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『赤堀さんは無実だ!』第1号

赤堀中央闘争委員会 1980/07/20


発刊にあたって
  
  このパンフレットは、赤堀差別裁判・赤堀闘争について、赤堀中央闘争委員会の責任で作成・発行したものです。
  この間の私たちのねばり強い活動によって、ようやく赤堀差別裁判・赤堀闘争についての認識と闘いへの参加が広がり同時に「障害者」の決起がかちとられつつありますが、赤堀さんをすぐにでも取りもどし、「障害者」の真の解放をかちとっていく強固な力をつくりだすには、まだまだ不充分です。
  すべてのみなさんがこのパンフレットを読まれ、認識を深められ、一人でも多くのみなさんが支援・連帯・闘いの直接的担い手になるために起ち上られるよう心から希望します。
    ―赤堀中央闘争委員会教宣部―  
    
    
    ―目  次―
    T はじめに
    U 島田事件とは
    V 「障害者」差別裁判
    W 赤堀さんは無実だ
    X 三・一一第四次再審請求棄却弾劾
    Y 赤堀さんの獄中状況
    Z 死刑執行・獄死攻撃の強まり
    [ 「障害者」差別・抹殺攻撃の強まりー赤堀さんの運命はすべての「障害者」の運命だ!
    \ 赤堀中闘委の結成
    ] 赤堀さんと共に
    ? お兄さんのアピール

  はじめに
  
  無実の死刑囚、赤堀政夫さん(五一歳)は、二六年もの長きにわたって宮城拘置所に幽閉され、日々死刑執行の恐怖の中で差別裁判の不当性を告発し、不屈に闘っています。
  赤堀さんへの死刑攻撃は、まさしく「障害者」総体に加えられる日常的な差別が最も苛酷に、そして深刻に集約されているものです。
  「障害者」は地域から、職場から放逐され、あるいは家族からも孤立をしいられ、人としての諸権利を奪われ続けてきました。
  赤堀さんのデッチ上げを容易にしてきたのは、「障害者」を「犯罪をおかしやすい者」「危険で何をするかわからない者」「社会不適応者」と決めつけ、隔離・収容・抹殺を意図する権力と、それに迎合する市民社会の差別意識に他なりません。
  私たちは、それらのすべてに反撃をくわえ、生きて赤堀さんを奪いかえすまで闘い抜かなければなりません。
  「障害者」は差別と血の海の中で死ねと強要する権力の攻撃を黙認し、赤堀さんを殺してしまっては「障害者」の明日はありません。「障害者」にくわえられる差別、抑圧からの解放は、不屈に闘う赤堀さんに牽引され、共に闘う中でしか獲得できないものです。
  
