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「これがY事件だ!」

多摩川保養院を告発し地域精神医療を考える会 197607


スローガン
(1)Y裁判斗争勝利
(2)川崎市―神奈川県―警察権力―多摩川保養院によるY氏への保安処分糾弾!
(3)地域―行政―精神病院を結ぶ保安処分体制づくり粉砕!
(4)地域精神医療管理体制を批判・解体せよ!
(5)刑法改正―保安処分新設阻止!


強制入院への経過
 69・10・4(土)Y氏の父は、川崎市精神衛生相談センターを訪れた。
 その頃、Y氏と父は、浪人中のY氏(当時19才)の勉強部屋新築をめぐり感情的に対立し、父としては、Y氏との対立の上に、Y氏の浪人生活の不規則な生活の状況もあって、不安を抱いていた。そこでセンターを訪れた。
 そこのIWAケースワーカーは、父から短時間に、父子の感情的対立やY氏の浪人生活の不規則な状況を聞き、即時に「これは重症の精神分裂病である。すぐ入院させないと大変なことになる」旨、言い放った。

 父は、びっくりした
 白衣を着て医師然としたIWAケースワーカーが明確に「重症の精神分裂病だ!」と断言したことに父は、その道の専門医であり、その医者が下した診察であるから間違いないと信じ込み、極度のろうばいに陥った。
 同日夜、父はセンターに相談に行ったことをY氏の母に話した。
 母は、これに抗議し、家庭訪問等の話を一切ことわるように言い、父はすぐさまセンターに断りの電話を入れた。
 しかしながら、IWAケースワーカーを専門医と信じ込んでいた父は、「専門医」に、重症の分裂病であると断言されたことが頭に深く残り不安を残していた。

誰もY氏に会ってない!―本人不在―
 センターから連絡を受けた川崎大師保健所のIワーカーは、一方的にY氏宅を訪問し、母が訪問を断って、Iワーカーは「これが私の仕事だ」「病気を隠すことは本人のためにならない」等言って、Y氏のことを根掘り葉掘り強引に聞きだそうとした。  母は、通常の父子の感情的対立やY氏の不規則な浪人生活状況を、まるで精神病と決めつける態度のIワーカーに対して、「Y氏の行動は何ら異常なものではない。浪人生活を送っている今の若者にありがちな生活状況にすぎない」と強く言い、二度と訪問することのないよう、Iワーカーに要求した。  同ワーカーは「これが仕事です。また来ます」と言い残して帰ったが、母は、公的機関が動き始め「医師」から分裂病と決めつけられた事態になってしまったことに、Y氏が強制的に入院させられるのではないか、と不安を感じたのである。  このIワーカーはY氏と話をしたこともないのに、Y氏をチラッと見ただけで、「精神分裂の始まりのように思われる」旨、記録している。

事件当日(10月11日)のこと
 Y氏は当日ささいなことから、母とケンカした。母は受験生活で精神的安定を必要とするY氏の立場を思い、家を離れた。
 しかし、こんな時にIワーカーがきたら、Y氏を精神病と決めつけ事態を更に複雑にしてしまうのではないか。と考え、母は先手を打ってIワーカーの訪問阻止のため大師保健所に向った。

保健所で
 当日(土)の午後、Iワーカーは不在で、K保健婦が母と会った。そして、これまでの経過を説明し、母の考えを保健婦に伝えた。
 その際、Y氏の浪人生活、肩や腰の痛みで気分が多少イライラしているらしい点を母が告げたところ、保健婦は「早く入院させ肩と腰を治療させた方が良い。保健所でも良い総合病院を御世話できると思う」と相談に乗ってくれたのである。  母は、Y氏が肩・腰の痛みで苦しんでいたので、どこか良い病院はないものかと、知人に以前から相談していた。(慶応大学病院に車でいくという具体的な話もでていた) それで、保健所の総合病院紹介・・・・の話に、渡りに舟とばかり乗り、Y氏の肩・腰を治そうと考えたのである。
 夕刻父に会って「いい病院」の話をし、それじゃ折角だから頼もうと言うことで、再度、保健所を訪れ、「先程の病院の件を宜しく」と告げて母は先に帰り、あとは父に任せた。

