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大阪拘置所による鈴木君虐殺糾弾国賠訴訟の全記録
虐殺糾弾!

1982/02/16 鈴木君虐殺糾弾闘争実行委員会

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last update: 20170320


鈴木国男君の経歴
一九四二年 広島県呉市に生まれる。中学卒業後、呉造船に就職して定時制呉三津田高校に通う。
一九五八年 16才。人々のいがみあい、呪いあい、憎しみあうのは「愛と誠実が欠如しているからである。愛と誠実を実践せよ!」と仲間に説く。理解されず精神病院に入れられる。当時のノートには「長尾院長は僕を救ってくれるサンタのおじさんではなく、サタンのおじさんであった」と記されている。
一九六三年 広島大学政経学部入学。日雇仕事をするかたわら理論武装。広島大生協創立に参加。民青中国派を経て、革命的ヒューマニスト同盟結成。
一九六八年 友人と山谷に入る。プロレタリア解放同盟結成。山谷解放委員会に関係。山谷自立合同労組結成。
一九六九年 路線上の混迷と対立からプロ解同崩壊。この時、彼は「僕がこんなに頑張ったのに、なぜ皆がついてこないのだろう」と嘆息したが、「他者に厳し過ぎて、愛が欠如していた」と自己批判。
一九七〇年 東京における暴行傷害容疑で指名手配され、大阪西成地区にひそんで活動。その後、西成の活動家Nさんと結ばれる。
一九七二年 大阪港で作業中、かつて侵略戦争に参加した父について謝罪しようとインドネシア船員の所へ話し合いに行き拒否されてケンカとなり殴られる。水上警察に逮捕され東京に移送される。東拘に在監中、医師の意見書により、鑑定の結果、陽和病院に措置入院。入院中も狂気の復権のために闘う。
一九七四年 釜ヶ崎に帰って鈴木君は、釜ヶ崎の活動家の子供を殴ったことから、「キチガイ」として切り捨てられ、釜ヶ崎追放宣言を受ける。
 第一回全国患者集会に積極的に参加し、「やられ続けるのはもうたくさんだ!そもそも狂人とは最後まで人間だろうとした人々のことではなかったのか!」「狂人よ、刃物をとれ!刃物をとってやりかえすのだ!」と叫んだ。その後一貫して患者会にかかわる。彼は、権力の手先となって保安処分に手をかしている医者に権威を与える学会に対して問題を提起した。また、患者会の毎週の定例会、学習会、代表者会議、全国準備会に欠かさず出席し、仲間との団結をめざして活動を続けた。
一九七五年 一月。七山病院保護室から退院。病者集団大阪分会のメンバーと共に事務局に共同生活。暮、希望の会運営会議に参加。このころ西大阪ゴルフセンターで働いていた。
一九七六年 二月一日。N君刺傷事件を起こし逮捕される。大拘移監後直ちに保護房に収容される。友人の面会要求、医療接見要求を当局は拒否。差別的抑圧の中で次第に病状悪化。そのまま放置されて約2週間を厳寒の保護房にて経過。
 二月一六日。保護房にて凍死。同日たまたま友人の知らせで拘留されていることを知り広島から面会にかけつけた母堂は、思いもかけぬ死亡をきかされた。そして虐殺の証拠の隠滅を図ろうとする権力の策謀をうちやぶって遺体をひきとった多くの仲間、同志は強い怒りと悲しみと共に火葬にふした。

もくじ
T 今までの闘いを振りかえって         ・・・・・・・・・4
  鈴木国男君虐殺一周年集会に向けて
           全国「精神病」者集団   ・・・・・・・・・7
U 公 判 報 告
  @ 橋 本 証 言             ・・・・・・・・・10
  A 木 村 証 言             ・・・・・・・・・12
  B 臼 井 証 言             ・・・・・・・・・17
  C 川 合 証 言             ・・・・・・・・・25
  D 原告本人・鈴木花子証言         ・・・・・・・・・32
  E 城 証 言               ・・・・・・・・・34
  F 保護房現場検証             ・・・・・・・・・41
V 裁判闘争の現局面  弁護士 桜 井 健 雄 ・・・・・・・・・45
W 結審をむかえて
  @ 拘置所をうらむ  鈴木 花子      ・・・・・・・・・46
  A 保護房検証を終えて  鈴木 花子    ・・・・・・・・・47
  B 追 悼 文  全国「精神病」者集団   ・・・・・・・・・47
  C 遺  稿                ・・・・・・・・・50
X 資 料
  @ 訴    状              ・・・・・・・・・51
  A 原告第1回準備書面           ・・・・・・・・・56
  B 木村・渡辺意見書、           ・・・・・・・・・61
      付・保護房動静視察表の分析
  C 四 方 鑑 定(1)(2)       ・・・・・・・・・84
  D 助 川 鑑 定             ・・・・・・・・・87
  E 保護房使用細則             ・・・・・・・・・90
  F 原告最終準備書面            ・・・・・・・・・91
  G 被告最終準備書面            ・・・・・・・・・107
  H 原告追加準備書面            ・・・・・・・・・123
Y 編 集 後 記               ・・・・・・・・・132

今までの闘いを振りかえって
 鈴木君の虐殺は、私達に重大な教訓をもたらそうとしている。まず第一に、権力の保安処分攻撃の本質的な内容を私達に示した事、第二に、監獄が人民の中でどのような位置を持ち、いかに機能したかを示した。
 私達はこの六年間以上にわたる闘いの中で、やっと事態を客観的に見る事が可能な地平に立ちつつある。
 私達は、鈴木君の魂を今こそ、ここに呼びかえし、その内奥の討論と交歓をかちとらねばならない。
 鈴木君の死は、各々の友人に対して、様々な波紋を投げかけ、失った友人とのかえらざる共同性を、まだかちとる事のできなかった貴重な共同性の意味を、今深く内省しつつ、とらえ返す事を全ての友人、仲間達に突きつけている。

鈴木君の生命と彼をとりまいていた情況
 彼は一九四二年呉市に生まれ、広島で育った。幼くして父を失った彼は、夜間高校で勉強しつつ、働き、大学も二部のある広島大学に入学した。彼はこの広島大学で生協運動の基礎を築き卒業後は、寄せ場に働く日雇いの労働者になった。
 山谷、釜ヶ崎で働く仲間達と寄せ場労働者の生命と生活を守る闘いを行った。
 彼は十六才の「発病」―入院以来、精神医療の矛盾、人権侵害、そして権力と一体となった現行精神衛生法体制に対して怒りを育て一九七四年第一回全国「精神障害者」患者集会に参加し、「精神障害者」差別に対する同胞の闘いに参加して行った。
 同時に、寄せ場―特に釜ヶ崎で労働者とともに、権力の弾圧をはねのけ、暴力手配師に対して戦闘的に闘った。
 しかし、「S支闘」の仲間によく見られるように、闘う仲間達の中にあっても、「精神障害者」差別と「病」の苦しみ、生活苦、孤絶感そして、闘いの方向全体をいかにすえるのかという苦闘それら全体の重みを充分に理解し合える友人は数限られていた。
 「病」あるいは「症状」を無視した対応や「精神障害者」差別を無自覚に行い、排除して行ったともに闘うべき仲間達。このような中で、彼は「精神病」者集団の中に、光輝く共同性を見出そうとしていた。しかし、当時の大阪の「精神障害者」解放の闘いは未熟なものであって、彼をはじめとした、差別に怒りをもち、悪質な精神医療に対する怒りに燃えた「精神障害者」を受け入れてともに進む事は力にあまるものであったのではないだろうか。
 又、彼を唯一受け入れ共に闘おうとした全国「精神病」者集団大阪(府)分会は地域患者会の政治共闘という形態の中に、行き場のない「精神障害者」の共同生活をかかえるという困難な問題をかかえていた。大阪分会を構成する各地域患者会、病院患者会は、それぞれの個別の発展の中で、会、個人レベルで、それぞれの「精神障害」観、「精神医療」観、解放をめぐる運動論など志向性を異にしていた。
 このある意味では共通の、ある意味ではバラバラの存在が全国「精神病」者集団事務局の共同生活の中で政治闘争まで含めて展望する事がどのように可能であったのかは今後の論を持つにしても非常に無理なあるいは不可能に近い事であったのではないか。
 私達はこのような中で、病状に対する対応をめぐって、悪質な医療を受けた鈴木さんと他のメンバーの意見の対立の中でしかも共同生活―二十四時間の中で劇的な対立にまでにつまり感情的なきっかけを持って2・1事件が起こったのであるという冷厳な事実を直視しなければならない。
(2・1事件は「精神障害者」の同志討ちともいうべき事件で、大阪の事務局の中で、病態もからんだ傷害事件であり、鈴木君が「被疑者」として浪速署に逮捕された件です。)
 私達は今後も2・1事件から2・16に鈴木君が虐殺される経過の中での矛盾、その意味を2・16以降の運動・闘い・個人の内面でどのような変化がおこり、どのような事が問われているのか共同でさらに深めなければならない。

鈴木君虐殺糾弾闘争の経過と歴史
 二月十六日鈴木君が虐殺され、すぐさま全国「精神病」者集団のメンバー及び、関西救援連絡センターを中心として大阪拘置所、及び、精神科医、臼井節哉に対する調査活動と、証拠差し押さえの行動がとられた。
 私達は、おどろきと悲しみに押しつぶされそうになりながらも、鈴木君の虐殺を断固糾弾するのだという決意を固めつつ、六月十三日追悼集会を行い、七月二八日講演集会を行った。さらに大拘嘱託医(精神科)臼井に対する大阪医大ビラ入れ、小曽根病院へのビラ、ステッカーの闘争を行った。
 一九七七年二月十六日鈴木実行委(一日実行委)主催の闘いを行い、大拘実力糾弾、デモ、門前集会、ビラ情宣、集中面会を行った。
 そして大拘に対しては毎年二月十六日には必ず糾弾の闘いをとり組んできた。
 一九七七年、運動の力の不充分によって国賠時効切れ寸前で、国家賠償請求訴訟を提訴した。
 鈴木君虐殺糾弾闘争は、この段階から国賠訴訟と、2・16当日の闘いを中心として展開されるようになった。

 鈴木君が虐殺された直後、一九七六年三月、法制審議会は法務省に監獄法改「正」の骨子なるものを出し、これを契機に各拘置所では死刑囚の面会制限、発信制限等、獄中弾圧が強化され、一九七七年三月十一日「精神障害者」差別による「死刑囚」赤堀政夫さんの第四次再審請求棄却が行われ、狭山、9・30抗告棄却が行われ全国七ヵ所にわたる「刑法改『正』について意見を聞く会」(秘密公聴会)=刑法改「正」―保安処分新設に向けた攻撃が強化されました。
 一九七九年は、「養護学校義務化」の攻撃が行われ「障害者」、「獄中者」、総じて被差別者に対する大弾圧が、闘争破壊を目的として、意識的にかけられて来ました。
 私達は、大阪拘置所で、一九七六年、二月十六日、この日に鈴木君が殺された事は、「精神障害者」差別にもとずく、虐殺であると位置付け、獄中での保安処分の先取り攻撃である事を押さえ、又、「精神障害者」解放の闘いの団結を切りくずし、闘う全ての仲間達との結合をはばむ攻撃として、意識的にかけられており又、今後さらに巧妙かつ強力に押し進められて行くであろう、運動と他の運動を対立させ、又個人個人にバラバラに分断して行く攻撃であるという事を再度事実に照らしてとらえかえす必要があると考えます。
―分断される事―
 「保安処分攻撃」とか「差別分断支配」という言葉が闘う仲間の中でも、意外に無自覚に語られる現在、「××さんを入院させれば保安処分である。」とか、「〜差別をしたから彼は差別者である。」従って、「共闘できない。」などという形で「精神障害者」差別、その他の差別に敏感な者も、大同団結して闘えない状況を自ら作ってしまったり、個人主義や、利己主義に陥ってグループ同志を対立させ、個々人をバラバラにして対抗させようとする権力の攻撃―これこそ、保安処分の攻撃の本質であるのだが―に無防備であってはならない。
 鈴木君が権力の手によって虐殺された結果として鈴木君の救援が主体的にできなかった部分と、取り組んだがしかし、救援し切れなかった部分とのキレツが、今も存在しているし、当時、医療従事者及び、家族を中心とした「精神障害者」差別と闘う部分も分散化と混迷を余儀なくされている。
 又、全国「精神病」者集団の熱気あふれる団結も充分な拡がりを待ち切れずにある。
 鈴木君の死がもたらした、精神的打撃と運動的後退は、はかりしれないものがある。

鈴木君虐殺糾弾闘争の現在的位置
 現在、政府・法務省は、私達の刑法改「正」保安処分新設阻止の闘いの昂揚の力を前にして、国会上程を断念しながらも、監獄法改悪、留置施設法新設の攻撃を一層強化して来ている。
 又、一九八一年春の健康保険制度改悪の攻撃の中で、病院経営全体が困難となり、従来牧畜業と言われていた精神医療の分野にもこの状況が浸透し、経営に見合わない「医療」の切り捨て、保安処分と同質の、入院患者さらには医療従事者に対しても抑圧管理の強化が具体的に進行してきている。
 鈴木君虐殺糾弾の闘いは、「精神障害者」、「獄中者」、寄せ場労働者、救援運動家、障害者解放を闘う仲間達の共通の課題として同時に、「精神障害者」差別糾弾の立場を鮮明にしつつ発展してきている。
 刑法改「正」―保安処分新設反対の闘い、監獄法改悪、留置施設法新設粉砕の闘いの旗印としての鈴木君虐殺糾弾闘争は、ますますその意義を深めている。

鈴木君の死をこえるために
 現在、鈴木国賠裁判も結審をむかえ、この闘いの持つ意味を闘う多くの仲間達の共同のものとなければならない段階に突入している。
 鈴木君の死が私達に突きつけているものは@2・1〜2・16の経過の中でぶちあたった諸困難を突破し、彼の生命を守るという救援対策の基本を貫き得なかった限界の克服。A2・1事件へと向かう鈴木君の暴力性を組織的かつ計画的に正しく方向付ける事ができなかった当時の「精神障害者」解放運動と、その支援―協力体制の問題の総括である。B同時に闘う労働者内部での、「精神障害者」差別に対する無自覚という状況の下の、差別糾弾―自己批判―相互批判―支援―連帯―共闘へと向かう共同性の獲得の問題であり、「精神障害者」にとって差別を受ける事、孤立に追い込まれる事、相互批判を阻まれる事、共闘から排除され、救援を拒否される事が、文字通り死を意味するのだという事実である。
 鈴木君の死は、一方では運動への絶望を生み、一方では活動の閉鎖性を生み、結果として闘いの分断を許し、「精神障害者」解放闘争への支援の後退と協力の拒否、不信、等々、権力の喜ぶ結果をもたらしたという冷厳な事実を見据えなければならない。
 様々な差別の中でバラバラにされている諸個人、団体が、鈴木君の死によってさらに個々に分断された事に対し、悲しみを怒りに変え、大団結し、彼の虐殺の責任を国家権力に対し追及し反撃し抜く事こそ、保安処分攻撃に真っ向から打ち返す事であるという事実を再確認しなければならない。
 つまり、私達が分断されず、仲間を守り切る中でしか権力の意図を打ち破る事はできないのだという思想性を奪いかえす事が今、決定的に問われているのだ。
 具体的には、「精神障害者」への生活支援―介護の実践、そして「精神障害者」への救援運動の確立、そして主体である「精神障害者」解放運動の強化発展であり、当面の課題として、鈴木君虐殺の結果、個に分断された大阪の「精神障害者」、家族、医療従事者の権力への怒りを軸とした分断克服に向けた共同の輪の形成。その中での当時の運動の弱点の克服と教訓を、それぞれが総括し、相互に突き合わせる事を通じて、共同性を奪いかえして行く事が問われている。
 鈴木国男君の死は、「精神障害者」の解放を願う全ての人々の心に重しとしてのしかかっている。そして鈴木君とともに闘い抜き得なかった者の心の片すみに、自らの恥として、腐敗の片われとして鋭く存在し続けている。
 だからこそ、彼の死を口に出して語り合おう。権力の分断の意図を打ち砕き、闘いの刃を鋭ごうではないか。
 団結、団結こそが、そして共同こそが力である。
 なお、精神障害者の「犯罪」については、次の論文を参照して下さい。
 「『精神障害者犯罪者』にとって生きることとは」上田久、「臨床心理学研究」’82 Vo1.19, No.4(P54〜57)

 鈴木国男君虐殺一周年集会に向けて
全国「精神病」者集団
 私たちの仲間、鈴木国男君が権力の密室内で虐殺されてから一年が経過した。
 かつて鈴木君は、不当逮捕され警察官通報による措置入院のため精神病院に連行された際、保護衣を着せられ足をがんじがらめにされ顔に布をかぶせられた状態の中で、つきそった医者、友人たちに「一人の人間がなぜこのようになったのかそれを知ることが・・・・・・」と絶叫しつづけた。鈴木君のこの絶叫は、彼が十六才の時の最初の精神病院強制入院から、昨年の二月大阪拘置所保護房の中で、誰もきくもののいない孤独な闘いの中で、なおも叫びつづけなければならない言葉としてあったことを思うとき、私たちは私たちの戦線の弱体をさめた目で見つめなければならない。
 デカちゃんの個体史をみれば、一九四二年、日本帝国主義侵略戦争の真只中で侵略戦争にカリ出され疲労で死亡した父親をもって生まれて以来、日帝の崩壊―再生―強化の過程の中で体制的諸矛盾の過重を背負わされた存在として生きたことが明白に読みとれるのである。こうした存在であったからこそ、鈴木君は、最初は純朴なヒューマニズムから出発しつつも、理論武装をする中で現実の総体を見ぬき、現実総体を背負わされた(あるいは背負った)存在の解放闘争を闘うところまで成長したのである。 
 デカちゃんは、何度も監獄・精神病院にぶちこまれ続けながら、なお「精神病」者・労働者解放闘争を貫徹していくなかで、ついに「やられつづけるのはもうたくさんだ!!狂人とは最後まで人間たらんとしたものではなかったのか、狂人よ刃物をとれ、刃物をとってやり返すのだ」と叫んだのである。しかしデカちゃんは理解を求めながら、しかし孤立した闘いを強いられ、大拘によってついに殺されたのである。われわれは彼の悲痛な叫び(現実の社会矛盾を背負わされた人間を孤立させるな、犯罪者、狂人に対し切りすて―孤立化―狂気の圧殺の再生産を決してするなという叫び)に今こそ答えるため本集会につぎの点を提起したい。
 第一に、国家権力から私たちにかけられた保安処分攻撃をはねかえす強固な戦線の構築に緊急にとりくむこと。 
 第二に、各戦線が自らの「精神病」者差別を切開する作業に勇気をもって着手すること。そして保安処分思想にまきこまれないだけの思想性をうちかためること。
である。

大拘による鈴木君虐殺を糾弾し、保安処分新設策動を阻止する闘いの中で対保安処分戦線を強固に構築せよ!
 日本帝国主義国家権力は、治安対策の全般的強化の中で、保安処分立法化を早急に達成すべく画策している。これは犯罪の原因を社会体制の中から必然的に生じたものとして把握する正しい視点を圧殺し、もっぱら個人の側に責任を負わせることによって社会的に抹殺しようとするものである。体制矛盾の重みを過度に内包したものを、「危険性」の保持者として保安施設に隔離・収容し、その期間は無制限に更新延期し得るという保安処分草案は、まさに、体制にとつての不都合者を権力の思うままに社会的・精神的・肉体的に殺していくことを合法化するものである。
 すでに現段階において、精神病院では日常的な虐殺と虐待が横行しているし、鈴木君が最後に殺られたように監獄内での虐殺も続いており、実態的保安処分はすでに権力によって実施されている。
 保安処分立法化はこの実体的保安処分をまさに権力の統一意志として全面的に決行するものとしてある。私たちは闘いの中から精神病院、監獄の内外をつらぬく強固な対保安処分戦線をつくりあげる作業に緊急に着手しなければならない。すでに権力は東京都において松沢病院への緊急鑑定集中化を実施している。夜間緊急鑑定は警察官通報により鑑定医一人の判断で鑑定入院させられるものであるが、鑑定のさいの材料は通報者警察によって一方的に与えられることになり、まったく治安警察の思いのままに強制入院を実施できるのである。しかも、こうした緊急鑑定―強制入院を松沢病院に集中し、保安施設としてマンモス化することにより、権力の統一意志を実際上貫徹するところまできているのである。こうした状況下にあって、私たちの戦列の強化と団結の質の強化は、まさに緊急かつ不可欠のこととして要請されているのである。

各戦線は「精神病」者とともに闘う思想性をうちかためよ!
 私たちはデカちゃんの虐殺を敵に許してしまったことの背景に左翼陣営内部の「精神病」者差別があったことを見逃すわけにはいかない。底辺労働者解放闘争をともに闘った仲間からの追放、弁護士接見、医療接見の放棄の中で彼が孤立し、無残に殺されたことを痛恨の思いで直視し、私たちは同じ誤まりをおかさないことを確認しなければならない。国家の防衛策としての司法警察権力の強化は社会防衛の名をかりて市民に支えられつつ、他方、医療をかくれみのにして行われている。「まさか殺されるとは思わなかった」という多数からでた感想は、すでに「市民」と医学とをしたがえ、まきこんだ権力の野望を見ぬけなかったものとして自己批判しなければならないだろう。
 私たちは、危険性の保持者として体制矛盾を内包したものを排除することに決して加担しないこと、被保安処分の危険にさらされている人々を内包する運動を展開することの重要性を確認しなければならない。
 しかしながら現実には、市民社会の防衛としての「キチガイ」排除は、形をかえて組織防衛の名のもとに左翼陣営の中でまかりとおっていることを残念ながら私たちは告発しなければならない。「キチガイ」のレッテルをはり、組織から排除し、彼あるいは彼女の闘いをますます孤立化させていく中で「狂気」とはまりこませていくことを私たちは、これ以上許すことはできない。こうした排外主義が目ざす自由の王国≠ニはいったいどんな世界なのであろうか?
 自由の王国≠ェ実現したとき、われわれ「精神病」者はすでにデカちゃんや他の多くの仲間たちと同様に、殺されてしまっているが故に、もはや自由の王国には「精神病」者はいないということにはならないのか。
 われわれはこのことをあなた方にきっちりふまえてもらいたいと思う。あなた方はわれわれを排除することにより権力の保安処分に加担するか、あるいはわれわれとともに自由の王国を建設し、われわれとともにそこに住むかどちらかしかないのである。
(77年2月)

公判報告 

橋本証言
79年4月24日 第5回公判

拘置所および都島警察署は虐殺の事実を何とか隠蔽しようとした。
証人 橋 本 和 子  32才
鈴木君の友人として

(1)公判の獲得目標
 まず第一に、日帝―大拘当局等は、「精神病」者差別の真只中においてこそ、鈴木君虐殺をおこなったのだということを暴きだし糾弾しきることである。
 第二に、都島署―大拘は、虐殺の事実そのものを闇の中に葬り去ろうとしたことを暴露することである。
 第三に、七九年六月に国側が出してきた「鈴木君は通常の労働能力を有していない」という差別答弁を粉砕することである。

(2)証言の要旨
 鈴木君は、七山病院退院後から当時まで、ゴルフセンターで働いており、ほとんど休まず八〜九万の賃金の中から貯金もして生活していた。
 七六年二月五日、大拘に面会に行くと、受付の看守から、「本人は裸になってあばれている。興奮状態だから会わせられない」と断わられ、不安になって「主治医をこちらで用意する」と申し出たが、「すべての拘置所の判断で決める」と拒否された。「前に入院したことがあるし心配だ」というと、「病歴あり」とつぶやきながら紙に書きこんでいた。
 同じ日、差入れ用紙の鈴木という名をさし示して、看守たちが顔を見合わせ侮辱的に笑ったことで、すごく不安になった。
 二月九日には、どうしても彼に会いたいとねばったところ、『責任者』がでてきて、また「裸になってあばれている云々」というので、「そういう状態であればなおのこと一人で閉じ込めていることがもっともよくない。面会こそ絶対に必要」といったが、「本人はあなたの名前すらわからないでしよう」と決めつけて拒否した。
 二月十二日には、もうロクに対応もせず「あんたばかりにかまっておれん。はい次の人」というぐあいだった。
 それで、お母さんと一緒なら面会できるかもしれないと考え、お母さんと連絡をとって二月十六日に面会にいった。ところが、お母さんとひき離されて、庶務課という室で事情聴取≠フように「身元」をしつこく問われたすえ一時間半も待たされた。そして、やっと所長室で会えたお母さんから「国男が死んだ」と言われ、びっくりすると同時に殺されたと直感し、「何で死んだのか」と追及した。
所長は、とぼけた風に「それが不思議で」というばかり、不安に感じていた医療内容、薬物の投与などたずねるが、「くわしくは都島署で」と一切しゃべらない。さらに八月に出した手紙の返事がこないことを追及すると「鉛筆などとても入れられる状態ではありません」と平然という。
 都島署へいって、医療内容、薬の投与などきくが、またも「死体検案書ができてから」と何も説明しない。いざ検案書が届くと、それを見せることすらせず、すぐ火葬許可証に捺印せよとお母さんにせまり始めた。橋本が「この件は不審な点があるから遺体はこちらでひきとる」というと、うるさいと、無理矢理部屋の外に出されてしまった。しばらくして到着した弁護士等支援者と共に火葬許可証を取り戻し、お母さんと一緒に帰ろうとすると、二〇人程の署員が玄関に出てきて、お母さんの両脇をかかえて車の方へつれていこうとした。
 都島署の対応は、ひたすら遺体の早急な火葬をはかる一心のようで、よけいに彼の死への疑惑を濃くした。やっと遺体をひきとることができたのは夜中であったが、彼の遺体には方々に傷が残っていた。
 彼は、精神病だということで、面会も手紙をだすことも拒否されたし、彼が必要としていた医療も奪われた。拘置所はこちらのいうことに全く耳を傾けようとしなかった。こちらの要求にこたえていれば、少なくともこういう悲惨な結果は避けられたと思う。ほんとうに精神病であるということで全ての抑圧が正当化されるという差別の中で彼は殺されていったのだと思う。こうしたことは、決してくりかえさせてはならない。
 以上の証言に対する国側の反対尋問は、
 「精神分裂症というのはやせる病気であるから七山病院入院時もやせていただろ」
 「七山病院に面会にいっても、鈴木君はあなたがわからなかったのじゃないか」
という姑息なものであった。彼はむしろふとっていたし、ふつう入院するとふとること、彼は面会時相手がわかったしいろんな話もしたという事実を証言した。

(3)証言の成果
 第一に、日帝―大拘当局の、全く不当かつ差別的な面会拒否、主治医接見拒否などの弾圧の事実を明らかにし、すさまじい「精神病」者差別の中でこそ、鈴木君虐殺がおこなわれたことを暴露した。
面会要求は、二月三日から十五日までの間三回に渡っておこなわれたが、そのつど大拘当局は執拗に「彼は興奮状態だから・・・・・・。裸になってあばれているから・・・・・・。便器に顔をつけたりしているから・・・・・・・。狂っているから・・・・・・。」とくりかえした。まるで、そういえば、面会をはじめとする獄中者の限られた諸「権利」を奪う理由としてことたりるかのように。「病気であればなおのこと面会も主治医による治療も必要だ」という抗議も封殺して。
 まさに、日帝―大拘は、彼が「病者」であることを理由に、思うがままに隔離を徹底させ、嘱託医臼井による差別的強制医療を道具として彼を虐殺していったのだ。
 第二に証言は、遺体の即日火葬をしゃにむにさせて、虐殺の事実を闇から闇に葬り去ろうとした大拘―都島署の破産したもくろみを明るみにだした。二月十六日、「なぜ死んだ?!」という追及に、かんじんなことには一切口をつぐみながら、「不思議だ」と首をかしげとぼけてみせる大拘所長。そして屍体検案書をみせることさえせず、お母さんを一人ひきはなして、火葬許可証への捺印を力づくでせまった都島署。
 第三に、「鈴木君には通常の労働能力はない」という差別的答弁を、ゴルフセンターで働き生活していた事実をつきつけて、打ち砕いた。彼が働かずして一体誰が彼の生活を保障してくれたというのだろう。「精神病」者は病気をおして、全く差別的な資本のもとで働かざるを得ないのが現状ではないのか。鈴木君もまた、七山病院退院後、症状をかかえたまま、職さがしに難渋せざるを得なかった。
 「障害者」を生産現場から排除し、あるいはその労働を筆舌に尽しがたい困難な条件のもとにおくというのが、「障害者」をめぐる日常的状況である。差別答弁は、その上更に、障害者は労働能力がなく国家―資本に役立たないから殺されても文句はいえない≠ニする徹底した優生思想=「障害者」抹殺思想を表現している。この公判においては、不充分ながらも、これに事実をもって反撃を加えたのだ。

