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精神病院に多発する不祥事件に関連し、全会員に訴える

日本精神神経学会理事会 1969(昭和44)年12月20日


精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える
精神神経学会理事会

 最近、各地の精神病院で、入院患者の処遇に関し、言語道断の事件が次々と明るみに出た。学会理事会はこの事実を確認し、これは精神医学の社会的実践を著しく阻害し、ひいては精神科医療の質的低下を助長するものとして深く憂慮する。精神障害者に対する一般社会の根強い偏見の残っているなかで、このような不祥事の発生は、精神病院全体の医療に対し、世の誤解を招くおそれがある。
 〈数多くの事件と学会の立場〉一口に不祥事件といっても、その内容はさまざまである。しかし、この8月と10月に、大阪府下の安田病院および栗岡病院における患者虐待、致死事件が報道されるに及んで、これは頂点に達した感がある。大阪では時を同じくして府立中宮病院にも問題が起こり、それは病院の管理運営上の欠陥を患者自身から追及されたのがキッカケで、院長以下の更迭となり、新院長に非専門医の府衛生部長が発令されるという異例の事態に発展した。
 これよりさき、神奈川県では相模湖病院のアル中患者のつめ込みによる事件の続発と、とばく愛酒療法なるものの実態(8月)、東京八王子市では北野台病院で、処遇改善を迫った患者対経営者の団体交渉後の死者を出した集団離院事件(6月)の報道がある。さらに10月には、『むなしい壁との対話』(上田都史著)が発刊されたが、その内容は東京・小林病院で、基準看護をごまかすため措置患者を仮退院させ、そのまま院内に不当拘束した事件が摘発されたこと、および私立精神病院における作業療法の巧妙な患者搾取の驚くべき実態も示され、新たな波紋も投じている。昨年すでに学会広報部会が、全国的調査で知り得たこの種の著明な事件として、埼玉県で東京・山谷からアル中労務者をかり集め、事件を起こしかつ贈賄事件に発展摘発された南埼病院、高知県で、かつて患者であった暴力団員が病院の経営権を握り、女性患者へ暴行事件、健康保険の水増し請求事件など掲示問題となった近藤病院などの不祥事件がある。
 このように列挙すれば、類似の事故ないし事件は、いまなお全国各地で発生しつつあるのではないかとの危惧を抱かせるのに十分である。事実、理事会がこの問題を取り上げたあと、京都・ピネル病院退職者の会から、同病院の営利主義による患者への著しい人権侵害の事実を訴えた文書が届き、また11月20日、徳島県阿南市藤井精神病院の深夜の火災による多数の死傷者を出した痛ましい事故で、病院管理の手落ちが追及されるという事件も発生している。 当理事会は、今春、第66回総会の後、会員周知の事情のもとに発足したのであるが、その際明らかにされた新理事会の基本的態度に照らしてみても、このような事態を黙過すべきではないとの見解の一致を見た。われわれはこれらの一連の不詳事件の真相を独自の立場で究明し、精神病院の旧弊を改善してゆきたいと考えている。ただ理事会としては、いたずらに犯罪捜査の如き印象を与えることは避けたい。しかし会員の中に事件の関係者がいる場合、当然問いただすことは問い、また釈明の機会も作らなければならぬであろうと考えるものである。
 〈根本原因は何か〉安田病院の患者リンチ事件については、当事者が看護人であるが、これは単に看護者のみの問題に止まらぬことは明らかである。また行政当局の監督不備の問題のみでもない。事件が新聞に報道されると、地元では病院協会が主となって、同業意識のもとに隠蔽、もみ消しをはかった形跡が認められるのはまことに残念なことである。もし不祥事を直視することなく、政治家その他の有力者を介入させ、ことを穏便にすまそうとするような考えがあったとすれば、さらに反省の色はなく一層悪質といわねばならず、われわれは今後の同種の事件が跡を絶たぬであろうことを警告せざるを得ない。