精神病院行きが決定されていた
 一方、保健所はY氏を既に「精神障害者」として把握し、親の考えとは別に、収容へと事を進めていたのである。
 まず、手始めに川崎警察に応援を求め、強制収容先―精神病院を探し、多摩川保養院と話をつけたのである。これで、強制入院の体制はでき上った。

捕獲人は、Y氏宅へ
 Y氏宅を訪れた保健所の職員らは、
注 I課長(医師)・保健婦・センターのワーカー
  ケイサツ官2名  合計5名
 事情を知らないY氏に、「一緒に来い」などと告げ、これに応じないY氏に手錠をかけて病院まで連行していった。
注 全ての証言が「Y氏はそのときおとなしかった」と言っている。

 病院は、入院体制完了であった
 病院では看護人がY氏を待っていた。父はわけのわからないまま、書類にサインをさせられてしまったのである。
 Y氏は、二階の保護室にブチ込まれ、注射により意識を失った。この間医師の診察はなかった。
注 法廷では、同意の不成立・無診察が重大な争点となっている。

Y氏、洗濯物にメモを入れる
 Y氏は、医者からさっぱりわけのわからない質問を受け、しかもその質問は行政側からのメモに基づいて行われていることを知るや、機をうかがい、洗濯物の中に「@ここは精神病院であること、Aここを出るには、行政側の出したメモや保健所を追求する以外にないこと」などを書いたメモを入れることに成功した。

親の抗議行動開始
 メモを見た両親、とりわけ母はびっくりした。まさか自分の息子が精神病院に入っているとは思いもしなかったからである。
 Y氏の入院後数日にして、母は一刻も早くY氏を退院させるべく、病院・保健所とかけ合うのであるが、相手側の壁は厚くなかなか効を秦さなかった。
 とりわけ主治医は、けんもほろろに、取り合わなかった。
注 Y氏入院後一週間の面会禁止があり、そのため、日時が経過した。

恫喝した保健所
 入院後、25日目に保健所に行った母の抗議に対して、Iワーカーは、「とにかく何の病気であれ病院に入院したのだから良いだろう!」
 「何なら八王子の病院にまわす!」とおどし、更に母をも精神病者扱いにする仕末であった。

Y氏、薬づけ、人間性の無視に苦しむ
 不法監禁を強いられたY氏は、多量の向精神薬の投与により、思考能力を奪われたり、尿が出なくなったりなど数々の副作用に苦しめられた。
 更に、劣悪な病院の中で、生活空間が極めて狭い、貧弱な食事、通信の自由の制限(実質的禁止)等々、世間では考えられないような人間性を一切無視した扱いに苦しめられたのである。  これらを踏え、我々は‘73夏に賠償請求の拡大を行った

「転院」を名目に、退院をかちとる!
 Y氏入院後40日目に、病院は「転院を理由とした退院」を認めざるを得なくなった。
 「転院」としたのは、Y氏の同室の者が退院のための知恵を絞り出してくれたからである。
 両親は、遂にY氏を奪還した。


退院後の差別と偏見に苦しむ
 退院後、Y氏は高校時代の友人からもレッテルをはられ、更に、弁護士・裁判所・人権擁護課などからは、「あまり公にしない方があなたのためになる」と恫喝された。
一度、精神病院に入れられたことを以って世間の人々は、Y氏を「やっぱりあの人はおかしかったんだ」と思い込んでしまう差別意識、これが、「法の番人」と言われる者の意識の中にも根深く入り込んでいるのである。

法廷内闘争
 71・12・1、Y氏は多摩川保養院を相手どって民事訴訟に踏み切った。 現在までのところ(76・6月)行政側の証言・警察側の証言・入院時の医師の証言等が終っているが、ここで明らかにされたことは、行政ー警察ー病院を結ぶドス黒いルートがあることである。

地域精神衛生管理網―現行保安処分体制を打ち砕こう
 我々は、すでに保安処分が、実態として進行していることをこのY裁判の中で明らかにしてきた。それ故、我々は、この体制をズタズタに引き裂くべく国家権力との対峠をも辞さない決意を固めている。多くの仲間が共に斗われんことを訴えます。

*作成:桐原 尚之
UP:2011528 REV:20110625
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