木村証言
80年8月14日 第6回公判

主治医の立場から、嘱託医臼井のデタラメなやり方を批判し、拘置所の「病者」差別を暴露した。
証人  木 村 政 紘  40才
 精神科医。鈴木国男氏の主治医。七山病院勤務。八一年十月病院より解雇通告と受け、解雇撤回闘争を闘っている。身分保全の仮処分において勝利。治安的管理強化か開放化かをめぐり経営者と対立。

(1)証言の目的
 木村医師は、鈴木君と約六年間もつきあってきた主治医であり、主治医の立場から、鈴木君の病気について又治療にあたって必要なことを述べた。そして検事・大阪拘置所・精神科医臼井がやったことがいかに非人間的であり、「精神障害者」差別にみちたものであったのか、その結果凍死という形でいかに残酷に殺されたかを動静視察表の分析を通し明らかにしようとした。
 動静視察表は、鈴木君が保護房に入れられた二月三日から二月十六日虐殺されるまで、看守が三〇分おきに観察記録したものであり鈴木君が虐殺されていく様子が克明に記録されている。その内容は鈴木君の死がたまたま過失によってもたらされたというようなものでなく、徹底した「精神障害者」差別に基づく、虐殺であることを明らかにしていくものであった。

(2)証言
東京拘置所では、意見書により、治療のため釈放
(原告代理人)
▼一九七二年一月逮捕され東京拘置所に拘置されたときのこと。
 東拘で面会したときは、幻覚・妄想が非常に激しくて錯乱状態に近い状態でした。
 鈴木君が非定型精神病であり、このまま勾留が続けば非常に病状が悪化する。そのことが彼の将来にとって非常に悪い影響を及ぼすのですぐ治療のできる状況へ移す必要がある。私が主治医であり、精神科的治療は主治医との信頼関係が非常に大事であり、私の病院での治療が望ましいという意見書を出しました。
 結果として鑑定がなされて陽和病院に入院となりました。
 陽和病院に面会に行った時も錯乱状態でしたが、私のことは分り、面会にきたことを喜こんでいました。持っていったみかんは沢山食べていました。
一ヶ月か一ヶ月半位入院し、退院して大阪に戻ってきました。
▼七山病院入院のときのこと。
 七四年十二月半ば頃から七五年一月半ば頃まで約一ヶ月入院しました。
 退院してからは生活を安定させるため、ゴルフ練習場で働いていました。
▼七六年二月逮捕されて大阪拘置所に拘留されたときのこと。
 橋本さんの話では、病状は悪くなっているようだが、友人の面会も、主治医の面会も禁止されているということでした。

臼井の診断はあやまり
鈴木さんの病名について。
 非定型精神病です。彼の性格はきつちりしていて、几帳面で、人づきあいもよく、病気が悪くなると、幻覚・妄想が激しくなり錯乱状態から意識障害がでるところまでいきますが、短期間で良くなり、よくなると病気のあとはほとんど残さないという形をとっています。これは非定型精神病といわれる病気の特徴と同じです。
▼臼井氏の診断について。
 臼井氏は精神分裂病という診断をしていますが、一断面だけ診ては分らないので、どういう経過をとってきている病気なのかということをもっとみて診察すべきだったと思います。また、カルテをみると、デリリウムないし、アメンチアと書いてありますが、意識障害は分裂病の場合まずないというのが定説です。意識障害があると考えるのなら、その意識障害がなにからきているのかをきちんと考えないといけません。

病院へ移すべきであった
▼精神障害の場合の拘置所での拘禁はどういう影響を与えるのでしょうか。
 精神障害の場合、心因的な要素、環境的要素は、病気の再発、あるいは悪化といいうことにものすごく影響を与えるものです。とくに孤立したなかで、誰とも信頼できる話し相手がいないというなかではますます混乱していき、混乱していくなかでさらに病状が悪化していくということが考えられます。そういう意味では、今回のように友人・主治医との面会も禁止され、孤立した拘置所の保護房というのは、もっとも悪い状況だと思います。
▼そうすると一般的にそういう治療できる病院へ移した方がよいというのは、精神科をやったものなら当りまえだということですか。
そうです。

自己防衛機能が減弱していた
▼非定型精神病の場合自己防衛機能はどういう症状をとりますか。
 幻覚・妄想が強い場合には、幻覚・妄想の内容がその人の精神の中に重要な位置をしめますから、幻覚・妄想に基づいた行動をとり、不安や焦躁も強くなると食べたり、眠ったり、休んだりということも防げられ、どんどん消耗していくことがあります。それ以上に危険なのは、意識障害があると、意識的に自己を防衛するという現状認識ができなくなり、非常に危険な状態になります。
▼非定型性精神病の治療として大切なのはどういう方法でしょうか。
 ほかの精神病でもそうですが、まずその人との信頼関係をつくるということが大切です。そのため、積極的に話していき、彼の悩みをきき、何に困っているか、いま何を必要としているのかということなどをきき、その解決を共にやっていく関係を作ることが前提となってきます。そして同時に、眠れないとかいらだちとか、強い不安などに対して向精神薬を使っていくことも必要です。

動静視察表について(X資料B意見書P61参照)
▼食事について。
 彼の経過をみると栄養状態が非常に悪くなっています。そこで食事についてきちんと点検しておく必要があります。 
 三七食中確実に食事したのが分っているのは部分的に食べたというのを含めて九食だけです。
▼睡眠と安静について。
 彼が衰弱していく上で睡眠と安静が重要な影響があるのでこういう項目を作りました。
▼着衣について。
 動静視察表をみると、裸であるという記載が非常に多い。寒い時期裸でいると、直接体温をどんどん奪われものすごいエネルギーの消耗があるわけです。それが衰弱に対する大きい要因の一つになっていると考え着衣という項目を作りました。
▼換気について。
 室内温度は、内にいる人の体温により少し上りますが、換気されますと冷え外気温に近くなります。七六年二月は寒く、換気の影響が強いと考えこの項目を作りました。
▼鈴木さんが死に至る経過について三つの時期に区分していますが、その区分した理由なり根拠は。
 全体を通してみますと精神症状が非常に活発で、よく動いている時期。そういう時期から次に精神症状はあるが体の動きがそれに伴わない、体が疲れてしまって動きが弱まっている時期と、最後は完全に衰弱が生命的にも非常に危険な時期とがみられます。それをT期・U期・V期と区分けをやりました。

第T期について
▼T期について「精神症状活発であるけれど身体的にはまだ余裕があった時期」と書いてありますが、この時の食事の特徴は。
 この頃は時々食べています。六日に一回食べたあとは、配食と書いてあるだけで食べたという記載はありません。この時期は意識的に食べなかったのではないかと思います。
▼そういうときには、病院ではどういうことをされますか。
 なぜ食べないかをきくわけです。一般的にいって食事をしない場合、抗議の意味で食べないとか妄想があって毒が入っているから食べないとか、まずいから食べない、胃が悪いから食べないとかいろいろ理由があるわけです。それをきちんときいて、抗議の意味で食べないのならどういう抗議なのか、あるいは毒が入っていると思っているのなら安心できる状況にするとか、好きな物をきいて出すとかいろいろします。
▼睡眠についての特徴。
 この時期はほとんど眠っていません。
▼着衣について。
 初めは上半身裸というのがあるが、だんだんと全裸となりそれがずっと続いています。
 T期は、身体的にはまだ元気だったわけですが食事を食べない、睡眠もしない、服も着ないで全裸ということで、厳寒の二月にこれでは、どんどん体が衰弱していったと思います。

第U期について
▼第二期と分類された七日から十二日について。
 精神状態としてはより悪くなり、いろいろな病的体験も激しくなり、さらに意識障害にまでいっている状態だと思います。
一方、体の方はどんどん疲れていき、精神症状に伴うような動きもできなくなっていっている状態です。
▼この時期の食事について。
 一日一回くらいは食べるようになっています。強い拒食という形での食べない時期はすぎていると思います。腹が減ったため一日一回位は食べるが精神症状は強く、又安心できる状況ではないため、なお食べないのではないかと思います。
▼睡眠について。
 初めの七日から九日というのは全く眠っていないのですが、その後一時間半とか一時間ぐらいちょっとうとうととするようになっています。睡眠というより、倒れこむという感じですね。一日それでも一時間ちょっと二時間もありません。 
▼身体的な状況について特徴は。
 一〇日ごろには「壁にもたれてようやく立っている」とか記されており、非常に疲れて、夜になると体のふらつきをやっと支えているという記録が増えています。第T期のときのような壁をたたいたり、けったりというような元気のある積極的行動はみられなくなっています。
▼九日に拘置所の中田医師が診て「至急精神科医の診察が必要」と書いておられますが。
 当然のことと思います。なぜすぐ精神科医の診察をし、病院に移さなかったのか疑問に思います。

第V期について
▼十三日から十六日までの時期は一口にいってどういう状況でしょうか。
 この時期は衰弱が進んでもう命も危ないということです。動静視察表の中にある言葉としては、「ふらふらしている」とか「よろよろしている」という記載が非常に多く、「動きににぶさが感じられる」「しゃがみこんだままずっと動かない」とか書いてあります。特に十五日というのは末期の状態です。
▼食事の状況は。
 ずっと食べていません。
それはなぜでしょう。
 意識障害が進んで意識的に食べるということができない時期だと思います。
▼睡眠については。
 一日に一時間とか三〇分とか倒れこんでいるという感じで睡眠という形ではとれていません。
▼身体特徴は。
 じっと座りこんだまま動かないことが多く、立ってもふらふら、よろよろしており誰がみても危ないと思う状態だと思います。
▼向精神薬の注射をされていますが、その影響は。
 注射の影響は非常に強いと思います。こういうように栄養状態が悪くなり、衰弱が進むと、同じ薬でもふつうの量では効きすぎるということがあります。向精神薬を注射する場合には、このような状態では非常に注意が必要です。

末期におけるコントミンの注射
▼十五日の状態について。
 動静視察表をみると、朝はしゃがみこんでいることが多いという状態から、「ねころんでいる」或は「はいずりまわっている」などと書いてあり、一五時ごろには「しゃがみこんでうずくまるような状態でちょっと時々動いている」一八時の注射のあと「くの字に曲げている」二〇時三〇分には「うつぶせに両手をついて頭を振っている」、二三時には「視察口の真下に頭をおいて右横臥の姿勢でぼんやりと横たえている」その後そのままの姿勢で死んでいくことが書いてあります。
▼一八時にコントミンの注射をしているのですがその時体温の低下などわかりませんでしょうか。
 おそらくこの様な状態ですと、これまでにもコントミンの注射がしてあるので体温はかなり低下していると思います。特に皮ふ温は早く下りますから、触れたらひやっとする感じを受けると思います。
▼向精神薬を使う場合どういう点に留意する必要がありますか。
 向精神薬というのは、副作用というかそのものの作用が、自律神経遮断作用があります。身体的には、血圧を下げたり、体温を下げたりという作用があります。又いろいろの錐体街路症状が出ます。それらに常に気をつけて使っていくことが大切だということが医師の常識です。
▼病院では、鈴木さんの十五日のような状態をみて放置しておくということはありますか。
 病院でなくても、家庭においても、あるいは、町のなかでこのような状態の人をみたら誰でも放置はしないでしょう。すぐさま病院に運び治療するのが当然です。
▼鈴木さんが亡くなる過程を動静視察表をみてどういう感じをお持ちになりましたか。
 これだけ悪い状態で、そのままずっと保護房に入れ続けにされていたということに対し、はっきりいって腹が立ちます。
 特に検事もみているわけですね。検事もみて精神状態が悪いということであれば、検事は拘留の責任者ですから勾留停止をし、病院に移すべきだったと思います。東拘のときは病院に移し、病状が改善されたのですから。拘置所の看守はずっと見ておられ、分ると思いますから、当然病院に移すという判断をされるべきだったと思います。
 特に臼井医師は、精神科の医師ですし、診察した時点で、意識障害もあり、経過をみたら食べていないとか、眠っていないとか分り衰弱しているのは分りますから、この保護房のなかでは、やっていけないということは、すぐ判断できると思います。それをそのままにされ、コントミンの注射の指示だけを出すというのはあまりにもおかしいです。
 特に最後の日は、ふつうの人であれば、ふつうの人間的感覚をもった人であれば、これは大変だからなんとか医者にみせて治療をしないと死んでしまうのではないかと感じをもって当りまえだと思います。それをそのままにして死なせていくというのは、非常に残酷な、無慈悲なやり方だと思います。

死なないなら拘置しておいてよいとはいえぬ
(被告代理人)
▼拘置しているという前提ですと、どういう処置をとるべきでしょうか。
 拘置している前提そのものがまちがっています。東京拘置所で拘留されていた場合も拘留をとき病院に移したように、出すことが第一です。拘置していたらますます悪くなります。病気を悪化さすファクターを除くということが大切ですから、拘置所から精神病院へ移すということが、まず第一の治療の条件だと思います。
▼そのお考えは、わかるんですが、本人の死亡を回避するという見地から、私はお伺いしているんですけど。本人を拘置したままなら必ず死亡に至るというわけでもないんですね。わかりやすくいうと、拘置のままでも適切に精神科医が治療すれば、本人は死亡しなくて助かったということが、言えるのでしょうか。
 死亡するかしないかで私は考えません。精神科の医者ですから、本人がどう治っていくのかということで判断するのです。病気を治すという前提からすれば、死なないなら拘置しておいてよいという判断にはならないのです。彼の病気を悪化させる要因をとらないとだめだ、絶対に拘置をといて出さないといけないという答えしか、治療していくという立場からは出てきません。

(3)獲得されたもの
@ 鈴木君の主治医として、
イ 鈴木君の病気が「非定型精神病」であり、
ロ 病状悪化した場合は適切な治療が必要である。
ハ 治療にあたって一番大切なのは患者と医師、及び看護者との信頼関係である。
二 拘置所の保護房という状況は保安が第一とされ治療の場とはなり得ず
ホ 東拘→意見書→病院へ
 東拘のときは、主治医の意見書により病院へ移るという処置がとられ、病状は改善したこと。病気にとって最も悪い状況であること。
病状回復は適切な医療があれば、比較的早く、仕事について自立した生活、これまでやってきたこと
などを明らかにした。
A 動静視察表の分析を通し
イ 保護房入れ続けのなかで病状悪化させられ、次第に衰弱していった。
ロ それに対し、検事は二月九日みていながら拘置をとき、適切な治療をできるようにせず
ハ 所長及び看守は、保護房に閉じこめ続け
二 精神科医臼井は、医師として当然治療的立場にたって適切な医療のおこなうように判断すべきところ、保護房においたままクロールプロマジンの注射を指示するだけであった。
ホ こうしたことの結果として、鈴木君は、衰弱・空腹・寒冷・クロルプロマジンの低体温化作用等の重なる中で凍死されられていったことを明らかにした。
B 綜合すると、検事、拘置所。看守、臼井が一体となって鈴木君を虐殺したといえることを証言したのである。
 
臼井証言
80年11月13日 第7回公判
81年 2月20日 第8回公判

証人  臼 井 節 哉  41才
昭和四三年大阪医大卒業。精神科医師。
現在小曽根病院勤務。大阪拘置所には非常勤医として一月一回行っている。

(T)獲得目標
 証人・臼井医師は、大阪拘置所の非常勤医であり、一九七六年二月十三日、鈴木君を診察したが、十分な診察をせず、鈴木君が病状悪化し病院に移さねばならない状態であったにもかかわらず、「保護房」の中に入れ続けたまま、コントミンの注射の指示を出すだけという、医師として許されないことわやり、鈴木君(凍死という形での)虐殺の最終的役割をはたしたのである。
 裁判では、第七回公判で国側が証人として申請し、虐殺を治療といいくるめようとしたが、第八回公判で原告側弁護士は、臼井医師の診察のでたらめさ、病院へ移さなかった不当性、コントミン注射が凍死の大きな要因となったことなどを明らかにし、臼井医師が、大阪拘置所の非常勤医という、国家権力を行使する立場にあり、検事、大拘所長以下看守どもと共に、鈴木君虐殺の責任者として追及、糾弾していくものであった。

(2)証言内容と獲得されたもの
[第七回公判]一九八〇年十一月一三日
(国側代理人による尋問)
鈴木君の診察について
診察は昭和五一年二月十三日の午後。
臨時の呼びだしによる診察。
▼診察に際し参考にしたカルテあるいは准看護士の説明では、鈴木さんのようすはどうだったか。
 とにかく興奮して激しい、職員に対しても暴力行為がある。そして絶えずわけのわからぬことを口ばしっている。そして現在は保護房のほうに収容しているといったようなことをきいた。
▼どこで鈴木さんを診察したか。
 保護房のなかで診察した。
▼保護房のなかで鈴木さんはどんなことをやっておりましたか。
 裸体になっておられまして、そして中腰になってかがみこみ、常に一人言を言っておられました。そして床をじっとながめたり、あるいは時には壁の方に指をさしてみたり、絶えずその挙動には落ちつきがございませんでした。
▼鈴木さんに問診を試みましたか。
 はい。二言、三言も話しかけてみたんですが、やはり断片的な言葉しか返ってまいりませんでした。例えば雀やなとか、殺しに来よるとか、あるいは、金玉を取られるとか何かそういったような断片的なことを言っておられまして、私の問診に際して、あまり注意の集中がなかったように思います。従いまして、私はそういった断片的な話の内容とか、あるいは非常に落ちつきない行為、全体的な行動、そういったようなものから、鈴木さんの根底には意識障害、並びに幻覚・妄想の存在があるに違いないと推定しました。
▼診察された時間は何分位ですか。
 約三分間でございます。
▼三分間というのは短かいような印象を受けますがこれで充分診断できたとお考えですか。
 はい。確かに三分間と申しますと医師の診察時間としては短かいと思われるかも知れませんが、しかしこれはケースバイケースでして、例えば数秒間で診断のつくこともあります。
▼鈴木さんの身体の状況は。
 栄養状態は普通であると。
▼聴診器をあてるとか、脈搏をとるとか、血圧測定するとかはされましたか。
 鈴木さんは、興奮状態にあったわけでそのような興奮状態にある患者さんの場合、そういう身体的な検索を行うことは非常に困難なことになる。
 私は鈴木さんを精神分裂病濃厚なりと判断したわけです。普通精神分裂病といいますと明瞭な身体症状はないわけです。
▼クロールプロマジンを注射するときには、検温・検脈・血圧測定というものを通常はされますか。
 はい。そういう身体的検索が可能な場合にはもちろん行います。
▼本件のようにできない場合は、クロールプロマジンの注射を身体的検査をしないで注射されるわけですね。
 はい。行ないます。
▼証人は、精神分裂病と診断していますが、木村証人は、非定型精神病であったと証言していますが、証人はどのように考えていますか。
 私は木村先生の証言は的確な証言だと思っています。私自身も鈴木さんを診察しました当時は精神分裂病もしくは、非定型精神病であろうと考えたわけです。
▼鈴木さんを診断されてアメンチアないしせん妄様の症状を呈していると判断されていますね。
 はい。鈴木さんの場合はせん妄状態により近かったと私は思っています。

治療について
▼木村証人は、この段階でも、鈴木さんと医師ならばコミュニケーションができるという理解をされていると思うのですが、この日の鈴木さんの現実の症状からみて、このようなコミュニケーションは可能であると考えますか。
 木村先生がそのように証言されたことは理解できます。しかし今回の鈴木さんの場合は、意識障害もあり、幻覚・妄想の世界に支配されているというようなことがございましたのでおそらくその区別はできなかったと考えます。
▼この日に医師がカウンセリングをするということは可能だったんですか。
 不可能な状態でした。
▼カウンセリングはどのような患者さんに対して行なうのですか。
 ある程度精神症状が安定してまいりまして、そして接触性、疎通性そういった心と心の触れあいが可能になった時点になって初めてそういったカウンセリングというのは可能であり、有効だと思うのです。
▼二月十三日の診察の結果、鈴木さんに対しどのような処方をされましたか。
 とにかく精神症状の鎮静化がまず急務だと考えました。でウインタミンの注射を一アンプル五〇ミリグラム朝と夕食後の一日二回三日間連続してやってもらうよう指示しました。なおかつ内服としてウインタミン末を一〇〇ミリグラム、ピレチア五〇ミリグラムを朝昼夕の分三で指示しました。

凍死の予測について
▼診察の時に鈴木さんは、裸でいたということですが凍死するという心配はされませんでしたか。
 栄養状態は普通でしたし、十分とはいえないけれども食事もとっておられたようですし、従って体力的には問題ないと、さらには私が指示しましたウインタミンの薬効によって、すみやかに鎮静し、睡眠不足とか、食事の不十分、そういったものは改善されて、夜はもちろんぐっすり休んでいただけるだろうと、そして裸体になっておられましたが、精神症状の安定化とともに着衣も自らされるであろうとこう予想しておりましたので、凍死ということは夢にも考えませんでした。

保護房の温度について
 私が忘れてしまったのかどうかわかりませんが割と保温状態にあったように私は記憶しております。

病院へ移さなかったことについて
 ▼木村医師の証言によると鈴木さんの緊張状態を取り除くためには、拘置所から勾留をといて、一般の精神病院へ移すということが必要であるということなんですが、そのような方法をとった場合に、鈴木さんの精神状態が安定するとお考えになりましたか。
 そうですね。たしかに病的な状態でしたからもちろん病院の方が好ましいことはもちろんです。しかしよしんば専門の精神病院へ直ちに移送しても、それが直ちに精神状態の安定化に直結するかと申しますと、私はちょっと疑問を感じます。
▼この段階で勾留をといて民間の精神病院へ移したとしても、結局は加える治療内容というのは大差ないものなんですね。
 精神病院へ移しましてもやはり一時鎮静化するまで保護室で様子をみ、なおかつ鎮静剤の投与を持続することになったと思います。

コントミンの低体温化作用について
 薬理学的作用としては低体温化作用ありといわれておりますけれども、私は精神医学の臨床におきましては、老人以外の場合には、これはないのではなかろうかと、あってもごく軽微なもので、決して致死的なものに至るような低体温はなかろうかと考えている。

診断・治療について
私は、診断治療には間違いはなかったと思っています。

死因について
▼大阪大学の四方教授の鑑定書によると鈴木さんの死因は、気温・薬理作用・空腹状態が相互的に作用した凍死であると推定しているが、証人はどう考えているか。
 四方先生にはまことに恐縮なんですが、精神科の一臨床医として疑問を持っています。
そうすると鈴木さんの死因は。
 今ふのかえって思いますと、急性致死性緊張病ですね。
▼当時の医学水準からして急性致死性緊張病の患者を死亡から防ぐということは、可能だったんでしょうか。
 急性致死性緊張病の場合には、きわめて困難な疾患でございます。
死に至る場合が殆どだということですか。
 はい。

(原告代理人 武村)
診察前の説明について
▼診察前の准看護士の説明内容ですが、先ほどおっしゃったのは、興奮が激しいとか暴力をふるうとか、わけのわからないことをしゃべるとかおつしゃいましたが、それ以外にどういう説明があったか。
 ひょっとしたら、不眠・ねていない、それから食事の摂取量が十分でないというようなこともきいたと思いますね。
▼准看護士の説明は何分位でしたか。
 まあ、二、三分以内でしょうね。
▼動静視察表はみていないんですね。
 それは、見ていません。
▼あなたの方で、その説明の際に、具体的に質問されたことはございますか。
 質問した記憶はございません。
▼食事をあまりとらないということは、たとえばどの程度か、どのくらいの期間にわたってかというようなことを、おききにはならなかった。
 はい。具体的なことはきいていません。
▼同じく睡眠についてどの程度か。
 はい。きいておりません。

診察について
▼結局、興奮、激昂する可能性があるので、検温、検脈はしなかったということになるわけですね。
 はい。そういうこともありますし、非常に不穏な状態ということ、なおかつさらに一層の興奮を助長せしめる、それもあったと。
▼二言、三言声をかけたということなんですが、もうちょっと時間からしましたら問診を続けてもよさそうな気もするんですが。
 ふつう、そういうように数秒あるいは二、三分以内で終ってしまうときかれますと確かにそう感じられるのはごもっともだと思いますが、私としましては、三分ぐらいであの当時に引きあげるのが妥当ではなかろうかと思っております。
 鈴木さんがちょうど中腰になってしゃがみこんでおられましたので、私も同じように中腰になってしゃがみこんで問いかけたわけですけど、普通、私はそういう場合に問いかけるのは、大体一つのパターンみたいなものをもっておりまして、「どうしたんですか」「何か心配ごとでもあるんか」とか「何か気になることがあるのか」「何か怖いことでもあるのか」とか大体そういったようなことを普通はききますので、それに類似したことを鈴木さんにおききしたのではないかと思う。

発汗の有無
 発汗はみておりません。なかったと思います。

診察後の拘置所職員への指示
 職員に対して、口頭では特に指示はしておりません。いわゆる書面では、症状のいかんによっては、専門施設の方へ転送することが必要であろうという旨の記載をしておきました。
▼大阪拘置所の嘱託医ということですが拘置所には何日に一ぺん行くというふうに決っているわけですか。
厳密には決っていません。私と三村医師と二人で交代で行き、二週間に一度交代で行くということです。
▼二週間に一度交代でということは、あなたの場合でいうと四週間に一ぺんということになるわけですか。
 はい。
▼鈴木君の場合、二月一三日に診断されて、次回の診断日ですね。
それは、今の定期の診断日以外に格別にやらなければならんと予想しておったわけですか。
 まず、比較的速やかに鎮静していくであろうと予想を立てておりましたので、そしてなおかつ二週間の経口投薬を指示しておりましたので、まあ余程の変化がない限りは、次の定期診察日でもよかろうと考えていました。

〈第七回公判のまとめ〉
@ 被告・国側は、鈴木君虐殺の重要な役割を果した精神科医臼井を証人として出し、虐殺を正当な治療だといいなおそうとした。
それは、イ鈴木君の精神状態では精神療法的治療はできない。ロ拘置所の保護房でも精神病院でも変りがない。ハ治療としては、ウインタミンの注射で鎮静化をはかる以外になかった。二死因は凍死でなく急性致死性緊張病であり、現在の医学水準では死亡は不可避というものであり、虐殺の過程そのものを治療といいなおそうとするとんでもない差別攻撃であった。
A しかし、当然のことに、全く説得力はなく、無論理で次々とボロを出していったのである。
イ 診察は、二言、三言の問診で三分間しかせず、身体的診察は全くしていない。
ロ 診断に不可欠の鈴木君の病歴を全くきいていず、保護房内での経過・食事・睡眠などについてすら具体的にきいていない。
これでは鈴木君の状態が正しく診断できるはずはないし、治療方針もでるはずがないのだ。
ハ 精神科治療において最も重要な精神療法を否定し、拘置所でも精神病院でも同じだとは、臼井が精神科医というより、国家権力の精神病者差別思想をそのまま代弁していることをさらけだしてしまっている。
二 四方鑑定=凍死を何の根拠もなく、否定するというずさんなことをやっているが、後に凍死は認めざるを得なくなってしまう。また突然「急性致死性緊張病」なる無関係な疾病にしたてあげようとするが、これも次の川合証言で完全に粉砕されてしまうのである。
ホ ウインタミンの薬理作用・低温下では体温低下させる作用はごく常識であるが、それも否定する。臼井の指示したウインタミン注射が、凍死=虐殺の重要な原因となったことは明白であるが、それを否定するために、常識的な薬理作用まで否定するという混乱ぶり。

