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「ゆるすな!監獄法改悪 監獄法改悪を許さない全国連絡会議」

監獄法改悪を許さない全国連絡会議 1984〜1986/07/27の間(調査中)

last update:20110530

各界からの発言
権力の軍や監獄への依存は許せない
―長谷川健三郎(全国連絡会議事務局長)

このごろ英語のヒアリングの能力がおちないようにFENのニュースをきいている。七十年七月三十日のニュースでは「アメリカのオクラハマ州の監獄局は、州の監獄が収容過剰になっているので新しい囚人はこれ以上収容しないことにした。州の監獄に空席ができるまでは、新しい囚人は群のジェイルにいれておくことにする」ということである。また、一週間まえのおなじラジオ放送では、アイダホ州のボイジーというところの監獄で暴動があり、その暴動の結果、監獄がめちゃくちゃに破壊され、また囚人はふたりの人質をとった、その鎮圧のために州兵が導入されたというようなことをつたえていた。暴動の原因はやはり混雑過剰である。
『囚人組合の出現』にも記述されているように、イギリスやアメリカの監獄は収容過剰になっており、そのために、暴動がひっきりなしにおきている。資本主義の矛盾がはげしくなり、失業者が大巾にふえ、したがって犯罪をする人が大巾にふえれば、逮捕・投獄される人がふえるのは、ひとつの経済法則であろう。
一九八〇年七月二十九日の朝日新聞夕刊には、編集委員大鹿八郎による「遠足もある三重刑務所」という開放処遇についての記事がある。「三重刑務所では囚人は下宿人とよばれ、所長は下宿のおやじ」だそうである。
法制審議会監獄法部会が一九七九年十二月に決定した「要綱」には、処遇という概念が非常に目だったかたちで導入されている。この処遇ということばは実は英語のTREATMENTということばの翻訳で、これはあつかい、待遇、処遇治療などという意味をはらんでいることばである。医学的概念としての「処遇」「治療」が刑罰制度のなかに導入されることは、おおきな問題である。このような医学的概念はたたかおうとする囚人を思想的に武装解除するであろう。処遇はそもそも当事者の友好的な信頼関係を前提とするからである。
逮捕、起訴、投獄、あるいは処刑(死刑の場合には)は、そもそも権力による刑罰機能としてはたらいているのである。
今日のように権力は人民の税金のうえになりたっているものであるが、人民のねがいを無視して、しゃにむに軍備を拡張し、増税と物価値あげ政策を遂行しているのであるから、権力はますます人民にとって外在的で敵対的になりつつある。

「処遇」という名の弾圧

軍隊とならんで刑罰制度は、権力と人民の敵対関係が、権力の本質がまるはだかで暴力としてあらわれてきている関係である。
死刑囚の処遇のひきしめ、第三者に対する武器の使用の新設などを「要綱案」はもりこんでおり、監獄の暴力的、権力的な性格はますます強められようとしている。監獄のはだかの暴力にベイルをかかけ、その本質をおおいかくすものとして、処遇、特に開放処遇とよばれるものがあることは特に強調しておかなければならない。
監獄法の改悪は少年法・刑法・刑事訴訟法の改悪と密接・不可分に連動しているものとして指摘しなければならない。
今後日本の権力はその延命のために、ますます軍隊と監獄への依存を強めるであろう。そしてイギリスやアメリカと同じように、日本の監獄もまもなく混雑過剰になるにちがいない。
法務省がポリース・プリズンである代用監獄を刑事留置場として永続化をはかっているのも、アメリカのオクラハマ州がカウンティジェイルをプリズンのかわりにつかいはじめているのと軌を一にしている。
アメリカも徴兵制度を復活するとともに、たとえば冬期オリンピック・プラシッドを少年刑務所にはじめから設計するなどしている。イギリス、アメリカ、日本などはあきらかに軍隊と監獄に依存度をたかめている。
われわれが、日本の監獄法改悪に反対するのは単に日本の囚人の人権をまもるためだけでなく、日本を戦争のみちから平和のみちにひきもどすためである。

