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「子どもは時代に育てられる──子どもを責めるまえに大人自身を問うては」

拓植 真理子(辻範子) 1992 『ひと』太郎次郎社,20(4),82-7.

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last update: 20200320


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小特集
悩める教師たち

子どもは時代に育てられる
子どもを責めるまえに大人自身が問うては

拓植真理子

ふつうの子はつっぱりに憧れても, 勇気がないからできない
昔から子どもたちのなかには,いわゆる不良と呼ばれる生徒がいたものです。でも,現代の“非行”と呼ばれる子どもたちの状態と比較してみて,昔とはかなり違ってきているのではないかと私は思います。それを感じだしたのは,10年近くまえでした。
ごく普通の子どもたちがつっぱりのお兄ちゃんたちの絵を見せて,私に「先生,これカッコいいでしょ」と言うのです。彼らの弁によると,「つっぱりに憧れるが,自分たちは勇気がないのであそこまではできない」というのです。すべての生徒がそう考えているわけではありませんが,一握りの子たちを除いて,かなり多くの子どもたちが少なからず,そういう気持ちをもっていることを知らされました。
私の中学時代には,問題をおこす生徒とほかの生徒のあいだには,かなりはっきりした壁があったように思います。少なくともそれに憧れを抱くというものではなかったと思います。
それは,子どもたちの身近なところでは,両親からはじまる大人たちに対する不信感からきているものだと思います。
私が,そのころから感じだした危機感は,たとえ学校が荒れていなくても薄れるどころか深まる一方です。それは私たち大人が,一人一人の子どもをありのままに受(      )け入れられなくなったところから端を発しているように,思えてなりません。「こうでなければ」という社会的な風潮だけで,無意識に子どもを型にはめこもうとしているのではないでしょうか。現在できてしまっている既成の価値観を,もう一度洗い直してみる必要を強く感じます。
数年前,施設(いろいろな事情で保護者のいない子どもを収容する施設)を含む中学校に勤務していました。赴任した当初,私は3年生を担任していたこともあって,基本的に授業を受ける態度だけはしっかり身につけさせたいと思っていましたから,生徒たちは私のキツさにたじたじしていました。
そのなかで,一見してスケ番と思わせる女生徒がいました。彼女は施設に

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いました。初め不承不承,私の言うことを聞いていたのですが,文化祭のころには,ふてくされた態度も見せなくなり,かなり話せるようになっていました。
彼女は小学校の途中で施設にきたようです。そのころ,施設の上級生からいつもいじめられ,勉強も手につかなくなり,それ以後,成績はがた落ちだと話してくれました。自分はとてもつらい思いをしたから,後輩にはそんな思いをさせたくないというその子を見て,心のやさしい子なんだなあと思いました。「でも,結局,私たちは大人の犠牲よ!」という彼女のことばは重く,私にはなにも答えることはできませんでした。
卒業間近になったある日,「先生,私,まえに覚醒剤やったことあるよ」と言ったのです。私はそのことばにとまどいましたが,思いあたる節はありました。ある時期,話しかけてもその反応が異様だったのです。そのときは,シンナーかな? と思っていましたが。心配そうな私の顔を見て「いまはもうやってないし大丈夫」とつけ加えました。覚醒剤ということばにうろたえた私は「先生に話したの?」と聞いていました。彼女に「先コウなんかに言うわけないだろ」と答えられ,思わず「私だって先生じゃない」と言ってしまい,「先生はべつ」と言われ,なんともいえない複雑な思いを抱きました。
よく叱る,うっとうしい教師を慕っていたクラスのボス
翌年,受けもった学年は,30年近く教師をしてきた人に「自分の教育観がくずれた」と言わしめるほど,桁はずれた子どもたちが各クラスに数名いました。
その学年のボスの一人がいるクラスは,比較的おとなしいタイプの生徒たちが多く,彼が授業妨害をしないときは,騒がしくて困るということのあまりないクラスでした。だが,いったん彼の“指示”があると,彼の手下の4・5人の男子生徒が“活動”しだし,授業は収拾がつかなくなるのです。
夏の暑いある日,そのクラスのボス的存在の男子生徒が,なにやら机上に持ちだして手遊びしています。ほかの生徒は静かに勉強していました。私は彼の机のそばにしゃがんで「なにしてるの?」と声をかけ,いま勉強しているところを説明しました。すると彼は「オレ,いま,なにも授業の邪魔してないぜ。なんでそんなに汗かいて,一生懸命,オレに言うんだよ。なにか言ったら,得することでもあるのか。給料でも上がるのかよ」と言ったのです。私はそのことばに少々面食らいましたが,いつもの口ぐせで「ばか!」と言い,「人間は損か得かだけで行動すると限るか!」とけっこう乱暴な言い方をしました。ともかく,そのことはとても印象的でした。彼がそういった損得の論理をもたざるをえなかった生い立ちを思い,そのやり場のない気