第八回公判 一九八一年二月二〇日
(原告代理人による反対尋問)
診察のでたらめさについて
▼准看護士なり係長等の医務からの説明に対しあなたは特に質問をされなかったということですね。
 まずしていないと思います。
▼看守からの説明というのは、保護房へ行く、行き帰りに断片的にきいたことでしょう。
 はいそうです。
▼鈴木さんに対する問診は、二言、三言話しかけてそれでやめておられますね。
 (うなづく)
▼ききとった語句にからめて更に問診を続けることも可能だったんではないでしょうか。
 おっしゃるとおり可能だったかも知れません。しかしあの当時、更に深く追及していきますと、すでに精神内界の混乱があるんですから、それになおかつ拍車をかけるような状態になるかも分りませんし、ある程度治っているのを再度運動を起すというようなことを引きおこさないとも限りませんので、その辺は、私自身の体験によりまして、勘に基づきまして適当な時期に引き上げていったわけです。
▼意識障害の状況が続くといっても、状況判断ができる時期、検討識が生じる時期が継続的に来ることが多いときいてますが、そういう時期をとらえて問診を試みるという方法もあったように思うんですが。
 そうですね、そういうことも確かにあると思います。私がもし常勤でずっと拘置所におれば、毎日本人に対面しておっただろうと考えますが、当時非常勤ということで行っていたので、やむなくああいうような形で終ってしまったわけです。
▼検温・検脈は試みもしなかった。
 そうです。
▼鈴木さんの体にも触れていないのですか。
 はい。
▼興奮をひきおこさないようなやり方、穏やかにあるいは、ある程度時間をかけて検温・検脈を試みることは、可能ではないか。
 そうですね。私はあの場合は、それほど急いでする緊急性もないし、ある程度症状がおさまってから身体的検索は行う方がベターであると考えたわけです。
▼通常であれば二週間後ですね。
 そうです。
▼鈴木さんは、拘置所に収容されてから二月一三日まで一度も検温がされていないこと、これはご存知ですね。
 それは知りません。
▼冬の二月、丸裸でいたということも当然認識されていたわけですね。
 (うなづく)
▼そうすると一般に考えると例えば風邪をひいていないか、体温はどうなのかと、体温をとる必要性はあるように考えるのですが。
 そうですね。常識的にはそう考えられます。
▼二月九日の中田医師の記載を見ますと「寒いためか歯列をがくがくしている」という記載がありますね。
 (うなづく)
▼とすると、通常の場合以上に、丸裸で寒いところで、しかも四日前に寒いためか歯列をがくがくさしているという記載があればこの時点で例えば、風邪を疑うなり、あるいは体温を測定する必要性が非常にあったように思われるのですが。
 私の場合は、あくまで精神科医ですので、どうしても症状の報告を受けた場合、まず第一に精神症状が頭によぎりますので、そこまで細かい配慮は致しませんでした。
▼他の医師がどういう治療をしているか、いないか確認しておりますか。
 していません。
▼コントミン投与を決定されましたのでその前提として、その段階でどういう薬剤が投与されているか、いないかということは確認されているでしょう。
 しておりません。

コントミンの作用について
▼コントミンは、例えば人工冬眠を作りだすとか、低体温麻酔に使用されることもあるということはご存じですね。
 はい。
 体温降下作用、これは実験的にも臨床学的にも確認されているということは、これもご存知ですね。
 そうですね。

専門施設への移送について
▼報告書のなかで書かれた、専門施設への移送の問題ですが語句をそのまま再現して下さい。
 経過いかんによっては専門施設への移送ということです。
専門施設への移送の必要性の基準は、
 一週間ないし二週間というところを一つの基準と考えています。
その期間をこしてどうであれば移送しておられるのですか。
 鈴木さんの場合は、三日間の注射、それから二週間の経口投与の指示を出していたのですが、私の予想ですと、三日間でおそらく精神症状は鎮静していい方向に向うであろうと。予想に反して精神症状が平行線をたどっていると、更には悪化しているということであれば専門施設にお願いしなければいけないというふうに書いておったんです。
そういうお考えは特に拘置所の方には説明はされていませんね。
 口頭では申しておりません。
▼そうするとこの報告書を受けて拘置所としては誰がどういう基準で判断すると思われたわけですか。
 慣例としては医務部長がそういう釆配をされるであろうと考えておりました。
▼証人としては、今でも症状のいかんによっては移送する必要があるという程度の記載で足りるとお考えなのですか。
 今から考えますともう少し細かい配慮をしておくべきだったかなという感じがします。
▼もちろん専門施設の方が、こういう患者さんの治療には、すぐれているという前提だと思うんですが、具体的には拘置所と専門施設は看護・診療の点については、どういう点が違うのでしょうか。
 まず医者の絶対的数が違いますし、専門家医がいることが違います。看護スタッフもおのずと違います。しかし拘置所の看守の方は、非常に細かい点に配慮されまして、非常に高い関心をもって病的な人、特に保護房なんかに入っている人に対しては、本当に高い関心をもって注意して見ておられたように思います。ですからそういう点については、視察力、それから親切さという点では、看守の方も、精神病院の看護者も大きな開きがないと思います。
▼まず片方が看守であり、片方が専門の資格をもった看護士なり看護婦ですね。
 そうです。
▼患者さんの側からしたら、日常の看護内容でどういう点がちがいますか。
 やはり、接近しやすいということに関しては病院の方がよいと思います。
▼例えば検温表という名前がついているようですが、それに毎日体温、脈拍、食事の摂取量、排尿、排便、睡眠などといった項目をチェックするようになっていますね。
 そうです。

急性致死性緊張病について
▼証人としては、急性致死性緊張病のパターンとしては、緊張性興奮と緊張病性昏迷それに伴って高熱と時にその後死が訪れると、そういうパターンでよろしいわけですね。
 そうです。
▼急性致死性緊張病においては高熱が必ず伴うものですね。
 まあ、ふつうはそうですが、常に例外というものがあります。
▼まれに無熱で経過するということも文献ではあります。
 通常の高熱というのは何度ぐらい。
  急性致死性緊張病の場合は、四〇度をこえますね。
▼鈴木さんは、高熱を来したのか、来たしていないのか、どちらですか。
 おそらく高熱は来していなかったと。
▼高熱を発しないまま経過したという文献を指摘して下さい。
 工藤義雄先生、確かそれだったと思う。
▼この工藤先生の文献のどこに熱がなかった例があると書いてあるのですか。
 そうすると私の思いちがいで、もう一つ別のやつですかな。
▼昏迷について、例えば夏みかんの皮をぶつけたりしてもて遊ぶというような行動、これを昏迷状態の時にとると考えられますか。
 急性致死性緊張病の昏迷という状態の際には、その様な運動はないと考えます。
▼飯粒を床にぬりつけるという行動。
 それは昏迷状態には至っていない。
▼眠れないから電気を消してくれと自発的に発言すると、昏迷状態で考えられますか。
 考えられません。
 (結局鈴木君は、熱もなかったし、昏迷状態にもなっていないことを臼井自ら明らかにし、致死性緊張病は考えられないことを明らかにした)
▼結果として死亡しているわけですが、もし今から考えて、何か欠けているところがあったとするなら具体的にどういう点だと考えておられるのですか。
 今日、こうして四方先生の鑑定書が出てまいりまして、凍死というようなことが、出てまいりましたので、当時としては思いもよらなかったんですけど、まあそれであればやはりもう少し、たとえおさえつけてでも、あるいは、くくりつけてでも衣服を着せたりあるいは、ふとんを着せるなり、何かもう少し、そういう保温の面での細かい配慮をしておけばなあというのが私の実感です。

〈第八回公判のまとめ〉
 第七回公判で被告、国側代理人の尋問によって、国側は「虐殺=治療」なる暴論をやってきたが、第八回公判では、原告代理人の反対尋問によって完全に粉砕した。
@ 看守らからの断片的説明をきくだけで何の質問もせず、診察前の情報も全く乏しいまま、たった三分間の診察はとても診察といえるしろものではなかったことを暴露した。とりわけ、素人でも冬裸で長い間いたら風邪をひきはしないかと考えて当然だが、臼井は「私は精神科医だからそんなこと考えなかった」と医師として考えられない発言をし、さらには、薬を投与するときですら、他の医師がどのような治療をしているのかも確認していないという、まさに医師としての基本的なことを何もしていないことを暴露し、でたらめな診察でコントミンの注射を出し、虐殺していったことを明らかにした。
A コントミンの作用については、前回の常識はずれの低体温作用の否定は、たちまちに粉砕された。
B 前回「拘置所の保護房も病院も同じ」の論は、病院の方が精神的にも身体的にも良いと認めざるを得なくなるが、鈴木君を病院移送をしなかった不当性については、認めようとしない悪らつさを見せた。
C 突然出してきた「急性致死性緊張病」については、臼井自らが述べた「緊張性興奮と緊張病性昏迷それに伴う高熱と時にその後死に至る」というパターンのうち、昏迷も高熱も鈴木君にはなかったことを自ら認め、急性致死性緊張病は完全に破産してしまった。破産しながらも「無熱の場合もある」などという暴論をはいたが、その文献も示すことができず破産のうわぬりをやってしまった。
D ついには前回否定した「凍死」を認めざるを得ないところに追いこんだ。しかし許せないことに、凍死を認めながらもなお、病院移送を認めず、「たとえおさえつけてでも、くくりつけてでも衣服を着せるなり、ふとんを着せるなり」などといっている。衰弱と空腹、寒さのなかでコントミンの注射をされおいうちをかけられながらも死と闘っていた鈴木君を思うとき、虐殺の重要な役割をはたした臼井が一片の反省もなく証言しているのを断じて許すことはできない。
この臼井証言によって、あらゆる意味で「治療」といえるようなものでなかったことを明らかにされてしまった国側は、ついには「虐殺=治療論」を引っこめざるを得なくなるのである。最終準備書面では、さらに悪らつな「精神障害者」差別・抹殺の攻撃「拘置所は病院より治療では劣って当然」「社会の敵=凶悪犯を病気だからといって安易に病院に出していたら拘置所の役割は崩壊する」「刑事政策は崩壊する」という「拘置所での虐殺は刑事政策上当然」とする危機にみちた攻撃へと転ずるのである。

川合証言
81年6月19日 第9回公判
嘱託医臼井の診断・治療は、精神医療の「常識」から外れるひどいものであった。

証人 川 合 仁 47才
精神科医。京大精神科助手。精神薬理学専攻。京大医学部卒。

(1)証人尋問の目的
 前回までの木村証言、臼井証言で、臼井の診断の誤り、極めて杜撰な治療方針、さらに拘置所の残酷極まりない保護房処置の内容が明らかにされてきた。木村証人は鈴木君の主治医であった。それで、証言により客観性を持たせる目的で、川合仁証言が要請されたのである。
 現在の精神医学の常識と、精神医療の一般的水準にてらして、臼井の診断と治療が妥当なものであったといえるのかどうか、第三者として評価してもらうことである。
 即ち、非定型精神病と分裂病の診断基準、臼井の診察において診断するに値する手続きをとっていたのかどうか、拘置所保護房という環境で治療可能であったのか、凍死であったとする鑑定に対する評価、臼井ら被告側の主張する「致死性緊張病」とはいかなるものであり、その診断基準は何か、この場合該当するのかどうか等である。
 さらに、労働能力に関連して、遺失利益の評価に影響する非定型精神病の一般的な予後についても言及してもらうことになった。

(2)証言
非定型精神病について
(原告代理人 藤田)
▼検討していただいた資料に基づく鈴木国男さんの病名について、ご判断いただけるでしょうか。
 非定型精神病とするのがいいように思います。診断の根拠としましては、大きくみて三点あると思います。病像、病前性格、それから病状経過の三点が判断根拠となると思うんです。
▼その三点について具体的に。例えば病像についてご説明願えますか。
 非定型精神病の場合は急性に発症する、発病の仕方が非常に急激であるということ、症状としてはやはり幻覚・妄想状態ですけれど、多くは若干の意識障害が加わることが多い、これが病像の特徴です。
どういう資料に基づいて確認していただいたんでしょうか。
 動静視察表、臼井先生の診察所見、木村医師と臼井医師の証言調書を綜合して。
▼二番目の特徴として挙げられました病前性格について、鈴木氏の場合どうなるでしょうか。
 一般的に非定型精神病の場合は、勝気で几帳面で、割合に真面目で頑張り屋であり、一方で他人の気を使う対人過敏という傾向があるんですが、木村証言に、活発な方で割合自発性の強い方だというふうに出ていますので、やはり非定型精神病の性格類型に入るのではないかと思います。それからカルテで、退院以後すぐ職を探したり積極性があることも根拠になっています。
▼症状の経過については。
 一般に、発症したときの症状は派手ですけれども、きれいに治ると、欠陥を残さずに治るということが特徴なんです。もちろん、再発はあり得ます。
▼拘置所内で鈴木氏を診察診断した臼井氏は、鈴木氏の病名を、分裂病の疑いがあるということで、分裂病という診断を下されてるわけですが、分裂病と非定型精神病の違いについて、簡単で結構ですからご説明いただけないでしょうか。
 さきほど、非定型精神病の基本的特徴を述べましたけれども、分裂病の場合は、病前の性格が内気で、控え目で、無口であるという性質があります。一般に分裂病気質と申します。病状は幻覚妄想はもちろん現わすことが多いけれども、意識障害が認められることは非常に少ない。経過として、非定型精神病に比べると、治っても何らかの欠陥と申しますか、ちょっと人格的な片寄りというか、そういうものを残すことが多い。
▼非定型の特徴は急性発症ということですが分裂病の場合は。
 比較していえば、徐々に発病します。最初に一般にノイローゼ様の症状を訴えて数ヶ月して、人が何か私のことを言っているという関係妄想とか被害妄想とかが出てくるという形をとります。
▼分裂病には意識障害はないと。
 全くないとも言い切れないと思いますけれども、むしろ意識障害のあるタイプでなおかつ治りやすいタイプを非定型精神病として、分裂病から分離して出てきた概念なんです。ですから分裂病には原則として意識障害がないといっていいと思います。
▼そうしますと、臼井医師は分裂病という診断を下されたようなんですが、この診断は。
 ちょっと、当たってないんじやないかと思います。・・・・・・・・
▼臼井医師の証言によりますと、臼井先生は診察前に拘置所のカルテに目を通し、看護士から簡単な聞き取りをされた後、視診、問診を二、三分やられたということなんですが、興奮状態にあったので、その後問診はやめたというような、そういう診察をされておるんですが、このような診察で診断というものがつくのでしょうか。
 今のまとめのような形では診断はできないと思います。
▼臼井先生が証言されているんですが、検温、検脈はしていない、鈴木氏の動静視察表も検討はしていないということなんですが、それでは診断はむつかしいと。
 できないですね。すべきでないと申しますか。このケースの場合、幻覚・妄想状態にあると判断されたことはいいのですが、こういう状態をきたす病気は、分裂病もございますし、非定型精神病もございます。その他、脳の中に本当の異常がある器質性精神病の場合も起り得るわけです。区別は身体の神経学的な検査とかを十分行わないと分からないわけです。また、病前性格とか過去の病状の経過はどうだったかを調べないと分からないわけです。
▼鈴木さんのような症状を呈する患者に接された場合、的確な診断、適切な治療処置をするためにまず、前提としてなすべきこととしてどういうことがあるわけでしょうか。
 まず、以前の病像、生活状態、性質の調査、これが第一。次に身体的異常がないかどうか確認することですね。
簡単なことからいえば、熱を計ったり、脈拍を調べたり、血圧を測ったりとか、心音を聴取したり、神経学上のいろいろな検査をしなければなりません。
▼実は、臼井先生は、先生があげられた身体的検査についてはほとんどなされなかったようなんですけれども、法廷での証言で、「丸裸で寒いところで、しかも四日前に寒いためか歯列をがくがくさせているという記載があれば、例えば風邪を疑うなりして体温を測定する必要性があったように思われるんですが」という質問に対して、臼井先生は「私の場合は、非常に僭越でございますが、あくまでも精神科医でございますので、どうしてもいろんな症状の報告を受けた場合、まず第一に精神症状が頭をよぎりますので、そこまで細かい配慮は致しませんでした」と証言なさっているんですが、この趣旨ですと、内科的な検討というのは精神科医にとっては余り必要でないんだと読めるんですが。
 先程も申しました通り、身体的な病気によって精神異常を表すこともあるし、身体的条件が悪ければ、不機嫌になるとか不安感が高まることもあるから、身体的な検討が非常に重要なんです。
まずそれをやって、それから精神状態という風にいくのが、これは学生に教育している基本的な診断手続なんです。

拘置所での「治療」はありえたのか
▼仮定的な質問になるんですが、先生ならば鈴木氏を診察されたとしてどういう処置をとられるかという点についてお聞きしたいと思います。
 臼井先生が診察された時点では、やはり、精神科の専門医療機関に移す以外にないんじゃないかと思います。
と申しますのは、臼井先生もおっしゃっていますように、興奮が強くて、問診も十分できない、身体的検査もやりにくい状態であったとすれば、診断もつきにくい、そうすると的確な治療法をさぐるということが困難になります。興奮を抑えるために治療をせなならんとなります。食事を食べてない、一週間位は眠ってないという状態が続きますと、お薬を与えることについて危険性が強いですね。専門家が絶えず見えるところでないと、拘置所では無理じゃないかと考えます。
▼鈴木さんのような症状のある患者にとって拘置所という環境はいかなる影響を与えますか。
 鈴木さんの場合に限らず、やはり病人は治療的環境の中に置くということが基本です。これは内科の場合でも一緒ですけれども、患者の痛み、苦しみも理解し、それも柔らげるために努力するという雰囲気の中でないと、治療は思わしく進展しないわけです。
ですから、思わしくない環境であることは確かです。拘置所というのは。
▼精神病の場合、特に専門病院での治療が必要だとはいえないんでしょうか。
 一般に、孤独の状態に陥りますと、不安感が高まります。従って、幻覚・妄想が強くなるという傾向がございますから、そういう意味で言えば時に精神科の病気のばあいは、拘禁状態と言うか、そういうことはなるべく避けたほうがいいといえます。

クロルプロマジン投与についてどんな注意が必要なのか
▼臼井医師は、この時点で薬物療法にとりかかられたんですが、一体、この状況でクロルプロマジンの投与の妥当性というのはどうなんでしょうか。
 向精神薬の中でも、クロルプロマジンというのは、一番初期に開発された古い薬ですが、比較的副作用の強い薬なんです。
導入当初は、一日三回も四回も血圧測りながら使ったという経過がある位副作用が強い。特に血圧を下げる作用がありますね。パーキンソン症候群というのも出やすい。ですから、鈴木さんの場合のように、体の診察も十分できない患者さんに使うにはこわい薬じゃないかと思います。
▼副作用があるので、投与の前提として、身体的な検索というのが必要になると。
 血圧は調べておかないといけませんね。血圧及び心臓の状態。
食事の栄養状態が十分であるかどうか。
 睡眠不足の状態が一週間、一〇日近く続いていたんですから、一辺に注射でばっと薬を大量に与えるということはこわい状態です。
▼保温というような問題については。
 一般的に患者の保温状態というのは医学の基本だと思います。
どんな病気であろうとも。
 それがありますし、精神病状態そのものによっても、いわゆる体の自律神経の働きが失調しているわけです。その上に向精神薬を与えますと、特にクロルプロマジンは自律神経作用に強い薬ですので、自律神経の働きが乱れます。体温調節とか脈搏とか乱れやすいですから、特に注意しなければならないです。
クロルプロマジン投与中保温はとくに重要なのだ
▼先程もお話ありました保温という問題についてお聞きしたいんですが。
 拘置所内というのは、暖房設備が全くないわけですが、通常精神科の病院においては、保温・暖房についてはどのような配慮をなさっておるんでしょうか。
 特別に配慮していると言う以外にないんですけれども、例えば京大病院の例で言えば、一般病棟の場合、冬暖房が入るのが十一月一五日からだと思うんですけれども、精神科と小児科と伝染病棟は十一月一日から暖房が入るというように配慮されているくらい精神科では、暖房というのは重要視されてるわけです。
 症状の重い患者さんでは、自分の体の状態というのが管理できない。従って、寒いとかそういうことが言えない患者さんがおりますです。それを医療スタッフが細心の注意をもって観察するわけですけれども、それでも不十分なこと、落度があり得ますから機械的に、保温ができれば一番いいわけです。
▼クロルプロマジンには、体温を低下させる作用があると伺ってるんですが、そういうことは一般にいわれていることなんでしょうか。
 教科書にはそのように書かれております。私は薬が専門ですので、実験動物のような小動物では劇的に効果がでます。
人間のような大動物になりますと、普通の状態で特殊に大量でない限りは認められないわけです。しかし、自己保存の本能が冒されていて食事もとらずにあるいは外気の状態が非常に悪いという状態では、やはり体温降下作用はあるわけです。というのはクロルプロマジンには自律神経の作用を乱す作用が副作用としてあるわけです。衣服を着たり、食べるものを食べたり、体温を確保することが健康人の場合できるわけですが、病人の場合できません。
それで体温降下作用ということが起こるんです。実際に外科なんかではクロルプロマジンを麻酔の前に使って患者の体温を下げた状態で手術をすると、低体温療法と言います。
▼大阪大学の四方教授の鑑定書によりますと本件鈴木氏の死因は凍死という結論になっているわけですが、この結論あるいは結論に至る理由について、ご専門は違うでしょうが、どういう感想を持たれましたか。
 鈴木さんの病状、特にずっとしょっちゅう裸になっていたとか、使った薬の量、注射を含めてクロルプロマジン二〇〇ミリグラムですか、それに食事もほとんど全然してなかったということから考えると、やはり凍死ということは、大いに考えられると思うんですね。
▼その鑑定書の中に、部検所見として、血液が鮮紅色であった、あるいは胃粘膜が発赤していたという記載があるんですが、この点についてはいかがでしょうか。
 非常に体温が下がってきますと、全身の新陳代謝が非常に下がります。それにひきかえ、心臓循環及び呼吸器のほうは、低下の仕方が遅いもんですから、体の中は相対的に酸素過剰の状態になるわけですね。ですから、凍死の場合に血液が赤くなるんだと思いますね。ということから考えると、やはり凍死の所見として重要じゃないかなあと思うんです。
▼急性致死性緊張病という病気がございますね。こういう病気で亡くなった場合、心臓内の血液の状態というのは。
 急性致死性緊張病というのは、非常に特殊な病気でして、その病気の特徴の一つに四肢末端のチアノーゼというのが記載されてる。チアノーゼというのは、ちょっと紫がかった青い色になる状態ですね。唇が青くなったりしますね。そういうことから考えると、急性致死性緊張病の場合は、酸素不足のほうに傾いてるはずなんですね。ですからちょっと違うと思います。
▼四方教授の鑑定書の中に、クロルプロマジンが凍死の一因たりうるという趣旨の記載があったと思うんですが、先生のクロルプロマジンの体温降下作用というお話との関係ではどうでしょうか。
 いや、一因たりうると思います。

急性致死性緊張病とはどんなものなのか
▼次に、鈴木氏を診断された臼井先生は、鈴木さんが、急性致死性緊張病でなくなったんじゃないかというお話をされてたんで、お聞きしますが、急性致死性緊張病はどういう具合に定義される病気なんでしょうか。
 その病気は一九三四年にスタウダーという人が二十数人の患者について論文を発表したのが初めてなんですけれども、そのときに基本的特徴は四つあげられてたわけですね。第一番目は、急性発症、急激に発症するわけですね。最初は一日か二日ぐらい幻覚妄想があるけれども、それ以外はもう運動性の興奮ばっかりであると、それに死の予感が伴っておる。最初診たときから患者も死を口走るし、何というか医者のほうが診てもなんか死ぬんじゃないかという予感が伴う、これが第一番目の特徴。第二番目の特徴は発熱がある、四〇度近い高熱があるということですね。第三番目の特徴は皮下出血ですね。皮下出血が体のほうぼうにみられるそして手足の末端がチアノーゼを呈して、紫色になってくる。それが三番目の特徴。四番目は三日から二週間以内に死の転帰をとるというその四つにまとめられる。これが基本的特徴で、そういう特徴を示すのを急性致死性緊張病というふうに呼ぶわけです。
▼特徴の二番目としてあげられた発熱ですね、これについて無熱あるいは微熱の急性致死性緊張病というのはあるんでしょうか。実は、臼井医師がありうるんだということをお話されたので。
 急性致死性緊張病という概念が、私が先程申しましたように四つの基本的特徴を示すものをそういうふうに呼ぼうということでそれ以上の実態はもう一つはっきりわからないわけですね。
ですから、その特徴に欠けるものだったら急性致死性緊張病とは呼ばないわけです。
▼そうすると、無熱ないしは微熱の急性致死性緊張病はないと。
 そうですね。
▼ところで、本件の資料の中で、死の直前、発熱の所見がうかがえるような資料というのはございましたでしょうか。
 それは全然わかりませんね。見かけませんでしたということです。
▼結論的にお聞きしますが、先生は鈴木国男さんの死因が急性致死性緊張病である可能性はあるとお考えになりますか。
 全然違うというふうに考えますですね。先程私があげた四つの条件のうち、合ってるのは最後の経過二週間ぐらいで死んだというだけで、それ以外の条件はみな合いませんのでちょっとあれを急性致死性緊張病に入れるわけにはいかないと思います。

非定型精神病の予後はどうか
▼先生は、非定型精神病の患者さんを何人ぐらい診察されたことがございますか。
 少なくとも数百人は診てると思います。
▼非定型精神病の患者さんで、症状がよくなって、社会復帰された例というのはご存知ですか。
 ええ、大部分が社会復帰してますよ。
▼そうしますと、労働能力という観点からみましても、症状がよくなれば、労働能力には何ら支障がないと。
 はい。その通りです。

臼井の処置、方針は「常識」外れのひどいものだった
(原告代理人 武村)
▼臼井医師が鈴木国男さんを診たあと、「病状のいかんによっては、専門医に転送する」というような指示を出していることの当否について。拘置所に精神科専門の医者がいないということを前提で考えますと、そういう指示を出して受けとめられるかどうかということはいかがでしょうか。
 今の医療体制では、紹介のような業務は医者が最終決定することになってるわけですね。ですから実際問題として、看護婦がそういう指示を受けたとしても、どうしようもないというのがひとつあると思います。もうひとつは、指示するときには、具体的に指示しないといけないわけですね。たとえば、もしあしたになってもご飯食べない場合とか、今晩寝なかったらとか、あるいは熱が出たらとか、具体的な指示をしてあげれば看護婦さんなんかでもやれると思うんですね。
▼それから、コントミン投与と保温との関係について。結局、二月の厳寒期、室内には保温設備がない、本人は丸裸に近い状態だと、しかも専門医が投与後継続的に身体の観察ができないという状況の中でコントミンを投与するのはもってのほかということになりますか。
 非常に危険な行為ですね。
▼拘置所の観察体制に関連してお伺いするんですが、動静視察表を見ますと、二月一五日までの記載がありますが、三〇分ごとの記載で非常に細かい観察があるんですが、その状況について先生の立場から。
 臼井先生が指示を与えなかったのがいけないのかもしれませんけれども、全身の状態ですね、血圧、脈搏、呼吸の状態とかそういうものを特に注意してもらわんならんわけですけれども、そういう記録が全然ないですね。それが非常に問題だろうと思います。
それからやはり保温の点ですね、裸になってても何とか着せようという努力が欠けてる。これは非常に困難だったんかもしれませんけれども、そういう点も問題だろうと思います。栄養の点もですね。

(原告代理人 桜井)
▼臼井医師は、精神科において保温というのはサービスにすぎないんだという趣旨の証言をなさっていますが。
 いやサービスではありませんよ。先程説明しました通り、精神症状によって、本能的な防衛がおかされることがありうるわけですから、それを防ぐという意味でこれは治療の一環です。
▼先生がご証言いただいたクロルプロマジンについて、問診のしかた、検温検脈のやり方、その他留意すべき点についてなどは特に、先生が大学の研究者であるから知っているとか、特に進んだ考え方を持っておられるかということではなく、一般的精神科医としては常識に属することなんでしょうか。
 常識です。簡単な教科書に書いてございます。

(被告代理人 高田)
▼分裂病について、発症時に意識障害を伴うことは原則として少ないとおっしゃいましたけれど、例外的にはあるということですか。
 非定型精神病という概念が分裂病の中から分かれてきたという歴史があるわけです。分裂病の中で意識障害のあるものを非定型精神病の方にもってきたわけですから、原則としては分裂病には意識障害はないわけです。
▼先程、精神病患者に対しては拘禁は不適切であるといわれましたが、現実の一般の病院を見ますと、拘禁しているところもありますが。
 これは、日本の医療レベルの問題です。残念ながらそういうレベルの低い病院が存在することは認めざるを得ませんが、好ましくないことははっきりしています。
▼鈴木さんの場合、拘置所がふさわしくなかったというのは、拘禁する設備だからというよりも、むしろ管理が行き届かないという方が大きいわけですか。
 病院には、治療的雰囲気、患者を理解しようとする雰囲気がありますね。拘置所には、悪いことするから注意せえとか、監視的というか正反対の方向があります。

