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在宅医療に新しい波が・5

─人工呼吸器をつけても家族がいなくても自宅で暮らせる、それもさりげなく─

大熊由紀子
『メディカルダイジェスト』1993-7

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last update: 20151221


「障害者自立生活・介護制度相談センター」の機関誌から転載

朝日新聞論説委員・大熊由紀子

アンデルセンの生まれ故郷で

 ゴールデンウィークを利用して、ヨーロッパへ出かけました。
 皆様の(編注:これは医者向けの雑誌です)患者さんが、筋ジストロフィーや筋
萎縮性側索硬化症で人口呼吸器を必要とする身になったとします。しかも、世話し
てくれる家族がいない。入院しか手はないと、お考えになることでしょう。日本だ
ったら、そんな人が自宅で暮らし続けるなんて、ありえない話です。
 ところが、ヨーロッパのいくつもの国ではそれができるのです。しかも、ごくさ
りげなく。いったい、どうやっているのか。この目で見たいというのが、旅の目的
の一つでした。
 童話作家、アンデルセンの町として有名なデンマークのオーデンセでは、筋ジス
トロフィーの姉妹と行動をともにしてみました。姉のマリーとは昨年、北欧セミナ
ーのため来日したとき知り合いました。彼女は、日本の聴衆に深い感銘を与えまし
た。でも、「不屈の姿勢」「強靱な精神力」が感銘を与えたのではありません。
 彼女は病気が進行し、歩くこともできず、自分で食べたり排泄したりすることも
できません。けれど、両親から独立して自分の家で暮らしています。日本でもこう
した人は皆無ではありません。けれど、それは特別な人で、自立生活運動のリーダ
ーなどと呼ばれます。ところが、マリーは、ごくごくふつうのしとやかな女性でし
た。そのことに日本の聴衆は驚いたのです。
 彼女は4人姉妹で、1歳年下の妹ビエギッタも筋ジストロフィーです。18歳こ
ろから歩けなくなり車椅子生活になりました。自分自身の家をもったのは26歳の
時で、ことし36歳になりました。
 写真@は自宅の食堂でくつろぐマリー。こちらを向いてすわっているのは彼女の
かつてのヘルパーで、今は親友のルイーサ。市役所のソーシャルワーカーをしてお
り、日曜なので遊びにきたところです。

写真@

相性のよいヘルパーを自分で選ぶ

 デンマークには3種類のヘルパーがいます。市町村の職員であるホームヘルパー
とヘルパー、それに家族ヘルパーです。
 市町村のホームヘルパーは、訓練を受け、資格をもっており、自分で身の回りの
ことができない人々の世話をしてくれます。その仕事ぶりは、この連載の第1回
「寝たきり老人のいる国いない国」でご紹介しました。
 マリーのヘルパーは、それとは違います。マリー自身が広告を出し、面接をして
選んだ人たちで資格はもっていません。しかし、その報酬は市の社会福祉部から支
払われるのです。こうしたやり方は発祥の地の名前をとって「オーフス方式」と呼
ばれ、世界各国に広がり始めています。
 彼女の場合は、常時、5人のヘルパーを雇っています。2人はフルタイム(週
37時間)でウィークデイの昼と夜に分かれて交代で働きます。残る3人はパート
タイムで、3週間に1回ずつの週末と特別の呼び出しのあったときにやってきます。
将来、医師、看護婦、市町村ヘルパーになろうとしている人々で、入学試験や採用
の時、ヘルパーの経験が評価されるのです。
 彼女はヘルパーの仕事のスケジュール表を作り、作業記録にサインし、書類を市
に送ります。雇うのも辞めさせるのも彼女です。
 マリーのヘルパーは朝の7時半、出勤してきます。ベッドから電動車椅子に移し、
風呂場へ。シャワーで体を清め、それから、今日着たい服を着せます。2人分の朝
食を作り、朝食をとりながら一日の予定を話し合います。
 朝食後、マリーはごくわずかに動く手で手紙を書いたり、ヘルパーの助けで書類
を整理したりします。買い物に行くのも、コンサートを楽しむのも、友達と会うの
もヘルパーと一緒です。市町村から派遣されるヘルパーとは違い、彼女が自分で選
んだ人々ですから趣味があい、一緒に楽しめるのです。写真Aは友人となじみのレ
ストランにでかけたところです。(中略)

写真A

呼吸器の管をスカーフで隠しておしゃれ

 デンマーク第二の都市オーフスであったクラウス・バックはマリーより重症でし
た。人工呼吸器(写真C)のギーパタンという音が絶えず響いています。
 でも、初めのうち、私は、人工呼吸器に全く気づきませんでした。写真Dでおわ
かりのように管がしゃれたスカーフで覆われていたこと、それに、朗らかに声を出
して話すからです。
 彼は6歳のとき進行性筋ジストロフィーと診断されました。10歳から車椅子生
活。高等学校に通っている間は手が使えたのですが18歳のころから全面的な介助
が必要な身に。母が週40時間の家族ヘルパーを志願し、ヘルパーとしての報酬を
市からもらいながら彼の面倒をみる生活が続きました。けれど22歳で独立をし、
現在は24時間体制で5人のヘルパーを雇用しています。「親では首が切れないし、
ロックコンサートに一緒にいってもつまらないし…」と、彼は笑いました。

写真C          写真D

 こんなに重症なのに電動車椅子ホッケークラブの会長をつとめています。写真E
は限られた命の悲壮感のかけらもみせないクラウス。少しでも自分で自分のことが
できるように、カップの下におそろいのカップ台があるのにご注目ください。
 彼は、筋ジストロフィー協会主催の路上劇場のために書いた出し物「タイヤの王
子様」の筋を話してくれました。
 それは次回に。


REV: 20151221
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