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『人にやさしい住まいづくり:長寿社会対応住宅の手引き』

古瀬 敏 1995.04.10 都市文化社



* 初版は都市文化社より一九九五年に刊行されました。ここに収めるに当たり、若干加筆修正をしているところがあります。

目次

まえがき

第1章 自立した生活を目指して:なぜ「自立」が必要か
高齢者割合の急増
「長寿=長老」神話の崩壊
自身で自身を支える/高齢者が高齢者を支える
加齢に伴う能力の変化
物理環境とのずれが問題、どんなに元気なつもりでも
行動することの効用:老化を防ぎ、健康を保つ
住宅は簡単に取り替えることはできません
調査から加齢による不都合を評価すると

第2章 段がなくてもすむところは、ぜひなくしましょう
暮らしていくことは家の内外を自由に使うこと。楽に外出できますか
玄関入り口:ポーチと土間
上がりかまちは必要?
玄関に手すりとベンチがあると便利
住宅の中で転ぶのは段差が原因、床は平らに
バルコニーは必要な屋外空間、楽に出入りできるように段差をなくして

第3章 部屋、通路、ドアは広いほうが役に立ちます
寝室にベッドが入りますか
部屋は広いほうが役に立ちます
広さを確保するには
収納を忘れずに:使用頻度も考えて
生活に欠かせない空間は同じ階にまとめて
通路そしてドア
なぜ幅員が問題なのでしょうか:あなたが車いすにならずとも知人はどうでしょう

第4章 階段は危険をはらんだ場所です
階段は重要な動線:2階を捨てられますか
勾配がすべて、そのためには平面計画が重要
階段の平面計画は
手すりを欠いた階段は失格です

第5章 便所と浴室にゆとりを
トイレにゆとりを
自身の衰えが見えてしまうところです
ドアは外開きにしましょう
浴室は広く、脱衣室も使い勝手を考えて
浴室は石鹸で滑りやすいところです。手すりは必須、子どもにもあなたにも
浴槽は入りやすく出やすいものを、いつまでも運動選手ではいられない
シャワールームには暖房が必要、さもないと風邪を引きます
シャワーはうまく使えますか:高さと角度
ガラスは危険、はだかですよ

第6章 使いやすさのポイントはこんなところ
ドアは重くないですか
手すりは下地を十分に。また太すぎては使えません
窓は開けやすいものを:手が届きますか
台所は使い勝手。使い手が複数だと合わせるのが大変ですが
洗面台は大きめ、高めがずっと楽です
コンセントは高めに。しゃがみ込まないと使えないものはダメ
柱・壁や床の仕上げにも思いやりを
たかがスイッチ、されどスイッチ。事故の引き金になるかも
足下灯、常夜灯、明かり付きスイッチなど、最低限の安全は確保して
集合住宅を選ぶときはーー共用空間は使いやすいですか?

第7章 設備を使いこなせば、もっと快適
設備:便利さをうまく使いこなして
足下の暖房はつい忘れがち、でも大切
暖冷房するときに空気はきれいですか。確実に新鮮な空気を
送風式の暖冷房は逆効果? 輻射の方がやさしい
水栓はレバー操作の混合水栓が便利
来客ですか、それともセールス?
台所、調理中に火がつくと危険です
火災感知器は備え。完全ではありませんが安全性を高めます
緊急通報があれば、一応は安心。使わないですむのがベストですが
スプリンクラーは火災を抑えます。消せなくても誰かが助けてくれるでしょう

あとがき


まえがき

 昔から、「衣食住」が暮らしの柱といわれています。その中でも、衣食が礼節を知るところにまで達したことに異論を差し挟む人はいないでしょうが、もう一つ残った柱である「住」は、一人当たりGNPが世界で一、二位を争うまでに高度経済成長を遂げたにもかかわらず、まだ満足できるものとはなっていません。
 しかも、急速な高齢化は、そうした暮らしの足元をおびやかすのではないかと危惧されています。果たしてわれわれの住まいは、高齢化に対応できるのかどうか、問い返してみると大きな疑問が残ります。
 今住んでいる住宅における問題を居住者に聞いてみると、使いにくいという答えがたくさん返ってきますが、これは必ずしも高齢者からだけではありません。また、住宅での日常災害事故も、同じように子どもから高齢者まで、誰にとっても問題なのです。ですからほんとうは、どんな住まい手にとっても安全で使いやすい住宅が求められているということがわかります。高齢者がより多くの問題を抱えているのは事実ですが、それは高齢者にとって問題がそれだけ深刻であるからにほかなりません。
 いまや日本は世界一の長寿国ですから、ふつうの住宅にそのまま高齢者として住み続けることがごく当たり前になるでしょう。さしたる理由もないのに歳をとってからわざわざ転居することは、ほとんどあり得ないし不可能だからです。したがって、住宅をつくるとき、若くて健康な居住者だけを相手にしていればすむ時代はとうに過ぎ去りました。これからは、ごく一部ではなくすべての住宅に、いずれは高齢者が住まう可能性が高いことを念頭に置いておかなければなりません。
 建設省は、すでに一九九四年に、急速な長寿社会への流れに沿う形で、「ハートビル法(高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律)」をつくり、不特定多数の利用が見込まれる建物のバリアフリー化を率先して進めようとしています。まちが、人々にやさしく使いやすくなるわけです。
 しかし、まちがやさしく使いやすくなっていても、住宅から出られなければ何にもなりません。そこで、個別の住宅のバリアフリー化についても「長寿社会対応住宅設計指針」がつくられ、このほど建設省住宅局長ならびに課長通達として出されることになりました。生まれてから死ぬまで、あらゆる年代、あらゆる能力の人が暮らしていける住宅を保障することは、時代の要請です。この設計指針は、せっかく選んだ住宅に住むことを拒絶されないようにしておくために、住宅はこうあるべきという考え方を示すものです。
 本書は、その設計指針を踏まえ、これからの時代には基本的に住宅がどうあるのが望ましいかを示しています。写真や図で、わかりやすく要点がつかみやすいように工夫してみました。
 新しい時代に向けて、よりよい住宅をつくって生活を楽しむための水先案内として、本書がお役に立てば幸いです。


第1章 自立した生活を目指して:なぜ「自立」が必要か

高齢者割合の急増

 わが国は急速に高齢化しています。65歳以上の高齢者の割合が少しずつ増えており、1970年には7%だったのが1994年には14%、そして2020年には25%を上回ることは確実です。
人口の25%を超える割合の人が65歳以上になるということは、その年齢層を支える割合が相対的には減るということです。1995年現在の両者の割合は1対5ですが、2020年ごろにはそれがほぼ1対2.4になります。つまり、高齢者であるということはごく当たり前のことになるのです。同じ時期に生まれた同年代のうちどれだけが生き残っているかを見ると、昔は残っているほうが少数派だったのに、いまでは多数派です。同期のうちで60歳以前に死ぬのは、わずか15%に過ぎません。
 平均寿命はいまや世界一ですから、それ自体は喜ぶべきことなのですが、高齢者の割合が多くなることによるさまざまな不都合が徐々に認識されるにつれ、高齢化がもたらすマイナスが危惧をもって語られるようになりました。少なくとも、若くて健康な世代が高齢者世代を支えるという当たり前だと思っていた図式は、とても現実的ではなくなります。

「長寿=長老」神話の崩壊

 年齢別の人口構成の変化を見るとわかるように、わが国では20世紀の半ば過ぎまで65歳以上の割合はほぼずっと一貫して5%程度で、それを全人口の60%にあたる労働力人口が支えていました。それが人口の増加とともにバランスが変化し、現在は70%近くの労働力人口(15歳から64歳)が18%、65歳以上を支えています。この70%という労働力人口の割合はたまたま幸運なだけで、古今東西を見てみると、これは60%前後であるのがふつうです。つまり、現在の活力は永続しないものだと覚悟しなければならないのです。
こうなると、長寿であることに価値を見いだすのがむずかしくなります。昔は、長寿であることは、多くの希有なことに巡り会い、それらへの対処を経験として蓄積していて、いざというときの智恵として若くて経験のない世代を助けるという役割と一致していました。とくに何十年に一度の天災に際してどのようにして対処し生き延びるかは、こうした長老の経験に多くを頼っていました。しかし、急速な文明の発展、社会構造の変化などは、そうした経験が必ずしも有効であることを意味しなくなりました。先年の阪神・淡路大震災で、死者の多くが高齢者だったのもそれを物語っています。
 前例のない事態には経験だけでは対応できないし、それに技術が絡むともっとむずかしくなります。さらに、ほとんどの人がかつては長寿といわれた年齢まで生き延びるようになると、経験と智恵を備えた「長老」として敬われるということもなくなってしまいます。相対的に少数であればこそ希少価値があるので、ありふれた存在では意味が薄れますし、その智恵が役に立たなければ、単に口うるさい年寄りといわれるだけです。長寿であることに積極的に新しい意味を持たせることなしには、生きている価値が半減してしまうでしょう。

自身で自身を支える/高齢者が高齢者を支える

 こういった状況の下では、高齢者は、これまでのように周りが支えてくれるということはないと覚悟しなければなりません。
 幸運なことに、支えられる必要性がずっと少なくなっています。医学の発達と健康管理のおかげで、高齢であっても、自分でしっかり生活していくことが可能なのです。そもそも、他人に支えてもらわなければ生きていけない状態になることはめったにありません。周りを見渡せばわかりますが、高齢者の大多数は自分のことは自分でできるのです。よくマスコミで伝えられる「寝たきり」「車いす」「痴呆」の高齢者は、高齢者の中ではごく少数に過ぎませんし、みんながそうなるわけではありません。それを全員がなるかのように思いこむのは、ひどく後ろ向きの発想です(てきぱきと自分のことを自分でこなす人よりは、他人に頼りがちな後ろ向きの高齢者のほうがそうなりやすいというデータもあります)。
 また、自分でできることを人にやってもらうのはかえってよくありません。自尊心を傷つけられたり、他人のやり方が気に入らずに不満が募ったりします。生き生きと暮らしている高齢者の多くは、実は自立して暮らしているのです。かえって、家族と同居で暮らしているほうが活力に欠けたりします(同居しているほうが自殺率が高いというデータもあります。ちょっと考えるのとは逆に、家族との衝突でかえって心理的に不利なのです)。
さらに、高齢者同士、お互いに足りないところを補い合うという、いわばギブアンドテイクのほうが、一方が他方に完全に頼り切るよりもずっと心理的に安定することも事実です。これは、自立している高齢者にとってのほうが、家族と同居している高齢者よりもずっとその意味が重要ですし、また効果があります。

加齢に伴う能力の変化

 とはいえ、歳をとるにつれてさまざまな能力が衰えていくのも事実です。われわれの能力の発達と変化を模式的に描くと図のようになっていて、生まれた当座はほとんど何もできず、次第に能力を獲得し、それが上昇します。そしてだいたい15歳から20歳くらいでその頂点に達します。こうして獲得した能力は、ほぼそのままかなり後まで保たれるものもあれば、割合に早く低下していくものもあります。が、いずれにしても、それらが高齢期の到来とともに水準以下まで一気に低下するわけではありません。ただ、平均寿命がせいぜい60歳くらいだったころに比べると、70歳、80歳といった高齢期の能力がそれなりに低くなることは争えません。長寿化によって、ほとんどの人が高齢化に伴う能力の低下を経験することになるわけです。
 しかし、その能力の低下は釣瓶落としということはありません。ふつうはゆっくりと落ちていきます。視力でいえば、近視が進むのは30歳代半ばくらいまでといわれています。逆に言えば、そのときから老眼(水晶体が硬くなり、手元を見るためにそれを厚くすることができなくなるので、凸レンズが必要になります)が始まり、また緩やかに白内障の進行も始まるのです。あまり気にせずにいて、あるときはたと気がついたら、いつのまにかひどく落ちていたように感じられるだけです。
 また、落ちていくある能力を他の手段で補うということが人間にはできます。たとえば、眼が悪くなったら眼鏡で矯正するという手法もあれば、聴覚や触覚で得られる付加的な情報で不足を補うということもできるのです。これは、能力をまだ獲得していない子どもとは違うところです。逆に言えば、複数の手段で状態がわかるようになっていなければ困ることが多いわけです。

物理環境とのずれが問題、どんなに元気なつもりでも

 さてこうした形で能力が衰えていくとき、周りの環境がそれを織り込んでできていれば何も問題は生じません。が、実際にはそうは問屋が卸しません。いままで長い間ずっとわれわれの社会は、健康な成人、労働力人口世代を念頭に置いてつくられてきました。ですから、歳をとった人がいざ使おうとすると、さまざまな問題が起こります。たとえば家から市役所に書類をもらいに出かけて、ちょっとした買い物をついでに済ませようとすると、次のような愚痴をこぼすことになります。