 いったい、われわれはこのような事件の根本原因をどこに求めるべきであろうか。
 われわれはまず第一にこれを精神科医自身の姿勢にあると考える。次にまた、われわれを取り巻く過去から現在に至る医療情勢も大きく関与すると考える。医師教育のあり方もまた同様である。しかし、結論を急ぐ前に、ここで一連の不祥事件の内容を吟味、分析してみよう。
1 医療不在、経済最優先のいわゆる儲け主義の経営
2 私立病院経営者の持つ封建制と病院の私物化
3 経営管理を独占する精神科医の基本的専門知識の欠如
 などに大別されよう。しかしながら、われわれのこのような分析結果が、連続不祥事件の唯一の根本原因とは考えられない。もちろん私立病院であれば企業の存続のため、経営第一主義はあながち否定できないだろうし、私立には私立なりの自由もあろう。また国公立病院の果すべき役割がこんにちなお甚だ不十分で、このため精神科医療の現状における諸問題が、私立病院側にしわ寄せされているのも事実である。最後にまた、低医療費による精神科の適正医療の破綻は国公立、私立を問わず現下の大問題であり、ここに病院の経済危機を招いている事実を強調しなければならぬであろう。
 しかし、それにもかかわらず世に悪徳病院、病院業者と悪評の立つ一部の精神病院と経営者はたしかに存在する。日本医師会の武見会長は、かつてこのような経営者を牧畜業者≠ニ非難した。いうまでもなく彼等からみれば患者は牧場に放し飼いする牛か羊と同じという意味である。いま一連の不祥事件を眼の前にし、われわれは残念ながら、この武見放言を謙虚に聞かざるを得ない。このような病院の存在を許す環境は何か。経営者は医師の場合もあれば然らざる場合もある。また経営に参画する医師でも雇われ院長ともなれば立場は全く異なる。しかしながら、いずれにせよそこには多くの場合、日常患者に接する学会の会員である働く医師がいるはずである。いろいろな事情はぬきにして、われわれは精神科の医療に従事する医師として、眼前に行われている患者虐待の事実や,作業療法の不当な運営をどのように釈明できるというのであろうか。これまで医師側の発言が少なかったのは、要するに精神科医自身が概して消極的で、病院改革の意欲が少なかったといわざるを得ない。このような情況では、果して作業療法や精神療法が正当に評価されるよう、健康保険の点数を改正させようという当面の重要目標へ到達することができるかどうかも危ぶまれよう。
 以上により、これらの不祥事件の分析結果の根底には、実は医師としての道義心、倫理観の欠如という重大事が横たわっているといってよいのではないだろうか。
 〈全会員がこの問題に積極的に取り組むことを要望する〉 われわれはまず、精神科医療に自ら姿勢を正し、世の非難を招くことを極力避けるよう自戒しなければならぬと思う。患者の人間性を無視し、障害者を世の偏見と同じく単に異常者としてのみ扱おうとする考えが、しらずしらずのうちに人間軽侮の念となって治療者の心に食い込み、日常ややもすれば安易に妥協する結果、精神医療に対する恐ろしい感覚麻痺を招くのではないか。ある経営者は公費入院患者を固定資産とみなしているという。ものいわぬ患者たち、そして多くは知識の乏しい家族、これを取り巻く世の偏見と無関心、これらの人を相手に正しい医療を遂行すべき精神科医師の責任はまことに大きいといわなければならない。理事会がこの機会に全会員に呼びかけ自粛と自覚を要望するゆえんである。(中略)
 ふりかえってみると、医療技術の進歩、諸制度の改善整備は時代の流れとともに今日に至ったといえるであろう。しかし、われわれがここで取り上げた問題はまさに明治・大正にさかのぼり、旧態依然たるものではないだろうか。これはわが国の精神医療の歴史に汚点となってしみついている。われわれはいまこの汚辱の歴史に終止符を打たねばならぬ。そしてあらためていま、正しい医療を進める原動力として、精神科医とは何かという問いに真剣に答えなければならぬであろう。