代用監獄を廃止せよ
清水範造(元刑務官)

現在、法制審議会総会審議中の監獄法改正要綱案(部会案)は、その内容に看過し得ない危険な反動的色彩の濃いものがありますが、いま全内容を仔細に検討することはさけ、さきに最も重要な代用監獄の問題について重点的にとりあげてみたいと思います。かねてより、代用監獄制度の廃止は、監獄法の改正にとってさけて通ることのできない関門になっているといわれてきたからです。現矯正協会長(元法務省矯正局長)中尾文策氏は「代用監獄は行刑改良にとって多年のがんであり、これを置去りにした行刑改良はほとんど無意味」と断言しております。
そもそも代用監獄制度は、現行監獄法発足当時(明治四一年)より将来廃止を予定されてきたことは当時の国会における政府答弁でも明らかです。その理由は人権侵害の温床、えん罪事件発生の根源であるなど幣害があまりに大きく、明治憲法下においてもこの法律を制定することはためらわざるを得なかったものであります。にもかかわらず、「部会案」は代用監獄を廃止するどころか、制度として昇格認知し、恒久化することを決議しております。これは存続論者の「人権侵害の事実は明治憲法の下のできごとであって昭和憲法の民主警察の下ではあり得ない」とか、「かりにあったとしてもきわめて例外的少数のことであって、治安秩序維持のため絶対必要な代用監獄制度の廃止理由にはならない」という白を黒とするに等しい弁に全く同調したものとわざるを得ません。いままで廃止論を主流とした矯正界(と私は信じたい)がいつの間に風化変質してしまったのでしょうか(さきの中尾主張のほか、昭和二二年答申の監獄法改正要綱では廃止を決議している)。このことは矯正界が国民を管理支配する警察国家の再現にひた走る治安勢力に全面屈服したことを意味するように思います。また明るい刑務所づくりに日夜努力している第一線刑務官の良心をふみにじることにもなるでしょう。
矯正当局の猛省を求めるものであります。
つぎに、要綱案の基礎となっている法務省作成の「改正構想」はすでに代用監獄継続をきめていました。これを受けた改正部会がストレートに直結、その間に肝心の正しい論議がなされていない疑があります。さらに、総会審議においても「要綱案の大勢に変化はないだろう」と新聞は予測しております。つまり官僚主導の法案がチェックされることなくまかり通り、国民の意向は全く反映されないということになるわけです。人権に重大なかかわりのある法律改正であるのに、国民の参加を拒み、官僚支配の体制強化に暴走する現状は民主主義の危機といって過言ではありません。要約すれば、立法作業の中心である矯正当局は強大な警察権力を中心とする治安勢力に屈服し、さらに司法当局も同調し、それに御用学者や評論家が合流して代用監獄制度を温存しようと目論んでいるのが法制審議会の実態のように思います。

法制審を中止せよ

参考までに改正部会の構成にふれてみましょう。公表されないので不正確かもしれませんが、委員は法務省、裁判所、警察関係者が大半を占め、これに法務省が選任した学者、評論家が加わり、民間代表といえる委員はわずか数人に過ぎないといわれます。しかも、討議資料や内容はほとんど公開されないのです。これではいかに討議をつくしたといっても茶番にひとしい結果となることは明らかではありませんか。
東京や大阪で開催された「監獄法改正について意見を聴く会」も、一般者の参加を許さず、公開されることもなく、報道機関すら閉め出して強行しだものでした。参加者の多数は例によって法務、司法、警察関係者が占め、とても国民の意見が反映できる場ではなかったと一部の識者は批判しています。(法律時報六二五号一二五頁)
従来、監獄問題に対する関心は、一部の法律家や実務家それに体験者と救援関係者に限られていました。そのことがいま監獄法改正にあたり、少数者の独断暴走を許す土壌になっていると痛感されます。問題の重要性はこの障害を越えて進むことが求められています。法改正のまやかしをばくろし、特に代用監獄存続論の危険性と犯罪性を全国民に訴えるための大キャンペーンを起そうではありませんか。