 さてとだいぶ遅くなった、出かけなくちゃ。おっと、玄関を出たらすぐ段があるんだった。あわてると、このあいだみたいに転んじゃうよ。やれやれ、今日もこの道のはしには自転車と自動車が止まってる。ここは歩道もなくて狭いから、危なくて。もっとも、歩道も駐車場に入るために小刻みに切り込まれてて、平らじゃないから用心、用心。ああ、この交差点の信号は変わるのが早くて、とても一回では渡りきれないな。いったいどうしてこんなにせっかちなんだろ。
 やれやれ、やっとバス停だ。しかし、バスのステップってやつはなぜ高いんだろう。いまどきバスに乗るのは年寄りが多いのに。こないだなんか、小さな子ども連れのおかあさんがひどく苦労してたっけ。なんだかつくり方がおかしいなあ。乗ったら乗ったで、急発進、急停止が多いこと、客のことも考えて欲しいな。よいしょ。
 バスの次は電車だけど、最近は駅がみんな高架になったから、昇るのがたいへんだよ。エスカレーターやエレベーターがついているとは限らないからな。この切符販売機も使いにくいんだよね。どうしてこんなに小銭が入れにくいんだろう。正確に持ってかなきゃだめなんだもの。お札はよく突っ返されるし、私はカードは苦手でね。改札を通ってプラットホームまで降りるにはまた階段さ。あーあ。やれやれ、これはよく混んでるね。また座れないや。向こうの車両にはシルバーシートがあるけど、あそこまでわざわざ歩く気はしないな。せめて、それぞれのドア脇に一か所づつあればねえ。
 さてと、目的の駅には着いたけど。ここは昇りエスカレーターがあるとはいうものの、地上まではつながってないものね。どうしてなんだろ。この駅前から市役所までの歩道は、いつも自転車がいっぱいだねえ。身体をひねらなきゃ通りぬけられないなんて、こりゃ車いすじゃ無理だね。
 やれやれ市役所だ。ここの入り口は滑りやすいんで有名なんだ。いったいどうしてこんな設計がまかり通るのかね。さてと、今日の用事は市民課かしらん。ええと、案内板はどこだっけ。何か暗くてひどく読みにくいな。エレベーターで3階か。ううん、このエレベーターの階表示は見えないぞ。階が見分けられなくちゃ、そもそも行き先が押せないじゃないか、えい、くそっ。
 ああ、ずいぶん時間がかかっちゃった。先にトイレに寄ろうっと。ここのトイレはドアのところに段差が付いているから要注意。しかもそれがよく見えないと来てるからな。設計者は自分で使ってつまずいたことはないのかしら。
 やあ、ここが目的地か。「すみません。証明書類をつくって下さい」。それにしても、今日もくたびれたなあ。これじゃ、外出がおっくうになっちゃうよ。

 ここで指摘した問題は、通勤電車に揺られて通うような元気な人にはこれっぽちも気にならないでしょう。でも、歳をとると、たいていの人にとって程度の差こそあれ難関として立ちはだかるのです。いくら若いときと変わらず元気だと本人は思っていても、比べてみれば違いは歴然としています。
 (若い人がこうした苦労を体験することができる装着具が、現在つくられています。「インスタント・シニア」などと呼ばれていますが、即席でというイメージがよくわかると思います。手足の関節の動きをテープなどで固めて不自由にし、重しを加え、目には黄色味を帯びたレンズのゴーグル、さらに耳には耳栓などをつけることで、加齢に伴ういろいろな機能の衰えを擬似的に体験できます。比較的簡便なもので、他人が端から見るといささかこっけいに見えますが、それでも、いまでもあなたの親はこんな苦労をしているのだよ、あなたも将来はこうなるのだよ、という事実を認識させるためには十分な役割を果たしてくれます。事実を自ら体験することは、単に口で何度も伝えられるよりずっと説得力があります。)
 今まで、それが問題だと指摘されなかったのは、高齢者の割合が少なく、また同居家族が代わりに用事を済ませてくれていたからです。これだけ高齢者であることが当たり前になり、また自立して家族とは別に暮らすのがふつうになると、若い人が防波堤になってくれることを期待することはできません。同じ社会の構成員として暮らしていくためには、自分で問題を解決していかなければならないのです。
 ここで述べることは、そのための糸口、とくに住宅における問題をあらかじめ解決しておくためのヒントです。こうしたことはちょっとした違いなのです。でも、結果として大きな違いに結びつきます。それを自分のこと、あるいは身近な人のこととして考えるのが、今求められています。

行動することの効用:老化を防ぎ、健康を保つ

 高齢になっても、自立して行動することはほとんどの場合可能です。また、自分で行動する人のほうが生き生きとしています。それはなぜでしょう。
 実は、われわれの身体は、肉体的にも精神的にも、活動していることによって正常な機能を保つのです。休んでいると、その分だけ機能が低下する危険性があります。ある程度、能力の限界近くまで働かせないと、ものによってはその限界能力が急速に衰えるのです。そしてそれを元の状態にまで回復させるには、たいへんな努力が必要です。高齢者でなくても、骨を折ったりしてギプスをはめていると、わずか数日の間にも筋肉が伸びなくなったり、関節が固くなります。それを元に戻すには、痛いというのを無視して少し手荒くリハビリを行う必要が生じます。われわれの多くの能力は、だいたいこうした傾向があります。したがって、毎日規則的に運動し、刺激を与えることが必要です。そうすることで、老化を防ぎ、健康を保つことができます。急に無理な運動をすることは絶対勧められませんが、限界能力に対してある程度まで近づいた負荷を与えないと、適切な刺激を与えることにはなりません。
 あまり無理をしないで、今まで続けてきたスポーツを続けることも一つのやり方です。しばらく前にジョギングが流行したことがありましたが、ジョギングは必ずしも健康によくないといわれるようになりました。それは、心臓への負担が大きすぎたり、あるいは足にかかる衝撃が強すぎたりするからです。代わって、勧められているのが歩くこと。歩くと循環器の機能を保つことができるので、高血圧や心臓病が少なくなり、体重がコントロールでき、とくに余分な皮下脂肪がとれます。さらに歳をとると、骨のカルシウムが抜けてしまう骨粗鬆症になることがありますが、歩くことでこれを防止できるのです。早足で歩くのは自分で負担の強さを調節できますから、適切な運動といえるわけです。しかし、外に出て歩けるようにするには、ともかく住宅がよくできていなくてはなりません。

安全な住まい、使い勝手に配慮した住まいはなぜ必要なのでしょう

 住まいはわれわれの生活の基本となる場所、安全で使いやすいことは当然の条件のはずです。なぜとりたてて、こうしたことを強調しなければならないのでしょうか。それは、今までわれわれがつくってきた住宅が、実は高齢者のことを念頭に置いていなかったから。だれを居住者と考えていたかといえば、それは健康で活動的な成人。高齢者も、子どもも、住宅のつくり手の頭の中から抜け落ちていたのです。
 それも当然といえばある意味では当然でした。高齢者人口の割合は長い間5%でしたから、圧倒的な少数派でしたし、多くの場合誰かがかげになりひなたになって世話をすることが可能だったのです。高齢者が住宅で一人で立ち往生したりすることは、まずありませんでした。子どももそうでした。親か、兄弟かだれかが小さな子どもの面倒を見ていて、放ったらかしにされることはありませんでした。
 また、住宅の形は、長い間基本的なところが変わりませんでした。住まい方、使い方もある意味ではずっと同じでしたから、問題になりそうなところはほとんどなかったのです。
今の住宅は、そのころとは大きく異なっています。まず第一に、住宅の形が変わっています。たとえば、昔は平屋がふつうだったのに、今では階段があるのが当たり前。都市部では2階建てどころか、3階建ても普及しつつあります。
 なのに、階段が危険を伴う場所という認識はまだ十分ではありません。手すりがなく、急な勾配の階段がつくられ続けてきました。同じように、住まい手の能力とあっていない設計がなされているところは、住宅にはいくつもあります。事故が起こったりして初めて、そこに問題があったことがわかるのです。また、さまざまな機器が持ち込まれています。その使い方は、われわれにとっては新しい知識です。間違って使えば危険な場合もあります。こうした設備や機器は、果たして住まい手のことを考えてつくられているのでしょうか。一つひとつ検証してみることが、必要なのです。

住宅は簡単に取り替えることはできません

 さて、安全性に問題があったり、使いにくかったりしたとき、ふつうのものなら取り替えるでしょう。しかし、住宅だと、取り替えるのはたやすいことではありません。
 それが住宅の構造に密接に関係していたりすると、ちょっとした改修だってたいへんです。手すりがほしいとき、その場所には果たして取り付けても大丈夫なくらいの強度があるでしょうか。また、階段の勾配がきつすぎるといっても、階段を取り替えるのはほとんど不可能なことです。あるいは廊下幅やドア幅を広げたいと思っても、壁がじゃまになっている場合、その壁が取り払えるかどうかは保証の限りではありません。それを取ってしまうと、地震のときにつぶれてしまうかも知れないのです。
 もちろん、住宅に取り付けられている部品や機器であれば、確かに交換できます。ただし設計が悪いと、使いにくい設備を交換するのも大工事になってしまいます。下手をすると、設備自体の費用の何倍もの工事費がかかります。たとえば、設備配管が壁に埋め込まれている、というのもそれに当たります。それくらいなら建て替えたいと思いたくなるようなことにもなりかねません。他には何も支障がないのに、そんな馬鹿なことがあっていいのでしょうか。
 こうした問題は、建てた当座は気がつかないかも知れません。でも、住宅の寿命は長いのだということを忘れてはなりません。日本で建て替えられている住宅の平均寿命は、だいたい25年くらいといわれています。たしかに、建て替えられようとしている古い住宅のかなりの割合は面積が狭くて、設備を更新するよりは建て替えたほうがいいといわれている住宅です。ところが、最近建てられている住宅は、広さは十分、設備の更新のこともそれなりに考えられています。その住宅を建て替えようとする時には、住まい手はたぶん高齢者に仲間入りしているころ。必要がない住宅の建て替えに、貴重な貯金を使いたくないはずです。使わずに済む方法があるでしょうか。もちろん、あります。後になって問題になるようなことをあらかじめ解決しておくのです。それがどんなことか、新築のときにどうしておけばいいのかが、この本で述べられています。それは割合に簡単なこと、背伸びをしないでもできることです。

調査から加齢による不都合を評価すると

 住宅の中でどんな点が問題かは、なかなか知ることができません。居住者は、自分だけの問題だと思ったり、あるいは事故に遭ったりしても、ケガをしたのは不注意だった自分の責任だと考えたりするからです。しかし、いろいろな人の経験を合わせてみると、使い勝手が悪いのは多くの居住者に共通で、つまり住宅の設計に問題があること、ケガも住宅に問題があることのほうが多いことがわかります。
 そうした点を明らかにするために、住宅の問題点に絞った調査を実施したものがあります。住宅の具体的な設計、あるいは寸法などを知るために同居の家族の協力を得て、高齢者自身の回答と合わせて評価したものです。
 65歳以上の在宅高齢者の歩行能力を調べると、図に示すように、車いすが必要だったりあるいは寝たきりに近い人は、どの年齢を考えても10%に満たず、大多数は自分で歩くことができます。もちろん、杖や手すりを使っている人は年齢が上がるにつれて増えていきますが、それでも85歳以上になってはじめてほぼ半数がその必要を訴えるだけです。こうした人たちも、住宅がうまくつくられていて、移動に不自由がないようにできていると、住まいの中では問題なく暮らしていけます。
 さらに、高齢者が暮らしている住宅のデザインが不都合だということは、その次の図から読みとることができます。高齢者が負担であるというところは、段差に集中しています。それらを踏まえて改善の必要なことは、何といっても手すり設置。姿勢が変わったり、片足立ちをしなければならないところにはぜひ手すりをつけたいというわけです。
 歩行以外のさまざまな生活行為について質問した結果を見ると、若いときからやり慣れていることは比較的できるという答えが多く、新しいものが苦手であることがすぐわかります。今の住宅に組み込まれているさまざまな設備をちょっと考えてみると、それらを操作せずには暮らしていけないにもかかわらず、高齢者の利用をあまり念頭に置いていないことに気がつきます。

