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『直訴(京都市教育委員会教育長宛 1997年10月26日)』

大葉 利夫 1997

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last update: 20200320


大葉利夫,1997b,『直訴(京都市教育委員会教育長宛 1997年10月26日)』.

1997年10月26日(字句修正)

京都市教育委員会教育長 殿
     あらゆる差別を無くし生きる!「差無生」運動推進協議会会長
     「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会代表
       大葉利夫(都立小金井北高等学校数学科教諭、障碍:視覚)

             「直訴」

 単刀直入に中身に入らさせて頂きます。心臓に障碍を持つ京都市立松原中学校・辻範子教諭の問題が、その人権を無視されたまま、間接的な情報を得る中では、最も危険で避けなければならない「懲戒免職」という貴教委の権力を行使した行為が断行されようとしている局面にまで発展しています。そのため、急遽10月22日に、「大局的な立場」で京都市における教育を捉え、「大局的な立場」から担える教育長との直接の話を求め、10月22日に、その機会の可能性をお伺い致しました。なおかつ緊急性から翌日23日の機会を求めました。本来ならば正式な文書を事前に、しかるべき経路の下でお届けするのが筋でありました。しかし、「懲戒免職」の局面が、すぐそこにある中では、やはり同じ京都市のために公務を司る立場にあり、なおかつ私達が最も信頼を置いている市議会議員・小林あきろう氏に、その私達の「教育長と是非話したい」の要望書を届けて頂くより方法がありませんでした。結果的には、急の私達の申し出に対し、その思いは汲んで頂いたものの、日程上は教育長が23日不在となった事と、元々の担当責任者で私達を無視する事なく対応するようにご指示頂いたと拝察しました。
 私達は、教育長でなければ、この局面を「正しく捉え、正しく判断出来る」事はないと考えておりましたが、まずはこの危急の事態の中では、教育長の意思も尊重し、なおかつ少しでも当該に「正常な可能性」をもたらす事が出来ればと考え、先日の教育長への要望書に書いた「一部の人達」の攻撃から当日当該を守りつつ、担当の薮田氏と話し合う事にしました。
 結局23日は、急な予定に対して薮田氏の確保出来る時間が一時間足らずと限られてしまい、十分な話し合いは出来ませんでした。また、お互いの立場が優先したままの話の中身となってしまいました。7月1日以降の流れの中では予想される内容ではありました。しかし、6月28日以来の再会の場で薮田氏と私とが話し合う中で、改めて感じた点があります。添付した文書は、私が薮田氏と共に94年9月以降、互いに互いの立場がある中で、互いに互いの立場を越えて、本当に苦しみながらも力を合わせて、障持者が安心して勤務の出来る制度のない中で、緻密に連絡を取りながら、未知の可能性を求めて歩んだ年月に思いを込めて、私が全く個人的な立場で個人としての薮田氏に宛てた文書「源思」です。出来れば今回個人のものとして添付する予定として考えていませんでしたが、23日の再会の中で感じた点と密接に結び付くものであるため、添付する事に決めました。「源思」を読んで頂いた後で、これからの部分をお読み下さい。
 23日の再会で感じた点は、先ほど申した通り、互いに互いの立場を主張する場ではありましたが、その貴重な場面で感じた事は、やはり薮田氏と私は、他の人達ではやり得なかった事をやってきた「同じ立場」であるという事です。
 ただ、それが、現行の制度とか子供達の教育権等を優先する立場と、なおかつ保護者や学校現場や貴教委の中からの動きの渦中で悩む薮田氏としては、薮田氏の7月1日以降の「判断」であった事。
 私は、多くの障持者が排除されてきた過去の歴史や、まだ持ち時間を減らすための予算の額を可能性大と、同僚への校務分掌の負担転嫁がなされている中で、7月1日からの当該の一学期末という変則的な時期での実質的な持ち時間を含めた勤務の負担が減少すると、判断した事。
 この二つが、7月2日以降の当該のゆくえを大きく左右してしまった事、薮田氏と私とが7月1日までの「同じ立場」を取れなくなった事と強く再認識しました。
 再会の貴重な時間でも、また今までも何回も薮田氏に話してきた、私が運動で踏まえている基本的な考えを、ここで繰り返し述べます。それは、確かに障持者に対しての働く権利を保障する制度確立を運動の柱にしていますが、いつもその根底に「学校は何のために存在するのか」、「子供達の教育を受ける権利を侵害してはならない」を踏まえている事であります。算出の基準の妥当性はともかくとして、自習時間が多い事は当然回避しなければなりません。子供達の教育権の侵害に当然なります。だからこそ、3月復職の時点から、私と薮田氏とで、5月中に持ち時間を減らす事への実現を図ろうと互いに考えていたのではないでしょうか。その実現が遅れれば、今回のような事態が招かれる事は、当然予測されていた事です。だからこそ、私達は府教委に「別枠」を求める行動を取りました。だからこそ、94年9月9日の時から、持ち時間を減らす事を実現する事を要望してきました。それ以外の点で、薮田氏と私とで成し得た事はいかに多くあったとしても、同僚への負担転嫁につながってしまったり、生徒への教育権侵害につながってしまうものであります。校務分掌は同僚に負担転嫁が出来ても、持ち時間については出来ません。それほど持ち時間は子供達の教育権を保障するために重要であり、簡単に同僚にその転嫁が出来ないという事は明白であります。ですから、薮田氏に宛てた「源思」にも述べたように、障持者である教師にとって持ち時間を減らす事が、実現の「第一条件」であるのは、教育長もおわかり頂けると私は信じております。
 7月1日の「判断」の結果、今日の危機的な状況が作られました。その判断の妥当性は、互いの立場から、今論じている時間はありません。私達が8月28日、府教委との間で「別枠」の持ち時間を減らす事への確実な確認事項があります。それは文部省の指導の下でなされた他県の事例として認められています。6月27日の段階では文部省の事例が確認出来ていなかったため、含みを持たせた府教委の前向きの決断を得るに留まりました。今は違います。文部省の具体的事例です。府教委は、今の当該の危険な事態に対し、予算的負担を覚悟してくれて、私達に対して、誠意ある答えをくれました。勿論、この事例そのものは、私達の運動にとっては不本意な内容であります。しかし、制度確立までの中では、私達も行政も、ある程度の妥協が必要であります。あとは貴教委が府教委と同様に当該のために、また京都市の教育のために決断されるだけであります。
 23日の再会の場面では、互いの立場から「同じ立場」に、薮田氏と私はなれませんでした。どうか、教育長自らの指示により、薮田氏と私が再び「同じ立場」になれるようにして下さい。それしか問題の解決は見いだせないと私は判断します。当該が安心して学校長に連絡を出来るようにして下さい。今のままでは、とても無理です。どうかよろしくお願い致します。




*作成:安田 智博
UP: 20200320 REV:
障害学 全文掲載
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