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大阪新希望の会「抗議文」 1980年02月20日




 「大阪新希望の会は、精神障害者をかかえる家族の集まりです。精神病に対する根強い偏見や差別が存在する日本の社会では、患者のもならず家族にのしかかる心理的重圧は大きく、また長引く入院・通院が顕在的負担をも大きくしています。しかし私たちは、患者を阻害した形で家族だけが楽になることを求めるのは間違いだと考えており、直接患者とかかわる家族自身の改革を目指して学習を続ける一方、精神医療を改革し、患者さんたちの主体的活動を支え、社会の差別や偏見を除去するためにも、家族が患者・医療従事者と力を合わせて運動を続けていくことが必要なのだと考えて活動してきました。
 したがって、私たちが精神医療に求めるものは、一口に言えば社会に向かって開かれた医療、すなわち開放的な環境でのきめ細かな治療と一日も早く社会での自立を可能ならしめるための多種多様な創造的活動ということになります。私たちがやむなく患者を精神病院に入院させる場合もそこでの有効な治療を求めているからであって、社会から隔離収容してもらうためでもなければ、ましてや人権を無視した劣悪な処遇の犠牲にするためでは断じてありません。
 にもかかわらず、昨年8月に起こった大和川病院での看護人による患者への暴行致死事件は、鍵と鉄格子に閉ざされた「精神病院」という名の密室で、抵抗することも逃れることも不可能な弱い立場の患者さんを虫けらのように殺して恥じない恐るべき収容所がいまなお存在し続ける事実を物語っています。「寝た箱は規律違反」という理由で、49歳の患者さんが3人の看護人から2時間にもわたってなぐる・けるの暴行を受け、亡くなられたその凄惨な場面を想像するだけでも、患者をかかえる家族として、戦慄と激しい憤りを禁じえません。
 しかし、この事件は、精神病院の実態を考えるとき、むしろ氷山の一角にすぎぬともいえるでしょう。親権に治療に取り組む場であるべき精神病院を、単なる金儲けの具と考え、すでに病いという苦しみを背負っている患者さんをさらに犠牲とするような「病院」の存在を、私たちは到底ゆるすことができません。病院の名に値しないばかりか、精神医療の改革を目指して地道に努力を続ける動きに水を浴びせるようなこの種の収容所は、即刻なくしていかなければならないと考えます。
 と同時に、府下の精神病院を指導監督する立場にありながら、府衛生部がその責任を十分果たさず、従来から劣悪な病院をそのままに放置し続けた怠慢に対して激しい憤りを覚えます。当の大和川病院(旧安田病院)は、44年にも暴行事件を起こして問題となった病院であり、同じような事件が繰り返されたということは、この10年間府の指導が効果をあげていないということになります。言うまでもなく今回の事件では、当該看護人の罪にとどまらず、その背後にある病院の体質そのものが告発されなければなりません。
 府衛生部は、これを契機に、府下の精神病院について改めて調査を行い、病院職員を質・量ともに充実させるのをはじめ、通信・面会の自由の徹底等、患者の人権が十分守られることを前提とした治療が保障されるよう強力に指導すべきであると考えます。また治療の目標は社会での自立にあるのですから、必要以上に入院を長びかせることなく、患者・家族が安心して治療を受けられるよう要望します。 

大阪府知事殿      1980年2月20日  大阪希望の会  代表 高島保次郎」

『精神神経学雑誌』(1981)〔83(7):466〕より引用



*作成:仲 アサヨ
UP:20091216(小林勇人) REV: 20100114
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