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「自由を奪う病とその治療」

臺弘 19920715 『精神医学』34-7:777-784

臺 弘  19920715 「自由を奪う病とその治療」,『精神医学』34-7:777-784(全文)

□この論文の由来
 神科医療に長く携わってきた者は,特に分裂病の長期転帰を追い続けてきた者は,自分の目指している目標は何なのか,またその間に行われるいろいろな治療法はどこに集約,あるいは統合されるのかを問わないではいられない。いろいろな治療がなぜ必要になるのか,そのことはどのような意味を持つのか,どうして様々の協力者との共同作業が必要になるのか,そしてそのような努力の求められる病気とは,またそれを持つ人たちとはどのような相手なのか,これらの問題が頭から離れない。精神医学の諸分野の研究はそれぞれに目覚ましいが,そして我が国では「××の立場から」という発言は少なくないが,各分野を連ねるための考察は不思議なほどに少ない。精神障害の理解と治療には,生物的−心理的−社会的−人間学的なアプローチが必要であることが常識のように説かれていても,「−」で繋げることの意味が論じられたことはまれである。筆者はこれまで「精神病理と生物学」15),「精神分裂病の生物学的研究と精神病理」16),「三つの治療法」17)という論文をいて,諸分野の統合に含まれている意味について論じた。そして「精神病は不自由病である」というテーゼが問題を連結する鍵概念になると述べた。しかし自由概念は多義的で政治−社会的意味が強く,土居のいうように日常語でもある。そこで精神医学にかかわる自由問題をあらためて論ずる意味があるのではないかと考えてこの論文を書いた。
 分裂病長期転帰の代表的な研究の1つであるローザンヌ・スタディに携わったCiompi,L. はその統合を企てて,「感情論理」affect logicという統合理念を説いている2,3)。そこには拙著「分裂病の治療覚書」17)内の所論に通ずる指摘が少なくない。転起を長期に渡って調べようとすると,どうも筆者と同じように統合的な理論がほしくなるものらしい。Brenner, HD1), Ciompi, L らのベルリンの人たちは"The Role of Mediating Processesin Understanding and Treating Schizophrenia"1987というシンポジウムの中で,連関過程とシステム・アプローチを主要なテーマにしている。アメリカのStrauss, JS11)が提唱している「新力動的精神医学」なるものも似たような発想の上にある。我が国に限らず精神医学ではダイナミックな考え方というと精神病理にお株を奪われた観があるが,元来これは科学史の上では生物学に由来する思潮であることを思い返したい。
 力動的思潮には発動の主体の概念や選択の自意,意志の自由と決定論などの問題がいろいろな意味合いで含まれてくる。しかし初めからそれに入り込むことは観念的論議に堕するおそれが大きいから,本論ではまず個人的な現場の経験から出発することにしたい。<0777<