(3)川合証言により明らかにされたもの
 臼井は、片方でアメンチア等意識障害を示す症状があること認めながら、精神分裂病を疑うという診断を示した。これは現在の精神医学の一般的な常識から逸脱している。川合証人は、診断としては非定型精神病と考えるべきであることを、性格、症状、経過の点から綜合的に判断して示した。
 そして、臼井の診察及び指示が、きわめて杜撰であること、即ち病歴も入所後の経過も確認せず、極めて短時間の問診でことたれりとしているようないいかげんなものであることを厳しく批判している。また診断のためにも、治療的処置の前提としても必要不可欠な身体的診察を全く省略していることの不当性を医療常識では考えられぬことであるといって批判した。
 クロルプロマジンについては、その副作用発現を予想すれば、パーキンソン症状などの他の諸問題についても考慮すべきであるが、とくに血圧、体温、脈拍等に対する影響は重要であり、この検査を怠って注射を指示し、しかも処置後の観察すべき点も明らかにせずに、単に「経過によって転送すべし」との漠然とした指示のみ出していることは無責任としかいいようのないものであることが明らかにされた。
 とくにクロルプロマジンの低体温作用について考えるならば、暖房のない保護房に全裸のまま放置しておくことはいかに危険なことであるかが指摘され、病院においては保温のための設備及び看護は治療の前提条件であることが強調されたのである。
 急性致死性緊張病については、スタウダーの診断基準4点が示された。この観点からすると、短期間で死亡したという点を除けば、およそ急性致死性緊張病を差し示す根拠は何ひとつないのであり、鑑定書の「凍死」説が支持されたのである。
 そして最後にあらためて、かかるひとつひとつの臼井の誤りは、現在の一般的医療水準からしてかなり非常識なレベルのものであることが確認された。
 むろん、被告代理人の反対尋問は国側に有利なことは何ひとつひきだせずに終ったのである。この証言によって、木村証人による臼井批判が一層客観性をもって証明、支持されたのである。このことが国側を大きく追い込むことになったのでありほぼ決定的な意味を持つ証言だったのである。

鈴木花子(原告)証言
81年10月16日 第10回公判

証人 鈴 木 花 子 66才
国賠の原告。鈴木国男氏の母堂。

(1)都島署・拘置所は恨んでもなお足らんと思う一念です。
 第10回公判は、原告・鈴木花子さんが証言台に立ちました。
 戦後の混乱期、長年病床に伏されていた御主人と四人の幼子を養い、一九四九年に御主人が亡くなられてからは女手一つで子供を育てて来られました。
 鈴木君が虐殺されて以後、花子さんの怒りに恐怖した国家権力は様々な嫌がらせ、弾圧を花子さんにくり返して来ましたが、これをはね返し国家賠償請求の闘いを最先頭で闘って来られました。
 大阪で行なわれる国賠公判には広島・呉からかかさずかけつけ、二・一六虐殺糾弾対大拘闘争にも檄を発して来られました。
 第10回公判は、国賠公判の原点である国家権力の虐殺に対する激しい怒りを原告本人がぶつける場として勝ち取られました。
 公判の最初に鈴木国男君の略歴と母親への想いやりが深く、正義感の強い人がらであったというエピソードが簡単に証言されましたが、このことについては他の所で書かれているので省略したいと思います。

(2)自殺でないのなら殺されたのだと思いました
▼お母さんが拘置所のどこかの部屋へ通された時に橋本和子さんも一緒にその部屋へ通されたんですか。
 いいえ、別に切り離されました。橋本さんにあんたは何の関係かねという様なことを質問しとられたです。私を部屋に案内するのに二人ぐらいと、最後になって死体確認という時には二人くらいが付いて鍵をあけて、広い部屋に寝ておりましたが。
▼この人は国男君のことについてお母さんにどういうふうな説明をしたんですか。
 国男君は裸であらびて、ボクシングの稽古みたいなことから、大声を発するとか、大便を部屋に流すとかいうようなやっかいがられたような様子です。
▼とにかく暴れ回っておるけれども元気だというような話を聞いておったわけですか。
 はい。暴れるくらいじゃから元気なんじゃと思いますわね。会わしてもらったら、くんちゃんいい子しておれよと言ってなぐさめれば他のもんには暴力だしても私には死ぬるまで一回も手をかけたことがないんです。素直なあれじゃったから、私が行って声をかければ少しは音無しくなるんじゃないかと思う希望があったわけです。・・・・・・行って少し私が注意すれば、少しは音無しゅうなってくれるんかと思って来ましたと言ったら、何と不思議なことがあるもんよのうということを言われました。何と不思議なことで、どうしたんかなと思ったんですが、その後、実は今朝二時四五分頃国男君は死にましたと、ええ、それはあまりとっさのことで、自殺ですかと私すぐに質問しました。・・・・・・・それまではピンピンしておるのに、しとったあんな頑丈な体が何でそんな急に死んだんじゃろうかと思うから、自殺しか考えられんかったからです。
▼自殺ではないということをお母さん聞かされて、じゃあどうして死んだのかということはその場で思われなかったですか。
 思いました。殺されたと思いましたね。あんなやっかいをかけるのは、あらびますような者じゃから、やっかい者を整理する為に何かを用いたと思いましたね。
▼死体を目にした時のお母さんの感じですけれども、どうでしたか。
 それはやはり死体じゃから、目もくぼんで随分やせたなと。くんちゃん、あんた死んでお母さんと会うとはどういうことね。死体と会うつもりで来たんじゃないよと、あまりなことに、顔を見た瞬間ちょっと涙も出んかったです。ただもう殺したなと思うのが、逆上してしもうて。それは悲痛な顔をしておりました。わずか二週間ぐらいでこうまで変わるもんじゃろうかと思いました。

(3)虐殺をかくそうとする呉・都島警察と拘置所の策謀
 思いもよらぬ国男君の死を目前にした原告が即座に「殺したな」と察知したことに対し、又虐殺の事実が明るみになることを恐れた大拘・都島警察は、原告を橋本さんや弁護士から切り離し、死体を一刻も早く末梢せんと、様々な嫌がらせ、弾圧を行いました。そして、広島の呉署までが国賠闘争に起ち上らぬよう弾圧を強めていったのである。
 その時の事について、このように証言されています。
 それは、早く処分したほうがいろんな傷とか欠点とかいうものが分からん内に処分した方が良いと思うから、そう言うんじゃろうと私は思いました。
 大阪から呉の本署へ連絡が来たというので、その頃国男の友達として出入りするのを目撃して、そのとき加藤とか何とかいうのが、指名手配の人物が、もしや国男の友達で広島におる名前忘れましたけれども、それが一緒に来ておるから、それでその加藤とかいうのと、もう一人女の人の名前を言うて、写真をこれ指名手配の写真じゃが、こういうのをかくまっておらんかと思って来たとか言われるんじゃけれども、本当はいろいろと話してきとるときに、裁判とか何とか起こさんほうがええ、もう国男君は仏になったんじゃから、お母さんは仏を守っておればいいんだと、そういう者を出入りさしておくと、お母さんの命も危ないんじゃないかというようなことを注意しに来ました。ああいう連中が出入りしていると、お母さんは殺されるか分からんとか。
そして、今回国賠訴訟に起ち上ることを決意した理由について、
 それは第一に、あんな元気な者が突然死んだということの死因が知りたいこと、そして、ここへ度々来る内に、国男の死は凍死だということが分かってますます怒りが。と証言されました。
 最初に述べた様に、公判は、原告自身の国家権力に対する怒りを明らかにするものとして勝ち取られました。第10回公判の報告をまとめるに際して、公判の最後に述べられた原告の心境を引用する事が一番の方法であると考えます。
 この証言こそ、私たちが原告を先頭にして闘ってきた国賠闘争の出発点だからです。
 四方教授の解剖の結果、死因が凍死ということも分かった以上は、まあ凍死に至るまでがつらかったじゃろうと思えば、またしてもまぶたに浮かぶのが国男の悲痛な叫び声で、大阪都島警察と、拘置所は、恨んでも足らんと思います。恨んでもなお足らんと思う一念です。

城証言
81年2月2日 第11回公判
81年3月9日 第12回公判
法医学と精神医学の「権威」城哲男は、凍死も認めたが、同時に急性致死性緊張病による死でもあったと矛盾した主張を展開した。

証人 城 哲 男 67才
元鹿児島大学法医学教室教授。80年4月退官。現在内村病院顧問。専門はアルコール酩酊犯罪。

(1)証人尋問のねらい
 木村・川合証言により、臼井批判が明らかにされ、国側不利の形勢を見た国側代理人は、鹿児島大学法医学教室元教授をひっぱりだしてきて、急性致死緊張病が死因であるとの主張をせんとしたのである。
 これに対して、われわれは、まずこの証人が権威をふりかざして、法医学はともかく、精神科臨床に於ても専門家であることをひけらかしはしたものの、多少つっこんだ質問には答えられず、その精神医学的知識が不充分かつ誤りにみちたものであることを明らかにしようとした。
 そして、死因は凍死であることは、法医学的立場からゆるがしがたいものであることを、国側証人自身の口から語せようとしたのである。
 城は、国側が唯一人申請した重要証人であり、この証人をめぐる攻防は裁判の帰趨を大きく分けることになるであろう。もし凍死を否定することになれば、四方鑑定との対決になる。否定しえないならば、拘置所内で発生したこの異常な死亡について国のいかなる内容の責任を追及しうるかという点に焦点はしぼられていく。

(2)証言のあらすじ
(被告代理人 高田)
鈴木氏を臼井は分裂症の疑いと診断したが・・・
▼証人は、この鑑定書の中で、鈴木国男さんが、生前非定型精神病にかかっていたと診断されましたね。
 はい。
▼根拠は、簡単で結構ですが、どういうところですか。
 法医鑑定と申しますのは、ちゃんと証拠に基づいて、与えられた資料から判断すべきものでございますから、与えられた資料のうち、一番大事なのは、動静視察表でございます。その内容が一の中心になりますね。同時に、東京足立病院、陽和病院、松見病院等の入院記録が非常に根拠になりますね。そういうものを根拠にして、当然だれでも専門家なら非定型精神病と診断なさいますな。
▼非定型精神病というのは、どういう病気かご説明いただけますか。
 要するに、定型精神病というのは、精神分裂病、それから躁うつ病、てんかん、この三つが三大内因性精神病と申します。これが精神病の代表でございます。それぞれ、精神分裂病、躁うつ病、てんかんというふうに診断ができるものは、定型精神病と申します。ところが非定型精神病というのは、分裂病であるぴたっと、あるいはてんかんであるぴたっと、あるいは躁うつ病であるぴたっと、こういかないわけです。ずばり申し上げて、結論から申しますというと、大体分裂病の何といいますか、素質と申しましょうかな、何かあれがありましてね、たまたまそれに躁うつ病が加わったとか、あるいはてんかんと分裂病とが混合しとるというか、ですから学問的には混合精神病とかこういうことばを使ってますが、現在では非定型、詳しく言えば非定型内因精神病と言わなければならんわけですけど、非定型分裂病という人もありますけれども、まあ、現在では非定型精神病、正確には、非定型内因精神病と、こういう表現を使うております。

興奮状態にあれば、検温や検脈はできないのか、しなくてもよいのか・・・
▼精神分裂病あるいは非定型精神病の患者が興奮状態にあって、暴れたりしている場合ですね、一般の精神病院では、そういう患者をどういう処置を加えますか。
 もちろん興奮してますと、他の患者にも影響しますから、やはり保護室に入れますね。そして、鎮静剤をメジャートランキライザー、コントミンいわゆるクロールプロマジンなんか注射して鎮静をはかります。
▼その場合、暴れることがひどい場合に、検温とか、検脈、血圧測定、聴打診、そういうものを必ずやっておりますでしょうか。
 ですから興奮しているときは、できませんもの、暴れてるときは。ですからもうそれは保護室に入れまして、注射でもして、手当して、落ち着いた段階でやらなきゃ、暴れてる最中にはできません。
▼すると、いかに興奮状態が激しい患者であっても、医師であれば、検温とか検脈とか血圧測定そういうものは行なうことは可能ですか。
 そんなことはありません。まあしかし、私も長年こうして、まあ途中で法医学ですから鑑定だけで、診断だけで治療のほうにまわっておりませんけどね、去年おととしから元の臨床家に復帰したわけですけれども、こういう実例がございます。ある保護室におる患者がどうしても飯を食わないというので、私を呼びに来ました。看護の人が。私が行って、なかなか食べませんものね。そこでどうものどがかわいてそうだから、まず水を飲ませと、水を飲みました。今度、あとにジュースを飲ませてというわけで、ジュースを飲みました。そういうふうにして、やはりそこは長年の経験のある、自分で言うちゃおかしいですけど、ベテランの精神科のお医者さんなら、何とかかんとか工夫して食べさせたりしますけどね。体をさわって、何だかんだ言って、なだめながら、さわってみれば、これは熱いなとか、そうだとかやるんですが、そう言いましても、なかなか難しゅうございますわ。
▼と、一般の臨床実務でですね、まず初診のときの診断方法ですけれども、初めてその患者が来たという場合に興奮状態が激しい患者であるとした場合に、そういう検温とか検脈あるいは、血圧測定、聴打診、そういう身体的な検査をした上でなければ、精神状態の観察には移らないものですか。
 いえ、そんなことはありません。もうみればわかることですから、精神状態はね。ですけれども、今言ったようにやはり大事なことは、身体的な、あるいは先程申し上げたように身体的な基盤が大事ですから、ですから一応興奮してる人は、何か説得したり、説得も難しいんですけれども、とりあえず鎮静剤ぐらい注射しまして、保護室に収容して、やや落ち着いたところで、検温したり、血圧を測ったりするわけですよね。興奮中はできません。
▼と、直ちにその場で非定型精神病の判断を下さなかった場合には、あとでいろいろ調査して病名を決定することになりますか。
 調査で、要するに医学的診断というものは、ただ本人の現症といいますか、現在をみただけじゃいかんわけです。必ず過去のパストヒストリーですね。既往歴、あるいはさっきの家族歴、家族にそういう精神病者がおったか、遺伝的なことも聞いたり、それを綜合して、つけるわけですから、ただ本人をみて、診断は、最終診断できません。
▼そうすると、そういう場合、一応初診のときには分裂病の疑いとして、興奮状態を鎮めるために、とりあえず、クロールプロマジンなどの投与をして、鎮静化をはかると、それと並行するか、まあそれのあとで、なるべく早く既往歴などを知って、非定型精神病と診断するということですか。
 そういうことになりますね。
(乙第一四号証を示す)
▼そこの被疑事実(鈴木君が逮捕された傷害事件のこと)をご覧下さい。事実が書いてございますね。
 はい。
▼その事実の行為の動機、それから行為態様をご覧になって、この事件を起こしたときに、もう鈴木国男さんが非定型精神病を再発していた可能性があるとお考えですか。
 それが、私がはなはだ自慢めいて申訳ないんですが、私が法医学をやりまして、たくさんのこういう事件を死体解剖事件をやっておりますが、そのときにこういう異常な行動というものは、ノーマルな精神状態で行なわれてることは、まずないですね。こういう鈴木さんのあとの話、みてみるとははあ、このときにすでにもう、再発が起こっておったんじゃないかと、私はもう専門家としては、当然考えますな。

非定型精神病の誘因と予後
▼非定型精神病が再発する誘因あるいは原因にはどういうことがありますか。
 これは躁うつ病と同じことで、非常に身体的な過労とかあるいは精神的な過労、ショックとか、あるいは社会学的いろんな心配ごとがあったり、いろんなそういうなるほどだれがみてもそういうことがありゃ、病気が悪くなるのかなあということで起こる場合が多いんですけれども、しかしわからん場合もありますね。わからん場合もありますよ。
▼たとえば劣悪な生活環境で経済的にも困窮してるとかというような場合はなりますか。
 ええ、もうそら当然ですね、もちろん。だから病人の予後といいますか、養生が大事ですね。
▼非定型精神病の再発の率は、大体、どんな数字で表わせますでしょうか。
 非定型精神病というのは、今話したようにそうたくさんあるものじゃないですからね。私もそう経験もありませんけど、ものの本によりますというと、むしろ逆に予後は割によろしいんですね。
大体八割ぐらいが一応寛解なり治癒なりするわけですから、残り二割が再発するわけですね。そういうようにみていいでしょう。

急性致死緊張病が死因なのか? 高熱はあったのか?
▼次に、急性致死緊張病についてお尋ねしますけれども、これはどんな病気ですか。
 これもまたなかなかやっかいな病気でして、精神分裂病を妄想型、破瓜型、緊張型とわけまして、その緊張型というのは、いわゆる緊張病性興奮と申しますか、非常にわけのわからん、もうわめいたり、踊ったりという興奮をする発作と、それから逆に、昏迷と申しますが、ずうっと黙って無言不動の状態におちいる状態、昏迷発作というんですが、そういう緊張病性の興奮と昏迷状態を交互に波のようにくり返すのを緊張病と言ってるわけです。
典型的な場合。ですからそういう緊張病の何といいますか、興奮のうちで、特に激しくて興奮だけが激しくて、しかも急激に衰弱といっても肉体的にはそう見えませんがね。やはり体の内部で衰弱の変化が起こるんでしょうが、比較的短時日に興奮がもうずりっと日夜、ちょうどこの方のように、はなはだしいのは数日ぐらいから長くても一ヵ月か二ヵ月ぐらいでダウンすると、死んじまうというのを急性致死緊張病というんです。やはり何か対内的に純枠の緊張病、純枠の分裂病と違って、何か対内にやはり物質的な変化があるんじゃないかと思いますね。ですから珍しい病気ですよ。
▼今おっしゃった体内に物質的な変化があるのではないかというのは、体内というのは脳のことですか。
 まあ脳ばかりじゃありません。主に脳だと思いますけどね。
それ以外のいろんな内分泌系、いろんなこれは今現在わかっておりません。これは私の推測でございます。
▼急性致死緊張病は、非定型精神病とは完全に異なる範ちゅうに属するんですか。
 いえ、そうじゃございません。むしろこれは最近の文献によりますと、結局、初めは急性致死緊張病ということをだれかが、私も講義するときには、種本出してやるんですけど、前から言われておりますけれども、結局、最近の見解では急性致死緊張病というのは、何か対内に変化があると、一方先程の説明で非定型精神病というのがやはり何か純粋の分裂病に比べて、体内に変化があるということから、やはり非定型精神病のむしろ同じカテゴリーに属しているしかも激しいのが急性致死緊張病じゃないかと、こういうふうに文献的に言われておるようですね。まあ私の経験からしてもそうじゃないかと思います。
▼急性致死緊張病の身体症状の一つに発熱ということがございますね。
 それはいわれます。
▼相当の高熱が出るものですか。
 出るようですね。
▼証人は、先程の乙一五号証の城鑑定書の主文の1で、急性致死性緊張病に陥りと書いておられますけれども、この発熱の点については、どうお考えになりますか。
 別に発熱を特に根拠にしてるわけじゃありませんけれども、まあしかし裸になったといいますからね、寒いときに、だから熱もあったんじゃないですか。

(原告代理人)
▼本件の鈴木国男さんが全裸になったのは本人が暑いと感じていたから、つまり発熱していたからだとお考えですか。
 まあ、そういうことでなかったかと推測しますが。
▼非定型精神病が悪化した場合に、自分で保温の手立てをとることができなくなるものでしょうか。
 興奮が激しければ、結局人間というものはやはり自分の生命、健康を維持するためにご飯を腹減れば食べる、寒ければ着るというのが当然ですけれども、ここでは確かに欠食と言いましょうか、食事を食べなかったり、着物を脱いだりすることがありますから、やっぱり興奮の激しいときは、そういう基礎的な何と言いますか、自分を守るという本能が一時的には失われるんでしょうね。
▼証人は急性致死緊張病に陥っていたと判断されて、鈴木国男さんが全裸になったのは発熱していたからだろうと考えられるわけですね。
 そうですね。
▼そうした場合に、暑い場合には裸になって、逆に温度を放つ措置をとるのに、寒い場合には全く着るという措置をとらないということはあるんですか。
 興奮が激しければ、そういうこともあるでしょうね。暑いから脱ぐわけでしょうね。暑いばっかしじゃないでしょうね。そうなると。その辺の細かい心理機構、これは精神病理学と言って、そういう精神病者の心理状態を専門にやる人はなかなか理屈をさけるでしょうけれども、我々から言えば不可解な心理でしょうね。
▼先程ご覧いただいた乙第一五号証の証人が作成された鑑定書の鑑定主文の第一項では、死因は凍死と推測するということですね。
 はい。

つまる所、死因は凍死なのか? 致死性緊張病なのか?
▼ところがその後の説明文を拝見しますと、急性致死緊張病により死亡した可能性も有する。あるいは鈴木国男さんが急性致死緊張病にかかり、かつ厳寒期に遭遇したので、凍死との合併で死亡したことも否定することはできないとされておりますけれども、この点の考え方というのは、どういうものでしょうか。
 私の鑑定書をよく読んでいただければ分かりますように先程から縷々申し上げますように急性致死緊張病というものは、こういうことがあったから、例えば血液を検査して、こういう変化があった、小便の検査したらこうだったからこうだということ言えませんから、法医学的には、四方君の解剖鑑定書を見ましても、この凍死というのも、これだからほかの死因はどうでもない、これで積極的に凍死であるという診断はできんわけです。ほかに死因になるというような重大な病気がないということ、それから環境が凍死するような環境にあったと、それとしかも法医学的にあげてあるように死斑が鮮紅色であったとか、左心室の血液が赤かったとか、胃の粘膜に出血したということがあるので、凍死という推測をするわけです。法医学的にも。ですから、この鈴木国男さんの動静録、鑑定書全般を通じて、とにかく彼が非定型精神病者だと、これは間違いありません。過去のカルテからも、しかも十何時間の動静表を見ましたら、それの状態は全くそれです、私から言わせれば、ですから、そういうところに、更に興奮も十何時間も、単なる興奮にあるのではなく、急性致死緊張病の興奮に移行していると言っていいような興奮ですものね。ですから、これが仮に冬期でなければ、夏とか春とか秋ならば、これで死亡すれば、四方君が解剖しましても、法医学者が解剖したってこれといってないわけですから、どうして死んだんですかって、そのときになって初めて法医学者も、そう言っちゃ悪いですけれども四方君も過去のあれを聞きますね、興奮状態、ああ、それならそれは精神科的なものだろうなになるんでしょうけれども、寒いときですから、凍死するの当り前ですから、凍死という診断をされたわけですね。私なんか、自分の自慢するわけではありませんが、精神科的な知識があれば、これはそういうこともあるんだなということになりますから、結局、その辺、後から言うことですから、急性致死緊張病で死亡する程度にあったのか、なかったのか、あるいはということは、これは分かりませんわ。ですけれども、興奮の状態から見て、急性致死緊張病であろうと、例えばこんな寒いのに自分からなかなか着せても着ないものですから、自分で、自分の生命を守るという本能に違反して脱ぐんですから、やはり急性致死緊張病のような著しい興奮であっただろうと、しかもそれで興奮のために自分から自ら保温不慮を招くわけですから、それで凍死する、それは私の書いてるとおりだと思いますね。
▼そうすると、素人でなかなか分かりにくいですが、法医学の領域でははっきりした所見が出ている凍死という認定をせざるを得ない。
しかし、精神科の領域で言えば、鈴木さんの過去の病歴、死亡直前の動静というものを総合判断してみると、急性致死緊張病で死亡した蓋然性もかなりあるということで。
 はい、それはあります。
▼ただ精神科の領域では、後に客観的なものが残っていないからということも問題なんですね。
 分裂病にしましても、これにしましても解剖的にこうだという積極的なものがないわけです。ですから状況判断をしなければいけない。

凍死の条件としての疲労があった
▼証拠保全調書添付の動静視察表を示す。これもご覧いただきましたね。
 はい。これは鑑定書に入っていますから。
▼二月一三日の記載を見ますと、フラフラしているという記載が四箇所あるんです、数えてみますと。
 はい。
▼それから二月一四日の分を見ましても、朝の六時半から七時のところにフラフラの状態、それから二〇時三〇分から二一時のところに動きに鈍さが感じられるという記載がありますが。
 はい。
▼それから、二月一五日の分を見ますと、やはり記載上も国男さんの動作が鈍くなっているということが伺われますね。
 はい。
▼証人はこのように鈴木国男さんの動作が鈍くなっている原因について、どう考えていますか。
 やはり疲労でしょうね。いろいろ食事もとっていないし、薬も注射もしていますから、それの効き目もあらわしているんでしょう、鎮静効果を。
▼この点について、既に衰弱が進んで命も危ない状態だとみることも。
 これは見ないと分かりませんけれども、書いた範囲内ではそういうふうには見えませんね。足で便器を蹴ったりしていますし、かなりアクティブな行動していますわ。
二五日の昼間の記載を見ましても、足で便器を蹴ると。
 まあ最後には少し鎮静してうずくまると書いていますね。ですから別にうずくまるで、立ったまま最後にぴたっとなっているというふうに、書いたのでは出ておりませんですね。
▼ケースバイケースかもしれませんけれども、全くほかの病気がなくて、単に栄養不良、脱水状態、そういうもので弱っていくという場合は、死の大分前からほぼ動かないんですか。
 普通の場合、人間が死ぬんですから、衰弱状態は普通の場合、こういう特殊な場合でなければ、やっぱり少なくとも一週間、二週間、もう前から衰弱してきていますよ。
乙第一号を示す(四方鑑定書)
▼この解剖所見によりますと、脂肪線の厚さが二センチになっていますね。
 ええ、腹壁の、へそのところ、これはいつも測ります、我々でも。
▼この厚さは正常値ですか、それとも。
 正常値です。
▼例えば餓死した死体の場合、この脂肪線は、どうなりますか。
 測れませんわ。
▼ほとんどないんですか。
 ほとんどないということではないですけれども、目に見えますけれども薄いです。臓器も収縮しますし、この解剖所見みましても、四方君も専門家ですから、例えば臓器が委縮しているとか、皮下脂肪がないというのは、これは当然飢餓症状と考えたり、栄養失調症を考えたりするでしょうけれども、そういうことはないですから。

コントミンの低体温作用は明らかである
乙第一二号証を示す(コントミン効能書)
▼コントミンは、クロールプロマジンの商品名ですね。
 そうです。
▼この効能書きの副作用のところに、血圧降下は書かれておりますね。
 はい。
▼しかし体温低下ということは書かれておりませんね。
 はい。大体が、これは場合によっては低温麻酔なんかにも使いますから、体温降下をむしろ希望してやるわけでしょうから、ある場合には。
▼クロールプロマジンが体温の低下作用を持つということは明らかですね。
 はい。これは当然です。
▼それでは、精神科の領域で教科書などで、このクロールプロマジンを使う場合の副作用に体温降下があるから注意せよということは書かれていますか。
 特にそういう注意はないようですね。
▼それから、証人のご経験で臨床的に体温低下が認められたというようなことがありましたか、コントミンで。
 さあ、体温低下ってそんなに問題にしなければならん場合がありえんもん。
▼動物実験などでは体温低下というのは、もう明らかになっていますか。
 なっていると思います。文献見ていませんから分かりませんけれどもあるでしょうね。低温麻酔に使うぐらいですから。
▼それなのに精神科の臨床面では体温低下ということは、余り言葉にならないというのは、なぜでしょうか。
 普通は病室におったり、そんなに、興奮しますから、裸になってやりますから、それに対応して着物を着せたり、暖房入れたところに移すわけですから、そんなことにいちいち心配する必要はないわけです。
▼それから、凍死は気温が何度くらい以下から始まるものですか。
 私も自分で教科書書いておるんですけれども、大体そうですね、鹿児島でも起こるんですから、やっぱり一応一五度が境になるようですね。一五度より下がりますと危険ですね。
▼二〇度以下でも起こり得るというようなこともあるわけですか。
 はい。それは酒飲んで体温を放出したり、本人が弱っていれば二〇度でも起こります。
▼それから証人に、ただ今臨床面での実際の病院の診療方法などをお聞きしましたけれども、これは一般の病院でごく普通に行われていることだと伺ってよろしいでしょうか。先程から、例えば暴れている患者がいたらどうするかとか、検温、検脈を必ずとるかというお話伺っていますけれども、これは先程のお答えはごく一般的な手法であると伺ってよろしいですか。
 だと思います。私が見ておる範囲内ですね。

