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『極私的エロス・恋歌1974』

1974年/98分/16ミリ 監督・撮影:原一男

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last update: 20160328


■『極私的エロス・恋歌1974』
1974年/98分/16ミリ 監督・撮影:原一男 疾走プロダクション
製作:小林佐智子 録音:久保田幸雄 編集:鍋島惇 音楽:加藤登紀子

原監督が、かつて一緒に暮らした女性を追って、本土「復帰」(1972年)の沖縄・コザへ向かう第2作。米兵、妊娠、衝突、それでも回し続けるカメラ。ドキュメンタリーの最果てへ、時代と魂を揺さぶった幻の映画。「極私」を突き詰めたゆえに、在日米軍基地と女性、ウーマンリブ運動といった時代の断面が切り取られた逆説。トノンレバン国際独立映画祭グランプリ受賞。

■原一男監督による言及

◆『現代の眼』1974年12月号 pp.116〜123
 (特集:危機の現代と想像力の解体/大衆の現実と想像力)
「極私的エロス」のなかで/原一男

(中略)だが沖縄と聞いた時、俺は焦った。遠すぎる。女との三年間の生活のディティールが残像として蘇ってくる。まだ、惚れていたのだ。
 “原君、私、沖縄行くよ。一緒に来ないか。私、沖縄で色々やるから、私の映画撮らないか。私のやることは、私の肉体が一番よく覚えているし、確かだと思っているけど、なお映画に撮られて、記録していってもらいたいんだなあ。”
 女が、こう言った時、私は女の話に乗った。これで、女とのつながりができる。女の映画を撮るという大義名分に、私はすがった。(中略)女との生活パターンをそのまま映画の方法として設定すること。

◆『映画評論』31(7) 1974年7月号 pp.117〜118
『極私的エロス・恋歌1974』について/原一男

前作『さようならCP』において、私は、CPの肉体を借りて、肉体それ自身を徹底的に凝視したいと企てた。
CP(障害者)/健全者という関係の共通項が、身体の階級性にあり、私自身の〈関係の変革〉というテーマをベースにして、被写体=演じる者を、撮る側が、どこまで、見ることに耐えられるか、を賭けてみたかった。
 見る存在としてのカメラ=映画に。
 CPの肉体をドンドン晒していくことで、肉体を呪縛している制度が、露呈されていったけれど、その最大の障壁が、彼ら自身の家庭だった。(中略)「あなたは家庭をこわしてまでこういう運動を何故……、じゃあね、うかがいますけどね、今迄黙っていましたよ、原さんの家族はどうなんです」
 ”そうだ、俺の家はドウナンダロ?”
 奥さん、あなたへの解答は、今度は、ボク自身が演じて見せますよ。
凝視するカメラ自体を、凝視しつつ、演じられないか。(中略)
さて二作目『極私的エロス・恋歌1974』も、『CP』に続いて、肉体を獲得し、解き放っていくプロセスだが、私の肉体はどうなっていったか。(中略)
 イッタイ、オレハ、ドウシタノダロウ。
 イッタイ、オレハ、ドウスレバイイノダロウカ。(1974年5月11日)
◇pp.119〜p.147は同映画のシナリオ
1 美由紀と原の過去
2 タイトル「極私的エロス・恋歌1974」
3 沖縄への旅立ち
4 スーパー「1972年のオキナワ」
5 美由紀とすが子のけんか
6 出て行ったすが子
7 原への語り
8 沖縄の少女チチ
9 手紙
10 黒人兵ポールとの生活
11 原との確執
12 原への批判を小林に語る
13 翌朝、一人産みの決意を語る
14 混血児ケニー
15 美由紀の顔
16 ケーリーかけつけてくる
17 バー・ギンザ
18 チンポコの話
19 久し振りにすが子を訪ねる
20 小林から妊娠したことをきく
21 混血児ケニー捜し
22 母と子
23 沖縄の女へ、想いをこめてビラを配る
24 沖縄を立つ
25 スーパー「1973年 東京」
26 混血児遊をひとりで産み切る
27 すが子との再会
28 女たち、小林の赤ン坊をとり出す
29 スーパー「1974年」
30 東京こむうぬ
31 キャバレーで踊る美由紀

■批評など

◆『映画評論』31(4) 1974年4月号 pp.52〜53
佐藤重臣「現われ出たニューシネマ群団――原一男監督「さようならCP」(作品研究)」

原一男は『極私的エロス・恋の唄』を4月には完成するといっている。こんなに苦労してまで映画を作ろうとする努力に、ただ頭がさがるが、このニューシネマの作家たちが、当世ハヤリのポルノなどに見向きもしないのは、自分たちの生活の場で、ポルノのくだらなさをじっくり知ってしまったからだろう。

