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第22章「等身大の自分探し――自分の一部としての障害」

増田 智子

last update: 20151222


第22章

等身大の自分探し
――自分の一部としての障害――

                                Masuda, Tomoko
                                増田 智子

T はじめに

 今回の調査で,テーマが障害者であると聞いたとき正直いって私は少し戸惑った。なぜならそれは障害者が,私にとってやっぱりかわいそうな存在だったからだ。それはただ不便なだけではない,私にとって(多分誰にとっても),それは身体が自由に動かないだけではなく,こうしたくても出来ない意志に対する障害,こうありたい自分になれない,夢への障害だからだ。歌が下手で歌手になるのをあきらめた人や,身長が足りなくてスチュワーデスになるのをあきらめた人はきっと少なくない。けれど,もし障害を負ったとしたら,あきらめなければならないことがなんと多いことか。彼らには普段の生活でさえままならないのだ。
 それでなくても時々不安になる,私は生きていても意味がないのではないか。もし,今の私に障害が加わったとしたら,私はそれでも生きてゆくのだろうか。障害というテーマに消極的だった私は,きっと障害を負うという恐ろしい可能性から目を反らしたかったのだろう。誰でもそれを負う可能性はあったわけで,偶然私には障害がなかっただけなのだ。
しかし,実際調査に行ってみると,私が思っていたことは少し違うことに気が付いた。私達がインタビューをした人々は皆とても明るく前向きに生きている。私達と同じように,いや私達以上に,希望と自信を持って生きている。私達よりずっと素敵な笑顔をしている。
決して無理はしていないけれど,甘えているわけでもない。障害を自分の一部として受け入れ、等身大の自分とうまくつき合っていると感じた。それが私にはすごく衝撃的だった。「彼らは障害者じゃないよ。」私は,戻ってからそう友人に話した。少なくとも私の考える障害者ではなかったのだ。
 それがいったい何なのか,自立生活そのもののおかげか,自立生活プログラムやピアカウンセリングの効果か。うらやましくなるほど,生き生きと自立生活を営んでいる素敵な人達に合って,あんなふうに生きられるにはどうしたらいいのだろうと思った。
 私がAさんに会ったのは,調査合宿の2日目のことだった。それまで何人かにインタビューを続けてきたがほとんどが自立生活センターで働く人々だったため,そうした前向きに何かをして輝いていると感じられるのは,センターの職員だからだろうか,とも考えていた。しかし,センターの職員ではない彼女と会って,それとは違う,何かがあるのではと思うようになった。
 彼女は(こういう言い方はあまり良いとは言えないのだろうが)すごく普通だった。第一印象から,私が障害者に対して感じるような特有の後ろめたさが無く,自然に対等に話すことができた。
 Aさんは,17歳の時事故で障害を負った。8年後,病院でリハビリを受け,退院後自動車学校での3カ月ぐらいの寮生活を経て,東京での一人暮らしを始めるに至った。
 ここでは,そうしたAさんのインタビューを中心に障害を負うとはどういう事なのか,そして,それとどうつき合っていくのかを考えていきたい。

U 障害を負う

 障害を負うという事はどういう事なのだろうか。頭ではわかっていても,感覚的にどうなのかどうしてもわからないところが残る。

質問者「どうなんでしょうね,やっぱり私たちには途中で障害を負うっていうそういうショックっていうのはどうしても分かりにくいんで,そのときのショックからどうやって自立しようってところまで持って来れたのかなぁっていう。」
A「うーん,そうね,一つにはやっぱり死に損なっていくうちに時間が経っていくじゃない,うん,とりあえず助かっちゃうでしょ,助かっちゃうとそうおちおち自殺は出来ないよね,恐いし,自殺する手段もないから,そうこうしているうちに時間はどんどん経っていくわけじゃない,だから平常心に戻るまでの時間っていうのは結構,3年,5年ぐらい?かかったと思う。」
質問者「平常心に戻るまでの3年から5年っていうのは,」
A「これはちょっと長かったかもしれない,私がわがままな人間だったからね。」
質問者「どういう事をしていたんですか,平常心じゃない状態で。」
A「あぁ,ノイローゼ状態だったよ殆ど,うちの母親っていうのが私にすごく甘いから,まず母親にあたるでしょ,で自分の世界に閉じこもっていくよね,結局ね,で最終的にこれまずいなぁって思ったのは,5年目くらいの時にね,本が全然読めなくなっちゃったのね。一晩で1ページも読めなくて,一つ一つの字句にまでこだわりだしたの,『そして』とか『しかし』とかまで辞典をひくようになっちゃって,あ,まずい,これ私まずいわ,と思ったかな。」

 普通の高校生から突然障害を負うショックは想像以上に大きい。生まれたときから障害を持つ人は,そうしたショックは少ないのだろうか。例えば,脳性麻痺の障害を持ち,小中学校と普通学校に通ったBさんは自らの体験を次のように語った。

質問者「喧嘩って小学校の頃が多かったですか?」
B「ほとんど小学校です。」
質問者「中学生になるとあまりやらなかった。」
B「中学になると,まぁ,しないんだけど,やっぱり小学校より差が出てくるって,できることが多くなって。」
質問者「ちょっと大人になったかな,みたいなのあります?」
B「周りが僕よりちょっと差がでてきちゃって。」
質問者「喧嘩の強さに差がでたとかではなくてですか?」
B「みんなはなんでも自分のことが出来るようになって。だけど僕だけ,差が出てきて,なんで自分は出来ないんだろうと,みんなと一緒には出来ないんだなと,自分で深く感じ始めたんですけど。」
質問者「それで喧嘩もしなくなっちゃったんですか。」
B「やっぱり馬鹿にされたときとかは怒りましたけど,殴り合いやっても勝てる見込みが……。」

 どこかで自分が障害者である,人と違うということに気がつくのだろう。しかし,それではそうした「自分が人に特別劣っている」という基準はどこからくるのだろうか。もともと障害者と健常者を分けるものなどないはずだ。視力が低くて眼鏡をかけている人が健常者で,車椅子を使っている脚の不自由な人が障害者になる根拠はいったいどこにあるのだろうか。障害について考え出した私にとってどこが障害者と健常者の分かれ目なのか考えれば考えるほどわからなくなっていった。それでも,障害を持つ人は障害を持つことをどこかで人より劣っていると感じている。障害者だけではない,我々だって,障害者と健常者では健常者の方がどこか優れていると考えている。

