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『赤堀中闘委ニュース』第4号

発行:赤堀中央闘争委員会 1979/05/13


5・24赤堀さん不当逮捕25周年を怒りの日としてとらえ、各地で、赤堀さん奪還の闘いを!
  
  昨年の6月の宮城県沖地震以来、一日一組二人という宮刑当局がかけてきていた面会制限は、ついに4月9日、制限解除をかちとり、元通り一日五組十人となりました。しかしながら、赤堀さんが全国の支援者に呼びかけている赤堀中闘委代表Oさんの介護体制や文通面会―交流が不充分な形でしか行なわれていないことによって、いまなお、不安定な状態におかれています。
  私たちはこうした状況を真剣に反省し、赤堀さんとの交流・病者との共闘を強めながら赤堀さんと共に闘う態勢の強化が緊急の課題となってきています。
  今年の5月24日で、赤堀政夫さんは26年目の獄中生活に入ることになります。私たちは、再度、この25年間のもつ重々しさを考え直さねばならないだろうと思います。
  元号法制化や有事立法・養護学校義務化などにもみられるように、人権を否定し「障害者」差別を強めようとする政治の流れと東京高裁・小松裁判長の沈黙≠ノもみられるように、抗告棄却策動は強まっており、一刻の油断も許せない状況にあります。
  こうした流れに抗し、私たちは5月24日を全人尼の怒りの総決起の日としてとらえ、各地・各職場・学園で最大限の力をふりしぼって、「障害者」「健全者」の共闘を強めながら、赤堀さんを生きてとりもどす闘いを作っていこうではありませんか。
  全国の闘う仲間の皆さん!
  抗議電報・署名・情宣・集会などを各地で取り組み、5月24日、不当逮捕25周年を怒りの日としてとらえ、赤堀さん奪還!のうねりをつくり出そうではないか。
  第四回全国「精神障害者」交流
        集会への呼びかけ
  と き 6月10日 9:30?17:00
  ところ 愛知県勤労会館
         (〇五二−七三三−一一四一)
     (尚、6月9日、18時より交流会も予定されています)
  面会制限解除をかちとる
  
  赤堀さんの近況
  
  仙台も桜の花が咲き始める季節になり、赤堀さんは私達との面会の中で『自分の闘いを少し休んでもいいから、Oさんの介護体制をしっかりやってくれ、という内容の手紙を全国の仲間に出した』といっていました。また、『全国からの手紙も月に平均10通位で少なくなっている』『この頃は、夜30分位しか眠れない』といっています。
  そうしているうちに、仙台闘う会の仲間に『集中面会をやめてくれ、そのかわりOさんのところに介護に行ってくれ』という手紙が届きました。Oさんとは母子の関係を結んでいる赤堀さんにして見れば、「私の苦しい気持をみんなわかってくれない」という厳しい対応でいっています。
  面会制限解除を克ちとり、この頃では、赤堀さんも、元気な姿を私達に見せています。しかし、ほんとうに笑顔が戻ったのだろうか。決してそうではないと思います。まだ、面会に行くたびにOさんの介護の話が出ます。
  文通・面会を強化し、赤堀さんとの交流をもっと重点的に進めなければならないと思います。
  
  4・2?4・7集中面会報告
  (仙台、赤堀さんと共に闘う会)
  
