HOME > 全文掲載 >

KSK『ネットわぁーく』14号

共に生き・働く全国ネットワーク 19930901 関西障害者定期刊行物協会,28.

last update:20110215

(作業者注:挟み込み文書)

  読者の皆様へ緊急のお知らせです!!


 小誌「ネットわぁーく」を、いつも読んでいただき、ありがとうございます。今日は購読者の皆様に小誌がしばらくの間、休刊させていただくことをお知らせしなければなりません。
 そもそも、小誌「ネットわぁーく」は一九八七年六月創刊0号を発行したのを皮切りに過去六年余りに十四号を数えました。必ずしも目標とした年四回季刊発行とはならず不定期発行の状況でしたが、「障害者」自身の立案、取材、編集による生きる場、作業所に関する専門情報誌の役割を担ってきたと考えています。購読者もわずかながら増えてきており、かなりの数の人達に読まれていると思われます。
 ところが、創刊当時から各地の作業所などの現場で活動している人達で編集体制を続けてきており、編集発行における専従者などは置かずして「本」を出してきました。まさに手弁当の本作りだったのです。次第に携わる人が減ったり、負担が大きくなるなどして、編集作業が困難になってきました。また、一回ごとに発行するのにも相当額の経費を要し、現在の購読料だけの財源では非常に継続するのが厳しいところです。手を尽くしていますが、自主性を重んじどこにも依らず、障害者が働く営みを応援する「障害者文化」とも云うべきこの出版事業に支援する向きがつかめません。
 以上のような理由を持って、小誌を一時休刊とし、今後のことについては編集スタッフで検討させていただこうと考えております。小誌に対する皆様のご意見や取材で得た出会いや広がりを考えますと、いささか残念ですがしばらくの休刊が良いと判断せざるをえません。また、新たなる方向を探る機会にできるかとも思っております。
 思えば、六年前に全国に燎原の火のごとく広がった「生きる場、働く場づくり」、その熱き息吹を全国に吹き込み、しかもその動きを小規模施設づくりとして「福祉施策」に取り込まれることなく、情報ネットワークをつくりだし、自立と解放の羽ばたきとしたいと――、志を同じくする者たちが自腹を覚悟してスタートした「共に生き、働く全国ネットワーク」です。危なっかしい航行をよく続けて来られたものですが、まだまだ――と思いつつ。つきましては、購読料未払いの読者、取り次ぎ者の方に早急のお支払いをお願いするとともに、あなたのカンパをよろしくお願いします。購読料だけで発行を賄ってきた小誌です。未だ、お支払いを怠っている方に、この事態をよろしく認識していただき、重ね重ねお支払い、ご精算をお願い致します。では、再びお目にかかるときを楽しみにして、十四号時より〜休刊の事情御了承いただきますようよろしくお願い致します。
 
 一九九三年八月三十一日
 共に生き、働く全国ネットワーク
 代表 門脇謙治

p1

  巻頭の言葉

  営業日誌 ともに生き・働く全国ネットワーク代表 門脇謙治

 作業所をしばらくやってきたなかで、「障害者」自身で進めていくことにこだわってきたが、ここにきて意外な落とし穴にはまったようむ気がする。それは、「健全者」のメンバーが永く続かないという現象だ。
 既成の「共同作業所」のように、<指導員>と<なかま>という立場の違いをつけずにいろんなことを進めてきた。それが自主管理と言えるまでの確固たるものでにないにしろ、それが自分たちのスタンスとして結構やれてきた。何をやるにしても、「障害者」メンバーの思い付きで、号令で、下ごしらえで、失敗したときの尻拭いもほとんどやってきた。
 でも、やっぱり「仕事」のすべてを「障害者」メンバーだけでこなせる訳ではないので.どうしょうもなくしんどいときはある。
 そういうことがしばらくつづいて、現象として見えてきたのは、「健全者」メンバーが続かないことだった。
 ひとつ考えられるのは、お金だ。給与分配の方法も、「障害」を持つ持たないの格差はつけていないので、「健常者」には物足りない(まあこういう考え方自体が問題だが)。
 もうひとつは、「障害者」自身で進めることに、「健全者」の立場でどこまで踏み込んで行ったらいいのか分からなくなるらしい。そんな感覚は自分にはあんまりよく理解できないけれど、「指導員」でもなくて、「介護者」でもない、共に働き合う者の立場を模索し切れていない思いなのだろうか、と。
 とにかく、仕事場にいるのは「障害者」のみで身動き取れずに四苦八苦して悶々としている状況は、とう見ても、ノーマライゼーションの社会をめざして地域にうって出ようとする姿ではないなあと悲観する毎日だ。

p2

  座談会 『ネットわぁ〜く』休刊宣言だあ――新しい時代に新しいネットワークの構想を

  金富生・河野秀忠・斎藤縣三・司会:門脇謙治

 そのとき、面々の顔が光り、声は張りをもって発せられていた。大阪の一角、会議室にはおよそ三十数名ぐらいの出席と記憶しているが、熱気が行き交っていた。障害者が地域で生きようとするためには、自主的かつ自前で運営するしかないと、熱い思いと気構えで市井の中に拠点となる生きる場、働く場をはじめていた人たちの集まりであった。ありったけの知恵と、なけなしのお金を集め、思いだけはそこかしこにあふれて心も体もはち切れそうなぐらいにして創った自分たち自身の地域での拠点。同じような思いで全国に燎原の火のごとく「働く場づくり」「生きる場づくり」は、広がりつつあった。特に関西はその中心になっていた。広がりつつも、それらの全国の個々の取り組みは、多くの困難な状況を抱えて、孤立し閉鎖的になりがちな状況だった。その状況を見渡し、自分たちが共に地域で生き抜くためには、手をつなぐことが必要と考えはじめていた

p3
面々。よし、情報を交換し、手をつなぐことで力をつけよう。全国に呼びかけよう。
 一九八七年春、ネットワーウを呼びかける集まりが持たれた。必死で前方に一筋の光を見ようとしていた一同の心に「これからは障害者の生きる場、働く場の時代!」の思いが熱気の中で支配していたに違いないと思われる。
 あれから六年が経った。「全国に燎原の火のごとく広がる生きる場、働く場づくりの熱き息吹を全国に吹き込み、しかもその動きを小規模施設づくりとして福祉施策に取り込まれることなく、情報ネットワークをつくりだし自立と解放のはばたきとしたい」と、自腹を覚悟してスタートした「共に生き、働く全国ネットワーク」。小誌「ネットわぁ〜く」も創刊準備の0号か弓14号を数えた。その間随分、障害者界隈は様変わりした。「国連・障害者年の十年」(一九八三〜一九九二)による人権意識の高まりと福祉施策の変遷とともに、アメリカの障害者自立生活運動と北欧のノーマライゼーションの多大なる影響。障害者界隈は今、一様ではない展開をしてきている。「共に生き・働く場」の有様もまた、その渦中で流動化してきている。六年前の熱気は水蒸気となって天上に立ち上り、自分たち自身の地域で生きた格闘の日々を裏付けとして、今、冷気となって創設時の三十数名の面々の頭を明晰にしてくれているのではあるまいか。――往時というほどの時は経てないとは思うが、地域を代表す往時からの志士たらと呼ぶにふさわしい、その胎動の時期から最前線を走り続けている面々に大いに語ってもらった。これから私たちの「共に生き・働く場」はどこへ向かおうとしているのか」を。(野嶋スマ子)


p3

  なにがあったの


 門脇:時間も大分押してますし、後の予定もある方もありますんで、始めたいと思います。郵便の文書で呼びかけさせていただいたように、今日は『ネットわぁ〜く』の座談会をしようということで。エー、なんで今になってこんなことをということになるんですが、文書の中にもありますように『ネットわぁ〜く』が本を出しつつ活動を始めてからもう五〜六年になります。
まあ、最初のこう盛り上がりと申しましょうか、こんなこともしたいとかいろいろあって、集まって始めたわけですけど、あの頃の作業所を取り巻く状況と、今現在の各地で展開されている作業所を取り巻く状況は、かなりというか、ある程度探変わりを見せております。まあーちょっと曲がり角というか、作業所自体も岐路に立っておるんではないかということがあります。
それはそれであるんですけど、本づくりも十三号を数えましてですね、まあ手弁当の本づくりながら続けてきたわけですけど、本づくりの負担というか、経費とかそれに携わる人の問題というか、現場を持ちながら集まってこられた人たちの集まりですので、かなり無理がきているという状況です。それとさっきの作業所運動の岐路に立っているという現状は、違うことのようでなんか共通点点があるような気がするんです。
そこらへんを、始めた当時からかかわっていただいた方に、これからどうあるべきかという話をして行きたいと思っておるんですけど。えー、始めた当時、とりわけ本づくりの中心に立っていただいてた斎藤さんの方から、僕が今言った立場がちがうんちゃうかなとうことをふくめて問題提起を。
斎藤:あの頃と今と…。あの頃といっても何年前でしたかね、
門脇:五、六年前。
河野:ちょうど国障年の真ん中へんのちょっと前。
門脇:一九八七年.
斎藤:本を創ろうと話しかけがあって、話に乗ってぜひこれはやりたいと思いました。
いっかんして各地の共に生き働く場のネットワークを創りたいという思いだけはあってもなかなかそれが実現化していかないので、本というものができればね、それができるんじゃないだろうかということで、当初、一生懸命かなり関わったつもりだったんです。結果的には最初の方の時期で抜けちゃったし、十

(作業者注:p1-2下段コラム)
■金富生(きむぷせん)
一九五一年生まれ(四一才,CP)
二五才で青い芝運動に加わる。
二六才、自立生活を始める。
二八才、労働センター設立に加わる。
三〇才、労働センター設立、代表として働く場運動を進める
三一才、連絡会を設立。代裏となる。
三二才、差別とたたかう全国共同体連合結成に加わる。
三四才、共に生き働く全国ネットワーク事務局長。
四〇オ、結婚
四一才、男の子生産れる。