  島田事件とは
  
  一九五四年三月一〇日、静岡県島田市で幼稚園児、佐野久子ちゃん(六歳)がおゆうぎ会の会場から何者かに連れ出され、三日後、死体となって発見されました。
  現場付近には犯人の足跡が残されているのみで、決め手となる証拠は何一つとしてなく、捜査は完全にゆきづまりをみせていました。島田市民の間では迷宮入りがささやかれ、警察への非難の声ものぼっていました。犯人逮捕にやっきになった国家警察―自治体警察合同捜査本部は、島田市周辺に住む「精神障害者」「薬物中毒者」、被差別部落民、在日朝鮮人などにマトをしぼり、予断と偏見にみちた犯人づくり≠行っていったのです。二〇〇余名をリストアップし、差別的見込み捜査―別件逮捕をくり返し、「容疑者」の中からは苛酷な拷問にたえられず数名の「自白者」がでたほどです。
  同時、静岡県下では、幸浦事件、小島事件、二俣事件、丸正事件などにみられるように、警察の拷問―強制自白―犯人デッチ上げが平然と行なわれていました。
  こうした中で、五月二四日、当時周囲の「精神障害者」差別によって放浪生活を余儀なくされていた赤堀さんが別件逮捕されました。
  「毎日、毎日ヒドクイジメラレテイタノデス。泣カサレタノデスヨ。マサヲノバカヤロウ、ウスノロ、キチガイとワル口ヲ言ワレマシタ。(中略)石をナゲツケルノデスヨ。私はイツモ一人ボッチデスヨ。キラワレ者デスヨ。」(赤堀さんの手紙)
  警察は赤堀さんになぐる、けるの拷問をくわえ、「自白」を強制し、一挙にデッチ上げていったのです。
  「精神障害者」を「犯人」としてデッチ上げても誰ひとりとして疑い、非難する者はいないという住民意識を巧みに計算した警察の暴力の前に赤堀さんはデッチ上げられていったのです。
  「調べ官の人たちが、ニギリコブシト、平手で力一パイ私のカオ、頭体腰足をナグルケリツケル、両方のウデヲツカマエマシテ逆ニネシマゲタリシテ、両方の耳をツカミマシテテハ逆にネジマゲタリシタノデス。一六時間の間だは一度も私には便所へはいかせてくれないのです。」そして二人の刑事が演技して「イロイロナカッコウをヤッテオマエニミセルカラヨク二人のヤルトコロヲミテイヨ、ト言イマシタノデス。」それから「大ゼイの調べ官の人たちがイヤガルコノ私の手に万年筆ヲ、ムリヤリニ書カセタノデス。」
  (一九七四年一二月六日提出の赤堀さんの上申書。以下同)
  
  「障害者」差別裁判
  
  赤堀さんは第一審(静岡地裁)のはじめからデッチ上げを訴え、今日まで一貫して無実を叫びつづけています。
  しかし、裁判所はこれを踏みにじり、唯一強制「自白」と差別的精神鑑定を依りどころにして死刑判決を下し、維持しつづけています。
  その許せないやり方は次のようなものです。
  第一に、裁判の審理中に赤堀さんが精神病院入院歴の持ち主であることがとりあげられ、精神鑑定が行なわれました。しかし、その精神鑑定では、赤堀さんが「真犯人」であることを前提として、強制「自白調書」のみを客観的資料として用い、これに必死に抵抗する赤堀さんの無実の叫びを「自己中心的、固執的で自己反省に欠ける精神薄弱者」「感情的に不安定、過敏で衝動的な精神薄弱者」、しかし、「自白」時においては「顕著な精神異常状態でなかったのは確実」と規定したのです。そして、裁判所はこの鑑定書を大いに活用して「かかる(犯罪)行為は、おそらく通常の人間にはよくなしえない悪虐非道・鬼畜にも等しいものであると言わざるをえないであろう。(中略)被告人は先に認定した通り知能程度が低く、軽度の精薄者であり、その経歴はほとんど、ふつうの社会生活に適応できない」(一九五八年五月二三日第一審判決文)として、「こんな恐しい異常なことをするのは、普通の人間じゃない。そんなやつは早く社会から抹殺してしまえ」とばかりに死刑判決を下しました。
  さらに、赤堀さんのアリバイ主張についても「嘘をついている、覚えているはずがない」と切り捨てていくのです。
  第二に、「物的証拠」といわれる犯行に使ったとされる「石」のデッチ上げです。犯行当時、警察が殺人現場をくまなく捜査したにもかかわらず、何の物証もなく、逮捕された赤堀さんの「自白」によって凶器とされる「石」が突如現われてくるのです。
  「別ノ人がヨコカラ口を出シタノデス。君、ボウキレデ、女ノ子ノムネヲナグッテモ、死ニハシナイゾト言イマシタノデス。何カ石ノヨウナモノデナグッタノデハナイカトボクハ思ウ。前ノ人ガイイマシタノデス。ボクハゲンバニハ、石ハ一ツモオチテイナカッタゾト、言イマシタノデス。他ノ人がイイマシタノデス。君タチ、モット。頭を働ラカセヨ。大井川ヘイッテ、手ゴロナ石一ツ拾ッテクルノダヨ、ソレヲ現場へモチカエッテ女ノ子の死体ノ近クニ石ヲ、オイトクノダヨ、裁判官、弁護士ノ人タチガ実地検証ニキタトキ、ワレワレノ方カラ石ヲ見セテヤッテ、ワケヲ話スノダヨ。トコノヨウニ話合ッタノデス」(赤堀さんの上申書)
  第三に、「目撃証人」のデッチ上げです。事件当日、犯人を目撃した証言者が語る犯人像と、職を求めて放浪中の赤堀さんの姿は全く異なっていました。それを裁判所は黙殺し、変遷する一部の証言者の証言(松浦証言など)のみを採用し、ひたすらデッチ上げ強制「自白書」に依拠し、裁判をすすめました。
  第四に、マスコミや市民の差別的動員です。マスコミは警察発表をうのみにし、別件逮捕であるにもかかわらず逮捕されるとすぐに「犯人捕まる」「犯人は赤堀か」と写真入りで報道しました。以後、こうしたマスコミの姿勢は一貫して続いています。また、市民は、「やっぱりあの赤堀が」とやすやすと屈服し、デッチ上げに手をかしていったのです。
  
