◆野村 満 19710310 「「烏山病院問題」について」,『精神医療』第1次5:18-27
※その社会的・歴史的意義に鑑み、以下、全文を収録させていただいています。
一 差別や偏見を作り出す為の機構
烏山病院の生活指導病棟(俗にEF2病棟)がどんなところか次のような具体的な例によって感覚的に分るであろう。たとえば治療病棟や作業病棟で看護婦の手をわずらわせ、規則をやぶり云うことに従わない患者がいるときまって、「EF2に送ってしまいますよ」と怒鳴り、その掛声は特殊電撃療法と同様に、いやそれ以上に効果が期待出来るという事実。又ある医師は暴れていやがる若い婦人患者を丸太のようにしてかつぎ汗びっしょりになってEF2に連れ込んで来た事実。更に一度この病棟に送られて来るとなかなか院内にさえ出ようとしない患者がたくさんいる事実(他の病棟の患者達にばかにされるからと)、数年間にわたって退院した数はほんの数名にも及ばないという事実。こうした具体的な例によって示されればある程度分ると思うが、古い病院ならどこにでも見られる光景かもしれない。しかしこうして今EF2病棟の状況を説明したのは他の病棟がいいと云うのではなく、あまりにここがひどすぎるのであり、他の病棟もやはりひどいのである。近代化された烏山病院の最大の恥部がそこに露呈したに他ならないのであろう。従って最も典型的な部分を説明することで全体が浮き上ってくる筈であろう。だがこの典型的な部分は当然烏山病院の恥部ばかりではなく、全国の精神病院、医療行政における普遍的な恥部であり、現在的な意味においても、又烏山病院が厚生省のショーウィンドとしてのモデル病院であるが故に、将来的な意味においても限りない醜部として全国的な規模に拡大することになるだろう。それは未来ではなく、今着々と進められている。
まず「生活療法服務基準」をひらいてみよう。その「生活指導」という項目の頭書に次のように書かれている。……「精神障害のために普通なみの人間のあり方ができない人々、発病前のように人なみの生活の出来なくなった者に、人なみの習慣をつけるということは、入院患者を扱うわれわれの最も大事な仕事の一つである。これは一般看護において行なわれる患者の身のまわりの世話に似ているがそれよりも更に積極的に患者に働きかけて、しつけを行なうと云う、いわば生活のリズムを人なみに回復させるための再教育である。起床から就寝に、更に夜間のトイレット、トレーニングにいたる24時間の生活にあって、指導すべき項目は限りなくある。この指導要領は、レク、作業の基礎となり、またこの二者と組合わされて生活療法は成立つ。生活指導は単なる患者の介助ではなく、人格の復元をめざす治療行為の一部なのである。なお集団的に扱うことが多いのも特徴である」……<0018<と。この文章の内部にあらゆることが集約されているし、又それが事実として「治療」と銘うたれて公然と行なわれ、公然と行うばかりでは飽き足らず、PR室なるものを設けて“これがいいんだ、これがいいんだ”とせっせと宣伝しているのであり、その宣伝は一見良心的な医療をやっているようであるが実際は社会、家族に差別偏見を普及しているに他ならないのである。(@)「人なみの習慣をつける」とあるが、一体習慣ずけの治療とは何か。それは患者の主体の内から芽ばえて来る可能性ではない。患者が独立し発展していくのを推し進めるのではなく、あくまでも訓練し強要しあくまで従属せしめようとする姿勢である。一個人が発展していく過程には様々の体験と失敗の積み重ねが必要なのに、個人の体験を無視した、その場限りの押しつけの条件反射でごまかしているにすぎないのである。根本思想を習慣ずけの生活指導を背景とした接触のあり方と、独立自立を認め合う接触のあり方とではおのずと背反するものとなるであろう。