■齋藤縣三(さいとうけんぞう)
一九四八年、三重県津市生まれ。六八年、FIWC東海委員会というボランディアサークルに入ったことをきっかけに、七一年、「差別とたたかい、共同体を建設しよう」をモットーにわっぱ共同体を始める。
 わっぱ一〇周年の頃、経済の低迷、運動の停滞を打破するために、無添加工食品事業の開始と、社会福祉法人の設立という2大方針を打ち出し、それぞれ八四年に無添加パンのわっぱん、八八年に共生福祉会として結実する。
 以降、九〇年にわっぱ企業組合(組合法人)、九一年にまこと選挙(政令指定都市初の車イス議員)、九一年にエコロジーハウスわっぱん開店と、わっぱの会の社会的信用と経済的力量を高めるために尽力してきた。
 わっぱ二〇周年記念事業も終え、、九三年は新たな建設・親切ラッシュなのですが少々息切れ中。昨年度、初の売り上げ減少、減収が生じ、各場・各事業を担い切る人材も少なく、頭が痛い日々。教育・労働・生活・交通と障害者にかかわる問題から、食の安全・環境問題と、課題は広がるばかりで、もう青息吐息。

■河野秀忠(かわのひでただ)
一九四二年、大阪市生まれ。七九年、障害者問題総合誌『そよ風のよう街に出よう』発行、編集長として現在に至る。
共著『ラブ―語る。障害者と性』(長征社)、著書『匂うがごとく・梅谷明子の場合』(長征社)、共著『障害児教育自主教材・どんどん』(自主教材編集委員会)、著書・編『こんな大人になっちゃった』(そよ風のように街に出よう編集部)。著書『障害者教育創作教材・あ、なぁんだ』(そよ風のように街に出よう編集部)。
 豊能障害者労働センター、箕面障害者共同作業所「そよかぜの家」、障害者文化情報研究所「デシル」、ノーマライゼーション研究会、老いの福祉を話しあう市民グループ、障害者の働くパンハウス・ワークランドなどに参画。

■門脇謙治(かどわきけんじ)
一九五八年、阪府吹田市生まれ。
大阪府立堺、茨木養護学校等へ通学。
学卒後、更生施設入所を経て、滋賀・ねっこ共働作業所に参加。そこで約七年印刷に従事するかたわら、市民運動などで活動。
 一九八六年、今日も一日がんばった本舗共働作業所開始時から参加。現在に至る。
(作業者注:p1-2下段コラムおわり)

p6
分なことも全然やれなくて申し訳なかった。当時とまだ数年しか経ってないけど、いまだやっぱりそういうネットワークというのがなかなか見えてこないということが、当初と変わってないんじゃないかと思いますね。
 ただ、いろんな場所、いろんな作業所、それから生きる場といったものの数は飛躍的に、この四〜五年の間に増え続けたし、そしてまた、最近はグループホームという言葉で言われるような生活の場が飛躍的に増えている。そういう意味ではネットワークを創っていく対象の数が極めて増えているんだなと思うんだけども、どうもネットワークが見えてこない理由は、各場の多くの中身がおかしいのかなということと、それを創って行く何かが欠けているのかなと思う。
 一方、その共に生き働く場と一口に言われるものが、数年経つことで、個々の場がそれぞれいろんな意味で力をつけていってると思うんですね。そこでは又、力をつけていくことによっていろんな課題とかなんかが、それぞれ違ってきて、展開の仕方もいろいろなやり方になっていく。例えば社会福祉法人であったり、株式会社であったり、形態上の違いも含めて様々に違ってきている。最近は自立生活運動の小さなブームがありまして、そういった展開の仕方も非常に強くなってきている。そういう違いもあって量的な又は質的な個々の場の拡大はありながら、なかなかネットワーク化できない。そこらへんのジレンマはずうっーとしんどさをもっているんではないかなと、そんな思いを最近はもっております。
 門脇:順番になってしまいますけど、富生(ぷせん)さん。
 金:僕はネットワークして、あっちこっちの仕事場、考え方ちょっとおかしなってるなと思う。あっちこっち行って大げんか、大げんかになっても言うこというてる。4人、5人の障害者になっても目標は法人化。大きいことは大きい。施設を作って後、二四時間のグループホームを作って、やってることは同じ。何で僕自身、青い芝から反対して仕事場作ったか、別の運動。いい意味でつくったことは何かというと、もともとは在宅障害者を運動にもってこようと思った。けれど職場をつくっていくことが職場の目標になってるなあと枚方におって思う。枚方の中でも場所は三八。この五年間で増えた。親の会は分裂。何でかというと援助金増えたから。お金の問題。障害者3人になってから増えた。
 河野:3人から補助金が枚方では出る。
 金:3人になってからいっぺんに増えた。親の会から分裂。
 河野:親の会が分裂したわけ?
 金:うん。一応始めは名前だけ分裂してお金とってやろうと思っても、分裂したら運動も分裂になる。
 河野:今、枚方の方で進んでる法人化の話あるやろ。あれは是か否か。
 金:わからへん。僕自身反対やなと思うても。
 斉藤:法人化の話してどういう話ですか。
 河野:行政からもちかけられてるやっちゃろ。行政の側からね。
 金:箕面のあれと同じ、事業団。僕自身、あれつくっても障害者50人も入れない。また職場増えるぱっかりやと思う。実際増えんかうたら障害者生きれない。僕はええかどうか分からない。でも一番怖いのは障害者ここまで考えてない。全部、健全者だけ法人化に引っ張ろうと思うてる。健全者の相手はお金のこと。お金の問題で法人化になっていくこと多いけど、誤解。誤解。法人化にしようと思うたら自分とこ、力いっぱい持てへんかったらならへん。健全者5人も6人も10人も同じ気持ちになって、障害者も運動できる障害者おったらうまくいく。これも誰かやめたらほんまに施設になるよ。これ僕おかしいなあと思う。何で運動して頑張って苦労して職場して、また法人化になって施設になった

p7
ら、この運動、三十年は何かなあと思う。自分の首絞めてる。今枚方で三八か所の作業所の連絡会もってても、僕んとこは連絡会に入ってない。行政は入って欲しい思うてるよ。いらん。嫌やいうとこが今の行政は一番欲しい言うてるよ。ちゃんとした意見言える場所もない、法人化ばっかりいうてる中で。
 河野:だから、その今、富生(ぷせん)とこが今出会ってる部分ていうのは一番象徴的やねん。で、社会福祉法人で状況を乗り切ろうと思っても乗りきられへんと思うねん。つまり社会福祉法人って厚生省の管轄だから、労働問題ではないわなあ。いっぺん箕面の方で財団法人にして労働問題にしてしもたいうとこがあって、えらい後悔しとるみたいで、やっぱり社会福祉法人での事業団作りみたいなこと言い出しとんですね。しゃーけど財団法人でやるいうのんは、そこに働く障害者職員ていうのかな、最賃法に守られるいうことやん。いやでもおうでも最賃はクリヤせないかんねん、労基法違反なるから。で、50%の営利事業、つまり、50%営利せなあかんねん。で、50%は公益事業やらなあかんねん。だから営利事業ふくらましたら絶対公益事業ふくらんでくるという、公益事業ふくらましたら営利事業もふくらんでしまうという、膨張ができんねんなあ。
 そこらあたりで、例えば枚方が事業団作りと言いつつも社会福祉法人でといった時には、言ってることに矛盾があるわなあ。だから我々は今まで言ってきたように、障害者の就労というものが労働問題であるというふうにキチッと考えられてきたのかどうかということは、この間の作業所運動のある意味でのチェックポイントやと思うねん。で、僕はあのー、今日こうなるて変な言い方だけど、作業所運動というか作業所が今日こうなるのは予測されたしね、こうなるだろうと僕は思ってた。つまり作業所を無限大に作っていったて矛盾はひとつも解決せえへんわけやろ。例えば現在三千か所言われてるわな。これ三千か所を五千か所にしたらね、そのいわゆる障害者市民の矛盾が解決すんのんかいうたら、五千か所いっても一万か所いってもあかんと思う。それはやっぱり作業所の持つ本来的な矛盾みたいなものがあって、もともとが次善の策であったわけやな、作業所というものが。本当は一般企業であるとか公共企業体であるところで障害者が普通に働いていく、それが介護的就労なのか、シェルター雇用なのか別にしても、そういうとこで働いていくということがもともとは普通であったわけや。それが実現せえへんから、作業所いう次の策へきたわけやな。次に策は、なんぼてんこ盛りなっても、しょせん次の策でなあ。本当のまあ言ってみれば方向にはなれへん。というふうにまあ俺は思うてきたねえ、ずうーと。だから、あのーこういう言い方は変な言い方だけれども、次善の策なんだけれどもその次善の策に集まってるものが、次善の策でないものを提案していくいうことをやってれば、この少なくても国障年の一〇年が終わった段階で、何らかの道が見えてたと思うねん。ところがその作業所を始めるといやでもおうでもその経営に追われんねんや。やっぱり、1円でも10円でも100円でもそこにおる障害者にな、ぎょうさん金渡したいと皆誰でも思うやん。まあ、誰でも思わない人もおるわな(笑)。思わない人もおるけど、だいたい我々のネッワークの人はそう思てるやん。それがためさ、仕事、仕事で追いまくられて、もともと作業所が持ってた提案権みたいなものが、やっぱりこの一〇年間ほとんど機能しなかったと僕は思てる。だから、働く喜びいうより苦しむ喜びみたいなもんはあるけどやな、作業所が何かを牽引したというのはね、全国的に見てものすご数少ない。その端緒になる、例えば、名古屋の斉藤まこと氏の選挙があうたやん。ああいう形で、ある意味で障害者の集団が、つまり福祉なり何なりみたいなものを対の形で提案

p8
していくみたいなやつはね、全国的にみて片手で足りるんちゃう。そうやと思うわ。だからほとんどの作業所が結局今、きゅうきゅうとしてな、仕払いをどのようにしたらいいかということで毎日を送ってる。こらあーもう提案する機能をやってこなかった結果として、当然一〇年前からみえてたわな。