質問者「じゃあ,どちらかっていうと,こちらに来てからっていうのは前の自分を取り戻すって,そういう感覚,そうじゃないですか?」
A「あっ,でもね,私はこんな筈じゃなかったって思うことも結構あったから,まずけがをする前の自分が最初の雛形っていうか,標準で,うん,あったのかもしれない,もっと元気なはずだとか,もっと明るいはずだとかね,もっと頭がまわったはずだというのはあったと思う,頭のどっかに。」
質問者「今はじゃあ,私はこんなふうっていう私ですか?」
A「うん,そうだね,私だよね。」
質問者「それは高校時代の私ということではなくて,今の私ということで?」
A「うん,今の私。」

 障害を持つということは,障害を負う前の自分と重ね合わせて,どこか(障害を負う前の)自分と違う,そして一緒に生活していた周りの健常者と違うと感じることなのかも知れない。「自分は劣っている」という思いは,これは本来の自分ではない,健常者のように,前の自分のようにならなくてはという思いからくる。結局,究極的には障害者は自分が障害を持つと認めた時点で,周りが障害者と感じた時点で障害者となるのだろう。逆説的だが,障害を持っていて辛いのは,自分が障害者であると認めることだと言えるだろう。もちろん,障害を負うことによる精神的負担はそれだけではない。

質問者「過ぎ去って,これが一番辛かったなぁっていうのはそのノイローゼ気味になってた頃ですか?」
A「ん?」
質問者「あのリハビリとかやってたときですか?」
A「先が見えない気持ちだったのはそのときとか。」
質問者「先が見えないってのは?」
A「目標も何にもなくて,ただやみくもにリハしてるもんだったから,目標途中で見失っちゃったしね,具体的にほらこれから何するってあったわけじゃないから。」

 我々もどこかで何か目標を持って生きている,それはささやかであれ,障害を持つことによってそれが完全に断たれてしまうことは想像以上のショックと言えるかも知れない。誰もが自分がどうなっていくのか不安になるはずだ。とりあえず自分がなりたい自分に向かって努力していくしかない。しかし彼女は,障害を負った時点で目標さえなくしてしまった。それは私には簡単には想像がつかないことだった。
 途中で目標を見失うのは中途障害に特有ではあるが,障害を持つことでその目標の選択の幅が狭められているのは先天性障害でも同じことのようだ。何かをしたくても出来ない,自分にはその資格がないのではないかとさえ思えてくる。

C(小中高普通学校経験,進行性障害者)「いちばん残念だったのは,中学校,小学校は修学旅行行けたんですよ。だけど高校になったときに担任の先生がやっぱりお前は身体が不自由だから,事故でも起こしたら危ないから行くなって言われたんです,やめなさいって。」
質問者「その頃は車椅子とかでなくって?」
C「こう,手をつかまっていれば歩けたんです。そうです,歩けてました,で,階段の上り下りは辛かったんで,多分,おぶってもらう時とが,先生が要するに,集団で行きますから時間とかありますから,電車の乗り降りもありますから,君は無理だろうってことで言われたんですね。そいで,まぁ,そうかなって思ったんですけど,クラスの仲間が先生とかけあって,俺達が連れてってやるから行かせろって言ってくれたんですよ。押し問答して,結局最終的には行けることになったんですよ。ま,でも,先生と家の両親と,両親は迷惑かけたくないってことでやめろってことで。自分の意志が全く反映されなかったんです。自分では行きたかったんだけどそのハンデだとか,周りの人に迷惑かけるっていうのが,親も言ってるし,先生も言ってるんで,なんていうか,こう抑えざるを得なかった。それがちょっと辛かった。それがちょっと辛かったですね。」
質問者「それ以上の主張はしなかった。」
C「そん時はしなかったですね。やっぱり,要するに,さっきから言ってるように,まぁるく収めたいっていうか,真ん中で,みんなで流れをみたいな感じ,集団の中の流れみたいな感じを,もうちっちゃい頃から感じてましたんで。要するに主役をとるって,主役をとるって自己主張をはっきり出すことですけど,その頃からやっぱり自然の中でそうやって慣らされていっちゃうっていうか……,そりゃ周りでしょうけど,両親も含めて,自分自身が学校の中でちょっと人と目立った事,いい事ならいいんですけど,悪い事ですよね,結局要するに遅れたりとか,ケガしそうになったりとか,転んだりとかそういうことあります。結局時間がかかったりとか,そういうことに対して,すごい,当時は迷惑って思ってまして,自分でそういうふうにはなるべくしないようにという考え方でだったと思います。」

 生きていく楽しみや目標なんて,出来なくて残念だったね,ですむようなほんの些細なことなのかも知れないとふと思った。けれどもそんな些細なことが出来ないこと,する資格がないと思うことがとても辛いのだ。

質問者 「今まできっと,過剰に恐いものを自分で作ってたんですね。」
A「仮想敵を作ってた。」
質問者「仮想敵!そうですか。」
A「具合が悪くなって,突然具合が悪くなって,今だったらさ,取りあえず誰かの家に電話してすごく具合が悪いから誰か来てって言えるじゃない,だけどここに来たばっかりの時はそれを言っちゃいけないんじゃないか,ってね,みんなはきっと夜だから,ねぇ,自分の生活があるから,そんなこと言っちゃいけないんじゃないかとか思ったよねやっぱり。」
質問者「じゃ,その時期っていうのは,なんか特に困ったときの相談相手っていうのは,殆どいなかったわけですか?」
A「みんなが待ちかまえていてくれても,こっちからアピールしていくだけの積極性はまだ無かったと思う。」

 『仮想敵』という言葉は私がインタビューをしていて心に残った言葉の一つである。これをしてはいけない,こうすることが望まれている,そう頭の中で思いこんでいることは,もしかするとなんでもないことかもしれない。なんでもない事ならばやってしまえばいい,余分なものを背負うことはないではないか。しばらくの間私は,Aさんの魅力がいったいどこからくるのか考えていた,この言葉を聞いて思い当たったのだ。彼女は,媚びていたり,卑屈になったりしていない。自分の事をしっかり見つめて,前向きに人と接しているという気がした。障害を受け入れ,等身大の自分を知っているから自分を否定し過ぎていないし,自分に合った生き方を選ぶことが出来る。だから,自然な関係を作っていくことも出来るのではないか。
 みんなが仮想敵を乗り越えられればいい。Aさんにインタビューを続けるうちにそう考えるようになっていた。障害を持つ多くの人がこんなに素敵に生きることが出来るのだ。

