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尊厳死について

平成六年五月二十六日
日本学術会議 死と医療特別委員会



1.はじめに

  日本学術会議は、第十五期の活動の具体的な課題の一つとして、「死と医療」の問題を取り上げ、「終末期における尊厳死、安楽死や医療経済の問題、更に説明と同意などの社会的側面等人と死と医療の在り方について検討する」ため、「死と医療特別委員会」を設置した。死と医療特別委員会においては、その設置の趣旨に基づき、終末期医療の問題を総合的に検討する方法について討議がなされ、その結果、現在、社会的に大きな関心事となっているだけでなく、医療経済の問題及び説明と同意(インフォームド・コンセント)の問題とも関連する尊厳死を主題とすることとし、中間報告書「尊厳死について」をまとめた。そして、同中間報告書は、第117回総会の自由討議に付されたところであるが、本委員会は、同自由討議における論議を踏まえて尊厳死についての見解をまとめ、ここにその意見表明を行うものである。

2.尊厳死を取り上げる意味

  (1)生命維持装置の導入など、生命維持治療の長足の進歩により、輸血、高カロリー輸液、心臓マッサージ、人工呼吸などの延命措置が発達し、従来は不可能であった患者の治療が可能になってきたが、それに伴い、末期状態にある患者の延命も可能になり、ガンなどの激痛に苦しむ末期状態の患者や回復の見込みがなく死期が迫っている植物状態の患者に対しても、延命治療を施している場合が多い。尊厳死は、こうした助かる見込みがない患者に延命治療を実施することを止め、人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えさせることをいうものと解されている。近代の医学は、「ヒポクラテスの誓い」に忠実に従い、患者が生きている限り最後まで治療を施すという考え方に従ってきたが、単に延命を図る目的だけの過剰な治療が、果たして患者の権利になっているのか、むしろ患者を苦しめ、その人間としての尊厳を害する結果になっているのではないかということが問題となってきた。尊厳死の考え方は、こうした生命維持治療の進歩に伴って生じてきた過剰な延命医療の不開始・中止(以下「中止」と略す)を認めるものとして、1970年代のアメリカの判例に現れ、その後カリフォルニア州で世界で初めて法制化されたのである。(自然死法 Natural Death Act, 1976)
  以来、尊厳死の問題は世界的に論じられるようになってきたが、我が国では、尊厳死に当たるような事例が裁判所で判断されたことはなく、それが法律上許されるものかどうかについては明らかになっていない。こうした背景のもとに、我が国では日本尊厳死協会が尊厳死を推進するために活発な運動を展開しており、また、日本医師会生命倫理懇談会も「末期医療に臨む医師の在り方」に重大な関心を払うに至っている。そして、平成三年には東海大学安楽死事件が発生したこと、さらにはオランダの遺体処理法(Burialand Cremation Act)の改正において世界で初めて安楽死の届け出が法律上義務づけられたことに関連する新聞等の報道を契機として、尊厳死ないし安楽死に対する世論の関心は非常に高まってきており、平成五年に実施された厚生省の世論調査によると(平成五年八月四日末期医療に関する国民の意識調査等検討会・報告書。以下、「厚生省報告書」と略す)、国民の約八割が、尊厳死、安楽死などの末期医療の在り方に関心を示している。
  尊厳死は、このように今や国民的な関心事となっており、「尊厳をもって死ぬ権利」とか、「生命の処分権」といったキーワードのもとに、尊厳死を安易に肯定する見解も主張されるようになってきた。しかし、尊厳死を認めることは、生命の保護という「ダム」の決壊作用をもたらし、生命軽視という「滑りやすい坂道」(slippery slope arguments)へと第一歩を踏み出すものとして倫理上問題があるばかりでなく、尊厳死は人の生命を短縮する措置と考えることもでき、刑法上の殺人罪や自殺関与罪に該当する疑いも否定できない。そこで、尊厳死の是非を議論する場合には、尊厳死が問題となる背景を明らかにしたうえで、医学、倫理、宗教、法律等の総合的な観点から解決策を導き、人命の尊重と患者の意思の尊重との両面を考慮し、生命の保護にクサビを打ち込むようなことのないように、慎重に配慮しなければならないのである。

