週3日はそういう パートで使い,週3日は「こんにちは」で使い,分けてるんです。それ以外,これは不定期,お金がね,あの月1万だったり2万だったり,全然収入にあてにならないお金だから,きちんとこれくらいは自分で稼いでいたいという部分では週3日のパートで,働いて稼いでいます。(現在週3日 週合計9時間パートに行っている)
 … どっちがいいかとは言えないけれどね,仕事をしていくのもボランティアをして いくのも同じだけの価値があると思う。「お金ももらわずにボランティアして…」って言えないくらい,同じくらいの重みがあると思う。」

 Aさんは「こんにちは」での活動を「世の中の仕組みの,組み合わせの一つ」と表現している。経済的な収入基盤も安定していて,それに頼っているからこそ行える活動だと位置づけている。しかしこういった,基盤を他に頼っていることからくる不安定さは「どういうふうに状況が変わるかもしれないから」と活動を固定させない。そして「もう一度きちんとした収入を得たくなったとき」には「仕事」に戻る,と言わせてしまう。ここでAさんはいったん「仕事」と「活動」を分けている。
しかし「こんにちは」での活動も「趣味」的な要素もあることを認めていながら「仕事
なのか,遊びなのか,って言われればきちんと答えられない」と言い,「活動」を「仕事」と重ねてみる部分があることを示唆している。「私自身もきちんと答えられない」とAさんの言う言葉のとおり,「活動」の位置づけに悩む様子が窺える。
 Bさんも基盤の不安定さはAさんと同じだ。状況が変わればもっと「きちんとした収入
になる仕事」に就かなければいけない,と言う。しかし,現在もパートと「こんにちは」
の活動を同時に進行させているがパートは「収入」を得るためのもので「こんにちは」で
の活動とは「分けている」と言う。「仕事」と「活動」を切り離して考えている部分はA
さんとは対照的だ。
「仕事」と「報酬」は切り離されない問題である。特にAさんとBさんの場合には「こ
んにちは」の活動が「有償ボランティア」であり報酬を得ている,ということもあり,「仕事」との関係を考える機会が多いということもある。そうではなく「無償ボランティア」で活動をする場合には「仕事」と「ボランティア活動」は切り離して考えられており,同時に語られることは少ない。
 しかしその根本的な問題は同じであるように思われる。引用したBさんの言葉は「もし,仕事をしていたとしてもボランティア活動をしていたか」という質問があってはじめて語られた言葉のなかの一部だが,その奥には同じような悩みが存在する。Bさんは「ボランティア活動は報酬を得ない」ことを前提条件にしながら「仕事」も「ボランティア」も同じくらいの価値がある,と言う。しかしその言葉の裏には「報酬を得ない」ボランティア活動に対しての他からの批判が見え隠れする。それを打ち消して「ボランティアには価値がある」という,このBさんの言葉はしかしながら,AさんやJさんも持つ,自分自身の充分な収入を得ていないという不安感に裏打ちされたものではないだろうか。ここではその不安のもとになっている「報酬」という観念をあえて無視して「仕事」と「活動」を同一線上に置こうとしているかのようだ。
ボランティア活動には充分な収入がない,しかし,それでは「収入をきちんと得る仕事」へ移ろうという主婦がいるかといえばそうではない。「活動」と「収入を得る仕事」には明確な違いがあるようだ。

A「今思うと企業で働いていると,やっぱり働き方は覚えるんですよね。お金をもらう働き方っていうのはきちんと覚えます。だけどいったんやめて地域で活動している女性たちのグループをみちゃうとやっぱり楽です,こっちの方が。… やっぱり続けられるのは気楽だからですよね。自分で週何回とか決めて参加できるから。」

B「週2回くらい出てお金を貰って,でも9時から5時までばっちり拘束されて,ときには余分なことまで拘束されるのと,ボランティアとしてやるのと…。もちろん,責任はありますけれども,自由です。… いろいろ考えて結局ボランティアの方を選んでるんですね。仕事をするようになると,ボランティアだけの自由と別の責任が大いにあるんじゃないかって…。」

