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Y問題調査報告により提起された課題の一般化について

日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会 19750830

last update:20110801

※1975(昭和50)年8月30日は、日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会常任理事会が「Y問題調査報告により提起された課題の一般化について(資料)」を日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会会員各位に送付した年月日であって、「Y問題調査報告により提起された課題の一般化について(資料)」自体はそれ以前に作成されたものと考えられる。

昭和50年8月30日
会員各位殿
日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会
常任理事会

「Y問題調査報告により提起された課題の一般化について(資料)」の送付について

 この資料は昭和49年度の事業に含まれるものであったにもかかわらず、会員各位の手元にお届けするのが大変遅れたことを深くお詫びいたします。「一般化について(資料)」について常任理事会としては、以下に述べる見解のもとにご送付いたします。
神戸大会で提出された「Y問題調査報告書」によれば、まず精神衛生体制下で仕事をしている職員が、生活者としてのY氏本人とのかかわりを一切もたないまま、入院の方針を決定してしまったことは重大な誤りであった。それは現行の精神衛生体制下における同意入院や措置入院制度、すなわち本人の意志や人権にかかわりなく入院させることができるという制度は、第2、第3のY氏を生じやすいということである。
 こうした結論からすれば、現行の精神衛生体制のもとに組み込まれている我々が、第2、第3のY氏を生み出さないために、「患者」とのかかわりを主軸に制度との取組みを行っていくことが重要となってくる。しかしながら「昭和49年度における協会活動の総括」において明らかにしているように、この方向での取組みは、会員個々が共通の認識に立つよう強く望まれるところとなる。それにはまず、会員全体が取り組める課題の設定が必要となってくる。なお、今回の「一般化について(資料)」は、Y問題調査委員会による当時の主として、市センターおよび保健所記録をもとにまとめたものである。
 ここで、常任理事会として明確にしておきたいことは、Y氏が全体の経過のなかで人権侵害も含めた不当な扱いを受けた、ということである。PSW通信No.31でI氏の処分をしないというおおかたの雰囲気であることはお伝えしたことであるが、そのこととは別に会員I氏をも含むY氏にかかわった職員について述べるとすれば、「一般化について(資料)」にも指摘されているように不適切な対応であったといわざるをえない。
 常任理事会は、このような不適切な対応というのは、現行の精神衛生のもとにおいては、常に起こりうる可能性があるとの認識に立つに至った。このことは単に会員I氏個人の問題にとどめようとすることはできない。我々は会員I氏を含め、我々の共有の問題としてY問題の教訓を克服していかねばならない立場に立たされているのである。
 なお、「一般化について(資料)」においては、いまだ十分掘り下げた討議がなされていないので、この問題についてはブロック研修会において、会員の積極的討議を期待するとともに、その推進を図るために、精神医療問題委員会を設置する。





Y問題調査報告により提起された課題の一般化について(資料)

はじめに
〈経過〉 昭和48年度の横浜大会において協会に対して投げかけられたY問題に関し、昭和49年度の神戸大会において、Y問題調査委員会の報告を通して3つの課題が提起された。すなわち(1)Y問題の背景となっている現行精神衛生法、とくに措置入院、同意入院制度の点検、(2)「本人」の立場に立った業務の基本姿勢の確立、(3)こうした業務が保障される身分の確立、の3つである。