  (2)尊厳死は、上記のごとく延命治療の中止を内容とするのであるが、この延命医療とる類似する語として、末期医療、生命維持治療、終末医療といった用語があるというものの、それぞれの意味及び相互関連については、医学的に必ずしも明確にされていない。しかし、尊厳死においては「専ら延命のためにのみ実施されている医療」すなわち過剰な延命医療が問題となるところから、本委員会においては、このような延命医療の中止を尊厳死としてとらえ、その是非を検討することにしたい。
  延命医療の実態について正確に調査することは実際上不可能であるが、激痛を伴い、治る見込みがなく、しかも死期が迫っている患者について、患者や近親者に十分な説明がなされないまま、あるいは患者の意思に反して、積極的な治療すなわち過剰な延命医療が行われていることは、しばしば耳にするところである。特に、激痛を伴う場合は、患者本人のみならず近親者にとっても大きな精神的負担となり、先の厚生省の報告書では、このような場合に延命医療を中止すべきであるとする者は、調査対象者全体の75%に達している。また、植物状態の患者については、数年以上の長期にわたって生存する例もあり、家族の物心両面にわたる負担が大きな問題となっているが、意識が消失していて助かる見込みがなく、死期が切迫しているような場合についても、なお、積極的な延命治療が行われている実態があることも否定できない事実である。厚生省報告書によると、このような植物状態に陥り助かる見込みがない場合に延命医療の中止を望む者は、後述のごとく高率に達している。

  (3)延命医療の実態及び世論の動向は上記のとおりであるが、尊厳死を認める根拠としては、しばしば、@近親者の物心両面にわたる過大な負担の軽減、A国民全体の医療経済上の効率性、B患者本人の意思の尊重などが挙げられている。これらのうち、@は確かに深刻な問題を含んでいるが、近親者の負担は何も末期状態の患者に特有の問題ではなく、また、これに力点を置けば、近親者の「都合」で、あるいは近親者の利益のために患者の生命を短縮することを正当化することになるところから、近親者の負担の軽減を直接の目的とする延命医療の中止を肯定することは、倫理的のみならず法的にも妥当でない。次に、Aについては、無益かつ高額な延命医療が実施されている実態のあることは明らかであり、この現状を改善する必要があることは無論であるが、それはあくまでも診療報酬請求ないし給付の適正化の問題であって、経済効率の観点から人の生死を左右せしめることは、倫理的及び宗教的に許されるものではない。
  このようにして、尊厳死の問題を考えるとき、患者ないし近親者の負担の軽減や医療経済上の効率性を全く無視することはできないが、それらを根拠として延命治療の中止を正当化すべきではないであろう。そもそも、医療は患者本人の利益のために実施されるべきものである以上、尊厳死の問題は過剰な延命医療が患者にどのような弊害ないし不利益をもたらしているかという観点から解決すべきである。ところが、医療技術の進歩による末期状態や植物状態の患者の増加、医療情報の普及、高齢化社会の進展などを背景として、医療や人間の生き方に関する人々の考え方が変化し、「苦しくても1秒でも長生きできればそれでよい」と考え、末期状態になっても最後まで生き続けようとする者もいるが、その一方で、助かる見込みはなく死期が迫っていると診断されたときは、苦痛を緩和してもらい人間としての尊厳を保ちながら、残された時間を大切にして自然の死を迎え、安らかに人生の最後を全うしたいと考える者が次第に増えつつあることは、厚生省報告書でも明らかになっている。そして、末期状態についての患者の願望が、このように多様になっているにもかかわらず、それを無視した「行き過ぎた医療」が医療現場でまかり通っていることが問題なのである。このように患者の願望ないし希望が無視され、その意思に反して延命医療が実施されているという事態があることを認めたうえで、末期状態においても、医療の原点であるインフォームド・コンセントの原理に立脚して患者の自己決定ないし治療拒否の意思を尊重し、患者が選択した生き方ないし人生の最後の迎え方を尊重すべきであるということが、尊厳死問題の本質であると考えるのである。

