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大阪ゴリラ再誕大会


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1978年10月8日  於  住吉解放会館

再録:定藤 邦子


大阪ゴリラ再誕大会
1978年10月8日  於  住吉解放会館

議案書 目次 

T.はじめに
U.総括
 1.緊急アピール以前
 2.関西ゴリラ大会
 3.関西ゴリラ解散決定への一連の動き
 4.大阪全体会議
 5.バラの花計画
V.再誕へ
W.活動方針(案)
 1.大阪ゴリラ方針
 2.各地区方針
 3.各層方針
 4.各課題方針
X.組織方針(案)
Y.選挙


T.はじめに
 我々は今、岐路に立っている。昨秋の緊急アピールより早や1年になろうとしている。この激動の1年はG(=ゴリラ)にとって、旧来の体制のエセ民主主義、無責任を知らしめた1年であった。一人よがりの能力主義−の介護に入っている量の多少 Aどれだけエーカッコが言えるか等による発言力が運動総体を決定する−と無責任なやる気論に支えられた嘘塔はガラガラと崩れたものの、それに取って替って現れた運動展開の視点を持たない個別関係への逃避は3月来連綿として進行している。その中に、バラの花という爆弾が投げ込まれた。
 我々は今、岐路に立っている。行く手は3本の路である。左の路は大衆組織としての独自性を確立せず、運動全体の単なる駒となって動かされる路である。右の路は健全者の差別者としての立場を放棄し、無責任な個人関係へと流れる路である。我々は前者を主体性の欠如、後者を運動からの逃避と捕え、残る真中の路−独自性を持った健全者の大衆組織としての大G(=大阪ゴリラ)を再建してゆく路−を歩んでゆくことを確認したい。

U.総括
1.緊急アピール以前
 緊急アピールは、77年10月、関青(鎌谷)、関G(三矢)、リボン社(河野)の三者の連名で提出された。その主たる批判点は@能力主義によるランクづけ A組織の没個性による馴れ合い主義 B一部の人間によるMoの私物化etc. 我々の基本路線が全体化していなかった事であった。アピールで批判された内実は77年の1年をかけ、顕在化していった。Gに関して、その当時の様子を7/16〜17の関G(=関西ゴリラ)合宿レジュメをみると、
背景に関して−課題の多様化とスケジュール的活動の増加
(a)関青(=関西青い芝)の西日本制覇の方針からくる全健協のG(=ゴリラ)主導の方針
(b)車いすの教師を創る会、AZ福祉工場建設運動の推進、リボン保育所の開設といった新たな運動体の出現
(c)情緒障害児の問題への取り組み、グループの結成、学生ゴリラ障害者解放研究会づくりetc.
(d)全障連結成(前年)より全障研・54への理論学習会の強化
(e)自立障害者の飛躍的増大

情況への対応
(a)課題の多様性に対して→G中心人物の専従化と課題別担当者の割当て
(b)スケジュール的活動の増加に対して→闘いという自覚のない俄仕立のGのデッチ上げと個の情況への没落(Gやるならルンペンせなアカン)という風潮
(c)とりわけ、自立障害者の飛躍的増大に関して、様々な自立障害者を運動的に捕えきれなかった。
 この様な中で、全体と地区の断絶、スケジュール消化=運動という感覚、障害者への愚痴の日常化が進み、アピールに批判される様な内実が形成されていった。

