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第7章「『養護学校』ってなんだろう?――教育をする側と受ける側からみた現状と問題点について」

浅倉 優香・松丸 紀子

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last update: 20151222


第7章

「養護学校」ってなんだろう?
――教育をする側と受ける側からみた現状と問題点について――

                         Asakura,Yuka Matsumaru,Noriko                         浅倉 優香   松丸 紀子

はじめに・障害児の学校教育・

 健常児と障害児が一緒に教育を受ける場合を統合教育、養護学校などの特殊学校に分かれる場合を分離教育と言う。分離教育については、賛否両論で、ようやく全ての障害児に対して教育制度が整ったと評価する意見と、障害者に対する別学体制の完成であると批判する意見とがある。1)
 昨年10月、北海道旭川市で、車椅子の女子中学生が、普通学級で学びたいと訴えを起こしていたのに対して、旭川地裁は「普通学級と特殊学級のいずれに所属させるかの決定権は校長にあり、憲法は子や親に選択権は保証していない」と訴えを退る判決を出した。他方、同じ1993年3月には、神戸地裁で筋ジストロフィーの少年が障害を理由に高校不合格とされたのは違法であるとの判決があった2)。
 障害児がどの学校に通うかについて、普通学校・普通学級に通いたい、通わせたいとする障害児、そしてその親と、それを受け入れようとしない学校・教育委員会との間でよく対立が生ずる。障害の程度や、学校の受け入れ体制、学校・教育委員会の受け入れに対する態度によって、結果はそれぞれのようである。1979年に養護学校が義務化され、これによって養護学校は増設された。反面、障害児は普通学校に入りづらくなったという。最初にあげた2つの訴えはこの問題をよく反映していると思う。
 どのように考えたらよいのだろうか。しかし、それ以前に、私達は養護学校やそこに通う子供達のことをよく知らない。障害を持った多くの子供達は、特殊学校に行ってしまうので、私達と接する機会は少ない。学校同士の交流もほとんどないので、そこがどんな学校で、どんな教育が行われているのかもよくわからない。それでも「障害者」を知らなければ知らないままですんでしまう状態だ。だからまず養護学校のことを知りたいと私達は考えた。
 スタートは養護学校の分類さえ知らないような状態から。そして、特殊学校、特に盲・聾学校を除いた養護学校とはどんなところだろうか、という素朴な疑問から調査は始まった。学校の様子や、そこを支えている人の意見を知るために、幾つかの学校で見学・先生へのインタビューを行った。またそのような学校は内側からはどう見えるのかを知るために、実際に学校を体験してきた人達に話を聞かせてもらった。
 Tでは、制度的な面から、実際の教育内容、養護学校義務化への流れを。Uでは、学校の見学・先生へのインタビューから、実際の様子・それぞれの教育現場にいる人の感じていること、目指していることについて。Vでは、障害を持っている人へのインタビューをもとに、教育を受ける側にとっての普通学校、養護学校を、障害の種類を分けて見ていくことにする。

T 制度からみた養護学校

 以下、各養護学校(特殊学級を含む)、及び養護学校の義務化への流れを制度的な面から簡単に説明する。
 現在の障害児の学校教育は、学校教育法によって定められ、「特殊教育」として制度化されている。その分類は下図のようになり3)、養護学校にはいくつか種類がある。しかし、障害が重複している子どもははっきり分けられない場合もあるので、厳密に分かれているわけではない。

   普通学校  普通学級
         特殊学級

          盲学校
   特殊学校  聾学校   精神薄弱養護学校
         養護学校  肢体不自由養護学校
               病弱養護学校

 1 教育内容4)

 教育内容については、盲・聾学校および養護学校小・中学部学習指導要領および同高等部指導要領において各教科の目標および内容が定められている。

(1)精神薄弱養護学校
 教科としては小学部では、生活、国語、算数、音楽、図画工作、体育で、中等部は中学校と比べ技術・家庭が職業・家庭となっている点が異なっているだけである。しかし、教育内容としては小・中学校の内容とは大きく異なる。その他、道徳および特別活動、養護・訓練がとり入れられ自己の身辺処理や家庭生活、社会生活および職業生活に必要な知識や技能を育てる指導が主になされている。
 実際に2校の養護学校で話を聞いてきたが、それぞれの学校によって教育方針が異なり、作業的な指導がメインのところもあれば、教科的な指導を主にし、その中に作業的なものを組み入れるところもあった。全体的に見て、作業的な指導をしている学校が多いようである。

(2)肢体不自由養護学校
 小・中学校の各教科、道徳及び特別活動のほかに、養護・訓練として、上肢の動作や起立・歩行動作などの訓練、日常生活動作および作業動作の訓練、および発音発話を中心とした言語指導が主にすすめられている。
 ある養護学校では授業は作業中心で、機織り、陶芸、椎茸栽培、レザークラフトなどをやっていた。9時に登校、10時半までクラス単位の活動、12時まで作業であった。

(3)病弱・虚弱養護学校
 各教科、道徳、特別活動のほかに養護・訓練としての心身の障害の状態を改善し、または克服するための指導が行われている。

(4)特殊学級
 特殊学級は、障害が盲・聾・養護学校の対象とならない程度の心身障害児について、小学校、中学校において特別な教育を行うために作られた学級である。教育課程の基準は小・中学校の通常の学級のものと同じであるが、特に必要のある場合には、小・中学校の各教科、授業時数その他学習指導要領に示されたところによらず特別の教育課程によることができる。体育だけ特殊学級で受けていた、という人もいた。

 2 養護学校の義務化について5)

 1947年の学校教育法において、障害児を対象とする教育機関として特殊教育諸学校、特殊学級が、普通学校とは別に特殊教育制度として定められた。ところが、養護学校の設置は戦後の政策によって、普通学校の後に回され、法令の上でこそ存在したものの現実には1校も存在していない状態であった。その後も、養護学校が義務制でないために国からの経済的援助が全くなかったため、養護学校の設置努力はほとんどみられなかった。このような中では特殊学級で教育を受けるものもあったが、多くの障害児は特殊学級がない場合は普通学校に就学するか、就学義務猶予・免除、または心身障害児施設に収容されていた。
 その後、1954年に「公立養護学校整備特別措置法」が成立し、国の補助金で、養護学校に関する費用を一部負担するようになった結果、養護学校が増設された。こうして1973年11月20日付けで、「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置義務に関する部分の施行期日を定める政令」が公布され、1979年4月1日に養護学校の義務制が施行され、以後養護学校教育は拡充整備を続けてきた。

