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「出生前診断が「スクリーニング」の時代を迎えて」

玉井 真理子 1996**** 1995年度「ヒトゲノム研究と社会との接点」研究会報告書

last update:20130717

信州大学医療技術短期大学部 玉井真理子

1995年度「ヒトゲノム研究と社会との接点」研究会報告書


■出生前診断をめぐる「ふたつの現在」

 児の出生前に、その児、すなわち胎児がある特定の疾患を有しているか否か、あるいはその可能性がどの程度高いかなどを診断する「出生前診断」は、広義には、超音波画像診断を含み、狭義には、羊水中に浮遊している胎児由来の細胞を採取して調べる羊水検査、絨毛(じゅうもう)と呼ばれる胎盤の組織の一部を採って調べる絨毛検査、さらには、胎児臍帯血採取法、胎児皮膚生検法など、いわゆる侵襲を伴う手法を指すものとされている。いずれにしても、すなわち母体への侵襲を伴うか否か、その程度はいかなるものかにかかわらず、「出生前診断」は、用語としては「胎児診断」と同義のものとして使用される場合がこれまでは多かった。
 しかし、現在はすでに、体外受精させた受精卵の遺伝子を子宮内に戻す前に調べるいわゆる着床前診断の臨床応用が学会レベルで検討されている段階である。これは、「出生前診断」ではあるが「胎児診断」とは言えないであろう。この「出生前診断」ではあるが「胎児診断」とは言えない局面を迎えているのが、本邦における当該の問題をめぐる「ひとつの現在」であろう。
 「もうひとつの現在」がある。それが、次の項以下で述べるような「母体血によるスクリーニング(maternal serum screening)」として、最近注目されるようになってきたものである。
 これら「ふたつの現在」のうち、前者については、検査に伴う受精卵への侵襲や受精卵の廃棄など、これまで取り上げられなかった新しい問題が含まれているため、当該の大学医学部の倫理委員会のみならず学会レベルでもその臨床応用が検討され(新聞報道によれば日本産婦人科学会は一度は「容認の方向」、現在は「未検討」)、市民団体等の動きも起きている。だが、後者については、当該の大学医学部の倫理委員会レベルはともかく、全体的状況として、前者の問題に対する社会的反応に匹敵するような動きは、寡聞にして未だ見いだすことはできない。
 本稿では、主に後者を取り上げる。それは、前者が体外受精を前提としているためにおのずと受検者が限定されるであろうと推測されるのに対し、後者は後述するようないくつかの理由によって、今後の急速な普及・定着が予測されるからである。

■母体血によるスクリーニングとは?

 母体血、すなわち母体(妊婦)の血液を用いたスクリーニングとは、母体の血液中の蛋白質やホルモンなどの指標を用い、血液中のこれらの値が、通常より多いか少ないかで、胎児の異常を予測するというものである。現段階では3つの指標(AFP,uE3,free- hCG)を用い る場合が多いため、トリプルマーカーテスト、あるいはトリプルマーカースクリーニングと呼ばれることもある。また、精度(sensitivity)・特定度(specificity)を高めるために指標を4つ(AFP,uE3,free-αhCG,free-βhCG)用いる手法が採られる場合もあり、これは 一般に、quardruple testと呼ばれることが多い。これによって、多くのいわゆる先天異常 のごく一部、ダウン症などの染色体異常や二分脊椎などの神経管奇形の有無の可能性を、胎児の段階である程度知ることができる。しかし、あくまでも可能性、リスクの値として、もう少し正確に記述するならリスクのオッズ比として、算出・提示されるものであり、このなかには偽陽性(false-positive)・偽陰性(false-negative)が含まれている。これは、しばしば誤解を招く点でもあり、実際のところ多少きめ細かな説明が必要とされる点でもあるが、このリスクの値によって、あらためて羊水検査を受けるかどうかを決める(したがって、リスクの値は高いがあえて羊水検査を受けないという選択もあり得る)というものである。従来の羊水検査・じゅう毛検査や胎児の血液や皮膚を採取して調べるより直接的な検査とは、そもそも検査の成り立ちの性質を異にするがゆえに、「スクリーニング」と言われるのであるが、この「スクリーニング」ということの意味が適切に理解される土壌があるかどうかかについては、若干の疑問を持たざるをえないであろう。

