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高橋修さんインタビュー

199711 聞き手:石丸さん他 於:東京


高橋修
 ※カセットテープを石丸さんから送っていただく→PCファイルに→文字化(201806)
 [voice]:

 ※たんに立岩のメモ→※※ここまでざっと見た。

【5中@】高橋オサムさん A 47分


インタビュアー 今日、今回(?)、集まったのがですね、この前、来させていただいて、それおもし…、すごくお話面白くて、それで僕なんかも『羽ばたけオサム』を読ませていただいたりとか、いろんな場所で修さんとは、お会いすることはありますけども、修さん、あの、『羽ばたけオサム』以降の自立生活運動に、こう、どうね、はまっていかれたかとか、ですね。

高橋 俺あんまりあの本、自分の本だけどあんま読んでないんだよ。

同席者皆さん (笑)

高橋 最初校正したり、最初に、最後に、さーっと全体的な校正しただけで、見ただけで、その時から読んでないんですよ。最後の終わりってどの辺だった?

インタビュアー 最終的な部分は、あの、印刷会社を、作ろうかというので終わったと思うんですよ。

高橋 じゃあ80…、86年ぐらいかな、で終わったのかな?

インタビュアー お母さまが亡くなられて、

高橋 あれは81年だから。

インタビュアー 81年ですか。

高橋 かなりちょっといじってるけどね。

インタビュアー そうなんですか。

女性1 自動車の免許取って。

高橋 あれは79年。

インタビュアー 免許、もう、だいぶ前ですよね。ええ。それで、ねえ、やっぱりまだ作ってないと思うんですよ。印刷会社作られたところでだいたい終わりです。それでお父さん、

高橋 80…、昭和でいうと58年だから、えー、25年、あれ? 違うな。計算合わんな、83年ぐらいかな。お袋が亡くなったでしょ。亡くなって印刷をつけてと、いうとこだね。だから83年ぐらいだな。昭和58年、59、83年、4年ぐらいだね、で終わってんだね。

インタビュアー 83年ぐらいですか。

高橋 ▼うん、3年か4年だと思う。

インタビュアー 印刷。

高橋 3年だね。

インタビュアー これが、静岡、伊豆のほうでしたっけ、施設にいらっしゃって。

高橋 そうそう、▼国立伊東重度障害者センターっていうね。渡辺正志さん※と同じとこ。このあいだ、機関紙に出たの見たらね、何か頚損の、何か、(?)重度がいたよね。誰だこいつと思ったら、何か、国立の何か変な奴が。
 ※http://www.asahi-net.or.jp/~ys2k-sik/01jsrd/1991/watanabe/mw-cil-k.htm

一同 (笑)

高橋 そんなこと(?)、言っちゃいけないよね。あれ、見たよね、びっくりしたよね。「あーっ!」って言ったね。

ただ氏 かっこよく載ってらっしゃったと、(?)。

高橋 ねえ、(?)。

インタビュアー 「わたなべさんと話をしたいと入所者が集まった」、あららら。

高橋 でも▼CIL国立の援助為センターっていって、何で俺にお呼びがかからんかった。

同席者皆さん (笑)

高橋 そうだよね、あいつ(?)、おかしいよね。でも分かんないだろうな。何、だからあいつ何やってるんだ、という。

インタビュアー 同じとこいらっしゃったんですか。

高橋 そうそう。▼75年から78年まで。

ただ氏 廊下で毎日、(?)、そうやって書いてあります。『羽ばたけオサム』に。

インタビュアー ああ。リハビリをしていた。

高橋 ああ。まあ、リハビリっていっても関係ないけど。看護婦から逃げるから追っかけるために、理由なんだけど(?)。

同席者皆さん うわ(笑)。

高橋 「何か人間目標がなくっちゃー。」とかって言ってね。「これ以上変にならねえよ。」って。

インタビュアー なるほど(笑)。えーっと、それで、話をぶち戻しちゃいましてですね、そっから出て、伊東というか伊豆、あ、伊東なんですね。で、印刷会社を作られたのが自立の、

高橋 その前提(?)として、あかつきコロニーという所に、入…、入ったのが書いてあったんですよ。

[00:05:02]
インタビュアー ああ、そうでした、結構(?)、

高橋 まあ、結構抜いてあるよね。これ。あかつきコロニーという。武蔵村山に今でもあるけどね。

インタビュアー あ。あ、印刷を作業でやってるような。

高橋 作業…、うんまあ作業…。重度授産だからね。

インタビュアー ああ、そうですか。そこでステップ踏んで印刷会社に行かれた? ああ、行かれたというか、

高橋 行くっていうか、まあその、国分寺で始めたというのがね。

インタビュアー ああ、ああ、ああ。国分寺で、そうか。国分寺で運動始められたんですよね。僕、その辺の経緯ちょっと分からなくて。それであの、今回来たのが、結構、修さんの今と、あの、関わっている人間、結構多いですよね。それで、別にそうじゃない人たちにも向けてちょっと、出す機関紙を考えてるんですけど。

高橋 ああ。

インタビュアー ええ。で、まあ、僕個人の動機としては、修さんがどうしてここまでパワフルに、本当に、この…。うん、またまた(笑)。あの、運動、運動をね、本当にここまで引っ張ってきたりとか、やっぱりもうあの、いつも交渉の場とかに僕もいさせていただいてそれですごく感動してるんですよ。僕…、僕らなんかの、こう、生活も成り立つような道を、修さん、がんがん切り開いていっている姿というか。で、それで、修さんの、こう、ここまでの話は、ちょっ…、まあ、読めると。それで修さんの活動も分かるんだけども、その中間の地点というか。それとあとどんなことが原動力で修さんがやってらっしゃるかみたいなところ。そういう個人的なこう、人間、高橋修という、その辺をですね、

高橋 ああー。そろそろね(笑)、長かないかなと…、

同席者皆さん (笑)

インタビュアー そういう…。

高橋 またそんなんだったら大体ね…。

ただ氏 そんなことないと思いますよ。

インタビュアー そんなことないですよ。

女性1 そんな、私たちが死神のような。

インタビュアー (笑) 連れてきたかみたいな。そんなことはないんですけど。で、ですね、やっぱりその、原動力の辺りだとか、やっぱりそのオサム、『羽ばたけオサム』以降の、こう、自立生活の流れ? の歴史とかそういう部分をお聞かせていただけたらすごく、おも…、ありがたいなっていうか、こう、興味深いなっていうところでやって来ました。

高橋 うん。

インタビュアー はあ。

高橋 まあ…。まあ、原動力っていうのは、それはなかなか自分じゃ分かんないね。だって、ねえ、自分の頭…、ま、例えばさ、「頭のいいのの原動力、何だと思いますか?」って言ったら「頭がいいからです。」と(笑)、しかないでしょう。こういうことがあったから、こういうことがあ…、うーん、のことが、皆と違うんだと、うーんと、分かればねえ、苦労はしねえやっていうか、(?)、うん。

インタビュアー ああ。まあ、

高橋 口の上手い奴がさ、割と本当にもてるなあと。何であんなにもてるのかなあ、とかさ。それは小まめだからよ、っていう、(?)。

[00:08:37]
インタビュアー うん(笑)。

高橋 それは自分からじゃ分からないね。それは他人が見て「ああなるほど、あの辺がみんなとは違うんだなあ」と。例えば障害者を障害者と、ああー、見ればね、「あれは違うな」とかさ。で、それはこう、他人が評価することであって、自分でこうだああだと言うさ。

インタビュアー ああ、ああ。

高橋 うん。

インタビュアー そうですね。あのじゃあ、修さんが、この、今、センター運営されてますよね。

高橋 うん。

インタビュアー それで自立生活運動に出会…、出会ったきっかけっていうか、自分がこっちの方向だと思った、その動機の部分は、

高橋 それはやっぱり、

インタビュアー ありますよね。

高橋 ▼中西〔正司〕さんや。あれは何年だっけ…。うーんとね…、あれ? 何年ぐらいだったかな、80…。ヒューマンケアできたのが86年でしょ。できて、その、(?)、ちょっと年列的にはあれなんだけど88年か89年ぐらいに、▼ワークセンターとね、障害者の働く場を作る会ワークセンターというのが、えー、83年か4年ぐらいだったかなあ、うん。その、しげ…(?)、ま、そういう…、うーん、面から…、そういう面から(笑)、【1985 障害者の働く場をつくる会「ワークセンター」(国分寺市)を前沢昇さんとともに作る。】

インタビュアー ええ。

高橋 うーん、まあ、中間を、ばっと抜いて、えー、ヒューマンケア協会に行くようになったわけ。

インタビュアー この、この辺でもう関わりだされたんです?