U 先生の声・教育する立場から・

 障害児を持つ親は子供を就学させるとき、教育委員会の就学相談を利用しながら、普通学校か養護学校か選択する。しかし「特殊学級や養護学校の増設に伴い、教育委員会による勧誘も盛んであった。勧誘が盛んになるほど、言葉の端々に普通学校では迷惑である事があらわれ、つくられた学級や学校を満たすためで、障害を持つ子のためではない事がわかってきた。」6)というように、学校を選択する権利が親にあるというのは表向きに過ぎないという場合がある。「たとえ親や子どもの要求に応じてつくられたとしても、養護学校や特殊学級がいったんつくられてしまうと必ず、望まないにもかかわらず入らなければならない子どもが出てくる。親と教師や教育委員会との関係は対等ではない。しかも、それが障害を持つ子や遅れた子のためという名目である以上、義務制でなくても強制力を持つ」7)。自分の子どもを「お荷物」と感じ肩身の狭い思いで、行くところがあればと養護学校を考える親もいれば、養護学校で必要な知識や技術を身につけてもらいたいと積極的に願う親もいる。一方、障害を持っていても普通学校に入れたいと強く願う親もいるが、この要求はいつでも通るわけではない。
学校に行けば友達や先生がいる。障害児に限った事ではないが、親にとって先生というのは、学校での我が子、自分が知らない我が子を知っている。また、先生の考え方、やり方は、生徒に大きな影響を与える。先生がどんなことを考えているのか、多かれ少なかれ気になるであろう。今回の調査では、精神薄弱養護学校2校、肢体不自由養護学校1校、精神薄弱児が通学している普通学校1校の先生にインタビューを行った。それぞれの特徴と、先生の声を比較してみようと思う。

 1 それぞれの学校の様子・特徴・見学から・

(1)A養護学校(精神薄弱養護学校)
 「よりよい生活のために当たり前のことを当たり前にできるように」8)という方針のもと、授業は全て作業で教科指導は行っていない。これを生活主義と呼んでいる。1カ月から2カ月で単元が区切られていて、何をやるかは、その時の子供の様子や関心に基づいて綿密に計画を立てる。指導案は何度も練り直し、会議や研究会にかけ、さらに何度も修正し、他の学年の先生の意見も取り入れながらつくる。例えば中学1年生(1クラス10人弱、先生3人)は5月に野草摘みハイキングに何度か行った。小学部からのエスカレーター組と外部からの生徒と先生のコミュニケーションをはかる事、一つの集団として認識してもらう事などが目的で、クラスのみんなができる「歩く」ということを基本に考えた。摘んだ野草はてんぷらにして食べたり、おみやげにして持って帰ってみんなに喜ばれたりで、大成功だったということである。
 先生の大きな願いは、「個々によって違うけれど、当たり前の生活を当たり前に過ごして欲しい」という事。常に、どういう風にしたら子供がいい表情をするか観察しながら単元を進める。また、できない事を無理にやらせて、失敗する事で学習させるという方法は決してとらず、その子が精いっぱいの力でできる仕事や材料を与える。精いっぱいの力という判断はつきあっていくうちに、経験や情報から判断する。
 算数や国語のような教科指導も必要だと言う。しかし、普通学校のように分化して教えるのではなく、作業の中に、弁別やマッチング、記憶など学習の基礎となる要素が含まれるようにしている。また、よりよい生活のために必要な範囲で、実際に文字を書いたり計算をしたりということはあるが、書かせれば必ず力になるとは考えていないようである。

(2)B養護学校 (精神薄弱養護学校)
こちらは、「文字情報のあふれる世間に出ていくことになるのだから、数字や文字は理解できたほうがいい。働いていくのに必要な集中力、意欲、持久力といったものは教科の中で養える」9)という方針で、教科指導が中心になっている。これを教科主義と呼ぶ。
 全ての生徒に指導略案があり、その目標に基づいて系統的に授業が進められる。能力別クラス編成(ほぼ障害度別に一致している)で、計算や時計の読み方、国語など生活に密着した教科を行う。また、合同授業では、「円の上に行きましょう」というように運動しながら認知を養ったり、会話や集団行動を身につけさせたりと、内容も色々である。合同授業の時に、授業についてこれない生徒は個別に1対1で授業を行ったりもする。3人を1人で教えていても、全員が授業を聞いているわけではなく、結局個別のような形になってしまうのが実状。しかし、学年が進むにつれて、合同授業に参加できる人数が増えてくるのも確かである。また、普通学校よりも授業時間数が少なく、思うように進められないという問題がある。
 他にも工夫がある。B養護学校では、学校で楽しく過ごせるようにという考えのもとに、クラブ(バレーボール部や、いろいろな物を作る「つくる部」など)がつくられ、中・高の希望者約40人が参加している。朝練習も行っている。バレーは卒業後も活動しており、これは先生が相手でも勝てないそうである。
 作業的な学習もやっているが、働くためというよりは、調理ができるようにしたり、金槌や鋸を使えるようにしたりと、生きていく上で必要なことを学習するのが目的のようである。こういう作業は結果的には働くためにということにもつながると考えられている。

(3)C養護学校(肢体不自由養護学校)
 小中高あわせて教師 149人、生徒 230人(小学生約 110人、中学生50人弱、高校生50人弱)という大規模な、肢体不自由養護学校である。作業と教科の両方でカリキュラムが組まれており、クラスは能力別(障害の程度別)になっている。教科のできるクラスは教科、できないクラスは作業や訓練中心、また科目によってできる場合は教科のクラスにいくなど個別対応になっている。普通学校と全く同じ授業を行うクラスから、障害が重複するにしたがって作業や訓練が増え、全て訓練というクラスもある。また音楽や体育などはできるだけ合同で行い、他クラスとの交流をはかっている。
 肢体不自由養護学校なので、個人の時間割の中に養護訓練がある。訓練室で週2回、専門の先生とマンツーマンでマッサージや立ったり座ったりなどの訓練を行う。先生は常に生徒に話しかけているので明るい雰囲気の中で進められている。この訓練以外に、指導計画に基づき、クラスでも養護訓練の時間をとっている。訓練の時間は障害が重複している生徒のクラスに多い。

(4)D小学校(普通学校)
 6年の2クラスに少し知能障害がある女の子が1人ずついる。授業は全て一緒に受けているが、内容は全くついてこれないので、簡単な計算や漢字練習などを一人でやっている。飽きてしまうと保健室に行ってしまう。
 3日間移動教室の付き添いで一緒に行動したが、特にいじめられている様子はなく、クラスの中には対等に喧嘩してしまう子もいれば、少し上に立って面倒を見てあげられる子もいる。しかし障害児同士はかなりライバル意識があるようで、何でも取り合うし喧嘩もよくする。私の目を見て「○○ちゃん(もう1人の障害児の名前)と仲良くしちゃだめだよ。したらぶつからね。」と言う。その子がよってくると、私の手を引っ張って離そうとする。みんなと仲良くしてもやきもちを焼く。「約束(○○ちゃんと仲良くしない)破ったからぶつよ」と背中をたたく。加減がないのでけっこう痛い。
 全体的には与えられた仕事は一生懸命こなしているし、掃除も給食当番もできる。身の回りのことも自分でできるので、授業の面以外は問題ないようである。