  赤堀さんは無実だ
  
  赤堀さんの無実はさまざまな角度から完全に立証されています。
  第一に、アリバイがはっきりしていることです。赤堀さんが事件当日泊った外川神社の発見など、赤堀さんの記憶にもとづいて赤堀さんの一九五四年三月の足取りが全部うらづけられています。(〈写真2〉、〈図1〉参照)
  第二に、「物証」とされた「石」では死体の傷はできないことが太田法医学鑑定、上田法医学鑑定によって明らかにされています。(〈写真1〉、〈図2〉参照)
  第三に、これも太田鑑定、上田鑑定によって「自白」の「犯行順序」のデタラメさが証明され、「自白」をうらづけるとした古畑鑑定が崩壊しました。なお、古畑種基なる人物は法医学鑑定の権威≠ニされてきたのですが、弘前大教授夫人殺し事件や財田川事件などの数々のデッチ上げ事件で常に権力に加担してきたことが暴かれ、今ではその権威≠ヘ地に落ちています。
  (〈図2〉参照)
  第四に、南部上申書、助川鑑定、船尾鑑定によって久子ちゃんが殺されたのは三月一一日か一二日ということが明らかになり、警察・検察庁・裁判所が強制「自白」にもとづいて一貫してとってきた「三月一〇日殺害」説が崩れ去りました。
  第五に、「犯行現場付近に残された足跡は赤堀さんの足型と合わず、当時赤堀さんがはいていたくつ(ゴム長ぐつ)ではなく革短ぐつ」という平沢鑑定によって「最後に残る唯一の物証としての足跡」が根拠のないものとなりました。(〈写真3〉参照)
  第六に、赤堀さんにされた精神鑑定の無効性が広く指摘されてきています。
  