その後、拡大常任理事会は、とくに(2)の業務に関する課題に重点をおいて報告の検討を進めることにし、報告の資料に即して業務内容とその基本姿勢について検討を行った。その中間報告を昭和49年11月の全国理事会において行ったが、討論の結果、調査報告によって提起された課題を一般化することにより、個々の会員が日常業務を点検し、また各地域で討議を行っていくための資料として提供しようということになった。その意を受けて、拡大常任理事会は、課題の一般化の作業を行ってきたが、その結果がこの報告である。
〈趣旨と方針〉 拡大常任理事会は、課題を一般化するにあたり個々の会員が、それぞれの日常業務を点検するのに役立つようなものになることを目指して行うことにした。そして、その基本となるべき姿勢、あるいは理念を「本人の立場に立つ」ということにおいた。ここで「本人の立場に立つ」ということは、ワーカーがそのままクライエントの立場に直接的、同時的に入れ代わるということではなく、クライエントの立場を理解しその主張を尊重することを意味している。
このような基本姿勢に沿っての努力が、現実の制度のもとで働く我々にとって、どこまで可能かは、各自の力量と協会の力量にかかっている。この理念には人権を尊重するという観点が当然含まれてくるが、人権の問題に関しては、Y問題の提起する人身拘束にかかわる問題にとどめず、精神障害者の生活上の諸権利をも含めた広義の人権の問題と関連させて取り上げることにした。
〈構成〉 以上のような理念と観点から本報告においては業務の問題と、現行精神衛生法、なかんずく入院制度にかかわる諸問題を取り上げることにする。なお、ここで取り上げるような業務のあり方を保障する身分の確立の問題に関しては、今回は上記の2つの問題の検討を通して身分に伴う要件を引き出すにとどまった、今後の検討を待ちたい。

T 日常業務にかかわる問題
 なお、本報告において引用した文章の出典については、その末尾に次の記号で表示することにする。
市精神衛生相談センター記録・・・・・・・・・・・(セ)
保健所記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ホ)
警察官記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ケ)
調査委員会による面接調査・・・・・・・・・・・・(メ)
なお「」内の文章は出典に記されている内容の大意をまとめたものである。

1.インテークについて
 昭和44年10月4日(土)午後、Y氏の件で父親が市精神衛生相談センターに来所し、最初に応対したワーカーに「本人は4月から浪人しているが、勉強部屋をつくってくれというので新築した。しかし本人は気に入っていない。また勉強部屋を釘づけにして、1週間くらいこもったこともある。9月中旬から、母親をたたいたりするようになった。さらに2、3日前より殺してやるとか、バットを振り回して暴れるようになった」(セ)と訴えた。
 ワーカーは、そういった内容を記録に書くとともに、父親が入院を希望しているし、ワーカーも入院の必要性を感じたので、それを具体化するために同センターのほかのワーカーに相談した。
 そのワーカーは話を聞いただけで病気であろうと判断して2、3の精神病院の都合を聞いたところ、10月6日に入院を前提として受け入れてくれる病院があったので、そこに依頼することにした。以上の経過から、次のような諸点を指摘することができよう。
(1)市センターのワーカーは、父親の訴える本人の状態を聞いただけで、入院が必要であると判断してしまい問題の本質を明らかにしようとしていない。
 ワーカーとしては、このような場合どういう状況のもとで、こうした状態になったのかについて、その家族とともにいろいろな要因を明らかにしていこうと努力すべきではないだろうか。
(2)市センターのワーカーは、父親の話を客観的事実であると安易に受けとめて病院へ入院の問い合わせをしてしまっている。
 ワーカーに必要なことは、まず、父親が話したことは父親の立場からみた事実や意向であって、一判断資料となっても客観的事実であったり、ほかの家族の意向であるとは限らないということを認識することであろう。
 したがって重要なことは、本人に直接会って訴えを聞き、そのうえでどうすべきかを判断し、さらにその判断を本人に伝えて処遇を進めようと努力することではないだろうか。