2.関西ゴリラ大会
 緊急アピールに対する1つの答えを出すべき関G(=関西ゴリラ)定期大会は、77年12月3日〜4日にもたれた。その後、神G(=神戸ゴリラ)から鋭い提起−アピールを生み出してきた情況についての総括の欠如が出され、そこにおいて、一部の人間にだけ情報が集中し、ゴリラ一人一人が運動全体を見ること事ができない様な体制(リボン社・専従体制)の放置、及び、ゴリラの無責任な参加(各地での討論の不備)が明かになり、各地区Gが実行委を組んで、1月29日続開大会を開くこととなる。
続開大会活動方針のスローガンは
(a)会議をやめよう
(b)個々、組織者としての主体を確立しよう
(c)専従者が占める完全無欠な役員会運営を排し、誤りだらけでもよい、それを皆の誤りとし、そして正す事のできる我等の役員会をつくり、支えていこう。
でありアピールを受け手、一応、旧来の役員会の地区から遊離を防ぎ、地区ゴリラでつくる関西ゴリラというのを目指した形になっている。しかし、その活動方針は、やはり課題の羅列にすぎず、アピール以前の情況に関して何ら対処できるものではなかった。その上、その内容は緊急アピールに対する開き直り、(何で俺らだけが文句いわれなアカンねん)が存在していた事を無視し、綺麗事ですませていた。まとめて言うと、
評価点として
 (a)専従を抜いた、地区ゴリラ、労働者ゴリラ主体とする組織づくりの体制案を出した事。
 (b)健全者の主体的取り組みを提起した事(運動における健全者の位置づけ)。
批判点として
 (a)アピールの提起の内、専従者の問題のみしか取り上げられなかった。
 (b)課題の列挙と形だけの体制づくりに終り、体制の課題に対してどう機能させるかの観点が全くない。すなわち各地区と全体との結合を関再ゴリラ教宣局を介して、地区大会議という形式のみ先行した。(組織のでっちあげ的立て直し(=形式的組織強化)
 (c)現状を生みだした最大の要因である人手が足りないという事や、そこから生れた個々想い、生活に対する批判も  も総括も無視したものであった。
  つまり、関わっている健全者の生活の背景である社会構造を運動に吸収する回路がゼロであった)。
という事で、本質的にはアピールに何らか(実質的)に答える事ができないものであった。

3.関西ゴリラ解散決定への一連の動き
 関西ゴリラ新体制は、一応形づくられたものの、全く機能する事もなく、3月の関西青い芝、葦の会の関西こり等解散決定へと情況は流れていく。障害者と健全者の間の疑心暗鬼はアピール後、益々深まり。
 (a)12月、葦の会結成大会のゴリラアピールで、あしの会への不満を中心にアピール
 (b)2月、大阪青い芝対大阪ゴリラ 本部氏自立問題に端を発した、大阪青い芝への要請文で、青い芝、ゴリラの溝が深まる。
 (c)2月、淀川区役所交渉、甲山闘争で大阪ゴリラ・関西ゴリラが糾弾される。
という一連の動きの中で、ゴリラと関西青い芝、葦の会の関係の悪化は決定的となり、3月
先ず、兵庫青い芝が10日に兵庫ゴリラの解散を決定、13日、関西青い芝が関西ゴリラ解散を決定、22日全国青い芝が関西ゴリラ解散承認、全健協よりの除名勧告と、風雲急を告ぐ事態が襲来してきた。
 この決定がゴリラに及ぼした影響は大きく、関西ゴリラ新体制は当然、それらの事態に答える事ができなかったし、大阪をはじめ各府県ゴリラは壊滅状態に陥った。大阪に於いては運動の確立と自らの生活基盤の確立の統一をとらえる事ができないままに結果として個々バラバラに分解していく傾向が現在に至るまで続いている。
4.大阪全体会議
 ゴリラ解散の嵐が吹きまくる中、大阪青い芝はゴリラ解散に反対、3月27日、関西青い芝から脱会宣言をする。4月13日、リボン社、大阪青い芝、大阪ゴリラで運動の再建を目的に第1回の全体会議をもつ。全体会議は6月3日の第3回をもって解消し、各組織の再建の先決が話される。その間、5月12日、22日と第1次大阪ゴリラ準備会議がもたれたが、個々の想いを伝えあう事が当面大事であると判断し、大阪ゴリラの再建への具体的取組は見送られた。
 その後、8月3日を皮きりに週1回の大阪ゴリラ準備会議がもたれ、大阪ゴリラ再建への話し合いが行われた。そして一方では、内部統一の為の意見交流の場として、新聞「がしんたれ」の発行が行われ、又、有志によるバラの花計画が推し進められた。
 これらの一連の動きの中で、地域で身近に層としての障害者に関わっているはずのゴリラが障害者の差別に満ちた生活破壊実態を含めた、その社会的、運動内的背景を把握できず、その状況を克服していくプラン・努力を怠っていた事をみのがしてはならない。