  三・一一第四次再審請求棄却弾劾
  
  一九五八年五月・一審死刑判決、一九六〇年一二月・死刑確定(最高裁)以降、四回にわたって再審請求がされてきましたが、裁判所はいずれも棄却し続けています。
  (現在東京高裁に即時抗告中)
  とりわけ、私たちが満腔の怒りをもって弾劾しなければならないのは、一九七七年三月一一日、静岡地裁伊東裁判長が下した第四次再審請求棄却決定です。静岡地裁・伊東は、第一審で認めた殺害順序に「合理的な疑いが生じた」としながらも、「自白」の任意性、信ぴょう性を再検討することもなく、「赤堀は(犯行順序について)記憶ちがいをしたのだろう」と何の根拠もなく葬り去り、アリバイ立証、「石」、その他の弁護側鑑定なども「原判決をくつがえすものではない」と切り捨てています。
  まさしく、「犯人」としての立証が成り立たなくなつたにもかかわらず、「赤堀は『精薄』だからやったに違いない、だから死刑だ」と言っているに等しいのです。
  こんなことがどうして許せるでしょうか!
  「『障害者』は差別の中で死ね」というこのやり方を徹底的に糾弾しなけければなりません!
  赤堀さんはこの三・一一差別棄却の後すぐに「赤堀ハ、久子ちゃんヲ殺シテワイマセン。死刑執行ヲユルスコトワ、自分のマケデアリ、裁判長、検察官、真犯人ノカチニナルカラ絶対ニ、ソウユウコトワシマセン。今回の静岡地裁・裁判長伊東正七郎の再審キキャク決定ニ対シ、ダマッテスマスコトワ出来マセン。命アル限リ、弁護士、そして闘う仲間と一緒ニ、力を合わせて、コレカラモ無実を晴すタメニ闘ッテユキマス。最後マデガンバル」とアピールを発しました。私たちは赤堀さんの「クヤシクテ、クヤシクテ、残念で、残念で」という叫び・無念・怒り・闘いの決意をしっかりとうけとめて赤堀さん奪還・「障害者」解放を何としてもかちとろうではありませんか!
  
  赤堀さんの獄中状況
  
  仙台拘置所における赤堀さんは、リューマチや脱こう(痔)、不眠などによって日々肉体がむしばまれています。最近はリューマチがひどく、文字を書くにもペンを丸ごと握りしめて書かざるをえない状態です。また、厳寒の仙台では冬には必ず風邪をひき、しもやけに苦しめられます。
  最近では視力の低下が伝えられています。そして、「死刑囚」として毎日毎日が死との背中あわせの生活です。
  しかし、こうした中でも、赤堀さんは自分のことよりもまず外の運動のことや「障害者」のことに心を配りながら、無実を訴え、不屈に闘い続けています。
  
  死刑執行・獄死攻撃の強まり
  
  現在、権力はスキあらば赤堀さんへの死刑の執行を強行しようとしており、また一方で獄中弾圧を強め、あわよくば刑務所内で殺してしまおうとしています。
  裁判所は、赤堀さんの無実をいっそう一点のくもりもなく明らかにする三証人の採用要求や、検察側が隠しもっている九証拠の開示要求、あるいは抗告審段階において新たに提出した鑑定書などに対して、沈黙を守り、黙殺し続けています。
  検察庁は、次々とくりだされる無実の立証と赤堀さんを奪いかえす運動の広がりに危機感をもち、一九七九年暮に検事一名を補充し、検察側意見書の提出を策しています。しゃにむに審理打ち切り→死刑執行へつっぱしることをねらっているのです。
  法務省は、監獄法改悪によって死刑囚の外部との文通権をうばい、赤堀さんを孤立させ、再審活動を決定的に破壊しようとしています。
  宮城刑務所は、赤堀さんの病状の悪化、体の衰弱にもかかわらずきわめて劣悪な獄中医療状態の中に放置し続け、他方、文通や面会に制限をくわえるなどの獄中弾圧を強めています。これに対して私達は獄中処遇の改善を求めてきましたが、宮刑は「処遇問題は監獄法改正で結着をつけてやる」と公言さえしています。
  
  「障害者」差別・抹殺攻撃の強まり―赤堀さんの運命はすべての「障害者」の運命だ!
  