□「収容所」の不自由と「生活療法」の不自由
 筆者にとって「自由を失う病」という問題は,今から半世紀前に,松沢病院で慢性病棟の担当医として80人の古い分裂病患者に囲まれた時の途方に暮れた体験から発している。
 これは前にも書いたことがあるが,当時の私はこの人たちに何もしてあげることができず,彼女たちがただ病気であるという理由から自由を奪われた惨めな生活を余儀なくされていることに,耐え難い思いを抱いたものである。当時は戦争前のまことに不条理な時代であったから,若い私は思想の自由のない社会に対する憤懣から,そのような自分を患者に投影して,この病気と取り組むことで,ようやく生きる意味を見い出すことができたものであった。以来すでにに半世紀が流れたけれども,我が国の精神病院ではいまだに半分も開放看護が実現していない。これはイギリスなどと比べて,まことに嘆かわしい状態である。
 竹村堅次は「日本・収容所列島の60年」正・続12)という2冊の本を著したが,彼が烏山病院の経営に献身した院長であっただけに,この本は痛烈な告発の書になっている。私にはこの題名は,呉秀三先生の「この邦に生れたるの不幸」7)という言葉と並んで,日本の精神科医の忘れてはならない言葉であるように思われる。
 法律で自由の制限(行動制限)の認められている唯一の病気は精神病であって,社会にも医療にも患者に不自由を強いること許されている。患者の人権尊重と社会復帰を掲げたこのたびの精神保健法で,患者の待遇がどれだけ変わったろうか。医学モデルと法律モデルの妥協案だけでは事態はほとんど変わらないことを我々当事者は知っている。それは保健法に福祉モデルが欠けているためか,精神障害者福祉法がないことが1つの理由である。そして何よりも精神保健に携わる精神科医療者たちの現状維持の保守的姿勢に責任があると,私は思っている。というと私が医療者たちの「社会的な意味での自由」の認識不足を責めていると思われそうだが,それだけではない。Zutt, J が「自由の喪失と自由の剥奪」22)という本で述べているように<隔離の圧力に屈した人々が…抵抗を止め,もはや全く自由を手に入れようとしないこと,つまり「自由の放棄」は…環境の失社会化作用によって出来上がったもの>とか,あるいは/また伝統的な精神医学が「意欲の欠如」「エネルギー・ポテンシャルの喪失」などとしている理解の仕方とかで事態が決着するとは考えていない。ことはそれほどに単純な一元論あるいは二元論で片づく問題ではない。
 このような状況の中にあっても,医療と福祉の連携を20年にわたって見事に果たしてききた先訓があることに,私は心を打たれる。例えば山形の「みやま荘」8,21)や岡山の「浦安荘」の活動がそれである。山形と岡山の両県の精神病院入院者の平均在院期間が全国で最も少ない県であることは,この地域格差を望ましい方向に向けようとしている方々の努力なしには考えられない。このような方々が日本の各地においでになるかぎり,我々は日本の精神保健の将来に希望と自信を失うことはないであろう。
 率直に私見を述べさせていただくならば,人々が閉鎖看護をやむをえないこととしているのは治療側の無力の現れである。物理的な開放よりも心理的な開放こそが重要である,などというのは体裁の良い逃げ口上にほかならない。処遇困難患者の問題は看護困難体制を合理的に整備することによって,その実態が初めて明らかにされるはずである。閉鎖看護にまつわる治療側の心の傷は深く,私は今も閉鎖病棟の扉の鍵を心の痛みなしにかけることはできない。現在,診療所の勤務医として働いているのも,できるだけ入院させないで診療することにささやかな励みを抱いているからである。
 このように精神障害者が社会的に不自由を強いられている状況は,ここであらためて述べるまでもないが,それに加えて,分裂病者が心理的な意味でも生物学的な意味でも,「選択の自由」に故障のある不自由な存在であることを,我々は遺憾な<778<がら承認しなければならない。言い換えれば,彼ら,彼女らは「自由を失う病気」(下線筆者)に悩んでいるのである。このことを私が学んだのは,逆説のように聞こえるかもしれないが,自由をもたらすつもりで始められた生活指導と作業療法の経験に基づいている。これが我が国で後に生活療法といわれるものになったことは周知のことであるし,私自身もそれに積極的に参加してその意味と価値を会得したつもりである。しかしそれだけでは自田は十分に回復されないという限界もまた悟らざるをえなかった。Zuttもいう「これはほかならぬ社会復帰に専念している医師たちの経験するところである」22)と。