(3)さらにワーカーは、父親の訴えだけから、入院を前提として受診をしてもらえる精神病院を探しているが、たとえ病院紹介を必要とする場合でも、入院の要否は診断の結果によって決定しなければならない。
 また、病院紹介がそのまま入院決定となってしまうような機関相互の対応のあり方についても反省する必要がある。
(4)また、ワーカーが精神病院へ入院を前提として紹介したということは、病気の可能性が濃厚であると判断したからであろう。またワーカーは、父親が「本人にコントール(?)を飲ませたらおとなしくなった」(セ)と話したことから、父親にタキシランの服用についての話をしたりもしている。
 これらのことからワーカーは、インテーク段階において、訴えの内容から病気や診断名を推定したり、服薬が必要であろうと判断することはできても、それらを決定することは医師が本人を診察したうえで行うべきことである。したがって、相談者に誤解や混乱をまねくようなまぎらわしい言動をしないように注意する必要がある。
2.家庭訪問について
 10月4日のインテーク時においてワーカーは、入院予定病院も決まったので、10月6日午前11時に本人を病院に連れて行くために地区の保健所ワーカーと自宅を訪問する予定を決めた。そして父親もそのことを了承して帰宅した。しかし帰宅した父親が母親に入院予定を話すと、「母親は無断で決めてきたことに立腹しただけでなく、入院させることも、そのための訪問についても強く反対した」(セ)、そこで、父親は市センターに電話をかけ、「入院や訪問の話がなかったことにしてくれ」(セ)と伝えた。市センターではさっそく依頼してあった精神病院へ取消しの電話をした。
 10月6日、保健所ワーカーは市センターワーカーに電話をした際、入院予定も、それに関連する訪問も家族が反対して取消しになったことを知った。しかし市センターワーカーは「いずれ問題になるケースだろうから訪問しておいてはどうかと保健所ワーカーに伝えた」(メ)。
 保健所ワーカーも、「母親が本人に殴られて顔をはらしているのになんとかなると思っているらしい」(ホ)が、心配なので訪問すべきであると判断した。
 10月8日、保健所ワーカーは、事前に連絡をしないまま、「ちょっとそこまで来たから」(メ)と訪問した。母親は「保健所の訪問に警戒的であった」(ホ)。本人は在宅していたが、母親は保健所ワーカーと会わせるのを避け玄関で話に応じた。
 そこでワーカーは、本人の最近の経過を母親から聞くだけにとどめ「困ったらいつでも保健所か市センターに相談するように伝えて帰った」(ホ)。
 以上の経過から、次のような諸点を指摘することができよう。
(1)保健所ワーカーは、家族から断られているのを知りながら訪問したのであるが、ワーカーには、本人の依頼もなく、しかも家族の意志に反してまで訪問する権限のないことを認識しておく必要がある。
(2)市センターワーカーも家族が訪問を反対しているのを承知のうえで保健所ワーカーに訪問を示唆しているが、ここでも同様にワーカーは、家族の意志に反して、ほかの機関に訪問を依頼したり、指示したりできないことを知っていなければならない。
(3)しかし、それにもかかわらず、ワーカー側の判断で訪問を必要とする明確な意図がある場合には、事前に家族にその意図を十分に説明し、家族の意向を確かめ家族の協力態勢をつくるように努力することが必要である。
3.入院当日における保健所の働きかけについて
10月11日(土)午後2時ごろ、母親が保健所に相談のため来所、ワーカーがすでに帰宅していたため、日直の保健婦が相談に応じた。
 母親の話によると「10月8日に保健所ワーカーが訪問したあと本人は、そのことを夫婦で話し合っていたのを聞いて、その後神経質になっていたが、今日は興奮がひどく、恐くなって相談にきた」(ホ)ということであった。
 保健婦は、本人が興奮するに至った経過と、母親としてそうなった理由をどう考えているのかについて聞いた。母親は「現状では甘やかしすぎたという育児上の誤りで病気ではないと思うので、入院は避けたいが、もし入院させるとすれば、椎間板ヘルニア等の病名ならよい」(ホ)ということであった。そこで保健婦は、「夫にも連絡をすること、そして近所まで帰り様子をしばらく観察し、5時までに結果を連絡するよう」(ホ)に指示して帰した。