  どうなる――いろんな事業形態


 門脇:そのあたりはかなりネッワークどうのこうのいう以前から、長いこと作業所運動とか取り組まれてきた「わっぱの会」なんかはどうですか。
 斉藤:河野さんの話はいくつも重大な点を指摘したと思うし、その前の金さんの話も法人化問題で助成金の話も含めて指摘があったわけで、非常に「わっばの会」のやってることと関わることが大きい話で、そこらへんをしゃべり出すといくらも言わんなんことがあるんだけど。
 一つは、いわゆる作業所がほんとうに労働という問題と完全に切り離されてきて存在してきたということが今も続いているわけで、これは絶対おかしいんだという声は依然として大きくならない。それぞれ追いまくられており、だからなぜネットワークができないんかという原因でもあるけれども、地域で生きるのにきゅうきゅうとしてることがあるということは分かる。それを突破するひとつの手段として、うちの場合社会福祉法人という方針をとったもんだから、問題を複雑化さしてしまっとるかなあと(笑い)、そんな気がするんだけども。
うちの場合はほんとうに極めてそのー、法人化することによる変質もなく、不当な束縛を排し、資金の面で助成金がおりたということを最大限活用して運営がなされています。それで日々経営で追いまくられる状況から脱皮できて、いま話のあった斉藤まことの選挙であったりとか、去年やった共走スポーツフェステバルであったりとか、リフトバス導入問題等で他団体と共闘しながら我々の目指す路線にバス走らせるようにさせたとかがある。
 それまでやと作業所運動にきゅうきゅうして何もそういう展開できなかったものが、ひとつの経済基盤を作ることで、ある意味での余裕が生まれて、また周りの評価の仕方も若干変わってきたというのもありますし、それも含めていろんな問題での、それこそ言われた提案権というか、そういうことでの行動ができるようになってきたというのがあると思うんです。
 就労の問題でも今、名古屋市と就労援助センターを作ろういうことで、話はどんどん具体化してきてますし、そういうこともそれこそ七・八年前なら全然考えられない状況だったわけで、そういう意味ではうちなんかは地

p9
域にかなり影響力を行使してやれるようになってきているなあと思うんです。それがやっぱり福祉法人というものひとつに支えられてという面があるもんだから、そういう点でちょっと問題だなあと。そういう意味で、箕面の障害者事業団の方がもちろんすっきりするし、私なんかほんとうはそっちをやりたい。福祉法人なんかいつでもやめたい方ですけど、いざ始めてしまうと福祉法人はどんどん肥大化するもんだから、やめるどころかますますそれにとらわれるようなところがあって、とても問題がある。
 だから、今かなり大阪の方で福祉法人の話が進んでいるみたいだけど、ちょっと怖いなと思うのは、決して作業所でダメだった部分を福祉法人にしたら乗り越えられるという問題でない。作業所は障害者の労働ということを否定してできたってことの意味では、作業所も福祉法人も同じな訳ですから。だから箕面の事業団というのもひとつのいい展開の仕方だとは思うけども、そういうものを含めて、どうすればそういう力をつけれるかということを出し切らないと、どこでもしんどいままで先が見えないのかなって思う。そういう意味では、うちが一方で福祉法人があるんだけど、もう一方でパンづくりということが非常に大きな発展の要素を産んだわけです。それで大阪のパン屋さんもいろいろ増えたんだけども、なかなかしんどい所もいっぱいあって、パンづくりイコール万全では全然ないことは明らかに証明されてますけども(笑)。ただうちの場合は非常にパンづくりがうまくいってね、「わっぱん」ていうとかなりの名を名古屋の地で持つようになってきて、しかも経済実績というものも創り出せるようになったし、それに法人化が乗ったからよけいにうまくいったいうのがあるんですけど。もし仮に法人化だけで「わっぱん」がなかったら、うちもありきたりの福祉施設をつくってしまったかもしれないと今でも思うんで。仕事がなけりゃ、しょうもない仕事を引っ張ってきてグチャグチャせんならんことになっちゃうんだろうから。法人以上にパンづくりということで、無添加のパン屋さんという存在というものを一定、地域に定着させるとができた。組織形態をどういうふうに創ってくるかという課題と、どういう経済力創ってくるかという仕事の問題ね、そこらへんの課題をこれからどういうふうに創ってくるかというのは非常に大事なんでないかなあと思ってますけども。
 河野:あのね、富生(ぷせん)とこの話もそうなんだけども、何で名古屋の方がそういう社会福祉法人というね、明らかに授産なんだけど、授産というようなものを引っ張ってきて、そのーまあー中身はこんなもん公開できへんわな、おそらく帳簿のこともあると思うねん。やっぱりそれと、こうバランスをとるね、もうひとつ、それは何であってもいいと思うんだけどももうひとつの何かがないと、この社会福祉法人というのは非常に危険なもんや。
 つまり実態でうまいことバランスとれへんとやな、あのー「にっこり」がそうやな、つまり理念で乗り越えようとしたわけやろあそこは。つまりそこらにある社会福祉法人とはちゃうんだという理念で乗り越えようとしたんやけども、やり始めたらそんなこと言うてられないというとこがあって、結局その福祉法人の所にガアーと集約されていく。ほんで、定款を変えては人数を増やし、定款を変えては人数を増やしやってるうちにさー、ものすご保守化していくわな。だから僕はやっぱり、作業所運動が次の、まあまったく同時とは思わないけれども、福祉法人みたいなとこで次のものを展望するのやったらね、本来の作業所が福祉法人に吸収合併されるみたいことでなくて、作業所は作業所であって、それで福祉法人は福祉法人であるというふうにやっていかないと、ちょうとこれ乗り越えがたい部分があるんではないか。
 だから斉藤氏とこがやっているようなこと

p10
をズーッとズームアップして考えてみるとやな、やっぱりある種、展開しているから可能性がある。これ展開せんとな、ある街角の隅の方でね、ここで福祉法人でとガッとしたらね、そこで立てこもるしかないわな多分。
 斉藤:さっきの話もう少し補足すると、うちの場合、社会福祉法人つくってすぐ後、事業組織を創ろうということで検討した結果、やっぱり株式会社や有限会社という会社組織にはしたくないねという話で、「わっぱ企業組合」という組合法人を創ったわけですね。で、今、すぺての収益はその組合法人にプールされるようなシステムをつくっているわけです。だから組織形態としては組合作りという形でね、障害者の労働の場作りというのをきちっと内部的にも外部的にも打ち出してるわけです。そうでないと、さっき言われたように社会福祉法人しかなかったら、金の魅力は恐ろしいから、事業所ひとつ作るよりも法人の授産にした方がいい。今、分場制度ができましたから、人数少なくても授産所の施設できるわけですよ。それの方がようけ金が入ってくるのやからと、どんどん授産所作ったら福祉法人ばっかり膨れてしまうんですね。だから、従来の曖昧模糊の作業所を脱皮していくその時に、やっぱりそういう事業組織、要するに雇用という関係を持った労働組織といったものをどう作って行くかが一番ポイントになっていくと思うんですけども。
 河野:滋賀県はさあー、雨後のタケノコの如く作業所をぎょうさん作ったけどやな、なにかうまいこといってるようには見えんぞ。

  どうなる――街をかえていく


 門脇:いやー、滋賀はある程度以前から外部から「補助金が高い」とかね、言われるけど、まあそんなこと絶対ないけども…。以前は作業所作るのやったら滋賀県を見なさいみたいな感じが支配してて、それが逆にこう鼻が高くなったんかな(笑い)、中身も全然検証することなく、片っ方で親とか一部政党が支援する作業所はかなり見通しを持ってやってたんだけど、我々の陣営の作業所はほんまにさっき話にでた、仕事にきゅうきゅうするか、「にっこり」みたいにそれに耐え切れずにアメとムチやないけど、こうとってしもて後悔しでるという。なんかもう、わけがわからんというか(笑い)。
 本当はおなかが減ってるのに、おなかがいっぱいになってる気分になってしまっていたというとこやと思うんですけど。今やっと大阪とか外のね、ハングリー精神からのし上ってきたのを聞いて初めて、自分は本当はおなかが減ってるんだなと言うことにやっと気がついて、ぼちぼち我らの陣営もなんかしていかなあかんなという状況なんです。
 河野:だから僕はね、作業所を作ろうというた時に、枚方もそうやな、当初の夢みたいなんがあったと思うねん。つまりそれは何かというたら、街やねん。作業所というものは街をどう変えるとかね、街の中に作業所をどう展開して行くのかというようなものがあったはずやねん、それは一番最初に。作業所つ