  ○ 4月2日 面会者2名、他2名(宮城「障」解研、福島「障」解研)
  車イスを押し、面会内容を筆記する介護者の同行、面会を要求、拒否される。
  ○ 4月3日 面会者2名(「病」者集団大阪分会・虹の会)、他2名
  2名とも「病」者なので、1名の介護者を要求、拒否される。「介護をしつこく要求すると面会できなくなる。頼んで面会してもらうのでないから、面会してもらわなくてもいい。」―受付発言 糾弾!
  ○4月4日 面会者2名(前日と同じ)他7名。
  再度、介護者要求、拒否。
  仙台闘う会、獄中支援センターが差し入れに入って、庶務課長と会い、介護者の要求と3月31日の「特別の事情」の配慮について要求、拒否される。「前日の受付の対応については、課長は聞いていない。調べてみる。」
  ○4月5日 面会者 2名(関東1名、八王子1名)他8名(八王子2名面会できず)
  全国からの面会者4名ということで、最初から4名全員の面会を要求、八王子Sさんは日本臨床心理学会代表として要求、面会は拒否で庶務課長との会見を要求、拒否される。面会に入った2名も、事務室で課長と会見、4名全員の面会を要求、拒否される。課長「面会制限延長について、仙台のメンバーに説明し西宮氏も含めて納得している。事情はそちらから聞け」
  4・2?4・4の「障害者」「病」者の面会に際しての介護の拒否、差別的敵対について周辺でビラまき。
  ○ 4月6日 面会者 2名(関東闘う会)他6名(京都闘う会1名入れず)
  京都のメンバーは午後から面会を要求したが、午前中、すでに2名面会しているということで、拒否。受付で「特別の事情として、遠くから来た面会者だから面会させろ」と要求。「特別の事情といった覚えはない。」と課長、拒否。
  宮刑の面会制限延長に、我々が納得していない、宮刑の一方的制限延長についての糾弾ビラを周辺にまく。
  京都のメンバーは、差し入れに入って課長と会見、抗議。
  ○4月7日 面会者2名(京都・新潟闘う会1名ずつ)他9名。新潟3名入れず。
  新潟4名で1名面会。他の3名、差し入れ、仙台2名差し入れに入り、課長と会見、抗議。交渉要求中の警備隊の排除を糾弾!
  6日間で面会者のべ12名。全国からの面会者(6名入れず)17名。
  全体で結集のべ46名。
  周辺ビラまき一〇〇〇枚、その他のビラまき四〇〇〇枚。
  宮刑の一方的な面会制限延長の中で、4月2日から一週間の集中面会闘争を貫徹しました。せっかく遠くからきた「障害者」「病」者の仲間でも面会できなかった人もいます。そうした宮刑の攻撃と敵対に対して、結集した仙台のメンバーも含めて、宮刑に対する抗議行動を、庶務課長会見―抗議の周辺ビラまきなどを行いました。
  宮刑受付刑務官の発言、対応にも現われた宮刑の差別的敵対的本質は獄中で闘う赤堀さんに対して、劣悪な処遇・医療―弾圧としてあり、日々、赤堀さんを苦しめていることを考える時、宮刑の差別敵対・弾圧糾弾の闘い、獄中医療・処遇改善の闘いの重大さを感じさせました。
  全国の仲間の先頭でこの任務をがんばるべき私達は、4・2?4・7の仙台の闘争体制の不充分性、4・9面会がもとどおりになって以降の面会体制の不充分性を深刻に反省しがんばりましょう。
  
  はじめて赤堀さんと面会
  京都赤堀さんと共に闘う会
  
  仙台共に闘う会の呼びかけによる、4月始めからの集中面会闘争に参加しました。
  まず、4月6日の昼前に仙台拘置所の前に着くと、もう仙台の仲間たちが結集しています。さっそく面会を要求すると、拘置所側は「今日はもう2人面会したからダメだ」と言うのです。
  刑務所のヘイはすでに出来上っていて、塗装の最中でした。昨年の地震で「ヘイが倒れたから」という理由はなくなっているのに、面会制限を解こうとはしないのです。
  しかたがないので、その日の仙台共に闘う会からの差し入れを私がすることにして、もう1人の人と一緒に拘置所の中に入りました。そして、差し入れがすむと、面会制限の責任者である庶務課長の所へ行って、「どうして面会させないのだ」と追求すると、「お前たちは差し入れに来ただけだから用がすんだら帰れ」などと言いながら、どこかへ雲がくれしてしまいました。
  私たちはみな拘置所側の無責任な対応に怒りを燃やしながら、拘置所周辺の抗議のビラ入れをして、その日の闘いを終りました。
  せっかく京都から来たのだから、そのまま帰るわけにはゆきません。
  その日は仙台の仲間の所に泊めてもらい、次の日、新潟共に闘う会の仲間と一緒に赤堀さんとの面会を貫徹しました。翌朝早くから、前日と同じように門前での抗議行動をした後、いよいよ面会です。
  初めて赤堀さんと会えるという、緊張と喜びが入り混じりながら、面会室に向います。スポーツウェアに身を固めた赤堀さんは小柄ながらとてもせいかんな感じです。頭やまゆ毛はもうだいぶ白くなっていて、長い獄中生活の苦労をしのばせます。でも、その眼はやさしさの中にも鋭く輝いているのです。
  赤堀さんの口から、「遠い所から大変だったね」といういたわりの言葉、そして「○○さんはどうしている?」「△△さんの障害の状態はどうか?」と、次から次へと質問が出されます。赤堀さんは「死刑」攻撃にさらされている自分自身のことよりも、獄外の私たち「障害者」のことをいつも心にかけているのです。そして、「健常者ならビラの印刷も出来るが、障害者だけだと大変だから、障害者の所へもっと健常者が応援に行くように」と、獄中から呼びかけているのです。こうして、面会時間はあつという間に過ぎ、こちらの言おうと思っていた言葉もほとんど出せないまま「絶対に勝利しましょう」とやっと一言いって面会室を出ました。
  初めての面会は、赤堀さんを激励しに行ったつもりが、反対に赤堀さんに激励される結果となりました。しかし、それだけ一層、必ず赤堀さんを生きて奪い返すのだという決意を新たにして帰途に着いたのです。
  