■本邦の母体血によるスクリーニングの動向

 本邦においても、1994年から商業ベースの臨床検査として、母体血によるスクリーニングが行なわれるようになり、1996年3月までの延べ検体数は、約10,000件であるとの報告がある。また、こうした商業ベース(精度管理が一定の基準で行なわれ、なおかつ、その結果が公表されている)のもの以外に、研究ベースとして全国の医療機関等で集められているであろう検体の数は、これと同数かそれ以上と推測されている。
 母体血によるスクリーニングを受けようとする場合、とりあえず必要なのは、通常腕からの採血だけである。つまり、検査を受けるクライアント側からすれば、「献血」や「貧血の検査」との比較対照として理解されるのと同じ程度の侵襲しか伴わず、検査の施行それ自体は、比較的「手軽」である。
 しかも、これまで侵襲を伴う検査として主流であった羊水検査などは、日本産婦人科学会の適応基準「先天異常の胎児診断、とくに妊娠初期のじゅう毛検査に関する見解(1988年1月)」にならい、原則として表1中に示すような適応範囲に含まれるクライアントのみがその対象となっているが、このスクリーニングにはそうした基準はない。むしろ、スクリーニングによって、リスクが高いとされた妊婦は、この適応基準に従えば、最後の項として掲げられている「その他重篤な胎児異常が予測される場合」にあてはまり、羊水検査の適応範囲に含まれることになる。時間的順序から言えば当然スクリーニングのほうが先であるにもかかわらず、そのことがこの適応基準ではまったく考慮されてはいない。
 この基準が作成された時代を考えれば無理からぬことであろうが、それは「その他重篤な胎児異常が予測される場合」を母体血によるスクリーニングによって特定(detect)することの是非についての議論を現段階で不必要とする根拠にならない。この母体血によるスクリーニングは、結果がもたらす意味を考えれば、「だれもやっていいとは言っていないが、だれもやっていけないとも言っていない。やってほしいという人がいて、それを可能にする技術があり、それを提供できる人がいる」というだけで、何らの社会的議論も経ずして、普及・定着させてしまってよいものではないであろう。本邦でもすでに特定の医療機関においてではあるが実施されているこのスクリーニングそれ自体をとりたてて「否」とする根拠は見当らず、したがって、結果的・追随的にであれ、将来を見通して積極的にであれ、それを「是」とするなら、それによって当然起こると予測される問題について対策が講じられなければならないであろう。

■母体血によるスクリーニングによって、クライアントが得るもの・失うもの

 さて、ここでは、前項で述べたような母体血によるスクリーニングの「手軽」さによって、果たして、クライアントは何を得、そしてまた、その一方で、何を失うのだろうか?という問いをたててみたい。
 何を得るのか?現在の適応基準では、高齢妊娠とは言えず、しかも先天異常児出産の既往もなく、遺伝病の保因者でもないクライアントは、侵襲を伴う出生前診断については「適応外」である。そのようなクライアント(妊婦やカップル)が、先天異常児の出生を可能な限りの方法で回避したいと考えている場合、彼らにとっての選択肢は結果的に狭められていることになる。もちろん全面的に回避できるわけではなく、実際には先天異常児の親になる可能性を「ある程度」減らすことができるにすぎないのだが、この「程度」というものをどうとらえるかはまったくの個人的価値観に基づく判断である。したがって、こうした希望を持つクライアントに選択肢とそれによる自己決定のひとつの機会を、より侵襲の少ないスクリーニングという形で提供することにはなろう。
 何を失うのか?先にも述べたが、母体血によるスクリーニングを受けようとする場合にとりあえず必要なのは、通常腕からの採血だけである。このことは、スクリーニングと呼ばれる検査の意味(検査によってわかること・わからないこと、わかることの確実/不確実性)および検査に伴うリスク、別な選択の有無、検査の結果の陽性/陰性の意味など、プリテストカウンセリング(スクリーニングを受ける前にその結果にしたがって先々どのような選択を迫られることになるのか見通した上での第一段階のカウンセリング)に当然含まれなければならない内容が達成されない事態を予測させる。多くの医療機関の診察室で定番になっている感があると言ってしまうと言葉が過ぎるかもしれないが、「一応、血を採っていろいろ調べておきましょうか、念のためにね」という程度のインフォームドコンセントで済む可能性もある。一連の出生前診断がこういった「手軽」な検査でスタートさせることもできるようになる事態は、その「手軽さ」ゆえに検査自体は普及するであろうが、インフォームドコンセントやカウンセリングは「手軽さ」ゆえにむしろ軽視される危険をはらんでいる。
 そしてさらに、多くの場合先天異常のリスクは高くなく(ただし、初回陽性率は比較的高く、この中には偽陽性が含まれている)、したがって、羊水検査を受けるかどうか、受けた結果異常が見つかったらどうするかなどは考えずに済むことが、一方ではスクリーニングの普及・定着を促進し、また一方では、インフォームドコンセントやカウンセリングが軽視されることに拍車をかけるのではないだろうか。技術がどんなに「手軽」にそして低コストになっても、クライアントがその「手軽」さを享受できても、国民全体が医療費の負担増を免れても、その先に待っているかもしれない選択の重みは同じであり、同じでなければならない。そのことに思いを馳せるとき、検査の「手軽」さによってもたらされ得るもの、それは、選択の重みそのものの軽視とは言えないだろうか?