p11
くろか言うた時に、な。ところがいざ始まってみるとやな、もう自分とこやるのに必死のパッチでさ、街はどっかいってまうねん。街のカタスミーイ(片隅)の方でやな、一生懸命やるわけやん。しかし実際に障害を持った人間が差別されてるんはどこやねんいうたら、街やねんなあ。街で差別されたりひどい目にあって、もう太刀打ちできんとウーと後退してきたとこが作業所やってん。次善の策として。
 だからこの作業所の性格そのものを街的にふくらましてというかね、つまり障害者が住んでいるこの街にとってこの作業所はどういう意味があんねんという問い返しが、やっぱりこの間なされないままにね。それで、問題は何か補助金をどれだけ獲得するか、どんなにいい仕事を獲得するかみたいなことばっかりにこう目線がいってしもて、街の中での自分たち、あるいは、自分たちを含んだ街みたいなものを全体としてどう変えていくのかみたいな考え方いうのかな、動き方というか、そういうのはあまりしてこなかった。
 それはつまり、僕なんかこの間よく言うとんのやけど、どこの作業所でもそうやねんけども、「自分たちが困っている、自分たちが弱い。だから助けてくれ、援助してくれ」ていうことは言うけれども――そうやろ、カンパしてくれ、物を買え、何とかせーたらやるけれども、それはあくまで小さな自分たちの作業所を何とかしてくれていうふううにいってきたと思うねんね。じゃなく、逆に「この作業所に集まってるメンバーていうのは、もともとはあんたらの住んでる街の中におった人間なんや。だからこの街を変えないことには、いま作業所いうのは本来的な機能を発揮しないんだ、街を変えようじゃないか」ていうふうな逆提案いうかね、そういうものをやっぱりやってこなかったんや思うわ。
 どこの作業所の機関紙を見てもやね、「今度ナニナニちゃんが入ってきて、優しい顔の何とかかんとか(笑)、みんなこれから仲良くやっていける。よろしくねー」とかなんとか、そんな紹介で。この子はいったいどんなとこから何でここへ来たんや、なあ、何でここへ来ざるを得なかったんや。つまりその子がおった街の中から追ん出された訳やね、要は。このことをやっぱりほとんど言わなかった。
 メンバーが増えたら嬉しい。一人分またつらくなんねんけども嬉しいみたいなことで、こうやった。だけど僕たちが考えていくもともとの基本的なとこ、つまり障害をもった市民が集まって来て一〇年もやってきたわね、作業所をあんたとこも。ほんだら、そこにおる人たちが幸せになったのかどうか、少なくともね。幸せには二つあるよね、一つは物質的に豊かになったか、一つはまあ心情的に豊かになったか、俺はどっちもが獲得できなかったんではないかと。
 金:作業所やめてから障害者ゆっくりしてる言うてる。給料が倍。ゆとりができた(笑)、気持ちもお金も。
 河野:そらそうやな、下手にやらん方がええねんあれ(笑)。
 金:一般の会社行ったら、同じことやっても倍もらえる障害者が職場におる。職場は障害者の首輪になってるなあと思う。こんなこと言うたら怒られるけども、健全者にとってはお金の元。こんなこと分かってない障害者

p12
多い。
 河野:奴隷か。
 金:職場はお金の元。障害者やめたら困る。やめてから初めてええことも分かる。僕んとこは三年前から仕事やめよう、お金儲けやめようと、一日ボケーっとしてても文句言わんようにしようと。でも今になったら文句言う。文句言わんかったらしんどい。何も言わんかったら一日中椅子の上におる。何か仕事欲しい。内職ないか。障害者の親は一日面倒みてくれたらええことやと思うてる。保育所の考えまだ持ってる。朝の一〇時から晩の四時まで面倒みてくれたらええ。お金もらおうと思わへん。
 河野:仕事するとつらくなるという(笑)。日本が資本主義であるということやろな。そらあー実際の話としてさ、一人一人の障害者からゆうたら、家出てな、生活保護とってさ、ほいで特別介護手当てでも何でもぶったくてな。そら作業所で働いてるより結構なお金なるであれ(笑い)。
 金:障害者はなんで職場やりたい、グループホームやりたいと言うか。安心する。やってくれる、誰かが。教えてくれる。別の親に、第二の親になって欲しい思うてる、障害者は。第二の親、職場は。
 河野:しゃあけどな、それはさ、富生(ぷせん)も自立生活始めたときあるやろ。あの時にひどかった状態があるわね。例えば、自立生活者同士が介護者奪い合うみたいなんあったやん。
 金:ある。
 河野:現在でもそれがなきにしもあらずやねんけど。で、それをやってたらあかんと。つまりそれは個別の問題であって、富生(ぷせん)という個別矛盾があったり、違う障害者の矛盾であったり。で、これはいかんというということがひとつあったと思うねんな。
 もう一個は選択肢がないと。つまり重度障害者ゆうたら生活保護とって自立生活するという、それしか選択肢がないのはいかんのじゃないかという。だから、作業所なり働く場なり作ろうというのがあったと思う。
 それがねそうなんだけども、先程から出てるけども、選択肢になれへんねんな。なだれ込むわけやん。それまで自立生活やっとるやつもみんなそこへドッとなだれ込んでもうて、作業所みたいなところで仕事、仕事ゆうふうになっていくとかね。あんたの得意とするフレーズがあったやん。「銭や」ゆうて(笑)。
 金:僕は銭やと思うてる。銭は使わんとあかんよ。僕はいまでも銭やと思うてる。障害者うまいこと銭使って。でも、今、銭いうたらグループホームの三百何万のお金のことやと思うてる障害者多い。でも僕自身はグループホームと同じお金とっている。
 何でこれいうかと言うと、今の職場もどこかが右いうたら全部右。左いうたら全部左。もっとバラバラの気持ちもって欲しいなあと思う。こんな職場、「知恵遅れ」の障害者多い。一番頭に来る。身体障害者がクループホームつくっても、嫌になったらまたやめられる。でも「知恵遅れ」障害者はそれができない。ここが全然分かってない。この手帳も「知恵遅れ」障害者ない。身体障害者はこれあったら、頑張ったら生きれる。頑張ったらやれることをやってない。全部グループホームやって、中で我慢して生きてる。これ見たら一番頭来る。昔から運動してる障害者がグループホームつくってる。
 河野:だからさ最近気がつくのはね、全国行くやろ、昔非常に戦闘的に運動やってた障害者がみんな作業所におんねん。それだけの思いでいうの、やっぱり自分一人ではあかんと、みんな生活とか労働みたいなものも選択肢として作らないかん思うてやっとんねんけどな。やっとんねんけどどことなくうらびれてんのなー。
 つまりそのパアーと言うてた時輝いてたものが、何となくこじんまりさ、今のこの経済

p12
構造の一番下あたりにね、ちまちまと居るみたいな感じが強いな。
 門脇:それは作業所運動の責任ですか。
 河野:作業所運動とか法人とかいろいろあるけどね、どれもこれもがみんな責任や思うねん。つまりさ、一個ではいけへんわけや。例えば作業所運動なら作業所運動をダァーとどれだけ戦闘的に展開したって解決せーへんやろ。今の自立生活なら、自立生活みたいなものをドーッといったらね、何とかなんのんかいな言うたらやっぱりなんともならんやろ。まあほんなら福祉法人でいこうか、ワーとそれいっても何とかならんやろ。
 つまり、我々は何とかネットワーク創って、本出して、何とか元気だしていこういうのがテーマやった思うねんね。元気だしていこうじゃないかと言うけども、基本的には空元気やった。空元気やったし、一つのジャンルをどれだけ追い求めても、あのー成功しないていう総括に立ち至ったわけやな。だからそういう意味では、一個別の深化いうのか深めるのじゃなくて、あのーどういうのかな、面としての展開みたいなもんが、その曲がったとこにあったんちゃうかなて感じがするね。
 つまり、それぞれがガァーとやって来たことを、まあ金富生とこが一番あれで、「やめてほっとした」という、これは真に言いえて妙な言葉やと思うね。やめてほっとせーへんためにやってたんや思うねん。それが実際には、これやめたら、ほっとすんねん。
 金:一日ボケーとおる。
 斉藤:プセンさんと最近あんまり話してないけど、やめてどれだけになるの。
 金:えーと、二年前から。職場を一か所ぺちゃんこにして、障害者首にして、行くとこある人は行って、保険もらえる人は保険もらって。保険かけてばかりいたらもったいないからやめて保険とって。あと民間の会社に2人入れて、後の1人は今ぶらぶらして、保険で。で、今障害者5人。健全者4人。ちゃんとお金は集めてるよ。僕の介護は一五万、二〇万入れて。
 斉藤:いま富生(ぷせん)ちゃんの動き方というのはどういうのを主にやってるわけ。
 金:本人も分からん(笑)。
 河野:愛の暮らしやろ、基本的には。
 金:いやいや、やってない。この一年間は介護。ホームヘルパーとガイドヘルパーの時間の問題やってる。
 斉藤:子どもいくつになる。
 金:四か月。
 河野:四か月、一番手のかかるときや。
 金:ホームヘルパー、ガイドヘルパーの動きをつくろうと思うてる。
 河野:だから、その、確認できるのはな、もう自分とこだけで何とかしょうというような発想では何ともならんというのはよう分かった、それは。自分とこだけでどうたらこうたら話にはならんやろ。だからある意味で、それぞれの地域で弱小な作業所が何個かあったやつが、こらいかんでいうことで、全国的につながろうかいうふうに作業所ネットワークみたいなん作った思うねんな。
 しかしよく考えると、矛盾というのは、要するに確かに全国的に矛盾はあんねんけども、実際にあるのはある特定された地域なんやな。名古屋市やったら名古屋市、大阪市やったら大阪市みたいなとこにあるわけや、具体的には、その矛盾みたいなもんは。ところがそこで根張れてない、その地域というとこで。だからなんぼ抽出した形で、枚方に一か所、どこそこに一か所みたいなネット組もういうたってやな、もともとその地域で四苦八苦してるからやな、理念としてはようわかんねんなあ、そのつながりが大事だというのはわかるんだけども、つながってられない(笑い)、ということやったと思うわ。少なくともこのネットワークの総括いうのは。