高橋 どうだったかなあ。遊歩が出てきてちょっとぐらいの頃だったかな。

インタビュアー あ、国立に。

高橋 国立なのかどっか分かんない(?)。何か、うんうんうん、いろいろ。

インタビュアー まあまあ。年代細かいですよ(笑)。

高橋 いやいやそうじゃなくって。いろいろ、▼差支えのある話だから。

女性1 おお。興味津々。

インタビュアー この際だから聞いておいたりして(笑)。

高橋 うん、いやいや。だから、うん、ほいで中西…、何か中西さんとこ行って、

インタビュアー ええ。

高橋 んー、そうだな、80…。だから80年、3年、4年ぐらいから、83年ぐらいから、まあ、運動、って(?)から行きゃあさ(?)、▼81年に駅の改善運動を始めたわけよ。立川駅にエレベーターの設置を要求する会、という会を作って。【19810409 「立川駅にエレベーターを設置を要求する会」発足。】それはもう、初めて障害者運動というのに自分が関わりだしたわけよ。
 そして83年に、▼「三多摩自立生活センター」というのを、まあ、というのを動き出す、作ろうと言って。【19830911 三多摩自立生活センター(CIL・S)発足。世話人代表を務める。】まあ、三井さんだとか今の人達だよね。あの、やれ新田さんだとか、荒木さんなんか知ってる?

インタビュアー 荒木さん。ああ。

高橋 練馬の。何かそういう部分で、えー、83年から、CIL(?)の…。まあ、その人達が、言やあ(?)、東京における介護運動っていうのをやってたわけ。

インタビュアー うんうん。

高橋 ね。で、その辺で、やっぱり駅の改善運動を何のためにやるのかな、それはやっぱり…、まあ、正面から行きゃあ、あー、障害者が、あー、イコール施設じゃなくって、えー、みんなと一緒に生活するために作ったわけでしょ。

インタビュアー ええ。

高橋 で、その、駅の改善運動を通して、まあ自分は▼81年にアパートを借りて一人暮らし始めたわけでしょ。

インタビュアー それ、国分寺、

高橋 国分寺か、

インタビュアー 立川、

高橋 立川じゃない、武蔵村山で。

インタビュアー 武蔵村山、

高橋 武蔵村山の、あかつきコロニーから、武蔵村山に、の、アパートに引っ越した。やってた(?)。▼81年の6月だったかな。

インタビュアー ああ。

高橋 うん。それから、あー、まあ運動の中で、そのー、やっぱりそういう意味じゃ、ほら、親が介護できなくなって施設にいなきゃだめだとか、逆に施設を出たいという、まあ、え…、その、エレベーター運動を手伝ってくれて…、くれてた、色々な人が応援に来てくれたわけよ。で、その中で、やっぱり、何のために一緒にやるのかなというのが、ね、

インタビュアー ええ。

高橋 あって、ああ、それはやっぱり、ただ駅の改善だけじゃなくって、えーやっぱり、ねえ、介護の問題やらなきゃだめなんだなあと、介護者確保しなきゃだめなんだなあと思って、83年ぐらいから、あー、その、介…、介…、介護の運動に関わりだしたわけ。やっぱり介護の保障がないと、って感じの中でね。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。

高橋 うん。

[00:14:36]
インタビュアー そうですよね。あの駅は、立川駅を使われてたんですか、修さんは。

高橋 いやいや。

インタビュアー そういう訳じゃないけど、もう、すでに(?)、そんな、

高橋 まあ、

インタビュアー 運動があって、

高橋 うん。うん。

インタビュアー 修さんも関わりだしたという。

高橋 まあ、基本的にね、に、あの、人に誘われて、活動起こすと、途中で投げ出し…、投げ出し…、投げ出すのができない人なのよ。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。

高橋 だから、みんな口先だけで言うじゃない、かっこいいことをさあ。

インタビュアー ええ、ええ(笑)。

高橋 いや、障害者に、「俺はお前、くそ真面目にやってんだ。」と言ってさ。例えば、ねえ、いるじゃない、介護。▼「俺は介護は一生の仕事だと思ってる。」とかさ「障害者と関わりたい。」と言って、言うんだけども、じゃあ普通の会社に入ったら、普通のまあ例えば学生なら学生が卒業したらもうさ辞めてしまうとかさ、一生の仕事にならないわけよ。

女性1 うん。

高橋 一生関わっていこうって言ってるのに。あるでしょ。だからそういう人間て、ああやっぱり、(?)、あの、立場が変わったんだからだ、って言える人ってあるじゃない? 「やーめた。」って言える人。

インタビュアー うん。

高橋 私はそういうのできない人なの。

インタビュアー ああ。なるほどなるほど。

高橋 うん。

インタビュアー で、もう、その、その立川駅の運動も、見ててちょっと関わったからもう、どんどんどんどん、

高橋 うん、だから、その次にステップ行くわけよ。

インタビュアー ええ、そうですよね。

高橋 で、駅の運動もやりながら、今度は介護の運動になる。広がっていくわけ。

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 ね。だから普通はほら、そこで変わると駅の運動は止(や)めるわけよ、一般的に。

インタビュアー ええ。はあ、はあ、はあ、はあ。

高橋 で、介護運動に、しに行くとかさ。

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 ねえ。まあ、あまり例はよくないけどさ、ねえ、例えが石丸君(?)が、付き合う…、あの、遊歩(?)と付き合ってる、と。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。

高橋 それで、違う奴がまた(?)、ちょっと、こう、なった、と。

インタビュアー はい(笑)。

高橋 それで遊歩と、との関係がこう、だんだんこう、なっていくわけでしょ。

インタビュアー ええ。

高橋 ね、一般的には。

インタビュアー ええ。

高橋 まあ、二人もいいよとか、三人もいいよとか、そんな、なっていかないでしょ、普通は。

インタビュアー ええ、ええ、ええ。

高橋 横行き(?)でね、そういう。

女性1 うーん(笑)。

インタビュアー すごい例え(笑)(?)。

高橋 不純な奴は、以外はさ。

インタビュアー はあ、はあ。

女性1 うん。

高橋 ねえ、そうでしょう。だからそれ、普通それはみんなそうなのよ。

インタビュアー ええ。

高橋 ねえ、一つができると、普通に、こう、次移って行くわけ。

インタビュアー ええ、ええ。

女性1 うーん。

高橋 だから、そのー、介護の運動になると、ねえ、あの、▼でも駅の改善運動も、ずーっと比例してやって行くわけ。

インタビュアー はあ。もう雪だるま式に。

高橋 雪だるま。だから今も雪だるまなの。

インタビュアー そうですよね(笑)

高橋 減ることはない(笑)。

インタビュアー なるほど(笑)。はあ、じゃあこの、81年に始まった駅の改善運動が、

高橋 うん。

インタビュアー 去年ですよね、エレベーターが、

高橋 うん。

インタビュアー ▼全部設置、要するに97年ですよね。

高橋 うん。だ、じゅう、

インタビュアー 16年。

高橋 11月19…、ん? ▼10月19日だね。

インタビュアー 10月19日。

高橋 うん。

インタビュアー うん。16年の…、修さん関わりだしてからは16年の間、

高橋 そう。

インタビュアー ずーっと。

高橋 うん。

インタビュアー ああ。そうですか。じゃあ、修さんが今まで、じゃあその、出た後にメインでやってきたの…、あれ? 印刷会社っていうのは、どうなっちゃってるんですか?

高橋 障害者の働く場を作る会ワークセンターっていうのを、あー、国分寺の東恋ヶ窪で始めたわけ。

インタビュアー あ。このワークセンターっていうのはその、印刷会社、

高橋 そうそうそう、うん。

インタビュアー ああ、障害者が働く場を作る会ワークセンターが、

高橋 そうそうそうそう。あ、基本的に、▼障害者が働く場を作る会というのが運営母体で、そこのあれがワークセンターだったの、うん。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。そうだったんですね。それは何かの運動に(?)、ああ…、に移行していったんですか、CILとかに。

高橋 うーん。いや、それは全然移行はしてない。何しろその、まあ、そういう面では、あの、自分達の場所を確保したいねって。その、▼あかつきコロニーっていうのが、やっぱりどうしてもほら、仕事…、基本的には訓練生なわけよ。訓練生なん…、なんだけれども仕事はさせられるわけよ。例えば、あの、和文タイプなんか知ってるかねえ。

インタビュアー 和文タイプ、ああ。

高橋 和文タイプ。和文タイプ。まあ、今はパソコンとかワープロだけれども、昔は和文タイプだったわけでしょ。それで全部、一字一字印字してたわけ。ねえ。(?)。それを、あの、▼例えば1日8時間労働やって、9時間、終わらなきゃ(?)、残業しなきゃならなかったわけ(?)。で残業して、だから今の時期なんかは、本当これは、あの、11月、12、1、2、3なんて一番忙しいわけ。特に2、3なんてのはさ、ほら、年度末だから、みんな印刷物が重なるわけでしょ。納期あるわけで終わらさなきゃならない。みんな今年度中に、年ね、97年度中にやらなきゃだめなんでしょ。だから、▼残業100時間なら100時間やったって、時間給は、例えば150円ぐらいなわけよ。例えば、ねえ、もうそんなんだったら馬鹿くせえなって言って、やって、色々色々「あなたたちは訓練生だからだめなのよ。」って、「労働者じゃないんだよ。」って。じゃあ、ねえ、言われながらも、でも、じゃあいい加減に仕事していいか、って話じゃない。

インタビュアー そう、ですね。

高橋 ねえ。▼責任だけは言われるんだけど、でも賃金は出してもらってない(?)。うん。「何か馬鹿くせえね。」って、「いつか自分達で始めたいね。」と思って、言ってて、あの、うーん、友達と一緒に作ったわけよ。