■家族が「自己決定」できる条件

 適切な情報を提供して、あとは家族の「自己決定」というのは一見理にかなっているようではあるが、家族の「自己決定」を支えるためには、少なくとも適切かつ十分な情報そのものと、そしてさらには、不確定な情報(たとえばダウン症の精神遅滞の程度など)を共有しつつ、多くの場合行きつ戻りつする家族の不安定な心理状態に伴走者としての共感を示すことができるだけの時間的・人的設定が必要である。
 家族の「自己決定」を支える条件が貧困だとすれば、そうした現状の中で、最初に受けなければならない検査の単なる「手軽」さだけでスクリーニングが普及する、あるいはそれによって定着が加速される状況は、そうしたスクリーニングを積極的に希望するクライアントにとっても決して好ましいものとは思えない。何がバランスのとれた「適切」な情報なのかの判断はもちろん難しいが、およそ「障害」や「病気」というものに対するマイナスイメージ・ネガティブバイアスが先行する状況のなか、出生前診断は適応基準に当てはまる人であればむしろ受けて当たり前、あえて受けないことを選択すれば奇異の眼差しが向けられ、ときには非難までされることも考えられる。出生前診断を受けるかどうかの選択の段階で、もし障害をもった子どもが生まれたらその子どもや家族はどんなサポートが受けられるのかというところまで見通したカウンセリングは、果たして国内にどの程度行なわれているのだろうか。当事者である障害者団体との連携のもとにこうしたカウンセリングを行なっている例としては、日本ダウン症協会が特定の医療機関との連携のもとで非公式に行なっている相談活動があるが、実績は報告されておらず、今後の課題を検討するうえでも相談実績の公表が期待される。
 何が「適切」な情報なのかに関しては、Elkinsら(1993)が、論文「Ethical Concerns and Future Directions in Maternal Screening for Down Syndrome」のなかで、興味深い指摘をしている。彼らは、ダウン症が母体血によるスクリーニングの主たる対象になっていることに対して、これを「致死的ではない独立した疾患に対して広く取り組まれたはじめてのスクリーニング」であるとし、家族だけでなく、すでに社会の一員として生活しているダウン症の本人にとって、このスクリーニングがどのような意味を持つものなのか考えなければならないと述べている。
 彼らはまた、非指示的カウンセリングが原則であるにもかかわらず、ある医療機関では胎児の異常がわかるとクライアントのほとんどが中絶を選ぶのに対して、ある医療機関では半数しか中絶を選んでいないという対照的な報告も紹介している。さらに、今日におけるダウン症ですら、それに関する否定的な評価(negative bias)が専門家の間でもどちらかというと 前面に出ているとしか言えないような現在、 正確な今日的知情報を、彼らの存在を積極的に評価するような形でクライアントに提供しない限り、全体としてはバランスがとれないのではないかという考えのもとに、表2に示すようなダウン症についての説明を文書としてスクリーニングを受けようとする女性全員に配布することを、急務の課題として提言している。

■まとめ

 以上のように、本邦においては、出生前診断が新たな局面を迎えている。母体血によるスクリーニングも含めて、一連の検査のそれぞれの段階において、クライアントが「自己決定」できる仕組みをつくっていかなければならいであろう。具体的にはいわゆる遺伝カウンセリングを行なう窓口の増設と公平なaccessibilityの保障、専任カウンセラーの育成と適正配置、そして患者・障害者団体との有機的連携が急務の課題である。

参考文献:

1)出生前診断をめぐって、医学のあゆみ別冊、武谷雄二編、医歯薬出版、1995.
2)Elkins,T.E.,Brown,D.(1995)Ethical Concerns and Future Directions in Maternal Screening for Down Syndrome.Womwn's Health Issue,5(1),15-20.