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持ちに同情を禁じえませんでした。
また,なにかのことでその彼とやりあいました。腹を立てた彼が,私の足元にむかってクラスの植木鉢を投げつけたのです。私はあたらないように足元に投げたなと思いましたが,「もとにもどしとけ!」と大声で叱って,教室を後にしました。(手下の手前,その場でやらないのがわかっていたからです。)後でこっそり教室をのぞいたら,植木鉢はきれいにもとにもどされていました。その後,「ちゃんと,もとにもどしたらしいね」と言うと,「オレだってやるときはやるんだ」と少々得意顔でした。本人がやったか手下にやらせたかは,明らかではありませんが。
その後,私は学校を休むことになり,彼らとは卒業するまで顔をあわせることはありませんでしたが,学校に復帰したある日,ひとりのお母さんに「先生,あの問題児たちは先生がもどってこられるのを,首を長くして待っていたのですよ。卒業までもどってこないのかと毎日,言っていたのですよ」と言われました。私は目のまえで「うっとうしい」などとよく言われていたので,そのことを話すと「あの子たちはそういう言いかたしか,できないのですよ」と言われました。
トイレの縄張りを主張する3年生に「なぜ?」といったY子
それから,小規模校に転勤した当時に受けもった中1のクラスにY子という少女がいました。小学校から送ってきた彼女の成績をみると,トップクラスに属していました。しっかりした子でしたが,少々くせがあり,だれからも好かれるというタイプの子ではありませんでした。けっこう,批判的な,それも文句をいうような表現をすることが多々ありました。その彼女が,3年生の女生徒から目をつけられているということを聞きました。
それは,2階にあるトイレにはいったことがきっかけだというのです。1年生と3年生が2階の教室を使用していましたので,当然1年生も2階のトイレを使うことになるのですが,3年生の女生徒たちは,「ここは1年の生徒は使用禁止!」と言うのです。その理由といえば,「私たちが1年のときからそうだった。私たちも1階のトイレまで行っていたから」というものなのです。
以前,ひどく学校が荒れて校内暴力のまっただなかのときに,いろいろな行動を1年生に見られたくないために,3年生が1年生を追いはらった“伝統”が,いまもそのまま残されたようでした。その3年生たちは追いはらわれた経験があり,自分たちもそれに甘んじたのだから,3年生になったいま,さも権利があるとばかりに大上段に主張したそうです。
「使用してはいけない」というそのことばだけで,ほとんどの子は萎縮して,顔も上げられずにそのことばを聞いたようでしたが,Y子だけは,彼女の特徴である少し上目づかいの目で先輩を見て「なぜですか?」と尋ねたというのです。
そのことが3年生の目に生意気と映ったらしく,すぐに3年生の間で評判になってしまい,3年生が“どんな子”だと,Y子の教室にとっかえひっかえ見にくるというのです。
彼女は自分を持ったしっかりした子でしたが,入学そうそうのこの事件にはまいってしまい,元気をなくしてしまいました。
また,3年生や2年生の教室のまえをとおってはいけないということで,3階に行くのにわざわざ2階から1階までおり,また改めて3階へ行くということまでしていました。
私たち教師は,狭い縄張り争いのような考えをやめるよう3年生に指導しましたが,彼女たちは「自分たちもそ