 以上簡単ではあるがそれぞれの学校の特徴や様子を述べた。学校の立場によって方針や指導方法は全く違うことがわかる。

 2 先生の声

 養護学校が抱えている問題はたくさんあるはずだと思いこみ、「養護学校の問題点は何ですか」とぶしつけに質問した。しかし、A養護学校の先生が「問題点というか…、関心ごとは、どうすれば生徒がいきいきした表情をするかということにつきますね。どの養護学校もそれが最大の問題なんじゃないですか」と答えてくれた他は、先生の方から具体的には挙がってこなかった。そこで、障害児ばかりが集まるのだから先生は親切だろうし、なんでもやってもらって甘やかされているのではないか、もしそうなら養護学校を卒業した障害児は社会に適応できないのではと思い、具体的にいくつか挙げて質問してみた。以下はその比較である。

(1)甘えについて
 養護学校では、トイレや食事など、自分でできないことは友達ではなく先生が手伝ってくれる。また、友達が先生に手伝ってもらうところも日常的に見ている。そういう環境では、子供は手伝ってもらうことが当たり前と思ってしまって、自分でできることさえやらなくなってしまっても不思議ではない。「養護学校の中にいると、言わなくても言いたいことを察知してもらえたりするので、甘えてしまいがち」というB養護学校の先生や、「(世話をしてくれたり、かまってくれる先生がいるので)子供にとって学校はおそらく、最も楽しい場所である」というC養護学校の先生のように、養護学校の先生自身も、甘やかしがあることを認めている。しかし、「甘えがあることは否定しない。それは教師の意識改革である程度防げるはずである。経験が大切だとばかり言っていないで、客観的に説明できれば、研修として新卒の先生にも伝えることができ、教師の意識や資質の向上につながるのではないだろうか」とC養護学校の先生が言うように、先生の意識の問題なので、制度を変えればどうなるという問題ではない。確かに言わなくても察知してもらえれば、生徒はもちろん先生も楽だし、人間関係もうまくいくし、時間的にも合理的かもしれない。しかし、社会ではそんなことはほとんどないのだから、成長する上でこのような甘やかしは問題があると言わざるを得ない。
 しかし、甘えは養護学校に限ったことではない。D小学校の先生が「本人にも甘えがあるから、できないって言っていればそのまま過ぎていくっていうところで甘えがある」「わかんなければいいやみたいな感じで、本人も、だから30分の1くらいだと、こっちはもう、そこまで徹底してできないっていうか、他の子を見るためにはその位でいいよっ、ていうところがでてきちゃうから、本人はそれに甘んじちゃうっていうのかな」と言うように、普通学級にいる場合でも甘えは存在する。しかしこの場合の甘えは、忙しくて手がまわらないが故の甘えなので、言わなくても察知してもらえるという養護学校の場合とは性格は異なる。
 一方で、A養護学校の先生は「精いっぱいの力でできることを設定していれば、甘えが出ることはない」と言う。確かに作業中は甘えさせないようにしているようだった。しかし、常に厳しいわけではなく、例えば、給食の時こぼしても、あらあらという感じで一緒に片づけたりするので、生徒が窮屈そうにしている様子はない。

(2)学校教育の限界と家庭の教育力
 障害児は例えば駅で切符を買う、買い物に行くといったお金を扱うこと、また公衆電話を使う、電車やバスの中では傘はたたむ、順番を待つときは並ぶなど、日常生活で私たちが当たり前のように行っていることが身に付かないと言われている。知能障害を持つ障害児は、健常児が周りを見て学習していくような日常生活についても訓練が必要な場合がある。しかしそれは、障害を持っていることばかりが原因なのではない。養護学校と家との往復で1日が終わってしまうという生活にも大きな原因があるといえるのではないだろうか。養護学校に通うと家の近くに友達ができないため、帰った後も家に閉じ込もるなど、地域から隔離されるという事も起こる。親が子どもを守ろうとする余り、学習する機会さえ奪ってしまっているのではないだろうか。このことについてC養護学校の先生は「社会性が身に付かないのは確かにある。しかし、学校はいろいろな制約(移動手段、日程、予算、万が一のことなど)があって枠の中でしか動けないので、やれる事に限界がある」「家庭の教育力をもっと発揮して欲しい。家庭が障害児を家に閉じこめていたのでは、いつまでたっても社会性は身に付くものではない」と言う。また、A養護学校の先生も、「学校から帰るのが普通学校より早いのは確かだが、その後のことは学校よりも地域が積極的に動くべきである」との意見だった。またC養護学校には寮があるが、寮生でもなるべく家族や地域に帰すべきという考えから、月に3回週末は強制帰省させている。これは寮生になるときの選抜条件になっている。
 普通学校ではお金の勘定や時計をよむという指導は先生の都合上難しいが、トイレや食事など身の回りの事については、他の生徒が手本になるし、勝手なことをやると友達が遠慮なく怒ったり注意したりするので、集団の中で生活する技術は自然に身に付くようである。また掃除や給食当番などは養護学校・普通学校に関係なくできるようである。

(3)卒業後の進路
 学校を卒業した後どうするか。これは先生にとっても親にとっても大きな問題である。どの養護学校でも、実習という形で企業へ行く機会を設け、就職に積極的である。B養護学校では、これまで 123人の卒業生のうち66人が就職している。しかし必ずしも、本人や親の希望通りにはいかないことが多いのも確かである。A養護学校の先生は「就職してもらいたいのは最大の願い。しかし、ある企業に就職が決まっても、親の反対で結局就職しなかったという例もある」と話してくれた。C養護学校は、就職指導部というのがあって、個々の生徒に、早ければ小学部の時から、企業の見学や実習を薦めている。また、就職を考えていない重度の子でも、親と施設に1日泊まってみるなど、なるべく学校から出して体験させるようにしている。しかし、就職できるのは多くても2、3人というのが現状で、ほとんどが施設に行くか在宅になる。在宅の場合は、決して家にこもらせることのないよう、週1回でも2回でも外に出る機会を作って欲しいと親にお願いしているそうだ。
 普通学校の場合、養護学校のような企業体験実習のようなものはほとんどない。障害児と親は、就職するなら自力で探さなければならないことが多く、先生はどちらかというと消極的な態度のようである。これは養護学校が企業にある程度コネを持っているのに対し、普通学校では障害児が少ないためそういう関係がないこと、また、普通学校では他の生徒のこともあるので障害児1人を見ているわけにはいかないということが原因と考えられる。