  各地の闘いから
  新潟大精神科糾弾の闘い
  新潟赤堀さんと共に闘う会
  
  私達新潟赤堀さんと共に闘う会は昨年3月に結成されました。その結成のきっかけとなったのは、メンバーのひとりのA君が新潟大学精神科に入院した際に看護者等から不当な「なぐる」「ける」といったリンチを受けたことでした。
  A君の怒りの告発に対して他のメンバーが受けとめ、A君にかけられた攻撃は、無実の「死刑囚」赤堀さんにかけられたものと同じ質のものととらえ「病者の解放」「第2第3の赤堀さんを出さない」闘いとして新潟大学糾弾闘争を、生きて赤堀さんを奪いかえす闘いと連動させて闘い抜こうとしています。
  私は、一昨年2月17日ある人に付添われて「躁うつ病」の治療のためあたりまえの人間としての意識で、新潟大学附属病院に行きました。
  当日は精神科外来は休診日のため、そのまま精神科病棟に向い看護長室に案内されました。しばらくして私だけ閉鎖病棟男子部(入口が常時施旋、窓には鉄格子)に入るように言われ、言われるまま中に入ると30名余の患者さんが、うつろな眼差しで私を見つめていた。入口が施旋されたとたん言いようのない不安な気持ちになり憂うつになるのを抑えることはできなかった。一時間余りたっただろうか主治医Tが病棟内に入って私を治療室に案内した。そして診察し、その結果そのまま入院治療がいいということで私も納得した。しかしその病棟がこの閉鎖病棟だと知らされると、医師に対して強く抗議し、なぜ、ここに隔離されなければならぬのかと、強くせまったが聞き入れられず、T医師は会議があるからといい残して病棟から去っていった。その後も今度は看護士に対して強く抗議したがそうこうしている間にK看護士が「ある物」(保護衣=患者をしばりつける道具)を持ってきて強引にしばりつけようとしたため当然のこととして抵抗すると今度は4?5名がかりで「なぐる」「ける」のリンチを加えて強引にしばりつけられたのでした。そして髪の毛を引っぱり私の身体を引きづるようにある部屋(保護室=独房)に監禁したのでした。私はあまりの出来事で一瞬気を失なった。これが精神医療なのかと頭の中は怒りでいっぱいだった。数時間後、T医師がきたため解放され治療室で負傷したところを治療してもらった。私が「K看護士らに暴行され、しばりつけられ監禁された」と訴えるとT医師は「初めての人には少々荒っぽかったかもしれないがあなたが騒いで看護士の言うことを聞かなかったから措置したまでで、保護衣を使用し保護室に入れるのは、正しい医療行為ですよ」と平然と言い、「また騒ぐと同じことをされますよ」とドウカツをし保護衣、保護室を制裁的に用いることを宣言したのでした。私はいっそう怒りをかきたてられ「この事実を告発して闘うぞと言うと、Tは「病気がなおってからするならしなさい」と私の行動を病的にしか理解しようとしなかった。
  2週後ようやく開放病棟に移され以前T医師に宣言したことを実行していったのです。ある弁護士に相談し県弁護士会の人権擁護特別委員会に提訴し、また社会党の県議、新潟日報、朝日新聞等に相談すると「むずかしい問題ですから・・・・・・」と門前払いされ、最後の手段として、自分で告訴状をかき、警察に行くと「病気が治って主治医の許可が出たらきなさい。今はうけとれない」失意のうちに病棟にかえるとT医師がまっており「今すぐ閉鎖病棟に行け」といわれ再び社会から隔離されてしまった。
  ある日の教授回診の時「もう告訴する気はないかね」「もうしません」「大部よくなったね」この会話の一週間後、多くの患者の眼差しを受けつつ退院したのでした。
  私にかけられた攻撃は私だけではありません。今もなお全国各地の精神病者といわれる同胞に大なり小なりの形で起きているのです。この怒りを私たちはどこへ訴えたらよいのでしょうか。新潟大学は今もなお「暴力行為=必要悪」とし学会でも決議されている面会、通信の自由にも認めずにいるのです。またあの悪名高いロボトミーを日本で初めて行ない、ロボトミーのメッカともいわれた大学です。そして今、誇らしげに「脳外科では世界的レベル」と言っていますが、その影には数知れない精神病者が犠牲になっていることを、忘れてはならないと思います。
  「すぐに忘れるだろう」という大学当局の思惑は完全にくずれ、特に昨年の9月の日本精神神経学会での告発したことで衝撃を受け、日共を中心として「やれるならやってみろ」といった反動的な対応をとりつづけています。
  私たちは、満身の怒りをもって新大糾弾闘争を病者の人権奪還の闘いとして闘い抜く決意です。全国のみなさんの支援をお願いします。
  