表1:

先天異常の胎児診断とくに妊娠初期絨毛検査に関する見解(1988年1月)

 妊娠前半期に行われる先天異常の胎児診断には、羊水検査、絨毛検査、胎児鏡、胎児採血、超音波診断などの方法が応用されているが、これらの胎児診断は倫理的にも多くの問題を包含していることに留意し、以下の点に注意して実施する必要がある。

1.胎児が患児である可能性(危険率)、検査法の診断限界、副作用などについて検査前によく説明し、充分なカウンセリングを行うこと
2.検査の実施は、充分な基礎的研修を行い、安全かつ確実な技術を習得した産婦人科医、あるいはその指導のもとに行われること
3.伴性(X連鎖)劣性遺伝性疾患のために検査が行われる場合を除き、胎児の性別を両親に告知してはならないなお先天異常に対する個人め捉え方は様々であるので、検査の実施、その後の処置については充分に慎重でなければならない
 妊娠初期絨毛検査法については、以下の点に留意して実施する
1.妊娠初期絨毛検査法は、下記のような夫婦からの希望があり、検査の意義について充分な理解が得られた場合に行う
a.夫婦のいずれかが染色体異常の保因者
b.染色体異常児を分娩した既往を有するもの
c.高齢妊娠
d.重篤な伴性(X事鎖)劣性遺伝性疾患の保因者
e.重篤で胎児診断が可能な先天性代謝異常症の保因者
f.重篤でDNA診断が可能な遺伝性疾患の保因者
g.その他重篤な胎児異常の恐れがある場合
2.検査前に羊水検査との比較についても充分説明すること 3.検査の実施は多数例による基礎的研修の結果、安全かつ確実な絨毛採取法を習得した産婦人科医によってなされること.さらに羊水検査を実施している医師によってなされること.また、夫婦に対する検査結果の告知は、遺伝学や先天異常学の知識が豊富な産婦人科医によってなされること
4.絨毛細胞の培養が必要となることがあるので、細胞培養に関し、高度の技術を有するものが充分な設備を有する施設で行うこと

表2:

妊婦に提供されるダウン症についての説明文書(Elkinsら,1995より)

○ダウン症者は、重篤な心疾患などによって乳幼児期に亡くならない限り(そのようなことが起きる可能性は2%以下である)、55歳くらいまでは生きる(life expectancy)。
○ダウン症者の平均知能指数(IQ)は、およそ60から70であろう。ほとんどが、中・軽度の遅滞である。重度・最重度は、5%以下である。ダウン症者において通常観察される程度の知能指数の場合、極めて一般的なこととして判断力(dicisional capacity)を有している。ダウン症者の知能指数のスコアは、今世紀に入って、徐々に上がり続けている。Pueschelらは、1975年の時点でもほとんどが中・軽度の遅れであり、重度は5%以下(100人中)であることを報告している。また、35人中20人が中・軽度、4人が正常範囲であることを示す別の研究もある。
○公的な学校教育システムのなかの特殊教育のコースにいるダウン症者に関して言えば、読字能力は、小学校3年生レベルを平均として幼稚園レベルから12学年(高校3年)にまでまたがっている。11歳あるいは13歳までフォローできた15人のうち、読字能力(reading comprehension)においては15人中11人が小学校2年生程度、読字認識(reading recognition)においては15人中9人が小学校3年生程度だったという報告がある。
○75%から90%のダウン症者は、成人後、後就労支援プログラムによって職に就いている。
○多くのダウン症者は、独立して生活するか、あるいはグループホームで暮らすことができるだけの能力を有している。
○非常に多くの家族が、ダウン症の子どもを養子に迎えるための登録名簿に名前を連ねている。
○ダウン症者は、一般に、家族に対してネガティブな影響(negative impact)よりもむしろポジティブな影響をもたらしている。

以上

ご意見は、mtamai@gipac.shinshu-u.ac.jpまで



*更新:小川 浩史
REV: 20091016, 20130717
玉井 真理子  ◇ダウン症 Down's Syndrome全文掲載 
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