(4)分離/統合教育について
 統合教育については、養護学校の先生のほとんどが同じ意見で、「一緒にいさえすれば統合と考えてしまう風潮があるが、それは全く意味のない事で、そんな統合ならやらないほうがいい。統合するなら、障害児にもメリットのある方法を考えてからにして欲しい」というC養護学校の先生の言葉が代表的である。つまり養護学校の先生は統合教育に決して反対ではない。しかし今の日本の教育状態では、とても障害児が普通学校でいきいきと生活できるわけがないので、それなら分離のほうがいい、という意見のようだ。実際D小学校の先生は、「20人30人をいっぺんに見なくてはいけないので、障害児1人に関わるということはなかなかできない。勉強も、次のステップに進むには、つきっきりで教えてあげなければならないが、その時間がとれないのが現状。だから本人の成長のためには特殊教育のほうがいいのかなと思う事もある」と言っている。確かに普通学校では登校拒否児が出てしまうくらい問題が多く、先生は非常に忙しい。その中に障害児をポッと入れても、気を配るのには限度があるだろう。
 しかしD小学校の生徒には、障害児がいる事でメリットもある。「世の中にそういう障害をもったっていうか、ピンからキリまでいろんな人がいるわけじゃない、目が悪くて暮らしている人、お金の計算ができなくて暮らしている人とか、足が不自由だとかいろんな人間がいるわけだから、そういうことを子どもたちが知っていく一端として、やっぱり日々生活を一緒にしている方がそういういろんな人を受け入れられる子供が育っていくと思う」(D小学校の先生)。A養護学校の先生は「一緒にいるからってお互いの理解が深まるわけではない」という意見だった。しかし、「『障害』を持った子は、応々にしてつき合いが上手とは言えません。それが『障害』なのかもしれません。つき合いの上手でない子が、つき合いの上手でない子とつき合って、上手になるわけがありません。やはり、上手な子、下手な子が互いに関係を持ち合うことによって、共に育っていくものだと思います。」10) というように、一緒にいないよりはいた方が、とりあえずそういう子もいるという認識はつくはずで、それは将来役に立つ事だと思う。「そういう子だっていうのがわかっていて、1つ上にっていうのかね、こう、世話を焼くほどでもないんだけど、大目にみるとこはみて、つき合える子もいるし、対等になって喧嘩しちゃう子もいる」「障害児というよりも一人の人間として性格の上で合う合わないはあるみたいですけど」とD小学校の先生は言う。勉強に対しても「先生が同じことをやらせないからできなくなっちゃうんだっていう子もいる。同じ勉強をさせればいいのに簡単なものをやらせているからできなくなっちゃうんだって」。ここには、障害者に対して、遠慮というか差別というかそういう意識はなく、同じ仲間として同レベルでみられている障害児がいる。
 友達がいるということは、障害児にとってもマイナスであるはずはない。親や教師よりも、子ども同士の方が気がつくこともある。勉強面では確かに遅れてしまうかもしれないが、学校は勉強だけ教えるところではないはずである。
 また、交流という形で障害児と健常児が一緒に行事などを行うことがある。その時は健常児は、自分の住んでいる地域にもいろんな人がいて、いろんな生活をしている人がいるんだと認識できるかもしれない。が、「最近、知的な遅れが少ない障害児とそのクラスの子どもたちとの関係が、美談に仕立てあげられるのを見聞きする。本人の願いとは関係なく、道徳の徳目のように親切にされることもある。つっぱっている子や怠けている子のお尻をたたく材料にも使われる。『障害があっても、あんなに頑張っているじゃないの』と。」11) というように、うまくいったと思うのは健常児側だけなのかもしれない。短い時間なら、親切にしてあげられるかもしれない。しかし、それは障害児には迷惑な話で、自分でやりたいとか、そんな世話は必要ないとか、こういう時は助けて欲しいとか、いろいろ要求がある。しかし、なかなかうまく伝わらないこともあるだろう。交流という短い時間ではそれで終わってしまう。普段分けられていて、急に会わされたって、対等な関係は簡単にできるものではない。言語の通じない国に行って、私たちが経験する様々なトラブルや不快な思いに似ているものを、障害児は感じているかもしれない。短い時間ではお互いを理解することは不可能だし、かえって溝を深めてしまう結果にもなりかねない。しかしきっかけになることは確かである。交流を形だけでおわらせない工夫が欲しいものである。

 3 まとめと今後の課題

 普通学校と養護学校ではもちろんのこと、養護学校の中でも精神薄弱養護学校と肢体不自由養護学校では違うし、精神薄弱養護学校の中でも、生活主義と教科主義では考え方もやり方もずいぶん違うようだ。それぞれが、工夫してどういう方法が障害者にとって一番いいのか、模索、実行している。しかし、今の統合、分離論は、こうした現場の努力の外で行われてはいないだろうか。
 確かに義務化実施は、反対の親を押し切ってという部分もあった。普通学校のよさを知り、その方があっていると判断したのに、希望が通らないこともある。それをうらみ、養護学校や特殊学級があるから、行きたくないのに行かなければならない子が出てくると言って、養護学校義務化を批判するのももっともである。しかし、どの養護学校の先生も、子どものことを考え、日々努力していることも忘れてはならない。作業や訓練、就職活動など、普通学校ではできないことができるのも、養護学校の特徴である。実際養護学校に通ってよかったといっている人もいる。
 だからといって、養護学校に行ったほうがいいと言っているわけではない。普通学校に行きたいのなら、学校は通えるような体制を作る必要がある。障害児も健常児も同じ子供なのだから。障害児だから入学できませんというのは、外国人に、日本のよさはわからないだろうからこないで下さいと言っているようなものである。なぜ、障害児の普通学校入学を拒否する動きがあるのか。それは教師であったり地域の親であったりするのだが、そういう人たちの意見も聞いてみる必要があったと思う。



V 学校から受ける影響

 Uでは、現場にいる人達がそれぞれ異なる意見を持っていることを見てきた。では、そういったやり方や学校環境の違いから、障害者の受ける影響はどう変わってくるだろうか。
 知的障害の有無によって状況が変わってくるので、場合を2つに分け、さらに普通学校、養護学校に分けることにする。

 1 肢体不自由障害者の場合

 実際のインタビュ−からそれぞれの影響を見ていくことにする。

 主なインタビュ−対象者は7名であり、A・B・Cさんは普通学校、C・D・E・Fさんは養護学校経験者。詳細は以下の通りである。

・Aさん:男性、42才。進行性筋ジストロフィー。障害の進行は遅く、車椅子になったのは就職して入院した後から。症状を自覚したのは幼稚園の運動会だった。小・中・高校(商業)と普通学校
・Bさん:男性、19才。脳性麻痺。小・中・高校(定時制)と普通学校。
・Cさん:女性、20才。二分脊椎。小学校、中学校と普通学校、高校から養護学校に移る    (手術をした関係)。
・Dさん:女性、23才。脳性小児麻痺。小・中・高校と養護学校。
比較的障害の程度が軽く、学年が変わるたびに普通学校に移る話が出ていた。一般就労していたが、これは在籍していた養護学校で10何年ぶりのことだった。
・Eさん:女性、32才。脳性麻痺。小・中・高校と養護学校。
・Fさん:女性、40才。脳性麻痺。小・中・高校と養護学校(施設内養護)。大学。

(1)「厳しい世界」・普通学校の場合・

  「とにかく何をするんでも時間が、人の3倍くらい時間がかかるんで。」(Bさん)

 普通学校にいる限り、障害を持ちながらも、他の子供と同じことをやっていかねばならない。場合によっては授業についていくことにも苦労する。また、「運動会の時とか、どうしても足が遅くなっちゃって、その時に観客の方々が、一生懸命応援してくださるんですけれども、それがなんかつらいっていうか……」(Cさん)ということもあったようだ。そういうことを「悪い」意味で目立ってしまう、と言う人もいた。普通学校では障害が気になる場面が多かったり、周りの人に頼らざるを得ない。そのために遠慮がちになったり、行動や考えが障害を隠そうとするものになったり、という傾向を持つこともある。