インタビュアー ああ。あかつきコロニー、81年で、それ、印刷会社までが何年ぐらいだったんですか。2年ぐらいですか。

高橋 あかつきコロニーは78年に入って、

インタビュアー あ、78年だったんですか。

高橋 うん。だから83年。

女性1(?) (?) インタビュアー 83年まで。

高橋 (?)。うん。

[00:20:35]
インタビュアー 5年間。

高橋 3年、だから3年、81年に3年間は寮にいたのね。

インタビュアー 81年に3年間は、

高橋 うん、本当に2年、1年ちょっとは、うーん、その次に、そうだねえ、81年に行って、アパートから通ったわけだから、そうだね、80…、うーん、20…、もっとあったか(?)、83年…、うん、3年、4年、それ辞めるまで通ったのか、2年間ぐらいは、通ったのかな。

インタビュアー はあ、はあ。

高橋 だから寮にいたのが3年でしょ。ねえ。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。これで(?)。

高橋 うん。で、確か83年の5月だと思うんだけどね。

インタビュアー ▼83年の5月、に、印刷会社設立。

高橋 うん。ちょっと、そ…、書いて…、うん、

インタビュアー その辺はあんまり書かれてないですよね。その、150、時給150円みたいな。

高橋 まあ、大ざっぱだからね。

インタビュアー まあ、そうですよね。

高橋 基本的には最初に、家での生活の話が主流でしょ。

インタビュアー そうですよね。

高橋 うん。

インタビュアー ええ。

高橋 落っこちるで(?)。

インタビュアー ▼ああ。じゃあその、印刷会社は、それなりの給料を出せるぐらいの、(?)、

高橋 いやいや、(?)、ねえ。

インタビュアー ああ(笑)。

高橋 うん。だから、あー、やっぱり…。まあねえ。でも、やっぱり、似たような形態? そんな仕事がどんどんあるわけじゃないしさあ。やっても、まあ、維持するのが精一杯だよね。うん。で、このまま維持が大変だなあと言って、やっぱり自分達障害者だけじゃどうしようもないわけじゃん。だから、まあ、健常者の職員も何とかしなけりゃだめだよねって話があって、あのいわゆる作業所として申請しようってなってきたわけ。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。

高橋 もう。

インタビュアー あ、僕だけじゃなく、どんどん何か質問があれば。

女性1 うんうん。うん。

高橋 うん。で作業所として…、それとほら、補助金が出るじゃん。

インタビュアー ええ。

高橋 ねえ。補助金が出るんだけれども、その補助金ていうのは、その、いわゆる、障害者は通う人なわけよ。で、そこで健常者の職員が指導するというのが、(?)わけでしょ。

インタビュアー ええ。

高橋 で、障害者には金は出ないわけよ。

インタビュアー ああ、はあ。

高橋 だから、また、障害者に金を出すようになると、今度はこの、通ってる人間が足りなくなっちゃう。何人以上通ってんがだめとかさ、あるじゃない。ねえ。うん。だからまあ健常者に給料払うと、ねえ、

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 という感じで。うーん。

インタビュアー ああ。じゃそれはやっぱりその、障害を持つ人が、あの、メインじゃないし、その、生活が楽になるっていうわけではない…、

高橋 活動自身が、あの、うーん、まあ、うーん、メインでもね、でも、経済的な部分に関してはメインじゃないわけ。

インタビュアー そうですよね、うんうん。やっぱりそこで行き詰まりを。

高橋 行き詰まりっていうか、まあ直接のきっかけは、あの、一緒にやってる違い…、まあ、▼頚損の奴から、あの、自分も、まあ、俺はそんなにあれだったのが、生活保護に対してそんなにやっぱりこう、こだわりは全然なかったし、
 ※伏見さん(インタビューしたことある)。

インタビュアー ええ、ええ、ええ。

高橋 特別国家公務員というか意識あったからさ。

インタビュアー ああ、ああ、ああ(笑)。

高橋 ね、それは、活動してるしと思ったけど、やっぱりそうじゃない人間もいるわけよ。

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 ねえ、それがやっぱり自分も生活保護…、生保降りたいと言われた時に、だから俺も一所懸命仕事やってるんだ、俺だって、俺の方が給料…、そして(?)、経済的自立をしたいと言った時に、この作業所経営での中では、運営の中では、それはもう無理なわけよ。構造上。

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 ねえ。

インタビュアー そうですよね。

高橋 といって、そんな、みんなに給料払うほどの生産性はないわけ、はっきり言って。世の中ほら、きれいごとじゃなくて、生産性の問題になってくるからさ。

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 もうそれは金稼がなきゃだめなわけでしょ。

インタビュアー 生産…、そうですよね。

高橋 ああ、じゃあ、もうちょい。それで、ああこの、こういう活動も、もうだめだなというのが、ねえ、あって。まあ、その辺はもう、がたがたね。あの、生活形態も。

インタビュアー ああ。

高橋 で、まあ、ね、維持するために1日10時間ぐらい働いて。ま、駅の改善運動も大変だったけどね。そして、障害者関係かなり、(?)、ねえ。▼高橋修は車は運転できるし、まあ、言語障害がない、と言って、言語障害の三井さんあたりから、わーわーわーわー、言われるしね。83年(?)にね。

女性1 うーん。

ただ氏 え、何、(?)、言われるんですか?

高橋 いやだから、いやその、俺基本的にはさ、ひも運動って好きじゃないの。

高橋 (?)、いやだから、そういう意味ではね、やっぱりほら障害者…、やっぱり、基本的に当事者運動だと思ってるわけ。

インタビュアー ええ。

高橋 まあ、じゃないけれども、やっぱり、何ていうかなあ、私の妻が障害者だとかさ。そういう形態…、まあね、まああまり大したことねえなと思ってるわけよ(笑)。

ただ氏 ていうか、その人の収入で生活して、

高橋 だから基本的に違うとこに介護に入ってね、してるなら(?)いいんだけど、そうじゃなくって、なんじゃなくって(?)、だからこう、そんな人の(に?)大きな声を出してから(?)、わーわーわーわー、あれしてたらさ、滑稽なわけよ。

ただ氏 それとか、怒鳴り込む(?)人もいますもんね、本当ね、自分の(?)。

高橋 それで、基本的に何もしないで制度取ってって、ぐじゃぐじゃ言う奴も嫌いなわけよ、障害者から、(?)。

[00:26:51]
インタビュアー ああ。

女性1(?) うん。

高橋 基本的理念としてね。結局、まあまあ、基本的に陰口だね。よく女の人は陰口が多いって言うけどさ、あの…(笑)。

女性1(?) うーん。

ただ氏(?) (笑)

高橋 いや、あなた達違うけど、基本的そうよ。陰口、私語(仕事?)よ。

女性1 いや、それはそう…、どうかなと。

高橋 いや、だけど、いや、一般的にはそうよ。やっぱり。(?)ってた話は、そう(?)。

インタビュアー まあ、男にももちろんいますけどね。

高橋 うん、男にも。でも全体的な数字からいけば、やっぱり…、それは女の人も、が、言うもんね、やっぱり。女の職場の、女の、(?)はこうだって。

女性1 てゆうか、あんま、ここで言い出したら、ちょっと肝心な話が聞けなくなる。

インタビュアー はい。ひも運動嫌いで、何も、(?)、制度取っていくのも嫌い。

高橋 ああ、違う違う。いや、しないでね、結局、ほらー、何て言ったらいいかなあ、うーん、まあ今の中でもほら、ある程度のさ、受け皿が、まあ例えば、制度とかあるわけよ。で、その、その制度ってのは天から降ってきたみたいなものになってるわけでしょ。

女性1 うーん。

高橋 ね。それに対して、そういう、維持しようという危機感もないし、

女性1 うん。

高橋 それを次の、その、▼人達にさあ、上手く、もう、ね、繋ぐ意識もないし。

女性1・ただ氏 うん。

高橋 ね。うーん、何ていうかなあ…。して、何か、まあ悪いパターンの自己主張しかしない連中ばっかりじゃない。

インタビュアー・女性1 うん。

高橋 うん、まあ障害者も健常者の人もね。だから、その中で障害者運動に関わるならば、1回、日本は何たって資本主義だからさ、資本主義の中で見てから、かかったほうがいいよね。やっぱりこの、福祉業界というかこの業界の中にいるとやっぱり変だよね。変になっちゃうよね。うん。よっぽどの賢い人じゃない限り。

女性1 え、それ障害者が? 健常者が? 高橋 うん、健常者も、やっぱ障害者もね。 女性1 うん。 男性2 すごい否定的になっちゃって(?) 高橋 違う違う。 インタビュアー (笑) ただ氏 (笑) まあ全体の中で、でもねえ、見ないと、何か確かに自分、ん、だ、の立場だけで言っても説得力もない、なかったりしますよね。 高橋 うん。何か、うん。うん。(?)のね、ここの。ここ、うん。

[00:29:30]
インタビュアー うん。やっぱりそうでしょう、(?)。

高橋 いや、これぶつかっただけ(笑)。

インタビュアー はい。はいはい。

高橋 うーん。どこを話してんだったか(?)(笑)。(?)