 生活療法の初めの頃には私たちは楽観的であった。戦争が終わってから松沢病院では病院体制も民主化されてきて,医者と看護婦と作業員が一緒になって,患者の生活を人間的に立て直そうという努力が行われるようになり,それは開放看護と結びついていった。生活療法と開放看護はまことに民主主義の子どもである。よく知られているようにこの方面の活動は松沢だけでなく,全国各地の病院で行われるようになった。昭和30年代は我が国の社会に大きな変動をもたらした重要な時期であるが,それは精神科医療にとっても画期的な時期であった。というと多くの方はまず薬物療法の導入を考えられるであろうが,精神療法や生活療法もこの同じ時期に私たちの中に入ってきたのである。指導的な役割を演じた友人には,松沢病院の江副勉や肥前療養所の伊藤正雄などの名前が挙げられる。この人たちの線の上に山形県での内ケ崎順平や山田俊治たちの活動も位置づけられる。
 ところがそれらの活動は我が国では順調に発展しなかった。それはなぜだったであろうか。読者の中には昭和40年代後半からの生活療法批判,反精神医学運動を記憶されている方もおられよう。筆者にいわせれば,それは患者のためという旗印を掲げながら,結果的には皮肉にも現状維持の保守派に融合して入院体制の擁護に転じ,10年にわたって我が国の精神障害者の開放,社会復帰を遅らせる事態をもたらした。「みやま荘」の活動がこの時期を通じて続けられたことは,それだけにいっそう貴重である8)。当時批判された生活療法なるものが画一化に流れ,訓練至上主義の弊害があったことは否定できない。
 しかし困難の中でも少なからぬ同志たちは,生活療法を自分なりに現場で実践して,傍観者流の誹謗にくじけることがなかった。その人たちに励まされて書かれた「生活療法の復権」18)という筆者の論文は当時の状況を明らかにしている。そこにも述べたように,我々が生活療法の正しい道を十分に守れなかった理由には,大きく言って3の状況があった。それは今もなお続いている。
 1つは我が国の精神病院体制が保険と生保で一応民主的な体裁を整えながら,基本的には市場経済の上に置かれていること,はっきり言えば患者が商品化されていることである。宇都宮病院のような病院が成り立つことや入院患者を積極的に減らせぼ経営が破綻することが,端的にそれを物語っている。2つには,法律や行政に精神障害者のリハビリと福祉の精神が欠けていることである。それらは志のある人々の奉仕の上でしか成り立つことができない。これについて論ずることは本論文の主題から離れるので,述べるのをさし控えたい。さて3つは,前2点のような外部条件ではなく内部要件であって,生活療法がもともと,分裂病に対して,不十分な効果しか発揮できなかったことである。
 生活療法とは,ごく簡単に言えば,経験の蓄積と活用に頼り,それを拡大しようとする治療である。これを生活の場で,相談・指導・訓練を通じて行おうとする治療者が直面する困難は実に多面的であるが,筆者が特に取り上げたいと思うのは,いったん修得した習慣経験を現実の社会生活の中で生かすことが難しいという点である。そんな当たり前のことを何であらためて持ち出すのかと言われるだろうが,自由を広げるつもりで不自由に突き当たったのが,まさにこの種の経験であったのである。例えば,病院で作業療法をうまくやれるようになった患者でも,病室の生活態度は改善<0779<するとは限らないし,遊びに活発な入院患者が退院して自立できることはむしろ少ない。自活生活の訓練をしてアパート退院できた諸君も,馴染みの治療者や仲間のいる親病院や施設から離れた所ではなかなか暮らせない。就労を果たした回復者が転々と職を変えるのは障害者職業カウンセラーの悩みの種である。そして失職するとまた振出しに戻ってやり直しとなる。
 患者,回復者諸君は,習ったことを手順を変えずに同じ場所で続けている間は結構うまく過ごせるのに,違ったことに取りつくと,手順を変えただけでも,まして違った場所では,途端に調子が狂ってしまう。これは「変化に弱い」とか「融通が利かない」とか「落とし穴現象」とか呼ばれて,広く知られている行動上の弱点である。筆者をはじめ生舌療法に携わっている治療者やリハビリ活動の協力者たちはこのような特徴を「生活のしづらさ」「暮し下手」などの1つと数えて,当人の「生活障害」の現れとみなしており,そしてそれは病気による「機能障害」つまり「脳の機能の故障」によって自由性が損なわれることに関連すると考えていた。現場では当人の決定機能に問題があるとしか思われなかった。ところがこのような見方は,社会適応中心の姿勢に基づく人間蔑視観であり,患者の主体性や対人関係を無視した技術至上主義であり,世間の常識に屈した専門職の通弊であって,本質は反治療的な態度であると謗られた時期があった。こうした精神主義からの生活療法批判は,我が国の治療者たちに今なお少なからず影響を残しているので,次に問題を「自由」の「生物学的意味」に絞って考えてみることにしたい。