「(入っていた演劇部で裏方や脇役を務め、主役をとらなかったことについて)自分でとらなかったんです。要するに、主役をとると、ハンデっていうのがわかりますよね、わりと。で、ま、どうにかとにかくみんなの中にいれば、まぎれてるっていうか、要領がよかったっていうか、要するに、おびえてたっていうかそういう部分がありますよね。」「自然にそうならざるを得なかったっていうのが正直なところですね。きっと主役はとりたいと思ってたと思うんですよ。でも、からだが不自由なのをさらけ出すよりは、その、隠れてたほうがいいっていう考え方ですよね。」(Aさん)

「小学校中学校っていうのは本当に下の方だったんですね。先生と話すこともできないっていうか……遠慮があったりとか……」(Cさん)
「(高校のときに修学旅行に行く際、行きたかったものの、周り[親/学校]から反対されて断念してしまったことについて)さっきから言ってるように、まあるくおさめたいっていうか、真ん中で、みんなで流れをみたいな感じ、集団の中の流れみたいな感じ、もう、ちっちゃいころから感じてましたんで。要するに、主役をとるってね、自己主張をはっきり出すことですけど、そのころからやっぱり自然のなかで、そうやってならされていっちゃうっていうか……そりゃ、周りでしょうけど。両親も含めて、自分自身が学校生活のなかで、ちょっと人と目立ったこと、いいことならいいんですけど、悪いことですよね。結局、要するに、遅れたりとか、怪我しそうになったりとか、転んだりとか、そういうことあります。人にひっぱってもらうわけですから、結局時間がかかったりとか、そういうことに対して、すごい、当時は迷惑って思ってまして、自分でそういうふうには、なるべくしないようにという考え方で、だったと思います。」「体制にまかれてしまうやり方といいますかね、……ならざるを得なかったっていうのが事実でしょうかね……」「(高校を自宅近くに選んだことについて)近いっていうか、要するに、自力で行けるから。電車に乗ったりすると、他の人に、手をね、煩わせるようになるからね。」(Aさん)

 他にも影響はある。

「人に頼らざるを得なかったので、内心では依存心が強かった」(Aさん)
「(給食の当番をあまりやらなかったり、運搬を友達にやってもらっていたことについて)僕はできないんだからしょうがないんだ、と思ってたので」「技術の時間などに周りがどんどん進んでいくのに自分はやってみようとしてもできずに遅れていってしまうことについて)やれるところだけをやって、後は周りがやってくれるのならやってもらおうと思っていた。授業についても、好きでないというよりもできないからしょうがないと感じていた。」(Bさん)

 できないことがあるから依存心が強くなるということは、養護学校に行っていてもあまり変わらないのかもしれない。が、周りの子供にはできて自分には困難であることは、実は養護学校で自分のペースでやっていればできたことかもしれない。その場合にはその依存心はもう少し小さかったかもしれない。

 障害を持っているためにいじめにあうこともある。大人と違って子供は容赦がなく、障害が障害として認められなかったり、逆に障害を持つことをはっきりと感じさせられる状況がある。その点では普通学校は「厳しい世界」である。その中で自分を出せなくなることがある一方、頑張り精神や、負けん気が強くなることもあるようだ。

「本当にね、(普通学校に行って)よかった点ていうのは、厳しい世界に生きられたこと。絶対厳しいですよね。普通の子供はしっかり、もう、言いますから。野球やったってね、おまえが悪いから負けたんだとか。へんな話、ビッコだからとか何とか。悪気がなくてですよ、たぶん。だからそういうこと、平気で言われても、立ち向かって……やっぱ、口で対抗しますよね。暴力では負けますから。喧嘩なんかなっても、ねじ伏せられちゃいますから、当然。でも、口で言いますから、その点では雑草のごとくなりましたね。」「だってほとんどが一般の健常者ですから、小学校中学校はね、ですから、そういう中で生きていくためには、そうせざるを得なかった……毅然として頑張ってる、いなきゃいけなかったみたいなとこがあるんじゃないですかね。」
(Aさん)

 負けん気が強くならざるを得なかった、ということについて障害を持ったからだ、と言っている。

「(養護学校に行っていたらどうだったと思うか、について)もう全然今みたいになってませんね。もっともっとひ弱な子になっちゃいますね。」「(また、お祭りのみこしをかつぐときに、おまえは役にたたない、と言われてショックをうけたという話をして)養護学校ではそういういこと絶対ないですから。みんな仲良くやりましょうみたいな感じでしょうから。」(Aさん)

 一般の就職についても、絶対にできなかっただろうと言っている。

「(学校で喧嘩をしたことについて)すぐにカッとなってしまい、喧嘩をするんだけど、相手は全然こたえていず、いつも泣かされていた。喧嘩は好きじゃないし、弱くて負けるのがわかっているのに自分で相手に向かっていってしまっていた。」(Bさん)

 Aさんは、文科系のクラブ活動を盛んに(5つくらい)やっていたそうである(スポーツはやっていなかった)。これも障害を持つ故の頑張りと言えないだろうか。

(2)「特殊」な環境・養護学校の場合・
 高校から養護学校に移ったCさんはその印象について、こう言っている。

「正直言って戸惑いました。というのは、全くの車椅子の子とか……今まで私が他のことに目を向けてなかったっていうのはあるんですけど、まったく障害の形態が違ってて……(周りの人の障害が自分よりもかなり重かったため)」

 養護学校は障害者だけが集まっている場所であり、普通学校と比べると特殊である。「養護学校に来て初めて障害者に会った人もいるでしょうしね。」(Fさん)という言葉にもあるように、これは健常者にとってだけではないようだ。

「(普通学校に行きたかったかという質問に対して)みんな普通学校に行ってますでしょう。そういうことを思えば普通学校に行きたいって思うのが普通じゃないですかね。」「ともかく今自分の置かれている環境がどれだけ不自然なものかっていうのは、本人が一番よく知っているわけでしょう。親から離れて施設で暮らしてっているわけですし、それを思ったらやっぱり普通の学校行きたいって思うのは当然じゃないですかね。」(Fさん)

 Fさんの場合は、就学猶予で養護学校に行くしかなかったようだが、逆に自分から養護学校を選ぶ人もいる。その理由には、「介助の人がいない、自分の能力がどこまでついていけるか不安、あと将来のこと考えると養護学校の方が探しやすいから、そういう部分があるんじゃないかと思うんですけどね。」(Dさん)といった障害による不安が少ないことが挙げられる。

「私、中3の時に足の手術をしたんです。その時はすごい悩みましたね。この足じゃついていけないかなって。」「どれ位歩けるようになるかわからないし、物心ついてからのオペって本当に初めてだったもので……、それに高校生になるとみなさん活発になりますよね。だからそれについていけるか心配になりまして(結局普通学校を受験して、断られたという形で養護に移った。)」(Cさん)

