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「発刊にあたって 障害者解放運動の現在的視点」

横塚 晃一 1977 『全障連結成大会報告集』 全障連全国事務局,346p.

last update:20130530


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  発刊にあたって
  障害者解放運動の現在的視点 全障連代表幹事 横塚晃一

 七四春闘において、弱者救済をかかげ市川総評議長が「この人達の要求が通らない限り、たとえ労働者の賃上げが実現したとしても、ス卜ライキ闘争を打ちつづける」とおおみえを切り、「障害者問題を以後三年間続ける。この期間に障害者問題、持に経済的、制度的なものはほとんどかたがつくのではないか。」と言われていた。
 私はこの七四春闘が始まったとき、ある人に向って大胆な予測を語った事がある。「春闘共闘においては障害者問題を三年間続けるとのことだが、この間に今まで障害者問題をやってきた人達はほとんど手を引くであろう。そして、総評などの下に集まった組織労働者に肩代わりしたとしても、三年後はどうなるか。それは確かに経済的には少しはうるおうかも知れない。しかし障害者問題がそんなに簡単にかたが付く訳はない。おそらく我々にとってはなま暖かく静かな暗やみの時代が来るであろう。その時こそ青い芝の会をはじめとする自ら闘う障害者組織が真価を発揮するときである。」あれから四年、この予測は必ずしも的中とは言えないまでも、大筋において当っていると思っている。 六八〜六九年ごろ、東大闘争を頂点として全国的に高揚した学生運動が権力の手によって抑え込まれるなどして沈滞してゆくと同時に基盤を失った学生運動の流れが障害者問題にどっと流れこんできた。もちろん、日本中を経めぐったエネルギーからすれば、それはほんの一部だったであろうが、それまでほとんど返り見られることがなかった障害者の世界からすればそれは大変なことであった。青い芝の会のように、それまで障害者だけで組織し、まがりなりにも運動を続けてきた者にとっては強大なエネルギーとして迫り、この強大なエネルギーによって自分達の創ってきた組織の力の内部的バランスが崩されたり、そのうえ運動の方向までも左右される事態が起った。もちろん当時の障害者組織は非常に未熟であった。障害者自身の組織活動の未熟さに加え、学生運動の流れをそのままのペースで障害者問題にもちこんできた健全者にも「障害者との関わり」といった面からして非常に未熟な点があった。このような情況の下で、当時の青い芝の会などのように自らのぺースを守る為に健全者の介入を阻止するものもあったが、それと同時に全国的に一人あるいは数人の障害者を多勢の健全者がとり囲んでさまざまな要求をかかげた運動体が、まるで雨後の竹の子のように出てきたのもこの時代であった。
 このようにある意味で時代の脚光をあびた障害者問題も、一般社会あるいは地域社会の人々の意織の中に定着するには障害者の存在はあまりにもかけ離れたものであった。それほどに障害者の歴史は健全者から切り離された長い長い歴史であった。この意味で障害者が「健全者は敵だ」あるいは「労働者は今まで何をやってきたのか」と叫んだとしても至極当然であり、それ故にまた、障害者問題に関わった健全者が既存の政党や日本の労働運動を形成してきた組織労働者ではなく、それら既存の勢力に対しあきたらないあるいは批判的な人たちの専売特許となったことは、これまた至極当然のなりゆきであった。このような経過をたどって、障害者や学生、さらに労働運動に批判的な人たちの突き上げにたまりかねたようなかたちで、七四春闘の登場となっ