□生物学的自由論
 18世紀の後半から19世紀前半のドイツ・ロマン派観念論とはどのようなものであったか,哲学史にうとい筆者には理解が乏しい。数年前,筆者が「精神病は不自由病である」というテーゼを碩学の先輩西丸四方に話したところ,それはとうの昔にハインロート(Heinroth, JCA)が言っていることだと教えられた。ロマン派思潮のもとに書かれた彼の著「心的生活の障害およびその治療についての書」(1818)は「狂気の学理」の邦題のもとに西丸によって近年翻訳4) (1990)された。そこでは,罪によって理性を失った精神が全くの自由欠安如,持続的な自由喪失を来したのが心の病であるとされていて,心情病,知性病,意志病に分類されている。私の不自由論は,こうした観念論とは関係なく,行動科学的な研究と日常の臨床経験から生まれたものであるから,混同しないように願いたい。
 ところで興味深いことには,ドイツ・ロマン派の時代はフランス革命と並ぶ時代で,啓蒙思想や機械論的世界観・人間観もすでに根を下ろしており,機械論−生気論(目的論),還元論−全体論,唯物論−観念論などの対立があらわになってきた時代でもあった。生物学に革命的な意味を持つダーウィンの「種の起源」は1859年に出版されている。進化論は自然的存在としての人間の本質をどのように理解するかの問題に深くかかわっているから,それを特に「人間的自由」の視点を通じて考察してきた進化学者の八杉龍一の所論は,本論の課題にとって貴重である。彼の優れた解説書20)「ダーウィンを読む」に沿って少し長く引用すると,彼は人間を「選択の自由を持つ動物」とする見解に同意して,次のように言う。<ところで「選択の自由」は選択する主体が存在しなければ成り立たない。その主体は――人間であるにしろ他のものにしろ――1個の全体でなくてはならないであろう。個人はそのような主体的行動の可能な全体である><この意味での全体は,ばらば・目物の寄せ集めではなく,自律的なシステムとして構成されたものでなければならない><それに応じた決定機構の存在(決定性)と自由は相関的である。両者が相関しつつ発展することによって,進化が起こる><主要な決定機構は脳の発達と複雑化によって生じ><経験の蓄積と活用が動物界における発展の軸となっている>と。この文章には,主体−環境,全体−部分,自律−他律(下線筆者)というような生物子的思想にとっての基本的な対立概念が記されている。これは経験の蓄積と活用という生活療<0780<法の理念とかかわる問題でもあることに注目したい。
 話を半世紀前に遡ると,行動生物学の開拓者,v. Uexkull,J(ユクスキュル)の著書「生物から見た世界」(邦訳題名)13)は,西丸四方と島崎敏樹の兄弟に深い影響を与えた好著で,2人に勧められて読んだ私にも動物の行動に目が開かれる端緒となった楽しい本である。しかし上述の対立概念のうち下線の側面に両君の関心が傾いていたのに対して,私はその反対の側面に実験的関心を抱いていた。彼らと私との間にはロマン派と現実派の対立があった。自然誌から発してエソロジー(習性学)として知られるようになった行動生物学がLorenz, K(ローyンツ), Tinbergen, N(ティンバーゲン)らによって築かれたことはよく知られているが,これは我々の自由論とも関係が深い。蝶や鳥が飛んでいるのを見て,彼らの自由を羨ましく思った人は,詩人でなくても昔からたくさんいたことだろう。しかし行動学者たちは,はた目からは自由に見えるそれらの行動がどのような内的幾構や外的(環境世界)制約に縛られた過程であるかを明らかにしていった。ただし彼らは生物学研究の対象として主体を非常にまじめに受け取るべきであることを強調した人たちでもあって,一辺倒の還元論・機械論者ではなかった。初期の行動学者であるPortmam, A(ポルトマン)が人間を「選択の自由を持つ動物」と呼んだ時,彼は人間の自由を「環境世界」に縛られていない「世界への開放性」を意味するものとしていた。
