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府中療育センター闘争関連の新聞・雑誌記事



 2005.07 作成:安藤道人(一橋大学大学院社会学研究科・修士課程1年)

発行日 記事タイトル ( 雑誌・新聞名  新聞縮刷版ページ数)

1968.04.00 東京都立府中療育センター開設

1970.12.14 重度障害者も人間です (朝日新聞)
1972.04.25 府中センターをつぶせ 東洋一の福祉施設の正体 (都立大学新聞)
1972.06.26 府中療育センターにおける日常的差別(保安処分・コロニー資料集)
1972.09.19 民間への移転は追出し 府中療育センターの障害者 抗議の座り込み( 朝日新聞)
1972.09.19 都庁前に車イスの抗議ーー「療養所かわるのはイヤ」と (毎日新聞 545)
1972.09.20 車イス座込み2夜  (毎日新聞 578)
1972.09.22 2局長と話合い (毎日新聞 649)
1972.09.27 強制移転イヤだ 身障者、座り込み十日目 (読売新聞 887)
1972.09.29 二人がハンスト 都に抗議の身障者 (朝日新聞 967)
1972.09.29 座込みの2人がハンスト (毎日新聞 876)
1972.09.30 都庁前のハンスト続く 障害者「隔離」反対の二人 (朝日新聞 1003)
1972.09.30 ハンストに突入 都庁前の身障者 (読売新聞 999)
1972.10.03 テントの底 (朝日新聞)
1972.10.09 都庁前のハンスト 10日ぶりに解く 抗議の障害者 (朝日新聞)
1972.10.16-23合併号 女性民生局長が初めて難局に直面 (ヤングレディー)
1972.10.20 車イス座り込み 『施設を移さないで』 都庁前にもう33日 (朝日新聞)
1972.10.30 車イスで40日座り込み なぜ・・・「差別反対」に反対 ジレンマに苦しむ都( 朝日新聞 夕刊)
1972.11.04 身障者拒絶するこの大都会 府中療育センター在所者 早大生らと対話集会 (朝日新聞 117)
1972.11.17 「身体障害者」の与えられた生(朝日ジャーナル)
1972.11.17 「わたしたちは人形じゃない 新田絹子さんの手記」,『朝日ジャーナル』
1972.12.09 都、説明会を提案 座り込みグループ「覚書違反」と不満 (朝日新聞 317)
1972.12.13 都の説明会を”拒否” 府中療育センター座り込みグループ (朝日新聞 453)
1972.12.21 車イスと”対話”して座り込み百日目 (読売新聞 夕刊 732)
1972.12.27 都、身障者に最後通告 身障者の移転反対すわり込み100日目に (朝日新聞 908)
1972.12.27 施設移転で車イス座り込みーとが交渉打切りを通告 (毎日新聞 846)
1973.01.14 在所生の意思、あす都が確認ー療育センター (毎日新聞 396)
1973.01.16 身障者の民間移転 処遇は都立施設並みに 都が説明 反対者は納得せず (朝日新聞 465)
1973.01.16 来月移転で賛否を聞くー都、在所生に説明 (毎日新聞 442)
1973.01.17 車イスの座り込みのなか3人が移転 一次移転終わる (毎日新聞 夕刊 490)
1973.01.20 重度障害者の一次移転終わるーー府中療育センター( 毎日新聞 570)
1973.01.26 「多摩更正園は不祥事続き」施設替え反対派が態度硬化 (朝日新聞 夕刊 822)
1973.01.26 「職員不足なくせ」−移転反対派が抗議  (毎日新聞 夕刊 779)
1973.01.29 移転第2陣へ阻止の座込み (毎日新聞 夕刊 866)
1973.01.30 反対派支援学生が気勢 府中療育センター (朝日新聞 945)
1973.02.01 第二次組4人移転おわる 府中療育センター (毎日新聞 18)
1973.06.08 都市と市民 都議選を前に考える<4> 「豊かな社会」の少数派 (日本経済新聞)
1973.09.15 座り込み一年 車イスの抗議 多摩更生園への移転反対 (読売新聞 531)
1973.09.18 一年たった都庁前の車イス座り込みーきょう交渉再開要求の交渉 (毎日新聞 572)
1973.09.18 座り込み一年で総決起集会 身障者ら (読売新聞 夕刊 640)
1973.09.19 都知事、一年目に面会 すわり込みの身障者 都議会建物に乱入 (朝日新聞 672)
1973.09.19 27日に知事と話合いー一年で”糸口” (毎日新聞 608)
1973.09.19 やっと対話へ 都庁座り込み身障グループ (読売新聞 663)
1973.09.27 知事と初めて”対話” 福祉の実情訴える (朝日新聞 夕刊 970 )
1973.09.27 座り込み一年、車イスの対話ー”施設移転責任”を知事に迫る (毎日新聞 871)
1973.09.28 ”強制移転はしない” 療育センター問題 美濃部さん初の対話 (東京新聞)
1973.09.28 都政の目 解決の努力確認 車イスドキュメント (朝日新聞)
1973.09.28 量の福祉から質の福祉へ 都に転換問う 車イス座り込み (毎日新聞)
1973.11.01 「座り込み放置」と行政を追及ー身障者グループが都と話合い (毎日新聞 18)
1973.11.17 話合いが前進 都側が”改善”を約束 (毎日新聞 548)
1973.12.25 白木教授との公開討論会を 府中センターの療養者 (朝日新聞 735)
1973.12.28 身障者ら越年座り込み 都庁前 白木元院長の退任要求 (朝日新聞 807)
1974.02.14 在所生有志に都が文書で回答ー府中療育センター移転騒動 (毎日新聞 328)
1974.06.03 車イスでの都庁座り込み 一年半ぶり解決へ あっせん案 重度身障者棟 来年、民生局へ移管 (朝日新聞 夕刊 86)
1974.06.05 療育センター”テント闘争”終結ー都と調印 (毎日新聞 夕刊 140)
1974.06.05 テントを自主撤去 都知事との覚書に調印 (朝日新聞 夕刊 154)
1974.06.17 運営に新たな波紋 一階部門の民生局移管 重症者の親が反発 (朝日新聞 173)