V 障害に触れないこと

 Aさんが障害を受け入れていくまでにどういう道をたどってきたのか,何が彼女にとっての転機だったのか,それが私の気になるところだった。

質問者「それは,障害に対する考え方が変わってったんですか?」
A「自分にとって別のものだったのが自分自身のものになってくるわけだよね。」
質問者「でも,人間関係が少なかったといっても,高校までは普通に生活してますよね。」
A「うん,でもそっから継続しないもの,怪我した時点からぷつっと全部切れたから,見事に。」
質問者「一度そう切れちゃうと,なかなかこう勘みたいなものって戻ってこないってことですか,人間関係の?」
A「うーん,余計なものばっかり,こうなんて言うのかな,身につけちゃうような所はあるじゃない? 人の目を気にするような。普通に暮らしてる人だって人の目を気にするだろうけど多分,その何十倍も気にするようなそういう変なところが,なんて言うの,敏感に過敏になっちゃって,っていう感じだったんじゃないかなぁ。」
質問者「そうすると,障害を負うことで今までの人間関係が完全に崩れちゃった?」
A「もう,完全に!」
質問者「自分でどういう人間関係を作っていいかわからないって感じなんですか?」
A「いや,わからないっていうより考えないって感じかな,だって作りたいと思ってないんだもんその時点では,うん。」
質問者「あ,もう人間関係は……」
A「いらないっ!て,」
質問者「……作りたくないって?」
質問者「作ろうということを考えないということよりも,どっちかって言うといらないって感じですか?」
A「いらない。」
質問者「それはやっぱり,なんか,すごいさっき過敏になってるっておっしゃいましたけど,もうそういう状態になっちゃうのが辛い。」
A「そうね。」

 それは今の彼女からは意外な言葉だった。しかし,私が最初に想像していた障害者のイメージそのものだったとも言えるだろう。障害を大きくとらえ,全てが自分を傷つける物のように殻を作り閉じ込もっている。どこか被害者意識が強くて,つき合いにくそうに思っていた。それもしかたないのだ,実際障害者とは不幸なものなのだと,そう思っていたイメージ通りの答えだった。こうして殻を作ってしまうことは中途障害者に特有のことなのだろうか。先天性障害を持つDさんは障害者の障害の受け止め方について次のような話をしている。

D「で,こういう障害者向けのテレビ見るとやっぱり,地方の障害者からなんでこんなの見るんだって感じで,随分批判されましたね。」
質問者「批判されるっていうのは……,」
D「それは,なんでこんなに……,こんなの見て何になるんだっていうような感じでね,言われて。またお前こんなの,自分が障害者なのに,何でこんなの見て,惨めじゃないのかって,言われたり。」
質問者「それは同じ障害を持つ方が?」
D「というのは,自分を,あの潜在的に自分を障害者であるということをどっかで否定しているんですね。そういう気持ちはわからなくないですが,やっぱり,障害者自身がこういう番組を見ていかないといけないと思います。」
質問者「あの,すごく抽象的な言い方になってしまうんですけど,障害者の方っていうのは,一般的には,やっぱり自分の障害に対してすごい否定的なんでしょうか。」
D「うーん,まぁそうじゃない人もいるけれど,やっぱり,あの先天性の障害者に関して言えば,やっぱりそう,否定的だっていうか……。」
質問者「障害がなければいいと。」
D「うん,まぁそうですね。やっぱり,我々は障害者に好き好んでなったんじゃないんだって,そういう意味で,あの,少しでも障害者であることを避けたい,そういう思いからきてると思うんですよね。」

 障害に触れないように,障害を否定していくことが逆に,障害に過敏になってしまっているところがある。そこからどのように,障害をそれ以上でもそれ以下でもない,自分の一部として受け入れていったのだろうか。

W 自立生活

 ひとつの転機として自立生活ということを考えてみた。つまり自立して生活することがひとつの自信に変わったのではないか。それではそうした一人暮らしへのきっかけは何だったのだろうか。

質問者「じゃあ,自立しようと思われたのはどういうきっかけで?」
A「うーん,8年,けがをして,17の時にけがをして24歳くらいまではずっとうちにいたんですよ寝たっきりで,でその頃知り合った友達というか,そんな深い友達ではなかったんだけれども表に出てみないかって言ってくれた友達がいて,その人とのつきあいが一年くらい,電話とか遊びにきてくれたりとかあって,あ,それまでリハビリを受けてなかったんですね,車椅子に乗るのも技術がいるからその技術を勉強しに病院に,リハビリの病院に入院したのが最初,だからその人と知り合わなかったら或いはまだ何か生きていく別な事をしていたかもしれない。」
質問者「その方は現在のAさんのような自立生活をした方?」
A「その人はねぇ,早い話こう,消極的な人だったのね,さっさと死にたいというような人だったから,それに対する反発が私すごくあって,それがバネだったかもしれない。」
質問者「えっ,自立してみないかって言いながら?」
A「そうなの,だからね,うん。」
質問者「その人は,自立生活というのをどっかで知ってらして,っていうかそういうふうにして自立生活をしてる人がいるってのは知ってらっしゃったんですか?」
A「うん,知ってたはずですね。その人の考えの中にはやっぱり家庭の中で自立するという限界があったみたいで。」
質問者「はぁ,家庭の中で,」
A「うん,そうですね,要するに自立する意味が遊びに行ったりとか友達を作ったりとかそういう所の限界があったみたいで,」
質問者「一人で生活を始めるっていうのはあまり?」
A「ちょっと,ニュアンスが違ったみたい。」

 自立生活とは家や施設を出て生活をすることという定義を頭の中に持っていた私には,こうした自立のとらえ方は少し馴染めなかった。ここで言われる自立というのは,一人で生活をする前に,自己決定ということが重んじられる。

質問者「ちょっと,以前の,自宅にいた頃のまたお話に戻っていいですか?」
A「はい。」
質問者「その時っていうのは,その,自宅にいるときに自立,一人で自立してみないかっていうお友達に会われて,その自立っていう概念がちょっと違うかもしれないんですけれど,まぁ自分で外出してみるとかそういうことですよね,ということはそれまでは自分で外出したりとかそういうのは,ってことは一切なかったんですか?」
A「うん,一切ないですね。病院に定期的に行くぐらい?」
質問者「そういうのをやってみるって考えるということもなかったですか?」
A「んっ?」
質問者「そういうの,自分で出かけてみようかなって考える……,」
A「あぁ,ないない。」
質問者「……気分になったりってことは全然?」
A「ないですね。やっぱ,その出会いは大きかったかもしれない。」
質問者「それが出来るようになったというのは,やっぱり友達が同じように外出してとかやってるのをみて,ですか?」
A「そうだわね,いろんな人がいることを,まず自分一人じゃないことを知ることから始まって,」

