第19章「「閉ざされた場」からの解放――障害者のネットワーキングへの提案」
last update: 20151221
第19章
「閉ざされた場」からの解放
――障害者のネットワーキングへの提案――
Kato, Nobuko
加藤 展子
はじめに
障害者が地域で生活を営んでいく際,彼らは今までの家族や施設とは異なった,さまざまな人間関係を持つことになるだろう。いったい彼らは,そこでどのような人間関係を持ちながら生活しているのだろうか。また,そのような障害者の主体的な活動の中でできる人間関係は,障害者自身にとって,どのような意味を持つのだろうか。ここでは,障害者が地域で暮らしていく際に構築する人間関係の現状と,障害者個人や社会におけるそれらの位置付けについて考えていきたいと思う。
本章は,インタビュー記録を中心に構成されている。Tでは障害者の持つ人間関係の現状についてふれる。それを受けて,Uで健常者との関係のひとつとして介助関係を,Vで障害者同士の関係として自立生活センターを通した人間関係についてみていく。そしてWではそれらが持つ可能性について,特に障害者同士の関係に焦点を当てて述べていくことにする。
T 障害者の人間関係の現状と彼らが置かれてきた状況
1 障害者が置かれてきた環境
4か月前に東京で暮らし始めた,33歳の障害者の声である。
「……もう地方は,私のところは田舎でしたから,地方っていうのは,もう障害者はもう施設に入れる,で,暮らすしかしょうがないっていう幽閉的な支障がありまして,障害者運動なんかも,全然そういうのはないしね。…で,地方にいるとやっぱりもう何か,東京と違って障害者自身も閉鎖的だし,健常者の目っていうかね,そういう接し方も,やっぱりこう,差別的で,偏見がものすごくあるんですよ。そういうのにちょっと嫌気がさしまして,それであのー,たまたま僕は障害者問題とか障害者運動なんかに興味があったので,そっちの方に参加させていただくためにこっちに出てきたんですねえ。」
また,中学校(養護学校)を卒業してからはずっと家にいたという人はこう言っていた。
――お友達とかは……。訪問学級1)の人は他にもいたんですよね。その人たちと友人関係になって普段遊んだりということは?
「ほとんどなかった。……家にずっといると友達がいなくて,親との関係っていうか,かかっちゃうでしょう,負担が。で何とか,友達とか,遊びに行きたいとか,飲みに行きたいとか,恋人が欲しいとか,色々普通の人と同じような生活がしたいと20歳ごろからずっと思っていて。」
――ここに来てから,お友達とかたくさん増えましたよね。
「そうですね。」
自立生活を始めるまでの間,障害者は,家族や施設,あるいは養護学校など,ごく限られた範囲の中で生活してきた。彼らがまさにそのような状況に置かれてきたことが,これらから確認できる。そのような閉塞的な空間を出て,彼らは自立生活を営んでいる。
2 障害者の持つ人間関係
それでは,自立生活を送っている障害者は,実際にどのような人間関係を持っているのだろうか。
どんなところで友人が出来たかについて,インタビューでは,自立生活センター,趣味のサークル,養護学校や施設,職場やアルバイト先,地域や近所,そして介助関係においてという声が聞かれた。そしてこのうち,趣味のサークルについては,障害者同士のサークルと,地域の健常者たちと一緒に活動しているものとがあった。
このように,これらの場における人間関係は,障害者と健常者によって成り立つものと,障害者同士によって成り立つものとがある。ここでは,そのことに注目して,インタビューを拾ってみた。
まず,障害者は,健常者とどういう場において関係を結んでいるのだろうか。
――そこの趣味で知り合った友達ってのは,ほとんど健常者の方?
