『文部省の通達並びに指導を無視する事なく,障碍を持つ教師が働き続ける事の出来る第一条件(持ち時間を減らす事)の実現と身分的不利益の回復を求めて,教育長への直訴に参ります(京都市教育委員会教育長宛 1997年11月3日)』
大葉 利夫 1997
last update: 20200320
大葉利夫,1997f,『辻範子教諭所属組合に猶予無き要望書II(きょうと教組 野崎委員長宛 1997年11月26日)』.
1997年11月26日
きょうと教組委員長 野崎 殿
「差無生」運動推進協議会会長
「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会代表
大葉利夫(都立小金井北高等学校教諭)
辻範子教諭所属組合に
猶予無き要望書II
当該が学校長に連絡を取れなくなってしまったその原因と理由の把握と、身分的危機の中で、命を取るか、職業身分を取るかの最終的な選択を当該がする前に、私達と貴組合との間で、出来る事がまだあります。不備な現行制度しかない現在において、文部省が障持者の雇用継続の方法を具体的に示している事を教育委員会に実行させる事。また、「真因性による心臓の発作」は慢性疾患等とは違い、いわゆる固定したものであり、それを「障碍」と呼び、区別されているものであります。従って、97年3月、4月の診断書の記載は障碍の状況を認定しているものであり、新たな医療技術の変化がない限り、不変であり、固定されたものとして、半年後の今日においても今後においても、客観性を持った有効な診断書であります。やっかいな事は、ある時は医者は教育現場の事がわからないで診断書を書いていると言ったり、逆にある時は医者でないと当該の勤務に対する適応力は医者以外の者にはわからないと、相反する言い方をされる事であります。非常に都合よく、その時その時で恣意的に医者に責任を負わす判断をさせたり、医者には教育現場に精通していないという事で医者の権威を無視したりする使い分けがよく成されます。私達の障碍を持つ立場から見れば、判断と責任と権威をなすりあったり、行使したりする事ではなく、「当該の自覚症状から来る負担を減らす事」が最も重要で必要な事であります。私個人も、また、私達の会に駆け込んで来る障碍を持つ障持者の多くは、いつも「医者や管理職にこう言われた、医者や管理職はわかってくれない、本当はこんなに苦しいし大変だし、その事を無くすようにしてほしいのに」と、まず叫ばざるを得ません。「客観的な判断力」をほしがるのは、ある意味では当然の考え方であります。しかし、個々の障碍を持つ者にとっての具体的で最もふさわしい対応は、その障碍を持つ者の「自らの判断が最も優先」されなければなりません。私達の運動の中では「客観的な判断」で処理をしたがる人達に対して、そのようなうまい判断力は障持者に対しては意味を成さず、当該が働きやすい環境を作るように、私達は訴えてきました。また、その実現も果してきました。確かに一つの客観的判断があれば、物事はそれを基準にして詰めやすいと思います。しかし、先にも述べたように、私達の場合には、そのようなうまい客観的判断を正確に与えてくれる第三者がおりません。東京において自らの立場の運動でも、客観的判断をめぐってのみの意味のない時間が多く過ぎた事を思い出します。
医師としては、当該の「真因性による心臓の発作の危険」という障碍の認定、「おおむね持ち時間や校務分掌半減」として勤務内容を規定する表現が精いっぱいであります。固定された真因性の強い心臓の発作を防ぐためには、とにかく持ち時間を減らす事が必要で、その実現を文部省の資料を基に教育委員会に実行させる事が、貴組合と私達の出来る事でもあり、しなければならない事でもあります。そこまで明確になっている状況の中で、なぜ教育委員会が踏み切れないのか、これは問題が大きすぎます。学校長と当該が話せる場が設定出来る事は、貴組合と同様に私達も当該も最も望んでいるものであります。それが、現実には当該個人のみ、また何ら文部省の事例を行使する可能性がわからない中で、しかも地位と権力による高圧的な態度も解消されるという見込みもない中で、ただ「その場の設定のみ」を言われる判断は理解出来ません。とにかく、貴組合と私達で当該の障碍の実態(3月、4月の診断書の有効性は先に述べた通りです)に適正化した方向性を引き出さなければなりません。そうでなければ、当該は職業的身分のために、ただ学校長に会うために命を懸けるか、それを避ければ職業的身分を奪われるしか道は残っておりません。繰り返しますが、客観的判断の妥当性云々ではなく、出来る方法をなぜ取らないのか、またなぜ取るように働きかけが出来ないのか。障持者の置かれた悲惨な歴史は、いつもこのようにして繰り返されると考えれば、許せぬ事に変わりがないが、現実のひどさだけは多少理解出来そうですが。とにかく本当の意味で当該が学校長と連絡・話し合いが可能になるように、今一つの支援をお願いします。
必要があれば何度でも京都に参ります。貴組合が当該と話す場を望むなら、そのために参ります。当該が安心して自宅での生活や職場での勤務が出来るためなら、財源も時間も組織力もない私達ですが、何度でも京都に参ります。感情的に溺れて目標を見失わないように、自分達のため、当該のため、私達は行動するように心掛けております。
*作成:安田 智博