3.延命医療中止の意義

  (1)すでに明らかになったように、末期医療における最大の課題は、患者の希望ないし意思に反して延命医療を施すことは許されるかという点にある。
  患者の意思を無視して一方的に医師が延命医療を実施した場合については、従来人間尊重の立場から当然に認められるべきであると考えられてきたが、すでに述べたように、医療においてはインフォームド・コンセントの法理が支配すべきであるとすると、意思ないし判断能力を有する患者が末期状態において延命医療を拒否している以上は、たとえそれによって生命の短縮を招くことが明らかであっても、医師はその患者の意思に従うべきであって、それを無視して延命医療を施せば、それは行き過ぎた医療となり、過剰医療のそしりを免れないであろう。したがって、本委員会は、患者の求めがある以上、延命医療を中止することは何ら医師の倫理にもとるものではないことを、改めて確認すべきであると考える。
  もっとも、延命医療の中止は、同意殺人罪ないし自殺関与罪に当たるという学説もあるが、延命医療の中止は自然の死を迎えさせるための措置であり、その場合の死は、自殺でもなければ、医師の手による殺人でもないというべきであろう。延命医療を中止して苦痛の緩和のための措置や精神的ケアに切り替え、その結果として(延命医療を施している場合より早い)死を招いたとしても、それを殺人であると考える人はいないであろう。そして、末期医療においては、単なる延命の追求ではなく苦痛の緩和を中心とした医療が求められていることは、厚生省報告書でも明らかであるところから、患者の求めがあれば、医師は、治療の一環として、苦痛の緩和措置を実施する義務があると考える。ただし、延命医療の中止を超えて、毒物などを用いて患者を殺害する行為は、たとえ苦痛の措置を目的とするものであるとしても、自力生存能力を備えた自然の生命を奪うものとして、殺人ないし同意殺人となり、倫理的、宗教的に許されないだけでなく、社会一般の考え方からしても認められないであろう。
  ここで注意しなければならないことは、尊厳死は単に延命医療の中止といった消極的な意味だけでなく、患者の人間としての尊厳を確保することを目的として、患者の意思や自己決定を尊重し、患者の希望に配慮して、残された人生を少しでも豊かに過ごさせるような医療を推進するという積極的な意味があるということである。したがって、単に延命医療を止めればよいというのではなくて、患者本人及び近親者と医師との間のコミュニケーションを図り、患者の希望が奈辺にあるかを把握したうえで、その希望に充分配慮した医療を実施する必要があり、そのためには、医療従事者に対する末期医療に関する教育・研修の充実、苦痛の緩和や精神的ケアに重点を置いた末期医療の供給体制の整備、特にこの種の末期医療に対する診療報酬上の配慮が、今後絶対に欠かせないものと考える。

  (2)延命医療の中止で特に問題となるのは、延命医療を受けるについて、患者が正常な意思を表明することができない場合である。その原因としては様々なものがありうるが、実際に問題となるのは、植物状態の患者についてである。すでに述べたように、植物状態の患者の中には、数年以上の長期にわたって生存する例も見られ、近親者の物心両面にわたる負担が問題となっており、先の厚生省報告書によると、自分自身が植物状態になった場合に延命医療の中止を希望するものは80%であり、近親者が植物状態になった場合は68%というように、かなり高い割合を占めている。しかし、植物状態の定義・診断方法は一応確立したと言われるものの、植物状態が直ちに末期状態を意味するものではないとされており、植物状態に陥ったというだけで延命医療を中止にすることは許されないと考える。それゆえ、植物状態の患者について尊厳死を問題とするためには、医学的に助かる見込みがない状態に陥っているということが必要となろう。厚生省報告書によっても、中止の時期について、「助かる見込みがなく死期が迫っていると診断されたとき」に中止すべきだとする意見が最も多かったところである。
  このように、植物状態の患者についても延命医療の中止を問題とすべきであるが、延命医療もそれ自体としては患者利益となるものであるから、その中止はあくまでも患者の意思に基づかなければならない。しかし、植物状態の場合、延命医療中止の時点では意識がなく、患者自らが中止を希望することができないのであるから、もし意識があれば、延命医療を拒否することが明らかであるような場合でも、中止を認めることができないという不合理が生ずるであろう。そこで、延命医療を拒否する書面による事前の意思表明(リビング・ウィル)に基づいて患者の治療方針を決め、それを患者の意思の確認手段として延命医療の中止を行うべきであろう。
  このリビング・ウィルについては、事前の意思表明を再確認できない状態でそのまま有効としてよいかという疑問もある。確かに、患者の同意は意思が治療を行う時点で存在していなければならないが、決定的な時点で意思を表明することができない場合に、事前にそのことを予想して作られた意思表明の文書を有効とすることは、患者の自己決定を尊重するゆえんであり、インフォームド・コンセントの趣旨にも即すると考える。そうとすれば、文書の形式を採らなくても、近親者の証言によって事前の意思が確認できれば、それを本人の意思ないし希望として扱ってもよいように思われる。