「そうですね。」
――それ以外で,友達になる場っていうのはありますか。
「例えば,外出して,ふと(介助を)頼んだ人にまた会ったりってのがありますよね。買物に行って会った人が,次の日も同じお店で会ったり。あと,前に住んでいる人が親切で,その人と知り合いになったりとかね。」
このように,障害者は地域で暮らすことで,介助をはじめとしたさまざまな場で健常者と関係を作っている。
一方,障害者同士の関係については,さらに次を見てみたい。
「(親しい友人は)町田荘(施設)のOBとか,この近くに市営住宅があって,そこ
の車椅子住宅に,同じ施設にいた友達が結婚してるので,その人と毎日連絡取って,
どう,生きてるって感じで,お昼食べに来ないとか,そういう感じで。だから,友達
のサポートが一番大きいと思う。だから,野菜炒め作ってて,こういうときどうやる
のとか,わかんないから教えてとかいう場合とか。」
これは,以前施設にいた障害者同士の関係の例である。しかしそれは今や,施設という閉鎖的な空間での関係ではなく,色々な人と接する機会のある自立生活の中のひとつの関係として,お互いのサポート機能を果たしているのであろう。ここから,自立生活における障害者同士の関係は,彼らにとって何か重要な意味を持っているということが推測できる。
さて,健常者の友達と障害者の友達の割合については,前々出の障害者のインタビューの中において,友達は健常者の方が多いという,こんな話があった。
「(障害者の友達は)もちろん学校時代からの友達もいますし,あといろんな所に,
まあ,交流とかありますよね。そういう所に行ったりとかしますけど。でももしかし
たら健常者の方がすごく多いかもしれない。」
また,それに関連することで,別の障害者もこう言っていた。
「(友達の割合は)障害者の方が少ない。(介助者は)毎週関わってるからね。」
――やっぱり障害を持った方同士だと,交流会とか,機会が限られているから?
「はい。」
この障害者は,自立生活を始めて6年になるが,その中で作り上げた関係は,健常者との関係が多いと言う。介助をはじめとして,健常者とはその関係を作る場が比較的多い。しかし障害者同士は,それを作るきっかけがなかなかないようである。後に挙げるインタビューでも,自立生活センターを利用する前は,障害者の友達が少なかったことが話されている。障害者同士の関係が作られにくいのはなぜだろうか。それはWで述べることにして,その前に健常者との関係について軽くふれておくことにする。
U 健常者との関係――介助における関係
家族や施設を出て,地域で暮らす重度障害者にとって,介助はまさに生活の一部であり,必要不可欠なものである。介助を受ける方法にはさまざまなものがあり,自立生活を送る障害者は,ある程度その方法を選択することが可能になる2)。
しかしいずれにしても,介助はほとんどの場合人間対人間,それも健常者対障害者という図式によって成り立つことになる。介助の場面において,それが必要不可欠である障害者と,「介助者」という形でそれに関わってくる健常者との関係はどうなっているのだろうか。ここでは,そのような介助における人間関係についてみていきたいと思う。
1 当事者たちの意識
まず最初に,「介助」の当事者たちは,介助関係についてどのように感じ,またどのような考えを持っているのだろうか。実際に自立生活センターで介助を受けている障害者と,介助をしている介助者に行なったインタビューより,その本音を探ってみたい。
まず,介助関係に「友人」という関係を望むかどうかに関してみていこう。
「今のところ,僕はまだ日が浅いんで(介助者ではない友達は)いらっしゃいません。友達っていうのはここで知り合ったあのー,介助の方が友達だと思っています。センターを利用するとなんかこう,介助者とあんまり友人関係を作ってはいけないということを言われているんですけど,どうしてもやっぱりそういう関係にならざるを得なくなるという……。なって当たり前だと思うんですよね。」(障害者・男性)
