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「ひめゆり丸航海記――渡航制限撤廃闘争の中から」

柳 九平 1968 『思想の科学』 160. 60−63.

last update: 20110627


■柳 九平 1968 「ひめゆり丸航海記――渡航制限撤廃闘争の中から」 『思想の科学』 160. 60−63.

■内容


■目次


■引用


「すでに、私たちの仲間が鹿児島港で、渡航制限撤廃をかかげ、入国手続き拒否の闘いを開始し、そのうちの5人が上陸をはばまれ、船内に閉じこめられたまま、再び沖縄へ向っていることが、この朝、報道されていた。
 8月21日、台風のしわよせて1日遅れとなった「ひめゆり丸」は、正午を過ぎて出航した。船上からふ頭の琉大反戦、ベ平連の仲間と赤旗をふりかわし、ひときわ“インター”をはりあげて、私たちの“闘いの船”は一路晴海へ向う。」(60)

「二等船室の奥まった一画に陣取った私たちは、最初にこの闘争に参加する意志をもつものの顔ぶれと人員を確かめあうことから始める。沖縄闘争学生委員会(以下略して沖闘委)、ベ平連、原水禁有志、神奈川反戦有志、そして早大学生(沖縄出身)と総勢約40人。大半が組織をもたないものの混成部隊だ。」

「闘争の成功をつかみとるには、船客(681名)との闘いの連帯であり、そのための船客オルグ、船上集会等の重要な活動を私たちの手で為し遂げねばならない。それにはなんとしても私たちひとりひとりが自発的に、しかも組織的にこの闘争を創出していくことが必要だ。
 私たちが戦術とした入国、通関手続き拒否の内容は、羽田で渡久地氏がかちとった闘いを基礎に、それをさらに拡大し、なし崩し的に発展させる方向を追及したものである。通常の出入国、通関手続きをみると、@出入国審査、A検疫検査、B税関審査、以上3件が必要内容となっている。これを部分的に、又は全部拒否することによって、これまでのスローガン的な“渡航制限撤廃”を直接行動の対象にひきもどし、今後の沖縄闘争のける具体的な闘争課題として鮮明にし、しかもこの闘争を連続的に発展させる基礎を固めることに、私たちの戦術の重点が置かれた。」(61)

「2日目 午前10時、いよいよ船客オルグの開始だ。2人1組となり、署名とカンパの画板を一式と呼びかけのチラシを手に、各船室へ分散。恐る恐る一番入口に近い船客から対面する。[…]確実な手ごたえが、次第に周りの雰囲気から、浸透し始める。私たちは語りかけ、私たちの戦いの意味と意志を訴えつづけた。
「渡久地さんが羽田で、沖縄の学生が那覇で、渡航手続きを拒否したことを知ってますか」。「16日嘉手納基地前で27人の学生や主婦が逮捕されたのを知ってますか」
 船客の多くは言葉少なくうなずいては署名やカンパに応じ、何人かの学生はわれわれの言わんとすることをそのまま語ってくれた。」(61)

「船客オルグの集約、署名432名(全船客687名中)。カンパ額40数ドル。[…]船客の中から“荷札闘争”発生。アイデアよろしく“私は渡航制限に反対します”と見事な意思表示だ。さっそく、マジックを手に思い思いに荷札書き作業が始まる。」(62)

「3日目 午前5時30分、ベ平連から入電。
「22日、鹿児島における10人の渡久地方式による自由渡航闘争は、全面的に勝利す。身分証明書提示せず、デモに守られ実力で下船し、敵はなすすべなし(以下略)」
 眠気が吹き飛ぶ。長い電文に、われわれは食い入り、読みかえす。全員をたたき起し、10人の仲間の闘いに連帯して歓声をあげる。
 私たちは、直ちに電文に示された鹿児島での闘いをふまえ、戦術会議にとりかかる。」(62)

「午後1時、ベ平連より「ダンコトビコメ」の入電に、笑えぬ緊張感がただよう。」(62)

「灰色の空、泥沼のような海。港へ近づくと、何隻かの警備艇のむこうに、ベ平連の羽田を立てた小舟が出迎える。私たちは歓喜して、シュプレヒコールで応答。やがて晴海ふ頭には、まちかまえた支援団体の旗や人波が見えはじめ、デッキで私たちはデモを開始する。」(63)



■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20110627
沖縄 社会運動/社会運動史  ◇「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) 「雑誌」
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