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「回想」

横塚 晃一 19691201
『青い芝』75(1969・12・01) p.7(再録)


 既婚者の最後として私達がマハラバ村を後にしてから,早や一年になろうとしている。私達は各人それぞれの動機,理由は異なっても自らの運営するコロニーをつくるという目的を同じうして,コロニー運動に加わった筈であった。そこでの数年間の生活を振り返ると実に面白い。婚約,駆け落ち,反乱,復習,結婚,出産,流産,果ては”スリコギの置き場所”に至るまで・・・。劣等感と権力欲,徹底的な人間不信と妙な甘ったれ,嫉妬と友情,反抗と信頼,これらのものが渦を巻き,それは壮烈なまでの人間ドラマであった。こうゆう状況の末期に周知の傷害事件が起きたのである。
 私はそのことについて云々するつもりはない。しかしなぜCPは自分の演じたドラマを”自分自身”のものにできないのであろうか。なぜ対岸に押しつけて自分一人だけ”被害者づら”をするのだろうか。
 当時,地元の村や町へ行って「昨夜○○されそうになった」とか「メシもろくに食わせて貰えない」などと言いふらした者がいた。この人達の過去の境遇から察するに,そうすることが保身の術であり,果てははさんでくれるお茶菓子の数にまで影響するということを本能的に身につけていたのである。しかし,この被害者のポーズをとるということはその人達に限ったことではなく,CP全体,否,私自身にもいえることなのである。なぜCPは被害者のポーズをとることそれ自体が,”加害者”になっていることに気づこうとしないのか。また,意識すると否とにかかわらず加害者になっている。或は,ならざるを得ない場合のあることが此の世のせいかつでは”ある”ということをなぜ認めようとしないのか。加害者なら加害者でよいではないか。
 要するに当時を回想する場合においても,被害者のポーズをとるということは,自分の演じた役割を放棄することであり(プラスの側面も含めて),現在の生活を真に「自分のもの」として掌握できないということの証左なのではあるまいか。つまり自らをかわいそうな者として闘いを放棄したに他ならないからである。私達は(少なくとも私は)自らの青春をコロニー運動に賭けたのである。そこでの生活を否定することは,コロニーの故に得られた生涯の伴侶も新しい生命・人格も否定することになるであろう。私は今,過去の挫折感の中からはい上がろうとしている。しかしその前に私は自分自身が色々な面で加害者であったことを,ここの人間に向かってではなく,人間以外の何ものかに向かって許しを乞わなければならない。

*作成:廣野 俊輔

UP:20080129 REV:
青い芝の会神奈川県連合会  ◇青い芝の会  ◇全文掲載
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