 その間、「保健所から精神病院に電話連絡をして、往診の依頼をしたが、その病院では1人の医師は不在であり、ほかの医師は多忙で往診できないという回答であったので、不在の医師の帰りを待って、あとでまた依頼することにした」(ホ)。さらに保健所では、10月4日に父親が相談に行った市センターに診断名を問い合わせたところ、「4日は医師が不在のため診断名は不明であるが、しかし母親に病気であるということを納得させる必要があるので、医師の診察を受けさせる方向で進めるように、それがだめなら警察官通報の手続きをするように」(ホ)という指示を受けた。
 そして市センターでは、いずれ入院になるであろうからということで居合わせた他の保健所ワーカーに応援に行かせることにし、10月4日の市センターの相談記録を持参させた。
「4時過ぎ、母親より保健所に電話で、乱暴がさらに激しくなったので入院の手続きをしてほしいという依頼があった」(ホ)。しかし、母親の依頼が精神病院への入院依頼だったかどうかを互いに確認しないまま、父親にも連絡するように再度指示した。そこで保健所では、先の精神病院に連絡をとったが、「当日は保護室がいっぱいであり、しかもこれからでは5時を過ぎるだろうから、往診して入院収容することは無理だ」(ホ)という返事を得た。
保健婦は5時ごろ予防課長に今後の処置について電話で相談したところ、予防課長から、これから再出勤するが、それまでにほかの精神病院に収容依頼するようにという指示を受けた。そこでほかの病院に問い合わせたところ、ある精神病院より「本人を連れて来れば入院を引き受ける」(ホ)という回答を得た。この段階で保健所は、本人に事前に会うという努力もなく、状況判断で入院収容の方針を決めてしまった。
 その後、父親より電話があり、「入院について両親ともに同意したというので、父親に保健所に来るように勧めた」(ホ)。そして予防課長と保健婦、さらに他の保健所ワーカーとでこれからの処置をどうするかについて、家族からの報告を含めて検討した結果、「このまま月曜日まで家庭で本人をみることは無理であり、しかも説得して入院させることは不可能であると判断した」(ホ)ので、本人を病院に収容するために「警察に移送上の保護を依頼する」(ホ)ことにした。
そのことを父親も同意したので、「父親とワーカーは警察に行き依頼した。そして依頼を受けた2名の警察官とともに自宅へ行った」(ケ)。
 予防課長、ワーカー、父親の3人が本人のいる部屋に入った。「1人の私服警察官は隣室で待機し、もう1人の制服警察官は保健婦と外で待機した」(ケ)。
 本人に対して、予防課長、ワーカーは10数分間本人の持病である椎間板ヘルニアの話をし、これから受診に行くように勧めたが本人が抵抗して立ち上がったので、ワーカーがそれを止めようとして絡み合う格好になった。そこに「隣室にいた警察官が加わりその警察官の指示で、制服の警察官が手錠をかけ」(ケ)、保健所の用意した車で病院へ連れて行ったのである。
 以上の経過から、次のような諸点を指摘することができよう。
(1)インテーク時と同様に、入院の方針を決める前に直接本人に会って、訴えやその背景を把握することが重要であったが、それをしていない。
 このような場合、ワーカーや保健所職員は本人と会うことの必要性を母親に理解させようとする働きかけや努力をしなければならなかったのではないだろうか。
(2)乱暴が激しくなったから入院手続きをしてほしいという母親からの電話だけで、精神病院へ入院させる方針を決定してしまっている。ここでは、母親にヘルニアの治療ではなく精神病院への入院について、そこでの治療や生活がどういうものであるかを十分知らせたうえで、入院に関する母親の考えを確認しておく必要があったのではないか。
(3)保健所は独自に状況判断のみに基づいて入院を決定することはできない。ここでは説得の可能性がないものとして、その努力をしないまま、本人を拘束して入院させたが、そのような権限はあとでもふれるが、保健所にはまったくないということを知っていなければならない。
(4)しかしながら、保健所としてこのような状況にかかわった場合、権限がないからということで、ただ避けてしまうのではなく、現行法に照らして、保健所としてどのような援助をすることができるかについて、さらに検討していく必要があるといえよう。
(5)保健所は行政サービスを越えた権限の行使、つまり入院させるという目的貫徹のために家族とともに警察に移送上の保護依頼をしたことは、保健所と警察が安易に結びつく可能性のあることを意味しており、注意しなければならない。