第2章 段がなくてもすむところは、ぜひなくしましょう

暮らしていくことは家の内外を自由に使うこと。楽に外出できますか

 住まいは「城」といいますが、人は家の中だけで暮らすことはできません。必ず外に出なければなりません。果たしてあなたの家から楽に外に出られますか。
住宅の玄関あるいはバルコニー、ベランダなど、少なくともどこかから無理をすることなく車いすで出入りできるようになっている住宅は、いざというときに大変助かります。
万が一のことだけではありません。たとえばベビーカーを押すことを考えてごらんなさい。毎日何段かの階段をベビーカーを抱えて昇り降りしなければならないとしたら、うんざりしませんか。
 ふつう玄関のところは道路に比べると高くなっていますから、段差があります。ここから車いすで出入りするのはどうやっても困難です。むしろ、家の周りを少し長く巡りながら斜路をリビングまでつなげれば、車いすやベビーカーでも無理なく出入りすることができます。
 また、都市基盤整備公団ではごく一般的だった、階段室型の集合住宅を考えてみましょう。そこでは、1階であっても階段を使わないと住戸に入れません。エレベーター型でも、エレベーターロビーまでに数段の階段があることはざらです。それがどんなに不便かは、多分骨折した人しか知らないでしょうが、いずれその災難があなたにも降り懸かってくるかも知れないのです。
 今までは誰も気にしなかったことですが、そうした何気ないことが不自由さを助長するのです。いざ外出しようというときに、家を出るまでがいちばん苦労だなんて、ひどく馬鹿げていると思いませんか。

玄関入り口:ポーチと土間

 住宅に入るのは玄関からですね。そこはふつうはドアの外側にポーチ、内側には土間が用意されます。ポーチは、たいていはその周りの敷地より少し高くなっています。土間はそこよりまた少し高いのです。
 どうしてそうなるかといえば、湿気や水を処理するため。最終的に床面を敷地面から45センチ上げてというのが、法規に書かれている要件です。最近の玄関は外開きのドアがごく一般的ですが、昔は引き戸がふつうで、その敷居がかなり飛び出ているのが当たり前でした。
 それに比べると開き戸の敷居はあまり出さずにつくることができます。敷地からポーチ、土間と少しずつ高くするのは最も簡単なつくりかたですが、段をつけずにつくることも不可能ではありません。
 段がついていると、ベビーカーを使うのがひどく難しくなったり、足腰が弱った人にとって使いにくくなりますから、段をなくすのはやってみる価値のあることです。
玄関口は買い物などいろいろなものを抱えていて、足元を確認しにくい場所でもあります。不用意なちょっとした段差は見えにくく、つまずきの原因にもなりやすいのです。とくに材料を変えずにつくられた段差は最悪です。知らない人は間違いなくつまずきます。
また、ドアの敷居は、すきま風を防ぎ、吹き降りの雨が土間にしみこんでこないようにするのが最大の目的ですが、そのために段差ができるのがやっかいなところです。段差がついてしまうときは、ポーチと土間の間は2センチで抑えましょう。そして材料の色を変えるなど、段差のあることがわかるようにしましょう。もし必ずしも段がなくてもすむなら、ぜひなくしましょう。

上がりかまちは必要?

 玄関は住まい手、そして客人を迎え入れるところ、そこがあまりにみすぼらしいのはいやがられるでしょう。でも、逆にそこだけが立派すぎるのも変です。かつてのわが国では、ふだん用の玄関口と客人用の玄関とが用意されていることがありましたが、そうしたことはもはや時代遅れといっていいでしょう。
 わが国では、玄関口で靴を脱ぐのがふつうで、そのため、上がりがまちといってそこで段差をつけることになっています。この玄関の土間と板敷きのところの高さの違いは、大きいときには40センチくらいあります。
 集合住宅ではそれだけの差をつけるのは無理ですが、それでも10センチくらいは段がついています。でもいざ使ってみると、その段差がなんとなく中途半端であることがよくあります。なぜかというと、かまちの高さが、座って靴のひもを結ぶには低すぎるからです。昔のつくりかたですと、ちょうど座れる高さだったのですが、とくに集合住宅ではそれだけの寸法を用意する余地がないのです。
 にもかかわらず、なぜかまちが残っているかというと、ここがある意味では外となかを区切る境界線だから。多くの住宅で、このかまち材にりっぱなものが使われているのはその証拠です。
 もう一つの理由は、ここを平らにするのが非常に難しいから。今まで何度もここを平らにしようとする試みがなされましたが、雨水処理をはじめとした難題があって、単純な解決策は見つかっていません。
 法規で床を地面から45センチあげるように決められているのは、それなりの意味があるからで、一概に無視できるほど話は簡単ではないのです。
靴を脱ぐという習慣が残る限り、無理に平らにいなくてもいいのではというのが、多くの人の見解です。そのかわり、身体を支える手すりをつけることが望まれます。

玄関に手すりとベンチがあると便利

 玄関で靴を脱ぐということを前提にすると、そこで身体を支えることがどうしても必要になります。片脚で立つ姿勢は、バランスを取るのが難しいので、身体が弱ってきたり、そうでなくても体調が悪いときなどは、ふらつくことがまれではありません。へたをすると転ぶでしょう。
 そこで、手すりをつけたり、あるいはせめて手がかりを用意しておくと、身体を支えるためにきわめて有効です。
 そんなものはいらないといわないで。手すりがついている玄関の出入りを観察してみると、非常に多くの人が、靴を着脱するときに無意識に手すりを掴んでいますし、手すりがないところではげた箱の角に手をかけているのがわかります。
 ですから、支えを用意することは無駄ではないのです。手がかりになるようなものが何もない玄関では、ちょうどそれに当たるところの壁が汚れているはずです。とくに子どもが苦労しているのではないでしょうか。
 可能であれば、座れるように小さなベンチ、あるいはそれに代わるものを用意することも、非常に効果があります。靴ひもを結ばなければならないときは、実に便利です。ブーツを履くのに苦労したことはありませんか。たぶんふつうの住宅の上がりかまちは、そのためにはほとんど役に立たないはずです。

住宅の中で転ぶのは段差が原因、床は平らに

 日本の住宅は、段差があるのが当たり前だと思われてきました。一段上の空間のほうが格が高いというふうに考えられてきたのです。
 そのしきたりは、現在に至るまで全く不思議とは思われていませんでした。でも、そうした段差が原因で転ぶ事故が頻繁に起こるようになって、床を平らにする必要が出てきたのです。
 なぜでしょう。それは、序列がついていた空間同士の関係が、今では昔と大きく変わってしまったからです。
 昔は、段差がある空間同士を移動するときは、その境界で一度立ち止まるようなしぐさをしました。廊下から畳の部屋にはいるときは、片膝をついてふすまを開け、部屋に入ってからふすまを閉めるというていねいな使い方をしたのです。
 今は立ったまま開けて無造作に入ることがふつうでしょう。そこに段差があれば、不注意ならつまずいても不思議ではありません。
 もはや昔のようなしぐさを期待することはできませんから、住宅の中では段差をなくすのがごく自然な成り行きでしょう。
 これはとくに転んだら大ケガをする高齢者のことを考えれば当然です。高齢者は、若い世代と違って、つまずきかけたときに体勢を立て直せないのです。
 住まいの中から段差をすべてなくさないほうがいい、なぜなら高齢者が毎回意識せずに段差で訓練ができるからなどという人がいますが、とんでもない間違いです。
外出すればいくらでも段差に出会います。外の段差をすべてなくすことはできませんから、訓練はそれで十分です。
 外に出られない人は、そうでなくても体調が悪いのです、そうした人をさらにいじめるような住宅は、とても利用者のことを考えているとはいえないでしょう。

単純な段差に比べると立ち上がり(またぎ段差)は非常に不都合です

 段差があると、足が不自由になったときにひどく困ります。
 平らなところでは、足をすべらせるように前に出して前進することができますが、段を越えるには足を宙に浮かせなければならないからです。
 そのとき、単に段を上がるだけであれば、上げた後はそのまま足をすべらせるだけで済みますから、なんとかこなすことができますが、跨いでもう一度低いところに足を降ろさなければならないと、もっと苦労をします。
 足を上げるだけに比べて、跨いでからさらに降ろすのには身体を支える時間も長くなり、バランスを取りにくいからです。
 段を上がるにも、単純な段差とまたぎ段差ではずいぶん使い勝手が違うのです。
 それは歩く場合だけでなく、車いすの場合にも似たような問題があります。段差を越えるためには、とにかくその高さまで上げる必要があります。その立ち上がりが小さければ、前の車が越えた後で車いすを平らにして移動させることができますが、それができる高さはきわめて限られます。それ以上になると、ひっかかったろして、かえって立ち上がりがあるほうがたいへんです。
 それくらいなら、上がったままで平らなほうがあとが楽に処理できます。段差が大きければどうしようもありませんが、単純段差であれば、斜路を掛け渡すことで移動できるからです。
 立ち上がりの場合は、斜路を掛け渡し、さらに片方の床にスノコを置くなどして立ち上がりと同じ高さにしなければならないでしょう。

バルコニーは必要な屋外空間、楽に出入りできるように段差をなくして

 戸建て住宅では、もし庭が十分とれれば、2階のバルコニーはあまり重要ではないかも知れませんが、中高層の集合住宅だと、専用バルコニーが使いやすいかどうかは、使い勝手にきわめて大きな差をもたらします。なにしろ、玄関を除けば屋外との接点はバルコニーだけなのがふつうだからです。
 今までは、バルコニーに出るために敷居の立ち上がりをまたいだり、一段下がったりというのはごくありふれたものでした。これまでの設計では、建物のつくりやすさ、雨仕舞の簡単さが優先されていたのです。しかし、高齢になってからのことを考えると、貴重な屋外空間としてのバルコニーに無理なく出入りできる設計にしておくことが重要になります。とくに使い勝手や転倒防止などの安全性を考えると、できるだけ平らでまたがずにすむのがいいわけです。
 とはいっても、現実にはかなりむずかしいので、現状で可能な限りの設計が望まれます。それが不可能な場合には手すりが併用できるようにすべきです。
 わが国では、バルコニーは掃き出し窓になっていることが多く、雨仕舞がむずかしいのですが、もし出入りを楽にすることを考えるならば、開き戸を用いてバルコニーにスノコを敷くという手もありますし、バルコニーの奥行きを深くすれば、なぐりつけるような雨でも、水の処理はそんなにむずかしいものではありません。


第3章 部屋、通路、ドアは広いほうが役に立ちます

寝室にベッドが入りますか

 ある程度身体が弱ってくると、畳にふとんの生活はひどくつらいものです。体調が悪いと、ふとんから起きて立ち上がって便所に行くことすら大儀になります。
そして、いつのまにかふとんが敷きっぱなしになり、ついにはごろごろ寝ころんでいるのが楽になると、寝たきりはもうすぐそこ。
 これは生活に対する態度とも関係しますが、ベッドであれば起き上がるのがそれほど苦にはなりません。寝たきりということはめったにならないはずです。また、たとえ自分だけではたいへんでも、誰かが少し支えてくれるだけで便所まで往復できます。じつは、ここに在宅ケアを可能にする基本原則があるのではないでしょうか。
 今まで住宅をつくるときには、寝室の大きさを決めるに当たって、ベッドを入れても十分かどうかはあまり気にしませんでした。畳の部屋では3畳は問題外として、4畳半が最低だった時代が長く続きました。
 でも、ベッドを入れようとすると、小さなナイトテーブルを入れるだけでも8畳ないとうまくいきません。指針でも、寝室を広めに、できれば12平方メートルをめざしています。たとえ今は畳にふとんの生活だとしても、寝室はベッドを入れても十分な広さを確保しておきましょう。

部屋は広いほうが役に立ちます

 これまで、住宅をつくるときには、部屋の数をできるだけ増やすのが当たり前のやり方でした。家族が多かった時代は確かにそれも一理ありました。
 でも今はどうでしょうか。そんなに部屋数はいらないかも知れません。むしろそれぞれの部屋を少し大きくつくったらどうでしょうか。
 狭い部屋では、ベッドを入れたり、机を置いたりすると身動きもできません。ビジネスホテルなどでベッドが壁につけて置いてあって、少しも動まわれない狭い部屋がありますね。ヘタをすると、毎日あのような状態になってしまうわけです。
 たたみの部屋が小さくてもなんとかなるのは、家具が置かれていないから。最初から家具が置かれることがわかっているなら、たとえたたみの部屋でも、その分の面積は取り除けておかなければなりません。
 そうすると、実は狭い部屋というのは、単なる物置や納戸にしかならないということがわかります。そんな「部屋」を、お金をかけてつくって仕上げるなんてつまらないと思いませんか。
 また、小さな部屋をたくさんつくってそれぞれに収納を用意すれば、きっとそのうち部屋の持ち主と収納された中身の持ち主とが一致しなくなるのは、目に見えています。そうなると、ものの出し入れにきっと不便が生じます。それも面白くありませんね。