インタビュアー どこを話しておりました…、駅の改善運動から。

高橋 他の(?)介護(改善?)運動、だから、

だからそういう面では、そのー、空白時期があるわけよ。空白時期。空白の時期があるわけよ。83年から、特に86年から89年に関して。

インタビュアー そうですか。その時期ではどんなだったんですか。

高橋 それはちょっと…。

インタビュアー オフレコ。

高橋 うーん。うーん。

インタビュアー 色々。

高橋 うーん。

女性1 え、空白って運動から離れたっていう意味? 高橋 いやそうじゃなくって。今は話せない時期って…。 インタビュアー 今はまだ。 女性1 今は話せない、ああ。そういう意味。 高橋 うん(笑)。今は、この場ではとか(笑)。だからそういうねえ、あるじゃん。うん。やな時代っていうかさ。 インタビュアー うん。 高橋 うーん。 インタビュアー うーん。興味津々。 高橋 大体(?)…、 ただ氏・女性1 (笑) 高橋 うーん、いやいや、このぐらいじゃ、なかなか(?)、(?)。

[00:30:45]
高橋 だから田舎にいる時の話をできるようになったというのは、それー、例えばさ、その中、だって、まあね、しんどい時いっぱいあるわけや。その中で、でも、しんどいとこ話せるようになったというのが、その部分を受容しきったから話すようになったわけでしょ。ね。だからコーカンで言やあさ。自分で話せるという、そのー、まあ、ある面では、何て言うかなあ、いわゆるこうプラスに変えられるというような気持ちになったから、あるわけだよね。

インタビュアー そうですよね。

高橋 まあ、ね、こう考える、傷が癒されたと。ね。いやいや、まあ悪く言やあ、惰性でもういいや、と思ってやけくそなったっていうことだよ。高橋 うん。まあ、良く言やあ受容。ね。癒されたわけや。まあ言やあ(もういいや?)、ふて腐れたという話なんですよ。だからまだその、86年から89年はまだだめなんですよね。

インタビュアー まだなんですね。はい。

高橋 うん。▼だからそれで89年に、うーん、頃から、うーん、ヒューマンケア協会に行って、中西さんだとか、特に、まあ、結構、俺、何だかんだ言っても、やっぱり中西さんの影響は大きかったね。その時まあ、野上さんもいたし、樋口さんもいたし、遊歩もいたけれども。で、阿部さんもいたけれども。まあそういう意味からやっぱいけば、まあ行くようにと言われたのは、あの、「こういう活動もあるよ。」と言われて、遊歩に言われて行ったんだけどね。

インタビュアー あ、そうなんですか。

高橋 うんうんうん。前にもちらっと言ったことあるけれども、そういう面での、その活動…、が、もう自分の中で見えなくなってきた、だから、(?)ってきたよ。だから立川で、えー、もう制度取ったり、東京都でも、ねえ、あの、前は脳性マヒだけだったのがやれ全身性に変えてきたり、それはもうテーブル叩いてさ。それはあなた、ねえ、それは一番厳しい、みんな恐れられた。今、今、今のやっぱり、こう、怖さとは違うよね。うん、それは。だって、介護者だって、ねえ、有数な先鋭部隊がいたしさ。「行け。」って、「やれ。」って言やあね、あの、鉄砲玉みたいな奴がいたしさ。「あいつ殺してこい。」って言やあ、これをやって、やりかねない奴ごろごろいたからさ。例えばトマホークも全斗煥(チョン・ドファン)もいらないって、先頭切って機動隊に、だ、体当たりか、したりさ(笑)。それをガードする中央大の学生グループとかさ。ねえ。切込隊とかさ、いたしさ。

インタビュアー 89年。

高橋 いや、89年っていうか、その、その辺とかね、80…、うん。

ただ氏 印刷とか、印刷やりながらですか? (?)、え?

高橋 そうよ、やりながら。その、印刷やった時は、何か大体2時か3時頃までやってて、それで、して夜に、うちに帰りにきて、その前に、前のうち、知ってるよねえ。あそこに帰ってきて、また7時ぐらいまで寝て、また印刷、(?)、また1日。

インタビュアー 2時か3時?

高橋 そうそうそう。そのぐらい。

ただ氏 え、それしながら運動してたんですか。

高橋 そう、そうしなきゃ維持できなかったから。意地でも負けたくなかったから。で、土日といえばあらゆる集会に出てた。女性問題からさあ、ねえ、優生保護法の、優生保護法の改正なんて。僕なんか基本的にね、結構、一時は進歩的に、今はちょっとだいぶ、

同席者皆さん (笑)

高橋 (?)、「世の中ダメだ」なんて言って恨みが出ちゃうからね(笑)。

インタビュアー 恨み

ただ氏 恨み(笑)。

高橋 ね、そうだからね(?)、自分の中では(?)、あんなの、しゃらくせえや」とかって言って(笑)。とか言ってさ。やばいね、テープ回ってるじゃんね。

インタビュアー 回ってます。

同席者皆さん (笑)

女性1 しっかり回ってます(笑)。

高橋 遊歩に叩かれちゃうよね。

同席者皆さん (笑)

[00:35:13]
高橋 しほ(?)に叱られちゃう。しほ(?)も、なんかあれなんだよ、この頃だよ。84年、5年か6年でしょ。あれ、19才か。18か19ぐらい。

インタビュアー ああ。

高橋 14年前か、そうでしょう。84年か5年でしょう。
インタビュアー そうですね、19ぐらい。 高橋 そうでしょう。 インタビュアー ああ。じゃ本当に彼女が介助し出した頃。 高橋 そう。セーラー服が学生枠(?)になったから。そういうイメージ分かるじゃん。分かるでしょ。 インタビュアー 大学生になってもう。ぽっ、ていう。 高橋 そう、そんな感じ。どこに行った、とか(笑)。違う(?)。 インタビュアー どこ行っちゃいましたかね、それは。 高橋 違うか(笑)。知らないところ(?)(笑)。

[00:35:44]
インタビュアー へえ。じゃまあ、すごいですね、毎日2時とか3時まで働いて。

高橋 いや、まあ、まあ、(?)、だから。

インタビュアー 土日集会で。

高橋 うん。だから、▼一番人生荒れてた頃だよね。あの、83…(?)、やっぱり86年ぐらい、あの、は結構ね、荒れてるというか、ね。だから89年にそのヒューマンケア協会に行って、中西さんに会って、

インタビュアー ええ。

高橋 一番、だから今言っているのは、やっぱり共鳴するのは、

インタビュアー ええ。

高橋 あの、やっぱりその、要求運動というのはまあ今でもやってる、あれだけれども、やっぱりサービスなんだというのね。やっぱり、障害種別を超えてサービスを提供するんだと。サービスは、より良いものを作っていかなければ、ねえ、あの、買い手はないわけだからさ。ね、その、どう、中西さんみたいにねえ(?)、論理的、論理じゃない理論的には言えないけれども考え方分かるじゃない。やなものはさあ、こっちも売り込めないし、

インタビュアー はいはいはい。

高橋 ねえ、買い手がないわけじゃない。

インタビュアー そうですよね、うん。

高橋 うん。だからそういう面では、その、介護運動しながらかかったのは、あの、昔の介護者確保するというのは、いわゆる思想教育なわけよ。

インタビュアー 昔の介助者確保すれば。

高橋 昔、介助者確保するというのは。

インタビュアー ふーん。そうですか。

高橋 だからその意識を変えさせるというのが、主なわけよ。まあ、いわゆる言葉をあれすれば、自分の思想に近づけて高橋の頼みなら、ね、あの、何、支援者として育てるというのが障害者の運動だったわけよ。

インタビュアー ええ、はいはいはい。

高橋 自立運動(?)。

インタビュアー ああ、かつてはね。

高橋 うちらの話の中でね。だから徹底的に、こう、話をしたわけよ。ね。

インタビュアー はあー。

高橋 だから、その頃に介助料なん…、というか、あの、あの、交通費がないから、交通費をもらえないかなんて言ったらさ、もうそれ、差別で糾弾された世の中だった。

インタビュアー (笑)

高橋 みんな分かりやすく言やあボランティア、みんな支援者だった。だ、介助制度なんか何もなかったわけ。

インタビュアー うーん、そうですよね。しほ(?)も、ちょっと介助行けないって、風邪ひいたからみたいなこと言ったら、「私を殺す気か」って怒鳴られたっていうことを言ってました。

高橋 うーん、本当。それは性格歪んでたんだね。

同席者皆さん (笑)

高橋 怒鳴った奴が、それほどのきれいな生活送ってたとは思えないけど。大体、怒った奴は大体知ってるけれど(笑)。

インタビュアー はあ、はあ、はあ、はあ。なるほどね。

高橋 いや、だから、言った奴の、そうやって、顔が思い浮かぶから(?)、それほどお前、いいせい…、それほどの素晴らしい生活維持、あの、やり方、やってたかっていうと「嘘つけ」って、(?)(笑)。言うだけだ「てめえだけ(?)厳しく人生送れ。」とか言って。ね。(?)(笑)

高橋 いやだから、いやだから、そう言った人間が、大体、分かるから。

インタビュアー 分かるからね、はいはい。なるほど。でまあ、昔はその、思想教育ってところも、自分達の、あの、ちょっと(?)、近づけてという、もうサービスなんていう発想は全くゼロ、逆っていうか。

高橋 そうそう。▼だからもう、もう全部人間関係だったわけよ。

インタビュアー うーん。人間関係。

高橋 だから、当時(?)、俺が言ったのは、そういうね、そりゃ、あの、一緒にどっかに出かけりゃ介護は付きまとうし、くっついてくるもんだと。自分のさ風呂に入る、ね。まあ変な話ね、まあ言葉は悪く言やあ、くそ、しょんべんの、あのね、するとか、ね、自分が生きるための部分が、そんなね、もう意識を変えさせるようにするのがしんどいなと思ったわけ。

インタビュアー ああ。

高橋 ね、そうじゃなくって、金払ったでもね、金払うってことは、その対価として介護を受けられるわけでしょ。金を、制度を取ってね、後はやっぱり一緒に酒を飲むように言やあさ、それは一緒になるわけよ。ねえ。だからそんな自分が生きるための必要な部分は制度で取(れ?)って、ね、というようになって、もう介護運動っていうのを我々で始めたわけ。ね。そこまでさあ、まあしんどい状況だよねって。

[00:40:19]
インタビュアー うん。大体その、そう思いだした頃が、中西さんとの出会いあたりなんですか?