p14

  新しいネットワーク――1つでは、解決はむずかしい


 斉藤:最近、東京の高橋さんと話してて、自立生活センター・立川をやっていて、各地にそういう運動が広がっている。立川が全国一金取ってるという話で六〇万か七〇万か、介助料としてたくさん金が入るわけです。で、そうやって金が少々豊かになっていったいどんな生活をしていくんだろうというと、結局生活センターに入っていた人が、もうセンターに取られるのがいや言うてセンターやめていったり、何のためセンター作ったのか分からんようなことが出てきてるみたいです。高橋さんは意識してそういう金は全部キチッと運動に返していく訳だけども、そういう人は非常に少数であってね、そう増やせるもんでない。だから下手にそういう運動スタイルを広げてしまったら、作業所がだめなように今度は違った意味のだめななり方を持ってくるんじゃないかと、非常にそんな危惧を感じてます。
 河野:だから、IL運動とかピュアカウンセリング言ってるやん。で、あたかもこれこそがという言い方をするやん。そやけど俺はどうもこれこそがじゃないと思うね、やっぱり俺は。いま全国で自立生活運動とかやっとるけども、ほとんどピュアカウンセリングで止まうとるやろ。実際に、例えば在宅の障害者が出てきてそれようの家を見つけ、介護者を見つけというとこまではいってないと思うねん。だから、それは作業所がこけたんと同じように、あれもこけると思うねんね。だからつまり、この業界の常でさ、昔は「全面発達や」言うたら誰も彼もがダッダッダーとなだれ込んできてね、どうもこれはちゃうで言うたら今度は違うやつはーと、また違うやつヘズーッ行くというふうに、なんかこう、それは差別がきついということの裏返しでもあるんだろうけども、何か新しいもんが起こるとな、その、それぞれの矛盾を整理も何にもせんままにバーンと切って捨てて次なる課題ヘドドドーッと行くと、行ってこけるということの繰り返しをやっぱりやってきたんちゃうかなー、という非常に悲観的な総括なんだけど。
 そういうふうに考えればね、僕はその、いまやっとこさ何とかかんとかいろいろ試行錯誤しながらでも、例えば選択肢を持ち始めてきてると思うねんね。ある所は福祉法人みたいな感じでやっていったりと、ある所は事業所スタイルでやりたいと、ある所はもっと違う形でやりたいみたいなふうにいろいろやってると思うねんね。それは、今までやったらそれを否定したんや。あんなやり方いかんねん、こっちが正しいねんというふうな言い方してきたとこがね、そうじゃなくってそれこそ認め合うようなね、うまくやれよと、俺とこもうまくやるからねと、いうふうにお互

p15
いに、認め合っていくみたい、な風潮は確かに最近生まれてきたなあと。
 門脇:て言うことは、僕の言うところ、そのー、今までは作業所が同じスタイルの作業所同士とか、自立生活センターやったら自立生活センター、同じようなスタイルばっかりがネットワークを組んで行こうという動きが今までいくらでもあったけれども、結局行き詰まってこけたと。で、その今の話やと、自分たちがやってる違うスタイルの団体とどれだけネットワークが組んで行けるかという言い方やと。 河野:僕はそういうふうに思ってるで。何でや言うたらな、あなたとこが困ってるとするやん、作業所が困ってる、困ってる言うやん。だいたいフレーズがそうやもん。同じ悩みを抱える人間が集まろうじゃないか、こう言うわ。同じ悩みを抱えてる人間がなんぼ集まっても同じや、そんなもん。それはやな、「ああそうか、おまえとこもしんどい。俺とこもしんどいねん」と。「それはそうとお前とこ補助金なんぼやねん」と、「少ないなあ、こっち側はこんだけ取ってる」と、「あああんたとこええなあ」と(笑い)。つまり、取りかたを勉強するぐらいなもんで、実際には作業所が持ってる本来的な矛盾みたいなものは温存されたままなのではないか。それ、にはやっぱりね、単にその作業所だけが連合するいうネットするいうことじゃなくて、事業所も、ある意味での社会福祉法人をやってるとこもね、みんなつながっていかないかんという時代に入ったんではないかなあというのが、僕の個人的な総括。つまりそれは社会状況としてね、たぶんそれはプラス面だと思うんだけども、作業所でも何にしても最近、なんとなくちょっとだけ余裕出てきてる、そのちょっというのはどういう余裕の出方か。
 一〇年前には酒飲むことが困難であった。飲みたいなあと思うてもやな、金あらへんしな。そやけど、五・六年前ぐらいから酒飲むことぐらいは何とかなり始めたやろ。今、酒飲むことはそんなに苦労せんでも飲めるわなあ。その程度の余裕が生まれてきたと思うねん。その程度の余裕が生まれてきたというのは、みんなに月給がちゃんと行き渡ってそうなったんではなくて、みんなガマンしてるんだけど、ガマンしててもそれぐらいの余裕があるみたいな形での余裕の生まれ方やと思うんやな。だからもう少し我々が、そこに嫌でもきてしまったということがあるんだから、その余裕を利用して他のものを見るという視点な。今までは辛くて悲しかったから自分の実情ばっかり見てたけども、ちょっと違うもん見て見ようじゃないかと。その中で指針と

p16
なるようなものは取り入れようと。またこちらから提供できるもんなら提供していこうというところにきたんとちゃうかと。そういう意味では『ネットわぁ〜く』という雑誌も、ちょっと一任務が一区切りした可能性があるわな。

  若い障害者が育つ条件


 斉藤:今のお話、言うところはよく分かるんだけど、果たして同じような仲間同志でネットワークしようということも不十分だった人たちがね、より一段高いレベルでもって違った展開をしながら更にネットするというようなことが可能なんだうかというと、非常にそういうふうには難しいだろうなというのがまず率直な感想です。ただ、さっきから出てきてることだけど、一つの障害者の世界というか、福祉の世界というのか、そういうものから何とか脱却しないとね、その中でいくら追い求めても新しい展開はないだろうなと。今言ってる余裕みたいなところでそんなことが徐々にできてこないとダメなんだろうなと思う。
 しかしながらその一方で、障害者運動を担ってきた障害者の人たちが今、こじんまりとしているというお話があったわけで、だとするとその担い手はどこにあるんだろうというこどを心配するわけです。そういう意味ではより若い世代が近くで育ってきてるんだろうか。どうなんでしょう。
 金:僕はいてない思う。若い障害者は全然ほんまに障害者の自覚ないと思う。何でかと言うと、初めから、困ったら、行くとこなかったら、職場人れてくれたらええ思って、自分から作ろうと思わへん。自分からガマンして、生活も、グループホームも入れてくれたらええなあという感覚。交渉してお金取って地域の生活をしようと思わへん。あそこいったら平均の生活できる、介護も心配ない、グループホーム、職場やったら介護やってくれる。若い障害者そんな感覚だと僕は思ってるよ。
 門脇:それは何をするにしても、もうやけくそでできなくなってるんです、みんな。やけくそで。ちょっとできてきた余裕がくせもん。
 河野:ぎょうさんの余裕やったらいいけど、ちょっとの余裕でも人間すぐ油断するからなあ。
 金:もういっこは、冒険やれない障害者多い。冒険。
 門脇:ようやく勝ち取うたちょっとの余裕を、ちょっとも離したくないという感じになってきたから。
 河野:若い障害者が育ちようもない状況いうのもあると思う。昔、昔いうてもたいした昔ではないんだけど、一〇年とか二〇年ぐらいのスタンスで考えていけば、「学校入れろ」言うたら「入れない」って言われたんよね。あれしたい言うたら、あかん言われて、これしたい言うたら、ダメって言われてきた。今はたいてい通るで。
 門脇:ちょっとやったらええよって。
 河野:ちょっとぐらい抵抗あるけどね、少なくとも今の若い人たちが望むようなことは手に入るんよね。また、社会全体で、日本社会の経済構造が、えらい不景気やと言ってるけどね、そやけど一〇年前二〇年前に比べれば資産形成というのはあるわけよね、親にしても。そこでの飢餓感いうの、渇れる、飢える、そういうのは今は薄いんちゃんかなという感じ。
 そこをもう少し考えていって、ある意味での即物的な鍛えられ方っていうのではなくって、もう少し知的な鍛えたれ方みたいな感じ

p17
を…。例えば、なぜ障害者なのか、なぜ障害者は社会的なシステムに入れないのかとかいうとこらへんで何とかせなしょうないんとちやう。
 門脇:それやったら人間が体に感じる本能的な動きができない。知的なって言われると(笑い)。
 河野:だから、我々が経験したような鍛えられ方はもうないと。そんなもんはあり得ないんだと認識しないと。最近のやつはいっこも発言もしよらんわ、要求も出さんわ、という言い方ではどうしようもないわな。持ってる要求が違うんだもの、もともとの。
 斉藤:いわば、してもらう存在だってものから脱皮していこうとしてきた。ある程度やれてきて、実入りが良くなってきて変に薄れてきて、もう一つ覇気がなくなってきている。当然続いてくる面々にすれば、既に獲得してくれてるもんだからよけい覇気も何も出てこず、冒険もせえへんということで、一つの糞づまり状態になってると思うんだけど。だからそこで糞詰まりにならずに、逆に言うと、もっと社会の主体者としてやってやる側に登場してくるような力をつけていくというか、そういう意味での生きがいを見つけていくようなことをやらんとどっちにしてもダメじゃないかなという気がするんです。

  市民社会にうってでる条件


 例えば今、名古屋市長選なんですよ。それに市民運動の候補者が一人立っとるわけです。保守と共産党と、その候補者の三人が立つとるんです。市民派は貧乏なわけですよ。うちは前、選挙やって金儲けたから、その金をプールして残っているもんで、それを選挙資金に貸してすごく感謝されたんですよ。従来なら、市民運動から見ると障害者運動いうたらこっちが「可哀想な人や」というような存在だったけど、逆にこの選挙では我々がやる側になってね、彼らは感謝する側になったという逆転がちょっと生じたのです。共作連(共同作業所全国連絡会)なんかでも盛んに生協との連係をすすめている。あの中身はどんなものなのか今いちよく分からないけども、わっぱの会の場合、パン作って、無添加の国産小麦のパンですって提供している。障害者が朝から晩まで働いて作ったパンであって、それを「可哀想な人たちが作ったパンや」と思うて買うてる人もおるやろけど、やっぱり無添加国産小麦のいいパンやから買うという人もいる訳で、むしろこちらはそういうパンを少しでも安く提供している。社会をボランティアしているんだと、こちらが、という思い入れがあります。生協と提携するのも、生協が障害者運動を助けてやろうというおこがましい話じゃなくて、こちらがいい物を提供し、生協がちゃんと購入するという付き合いの仕方をしていかなきゃいかんと思うしね。障害者が社会運動の主体者となっていく。例えば、この間ある団体といっしょにピアカンやったんだけど、そこに来ている若い女性の障害者の人たちが平気でペットボトルのジュースなんか買うて来るわけですよ。うちなんか環境問題なんか非常にシビアに考えるから、そんなもんは絶対買わんという精神がある。そうすると、そういう環境問題の連中ともいろいろな面で付き合いもできるわけだけど、平気でペットボトルを買ってるような障害者団体は環境問題の団体から見下されるわけですよ。それではやっぱりいかん。そこらへんのことも学んで、逆に環境問題で「何でお前らは障害者生まれてきたら大変やから、何だらとか言うのだ」とかいうように教える存在になっていかないかんと思うんですよ。