5.バラの花計画
 バラの花計画に関しては、その推し進め方etc.を問題にしつつ、(e.g.全体への話しこみの不徹底さetc.)。内容の大体に於いて、大阪青い芝、大阪ゴリラ、リボン社の三者の共同による運動体制の提起として受け止める必要がある。そして、その共同のためには、独自の組織としての大阪ゴリラの再誕が前提となる。又、その問題に対する答えはゴリラの地域を基軸とした再誕の中でしか語る事はできない。
 今、感情的な組織嫌いや個人的反発といったことで、バラの花計画に対して、消極的になるのではなく、(それは逃げである)、又、独自な組織として大阪ゴリラを再誕することなく、バラ計画に無批判に参加して行くのではなく(それは、没主体的である)。旧来の組織の総括から健全者の大衆組織として機能しうる体制を目指しての大阪ゴリラ再誕、その中でのバラ計画の内実の機能、etc.について考えるべきであろうと考える。

V.再誕へ
  再誕へ 1
 我々は、在宅障害者、施設障害者、自立障害者との出会いから、行動保障、様々な取組みを通じて、障害者の隔離・抹殺の現場に触れる。
 彼ら障害者は、社会の中、我々と同じ地上に生きながら、徹底的に閉鎖され、様々な社会領域から閉め出され、「特殊な世界」を強いられ続けている。これは、我々健全者にとって自分の生活空間における「障害者の費剤」を居忌みし、優生思想・能力主義への自覚を持ち得ず、差別者たる位置を無自覚の内に荷負わされ、担ってきた差別の歴史である。我々は、この世に生れ落ちた時から能力主義に染め抜かれ、他人のことなどにかまっていればテメエらが、いきられないという生き方を強いられ続けてきたことである。これは、個々の人間性を越えて規定され、不可避的に我々の生活条件となっている。
 この泥沼の中にあって、我々は分断の真実によって、自分のいる世界、生活を全てだと思う様になっている。人間の自我形成の過程において、周りは自分と「同じ様な人間」ばかりに限定され、社会問題が厳然と存在する(新聞では良く見かける)にもかかわらず、自分が差別しており、また同時に抑圧されているという事に気づくことすらできずにいたのである。われわれは、日常、映画を見、街を歩き、文化に触れ、様々な人間に出会う機会を持っている。
 しかし、彼ら障害者には「障害者である」(〜をする能力がない)という事によって、それらの当然と思われる「権利」すら奪われてある。我々は、その状況(落差)を許している限りにおいて、その差別構造を担っている限りにおいて、不可避的に、絶対の差別者なのだ。だから、その構造の中で、障害者を対等な人間存在として見ることのできない我々は、例えば「この人、何言ってるんですか?」という発想(差別)を、自ら創り出してしまうのである。
 そして、我々健全者の運動は、その事を自己批判的に捉える事から始まる。普段に差別者である自己を認識し、かつ抑圧されている自己を認識する事を通じて、怒り、憤る中から、それを許さぬ「解放」を目指し、この状況(→現実社会)の変革運動を担おうとする所からグループ・ゴリラは生起する。真に「人を抑圧(差別)する人間は自由ではない。」 我々は、この変革、闘いを求め実践する者たちである。
 更に我々は「障害者と関わる事」から出発しながら、一歩において、状況の圧倒的な不利(障害者差別の厳しさ−障害者解放運動事態の未熟さ)を被差別者−障害者に押しつけ、自らの変革、闘いの責任から逃亡し、「人の心」に無責任な期待を寄せる。体制的補完物たる「ボランティア」の不充分性を見抜き、又「階級闘争」への機械的組み込み(「〜闘争に行け」「〜党に投票しよう」「とにかくついてこい」式のひき回し)を許さぬ健全者としての障害者の自立、解放運動への共同を闘おうとしている。