 精神科医で行動研究者でもあるPloog, D(プローク)9)は,Jackson,H(ジャクソン)の進化(evolution)と解体(dissolution)の古典的な学説を,現代の行動生物学と神経科学の知識の上に蘇らせた人である。多くの行為の自由な組み合わせは大脳の機構化によって支えられて自由性を増大させ,カを高め,逆に解体は常に「変換可能性」や行動自由性の喪失および強制化の増大と結びついていることを実験的に示した。この意味では「自由」は行動の選択に当たって許されるオプションの幅や程度を現しているdimensionalな概念にほかならない。自由の幅は動物から人間に至って大きく拡大して,意志の自由や思考の自由といえる抽象の働きにまで広がったが,昔からのロマン派と現実派の対立はなお続いて今や神経科学の次元で争われている。自由はどのようなスケールで測られるだろうか。分裂病のエネルギー・レべルの低下論は根拠が薄弱で,情報量減少をエントロピーで表すほうが実際的ではある。我々が拡大しようとしている自由は正にこのような制約の下に成り立っものであることを,さらに制約を知ることが自由を保証することを銘記していなければならない。
 行動生物学のもう1つ別の実験系列に属するパブロフの刺激−行動モデルやスキナーの学習理論S−O−Rモデルによれば,人を含めて動物は,刺激に条件づけられた行動はー般にその刺激に定位し反応するようになるだけでなく,他の似たような刺激にも反応する融通性があり,それを学習である程度まで広げることのできる自由度を持っている。これは般化(ー般化)と呼ばれる現象で,パプロフのいう反応の易動性の現れの1つである。
 般化に障害があると,反応の消去は起こりにくく行動は固定化して,他のやり方への転換が困難になる。学習理論でオぺラント行動といわれるものでは,報酬と罰の動因との関連や新奇刺激に対する探索行動が起動となり,ここには主体(O)の自由度を語ることができるようになる。それは系統進化につれて拡大する機能である。もっともアメリカの行動主義者たちは長く「主体」を禁句として回避していて,発動条件の設定のほうに研究の主力が置かれていた。このパラダイムから開放されるには,1950年代以後の情報理論や神経諸科学の発展が必要であらて,それから1970年代以降の認知心理学が開花したのである。
 生活療法の実践から行動科学に近づいた筆者14)は,生理学者の平尾武久5)と組んで自己流に「生態学的」あるいは「動静法」と呼んでいた方法で人や動物の「自由行動」を研究しょうとした。それはマウスの「回廊法」による動静計測から,学生や守衛や患者の様々の場面における「座席」の<0781<選択と分布の報告に及ぶ。座席の選択の自由が現す多様性と不自由性は個体の行動特性を現すものでもあった。これらの研究は分裂病者の「自閉性」行動異常を計測可能なものとした。浜田晋による分裂病者の珠遊びの研究は,筆者らの「動静法」を珠の「投げと受け」における対人交渉の解析に向かわせ,それは「珠と人」19)という映画の共同制作となって結実した。これらの研究と並行して進められていた慢性覚醒剤中毒動物の行動特性が「機能の固定と転換障害」を現すことによって,「モデル精神病」としての意味を持つことについては次節に詳述したい。
 行動の自由を論ずる時には,個体行動の発達に,特に子どもの「遊び」についての知識を省くことはできない。これについては発達心理学者や児童精神科医に学ぶところが多い。発生的認識論のPiaget,J は自由論のような多義的な問題についてはさすがに言及していないようであるが,実践の遊び,象徴の遊び,ルールの遊びへと発展をたどる過程で,遊びの基準の1つとして「自発性」を挙げている10)。それは思想研究の自由にまで繁がる。患者の行動や思考に「遊ぴ」が乏しいことの意味は深い。