 われわれはこのような見地に立って歴史を振り返り、国の精神医療政策の貧困を追及してゆきたいと思う。また、一方、長年にわたる大学の医局講座制が、精神病院を医師の人事で支配したという過去の事実を明確に指摘しておかなければならない。これはすなわち大学を優位に置き、病院は一段低くパートタイマー医師の稼ぎ場という悪循環をもたらし、このために多くの障害者が医療不在の状況下におかれていたということである。結局、これらのことが因となり果となって、こんにちみる精神病院の不祥事件を続発させているのである。このような精神病院の現状と問題点のより一層明確な解明は、来るべき第67回総会に向かって全会員の目前にある重要問題である。
 以上の通り、学会理事会は多発する精神病院の不祥事件に対する見解を述べ、広く全会員に呼びかけるものであるが、会員各位におかれても、長期的展望のもとにこの問題に積極的に取り組み、かつ建設的な意見を寄せられるよう期待するものである。

 
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 日本精神神経学会は機関紙『精神神経学雑誌』45年1月号で「精神病院に多発する不祥事件に関連し、全会員に訴える」と題した次のような異例の声明を発表した。

 「一口に不祥事件といっても、その内容はさまざまである。しかし、この8月と10月に、大阪府下の安田病院(安田基隆会長、舳松達一院長)および栗岡病院(栗岡良幸院長)における患者虐待、致死事件が報道されるに及んで、これは頂点に達した感がある。大阪では時を同じくして、府立中宮病院にも問題が起こり、それは病院の管理運営上の欠陥を患者自身から追及されたのがキッカケで、院長以下の首脳部の更迭となり、新院長に非専門医の府衛生部長が発令されるという異例の事態に発展した。
 これよりさき、神奈川県では相模湖病院(曽我部院長)のアル中患者のつめ込みによる事故の続発ととばく愛酒療法なるものの実態(8月)、東京八王子市では北野台病院(杉本博雄院長)で、笙遇改善を迫った患者対経営者の団体交渉後の死者を出した集団離院事件(6月)の報道がある。さらに10月には『空しい壁との対話』(上田都史著、刀江書院)が発刊されたが、その内容は東京小林病院(小林郷三前院長)で、基準看護をごまかすため措置患者を仮退院させ、そのまま院内に不当拘束した事実が摘発されたこと、および私立精神病院における作業療法の巧妙な患者搾取の驚くべき実態も示され、新たな波紋を投じている。(この病院はその後、東京精神病協会の忠告もあって、徹底的改革を行い名誉を回復した)。
 昨年すでに学会広報部会が、全国的調査で知り得たこの種の著名な事件として、埼玉県で東京・山谷からアル中労務者をかり集め、事故を起こしかつ贈賄事件に発展摘発された南崎病院(朝倉忠孝前院長)、高知県で、かって患者であった暴力団員が病院の経営権を握り、女性患者への暴行事件、健保の水増し請求事件など刑事問題となった近藤病院(近藤千春前院長)などの不祥事件がある。
 このように列挙すれば、類似の事故ないし事件は、いまなお全国各地で発生しつつあるのではないかとの危惧を抱かせるのに十分である。事実、京都・ピネル病院退職者の会から、同病院の営利主義による患者への著しい人権侵害の事実を訴えた文書が届き、また11月20日、徳島県阿南市藤井精神病院(藤井正人院長)の深夜の火災による多数の死傷者を出したいたましい事故で、病院管理の手落ちが追求されるという事件も発生している。
 当理事会は、今春、第66回総会の後、会員周知の事情のもとに発足したのであるが、その際明らかにされた新理事会の基本的態度に照らしてみても、このような事態を黙過すべきではないとの見解の一致を見た。われわれはこれらの一連の不詳事件の真相を独自の立場で究明し、精神病院の旧弊を改善してゆきたいと考えている。ただ理事会としては、いたずらに犯罪捜査の如き印象を与えることは避けたい。しかし会員の中に事件の関係者がいる場合、当然問いただすことは問い、また釈明の機会も作らなければならぬであろうと考えるものである。