(6)保健所として、病院には入院態勢で待機させ、そして本人が入院を拒否しても拘束して連れて行けるように警察官をも同行しておいてなされた説得は、あまりにも形式的すぎる。したがって、ここではすでに本人の訴えを聞くという構えがなかっただけでなく、本人がなぜ拒否するのかを本人のこれまでの生活と関連づけて理解して対応することができなかったということを指摘しうるのである。
4.受け入れ病院について
 病院では10月11日夕刻、保健所から入院依頼の電話をワーカーが受けた。そして、医師はその旨を聞いて来院すれば入院させることに決めた。そして、看護職員は入院のために待機を命ぜられた。本人が保健所と警察によって病院に着いてからの処置の全貌は、裁判中でいまだに明らかではない。本人に同行したワーカーは市センターの記録を病院まで持参しており、それを病院でコピーした。
 病院は入院時に診察をしたか否かについて、当初裁判で当日は診察せず、翌日、翌々日に診察したと主張したが、後日、投薬しているので診察はあったはずだと証言を変えている。
 この診察の有無は同意入院を構成する前提条件でもあり、現在も裁判の重要な争点である。
 また、病院は一貫して市センターの記録を専門医の観察記録として重視し、診断の参考としたと述べているが、その記録は市センターワーカーの記録であり、病院に錯誤がある。
 以上の経過から、次のような諸点を指摘することができよう。
(1)インテーク時におけると同様に、ここでも保健所からの入院依頼だけで、本人の入院を決定してしまっている。ワーカーはこうした対応のあり方が病院、保健所相互にありはしないかを再度点検してみる必要がある。
(2)当日、たとえ診察があったとしても、それは短時間で、十分なものであったとは考えられない。当然、市センターの記録や情報にのみ基づいたものであり、病院の主体的な診断がなされたとは考えられない。
 このことは、もちろん病院側の問題であるが、しかし、それとともに保健所の依頼の仕方、本人の移送の仕方、あるいはそれに伴う情報の提供の仕方などについてもさらに検討してみる必要があることを示しているのではないだろうか。
5.退院相談について
 入院後、25日目の「11月5日、母親から保健所ワーカーに、本人が退院したいと訴えているがどうしたらよいか相談したい」(ホ)という電話があった。その保健所ワーカーは入院当日はかかわっていなかったが、これからでも母親に来所するよう伝えた。
 一方、本人の入院中の状態を主治医に電話で問い合わせると、「おとなしく素直に入院している。『顕現症状』もなく一見良好にみえるが病識はまったくない。本人は親子ゲンカが原因だといっている。泰然としていて入院に対する積極的抵抗もないという。しゃべり出すと『バラバラで思考障害』もみられる。長期治療型ではないかと思われる」(ホ)という内容であった。
 来所した母親より、本人の訴え、母親の気持ち、さらに家族状況等を聞いた結果、ワーカーはむしろ母親の情緒不安定の問題に焦点を合わせ、市センターへの受診を勧めた。
 このことから母親は市センターを訪ねたり、保健所ワーカーも家庭訪問したりしたが、結局父親が11月19日病院に行き、整形外科治療のためといって退院させた。
 以上の経過から、次のような諸点を指摘することができよう。
(1)ここでも、本人が退院したいという理由を本人に直接会って確かめようとする努力がなされていない。ワーカーは病院主治医からの意見と母親が安定さを取り戻すことを前提として対応しているが、本人に焦点を当てた処遇を考えるべきであったのである。
(2)保健所ワーカーは、母親の情緒不安定の問題だけに焦点を合わせたが、ここではその問題だけでなく、母親が本人を退院させたいという気持ちがあるならば、保護義務者は病院側の意見にかかわらず、入院同意を取り消すことによって退院させることができることを説明する必要があったといえる。
6.記録について
 前にも述べたように、インテーク時の記録は入院の際、病院側の判断資料となった。また、訪問記録も、保健所が入院の方針を決める際には、すでに係長決裁を終えていたので、これも当然参考になったと考えられる。
 以上の経過から、次のような諸点を指摘することができよう。
(1)記録は誰によっていかなる目的に使われる可能性があるかを、いろいろな要因から改めて考えてみる必要があるのではないか。