広さを確保するには

 住宅の場合、十分な広さを確保するのは最初からむずかしい課題だといえるでしょう。都会では、敷地自体が十分でないことがほとんどだからです。でも、工夫次第でなんとかなることもあります。
 部屋をそれぞれ区切り、独立性を高めるという今までのやり方にそのままならうと、小さな空間にスペースをどんどんとられてしまうので、広さを得るのはたいへんです。
 とくにやっかいなのは通路です。それぞれの部屋を独立させようとすれば、広い面積が廊下にとられてしまいます。
 奥行きの深い集合住宅などで、両側に部屋を配置し、真ん中に廊下が通っている平面などをみると、通路であること以外には全く意味がない空間が大きな顔をしています。
そうするよりは、通路をもっと広くして、そこをホールにしてしまうと、ホール空間の独立性は犠牲になりますが、さまざまな使い方ができるようになります。
 その極限がワンルームタイプ、スタジオアパートメントと呼ばれるものでしょう。家族の数がそんなに多くなければ、ワンルームは別として、こうした考え方でも個別の寝室は独立して保てますし、半公共空間での生活行為がほかの家族にとって不都合ということはまずありません。

収納を忘れずに:使用頻度も考えて

 部屋を大きくしたり、あるいは部屋数を確保しようとすると、必ず問題が出てきます。収納する空間が削られがちなことです。
 マンションの広告などをよく見ると、小さな「部屋」をいくつもつくった結果、押入れや納戸がほとんどないということがよくあります。
 住宅の中には、実にたくさんのものがあって、それらがもし収納できないとすると、部屋の中にあふれてしまいます。ふだん、ちゃんとしまわれていれば気にもとめていないのですが、いざ引っ越ししようとすると、出てくるわ出てくるわ、びっくりしたことがあるでしょう。
 もちろん、そうした収納におさまっているものは、単におさまっているだけではありません。
 持っているものは、いずれもその出番を待っているのです。季節ごとか、年に一回だけか、あるいは数年に一回だけなのか。ものによって異なるでしょうが、もし出番がないものなら、ほんとうは捨てられるはずですね。そういったものを、どうしまったらいいのでしょうか。
 通路としてしか使っていなかった廊下の幅を広げ、今まで部屋の内側に向いていた収納空間を廊下側に移して廊下から出し入れするというやり方は、今まで部屋と中身とが連動していなかった収納空間を有効に使うやり方でもあります。
 家族全員の夏物・冬物、季節の飾り、スポーツ用具などは、まとめて収納するほうがずっと適切でしょう。
 しかも、こうすることで収納空間の前面に必要な作業スペースを廊下側に取り込むことができ、ホール全体としての幅はずっと広くなります。そのことによって、出し入れに無理な姿勢をせずにすむことにもなります。
 持ち物の中には、出番はあるはずだが、いつかわからないというものもあります。
 思い出の品というのがそれです。それらは、他人にとっては往々にして全く意味がわからないこともあります。でも持ち主にとっては何物にも代え難いもの。われわれの持ち物のかなりの部分が、実はそうなのかも知れません。だとすれば、収納場所をちゃんと確保することは、なまじ人の部屋を用意するよりも重要かも知れませんね。

生活に欠かせない空間は同じ階にまとめて

 住まいが広く、部屋数も多いというのは確かに気持ちがいいものです。でも、歳をとってくるとかえってそれがめんどうになることもあります。
 子どもたちが1人去り、2人去りして、使わなくなった部屋ばかりが目立ち、掃除するのがめんどうなだけということも、いずれ起こるかも知れませんが、それは、「ちょっと寂しいね」くらいで済みます。
 しかし、それに加えて行動が不自由になると話は違ってきます。とくに足腰が弱ってくると、1階と2階を行き来するのは、ひどく大変なことになります。
 多くの場合、高齢者は使う部屋を限ってしまい、同じ階だけ、隣り合った部屋だけで住むということが起こります。
 これは若いときに住宅をつくった人は、全くといっていいほど考えていないことです。
あらかじめ気をつけていれば、著しい問題が起きないようにすることはできます。
 生活していく際に絶対に欠かせない空間は、寝室、リビング、そして便所・浴室・洗面所、台所、さらにそれらをつなぐ廊下などです。独立した住まいなら、それに玄関がありますね。
 寝る部屋と客を迎える部屋は、最低限区別しておくことが望まれます。これは生きていくためのメリハリをつけるのに必要です。
 便所などは、基本的な生理的要求を満たすのに欠かせません。少なくとも便所だけは寝室と同一階にないと困ります。台所は小さくてもいいかも知れませんが、ないとお茶も飲むのにも不便でしょう。こうした空間を全部加え合わせると、ほぼ30平方メートルくらいは必要のようです。
 最初から、以上のような基本的な空間を同じ階につくっておくと、高齢者になっても不便を感じなくてすむでしょう。

通路そしてドア

 わが国の住まいは、3尺・6尺のモデュール寸法を基準にしてつくられてきました。今では材料の寸法は、ほとんどそれに合わせてつくられていますし、部品もその寸法体系に納まるようなものが、もっとも一般的です。ただ、その結果として、いろいろな不都合も目立つようになってきました。
 最大の課題が、ここで述べようとする通路とドアの幅です。3尺(91センチ)ごとに柱や壁がくるように住宅をつくると、通路(廊下・階段)の幅は、実際には75センチから80センチくらいになってしまいます。これは、使う側にとってはぎりぎりの幅にしかなりません。もっとむずかしいのは、ドア幅です。壁や柱の構造の内側におさめようとすると、ドアの実際の幅は70センチあるかないか、枠にじゃまされない部分の寸法で考えると、65センチ程度になってしまいます。この寸法は健康であれば問題ない幅ですが、身体が弱って杖に頼ったりするくらいになると、不便この上ありません。しかも、こうした狭い幅のドアは、どうしても使わなければならない空間である便所、そして浴室に、いちばんよく使われるのです。広くするのは確かに難しいのですが、何とかしないとあとで困ることになります。ドアの有効幅員で75センチを確保しようと言うのが指針のめざすところです。いちばんいいのは、ドアをつける場所には柱を入れないようにすること。そうすれば3尺の制約を受けずにドアをつけられます。また、あとからの改修も楽にできます。3尺の芯々寸法でつくろうとすると、柱が表に出てくる真壁でならかなり広い通路がつくれますが、今日一般的な大壁だと、80センチとれるかどうかです。ドアはもっと厳しくて、たとえば図のように狭くなってしまいます。つまり、3尺は最初から失格なのです。

なぜ幅員が問題なのでしょうか:あなたが車いすにならずとも知人はどうでしょう

 なぜ通路やドアの幅が問題になるのかというと、それはいざというときに車いすが通れるかどうかということなのです。
 車いすなんて、とおっしゃるかたは多いでしょう。確かに、あなたが車いすを使うようになる確率はそんなに高くはないでしょう。でも、昔に比べると可能性が高いかも知れませんよ。なぜなら、自動車交通事故は依然として多いからです。
 それに、住宅を使う誰かが車いすに乗っているという可能性もちょっと考えてみましょう。あなたの家族、そして親類、知人(職場の同僚、近くの知り合い・・・)、客としてあなたの家にくるかも知れない人の数は、数百人にも上るのではないでしょうか。そう考えると、ほんとうは車いすを使っている人が1人もいないほうが珍しいのかも知れません。もし、その人があなたの家を訪れたとき、廊下を移動できなかったり、洗面所を使えなかったら、ひどく不便でしょうし、たぶんそれに懲りてもう来てくれないでしょう。
 車いすがなんとか通れる通路幅と入り口の組み合わせは、だいたい図のようになります。とくに直角に曲がるのがたいへんなのです。車いすが非常に使いやすいようにはつくられていなくても、通路やドアがとにかく通れるようにできていれば、多少苦労はしてもみじめな思いはさせずにすむはずです。この差は、あなたにとっては重要でないかも知れませんが、そのお客さんにとっては大切なのです。もちろん、その車いすが電動で大きなものだったら、なかなかむずかしいかも知れません。でも、ごくふつうの寸法のものなのに使えないということは、ひどく恥ずかしいことだと思いませんか。


第4章 階段は危険をはらんだ場所です

階段は重要な動線:2階を捨てられますか

 今、平屋で住宅をつくれることはまずないでしょう。都市では、2階建てどころか3階建てという話もよく聞きます。その場合、上下移動は階段に頼ることになります。エレベーターを用意しても、階段を省略できるわけではありません。それにもかかわらず、階段はその果たす役割に見合った扱いがなされていません。どうせ1階と2階とをつなぐだけ、ほんとうはなくてすめばいいのに、とばかりに、狭い空間に押し込められ、急な勾配でつくられています。
 大昔の住宅では、階段は6尺進むうちに9尺上がるようにつくられていました。今でも住宅の階段勾配の最低基準は、それを可能にするように決まっています。でもそう決まったころは、住宅のほとんどは平屋か、2階建てでも2階はたいていは作業場だったり、使用人の寝るところでした。階段は、子どもや高齢者が日常的に使うものではなかったのです。ところが今は違います。2階建てにするということは、そこにできる空間を利用しようということですから、それが使えないとしたら何のためにつくるのでしょうか。
 ところが、今までの住宅の階段は、実際にはそれをよしとしてきていました。高齢者を対象にした調査結果を見ると、階段を使わないようになって、せっかくの2階がほとんど無用になってしまう場合が非常に多いのです。日当たりや風通しは2階のほうがずっといいことを考えると、これはいかにも問題です。もう少し使いやすい階段が用意されていれば、こんなことにはならないはず。また、階段転落事故は、住宅の中での事故のうちで数も多く、またそのケガの程度もひどいという点で軽んじてはならないもの。安全と引き替えにほんのちょっとの面積節約をすべきではありません。階段を後から変えるのはほとんど不可能ですから、最初から織り込んでおきましょう。

勾配がすべて、そのためには平面計画が重要

 階段が使えなくなるのは急勾配だからです。しばらく前までは、たぶん蹴上げ22センチ、踏み面18センチというのがふつうの設計だったでしょう。ごく最近は勾配が45度くらい、踏み面・蹴上げとも20センチ程度でつくっているはずです。ただ、これでは十分とはいえません。
 実験の結果によれば、踏み面21センチ、蹴上げ18センチ、つまり勾配で7分の6を上回らないのが、足がはみ出さず、蹴上げも高すぎない限界のようです。指針ではこの7分の6を標準とし、21分の22までの勾配をやむを得ないものとして認めています。
 しかし住宅を計画してみると、このための平面を捻出するのは大変です。なぜなら、ごく一部を除いて、1階と2階両方に階段のための空間を用意しなければならないからです。おまけに、それぞれの階において、廊下や部屋との位置関係を満たさなければなりません。
よく見られるのは、最初の3段が回り階段になっていて、90度方向を変えるものですが、これは階段と廊下の相互の関係がどうしてもまっすぐにはつながらないから。
 この場合、注意することは、降り始めが回っている階段はひどく危険だということです。踏み外したら一気に下まで落ちる危険性があります。どうしても回り部分をつくらなければならないなら、せめて下でつくって下さい。真っ直ぐの階段をつくるなら、なまじ中間に踊り場をつくるよりは、全部を段にして勾配を緩やかにするほうが使いやすく安全です。
 階段事故の多くは、リズムに慣れるまでの最初の段階で起きています。逆に途中で起きるのは、たいていそこの寸法が狂っているから。途中でそんなことがあるとは誰も予想しませんから、明らかな罠になるのです。

階段の平面計画は

 階段を狭い空間に押し込めずにつくる方法もあります。
 ほとんどの人は、映画「風とともに去りぬ」をごらんになったことがあるでしょう。
あの住宅は巨大な住宅ですが、階段が玄関ホールから2階にあがっていくというつくりかたは、米国ではかなり一般的です。住宅を演出する手法として階段を使っているわけですが、その考え方を用いると、わが国の住宅でも勾配の緩やかな使いやすい階段をつくることができます。
 階段は1階と2階の両方の空間を必要とするのですから、それを開放的にしてしまうのです。すぐ考えつくのは、玄関ホールを吹き抜けにしてそこが階段であるようにすること。しかし、全体の面積が限られたわが国の住宅では、これはちょっと勇気がいるでしょう。
もう一つは、リビング空間から2階に掛け渡すことです。リビングに開放された階段は、家族構成員のあいだの移動しながらの対話を演出します。
 この方法で唯一、しかし最大の問題は、暖房の利きが悪くなるということです。とくに空気で暖めようとすると、暖かい空気がどんどん上に逃げていき、リビングがいつまでたっても寒いということになります。それを防ぐには床暖房が効果的です。そうするとリビングは快適な空間になり、家族の団らんによりふさわしくなります。床暖房は室温はさほど上げなくてもいいので、思ったほど暖房費用はかさみません。