J「パートに出るっていうのは,時間束縛されちゃうし,かつその中で仕事での業績をうんとあげなきゃいけないっていうようなこと,他人から言われるっていう,そういうふうになるから,私ってあんまりそういうことは嫌なの。」

 3人のインタビューから分かるように,主婦は「束縛」されたり「自由に活動できない」ことを嫌い,そこへ足を踏み込まないようにしている。例えばAさんは,20代は「きちんと」企業で働いていたという。だからこそボランティア活動で働くことの「気楽さ」,自分で決めて参加できることの「自由さ」を実感している。企業で働くことを「きちんとした,お金を貰う働き方は覚える」と言いながらも,現在は生活の経済的基盤が安定し,それゆえにできるこの活動に関与してはまりこんでしまったようだ。
 「活動に対する報酬について,どのように考えていますか?」という質問に対する結果はつぎのようになった。(表4)

           表4 報酬に対する考え方
こんにちは  ホワイエ IVC 企業人
受け取るべきではない 0 3 1 2
実費くらいならよい 1 18 6 5
報酬を受けてもよい 13 1 2 1
受けるのが当然だ 7 0 0 0
その他・NA 1 1 1 6

 「ホワイエ」,「IVC」,企業人たちは報酬を実費くらいは受け取ってもよい,と考えている傾向にある。特に「ホワイエ」は前出したように交通費が実費で支給されているためこれを支持する率が多い。もとになっているのは「活動がスムーズに運ぶためには多少の額は必要になる」という考え方のようだ。
 他方,「こんにちは」では,22人中「報酬を受けてもよい」が13人,「報酬を受け取るのが当然だ」が7人と,ほとんどの人が報酬に対して肯定的である。「こんにちは」が有償ボランティアという形をとっていることをAさんは次のように語っている。

「…きちんとお金を払って,その代わりその時間を保証してもらうっていう,そういうのがあってもいいし,っていうことで。わりと受け手の方はね,お金を払うってことの方が気楽なんですよね。無償でやってもらうってことにお互いあまり慣れてないっていうか。最近はね,随分ボランティアも注目されてきているけど,お互いに責任を持つっていうことではお金が介在するっていうことは割といいんですね。」

 こういった「こんにちは」の活動理念を受けて,前の質問に「それはなぜですか」とい
う項目を続けてみると,その回答は「受け手の方と対等になれるから」という答えが多か
ったのであるが,しかしそれと平行して以下のような回答もみられた。

「対等な関係になれる 時間が余っているからやっているのではないので」(51歳)
「自分も仕事としてとらえているから」(55歳)
「家事援助はサービスだから,契約に基づいた対価でそのサービスを評価してほしい」
(39歳)
「余暇の利用というだけではボランティアは続けられない」(44歳)
「時間をさいている以上パートと同じ立場」(44歳)
「責任のある大変な仕事だから」(46歳)
「一種の労働だから」(50歳)
「私は裕福ではないので,報酬がなければこのような活動はできない。」(42歳)

 「こんにちは」は前にも述べたように「仕事」と「活動」を重ねて見やすい場所である。とくにこの質問に対する回答ははっきりと「パートと同じ」や「仕事だから」など,活動を仕事だとみなす意見が書かれてあった。報酬についてDさんは次のように語っている。

D「私たちは比較的安売りはしたくないって思っているタイプなんです。ケア代はきちんとした評価でなるたけきちんといただきたいと思っています。ただ,もし自分がケアを受ける時に普通の感覚で払える金額ではおこうかなとは思ってるんです。安くしてあげれば喜ばれるのは分かってるんだけど,やっぱり,世間並み,パートの賃金程度はやろうというのはあります。だから,自分たちの仕事の内容をそう低くは評価していないってことなんです。」