 しかし、不満もある。もっと勉強したかったと言う人や、「養護学校、クラブ活動があるわけじゃなし、行って授業を受けて帰ってくるだけみたいなところだった。」と言う人もいる。
 学校生活というのは授業以外の部分も大切でそこから学ぶものも大きい。それが欠けてしまっては学校に行く意味が激減してしまうように思える。養護学校の場合はするべきことが多く(例えば生徒の介助を行えるようにしたり、卒業後の進路を確保するための活動をしなければいけなかったり)、そのために普通学校で普通に行われている活動にまで手が回らないのかもしれない。

 また、登下校にはスクールバスが利用されることが多いが、バスに乗ってしまうと放課後に学校で遊んだり、帰りに寄り道したり、ということは少なくなる。

「(バスを利用して)学校と家の往復というパターンの生活を送っていて、社会的な楽しみをほとんどしていなかった」(Dさん)
「ほとんど学校と家の往復だけだったので、学校と家のほかは全然知らなかった。高校を卒業してから初めて買物をした」(Eさん)
 学校〜家の往復以外の活動がないのは、バスよりも、周りの人間に行動の制限を受けてしまうことが一番の原因だろう。

「養護学校っていうのは、先生方とかお母さん方とかに守られちゃうんですよ。だからどこか行きたいとか言っても、『あんたは障害が重いんだから』って言われて。あたしは1回、友達と3人で新宿に遊びに行こうって計画立ててたんですよ。で、その時に友達のお母さんがうちのお母さんに電話してやめになっちゃったの。」「危ないからって。今思えば、考えられないです。」(Eさん)

 しかし、障害者だけの状況にいることで、自分の障害を強く気にしてしまうということもなく、振る舞える場合もある。

「正直言って養護学校に行って、本当に生活変わりましたね。ていうのは、小中っていうのは、先生に面倒を見てもらっているって意識がありまして、もう、はいっはいって感じで。」「(普通学校では遠慮があって先生とも話すことができなかった、と述べてから)養護学校に入って、嫌なこともありましたけど、嫌なことによって、喧嘩もしましたし、先生とも、毎日喧嘩をしてましたけれども(親と先生の間にあった連絡帳が嫌で、そのことで親と喧嘩して、先生にそのことを言われていた)、本当に、先生と話したりしてましたので、そういう点では両方(普通学校と養護学校)行って良かったんじゃないかなと。」「私の場合は養護学校と普通校に行きましたよね。それが良かったんだと思います。普通校だけだったら、本当に駄目だったと思うんです。」(Cさん)

「(比較的軽度の障害であったため、)いるときはすごくこうパラダイスみたいな。結構自分はリーダー格のところにいたし、私がやらなければ誰がやるのみたいな部分がありましたよね。私が仕事をしきっているみたいな。」(Dさん)

「図画工作の時に、担当の先生が4年生の時に変わったんですけど、私たちにしたらとてもゆったりしている先生で、子供達の障害で区別しない感じの先生だったんで、その先生のおかげで、私は、それまでまるっきり図画工作はできないっていうふうに思われていたのがころっと変わって、すごくほめてもらって、ほんとに信じられないと思うくらいに」「それで中学3年の時に美術展に絵を出すくらいまで認めてくれて」(Fさん)

 養護学校では障害を意識したり、遠慮したりする場面は、普通学校と比較すれば少ないと言えるだろう。しかし、最後のFさんの話からすると、養護学校の中でも区別されることはあるようだ。自分らしさを出せるのは、養護学校だからというよりは、そこで接する人の態度によるのかもしれない。


(3)2つの学校の比較
 養護学校は、「障害者向け」の学校であり、そこに通うことのメリットは多い。健常者のペースに合わせなくてもいいから体力的にきつくはない。スクールバスも出ていて通いやすい。先生の目もよく届き、授業で誉められて自信を持てるようになったとか、できなかった喧嘩ができるようになる。
 逆に普通学校は「厳しい世界」であり、他の人が普通にすることに苦労をしたり、いじめにあったりと、障害を持っていることを感じる場面は多い。そのために遠慮がちになる等、よくない影響を受けてしまうこともある。それでも、普通の学校に行きたいとか、この世界に生きられて強くなれた、良かった、という人もいる。
 しかし、学校外の世界を知る、体験する機会については、養護学校の方が少ないと言える。便利なバスもその原因の1つであるようだ。子供の生活から学校と家を取り除いたら、どの程度の時間が残されるのか、という問題もあるが、少なくとも買物をしたり、学校帰りにどこかに寄っていったりということは普通学校にいれば子供にとってごく普通のことだ。個々の子供がそれぞれ動き回っているから、学校での「おしゃべり」等の中にもいろいろな「学校外世界」情報が含まれているはずである。こんな情報は、障害を持って守られがちな子供が集まっても、得られないのではないだろうか。
 また、他にも勉強面で物足りない思いをした、つまらなかった、という養護学校に対する不満の声もある。養護学校は、「障害者向け」の部分、例えば、バスとか、作業学習とか、訓練とかの部分には力を入れていても、普通学校でごく当たり前にある授業外の活動等(例えばクラブ活動)をやっていなかったり、授業の内容が十分でなかったりするのだろう。中には養護学校が合わなかった、不適応を起こした、という人もいる。先に述べたように、障害者自身にとっても、養護学校の環境は特殊であるから、合わない人がいてもあたりまえだろう(逆に普通学校に不適応を起こす子供もいる)。しかし、不満や物足りなさは養護学校側の努力で埋められるかもしれない。そこまでは求め過ぎかもしれないが、「障害者向け」にしていても、普通の部分が無くていいわけではない。
 ところで、Fさんの通っていた養護学校のすぐ隣には、普通小学校があったそうである。

「私が(普通小学校に)行ったのは、11時くらいで、隣の小学校は本当に賑やかで、子供たちがグランドにわいわい騒いでいて、学校に行けば子供の声がわーっと聞こえるっていうあの感じですね、あんな感じなのに、道路1つ隔てたこっちは、しーんとしてて、どうしてなのって思わずにはいられなくなって」「どうして隣に小学校があるのかなと思いましたし、ちょうどいいように隣り合ってるんだったら〜」「先生や副担、副担どころか3人とか余裕ある数になっていますので、養護学校って。子供が6、7人に対して、先生が3人とか4人とかいますから、十分車椅子を押して行けない距離ではないし、やってけると思うんですね。それぞれ初めは小学校の庭の端っこで、遊んでくるだけだっていいと思うんですね。で、そこの中で交流が生まれて、それでだんだんに教室まで入り込んでいくことができるようになるとか、表面的には養護学校に来ているっていう事にしながら、養護学校の生徒だって隣の学校に行っていたっていいんじゃないかって思ったんですね。何でその柔軟性が養護学校の先生達にないんだとか、どうして子供を押していくだけの力量が現場の先生達にないんだろうかって」「そばにこれだけの人手があるんだから、その先生達のやり方次第でどうにでもなってくわけですね。どうして先生達が社会を変えていく力を持たないのかっていうのが、何といっても悔しかったです。」

