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「ドイツでの1987年の会議でのある発言」

発言者は Lebenshilfe の親側の理事の人 198707**=19971002 市野川 容孝

last update:20130718


□ドイツでの1987年の会議でのある発言
 発言者は Lebenshilfe の親側の理事の人。

 「私は二人の娘の父親です。一人は19歳で、これといった障害はありません。もう一人は15歳でダウン症です。私の妻はアルスタードルフの施設で、知的障害者のグループ・ホームの主任をやっています。私自身も、知的障害者のための学校で教師をしており、知的障害の分野で仕事をしていると言えるでしょう。
 「この会議にやってきて、私は自分に割り当てられた「避妊」というテーマで、ずいぶんと気が滅入りました。一見すると、子どもを産んではならないということがすでに前提になっており、問題はどうやって子どもを産ませないようにするかであるかのような印象をもったからです。しかし、この会議では、嬉しいことに、障害者も子どもをもつ権利をもっていると何人もの方々がはっきりとおっしゃってくれました。ドゥルナー氏は、理論的な見地から、このことを論じてくれました。 私自身も、障害者には勿論、子どもをもつ権利があると思っています。しかし、まさにこの点で、私は父親として非常に複雑で矛盾した気持ちになるのです。私の娘が、自ら望んで子どもをもつという事態を、私は受け入れることができます。そして、娘はその子どもを最初の何ヵ月かは有意義に世話することができるし、深い愛情とあたたかさをもって世話もできると思います。娘がそそぐ愛情は、健常者の親よりも深いかもしれません。一人あるいは何人かの援助者から支援を受け続けながら、意味ある共同生活をおくっていけるだろうとも思います。
 「しかしながら、それは目下のところ夢であるにすぎません。現実に目を向ければ、社会がもつ規範、期待、そして偏見というものが目に入ってきます。私は、自分の理想とするところにしたがって、自分の娘を生活させ、娘をそういう生の可能性[=ダウン症でもこどもを産み、親となること]の一つの模範として差し出すこともできるのかもしれません。彼女が、そういう生活を送ることで、どんな不利益を被ろうとも、娘を一つの模範として提示すべきなのかもしれません。しかし、私は自分の娘を、彼女が受けるであろう様々な不利益を代償として、体制変革の道具に使おうとは思いません。
 「だから私は、自分の娘に、自分には子どもは望ましくないのだと言い聞かせようと思っています。」

T.Neuer-Miebach/H.Krebs(Hg.)
Schwangerschaftsverhuetung bei Menschen mit geistiger Behinderung:
notwendig, moeglich, erlaubt ?
(Refarate und Diskussionsergebnisse der Fachtagung im Juli 1987 in
Marbung/Lahn.) S.187-8.

市野川容孝氏訳,1997/10/02着



*更新:小川 浩史
REV: 20130718
ダウン症 Down's Syndrome  ◇全文掲載
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