(A)「生活のリズムを人なみに回復させる為の再教育である。起床から就寝に、さらに夜間のトイレット・トレーニングにいたる24時間の生活にあって指導すべき項目は限りなくある」とあるが、一体「生活のリズム」とは何か、病院内部に拘束してそこに「生」のリズムなどありえよう筈がない。しかも「再教育」という言葉がつかわれ、医療の代弁となっているのである。つまり医療が習慣づけの教育という形におきかえられ精神障害者の管理をなしているのだ。「24時間の生活」の管理、これが原点的役割を荷なう。つまりレクリェーション、作業の基盤となると云うのだ。レクリェーションというのは主体が要求するものであり、管理の一環として他からおしつけられたりしたならすでにしごきである。(B)「……人格の復元をめざす治療行為の一部なのである。なお集団的に扱うことが多いのも特徴的である」ふざけるにも程がある。人格の復元とは何を意味するのか、人間を改造するのか、彫刻するのか、それとも患者は我々と違う人種でもあろうと云うのだろうか。それが治療行為であると云う。ここには決定的な人間改造論、病院人間形成(人間のロボット化)差別構造、偏見が介在する。こうした24時間の拘束にもかかわらず治療行為の一部と云い切っているのである。24時間の拘束をしていて何で「一部」などと云い切ることが出来ようか、他にどんなすばらしい治療行為があったにしてもそれはこの強列(⇒烈)なトイレット・トレーニングを含む虚名の治療によって抹殺されてしまうであろう。
以上述べてきた基本的背景が具体的にはどのように発展するかと云えば、「生活療法を主とする烏山病院5年間の歩み(竹村堅次)の生活情導病棟におけるグループ会の働きかけについて次のように述べられている。「……秋季レクリェーションで各グループとも遠足を行い、これまでの効果の総仕上げと、一段の飛躍を意図した特別強化週間として、午前は病棟内清掃、<0019<室内作業、除草作業と、集中的に作業療法を強化しました」、まるで物品のバーゲンセールであり、入院している人達は「もうかんべんして下さい下さい」と嘆願しているのに職員は一向平気で、「あなた方の病気をよくして上げているのよ」と云わんばかりに堂々と働かせているのである。ある入院患者さんは云う。「いやなことばっかり強制的にやらせておいて嫌がると病状がわるいと云って退院させてくれないで病棟ばっかりグルグルまわされる」と。そうなのである。今迄やったこともないようないやな作業をやらせておいて「意欲減退」も何もあるものではない。さらに西尾友三郎院長を中心とする医局で出された「慢性分裂病者の社会復帰医療施設(中間施設)に関する一考察」と題する小冊子には、「……われわれは10年にわたる社会復帰活動の発展の過程のなかで直接退院と結びつかない長期在院者の退院を阻む要因は何であるかを見極め」とあり、そのために分裂病患者の「社会適応認定基準」を作成したとある。そして認定基準を規制する要因として個体的要因(病的側面)、社会的要因(環境的側面)、治療的要因(治療体制)の三つに分類している。そのうちでも個体的要因とは「欠陥固定」という基準によって作られており、欠陥を2群に分け、症状不安定で再発が予測される群は病相管理、アフタケアを施すべき一群であり、もう一群は欠陥固定傾向の強いもので本来症状が安定しているにもかかわらず個体的、社会的要因により退院と結びつかぬものであり中間施設の促進をはかる医療対策が必要であるとなっているこの分類方法、レッテルはりこそが精神障害者を他の人間と差別する基本的な姿勢である。一方では差別や偏見をなくそうと騒いでおりながらもう一方では差別や偏見をどしどし作り上げているのである。なぜ長期在院者が増えたのかその原因について考えてみたことがあるのか、答えは簡単である。余りに、余りに非人間的な扱いを長い間受けてきたからである。どうして社会的要因を増悪させたのか、その原因は病院にあり医者にある。固定するのに時間がかかりますよと家族に説明する医者である。