 こんな意見もあり、まだ養護学校には改善の余地はあるようだ。

 2 知的障害の場合

 肢体不自由と知的障害とでは障害の質がかなり異なる(これについては寺本の章で知的障害の問題について述べられているのでそれを参照してもらいたい)。それによって、学校から受ける影響や、その人にとっての学校の意味はかなり変わってくるだろう。知的障害者にとっての学校とはどんなところだろうか。本人のインタビューではないが、実際に接している人の目から見た様子を学校別に挙げてみる。
 普通学校の場合は、UのD小学校のGちゃん(女児、6年生)について、H先生(女性、5、6年生とGちゃんの担任)、I先生(女性、2、3、4年とGちゃんの担任)のインタビューをもとに見てみる。Gちゃんの障害は軽く、H先生曰く、「境目の生徒(養護学校に行くか、普通学校に行くかの境目)」である。養護学校の場合も、UのA・B養護学校の先生のインタビューから述べる。そこはGちゃんよりも障害の重い子が多かった。(B養護学校では、IQ30以上の生徒は約半分だそうだ)。

(1)Gちゃんの学校生活・普通学校の場合・

「今6年の中に入っててもね、普通の生活では困ることはないって言うか、やっていかれるんだけれども、勉強の面でっていうか、やっぱりかなり理解に時間がかかるから、普通の子と同じペースではいかないわけなのね。」(H先生)

 普通学級の中で健常児と一緒にやっていく上の問題としては、まず勉強があげられる。しかし、理解に時間がかかるということが一番問題、というわけではないようだ。

「(他の子が別のことをやっているときにGちゃんは)別のことをやってる。だから限られちゃうんだよね。そこについてて1対1でやらせてあげられれば、次のステップステップっていって次のことを教えてあげられるでしょう。だけど、私達は20人30人っていう子供を全体見なくちゃいけないから、Gちゃんだけに関わってられないから、結局ね、足算なんかでも3+5とか、繰り上がらないところはできるのね。そういう問題をノートに書いてあげて、みんながやれ少数だ、分数だ、ってやってる間Gちゃんは5+2とかっていうのをやってるんだけれども、そこから次のステップの勉強をさせてあげたいと思っても、なかなか10の束を作って繰り上がりはこうなってみたいなことを教えてあげたくても、次のステップにいくには1対1で細かく教えてあげないと無理なので、そういうところがやっぱりわかんなくなっちゃうのかな、Gちゃんは今だに10円玉が15枚あったら 150円になることはわからない。」(H先生)
 むしろ、その子がわかるまで1対1で教えてあげることができないことの方が、問題と言えるだろう。それでも先生達はかなり努力している。専科の授業(理科とか図画工作とか担任以外の先生による授業)の間に1対1で教えたりとか、Gちゃん専用の課題を各教科毎に作るなどしている。しかし、先生はGちゃんだけを見ていられるわけではない。

「なんかこう普通のクラスに入れとくことは、ただ、置き去りにされてく、でもないけれど、そこでお客様で過ぎちゃうんじゃないかな、みたいな気持ちになったりはする。」(H先生)

「なかなかね、担任1人で苦しいものがあるよ。」(I先生)という状態だ。
 クラスの子供との関係も、普通の友達と同じ、というわけにはいかない。

「Gちゃんの精神的なレベルがっていうか、気持ちも大体学校で言うと1年生位な感じなのね。だから1年生位の力を持った子と一緒にこうやってる分には仲良くいくんだけれども、Gちゃん自体が大きくなっちゃうでしょ。そうするとやっぱり同じ年代の同じ年の子が、同じようには遊んでくれないっていうのかな、うまい具合に友達ができないのね。Gちゃんをお世話してあげよう的に構ってくれる子はいるかもしれないけど、あの、Gちゃんと対等に遊んでて本当におもしろいと思える子っていうのは、1年生くらいの子の精神年齢っていうか、それ位の子とかだとうまくいくのね。そうするとやっぱりGちゃんが大きくなった時に、1人でこうなんて言うか、友達がいないからトラブルというかね、」(H先生)

 同世代の子供と対等に遊べないので、一緒に遊んでくれる先生のところに行ったり、もっと年下の子と遊びたがる。それもうまくはいかないようだ。

「構ってくれる人のところを転々としていて、今はだいぶ教室にもいるけれども、居場所が無くなると結構保健室とかに行って(保健の先生とは仲良し。授業中にも出ていってしまうらしい)。」
「1人で普通にしているんだけれども、隣の〇〇ちゃん(Gちゃんと同程度の障害を持つ、隣のクラスの女児)と帰るんだとか。あと、前はね、待ち伏せでもないんだけど、低学年の子と遊びたかったんだかなんだか、結構しつこくね、つきまとっちゃって。」「同じ位の子と遊べないから、やっぱり、小さい子のお世話をしたいのかな。自分より下の子、自分がいつも世話される立場にあるから、自分が手を焼けるような子を、なんかお世話したいみたいな、そういう気持ちはあるみたい。で、それをやっぱりなんていうのかな、ちょっと普通の接し方じゃないから、小さい子にしてみると怖いような感じがしたりとか、思うようにならないとやっぱり、噛んだり引っ掻いたりはしていないだろうけども、なんか下の学年から恐がられちゃうっていうか、嫌がられちゃうっていうかね。休み時間になるとみんなが遊びに行くんだけど、やっぱり一緒には遊べないから、私のところにきて遊ぼうとか来てて、去年5年生の頃は結構遊んでたんですけれども、あんまりそれだけでもね。そしたら逆に先生はいつも休み時間は遊ぶもんだと思っているみたいで、なんかそのへんもあれだから。ちょっと最近は仕事が、他の、先生これを印刷するから遊べないよ、とかいろいろ言うんだけれども。やっぱりなかなかね、遊ぶ方は難しいですね。」(H先生)

 それでも基本的に普通に生活していく面では特に問題はない。

「こう給食当番とかは好きでやってる。5・6年生くらいになるとさぼりたい子もいるでしょう。いい加減に仕事をする子。それに比べるとGちゃんなんかは、やることがわかってて単純作業だったら他の子よりはよっぽど一生懸命やるかな。」(H先生)

(2)A・B養護学校から・養護学校の場合・
 各学校の方針は、Uで述べたとおりである。生徒の障害の程度は様々であり、Gちゃんのような軽度の子もいれば、土いじりが大好き、ということで作業をそっちのけにして、ひたすら土いじりに熱中してしまう(?)子もいた。生徒の様子について、学校を見学した限りでは以下のようなものである。