(3)城証言の明らかにしたもの
 城証人の権威主義的な態度はいささか滑稽でもあったので傍聴席の失笑を買うことになった。城は国側証人として、国の過失を否定するために、死因を急性致死性緊張病と結びつけようと努力した。
しかし一方、法医学的立場からすると、四方鑑定書の明確な結論「凍死」を全否定することも困難であった。
 そこで城は、両因の関係については極めて曖昧な主張を展開することになる。同様のことは臼井診療の評価にもあらわれていて、例えば、患者が暴れているときに、身体的診察は不可能なのかという問いに対しても、できないといいつつ一方では、医者の工夫により身体診察も、また水分食事を摂らせることも可能であると示唆している。
 それにしても彼は、精神医療については臨床経験は極めて不充分なものしかもちあわせず、その精神医学的知識も教科書的範囲に於てさえ不正確なものであった。
 とくに致死性緊張病の診断基準は、分裂病緊張型のうち、緊張病性興奮が、激しく長く続き死亡するものという程度の理解しかなく、川合証言が明示したような、スタウダーの高熱その他の基準については無知であった。城のいい方に従えば、緊張病罹患中の死亡があれば、単純にもすべて致死性緊張病であったと結論できるかのような杜撰なものである。なかんづく、高熱が鈴木氏の場合あったか、なかったかという質問には、全裸になったのは暑かったからであろう、発熱していたであろうという驚くべき粗雑な意見をのべている。これでは専門家の証言とはいえないではないか。
 結局、城証言は、凍死を肯定し、致死性緊張病については可能性を示す以上のことをなしえず、臼井のとった処置についても片方では認めつつ一方では、治療として満足なものであったとはいえないという批判的見解さえのべることになったのである。
 こうした結果により国は大きく有責の方向へと追いつめられたのである。

保護房現場検証

期 日  昭和五七年二月一八日午前二時〇〇分
場 所  大阪市都島区友渕町一−二−五
大阪拘置所内保護房第六房
検 証
一、検証の目的物、目的
 上記場所における保護房内および周囲の状況ならびに当事者の指示する本件現場の関係地点を明らかにする。
二、現場における当事者の指示
説 明
被告代理人川島浩
1、本件保護房は、四階建舎房(第七舎)の一階に設置され、南面単房式である。
2、本件保護房は、コンクリート打込式で一区画の中に二居房を設置してあり、本件は第六房、第八房に拘禁していた。
3、本件保護房は、一つの部屋の中にもう一つの部屋を設けている。
4、保護房第六房は、房内に突起物がなく、床および壁面はリノリュームを張り、天井には蛍光灯二〇ワット二本およびテレビカメラを設けている。また、そのほかに換気装置、居房前後に視察口、居房前部に食器孔、および居房内にコンクリートの便所、洗面所がある。
5、保護房第八房は、前記4と同じである。
6、水洗および洗面の水操作と、換気操作は、居房外側で操作するようになっている。
7、視察の方法については、本件の場合、昼間は廊下に備えつけの担当台を置き、職員一名を配置し、常時視察を行わせ、三〇分おきの動静記録をし、夜間は他の舎房とかけもちで視察しているが、昼間と同じ動静記録をしている。
8、同じく天井に備えつけのテレビカメラで常時視察している。
検証の結果
一、本件保護房は大阪市都島区友渕町一ー二ー五の大阪拘置所内一階に設置されており、その内部の状況は、別紙添付見取図第一図ないし第四図および添付写真1ないし9とそれに付記してある説明のとおりである。
二、本件保護房後部にある便所と洗面所のすぐ上に設けられている換気孔との連けいの状況は、別紙見取図第一図、第四図および添付写真9ないし12のとおりである。試みに、舎房外に設置されている換気操作を始動し外側から舎房内に入ってくる通風状況を、舎房内の添付写真9の換気孔手前約一〇センチメートルの部位に手首をあてて観察したところ、外側から風が入ってくるのが感ぜられた。
三、本件保護房には、暖房設備はなかった。
四、また、音の点について、試みに隣りの第七房に入って大きな声を出してみたところ、第六房内において、それを比較的によく聞くことができた。
五、便所および洗面所の水操作については、居房内にある水操作によって試みた結果、被告指示のとおり水が出たり止まったりした。
六、本件保護房の天井にとりつけられている蛍光灯とテレビカメラの状況と、このテレビカメラを通じて写し出されるテレビ(このテレビは、拘置所職員室に隣接して造られてあるテレビ室内にある)の状況は、別紙添付の見取図4および添付写真6ないし8、13ないし15のとおりである。
七、試みに、本件保護房第六房内に拘置所職員一名を入れ大きな声を出してみることを指示したところ、作動しているテレビ面に間もなく人の像が写し出され、録音装置から「オーイ、オーイ」という声を聞きとれた。
八、本件保護房内の温度については、立会人が多く出入りしていたので計温しなかった。

裁判闘争の現局面
弁護士 桜 井 健 雄

一、裁判は既に最終段階を迎えている。六月二四日には、これまでの証拠調べに基いて、原告と被告双方がそれぞれの主張をなすべく最終準備書面を陳述することが決められている。そして、今秋には判決の予定である。
二、この裁判の今日に至る過程は、保安処分新設攻撃が次第に強められていく過程でもあった。裁判は、保安処分が現実にはどのようなものになるのかを暴露した。それは、「障害者」の命さえ奪っていくものであることを明らかにしたのである。
 そして裁判闘争は、一片の人権感覚さえない国ないしは拘置所が、鈴木氏の死因を不明なものとしてかたづけ、自己の責任を回避しようとしたのに対し、それが無駄な「あがき」にしかならないことを示したのであった。
三、いま、裁判のプロセスをふりかえってみれば、次の点がこの裁判にとって重要なものであったといえる。
 まず第一には、拘置所保護房内での鈴木氏の様子を記録した「動静視察表」の証拠保全である。これによって、死に至らしめられた鈴木氏を、看守が、ただ「おとなしくなればよい」と冷やかに見ている過程が明白になったのである。木村、渡辺両医師の努力で右の過程を整理し、法廷における証言によって、一層明確にしたのであった。
第二には、事件捜査の際の鑑定書の提出を求め、鈴木氏の死因が凍死であることが四方司法鑑定により判定されていることを引き出したことである。
 第三には、川合先生及び臼井の尋問の中で、臼井の「治療」なるものがその名に値しないものであることを明らかにし、臼井自身にも「不充分」であったことを認めさせた点である。
 第四には、国側の裁判引延し策の結果行われた拘置所現場検証により、保護房が外気と直接連絡し、換気扇の作動により、人に感じる風となって外気が房内に入ることが明らかになった点である。凍死するに至っても当然という外的条件がうらづけられたのである。
 第五には、鈴木氏のお母さんや橋本さんの証言に示されたように、拘置所の対応はいかにも不誠実であり、「障害者」に対する治療という観点などは望みうべくもなかったことが明らかにされたのである。
四、保安処分新設問題が重要な段階に至っているとき、この判決で勝利し、「保安処分」の実態の何たるかを明確にすることは大きな意義を持つ。現在までの審理過程をふりかえると勝利の見込みはあると思われるが、裁判所における政治的思惑あるいは「障害者」に対する偏見から、われわれにとって満足できない判決を下す可能性もある。とりわけ、損害額の認定については、訴訟救助問題の経過からすると、偏見に満ちた判断が下される可能性がある。
 内容的にも勝利する判決を克ち取るため、より一層の支援をお願いする。

結審をむかえて
拘置所をうらむ
鈴木 花子

 「貧乏人の精神病者は密室でどんな殺し方をされても、ただ心不全で片付けられて泣き寝入りする人も多いと思われる」
 五一年(一九七六年)二月十六日、忘れようとしても、まぶたに焼き付いて離れない国男の突然の死・・・・・・・。橋本和子さんからの報らせで、二月十五日は、日曜なので面会さしてくれないだろうかと二月十六日の月曜の一番の電車で行くことにした。
 面会当日のことをいろいろ考えていると眠ることができないまま、国男の写真を抱いて、明朝は行くから良い子をして待っているんよーと言い聞かせたが、思えばあの時間頃が一番つらい時だったのだろうと思われる。血肉を分けた親子の此の世の別れだったのだから・・・・・・・。
 あの子の霊は私の所へ帰って来たのだと思われる。お母さん―助けてくれ―の声は死後当分耳から離れなかった。
 でもその時は死んでいるとも知らず、一刻も早く面会さしてもらうことばかりを祈り、橋本和子さんを頼りに大阪都島の拘置所に足を運んだ。橋本さんとは別々にされたが、親の私には面会さしてもらえるだろうと心待ちに待つことの長さ・・・・・・め。
 所長が「お母さん、今日どうして来られましたか? 不思議なこともあるものよ。実は今朝二時四五分頃、国男君は死にました。死体を確認してください」。あまりのことにびっくりして涙も出なかった。死の面会とは・・・・・・・・。
 その時、私の血は怒りの気持ちでいっぱいだった。まるで、「狂犬病」の厄介者が片付いた位に思っているのだろうが、今ここで私が取り乱してはいけないと、じっと我慢することのつらさ・・・・・・・・・。
 橋本和子さんも別室で長い間待ってくれていたが、そのことを聞いて驚き、仲間に連絡して皆が集ってくれた。死体解剖後早急に火葬と、いろいろ手配済みだから早く早くとせかされても応じない。
お風呂も食事も用意してあるからと言われても余計怒りが増すばかりだった。
 存命中の国男の口ぐせは正義の味方ウルトラマン。自分は世のため人のために働くのだ。親孝行ができないが、許してくれと葉書きでたびたび断りを言っていた。田舎へ墓詣りに行っても国男は殺されるような悪いことをしたのか? と言われるがただただ殺した後始末に困るから報らせたとしか私には思えない。・・・・・・・この怒り、うらみ・・・・・・
 「大阪都島拘置所、うらみぞ探し、瞼に浮んだ国男の顔が悲痛に叫んでいる」

保護房検証を終えて
鈴木 花子
 五七年二月一八日の大阪拘置所見学。行く迄は願ってもない国男の最後の死に場所独房を見る事。裁判所長、国側の弁護士、こちら(原告)側桜井弁護士を初め五人、全部で一二人の中で私一人老母。
 初めて見た拘置所独房、まるで地獄だ。小さな三畳と便所と水道といっても、自分で勝手に水を出すことも出来ないのだから、便所も、やりっぱなし。何も見る事も出来なく、四方は重いリノリーム式の厳重な壁。六号室から八号室へ替えた、それは部屋を汚したからとの事。
 食器の入る位の小さな窓口の下の方で、えびのようになって死んだ八号室。食器入窓口に思わず手を合わした。今年の二月一八日は割合に暖かだったが、二月三日より死の一六日早朝迄約二週間、よくあの部屋で生きていられたものだと感心をした。国男の死を待つ人間鬼共に、人間として扱う事を知らない人間鬼共には永い日々だったろうが? あまりのあわれさ、腹立たしさを考える時、国男はどんな悪い事をしたのだろうか、如何に狂っているとは言え「殺してしまいたかった」としか考えられない。
 裁判所長等々は、どんな感じで見られただろうか? 血も涙もない人間ならば、やはり狂犬病を入れる部屋位に見られたかも知れない。
 帰りの新幹線電車の中でも、あの拘置所の部屋が瞼に焼き付いて離れない、苦しさ。原告といっても、なぜあんな場所を見学さしたのだろうか? 私を苦しめる為だったのだろうか? 等々を考えていると、しんどくて、やり切れない気持だった。でも一週間経った今日此の頃は、やはり国男の霊が自分の最後の場所のあの悲痛な死に場所を親に見させ、第二の自分を出さないようにとの叫び声だったと思われる。    感想五七年二月二五日書く。

もうこれで最後の裁判所という事についての感想
 寒さの時、暑さの時も長い間、はげまし助けて下さった、木村先生を初め上田君、佐藤君、橋本和子さん、大野さん、其の他鈴木実行委の御一同様、弁護士の方々に、厚く厚く感謝いたします。
 本当に有難う御座いました。
 今後共第二の国男を出さないようがんばって下さい。

追悼文
全国「精神病」者集団

デカちゃん!!
あなたが荼毘に附された日は、音もなく降りしきる雨の中でした。
もうあれから、四ヶ月にもなるのですね。
無念の涙でお別れして、私達は今日やっとあなたの、追悼集会を持つことができました。
ほんとうに遅くなってごめんなさい。
あの日、二時間たらずで無機物化したあなたをみて、私達はただ、ぼう然とし、胸のうちでつぶやいていました。
やっと、おらくになれましたのね。病魔と闘い、差別・抑圧・偏見と闘う、重い生命から、やっと、ときはなされ、自由になれましたのね≠ニ・・・・・・・。
でも誤解しないで下さい。
私達は、あなたの死にものぐるいの闘いを肯定こそすれ、あなたの死を肯定するものではありません。
殺されても、自己主張しつづけた、カレツな生命へのいたわりだったのです。
あなたの死の衝撃で、空ろになった頭にあなたは多くのことを語っていました。
生よい気分や、感傷をまるで否定するように、死者のあなたは、無言で語りかけ強く、自由で巨大でした。
かえりみれば、あなたと、私達の出合いは、強烈なものでした。
四九年五月、第一回患者集会に、『狂人よ刃物を取れ、刃物をとってやり返すのだ』と叫んだあなたでした。
私達は、何とすっきりした、煮つまった狂人としての、自己規定がと、驚きました。
以後、地方という空間をとびこえて、いつもあなたに目がそそがれていたものです。
そうしたあなたは、四九年九月の関西集会に期待したある日、日記に、次のように記していました。
『いずれにせよ、情熱なのだ、情勢がそこまで行ってないがゆえのモダエ・・・・・・・自信はあるが主体的に情勢を切り開くそういう自信はない。
一人で切り開く自信はない。
むしろ、オレ一人痛い目にあうのはゴメンダという気持、もうずい分痛い目にあってきたもんなぁ・・・・・・・・
狂人解放の関西集会も九月にはある。
Qらといっしょに運動とかやる気はないし、要するに、男にせよ、女にせよ、コレといった人間を求めているんだなぁ―こいつのタメなら死ねる。こいつとならという男や女を―』
あなたはキリキリしながらまことの共闘者の出現に期待したのでしょう。
弱者の私達が弱者として唯一の武器となりうる結束の夢とロマンをただよわせているのでしょう。
まるで予言的にさえ感じます。
支援者ではなく殉死者を求め闘いを共闘できる真の兄弟を―そして共に解放を語り、自立を確認しあえる兄弟を期待したのでしょう。
あなたは病者の代弁者として個立化し呻吟しつづける存在を何と見事に表現しているのでしょう。
デカちゃん
あなたの提起を、真の被差別の内奥の叫びと感じながらも、微力さゆえに受けとめられなく、あなたを死にいたらしめた私達は今、何の弁解も許されない痛みに打ちひしがれています。
ただ、今、私達にもてる熱情はあなたを死に至らしめた権力の横暴さや、暴力をあばくことや、A君との傷害事件を「キチガイに刃物論的」に現象面のみで取らえたり単純な解釈で、やすやすと切捨てた、冷酷者、差別者を裁くことです。
何よりも、狂人を差別し排斥した社会と同じ図式でもって、あなたを排斥した連中の意識性や、欺瞞を徹底的に告発することを約束するでしょう。
あなたの刃物は自立をさまたげ、Drにかいならされる患者の内部告発であり警鐘でした。
デカちゃん おぼえていますか?
あなたと最後にかわした言葉を―。
『姉さん釜はいいぞ、釜で青カンやっていると差別がなく、浮労者もポン中も精神病院出も何らくったくがないし、大らかなんだなぁ今度大阪に来たら、釜につれていってやるからなー』といったことを。
あなたが唯一夢みた未来の社会の原型を、釜で示しながら、あなたは遠くへ行ってしまいました。あなたの理想と闘いを引きうけながら私達は狂人といわれる兄弟との同族性をたかめる覚悟です。
あなたの魂が、安らかであることを祈ります。

キチガイ差別に負けるな!!
キチガイ・狂人のレッテルをはられし同胞に
・釜ヶ崎で働き生活する全ての同胞、兄弟よ!
なかんずく狂人だ、変人だ、変質者だ、性格異常者だと文字通りキチガイ扱いされ、泣かされつづけて来た兄弟よ。
誰にも言えぬ苦しみ、悲しみ、怒り、怨み、つらみを、ただただ自らの内奥におしかくし、ひそかに静かにひっそりと暮している同胞よ。
はたまた怒りの個別的、個人的爆発を、いわゆる正常人という差別者によって、よってたかっておさえこまれ、いまわしい精神病院にブチこまれている兄弟よ。
今こそ、いまこそ、10数年来の狂人差別の屈辱と怨念のないまぜあわされた熱情でもって、同胞に、兄弟に呼びかける。
おしよせる狂人差別、狂人抹殺の大反動攻勢に、敢然、決然と立ち、自らの解放と狂人解放という自らの解放の中に含まれている全ての被差別者・被抑圧者の解放のための斗いーいうところの人間の本源的解放の斗いに決起することを。
狂人解放同盟
鈴木国男

資料

訴状

当事者の表示          別紙当事者目録のとおり
損害賠償請求事件
訴訟物の価額 金四二、三四九、六四四円
貼用印紙額     金二一四、九〇〇円
(但し、訴訟救助付与申立をしたので印紙を貼用しない)

請求の趣旨
被告は原告に対し、金四二、三四九、六四四円および内金四〇、三四九、六四四円に対し昭和五一年二月一七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

請求の原因
一、原告の地位
 原告は訴外鈴木国男(以下単に鈴木という)の実母であり、唯一の相続人である。
二、鈴木の死亡事実
 鈴木は昭和五一年二月一日、殺人未遂容疑で逮捕され、同日大阪府警浪速警察署に留置され、同月三日大阪地方検察庁検察官小野拓実の請求に基づき発せられた勾留状により、大阪市都島区友渕町一丁目二番五号所在大阪拘置所に移監、勾留され、同月一六日午前二時頃同所保護房内において死亡したものである。
三、鈴木の経歴等
 鈴木は昭和一七年七月二六日、父正孝と原告との間に広島県呉市で次男として出生し、昭和二四年七月一〇日父正孝が死亡して以来、原告の女手一つにより育てられ、同人も苦学を重ねる中昭和三八年四月広島大学に入学した。
 鈴木は右大学に在学中、日雇労働者等のいわゆる下層労働者の運動に関心を抱くようになり、昭和四三年八月ころより東京都大東区の日雇労働者街である「山谷」地区に住みついて自らも日雇労働者として稼働し、下層労働者解放運動に挺身するようになった。以降、昭和四六年一二月ころより鈴木は「山谷」地区から大阪市西成区の「釜ヶ崎」地区に移り住むこととなり、爾来同人が精神病院に入院した経験等を通じて精神障害者差別あるいは精神病院の劣悪等精神医療問題を深く自覚するところとなり、下層労働者の問題と併せて精神病者解放運動にも挺身するところとなっていたものである。
四、鈴木の死亡に至るまでの状態は次のとおりである。
1.逮捕の翌日である同月二日、当時公判中であった恐喝等被告事件の弁護人であった訴外丸山哲男弁護士が浪速警察署で接見した際、鈴木はその応対・応答も普通であり、何ら身体に異常をきたしている状態ではなかった。
2.同月三日、大阪拘置所に移監される際、入所時の氏名等の申告時に鈴木が「暴れた」との理由で、即時保護房に収容されるところとなり、その際鈴木に対し戒具が使用された。
3.その後、鈴木は睡眠をとらなくなり、かつ食事も拒否する傾向がみられ、上半身裸になったり、便器に頭を突っ込む等の行為がみられるようになり、同時に保護房という体温保持に必要な環境の欠如、および不眠や食事を取っていないことなどから身体を震わすという状態が続き、身体の衰弱が進行していった。
4.同月九日午前五時に至り、たまたま鈴木が洗面所に顔を入れたまま身動きしなくなったため、ようやく同拘置所嘱託外科医中田が診断するところとなったが、右中田は鈴木に「至急精神科医受診」の必要性を認めるに止った。
5.その後鈴木は前記3記載の状態に比してより進行した状態が続き、同月一〇日正午頃、訴外田中検事等が来房しても、取調を行い得るような状態ではなかった。
 ようやく同日午後一〇時頃に至り、鈴木は約三時間程度の睡眠を取ったものの、睡眠中に身体に震えをきたしている状態であり、その後身体の動きも緩慢になり、しゃがみ込む等の状態が多くなり、身体の衰弱がさらに進行していった。
6.同月一三日午後二時頃に至り、ようやく同拘置所非常勤医である訴外臼井節哉の診断を受けることとなった。
 右臼井の診断結果は「アメンチアないしせん妄様で、幻覚ないし妄想の豊富な存在が推定され、精神分裂病の疑い」とのことであり、右臼井は一日量コントミン一〇〇ミリグラム、ピレチア三〇ミリグラムを三回に分けて、以後二週間服用させること、コントミン五〇ミリグラムを一日二回朝夕、以後三日間筋肉注射することを指示した。
 そして、右指示に基づき、同月一四日、一五日の両日計四回右注射が、同拘置所医務課所属準看護士によって行われた。
7.前記したとおり、鈴木は同月一三日頃から保護房内において、「しゃがみ込む」姿勢や、ひんぱんに身体をこする動作をくり返すようになり、同月一四日には看守の眼にもその動作の鈍さが目立つようになった。
 同月一五日午前一一時頃には身体を横たえ、ぼんやりとして時々上下肢又は上体を動かすだけの状態に陥入り、翌一六日午前一時頃身体に震えを来たし、午前二時頃全く動かなくなることにより、看守が房内に入り、死亡していることが判明したものである。
五、鈴木の遺体の状況
1.鈴木は生前身長一七六センチ、体重八五キロというきわめて頑強な体格の持ち主であり、同月二日訴外丸山哲男弁護士が浪速警察署において接見した際も前同様であり、とうてい二週間後に死亡するような兆候は一切なかった。
2.鈴木が死亡した同月一六日、鈴木の友人である訴外橋本和子の連絡により、たまたま面会のため同拘置所を訪れて鈴木の死亡を知ったのであるが、同日午後一時頃、原告が鈴木の遺体と対面した際には鈴木はやせ細り、我が子かと見まかう状態であった。
 同日鈴木の遺体が司法解剖に付された後、原告によりその遺体が引き取られ、その後の訴外貴島千代彦医師等による遺体検案によれば、推定二〇キログラムにも及ぶはなはだしいるいそう状態にあることが確認された。
3.さらに右検案によって鈴木の遺体には、右腰部、肩等全身にくまなく多数の外傷があり、右外傷はその状態からみて同拘置所移監後生じたものであることは明らかであり、かつその部位等により自損行為によるものとは考えられない外傷が多数発見された。
六、同拘置所監守らの面会者等に対応する対応
1.訴外橋本和子は鈴木等と共に精神医療の問題に取り組んでいた友人であるが、同人は同月五日鈴木に面会する為同拘置所を訪れ、面会の申し込みをなしたが、受付の看守らは「本人は裸になって暴れている」等申し向けて面会を許可しなかった。そこで同人は、拘置所内における医療に対する不安と、鈴木の精神障害の発症への危惧から鈴木の過去の主治医等による診察を申し入れたが、看守らは「全て拘置所の判断で決める」等と答え、申し入れも拒否した。
 更に同人は同月九日、一三日と面会のため同拘置所を訪れたが、ここでも看守らは「あれは完全に狂ってますな」等申し向け、同人の医師による診断等の申し入れ等も全てこれを拒否した。
2.鈴木は、同月三日四時半頃、同拘置所看守らに対して所長面会ならびに外部と連絡を取るため電報を打たせるよう要求したが、これらは全て取り上げられなかった。
七、被告の国家賠償責任
1.検事小野拓実は、鈴木の勾留請求をなしたものであり、かつ勾留の実質上の主宰者であり、自らも鈴木の状態を遅くとも同月一〇日には熟知していたものである。
 当然勾留の実質上の主宰者として、鈴木の健康保持のため方策をとることを怠り、慢然これを放置して、いたずらに勾留を継続して何ら適切な処置をとることがなかった。
2.当時大阪拘置所長であった訴外井田滋清、および、同所看守らは拘留の執行者として被疑者の身体の安全と身柄を適切に管理する義務のあることは言うまでもない。
 同拘置所長看守らは、鈴木を二月三日以来死亡するに至るまで保護房に収容し、その状態を遂一監視、記録していたものであり、鈴木の状態を最もよく了知していたものである。そして保護房の構造が一般的に体温の保持に不適切であり、その運用についても厳格さが要求されているものであるにもかかわらず収容し続けたことはもちろん、何ら適切な処置をとることなくこれを放置し、あまつさえ訴外橋本和子との面会、医師のあっせんの申し入れ等に真撃に耳を傾けることもなかったこと等により、鈴木をいたずらに孤立に追い込んだ。
 そして、鈴木の状態を熟知しつつも、同所嘱託医中田が診断したのは二月九日であり、右中田が「至急精神科医受診」の指示をしたにもかかわらず、慢然これを放置し、同月一三日非常勤医臼井が診断するまで、何ら医師を手配しなかった。
3.非常勤精神科医臼井は、患者の健康保持及び治療のための適切な措置をとるべき義務を負うものであるところ、鈴木を診断し、「精神分裂症の疑いがある」としながら、単に筋肉注射と投薬を指示しただけに止まった(しかも投薬、注射は自己が立ち合わなかった)ものである。
 しかも右診断・指示は、検温・検脈等の治療の前提を欠いたままなされたものであって、保護房には暖房が行われておらず、鈴木は着衣も整わぬままであるから、保温が困難な中行われたのであった。
 従って、この加療は、生命維持の条件と加療による副作用の早期発見という中尉義務を欠いたままなされたものであってとうてい医療とは言い得ないものであった。
以上三者の前記各過失が競合して鈴木を死に至らしめたことは明らかと言わなければならない。
 検事小野並びに大阪拘置所および同所看守らが公権力の行使にあたる公務員であることは明らかであり、既に述べた如く、本件鈴木の死因は被疑者として勾留されている際の検事並びに大阪拘置所長および看守らの不当な措置によるものであるから、公務員職務を行うについて故意又は過失により違法に他人に損害を与えたものであるということも明白であり、国は国家賠償法により当然その責任を負うものである。
 又、医師臼井は当時大阪拘置所医務部医療課非常勤医師としての地位にあり、本件診断等については、右地位に基づき行われたことは明白であり、さすれば同人も公権力の行使にあたる公務員の立場にあり、国は臼井の不当な措置についても責任を負うものである。
八、原告の損害
 原告は鈴木の死亡により、以下の損害を蒙った。
 鈴木は原告にとって三人息子のうちの一人であるが、鈴木は原告に迷惑をかけまいとして苦学を重ねて大学に進学するなどとりわけ親想いの子供であったのであり、かけがいのない息子であった。
 原告は、鈴木が逮捕され勾留されている事実を訴外橋本和子の連絡によって初めて知り、鈴木が死亡した二月一六日、広島県呉市より同人に面会するため来阪し、同拘置所に面会の申し込みをすることによってはじめて鈴木の死亡事実を知るに至ったものである。
 息子を失った母親としての失望は大きく、その精神的苦痛は金銭に換えがたいものであるが、あえて金銭に換算するならばその慰藉料は金四〇〇万円を下ることはない。
九、又、原告は鈴木の蒙った損害を唯一の相続人として相続したものである。
1.逸失利益       金二六、三四九、六四四円
 鈴木は、昭和五一年二月一日浪速警察署に逮捕された当時は、ゴルフ練習場で働いていたものであり、通常の労働能力を有していたものであるから、賃金センサス昭和五一年第一巻第一表によれば同年令の平均賃金は月額金二二四、五九一円となり、単身者としての同人の逸失利益を新ホフマン式により計算すれば左のとおりとなる。
@死亡時の年令 三三歳
A稼働年数(六七歳まで) 三四年 新ホフマン係数
                    一九・五五三六
二二四、五九一円×一二ヶ月×1/2×一九・五五三八
               =二六、三四九、六四四円
2.慰藉料    金一、〇〇〇万円
 鈴木は大阪拘置所移監後苦しみに苦しみ抜いて死亡したものであり、その凄絶さからすれば、その死を慰藉するに相当とする金額は一、〇〇〇万円を下ることはない。
3.弁護士費用   金二〇〇万円
 原告は被告の不法行為により、本訴提起を余儀なくされたものであり、右提起にあたり、原告は原告訴訟代理人らに対し勝訴のあかつきには請求認容額の五%を弁護士費用として支払う旨約したので、右に述べたところに従い、弁護士費用の支払いをも併せて右のとおり請求する。
十、よって原告は、被告国に対し、国家賠償法に基づき、鈴木の蒙った損害の相続分も含め損害賠償金金四二、三四九、六四四円および内金四〇、三四九、六四四円に対し昭和五一年二月一七日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を請求するものである。