人間的な温みもない鉄格子の内に何年、何十年も入れ、入れておきながら強いクスリ(EF2病棟では一ヵ月のクスリの薬価額が改革前と改革後では約125人の患者について約80万円減っている)をめしの様に食わせ、電撃でおどかされ、病棟の内に入れるとしたら見学者だけであり、まったくの密室でいやなことをごりごりとやらされ、それも治療だから仕方がないと云えば有無を云わせない、外に出るとしたらボールけりやフォークダンスをやるため、やれ!やれ!と声を掛けられるので仕方なく従うだけ。それも昨日就職したような20才位のレク作業指導員というものがいて、40代、50代の患者の中心になり、「さあ、まごまごしないやりましょう」「さあ早く片付けましょう」「さあもっと早く出来ませんか」と単調な箱おりやレクリェーションと称するものをやらせる。つまりこうした療法には「さあ」という掛声が必ず必要な<0020<のである。ある女性患者が箱おり作業についてこんな風に云う。「あんな単調なことやっていたら本当に思考力がなくなってくるみたいな気がしてくるわよ、本当にばかになったみたいに思えてきたもの」と。患者達はこうして24時間の全てを職員からしつっこく追廻され、これでもかこれでもかとしぼられ、それでもなを退院させてもらう為には従順ないい子になっていなければならない。おしつけ、習慣づけ、主体の可能性を奪取した従属的関係病相管理(患者達にこれが病気なんですよ、と教え込む教育)徴(⇒懲)罰、事故(離院なども含める)の徹底的回避拘束や人権無視の収容から生じる抵抗に対する一方的な封じ込め、閉鎖性……などを貫徹するためには職員――患者の抑圧関係と同様な、職員――職員抑圧関係、つまり管理が生じてくるであろう。しかもきわめて周到な管理が必要となろう。そうもしなければ余りにも理不尽な仰圧体系を維持出来ないからであり、一部にでも破れやすいところがあればその場からたちまちこわれる危険にさらされているからである。それが徹底して行なわれなければならない。その典型として烏山病院が概(⇒該)当するであろう。すなわちいかなる命令や情報もほんの10分もあれば遂行出来うる中央集権性、分断支配機構、主従関係、権力至上主義。そして管理を頭の内部に、器質的なものとして決定的なものとして植えつけることであった。管理者(西尾友三郎、竹村堅二)はその上にたって学問をする。
その学問とはデータ整理であり統計遊びである。そしていつの間にか彼等の云う統合治療が成立し、中間施設、保安処分の施行を推進させる原動力となる。だが注意しなくてはならない。管理偏重や差別偏重は収容所性を作り出し、その解決策として更に強力な管理偏重、差別偏重が引用されてきたのであることを。そこに許しがたい悪循環が医療という美名の背后にあるということを、今度のEF2病棟の改革、斗争の経過中に判然としてきたのでさ(⇒あ)る。
二 相反する基本的な姿勢のぶつかり合い
――斗争――
長期在院のある患者は、始めて単独で外泊した時ビルや町全体がどんなに変なものにみえて来たか、まるでまぶしくしっくりとこないものであったかを説明する。又ある患者は街路を歩くだけで動悸を訴え顔色が蒼ざめ汗びっしょりとかき院内にたどりついた途端ひっくりかえってしまう。又ある患者は母親と一緒に銀座を歩いている最中突然雑踏の中で眩暈を訴え体をふるわせショック様の状態になる。又ある患者は電車に乗って来ただけで顔中脂汗をかき不安を訴え病棟室に入ったとたん平静になる。又ある精薄の患者は看護者と手を握って歩かなければこわくて泣き出してしまう。又ある患者は決して外に出ようとはしない。そして20年以上の入院患者の一部は病院が自分の家だと云い張ってきかない。そしてカルテには固定するまで待つ、と記入されてある。
