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「阪神障害者解放センター」設立趣意書・他

阪神障害者解放センター

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※1989.01 ただし以下の書類には年月日記されていません。このことについては本頁下をご覧ください。

■「阪神障害者解放センター」設立趣意書
                 日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会
                 兵庫青い芝の会 会長 沢田 隆司

 私たち青い芝の会は16年間兵庫の地において障害者の自立と解放運動を続けてきました。今では兵庫県内に自立障害者を15名生み出しています。特に活動の重点は在宅訪問を重ね、障害者の掘り起こし、また、優生思想との闘いを続けて障害者の生存権確立を求める闘いを続けてきました。
 今現在、私たち兵庫県内の障害者の組織を結集させる取り組みとして「みんなでハッピーキャンプ」を呼びかけ、今年で5回目を迎えようとしています。参加者も500名を越える日本で初めての人数となっております。また障害者の介護運動を目的としつつ組織との交流の場として意見交流会を作り、月1回をもっています。
 私たちはこのように兵庫県内の障害者の結集を勝ち取るとりくみを行って参りましたが、まだまだ不十分なところがあり、親子心中や子殺しの事件など起こっています。また、悲惨な事件として、4月29日の兵庫県御津町で御津中学2年の障害児が教室で灯油をかぶり焼身自殺を行った事件があり、私たちの身には驚きと私たちの力の無さがひしひしと感じた事件でした。私たちは先ほど述べた様な障害児・者殺しの事件をこれ以上起こさせない運動をしなければならないと思い、このほど阪神地区を中心に情報と障害者の相談業務を行うところとして、阪神障害者解放センターを設立することになりました。また、そのセンターの中に障害者の自立解放研究所を設け、脳性マヒ者とあらゆる障害者の自立を目指す研究所を開設、同時にいたすことになりました。
 あらゆる運動団体のかたに支援と協力をお願いしたいと思います。
 また、兵庫県内で障害者解放運動が厳しい状況に置かれています。現在、私たちの運動をより広く深く私たちは考える場として作っていきたいと思っておりますので、カンパ等の支援を宜しくお願いします。
以上


■要請文
                   日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会
兵庫青い芝の会 会長 沢田隆司

 私たち兵庫青い芝の会としてこのほど阪神地区で阪神障害者解放センターを9月に作ることになり、多くの皆さんに支援と協力を願いたいと思い要請文を出すことになりました。私たちは16年の活動として行政交渉や地域の障害者の掘り起こしをメインの活動として行って参りましたが、近年障害者の意識の不十分さか、障害者の運動を行う障害者が掘り起こせないままに現在に至っております。私たちの運動の力不足、また、青い芝としての強烈な告発運動を理解できていないためだと思い、このほど私たちは阪神地区に解放センターとあらゆる相談を受ける場として研究所を設けて、広く脳性マヒ者以外の障害者の自立をも考える場として、また即座に対応できる場としてこの秋に作ることにしたのです。
 すべての皆さんの積極的な活用と絶大なるカンパ等の協力をお願いします。
                                    以上


■要請文
                   阪神障害者解放センター代表 奥田猛二郎

 私たちは阪神障害者解放センター内に"筋等雲"という主に自然食品を扱う店をつくることになりました。この店は障害者の社会性を身につける場と私たちは考えています。また障害者の働く場が不足している中、私たちは障害者の職種を広げるためにも是非とも様々な障害者に呼びかけ、可能性を追求していき、仲間づくりを重点におき活動をしていくつもりです。また、障害者解放運動と消費者運動の接点を生みだし、より多くの人たちに良い品物を提供していきたいと思っています。
 この店づくりの費用が不足しています。多くのみなさんの支援と協力をお願いします。
                                    以上


※定藤さんより
 メールをいただきありがとうございました。
 年月日がいつも悩ましいところです。
 『沢田隆司自立生活30周年記念」文集の沢田さんの年表(P30)では、「阪神障害者解放センター」設立が1989年1月となっていたので、それを参考にしたのですが、今、福永年久自立生活30周年記念文集『わが人生 自立の道』の年表のP3をみると1988年になっていました。
 インターネットでみると、@「 阪神障害者解放センター」広報室では、1989年1月に、 A障問連の代表あいさつの福永さんの履歴では1988年になっていました。
 そこで、前に整理させていただいた阪神障害者解放センターの資料で以下確認してみました。
 『障害者解放センターニュース』が1988年10月13日(No.0)から発行されており、「センター設立に向けて歩き始める……差別と闘っていくための場が必要である。」とあり、第1回センター設立実行委員会運営会議が9月30日に福永さん宅で開かれたとの記述がありました。西宮市にセンター設立を要求し、「行政は『我々が援助できる 形にしてくれれば、援助する』という回答を引き出しました。4月からの予算に計上するとのこと、今後交渉は継続していく。来年早々1月から一軒家をかりそこをセンターとする」との記述がありました。また、阪神障害者解放センター設立趣意書も記載されています。
 『障害者解放センターニュース』No.1(1988年11月13日)では、第2回運営会議(11月5日)に開かれ、「場の確保として、行政(西宮市)に対し障害者自身が差別と闘い共に生きる会へと変革するための場の必要性を今後交渉と運動により認めさせる事を課題としつつ、今行政のいう−「我々が援助できる形」という制限−具体的には作業所−の中で援助を要求していく。現在書類作成中。」「1月から一軒家を西宮市内にかり、本格的なスタートとする」との記述がありました。
 『障害者解放センターニュース』No.2(1988年12月19日)では、第3回解放センター運営会議が開かれ、「12月1日に自然食品店キートン・オープン」の記述と「解放センターの運営について……1月から本格的に出発するセンターの構想をより具体化するために話し合われた……2月26日−資金集めのためのバザーを予定、2月12日−解放センター出発記念講演集会を予定」の記述がありました。また「2月12日、障害者解放センターオープン記念講演集会、講演横田弘さん梅谷明子さん」のお知らせがありました。
 以上の障害者解放センターニュースから想像して、1989年1月にセンターがオープンされたのではないかと思います。[…]

定藤邦子

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From: "立岩 真也"
Sent: Tuesday, February 21, 2017 6:41 PM
To: "定藤"
Subject: Re: 資料のこと(定藤)

> 定藤様
>
> ありがとうございます。
> HTMLファイルにしています。
> で、ファイル名からだと
> 1989年1月ですが
> HPみるとこのセンター
> 88年に設立されたと書いてあるものと
> 89年にというものがありまして
> どうみたらよいものかと。
>
> 立岩