V.再誕へ 2
(a) 我々は障害者の事を何も知らないが故に現社会の差別構造の中を無自覚に生きており、その事が具体的に障害者に対して差別者としての機能を果たしてきた。だからこそ障害者差別を或いはその背景を我々が認識していこうとする時、障害者との具体的な関わり(介護、行動保障)が必要不可欠なものとなってくるのである。
(b) まず、障害者の声(何も言語表現だけでない)を真剣に聞き、彼らの自己主張を保障していくことが健全者である我々の自己主張の前提となる。何故なら、この前提を抜きに、障害者と対話ができない関係、即ちお互いに空いてが理解できない時、かならず、健全者が障害者を屈服させてしまう(また、そうすることが、いつでもできる)という関係こそ、両者の差別、被差別関係であると捉え、それを変革しようとしているからである。
(c) しかし、見落としてならない事は、「被差別者(障害者)が目の前にいるから差別者(健全者)は介護せねばならない」といった論理の一点張りに陥ってはならないという事である。何故なら、この論理だけでは、
@自分の姿・想いを意図的に抑え、没主体的な関わりになりかねない危険がある。これでは無自覚なスケジュール消化(唯介護主義)やなれあい関係からの代行主義を招き、自らの位置を捉えられず、結果的にボランティア的関わりの裏返しでしかなくなる。
A障害者差別を極めて抽象的・観念的に捉えるのみにとどまる。どこをどう差別しているのか、それはどういう構造から引き起こされるのか、といった具体的に自分が差別をとらえていく事(それが差別と闘うための条件である。) ができなくなる。
(d)以上の事を踏まえた上で、我々は一健全者として、現在の差別社会の中で各々の階層の一員として、なた、地域社会の一員として生きる事をみるならば、我々は、
@差別者として障害者に対しているという自覚の上で、主体的に個々の障害者と関わり、彼らの生き様を突きつけられる事で、自己の生き様を追求し、自己の変革を目指す。
A一方、そうした関わりの中で」のぶつかりあい、即ち両者の生活のペースの違い等からくる矛盾を覆い隠すことなく明らかにすることで、その背景である障害者差別構造から、更に社会構造総体を具体的に追求把握し、それを変革していく拠点として、層(学生・労働者etc.) 及び地区の体制を確立する。
Bここに於いて、自己変革と社会変革とを統一していく母体たる大衆組織の必要性を痛感し、その内実でもって、健全者が障害者と関わる事を広く提起していく。
C青い芝との共同行動としての介護保障、行動保障を追求していく。