「(介助関係と友達関係とについて)自分の一番大切にしたい部分をどっちにするかっていう感じなんですよ。……私の目的は,介助が目的じゃなくて,友達の関係が気持ち良ければいいという感じですから,その中でやっぱりあたしのね,価値観としては友達の方が大事だから……」(介助者・女性)
この2人は,介助に友人関係を求めているという点では同じであるが,その状況はいささか違っている。前者は,介助者を雇って4ヵ月ということで,自立生活を始めてまだ日も浅く,他に知り合いはいないと言う。だから,彼にとっては必要不可欠である場に,他者が入りこんでくることによって,そのような他者(介助者)=友人と思ってしまうのだろう。これに対し後者は,介助関係=友人関係ではなく,介助は友人を作るためのきっかけにすぎない。だから,場合によっては介助関係がノイズだったり,逆に相手がそれを望んでなければ,「介助」の枠は越えないように接することもあるという。
しかし一方で,別の介助者は,介助関係についてこう言っていた。
「かえってね,精神的に関わりが濃くなってくるとすごく,介助って結構疲れるとこ
ろってあるでしょ。……お互いにメンタルな面で親しくなると,生活にまで入りこんでしまい,なかなか難しいと思う。……介護側も,向こうの障害者側の方も,その辺の距離はしっかり自分で把握する方がいいと思うし……」
介助関係における相手との距離については,障害者からもこんな話があった。
「よく知ってる障害者だと,暗い話も言うけど,よく会ってないたまに会う人,健常
者でも,僕に相談を持ちかけてくるんです。それで結構疲れちゃう。……僕は介護者
の方からも,悩みを聞かされるんです。……一番困るんだけどね。」
「だんだん仲良くなってくると,私のプライベートなことまで聞きたがる人がいた。すごく仲良くなってからすごく言いづらい部分があるから,始めにある程度,ここ
までは入ってこないでとか言っておいたほうがいいかもしれないとは最近思います。」
これらは,いずれも自立生活を始めて数年経っている障害者の話である。このように,自立生活が長くなってくると,介助者との距離ということも意識するようである。
障害者も,自立生活が長くなるにつれて,介助以外の関係を構築する機会は増える。健常者とは,このような介助関係を始めとして,周囲に健常者が多い分だけその関係も作りやすいようだ。
2 介助関係に対する「友人」という期待
これまで見てきたように,介助が人間関係である以上,そこに介助に対する意識の差があることは当然考えられる。それによって,両者の間にさまざまな行き違いが起こってくるのだろう。
ここで私が注目したいのは,介助関係に対する認識において,「友人」という期待に個人差が見られることである。障害者と介助者相互に,介助関係に対し「友人」という関係を望んでいる場合や,逆に,両者お互いに「介助」という枠を越えない関係を望んでいる場合は,介助の方法などに不満があっても,前者はそれを友人という関係性の次元,後者は契約という次元で解決することが可能である3)。しかし,介助に対して一方は友人関係を期待しているのに,もう一方はそれを望んでいない場合に,さまざまな葛藤や行き違いが起こってくるのであろう。
では,介助関係における認識に,健常者と障害者ということによる違いはあるのだろうか。
まず,健常者である介助者にとっては,介助の場面が必ずしも障害者のように必要不可欠であるとは言えず,また,介助以外のさまざまな場においても他者との関係を構築してきているのが普通である。だからその結果として,健常者は,介助関係を色々な関係のうちのひとつとして認識するのが自然であると思われる。
これに対して,障害者にとっては,日常生活において介助は必要不可欠であり,また,介助者との関係は,自立生活における健常者との関係の第一歩であるとも言える。実際に,彼らが先に述べたような状況に置かれてきたがゆえに,友達の対象としての他者が介助者以外にいないという人もいた。このような点を考慮すると,障害者は,健常者に比べて先のような認識がしにくいと思われる。またその分だけ障害者は,介助者に対して「友人」という期待を持ちやすくなるのではないだろうか。