1999.09.17 石原慎太郎都知事 府中療育センター視察後、重度者の人格否定の発言 *
1999.09.20 全国青い芝の会 石原発言に抗議、発言の撤回と謝罪を要求* 

 
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◇立岩真也 1990 「はやく・ゆっくり」より
 安積他[1990]→安積他[1995]*
*安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也 19950515 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店,366p.,4-89434-016-X 3045  [boople][amazon][bk1] ※
[p179]3 転換2: 施設から

「東京都府中療育センターは、六八年四月、「東洋一」──国立身障センターの設立時にもやはりこの言葉が飾られた――といわれる「超近代的」な医療施設として開設された。
  その管理体制に対して在所生から批判の声があがった★30。彼らが耐え難いと感じたのは例えば次のような事々である。[p180]ついたてのようなしきりがあるだけの男女各一部屋ずつの大部屋に収容され、起床は朝六時(五時一五分に電灯がつけられる)、消灯は夜九時。トイレの時間も決まっていて、後にはトイレに行く(連れて行く)手間を省くために朝は全員に便器があてがわれる。面会は月に一度。外出・外泊は許可制で、回数が制限されていた。持物、飲食物は規制され、終日パジャマを着せられた。洗うのにじゃまだから髪は伸ばせない。男性職員による女性の入浴介助が行われていた。さらに、施設開設の当初には、入所時に、死亡した場合の解剖承諾書を書くことが条件となっていた。この施設の中で、はり絵、おり紙をし、歌を歌い、体操をし、週に三度散歩の時間がある。 こうした扱い、直接的には在所生に理解を示す職員の一方的な移動を発端にして、七○年十一月、在所生がハンストを始める。これは具体的な成果をあげられないままいったん終息したが、翌年、一部在所生の民間施設への移転が計画が計画されると、それに対する反対運動が起こった。それはその計画が第一に在所生の意向を無視した一方的なものであり、問題の起こった五階建ての建物の一階に収容されている重度身体障害者、及び二階・四階の重度精神薄弱者・重度精神薄弱児を移転の対象とし、センターを重症児・者だけの施設にしようとするもので分類収容をさらに徹底するものであること、第二に、移転先の施設(一階の在所生については多摩更生園(八王子市)が都立・民営の施設として新たに用意された)が市街から遠く離れた場所にあること、しかも民間依託されることによる処遇の劣化が予測されたことによるものだった。
  センター側との交渉は進展せず、都との交渉を求めて七二年九月から都庁前でテントを張って座り込みが始まるが、交渉は実現されず、七三年一月以降、数次に渡る移転が行われる。
  この時期は、施設整備が推進されていた時期であり、このセンターも、革新都政の成果と肯定的に評価された。既成の政党、労働組合は積極的な支援を行わない。そこで、運動は、在所生と大きな組織によらない障害者・非障害者の支援者によるものとなった。だが、在所生の間でもその方向は完全に一致していたわけではない。施設を出[p181]て生活することを目標とする者、それを理解しつつまず施設の改革、また移転先の施設でその施設を変えていこうという志向。さらにそこには、支援者の側との、あるいはその中の、食い違いがある。まず、障害者が現実から出発せざるを得ないのに対して、支援する組織においては、この問題の本質規定が先に立つ。またこの時期のいわゆる新左翼諸党派間の主導権を巡る争いがある。こうして都庁の前には二つのテントが立つことになった★31。
  座り込みを始めて一年を経、偶然得られた都庁での知事との直接的な接触を機に事態はようやく動き出した。七四年九月の都知事との交渉以降、継続的な交渉がもたれるようになり、その結果、一階の衛生局から民生局への管理移管、運営に関する協議会の設置で双方が合意し、運動は一つの区切りを迎える。だがそれで終わったのではない。運動に加わった者の多くはこの時点でセンターに残っている。その中で、例えば依然として行われる異性による入浴介助に反対し、入浴を拒否して待遇の改善要求が続けられる★32。ある者は移転先とされた施設に行く。施設に対する反省の中で、施設を肯定せず、とりあえずは施設でないような施設に向けての改革を始める★33。
  けれども具体的な生活の方向は各々に分かれながら、現実にそう簡単に施設から出ると言えない中で、この運動は単に施設の改善に向かうというだけのものではない。この運動は施設での生活条件の劣悪さから出発するが、そ[p182]もそも特定の場所に分けられ、不足していると同時に余計な「処遇」を受ける必要がないこと、基本的に生活するのは施設の外であることを明らかにしていく。そして実際に、少しずつ、施設から出て生活することを志向する者が現れる。彼らは、各地で生活し、運動を行ってきた人々とともに、生活の獲得への運動を始めるのである★34。」

田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [boople][amazon] ※,

「日本の障害者運動において、消費者主義の提起の嚆矢となったのは、府中療育センター闘争から分派したグループによる介助料要求運動である。」([148])


UP:20050717 REV:20060524 20080321
施設/脱施設  ◇障害者(の運動)史のための年表  ◇三井(新田)絹子  ◇全文掲載 

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