V.再誕へ 3
(1)現在の社会の差別構造は行政による地域社会の管理によって存分に機能している。  その管理は国−大阪府・市―各市区という体制の下、公共の利益、多数意志といった名分にたった押さえつけ(企業の論理の労働者、住民への押しつけ、健全者の利益の障害者への押しつけetc.)と福祉の恩恵という飴である。人々は、この飴をおいしい、おししい、と言ってなめ、有り難い事だと評価する。我々は、この飴が差別構造の中で作られ、金の論理を支えにして、我々に与えられている事を見逃してはならない。福祉は障害者を地域社会から締め出し(施設へ、養護学校へ、あるいは在宅放置)、開発は種々の公害を起こし、公教育は落ちこぼれと型にはまった人間を生産してきた。そして一方では、町内会福祉協議会etc.の行政による地域住民の組織化・国民総背番号etc.による管理強化がもくろまれている。我々は本来、地域社会とは、行政から管理されるものではなく、地域住民(当然少数者−障害者etc.−も含めた自らの手で創り上げてゆくものであると確信する。よって我々が社会変革を目指し、そして、現社会の差別状況や個人の差別意識を強化助長している最大の機能としての行政の存在を確認するならば、我々は行政に対抗する地域社会、少数者たる障害者を軸にした父生き住人運動を創り上げてゆく必要があろう。
(2)末端の行政レベルは市町村区である。まして、その事によって、人々の生活現場(日常生活の範囲)も市町村区となっている。これは、人々−特に障害者の生活に対する支配・管理・抹殺が市町村区レベルで「具体的に」なされている事を示している。よって我々が地域活動を基盤とした大衆運動を目指すならば、行政の具体的管理が行われ、そして、人々の生活現場となっている市町村区レベルでの運動基盤づくり(当然それは、在宅障害者及び地域住民を中心とした)を抜きにして成り立ち得ない事を自覚し、この事を再誕への中心課題におくことを確認したい。
  そして、このような各市町村区での闘いの力を相乗していく為の互いの状況や意見交流の場として、又、ゴリラとしての一定の活動の総括の場として地区の存在が浮かびあがってくる。
  一方、各市町村区の行政は、上からの即ち大阪府市の指導方針の下に作業を行なっているに過ぎない物である事を自覚しよう。例えば個別の就学運動や個別自立障害者の生活要求etc.は市町村区レベルの闘いで勝ち取れるとしても、それ以上の闘いは市町村区レベルではどうにもならないものだという事を自覚せねばならない。
 よって、我々が個々の関係を基盤にしながらも、社会変革を目指す以上、その運動展開は、三層構造になる事、すなわち、
  @市町村区レベルでの在宅障害者、地域住民を中心とした運動展開
  A各地区での種々の地域運動点検・情報交換etc.
 B大阪府・市レベルでの各地区の結集による行政への闘い
(3)上記展開は組織なくしてはできない。即ち、我々が個別の信頼関係を基盤にしつつ、社会変革を目指す故に組織が要るのである。ここで、我々は組織とは本質ではなく、あくまでも方法である事を確認しよう。そして、方法なくして、本質の実現はないのである。但し、過ちをくり返してはならない。大阪青い芝は何故、大阪ゴリラ解散に反対したか、ゴリラに対する怒りは、大阪青い芝も関西青い芝も同じであったことを忘れてはいけない。我々は緊急アピールを軸に、アピール前の関西ゴリラ体制、アピール後の関西ゴリラ新体制の考案を基として、前者の轍うぃ踏まぬ様、再誕をすすめていかなければならない。我々は大衆組織としての大阪ゴリラ内での各々の役割を確認し、そして、その中での各個の位置を押しつけではなく、自らが確立していく必要があると考える。
  以上の点を踏まえた上で、課題の列挙にとどまらない活動方針とそれに対して機能できる組織方針をたてねばならない。