高橋 うーん。ていうか、いや、そ…、それは80、まだ5年から9年ぐらいのあれだけども。

インタビュアー あ、この、この辺りの感じは。ああ。

高橋 だからそん時に、そういうのじゃないんだと。だから、自分の、やっぱりこの、ほら、昔の東京の活動ってみんな介護もそうだけど、全部個人の関係なのよ。個人。いかに自分が個人として、活…、運動するか、個人として、だからみんな関係性って、何ていうかな、個人の面倒見なのよ。個人が面倒見たから個人その人のために。まあ結構、世論はまだあるよね。やっぱ個人的な応援体制な、(?)。遊歩を慕ってくるから、まあ、

インタビュアー そうですね。

高橋 そういう面では、〔境屋〕うららだってそうでしょ。ね、基本的に個人のネットワークなの。俺、すると、個人のネットワークっていうのは、意味がないと。意味がないというか、それでは、やっぱり限界があるんだと。
 組織の、組織としてきちっとやるべきだし、個人の中で高橋修が、例えば石丸君は、さ、どんなにしたからといって、それは高橋修と石丸の関係になっちゃうわけ。

インタビュアー ええ。

高橋 高橋修と安積純子の関係になるわけじゃない。

インタビュアー ええ。

高橋 そうでしょ。

インタビュアー ええ。

高橋 そうじゃなくって、やっぱり自分がいつまでもやれるわけじゃないから、その、いい所も悪い所もやっぱり見て、それでそういうあの、障害者自身育ってほしいな、それは個人の運動でね、どんなにがんがんやったってそれは無理なんだと思ったわけよ。ね。だから遊歩がどんなに個人的に障害者に関わったって、個人で終わっちゃうわけよ。そうじゃなくってやっぱり組織として、あの、関わることによって、ねえ、高橋組を形成されることはないわけ。安積組も作んないし。

インタビュアー うんうんうん。

高橋 それは三井組もそう。みんなやっぱり▼でも、国立って基本的に何々組でしょ。安積組、三井組、何々組、組織でしょ。自立生活運動っていうのはそうじゃないわけよ。いや、(?)。そういうとこに、中西さんに言われた時に、仕事として割るんだと、割り切っちゃうんだという感じ。それが全体的な、実際問題ってねえ、個人的魅力なのよ、人間だから、何にもしなくて(?)でね。ねえ、引っかけたって、男引っかけたって、介護者確保できるわけよ。どんな形でも。
 あの、自己主張のできない、そいで、知的障害があるとか、精神障害があるとか、そういう人たちが、あの、サポートがなきゃ自立できないんだから、自立というか一人暮らしできないんだからさ。それはもう個人では無理であると、いった時に、中西さんのそのサービスというとこにね、すごく、それと障害種別を超えて、ね、応援するんだというとこで。

インタビュアー 障害種別を超えてね。

高橋 うん。

インタビュアー サービス。そうかそうか。そうですよね、遊歩みたいな、こう、引っかけていける人間はあれですけどね。

高橋 (笑)。(?)。そうそう。だから、俺もやっぱりそういう面では、遊歩と違うような形の中でさ、それのエネルギーを割けばできるわけよ。だ、今は、あの、何と言われようが、やっぱり、自立生活センター立川であり、様々な、まあ高橋組とか何とか言われようが、その中でやっぱり頼って生きている人間いるし、頼って出てくる人間いるわけよ。それに対してやっぱりさ、ね、早くだから、ねえ、▼知的障害の人に制度を作りたいなあとかさ、こう、いくらでも野望は出てくるわけよ。

インタビュアー 野望(笑)。うん。野望ね。

高橋 いや、野望というかね、

インタビュアー 話ちょっと飛んで、そこの、野望というか夢という部分が出てきたんで、今、修さんの…、

高橋 夢?

インタビュアー 夢。いや野望です。最近に、さ、あるとしたら何がありますか。

高橋 いやー、ないよねえ。

インタビュアー あ、そうですか。今ちょろっと出た、その、例えば知的障害の人の、

高橋 ああ、それはもう自分の宿命だと思ってるから。

インタビュアー あ、宿命で。夢とかじゃない。

高橋 うん、だからそういうもんだし、うん。それは。自分の信念として、自分、自分より強い者に対してはそれは健常者であろうがさあ、そういう時って、きちっと闘っていくけれども、自分よりも弱い人間を、代わってね、サポートできない、まあ家ではサポートできない、
 そういう意識がなくなったら、まあ運動家辞めようと思ってるからさ。

インタビュアー ああ。

高橋 うん。運動好きってわけじゃないんだけどねえ。まあ、しょうがないよねえ、「お先。やーめた。」と言えない人だから。

[音声終了]

【5中A】高橋オサムさんB 33分


インタビュアー ちょっと、今まで作ってきた制度と勝ち取ってきたものっていうか。

高橋 うーん。でもねえ、こういうの、今、今日もねえ、あの、うーん、まあ、小学生の障害児の親と、たまたまちょっとね、事務所でね、違うあの、今、あの、福祉マップっていうの作ってるのよ、立川市から委託受けて。

インタビュアー ええ。

高橋 それのまとめに入った時に来てて話をしててさ。ちょっと相談ていうかね意見聞きたいんだけれども、って言って。今、ねえ、その、脳性マヒの人間だと1級の人だと、ね、6,500いくらで12回出るじゃない。いわゆる全身性じゃなくて、ただ脳性マヒで1級の人って。家族が受取人でもいいというね。

インタビュアー ああ家族、ええ、ええ、ええ。

高橋 いわゆる脳性マヒ、脳性マヒ者介護人派遣事業と。で家族介護分っていうのがあるわけ。

インタビュアー ええ、ええ、ええ。

高橋 で、それ、1級の脳性マヒだけは取れるわ、とか、2級だと取れないというのがある。まあ、金額7万8千円ぐらいなんだけど、それがもう完全に手当化してるわけよ。

インタビュアー 例えばの話、1級…、

高橋 だからそういう、その時に、んー、まあ、その、相談したというのは、その、あの、片や、一人のひとは脳性マヒの親なのね、まあ、30代か40代、なったかならんかぐらいの。して、もう一人の人は骨形成なのよ。 インタビュアー うん。 高橋 (?)さん。

[00:01:47]
インタビュアー の、親。

高橋 うん。行ったんじゃないかな、なんか立川、うん。ちょっともう、何か、遊歩の、(?)、

インタビュアー ああ、じゃあ。

高橋 小さい、うん。

インタビュアー ああ分かると思います。

高橋 うんうん。

インタビュアー なっちゃんのお母さんかな。

高橋 うん、そうそうそう。

インタビュアー はいはいはい。

高橋 行って、あの、意見聞きたいんだけれども、今、そのー、その、この部分をね、とう…、で、この金は全部東京都が今、出してるわけよ。例えば10億円なら10億円かかる費用を。それをガイドヘルパー制度に俺が変えたいと。いわゆる、その、手当化してね。ん、からガイドヘルパー制度に変えたい。そのガイドヘルパー制度にする時に、いわゆる障害種別を越えて、と。脳性マヒの人だけじゃなくって、あー、例えば筋ジスも頚損も。ね、だから骨形成まで取れるようにすると。それにプラス知的障害の人にも使えるような制度にすると。で、年齢も例えばね、あの、18歳とかに引き下げると。ね。そういう風に、えー、考えてるんだけれども、結構、親なんかは反対するだろうねと。

インタビュアー 親は。

高橋 うん。まあ、まあ、既得権だからさ。手当として。今、だから、東京にいると大体、1級の重度の人だと大体、ねえ、20歳になると大体27、8万入るわけよ。年金が8万3千円でしょ。特別障害手当が2万6千いくらでしょ。それに東京都の福祉手当が1万5千500円でしょ。大体、大体、重度手当も取れるでしょ。そうすると6万円でしょ。で、脳派遣事業で7万8千円でしょ。すると、27、8万。

インタビュアー 1種、1級で、自立してる場合ですよね。

高橋 1種って、あの、ほら、割引制度、(?)。

インタビュアー あっそうかそうか、1級、1級、1級。

高橋 1級で。自立してなくても親と一緒でも。

インタビュアー 親と一緒でもこれが出てますっけ。ああそうですか。ああ。

高橋 うん。出るわけよ。

ただ氏 え、派遣事業とはまた、派遣? 派遣事業ですか?