証拠方法
必要に応じて口頭弁論期日において提出する。

添付書類
一、戸籍謄本         一通
一、除籍謄本         一通
一、委任状          一通
昭和五四年二月五日
原告訴訟代理人
弁護士  後 藤 貞 人
同    在 間 秀 和
同    桜 井 健 雄
同    武 村 二三夫
同    松 本 健 男
同    関 根 幹 雄
大阪地方裁判所 御中
当事者目録
737 広島県呉市朝日町一七−二五
                原 告 鈴 木 花 子
530 大阪市北区西天満三丁目一三−九 高橋ビル西四号館二階
                原告訴訟代理人
                弁護士 後 藤 貞 人
530 大阪市北区西天満三丁目六−三五 高橋ビル南五号館六階
                同   在 間 秀 和
                同   桜 井 健 雄
                同   松 本 健 男
530 大阪市北区西天満四丁目三−三 星光ビル三階
                同   武 村 二三夫
530 大阪市北区西天満六丁目七−四 大阪弁護士ビル四〇五号
                同   関 根 幹 雄
100 東京都千代田区霞ヶ関一−一
                被 告 国
                右代表者法務大臣
                    古 井 喜 実

原告第一回準備書面
原 告  鈴 木 花 子
被 告     国

 右当事者間の御庁昭和五四年(ワ)第五七二号損害賠償請求事件につき、原告は左のとおり弁論を準備する。
昭和五四年一〇月一二日
右原告訴訟代理人
弁護士 桜 井 健 雄
同   武 村 二三夫
同   関 根 幹 雄
同   藤 田 正 隆
同   甲 田 通 昭
大阪地方裁判所
第三民事部 御中

第一、 原告は訴状において、被告の賠償責任を生ずる根拠としては@検察官、A拘置所長及び同所看守らB拘置所非常勤医師臼井の各過失がある旨主張しているものであるが、右各過失について更に詳論する。
第二、
一、 大阪地方検察庁検察官田中は、鈴木国男に対する昭和五一年二月三日付勾留裁判の執行指揮官として、被勾留者鈴木が拘置所での勾留執行に耐えうる心身の状態にあるか否かを調査し、被勾留者の健康を害することのないよう十分に注意を払い、その心身の状態をして、勾留状態に耐え得なければ、その執行を停止させ、または、釈放し、鈴木をその保護義務者に引き渡すか少くとも、病院に入院させて執行する義務がある。然るに、検察官田中は、拘置所保護房に来房し、鈴木の状況を現認し、その異常性を十分に認識しているものであるから、直ちに釈放、病院移送等の処置をとるか、少なくともその判断のための十分な調査をなすべき義務を負っているにもかかわらず、慢然、これを放置し、鈴木をして凍死に至らせた過失がある。
二、1. 検察官田中は、鈴木の勾留請求をした検察官であり、その請求にもとづいて、勾留裁判をした大阪地方裁判所に対応する大阪地方検察庁の検察官であり、鈴木に対する勾留裁判の執行指揮官である。(刑訴法四七二条一項、七一条)
2. 勾留執行は、裁判への出頭確保という国家的要請のもとに、被疑者、被告人に対し逃亡のおそれ、罪証湮滅のおそれと、単なる「おそれ」を理由として、被勾留者の身体の自由を剥奪、拘束するものである。
 勾留の実態が右のようなものである以上、勾留執行にあたっては、執行指揮官は、被勾留者の心身の健康を害することのないように、適切な執行を指揮する責任を持負うものである。右の事は、勾留より、より強い拘束をうける各自由刑の執行についての法規定をみても明白であるといわねばならない。すなわち刑の執行につき、検察官は、刑の執行により著しく受刑者の健康を害する場合、刑の執行により回復できない不利益を生ずるおそれがある場合等その執行を停止することができると規定(刑訴法四八二条各号)し、身体的自由剥奪の刑執行において、その被執行者の健康状態への十分なる配慮を要請している。更に、検察官は、受刑者が心神喪失の状態にあるときは、必ずその刑の執行を停止させ(刑訴法四八〇条)その対象者の監護義務者等に引き渡したり、入院させる等の措置をとるべきことを(刑訴法四八一条一項)義務づけている。
 右の例からも、身体の自由を剥奪する裁判の執行にあたっては、執行指揮者は被拘束者をして、この執行に耐え得るか否か、執行により心身の健康を害するか否かを十分に配慮した上、適切な執行を指揮し、場合によっては、その執行を停止すべきことを法をもって要求しているといわねばならない。
 右に示した、刑訴法上の基準は、受刑者に対する基準であり、刑罰思想を全く前提とせず、単に裁判への出頭確保という国家的要請のもとに身柄を拘束する勾留にあっては、被勾留者への心身の健康状態の調査はもちろん、執行に耐えない、執行により心身の健康を害するような事態を生ずれば、より迅速に執行停止、釈放をすべきものである。
三、 検察官田中は昭和五一年二月一〇日に鈴木を取調べる為大阪拘置所内の当時鈴木が拘束されていた保護房に来房した。ここで田中は、食事をとらず、食事を房内に散乱させ、厳寒の中全裸で徘徊し、「弾かない」「権力云々」「友達が」と喚き続けている鈴木を現認し、鈴木に対する取調を断念している。
 右のような被勾留者鈴木の状態を現認すれば勾留執行指揮者としての田中は、右鈴木の心身の健康状態を調査し、適切な執行を指揮すべきであった。もし、田中が、右調査をしたならば、その前日の二月九日の医師中田による「専門の精神科医による診察、治療の必要がある」との診断結果も知りえたはずであり、鈴木が少なくとも拘置所における勾留執行に耐え得ない健康状態であることをも容易に確認し得たはずである。
四、 このように、検察官田中は、勾留裁判の執行指揮者として被勾留者の心身の健康状態を調査し、その執行に耐え得るか否かを考慮し、場合によっては勾留の執行停止の申立を含め、適切な執行を指揮すべき権限と責任を有していた。
 然るに、昭和五一年二月一〇日には、既に述べた如き状態にある鈴木を現認しながら、鈴木に対する執行停止、釈放等の措置を採らなかったことはもちろん、専門の病院にも入院させずあまつさえ鈴木の心身の健康状態を調査することさえしておらず、慢然これを放置したものである。更に、同年二月一三日には、右状態にある鈴木を引続き拘置所内に拘束すべく、勾留延長の請求すらなしているのである。
 このように検察官田中には、作為、不作為の誤った執行指揮により、意識障害をおこし、自己防衛の能力を失っていた鈴木をして凍死という結果に陥れた過失がある。
第三、 大阪拘置所所長及び看守らの過失
一、 大阪拘置所々長及び同所看守らは、勾留の執行者として、被疑者の身体の安全と身柄を適切に管理する義務がある。右義務については被告国も昭和五四年六月八日付答弁書において認めるところである。
 鈴木の死は、大阪大学四方一郎教授の鑑定(乙第一号証)によって明らかなとおり凍死である。
 右四方鑑定によれば、凍死を招来する原因として、一般に外気温が低いこと、身体条件としては、空腹、疲労等があげられている。
 鈴木は当時、厳寒期において拘置所保護房という保温設備の極めて不充分な場所に、全裸もしくは全裸に近い状態で摂食もほとんどなされず、生命保存に必要な適切な処置がなされないまま放置され、その結果、凍死するに至ったものである。
 鈴木は、保護房収容当初から精神障害の症状を呈していたのであるから、医師による診察、適切な治療が必要であった。
 しかるに、大阪拘置所々長及び同所看守らは鈴木の生命危険を予想しえたのにかかわらず、鈴木に対し、医師による診察、治療、栄養補給、保温等生命保持に必要な適切な処置を怠り、右過失によって、鈴木を死に至らしめたものである。
 監護法第四〇条は「在監者疾病に罹りたるときは、医師をして治療せしめて必要あるときは之を病監に収容す。」と規定し
さらに、「保護房の使用について」の昭和四二年一二月二一日矯正局長通達矯正甲第一二〇三号記三は「精神又は身体に異常のある者については、医師が診察し、健康に害がないと認められるときでなければ、その者を保護房に拘禁してはならない。
ただし、急速を要し、あらかじめ医師から診察することができないときは、拘禁後直ちに医師が診察しなければならない」とし、同記四は「医師は、随時保護房拘禁者を視察し、必要に応じ、診察しなければならない」とされている。
 大阪拘置所所長及び同所看守らは、前記のとおり、勾留の執行者として、被疑者の身体の安全と身柄を適切に管理する義務があるにもかかわらず、右監獄法の各規定、通達に違反し、鈴木に対する生命保持に必要な適切な処置を怠り、鈴木を死に至らしめたものである。
 大阪拘置所所長及び同所看守らの過失は明らかである。
二、(一) 昭和五一年二月三日から同月八日までにおける大阪拘置所所長及び同所看守らの義務違反
1.鈴木は、昭和五一年二月三日大阪拘置所に移監され、即時保護房に収容されたが、鈴木はすぐに全裸になる、意味不明のひとりごとや、大声を発する、高笑いをする、便器に下着ミカンの皮を押し込む等異常な行動をとり、又保護房における体温保持に必要な環境の欠如、不眠及び食事をとらないなどから身体を震わすという状態が続き、身体の衰弱が進行していった。
2.鈴木の友人であった訴外橋本和子は、昭和五一年二月五日大阪拘置所を訪れ、鈴木に面会を求めたところ、看守らは「本人は裸になって暴れている」等申し向けて面会を許可しなかった。
 そこで同人は、鈴木が過去に精神障害を起したことを説明し、鈴木の精神障害の発症の危惧から鈴木を治療していた主治医等による診察を申し入れたが、看守らは「全て拘置所内の判断で決める」等答え、右申し入れも拒否した。
3.大阪拘置所所長及び同所看守らは、鈴木を二月三日以来保護房に収容し、その状態を遂一監視し、記録していたものであり、鈴木の状態を十分に知っていた。
 大阪拘置所所長及び同所看守らは、鈴木の前記(一)1.で述べたような異常な行動、訴外橋本から鈴木が精神障害発症の危惧があることの説明等から、鈴木に精神障害の疑いがあること、かつ鈴木が身体を震わす等身体衰弱におちいっていることを充分把握していたのである。
 前記「保護房の使用について」の矯正局長通達に、(矯正甲第一二〇三号記三)規定されているとおり、精神又は身体に異常ある者については、医師が診断し、健康に害がないと認められるときでなければ、保護房に拘禁してはならないのである。鈴木は、精神又は身体に異常あるものに該当するのであるから、まず保護房に拘禁する前に医師に診察させるべきであった。又、仮りに同通達但し書にあるとおり、急速を要し、あらかじめ医師が診察することができない場合であったとしても、拘禁後直ちに医師が診察しなければならないのである。
 従って大阪拘置所所長及び同所看守らは鈴木に対して、早急な医師の診察、適切な治療をなすべきことは明らかであるのに、二月九日中田外科医が診察するまで慢然これを放置していたのである。
 前記監獄法第四〇条や、矯正局長通達矯正甲第一二〇三号記四の規定からしても、鈴木に対し、医師の診察、適切な治療を早急に受けさせるべきことは明らかである。
 大阪拘置所所長及び同所看守らは、これら規定に違反し医師の早急な診察を受けさせるべき義務を怠り、鈴木の身体衰弱を早めた。
(二) 昭和五一年二月九日から同月一三日までにおける大阪拘置所所長及び同所看守らの義務違反
1.二月九日になってようやく、大阪拘置所常勤職員中田外科医が鈴木を診察したところ、「至急精神科医受診」の必要性を認め、その指示をするに至ったが、大阪拘置所所長及び同所看守らは、同月一三日精神科医臼井医師が診断するまで何等精神科医の手配をせず、慢然これを放置し、鈴木の身体衰弱をさらに早めた。
2.前記訴外橋本和子は二月九日、一三日にも面会を申し入れ、鈴木の主治医による診察の申し入れをなしたが拒否された。
 監獄法施行規則第一一七条は「治療のため、必要があると認めるときは、所長は監獄の医師に非ざる医師をして治療を補助させることができる」と規定する。
 大阪拘置所所長は同拘置所において、充分な医療体制ができていないと判断するならば、右橋本からの申し入れに応じて、鈴木の主治医の診察を受け入れるべきであった。鈴木の主治医であったならば、鈴木の精神障害の程度、状態を最もよく知っていたはずであるから、鈴木の死を回避できる可能性は高かったはずである。大阪拘置所所長は、前記監獄法施行規則第一一七条の処置を怠ったものである。
(三) 昭和五一年二月一三日から同月一六日死亡に至るまでの大阪拘置所所長及び同所看守らの義務違反
1.二月一三日臼井医師がようやく鈴木を診察したが、右診察後も鈴木は全裸で房内を徘徊したり、意味不明の言葉を発したり、便器や洗面器に手を入れたりしていた。
 この頃になると、鈴木の身体衰弱は体重の著しい減少にみられる様に一段と著しくなり、しゃがみこんだり、ぐったりとした状態が多くなり、生命の危機が差し迫っていた。
 大阪拘置所所長及び同所看守らは、前述したとおり、鈴木の状態を遂一監視、記録していたのであるから、鈴木の極度の身体的衰弱に対し、医師に鈴木の状態を報告し、医師の再度の診察や指示を求めるべきであった。にもかかわらず、これを怠り、さらに栄養補給や、保温等の生命保持に必要な処置を怠った。
 大阪拘置所所長及び同所看守らは、鈴木の生命の危険が充分予想しえたのであるから、生命保持に必要とされる右のような適切な処置をなすべきであったのに、これを怠りついに二月一六日、鈴木をして凍死に至らしめたものである。
三、 監獄法第四三条は「精神病その他の疾病に罹り、監獄において適当な治療を施すことができないときは、仮に之を病院に移送することができる」と規定している。
 鈴木は二月という厳寒期において、全裸になったり、毛布等の寝具を汚染するなど精神障害により、自己を防衛する手段に欠け、更に保護房には保温設備に不充分な場所であったのであるから、鈴木に対する治療は適当な場所に移してなすべきであった。
 二月一三日、臼井医師は鈴木について、同人の病状の経過如何によっては、同人を専門施設で医療処遇することが必要である旨診断し報告しているということであるから(昭和五四年九月二〇日付被告第一準備書面)、鈴木の極度の身体衰弱を了知していた大阪拘置所所長及び同所看守らは、鈴木の状況を臼井医師に報告し、その指示を求める等して、適切な病院に移して、治療をなすべきであったに拘わらず、その判断を誤り、病院移送の手続を怠ったことにより、鈴木を死に至らしめた。
四、 以上述べたように、大阪拘置所所長及び同所看守らは、鈴木を大阪拘置所に収容してから死に至るまで、鈴木の生命保持に必要な諸々の適切な処置をなすべき義務があるにもかかわらず、慢然これを怠った過失により、鈴木を死に至らしめたものである。
第四、医師臼井の過失
一、 医師臼井は、医者として患者の生命と健康保持のため適切な治療措置をとるべき義務があるのに、鈴木に対してとるべき適切な治療措置を怠ったうえ誤った治療を施した過失がある。
二、 臼井は、昭和五一年二月一三日診察した際の鈴木の状態像を「アメンチア乃至せん妄様」とし意識障害あるものと認めた。
意識障害は、自己防衛機能の低下を招くものであり、摂食、睡眠、保温といった生命保持に必要な本能的機能も低下するのであり、通常の説得、説明では自ら摂食、睡眠、体温保持を行わず、看護者において手とり足とりの看護が必要とされるのである。さらに臼井は、鈴木の意識障害を精神病に基因するものと認めているのであるが、精神病患者に対しては特有な療法―精神療法が必要とされるのであり、人間的な血の通った治療、看護が不可欠とされるのである。
 ところが、当時鈴木の置かれていた環境は、拘置所の保護房という意識障害患者にとり、とりわけ精神病に基因する意識障害患者にとり最も劣悪な環境下に置かれているのである。従って、精神病に基因する意識障害により、自己防衛機能の極めて低下している当時の鈴木の症状に対しては劣悪な環境条件を取り除くことがまず施されるべきであり、精神病患者にとり人間的な看護の望めない拘禁の継続そのものがその病状をより重篤なものにすることは自明のことであり、拘禁からの早期解放が当然施されるべき措置であったのである。
 医師臼井も、鈴木に対し、「アメンチア乃至せん妄様」と認め、それが精神病に基因すると診断したのであるから、当然即座に劣悪な環境条件の改善を考えるべきであり、拘禁からの早期解放、治療条件の整った精神科病院への転所を考えそのように指示、進言すべきであったし、もしそれが拘置所の手続上早急に望めないのであれば、右指示に併せ、応急的な対策として拘置所内でのより良好な環境場所への移転を指示進言し、必要不可欠最低限度の措置として鈴木の栄養補給睡眠、体温保持につき、自からも医師として栄養剤等の投与をなし、同時に看守者に対し、細心の注意を払うよう、右注意を与えなければ凍死、衰弱死等最悪の結果を招きかねない旨、十分指示説明すべきであったのに、拘置所係員に対し、「同人の症状の経過如何によっては同人を専門施設で医療処遇することが必要」である旨報告するに止まり、のみならず自らも鈴木に対し、栄養補給もせず、慢然クロルプロマジン剤(コントミン)を処方投薬指示したものである。
 なお、臼井が、治療の前提として、鈴木の病歴、発症の経過等を聴取せず、また検温、検脈、心肝機能検査等をなさなかったことも右不適切な指示、措置をなすに至った一因であることも指摘されるべきである。
三、 クロルプロマジン剤(コントミン)は、最も早く開発された向精神薬であるが、この薬物は始め、「冬眠動物の生活条件を思わせる生物学的退行を人工的につくる」ことを目的として、外科手術などの強化麻酔剤として開発されたものである。従って他の自律神経遮断作用とともに体温調節中枢に作用して、低体温を引きおこすことは研究の初期から判明していた。この薬物を使用する際に、血圧降下その他の副作用に対する対策と同時に保温が必要であることは、コントミン投与中の看護の基本的注意義務である。ところで、当時鈴木は厳寒期に拘置所保護房という保温設備の極めて不十分な場所に全裸もしくは全裸に近い姿で食事もろくに摂らないまま放置されていたのであるから、医師臼井としては、コントミン投与にあたり、当然鈴木の保温には細心の注意をはらい、保温が十分になされることを確認してコントミン投与を行なうべきであるのに、慢然コントミンを投与し、また拘置所係員に対する投薬指示にあたり、当然保温には細心の注意を払ったうえで投与すべき旨指示すべきところ、右指示もなさず慢然コントミン投与を指示した。
四、 以上の如く、臼井は、鈴木に対し、適切な治療措置として即座早急に環境条件の改善の指示および栄養補給、睡眠、保温等につき医師として適切な施寮、措置をなすべきであったのに、右措置を怠ったうえ、重ねて、保温の極めて不十分なままでのコントミン投与は控えるべきであったのに、保温に対する配慮の全くないままコントミンを投与し、更には、その投薬後の看視につき、看守らに十分な注意を与えるべきであるにもかかわらず、それも怠るという誤った治療を施した結果、鈴木を凍死に至らしめたものであり、臼井の過失は明白であるといわねばならない。

意見書
=動静視察表からみた鈴木氏の死に至る経過=
付・保護房動静視察表の分析
一九八〇年八月一日
七山病院(大阪府泉南郡熊取町七山) 医師 木 村 政 紘
光愛病院(大阪府高槻市奈佐原)   医師 渡 辺 哲 雄
〈参考にした資料〉
1.保護房動静視察表
2.気温表(乙第五号証)
3.喫食状況報告(乙第六号証)
4.衣類・寝具等の交換状況報告(乙第七号証)
〈内容〉
1.全般的な経過
2.食事について
3.睡眠と安静について
4.着衣について
5.気温と換気について
6.死の直前の状況
(付)保護房動静視察表の分析
1 全般的な経過のまとめ
大雑把に分けると三期に分けて考えることができる。
T 三日から六日まで
U 七日から一二日まで
V 一三日から一五日まで
第T期〈精神症状活発であるが、身体的にはまだ余裕があった時期〉
 身体的な異常はまだ表面化していないので、発語、行動も活発である。意識障害(のちに健忘を残すであろうと思われる意識水準の落ち込み)を伴う躁的多動状態が認められる。大声で叫んだり、高歌放吟したり、房内を活発に徘徊したりしていたようである。身体の動きも「房内をくるくる回る」などにみられるように、スムーズでエネルギーがあり活動的である。精神症状によると思われる異常行動も、「枕を破り、中のモミガラを取り出し、排水口につめこむ」など、意識障害を伴ってではあろうが、積極的・攻撃的であった。
房壁を蹴ったりしている。
 精神症状が活発であり、身体的にはまだゆとりが保たれていた時期である。もつとも彼の人並を上まわる強健な体力と体格があってはじめて、こうした、いわば長い経過になったのであろうと推測される。
 寝具の交換も、後半とは異なり、破損がその理由である。(後半になると汚染が理由になる。
 着衣は、ほとんど全裸であるが、時に上半身または下半身に下着をつけていたこともある。第U期のほとんど一貫した全裸状態にまで至っていない。五日、六日には、全くの不眠状態となるが、安静は数時間はとれている。(総計としての安静時間)
 次第に精神症状は悪化するが(治療的処遇をされずに放置されていたのであるから当然であるが)、身体的危機には至っていない。
もっとも、五日には疲労が目につき、寒冷に対する反応も出始めている。「寒いのか、立って腕を振ったりして身体を動かしている」
という記載は注目すべきである。
 看守は、寒さによる影響を知っていたと思われる。
第U期〈身体的疲弊が精神症状による活動性を凌駕する時期〉
 五日から九日までは文字通り一睡もせずという全くの不眠であることは特に注意されなければならない。一〇日以降、睡眠がまたとれるようになったかに見えるが、これは、疲労困憊の果てにいわば倒れ込んだといった性質のものであって睡眠に関する改善傾向とはいえない。
 八日に至り、急に身体的状況に関する記録が増えていることに注意すべきである。すなわち、意識水準の低下のために自己及び自己をとりまく状況についての判断力が低下している状態にありながら、寒冷に対する生理的な防禦反応として、「体をこする、ふるわせる、たたく」という動作が増えているのである。
 精神症状としては、依然として、大声・徘徊がみられるが、「洗面器に頭をつっこんでペロペロなめる」、「坐り糞をする」、「便をつかむ」などの異常行動がみられ、不穏興奮の昂進とともに、意識の低下へ変容もすすみ、錯乱状態といってもよい病像である。こうした病像の変化の結果として、先述したように、汚染による寝具交換がある。
 九日の中田診察の契機になった「洗面所に顔を入れたまま身動きしなかった」というのは、病的体験(幻覚や妄想などの)によるものか、疲労によるものか、両方によるものか判然しない。この時点で、はじめて、医師による診察があり、「要精神科診察」の指示あり、精神症状の存在を認められたことになる。
 一〇日には、「壁にもたれて、ようやく立っている状態」となり、疲弊が進行していることを示す。夜間になると「体のふらつきをやっと支えている」というふうである。
 この時期は、身体衰弱が、次第に精神症状を凌駕する経過である。
第V期〈衰弱がすすみ、危険な状態〉
 ここでは、もはや生命の危機が問題となる状態である。経過の長さは、鈴木氏の特に恵まれた身体的条件によるものであろうことは、先にも述べた。
 疲労、衰弱はその極に達して、「フラフラしている」「ヨロヨロしている」という記録がふえる。徘徊・独語はあるも活発さ、力強さを失う。臼井診察后のクロールプロマジン注射は、さらに行動を鈍らせ、自律神経の活動を遮断し、体温を降下させるなど、状態を悪化させる作用をしている。
 一四日には、精神活動は全く、勢い、力を失い、行動、身体的運動も鈍化している。「動きに鈍さ感じられる」という記載は重要である。しゃがみこんだままという状態が続く。
 一五日は末期状態であり、この期に仮に救命措置が施されたとしても生命の回復が図られたかどうかも疑問としなければならないような重篤な状態である。要救急の事態。この全く抵抗力を失った状態になってはじめて「メリヤス上下チョッキ着用さす」など着衣させる記録がでてきている。
 精神症状をおもわせるものは「つぶやくような独語」のみである。
全く不食の状態。一七:三〇の意識もうろう状態という看守の表現は換言すれば危篤状態ということである。一八:〇〇の向精神薬注射は、死へ追いうちになっているといってよい。
 この日の体温は、正常値を相当下まわっていたはずである。一三日以降は、おそらく不食であろうと推定される。水分の摂取もなかったであろうから、脱水状態にあったことも推定される。
2 食事について(摂食状況の評価)
 全三七食中、摂食が一応確認できるものは九食である。但し、このうち二食は「汁のみ摂取」といった一部しか食べていないものである。また八日のように、摂食状況の評価で○印をつけてあるものの、寝具交換の方でみると、(乙第七号証)「飯粒、汁等で汚染」となつていて、このような交換を要するような汚染であったとすれば、大部分は不食と考えられるものもある。
 「配食」、または「うけとる」とのみしるされていて、摂食が確認できないものが一二食ある。このうち前後の記事からおそらく不食と推定されるものが五食ある。例えば、五日朝の如く「立ったままで、ブツブツ独語、心情不安」などの記事が配食の前後にある場合は、相当激しい病的体験が背景にあり不穏であることが推測されるからである。
 不食と評価したものには、明らかに不食ないし拒食(精神症状としての)がみられるものと、「配食」の記載がないものとがある。
 「配食」の記載そのものが欠落しているものは、評価上、配食されなかったものと考えた。
 従って、全経過中、喫食が確認できるのは、三七食中九食、多めにみるならば一五食である。特に一二日以降の不食は、死因と直接的因果関係をもつものとして重要である。
3 睡眠と安静について
 全経過一三日間ほぼ不眠である。とくに五日からの五日間は一睡もせず。このことは、多動、寒冷とあわせて疲弊をすすめた大きな原因である。
 とくに、一三日以降の向精神薬注射は鎮静にはもはや無効であり、もつぱら低体温化をはじめとする自律神経遮断の効果しかもたらしていない。
 安静の時間については、ごく短時間の横臥などを統計してある。
独語など激しく、精神状態不穏であっても横臥・安坐していれば安静としてある。一日平均の安静時間は三時間一五分程度である。
4 着衣について
 ほとんど全裸であるが、看守が、着衣のすすめや、着衣させる具体的努力を全くした形跡がないのはどうしたことか。
 第T期には、まだ上半身のみまたは下半身のみ着衣などの記録が散見されるが、それでも全裸の時間の方が長い。第U期以降は、例外的短時間を除いてほとんど全裸で経過している。「毛布で体をくるむ」などの記録もあるが、そうだとすれば、何故、普通の着衣をさせる努力を惜しんだのか、奇異に感じられるのである。
5 気温と換気について
 在房期間中の大阪市の最低気温の平均値は二・五℃である。とくに、七日(〇・七℃)、一〇日(〇・二℃)、一三日(〇・二℃)などは氷点に近い。乙第五号証の大阪市六時の気温は、日々の最底気温に近いであろうが、それでも平均値三・五℃とたかめである。
「舎正午の気温」というのは、身体的状況を考えるための参考にならない。要するに相当の寒冷の中に全裸でいたことは確かである。
6 死の直前の状況
 一五日は、ほとんど動きがとまってしまうが、とくに夜間に入り、「うずくまってじっとしている」「ぼんやり横たえている」「視察口真下に頭を置いてぼんやりしている」という状況でありながら、何ら医療的処置なく、一六日〇時以降の「ぐったりした格好で目を半開き」「手足をふるわせ、そわそわしている」という明らかに死線期の様相を呈しているにもかかわらず放置されて死に至ったことは、まことに残酷である。

(※保護房情動視察表の分析は省略)

四方鑑定(1)
鑑定書
大阪大学医学部法医学教室
鑑定人 四 方 一 郎 提出
事 件 名 氏名不詳に対する
      殺人  被疑事件
受託年月日 昭和五十一年二月十六日
関係官庁  大阪府都島警察署
被解剖者  鈴木国男(三十三年)
要  摘
鑑定嘱託官 大阪府都島警察署司法警察員警部 高橋輝雄
鑑定処分許可状 大阪地方裁判所  裁判官 大谷禎男 発布
鑑定事項
一、損傷の部位、性状、程度
二、損傷八起の原因(用器の種類及用法)
三、死因
四、死后経過時間
五、血液型
六、その他参考事項
解剖日時 昭和五十一年二月十六日自午後一時四十五分
                至午後二時四十五分
解剖場所 大阪大学医学部法医学教室
立会人  大阪府都島警察署 北山一雄 主任
備考