強制医療の導入に反対
青木薫久(精神科医師)

私は日本精神神経学会の保安処分に反対する委員会の委員をやっています。保安処分制度新設について学会の方で意見書を出したことがありますが、今回監獄法改正については強制医療の問題でとくに強い反対を表明し意見書を出しました。
ここでは私の考えも加え問題点を指摘したいと思います。

学会が反対意見書

今回の改正が収容する側の都合で規定を定めるというもので、収容される側の権利など完全に無視するという問題点を持ったものです。これは医療の問題にもはっきりあらわれています。意見書では「医療を受ける権利が収容される側の権利としてはっきりと保障されるべきだ」と述べています。
次に意見書で今回規定された強制的医療を拒否する権利があるとはっきりと述べています。昨年十二月に出された「監獄法改正の骨子となる要綱案」に「被勾留者が症病の診療を拒み、また飲食摂取を拒みつづけた場合においてその生命に危険が及ぶおそれがある時はその意志に反しても医師により診察・処置をとることができる」とあります。
諸外国の監獄法の改正の状況を見ましても、この規定は全く問題があります。
諸外国の立法でも@放置すると緊急の生命の危険があることA診療がその受ける者にとって期待をもてるものであることBそのおこなう診療がその受ける者に対する生命及び健康に対する高度の危険をともなうことのないことという三条件が少くともつけられています。ところが、こんどの要綱案では「その生命に危険が及ぶおそれ」という条項があるだけです。
「およぶおそれ」というのはいつかおよぶか将来危険になるかもしれないというだけです。極端なことをいえば単なるカゼひきでも将来の危険性はあるわけです。
このような強制的診療権というものを今回の法改正でつけてきたというのは非常に重大です。フランスの監獄法の場合をみると「食物などを拒否している場合にのみ強制的に栄養を保給できる」ということだけが規定されています。ところがこの問題については一九七五年の十月七日に第二十九回世界医師会総会で東京宣言というのが採択されています。

医療を拒否する権利

その中で囚人または捕虜が食物を拒否してハンガーストライキをしている場合それが正しく理性的に判断ができると思われる場合は、恣意的に食物を与えてはならないとなっています。それは医師の倫理規定として出されたものです。これはつまりフランス監獄法が認めている強制的栄養保給すら許されないとしているのです。これは医療を拒否する権利があると認めたものです。これは学会の意見書にもはっきりと述べられています。なぜなら収容される側と収容する側とがしばしば敵対関係にあるわけです。こういう中で、収容する側が保護者として強制的に医療を与えることを認めた場合、場合によっては医療が殺人の手段にもなりうるわけです。
すでに法制審総会での審議が始まろうとしている段階だと聞き、このような重大な問題点を意見書としてまとめ、関係各方面に送付することからはじめて学会でも反対を表明していくつもりでいます。

資料
東京宣言
医師のための指針

この文書は拘留または監禁における拷問およびその他の残酷な非人道的または処罰に関する医師のための指針である。
人類に奉仕し、差別なしに身体および精神の健康を維持、回復させること、自分の患者を慰め、また苦しみをやわらげるために医に従事することは、医師の特権である。たとえ脅迫されても、人命を最大限に尊重し続け、人道主義の規則に反して医学上の知識を用いてはならない。
この宣言のために拷問を次のように定義する。