高橋 脳性マヒ者介護人派遣事業っていうのは残ってるわけ。12回。家族、だから、本当のこと言うと他人介護なんだけれども、他人介護がいない場合には親が受け取ってもいいですよという制度があったの。

インタビュアー ああ。そういうのも8千円(?)というのがあって。あるんですか。

高橋 うん。

インタビュアー ああ、ああ、そうか。

[00:04:09]
高橋 だからみんな親のもう…、だからそれは他人介護なんか使わないわけ。うん。

インタビュアー うん。

高橋 手当として。そういう面での相談して、それをこういう風にやりたいと、もう今なら、限定で(?)、ガイドヘルパーに替えりゃあ(?)、国が2分の1に(?)出ると。で、とう…、で、えー、当事者から声が上がってないと。上がっていけば東京も乗る可能性がある、(?)と思ってたわけよ。

インタビュアー ああ、ああ。

高橋 て話(?)した時に、そういう時に、やっぱり、その世界に入っちゃうわけよ、自分が。そういう面では。こういうあれがあるから、こういうふうにこうやってこうやっていって、やりたいといって言うわけよ。そういう時って、「あ、疲れたなあ。」っていった時が、こう、自分では分かるのね。そのー、こう、説得しようというのが、こう、ありありとエネルギーが出てくるのがあるわけよ。だからそういう面ではさみしい人生だなって思ったわけ。

インタビュアー はあー。もう、疲れてても湧いてきちゃうんですか?

高橋 そうそう。

インタビュアー もう、説得したいと。

高橋 説得したいというか。もうだから、

インタビュアー 作るぞ…、

高橋 その、義(?)が正しいとかじゃなくって、そうするのが、世のため人のためとは言わないけれども、みんながよくなるんだという信念なのよ。
女性1 うん。 高橋 だから自己満足と言われるか分かんないけど。 インタビュアー (笑) 高橋 そういうのがこう、エネルギー、こう出てくるわけ。 ただ氏 ああ、じゃあ、水戸黄門様がお好きなのか(?)。 高橋 (笑) 女性1 (笑) インタビュアー (笑)。黄門様、好きなんすか。ちなみに。 高橋 好きというか、分かりやすいじゃない。(?)

[00:05:35]
インタビュアー 分かりやすいですよね。

高橋 うん。それだけの話よ。

高橋 ねえ、お風呂場にいた悪代官がいてさ、にやって笑ってさ。

同席者皆さん (笑)

高橋 ねえ、んなん、(?)よね。だけど(?)、そうでしょう。とかさ。それなら最初から、ねえ、印籠出せ、とか言ってさあ、

同席者皆さん (笑)

高橋 言いながらさ、言いながら見てしまうという。

インタビュアー (笑) 言いながら見てしまう。ああ。

高橋 そうそう、疲れるよ。

同席者一同 (笑)

インタビュアー はあー、湧いちゃいますか。

高橋 うん。

インタビュアー 説得したいという…。(?)、

高橋 説得したいというかね、やっぱり、あの、次の大体ほら、その、あの、到達点がさ、これなら乗ってくるだろうとかさ、それ、見えてくるわけ、すーっと。それの到達点が見えると、それに向かって結集するわけよ。

インタビュアー もう、エネルギーが。

高橋 そのエネルギーをこう、(?)、どうやったらいい、どうやったらいい、どうやったらいい、どうやったらいい、って。

女性1 そういうのって、でも最初から、え、それって、生まれ…、生まれつきっていうか、元々そういうのが得意なんですか。それともやってく中でそういう風になったんですか。そういう才能というか。

高橋 それは私の意志の、(?)に聞いてみてってくれって(?)。それは分かんないわねえ、うーん、だって。天性と言やあ天性だし。

インタビュアー 磨いてきたと言えば磨いて、きましたね。

高橋 それはもう感性の問題だと思うよ。昔、あん…、お前も、あ、お前も、っていうかさ、「あんたも感性の悪い女だね。」って言ったらさ「あんたに感性て言われる筋合いはない!」って言われて、あ、そりゃそうだな、って思って「ごめんなさい。」ってすぐ謝ったけどさ。

インタビュアー・女性1 (笑)

高橋 そりゃそうだと思った。そりゃそうだよね、生まれ育ちが違うとやっぱ、その育ったもんだからさ。それを他人がさ、「お前の感性が、(?)」「お前と言う筋合いはねえ。」(?)というさ、と同じでさ。ねえ。

[00:07:15]
インタビュアー そうですよねえ。面白いなあ。へえー。でも、あの、例えばね、僕、すごく興味持つのは、修さん、25歳まででしたっけ?

高橋 26。

インタビュアー 26まで、家に。えっとですね、もう受容されたということでお聞きしたんですけれど、その新潟に…、の家でいらっしゃるの26年ですよね。それで基本的に離れで、というか、

高橋 まあ、そうね、離れというか、まあ、ね、

インタビュアー まあ、座敷牢的な感じ、だったんですよね。

高橋 座敷牢というか、痛かった(?)ねえ。

インタビュアー ええ、ええ、ええ。で、25…、6年間。その間、あの、勉強の道具っていうかは、まあ、ラジオだけという感じですよね。

高橋 まあラジオ、でも、日本経済新聞読んでたから。

インタビュアー 日経新聞とラジオと。

高橋 まあでも、漢字のほうは分かんなかったから。今は何か目が見えないから、(?)。まあ、ひらがなとね。

インタビュアー はあ、はあ、はあ。

高橋 でも、ひらがなってどうやって覚えたのかな。

インタビュアー ひらがなで日経新聞読めないですよね。

高橋 あ、ひらがなはね、あれ、『赤胴鈴之助』で覚えたんだ。赤胴鈴之助カルタっていうの。昔、近所の子ども、同じ年代よりちょっと下ぐらい、遊びに来てくれたのね。でー、あの、カルタ当時やってたわけ。 ほいで、途中まで、俺って(?)、ほら、断トツ勝てて勝ち抜いてたわけだよ。だからね(?)、あんまり負けるの好きじゃない方だから。
 いかんせん(?)、途中上(?)ね、ちょっと作ってる話もあるんだけどね。そこまではっきり覚えてるわけじゃないんだけれど。突然、負けだしたわけよ。
 でまあ、何で負けだしたのかなあって思って。みんな小学校に上がったから字で追ってくるわけよ。赤胴、赤胴鈴之助の。だから、こっちは絵で覚えてるから。
 例えば、「犬も歩けば棒に当たる」とかさ、ねえ、あのいわゆるさ、えー、ね、坊主だとかさ、こいこいみたいなのが坊主だとか、そういうのなら絵が違うから、やっぱ、赤胴鈴之助とかさ、例えばさ、ねえ、絵なんて大差ないわけよ。そんなに。刀を振り上げてるか、横に差してるかの話でしょ。隣にお姉さんがいるかさ、お爺さんがいるかの話でしょ。
 大差ないわけよ。犬や猫だったら分かるけどさ。そうすると、向こうは字で追ってくるわけよ。字で追ってくるか、っていうのは、ね、「今日も元気」で「き」で入れるわけよ。 「き」、「今日も元気な赤胴鈴之助」とかさ、「今日もニコニコ安積遊歩」とかさ。
 「き」で入ってくる。こっちは最後まで言わなきゃ分かんないわけ。

インタビュアー ああー、犬とかまで出てこないと。

高橋 うん、例えばね。だから「今日も元気な」ね、で、何々と言ったら、そこでさ、勝てたと思ってさ、負けたくねえと思って、どうも何か、あいうえおを練習したんですよ。

インタビュアー なるほど。負けたくないっての、

ただ氏 それはどうやって練習するんですか?

高橋 いやー、やっぱり…、いや、誰かに聞いて、あいうえおの、あれを書いて、うん、やっぱりしたんではないかな。

インタビュアー うーん、すごい独学ですね。うーんと、だいぶ飛びましたね、えーっと、ヒューマンケア…、えっと、中西さんの影響としてはやっぱりその、サービスでいくんだと。もう仕事として割り切…、ろう…、(?)。

高橋 それとやっぱり、でも中西さんは、んー、どうなのか分かんないけど、でもその中でやっぱり個人運動ではだめなんだと。やっぱり組織運動に変えていかなきゃだめなんだというので、すごく自分は自分なりに「あっ、これだな。」と思ったよね。

インタビュアー うん。なるほどね。で、

高橋 だから、▼90年の、10月ぐらいから、俺、うーんと、まあね、んー、野口に話をして、え、して、その二人に関わる介護者に、と話をしながら、自立生活、こう、そういうの作っていきたいね、と。90年の10月ぐらいだったと思うんだよね。半年がかりでやったよね。
 で、91年の4月に、自立生活センター立川を作った。うん。

インタビュアー ふーん、なるほど。それでまあ今に至る。大体、流れとしては。

高橋 うん。

インタビュアー それでまあ、ハット(HAT)も、一昨年あって。[00:12:05] ええ。そうか、修さんが、じゃあ次、次の到達点が見えてくると、その、あの、才能というか天性というか、まあ、磨いてきたものというか、で、その、さっき出た知的障害の人の、えーと、まあ、制度を作る、作りたいというのがあるんですけど、他にも今いくつか見えてる日本の福祉っちゅうか、自分が実現したいぞって見えているものってあるんですか。