以上ここまでは介助関係を例にとって健常者との関係について述べた。一方,障害者同士の関係はどうだろうか。障害者の絶対数が少ないということもあるが,先のインタビューでは,その関係を作る機会があまりないという話があった。そこで次は自立生活における障害者同士の関係についてみていくことにする。
V 障害者同士の関係――自立生活センターの活動を通した人間関係
自立生活センターとは,障害者が地域で生活していくために,さまざまなサービスや情報を提供する組織である。それは彼ら自身によって運営され,その内容は,介助サービス,,ピア・カウンセリング,自立生活プログラムなど多岐にわたる。
自立生活センターの活動に何らかの形で関わっている障害者には,そこにおいて,家族や施設とは違う形の人間関係を持つ可能性が開かれる。自立生活センターの組織の中では,介助というニーズ,自立という価値観に基づいた人間関係が形成される。自立生活センタ−に関わる障害者の声を挙げてみよう。
「(センターの活動で友達は)それは増えましたね。特に障害者の友達が。ヒューマ
ンネットワークに関わる前には,ほとんど障害者と関わる機会がなかったんで。」
「あの今までこういう(センターの)活動に関わってなかった時って,あの養護学校,小学校の養護学級の友達しかいなかったんですよ。近くにいなかったんですね。私達の時代は,試験制度であの,入学した時ですから,いろんな所から来てましたから,なかなか家も遠かったり。であの,中途障害の方なんかと,お友達になることはなかったですね。で,中学校から普通学校行ったんで,普通学校の(健常者の)友達が多かった。……でもここ(センター)に入って,やっぱ健常者の友達でも,この歳になると家庭を持ったりとか,なかなか遊んでくれなくてね,それなりに難しくなって。で,たまたまここに来たら,年齢と同じ中途障害の方とかいて,まあ今,他の生命保険会社で一緒にバイトしてる人,そういう人たちと結構話が合って,だからまたここでの友達が増えてます。」
この2人は,自立生活センターの活動を通して,障害者の友達が増えたという人である。そしてまた,これらに見られるように,実際に,地域で暮らしている障害者同士が接する機会は少ないようである。そのような中で,自立生活センターは,そんな人間関係を構築する場となっているようだ。
今回のインタビューの中で,ある障害者は,「交流会には積極的に参加したほうが良い。障害者の住む世界は狭いから。」と言っていた。交流会とはどのようなものなのだろうか。ここでは主に,その交流会について見ていきたいと思う。
1 交流会の概要
交流会とは,その名の通り,センター会員の交流を目的とするもので,最もインフォーマルなコミュニケーションをとりやすい場だといえるだろう。実際に,センターで発行している会員向けの機関誌によると,センター側のねらいも,「事務局として今一番やらなければならない重点課題は,会員の皆様や関係者の方々とのコミュニケーションのとり方にあります。特に事務局と会員の親睦を深め,会員相互の交流をもっと行なうことで,自立生活センターの機能を高めていきたいと考えています。」4)という具合だ。
交流会の内容は,その名目によってさまざまであるが,対象者別に見ると,利用者だけを対象にするもの,介助者だけを対象にするもの,利用者と介助者の両者を対象にするものがある。そして遊びだけのものとしては,クリスマス会や新年会などがある。 また,交流会という名目の他にも,交流の機会を持ち得る場としては,介助講習会・利用者懇談会・講演会・コーディネート会議などがあり,多岐にわたっている。しかしこれらも,堅苦しいのは名ばかりで,実際には,講演会の後に食事に行ったり,コーディネート会議といっても,みんなで集まっての雑談という感じで,参加者は,その場でのコミュニケーションを楽しんでいるようだ。