拷問とは、一人またはそれ以上の人間が、単独または権威者の命令によって、第三者に対して意志に反して制的に情報を提供させ、自白させ、またはその他の理由で強制するために、わざと、故意に計画的にまたはむやみに身体的および精神的苦痛を加えることをいう。
1 医師は、そのような行為の被害者が、いかなる違反に問われ、起訴され、有罪とされていたとしても、また被害者の信念または動機が何であろうとも、また戦時下および内戦状態であろうとも、すべての状況のもとで、拷問またはその他の形の残酷な、非人道的または品性を落とす取り扱いに賛成したり、それをゆるしたり、またはそれに参加すべきでない。
2 医師は、拷問またはその他の形の残酷な非人道的または品性を落とす取り扱いに抵抗する力を弱める行為を行ないやすくするために、いかなる土地家屋、道具、器具、物質、材料または提供すべきでない。
3 医師は、拷問またはその他の形の残酷な、非人道的または品性を落とす取り扱いがあったり、またはある恐れのある場所にはいてはならない。
4 医師は、医学的責任下にある人の医学的世話についての決定を行う場合には、臨床的に完全に独立していなければならない。
医師の基本任務は、自分の同胞の苦痛をやわらげることである。そしてこのより高い目的達成において、いかなる個人的、全体的または政治的動機もそこに存在してはならない。
5 囚人又は捕虜が、食物を拒否し、また食物を自発的に拒否する結果に関して、正しく理性的に判断することができると思われる場合は、人為的に食物を与えてはならない。
そのように判断する囚人または捕虜の能力について決定を行なう場合は、少なくとも一名以上の自由な立場にある医師によって確認されなければならない。この食物拒否の結果については、医師は囚人または捕虜に説明しなければならない。
6 世界医師会は、国際的共同体、各国医師会、および医師仲間に対して、拷問またはその他の形の残酷な、非人道的または品性を落とす取り扱いをゆるさなかったために、脅迫または報復を受ける医師およびその家族を支持、援助し、またそのような立場にある医師およびその家族を支持、援助するようすすめるべきである。

再審への途閉ざす「死刑囚処遇」改悪
高杉晋吾(ジャーナリスト)

ここに真っ黒に塗りつぶされた手紙があります。これと同じ状況が死刑確定者との手紙のやりとりの中でよく起るわけです。一番ひどい例をあげます。私達が連絡をとっている茨城の波崎事件で死刑が確定している富山常喜さんの場合があります。
ある集会でメッセージを送ってくれと依頼しました。ところが集会に手紙はまにあいませんでした。そればかりか遅れて届いた手紙をみると、肝心の彼の訴えたいことは完全に真っ黒に塗りつぶされているという状態でした。文面の前後から推察すると、監獄の医療問題について彼が徹底して批判した文章なのですが、これは死刑確定者が自分の健康に関するような問題さえ、一切外に伝えることができない状態に置かれていることを示しています。
考えてみますとこれは人権にかかわるばかりでなく、報道の自由にかかわってくると思うわけです。監獄法九条では死刑囚に対する処遇は刑事被告人に準じて扱うということになっており、かなり自由な処遇が与えられるべきだとなっております。ところがこれが一九六三年の矯正局長通達によって実際上改悪され死刑確定者の面会は受刑者と同じにあつかうとされてしまいました。刑事被告人の面会の範囲に制限がなく、それに準じていたはずなのに、通達によって私達が死刑確定者には会えないようにされました。
富山さんに会いにいっても会えません。
宮城刑務所にいる赤堀さんに私は二度会いにいったのですが会えませんでした。なぜ会えないのかというと、私がジャーナリストで報道するからだめだというのです。
ところで死刑確定者とりわけ自分は無実だと再審を叫んでいる死刑囚が再審に至るまで大変な苦労をして「新きにして明白な証拠」をみつけ出さなければ再審の要件にかなわないわけです。これは奇跡に近いことであるわけです。ところがその上に外部との文通権を奪うわけで重大な問題です。
今回の監獄法改正で「死刑確定者は受刑者なみに処遇する」ことが規定されており、この状況が固定化しさらに悪くなるのは明かです。私達は死刑確定者の人々にアンケート調査をやりました。その中から富山さんのものを読んでみます。
「家族、弁護人以外文通権は禁止されている。しかし時には外からきた手紙が入る時もある」とのことで、富山さんがもっとも強く望んでいるのは接見文通だといっています。富山さんに外部からきた手紙は止められ、富山さんが抗議すると刑務所は「富山の場合死刑になったら家族に送りそれまでは刑務所が保管すると答えているそうです。私達は再審のための証拠を探すということは大衆運動でやるしかないと考えているわけですが、手紙がこのような状態では再審の途が完全に遮断されている。つまり再審のための新きにして明白な証拠を発見することや内部からそれを訴えていくことが絶対にできないという状態になっているのが現状です。
この現状の問題点について報道の自由という観点からもぜひ訴えたいと思います。