(2)本人が退院後、入院のさせられ方や、病院での扱いに不当性を感じ、家族が市民相談室や議員に相談するようになった昭和45年3月に保健所の当時の記録を家族がみせてほしいということであったが、保健所は公式の場以外には出せないと拒否した。
 このことから、もし本人の記録について、本人からそれをみせるよう要求があったとき、本人に提示するか否かについて今後検討してみる必要があろう。

U Y問題とのかかわりにおける精神衛生法の問題
1.Y問題と精神衛生法について
 事実経過と精神衛生法の矛盾点については、現在裁判進行中なので、ワーカー業務と深いかかわりをもつ、2点の指摘にとどめることにする。
(1)精神病院職員以外の職員による入院援助について
 本来、保健所や精神衛生相談センター等の職員は、本人の意志に反するような入院援助はできないのであって、精神衛生法(以下、法という)第38条に(行動の制限)が規定されているが、その規定にしても「精神病院の管理者」が入院中の者の行動について必要な制限を行うことが「できる」ことになっているにすぎないのである。このことは、10月11日保健所の予防課長、保健婦、他の保健所ワーカーが自宅でテレビをみていたY氏を警察官と協力して入院させたという事実経過から、ワーカー業務を再考する必要があることを示している。
(2)未成年者の同意入院について
 病院管理者が、未成年者(成人に達しない者)を入院させる場合、両親の同意がいるとされているが、Y問題の経過では、父親の同意しかとっていない。このことに対して病院側は準備書面のなかで、入院後も母が異議申し立てをしていないことから、父に委ねたかまたは追認したものと説明している。しかし原告側は異議申し立てをし、それを否認している。病院側はその後、両親の同意は必ずしも必要ではなく、片親の同意で足りる旨の県からの指導方針があり、違法の認識はもっていなかったと主張している。このことは同意入院についての県の指導方針ならびに病院側の方針に問題があったといえるであろう。
2.精神衛生法について
 拡大常任理事会では、Y問題が提起する論点の1つとしてこの問題の背景となっている現行精神衛生法の諸制度、とくに同意入院ならびに措置入院の問題、相談センター・保健所・病院等それぞれの施設機関の問題などについて討議してきた。ここではその総括の意味を含めて、法が精神障害者に対してどのような考え方に基づいて実施されているのかについて考察し、Y問題の背景をなす法制度の矛盾を検討することにしたい。そのために昭和40年の法改正の状況、法の指導に関する指導内容について考察を加え、さらに憲法とのかかわりにおいて精神衛生法がどのような問題性をもっているのかについて吟味したい。また、ここでは諸外国における精神衛生関係の法制度等の動向に関する資料の一部を紹介し、参考に供することにしたい。
(1)昭和40年法改正の経過
 昭和39年4月4日、臨時国会公安委員会から厚生省公衆衛生局長にあてて申し入れ書が提出され、5月1日閣議における法改正の方向が決定されている。この申し入れ書は、当時の警察庁保安局長から出された「精神衛生法に関する改正意見書」と題する文書になっている。
 内容は「最近、精神障害者による重大な犯罪が発生し治安上これを放置することができないので、その措置として次の点について早急に貴省の検討を煩わしたく申し入れます。・・・・・後略・・・・・・・」に始まり、5項目にわたっている。これらは第一に、精神鑑定の結果、入院にならなかった者も警察に通報するべきこと、第二に、無断離院者の警察通報、第三に、仮退院者で、他に害を及ぼす恐れのある者の警察通報、第四に、精神鑑定医以外の医師でも他に害を及ぼす恐れのある者を発見したときは、警察に通報すること等々である。この内容は、ライシャワー事件の翌日国会答弁に立った警察庁長官の「精神障害者の取り締まりを行う」という発言内容を具体的に裏づけているものである。これを受けた中央精神衛生審議会は、昭和39年5月16日から8ヵ月後の昭和40年1月14日に審議を終了している。
 この審議内容については、雑誌『病院精神医学』『精神医療』その他の本で多くの報告がなされているので参考にされたい。
(2)法の施行についての指導内容
@措置入院について