 「パートと同じ」という言葉には,Dさんの言うような「パート並みの賃金は保証される」労働,という意味が含まれているだろう。また「仕事」という言葉にももう少し違ったニュアンスが含まれているものと思われる。
 しかし,「ホワイエ」のEさんはこれとは全く違う意見だった。

E「ここは有償に抵抗があるから来てるんですよ。でもそんなことただでやってるのって声が一方であって,パートとか何とかに行くし,まったく分かれると思うの。私なんかは有償だったらやれないと思っているの。そういう人がここには集まってくる。」

こういった意見は「ホワイエ」ではよく聞かれた。「仕事=収入」とボランティアをはっきりと区別しているところと,「仕事」,「有償ボランティア」にしているところ。そして報酬の問題。どう考えたらよいのか。答を出すのは難しい。なぜなら,女性の労働,介護といった奥の深い問題にまで発展してしまうからだ。ここではこのあたりの境界線が曖昧で,「仕事」の定義に苦しむ女性たちがみられたことだけ記しておくことにする
 5 まとめにかえて

主に福祉分野で活動する主婦たちを追ってきた。彼女たちはそれぞれの場所で,それぞれの場所なりの喜びや悩みを抱えながら活動している。もちろん,Tに見たような企業人が感じるボランティア活動の魅力を主婦は感じていない,というわけではない。本論ではあまり触れなかったが,「人間関係がおもしろい」という話はどこでも聞かれたし,自由にやれることの気楽さも,やっていることの満足感も,彼女たちは感じている。ただ,印象深い言葉として記憶に残っているのが「主婦は生活全部がボランティアなのよね」という言葉だ。つまり,生活の大半を会社のなかで,ある程度の拘束をもって過ごしている企業人に比べると,主婦の生活は全てが「自由意思」のもとにあり,それゆえに放棄することも,もっと積極的に関わろうとすることも可能である,というのである。
 こうした生活のなかで,彼女たちにとってのボランティア活動は,企業人たちのようにそれ自体を楽しむ,というよりも,その活動の性格上,悩み深いものになりやすい傾向がみられた。老人介護に関わる主婦たちは「明るい仕事じゃないじゃない。わりとつまってる人達に介助に行くから,こちらもやっぱりつまったものを引き受けてあげるから,苦しくなってくるね,気持ちが」「そう,どっかで息抜きしなきゃとても,月曜から金曜までのケアなんてやらないよねぇ,やれないよねぇ」という言葉も吐き出している。
主婦たちの悩みはそれだけではない。「経済的自立」は彼女たちにとって,大きな問題
であるらしい。「経済的自立を果たしていないが故にできる」活動だからこそ,またその
悩みは深くなる。これに関連して「仕事」との関係をどう位置づけるか,また報酬,「お
金」に関してどう考えるかということも彼女たちの悩みの種になる。
 彼女たちの悩みは多い。しかも,問題の根本も深い。これについては本論ではあまり触れずに来た。主婦たちのパワフルな姿や声をそのまま書いているだけで長いものになってしまった。そして本論では「悩み」を前面に押し出してしまったが,実際,会って話を聞いていると,彼女たちは非常に前向きで,明るい。一人で話していてもそうだが,側にいる仲間を引き込んで話し始めると,彼女たちはなお強い。「そうでしょ」「そうなのよね」「でもね」「だからさ」…と,話は延々と続いていく。
 「私たちが20代の頃には全然興味がなかったと思うから,年齢とか生活環境がそうさせるのかな,と思う,若い人に入ってほしいとは思うけれども,たぶん,その年代年代で興味のあることってそれぞれ違うと思うから…。でも大学生から見たら不思議ですよね,おばさんたちが何しているのか…」とこんなことを言っていた人もいた。
 確かに非常に不思議ではあったけれども,なんとなく「おばさん」たちの気持ちも,少しは分かった気がしている。