 ここで考えなければならないのは,殆ど外に出ないという障害者の特殊な状態である。それはAさんが障害を負ったショックのために閉じ込もっていたからだろうか,それとも一般的に障害者が自分で意志決定をしてそれをおこなうことを阻むような状態が存在するのだろうか。ピアカウンセラーとしてセンターで自立生活プログラムのリーダーもしているEさんはそうした多くの,障害者を取り巻く環境について次のように話してくれた。

質問者「自分で決めてやってみると,ああ自分は出来るんだって,それまではやっぱり出来ないという感じを持っている。」
E「そういうとちょっと語弊がありますけど,出来ないというよりは自分の意見を出しちゃいけないという環境の中で生きてきたというのがある。出来る出来ないという判断よりも意見を自分が出すということが出来なかった,どうせ出来ないから自分は引っ込むという感じで,出来る出来ないという以前の問題で,それをやった経験もないし,やるという気持ちにも今までなれなかった。」
質問者「そういうのが保障されることによって? 意見を言えたり,やろうっていうふうになっていた。」
E「そうですね。側に健常者がいると,どうしても先回りしてこんな事がやりたいの,水が飲みたいのって言ってしまうんですね。それでなかなか本当はジュースが飲みたかったのに,水が飲みたいのって言われたときにうんと言ってしまうんですね。それを,相手が何をやりたいのってわかるまでずっと待つわけですよね。で,ジュースだってことが経験としてわかってきて,それが出てくるんですね。」
質問者「それで何が飲みたいのかっていうのを相手が言ってくれるのを無駄にしちゃいけないという気が働くということですか?」
E「言った経験がなかった事だと,聞かれた経験が何もなかった。それよりも待ってもらえなかった。例えば言語障害があるということで,喋るのに時間がすごく必要なわけですよね。言ってもなかなか理解してもらえなくて,そこで先回りをされるとかこっちにしようねという押しつけみたいなのがでちゃうとか。ずっと待たされることがなかったから言うという経験がなかったということになると思うんですけど。」

 出来ないから,何も言わなくても周りがやってしまう。結局,自分がこうしたいと言う機会もない。しかし自分が考える前にそれを先回りしてやってくれたらその方が楽なことも多いのではないか。ところが,実際は親や医者などの干渉から耐えていかなければならないことの方が多いようだ。

質問者「それもなんかすごいなぁ,漠然と自立に対するあこがれがあって,それは自由な生活ということですか?」
A「そうなのよね,まっ,いちばん大きいことは親に干渉されないってことかもしれない,親とか病院の先生とかっていう人から干渉されない生活かもしれない。」
質問者「なんかさっき,医者はこんなに優しくないのっていう話をしてましたけど,どういうんでしょう干渉っていうのは?」
A「リハビリの時にこれは感じたことなんだけども,選択権がこっちにない状況が多かったのね,どんな訓練をなんの目的で受けるかを説明してもらってそれをうけるかどうかを決めるのは私じゃない。だけど決めるところを,肝心な決めるところを病院側が決めちゃうような所があって,幸いなことに役には立っているものの,判断ミスも絶対あったぞと今は思ってるけどね。」

 まず外に出ない,出ても病院と家の往復だけの生活の中での医者や親からの干渉は,想像以上に大きな精神的負担になると同時に,そうした少ない関係性の中でそれをはねのけけるのは大変難しいのではないだろうか。
 Aさんは漠然とした自由へのあこがれからその後すんなりと一人暮らしを始める。

質問者「親もとを離れたのはいつぐらいになりますか?」
A「親もとを離れたのは,町田に引っ越してきたのが平成2年です,だからそれからが本格的に。」
質問者「町田に来る前っていうのはどちらにいらしたんですか?」
A「新潟にいて,町田に来る前に3カ月くらい自動車学校の方で寮生活っていうのがあって,それも半分くらい一人立ちの準備期間になるのかもしれません。」
質問者「自動車学校……?」
A「あぁ,埼玉にあるんですよね。あそこの吾妻園っていう,あれは障害者更生訓練所みたいな名前になっているのかな。」
質問者「あぁ,じゃあ運転免許を持ってらっしゃるんですか?」
A「うん。」
質問者「結構,親なんか反対したんじゃないですか,自立に関しては?」
A「そうね,反対はなかったんじゃないかなうちは。」
質問者「じゃ,すんなり応援してくれたような?」
A「うん,認めてくれて出してくれたって形じゃなくてほら,私の希望を全部かなえてくれようとするパターンの親だったから,あんまり積極的にいい方に行きなさいっていう親ではなくて,言い出したら聞かないからやらしちゃおうかみたいな感じだったかもしれない。」

 このあたりの経緯は障害者によって違うが,閉ざされた空間から出ることを自立の理由にあげている人は多い。

F「それは全然違う,だって24時間ほら,話す相手も……,これってのはかなり,うん,ストレスのたまる,親でも殺してやりたいって思う気持ちってその当時わかったね。」
質問者「それは別にFさんに悪い事するわけじゃないでしょ,なんかこう悪意を…。」
F「じゃなくて,もうその閉ざされた環境で要するにこれしかないって中で,やっぱりお互いもうストレスたまっちゃうわけじゃない,たまってくればお互いにね,傷つけあったりとかね,出てくるだろうし,うん,肉体的にだって家の母だってもう大変になってた。朝起きて着替えたいと思っても,誰も来ないのに何で着替える必要があるんですかとか言われる。一日中パジャマでいなきゃいけないし。」

 今,Fさんは一人暮らしをしているわけではなく,親と同居しながら,センターや公的介助を得て,自立生活を営んでいる。それでも,家庭の中でこもっていて,親の介助だけの生活とはずいぶん違うという。障害者にとって介助者の存在は前提条件であり,その中でどのように自己決定をしていくかが問題なのだ。形として親と同居していても,一人暮らしでも変わりはない。まだ,自立生活というものがどういうものかはかりかねている私に,介助者のGさんがひとつの自立生活の例を話してくれた。