社会の役割を荷なう筈の病院が隔離主義の、<0021<社会の力動とは疎遠な関係になってしまっている。ここには社会復帰という言葉は無縁である。こうした施設病、隔離病を作り出した原因が何にあるかを考えずに、又出来てしまった施設病に対してどうしたらよいかも考えずに、いや考えていたとしても実践せずに、患者をマスとしての研究至上主義のために扱い、結局、欠陥荒廃状況にあるから、環境的要因が許さないからと、結果が分りきる位分っているのに放置しておくとはどういうことなのか。烏山斗争の提起した点は何故収容所(に)したかというごくあたり前の感覚から出発したものであった。毎日の診療の実際の中で、いかにおしつけや、規則も、児戯的な扱いや、レッテルはりや、冷やかな観察者的な立場や、宿命論欠陥固定観念や、病相管理教育や、クスリづけや、教科書どおりのドイツ語による画一的な症状名記載の仕方が、マスとしての扱いが、家族や社会とはなれた閉鎖主義や、患者の欠点や手のかかる点ばかりをあげつらい態度や、研究者的ないびりまわしやまなざし、なんでも病気と結びつけて再燃だ症状悪化だときめつける態度や、症状中心主義や防衛的すぎる態度や……そしてそれからもろもろのことどもの総体としてあらわされたグループ精神療法や生活指導、作業療法、レクリェーション療法などの「療法」と名づけられたものがいかにまやかしであり、多くの患者のプライドを傷つけ、意欲をなくし、反抗を作り、無為を作り出し、目的もなくだんだんと受動的な日々を送ることで社会復帰を抑制してきたをか(⇒かを)みてきた。それなら管理や、そうした抑圧する因子を少しでも軽減しようとする姿勢が生まれて来るのが当然であり、それが松島医師が最初に提起した問題であったろう。出来ることはやる、当然医療費や人手の間題があらわれて来るであろう。ただちにそれを云い出さなくてもやれることやしなくてはならないことは山ほどあるであろう。ここではっきりと「生活療法服務規準」の根本と対峙することはなるのである。患者の抑圧を取除くことは当然従事者自らの抑圧を取除く作業に他ならないからである。そしてあまりに中途半端で配置交換の通達が出された訳であるが、その時点で明らかに病棟は明るくなり、退院者も続出し、外勤作業に数十名という成果を収めたのである。今迄ボケ患病棟と云われたところでは信じられない位である。これではっきりとしたのである。一方的な抑圧管理機構こそが収容所性を作り、病院という社会的共有物という概念が隔離収容所としての概念にすりかえられて行ったのを。これを推進していたのがまさに烏山病院であり、西尾、竹村であり、学会、中精審、日精協へとつながろう。しかもやるべきことをやらずして前近代的な医局制度さながらに下級職員を使いそのデーターをもとに枕上で様々な論文(中間施設)を作りあたかもその医療が全てであるかのような錯覚をおこしかねないような文体で管理する学問を書き綴った犯罪性は追及されるべきである。
去年の12月23日で松島医師を解雇していらい、EF2病棟に主治医としてやってきた奥<0022<山医局長は云う、今働きに出ている患者を急にひっこめる様なことはしない。しかし折あるごとに病棟内に引き上げさせる。今后患者を外に出すことはしない、と。そして婦長をつかっての斗争委の看護婦に対する圧力を強め、一方的なミーテングで事を決め、患者に対する管理をつよめ、カルテ棚を病棟からわざわざ看護室にまで運び、再びベルトコンベア式の治療を行うべく患者に働きかけている。一方佐藤医師は竹村副院長に呼ばれ、行ってみると奥山医局長、それに主治医井口医師が待っており、井口医師が病棟に入ってもらいたくないと佐藤医師に云えば、側で竹村副院長が「僕は命令を出すよ、主治医の指揮下で働いていろよ、患者のことを考えると君のやっていることは駄目だ、ルール位守れよ、まだ経験が足りないよ」と決めつけてくる。そこで佐藤医師が「納得のいかないことには従えと云われても無理です」と云えば、「もし病棟で排除されたら医局で待機していればいいさ」とめちゃめちゃな風にきめつけてくるのである。