□不自由病の治療
 話を再び生活療法に戻すと,生活療法は八杉が行動進化の「発展の条件」と呼んだ「経験の蓄積と活用」に基づいている。それはおよそ3つの過程から成る学習の基礎の上に立っている。1)は順序を追って複雑にした反復訓練, 2)は場面を変えて行う役割稽古,ロールプレイといわれるやり方,3)は見よう見まねの社会学習であって,これらを通じて生活の仕方を学んでいくものである。自分の行動パターンを認識するという点では,認知行動療法と呼んでもよい。近頃,各地で行われるようになったSST,生活技能訓練というのは,生活療法のー種で,技術面をアメリカ版のマニュアルに頼っている。教えられたマニュアル通りにやることは結構うまくなっても,覚えたやり方を違った場面に応用して融通を利かせることは別の問題で,それには一段と高い活用機能が要求されるのである。患者・回復者はここでつまずきやすい。SSTで,現場の課題に即した宿題をやらることを重視しているのも,行動の般化をねらうためである。
 山田俊治は「みやま荘」の荘生諸氏の思考過程の特徴は,思考回路の固定にあるという21)。それは多くの分裂病患者や回復者が,発病にからんだ過去の物語を生涯にわたって反芻する人生を送っていることに注目して,ここに分裂病の本質がみられるのではないかと考えるのである。ここではエピソード記憶の読み出しに自由が失われている。精神病理の現象論では,分裂病者の主体性の喪失,例えば「させられ体験」や幻覚妄想体験が重視されてきた。機能論の上では,コンラートがゲシュタルト的な関連系の転換の喪失を指摘していることは広く知られている。筆者がチャンネル仮説を唱えて,妄想チャンネルから現実チャンネルへの転換が故障していると言ったのも,自由の失われ方を機能的に説明するための比喩的な表現であった。
 前に述べたように,生活療法の限界は訓練や教育で覚えたことが般化しにくい点にあるが,それは前の反応を消去して,高次の反応を活用することの故障である。しかし考えてみれば,そんな故障は患者に限ったことではなく,健康を自認している我々でも,時と場合によっては似たようなことをするではないかと言われよう。全くその通りで,人間はもともと不自由な存在であることに気がつく時に,患者と健康者は断絶した別々の存在ではなく,ともに一連の程度の差がある仲間同士であることに気づく。「いや,我々の意志の自由には限りがない,最後は自分で死ぬことができるのは自分だけだ」と言う人がいるかもしれない。しし自殺は生きる自由の放棄と引き換えにしか得られないことを忘れてはならない。生活療法は,もともと治療者も患者自身も自分には自由にならい弱点があることを受け入れた上で,自分の自由にこなせるやり方を見つけようとすること,治療者はそこでのオプションを増やす工夫を助ける<0782<人である。村田信男が,リハビリテーションは障害の相互受容から始まると言ったのは,正にこの意味であろうか。不自由の枠の中で自由を広げる方法が生活療法なのである。
 不自由の中で自由を広げることの意味を深めるには,アルコール中毒,アルコール依存者から学ぶことが少なくない。彼らはアルコールを飲む自由に溺れているために,アルコールを止める自由を失ったという意味でやはり病人である。久里浜病院の患者会の誓いの言葉には,次のようなことが書いてあるそうである6)。「自分のカで変えることのできないものをできないものとして受け入れる心のゆとりを持とう,自分のカで変えられるものを変えていく勇気を持とう,そして自分で変えられるものと変えられないものを区別する知恵を持とう」と。この文句は,河野裕明院長にうかがうと,AAの誓いの言葉が基になっているそうであるが,「心のゆとりとしての障害の受容」と「勇気,つまりは行動への意欲」と「知恵または認知能力」は分裂病者の治療にも必要なポイントである。分裂病者に対して,自発的に薬を飲むこと,それに自分で責任を持つことを約束させるのは,一患者が治療を与えられる受動的な存在だけではなく,治療に能動的に参加することの第一歩で,精神療法の始まりといえる。自分の障害の在り方を理解して,それを乗り越えるか回避するやり方を工夫し,障害に挑戦して新しい生活を開拓するや)方は,認知・行動療法ともいえるが,そうなれば生活療法はもう精神療法につながってくる。
 私の理解する精神療法とは,その最も広い意味においては,治療者が患者や相談者に対して,その感じ方,考え方,行い方の可能性を広げるように助けることである。両者が話の枠組みつまり関連系を揃えて分かり合おうとすると,それまで気づかれなかった道が開けてくる。それは不安な心に安らぎをもたらし,乱れた考えにまとまりを与え,行き詰まりを切り開く働きを促す。様々な形の精神療法であろうと,一般の精神療法的含みをもった面接であろうと,家族や集団の場であろうと,対人関係の中で,言葉とイマジネーションや空想を通して自由を拡大しようとしているのである。
 3番目に薬物療法について述べよう。今から30年前に,筆者が動物で分裂病モデルを作ろうとした時,相手にしてくれる人はほとんどいなかった。人間の特徴である精神の異常を生物一般に広げるなど途方もないことだと思われたようである。しかし私がモデルに選んだ覚醒剤中毒の動物は,独特の異常行動パターンに固着していて,他のパターンに転換できない状態になっていたのである。それは急性大量投与の時も,少量慢性投与の時にも形を変えながら通ずることであった。それは覚醒剤中毒患者には相同的な異常であり,分裂病者には相似する現象であった。現在の知見では,これらには行動パターンの固着,転換や切り替えの機能障害が中心であったからには,動物にも分裂病のモデルが成り立つのは当然であったのである。我々が日常的に使っている抗精神病薬は,不十分なりとはいえ,この機能回路の固定を解消する作用を持っているのである。筆者が,薬物療法は脳の働きの不自由を減らすものであると言っているのはこのような理由による。