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うしてきたんだから」と,なかなか改めようとはしませんでした。ですが,3年生に注意したことでY子に対する“圧力”的なものだけはほとんどなくなりました。
この事件のおかげで1年生たちは,自分たちが味わった苦い思いは後輩に味あわせないようにしたいという気持ちになったようでした。
あるとき,そのY子がバス料金を小学生の運賃で利用できて得をしたと班ノートに書いてきました。私は,それはやはりいけないことだからやめてほしい,そんなことであなたの心を汚してほしくないなどと書きました。私の意見に「わかった。わかった」「もうしません」を連発していた彼女でしたが,その後,お母さんはなんて言ってるの? と聞くと,彼女は「経済的でいいって言っている」と答えました。私は唖然としました。
その後,クラスでカンニングがあり,彼女もそれにかかわっていたことがわかりました。彼女は成績がいいほうなので,答案を見せたほうでした。うしろの席の生徒からカンニングさせてくれと言われたそうです。そのとき,「おごってくれるなら」と承諾したというのです。私は,「ああ,この子の損得勘定がここに表れた」と思い,例のバス運賃の話をもちだし,きびしく叱りました。「見てごらん。あんたのそういう考え方がこういうことにつながったでしょう!」と。私は悲しくて涙を流して叱りました。彼女も私の言うことをすぐに理解し,泣いていました。
筆箱からネコのエサまで万引きしていた,豊かな家庭の女子
このカンニングの前後,おなじクラスで数人の女生徒が,万引きした事件がありました。そのうちのひとり(主犯の生徒)は,小柄でおしゃれな,ミーハー的要素たっぷりの女の子で,成績はまあまあ,中の上というところでした。入学してまわりのようすに慣れはじめたころから,3年生の男子の噂できゃあきゃあいうような生徒でした。
その彼女が万引きをしていたことがわかったのです。その現場にいた生徒たちが思いあまって,相談にきたことから発覚したのですが,彼女は数人の友人たちをまえに「ちがう」と公言してはばかりませんでした。反省の色はなく,なんとか取りつくろうことに必死な彼女に,ほかの教師はあきれ返り,「あれは,もうどうしようもない」とさじを投げていました。
ですが,長い時間,きびしく問いつめられた彼女は,泣きながら,やっとポツポツと話しはじめました。万引きはその場のことだけではなく,数か月まえからはじまっていて,それは数軒の店におよび,点数にして百点以上にもなっていました。
驚いたことに彼女は,数か月まえに万引きした店や品数を,ほとんど正確に覚えているのです。筆箱や下敷きにはじまって,ネコのエサなど,さまざまな物を盗んでいました。いままで成功していたので,お金をだして買うことがばからしくなったというのです。
最近の万引きする子どもたちの例にもれず,彼女の家も金銭的に困っていたわけではありません。父親は,小さな会社を経営し,瀟洒(しようしや)なマンションでの暮らしは,経済的には恵まれたごく一般的な家庭にみえましたが,その家庭は,父親が仕事で忙しいという理由でほとんど不在で,その姉も不安定な状態でした。
その事件後,彼女の母親には「けっして,こんなことをして恥ずかしいなどと責めないでください。お子さんは,とても寂しい気持ちからこういう行動にはしったのです。ご家庭でご夫婦で話しあってください。原因は親にあります」とはっきり言いました。その後,彼女の人相が変わり明るくなっ

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たと,まわりの教師に言われました。
母親がなじらなくなったらさみしそうになった男子
文化祭まえのある日,ひとりの男子生徒が私のところにきて,「先生,話があります」とあらたまった調子で話しだしました。
「じつはぼくたちは,昨日,お菓子を買ってきて教室で食べました。すみませんでした」と謝るのです。今朝,彼らは私の顔色をうかがい,いつもどおりなので,これは知られていないと思い,先生の知らないところであんなことをして悪かったと考え,謝りにきたというのです。
それを聞いて私は,ひとこと「知ってたよ」と言いました。彼は青天の霹靂(へきれき)という顔でポカンとしていました。「先生は食べた現場を見てないでしょ」という私に,なぜ追求しなかったのか? と聞きたげでした。私は「先生が,犯人捜しは好きじゃないこと,知ってるでしょ」と言いました。そのことばを聞くと,彼はなにも言わず,深く頭を下げて帰っていきました。
私は,いわゆる犯人をあげることは,好きではありません。子どもたちにはそのことをよく話していました。
彼らに話せるだけ話して,その後は信じて待つしかないと思っています。ときには,だまされることもあります。でも,信頼したい気持ちは,子どもたちにかならず通じるものだと思います。逆に,力の論理で押さえたら,かならず力ではね返ってきます。相手の力が強くなったときは,収拾がつかなくなるでしょう。
その後,クラスから服装違反者が数名でました。彼らはいい格好はしたいのですが,あまり私に迷惑をかけてはいけないからと,自粛したと言うのです。(まわりの教師に私がなにか言われるのが,かわいそうだということらしいのです。)
私が服装違反でこっぴどく叱らないのを知っているのです。もちろん規則違反を奨励しているわけではありませんが,そういう格好をすることによって,生きがいを見いだしている彼らの状態をただ叱ったり,圧力をかけることによってやめさせたところで,なんの解決にもならないと考えているからです。人より少し変わった格好をすることによってしか生きている実感をもてない状態こそが問題なのです。「そんなに違反したかったら,自由服にしたらいいと思わない」という私の意見に,「制服があって,そのなかでこういう格好をするのがいい」と,彼らはいちように言います。この彼らの意見には示唆深いものがあります。
その連中のひとりに,母親が異常に命令的な男子生徒がいました。彼の母親は,彼に絶対そういう格好を許したくないのですが,いままでに反して,彼は家出してもなにをしても,その格好をするとつっぱったのです。すると,母親は彼の強硬な態度に恐れをなし,自分の意見をとおすことをあきら