手すりを欠いた階段は失格です

 階段は潜在的に転落の危険をはらんだ場所です。このため、多くの国では昇降するときにつかむことのできる手すりをつけることが義務づけられています。しかし、わが国では、横に墜落する危険があるときにのみ、それを防止する柵としての手すりを設けることが要求されているだけで、転がり落ちないようにつかむ手すりは、ごく最近までつける必要がありませんでした。
 急な勾配の階段を認めていることと相まって、わが国の階段は最も危険なものになっていたのです。しかも、手すりをつけようとすると、75センチという階段の幅員要件を手すり内法で満たすようにしろといわれるために、実際にはつけることができなかったのです。
この75センチという決まりは大昔につくられたもので、手すり内法で満たせというふうになったのも階段転落事故の問題など誰も気にしていなかったころの話。そのころは、階段から落ちるのは落ちる奴の不注意だと誰もが信じていました。実はそうではないというのがわかったのは、比較的最近のことです。ですから、今つくる階段に手すりをつけないのは、利用者が事故を起こすのを罠を掛けて待っているといってもいいほどになったので、先日の建築基準法施行令の改正の際、手すり設置が義務になりました。それに先立ち、勾配が45度を超えるなら両側に手すりをつけることという条件は、住宅金融公庫の高齢対応優遇融資の条件になりました。これなどは一つの参考になるでしょう。もちろん、ほんとうは勾配が緩くても両側につけるのが望ましいのです。ただ、どうしても片側しかつけられない場合は、降りる際に利き腕で使えるようにします。なお、取りつけ高さは75センチくらいで、段鼻から測ります。

階段の照明は影をつくらないように

 前にも述べたように、階段転落は住宅の中で起こる事故としては重要な問題の一つです。その発生にはさまざまな要因が関係していますが、照明が適切かどうかも重要な要素です。
とくに降りているときに足元が見えないのは不安ですし、そのことを考えたために逆に歩調が乱れるということもあります。また、たまたま階段の途中に置かれていたものに足をのせてしまってそのまま転げるということも、子どもがいる家庭ではありそうな事故です。もし、階段が適切に照明されていて、足元に何があるかあらかじめ見えれば、こんな事故は起こらないはず。
 また、階段で肝心なのは最初と最後です。実験結果によれば、使い始めから2、3段でその階段のリズムに慣れ、終わりのすぐ前までは目をつぶっていても問題が起きないほどです。ですから、物が途中に置かれさえしなければ、照明がほんとうに必要なのは最初と最後だけといえます。もちろん、踊り場が途中に入ればまた最初からやり直しになるわけです。また、回り部分があればそこも注意しなければなりません。こういったことを考えて、階段では上下の両方に照明をつけるべきです。スイッチは照明を上でも下でも点滅できる三路スイッチというものが一般的です。せめてこれだけは備えましょう。


第5章 便所と浴室にゆとりを

トイレにゆとりを

 われわれの一日の生活を考えたとき、住宅の中で、どこが最も重要でしょうか。寝室でしょうか、それとも便所でしょうか。確かに寝室は一日のかなりの時間を過ごす場所です。しかし、一方で、便所は一日に何回か使わずにはすますことができないところです。
 ところが、便所は住宅では狭いところに押し込められやすいものです。2階に上がる階段の下に窮屈な便所をつくることがよくあります。天井は低く、狭いといった、どうしようもないところにつくられたのがこれまでの便所です。
 もともと、ご不浄と呼んでいたくらいですから、わが国では便所は虐げられていたのも当然ですが、今の便所はそのころとは大きく変わっています。洗面所と合わせてパウダールームと称することもありますし、汚いイメージはありません。幅3尺、奥行き5尺足らずという狭いところにつくらないで、もっと広々とした便所をつくってはどうでしょうか。
昔から三上といわれるように、ある意味で便所は考えごとをするのに適した空間、新聞や本を読む場所としても悪くはないと思います。また便所は、人間として最低限必要な生理的欲求を満たす、考えようによってはいちばん大切な空間です。
 便所に行くことは、できれば誰も他人の手助けを借りたくないことです。そうした生理的欲求が、誰かの手助けを借りないとどうにもならないほど体力が衰え、しかも狭くてそれもうまくいかないとしたら、これほどみじめなことはありません。
 今までの住宅では、便所に行くのに段差があり、狭いドアがじゃましていましたから、大きな問題でした。もしそこに行くまでの床を平らにして、ドアと中を広くすれば、ほとんどの人は自力で用を足すことができます。それをすべて拒否されれば、自分がなぜ生きているか、深刻に問わざるを得ないでしょう。

自身の衰えが見えてしまうところです

 便所を使うのが困難になったとき、自分の体力が衰え、これまでとは違っていることが身にしみてわかります。問題は、他人があなたの便所を使うところを見ていないこと。便所を使うのは個人ですから、よほどのことがない限り人の手助けを頼むことはなく、その人が不都合が生じていることを他の人に訴えないかぎり、誰にもわからないのです。
洋式の場合、手すりがありさえすれば何の苦もなく立ったり座ったりできるのに、それがないために一苦労というのはありそうなことです。
 でも、そのように弱ったときにだけ手すりが役立つのではありません。小さな子どもを便器に座らせることを考えると、手すりに手をかけさせることができれば、自分で身体が支えられるはず。少なくとも、ずっとついていなくても大丈夫ですね。
 このように、いつ誰に役立つかは予測しにくいものです。手すりがいらない家族ばかりなら、水平な部分はタオル掛けとして使うこともできるわけです。
 ふつうの人が便所の使いにくさを実感するのは、スキーで骨折したとき。便所のドアに敷居があれば、そこをまたぐのにも苦労するわけですし、ドアが狭ければ出入りに不便、また、手すりがなければ立ったり座ったりするのがたいへんです。またいざというとき、誰かが介助するためには脇にスペースがいります。たとえばもの入れとして、さりげなくつくっておいてもいいでしょう。

ドアは外開きにしましょう

 便所でいざというときに困ることの一つは、ドアが開かなくなったとき。中で用を足していた人が急にひっくり返ったりしたら、どうやって救出したらいいのでしょう。中から鍵がかかっていますよ。
 今あるドアの施錠装置の多くは、実は、非常解錠できるようになっています。コインで中心の軸を回転させたりすれば、ロックが解除されるのです。でもドアが内開きだと、ドアに寄り掛かって倒れたりすれば、開けるのがひどくむずかしくなります。
 ドアは外開きにしましょう。それは、便所全体を使いやすくすることにもなります。出入りの時に狭い空間で身体をねじったりすることもなくなるからです。
 この非常救出の問題は、実際には浴室のほうが問題かも知れません。便所とは違って、浴室はドアが外開きということはないと思わなければなりません。水処理がむずかしいからです。引き違いであれば大丈夫ですが、内開きだと中で倒れた人がじゃまになって、うまく開けられなくなる可能性があります。そんなに頻繁に起こることではありませんが、いざというときには非常に困ります。最近はそのことを考えて、救出のために、ドアを外すか、一部のパネルを開けられるようにした設計もあります。

浴室は広く、脱衣室も使い勝手を考えて

 全体の面積に限りがあるとなかなかむずかしいのですが、浴室と脱衣室もある程度広くないと使いづらいものです。
 シャワーだけですますのであればそんなに面積はいらないのですが、湯船にゆっくりつかりたい、洗い場で汚れをさっぱり流したいというのが希望だと、手を伸ばしても壁にぶつからないくらいの広さの浴室でないと不便です。
 これは、とくに入浴を介助しようとすると大問題ですが、そうでなくても子どもといっしょに入浴しようとすると、似たようなことになります。介助してもらって入浴というのはあまり考えたくない未来かも知れませんが、子どもを入れるのにも一苦労というのはひどく困るものです。
 今つくられている住宅、これからつくられる住宅は、それなりの広さを持っているはずですね。だとすれば、浴室もある程度広くすることができるでしょう。
 そこで、できれば浴室面積は2.5平方メートルを確保するのが望ましく、やむを得ない場合には戸建て住宅では2平方メートル、集合住宅では1.8平方メートルを確保したいものです。このくらいの広さを用意すると、腰掛け台をなんとか持ち込むことができますから、浴槽の出入りや身体洗いがスムーズにできます。
 また、脱衣室もある程度の広さがないと、手を壁などに頻繁にぶつけることになります。そこそこ広ければベンチを置いたりすることもでき、使い勝手が格段によくなります。脱衣室は、うまく設計すれば必ずしも独立した空間である必要はなく、洗面所と一体でも差し支えありません。

浴室は石鹸で滑りやすいところです。手すりは必須、子どもにもあなたにも

 浴室はひどく滑りやすいところです。床はいつも水で濡れていますし、石けんやシャンプーの泡があればもっと滑りやすくなります。
 あなたが健康で運動神経がいいなら、滑りそうになっても身体を立て直すことができるでしょう。でも、歳をとっていて体調が悪かったりすると、それは不可能かも知れません。転べば、ケガをするでしょうし、運が悪ければ骨を折るでしょう。歳をとってから骨を折ると、治るまでにひどく時間がかかります。3か月、それとも6か月?
 滑って転ぶのは高齢者だけではありません。子どももよく転びます。子どもが転ぶのは急ぐから。でも、ゆっくりと言っても子どもはなかなか理解しません。そういうとき、手すりがあれば、手すりをつかんでといえば、子どもも転ばなくなります。
 手すりをつかむために行動の速度が遅くなりますし、滑りそうになったときに手すりをぎゅっとつかめば体勢が立て直せるわけです。それはあなたにとっても同じかも知れませんよ。
 滑るという問題がなくても、手すりは効果があります。座った姿勢から立ち上がったり、浴槽をまたいだりするときに、手すりが手近にあれば無意識にでもつかむものです。
 手すりがなければたぶん浴槽の縁を握ったり、あるいは給水栓を掴んだりしているはず。単に使い勝手の問題であれば、好き好きさといっていられますが、事故に関係するとなれば話は別ですね。

浴槽は入りやすく出やすいものを、いつまでも運動選手ではいられない

 浴室の設計と同時に、難しいのはどういう浴槽を使うかです。
 しばらく前までは、とくに集合住宅では出来合いの浴槽を床に置くというのが、ごく当たり前の方法でした。でもこれは、浴槽が深すぎるということがだんだんわかってきました。一方で西洋風の浴槽は浅すぎるということになり、両者の中間をとった和洋折衷浴槽が一般的になりました。ところが、それでも深すぎるという問題があり、浴槽を置く場所の床を少し沈めるというやり方が出てきました。
 洗い場から浴槽の縁までの高さを40センチ程度にするためです。なぜそうなったかというと、またいで浴槽にはいるのが大変だからです。一方、戸建て住宅では逆に今までのものは沈めすぎかも知れません。浴槽の縁の高さが30センチもないことが多かったからです。これは入るときは落差が大きくて大変です。
 40センチくらいにすると、縁に一度座ってからゆっくりと浴槽に入ることができます。立ったまま、どこにもさわらずに入るのは若い人の特権ですが、いつまでもそれが続くとはいえません。
 もちろん、手すりはあったほうがいいのですが、手すりを使わなくてもいい設計にしておくのがまずやるべきことです。なぜなら、われわれはいつまでも健康で、なんでもできるというわけにはいきません。体調が悪かったり、歳をとっても問題を表に出さずにすむのがいい設計なのです。この洗い場から40センチくらいという浴槽の寸法はさほど無理な条件ではありませんから、今では標準になっています。集合住宅のバスユニットがその口火を切ったのです。これも阪神・淡路大震災のあとの復興住宅で最初に一般的になりました。
 なお、入浴時以外に子どもが勝手に入り込んで溺死する事故を防止するため、外側から施錠できるようにしておくことが必要です。

シャワールームには暖房が必要、さもないと風邪を引きます

 身体が不自由になって浴槽に入ることができなくなっても、シャワーを浴びることができれば、清潔に過ごすことができます。今後は入浴の手伝いをしてくれる人手があまり期待できなくなることを考えれば、シャワーをもっと有効に使うことを考えておくのがいいでしょう。
 しかし、冬になるとシャワーだけでは風邪を引くといわれることが少なくありません。それは、浴室が寒すぎるからです。
 日本の浴室で暖房されているところは、ほとんどないといってもいいくらいです。浴槽にお湯をためてじっくり身体を温める入りかたなら、特別な暖房が用意されなくても大丈夫だったからです。
 それでも、年寄りに一番風呂はよくないといわれていたのは、冬の浴室は寒くて卒中の危険があったからです。誰かが先に入れば、床や壁が暖まるので、急に寒さに身をさらさなくてすむということは経験的にわかっていました。
 たとえ卒中にならなくても、寒い浴室が健康によくないことは当然ですね。もしシャワーだけで済ませるようにするには、浴室がはだかでも平気なくらい暖められていなければなりません。それも、できれば床だけでなく壁もある程度暖かくするといいでしょう。
少しぜいたくなようでも床暖房という手もあります。浴室が暖かければ、換気しながらここを洗濯乾燥室に使えます。現に民間マンションではそういう例は少なくありませんし、最近のユニット型の浴室はそういった機能を組み込んでいるものが増えています。

