HOME > 全文掲載 >

「遺伝情報のプライバシー」

−特に遺伝的雇用差別の問題について−

蔵田伸雄
(日本生命倫理学会『生命倫理』vol.6No.1 通巻第7号 1996 pp.35-39)

Tweet
last update: 20151221


キーワード:積極的プライバシー権/遺伝情報/DNA診断/遺伝子スクリーニング/ 雇用差別

1.DNA診断と雇用差別

 近い将来DNA診断技術を用いることによって、狭義の「遺伝病」のみならず、糖尿病や癌等様々な「遺伝的素因に関係のある疾病」についても、人がその疾病の「原因遺伝子」を持っているかどうかを調べることができるようになるだろう。そしてDNA診断技術を用いることによって、「ある種の癌にかかりやすい」「ある年齢までに心臓発作を起こす確率が高い」といったように、ある人が種々の疾患に対してどの程度の「危険性」を持っているかがわかるようになるだろう。このようにDNA診断技術を用いることによって、種々の疾患の早期発見と早期治療や種々の疾患に対する予防が可能になるだろう。そのため今後DNA診断は予防医学の中で重要な位置を占めるようになると思われる。またDNA診断によって得られる遺伝情報は、出産、結婚、就職等に関する将来設計を行うためにも有益な情報となる。
 DNA診断にはこのようなメリットがある一方で、DNA診断技術の開発と普及につれて、DNA診断が入社時等に「選別」のための手段として用いられる可能性もある。例えば、ある人が将来癌などを発症する可能性が平均よりも高いということがDNA診断の結果明らかになり、そのためにその人は採用を拒否されるという事態が生じるかもしれない。また、遺伝情報に基づいて生命保険の契約等を拒否されるといった事態が生じる可能性もある(アメリカでは既に遺伝情報に基づく保険差別が問題になっている)3)5)6)。そして癌、高血圧、心筋梗塞、脳卒中、糖尿病等、遺伝的素因に関係のある疾病を将来発病する可能性が高いということがわかると、雇用や保険契約のみならず、ローンの契約等に関しても不利な立場に立たされることになるかもしれない。癌等の疾病は、複数の遺伝子や環境との間の複雑な相互作用によって発症するのだが、その際の環境因子の働きが軽視され、「原因遺伝子を持っていること」は必ずしも「確実に発病すること」を意味しないということが忘却されて、不当な差別を生むことになる可能性がある。
 さらに劣性遺伝病遺伝子の保因者であるといった情報は、遺伝病に関する知識不足や偏見のために不当な差別を生むことになりかねない。ある人が何らかの「遺伝病」の原因遺伝子を持っていることが知られると、その人には「遺伝病」という烙印(stigma)が押され、その人は雇用等のみならず日常の人間関係や結婚等に関しても不当な差別を受けることになる可能性がある。
 よってある人がある「遺伝病」の遺伝子の保因者だという情報であれ、またある人が何らかの成人病になる可能性が高いといった情報であれ、何らかの遺伝情報に基づく不当な差別から職業選択の自由等の個人の基本的な権利を守る必要がある。そのためにはプライバシー権、つまり「自分に関する情報を隠せる権利」に基づく守秘義務を医療従事者等に徹底する必要があるだろう。
 DNA診断によって得られた遺伝情報に基づく雇用差別については、日本ではまだあまり問題にされていない。しかしすでに日本でも、HIVウィルスに感染しているという医療情報に基づく解雇の当否について裁判で争われたことがあり、近い将来遺伝情報に基づく解雇や採用拒否に関する係争が生じるだろうと考えることは杞憂とは言えないだろう。
 またDNA診断に関して予想される問題点は他にもいくつかある。例えばDNA診断が入社の際などに「スクリーニング(選別を目的とした集団検診)」の形で行われる場合には、DNA診断の実施に関するインフォームド・コンセントや、被験者本人に対するテスト結果の開示が怠られる可能性がある。従ってDNA診断の実施に関するインフォームド・コンセントやテスト結果の本人への開示を医療従事者に義務づける必要がある。また自分の遺伝情報を「知る権利」や、自分の遺伝情報を「知らないでいる権利」、自分の遺伝情報を「誰に伝え、誰に伝えないのかを自分で決定する権利」等を法的に保護する必要もある。本稿では、遺伝情報に関して生じることが予想されるいくつかの倫理問題について確認した上で、「積極的」プライバシー権として理解されたプライバシー権を、遺伝病に関する種々の権利の基礎として理解するというアプローチについて検討してみたい。
 なお「遺伝情報に関する倫理問題」というテーマでは、胎児や新生児に対する遺伝子診断・遺伝的スクリーニングと選択的人工妊娠中絶、血縁者に対する遺伝情報の告知といったことが問題にされることが多い。だが本稿では紙数の制約もあるので、「対応能力があり合理的な自己決定を行うことができる青年期以上の人」が、プライバシー権に基づいて、遺伝情報による雇用差別等から自らの権利を守るというアプローチについてのみ検討する。