□おわりに
 おわりに当たって話を繰り返すと,分裂病の治療には生活療法と精神療法と薬物療法の3つの違った方法が必要である。そこでは分裂病を「自由を失う病」であると考える時に,それぞれの治療の役割が明らかになり,同時にまた協力の必要なことも分かってくる。ー言でいうと,精神療法は自由を伸ばすもの,薬物療法は不自由を減らすもの,そして生活療法は不自由の下にできるだけの自由を実現するものである。すべては生物レべルから社会レべルにわたって,不自由状況から分裂病者の自由を回復するためにある。ただしここで「自由」とは,生物学的な行動・思考の選択の程度を意味していて,単なる希望的な表象ではないことに注意してほしい。我々の現在の治療はどれもまだ不完全である。それぞれのいっそうの発展がまれるとともに,3つの治療の統合はいつまでも必要とされるであろう。<0783<

 この論文は, 1992年2月1日山形県精神科医の会でなされた講演に加筆して作られたものである。山形大学の十束支朗教授と山形県精神保健センター山田俊治所長に厚く感謝したい。

文献

1) Brenner HD : The treatment of basic psychologiaI dysfunction from a systemic point of view. Br J Psychiatry 155 (Suppl 5): 74, 1989
2) Ciompi L : The dynamics of complex biological-psychosocial systems : Four fundamental psycho-biological mediators in the long-term evolution of schizophrenia. Br J Psychiatry 155 (Suppl 5) :15, 1989
3) Ciompi L : Affect as central organizing and inte-grating factors : A new psychological/biological model of the psyche. Br J Psychiatry 159 : 97,1991
4) Heinroth JCA (西丸四方訳) :狂気の学理。原著1818,中央洋書出版, 1990
5) 平尾武久:行動の実験医学的分析。綜合臨牀22 : 1,468, 1973
6) くりはまの会:創立20周年記念文集。久里浜病院,p8, 1989
7) 呉秀三,樫田五郎:精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察1918.創造出版,1973
8) みやま荘: 20年のあゆみ,山田俊治の回想,山形県救護施設みやま荘,1990
9) Ploog D著(保崎秀夫,他訳), Huber G編:精神分裂病と躁うつ病1969,内因性精神病の発生に関する行動生物学的仮説,医学書院,pp23-34, 1974
10) Piaget J(大伴茂訳) :遊びの心理学.黎明書房,1967
11) Strauss JB : Mediating process in schizophrenia : Towards a new dynamic psychiatry・Br J Psychiatry 155 (Suppl5) : 22, 1989
12) 竹村堅次:日本・収容所列島の60年.近代文芸,正1988,続1991
13) Uexkull von J(日高敏隆,他訳) :生物から見た世界.思索社,1973
14) 臺弘:精神医学の思想.筑摩書房, 1972
15) 臺弘:精神病理と生物学.土居健郎編;分裂病の精神病理16,東京大学出版会,p7, 1987
16) 臺弘:精神分裂病の生物学的研究と精神病理.町山幸輝編:精神分裂病はどこまでわかったか.星和書店,p242, 1991
17) 臺弘:三つの治療法.臺弘著;分裂病の治療覚書,創造出版, p242, 1991
18) 臺弘:生活療法の復権.臺弘著;分裂病の治療覚書,創造出版, p135, 1991
19) 臺弘,平尾武久,浜田普:「珠と人」,ピデオ,エーザイ.
20) 八杉龍一:ダーウィンを読む.岩波セミナープックス28, 1989
21) 山田俊治:セミロングターム・ハーフウェイホステルにおける長期慢性分裂病者のリハビリテーション.岡上和雄編;精神科Mook 22 : 149, 1988
22) Zutt J(山本巖夫,他訳) :自由の夷失と自由の剥奪.原著1970,訳岩崎出版1974

■言及

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.


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臺 弘  ◇生活療法  ◇全文掲載 
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