2 交流会の現状――利用者の声から
さてここからは,交流会の現状についてみていこうと思う。まず、自立生活センターのスタッフは,交流会のねらいと組織としてのその位置付けについてどう考えているのだろうか。
まず,町田ヒューマンネットワークのスタッフの話を挙げてみよう。
「介助講習会なんかをやると,大体30名前後参加するんですよね。それから,交流会
のようなものをやってもやっぱり多くて20〜30名ぐらいで,そう多くないですね。だから逆にいえばね,(自立生活センターは)従来の(障害者団体のように),交流を深めるとか,親睦を求めるとかという場ではないということだと思うんですよ。逆に例えば,介助利用している人たちもね,自分は生活の中で不便なところを介助者に来てもらって手伝ってもらうのであって,それだけでいいと。別にスタッフと交流したいとか,他の利用者同士交流したいとか……したい人はすればいいんだけど,そんなものは関係ないという人だっているわけでしょう。だから,そこまでたぶん割り切れるんだと思うんですよ。事業として理解してもらえれば。例えば,同じ学年だからとか,同じ会社にいるからってね,すべて交流しなければ……親しくならなければならないわけじゃないんですよ。自然にそれはできてくるもので,第一義的には勉強することであったり,仕事をすることであったりするわけでしょう。それはもう付随的なものなんですよ。ただ,従来の障害者団体だとか,グループだったりしたら,どちらかというと交流だとか,仲間作りだとかというのが第一義になっていた時期だとか,それからそういう活動を目的とした組織だとかがあったと思うんですね。だから,それは今までも続いていたとは思うんだけど,それにプラスされる形でこちらは……ヒューマンネットワークの場合には,一つ一つの事業をやっていくんだという形でこちらも思ってるし。ただ,だからといって交流がなくていいとか,人間関係が無味乾燥でいいというわけじゃないですよ,もちろん。」
また,CIL立川のスタッフも,交流会のねらいについてこう言っている。
――あの,利用者交流会っていうのがありますよね。それは,自立した後にどう過
ごしていくかっていうものではない?
「ではないね。基本的に,俺はその中で次の段階はそういうことを考えているんだけ
れども,基本的には,利用者交流会っていったら,いわゆる,介護する組織と,介護
を受ける利用者という中で,不満がきっと出てくると思うのね。その部分で,いかに
その不満を吸い上げるか,逆に,うちらの計画はこういう風に考えているんだという
ことを,特に,リーダーと利用者の交流という形で。で,情報をこう決まりましたと,縦型に流すんじゃなくて,こういうことを今うちで一番困っているので,良くするために,みんな協力していただけないかっていう形の中で,決まる前に流す,話し合いをする。というのが基本なんだけど,なかなか,そうはいってない。」
このように,自立生活センターはひとつの事業であり,センター側にとって,交流会は少なくとも一義的には,組織の運営のためのものなのである。
それでは,利用者側からみた交流会の現状はどうなのだろうか。ここでは特に,障害者同士の人間関係に焦点を当てて考えていきたい。
今回のインタビューから,交流会の現状についてまず言えることは,先に挙げたインタビューにも見られるように,交流会が利用者個人にとって,友人関係,特に障害者の友人を作る場としてよく機能しているということである。少なくとも,インタビューをした利用者に限っては,「センターで友人が増えた」という人が何人もいた。
――交流会とかで,友達とか増えますか。
「うん。いつのまにかここは知らない人が増えてたりするから,フレッシュだよね。
来ると,この子なんだろうと思ってたりすると,新しい介助だとか言って。」
――そうするとここの中でプライベートな友達が出来たりっていうのは?