説明
一、本件鈴木国男の死体に存在する損傷は、左腰部、左右肘部、左右下腿に指頭乃至梅実大の稍々陳旧な皮下出血を認める。
二、右損傷八起の原因について鈍体的外力の打撲作用によるものであり、種々の機会に種々の物体によって八起可能であり、特に用器的特徴はない。又その程度は軽く特に死因に関係するものではない。
三、本件死因に関しては、部検検査上特に肺表面、割面の色調は鮮紅色を呈し、その他に死因に関係する病変ないし異常の所見を認められず、左右心房室内には擬血を含む鮮紅色の血液を多量に容れるその他、胃粘膜の発赤など、凍死に認められる所見を具備する他に特に異常の所見を徴せられない。
 一方血液尿について化学的検査の結果、血液中にクロルプロマジンの含有(量は微量)を認め、又代謝産物であるクロルプロマジンSオキシドの含有を認め(血液は殆どがクロルプロマジンS)尿中にクロルプロマジンSオキシドの含有を確認した。
 以上の点を綜合すると本件死因は、体温降下による凍死と考えるのが最も妥当なところである。
 その原因については凍死を招来する原因として一般に外気温が低いこと、身体条件としては空腹、疲労等があげられ、本件の場合解剖時、胃内、小腸内に殆ど固形物が存在しておらない点は空腹状態にあったものであり、又クロルプロマジンの投与は、体温低下を来す原因となり、これ等が相まって凍死を招来したものと推定される。
鑑定
一、本件鈴木国男当三十三年の死体に存在する損傷としては左右上肢、肘部、左右下腿、左腰部等の陳旧な皮下出血が認められる。
二、右損傷八起の原因は鈍体的外力の打撲作用によるものであり、特に用器的特徴はなく、種々の機会に種々の物体にて八起可能である。又その程度は軽微なものであり特に死因に影響するものではない。
三、本件死因に関しては、一般解剖所見として凍死の所見を具備しており、空腹クロールプロマジン注射などの点より、それ等り原因の綜合的結果として凍死したものと推定される。
四、右本人死後経過時間に関しては解剖終了時たる昭和五十一年二月十六日午後二時四十五分現在大約十乃至十五時間位と推定される。
五、右本人の血液型はB型である。
 なお化学的検査により血液よりクロルプロマジン微量、クロルプロマジンSオキシドの含有を証明、尿よりクロルプロマジンSオキシドを検出した。
以上
 本鑑定は昭和五十一年二月十六日より
 同五十一年十月一日迄の間に行った。
昭和五十一年十月一日
大阪市東住吉区山坂町三丁目九七
鑑定人 大阪大学教授 四 方 一 郎

四方鑑定(2)
大阪大学医学部法医学教室
四 方 一 郎 提出
大阪地方検察庁検察官検事竹内陸郎は私に対し次の鑑定を嘱託した。
鑑定事項
 昭和五一年二月一六日大阪拘置所内で死亡した鈴木国男の解剖した鑑定は、死因は凍死とのことでありますが、その原因について添付資料によればいかなる事情が最も強く影響したか。
添付資料
1.動静視察表
2.診療録
3.喫食状況報告書
4.衣類交換報告書
5.注射状況報告書
6.気温報告書
検査記録
一、動静視察表について
 動静視察表についてみると、鈴木国男は二月十五日午後十一時三十分には時々両手を上下に振り視察孔真下に頭を置いてぼんやりとしている。
 この状態が十時頃から続いており、あまり動いていなかったものと推定される。又着衣はメリヤスパッチを陰部が露出する程度にずり下げ雑然とした布団の上にはうようなかっこうで横たわっているとある。
 なお十六日一〜一・三〇分には同様の状態で手足を振わせていたとあるので、この時点まで生存していたことは確実である。
二、気温について十五日から十六日の大阪市の気温については、一般に正午の気温から一八時更に翌日〇時六時と一般の傾向としては低下している。従って第七舎の気温についても一般には正午の温度よりも、翌日〇時六時の温度の方が低下しているのが普通と考えられる。十五日から十六日にかけては気温は幾分上昇気味であるけれども舎内の温度は十五日正午六・七度から十六日正午一〇・八度の間にあったものと推定され、十六日午前〇時頃はおそらく一〇度以下になっていたものと考えられる。
三、喫食状況について十五日朝食は摂取しているものと考えられるが、昼食、夕食は摂取していないものと認められ、十六日午前一時頃の状態は空腹状態であったものと云える。
四、診療録注射状況について
一日{クロールプロマジン(コントミン)一〇〇r
   ピレチア三〇r
 クロールプロマジン五〇mg一日二回筋注(朝夕)の処方となっており、十五日には九時と十七時三十分に筋注が行なわれている。
又二回目に注射した時は別に変りなく落着いていたと記されている。
 外気温は一〇度C以下にあったものと考えられ、又空腹状態であり、少なくとも二〇時以後にはあまり身体を動かさない状態で着衣(パッチ)を下げ、臀部を露出した状態で横臥していたものである。又クロールプロマジンに体温低下作用があるため、これ等の条件が綜合して凍死を来したもので、何れが最も影響があったものと決定することは困難であり、気温、薬剤作用、空腹状態が綜合的に作用して凍死を来したものである。
 なおこれは参考的に聴取したことであるが死亡確認後、午前二時〜三時の間に測定された直腸内温度は二十二度ということであり、これは死亡時には体温は二十五度以下に降下していたものと推定され、一般に人では二十六度〜二十七度以下に直腸内温度が低下すると救出不可能とされている。
鑑定
 解剖検査所見を根拠として、参考資料によって、いかなる事情が本件死因に最も強く影響したかについて考察すると、
 本件凍死を来した原因と考えられる諸条件は外気温の低かったこと、クロールプロマジンの投与があったこと、および着衣を充分に着用していなかったこと、空腹状態であったこと、などが綜合的に作用し、凍死を惹起したものと考えられ、その中の何れが最も強く影響したかということは、一般に決定しがたいところである。強いて云うならば、気温が低かったこと、クロールプロマジンを注射していたことが体温低下に強く影響したものといえるけれども、それでも着衣を充分に着用しフトン等にくるまっていれば凍死にいたらなかったものと推定されるし、又空腹状態ということも無視できない原因の一つである。
 要するに、本人の身体的条件と外的条件が相乗的に作用して次第に体温降下を来し、も早恢復不可能の状態にまで体温が低下したものと考えられ、何れの条件が最も強く作用したものであるかを決定することは困難なことである。逆にいえば、何れもが凍死にいたった原因といえるし、ただ一つだけの条件で凍死にいたったものとはいえないものである。
以上
 本鑑定は昭和五十一年八月三十日より
 同年十月五日迄の間に行った。
昭和五十一年十月五日
大阪市東住吉区山坂町三丁目九七
鑑定人  大阪大学教授 四 方 一 郎

助 川 鑑 定
昭和五一年一二月一〇日
大阪市立大学医学部長(法医学教室)
教 授 助 川 義 寛
大阪地方検察庁
検 事 小 野 哲 殿
一、私の専攻は法医学です。
 凍死一般についてお尋ねでありますから教科書的に述べます。
二、寒冷のため身体の温熱放出が強くても、人体には微妙な体温調節機構がありますうえに、着衣等の人為的方法によって恒温を維持いたしますが、この限度を超えて、すなわち体内における熱の生産量より、体熱の放出、喪失のほうが大きいときに体温が降下し、体温が降下して生ずる障害の結果死亡するものを凍死といいます。
三、凍死に陥り易い条件として次のものがあげられます。
1.人体外表気候・すなわち風速、湿潤等体熱が逸散し易い諸種の条件下にある場合。
2.個人差・寒冷に対する抵抗力には成人でもかなりの個人差がありますが、新産児、小児が最も弱く、次いで高令者が弱いのです。
 皮下脂肪の程度が強く影響し、一般に男性より女性のほうが皮下脂肪が厚く寒冷に強いといえます。
3.身体状況・すなわち空腹、飢餓(低蚕白およびそれより悪いのがグリコーゲン(簡単にいえば糖分不足)、疲労困憊、不安定な精神状態が強く影響し、肝、腎、循環等の機能低下あるいは病的状態も悪影響を及ぼします。又意識障害を来す中毒、各睡眠剤中毒、アルコール酩酊等が助長因子となります。
四、以上に補足しますが、着衣がぬれている場合には水が蒸発する場合の潜熱、すなわち蒸発に要する熱のため体温が奪われるのでありますし、風速については風速一メートルについて気温マイナス一度の効を発揮するとされています。
 一般的にいって、凍死は気温(体表外気温)が何度以下で起り得るかといいますと、摂氏二〇度以下で起り得ます。
 凍死の大部分は状況判断の過誤、身心の異常状態、災害等に際してみられます。我国では自殺の場合は殆どなく、他殺として新生児、幼児に対する保護義務者の不作為殺人、冬山登山や、北海道・東北等の北部寒冷地だけではなく、温暖地の都市等でも比較的多く発生しており、この大阪市内においても昭和五〇年度をとってみても一三人が凍死しています。この点については後に述べます。つい最近の本年一二月に入ってからも釜ヶ崎で三人が凍死し、新聞にも報道されました。
五、アレルギー体質にコントミン(クロールプロマジン)を注射したことが、一般に、死亡と関係があるか(右3)どうかについては、おそらく無関係と考えられます。凍死との関係という観点からみると、コントミンには体温を下げる強い作用があり、人工冬眠麻酔にも用いられる薬品ですが、朝夕各五〇ミリグラム、一日一〇〇ミリグラムの注射施用ということであれば、その程度の施用は、一般的にいって、おそらくさしたる関係はないものと思われますが、これはあくまで病院や自宅等の普通の療養環境における施用を前提としておりますので、臨床医学上の正確なところはその専門家に聴かれるようおすすめします。
六、体温の低下によってどのような障害が起ってくるか、どのような経過をたどって死に至るかについて説明します。
 まず、急激な体熱放散の場合、例えば極寒海水中に浸没したような場合については、体熱喪失が急激で、調節機能が即応する時間的余裕がなく、体温降下に基く脳等の反射的結果であろうと思われますが、全身性の激烈な寒冷刺戟によるショックも考えられるところであります。
 緩慢な連続的な低温作用の場合には、我国では冬期に多くみられますが、体温低下が著しくなると生体機能が失調し、諸種の障害が出現します。その状態を凍冱といいますが、凍冱の特徴として、とくに精神状態がおかされ、内蔵機能、皮膚、筋力の機能低下、最後に呼吸並に循環、とくに心機能が障害されて虚脱状態に陥り、遂に凍死するに至ります。
 体温(直腸温)が35℃になると、疲労、脱力、思考力減退、眩暈、眩覚等が出始めたり傾眠等の症状が出現し、30℃位に降下すると、産熱の著明な減退がみられるとされており、意識混濁、呼吸、脈搏の緩除、血圧も低下し、次いで傾眠状態、著明な血球減少、血色尿、脈搏不整等の症状を呈して死亡するに至ります。
 救出不可能とみなされる低体温起生限界は直腸温で25℃とみられております(臨界直腸温ともいいます)。普通人で10度以上降下すると危険ということです。
七、次に死体所見ですが、いわゆる急性死の所見を示し、次のような所見がみられますが、いずれも、これがあればそれだけで凍死と断定してよいという意味のきめてとなる所見というものはありません。他の原因によっても起り得るものばかりでありますから、凍死であるか否かを決定するについては、後に述べるように、綜合判断とならざるを得ないものです。
1.紅色調死斑・血液鮮紅色
 これは機能低下のため酸素消費量の著名な減少によるもので、静脈内の血液も鮮紅色になっておりますが、死斑については凍死でなくとも寒冷に放置すると死後でも死斑の色調が紅色調に変化するので注意を要します。
 又一酸化炭素中毒、青酸加里中毒等の場合も紅色調になりますが、厳密には凍死の場合と色あいが
異らります。
2.心臓血の流動性
 心内血が固まっておらず流動性があるということですが、軟凝血塊を含むことが多く、凍死後四〜五時間ないし一日以内に心臓から取出して外部に出すと固まるという性質があります。
これは凍死だけにみられる現象です。
3.消化管の変化
 胃・十二指腸粘膜の出血、まれに潰瘍形成、肝グリコーゲンの減少、肝うっ血がみられます。
八、膵臓実質内出血もあり得ます。急性死にみられる所見です。
 外力による出血かどうかは膵臓の出血の状態そのものを見なければわかりませんが、実質内出血の状況が瀰漫性なら外力によるものではないといえます。
九、さて凍死であるかどうかを判断するについては、これがあればそれだけで凍死と断定してよいという意味のきめてとなる所見はありませんから、綜合判断とならざるを得ないのですが、その場合、できれば生前の状況を参酌し、死亡後の体温降下状況が重要な判断要素となります。
 解剖所見中、血液鮮紅色及び心内血流動性という点は重要な判断要素です。
 死亡後の体温降下状況について説明します。
 凍死の場合、死亡直後の体温(直腸温)は25℃以下であるというのが目標値です。凍死以外の場合にはそれは36℃前後です。
一〇、参考までに大阪市内における年間凍死者数を述べます。
 昭和五〇年度(一月から一二月)について、今手許に資料(昭和50年・死因調査統計年報・大阪府死因調査事務所)がありますが、これによると昭和五〇年度は大阪市内だけで一三人凍死者があり、いずれも男性で、うち三名が災害死、アルコール酩酊によるものであり、四〇代、五〇代、六〇代各一名となっております。
他の一〇名については態様は不詳です。右一三名中一一名解剖し、二名は死斑、直腸温等で顕著のため解剖不要としました。
 月別に発生数を見てみますと、
50・1月     五名
50・2月     三名
50・3月     二名
(50・4月〜9月  〇名)
50・10月    一名
50・11月    一名
50・12月    一名
計        一三名
となっています。
 大阪市内の年間凍死者数は、景気によって多少の変動はありますが、釜ヶ崎地区を中心に、ここ数年間毎年同じ程度の発生が見られております。
 本年度(昭和五一年度)は、最近の新聞にも報じられましたが、一二月に入ってから釜ヶ崎地区等で発生したアルコール酩酊による三件(一夜に三名凍死)だけです。
一一、凍死といえば専ら北海道の北国で発生するものと認識している人が殆どで、医者の中にもその程度の認識しかもたないものが多いのですが、認識不足といわざるを得ません。すでに述べたように、凍死は20℃以下で起り得るもので、関西地区の都市部のような温暖な地域においても十分起り得るものであります。
 私は医学部の学生に対し、この点について十分な認識を持つべきだと講義している次第です。

保護房使用細則
昭和四二年一二月二一日
矯正局長通達
矯正甲第一二〇三号
 行刑施設に設置されている保護房(収容者の鎮静及び保護にあてるため設けられた相応の設備及び構造を有する独居房をいう。以下同じ。)の使用にあたっては、今後左記の点に留意し、その運用に遺憾のないよう配慮されたい。

一、保護房には、次の各号の一に該当するものであって、普通房に拘禁することが不適当と認められる場合に限り拘禁するものとする。
1.逃走のおそれがある者。
2.職員又は他の収容者に暴行又は傷害を加えるおそれがある者。
3.自殺又は自傷のおそれがある者。
4.制止に従わず、大声又は騒音を発する者。
5.房内汚染、器物損壊等異常な行動を反復するおそれがある者。
二、収容者を保護房に拘禁するには、所長の許可を得なければならない。ただし、急速を要し、あらかじめ所長の許可を得ることができないときは、拘禁後直ちにその旨を所長に報告しなければならない。
三、精神又は身体に異常のある者については、医師が診察し健康に害がないと認められるときでなければ、その者を保護房に拘禁してはならない。ただし、急速を要し、あらかじめ医師が診察することができないときは、拘禁後直ちに医師が診察しなければならない。
四、医師は、随時保護房拘禁者(以下「拘禁者」という。)を視察し、必要に応じ診察しなければならない。
五、担当職員は、拘禁者の動静を綿密、かつ、ひんぱんに視察し、その状況を適当な帳簿を記録するとともに、上司に報告しなければならない。
六、保護房に拘禁すべき事由が消滅したときは、直ちに拘禁を解除しなければならない。
 保護房には、七日を越えて拘禁してはならない。ただし、右の期間を越えて拘禁を継続する必要があるときは、三日ごとにその期間を更新することができる。
七、拘禁者に対して、特に必要が生じたときは、戒具を使用することができる。ただし、鎮静衣及び防声具は使用することができない。
八、収容者を保護房に拘禁した場合、拘禁の期間を更新した場合及び拘禁を解除した場合には、収容者身分帳簿(視察表)にその事情を記録するほか、「保護房使用書留簿」(別紙様式)に所定の事項を記録する。