全国陣型の強化をめざせ
闘う諸団体からのアピール
狭山闘争と結合し闘おう
部落解放同盟中央狭山闘争本部

現行の監獄法は監獄の秩序維持がその目的の根本にすえられており、その結果受刑者や被拘禁者の人権は全く顧みられることなく刑務所や拘置所では、非人間的無権利状態が横行している。
岐阜刑務所において、上級への昇進制看守への絶対服従と「紀律」、償与金―体罰的労働での収奪のなかで、収容者同士が、自分よりも「下の者」をさがし求めて差別し互いに傷つけあう制度的な構造がつくり出され、看守の差別、収容者間の絶えざる差別事件が生み出されてきた。それらは、部落出身の岡田さんの闘いの中で暴露され糾弾されてきたが、この差別構造は岐阜刑務所に限ったことではなく、狭山事件で獄中十七年の石川一雄さんも、いまなお、その中に閉じこめられているのである。
石川さんが七七年九月五日千葉刑務所に移監されて以来三年近く経つ。部落解放同盟はもとより全国のなかまたちの狭山差別裁判糾弾闘争の運動の力によっていくらかの獄中待遇条件の改善をかちとってはいるが、それはあくまで部分的なものであり、しかも逆にそれをもって収容者内にねたみ意識が持ちこまれ、獄中で孤立させられかねない状況にある。差別構造自体の生み出す分断である。
「病を治して人を救う」ところなどには全く立っていない監獄法を、監獄の現状を、人間的なものに変えてゆくことこそをめられている。しかし政府の監獄法「改正」の方向は、逆に、受刑者をいかに力による支配に屈服せしめるか、いかに管理し処遇し、規律秩序維持を強化してゆくのかということ以外にはない。そこでおこなわれるのは、いっそうの隔離・分断と、獄中闘争弾圧以外にはありえない。
無実の石川さんをはじめ、獄中にとらわれているなかまたちの現実から出発しその現状を打ち破る闘いと監獄法「改正」反対の闘いを結合していかなければならないし、そしてこのなかで、狭山再審闘争をはじめ部落解放運動の前進を必ずやかちとることができると確信する。