◆『映画評論』31(7) 1974年7月号 pp.61〜63
金井勝「血の色したマシンガン・リブ〈極私的エロス・恋歌1974〉」

原一男の映画はどうしてこんなに凄まじいのであろうか?(中略)前作《ーCP》をふんまえて、原自身、そして彼の一番身近な人達の凡てを白日のもとにさらけ出して、“視ろ!!”と家庭帝国主義のこの状況に挑んだのであろう。(中略)
美由紀とその一派のリブ王国・東京こむうぬは子を産むコミューンだそうだ。(中略)あの啖呵の機関銃女とは思えない、それ程のやさしさを辺り一面に漂わせているのだった。“ペラペラ、ピカピカした偽物はごめんだ。血の色したシネマが欲しいんだ”ジョナスはそう叫んだ。正にこの作品も血の色した強烈なる詩だ。

◆『映画評論』31(7) 1974年7月号 pp.64〜66
佐藤重臣「すさまじい宗教画の陽光『極私的エロス・恋歌1974』」

日本映画で、こんな噴きあげるような烽火をみせた映画はいつ以来のことだろう。(中略)
 私がこの映画で無類に感動したのは、この無器道なくらいのこの母親が子供をお風呂に入れてやるところである。もう、その素晴らしさというのは、どんな宗教画も敵わない位の美しさである。(中略)あの男に従属することを拒否し、家を完全に無視してしまっているこの女が、子供を洗ってやる時にマリアになるのだ。(中略)
この映画は何にしろ美由紀の少しも、ひるまないリブ精神に押しまくられる。全くもって原一男は勝目がないほどに、ジュウリンされる。始めは「私映画」のドキュメンタリであったものが、コザへの訪問を重ねてゆくうちに、ドキュメンタリから離脱してくる。これも新しい映画方法である。(中略)これはまぎれもない今年のベストワンの折紙がつけられる映画である。

◆『新日本文学』29(8) 1974年8月号 新日本文学会編
塩見鮮一郎(1938年生まれ、作家)「近代への肉体の反逆――『極私的エロス・恋歌1974』」

女たちとの対立する会話と石をぶつけられるカメラとして、だれよりも生臭い存在となり、彼と武田美由紀との関わりを追求することに成功していて、これまでの映画のカメラをただの機能のうちに閉じ込め、それを無視して画面を観るという約束事から自由になっているのである。そして、この方法によって、作者は、たえずプライバシーという禁忌にひっそりと身をかくす日常の亀裂を、現実信仰に足をとられることなく、主観的に再構築し、またつきくずしてみせる。
 だから映画はまた、女の生きざまを追求するきわめて個性的な武田美由紀と映画気違いの原一男との闘い、論争の劇である。(中略)度し難い佐藤重臣の批評は、「現代のようにコインボックスに子供を捨てたがる母親全部に、このシーンを見せてやりたい」と恥知らずにつづくのであるが、この言葉への腹立たしさはともかくとして、ぼくには、原一男がいまだ武田美由紀の先の批判の射程内にいること、彼女の生きざまを、彼女をつき動かしているものの最深部で理解することもなくいるのではないかと思わずにいられない。

◆『指』276(1974-09) 「指」発行委員会
野口勇「極私的エロス・恋歌1974」

■武田美由紀の対談・文章

◆『別冊経済評論』9(1972-05)pp.169〜176
武田美由紀「私生児の場所」(若者の生活革命――新しい生活の創造)

◆『映画評論』31(8) 1974年8月号 pp.45〜50
「ひきずってるのか断ち切ったのか?――極私的エロス・恋歌1974」
対談:武田美由紀×斉藤正治(映画評論家)

斉藤:映画のなかのあなたは、非常にロジックにモノをいうね。
美由紀:そんなことないよ。ただ、ぶったぎるだけだよ。
斉藤:すごく打算的にいえばあの映画、ぼくらに書かれることで、売れると思わないかね。
美由紀:関係ないよ。売れてもビクともしないよ。
斉藤:原君の『さようならCP』もいいね。
美由紀:くだらない。あまり好きじゃない。
 デキバエがすごくカッコいい。それがウソだという感じ。私は本音で生きているんだからダメなんだよね。
 ウソから出たマコトというのはほんとうだろうというふうに思った。
(中略)
斉藤:解消しないところがいいんだよ。
 あなたも映画の中で解放されたらつまらない、抑圧されてた方がいいという意味のこといってるでしょう。
美由紀:私言ったことすぐ忘れる。
美由紀:私には自由なんてない。知らないから分からない。一瞬一瞬しかないもの。
(中略)
斉藤:沖縄へ、原君が小林さんを連れてきた。シットしたでしょう。
美由紀:あれは向こうで芝居設定したんだ。絵にならなければ面白くない。
斉藤:ある種のヤラセがあったんだね。
美由紀:全部ですよ。
(中略)
斉藤:こども好きらしいね。
美由紀:きらいよ。誰が好きになるんだよ。
(中略)
美由紀:どういうことないって。たまたまやれただけの話だって。それだけだよ。
斉藤:作品は見ているんだろう。
美由紀:見ていない。見たくもないって。これからも多分見ない。
(中略)
斉藤:いまなにやってるの。
美由紀:世の中の悪を退治しているので忙しいの。
(中略)
斉藤:あなたはこの映画の中に身を投げ込んだ。かかわりたくないといったってのがれられない。
 極私的とある通り、プライベート・フィルムならいいけど、試写したり、公開したりで、あなた自身がいやおうなくかかわらざるを得ないことで、責任が出てくる。
美由紀:なにが責任よ。
斉藤:ひとつの作品を持ったという責任だよ。
 少なくとも自分のためばかりでなく、原君のためにも一生懸命やったんだろう。
美由紀:なにが一生懸命よ。
(続く)