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めました。
そのことを母親の口から聞いた私は,彼に「もうお母さん,反対しなくなったんだって? 反対されなくなって好きなようにできるね。どう気分は?」と聞きました。そのとき,彼はうかない顔で「ううん」とあいまいに答えました。「うるさく言われないから,いいんでしょ?」という私のことばに,そんな単純なものではないと表情で答えました。
その後,私が授業に行くたび(担任していなかったので)に,彼は,「先生,いまのオレの状態だったら,先生だったら親を呼ぶか?」と質問しました。私は「う一ん,そうね。呼ぶだろうね」と答えました。それを聞いて納得したように「やっぱり」といつも言うのです。
彼のなんとも寂しそうなようすが,私には心に残りました。親が子の態度によって退いてしまった結果,彼の心には空虚なものが広がったように思えました。
以前,私が彼を担任していたときに,印象に残ったことがありました。彼は,よく私に聞きたがります。あるとき,私が「自分で考えてみなさいよ。それがいいか,悪いか」と言ったことがありました。彼は「そんなこと言ったって,わからないよ。考えられない」と言ったのです。私の返答に面食らっているのです。ああ,この子は自分で考えることなくいままできたのだなあと思いました。
子どもを問うまえに大人の生き方が問われている
私は,生徒たちに,ただ言われたからするというのではなく,自主的に選んでいってほしいと思っています。規則だからやる。やらないと罰があるからやる,というような考え方をしてほしくないので,彼らには強制しないように心がけています。
いつだったか,文化祭で作った壁画の床に近い部分がやぶれてきたので,だれか,あれをなおしてくれる人いない? と呼びかけました。ほかのクラスでは罰としてやらされているという噂も聞いていましたが,クラブをさぼれるという思惑もあったらしく,数人の男子生徒が名乗りをあげました。「手伝える人があったら手伝って」と言うと,なんとクラスの3分の1以上もの生徒が残り,遊びながらも,いっしょにつくろってくれたのです。結局,思ったより早く終わり,クラブをさぼることはできなくなったのですが,「みんな,ありがとう」という私のことばに少々照れながら,それでもうれしそうにクラブに行きました。私もとても感激していました。彼らとここまでこられたことに。
十年ほどまえ,そのころ,退職間近の教師が, 「最近の子どもは変わった。昔と比べて考えられない!」
「昔だったら,授業妨害する生徒に『出て行け』と叱っても,出て行かなかった。いまだったら,教師がそう言ったから出て行くと開き直られる」「昔は『お前なんか死んでしまえ!』などと,ひどい叱り方をしたこともあったけど,いまはそういう気持ちは通じなくなってきているから,恐ろしくて,とてもそんなこと口にだせない」「子どもたちが,もうわからなくなってきた」と言われたことがありました。
たしかに,それが,いまの教育の場の現実です。ですが,子どもというものが,いつの時代も,その時代の大人たちに育てられることを考えるとき,私たちは,まず私たち大人が,人間の関係をどう考え,どう生きているかを問い直す必要があるのではないでしょうか。いま,私たち大人がそのことをせまられているときなのだと思います。(京都・中学校)




*作成:安田 智博
UP: 20200320 REV:
障害学 全文掲載
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