高橋ワーカもやはりEF1病棟で無視され、グループ会やミーテングなど、診療面に関して仕事は全てストップをかけられ、患者と話をしているとその患者が看護婦からいびられることになるのだ(ある患者はその為に閉鎖病棟に入れられてしまった)。たまたま他病棟のワーカーが配置交換できたが、紹介のために患者を集めたが、その席上でEF1主治医吉満医師は「TワーカーとOワーカーは経験が深いが高橋ワーカーは経験が浅いので相談があったら高橋ワーカーのところに行かないように」の趣旨の紹介がなされたのである。全てがこうした具合に進められる。以前給食室の前で我々が立看を立てていると、いきなり竹村副院長がやって来て「こんなもんどかしちゃえよ」と云って他の職員が読んでいるのに恥ずかしげもなく先頭に立って片付けてしまおうとするのである。何故堂々と職員に読ませようとしないのか、西尾院長、竹村副院長は院内で正しい情報がなされるのを拒む。確かに立派な鉄筋の建物は騒しい都会の中に立ってはいるが、その敷地の中は社会と連続性をもたないあらゆる組織が首の統率下にある一定の目的の為に動いているのだ。
三 症例を通して―「生活療法服務規準」を守るのか社会復帰を推進するのか―
(1)K患者、大正2年生まれ。昭23年に入院し外泊、退院を一度もやっていない。S45年12月退院。S44年7月、Kさんは自室の畳の上にペタリと坐り肘をつき出した「常動態」で一日いる。呼んでも殆ど答えない。見ようともしない、暗くゆううつそうな表情。何ごとにも動じない。側で大きな物音がしても動きはない。他患と話すことは皆無。耳が遠いせいもあるが、しつっこく尋ねてやっとぼそぼそと語る。箱おり作業には応じる、黙ってやり黙って去る。昭23年11月、「行路病者として脚気の疑いでS病院に入院、そこで精神障害者と診断され<0023<転院。「徘徊」「不眠」「硬い」「遅鈍」「寡黙」とある。S33年、「鼻や耳に栓をする、終日自室、鼻の孔に紙をつめているのはどうしてか?と問うと『へい』と答える。かばのようにのっそりと、牛の様に鈍重なり」と記されている。「パーキンソン(+++)流涎(+)筋強剛。」「常動的」「無為」「寡黙」。
33年3月10日の尋問。「入院したのは?」「生まれは?」「聞えて来たことは?」「何で入院しているのか?」と形式的なうんざりする様な会話。カルテに同じ質問が何度繰返されているのか分らない。「何で入院しているのか?」と問われたので、「退院させないから入院しているんです」とこたえている。ごく当り前である。36年、「副作用つよく歩行出来ない、食事をすることは不可能。陳旧欠陥状態のため余程注意しなければ身体疾患の併病が考えられる。言語の発達が未発達なのか疎通性が出来ない。」ここで「欠陥状態」という言語が出てくるが本当にそうなのか、いや、病院に入ってますます悪くなっているのである。又「疎通性」とあるが、職員と患者の心の触れ合いはありえないのだ。同様にいじめられている患者同士にしか心は伝わらない筈である。S40年、「自ら発言することは全くない。問いかければ最小限度のこたえ方をする。思考感情は平板化している。ここで「平板化」しているとあるが、不本意な入院生活をさせられ、その上いやな療法、作業をおしね(⇒つ)けられ、もし「平板化」という言葉をつかうとしたらどうして「平板化」しないでいられようか。拘束の苦しみの葛藤から逃がれきることの為にはいやがおうでも無関心にならざるを得ないのである、「平板化」しない状況にありながら「平板化」してそこで始めて問題となるのである。更に「不眠の訴えは殆どしないが、聞くと一年以上も一睡もしていないと平然とこたえる、特に苦にしている様子は見えないと。ある退院した2、3の患者が云っていた、「私達は決して本当のことを云いませんよ、適当なことを云ってごまかしているだけです」と、つまり日常生活の内部で真実味のないちゃらんぽらんな答えはするが、それらは入院拘束されている生活状況の総体として生じているのであり一過性のものにすぎない場合が多い。それはある種の施設病であり目的が与えられ不快な抑圧環境が取除かれれば次第に改善されてくるに他ならない。