シャワーはうまく使えますか:高さと角度

 浴槽につかる入浴が、どちらかといえばゆっくりと時間をかけるものであるのに比べると、シャワーは手軽というのが利点の一つでしょう。
 けがをして浴槽には入れないときでも、シャワーだったら大丈夫ということもありますし、骨折でギプスをしていたりしたら、シャワーがなければそれこそ大騒動ですね。
でも、かけたいところにちゃんとかけ、濡らしたくないところにはかけないようにするには、シャワーヘッドの動きが保証されなければなりませんから、壁に固定でなくて取り外せることが重要です。
 一方、髪を洗うときには両手が自由でないとひどく不便ですから、高い位置にフックがないと困ります。
 日本では、ふつうのシャワーではそうしたフックが2か所しかついていませんが、それではちょうどいい高さにならない人がたくさんできてしまいます。
 うまくシャワーを浴びるために、身体をひねったりかがみ込んだりした経験をお持ちの方も多いでしょう。それでもうまくいかなければ、片手でシャワーを持って、もう一方の手で身体をこすることになり、これもひどくやりにくいものです。
使いやすいものであるためには、上下にスライドさせることのできるバーにシャワーフックがついているのがいちばんです。それなら、高さも角度も自由に選べます。

ガラスは危険、はだかですよ

 浴室をつくるに当たってもう一つ気をつけなければならないのは、入浴の際ははだかだということです。明るいほうがいいですから、浴室の壁やドアにガラスを入れることがよくあります。でも、ガラスは割れるものです。これは大昔からの真理のはずですが、どういうわけか忘れられることが少なくありません。
 昔のガラスは1枚の面積が小さく、ガラス戸に身体をぶつけても大きなケガになることは少なかったのです。でも、今のガラスは違います。90センチ角あるいはそれよりも大きいガラスが簡単に手に入るので、ほとんどそれがそのまま使われます。めったには割れませんが、割れた時の危険性は比べものになりません。
 こうしたガラスの問題が議論されたのはアメリカでもこの25年ほどのこと、消費者製品安全委員会が全国からデータを統一的に入手できるようになってからです。その結果、最初に問題になったのが、浴室・シャワー室のガラス事故だったのです。ちなみに二番目が階段の問題でした。いずれも建築設計の課題というわけです。
 ガラスを安全に使う方法はあります。その一つが強化ガラスを使うことです。ふつうのガラスは割れると鋭利な破片ができますが、強化ガラスは割れにくい上に、割れた角がとがっていませんから、安全です。現在では住宅用に標準的につくられています。ただし、このガラスはふつうのガラスと違って、現場で寸法を調整して切り落とすことはできません。あらかじめ寸法を指定して注文しなければならないのが、若干手間がかかります。
ガラスを安全に使うには、このほかいくつかの方法があります。合わせガラス、そしてアクリルなどのプラスチックガラスです。それぞれ利点と難点があり、浴室には強化ガラスかプラスチックガラスがいいでしょう。


第6章 使いやすさのポイントはこんなところ

ドアは重くないですか

 あなたがふだん使っているドアは、重たくて開けにくくありませんか。とくに玄関ドアがそうなりやすいのです。それは、風であおられにくいようにドアクローザーがつけてあるためですが、その結果として使いにくくなっては困るものです。設計としては、風にあおられにくく、かつ使いやすいようにしなければいけないはずですが、ときにはうまくいかないのです。
 必要以上に重くなるのは、たいていはドアクローザーの調整がずれているから。また、だれも文句を言わなければ、確実なように少し重く設定されることがよくあります。大きなドアはそれだけ風の影響を受けやすいので、場合によっては親子ドアにする方法もあります。ふだんは片方だけ使い、広くなければ困るときだけ、子どもの側も開けるのです。
また、引き違いドアにすれば、風の影響はほとんど考慮しなくてすみます。ただし、レールの中央部分が次第に沈んでいって、そのままでは立て付けが悪くなることは避けられません。引き違いドアは、ふつうの開きドアに比べると気密性が悪いといわれますが、そのかわりドア周りでの身体の動きは少なくてすみます。ドアを開くために大きく後ろに下がらなくてもいいからです。今でも引き違いが主流なのは自動ドア。自動ドアが開き戸だと、どちらか片方は開いてくるドアに突き飛ばされないようによけなければなりませんから、よくしたものです。もちろん出口と入り口を分ければ問題解決です。
 もう一つ、ドアを軽くする方法としては、引き戸を上から吊るやり方があります。これだと中におもりを組み込んで、ゆっくりと閉まるようにすることもできます。なお、忘れてはならないのはドアの開閉金物の使いやすさ。丸いノブや小さなつまみ状のものではなく、レバーハンドルなど大きめで力が掛けやすく軽く扱えるものを選びましょう。見栄えだけのデザインに惑わされてはなりません。

手すりは下地を十分に。また太すぎては使えません

 手すりは、身体をがっちり支えるために取り付けるものです。飾りではありません。したがって、体重をちゃんと支えられないのでは失格です。これは、予定しなかったところに手すりを後からつけようとするときに最も問題になります。
 最近の住宅は、火災安全のため、プラスターボードや石膏ボードを仕上げ材として使うことが多いのですが、これらのボードは手すりを支える強度がありません。手すりの支持部というのは、間隔がかなり離れていますから、一カ所に集中する力は思ったよりずっと大きいのです。
 手すり支持部を大きくしても、何回も力が掛かるとボード自身がつぶれてしまうのです。したがって、仕上げを取り去ってちゃんとした下地をもう一度つくる羽目になるかも知れません。そうすると、手すりそのものの取り付けよりも、仕上げのやり直しのほうがはるかに費用がかかります。
 あらかじめ手すりを取り付ける場所を予定していれば、そこを確実に補強して備えることができますし、だいたい必要になるところはわかります。
 そのうちのいくつかは、最初からつけてもさほど気にならないところでしょう。階段、浴室、便所は手すりが必要であったり、あったら非常に便利なところです。
また、手すりというと、さて材料を何にしようかと考えます。住宅だから木がいいと思うと、これが意外にむずかしいのです。
 なぜなら、木の手すりはたいていが太すぎるからです。いまは一本の木からとることはほとんどなくて、まず集成材ですが、そのほとんどがしばらく前までは直径6センチでした。そのほうが強度が出るからですが、握るほうからは問題外。4.5センチのものですら、ほんとうに手すりを使いたい一部の高齢者には太すぎます。
 実験してみると、つかんで確実に支えられる太さは3センチから4センチまで。この太さは、それまでの集成材のつくりかたではできませんでした。そこで、最近では張り合わせる材料の寸法を特別に変えたりして、3.5センチのものをつくるようになっています。どうしても木にしたかったら、たとえ少し高くても、握れる太さのものにしてください。せっかくつけた意味がなくなります。
 使いやすい取り付け高さは人によって少しずつ違いますが、移動用の手すりは床から75センチが標準的。また、このとき袖を引っかけないように、端部を下か壁側に曲げます。

窓は開けやすいものを:手が届きますか

 部屋が外に面していれば窓をつけたくなりますし、それはできれば開けたくなります。でも手軽に開けられますか。
 設計するときには家具などは図面にはあまり書き込まれませんから、簡単に開けられると思っています。ところがいざふたを開けてみると、予想外のところにテーブルなどのじゃまものが居座っていて、窓を開けるのが一苦労ということはよくあります。
いすを踏み台にしてよじ登らないと開かないのです。すぐ脇まで近寄れれば届く高さなのに、窓際にテーブルが置かれてしまったので、そもそも手が届かなくなって開かずの窓になったりします。
 台所の流し台の向こう側の窓も、そうした問題がよく生じます。流し台の奥行きは60センチくらいありますし、いろんなものが台の上に置かれます。そのあいだをぬって手を出して止め金を外し、不自然な格好で力を掛けないと開けられないことも起こります。止め金を操作するのはそんなにむずかしいことではありませんが、その後で窓を開閉するのが大変なのです。
 こうした点は、建築家も必ずしも十分わきまえているとはいえません。とくに若い男性建築家は、生活実感を欠いていることがあるので要注意。図面の上での検討は、多くの場合、現実離れしているのです。もう一度、実際の生活場面を想像して、問題がないかどうかを確認してみてください。
 ドアの項目のところでも述べましたが、窓以外でも、開閉金物などで使い手を考えていないものが少なくないのにびっくりするのではないでしょうか。

台所は使い勝手。使い手が複数だと合わせるのが大変ですが

 台所の使い手はだれでしょうか。今では、それは主婦とは限りません。共稼ぎだったら料理を交互にしたり、あるいはそうでなくても皿洗いは夫の役目だったり、子どもたちがそれぞれ役割を持っていたりということは、最近では珍しくないでしょう。
 そうした多くの利用者が使いやすい台所というのは、いったいどういうものでしょうか。
実はその答えがいちばん難しいものなのです。なぜかといえば、台所作業の多くは台の上でするものですが、その台の使いやすい高さというのが、一人ひとり違うからです。
 おおまかにいうと、それはその人の身長の半分よりちょっと高いくらいになります。しかも、ちょうどいい高さよりちょっと低いのは、腰を中途半端に曲げなければならないので、ひどく使いにくくて疲れるという問題もあるのです。
 夫婦と子どもたち、さらに場合によってはいっしょに住んでいる祖父母、これらの人の身長は、高い人からいちばん低い人まで30センチくらいは違うのではないでしょうか。
そうすると、使いやすい台の高さは15センチくらい違ってきてしまいます。JISで決まっていたのは80センチと85センチですから、とても間に合いません。
 これまでに考えられた解決策は、流し台をを上下させるということです。使う人が変わるたびに調整するには電動か、手動か、いずれにせよちょっと大がかりになってしまうでしょう。とくに電動ですと、200万円くらいします。
 それをあきらめるとすれば、踏み台を持ってきたり(子どもならできますね)、いすに座って作業できるようにしたり、あるいは作業台部分を高低2段つくったり、それなりに考えられることもあります。
 いずれにせよ、あまりにも狭い台所は、こうした工夫がうまくできませんから、使いやすいことはないでしょう。

洗面台は大きめ、高めがずっと楽です

 洗面所についている洗面台は、なぜ今までは低かったのでしょうか。ずっと昔からあの高さにつけることになっていて、だれも不思議に思わなかったのかも知れません。
 でも調べてみると、もっと高めのほうがずっと楽です。低いと、水しぶきが周りに飛ばないようにするために、かなりかがみ込むような姿勢で使うのできゅうくつなのです。身体が柔軟ならいいのですが、それが歳をとるにつれて不自由になってくると大変です。
 台が高すぎると手から肘を伝って水が来るといいますが、実際にはもう少し高くても問題は生じません。実験してみると、今の洗面台の高さが使いやすいのは身長が140センチくらいの人で、身長170センチくらいだと80センチは必要です。
 洗髪洗面化粧台が、朝シャンプーするのに便利だということでずいぶん売れましたが、洗面台の高さはあのくらいがちょうどいいのです。
 中には高さ調節ができる機器もありますが、それだと大人から子どもまでちょうどいい高さに調節できるので、住宅用にはぴったりです。便利さがほんとうの使いやすさといっしょになるというものの見本ではないでしょうか。

コンセントは高めに。しゃがみ込まないと使えないものはダメ

 部屋の中を見回して下さい。電気器具のためのコンセントはどこにあるでしょうか。床に近い低いところにあるのではありませんか。
 今までの住宅ではだいたいそうでした。でもふだんの使い方を考えればそれは大きな間違いです。掃除機を使うときには、少し高い位置にないと、抜き差しがひどく不便です。
足腰が不自由になるとこれは致命的です。また、多くの電気器具のなかで、ほんとうに低くないと困るものはほとんどありません。
 さし込み放しのものであれば低くてもいいといわれるかも知れませんが、高いとまずい理由もほとんどありません。せめて床から40センチくらいは上げてください。そうすればあまり無理な姿勢をせずに使えます。
 もう一つ重要なのは、空間の角(入り隅)に近すぎてはいけないということです。コンセントは目障りだからということで、できるだけ端のほうにつけがちですが、あまり奥のほうに置くとなかなか近づきにくくなってしまいます。また、家具などを置くときには角のほうによせるのがふつうですから、コンセントは家具の陰に入ってしまいます。使いたくても使えないコンセントなんて困ったものですね。これもまた生活体験のない若い建築家が犯しそうなミスです。気をつけて。