G「そんなに定期的には入らないうちに亡くなっちゃったんだけども,筋ジスの方で,私が入った時点で,もうかなり,ほとんど寝たきり,トイレも寝たまま,ベッドのお尻の部分が機械で,ぐーっっと開いて,トイレをするって感じでした。けど,もうテレビのリモコンしたりとかもかなりきつかった。そんな時点で私は入っていったんですけど,彼女に会ったときにまず驚いたのは,部屋の中は勿論,歩けないわけですよね,もう24時間寝たままなのに,介助が入ってきたときに全部の事を指示できるんですよ,家の中の事も。『あのね,今日はゴミの日だから冷蔵庫の上に,黒いビニール袋があります。それにゴミを入れてどこどこに出して下さい。』って指示を出されたときに,最初は結構緊張しますから,はいっ,てすぐ動いたわけね。帰ったあとに,なんでビニール袋が冷蔵庫の上にあるのがわかったのかなってすごく不思議だったんですね。これは彼女の生活を自宅でしてるから,例えば買い物を介助者に,みんな介助者が入って動く生活だから,自分の生活っていうのは,彼女の家に入ったときに何何はどこの引き出し,ゴミ袋は冷蔵庫の上って彼女が覚えていれば,自宅を見て回らなくっても生活ってこれで成り立っているんですよね。すごく感動したんですね。すごく小さな事なんですけど,あぁそういう生活があるんだなって,自分だっていつ障害者になって寝たきりになるかわからないから,それが発見できたときに,あぁ,そういうふうにすれば介助の人とこう楽に,っていうか対等に暮らして行けるんだろうなっていうような感じを受けました。」

 この話を聞いて,自立生活とはこういう意味なのかと目の前が開ける思いがした。それは私には思いもよらない生活だった。けれど,誰だって自分一人で生きているわけではない。自己決定により自由に介助の手が借りられれば誰だって自立生活が可能なのだ。
 しかし,どうしてそこまでの自立生活が可能になるのか,どうしたらそれが自信に変わるのか,答えは出ていない。自立生活への過程として,自立生活プログラムとピアカウンセリングを見ていきたい。

X 自立生活プログラム

 Aさんは,家を出て東京で一人暮らしを始めてから自立生活プログラムを受けた。プログラムが自立生活の準備のためであるという本来の役割から考えると,かなり変わった例のように思えた。

質問者「自立生活プログラムの方は?」
A「第一期,一番最初かな,ヒューマン(町田ヒューマンネットワーク)で始めた。」
質問者「どうでしたかねぇ,なんか?」
A「うん,おもしろかった。」
質問者「やっぱり,今役に立ってると思いますか,今の生活に?」
A「特に,最初の頃だったでしょう,私が町田に来てまもなくの頃だったから。うん,ステップっていうか,慣れていく,色々な事に慣れていくその初歩的なお勉強だったから,それはとってもその時点ではするりと世間に出ていくための大事なプロセスだったと思うよ,だってあれは,月に一回だった,ん?週に一回だった,うん,そいでまず通うってことが私にとって初めてじゃない?まだそんなとこだったわけ。だからそういうことの積み重ねで。」
質問者「すると,町田に来てからはものすごい変わったんですよねぇ。」
A「うん,すんごい大変だったけど。」
質問者「やっぱり,全然こうやって話を聞いてると,全く違うところへ出てきたんだなぁっていう,むしろ出てきてからの方が大変だったんですか?」
A「大変だったよね,肉体的には何十倍も大変だよね。」
質問者「ちゃんと,ある程度出ていくまで準備をして,それから出ていくという形じゃなくって,とにかく自立だっていう?」
A「いきなりぽんっと,そうそう,出る,出るって,お金だして,出るって,車も買って,出るって感じだったから。」

 通うということさえはじめての人がいきなり一人暮らしを始めてしまうというのは,かなり壮絶なのではないか。とにかく私には想像がつかなかった。

質問者「ただ,そのときの自立と今の自立ってやっぱり違うわけですよね,今のような自立っていうのを知ったというかしようと思ったっていうのは,どういうきっかけで,やっぱりここに来て?」
A「来て初めて知ったし,みたいな感じかな。」
質問者「漠然と自立に対するあこがれ?」
A「はあったものの,具体的な映像とかない,で来てみたらあれよあれよという間に物語は展開していってしまって,あぁ,こんな世界なんだって。」
質問者「色々もうやらなきゃいけないっていう感じだったんですか?」
A「やらなきゃ死んじゃうよぉとか思いながら,買い物に行きーの,お風呂にはいりーの,やってるうちに,」
質問者「そうするとそのうち,あ,出来るっていう?」
A「うん。」
質問者「そういう中で自立生活プログラム受けられたわけですけど,出ようと思ったのは?」
A「……やろうと思ったのかな,ただ必要だと思ったんだと思うんだよね,そんな強いときじゃないと思う,まだ友達がほしいような段階じゃない?」
質問者「ええ,ええ。」
A「集まりに参加するというような気持ちでいたと思うよ,自立のための訓練やるぞって感じじゃなくって,友達に会いにいく,(町田)ヒューマン(ネットワーク)に会いにいくって,感じだったって思う。」
質問者「ここに来るのは,自立生活プログラムが自立のために必要だとか,そんな……。」
A「そこまでの認識はないなぁ。」
質問者「とりあえず人間が集まってるから,こっちで一人だし?」
A「うん,寂しいし,○○ちゃんいるし,△△ちゃんいるしで,帰りになんか食べて帰ろうかなとか,」
質問者「でも,自立生活プログラムって実際のところ役に立つプログラムですよね?」
A「うん,やったことない事いっぱいやったもの,買い物行ったし,」
質問者「買い物行かなかったんですか,それまでは?」
A「行ってないに等しかったかも。」
質問者「え?どうやって?」
A「お母さんが買ってくるじゃない,週に一回分ぐらいまとめて。だから自分で行く分はまずないんじゃなかったかな,すぐ近くにスーパーがあるから,行くにしても,」
質問者「それから自分で行くようになって?」
A「だから,最初の頃よくヘルパーさんに怒られたもの,ちゃんとしなさいとかって言われて,」
質問者「えっ,どういうことでですか?」
A「ゴミはちゃんと片付けなさいとかね,ジュースの缶はちゃんと洗っておかないと臭くなるわよとかね,」
質問者「生活感が!」
A「っとに何も食べないんだから,ハンバーグ作って冷凍しておくから食べるのよっとか言われてね。」