八十年代治安弾圧の強化うちやぶれ
三里塚芝山連合空港反対同盟 事務局長 北 原 鉱 治

監獄法改悪阻止に向けて闘いぬいている全国の皆さん!
今夏にもいよいよ法制審最終答申―国会上程が強行されようとしており、監獄法改悪阻止闘争は決定的に重大な局面を迎えています。
私達は今こそ、全員の闘う人々の力を結集し、全力あげてこの攻撃を粉砕しなければならないと思います。
三里塚闘争の過程でも政府・空港公団は、追いつめられ危機になると必らず法を改悪し弾圧を強化してきました。刑法・刑訴訟改悪や監獄法改悪攻撃なども全く同じ様な八十年代治安弾圧攻撃にほかなりません。
農民の土地を強奪するために「特別措置法」を設定したり、十年間という事業認定期限が昨年の十二月十六日で切れたにもかかわらず、依然として「強制収用できる」と居直って強権的に二期攻撃を強行しています。さらに、前代未聞の成田新立法までも制定し、三里塚闘争の圧殺に必死になっています。
監獄法改悪阻止闘争は、六百名余の被告団をかかえ、治安弾圧の集中・激化をうけている三里塚闘争にとって決定的に重大です。獄中弾圧を打ち破って管制塔戦士を一日も早く奪還せねばなりません。
反対同盟は、八十年代冒頭からの千代田農協移転攻撃や公団用地貸付、成田用水攻撃などによる切り崩し攻撃を粉砕して闘ってきましたが、政府空港公団はパイプライン突貫工事の強行やジェット燃料阻止闘争圧殺のための動労千葉への首切り処分・解体攻撃を突破口にして今再び、陰に陽にと新たな二期切り崩し攻撃を強めています。
しかし私たち反対同盟は、いかなる切り崩し攻撃も粉砕して、二期工事阻止・空港廃港をかちとるまで闘いぬく決意です。
全国の皆さん、反対同盟は七・一三関西新空港閣議決定阻止上京闘争を東西両空港粉砕闘争として闘いぬき、夏から秋への三里塚闘争の大高揚へと攻め登る闘いを全力でやりぬきます。
今こそ全国の闘う人々の力を結集し、監獄法改悪攻撃粉砕・三里塚闘争勝利のため共に闘いぬいていこうではありませんか。

全国の法学生は闘いにたちあがれ

私たち全日法は一九五四年当時の全学連第七回中央委決議に基づいて結成された学科別学生組織である。以来二七年余、法学部学生、法律系サークルの全国的組織として、その時々の法領域をめぐる様々な活動を展開してきている。
更に学生として、自らの基盤である学園における教育―学園闘争を闘い抜き、特に六八年―六九年の全国学園闘争の際には、自らのサークルを解体しつつ全共闘の最先頭で闘った。この為、六九―七十年の大会は中止され、現在の全日法は七一年の再建大会を直接的出発点とする新たな質を全共闘の闘いから血肉化したのである。
七一年再建大会以降の全日法は、その主たる関心を法体系の全面再編とりわけ刑事法領域に集中していった。体制的危機の深まりと広がりのただ中で、人民に対する管理支配の徹底化をもくろむ支配階級の刑法改悪―保安処分攻撃に対して、私たちは理論的、実践的批判と闘いを学生戦線の最先頭で闘い抜いた。とりわけ、七六年―七七年の意見を聴く会強行に対して「病」者集団をはじめとする闘う仲間と合流し、刑法闘争の高揚をかちとったのである。
既成左翼をもまき込んで闘われた刑法闘争の爆発によって、一定の足踏みを余儀なくさせられた支配階級は、闘いの間隙をぬって、弁護人抜き裁判攻撃や監獄法改悪を七六年以降強行しようとしている。
われわれは監獄法が刑法改悪を中心とする刑事法体系の全面改悪の突破口としてあるがゆえに当初よりその危険性に注目し、監獄法改悪阻止実に結集するなかから闘いを構築していった。そして、昨年の第二六回全国大会で、監獄法改悪阻止闘争を全国の学友に提起したのである。
日々強められる改悪策動は、次第にその攻撃的性格を白日の下に現わしつつある。「監獄法改正の骨子となる要項案」では、ついに支配階級の赤裸々な獄中者管理・弾圧の意図を「国家処遇権」の法定として明らかにし、保安処分の先取りを監獄内で実体化せんとしているのである。
我々は、この間の刑法闘争、監獄法改阻止闘争の中から、新たに獲得された理論を武器に、「刑罰制度」の根底的批判を更に押し進め、監獄法改悪阻止―監獄体制解体の闘いを全ての仲間のみなさんと共に担い切る決意である。共に奮闘しましょう!
全日本学生法学ゼミナール
監獄法改悪阻止実(準)

*作成:桐原 尚之
UP:2010528 REV:
全文掲載 ◇反保安処分闘争 
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