 昭和36年9月11日衛発311号によると、法改正の趣旨として「・・・・・・・前略・・・・・・精神障害者はできるだけ措置入院させることによって、社会不安を積極的に除去することを意図したものであること」となっている。また昭和36年9月16日衛発729号では、第一、措置要件該当者に関する事項として、「・・・・・・・前略・・・・・・・措置対象者の選択を行う場合には次の方針によられたいこと。
〈1〉入院させることについて、患者の保護義務者などの関係者が反対しており、同意入院を行うことが不可能な場合には、最優先的に措置に付すること。
〈2〉患者の保護義務者などの関係者が入院それ自体には賛成しているが、経済的理由から措置を希望している場合には、原則として所得の低い階層に属する者を優先すること。・・・・・・後略・・・・・・」と通知されている。
 これらの通知にもみられるように、措置入院に関する指導の重点が、精神障害者自身のためという考え方から離れていることは否めない事実であると考えられる。
A同意入院について
 昭和36年8月16日衛発659号のなかに、第二、同意入院として、「・・・・・前略・・・・なお、患者の状態が第一の措置に該当する場合については、この場合も入院医療が必要であることには変わりないので、保護義務者がその患者の入院に正しい理解をもち協力的であるならば、これを同意入院として扱うことを防げるものではない」とあって、あたかも同意入院がより治療的な入院方法であるかのごとき印象を与えている。
 しかしながら、東京都では、昭和39年2月20日医精発72号や、昭和46年5月19日46衛医精発297号などで、同意入院の実施について次のように指導している。
 すなわち、後者のなかで、「・・・・・・・(4)次の場合には法第21条に規定する市区町村長が保護義務者になること」として、3項目にわたってその場合が記されている。その3番目に「B扶養義務者が数人ある場合、保護義務者選任の申し立てはなされたが、選任審判がなされていないとき」というのがある。
 ここには市区町村長の同意をとる際に対象の範囲が必要以上に広げられてしまう恐れのあることを示している。これは市区町村長同意をとる手続きが形式に流れている現状と併せて考えるとき、同意入院が必ずしも患者の実態に即して行われているとはいえないことを露呈しているといえよう。
 これらのことは従来「措置解除して同意入院することはよいことだ」と考えられたことに対し、深く反省すべきことを示唆している。すなわち同意入院も措置入院と同様に、「本人の意志を無視できる」ことに変わりないのである。
B精神衛生法と憲法のかかわりについて
 昭和27年から昭和31年にかけて起こった「恙虫病原体接種事件」と昭和30年から昭和31年にかけて問題になった「東教授事件」について、昭和31年第24国会の衆議院法務委員会で大きく取り上げられた。このなかで、精神衛生法は、人身の拘束を認めている点では刑事訴訟法にも匹敵する法律であるが、刑事訴訟法には拘束される者の権利を保証する趣旨の厳しい手続きが必要とされているのに反し、精神衛生法では患者の入院と拘束が精神科医の手に大きく委ねられていることが指摘され、政府が追及されている。
 この国会における討議は、精神衛生法における入院制度が「適正な法手続き」に該当するかどうかの疑義を残している。また、田中二郎氏(行政法)によれば、「憲法第31条に『何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰を科せられない』と規定している。この条文に従うと、行政法上、行動の制限ができるとすると法律上制限すべき行動について法律により明記されていなければならない」といわれている。さらに麻薬取締法にも措置入院の規定があるが、入院期間が1ヵ月を越え、長期にわたる必要があるとき(法第58条の9)麻薬審査会に諮ることになっている。
 この点精神障害者について、緊急性から入院命令が適当でなく、措置入院の制度をとらなければならないとしても、麻薬取締法と同様なチェックが人権を守るうえで必要なのではないか。
C外国における精神衛生関係の法制度の動向
イ.英国の精神衛生法の例