「ああ,あります,あるある。」
――どうですかね,同じような障害を持つ方が多いか,健常者が多いか。
「えっと,障害を持つ友達の方が今のところは多い。介助に入ってる子は学生が多い
から,やっぱり20,21って遊び盛りじゃない? なかなかね。」
――じゃ,とりあえず自分の気持ちの上での友達の作りやすさよりも……
「もう,現実に,誰が目の前に現れるかっていう……。」
このように,人間関係を作るきっかけが少なかった障害者にとって,交流会はそれを作る貴重な場となっているのである。
また,それとは別の障害者は,次のように言っていた。
「ここに来る前には自宅にいましたので,ここではいろんな情報をたくさん知ることができますし,そのILプログラムだとかピア・カンなどに参加することによって,いろんな人にお会いする機会が増えまして,いろんな方の考え方なんかを聞くことができるのでね。そういう意味では,行動範囲が広がりましたし,視界が広がりましたね。長く自宅にいると,人に接する機会がないんで,精神的なものも,やっぱりここに来ると気が楽になったりして。」
このように,仲間という同質のもの同士のコミュニケーションは,個人の不満や不安を解消するという機能があるのだろう。そしてさらに,人と接することの少なかった障害者にとっては,人間関係が広がることによって,それが不安を緩和する機能を果たすこともあると思われる。
以上のように,自立生活センターの活動の一環として設けられている交流会をきっかけとして,そこから個人的な関係が作られていく場合もあるようだ。
さて,ここまで見てきたことを少し整理しよう。障害者は,家族や施設,あるいは養護学校などの閉塞的な環境の中で,常に保護されるべき存在とされてきた。そして,そのような彼らが自立生活を送る際に構築する,家族や施設という範囲を越えて主体的に作り上げた人間関係の現状について述べてきた。それには健常者との関係と障害者同士の関係があること,具体的には介助・自立生活センターの交流会における「友人」ということを中心にしてふれてきた。そしていずれの場においても,そこで友人関係ができる場合があるということだった。それでは,障害者が構築するこのような人間関係は,次にどんな可能性を持っているのだろうか。Wでは,そのことについて述べていきたい。
W ネットワーキングに向けて
1 関係を広げる「きっかけ」として
障害者が地域で暮らすことで,彼ら個人の人間関係は広がっていく。しかしそれで終わりではないはずである。例えば,先に見てきた自立生活センターを,さらに関係を広げていくためのひとつの「きっかけ」として考えることはできないだろうか。利用者の一人はこう言っている。
――先ほど言っておられた,障害を持つ方ももっとどんどん外に出た方がいいという点で,そういう,外に出るきっかけとして,この場(若駒の家:障害者の作業所)というのはやはり考えられますか。
「そうねえ,僕なんかは主にそういう目的でここに来たし。やっぱりここにきて見聞を広めるっていうのかな,それが目的の一つではあったね。」
また他に,そのような「きっかけ」としては,どんなことが考えられるのだろうか。町田ヒューマンネットワークのあるスタッフは,次のような話をしてくれた。
――(障害者の)交流に関してですけれども,テレビでパソコン通信を使った障害者の方の,情報提供みたいなのを見たんですけれども,それを団体とか個人とかで使っていらっしゃる方とかは,聞いたことはありますか。
「ううんと,うちは今はやってないけど,結構多いですよ,障害者の場合。あの,今はパソコン通信の中で障害者のネットワークができてたりして,そこで……どういうのかな,いろんな連絡を取り合ったりとか,それから情報……全部,福祉関係の情報だとか,障害者のいろんな運動的な情報だとかをね,そのネット使ってどんどん流していくとかね。だからこれは一つの新しいやり方だと思うんですよ。」
パソコン通信は,一人で外出することが困難である障害者にとって,自宅でできるというメリットがある。その点を考慮すると,障害者にパソコン通信を利用している人が多いのもうなずける。情報化社会といわれる現代において,パソコン通信のように,情報機器の活用も障害者が関係を広げるひとつの「きっかけ」として重要な役割を果たすのではないだろうか。しかし裏を返すと,障害者にパソコン通信の利用者が多いということは,現実として障害者が外に出る際にまだまだ交通問題などの多くの制約が存在しているということでもあろう。
2 障害者側の意識と現状
しかし,障害者側の現状としては,そのような「場」を「きっかけ」として考えている人ばかりではないようだ。あるスタッフはこう言う。
「自立した人ってね,一歩と思ってないからね。なかなか,私はみんなと違うのよっていう自負がある。……これに対して,そうじゃないんだよっていうかたちの中で,だから,利用者交流会とか,何とかで,関わりを増やしていって,その中で,一つの,例えば日中の過ごし方とか,パソコンをやりたいと思うなら,パソコンをやれるような,自分達でグループを作っていって,場所を構えて出来るようにやっていきたいな,と。」