 A養護学校は作業中心にやっているので普通学校とは大分雰囲気は違う。それでも先生と生徒の接する様子を見ると学校だな、という感じがする。給食を食べているときは特に変わるところはなかった。1クラス(見学した中2のクラス)は、担任3人に生徒8人くらいなので先生の目はよく行き届いている。給食の時間も楽しげで、先生は生徒によく話しかけ、生徒は嫌いな給食のメニューも残さず食べることになる。
 10月の単元の銀杏むきを一緒にやった。一応分担が決まっていて流れ作業の形をとっていたが、見ていないと好き勝手な事をやり出すのが現状。しかし、先生が怒るとすぐまじめに作業をする。ごみ捨て係の子は、歩いて10歩くらいの所なのに、嫌がって座り込んでしまう。先生に引っ張られていやいや行くが、かまってもらっているので楽しそうだった。しかし私が言っても全く反応してくれない。それどころか嫌がって、蹴られてしまった。「経験だよ。つき合い長いし」と先生の一言。コミュニケーションがとれる子はほとんどいないが、こちらの言っていることはわかるらしく、よく手伝ってくれる。にこにこと私を見て何か手を動かしている子を見ると、何をしているのかわからないけれど、まねをして一緒に笑ったりする。普通の子どもと変わらずかわいいなと思った。しかし、どう接したらいいかわからないし、話しかけて返事がないという気まずさも何度もあった。一生懸命自分の仕事をやっているが、むき終わった銀杏を最後にごみ箱の中にいれてしまった子がいるところを見ると、本人達は、なにをしているのかという全体的なことは見えていないのかもしれない。
 B養護学校では、教科で授業を進めているせいか、普通学校と対して雰囲気は変わらないように感じた。クラスの中は賑やかで、小学部の生徒は廊下を走っていたり。高等部の美術のクラスを覗いたが、「じゃあ、××しましょうねー」「はーい」。先生の言葉に対する生徒の反応は速かった。廊下で出会った男の子に話しかけられる。これもその辺の学校とは変わらないだろう。休み時間は比較的真面目な様子で、友達同志で話したり、先生と話したりということはしていないそうだ。
 養護学校独自のやり方によって、子供の変わっていく姿はわかるそうである。例えば、学祭の準備をやっていたために球技大会の練習をあまりしていなかったのに、むしろ、その学祭の準備をやっていたことによって、前よりも動きが良くなった。また、以前いた学校(特殊学級)の学祭では座りっぱなしだった子が、養護の学祭では1日中立って仕事ができるようになった。別の例では、前の学校では、学校には行きたがらなかった子が、朝6時に起きて支度をして待っているようになった、というのもある。(A養護)
 しかし、問題がないわけではない。

「大学だから(大学付属養護学校)、子供の障害の程度も軽・中・重とそれぞれつまんでとっているのだが、付属ということで重度の子供が増えていってしまっている。重い子はやはり先生に甘えてしまうものだし、そのせいで知らず知らずのうちに障害の軽い子も、重い子の影響を受けていってしまう。重い子に対する先生の態度が影響したり、重い子が先生に甘える様子を見て甘えるようになったりする。」(B養護)

 逆に言えば、軽い子が多いと重い子は好影響を受ける。しかし、軽いと言っても、健常児と比べてしまうと、力の差がありすぎて全く相手にしてもらえないのでないかとのことである。

(3)「その子に合った」教育
 D小学校の先生は、実際にGちゃんの担任をやって、次のような意見を言っている。

「その子にあったものを身に付けさせてあげようと思うとやっぱりそういう特殊学級のその子にあったメニューの学校に行った方が持ってる力を伸ばせるっていうのかな、普通の学級にいて6年生の教科書を開いていたところで、その子にとってなんていうか何も、その時間で得られることがないというか、何もということはないんだけれども、そこから吸収できることっていうのは少ないわけね。だからそれよりも私なんかの考えだったら、お買物に行った時にお金が 100円出していくつお釣りだなっていうことがわかるようになって欲しいとか、あと、簡単な作業でも自分に合ったことを一生懸命こつこつと仕上げるようなね、根気強くやるっていうか、そういうことを身に付けさせたいとか、6年生の漢字は無理だけど、1年生の漢字を練習していけば、まあ、だんだん覚えていってとか、読めたり書けたりは少しはできるのね、そういうようなその子に合ったところで勉強させてあげたほうが身に付くものが大きいんじゃないかなっていうか、そういうところが1番大きなっていうか、」(H先生)

「見ててさ、Gちゃんなんかみたいのの場合はね、学習っていうより、訓練が必要だって思うのね。」(I先生)

「私なんかはできたら普通学級に席をおいて、通えるような通級っていう制度もあるのね。だから何時間かはそういうどっかでGちゃんにあった勉強をしてきて、あとクラスで過ごせる部分もあるから、まあ、そういう制度でもあればね、一番いいか合ってるなと思ったりするんだけども、なかなかね」(H先生)

 また、A養護学校の先生は、「普通学校のなかでもよりよい生活の姿、いきいきしている姿が出せればそれでいいと思う。でもそれは現状では無理なのではないだろうか。」ということを言っている。
 D小学校の生徒が進学する中学校には特殊学級が併設されている。H先生はそこをGちゃんに勧めるつもりでいる。中学校になったらもう完全に何もわからない状態になってしまうだろうし、教科担任制になるので、それぞれの先生がGちゃんの課題を別に作ったりするのは難しいのではないか、というのがその理由だ。生活や、友達の問題は別にするとしても、授業については学年が上がっていくほど、内容は障害のない生徒にとっても困難なものとなり、それをやろうとしたらますます1対1の形をとらねばならないだろう。障害を持った子供が伸びるためには常にその子供がどういう状態にあるが見ていられる人が必要だ。確かに今の普通学校の状況ではそれに対応しきれないようである。

終わりに

調査をはじめた頃、ふと、そういえば、自分は学校で障害児と接したことはなかったなと思い出した。あ、そうか、中学校では特殊学級があったし、小学校の時も、隣の小学校に特殊学級があったから障害者の人たちはそっちに行ったんだ、と思った。それで私は納得してしまった。障害者の人が養護学校や特殊学級に行くのは当たり前と思っていた。
 今回の調査で、全員が全員望んで養護学校や特殊学級に行くわけではないこと、障害児が養護学校に通う場合でも、普通学校に通う場合でもそれぞれメリット・デメリットがあること、養護学校という世界や先生が考えていることなど、新しいことをたくさん知った。
 また、障害者に対する意識が少し変わったように思う。しかし、私の中の障害者に対する、遠慮のようなものはそう簡単には消えないだろう。道で困っていそうでも、声をかけることはできないだろう。差別や偏見という意識は持っていないつもりだが、どうしたらいいのかわからないというのが正直なところだ。
 もし、子どもの頃、一人でも障害児の友達がいたら、意識はもっと変わっていたのではないか。もっと自然に、障害者の存在を受け入れることができたのではないかと思う。今の子どもが、障害児と接する機会が増え、自分のような、どうしてよいのかわからないという意識を持っている人が少なくなれば、障害者の人は暮らしやすくなるのではないだろうか。



1) 堀[1990:16]。隔離に反対し地域で健常者と障害者が共に暮らせること、「自立生 活」を求める障害者達は、基本的に統合教育を支持している。
2) この裁判については、定藤[1993]で詳しく検討されている。
3) 掘[1990:2,3]
4) 山下編[1990:124,125]
5) 掘[1990:13-16]
6) 北村[1992:137]
7) 北村[1992:97]
8) 9) インタビュー中に出てきた言葉をまとめたもので、学校案内などにはっきり示されているわけではない。
10) 北村[1992:161]
11) 北村[1992:141]


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REV: 20151222
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