  東京高裁、小松は四証人採用、九証拠開示、事実審理、再審を行え!
  
  東京高裁・小松は、明日にでも証人・証拠≠フ採否を決定し、「抗告棄却」の決定を打ちおろそうとしています。私達は弁護側から要求している「4証人・9証拠」をガッチリと自分自身のものとし、再審貫徹を断固、かちとっていかねばなりません。今回は、9証拠について明らかにします。
  
  〈九証拠〉
  
  (1)未提出の犯行現場および被害者の死体(解剖)写真
  
   (@)犯行現場の写真は「検証調書」(3月13日)につけた写真が6枚しか提出されていません。この写真が全部提出されれば犯行現場=死体発見現場全体の状況がわかり、そこには後で「発見」された「石」など「死体発見」の時(3月13日)には、なかったことが明らかとなります。(「石」はウソの「自白」に合わせて、6月1日に現場から「発見」)検察側はこの事実を暴露されるのを恐れて、写真を隠しているのです。
   (A)久子ちゃんの死体の写真は、検証調書の6枚と鈴木鑑定(死体解剖)のそれぞれ6枚が提出されています。しかし助川鑑定でも指摘されていることですが、死体の傷について色々な方向(特に正面)から写すのが法医学の常識でありますが、ある方向から写したものだけしか提出されていません。残りの写真が提出されれば、久子ちゃんの胸の傷は「石」では出来ないことなどが明らかとなるのです。
  (2) 新たに提出を求める写真、並びに前項でふれた既に提出されている写真(犯行現場および死体)のネガフィルム
  
  これは検察側の写した写真のフィルムの一部しか焼付けせずに隠しておくことができないよう、ネガフィルム全体を提出させるもので、そして、必要に応じて重要な部分を拡大して焼付けする為です。
  
  (3) 本件被害者の両親の司法警察職員並びに検察官に対する供述調書
  
  死体発見時、久子ちゃんの胃の中には200?300グラムの米・麦・さつまいもが発見されました。これを久子ちゃんが、いつ、どこで食べたのかは、捜査の上で最も重要な事でありますが、これまで検察―裁判所側は無視してきました。赤堀さんの自白どおりなら、久子ちゃんに、ものを食べさせる話がでてこないのですから、久子ちゃんは家でさつまいもなどを食べた≠ニいうことになります。久子ちゃんの両親の話によって、それを確かめることができるはずです。しかし、本当は久子ちゃんは誘かいされた後で犯人から食べさせてもらったに違いありません。(助川鑑定・船尾鑑定によれば死亡推定日時は、3月11日か12日であるから、3月10日朝に最後に家で食べたものは、もう胃の中に残っていないはずです)
  