 少なくとも,Aさんにとってプログラムが大きな転機になっているわけではなさそうだ。しかし,ここまで唐突に家を出てしまった障害者はさすがに少ないのではないかという気がする。
 今回の調査では多くの人に自立生活プログラムやピアカウンセリングの役割についてインタビューしてみた。センターの活動として行われている以上,自立生活に際してそれがひとつの大きな役割を担っているのではないかと考えたからだ。

B「僕はその参加者として参加したわけではないから……。ただ実際に参加した人がね,あの自立生活プログラムっていうのは,自立生活する技術を身につけるっていうのが,大目標だったんだけれども,まずその前にね,あの自分の障害を積極的に捉えるってことと,あと対人関係に対して積極的になるっていうのが,この二つが具体的な目標なんです。やっぱりそれがやれたら,とっても消極的で人前で話も出来なかったような人が,受けたことで,たとえば自分一人で,あのもちろん車椅子のままですけれども,外出して,買い物して,そして帰ってくるとかね,そういう事が出来るような,それから親と対等に話をして,お小遣いを自分の管理にしてもらったとかね。それから実際施設にいる人が,自立生活プログラムに参加した後に,自分一人で生活する準備を始めたとか,そういう例はあります。だからそういう積極性をつけさせるっていうのが一つの目標なんですね。」

 健常者なら普段の生活で身につけること,例えば買い物や,外出などの日常生活が,障害者にとって未知の経験になる。Aさんでも,買い物などはそれまでやったこともなかったという。そうした事をまずやってみるということが大きな自信になっているようだ。わりと自立生活プログラムに対して好意的な意見が多い。
 またこういった意見も聞かれた。

E(前出,ピア・カウンセラー)「さっき来てた人達は一人暮らしですけど,奥さんもいて子供もいてという自立生活プログラムのリーダーもいます。彼みたいな存在というのが障害を持った人達の理想像というか,実現可能な存在をしているというのが自立生活プログラムの特徴なんです。」

質問者「自立しようって思ったのは,やっぱり親が高齢だからってことですか?」
H(脳性麻痺の障害を持つ)「それが一番の原因ですか。」
質問者「あ,そうですか。じゃ,こういうセンターとは関係なしですか?」
H「ん?いや,ここでもちろん,やっているってことも事実。事実っていうか……,こういう所で,要するに情報もらいますよね,さっきも言ったようにね,年間どうだとか,介助料が,ですとか。事実,○○さんていう方いらっしゃいますよね,そういう方の話聞いたり,見たりして,お宅へお邪魔したりして,こうやって改造してるとか,こうやって介助使ってるとか,こういうふうにしてるってことを見聞きして。その父の事とかねあわせてですよ。ま,ここの力は私にとってすごく大きいですよ。」

 実際,Aさんのように具体的な映像もなく,家を飛び出し一人暮らしを始めるというのはものすごく勇気のいることなのではないだろうか。自立生活プログラムは障害者としてどう生活していけばよいか,実現可能な,より等身大に近いモデルによって,具体的な映像を自立生活を希望する人々に与えるという大きな意味合いがある。
 多くの人がプログラムを絶賛する中で,こういった意見も聞かれた。

I「意味はあるけど,やっぱり意味はあるけど,実際にやんないとわからないことはいっぱいあるから。肝心な事やってから一人でやったほうがいいんじゃないかと,ポイントポイントだけやってから一人でやった方が。ああいうのって,結構長くやるでしょ,ああいうのって無駄だと思う。」

 自立生活プログラムがひとつの役割を担っているのも確かだが,決定的な自立生活の要素というわけではない。必ずしもすべての障害者に自立生活プログラムが必要だというわけでもないようだ。

Y ピア・カウンセリング

 ピア・カウンセリングについて多くの人に尋ねてみるとどうも歯切れの悪い答えが多い。Aさん自身もどうも合わないらしい。

A「うーん,ピア・カン……,いろんな考え方があって,ピア・カンっていうのは私が考えている限りではとっても,なんていうのかな,無理,無理はないんだけども,ストイックな,とても純粋な人間性を求める方向性だと思うんだわ,私はそれにのっていけないなっていうのがある,今は,まだ,」
質問者「ストイックってのはどんな意味でですか?」
A「なんていうのかな,自分を大事にすることイコール人を大事にすることにつながるとすれば,自分の人間性を壊すような事柄をしたりとか,自分を傷つけるような方向にものを持っていかないという考え方じゃないかなと思うの,もちろんカウンセリングしあって自分の心の傷を喋ることで治しながらっていうのもあるけど,求めるものっていうのはすごく純粋なもののような気がする。」
質問者「はぁ,純粋なもの。」
A「うん。」
質問者「今自分を大切にするって聞いて,自分を大切にするってことは純粋なものなんですか?」
A「そう,純粋さだと思う。」
質問者「そうすると,ストイックじゃない状態ってのはどんな状態なんだろう?」
A「あのね,ストイックな状態ってのはやっぱり,ストイックって自分に厳しいってことだと思うのね,自分を解放していく段階で,なんていうのかな,子供じゃないんだから人を,そん中に自分自身のためっていうのが一番にあったとしても二番目には自分がふれあう人を不愉快にするような人間性を持たないっていうこともある,それは私もそうなりたいとは思っているけれど,手段としてはピア・カンを今は選んでないっていう感じかな。」
質問者「そうすると,(ピア・カンによって)自分への自信っていうのはそんなに生まれてくるとは思えないですかね。」
A「いや,きっと生まれてくるんだと思うんだけどね,私不精だからね,その作業の辛さがわかるから逃げているだけかも知れない。ただ,自分といったん向き合って幼い頃からの自分を作っているものを発見して,一個一個そのものの傷を治していく作業ってのがあるじゃない。私ちょっと耐えられないものがあるかも知れないと思って,ちょっと逃げてるかも知れない。」

 純粋な人間性を求めるというところは,たぶん,病んでいるところは語り合う中で吐き出して本来の人間性を取り戻すというカウンセリングの性格に由来するのかも知れない。Aさんは逃げているかも知れないというが,私には,彼女が障害と向き合うことから逃げているようにはとても思えなかった。それよりも,ピア・カウンセリングの求める本来の人間性が,本当に自分が自由になり,かつ人を不愉快にさせない方向の人間性だとしたら,その純粋さについていけないというAさんの言葉もわかる気がした。とりあえず,他の人たちの感想を載せていこう。