S40年9月、グループ会のことが記入してある。「グループ会、トランプのババ抜きをする。手持ちの札が相手に見えてしまうので常にビリ、負けた人が歌をやることになっていたがモジモジしている、他患に頭を下げてあやまりなさいと云われてその通りにする」「グループ会、奇妙に手をまげて終始無言、クリスマスについて何を問われても出来ませんと答えるためお地蔵さんをやればいいじゃないかとからかわれる」「グループ会、お茶の入れ方などもていねいな物腰で礼儀正しいしつけをうけたことが分る」こうしたグループ会が表面的で一方的心のこもらないまやかしものであるが説明する<0024<必要はないであろう。S42年6月、心理テストの判定が次のごとく記されている。「ロールシヤツハテストの結果、視野は狭い範囲に限局され想像力に乏しく思考には融通性がないがいまだ精神内界には動きがあり、しかも人間に対する暖みのある共感性に裏打ちされたもので、その意味で対人的な交流を今一度復活させる可能性は少からずある。しかも常識的、杓子定規的ながら社会性も残されている点からその感をつよくする。ただ感情が抑制的であるため、表面的には無感動でよそよそしい人間関係になりがちなのであろう……情緒的な動きが余りに感じられない点が特長で感情の抑制が長い間に固定化してしまったという感じがする」、この心理テストの判定結果に対し、いかなる説明もいらないだろう。云えることはこのテストは治療とは無縁であり、どうにかして社会復帰を実現させようと苦心する看護者の情熱をこそぐ以外の役割は果たさない。これもレッテル、ふるい分けの手段でしかない。
Sさんの生活状況は二十数年間あまりかわってない。様々な働きかけをやってきたが結局だめ。ところが画一的な作業療法やレク療法を中止し、個人的な接触をしていくうちに徐々に活発になり、その后自発的に配食などの手伝いをするようになり約9か月間も近所の肉屋につとめた。その間に栃木に住んでいる妹さんと連絡をとり、20年ぶりの面会をしたのである。そして45年12月に退院し、家で家事の手伝いをしているのだ。ここで何がSさんの社会復帰を可能にしたか考えてみると、@一方的、画一的な療法をやめ、個人的な素朴な接触を深めたこと、A自ら賃金をもらい外勤作業をやったこと、B家族と連絡をとり退院の可能性をきちんと決め、目的を持ったこと、以外にはない。当り前のことであろう。病院はどうして当り前にやるべきことをしないのか。20年ぶりの面会、そんな納得のいかぬ話があろうか。そこに「生活療法」があるからと云い、やって駄目なことを何故おしつけるのか。「模式的な生活療法」「統合治療」を守ることが目的なのか、社会復帰が目的なのか、何が為されるべきか分っていた筈である。犠牲者である。
(2)Eさん。大正10年生まれ。入院S20年。退院S46年2月、S44年7月、Eさんもやはり自室にぐにゃぐにゃした感じでペタリと坐り口をもぐもぐひっきりなしに動かしている。問いかけても視線を向けるだけで返事をしない。他患と話すことは皆無。職員を避ける。孤立。自発的にやることは決してない。S27年12月に帰院したが帰らず、約3か月の退院。それ以外はずっと入院している。26年間の入院生活を通じて「拒絶」「無為」「独語」「徘徊」「空笑」などの言葉がいたるところに出てくる。箱おり作業には応じる。グループ会は週に一回7〜8名単位で行なわれていたが、そこでは「いわゆる生活指導」「レクリェーション療法」「グループ精神様法」などと基本的な活動が治療として行われて、S39年頃のグループ会の<0025<模様をカルテの記載のまま引用してみる。
S39、7/V「グループ会、あやめグループ。歌、会話、ゲーム、レコードのジャケットをみつめている、歌の本を目の近くに近づけている」