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た訳である。そして、市川総評議長の発言にみられるような春闘共闘会議の意気込みからすれば、七四春闘を機に、障害者問題が日本の労動運動の中に位置づけられ、日本の労働者・一般市民、そして地域の中に定着してゆくはずであった。しかし、この夢はあまりにも早く、そしてみじめにも打ち砕かれてしまった。
 七四春闘において我々の要求した経済的、制度的要求はほとんど達成されないまま、七四春闘共闘会議は史上最高といわれた平均十六%、月額三万円という賃上げを獲得するや否や、市川議長の大みえの舌の根もかわかぬうちにストライキを中止し、春闘の矛をおさめてしまった。この時我々に与えられたものは、わずか一時金二〇〇〇円であった。それ以後、石油ショックに続く不況の嵐の中で完敗した七五春闘は、賃上げ運動で手いっぱい、障害者問題などかまっていられないと言わぬばかりの豹変ぶりであった。つまり、我々障害者は日本の労働運動の主流をなす人たちからかつぎあげられ、次の瞬間にはほっぽり出されてしまったのである。しかしこの七四春闘にかつぎ出されたことは、長い障害者の歴史の中で記念すべき大きな事件であった。この事件は、我々障害者にさまざまなことを考えさせ、教えてくれたのである。まず、障害者である我々の社会的立場はいかなるものか、なにが我々を抑圧しているのか、差別とは何か、そして我々はそれらのものに向ってていかに闘っていかねばならないのか、これらのことは以前から我々の中で討論されてきたことには違いないが、この事件をきっかけに、より鮮明なかたちで討論がなされ、そのことが障害者運動の方向性を決定づけていく結果となったのである。
 それは、障害者の自立と解放ということである。これはけっして障害者を健全者がかつぎあげるおみこし運動であってはならない。しかし、又、障害者の自立と解放は、絶対に障害者だけでなしうるものではないということである。
 障害者の自立と解放を基本理念として組織された全障連が結成されてからわずかに半年しかたっていない。しかし、この半年の間に、我々障害者運動の中でいくつかの変化が起こり始めている。
 この全障連に結集した運動体は、その成立過程も、運動形態もさまざまである。一人の障害者を多勢の健全者がとり固み、その後いく人かの障害者を組み入れたもの、または、同じような運動体が結合したもの、又、始めから障害者と健全者が一緒に運動してきたもの、そして 又、障害者だけで運動を続けてきたもの、さらに又、障害者組織と健全者組織を分けながらも同時に並行して運動してきたもの、このように組織形態の異なるもの、又運動過程が異なるものたちが一堂に会して討論し、ー定の方向性の下に運動してゆくということは、今まで例をみなかつたことであり、それ相当の困難が伴なうことである。が同時に又、そこから得られるものも大であることを、今、私はひしひしと感じている。
 障害者の自立と解放は、言うまでもなく障害者自身が自らの手で勝ち取って行くものである。それは、今まで己れが置かれて来た立場をはっきりと見すえ、これからの社会の動向を予見しながらあしたからのあるべき自己と社会を想定し、それに向って自己変革を続けると同時に、周囲の者にも変革をせまっていくことである。言い換えれば、この過程は障害者が主体性をはぐくんでいく過程でもある。障害者の主体性と言った場合、以前学生運動の流れがなだれこんできたときに、さかんに使われた言葉であるが、これは決して自分から殼を硬くするということではない。まして、おりの中で粋がっているということでもないはずである。
 それでは、障害者の主体性とはどこに存在するのか。障害者と限らず、


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主体性というものは相対性のなかに存在するし、自己というものも他人との関係の中にとらえることができるのであり、また、他人(異質なもの)と交わり、相克の中で形成されていくものなのである。
 考えてみるに、今までの障害者の多くが主体性といえるようなものを持ってきたのだろうか。いや、持たされる情況にあったのだろうか。決して否である。障害者の多くが家や施設職員、つまり管理する側の人達によって一方的に体制側の論理を教えこまれてきたのである。それがたとえ自分自身の存在を否定する論理であったとしても、それが正しいのだと教えこまれてきたのである。自己の存在を否定する発言や行為は我々の仲間内でしばしば見られることである。このことは、そのたびごとに討論し、克服してゆかなければならない問題であるが、要するに障害者の自己喪失ということである。周囲の者に感謝することを強要され、他人の顔色を伺うことのみを身につけさせられた我々 障害者は、主体性などはじめから持たされてはいない。いや、もつことを禁じられてきたのである。
 このようなことから考えても、親や施設職員、そして障害児・者にかかわる教師達の意識変革こそが急務とされなければならないのである。親、教師と限らず、ほとんどすべての健全者といわれる人たちは、障害者のいない学校で教育され、障害者のいない職場で働き、障害者を排除した地域社会の中で生活しているのである。いやむしろ、障害者を排除するような社会を作ってきたのである。
 この健全者たちが社会変革を志向するとき、おのれ自身の無意識のうちにとりつづけてきた障害者に対する差別意識を問うことなくして、いかなる革命、いかなる社会変革もなしえないことを深く深く自覚すべきである。そしてその自覚は書物を読み、障害者運動の集会に出席することだけで得られるものでは決してない。今まで障害者を切りすててきた社会で育ち、この社会の差別構造が深ければ深いほど、そこで培かわれたひとりびとりの感性は根深く断ちがたいものであり、健全者にとって自分自身の無意識の差別意識を自覚するということは、新しい何物かを発見することであり、新しい感性を削っていくことである。その新しい発見は、闘う障害者との出会いにはじまり、以後、日常的な障害者とのふれあいの中に、そしてまた、障害者組織と共に闘う自分たち健全者の組織活動の中で培かわれ、はぐくまれてゆくものである。つまり、障害者が主体性を獲得していくということと、健全者が健全者として自己変革をしていくということは同様に重要な視点であり、双方にとっていずれか一方が欠けても成り立たないことなのである。障害者の自立と解放という大きな、そしてはるかな目標にむかって出発した全障連の中において、障害者、健全者双方に以前とちがった新しいものが芽ばえてきているようである。障害者問題に関わる健全者が、以前、学生運動から流れこんできた当時と現在とでは、その内実において大きな変化をきたしている。当時は、障害者が実態を知らないままに自分達の属している党派の政治理念、革命路線に一方的に障害者の存在をあてはめ、自分たちの革命理論を強化させ、健全者の感性をそのままに革命路線をばく進しようとした例が多々みられたのであるが、それらの運動が破綻をきたしたのは当然のことといわなければならない。
 健全者幻想ならぬ「障害者幻想」とでもいうべき現象があらわれたのもこの時代であった。障害者自身の意識や闘う姿勢はとにかくとして障害者ということだけで絵になり、重度障害者ということだけで稀少価値があったのである。そして障害者であればすべて闘っている、すばらしいことだというように誤った思いこみが横行していたのである。しかし、現在の障害者運動においては、このようなことは通用しなく