◆『思想の科学』第6次:35(1974-09)pp.20〜26
武田美由紀「人恋しさは満たされてしまった――生命までもとしがみつく己が弱さに火は燃える」(セックスの深みから)

◆『思想の科学』第7次:45(1984-03)pp.62〜63 武田美由紀「シングルマザー」(単身者――私のひとり暮らし)

■武田美由紀に関するその他の情報

◆『市民』15(1973-07)勁草書房
武田美由紀「書評 よそもの連合太平記」

◆DVD「田原総一朗の遺言〜藤圭子/ベ平連 小田実」
田原が1970年代、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターであった時代に手掛けたドキュメンタリー番組選。1970年6月、日比谷野音で武田美由紀さんのインタビューに答える藤圭子さん。

■言及

◆【連載】原一男のCINEMA塾’95 B 深作欣二×原一男×小林佐智子×荻野目慶子×金久美子「エロス篇」
 (2014/11/24 neoneo)
 http://webneo.org/archives/27066

◆原一男監督「極私的エロス」衝撃の出産シーンは「一世一代のミス」
 (2012年12月18日12:45|映画.com)
 http://eiga.com/news/20121218/6/

■コザ市(現:沖縄市)と基地関連

映画で住所だと言及されている「コザ市・照屋地区」は、コザ十字路/照屋十字路と呼ばれた辺り。
米軍嘉手納基地のゲート前は、現在のゲート・ストリートやパーク・アベニューだけでなく、コザ十字路周辺に米兵相手の飲食街が広がっていた。

1970年12月 コザ暴動
 →『琉球新報』記事 http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-154798.html
 →『琉球新報』2000.12.20付 http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-114280.html
「米人がからむ交通事故をきっかけに、住民の米軍への不満が一気に爆発。群集は、憲兵車や米人乗用車をひっくり返しガソリンをかけて放火した。一時は群集が4000人に達した。一部は嘉手納基地第2ゲートに向かい、基地内の建物にも火を付けた。米軍は完全武装の憲兵約250人を出動させ第2ゲートの警備に当たった。警官隊も約500人出動した。ランパート米高等弁務官はコザ市一帯に「コンディション・グリーン1」(外出禁止令)を発令、全将兵に待機を命じた。」

◆Aサインバー
山ア孝史「USCAR文書からみたAサイン制度と売春・性病規制――1970年前後の米軍風紀取締委員会議事録の検討から」
http://www.archives.pref.okinawa.jp/press/kiyou/kiyou10/kiyou10_04.pdf
「Aサイン制度は米軍による米軍向け飲食・風俗店に対する営業許可制度であり、中断期間を含みつつも1950年代から日本復帰時まで実施された。Aサイン制度の内容や評価には変遷があったが、制度の目的自体は米軍統治期間を通してほぼ一貫していた。つまり、沖縄の飲食・風俗店が米軍要員及びその家族の健康と福祉に脅威を与えないよう、一定の衛生・建築基準を設け、適合した施設にのみ米軍向けの営業許可を与えるということである。沖縄に駐留した米軍の懸念は島内飲食店の衛生水準そして風俗店における売春を介した性病感染にあった。
1963年から新基準のもとで運営されたAサイン制度は、認可施設内での売春行為を禁じ、性病感染やその他の米軍要員の健康や福祉に悪影響を及ぼす問題が確認される施設や区域には、オフ・リミッツoff limitsと呼ばれる米軍要員の立入を禁止する措置を講じた。」

1972年5月 アメリカ統治から沖縄の施政権が日本に返還される
1974年 コザ市が沖縄市に市名変更

◆コザ十字路
コザのまちを活性化させようと、商店街やアート、「銀天大学」などさまざまな取り組みが行われている。
コザの歴史は「コザ十字路新聞」に詳しく、地図や貴重な地元の証言も。
http://www.gintengai.net/archive/shinbun/
「銀天街を拠点にアートを通して街の活性化を目指す活動をしている「スタジオ解放区」が、コザ信用金庫の助成を受けて制作したのがコザ十字路新聞です。コザ十字路の戦後から現在までの歴史的変遷をわかりやすく解説、多くの人にコザ十字路に興味を持ってもらい、地域の活性化につながることを期待して制作しました。」

◆銀天街アーカイブ
http://www.gintengai.net/archive/
◆コザ銀天街の歴史
http://www.gintengai.net/about/history/


UP: 20160328 REV:
原一男
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