質問者「ピア・カウンセリングなんかは受けたことあります?」
J「1回受けました。」
質問者「それは,どうでした?」
J「いいですか……,ピア・カンはちょっと……(笑)。」

K「僕なんかも全然ピア・カンとか受けたことないし。というか,行ったんだけど,1日でもうやめちゃって(笑)。」
質問者「やっぱりそれは合わなかったんですか?」
K「合わないっていうのはあったね。」
質問者「かなり多いらしいですね。」
K「あちこちで聞く?そうなんだよ,はっきり分かれちゃう感じがあるんだよなぁ。あるところでは有効なことだな,と思うんですし,ピア・カンの考え方自体も,おっしゃることは良く分かるんですけどね。実際にやり方に当たるとなかなか……,そういう人は結構いると思いますよ,もちろん。特に(社会)運動から来た人達っていうのはね,やっぱり,ちょっと違和感持ってるんだよね。」

質問者「自立生活プログラムやピア・カウンセリングなんかは受けました?」
L「今受けてる。」
質問者「面白いですか?」
L「つまんない」
質問者「それは,どうしてやろうと思ったんですか?」
L「時間があるから。」
質問者「でも,思ったよりつまらない。」
L「ええ。」

 話を聞いてみるととにかく自分には合わないと答える人が結構いる。その反面,絶賛する人もわりと多い。

M「ピア・カウンセリングは,今までは私自身どっちかと言うと感情が激しい方で抑えてって言われていたのに,ピア・カウンセリングは逆に感情を解放していいんだよっていって,ピア・カウンセリングのおかげで自己信頼っていうか,自分を信じていいんだなっていう……,やっぱりこれまでは一人暮らしをしたいっていっても,ご飯が作れない,買い物が出来ない,あれが出来ない,これが出来ないって,自分の出来ないことばっかりが頭に浮かんできたんだけど,ああ,どうしよう,どうしようっていう感じで。でもピアカウンセリングをやってるうちに自分が出来ることを,暮らす目標を見つけていくようになって。」

 ピア・カウンセリングによって,障害者として抑圧されていた部分を吐き出していき,そのままの自分を肯定してくれるということは,確かに否定的になりがちだった人達にとっては効果的だといえるかもしれない。とにかく素晴らしいという答えと,合わないという答えに分かれる。合わないという人も決してその効果を否定しているわけではない。

N「あのね,僕自身はね……,ピア・カンの集中講座という形式の所に参加しただけなんだけど,一回だけ。そういう意味ではかなり……,自分の中では抵抗があったんですよ。ただ,一般的にカウンセリングの手法とか,それから自立生活運動とか自立生活センターの中で,ピア・カウンセリングが占める位置とか,重要性,必要性みたいなものは,これはもう大きいと思うんですよ。……ただ,単にカウンセリングを受けたから,それは良かった悪かったということじゃなく,大きな意味では,非常にいい効果を表していると思いますし。それから本来的には,僕たちの活動というのは,ピアがピアに対して……,仲間が仲間に対してということでやっていくわけだから,そのあたりをきっちり踏まえなければいけないことだと思うしね,ただまぁ言われたように両極で,自分にとって良かったか,悪かったかというところになるとね,賛否の分かれるところがもちろんありますけどね。けど,その人だって,多分全体的な効果や効能みたいなところでは否定されないはずだし。」

 仲間同士が助け合って,苦難を乗り越えていこうという考え方には納得できる。しかし,その求める純粋性にはなかなかのっかっていけない。ただ,効果があるのならそれでいいような気もする。
 とりあえず,私は手段としてはそれを選ばないという言葉がすごく,しっくりくるような気がした。きっと,人が前向きになっていく過程は,ひとつだけではないのだ。自立生活をする全ての人にピア・カウンセリングが必要なわけではない。
 ただ,もっと大きな何かがあるはずだ。Aさんや他の自立生活をしている人達は,皆輝いている。ピア・カウンセリングに合う人も合わない人も共通の何かがあるのではないか。彼らと話しているだけで自分も前向きに生きていこうと思えるようなパワーの源はいったい何処にあるのだろう。

Z 可能性を見つめて

 なぜそんなに前向きに生きてゆけるのか。私はなんどもその質問を繰り返した。何が彼女を変えたのか。もし,同じように出来れば,皆が気がつかずに背負っている余分な精神的負担を捨て去ることが出来るのに。きっといきいきと生きていけるだろうに。そう思った。しかしインタビュー中に出てきた答えはどれも私の満足のいくようなものではなかった。

A「うーんとねぇ,(介助者について)どんなだろう,パーソナリティの問題じゃないかなぁとは思うけど,向こうは主婦ベテラン20年なんて人がざらにいるから知識の量とかこなせる数の量とか圧倒的にたしかに向こうの方が多いよね。でもそれだからといってそれが私がその人とそういう条件があるのが心地いい関係かっていうとそうでもなくって,『あ,まっずい人に来られたなぁ。早く交替になんないかなぁ。』っていうのもあったしね。」
質問者「そういうのはどういう時ですか?」
A「あぁーっ!だってしないんだもん,うち来て1時間なんにも!おしゃべりして帰って(笑),どうしようかと思って。」
質問者「そういった,何かやってくれっていうふうには?」
A「もちろん決まってるんだけど,やってもらう内容っていうのは決まってるんだけど,上手におさぼりあそばしたりしてね,困ったなぁ,うーん,どうしようっ,とか思ったりしてね。」
質問者「そういう時っていうのはちゃんとやってくれとかなかなか言えないですか?」
A「言えなぁい!うん,まだまだ言えなかった時期だからね。」
質問者「最近は言えるんですか?」
A「うん,今だったら言えると思うよ。片づけてから喋りましょくらい言うと思うんだけどね。」
質問者「あぁ,でもそれなんで言えるようになったんですかねぇ?」
A「ん,経験っ!」
質問者「経験っ!」
A「薄紙をはがすように強くなっていくしかないよね。」
質問者「はあぁ,そっかあ。」