高橋 うーん。いやー、見えてればねえ、もう、そうゆう気合い(?)もあると思うんだけど。

インタビュアー ああ。え、じゃあ、その、知的障害ってとこで絞って、要するに知的障害の人のサービス…、

高橋 違う、今、だから制度的な中でね、知的障害の部分に関してサービスがないわけよ。この、介護保険…、介護保険というか、脳性マヒ者の部分を、あの、引き…、引き…、あの、引き込んでね、その時に、やっぱり全体的なガイドヘルパー制度を作りたいね、ってのはあるよ。

インタビュアー ガイドヘルパーは、国が2分の1で、

高橋 うん。そしたらお金が増えて、(?)、東京都も助かるわけだし、助かるというかね。

インタビュアー ああ。そいで、あの、じゃあ、

高橋 例えば、それと条件に、こっちも、まあ、ある面でさ、まあ、その中には(?)、親から非難ごうごう受けると思うんだけどね。

インタビュアー ええ、ええ。

高橋 受けるんだけれども、全体的にはサービス料の大幅増になるわけだよ。ねえ。なるわけだから、それはやりたいね、ってなる。結果的、最終的には、それはプラスになると思うし。

インタビュアー あ、要するに脳性マヒ者介護派遣事業をなくして、もう、ガイドヘルバー制度にしようという。

高橋 そうだよ。うん、その時に、対象者も、大幅に増やそうと。

[00:14:15]
インタビュアー ああ、ああ。なるほどね。あれ、全身性にな…、あ、まあいいか、この、小ちゃい話は。えーと、あと、だいぶ、あせって(?)きた、大丈夫かな。あとね、個人…、あ、そう。僕ね、個人的な…、これ実に個人的なポイントなんで立ち入ってお聞きして、嫌だったら「聞くな。」ということで。

高橋 (笑) 聞かれないと分かんないやね。

インタビュアー うん。いや、僕ねえ、祖父母がクリスチャンだったんですよ。それで、僕の両親も最近クリスチャンになったんですけど。それで、僕にも影響がすごくあるんですよね。あの、洗礼とかは受けてないんですけど、基本的に、その、イエス・キリストの考えとかを、こう、基盤にしているようなところがあるんですよね。それで、修さんち、この前、伺った時、僕ねえ、人の家の本棚見るのが大好きな、趣味というね、困ったのがありましてですね、

高橋 (笑)

インタビュアー ちょろちょろ見ちゃうんですね。そしたら、「うわ! これは面白い。」という。

高橋 (笑)

インタビュアー 修さんの原動力の一つに、やっぱり、そのー、キリストの生き様とか、そういうのがすごくあるのだろうなと、ちらりと見ましてですね。その辺ていうのはどうなんですか。原動力の一つとして。何か…、

高橋 でも今やっていることと…。あの、教会に行ってるっていうのはすごい私的なことなのよ、自分の中で。
インタビュアー ええ、ええ、ええ。 高橋 仕事とか活動ってのは、おおやけ…、自分のそういう面では公(おおやけ)的な部分なのね。 インタビュアー ええ、ええ、ええ。 高橋 だからそういう面で今の自分の人生にとって、あの、教会に行くという部分しか私的な部分がないわけよ。と思ってるの。 インタビュアー ああ、ここしか…、 高橋 うん。だからそれを大事にしたいという。 インタビュアー ああ。 高橋 何と寂しい話。 同席者皆さん (笑) 高橋 (?)でしょう。

[00:16:18]
同席者皆さん (笑)

高橋 いやいやいや、自分で言わないと、寂しい人生だなと。(?)、

同席者皆さん (笑)

インタビュアー あ、いやいやいや。あー、そうですか。

高橋 そうそうそうそう。

インタビュアー あ、そっか、

ただ氏 だって、よくお酒とかよく飲んでるじゃないですか。

高橋 飲むとカトリックなんかガンガン飲んでるじゃない、ねえ。

ただ氏 いやだからそういう意味じゃなくて、そういうのはプライベートな時間じゃないのかなと思って。気の置ける友達と、言いたいこと言って、

高橋 ああー、でも、いや、俺、でも、酒…、ああー、それは、ただちゃんがそう言うのは、だって、酒飲むのがプライベートな気の合った…、そんな俺、気の合った人間といる(?)と思えないもん。

インタビュアー あ、そうですか。あ、じゃもう、本当にプライベートなというところで、

高橋 そうそうそうそう。

インタビュアー こ、ここでのなんか自分の学びとかが、

高橋 ちょ、ちょっと、(?)。うん。

インタビュアー こう、例えばこの、公的な部分にインパクトもたらしてるとかは、

高橋 あ、それはない。逆に自分みたいに、やっぱりこう…、やっぱり自分でさ、何ていうかなあ、だいか(代価?対価?)求めるじゃない? 人間ていうのは。人生。これだけ、あの、愛情なんかもそうじゃない。これだけ愛してるのに、俺、最初にそのー、うちの、いわゆるうちは、その、長老制でも何でもないけれども、まあ、何とかというと(?)、長老制かな。まあ、教会なんだけれども。

インタビュアー ええ。

高橋 最初、メッセージっていうか話聞いた時に、俺もそう、と、同じ(?)だけれども、やっぱり人間ってさあ、例えばほら、対価求めるじゃん。例えば、これだけ俺はまあ例えばね、たださんなら「ただちゃん、さっちゃん愛してるんだからあんたもちょっとは返してくれよ」とかさあ、

ただ氏 (笑)

高橋 なるじゃん、愛情関係ってのは。で、「これだけお前にしてやってんだからさあ、このぐれえあってもいいんじゃない」って、それはその自分の愛情関係もそうだし、物事の貸し借りの中でもそうじゃない。あるじゃない。「こんなに、(?)にやってやってんだから、この障害者もこのぐらい返してくれたっていいのにな」とかさ、そんなん、大体そういう関係あるじゃない。だから、あの、宗教的からいけばさ、神はそういうことはないんだと。一方的に、ね、だって俺なんかさ、かなり罪深いと思うけどさあ、もうね、ちゃんとこうね、いや、ねえ、だめになろう、だめになったと思った時に、いけ(?)[00:18:40]、救急車で運ばれて、ああもう俺の人生終わったな、と思った時に、うん、介護に来ててくれた子が、「自分…、私の行っているとこに、教会に行かない?」と言って。まあ、そん時に、だから、そうじゃなけりゃきっと俺死んでたと思うのね。

インタビュアー ああ。はあ、ああ、

高橋 うん、そういう面でね。

インタビュアー ああ、行ったきっかけですね。

高橋 うん。

高橋 だからそういう面からいけば、それ、で、今あると思うのね。だから、そういう面ではその、まあ、その、メッセージの中でね、しっかり(?)、みんなだいか(代価?対価)を求める。しかし神はそういうことはないんだと。ね。裏切ろうがじーっと待っててくれると。ね。愛情降り注ぎだ、と。

ただ氏 (笑)

高橋 あ、なるほどな、と。もう、そう思ったわけ。ああ、俺もそういう風になりたいなと思った。それにしちゃあ、もう、肉が取れてねえなと思うんだけどさ。

インタビュアー (笑)

高橋 だからそういう面では、これだけしてやったのにというのはない。人に。だからそういう面での、まあ、多少ね、あの、時々、ぱってことは(?)出るかわかんないけれど、基本的にはね、あの、ない。それは、そのー、教会に、という中での、ない…、あれだし、やっぱり、んー、まあ、二つのあれだよね。ちょっと矛盾してるか分からんけど、教会に、まあ、いるからそういうの、の、意識にならないし、敢えて言うかね(?)、自分の傲慢さが出ないのと。やっぱりそういう面ではその、コウ・カウンセリングをやる中で、コウ・カンの中で、やっぱり、ちゃんとね、自分が、のことをちゃんと何と言うか伝えなきゃだめなんだと。まあ未熟だけどね。その二つのなか。

インタビュアー うーん。

高橋 うん。

インタビュアー ちょちょ、ちょっと待って。コウ・カンは自分を伝える。

高橋 うん。(?)。

インタビュアー ああ、それで、教会は、まあ、謙虚さという。

高橋 うん。だから、そういうの俺どこまでも走っちゃうと思うよね。この二つの中でちょっと、俺、走っちゃうね。結構。どう走っちゃうか分かんないね。だ、みんな、だって、みんな、だって、どっかにその、ブレーキがなけりゃさ。

インタビュアー なるほどね。言葉って本当に、自分がどの言葉に惹かれるかって、すごく面白いなって僕よく話聞くんだけど、人から。やっぱりこれ、修さんの、神はそういうことがない、まあ裏切ろうが何しようが、愛を注ぎ続けるという、とか。インタビュアー そこに何か、こう、このメッセージに惹かれたっていうのが、

高橋 うん。

インタビュアー 今なんか、なるほどなって感じがしましたね。

高橋 うーん。

インタビュアー うん。なるほど。で、これってでも、インパクトあるんじゃないんですかね。インパクトあるっていうか、元々持ってらっしゃったものだと思うんだけど。これすごく、修さんの運動の、何かこう、原点というか、何か、これだなっていう気がするんですよね。
高橋 冗談でよく言うんだけども、「たまにはさ、お中元か、持ってこいよ。」って言ってさ。言うわけよ。まあ冗談はあれだな(?)。

インタビュアー え? 何を持って来い?