  赤堀さんの全生活史はすべての「障害者」に共通しています。先にも述べてきたように、赤堀さんは小さな頃より学校、職場、地域社会から排除され続ける中で、放浪生活を余儀なくされ、あげくのはてに、デッチ上げられ、「社会不適応者」として抹殺されようとしています。
  多くの「障害者」は、まさに赤堀さんのように社会から排除され、時には抹殺されてきたのです。
  今日、赤堀さんにかけられた攻撃と同じような攻撃が、政治・経済危機の深まりと、有事立法攻撃などを通した戦争準備が急ピッチで進められつつある一九八〇年代において、さらに激化してきています。
  現在かけられている攻撃について列挙するならば、
  (1) 赤堀さんへの死刑攻撃
  (2) 最近特に声高に叫ばれてきている「福祉見直し」や「福祉予算の大巾削減」論、「福祉有料化」論等々。同時に進められる防衛費増額=「国家の安全は福祉に優先する」論とそれにもとづく地域管理体制の強化。
  (3) 日本安楽死協会を中心として推進されている安楽死法制化策動―優生思想にもとづく一九三〇年代のナチスの血のイデオロギーをそのままひきつぐもの。
  (4) 保安処分新設策動―「障害者」をすべて「兇悪犯人」視し、大々的な「障害者」狩り≠行い「人格改造」、肉体的抹殺を行おうとするもの。ナチスのとったやり方。
  (5) 「中間施設」構想―「社会復帰」の美名のもとに、より安あがりに大量の「障害者」を一生涯隔離・収容しようとする「終末施設」構想。「反抗的」な「障害者」は保安処分により「保安施設」へ、「おとなしい」「障害者」は「中間施設」と精神病院と他の施設へ送りこまれることになる。
  (6) 七九年度養護学校義務化と各地の就学闘争への弾圧―「健常者」社会から「障害者」を排除し、隔離・収容してゆき、差別イデオロギーをさらに固定化してゆくもの。
  (7) 八〇年「身体障害者実態調査」の強行―「障害者」を社会からいっそう隔離・収容・抹殺することをいっそう推し進めんとする基礎資料づくりであり、国民総背番号制に直結してゆくもの。また、今後の差別調査の手はじめ。
  (8) 「障害者」差別にもとづくデッチ上げ事件の頻発と差別キャンペーンの洪水。
  (9) 天皇の名による闘う「障害者」への弾圧―一九七九年の愛知県植樹祭における全国「精神病」者集団への弾圧は象徴的。
  (10) 監獄法改悪―強制医療もふくむ獄中者への徹底した弾圧。とりわけ重視しなければならないものは、これまで未決勾留者なみの死刑囚の処遇を既決囚なみの処遇にし、外部との交通のしゃ断など重大なしめつけが行われる。
  みなさん!まさしく赤堀さんの運命はすべての「障害者」の運命だといえます。権力は強引に赤堀さんを殺すことによって、赤堀闘争―「障害者」解放闘争に決定的打撃をくわえ、しやにむに「障害者」差別を激化・拡大することをねらっているのです。赤堀さんを奪いかえすことができるか否かにすべての「障害者」の未来がかかっているといってもけっして過言ではありません。どんなことをしても、必ず赤堀さんを私達の手にとりもどそうではありませんか!
  
  赤堀中闘委の結成
  
  赤堀闘争は一九七四年以降、差別裁判糾弾闘争として位置づけられ、「障害者」(「精神障害者」「身体障害者」)の解放闘争の中心軸にすえられ、闘いが開始されました。この闘いの画期的な点は、一般エン罪事件=救援運動のレベルからより本質的に「障害者」差別裁判として断固闘い、それを大衆化した点にありました。
  一方、それら大衆的な赤堀闘争の陣軽構築では、常に切り捨てられる側に位置してきた「精神障害者」「身体障害者」が、赤堀さんの抹殺はみずからにくわえられたものとしてとらえ、糾弾闘争に経ちあがったのです。くわえて、「障害者」解放を求める人々との共闘が樹立されてきました。
  その三者の闘争は、何よりも、逮捕後二〇年の経過という決定的なたち遅れを克服し、まず赤堀さんとの交流、弾圧され切り捨てられた赤堀さんの真実の告発と闘いをしっかりとうけとめていくことによって闘いの進路を開くことを軸に共闘がなされてきました。そして、「障害者」が決起しうる条件をいかにかちとるのかで三者の共闘のあり方が追求されてきました。
  そうした中で、一九七八年十一月二六日、地域的・日常的な「精神障害者」「身体障害者」「健常者」の共闘のあり方の不充分性を克服するものとして、「障害者」を担い手とする赤堀中央闘争委員会が結成されました。
  赤堀さん奪還・「障害者」解放を基本軸にすえた闘いの組織体制の強化をはからんとするものです。
  