p18
そういう環境講座をやってみたり、また経営講座をやってみたりして、そこで障害者がそういう知識を学んでね、どこに行っても通用するようなという段階に高まっていかないと、いつまでもやってもらう存在のままである。乗り越えたと思ったはずが、ちょっと銭もろうて、ちょっと豊かになったら結局何も乗り越えてなかったということがあると思う。非常に困難な課題かもしれないけど、そういうことをこれからやれなかったらだめだという気がするんですよ。
 河野:いままでの流れから言うたら、やっぱり受け身なんやな。ひどい状態にある、障害者がな。今でもひどい状況にあるんだけど。ひどい状態にある、社会から攻撃を受けるから自分たちを防衛せなならん、糾弾せなならんとやってきた。斉藤氏が今言ったように、やっぱり「可哀想な人たちがあがいてんのや。可哀想でなくなるために」。そやけど、具体的に言えばそれはもうないんじゃないか。自分たちが自分たちをそういうふうに考える時代ではないだろう。この社会を構成する市民としての、ある意味の問題を提起していく側にそろそろ立っていかないと、やっぱり「可哀想だから何とかしてくれ」という範ちゅうからは、「ちょっと上を与えとけばもうそれでいい」みたいなとこに到達するわな、やっぱり。
 最近気いついたんだけど、施設空き始めてるな。
 斉藤:あ、そう。収容型の?
 河野:収容型の施設。金がかったつにおりてきへんから、施設切り捨て路線になっとるからね。
 斉藤:成人の方で?
 河野:うん。だからメンテナンスがきけへんのや。改修するとか何とかいうやつができへんからボロボロになってきよんや段々段々。新しいとこにはようけ人くるんやけど、古い、昔からある伝統ある収容型の施設はぽつぽつ穴空き始めてんやで。実態として全国的にそうなのかは調査してみんとわからへんけど。
 アクティブというか、障害者の側が社会に働きかけていくという場面で、若い人たちが登場していくんとちゃうかなというふうに思ってね。なんせ中小企業のおっさんみたいにあくせくあくせく仕事してるのには若いやつには耐えられへんやろな。仕事の段取りしいの、工員帽かぶってねじり鉢巻きで朝から晩まで仕事仕事いうのは、今の若い人にとって言えば、今少なくとも行き場がないから作業所でそういうふうにみとるけどもやな、お前やるかって言えば嫌やって必ず言いいよると思う。あんなんやっば嫌だって思うよな。だから、そこらあたりに我々がやっとこさ到達したんちゃうかと。つまり中小企業ではあかんと。中小企業ちゃうわな、零細企業やわな(笑い)。
 斉藤:中小企業にもなっとらんわ。中小企業になったら展望もあるんやけど。
 河野:この五、六年の我々がやってきた事がらっていうのは、今斉藤氏が言うたみたいに、つながることもできへんのにまた新しいつながりが可能なのかどうなのかっていうのは、あるがままでは不可能に近いと思う。だからどこかが牽引していくというか、例、えぱそれが名古屋であったり九州かもわからへんし、充全ではないけれども一定程度の基本パターンをもったとこが中軸になりながら、それと似たかよったかのようなもめをそれぞれの地域で展開していくということやと思うわ。確かに「わっぱん」を見習うて大阪でも三、四か所…
 斉藤:もっとある。

p19

  事業がつながる条件


 河野:もっとあるか。それは確かに過渡的にはね、パンで。確かにしんどいですわな。しかしあれに何かプラスアルファしたら違うもんができるんちゃうかというのがある。イメージとして。
 斉藤:年に一回、パン合宿と言うのをやってるんですが、いわゆる組織形態を越えて事業としての連係を強めて、パンやクッキーが経済的なメリットになるようなつながり方というか、共同宣伝による一つのブランドとしての定着とかね。それから仕入れですね、小麦等の。大きくすれば大きくするほど材料というのは安く入るとか、やればやるだけ見えてくるわけで、だからそういう意味で大きくせんと損やちゅうのが今の社会、資本主義やいうもんですわ。それを「小さいことはいいことだ」って言うとってもどうにもならんわけで。その時に、社会福祉法人という形態であれ、作業所形態であれ、事業所形態であれ何であれ、個人経営であれ、みんな寄り集まって一つの協同組合みたいなものを作ってね、これぞ正真正銘のパンですよというふうにやれるような商売の仕方ができたらいいなと。
 河野:だからさ、それぞれが持ってる特質みたいなもので集まってきてね、連合を組むのはええと思うねん。そういうふうにつながっていくいうのはね。ところが、利益誘導型のつながり方があるやん。俺は障害者関連で言えば利益誘導型はないと思うねん。利益誘導型ができるほど世の中甘くないし、そんなに余った金がどこかにあるわけでもないやろから。そこらあたりでの制度づくりの問題とかみんな含めて、ある意味でのネットワークが到達したところからもうちょっと、もっと複雑なつながり方ができないかなあという感じがしてるのね。

  ヤンペも一つの選択


 金:僕は、職場やめて、生活保護もやめようと思ってる。やめてもどないして生きれるか、今のお金無しにしてもやりたいなあと思うてる。何でか言うと、ここまでやらんと運動にならんと思う。大きなことを連呼連呼しても障害者分からんと思う、中身。一部の人間だけ中身知って、大部分の障害者分からん思う。職場やめたら介護困る。生活保護やめたらお金に困る。ここまでやらんかったらホンマの障害者の自立はできないなあと僕は思ってるよ。こんなこと言うたらおかしいと思うても、こんな考え持ってる障害者おってもええと思う。
 河野:俺、全面的にそれ賛成。
 金:でも、こんなこと言うたらおかしいって村八分、中に入れない。
 河野:俺んとこ、豊能で話した時にそれ大論議したことがあんねん。みんながこれから豊能障害者労働センターが未来永劫あると思うのは間違ってるんではないか、つまり富生(ぷせん)とこみたいにやな、もうヤンペだというのもある話だじゃないかと。いま自分たちのやってることはヤンペにすべきものなのか、ヤンペにせざるものなのかというのを皆考えようじゃないかと。富生(ぶせん)とこはもうやめよったと、うちはやめんのかどうやねんという話で、いてる人間で大論議したことがあった。それは、自分たちの給料の

p20
高さとか、やってる形とか、それぞれ集まってきてここはどういう場なのかと認識する、アクティブな考え方にするためにあんたとこのが話のネタになったんやけどもさ。
 だから僕も、もうヤンペにしようじゃないかっていう考え方がある。それも一つの選択肢なんだっていうふうに考えていくようなつながり方みたいなんが大事なんとちゃうかなと思う。つまり、やめるのはいけないんだと、とにかく何でもええからやり続けなあかんねんというようなことを言うことの意味というような、そういう時代は終わったと。障害をもったメンバーが、それは必要ではないと思ったらもうやめたらいい。
 この間、ぼくらもちょっと失敗したなって思う。全国的に見て失敗したなって思うのは、三千か所ある作業所の中で、障害者自身経営してる作業所がいったいどれぐらいあるかというのを考えてみたら分かると思うのね。非常に少ない。おそらく全国で五〇か所あるかないかやろ。五〇か所もないかな。つまり、代表が障害者で、事務局長ももちろん障害者で、専従の主要な部分が障害者いうようなところはほんとに少ないな。
 そういう作業所が続いてるのはね、例えば専従になる人おれへん、指導員になる人おれへんって言うてるやん。けど、じっと見てたらね、指導員はちゃんと、ちゃんとという程ではないけど少なくとも生活を賄うぐらいの月給はもろうとんねん。これが作業所をつぶさせへん理由でもあんねん。嫌だなと思って、もうつぶれたらええのになあと思うててもな、そこで飯食ってる奴がおるやろ。それで障害者は一万円とか五千円とかしかもろうてへんから、ここなくっても別に生活に大した影響ないわと思うててもさ…。
 金:やめたらお金持ちになる(笑い)。
 河野:ところが、実際そこで月給もろうてる健全者の職員がおって、これがつぶさせへん理由にもなっとんのやな。だからある意味でつぶしてもいいじゃないかっていうのも選択肢の中にあったやんか。
 それで、できたらつぶさんという理由ね、それは積極的な意味での理由よ。行き場がないからここおいといてというんじゃなく、ここがあることによってたくさんの障害者とつながることができたり、地域づくりをやったりね、あるいは制度づくりができるんだというふうな積極的な意味合いでここが必要なんだっていうふうに切り替わっていかないと。
 行くとこないし、おん出されたら私たちは...と。私たちはという時に、たいていその後ろに親の顔がみえるやろ。障害者本人はそんなに苦にしとらへんのやけどな。親は、この子毎日また家におんのかと思う。ここらへんの根幹に関わるところは、残念やけど作業所運動はクリアしなかった。現実の問題として。
 斉藤:よく言う話やけども、年間に助成金一千万円とかもらっとるわけやん。それを、職員とか雇ってその人らの人件費で消えていくわけやけども、そんなことせずにみんなで山分けして、それだけで金になると、それぞれが。それで好きなことやった方がええやないかっていう話があるけども、実際そういうふうにやってるところの話は聞かないわけで、それぐらいの骨のあるところがあってもよさそうなもんやけどね。真面目にみんな人件費で払ってしもうて、それで自分ら一生懸命ゴチャゴチャやって、チョロっともらって。そんなことでエネルギー消費するぐらいなら、山分けして後好きなことやってる方が何ぽいいかわからへんね。
 河野:それは二つの理由でできへんねん。一こは、山分けするにしてはちょっと少な過ぎる。人数で言うと、自分とこは三人からか。
 金:三人。
 河野:三人で年間何ぼ?
 金:三四〇万。
 斉藤:一人、十万弱。
 河野:月にか。
 斉藤:そうそう。
 河野:十万弱。おい、それの方がええやな

p21
いか(笑い)、年金と合わせたら…。
 斉藤:そこそこ二十万円ぐらいにはなる。
 河野:もうちょっとあったらな。それ、倍ぐらいあったら結構そんなん出てくるんとちゃう。場所はええやん、置いといたら。そこに集まってきていろいろやっても構へんやん、金儲けと関係ないことやったらええやん。もう指導員いらん。もう一こはね、やっぱり働くというのはいいことだという、どこまでいっても我々の脳に染みついてるヤツ。遊んでる奴はいけない人間、いうような概念。これがね…。
 斉藤:何をもって働いとるか、何もって遊んどるか、そこらへんがね。町工場でグチュグチュやってるのが働きではないわけでさ。作業所ちゅうイメージがそういうもんだったし、それこそ一年に一作の絵を描いて、これで一生懸命働いとるんだと、そういう働き方でもええんだろうし、日々構想をねっとるんだと(笑い)。だから、本人が納得し、しかも充実感を覚えて日々暮らしておればええわけであって。ほんとうはやりたいのに何もできんというのは、そんなん絶対いかんわけだけども、そうじゃなかったらおもろい働き方ちゅうのか…。