4.延命医療中止の条件

  以上のことを前提にして、延命医療の中止の条件をまとめると、以下のようになる。
  第一に、医学的に見て、患者が回復不能の状態(助かる見込みがない状態)に陥っていることを要する。単に植物状態にあることだけでは足りないと解すべきである。なお、助かる見込みのない状態を明確に診断することは不可能であるとする見解もあるが、一定の条件のもとに繰り返し行われた診断は妥当性があると考える。なお、診断が恣意的になることを避けるために、専門的な知識を有する医師を含む複数の医師による一致した診断を条件とすることとし、診断の結果は診療録に記載することとすべきである。
  第二に、意思能力を有している状態において患者が尊厳死を希望する旨の意思を表明していることが必要である。ただし、患者はいつまでもその意思を撤回することができるものとすべきである。患者の意思を確認しえない場合には、近親者又は後見人など信頼しうる適当な者の証言に基づいて中止を決定すべきである。患者の意思が不明であるときは、延命治療の中止は認めるべきではなく、それゆえ、近親者が本人の意思を代行するという考え方を採るべきではない。
  第三に、延命医療の中止は、医学的判断に基づく措置としての担当医がこれを行うべきであって、近親者がこれを行うことを認めるべきではない。しかし、末期医療は近親者を抜きにしては成り立ちえないのであるから、医師と近親者との間で充分な話し合いが行われ、近親者が納得したうえで延命医療を中止することが望ましい。なお、末期状態において、延命医療を中止した場合と続けた場合とで死亡時刻が当然異なってくることとなり、相続上の紛争を招くおそれがあると懸念する向きもあり、これは脳死議論においても問題となったところであるが、そのような事態は実際上はほとんど生じないであろう。また、仮に相続を有利にするために延命措置に手心を加えたような事例があったとしても、それは当該相続の当否の問題として解決すべきであって、相続上面倒なことが起こるのではないかという懸念から、人間の尊厳にかかる重要な問題を未解決にすることは許されないであろう。

5.拒否の対象となる延命治療の内容・範囲

  延命医療は、人工呼吸器の装着、人工透析、化学療法、輸血などの積極的な治療のほか、静脈注射などによる栄養補給を等を内容とするため、患者はいかなる内容・範囲の延命治療を拒否しうるかが問題となる。この点については諸外国でも論議があり、解決困難な問題である。生命の基本となる栄養補給は自然の死を迎えさせる基本的な条件であるが、鼻孔カテーテル及び静脈注射等による栄養補給は、その方法が人為的である点にかんがみれば、病状等を充分に考慮して、中止してもよい場合があると思われる。
  なお、診療契約の内容として、医師は患者の利益に最も適した方法で診療すべき義務があるから、延命医療を施す必要がない場合においても、苦痛の緩和に努め、除痰、排尿排便への配慮、身体衛生の保持といった基本看護を行う義務があることはもちろんである。

6.立法化の要否

  本委員会は、尊厳死問題を延命医療の中止の是非という観点から捉え、医療の原点は患者の利益の保護にあるという前提にたち、医学的に見て「助かる見込みがない」、あるいは医学的な回復不可能性ということを要件として、患者の自己決定ないし治療拒否の意思を尊重して延命医療を中止し、患者の選択した生き方を医療従事者や近親者が理解して、残された人生を全うさせることが大切であるという結論に達した。従って、本委員会は、このような趣旨に沿って延命医療が適正に実施されることを期待するが、延命医療の適正化のために、アメリカの多数の州のように、自然死法ないし尊厳死法を制定して、リビング・ウィルに法的な効力を与えるような立法措置を講ずるべきかどうかは、慎重に検討する必要があろう。
  法制化のメリットとしては、実行の要件を明確にすることによって、延命医療の中止を積極化しうること、逆に安易な中止を防止することなどが考えられる。しかし、実際に中止が問題になるようなケースは様々であり、中止すべき場合を立法によって解決しようとすれば、どうしても包括的にならざるをえなくなって濫用の危険を招くか、逆に要件が厳格になりすぎて柔軟な対応ができなくなるおそれがある。更に、ドイツの臨死介助(Sterbenhilfe)法案の取り扱いをめぐる議論を見ると、要件等に関する議論が錯綜することは避けられないばかりか、脳死問題においても見られるように、立法化が実現しない限り延命医療の中止は違法であると考えられがちであり、かえって問題の解決を遅らせてしまう可能性がある。したがって、延命治療の改善を図るために、今後、立法が必要となることもありうるであろうが、当面は、延命医療の適正化を医療の現場に委ねるのもやむをえない。
  以上のような観点から、本委員会は、延命医療の中止は一定の要件のもとに許容しうると考え、それが適切にかつ慎重に行われることを強く要望する。

  この報告は、第十五期日本学術会議死と医療特別委員会の審議結果を取りまとめて発表するものである。


※日本学術会議 死と医療特別委員会 19940526 「尊厳死について」,町野朔他編[1997:146-152]*
*町野 朔・西村 秀二・山本 輝之・秋葉 悦子・丸山 雅夫・安村 勉・清水 一成・臼木 豊 編 19970420 『安楽死・尊厳死・末期医療──資料・生命倫理と法II』,信山社,333p. ISBN:4-7972-5506-4 3150 [amazon][bk1] ※ b ** *d01
http://www4.ocn.ne.jp/~tachi/内のhttp://www4.ocn.ne.jp/~tachi/gakujyutukaigi-houkoku.htmにも全文掲載


UP:20050117
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