2.職場で行われる遺伝子スクリーニングテストに関して予想される諸問題

 DNA診断は今後病院や診療所、あるいは「人間ドック」等で個々人に対して行われるだけでなく、「遺伝子スクリーニングテスト」として、入社時や入学時、あるいは何かの免許の申請時等に集団健康診断の一環として、一般的に行われるようになる可能性がある。
 そのように職場等で遺伝子スクリーニングテストが行われる場合には、それが被験者本人の治療や予防だけではなく、「第三者に対する危害の防止」あるいは「職場や職員の安全の確保」、さらに「雇用者の経済的効率面での利益」を目的として行われることもあるだろう3)。例えばパイロット等を採用する際に、空間把握力の低下や運動障害を伴う遺伝病に関してDNA診断が行われる可能性があるが、それは「第三者に対する危害を防止するため」である。また「職場や職員の安全を確保するため」、具体的には、被雇用者の疾病傾向を知ることによって労働災害を防止するといった目的で遺伝子スクリーニングが行われる場合もあるだろう。しかし遺伝子スクリーニングテストは「雇用者の経済的効率面での利益」という観点から、被雇用者の長期欠勤による生産性の低下を防ぐこと、あるいは疾病手当の支払いを免れること等を目的として行われるかもしれない。このような場合には被験者本人の治療や予防について問題にされない可能性がある。終身雇用を前提とした企業の多い日本社会では、新入社員の「職業適性」を調べるために、入社時に何らかの遺伝子スクリーニングが今後広く行われるようになる可能性がある。そして「職業適性」とは曖昧な概念なので、ある人が癌になる可能性が他の人より少し高いといった程度の事実があるだけで、その人の「職業適性」に問題ありとされることになりかねない。
 また雇用に際して行われる遺伝子スクリーニングテストに関するその他の倫理問題としては、テスト実施に関するインフォームド・コンセントの手続きが無視されるかもしれないということがある。集団に対して医療テストが行われる場合には、被験者の一人一人に対してテスト実施に関するインフォームド・コンセントを得ることがひどく面倒な作業となる。それは治療行為を行うのではなく、集団に対して検査を行うだけの医療従事者が各被験者と「人格と人格との関係」としての患者-医療従事者関係のうちにはないためでもある。またテスト結果の告知の方法についても配慮を欠くことにならないかということも懸念される。
 さらにテストが被験者本人のためではなく、雇用者の利益のために行われる場合には、その他にも様々な問題が生じる可能性がある。そのような問題の中には、「職場で扱われるある種の化学物質に特異な反応を示すかどうかを調べる」という名目で癌や糖尿病を発病する可能性が高くないかを調べるというように、本人に無断で複数のテストが同時に行われる可能性があること、またテスト結果が第三者(他の企業等)に漏泄される可能性があること、さらにテスト結果が雇用者等に知らされても被験者本人には知らされない可能性があること等がある。そのためDNAテストが行われる場合には、DNAテストの実施に関するインフォームド・コンセントを法的に義務づけ、遺伝情報に関する守秘義務の遵守を医療従事者に徹底させると同時に、「自分の遺伝情報を知る権利」を法的に確立する必要がある。
 そこで遺伝情報に関する医療従事者の守秘義務のみならず、「被験者本人が自分の遺伝情報を知る権利」等の基礎ともなる「積極的プライバシー権」の意味について確認してみたい。