  ゴジャマゼがうみだすもの


 河野:それから、あれがあるやる。いわゆる身体障害と知的障害の関係があるねん。
 斉藤:そこらへんもまたある。
 河野:お金という概念とかそういうものと無縁で生きてきたみたいな人もおって、とにかく家で過ごしていた方がええねんみたいな感じできてる人もおるやろ。だからそこらあたりバランスとるの難しいと思うんやけどね。なかなか知的障害の人に好きなことしなさいって、あの人ら一番困るんやから。
 斉藤:依然として線引きがされている。行政は明らかに線引きしているし、少しずつその改善の兆しが見えてるけども。それに応じて運動の側も障害別の組織化というのが強くてね、垣根というのはまだまだ取れてないと。地域では取れてる部分が少し出てきてるけども、まだまだそれは弱くて、その垣根が溶けて、本当に大同団結しあって交流し合わないといけない。運動スタイルが全然違うものだから、そこが融合したら必ず面白いものが出てくるんじゃないかという気がするんです。でないと相変わらず知的障害の方は親の管理が強すぎるから、親の意志で働かされるということを脱却できない。その人たちがどう生きるかというのがなかなか見えてこない。やっと最近当事者運動がどうのと言い始めたけれども、でもそれはやっぱり親が言うてやってるに過ぎんよ生なところがまだまだあるし。障害者同士が触れ合うことでもっと違う面が出るんだと思う。
 河野:我々もちょっと考えなあかんと思うねん。考えなあかんて、いつも考えてんのやけどもやで、何を考えないかんか言うたら、要するに知的障害も精神障害もいっしょくたにやってるのは我々のとこぐらいよ、実際には、ホンマに。関東にいっても全国的にも、精神障害は精神障害だけ、知的障害は知的障害だけ、自閉症は自閉症だけ、身体障害は身体障害みたいに、もう縦割り。だいたいまぜこぜで、目が見えへんでもええじゃないか、耳が聞こえへんでもみんなで助け合うたら何とかなるでというふうにやってるのは、ほんとに我々のとこだけよ。みんな行ったら奇異な目で見よるな、「お宅、グチャグチャで」って(笑い)。グチャグチャでいいんじゃないのって言うんだけど、お好み焼みたいにグチャグチャでやった方が助かる分ものすごくくあるわけよね。知的な人やうたら車イス押

p22
してくれたりね。便所介護なんか何も抵抗しないでハイハイとかね。目の見えない人が車イス押したりね。
 僕は多分、ネットワークというところで参加したとこのほとんどがそうやと思う。これが広がらへんのは、その隣に行くと知的障害ぱっかとか精神障害ばっかとかいうふうになっとるからつながりようがないというか。
 斉藤:そこらへんの壁を崩さないとどうも先が見えんというのがあって、その意味では今後の一つのキーワードという気がするけどね。
 河野:まとめみたいな話はあんまりしたくないんだけど、要するに二つのやり方やと思うんよね。一つは、縦割りになってるものとどうつながっていくのか。ゴチャマゼと縦割りとがどうつながっていくのというのが一つのキーワードやと思う。もう一つは、冒頭に言うたみたいに面としての運動体ね。枚方やうたら枚方市という、別に行政区やから枚方市も宇治市も似たようなもんやけども、枚方市という地域というものの中にどれだけ面的に登場してるのかというのがあるわな。これが二つのやり方やと思う。考え方としてはアクティブな変身みたいな。つまり、自分たちがおる理由は何なのか、自分たちの作業所というのは何である理由があるのかっていうのを、単に行くとこがないとか困ってるからここに集まってんねんというのじゃなくって、これがあるから変えていくことができるんだっていうふうな、ある種アクティブな考え方みたいなね。そういうポリシーをもつ中でしか斉藤氏がいう若い人が育たないやろな。つらく悲しい世界より、今の若い子軽いからな、ライトやからな、そんなこと思うとらへん。ホンマにぶち当たるのは、だいたい結婚問題やろ。
 金:結婚とセックス。
 河野:あの辺りで、自分は障害をもってて、こらどうもならんというようなところにあたりよる。そやけどそこまで待ってられへんやろ、結婚適齢期になるまで。そこらをアクティブに考えていけるような仕掛けいうの、仕組みづくりいうのを、少なくとも今作業所を担ってるみんなが考えていく時代になっとるんとちゃうんかなと。
 これは一つの歴史で、名古屋の斉藤氏とこなんかはある意味で面的に登場してきてるわね。パンもなかなか評判ええぞとか言うて、ほんとにそうかどうかわからへんけど(笑い)、とにかくパンをつくって、片一方では福祉法人。福祉法人いうたらやっぱり社会的に信用あるからな、そういうので看板上げえの、制度づくりもやりいの、困った人の選挙資金も貸じ付けえのというみたいな。そういうある意味での面的な登場を我々もそろそろ考えていかないと、うちら困ってんねん、困ってんねんという話からは多分次が見えてこないやろ。
 困ってんやで、実際困ってんやけど、門脇君みたいとこみたいに、おなかは本当にすいてるんやけどすいてないみたいに思うてて、よく見たらホンマはすいててんいうようなとこはちょっと遅れてると思うね、やっぱり。もうちょっと同じガマンでも、ガマンのしがいがあるガマンとつまらんガマンがあると思うねん。今はちょっとガマンしててもね、他のジャンルの違うとこと結びついていこうと思って今ちょっとガマンしとこというのと、がまんずっとしてるんやけど、つながらへんでガマンがガマンだけとしてずっとあるのはいかんやろなと思う。名古屋みたいな大きな街ではないけど、箕面なんかでほとんど全面展開よね、十二万の街で。無茶苦茶全面展開で、片一方では財団法人つくらせる。これだけではあかんと、パンハウスつくる、労働センターもある、作業所もある、福祉ネットワークつくる。で、行政に言うて、大きなプロジェクトが出てきたら必ずそこに障害所の店をつくらせる、リサイクルセンターをつくらせる。そういうふう

p23
に全面展開する中で、行政には別枠採用要求してるもんね、別枠採用すべきだと。それから民間の八百屋さんとかの店に障害者を雇った時に、市単独の助成ね、障害者雇ったら市が助成金を出す。あるいは職安に出す書類あるでしょ、あれものすごい膨大な量出さなあかんねん。八百屋のおっさんが出せるはずないねん。そういう事務代行をする機関をつくろういうて始めてるわけなんや。その中でのつながりみたいなもんを実際にやっていかないと、孤軍奮闘はしょせん孤軍奮闘で倒れるしかないんや。そういう感じが最近特に強い。
 だから公立でも民営でも、そこに来てるメンバーがつながっていく。箕面でいうたら府立明光学園の職員も、市立のあかつき園の職員も、民間の事業所・作業所も全部集まって全体のことを話すということをやってるわね。ああいうふうなつながり方をすれば他者が見えるわね。自分とこはこんなことやってるけど隣は知らんというてるやつが見えてくる。その中で街づくりみたいなとこにつながっていく。そういう方法に曲がったんではないか。そういう場所に、僕たちが好むと好まざるとに関わらずクルットまわってしまったんではないか。
 最近、作業所とか、障害者が作ったからいうて売れん、見事なもんや。障害者が努力して作ったことに価値を見いださない。はっきり言うもん、ちゃんと流通するもん出してくれって、ほんまに。パンひとつとっても、たかがパンやで、膨らんでようがへこんでようがかまへんと思うけどもな、あかんのや。
 金:へっこんでるパン、食べたらうまい。
 河野:やっぱり、無添加で美味しくってふっくら仕上がってるもんでないとあかんねん。無添加でもペチャっとしてるもんはあかんねん。だから要求されてることがあるよ。そういうことも含めて僕らは作業所のことを考えていかないと。作業所のネットの集まる理由が、お互い困ってることを出し合ってというふうにはもうつながっていけないみたいに思う。もちろん富生(ぷせん)とこみたいにやめちゃうということも含めての、困ってることだけではつながらない。
 金:やめてもちゃんと生きれんかったらあかんと思う。やめて自立しようと思う。やめても伺じお金もって、同じ介護があってやめなあかんと思う。やめて家に帰ったらあかんよ。お金も別の仕事やって。いっこの冒険。