  当面する課題
  
  私たちは次のような闘争課題を設定して、断固闘いぬく必要があります。
  (1) 獄中闘争
  獄中の赤堀さんとの交流・連帯・支援を決定的に重視する。定期的な文通・面会を通し、「赤堀さんの声を指針」にして闘争を組みたて、点検し、また赤堀さんの獄中闘争を物心両面にわたって支えきらなければならない。
  (2) 法廷闘争
  闘う弁護士の獲得をめざし、弁護士と共に裁判に勝利するために最大限の努力を払う。一件記録の読みこみや証人・証拠の新たな発掘等。
  (3) 大衆闘争
  赤堀闘争を大衆的に広め、闘いの担い手をもっともっと生み出してゆく。署名・情宣・オルグ等。現在、パネルヒーター設置に向けて著名人署名と国会議員オルグを行っている。また、監獄法改悪にも全力で反対してゆく。
  (4) 権力闘争
  赤堀さんへの死刑をねらい、「障害者」差別・抹殺を強めつつある権力との闘い。東京高裁、法務省、宮城刑務所への抗議・糾弾闘争を全国の力で闘う。
  また、三里塚闘争や狭山闘争などと連帯して闘ってゆく。
  (5) 三者共闘
  地域にあってシャバの赤堀さんとしての「障害者」との日常的なつきあいを通して、その生活と闘いを支え、より多くの「障害者」が決起してゆけるようにする。「三者共闘」を内実あるものとしていくために不断のねばり強い努力が必要とされる。
  
  赤堀さんと共に
  
  みなさん!私たちは獄中二六年間の赤堀さんの不屈の闘いに学び、私たち自身のものとして闘ってゆこうではありませんか!
  必ず再審をかちとり、赤堀さんを奪還しようではありませんか!
  私たちが赤堀差別裁判を糾弾闘争として闘う場合、次のことをしっかりおさえておく必要があります。
  第一に、赤堀さんへの死刑攻撃は、警察、司法による「障害者」差別・抹殺の攻撃である。権力は、赤堀さんが無実であることを百も承知していながら、むりやり赤堀さんを殺そうとしているのだ!
  第二に、右の差別攻撃の一端に差別的精神鑑定が組みしている。
  第三に、赤堀さんがデッチ上げ逮捕され、死刑判決を下され、今日無実の死刑囚としての苦闘をしいられている全過程の中に、市民社会が「障害者」を学校・職場・地域から排除し続け、「障害者」に対する差別的偏見を抱き、権力の「障害者」差別攻撃に容易に屈服し、それを許し続けている現実がある。
  私たちが赤堀さんを生きて奪いかえすには、これらの差別性を徹底的にあばき、糾弾しぬくことなしにはありえません。
  みなさん!今こそ勇気をもって起ちあがろうではありませんか!積もり積もった差別に対する怒りを解き放ち、怒りを具体的行動をもって表現しようではありませんか!
  その力を結集しようではありませんか!差別の現実を変革する道はここにあります。
  赤堀闘争は、「障害者」差別攻撃の中心軸をはねかえし、「障害者」の解放をかちとっていく闘いであると同時に、「障害者」と「健常者」のあり方を鋭く問う闘いです。日々差別と迫害の中で苦しみ、涙し、殺され続けながらも不屈に決起する「障害者」と、その対極に位置する「健常者」は、赤堀闘争―「障害者」解放闘争をみずからの課題として積極的に闘うことを通して、はじめて、みずから差別からの解放をかちとることができるのだということを銘記しなければなりません。まさに、全人民な闘いとして赤堀闘争を発展させてゆく必要があります。その中で、「障害者」と「健常者」が共に生き、共に闘うという内実を深め、豊かにしてゆかなければなりません。
  みなさん!赤堀さんと共に、勝利するまで闘い抜きましょう!
  赤堀さん奪還・「障害者」解放!
  赤堀中闘委の下、団結して闘おう!
  (注)掲載した劇画(作者・木山茂氏)は部落解放同盟
     狭山中央闘争本部発行の『狭山差別裁判』第52号
     から転載しました。
  