 昭和40、41、44年に国立精神衛生研究所の『精神衛生資料』12号、13号、16号に「諸外国における精神衛生に関する法令集」が特集されているが、その一例として、イギリスの精神衛生法(1959年)第31条(4)には、「治療入院申請に基づき病院に拘束された患者は入院の日あるいは16歳に達した日のいずれか遅い方から起算して6ヵ月以内に、精神衛生審査会に審査の請求をすることができる」と定められている。
 また、この精神衛生審査会の構成については、同法附則の第一付(第3条)に「(a)1名以上は、法律家成員から任命される。(b)1名以上は、医療成員から任命される。(c)1名以上は、法律家成員でも医療成員でもない成員から任命される」とある。このことは、日本の法第29条の5に定められている不服申請の相手が都道府県知事であることに比べると、英国では第三者機関を設定し、入院者の人権保護に対してより深い配慮がなされていることを示している。
ロ.米国の精神障害者の人権尊重の例
 米国アラバマ州において、昭和47(1972)年、州立プライス病院における入院患者の物心両面の処遇環境に関し、人権尊重の観点から注目すべき判決が連邦判事によって下されている。この事件の経過は、ブルース・エニス著『精神医学の囚われ人』(寺島正吾、石井 毅訳、新泉社)に述べられており、判決文は、ブルース・エニス、ローレン・シーゲル著『精神障害者の権利』(邦訳なし)に掲載されている。
 それらによれば、「患者は単に収容されるのが目的でなく、1人ひとりがよくなるための個別的治療を受ける憲法上の権利を有する」として、「精神障害者に十分な治療を与えるための最低限の合憲的基準」が35項目にわたって示されている。
 その1つに、たとえば入院者の信書の自由に関し、まず入院者にはっきりとその権利を認めたうえ、治療計画上その制限の必要のあるときは、治療計画作成に責任をもつ有資格職員の指示を明確にし、また、その治療計画を続けるには定期的な審査による更新を必要とする旨が明示されている。
 このように、入院患者の物心両面にわたっての処遇環境が、1つひとつ具体的に規定されていることが大変特徴的であり、これに比べると、日本の精神衛生法ならびに施行上の指導の性格がきわめて対照的であることがはっきりと浮かび上がってくる。

おわりに
以上が、「本人の立場に立つ」という基本姿勢に照らして、Y問題の経過に即したワーカーの業務の検討を通して明らかになってきた教訓であり、それに関連する精神衛生法の問題点である。
 拡大常任理事会において、とくに調査報告の論評の部分の検討を進めてきた際に、「自分のなかに痛みを覚えつつ、論評の趣旨を受け入れる」といった意味の発言があり、共感をもって受け取られたひとこまがあった。さし迫った事態への対応に追われ、Y問題にかかわったワーカーとまったく同じ意味のことを、あるときには主観的な善意においてすら、ついやってしまっている自分自身をまず率直に認めることから、業務についての各自の点検の作業は始まるのだろう。
 精神衛生法の問題点として述べたことはY問題が1つには、我々が常識や慣例に流されて、法を生かしきれないという傾向や、また逆に法に形式的に準拠することだけで足れりとし、患者本人の意志や実態から離れ、結果として人権の保障を果たしえないで終わってしまうことの問題性をワーカー1人ひとりに問いかけているのである。
 ここに述べてきた教訓と問題点について、それぞれの地区で各自が個人の問題として、また研究会等の問題として検討を進め、議論を起こし、さらに次の段階へと歩を進めてほしい。
 なお、検討・議論にあたっての参考になると思われる文献を次に掲げておく。
(本文中に掲げたもののほかに)
1)厚生省公衆衛生局精神衛生課監修:精神衛生関係例規類集. 東京法令出版. 1967.
2)川島武宜:日本人の法意識. 岩波書店. 1967.
3)渡辺洋三:法というものの考え方. 岩波書店. 1959
4)我妻 榮:法学概論。法律学全集2. 有斐閣. 1974.
5)田中二郎:行政法. 下の1. 弘文堂. 1954.
6)精神医療. 2(4). 1973.
7)精神医療. 3(3). 1974.
8)精神医療史研究会編:精神衛生法をめぐる諸問題. 松沢病院医局病院問題研究会. 1964
9)浜田晋他編:精神医学と看護. 日本看護協会出版会. 1973.


*作成:桐原 尚之
UP: 20110801 REV:
全文掲載  ◇Y事件 
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