柱・壁や床の仕上げにも思いやりを

 われわれが今つくっている住宅は、昔に比べると狭いといわれます。広々とした住宅なら、壁や柱のごく近くを通ることはあまりなかったに違いありませんから、うっかりぶつかるといったことも頻繁に起こらなかったのではないでしょうか。また、われわれの住宅の中での行動も、ずっとせっかちになっているのかも知れません。
 もし、柱にぶつかると、角でケガをすることもないとはいえません。それを防ぐには、角を少し丸めるのが望まれます。
 丸めるといっても、ほんとうに曲面にする必要はありません。直角をちょっと削る(面取りする)だけで、ぶつかったときの影響を大幅に軽くすることができるのです。そうですね、1センチも削ればそれだけで大きな違いです。
 また壁の仕上げがざらざらだと、うっかりこすったときにひどい擦り傷をつくってしまいます。和室にじゅらく壁をまねて吹き付けたものなど、最悪です。本物なら砂粒が落ちるのですが、にせものはこすっても落ちない強烈な紙やすり状なのです。
 床の仕上げにも配慮が必要です。とくに集合住宅などでコンクリートの下地に直接カーペットを敷いたものがありましたが、これは歩くだけでも頭にひびきますし、転んだりしたら大変。ある程度のクッション性が必要です。

たかがスイッチ、されどスイッチ。事故の引き金になるかも

 小さなスイッチ一つ、馬鹿にしていませんか。でも場合によっては、それがどこにあるか、どういうふうになっているかで、重大な結果が生ずるかも知れません。
電気のスイッチというのは、大きな全体システムの中で、ごくわずかだけ表に出ているところなのです。あんなものが、空間全体の照明を制御し、機械の動作を左右するのです。
逆にいえば、スイッチのちょっとした操作ミスが大きな事故の引き金になるかも知れないのです。そういう意味では、スイッチが簡単に手が届いて使いやすい位置につけてあることは必須です。望ましいのは、ドアのすぐわき、腰より少し高い位置、だいたい1メートルくらいのところです。
 照明ですと、ついていなければ暗くなりますが、そのときに最も大切なのは、スイッチがどこにあるかすぐわかることです。スイッチのありかがわからないために真っ暗な中で歩いてぶつかったり、足を踏み外したりというのは、いちばん避けなければいけない問題でしょう。このとき、スイッチに小さな明かりが組み込まれていれば、暗くてもどこにスイッチがある場所がわかりますから安心です。
 もう一つ大切なのは、スイッチの働きがわかりやすいこと。昔のスイッチは、少し飛び出していて、上にはねあげると入り、下におろすと切れるようになっていました。最近はあまり飛び出ていなくて、左右のいずれかを押すようになっていますが、これはわかりやすさという点では必ずしも進歩とはいえません。もっと悪いのはタッチ式のスイッチ。扱うのに力が必要ないのはいいのですが、手ごたえがなくて、そのままでは入ったかどうかわかりません。こういうスイッチは不安で不便です。パイロットランプなどで入切の状態を表示する必要がありそうです。

足下灯、常夜灯、明かり付きスイッチなど、最低限の安全は確保して

 夜中に目が覚めて便所に行くときなど、暗い中を移動しようとして転んだり、ぶつかったり、落ちたりする事故がときどき起こります。ふだんよく知っているから見なくて大丈夫という人がほとんどですが、実はそこに落とし穴があります。
 その日だけ物が置いてあったり、いつもと違った向きに寝たり、たまたま薬を飲んでいたりといったことは、いつもの感覚を狂わせるのです。
 とくに、階段口から落ちたり、高い玄関かまちを踏み外したりすると、思ったより大ケガにつながります。
 そうしたトラブルを未然に防ぐには、平面計画も重要ですが、もう一つ大切なのは夜間も廊下などを明るくすることです。その手段として、常夜灯をつけたり、足元灯で照らしたり、またスイッチのありかがわかりやすいように明かり付きのものにしたりといったことが考えられます。
 これらは、中身としては大したことがないようですが、ものが見える最低限の条件を確保するという点で、非常に効果があります。
 最初から住宅をつくるときに組み込んでおけばベストですが、もしなかったら簡単に付加することができるものもあります。
 たとえば、コンセントに差すだけで常夜灯になるソケット一体型の小さなランプ、もう少し高価なものでは、人の動き、あるいは人体からの赤外線を感知して点灯するランプなども後付けのものがあります。

集合住宅を選ぶときはーー共用空間は使いやすいですか?

 ここで述べていることのほとんどは、原則として戸建て住宅、集合住宅どちらにも当てはまる内容です。しかし、集合住宅には、戸建て住宅にはない面があります。それは、アプローチ、階段、廊下、そしてエレベーターなど、共用になっている部分の存在です。
これまでは、こうした部分は、「ふつうの居住者」を念頭に置いて設計がなされてきました。しかし、最初からこのページまでずっと強調してきたように、今ではこれまでの「ふつう」を踏襲すると、高齢者を含めた多くの居住者を利用者から切り捨てることになります。
 そうした発想が許されなくなった時代が来たことを宣言したのが、1994年9月に施行されたハートビル法(高齢者・身体障害者が利用しやすい特定建築部物の建築の促進に関する法律)なのです。ハートビル法では、不特定多数の人が利用する公共建築物を特定建築物として、バリアフリーにつくるように要請していますが、考え方としては集合住宅とて例外ではあり得ません。
 今後も高齢者の割合は依然として増え続け、住宅に住んだまま歳をとっていくのが当然になりますから、居住者の中には外出時に車いすを利用する人が出てくることもあると思わなければなりません。そこで、そうした居住者が不便を被らないような設計が求められるのです。
 たとえば、屋外のアプローチは、少なくとも車いすで住棟に出入りできるようにすること、共用階段や傾斜路は緩やかに幅を広めにして手すりをつけること、共用廊下も手すりをつけ、されに車いすの利用も考慮すること、できるだけ3階から5階建ての集合住宅にもエレベーターをつけて車いす利用にも配慮することです。
 こうした点まで配慮がなされた集合住宅は、全体として水準が高いと考えられますから、住まいを選ぶに当たって留意するのがいいでしょう。


第7章 設備を使いこなせば、もっと快適

設備:便利さをうまく使いこなして

 この数十年、われわれの住宅は信じられないほど変わりました。筆者は小さなころ(40年以上前のことです)、九州の中くらいの規模の都市の郊外に住んでいましたが、その借家は水道と井戸水が併用、燃料はご飯も風呂も薪で、便所は汲み取り式でした。
 最初に入ったいわゆる電化製品は洗濯機だったような気がします。絞るのは手回しローラーでした。掃除機、冷蔵庫はもちろんありませんでした。暖房は火鉢と掘り込みこたつ。
それから比べると、今の住宅には何でもあります。実に便利になりました。昔は人手でこなしていた仕事の多くが、設備で置き換えられたわけです。
 もっとも、仕事を分担していた人手が少なくなったことも、一方ではあります。でも、そういった便利な設備をうまく使いこなしていますか。それぞれの設備には、利点と同時に短所があります。苦手なことをやらせようとすればうまく行かず、役に立たないとか、期待はずれだとかいうことになります。
 たとえば、冷暖房兼用エアコンは、冬寒いところでは能力が不足するのはほとんど避けられない宿命です。また、床暖房は、ずっと運転しないと、床が暖まらないのです。長時間運転すると費用がかかるからといって入れたり切ったりする間欠運転には向きません。そもそも、そうしても費用の節約にはほとんどならないのです。
 便利になったものの一つにホームオートメーションがありますが、まだ十分に普及しているとはいえません。機能は開発されているのですが、使いやすさが進歩に追いついてないのです。説明文がついていてもわかりにくいのがふつうで、慣れるのが大変です。
 われわれになじみの少ない機器は、そういった意味での難しさがあります。ほんとうはもう少し使い手のことを考えてくれるといいのですが、機能の高度化にばかり努力して、簡単に間違いなく使えるか、ということにはあまり注意が払われていないのです。

足下の暖房はつい忘れがち、でも大切

 部屋の暖房をするときは、全体の温度が上がるかどうかにはみんな気をつけます。でも、足元がちゃんと暖かいかどうかはあまり気にしません。実は足元が寒いと、身体が暖まらないのです。
 ふつうに使われる暖房機器は空気を暖めるものが多いのですが、これは足元を暖めるのには適していません。暖かくなった空気はどんどん上にいってしまうからです。そして、床近くには冷たいすきま風が代わりに入ってきてしまいます。
 こういったところでは、いくら暖房しても頭の近くだけ暑くなって、膝から下は寒いまま。頭寒足熱の逆にしかなりません。
 台所のように調理中には換気するところでは、代わりに入ってくる新鮮な空気が冷たいので、調理人は最悪の環境のもとに置かれます。これはある意味で宿命ですが、足元ヒーターを用意することで、若干の改善をすることはできます。ふだん使わない人にはあまり切実ではないことですが、大切な配慮です。
 台所はたとえ足元が寒くても、立っていることが多いのでそれなりに動き回ります。でも他の部屋では、床が冷たいと動かなくなって、暖かいところにずっと居座ることになります。とくにこたつに一度入ったら、出て他のことをするのがおっくうになるでしょう。
もし床が暖かかったら、そんなことはありませんね。足元からゆっくり暖める床暖房は、そんなに高温にする必要はありませんし、床が暖房されていると、部屋全体の暖房も強くする必要はありません。ですから、暖房費用全体としてはかえって少ないくらい。
 ただ、温水床暖房であれば配管が床に納められなければなりません。一方、電気だと、温水より設置は簡単ですが、少し高くつくかもしれないのと、身体が直接床面に接している場合に温度調節がむずかしいのが難点です。
 でもいずれも、最近はむかしに比べて設置がずっと容易になりましたから、考慮する価値があると思います。

暖冷房するときに空気はきれいですか。確実に新鮮な空気を

 暖房や冷房をするときに部屋を閉め切るのはごくふつうですが、そのとき空気がきれいに保たれるようにちゃんと配慮されているでしょうか。
 むかしは隙間だらけだったわが国の住宅は、アルミサッシの登場によって気密性が一気によくなりましたが、その結果、部屋の中での燃焼に必要な新鮮外気を十分に入れられなくなって、一酸化炭素中毒による死亡事故が急増しました。
 始めはそれは冬の暖房期に起こりましたが、冷房の普及で、夏に瞬間湯沸かし器の燃焼で起こる事故(俗に酸欠事故と呼ばれます)も発生するようになりました。一酸化炭素はにおいがなく、酸素が十分でなくてもわからないため、気がついたときには手遅れになってしまうのです。最近は湯沸かし器は大型になって屋外に置かれるようになり、事故の危険性は少しは減ったようです。
 また、暖房もファンヒーターが全盛で、新型器器であれば一酸化炭素中毒はセンサーで防止できるといわれています。でも、室内で燃焼させることで空気が汚れるという点では、依然として事態は改善されていません。とくに燃焼による窒素酸化物が健康によくないことは、その重大さの割にはあまり知られていません。
 ファンヒーターなどが好まれるのは、手軽なためですが、換気は1時間に1回、5分くらい窓を開け放さないといけないことを覚えておいてください。
 また、冷房も、換気モードでなければ室内で回しているだけで、空気はどんどん汚れることを忘れずに。室内機と室外機とが切り離されているタイプは、とくに要注意です。

送風式の暖冷房は逆効果? 輻射の方がやさしい

 冷房や暖房をするときに、どういいものが身体にやさしいのでしょうか。
 冷房は、ほとんどが空気を冷やしてそれを循環させるもの、暖房も暖めた空気を送るものが一般的ですね。
 それは確かに冷やしたり暖めたりするのに速く効果が出るという意味では、適当なやりかたです。でも、その代わり問題がないわけではありません。
 冷房の冷たい空気が直接身体に当たるのは、体調を崩してしまう原因になります。
 住宅の部屋程度の広さでは、冷気が周りの空気と十分に混じり合う前に人のいるところに届いてしまうので、なかなか解決の難しい課題です。
 また、とくに暖房では空気が乾燥してしまうので、風邪を引きやすくなりますし、肌が乾燥して荒れてしまいます。高齢者ではもともと肌が荒れやすいので、乾燥した暖かい空気が直接身体に当たるのはできるだけ避けるべきです。
 最近は加湿器がはやりですが、断熱が十分でなければ家中結露することになり、あとでカビだらけになってしまいます。
 空気暖房式に比べると、温水を循環させるラジエータ輻射、あるいは床暖房は、肌から強制的に水分を奪うことがないので、ずっと穏やかな暖房方式です。冷房はごく最近まで輻射式がありませんでしたが、最近になって天井からの輻射冷房が実用化されるようになりました。これも冷気にさらされることがない点ですぐれています。ただし価格は安くないようです。