 安田病院の患者リンチ事件については、当事者が看護人であるが、これは単に看護者のみの問題に止まらぬことは明らかである。また行政当局の監督不備の問題のみでもない。事件が新聞に報道されると、地元では病院協会が主となって、同業者意識のもとに隠蔽、もみ消しをはかった形跡が認められるのはまことに残念なことである。もし不祥事を直感することなく、政治家その他の有力者を介入させてことを穏便に済まそうとするような考えがあったとすれば、さらに反省の色はなく一層悪質といわなければならず、われわれは今後も同種の事件が跡を絶たぬであろうことを警告せざるを得ない。
 いったい、われわれはこのような事件の根本原因をどこに求めるべきであろうか。
 われわれはまず第一にこれを精神科医師自身の姿勢にあると考える。
 次にまた、われわれを取り巻く過去から現在に至る医療情勢も大きく関与すると考える。医師教育のあり方もまた同様である。
 しかし、結論を急ぐ前に、ここで一連の不詳事件の内容を吟味、分析してみよう。
 1 医療不在、経営最優先のいわゆる儲け主義の経営
 2 私立病院経営者の持つ封建制と病院の私物化
 3 経営管理を独占する精神科医の基本的専門知識の欠如
 などに大別されよう。しかしながら、われわれのこのような分析結果が、続発する不祥事件の唯一の根本原因とは考えられない。もちろん私立病院であれば企業の存続のため、経営第一主義はあながち否定できないであろうし、私立には私立なりの自由もあろう。また国公立病院の果たすべき役割が今日なお甚だ不十分で、このため精神科医療の現状における諸問題が私立病院側にしわ寄せされているのも事実である。最後にまた、低医療費による精神科の適正医療の破綻は国公立・私立を問わず現下の大問題であり、ここに病院の経済危機を招いている事実を強調しなければならぬであろう。
 しかし、それにもかかわらず世に悪徳病院、病院業者と悪評の立つ一部の精神病院と経営者はたしかに存在する。日本医師会の武見会長は、かってこのような経営者を牧畜業者と批難した。いうまでもなく彼等からみれば患者は牧場に放し飼いする牛か羊と同じという意味である。いま一連の不祥事件を眼の前にし、われわれは残念ながら、この武見放言を謙虚に聞かざるを得ない。このような病院の存在を許す環境は何か。経営者は医師の場合もあれば然らざる場合もある。また経営に参画する医師でも雇われ院長ともなれば立場はまったく異なる。しかしながら、いずれにせよそこには多くの場合、日常患者に接する学会の会員である働く医師がいるはずである。いろいろな事情はぬきにして、われわれは精神科の医療に従事する医師として、眼前に行われている患者虐待の事実や、作業療法の不当な運営をどの様に釈明できるといううのであろうか。これまで医師側からの発言が少なかったのは、要するに精神科医自身が概して消極的で、病院改革の意欲が少なかったといわざるを得ない。このような状況では、果たして作業療法や精神療法が正当に評価されるよう、健保の点数を改正させようという当面の重要目標へ到達することができるかどうかも危ぶまれよう。
 以上により、これらの不祥事件の分析結果の根底には、実は医師としての道義心、倫理感の欠如という重大事が横たわっているといってよいのではないだろうか。
 われわれはまず、精神医療に向かう自らの姿勢を正し、世の批難を招くことを極力避けるよう自戒しなければならぬと思う。患者の人間性を無視し、障害者を世の偏見と同じく単に異常者としてのみ扱おうとする考えが、しらずしらずのうちに人間軽侮の念となって治療者の心に食い込み、日常ややもすれば安易に妥協する結果、精神医療に対する恐ろしい感覚麻痺を招くのではないか。ある経営者は公費入院患者を固定資産とみなしているという。もの言わぬ患者たち、そして多くは知識の乏しい家族、これを取り巻く世の偏見と無関心、これらの人を相手に正しい医療を遂行すべき精神科医の責任はまことに大きいといわなければならない。理事会がこの機会に全会員に呼びかけ自粛と自覚を要望するゆえんである。