14/V「グループ会、のど自慢、映画の感想を求める、わからない忘れたと云うのみ、求めに応じて同じ曲をはっきり云う。当番表に名を書き込み、一応拒絶せず何でもやるが機械的」
21/V「グループ会、カルタとり、トランプ、めり込みそうに深く首をおとして進行にも注目しない、トランプの神経衰弱でも数字が合っているが見ようともしない、ゲームの意味や他患の様子には会く無関心である。機械的に自分の役を果たしている感じ」
28/V「グループ会、ボールけり、鶏舎観察」
5/W「グループ会、レコード鑑賞、独語を云う、R・T・から独唱を求められ自分では決めかねすすめられてやっと“荒城の月”を小声で歌う」
11/W「グループ会、ハンカチ落しを行う、合間に独語があり、現在界と接していない感じ」
25/W 「グループ会、室内ゲーム、コーラスを行う、熱意なく応じない」
2/X「グループ会、名前おくり、店物を行う。小声でなんとか応ずる程度、前者の理解わるく自分の名前しか毎度云わず一々数える」
9/X「グループ会、写生、栗林で眼前の木立としおりがを書く、かなり時間をかけている抵抗は示さない」
23/X「グループ会、花の写生、抵抗を示さず書く」
3O/X「グループ会、院外散歩、ナワ飛び、ボール投げを行う、ナワ飛びは飛ぶ時間は相当いきおい込んで力を入れてかなり大きな動作で応じる、飛び終るといつもの様に首をかしげ口をがくがく動かして口中独語にうつる、その時は他のメンバーが飛ぶのを見ようともしない」
6/Y「グループ会、グラビア見せる、顔を近づけて熱心にみているようだが何を感じているのか分らない」
13/Y「グループ会、風景写真をみせる。前回と同様の態度」
2O/Y「グループ会、紙芝居(織姫、鉛の兵隊)殆ど関心を示さず紙芝居の最中に額を畳につけるようにして前屈姿勢を7、8回、その毎に注意されて上体をおこす、横臥しないことを云うと約束ごとをして異議の有無を尋ねると“この人だけがいけない”と答える。寝ないようにするのは嫌いだから、だと。横臥するのは病気のうちだから、と話すと、病気とは思わない、と答える。それで、いつまでたっても寝てばかりでは病気は治らない、と繰返して話すと、寝ないようにする、と答えを示す」
4/Z「グループ会、紙芝居(十匹のこやぎ、ぬけさく狸)。ともすれば画面から目をそらし、口をもぐもぐ動かすので再三注意すると、はっと身体をうごかして注意を向ける」
このカルテの筆者は少しでも患者をよくしよ<0026<うと、まれに良心的にカルテを記述している。このグループ会に描写されているのがEF2病棟ばかりでなく当院内のあらゆる生活療法の実体である。十匹のこやぎの紙芝居、それが面白くないと云って寝ていると、「症状がわるい」「反抗的」「無欲状」「自閉的」「欠陥」とされ、患者には「そんなことしているといつまでも病気は治りませんよ 」と注意する。人為的、あまりに悲しい姿である。やる方もやられる方も消耗ははなはだしい、正気の様ではない。これが 「模式的な生活療法」の最も良心的な治療法であり、患者をだらだらと入院させている原因なのである。S44年7月、模式的な療法(主体性を無視し、抑圧として作用するもの)をやめ、個人的なつながり接触を中心にデイホスピタル、外勤作業(従来のデイホスピタル、外勤作業とは質的に異なるであろうが)をやり、27年ぶりに退院し、職場に通いながら、70才の母と二人で生活している。なんていうことはない、規則を減らし、管理を弱め、抑圧的な療法をやめ、施設病を自らふり払うべく、徐々に社会に出して行ったに他ならない。
四 まとめ
ここで不必要にとじこめておくことと、みだらな管理拘束が社会復帰をはばむ原因の大きな部分を占めていることが証明された。当然社会的な要件が問題となるが、その前に医療従事者は出来ることから実践しなければならない。抑圧を除く方向へ、管理を撤廃する方向へ、人工的差別を作らぬ方向ヘ。その時、気軽に「治療」などという言葉を気軽に使わない様につつしまなければならないだろう。