水栓はレバー操作の混合水栓が便利

 家の中でお湯を使う場所は、浴室、洗面所、そして台所でしょう。そのとき、たいていは水の量と温度の両方を調節する必要があります。
 しばらく前までは、水とお湯は、それぞれ水栓が別というのがふつうでしたが、今では混合水栓が一般に普及してきましたから、それを採用すれば一つのレバーを操作するだけで目的が達成できるようになります。
 また、ある温度以上には上がらないように、サーモスタットを組み込んだ水栓もあります。浴室の場合、とくにシャワーなどでは、ある温度以上のお湯が出てはだかの身体にまともにかかると危険ですから、サーモスタットを入れて上限を区切るのがいいでしょう。
水栓がレバー一つで済むというのは、力や指先の器用さも必要なくなりますから、関節炎を患ったり、ケガをした時でも問題がなくなります。
 また、レバーはたいていある程度の長さを持っていますから、2つを交互に調整しなければならない回転式の水栓に比べれば、微妙な調整もずっとやりやすくなります。
 これまでのところ一つ残っている問題は、そうやって設計された水栓の動かしかたがわかりにくいこと、とくに温度調節の方向がなかなか見分けにくいことです。
 水栓の使い方には、レバーを上に上げて水を出すものと、下に下げて出すものとがあります。全く逆なので、少なくとも同じ住宅の中では両方が混在することは避けるべきです。なお、いざというときのことを考えると、下げて出す水栓は、上からものが落ちてくると水が出っぱなしになるので、とくに地震がある日本では気をつけなければなりません。せっかく断水に備えてタンクに溜めてあった水がなくなってしまうからです。
 また、初めて触る水栓だと、温度調節のための色表示の意味が判別しにくく、どちらに動かすと熱くなるか瞬間的に判断できないことがよくあります。熱くなる方向に動かすと赤い表示面積が増えるようになっていればわかりやすいのですが、多くは単に赤・青の色分けが左右に回転するだけなので、どちらが高温なのか、よくわかません。これは今後の課題でしょう。(レバーを左に回すと熱くなるはずです。)

来客ですか、それともセールス?

 家にいて、人にじゃまされたくないとき、あるいは体調がすぐれず動きたくないときなど、インタホンにテレビがついたものは非常に便利です。声だけでなく顔でもだれが来たか判断できるので、断ることが容易になります。上手な人なら居留守を使うのではないでしょうか。やりとりしなくても顔を見ればだいたい見当がつきますから。これは、元気なうちは不要な装置かも知れませんが、歳をとって玄関までわざわざ行くのが一苦労の人にとってはほんとうに福音です。それに玄関ドアの自動解錠装置を組み合わせれば、気心の知れた知人なら出迎えに出なくても中まで来てもらうことができます。
 自動というと、なんだかそっけないような気がしますが、出迎えに出られないから客はお断りとか、逆に、だれでも入れるようにかぎをかけないでおくのだけれど、いざというときが不安という人にはぴったりです。考えてみれば、ヨーロッパの都市の住宅では、とくに階段を昇ったりしなければならないところでは、いまは自動解錠はごく当たり前。昔はコンシエルジェ(門番や管理人)が入り口にいたのが省略され、いわば自分で門番や管理人の役も果たすのです。昔だって、セールスの人は入れてもらえるとは限らなかったのですから、今だって大差はないわけです。

台所、調理中に火がつくと危険です

 台所は間違いなく火を使うところです。そのため、壁や天井は不燃材料を使うのが一般的です。でも、中に置かれるものには燃えやすいものもたくさんありますし、燃えないはずといって油断はできません。また、わが国では、てんぷら油を調理に使うのがかなり一般的です。とくに最近は冷凍食品で、揚げれば調理完成といったものがたくさんあります。そこで、てんぷら鍋を使っていて温度が上がりすぎて火が入ったという事故が頻発しています。温度が上がるまで他のことをしようと思って離れて忘れてしまったり、電話・あるいは来客で玄関に行っているうちに火が入るのです。
 いちど火が入ったてんぷら鍋を扱うのは、非常に危険です。落ちついて温度を下げればいいのですが、あわてるとひっくり返す危険性がありますし、炎の勢いに押されてなかなか手が出せないものです。
 事故の発生を未然に防止しようという試みから、最近の調理コンロには、温度上昇防止装置が付いています。そうした装置を使うのが、安全面から強く望まれます。
もう一つコンロで問題になりそうなのは、ふきこぼれです。沸騰したりしてふきこぼれた後、ガスが出っぱなしになるのも危険です。
 これも、火が消えると自然にガスが止まるコンロがふつうになりつつあります。たいていは温度で感知して、火がついていなくなると閉じてしまうのです。もちろん安全のためには、ガスもれ警報器をつけるのが望ましいでしょう。
 また、ある時間以上火勢調節をしないと、自動的にガスあるいは電気を止めるコンロもできています。そうした場合は、火をつけっぱなしで忘れていることがほとんどだからです。カレーやシチューなどを長時間煮込むことはありますが、たいていは途中で出来具合を見ますから、たとえば1時間で切れるようになっていても、非常に困ることはないでしょう。つけっぱなしで黒こげにするのに比べればずっと安心です。

火災感知器は備え。完全ではありませんが安全性を高めます

 わが国の住宅で火災感知器を備えているところは、さほど多くないでしょう。むかしから「火事と喧嘩は江戸の華」といったくらいですから、住宅の火事の危険性はそれなりに知っていたはずです。
 でも、木と紙で出来た住宅だから燃えるのは仕方がない、健康な人間が平屋に住んでいるのだから焼け死ぬことはめったにないといった考え方が、対策をないがしろにすることにつながっていたようです。
 今ですと、住宅は2階建てが当たり前ですから、子どもや高齢者がすぐに逃げられるかどうか、はなはだ怪しいもので、現実に住宅火災での死者の半数以上は高齢者ということになっています。
 そういった状況の変化に対応するには、少なくとも火災発生を速やかに知ることがなによりも大切です。
 火災感知器は、煙や熱によって火災の発生を感知し、警報を発するものです。煙や熱は火災以外ではめったに出ないということが、それらの作動の基礎になっています。アメリカでは、住宅に火災感知器を積極的に取り入れた結果、死者数が大幅に減りました。
 ただ、わが国ではサンマなどの調理で大量の煙を出すことがあるために、火災でもないのに警報が出るとして、信頼されていません。それは設置場所が適切に考えられていないからです。適切な場所に備え、煙と熱とをうまく信号として組み合わせてとらえれば、火災以外で警報が出るミスを最小限に抑えられるでしょう。
 出火は1階の台所などからが多いので、階段を上りきったところの天井に設置するのがまず第一。次は1階の居間でしょう。

緊急通報があれば、一応は安心。使わないですむのがベストですが

 一人住まいの高齢者は、万が一の時が気がかりとよくいわれます。でも家族がいても、日中はみんな出かけていて、家には高齢者が一人だけというところは最近少なくありません。
 昔と違って自営業が少なくなったこともありますし、家族構成員がぐんと減ってしまったこともあります。同居なら安心とはいえなくなりました。
 そのときに強い味方になるのが緊急通報装置です。地方自治体が貸してくれることもありますし、自分で費用を払って契約することも可能です。地方自治体の中には、システムの運営を民間業者に丸ごと委託しているところもありますから、外から見えるほどには中身は違わないのです。
 この基本的な内容は、装置が取り付けられた家から警報が入ると、その内容を通報センターから電話で折り返し確認するようになっていて、返事が得られなかったり緊急事態だということがわかれば、警察、救急など適切なところに手配がなされます。
 最初の電話通報が、あらかじめ登録された家族や知人のところに自動的に発信される場合もありますが、連絡不調なら最終的にはセンターにつながります。(ただ、連絡先が留守番電話になっていると、そこに録音された段階で連絡完了になるので、肝心の役に立たないという問題が起きているということです。)
これによって、万が一の時の安心が得られるので、本人も家族も心配がなくなるわけです。とくに一人暮らしの高齢者本人の安心は、周りで考える以上のもののようです。もっとも、時には、寂しいからといって、緊急通報センターに電話をかけて話し込む高齢者もいるのだそうです。
 ただ、これはその高齢者に心のやすらぎを与えるという効果があることを考えれば、まずいというべきではないでしょう。むしろそうした事態をシステムに組み込んであるところのほうが、全体としてうまく機能するような気がします。

スプリンクラーは火災を抑えます。消せなくても誰かが助けてくれるでしょう

 さて、感知器が鳴って火事だということがわかっても、人によってはすぐに逃げることができません。たとえば、足をケガしていれば階段を駆け下りることはできないでしょうし、体調が悪くても同じです。歳をとっていれば、いつそんな状態になっているか予想がつきません。
 そうした場合、警報が出たらすぐ逃げられるはずと、勝手に居住者の能力を過大評価できないことになります。もし自分の力で逃げられないとしたら、誰かに助けてもらわなければなりませんし、そのために必要な時間をどうにかして確保しなければなりません。スプリンクラーなどの自動消火装置を備えるのは、そのためなのです。スプリンクラーは、基本的にある温度になるとヒューズがとんで、そこから自動的に水が噴き出すという装置です。
 機械的な作動は一切いりません。とくに住宅用は、最近になって直接水道につなげるものができましたから、ビル用とは違って、送水ポンプも貯水タンクもふつうは不要です。誤作動というものはありません。あるとすれば、うっかりしてスプリンクラーヘッドになにかをぶつけて壊して水浸しにするということですが、これは設計によってほとんど起こらないようにすることができます。
 さて、スプリンクラーで火は消えるのでしょうか。消えることもありますし、消えないこともあります。でも、先ほども述べたように、スプリンクラーをつけるのは時間を稼ぐためです。スプリンクラーが作動すると警報が同時に出ます。隣近所の人が直ちに駆けつけますし、消防にも通報が行くでしょう。数分のうちに消防隊がとんできて、たとえ火が収まっていなくてもそれを消し、まだ避難できていない居住者を安全なところに移してくれるでしょう。
 われわれがスプリンクラーを始めとする自動消火装置に期待するのは、そうしたことなのです。もちろん、スプリンクラーで火の勢いは抑えられていますから、居住者が火を消すことだって不可能ではありませんが、それはおまけです。


あとがき

 この本では、住まいに求められるであろう条件のうち、とくに安全性と使い勝手を中心にして述べてきました。今までは、住宅をつくるときには、その当座の必要や希望を重点的に考え、将来のことはあまり気にしませんでした。しかし、「本当にそれで十分ですか?」「それでいいのかどうかもう一度見直してみませんか?」「ことによると、初めのちょっとした配慮があとで大きな差を生むのではありませんか?」というのが、ここでいちばん言いたかったことです。
 みなさんは、これから住宅をつくったり購入したりするのではなく、すでにお持ちかも知れません。でも、今の住宅の改修や古くなった設備の交換などを考えるときには、この本に書いてあることが参考になると思います。

 なお、ここでは、車いすについてはあまり触れていません。高齢者が自分で車いすを使うことは、相対的には少ないからです。もしあるとしても、それは家の中で使うのではなく、ほとんどは外出の時ではないかと思います。したがってこの本では、ごくふつうに起こる生活上の問題の解決策を主に述べました。そして、いざ車いすという事態になったときにも、大きな支障が起こらないようにしておくためのアイデアも入れてあります。

 本書の執筆中に、阪神大震災が起こりました。その結果、十分補修されずに老朽化した住宅の下敷きになって、多くの方が不幸にも亡くなりました。また、助かった人々も、避難所、そして仮設住宅での不便な生活を余儀なくされています。しかも、とくに高齢者がそのしわ寄せを受けています。もし、住まいは誰にとっても安全で使いやすくなければならないということが常識になっていれば、少なくともあれほどの不都合は生じなかったでしょう。
 さまざまな災害から身を守ることは、それぞれの住まい手の備えから始まります。今回の経験を将来に生かすことが、尊い犠牲を無駄にしないことだと思います。

一九九五年三月

古瀬 敏


UP:20030529
バリアフリー/ユニバーサルデザイン  ◇古瀬 敏  ◇全文掲載

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