 さて、ここでわれわれは何を考え何をなすべきであろうか。理事会は、続発する精神病院の不祥事件に対し、今後はその一つ一つを取り上げ、長期的構えを持って対策をたてることを決定した。理事会は既定の方針に沿って、日本精神病院院協会とも、その都度協議する必要を感ずる。
 ふりかえってみると、医療技術の進歩、諸制度の改善整備は時代の流れとともに今日に至ったといえるであろう。しかし、われわれがここで取り上げた問題はまさに明治・大正にさかのぼり、旧態依然たるものではないだろうか。これはわが国の精神医療の歴史に汚点となってしみついている。われわれはいまこの汚辱の歴史に終止符を打たなければならぬ。そしてあらためていま、正しい医療を進める原動力として、精神科医とは何かという問いに真剣に答えなければならぬであろう。
 われわれはこのような見地に立って歴史を振り返り、国の精神医療政策の貧困を追求してゆきたいと思う。
 また一方、長年にわたる大学の医局講座制が、精神病院を医師の人事で支配したという過去の事実を明確に指摘しておかなければならない。これはすなわち大学を優位に置き、病院は一段低くパートタイマー医師の稼ぎ場という悪習慣をもたらし、このため多くの障害者が医療不在の状況下に放置されていたということである。
 結局、これらのことが因となり果となって、こんにちみる精神病院の不祥事件を続発させているのである。このような精神病院の現状と問題点のより一層明確な解明は、来るべき第67回総会に向かって全会員の目前にある重要課題である。 
 以上の通り、学会理事会は多発する精神病院の不祥事件に対する見解を述べ、広く全会員に呼びかけるものであるが、会員各位におかれても、長期的展望のもとにこの課題に積極的に取り組み、かつ建設的な意見を寄せられるよう期待するものである。」

  大熊一夫(1981)『ルポ・精神病棟』(pp108−114)より引用



 最近各地の精神病院で、入院患者の処遇に関し、言語道断の事件が次々に明るみに出た。学会理事会はこの事実を確認し、これは精神医学の社会的実践を著しく阻害し、ひいては精神科医療の質的低下を助長するものとして深く憂慮する。精神障害者に対する一般社会の根強い偏見の残っている中で、このような不祥事件の発生は、精神病院全体の医療に対し、世の誤解を招くおそれがある。
 理事会は、昭和44年11月以降、この件を討議したが、会員が関心を示し、かつ自覚するよう、広く全会員に呼びかけることにした。われわれは、この種の事件に対し長期的構えを以って臨み、有効適切に対処することを決定した。

 
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◆精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える(精神神経学会理事会)
 http://opentolove.exblog.jp/6632521/

 1960年代の後半に、いわゆる悪徳精神病院の事件が続いた。そのため69年12月に、精神神経学会理事会は学会員に訴える声明を出した。

精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える
 最近、各地の精神病院で、入院患者の処遇に関し、言語道断の事件が次々と明るみに出た。学会理事会はこの事実を確認し、これは精神医学の社会的実践を著しく阻害し、ひいては精神科医療の質的低下を助長するものとして深く憂慮する。精神障害者に対する一般社会の根強い偏見の残っているなかで、このような不祥事の発生は、精神病院全体の医療に対し、世の誤解を招くおそれがある。
 〈数多くの事件と学会の立場〉一口に不祥事件といっても、その内容はさまざまである。しかし、この8月と10月に、大阪府下の安田病院および栗岡病院における患者虐待、致死事件が報道されるに及んで、これは頂点に達した感がある。大阪では時を同じくして府立中宮病院にも問題が起こり、それは病院の管理運営上の欠陥を患者自身から追及されたのがキッカケで、院長以下の更迭となり、新院長に非専門医の府衛生部長が発令されるという異例の事態に発展した。