資料1  緊急アピール

 私達は一体なにをめざして闘っているのだろうか!
 私達は障害者差別を許さない立場で、障害者がおかれている社会的差別現実にじっくり根をすえて闘い、かつ障害者の自立と解放の大道を切り開き自由で平等な社会を創り出そうと日常活動を追求してきたはずではなかったか。しかるに、今、私達のメンバーの中に私達の運動の基本路線を疑わしめる様な事例が悲痛の声と共に数多くあげられている。それも、私達のメンバーの外部からではなしに、内部の最もメンバーの中核たるべき部分からの批判としてそれがある。
「今までにあがっている事例」
イ.いわゆる専従者と呼ばれる、或いはそれに類する人達の態度が横柄であり、介護活動にもあまり参加していない為、地域の状況にうとくなっており、専従者たる任務をおろそかにしている。
ロ.この様な専従者の態度を(専従者と障害者の主幹的関係、歴史etc.とは関係なく)ゴリラの部分がまねるような状況が生れている。例えば、障害者の名前を呼びすてにしたり、自分よりもはるかに年上の人に命令まがいの言動をする者がいる。
ハ.青い芝の会の周辺のメンバーに関して、青い芝の会と全く無関係に決定、行動が行われ、後になって了解や責任を求められる事がある。
ニ.自立障害者にランクづけを行う介護者が数多く見られる。(あの障害者はいろいろ教えてくれるけれど、この障害者は黙ってばかりいるから行くのは嫌だ。)
ホ.各地区、各県事務所の運営が青い芝の会の役員や、役員会の主体的参加を抜きにおこなわれたり、一部の軽度障害者を中心に事が運ばれたりするような流れがある。
ヘ.青い芝の会をゴリラが指導するのだ、と放言した者がいる。
ト.永い差別の歴史の中で、ものが言えなくなっている障害者は数多い。しかし、健全者にあなどられているにもかかわらず、自らの意志を明かにできない様な情況が多々あるとすれば、その障害者の態度も問題であるけれども、そこに追いやっているメンバーの資質こそ問われなければならないだろう。
「したがって問題点は」
イ.障害者をバカにしたり、その日常性をおろそかにする事、その様な言動をするひとが私達のメンバーの中から生れている事
ロ.親しみのつもりか何かしらないが、年上の人までよび捨てにして、得意然としている態度はゆるされないではないか。
ハ.障害者がおかれてきた差別の歴史と、その実態を甘く見ているのではないか。1年や2年、活動したからといって、じじつが血肉化するものでもあるまいし、その中から、新しい関係を創り出そうとすれば、もっと私達は謙虚な姿勢を堅持しなければならないのではないか。古い関係をまねて、私達の関係をつくる事はできない。礼をもって義をなす作風が必要ではないか。
ニ.問題を自分(健全者)側にひきつける事によって問題解決や、名分をつくろおうとする考え方があるのではないか。
ホ.障害者の側での問題点は、バカにされたり、ないがしろにされても腹が立たなくなっている事、また、その事に対する批判的な問題提起を組織として充分に取組めていないのではないか。
ヘ.全体の中でも個別の関係の歴史をまねすることはできない。真剣な態度で、一人ひとり創りあげるものではないか。
ト.目の前で差別的な言動がとびかっているのに、だれもその事を指摘しないのはどうしてなのか。みんな笑ってごまかしているのだろうか。  <以下略>


資料 2
[ 活動方針案]
・ 会議をやめよう。会議先行、依存主義を排し、まず、動きをうみだし、随所で闘いを開始する。
・個々、組織者としての主体を確立しよう! 介護行為のみに終わらず、介護を通して組織   を鮮明し、代行主義を排し、世間の風の冷たさをかぶり、それぞれが責任をもち、任務を徹底していく。
・専従者が占める完全無欠な役員会運営を排し、誤りだらけでもよい、それをみなの誤りとし、そして正すことのできる我等の役員会をつくり支えていこう!
1.青い芝の会など、障害者自身との共同をキッチリやり抜こう!
 在宅訪問、行動保障、自立生活保障、在宅障害者との回路を確立し、層としての障害者
 群の登場をはかっていこう。
2.首から上、健全者の障害者集団あしの会との共同関係を確立していこう!
3.あらゆる職場・学園・地域に友人運動を組織していこう!
 a.労働者を組織し、労働者が主体的に関西ゴリラを担える体制をうみ出そう!
 b.あらゆる学園の中に、障害者解放研を建設し、学生戦線に友人運動を確立していこう!
4.青い芝の会と共に様々に闘いの円卓を囲んでいこう!
  障害者自身に学びいく原則を確かにしつつ、共に闘いを担うものとして、対等に相互批判し、相互経験しあえる………。
5.共闘を推し進めよう!
 a.親との関係を回避せず、青い芝・ゴリラ・親・三者合同で話し合える場を設け、真の共同を………。
 b.地域での共同を基礎にした大障研、兵障研等、教育労働者との組織的関係を確立していこう!
c.労働者ゴリラの動きを中心に、障郵労との組織的関係を確立していこう!
 d.イムジン江に集う会との組織的関係を確立していこう!
6.各課題の取組みを活発にしていこう!
 a.全健協を我らのものとし、全健協を一層強化していこう1
 b.各地で顕在化してきた情緒障害児等の問題に取り組んでいこう!
 c.全障連関西ブロック幹事会に組織加盟し、全障連へ積極檀家を果たしていこう!
 d.54阻止各地区共闘代表者会議に組織加盟し、54阻止共闘へ積極てき参加を果たしていこう!
 e.被差別共闘世話人会に組織加盟し、被差別共闘へ積極的参加を果たしていこう!
 f.リボン共同保育所運動を関再ゴリラとして、組織的に取り組んでいこう!
 g.AZ福祉工場建設運動に関西ゴリラとして、組織的に取り組んでいこう1
7.情宣活動を強化しよう!
 a.出版作業、上映運動など、我々自身の武器として担っていこう!
 b.新聞・連絡紙・機関紙の発行を活発にし、………。
8.我々の運動基盤・財政運営に対し、………。