  (4)請求人(赤堀さん)の1954年5月24日から同月27日の間に録取されていた司法警察員に対する供述調書。他、同人の司法警察員ならびに検察官に対する未提出供述調書
  
  赤堀さんが取調べ中に行なった供述のすべてです。検察―警察側は5月30日のウソの「自白」から後の、しかも彼らに都合の良いものしか提出していません。「自白」がデッチ上げられていった経過(「自白」の任意性と信用性)、また特に、赤堀さんのアリバイをさらに明らかにするものです。
  
   (5)本件被害者発見時においてなされた検証および実況見分の際、撮影された現場写真のネガフィルムの一切
  
  (1)(2)以外にも現場を写した写真が多くあるはずです。「石」の発見の経過=「石」を「凶器」にデッチ上げたことを暴露するもの。3月13日の死体発見時には、半径6メートルを髪の毛一本を見のがさない程、捜索して「石」は発見されませんでした。またたとえば3月25日には鈴木医師による鑑定書が提出され「胸部の凶器は鈍器」とされていたのが、その時に現場をもう一度捜したはずであります。ところが、5月30日の赤堀さんの「自白」によって6月1日に「石」が発見されるのです。
  
  (6)本件犯罪の捜査経過を記録した捜査日記
  
  赤堀さん以外も含めた捜査の経過については、第一審相田兵市警部の供述があるだけです。赤堀さんを「犯人」にデッチ上げていく捜査過程をあばくもの。
  
  (7)モンタージュ写真
  
  犯人のモンタージュ写真は事件発生直後、犯人を目撃した人々(中野なつ、鈴木鉄蔵、大田原松雄など)の協力で作られました(3月14日作製)。このモンタージュ写真は赤堀さんとは全く似ていないのです。第4次再審請求では目撃証人が公判で証言した(赤堀さんが犯人と似ている)から必要ない≠ニしてモンタージュ写真の提出請求を認めませんでした。しかし、事件直後の記憶をもとにしたモンタージュ写真こそ、もっとも本当の犯人像に近いものです。あとになって、赤堀さんを見て「似ている」というのは、一番あやふやな証言です。
  
  (8)請求人以外の被害者の本件についての自白調書
  
  赤堀さん以外に「自白」した人が出たことは相田警部の証言でも認めています。当時すさまじい差別的見込み捜査が行なわれたことはすでに明らかになっていますが、他の「自白」調書を提出させ、赤堀さんの「自白」も同じくデッチ上げられたことを明らかにします。
  
  (9)鈴木鉄蔵、中野なつの司法警察職員、並びに警察官に対する供述調書で未提出のもの
   
  この2人は重要な目撃証人です(鈴木さんは蓬来橋の橋番、中野さんは3度、犯人を目撃しています)。ところが、この2人の述べる犯人像は、赤堀さんの逮捕―「自白」の前と後で全く違ってきています。
  しかも、このような重要な目撃証人であるのに、その供述調書は一通ずつ(中野さんのは2審で一通追加)しか、提出されていません。私達は2人の供述調書を日を追って、すべて提出させる必要があります。
  
  東京高裁に第四次再審を開かせるための闘いは、今、重大な段階をむかえていますが、これまで島田事件に関する書籍が発行されていますので紹介します。
  ○「島田事件と赤堀政夫」 赤堀全活編 六八〇円 (たいまつ社)
  ○「無実を叫ぶ死刑囚たち」 無実の「死刑囚」連絡会議編 千三百円 (三一書房)
  ○「差別と冤罪の構造」 八木晃介著 六八〇円 (たいまつ社)
  ○「心理テスト」 日本臨床心理学会編 二千六百円 (現代書館)
  ○「偽証」 佐藤一著 時事通信社
  ○「誤審と再審」 大塚一男著 千円 (晩声社)
  ○「日本死刑史」 森川哲朗著 六五〇円 (日本文芸社)


UP:20100528 REV:
精神障害/精神医療  ◇島田事件  ◇全文掲載 
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