 これよりさき、神奈川県では相模湖病院のアル中患者のつめ込みによる事件の続発と、とばく愛酒療法なるものの実態(8月)、東京八王子市では北野台病院で、処遇改善を迫った患者対経営者の団体交渉後の死者を出した集団離院事件(6月)の報道がある。さらに10月には、『むなしい壁との対話』(上田都史著)が発刊されたが、その内容は東京・小林病院で、基準看護をごまかすため措置患者を仮退院させ、そのまま院内に不当拘束した事件が摘発されたこと、および私立精神病院における作業療法の巧妙な患者搾取の驚くべき実態も示され、新たな波紋も投じている。昨年すでに学会広報部会が、全国的調査で知り得たこの種の著明な事件として、埼玉県で東京・山谷からアル中労務者をかり集め、事件を起こしかつ贈賄事件に発展摘発された南埼病院、高知県で、かつて患者であった暴力団員が病院の経営権を握り、女性患者へ暴行事件、健康保険の水増し請求事件など掲示問題となった近藤病院などの不祥事件がある。
 このように列挙すれば、類似の事故ないし事件は、いまなお全国各地で発生しつつあるのではないかとの危惧を抱かせるのに十分である。事実、理事会がこの問題を取り上げたあと、京都・ピネル病院退職者の会から、同病院の営利主義による患者への著しい人権侵害の事実を訴えた文書が届き、また11月20日、徳島県阿南市藤井精神病院の深夜の火災による多数の死傷者を出した痛ましい事故で、病院管理の手落ちが追及されるという事件も発生している。(中略)
 〈根本原因は何か〉安田病院の患者リンチ事件については、当事者が看護人であるが、これは単に看護者のみの問題に止まらぬことは明らかである。また行政当局の監督不備の問題のみでもない。事件が新聞に報道されると、地元では病院協会が主となって、同業意識のもとに隠蔽、もみ消しをはかった形跡が認められるのはまことに残念なことである。もし不祥事を直視することなく、政治家その他の有力者を介入させ、ことを穏便にすまそうとするような考えがあったとすれば、さらに反省の色はなく一層悪質といわねばならず、われわれは今後の同種の事件が跡を絶たぬであろうことを警告せざるを得ない。
 いったい、われわれはこのような事件の根本原因をどこに求めるべきであろうか。
 われわれはまず第一にこれを精神科医自身の姿勢にあると考える。次にまた、われわれを取り巻く過去から現在に至る医療情勢も大きく関与すると考える。医師教育のあり方もまた同様である。しかし、結論を急ぐ前に、ここで一連の不祥事件の内容を吟味、分析してみよう。
1 医療不在、経済最優先のいわゆる儲け主義の経営
2 私立病院経営者の持つ封建制と病院の私物化
3 経営管理を独占する精神科医の基本的専門知識の欠如
 などに大別されよう。しかしながら、われわれのこのような分析結果が、連続不祥事件の唯一の根本原因とは考えられない。もちろん私立病院であれば企業の存続のため、経営第一主義はあながち否定できないだろうし、私立には私立なりの自由もあろう。また国公立病院の果すべき役割がこんにちなお甚だ不十分で、このため精神科医療の現状における諸問題が、私立病院側にしわ寄せされているのも事実である。最後にまた、低医療費による精神科の適正医療の破綻は国公立、私立を問わず現下の大問題であり、ここに病院の経済危機を招いている事実を強調しなければならぬであろう。