高橋 例えばお中元とか、そういう…。それはね、俺ね、その、自分が欲しいとかじゃないのね。やっぱり、俺がなってるうちはいいんだけれども、ほら。やっぱり障害者でも何でも、やってくれるのが当たり前になっちゃうでしょ。で、違う人だと違うよ、ということを俺は学びたいなと思うのね。

高橋 それでね、俺はね、「虎屋の羊羹がいいんだよ。」と言うんだけど、みんな、そのね、

高橋 お酒さ、俺、家じゃ飲まないもんねえ。酒、ほん…、あの、

ただ氏 まあビールは、飲んでる…、

高橋 1杯ぐらいとか、だって、今までの中そんなに飲んだことないでしょ。たまに人が来て、誰か、わあっと来て、来る、来た時に、

ただ氏 (?)、そうですよね、(?)。

高橋 付き合いで、まあ、あの、やっぱりさ、例えばね隣から人が来たとか、だから、「じゃあ今日、飲む?」とかっていう感じだよね。こう、自分で…、まあビール1杯ぐらいはね。1杯とかね、おいしいけど。基本的に、あの、お酒というのは、あの、一つの仕事だと思ってるから。

インタビュアー・女性1 ああ。

高橋 うん。付き合いはねえ。酒を利用して仕事を増やすという。違うか(笑)。どつぼにはまっていくという。

同席者皆さん (笑)

[00:23:30]
高橋 うん。そ、だ、そういう面でのね、やっぱりこう、どういう風にそういうことをね、伝えていったらいいのかなっていうのは非常にあれだよね、自分がやっているうちはいいけれどさ。うん。そういう風に、だから一歩間違うとさあ、何か持ってこなきゃだめなんだって言って、捉え方によっちゃあさあ、すごく傲慢に映るわけよ。ねえ。でもやっぱり今ってそういうとこあるでしょ。

インタビュアー ええ、ええ、そういう人と。

高橋 うんうん。

インタビュアー どこから本当にその、後続を育てるというか何か、その、こう、そこまで気を配るっていうのが出てきてるんでしょうね。何か、修さん、そのー、例えば伊東の施設にいる時も、すごくその、後輩、可愛いがるっていうところがあるっていうようなこと書いてあって。それ、多分、遡ればもっとあると思うんだけど、でも、始めの26年間は、ほとんど人と交流がなかったわけですよね。

高橋 うん、そうだね。

インタビュアー でも、よく聞くのが、あの、小っちゃい頃の生き方、育ち方、育てられ方っていうのが後の人生にすごく影響するという。例えば、三つ子の魂百まで、みたいな。それが修さんとしてはほとんど、まあ、お母さんというすごい、まあ、愛情のある人はいたけども、他のつながりがないわけじゃないですか。こう、あとの人達を育てる…、

高橋 そうだね、兄弟だから、あって(?)、だって、まあ、親父にね、あの、人が来てやっぱりこういう体を見せられたくないというのがあった、あると、だから「あっち行ってれ。」って、まあ、新潟弁で「あっち行ってれ。」というのが「あっち行け。」ということなんだけどさ。「あっち行ってれ。」と言われるのはもうしょうがないと思ったのね。
 だからやっぱり兄弟に言われた時は、結構俺もショックだったね。姉さんとかにさ。今になって、今でもねえ、今、今はさ、だからねえ、あの、どっか田舎とか帰るとさ、一緒に出るんだけどさ、きっとこれもね、今の立場があるから、あの、兄弟は出る(?)んだけど、これが、ただ俺がさ、施設にただいるだけとかさ、たら、絶対しねえな、と思ってね。だから、これはやっぱりね、と思ってね。
 うん。そうそう。そういう面で。それが結構ねやっぱり、自分にとっては嫌だったね。ね、だって、高校生でね、友達来たからっていって「あっち行って。」って言われりゃあ、うーんやっぱりね、三つ子の魂百まで、持ってた。それは根底に残ってるね。今になって、「修ちゃん、修ちゃん、(?)」あっち行け(?)(笑)。違うか(笑)。
 うーん、ねえ、「人がちょっと、多少ちょっと成功したからってふざけんじゃねえや、って、姉ちゃんよ」とか言って、違うか(笑)。まあ言わないけどね。

インタビュアー まあでも、やっぱその、すごく、排除されるちゅうか、「あっち行ってれ」っていうようなことの、すごい、つらさ? をすごく体現したっていうところが、例えばその、じゃあ、弱い人を見たら、あの、助けるっちゅうかねえ、何かこう力になるっていうことをしないようになったら自分は終わりだっていうようなとこ…、

[00:26:52]
高橋 (?)、それといって俺、そんな器用な人間じゃないから。あの、どういう風に、関係作ったらいいかってのは、照れ屋だからね。でき…、照れ屋っていうか、でき…、できないのね。でも、ほら偽善者らしき(らしく?)やりたくないじゃない。「あ、大丈夫ですかあ?」なんてものはできない。
 ▼やっぱり、あの、醜いものはやっぱり俺も醜いしさ、自分も、ね、己の姿見たらさ、鏡で一歩下がるか分かんない。そんな、そうですよ、そんな。見たことないですよ。おお、と。宇宙人と思うわ(笑)。

インタビュアー あー、これ面白い。どう関係作っていいか分からないって不器用さが、例えば今みたいな、こう、運動みたいな、

高橋 うん、だから俺は、だからそういう意味ではピアカンとかコ・カンでさあ、「大丈夫よ」なんて白々しいこと、

同席者皆さん (笑)

高橋 (?)、遊歩の中で言うじゃん。「何を言ってるか。(?)」って感じでさ。そう思ってね、なくてもさ、「大丈夫よ。」って言って、大丈夫って言ってじゃあ大丈夫じゃなかったらどうするの、っていうのあるじゃん。

インタビュアー うん。そりゃね。

高橋 そうでしょう。(?)、また遊歩が…(笑)。石丸君がいるから言うだけであってさ(笑)。だから、みんな、だから…、

インタビュアー その話あたりで。

高橋 そんなんで、まとまるの?

インタビュアー じゃあ、最後、

高橋 また今度でもいいけれども。この中でも、もしか何点か、もう1回(?)、確認したいのがあればね。

インタビュアー そうですね。ええ、そういう形で。最後に1点だけ。修さんの交渉の時に何度か居合わせたんだけども、

高橋 何の交渉だったのかな。

インタビュアー あの、国立の市役所とか都庁ですよね。それでね、あの、修さんが…、僕、怒る(いかる)ということは、ね、よくないかなっていうのを、こう、もやもやとして持ってたんですけどね、修さんが交渉している時に、言葉はすごいですけども、何か、こうね、修さんの後ろに、どわーっと、こう、人が見えるような気がしたんですよ。

高橋 うそだ(笑)。

インタビュアー 本当、本当、本当。別に背後霊が、わーっとかそういうのじゃないんですけど(笑)。

高橋 いたか(笑)。

インタビュアー (笑) 何かもう本当に、その、後続っていうかね、何かこう、共に運動している人達っていうか。で、その人達が何かこう、見えるような感じっていうか、何かこうねえ、

高橋 なん…、周りにいる実体とじゃなくって。そう、それはいるかも分かんない。うん、俺、個人の要求運動出したことないから。あくまでも。自分が損得で考えた活動、ないから。そういう面で最近ぐじゅぐじゅぐじゅぐじゅ何か言われてね、俺が何か損…、自分のあれでやってっていうような感じで言われてることは、本当に心外だね。
 色々、職場の中とかね、いろんな人いるよね。それは、あ、それは確かにあるからね。やっぱり目に見えない、何かそれがあるからやれるっていう話よね、あの、言えるし。自分の個人でさあ、俺が金くれよなんて言われたら、うーんまあ、ない、やらないよねえ。やりたくもねえよ。(?)。

インタビュアー 怒りっていうのが、その、個人の怒りじゃないんだなっていうのが、ああそうかって分かったんですよ。だからその、後ろに、どわーっといて、そういう人達の思いを汲み上げて、何かここで、こう、な…、怒(いか)ってるんだなあと。

高橋 ああ、それはそう。そうじゃなきゃ、でしょ。よく言うのはね、あの、「私利私欲で動いた覚えはない!」という、まあね、言い切るってのはいいことですと俺なんか(?)、思うけどさ。

インタビュアー 本当にそう思います。だから、それがすごく原動力なんだなあと思って。[00:31:24] それはすごく胸打たれるところがあるんですよね。これをやっぱり確認したかったなあ、というか、やっぱりそうだ。うん。そうそう。

高橋 いやいや、分かんないよ。(?)。わかんないけれども、

インタビュアー 少なくとも僕が居合わせたところでは、やっぱりそう見えてました。

高橋 うーん。

インタビュアー はい。どうも。ちょっと、今日はこんなもんで。すごく面白い話をありがとうございました。

女性1 本当にどうもありがとうございました。

インタビュアー いや、本当に。

高橋 とんでもないです。

[音声終了]


UP:20180722 REV:20190112(81.5)
高橋 修  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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