質問者「うーん,親の干渉とか,医者の干渉とか,色々と苛立つこと多かったですか?」
A「やっぱりほら,気持ちがマイナスになってるから余計ね。」
質問者「でも,今その,だんだんマイナスじゃなくなってきたわけですけども,マイナスじゃない状況でもやっぱりおんなじ干渉うけたらきっと色々感じるんですよね。」
A「もちろん。でもそんときは言えるものね,昔と違ってきっと。」
質問者「あ,そかそか。気持ちがプラスになっている分。」
A「言えるだけ進歩したかなと。」
質問者「それは干渉だっていうふうに? じゃ今,進歩って言われましたけど,何か他に自分でこれは進歩だなって思えるものありますか?」
A「これは進歩,なんだろうなぁ,面白いことに日々進歩するよね。」
質問者「はあ。」
A「うん,不思議だ,余裕がでてくると進歩するよね。」
質問者「余裕がでてくるっていうのは,生活になれてくるとっていうことですか?」
A「生活になれてくると,気持ちが安定してきて,周りが気になってきてっていう,そうするとだんだん恐いものもなくなるじゃない?」

 答えが見つからなくて,私はなんども似たような質問をした。Aさんはその質問に丁寧に答えてくれていた。それは私の考えた答えとは少し違っていたようだ。

質問者「どうやってそういう自信って生まれてきたんでしょう?」
A「うーぅん,年の功かねぇ? 違うか,わからない,経験してくる事がらっていうのが結構綿密に,濃密な時間を随分過ごしたからね。」
質問者「濃密な時間っていうとどういう時間ですか? なんか,なんか,馬鹿な事聞いてるような。」
A「まず自分というものに関して,障害に関して,社会というものに関してとか,生きることに関してとか,動物の命に関してとか,真剣に考えるもんね,徹底的に考えるんだわ,その積み重ねかもしれない,だからどんどん,いつも揺れてるけどね。」
質問者「じゃあ,だんだんそういうふうにいろんな事考えたりとか,生活をしていくうちに,だんだん自信が増幅されていくっていうか。」
A「どんどんいい方向に行くんじゃないかなぁと。」
質問者「急に一朝一夕で得られるもんじゃないんですか。」
A「難しいかもね。」
質問者「仮想敵ってのができてて,その間というのはどんどんマイナスに転がって行きませんか?」
A「なる,もうどうでもいいやって。」
質問者「ものすごいマイナスになりますよね,それがこうプラスに動かして行けるっていうのは,なんですか?」
A「うーん,ふむ。心の,自分ではコントロールできない心の状態。」
質問者「コントロールできない,気が付いたらマイナスから,プラスの状態に行くようになっていた。」
A「今だったら,心の状態をいい方に保っていられるじゃない,まぁやな事があっても明日があるさと,ご飯作って気分転換するかとも思えるけど,多分すごく落ち込んでた頃ってそういう操作どころじゃなかったんじゃないかなぁ。」
質問者「ひたすら。」
A「ただひたすら,ずっと,むーっとして。」
質問者「プラスになっていこうっていうのは,マイナスにどぉっとなっていくのから,突然プラスになるんじゃなくて,気が付いたらプラスになっていくのが多くなってきて,いい方向に。」
A「うん,きっと,きっとどっかであったんだろうね,プラスに転換した瞬間が,よくわからないけど。」
質問者「なんか具体的な転機というわけではなくって,」
A「ないと思うなぁ,いっぱい転機はあったんだよね,ここへ来たのもそうだし,仕事を始めたこともそうだし。」

 それは何かひとつのきっかけがあるのではなく,毎日の中で自分に何ができるか自分が何をすべきなのか探り当てていくことの積み重ねなのだろう。その中で,ここまで出来る自分を見つけていく,それはなんでもないようで大変な過程だ。

質問者「あとは,してほしくない事なんか,すいません,すごい嫌な質問ですかね。」
A「いえいえ,私ねベッドをいじられるのが嫌なんだわ,それだけかな。うん,寝る場所をいじられるのは嫌だな,だから布団畳むのとか大変だけど自分で畳むんだ。その程度だよね。そういうタブーもこっちが余裕があれば話していくし。」
質問者「ベッドに触ってほしくないってのは本当に個人的なものですから,なかなか自分から言わないといけませんよね。」
A「(言わないと)絶対わからないし。」
質問者「最初言えなかったですか?」
A「絶対言えなかったよね。」
質問者「最初に言ったのっていうのは?」
A「最初に言ったのは誰だろう,ヘルパーさんの時だな,4人目か5人目の,だから1年か2年くらい経ったときだな,さりげなくベッドは自分でしますから触らないで下さい,って言ったような気がする。」
質問者「それは,その前はどうしようか言おうか考えているんですか,今日は言おうとか?」
A「そうそう,あぁ,また向こういっちゃったぁ!今日も言えなかったぁ!やっぱり言おうかなぁ,とかね(笑)。」
質問者「何日も考えてるんですか?」
A「考えてる。」
質問者「どう言おうかなぁ,あ,さりげなく言おう!とか?」
A「そうそうそう!」
質問者「一度言っちゃうと,あとは楽ですか?」
A「あとはね,その人もそういう事って心に残るじゃない。」
質問者「次にヘルパーさんが来たときもおんなじ様に言えるって感じですか?」
A「そう。」

 これは小さな繰り返しかも知れない,しかしそうすることによって少しずつ,自分の姿や人との関係が見えてくる。ひとつ私がした質問で意外な答えに驚いたことがある。

質問者「仕事をしてよかったなぁって思うことはなんですか?」
A「ああ,仕事が出来るってわかったことかな。」
質問者「仕事をして,仕事が出来るんだって。」
A「仕事が出来るんだってわかって納得したことかな。」

 飛び込んでしまえば何でもないことが,とても出来ないような大きなものに感じることは多い。それを,自分はどうせ出来ないから,する資格がないからと,あきらめてしまうことも少なくないはずだ。それがちょっとした勇気で可能になった時,それは本人にとってそれ自身から得るものより,もっと大きな収穫だったといえるのかも知れない。彼女たちと接していると自分ももう少し自分の可能性を信じて頑張ってみようという気になれる。
 確かにそれですべてが可能になるわけではない。しかし何より彼女たちは何も出来ないのではなくそこまでできてた自分を知っている。小さな積み重ねにより掘り出された等身大の自分こそが彼女たちの魅力の源なのだ。

質問者「言えるようになったのは,自立生活の自信ですか?」
A「自分に対する自信だよね,だからこれが入院することになって,寝たきりになっても私は今の私と多分変わらないから。」

 どんな事があっても自分は自分だから・・本当に私はそう言い切れるだろうか。今回の調査で私は多くの障害を持つ人々に出会った。そしてそれぞれの人が,それぞれ自分の等身大の姿を探し,自分に合った生き方で輝いていることを感じた。今,そうした多くの輝きに触れることができたことを心から感謝している。


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REV: 20151222
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