3.「積極的プライバシー権」を用いた権利保護

 「自らの遺伝情報を隠す権利」は「プライバシー権」に基づく。「プライバシー権」とは基本的には「自己に関する一定の情報を他人に対して秘密にしておく権利」である。このような意味でのプライバシー権は後に述べる「積極的(現代的)プライバシー権」との対比から「消極的プライバシー権」あるいは「伝統的プライバシー権」などと呼ばれている。なお医療情報に関する「伝統的プライバシー権」は、刑法134条(医師等に対する秘密漏泄罪の規定)等によって保護されている。医療従事者のもつ自分の遺伝情報を第三者に「知られない権利(隠す権利)」はこの刑法134条によって保護することができる。
 また遺伝情報のプライバシーを守るためには遺伝データの蓄積と利用を規制する必要がある。例えば政府や自治体等の行政機関や警察、保険会社、信用調査会社等が遺伝子テストによって得られた遺伝情報をもとに、「遺伝子データバンク」をつくる可能性があり、人々の遺伝データを集積して売買するような会社が生まれる可能性もある。またある人の遺伝情報が本人に無断で、遺伝病の研究やヒトゲノムのマッピングといった研究目的のために利用される可能性もある。このような遺伝的データの利用も法的に規制する必要があるだろう。
 またハンチントン舞踏病や家族性アミロイドポリニューロパシーのように、「保因者診断は可能だが治療法は無い」という遺伝病に関する遺伝情報の取り扱いには特に注意を要する。特に〈治療法が無く、かつ確実に死に至る遺伝病〉については、「自分の遺伝情報を知らないでいる権利」を保証する必要がある。そのような遺伝病の保因者診断は本人の希望がある場合にのみそれを行うべきであり、またそれを行う場合にも、遺伝的カウンセリングと十分なケアとともにそれを行うべきである。またそのような遺伝病については安易なスクリーニングテストを行うべきではない。
 そして本人の「自己決定権」を尊重するなら、遺伝病の保因者診断については、あくまでも本人が希望する場合にのみそれを行うべきであって、家族を含めた第三者の希望によってそれを行うべきではない。また基本的には家族や血縁者に対するテスト結果の開示についても、本人の了承を条件とするべきであろう。本人の自己決定権を尊重するなら、自分の遺伝情報を誰に伝え、誰に伝えないのかを最終的に決定する権利は本人にあると考えるべきだからである。
 そしてプライバシー権はこれらの権利の基礎としても理解することができる。プライバシー権とはただ単に「自分に関する情報を他人から保護する権利」にとどまらない。プライバシー権に基づいて女性の人工妊娠中絶の権利を認めたアメリカの「ロウ対ウェイド判決(1973年)」等でも見られるように、プライバシー権とは基本的には「政府等の介入を受けないように個人を保護し、個人が自由に活動できる領域を創り出すための権利(一人にしておいてもらう権利 the right to be let alone)」と考えることができる。
 そしてプライバシー権とは「ある種の重要な意志決定における自主権」のことでもあり、それは結局自己決定権、つまり自律(autonomy)の権利(他者に危害を加えない限り自分のことは自分で決定することができる権利)のことである。このような「意志決定の自主権」という意味を踏まえて、近年プライバシー権は上記のような「消極的な」意味でのプライバシー権にかわって、「積極的・能動的プライバシー権」として理解されるようになってきた。この「積極的プライバシー権」は「現代的プライバシー権」とも呼ばれている。それは一言で言えば、「自己情報コントロール権」つまり「自己に関する情報の流れを自分でコントロールすることができる権利」であり、「自己情報管理権」「自己情報決定権」などとも呼ばれている。この権利は「自己に関する情報をいつ、どのように、またどの程度他人に伝えるかを自ら決定できる権利」である。そして従来のプライバシー権が、どちらかと言えば、知られたくない情報か否かという情報の内容に着目するのに対して、この「現代的(積極的)プライバシー権」は、情報の収集・蓄積・利用の仕方に着目している。
 このような「自己に関する情報の流れを決定する権利」としての「積極的プライバシー権」は、自らの遺伝情報を自分が「知る権利」(自分の遺伝情報に対するアクセス権)、自分の遺伝情報を「知らないでいる権利」(自己に関する情報が自分に入ってこないことを決定する権利)、「自分の遺伝情報を誰に伝え、誰に伝えないのかを決定する権利」としても理解することができる。またこの「積極的プライバシー権」は「自己情報管理権」でもあるから、自分の遺伝情報を研究目的のために利用することについて決定する権利ともなる。なお遺伝情報を含めた医療情報について、現代的プライバシー権を想定した法律は、実質的にはまだ無いと言われている4)。