文献紹介
  
  『島田事件と赤堀政夫』
  赤堀全国活動者会議編
  六八〇円(たいまつ社)
  (注)一般書店にない場合は直接「たいまつ社」(東京都新宿区百人町一ー二三ー一四)に申し込んで下さい。
  『無実を叫ぶ死刑囚たち』
  無実の「死刑囚」連絡会議編
  一、 三〇〇円(三一書房)
  『不在証明』
  佐藤 一著
  一、二〇〇円(時事通信社)
  
お兄さんのアピール
  
  [ 赤堀さんのお兄さんの赤堀一雄氏から不当逮捕二六周年に際してのアピールが寄せられました。赤堀さんの不当逮捕の当初からお兄さんは一貫して弟の無実を信じ、周囲の冷い後指と孤立無援の中で、アリバイ立証における大磯署の発見をするなど、たえず赤堀さんの無実を晴らすために一身を挺して奮闘してこられました。   ー教宣部ー]
  弟政夫が不当に逮捕されましてから、二十六周年の悲しむべき、また憎むべき日を迎えております。警察の拷問と強制によって自白をやられ、ついに死刑の烙印をおされ、宮城拘置支所に閉じ込められておりますが、終始無実を訴えてまいりました。
  政夫の兄として私も弟の無実を信じて、誤った裁判を晴らしたく思ってきました。
  はじめから政夫の弁護をして下さった恩人の鈴木信雄先生を昨年失いました。
  先生も政夫の無実を信じて一生懸命弁護をして下さいましたが、そのかいもなく、死刑の宣告を受け、先生ともども、政夫の再審を成功させてなんとしても、その証を明らかにしたいと考え、私も微力ながらも力をつくしてまいりました。
  しかし、政夫はいまだ囚われております。願わくば多くのみなさんのお力にすがり、なんとしても政夫の無実を明らかにし冤罪をそそがんと、希望を失うことなく努力したいと考えております。
  政夫もみなさまのおかげで五十一才になろうとしております。元気で闘っております。しかし、政夫の心中を察するとなんとしても一日も早く、その希望をとげさせたいと思っております。
  どうか、みな様の尚一層のお力ぞえを心よりお願いいたします。
  
  赤堀さんと文通・面会をしよう!
  
  〈住所〉
  宮城県仙台市古城二−二−一
  宮城刑務所 内
  無実の「死刑囚」・赤 堀 政 夫
  (注1)文通する場合は返信用切手を同封して下さい。
  (注2)初めて面会する場合は、刑務所の不当な弾圧により、事前に二?三回の手紙のやりとりが必要です。
  
  赤堀中闘委の会員を募集しています!
  
  赤堀中央闘争委員会では、赤堀さんを奪い返す闘いへの幅広い参加を呼びかけています。
  赤堀中闘委と共に赤堀さんを生きて奪い返す運動に参加する団体・個人として登録されるよう皆様に呼びかけます。申し込みは左記までご一報下さい。
  
  赤堀中央闘争委員会
  連絡先
  〒426 藤枝郵便局私書箱70号


UP:20100528 REV:
精神障害/精神医療  ◇島田事件  ◇全文掲載 
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