Vでみてきたのは,交流会が,家族や施設を出てきた障害者にとっては,彼ら個人の関係を広げる場であることだった。しかし言ってみれば,それはセンターの組織内における「利用者の」交流である。
交流会は,それに参加している利用者にとっては,彼らの個人的な関係を増やしていくひとつの機会となっている。しかし,その関係が「個人的」なものとしてそこで終結してしまっては,その場は「きっかけ」とはならずに内輪の集まりとしてそこで閉ざされてしまう可能性がある。実際に、八王子ヒューマンケア協会の利用者によると,交流会にでてくるメンバーも,スタッフは毎回変わるが,利用者の顔触れは毎回一緒であるという。
閉鎖的な空間を出てきた彼らが交流会で関係を結ぶことは,彼らの世界が広がったことを意味する。しかしこのスタッフの話のように,もし彼らがひとつの場所を「出た」ことに満足してしまっているならば,それは問題である。彼らが「出る」ことだけでは,障害者にとって不都合の多い社会のあり方自体を変えるのには不十分なのだ。彼らが地域で生活していくうえで「障害」となる交通問題などのハード面の改善については,それを「きっかけ」とした障害者同士の連携による働きかけが有効なのではないだろうか。
同様のことは,Uでみた介助に関しても言える。彼らにとって,他人との介助関係は,おそらく以前の家族などとは違った新しい関係であろう。しかし介助は,日常生活においてそれが必要不可欠な障害者に「与えられた」場なのである。障害者にとって,その場の第一義的な目的は「介助」であり,「友人関係」ではないはずだ。もちろん,それをひとつの「きっかけ」として介助者と友人になれれば,それだけ彼らの世界が広がるのだから,彼らにとってそれに越したことはない。しかし,介助関係に始めから「友人」を求めてしまうのは,やはり無理があるのではないだろうか。
3 障害者同士のネットワークが持つ可能性
さて,彼らがその関係を広げていくことには,どのような意味があるのだろうか。これは,町田ヒューマンネットワークのあるスタッフの話である。
――地域の中で障害者の人たちが共存……社会一般の人と共存して生活していく運動というか……そういった理念というか,目標というのもあると思うんですよね。実際に地域の中で共存するということについて,どういった考えをお持ちですか。
「それはやっぱり大きいですよね。……一般市民の前に,まず同じ福祉団体とか,障害者仲間との連携みたいなのも当然必要になってくるし。そういう形では,積極的にそういう地域の活動の輪の中に入っていこうとしているんですよ。」
障害者が地域で暮らすということは,決して健常者との関係だけを作っていくことではない。地域で暮らしている障害者同士が連携し,地域の中へ参入していくことにより,組織の圧力のかからない個人主体的な人間関係が築かれ,それによって社会のあり方も変わっていくのではなかろうか。障害者同士で関係を作っていくことのメリットは,まさにそのような可能性が内在していることにある。
障害者同士の交流と若駒の家という場について,ある利用者はこう話していた。
――やっぱり,この場(若駒の家)っていうのは,引きこもりがちな障害者の人たちに,こう,人間関係っていうか,みんなで集まってやっていこうと……。
「そう。」
――ここが交流の場として重要な意味を持っているのですか。
「そうね。重要な意味を持ってるね。」
――やっぱり,こういう場がないと障害者同士の交流もなかなか出来ないものなんですか。
「本当はこういう場がなくてもいいような社会になってほしいという希望はありますけどね。」
――でも,現実はこういう場があった方がいいと……。
「うん。あと,こういう,自分たちが動かなければ駄目だなということが多いです。」
TやVの始めのインタビューからも分かるように,障害者同士の交流の機会はあまりない。その中で若駒の家は,この利用者が言うように,障害者同士の関係を作る貴重な場となっているのだ。しかし,サービスを主な目的とするCIL立川では、そうなってはいないようである。そこのスタッフは、以下のように言っていた。
――利用者の交流会の方は,友達を作る場として機能したりとか?
「そういう風にネットワーク化されればいいとは思うけど,なかなか,介助といってもそれぞれのお宅を訪問してやるわけだから,顔見知りっていうのはほとんど少ないですね。障害者の方にしたって,自分の生活があれで,まあ一緒に遊びに行くとか,一部グループ的なものはあるかもしれないけど,定期的に全員が集まるっていうのは難しいとは思いますけど。」
――じゃあ,なかなかCILを通して障害者同士が友達になっていくっていうのは,あまり多いパターンではない?