4.遺伝情報に関するプライバシー権の制限

 遺伝情報に関するプライバシー権を制限しなければならない場合があることは様々な論者によって指摘されている。例えば「生まれてくる子供に関しては、遺伝情報を配偶者に開示しなければならない」と主張されることがある6)。また患者が特定の他者に危害を加えるような事態が予想される場合には、医師等がその他者に警告を与える必要があるとされている(いわゆる「タラソフ・ケース」等)5)7)。このような場合には医療情報に関する医師等の守秘義務に例外を認めなければならないことになる。それと同様の論理により、遺伝情報に関するプライバシー保護をある程度制限しなければならない場合もあるだろう。例えばある人の職務がパイロットのような多くの人の安全に関わる職務であり、かつその人が運動能力の低下等の症状を呈する遺伝病(ハンチントン舞踏病等)の保因者である場合には、その人にその仕事をやめさせなければならない(その人がまだその職についていない場合には、その職につくことをあきらめさせなければならない)。しかしその仕事を自主的にやめるよう本人に説得を試みても本人が納得しない場合には、その人に職業適性が無いことを雇用者等に知らせる必要がある。
 だがこのような場合にも、雇用者等に知らせなければならないのは、職業適性に関する「イエス」か「ノー」かという「必要最低限の情報」だけでよく、その他の詳細な情報を雇用者等に開示する必要はない。また、たとえその一部であれ被験者の遺伝情報を雇用者等に知らせる場合には、基本的にはその旨に関する本人の同意をその条件とするべきである。だが遺伝情報を開示しないことから生じる危険を同定することができ、かつそのような危険を確実に予測することができるような場合はきわめて少ないと思われる7)。そのため、遺伝情報のプライバシー保護に関する例外を認めなければならない場合は、あまり多くは無いだろう。さらにこのような「遺伝的理由」による採用の拒否や解雇、配置替え等をある程度認めるとしても、それが不当な差別につながらないよう厳しい規準を設定する必要がある。

 集団に対してDNA診断が行われる場合にも、基本的には遺伝的カウンセリングや治療・予防の一部に組み込まれた形でのみそれを実施するべきである。
 近年患者の「自己決定権」や「プライバシー権」に基づく「リベラル」で「個人主義的」な生命倫理は(少なくとも英語圏の「バイオエシックス」の中では)不十分なものだと批判されることが多い8)。しかし個人の自己決定権やプライバシー権が今だに無視されがちな日本では、本稿で述べたような、自己決定権やプライバシー権を重視した生命倫理を遺伝情報の取り扱いに関しても確立する必要があるのではないだろうか。

(付記)本稿は文献1)の拙稿を原型として執筆された。そのため本稿には文献1)の拙稿と内容的に重複する部分がある。

文献
1)蔵田伸雄「成人に対する遺伝子スクリーニングと遺伝情報のプライバシー−自分の遺 伝情報を知る権利、知らない権利、知らせない権利−」(加藤尚武 責任編集『ヒトゲノム解析と社会との接点 研究報告集』京都 大学文学部倫理学研究室 1995 pp.138-150)
2)茂木毅「ヒト遺伝子をめぐる科学技術とその倫理的・法的諸問題」(『ジュリスト 1017』有斐閣 1993.2.15 pp.125-134)
3)−「遺伝子プライバシー−第三者による遺伝子診断の利用とその制限−」(『ジュリスト増刊 May,1994 情報公開・個人情報保護』有斐閣 pp.249-253)
4)渡邊亮一「医療情報とプライバシー」(『ジュリスト増刊 1994 May 情報公開・個人情報保護』有斐閣 pp.244-248)
5)Andrews,Lori B.&Jaeger,Ami S.‘Confidentiality of Genetic Information in the Workplace’American Journal of Law & Medicine Vol.]Z Nos.1&2  pp.75-108
6)Andrews,Lori B., Fullarton,Jane E,Holtzman, Neil A.& Motulsky, Arno G.(eds.)Institute of Medicine“Assessing GeneticRisks:Implications for Health and Social Policy”National Academy Press 1994
7)Macklin R.‘Privacy and Control of Genetic Information’in G.J.Annas,S.Elias (eds.)“Gene Mapping”Oxford University Press 1992 pp.157-172
8)Wertz,D.C.& Fletcher,J.C ‘Privacy and Disclosure in Medical Genetics Examined in an Ethics of Care’Bioehics vol.5, No.3,1991 pp.212-232


REV: 20151221
蔵田伸雄  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)