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なっている。障害者と健全者とのかかわりが、量的に質的に深まるにつれてかかわりを深めてきた健全者は、障害者側のつきつけに耐えられるようになり、障害者だからといって、また重度だからといっておどろくこともなくなって、障害者が筋のとおらないことや、まちがったことを言動にあらわした場合、きちんと反応できる健全者が多くなっているのである。このような状況がではじめたことは好ましいことであり、我々の運動の成果である。
 しかし、一般健全者社会においてはいうに及ばず、障害者にかかわっている健全者の中にも、自らが障害者との対比において「健全者なのだ」という自覚はまだまだ定着するに至っていない。たとえば、この社会に存在するさまざまな差別――部落差別、在日朝鮮人差別、さらに組織労働者と未組織労働者の間の差別等々、これらの差別と障害者差別を並列的にならべ、論じているのである。これは、一見、正論として受け入れられやすい面があるが、そこには、健全者として無意識にもってきた障害者差別の自覚を自らに問いかけているものはないのである。
 美しい和服を着、かっこうよいファッションを身につけて街をさっそうと歩き、また歩きたいと思うことは、だれであろうと、ましてや若い人たちにとってごく当然のことであり、これは、被差別大衆といえども同じことである。しかしながら、このような格好の人たちが、いったん障害者の前を通りすぎたとき、その障害者にとって、その美しいファッションはいったい何物なのだろうか。さらに、重度障害者がそうであるように、もし、健全者がトィレで他人におしりをふいてもらうということを考えたとき、さほどの抵抗をもたずそれができる人 は、まずいないであろう。ここにおいて考えなければならないことは、一般の人たち、いわゆる健全者がごく当然のこととしてもちつづけてきた感覚というものが、障害者をぬきにした、排除した感党であり、それが障害者を無意識に差別する、またそうしなければ生きていけない面をもつた健全者なのである。
 ここにおいて、健全者は健全者としての悲しみを自覚し、なおかつ障害者とのかかわりを通して自己変革、そして社会変革を進めていかなければならない。
 このように意識の変革を健全者に迫っていく障害者は、それと同じように、いやそれ以上に、障害者としての自覚をやしなっていかなければならない。
 家や施設、そして養護学校に隔離されていた我々障害者の多くが、社会運動をしていくということは並大抵のことではない。まして以前の様に、障害者であるということだけでもてはやされた時代は過ぎたのである。障害者はその生い立ちからして、先輩、後輩、親友や、単なる友だち関係すらも持ったことがなく、当然のこととして非常な視野の狭さと、一人よがりの面をもっている。従って、人のことまで気がまわらず、自分さえ良ければ良いというようなことが多々見られるのであるが、このようなことでは、健全者を変えていくことも、ましてや全障連のような全国組織での活動はおぼつかなくなってくる。もちろん以前から障害者だけの運動体をもち、活動してきた人たちも数多くいたのであるが、障害者だけでまとまって活動していても、行政権力のからめ取り、切りくずしをはじめとする差別構造の中に封じ込められ、一般社会常織に埋没し、時間の経過とともに鳴かず飛ばずの、いわゆるお茶のみ会になってしまった例が多い。これらは、組織活動の基本を身につける努力を怠り、体制側の論理でつくられたあるがままの障害者から、あるべき障害者への主体的意識変革をしてこなかったことに他ならず、残念でならない。


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 この様な中にあって、最近全障連の組織活動に於て、障害者解放運動のあり方の道筋を正し、運動の方向性を踏まえて発言し行動できる障害者が現われはじめている。自分のことばかりではなく、仲間のことを考處し、運動の全体を把えられる人たち、この人たちは潜在障害者の堀り起こしから始めて、自分達の仲間作りを密にしながら、組織活動へと運動を展開してきた人たちである。彼等は、単なる障害者同士のきやすさに安住することなく、異質の存在である健全者組織をつくり、これと協力し、あるいはしのぎをけずりながら活動し続けている人たちである。今まで個々に運動してきた障害者においては、ともすれば、お山の大将的な面がなきにしも非ずであったが、全障連という大きな組織に結集し、その組織活動の中で様々な人たちと励まし合い、しのぎをけずり合う中から大きく成長することができるであろう。そしてこれを原動力に行政闘争を通して、様々な制度改革をふくめた社会変革を推しすすめていかなければならない。
 このようなことを考えたとき、全障連の結成は、障害者の自立と解放をめざすことにおいて、画期的意義があり、その前途において、無限の可能性をひめているのである。



*作成:青木 千帆子
UP: 20130530 REV:
全文掲載  ◇全障連 横塚 晃一 
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