[組織方針案]
1.関西ゴリラ代表は、地区代表の互選にしよう
2.役員会の体制強化と単純化
3.労働者ゴリラの役員会への参加を保障しよう。
4.教宣局体制の確立
5.あしの会との共同
6.各地区大会を関西ゴリラ大会の前に必ず開こう。


資料3:略年表
77.10    緊急アピール
  11    関西ゴリラ役員会緊急アピール
12.9関西ゴリラ定期大会、流会←総括不充分、○○○○が関西ゴリラ役員を辞める
78.1.29  関西ゴリラ○○大会、関西ゴリラ「新」体制発足、教宣局 
   2.2  甲山闘争糾弾共同学習会→関西ゴリラ糾弾
    13  淀川区役所行動反省会→大阪ゴリラ糾弾
   3.10  兵庫青い芝が兵庫ゴリラを解散
     13  関西青い芝が関西ゴリラを解散
     20  あしの会が関西ゴリラ解散
     22  全国青い芝が、3.13関西青い芝の決定を承認→関西ゴリラ解散、全健協除名勧告
     25  関西ゴリラ役員会     →事態を静観(3.27関西青い芝待ち)
     27  関西青い芝役員会     →大阪青い芝、途中で総退場
     27  関西青い芝VS専従者   →全員解雇
4.13  第一回大阪全体会議    →問題点未整理、有志会議
     30  第一、第二事務所解約   →リボン社新事務所へ
   5.   全国青い芝が全健協解散  →「青い芝の手足となる健全者集団を
     3  第二回全体会議      →世話人決定
     12  大阪ゴリラ合宿      →時期尚早と判断
     22  大阪ゴリラ会議      →  〃  〃
    6.3  第三回全体会議      →各組織(大青、大G)再建先決ゆえ、解消
    7.6  第一回新聞編集者     →内部統一、原則・方向明確化のために
    8.3  大阪ゴリラ会議第1回   →9月をメドに新大阪ゴリラ結成を
    9.10  「バラの花計画」全体集会→"大阪青い芝、リボン社組織決定
                     ネックは大阪ゴリラのみ"

(注 by 定藤) 「甲山事件[兵庫県西宮市の知的障害者施設『甲山学園』(現在廃園)で1974年3月、12才の男女二人の死体が浄化槽から発見された。元保母山田さんは殺人罪に問われ、21年にも及ぶ裁判の末、1999年第2次控訴審で無罪となった。この事件には、捜査の方法や知的障害児の『証言能力』(誘導尋問されたのではないか)等の問題点がある]の座り込みに行って僕が機動隊に排除されたとき、健全者が尿瓶の小便を宿泊で借りていた「老人憩いの家」の台所に流した事があった。それから、他にいろんな話が出てきて、障害者が座り込みをしている時に、健全者の方がドライブに行っていたことがあって、で、健全者の問題について僕と兵庫青い芝の会で話し合って、とうとう解散することにした。最初は、兵庫青い芝の会で僕と数人で決めたことだった。」(「兵庫の「武者」たち大いに語る」(全国自立生活センター協議会編『自立生活運動と障害者文化』現代書館、2001年、350頁)の福永年久さんのお話から)


UP:20050520  REV:20141215
青い芝の会  ◇障害者(の運動)史  ◇雑誌 
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