p24

  休むけど…ネットワークはすすんでいく


 河野:『ネットわあ〜く』休刊ということになるでしょ。再開のめどの立たない休刊というのはほんとはヤンペやと思うんやけど(笑い)。実態的に年二回ぐらい、頑張ってやっているモデルみたいなとこが集まってきて、そのモデルを聞きながら、それを自分とこではどうしたらできるのかとか、自分とこではできないなとか、言ってみれば研修みたいな…、言葉で言うたら悪いけど。バン合宿をやってるわけでしょ。そういうことを。商売合宿でもええやん。
 金:僕一番思ってるのは、パン作ったら給料出て、なんで介護はボランティアなんかなと思ってる。介護もいっこの仕事で、お金にならんとあかん。ここが障害者運動一番遅れている。障害者も遅れているなと僕は思う。これを考えんかったら職場やめられない。職場やめたら介護ない。なかったら困るのでやめられないいうのはおかしい。怒られても介護おる、嫌やなあと思うてもまだ介護おったら安心。やめたら介護困るので職場やってる障害者多い。公的介護にして、お金もらって、介護券もって。でも、使わないでお金持ってもあかん。介護券使わんかったら紙。お金見たら障害者悪いこと考える。
 河野:最近おもろいこと考えてんのやけどね。我々のとこにいてるメンバーで、知的障害とかピョコピョコ跳ねる子おるやん。あれ話し好きやな結構。で、ホームヘルパーの中の項目に話し相手というのがある。ヘルパー登録して、障害者のヘルパーになって、行ってじいさんやばあさんの話を聞く。
 斉藤:それおもしろいよね。
 河野:障害者だからといっていつもヘルパーを受ける側ではないわけでね。視覚障害なんか最適やと思えへんか、仕事としては。
 金:ちょっとあんまして。
 河野:三療なんか身につけてたら年寄りは大喜びよ。
 斉藤:身体障害の人の家に知的な障害の人とかね、視覚障害の人で介助していこうやと、そういう話をしてるんだけどね。そういうのはおもしろいよね。
 河野:当初は制度に乗りにくいのかもわからへんけども、つくって、やってるじゃないかと。そういうのはそんなに難しいことじゃないよね。だから作業所がそういう仕事をしてもいいわけでしょ、物売るばうかりじゃなくて。
 斉藤:作ったり売ったりするだけじゃなくてね、いろんなサービスをね。
 河野:つまり、サービスを提供する仕事なんかもいろんなジャンルに加えていけばそんなに難しい問題でもないし、逆に車いすや補助具の扱い方は専門家、プロなんだから。

p25
 斉藤:時間もないだろうから、自分自身のまとめというか、出てることと重複するけど。
 ひとつはゴチャマゼ化というのはこれから絶対広げないとダメだろうと。特にいきなりそれを大規模にはできないだろうけども、自分自身の地域の中ではきっちりやっていきたい。障害者運動それぞれバラバラでやって、結局は少数者やと無視されてても決して少数ではないわけで、集まればけっこう勢力なんだ、ほんとはね。だから、日本の政党や行政が軽んじてきた障害者やその関係者の声というものを大きいそと思わせるようにしないと、絶対地域変革の時代なんかこないわけだから、ゴチャマゼ化というのはそれをやるためにも絶対必要だなと思う。
 二つ目に、先程の話の続きですけれども、これから高齢化社会がどんどん深まるわけだから、介助派遣ネットワークみたいなものをつくっていくにあたっても、障害者がしてもらう側じゃなしに、今話したみたいにしてやる側としてね、主体者として高齢者のところや障害者のところに行ったり、また障害者が健常者を動かして行ってもらったりということをやるにはもってこいの時代だろうなと思う。いろんなサービス事業に企業が乗り出そうとしている。それに負けちゃならない。我々こそプロだとそれを取りしきるようにならなんと、企業に銭儲けさせるだけになってはダメでしょう。してもらう側から主体者へという意味では好機だろうという気はするんですね。
 三つ目には、先程出たように、福祉の世界で止まってることを突破して、労働だってことをきちっと踏まえさせていくってことが絶対必要だから、そういう意味での事業所化っていうことを一つのキーワードとしてうちたてていく必要がある。決してこれは単なるこれまでの働き方じゃなくて、今言ってるようなサービスの提供も労働なんだと。芸術表現も含めて労働なんだと。いろんな形で社会の活動をしたり動いていくことを認め、それを一応今の社会で雇用関係、労働関係の中に置いて、ちゃんとした経済基盤をもって事業所化していくっていうふうなスタイルをもっともっと広めないと全然変わってこないんじゃないかと思う。その三点ぐらいがこれからの課題だなと思っています。
 金:職場やめる障害者が増えることを目的に、職場をやめれるようにもっていかんかったらあかん思う。介護全然なくなったら困る、でも職場やめてもちゃんと生きれるようにもっていくことが大事。介護はボランティアの感覚はあかん思う。介護は介護、職場の

p26
専従は専従、ちゃんとやらんかったら、二四時間公的介護の感覚絶対もてない思う。はっきり言うて、ここまでやらんかったらほんまに、法人化ばっかりになうたらほんまにペチャンコにになる思う、障害者が。障害者がちゃんとやらんとほんまの自立はないようになる。施設と法人と同じになるんやったら、ほんまに三十年間何してたか分からん、僕は。こんなこと思うたら別のネットワークいる。障害者まだ遅れてる。介護はただや思うてる。介護受けることはお金いる。そのお金に障害者ノータッチ。介護は介護でお金使えへんかったら、ネコババしたら、お金いっぱいになっても介護は増えない、絶対。僕は思うてる。
 河野:最後のまとめは司会者がやるんだと思うんだけども…。
 個人的なまとめは話の中で言ってしまったんだけど、『ネットわぁ〜く』を休刊にするというのは、ある意味で我々が持ってる状況の一つの選択やと思う。要するに、続けようと思えば後何号かガマンして頑張れば続けられると思うのね。そうじゃなくて積極的に休刊にしていこうということは、先程から論議にあったような諸事情みたいなもんがあって、やっぱり転換していくべきだろうと。それは言葉にして言えば、活字の情報から肉声の情報へというふうに変えていくべきだろうと。今までだったら雑誌をつくって出すことによって情報を伝えていこうと思ったんだけども、やっぱり活字での情報の量というのは限界があるわけで。
 これは一つの例だけども、朝日の厚生事業団のやっている、作業所のメンバーを集めてやっている、あれもあんんまり良くないんだと思うんだけど、研修みたいのがある。それを滋賀県だったら滋賀県でいうぺんやってみて、それでみんな集まって名古屋の話じっくり聞いてみようやと、一晩かかって。そういう肉声での応答ができる、そこんところどうなってんのとかいう応答ができるような合宿みたいなもんを、この「ネットワーク」が年に一回か二回ぐらい主催してみたらどうなのかなと思う。もちろんそれぞれの組織がやってると思うけども、しかし「ネットワーク」としての肉声の情報ね、例えば作業所をやめるというのはいったい何かというのを富生(ぷせん)の方から提案してもろうて、自分たちは何でやめないんかなというようなことをね。時代はやっぱり福祉化していってると思うねん。日本の経済構造、政治構造から考えて、新しい産業が興ることはほぼないでしょ。ハイテクが一つの頂点として、あと金融政策でしょ、株とかああいうもんで。つまり産業の空洞化がおこり始めてるのね。その中

p27
でもし興るとしたら、福祉に関連する産業ね、そっちに金流れていくと思うよ。その中で、流れて行き方いうのがあるわね。旧来の福祉概念みたいので流れていこうとしてるわけ、今。厚生省を始めとしてね。そうじゃなくって、時代が福祉化するっていうことを我々の福祉概念みたいなもんで変えていくいうのはね、ある意味で非常に積極的な意味を持っている。それは日本の政治、経済構造まで波及するものとしてね。つまり小さな試みかもしらんけど、今までやったら障害者がヘルパーになるなんてこと考えられなかったのをやってみようじゃないかと。例えば重度の二四時間介護の必要なやつがヘルパーになって比較的元気な老人のとこにヘルパーに行くと。話聞くと、その代わり車イス押してねと。発想が全然違うようなことを提案できる力量いうんかな、そういうものを獲得していこうじゃないかと。そのために敢えて『ネットわあ〜く』を休刊するんだと、そういうふうに僕個人としてはまとめをしたいな。お疲れになったのはよく分かってますよ。お疲れになったのはよく分かってますが、そのお疲れの中に明日につながるものがあるとすればそういうことだろうと。
 門脇:まとめは簡単にしたいと思うんですけども、具体的な今後の提案については、発言していただいたどれも今後の参考にしてまた展開していきたいと思うやけども。実はこの座談会をしようと言うた会議の時も、かなり休刊にするかしないかという議論をしたんですけども、まったく今発言にあったような意味というか、何で休刊にするんだということも、まったく今出た意見でまとまっているんです。合わせて、一年一回か二回集まって情報交換をするような場を持とうということにもなってるんで。実は僕、今日これをやるに際して非常に暗い、暗いというか休刊という言葉自体がもう終わりだという感じがしたんで、今後についてどんな意見が提起されるであろうかということを思ってたんですけど、意外といま何ができるのかというみたいなことをご提案いただいたんで、まんざら何もできないなあというのでもないなあという感想を持ってるわけです。ですから、本は一応休刊イコール終わりですけど、今お三人からいただいた意見をなるべく具体化してやっていきたいなということでまとめにかえたいと思います。(了)

p28

  編集のあとで…


 確かに大きな時代のくぎりではある。政治も、経済も、社会も、そして生活も文化の多くの場面でターニングポイントを、ひょっとするとくぐったのかもしれない。 『ネットわあ〜く』休刊宣言というていたらくは、ご協力いただいた皆さんにお詫びをするしかない。夢を語ってはいても、運営委員が時代においつこうと、忙しくなりすぎたのだ。というより、みな手を広げてしまったというべきか。発行を続けるには、スタッフも、金も乏しくなりすぎた。
 「生きる場、働く場」の未来についてはあまり不安はない。確かに土台は不安定で、人も金もない。だが、一番大きな財産、そこには生身の障害者自身が存在している。社会的にも、つぶされてすむ問題ではないからだ。
 その足掛かりは、座談会でも各所に語られている。だが、この、関西弁と、名古屋弁、なんと文章にしにくいことよ。現実そのまんまではないか。
 ネットワークは、それでも日々行なわれているし、会い続けている。『ネットわぁ〜く』も、姿を変えてあなたにお会いすると思う。口寂しいが、ゴメン。(Z)




*作成:青木 千帆子
UP: 20110215 REV:
全文掲載  ◇全障連 共同連 ネットわぁーく   
TOP HOME (http://www.arsvi.com)