 しかし、それにもかかわらず世に悪徳病院、病院業者と悪評の立つ一部の精神病院と経営者はたしかに存在する。日本医師会の武見会長は、かつてこのような経営者を牧畜業者≠ニ非難した。いうまでもなく彼等からみれば患者は牧場に放し飼いする牛か羊と同じという意味である。いま一連の不祥事件を眼の前にし、われわれは残念ながら、この武見放言を謙虚に聞かざるを得ない。このような病院の存在を許す環境は何か。経営者は医師の場合もあれば然らざる場合もある。また経営に参画する医師でも雇われ院長ともなれば立場は全く異なる。しかしながら、いずれにせよそこには多くの場合、日常患者に接する学会の会員である働く医師がいるはずである。いろいろな事情はぬきにして、われわれは精神科の医療に従事する医師として、眼前に行われている患者虐待の事実や,作業療法の不当な運営をどのように釈明できるというのであろうか。これまで医師側の発言が少なかったのは、要するに精神科医自身が概して消極的で、病院改革の意欲が少なかったといわざるを得ない。このような情況では、果して作業療法や精神療法が正当に評価されるよう、健康保険の点数を改正させようという当面の重要目標へ到達することができるかどうかも危ぶまれよう。
 以上により、これらの不祥事件の分析結果の根底には、実は医師としての道義心、倫理観の欠如という重大事が横たわっているといってよいのではないだろうか。
 〈全会員がこの問題に積極的に取り組むことを要望する〉 われわれはまず、精神科医療に自ら姿勢を正し、世の非難を招くことを極力避けるよう自戒しなければならぬと思う。患者の人間性を無視し、障害者を世の偏見と同じく単に異常者としてのみ扱おうとする考えが、しらずしらずのうちに人間軽侮の念となって治療者の心に食い込み、日常ややもすれば安易に妥協する結果、精神医療に対する恐ろしい感覚麻痺を招くのではないか。ある経営者は公費入院患者を固定資産とみなしているという。ものいわぬ患者たち、そして多くは知識の乏しい家族、これを取り巻く世の偏見と無関心、これらの人を相手に正しい医療を遂行すべき精神科医師の責任はまことに大きいといわなければならない。理事会がこの機会に全会員に呼びかけ自粛と自覚を要望するゆえんである。(中略)
 ふりかえってみると、医療技術の進歩、諸制度の改善整備は時代の流れとともに今日に至ったといえるであろう。しかし、われわれがここで取り上げた問題はまさに明治・大正にさかのぼり、旧態依然たるものではないだろうか。これはわが国の精神医療の歴史に汚点となってしみついている。われわれはいまこの汚辱の歴史に終止符を打たねばならぬ。そしてあらためていま、正しい医療を進める原動力として、精神科医とは何かという問いに真剣に答えなければならぬであろう。
 われわれはこのような見地に立って歴史を振り返り、国の精神医療政策の貧困を追及してゆきたいと思う。また、一方、長年にわたる大学の医局講座制が、精神病院を医師の人事で支配したという過去の事実を明確に指摘しておかなければならない。これはすなわち大学を優位に置き、病院は一段低くパートタイマー医師の稼ぎ場という悪循環をもたらし、このために多くの障害者が医療不在の状況下におかれていたということである。結局、これらのことが因となり果となって、こんにちみる精神病院の不祥事件を続発させているのである。このような精神病院の現状と問題点のより一層明確な解明は、来るべき第67回総会に向かって全会員の目前にある重要問題である。
 以上の通り、学会理事会は多発する精神病院の不祥事件に対する見解を述べ、広く全会員に呼びかけるものであるが、会員各位におかれても、長期的展望のもとにこの問題に積極的に取り組み、かつ建設的な意見を寄せられるよう期待するものである。

◇野田 正彰 198210 『クライシス・コール――精神病者の事件は突発するか』,毎日新聞社 322p. ASIN: B000J7KMES [amazon]→ 20020116 『犯罪と精神医療――クライシス・コールに応えたか』,岩波現代文庫 340p. ISBN-10: 4006030517 ISBN-13: 978-4006030513 1155 [amazon][kinokuniya] m.
 2002年、岩波現代文庫 第8章精神医療の現状と背景


*作成:仲 アサヨ
UP:20091216(小林勇人) REV:
精神障害/精神医療  ◇精神科特例関連  ◇精神病院不祥事件  ◇武見太郎「精神病院は牧畜業者」発言  ◇全文掲載 
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