★01 ただ,今回の調査の対象とした団体の参加者の多くは,名の知れた企業の社員である。以上が,能力的にも,社会的地位にも恵まれた人を対象にした,僅かなアンケートから見出される結果であるということは忘れてはならないのだが。
★02 これは全国平均よりは低い数値である。1989年の雇用職業総合研究所の調査によれば職種によりばらつきがあるが1日8〜9時間働いている人も多い(井上[1992:128])。★03 「私は全く家族中心なんです。土曜日,日曜日は夫が家にいてくれ,というのでそうしています」(Jさん)
★04 冒頭のインタビューからもわかるが,『朝日新聞』95-3-18 「主婦だって忙しい」によると主婦の75%がサークルや習い事をしているという。
★05 アンケートは2回に渡って作成したため,1回目のアンケートにはTの質問項目が含まれていない。1回目のアンケートを「ホワイエ」と「こんにちは」の一部,企業人の一部に行い,2回目のアンケートを「こんにちは」,企業人の一部に行った。
★06 「(主婦の)ボランティアの多くが「看病」「介護」「世話」「手伝い」など女性の性役割の延長上に位置付く内容であり…」(井上[1992:182])
★07 同じ福祉分野のボランティアでも,こうした違いがでてくるのはなぜであろうか。
「こんにちは」のアンケート結果はこの団体の活動理念でもある「相互扶助」という考え方にそのままあてはまるものであった。「困ったときはお互いさま」という考え方のもとに活動をし,その中でそうした活動ができることに満足している。
 この「在宅ケアサービス」の領域に特にみられるのは「自分を必要としてくれる人がいることを大切にしたい」という意見に代表されるような「自分という存在」が他者に与える影響の大きさを実感しているものだろう。福祉はボランティア活動のなかでも一番急を要する場所であり,気長に待っているというわけにはいかない。「助けてくれる誰かの確かな存在」は非常に大きなものである。週に平均2日訪れる活動者の,利用者にとっての役割は多大なものになり,依存性はますます強くなっていくと思われる。
 では「ホワイエ」ではどうなのだろう。まず特徴としてのボランティア達の活動時間が少ないことが挙げられる。また,デイ・ケア施設であるために,ボランティアとケアを受ける側がある一定の場所に集まる形になっている。そのため,「こんにちは」のように一対一で向き合うことによる「自分が行かなくては」という強烈な思いや圧力は少ないといってよいだろう。そのため素直に「自分のため」「勉強のため」と言えるのかもしれない。
ボランティアに対する依存性が高いということは危険性と背中合わせでもある。「こんにちは」では「自分が必要であること」+「やむを得ない」事情で活動を続けている,と答えた人達も少数ながらいた。またTの質問に「わからない」と答え,「ストレスが大きすぎて,自分自身が危うい」と書いた人もいた。他の質問項目で「責任が重い」,「今の時点ではやりがいがあるが,なかなかむずかしいことも多い」という回答も見られた。
 利用者からの依存度が高まるにつれ「自分が必要である」というプレッシャーも強くなる。それが「人のため」という活動の動機そのものを越えたとき,活動は停止してしまう。これは福祉サービス全体の問題だと言える。「無理をするボランティア活動は続かない」と,どの活動をする人も口を揃える。無理をしないためには人手が必要である。この人手が福祉のボランティアには足りない,といわれている。「こんにちは」も例外ではないし,「ホワイエ」でもそれは起こり得ることである。「人に必要とされる喜び」が「重荷」に変わる日が来ないとは言えない。福祉領域で活動している多くは女性であること,また問題の根本をさぐればこういった家事援助,介護がほとんど女性のものであると,家庭でも社会でも認識されていることとも無関係ではない。ここではこの問題には言及しないが,悩み深い主婦たちの一因がここにもある,ということだけを指摘しておこう。


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REV: 20151222
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