「と,思いますね。でもそういう風になってもらった方が,うちのCIL立川として
は,お互いの情報交換とか,収集とかありますよね。例えば,自立したての人が,す
でに自立している先輩に教えてもらうってこともありますよね。わざわざILP(自
立生活プログラム)ってのを企画して,もちろんそういうの受けてもらうのはいいん
だけど,実践的な部分からすると,そういうネットワーク化っていうのも,流れとし
てあればいいですよね。」
――希望としてはあるけれど,なかなかそこまではいってない?
「そこまでいくためには,結構利用者の方に対しては,もっと地域のケアサポートで
はないけれど,なんかのきっかけがないと難しいですよね。それこそさっき言ってた,施設にいて自立したての人と,現状を知ってて(すでに自立して1年ぐらいたった人)気分がいいなって人と。」
ここで言いたいのは,「交流」ということが,センターにとっては二義的や付随的であっても,特に障害者同士が交流することで,質的な情報交換が行なわれるというメリットがあるということである。しかし,交流会の参加者の人数も,実際にCIL立川で4月に行なわれた利用者交流会では,その機関誌によると,「介助者も含めて16名集まり,出だしはまあまあ好調でした。」5)ということであった。しかしそれは,CIL立川の全利用者数6)の4分の1以下である。現状としてここから言えることは,ひとつの「きっかけ」となりうる自立生活センター内においても,障害者同士の連携はあまり進んでいないようだということである。当のスタッフも,今のところ,そのことにはあまり力を入れていないようだ。
地域における障害者同士の連携は,二つの意味において重要であると思う。ひとつは,それによって生活のノウハウなど質的な情報の交換が可能になることである。このことは,特に障害者個人の実践的な生活の部分においてメリットが大きいだろう。そしてもうひとつは,それがその外部への働きかけの手段としての要素を持っていることである。障害を持つ者同士,利害は共通するところがあるだろう。それを契機として社会に対して説得を行なっていくことにより,彼らにとって不利な環境が改善されていくのではないだろうか。このことは,同じ障害者の中で,自立生活センターの利用者が運営側に対して行なうべき,より良いサービスを受けるための働きかけについても当てはめることができるだろう。
おわりに
障害者が地域で暮らしていくということは,家族や施設を「出る」ことだけではないと思う。障害者個人が健常者とおのおのの関係を広げていくことは,彼ら自身の世界が広がるという点で,また健常者個人にとって身近な存在となる点で大きな意味を持つ。しかし,障害者にとって不利な社会のあり方を変えるためには,それだけでは不十分である。そのために,障害者同士の連携が必要なのである。でも,そうかといって障害者同士で集まってばかりいても,そこで社会に働きかけていくことができなければ,それはその場で閉じてしまい,健常者個人の意識まではなかなか変えることができないだろう。障害者にとって不利なことが多い社会を変えていくためには,それらのバランスがとれた障害者の「ネットワーキング」が求められるのではないだろうか。
しかしそれには,障害者同士の連携という面がまだまだ不足しているようである。彼らの一部だけではなく,全体の連携によって社会に対し説得を行なっていくことが重要ではなかろうか。また,彼らがそうするために「障害」とならないような社会的な環境を,健常者は作っていかなければならないだろう。
注
1) 学校に通えない重度障害児のために,学校の先生がその家を訪問し,一緒に勉強し たり遊んだりするもの。
2) 自立生活において障害者が介助を受ける方法については,立岩[1990]参照。
3) 介助における行き違いや不満の対処方法については,岡原[1990]参照。
4) 『CILたちかわ通信』15(1993年6月20日):1
5) 『CILたちかわ通信』15(1993年6月20日):1
6) CIL立川の利用者数は,1992年度は72名,今回調査時点では82名。
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