原告最終準備書面
 右当事者間の御庁昭和五四年(ワ)第五七二号損害賠償請求事件について原告は左のとおり弁論を準備する。
昭和五七年六月二四日
右原告訴訟代理人
弁護士     桜 井 健 雄
同       武 村 二三夫
同       関 根 幹 雄
同       藤 田 正 隆
同       甲 田 通 昭
大阪地方裁判所
第三民事部 御中
第一、はじめに
 取調べられた各証拠資料によって本訴請求の理由のあることは明白である。
 身柄を拘禁された訴外故鈴木国男は、何ら実効ある生命維持の処置や治療処置を受けることなく、かつ死の徴候が現われてからも長期放置されたまま「凍死」するに至ったものである。
 本件は拘置所内で被疑者が「凍死」したという極めて衝撃的な出来事である。それ故にこそ、右の如き結果を起さしめた原因については十分解明されねばならず、その結果国の責任が明確になった以上、二度とこのような不幸な出来事を発生させないためにも被告国の責任を厳しく追及されるべきである。
 以下、(1)本件における過失の構造、(2)死因について、(3)各公務員の過失(検察官、拘置所及び看守、臼井医師)(4)損害論にわけて詳述する。
第二、本件過失の構造
一、被告国は原告に対し国家賠償法第一条一項により損害賠償責任を負うものである。国賠法第一条一項は、公務員が職務を行なうについてんした不法行為による損害に対し、国又は公共団体が賠償責任を負うべきことを規定したものであるが、この責任の性質について、代位責任説と自己責任説に大別されている。
代位責任説は、元来、加害公務員が負うべき損害賠償責任を国又は公共団体が代って負うとみる。この説によれば、国又は公共団体の責任が成立するためには公務員の故意過失に基づく不法行為が前提となる。これに対し、自己責任説は公務員の不法行為について国又は公共団体が直接に負担する責任と解する。
この説によれば、公務員の故意過失は国又は公共団体の責任範囲を限定するための基準にすぎず、公務員個人の不法行為責任の責任の成否とは無関係である。国又は地方公共団体の賠償責任は、単なる市民法的原理だけではなく、まさに国といえども違法な行為については当然法の支配に服するという社会法的要請に基づくものであるから自己責任説が相当である。
二、鈴木の死は後述する如く凍死である。凍死は公務員たる検察官田中、大阪拘置所所長、看守ら、医師臼井の各過失、すなわち右の者らは鈴木に対する生命保持に必要な適切な処置をなすべき義務があるにもかかわらずそれを怠り、慢然これを放置したために生じたものである。公務員たる三者の各過失が競合して鈴木を凍死に至らしめたものである。自己責任説からみるならば、これら三者のそれぞれの不法行為責任を明らかにするまでもなく、その責任は明白である。又、代位責任説からいっても後述するように、三者の不法行為、その関係は共同不法行為であるが、その関連共同性は明らかであり、被告国はその責任を負うものである。本件においてはいずれにしろ、鈴木の凍死は公務員たる@検察官田中A大阪拘置所所長、看守ら、B医師臼井の生命保持に必要な適切な処置をとりえたのにとらなかった各過失によって生じたもので被告国の責任はあまりにも明白である。
第三、死因
一、亡鈴木国男の死因は凍死である、との判断は誠に合理的であり、何ら疑問を差しはさむ余地はない。
 大阪大学医学部四方一郎教授(乙第一号証、第二号証)は、亡鈴木国男(以下単に鈴木という)の死因を凍死である旨明解に判断している。大阪市立大学医学部長助川義寛教授も、凍死、凍死に陥りやすい条件、死体所見等詳しく説明した上で、右四方鑑定を肯定しているものである(乙第三号証)。
そして、後述するように、鈴木が急性致死性緊張病にかかっていたと「推定」する元鹿児島大学医学部城哲男教授も「この四方鑑定は法医学的にみて極めて妥当であり、不合理な点は認められない」とした上、「唯々、法医学の立場から申せば、鈴木が急性致死緊張病であった可能性はあるが、いずれかと言えば珍らしい病気であるのに、凍死は、二月という厳寒期で暖房や十分な衣料がなければ必発のことであるから、より可能性の多い凍死の判定をするのが常識的である。」とされる(乙第一五号証甲2、乙1)。
 鈴木の死体所見からは、助川教授が凍死の死体所見としてあげるうち、血液鮮紅色、心臓血の(軟凝血塊を含む)流動性、胃粘膜の出血(発赤)、肺断面の紅色調、膵臓実質内出血等が存し、このうち血液鮮紅色及び心内出血流動性は同教授が特に重要な判断要素としてあげるものである。
また、生前の状況につき同教授は、一般的に言って凍死は、摂氏二〇度以下で起こり得るとした上、凍死に陥りやすい条件を例示されている(乙第三号証四項、三項)。乙第五号証によれば、鈴木が大阪拘置所の保護房に収容された昭和五一年二月三日から同人の死亡の前日の同月一五日迄の大阪拘置所第七舎二階廊下北側(建物内)の正午の気温ですら五・八度〜九・八度の間の数字を示している。鈴木の収容された保護房は、縦三七cm、横三〇cmの換気孔により直接外気が房内に入る構造になっているのみならず、この換気孔により取付けられた換気扇により強制的に換気がなされていたことからすれば、鈴木の収容されていた保護房の室内気温は、特に夜間では右数値よりはるかに低いものであったことは容易に推認される。
しかも、右換気孔は、床面から一六〜五三cmの高さにあり、換気扇を回すと、その風は直接肌で感じられる(以下検証の結果、乙第五号証)。
つまり、換気扇が回れば、この風は鈴木が座り込んだり、あるいは横になっている場合は、直接同人の身体に吹きつける高さになるものである。また、鈴木は、非定型精神病にかかり意識障害に陥っており、自己防衛機能を喪失している。同月三日〜一五日迄の三七食のうち九食しかとっていない。この間の鈴木はほぼ不眠であり、特に五日からの五日間は一睡もしていない。
着衣についても、七日以降は例外的短時間を除いて殆んど全裸で過ごしている。
 以上からすれば、当時の気温の他前記の助川教授が凍死に陥りやすい条件として例示されるものの多くが鈴木の生前の状況において認められることは明らかである。
また、鈴木は、同月一四日一七時四五分、一五日九時三五分、一七時三五分の三回にわたりクロルプロマジン各五〇mgを筋肉注射されている。この投与量は、通常に比して特に多量と言えないとしても、クロルプロマジンはもともと人工冬眠、低体温療法にも用いられる等強い体温低下作用があるところ(乙第一七号証四項)、当時鈴木は自己保存の本能が冒され、かつ、不眠、不食、低温下で裸で過ごす等で相当身体も衰弱していたものであるから、このクロルプロマジン投与が鈴木の体温を低下させる一要因となったことは容易に推測されるところである。
 このように、解剖時の死体所見、鈴木の生前の状況を総合的に判断してみても、死因が凍死であるとの前記四方鑑定は誠に合理的であり極めて説得力を有するものである。
被告は、鈴木の死因が凍死であることを争うようであるが、その根拠としては後に検討する(急性)致死性緊張病をあげる他は、右四方鑑定の合理性を疑わしめる具体的な主張は何らなし得ていない。
そこで、次に(急性)致死性緊張病につき検討する。
二、(急性)致死性緊張病について
1.はじめに
 被告は、鈴木は死亡前、(急性)致死性緊張病にかかっていたと主張するものと思われる。この場合、死因ないし因果関係との関係では、
@ 鈴木の死因は(急性)致死性緊張病である。
A 鈴木の死因は凍死と(急性)致死性緊張病との競合である。
B 鈴木の死因は凍死であるとしても、(急性)致死性緊張病のため凍死でなくともいずれ死ぬ(可能性が高い)ものであった。
の三つの主張が考えられる。原告としては、鈴木は急性致死性緊張病にかかっていたとの事実を否認するものである。
なお、急性致死性緊張病にかかった患者でも、近年死の転帰をとる患者が殆んどいなくなったとされていることを念の為附言する(甲第四号証一九三頁)。
なお、昭和三八年になされた工藤義雄の論文では、自験例等二一例(いずれも発症時は昭和三五年六月〜同三六年一〇月迄のものである。但し、発症時期の不明なものも二例ある)
中一七例が死亡とされる(乙第一〇号証)。
しかし、昭和四二年三好功峰他の論文では、死亡した一例は(急性)致死性緊張病ではないとされ、結局四例(昭和四一年四月〜同四二年五月迄の間の発症)はいずれも助かっている(甲第五号証)。
なお、三好他論文におけるが如き慎重な鑑別除外が工藤論文の二一例についてもなされれば、(急性)致死性緊張病による死とされるものの数はさらに減少していたものと思われる。
2.(急性)致死性緊張病の診断基準と緊張病等との関係
 京都大学医学部川合仁医師は、シュタウダーの一九三四年の論文(甲第三号証)が急性致死性緊張病の基本的特徴として、
@ 死の予感を伴う運動性の興奮と急性発症
A 四〇度近い高熱
B 皮下出血、四肢末端チアノーゼ
C 三日から二週間以内に死の転帰
の円点をあげている。この病型は、報告書により様々な名称がつけられており、臨床像も各報告書で必ずしも一致せず、その本態についても不明の点が多い、とされている(前記三好他論文(甲第三号証)序言、同工藤論文(乙第一〇号証)結言)。
しかしながら、発熱のないものを急性致死性緊張病とする報告例は皆無である。「所請致死性緊張病及びその近緑疾患について」検討した前記三好他は「いずれの報告にも共通な症状である『熱発、重篤な身体症状、緊張病症状』という組合わせを重視し、これについて論じた」ものである。
前記工藤は「分裂病の緊張病像を呈する患者で、主として高熱(四〇度前後)及び循環器障害を示すもの」について検索を試みており、同人の検討した二一事例は全て発熱がみられ最高体温は三八〜四一・七度であった。
また、若生年久が、現代精神医学大系一二で「解熱をせずそのまま死の転帰をとったら当然シュタウダーのakute todliche Katatonie(急性致死性緊張病)の藩疇に属するものと考えられる」としている事例(乙第一三号証三〇二頁)では四〇度台の高熱があったとしている。
なお、鈴木は、無熱のものがある旨供述するが、その根拠たる報告側をあげることができなかった。
また、乙第一七号証一四頁は、「発熱を伴うこともある」との表現があるが、この文言はもともと急性致死性緊張病とのものについての説明を目的としたものではない。
その他、無熱だとする具体的報告は一例も見当らない。
右の三好他の五例、工藤の二一例、若生の一例と右四基準とを比較検討する。
@については、昏迷のみで興奮の前駆をみないもの(三好他は、これを異なるパターンとみて別に論じている)を除けば興奮と急性発症は全て共通する、Aは全例に共通することは既に述べた、Bについては、多くの事例において認められており、不整脈、頻脈等の循環器障害に含めてみれば、さらに広い範囲で確認できる、Cについては、近時死亡する転帰をとる者が少ないとされていることは前述した。
 シュタウダーは、死に至る病としての緊張病(分裂病緊張型)をとりあげており、これを致死性緊張病と名付けた。
前記工藤は、前記論文で「分裂病の緊張病像を呈する患者」の範囲で検討している。
また、これらに対し、近時非定型精神病の患者もこの急性致死性緊張病にかかることがある旨の指摘があり(川合証人二四丁)、さらには、「シュタウダーが分裂病の特殊類型とする急性致死性緊張病もむしろ本非定型群(非定型精神病ー代理人註)と同一の範疇に属するものであり、おそらくその際ただ量的な差異のみが存在するのではないかと思われる」
(乙第一二号証一四六頁、三〇一〜三〇二頁参照)との指摘すらある。
3.城鑑定の誤り
(一) 城証人の経歴と基本的知識の欠如
 城証人は、精神病と法医学の両方を専攻したとのことであるが、その論文よりしても(甲第二号証)解剖と酩酊の鑑定とに重点がおかれている。城証人の精神科医としての臨床経験は昭和一八年助手になってからの約二年間と復員後の約半年(城証人によればこれらは初期の研修とのことである)と昭和五五年四月退官後証言時までの約二年のみであり、全部合わせても五年足らずであり、これは大変短かいと言わねばならない。
しかも、同証人は、致死性緊張病の患者を担当して治療にあたった臨床経験は皆無である。
そして、精神鑑定の事例でも致死性緊張病の患者を担当した経験も全くない(城証人があげる一例も自ら急性致死性緊張病に至らなかった、としている。以上城証人第一二回五丁〜九丁)。つまり、城証人は急性致死性緊張病の患者についての経験は全くない。同証人の本病に関する知識は経験に全く裏付けられておらず、文献その他によるもののみである。
 さらに、城証人は、致死性緊張病につき基本的知識すら有していないと言わねばならない。
すなわち、同証人は、乙第一三号証一四六頁の「シュタウダーが分裂病の特殊類型とする急性致死性緊張病もむしろ本非定型群(非定型精神病ー代理人註)と同一の範疇に属するものであり、おそらくその際ただ量的差異のみが存在するのではないかと思われるのである」と記載してある分を指摘した上で、「まあ私の経験(その内容が如何なるものか前述した―代理人註)からしてもそうじゃないかと思います」と一方では述べながら、他方では分裂病緊張型の患者が致死性緊張病にかかることを認めている(城証人一一回二二〜二三丁、二一丁)。
なるほど、致死性緊張病と緊張病あるいは非定型精神病との関係については様々な考え方があるのは前述した通りである。
しかし、分裂病と非定型精神病との区別を認め、それぞれが別の範疇に属するとした上で(シュタウダーのいう緊張病が、今日の分裂病と非定型精神病との区別を認める立場からすれば、当然やはり分裂病に含まれるか否かは慎重に考察する必要がある)致死性緊張病は非定型精神病と同じ範疇に属し、両者の間に量的な差異のみが存するとの考え方にたてば、緊張病の患者が致死性緊張病にかかることを是認することはあり得ない。
城証人は、致死性緊張病につき最も初歩的理解ができていないのである。このことは、城証人の用語の混乱からも窺える。緊張病性興奮(Katatone Frregung)とは、緊張病(Katatonie)にみられる興奮をさし(南山堂医学大辞典四九三頁)非定型精神病にみられる興奮を緊張病性興奮ということはあり得ない。これは、用語上からしても当然のことである。
しかるに、城証人は鈴木を非定型精神病と断じた上で、同人は「非定型精神病における緊張病性興奮の状態にあった」(乙第一五号証甲3)としている。
これは、論理以前の問題であり、用語の使い方そのものを知らないものである。なるほど、分裂病の緊張病像を呈する患者につき急性致死性緊張病の考察をする工藤らが、その論文の中で致死性緊張病の患者に緊張病性興奮がみられる、としているのは当然のことである。
しかし、臨床的に非定型精神病の診断が下されていた患者(症例4)についても考察をする前記三好他は精神運動性興奮の用語を用いている。
また、K・L・カールバウムは、致死性緊張病は緊張病の特殊類型とするが如きシュタウダーの説を説明し、さらに致死性緊張病は非定型精神病の一つであるとのレオンハルトの説をも紹介しながら、致死性緊張病の特徴としては精神運動性興奮、との語を用いている(甲第三号証一九三頁)。
また、乙第一三号証には非定型精神病につき詳細かつ高レベルの記述があるが、非定型精神病における興奮を緊張病性興奮などとする初歩的ミスは勿論どこにもない。
その三〇一頁以下では「発熱を伴なう非定型精神病」という形でいわゆる致死性緊張病につき記述しているが、そこでは精神運動性興奮という用語のみが用いられている。
城証人は、前述の緊張病の患者の致死性緊張病につき検討し、緊張病性興奮の用語を用いる工藤論文等とこれとも全く異なる立場に立つ乙第一三号証の福田哲雄論文(一二九〜一五三頁)を、その視点が異なること自体を理解せずに、混同してしまった結果、前述の如き概念や用語の混乱が生じたものである。
(二) 城鑑定そのものの誤り
 城証人は、その鑑定書乙説明において、鈴木の「興奮の激しさにより考えて、急性致死性緊張病の状態に陥っていた可能性がある」としながら結論たる鑑定の項では「さらに急性致死性緊張病に陥り・・・・・・・中略・・・・・・凍死するに至ったものと推測し」ている。この「可能性」と「推測」との間には著しい飛躍があるが、これを説明し得るものは右鑑定書の中には何もない。このように鑑定書自体にまず論理矛盾が存する。また、同証人は、同証人の致死性緊張病の診断基準につき、発熱、意識混濁、興奮が長く続く、の三点をあげ、特に興奮が長く続くことに重点を置いている(城証人第一二回一六〜一七丁)。
前述のBの基準、すなわち、皮下出血、チアノーゼその他の循環器障害(三好他論文では重篤な身体症状)等は全く城証人はあげることすら出来なかった。さらに、城証人は鈴木において発熱が認められなくとも、興奮の強さ、持続自体から急性致死性緊張病に陥った疑いは十分ある、としている(前同二三丁)。そして、一方では、非定型精神病の興奮で単に激しい程度に止まる場合と、急性致死性緊張病の興奮とは区別がつかないことを認めている(前同二七丁)。すなわち、城証人は、発熱がなくとも致死性緊張病にかかっていることがある、とする点及び興奮の長さ、激しさのみなら致死性緊張病にかかっていると判断できる、とする点で、城証人は学界で誰にも認められていない独自の見解を二つ示している。
さらに、非定型精神病にとどまる場合と、致死性緊張病における興奮との区別がつかないことを自認するに及んで、城証人独自の見解が完全に破綻したことは明白である。
なお、城証人が臨床としても鑑定の対象としても致死性緊張病の経験を全く有していないことは前述した。
(三) 鈴木は、急性致死性緊張病にかかっていたとは如何なる点からも判断できない。
 前述したように、致死性緊張病は、臨床像も必ずしも一致せず、その本態も不明な点が多い。しかも、この発生自体極めて稀である。
医者がこのような致死性緊張病であるか否かの判断については、他の疾患を鑑別除外する作業を極めて慎重にするのが常識である(甲第三号証五二頁右段、五七頁症例5は「所謂致死性緊張病の診断がいかに慎重になされるべきであるかを示す甚だ教訓的な症例である」とされる。同五八頁症例6も参照)。三好らは、6症例を慎重に検討し、うち2例をいわゆる急性致死性緊張病から除外している。
 まず、Aの発熱の点である。城証人は鈴木が寒い時に裸になった、との点から発熱していたと推測する(同証人一一回二四丁)。しかし、精神病の患者が着衣の脱ぐのは窺屈だから脱ぐ場合以外も存する(木村証人四八丁)。
また、鈴木は、昭和四七年二月陽和病院入院の際も、裸体となったとのことである(乙第一五号証甲1)。
鈴木は発症の際、暑さ、熱とは係わりなく裸になる行動傾向が存したとも考えられる。
臼井医師は、二月一三日鈴木に問診を試みる等しているが、「高熱はなかったんじゃなかろうかという感じがします」と供述し(同証人八回一九丁)、また、同月一四日一七時四五分、同月一五日九時三五分、一七時三五分の三回にわたり筋注が鈴木になされ(証拠保全写真二三、二四、二五号)、その際、鈴木の直近まで拘置所職員が接近し、当然鈴木の身体に触れているはずであるが、発熱しているとか身体が熱い、という報告はなされていない。
また、高熱の場合顔が紅潮する等の外見的所見もあらわれるが、連日三〇分毎の観察でもこのような事項は記載されていない(以上証拠保全の結果)。
以上からすれば、死亡前鈴木の発熱はなかったと判断するのが当然である。
 また、Bの循環器障害であるが、皮下出血、チアノーゼが出ていれば当然外見上判断できるところ、三〇分毎の観察にもかかわらずこれは報告されていない。
また、血液が酸素不足になること自体をチアノーゼというところ(川合証人二一丁)、解剖所見によれば鈴木の血液は鮮紅色を呈している。
これは循環器機能に比して組織の機能低下が大きく、酸素消費量が減少するため、血液中に多量の酸素が保存されていることを示し(乙第三号証七1)、鈴木は死の直前チアノーゼになっていなかったことを示すものである。
すなわち、鈴木についてはBも認められない。
Cが急性致死性緊張病では少なくなってきたことは前述した。しかし、他に原因の説明できない死亡が存すれば、急性致死性緊張病の基準としてはやはり重要である。
しかし、本件死因は凍死であることが完全に合理的に説明し得るのであるから、この場合は診断の基準とはならない。
これは、前述した急性致死性緊張病の判断の際必要とされる他の疾患を鑑別除外についての慎重さからすれば当然のことである。
以上からすれば、鈴木において致死性緊張病の場合必廃とされるAの熱発が認められないのみならず、Bの循環器障害とCとが認められないのであるから、いかなる観点からしても、鈴木を急性致死性緊張病にかかっていたと判断することはできない。
三、結論
 一、二、からすれば、鈴木の死因が凍死であると判断するのは、死体所見、生前の状況からすれば自然かつ合理的であること、(急性)致死性緊張病については一応検討の余地があるとしても、やはりこれにかかっていたとは到底認め難いこと、他に合理的に推測し得る死因が存在しないことが明らかである。
 よって、鈴木の死因は凍死であると判断さるべきは当然である。
第四、検察官田中の過失
一、大阪地方検察庁田中は、鈴木国男に対する昭和五一年二月三日付勾留決定に基づく執行指揮者である。
二、検察官は勾留の継続が被疑者の心身の健康を害し、勾留執行に耐え得ない状態を認識した以上は勾留執行の裁判あるいは被疑者の釈放もしくは病院移送等の方法を取る義務があり、被告国も右義務を認める。従って、当然検察官は被疑者が勾留執行に耐え得る健康状態かどうかを調査する義務を負うといわねばならない。
三、検察官田中は、昭和五一年二月一〇日鈴木を取調べるべく大阪拘置所保護房まで赴むいたところ、鈴木の異常な行動から鈴木が精神分裂病に罹患しているのではないかと認識していたことを認めているのであるから、検察官田中は鈴木が勾留執行に耐え得る健康状態かどうかを調査すべきであった。検察官田中はその調査義務を怠り、慢然勾留を継続し、同年二月一三日には勾留延長の請求さえなしたのである。
四、検察官田中は鈴木の健康状態の調査をすみやかに行なっていたならば、中田医師の「至急精神科の受診が必要」との判断や精神科医臼井の「精神分裂病の疑、意識障害がある」「鈴木の病状の経過如何によっては鈴木を専門施設で医療処遇することが必要」との報告並びに動静視察表等により、鈴木が勾留執行に耐え得る健康状態でないことを充分判断できたはずである。
五、以上によれば、検察官田中は勾留を継続するならば鈴木が健康を著しく害し、場合によっては死さえ招来する危険な状態であったことを充分認識し得たにもかかわらず、その判断に必要な調査を怠り、その結果、勾留執行停止、釈放あるいは病院移送等の鈴木の生命保持に必要な適切な処置をとらず、慢然、これを放置し、鈴木をして凍死に至らせた過失がある。
第五、拘置所長及び看守の過失
一、拘置所々長並びに看守の義務
 大阪拘置所々長及び同所看守らは、勾留の執行者として、被疑者の身体の安全と身柄を適切に管理する義務を有しており、このことは被告国も認めるところである。
 従って、拘置所長は、拘置所にある全職員を総括して、前記義務の履行に務めるべきであり、又、前記義務の履行について、人的物的欠如のある場合は、その欠如を除去し、前記義務の履行に支障のない体制を作る義務を有しているものである。
 又、看守らは、直接的に前記義務を履行し、かつ、その担当職務で前記義務履行のために不十分な点があれば、それを所長あてに上申し改善方をはかる義務も同様に有しているものである。
二、死因が凍死であることから来る各過失の関係
 故鈴木国男(以下鈴木という)の死因が凍死であることは別項で詳細に論じたところであるが、その事は拘置所々長並びに同所職員の過失を論じる際には十分考慮されねばならない。
 すなわち「死因」が凍死であることは、他の死因の場合と異なり、死者の体力を消耗させるに至った種々の行為が積み重なって「死」に至らしめたものであるから、その行為のそれぞれが「死」という結果と因果関係を持ったものとなり、残りの問題は、右の行為についての過失の有無となるのである。従って、拘置所々長並びに看守らの過失を考える場合には、ある意味では広汎な行為が問題とされるところとなるのである。
三、拘置所々長並びに看守らの過失
1.昭和五一年二月三日鈴木は大阪拘置所へ移監され、同月一六日死亡に至るまで、同拘置所に収容されていたものであるが、その間厳寒期にもかかわらず、保護房という極めて保温設備の不十分な場所に、全裸もしくは全裸に近い状態で、摂食、睡眠がほとんど取られることなく、かつ、右に対して適切な処置や適切な治療を受けることなく死亡させられるに至ったものである。
拘置所々長並びに看守らにあっては、右の鈴木の状態を十分把握していたか少くとも把握しえる状況にあったにもかかわらず@症状を進行させないための処置を怠り、A喫食・睡眠・保温等の生命保持に必要な事柄を取らせるべき処置を怠り、Bあまつさえ、臭気を理由に換気扇を作動させ、外気を直接保護房内に入れかつ微風を起させることにより、より体温を奪う行為をなし、C医師を呼ぶ必要が存在するにもかかわらず、医師の指示を受けようとせず、D鈴木が衰弱、凍死するのを当然見れるべき位置にあるにもかかわらず、それを見なかったか、もしくは冷やかに見ていて何らの処置を取らなかったものである(この段階では強制栄養補給も必要な事態であった)。
又、拘置所内の医療体制の不備からくる無責任な体制もその一因であったものである。
以下、詳述する。
2.病状を進行させた過失(主として二月三日から同月一三日までの内容)
 監獄法第四〇条の規定の存在、昭和四二年一二月二一日矯正局長通達矯正第一二〇三号記三の存在、鈴木を医師が診断したのは、二月九日の中田外科医によるものと、二月一三日の臼井精神科医によるものとの二回だけであること及び中田医師が「至急精神科医受診」の指示をしていたことは当事者間に争いがない。又、橋本和子が二月五日、同月九日、同月一三日にそれぞれ鈴木に対する面会を申し入れ、かつ主治医による診察を申し入れていることは、橋本証言によって明らかである。
してみれば、鈴木自体が保護房収容時から身体に変調をきたしていたのは、動静視察表より明らかであるから、保護房収容時に、前記通達に定められた医師の診断という処置が執られておれば、鈴木の病状進行を止めえたことは明らかであるといわねばならない。
又、監獄法所定の処置がとられておれば同様のことがいい得る。
病気の性質から考えて、主治医の診察もしくは精神科医のより早期な診察がなされておれば、より一層適切な治療がなされたことも明らかである。
従って、当然なされるべき医師の早期診断が怠られたものといわねばならないのである。右の義務違反は、鈴木の死因と因果関係を持つのは明らかである。
すなわち、本人の病状の進行が、健康人が持つ自己防衛機能(栄養補給、睡眠、保温)を失なわさせしめ、その結果「凍死」に至ったものであるからである。
そして、拘置所々長、看守らが当時鈴木の異常並びに、医師の診察の必要を感じる事情は十分存在し、その義務違反がより一層鈴木の健康を害し、身体に変調をきたすことを予見しえる状況であったことも明白である。
3.喫食、睡眠、保温等の生命維持についての必要な処置の怠り(二月三日〜二月一六日の間)
(一)被告の主張は右のいずれについても、それなりの処置をしていたというもののようである。従って、証拠に基づいて検討する。
(二)喫食について
 右についての証拠資料は乙第六号証並びに動静視察表及びそれに基づいて作成された甲第一号証である。右のいずれが信用できるかについてであるが、乙第六号証はいかなる資料に基づいて作成されたものであるのか明らかでなく、かつ、動静視察表の記載事項と矛盾しており(例えば二月一三日の夜について、乙第六号証では喫食となっているが、動静視察表では食事をとった様子の記載は全くなく、かつ残飯を房内にまき散かしたとの記載がある)、乙第六号証の信用性が薄いことは明白である。
従って、喫食については甲第一号証で明らかな如く、三七食中一六食が不食であることは明らかである。
乙第六号証は、喫食をしていないにもかかわらず、それをしたかの如く把えている拘置所側の過失を浮きぼりにする以外の何物でもないのである。
(三)睡眠について
 睡眠についての被告の主張は明らかでないが、鈴木が、睡眠時間について異常ともいうべき状況にあったのは動静視察表並びに甲第一号証で明白である。
それによると、鈴木は極度の衰弱に陥っているにもかかわらず、一日二時間十五分以上の睡眠をとったことがなく、かつ不眠の日が五日間も存在しているのである。
従って、看守らは当然右の異常に気付くべき状況にあったことは明らかである。
(四)保温について
 被告の主張は乙第七号証に見られる如く、衣類の交換等をしており、保温に必要な処置を取っていたというもののようである。
しかしながら、これとても、動静視察表を一見すれば明らかな如く、全裸の状態でいる旨の記載が数多くあり、右の着衣の効果が全くないことは明白である。それどころか乙第七号証の記載の如き着衣の交換が動静視察表に記載されていない部分もあり、乙第七号証自体の信用性さえも乏しいものといわねばならない。
右の事と、房内に暖房設備のないこと、二月という厳寒期であったこと、更に外気と房内の空気が直接移流する状況になっていたこと、換気扇がしばしば作動され、房内に微風を起す状況であったこと(以上の事実は争いがないものである)を併せて考えれば、鈴木が保温に欠く状況であったことは明白である。
(五)右の点についての看守らの過失
 前述した如く、看守らは被疑者の身柄を管理するものであるところ、前記の喫食・睡眠・保温は、被疑者の健康状態維持に取って不可欠のものであり、その欠如は被疑者の身体に著しい変調を与えるものであるから、看守らは、右の如き事態が発生した場合、適切な処置を取るべき義務を有しているといわねばならない。
本件の場合、看守らは、右の事態を認識し、かつ鈴木が衰弱するのを認識しながら、何らの処置を講ぜず放置したものであり、とりわけ二月八日以降にあっては、鈴木が身体を震わせるという状況を確認しながら(動静視察表参照)、何らの処置も行なっていないものである。その際、当然の事ながらこのまま放置すれば、鈴木の身体が衰弱し、死亡の可能性のあることも予見し得たはずであり、同人らの責任は明らかである。
又、少なくとも、右の如き異常な事態が続いているものである以上、臼井医師の診察の際、その事情を説明し、医師の正確な処置を受けるべき素材の提供の義務を怠ったことは明らかである。
4.換気扇を作動させた過失(二月一三日以降)
 換気扇を作動させた場合、外気が直接房内に流れこみ、かつ、房内に微風を生じさせることは検証の結果明白である。
 ところで、看守らは、鈴木がほとんどの時間全裸でいること、外気が低温であること、睡眠、喫食等を十分にしていないことを知りながら、換気扇をしばしば作動させているものである。そして、右の事が「凍死」の一因となったことは明白である。
又、身体をこすっていたりしていることを十分認識しながら右の行為を行なっており、「凍死」の予見を持ち得たことは明白であると言わねばならない。
とりわけ二月一四日、同月一五日の場合はより一層明白である。
右の看守らの行為は、通常の房内の換気が換気扇を作動させずになしうる構造になっている以上、鈴木の房内に発生した臭気(残飯によるもの)に入れかえようとしてなされたものであることは明らかであり、房内の鈴木の状況を一顧だにしない処置であったというべきである。
通常の人間が、体力が衰え、震えている裸の人物に対し、厳寒期の中、外へほうり出す行為をなすはずのない事を考えれば、看守らの責任は重大と言わねばならない。
5.医師の来診依頼又は医師の指示を求めることを怠った過失(二月一四日、同月一五日)臼井医師は、その処置の当否はともかく、鈴木の病状の経過如何によっては専門施設での治療を上申していたものである。
しかるに、看守らは、鈴木の動静を視察し、その異常(身動きしなくなったこと)を十分認識し、かつ、コントミンの注射の際、体温が低下していることを十分認識しながら(凍死から考えて一五日夕方の注射の際、相当程度体温が降下していたと推定される)、そのまま放置することを続けたものである。
身体の異常を感じれば、拘置所内には医師も常駐しており、その往診を求めることも容易であったし、夜間に至っても、医師の来診は十分可能であるにもかかわらず、何らの処置をなさなかったものである。
更には、右の状況について、医師に対する一切の問い合わせもなしていないものである。
もし、右の処置が取られておれば、強制栄養補給、保温等で鈴木の死亡は防止できていたものである。鈴木の「死」に対する予見を持ち得る状況が少なくとも続いていたものであるから看守らの責任は明らかであるといわねばならない。
6.監視義務違反、(二月一五日、同月一六日)
 動静視察表によれば、二月一五日に入り、鈴木の動きは止まり、とりわけ、夕方以降、運動が全くなくなった状況であった。そして、死に至るまで、ただ、ただ何らの処置なく、放置されたのである。それ以前より鈴木の異常については、看守らは十分認識し、かつ、テレビカメラによる動静視察ができ得る状況になっているのであり、かつ「凍死」である以上死に至るまで何時間も異常な事態があるはずであるから、看守らは、鈴木の監視を怠ったものであるといわねばならない万一、看守らが、右の異常を気づいたうえ、「暴れる奴がおとなしくなった」という程度と意識であったとすれば、彼らの精神病者に対する偏見と彼らが精神病者の身柄を管理しえる資格のないことを物語っているものであり、いずれにしても看守らの責任は明らかである。
又、右の義務の怠りが、死の結果に至ったものであること、更には、死に至る可能性を予見しうべき状況にあったことも明白である。
7.拘置所所長の過失
 前記1の過失につけ加えて、拘置所長は、前記2乃至6の各看守の過失に関連して、鈴木の異常な状況については、入所以後認識し得たはずであるから、より一層適切な処置をとるよう各看守を指示したり、又、各看守の連絡に遺漏のないような処置をとるべき義務や適宜報告を求める義務を有しているにもかかわらず、それを怠り、前記の如く看守らの各過失を招いたものであるから、右の点についての拘置所々長の過失は明らかである。
8.拘置所の医療体制の不備
 前記各過失以外に、拘置所の医療体制の不備が存在している(この事は右改善の処置を怠った所長の過失である)。
すなわち、本件にあっては、精神病者を一定の人数収容している拘置所でありながら、専門医が不在のため、それに対する治療の処置が遅れ(中田医師の指示で専門医が来診するまで四日間を要している)、かつ、臼井の来診後も事態の変化について専門医の具体的指示を仰げないという事態に陥っているものである。従って、少くとも重度な精神病者については収容し続け得る物的(保温のある部屋等)・人的設備がないにもかかわらず、鈴木を収容し続けたことは拘置所としての医療体制の不備であるといわねばならない。
又、右とは別に、鈴木の身体の状況を連続して見分したりもしくは定期的な報告を受け得るもの(それが医療の専門医であればより適切であるが)が存在すれば、鈴木の身体の異常をより一層明確に認識し得たはずであるところ、拘置所にあっては、一体誰が具体的に鈴木の身柄の管理の責任を負うかについて不明確なまま放置されたため、本件結果が発生したものであり、拘置所のいわば身柄管理(特に病人の場合)の無責任な体制がその一因であるといわねばならない。
この事からも拘置所々長の責任は明らかである。
第六、医師臼井の過失
一、医師臼井は精神科の医師であり、大阪拘置所の非常勤医である。
 臼井は昭和五一年二月一三日午後二時ごろ大阪拘置所の委嘱により、当時大阪拘置所に在監中の鈴木国男の診察を行った。
医師臼井は、医者として患者の生命と健康保持のため適切な治療措置をとるべき義務があるのに、鈴木に対してとるべき適切な治療措置を怠ったうえ、誤った治療を施した過失がある。
二、医師臼井の過失の具体的内容
(一) 臼井診察時の鈴木の身体状況等
 臼井が鈴木を診断した昭和五一年二月一三日午後の鈴木の身体状況は、動静視察表・甲第一号証・証人木村政紘および証人臼井の証言を総合すれば次のとおりであった。
 保護房に入った二月三日以降睡眠、食事もほとんどとっていなかった上に、二月の厳寒期に全裸もしくは全裸に近い姿で放置され、身体の衰弱は極限に近く、身体的状況は「フラフラしている」、「ヨロヨロしている」というものであった。
精神状態は不穏興奮の昂進とともに、意識の低下、変容もすすみ錯乱状態にあり、意識障害が昂進し積極的にものを食べるということすらできない程度に達していた。
当時の鈴木の身体状況、精神状態からすれば、衰弱が進み、放置すれば生命の危険が問題となる状態であった。
(二) 当時鈴木がおかれていた環境
 拘置所保護房という、外界から遮断されたしかも被疑者対収容施設という最も権力的対応のきつい環境にあり、厳寒期にもかかわらず暖房施設が全くない上、外気を直接吹き込む換気装置付の保護房に置かれ(検証調書)、病者に対する看護とは無縁の単に監視だけの目的で配置された看守者の見守る中で、面会者との面会の機会すら全く与えられないという精神病者にとって最悪の環境に置かれていた。
(三) 鈴木に対し採られるべき処置
 右に述べた当時の鈴木の状態および置かれた環境から判断して慢然放置すれば死の転帰を見ることは、専門医の判断を待つまでもなく予測し得るところであり、当然専門施設(精神科の病院)へ移す処置が採られるべきであった(証人川合仁の尋問調書一一丁)。
(四) 臼井の診察内容
 臼井の証言によると、臼井は診察前に拘置所備え付けの鈴木のカルテに目を通し、看護士から簡単に経過聴取をしただけで鈴木の診察に移り、時間にして二〜三分の視診、問診で診察を了えるのである。問診についていえば二言三言発問をしたが、反応がないのでこれをあきらめ、視診等も形式的であり、神経学的諸検査は勿論、検温、検脈すら行なわなかった。
 適切な診断、処置(治療)の前提として、適切な診察がなされなければならないことは言うまでもないが、臼井は、まず患者に対する事前のデーター(特に精神科の領域にあっては病歴の把握、主治医があればそこからのデーター)の入手が皆無であった上、診察の出発点である検温、検脈すら行なわず、精神病者の診察でとりわけ重要な問診もいとも簡単に放棄している。
 これでは適切な診断などできるはずがないのである(川合証言六丁)。
(五) 臼井の診断内容
 臼井は鈴木の病名を精神分裂病と診断するのであるが、これは鈴木の病像、病前性格および病状経過から判断し、明らかに誤まりであり、鈴木の病状が非定型精神病のそれであったことは疑いない(川合証言三丁、木村証言一九丁)。
 診断の誤りは、杜撰な診察の当然の結果ともいえるが、いずれにしても右の如き診察、診断では、およそ適切な治療、処置等できるはずがなかった。
(六) 臼井のとった処置、指示の内容
 臼井は、鈴木に対し、「アメンチア内至せん妄様幻覚ないし妄想の豊富な存在が推定される」との所見を得、「精神分裂病の疑い」との診断を下し、しかも少くとも当時の鈴木の身体症状(その衰弱の状態)および鈴木の置かれた環境を知りながら二〜三分で診察を了り、コントミン等の投薬の指示と、拘置所係員に対する「同人の症状の経過如何によっては同人を専門施設で医療処遇することが必要」である旨の報告を残しただけで鈴木に対する診察を了えているのである。
 当時の鈴木の状態は「精神科の専門医療機関に移す以外になかった」(川合一一丁)のであるが、もし、臼井のように「もう二、三日経過をみるというのであれば、やはり自分ないしそのほかの専門家がたえず診察できる状況を作る、その間自分達の不在の間、専門の看護婦さんに観察してもらうということをしないといけない」(川合証言一六丁)にもかかわらず前述のごとき処置をとったにすぎないのである。
(七) コントミン投薬指示について
 一般に急性精神病に対する薬物療法を実施する場合、投薬前の身体的検査は当然の前提であり、投薬後も血圧、脈拍、体温の検査保温、栄養状態の把握が必要である(川合証言一五丁)。
 ところでクロルプロマジン(コントミン)は昭和三〇年ころ開発された向精神薬で、自律神経の働きを乱し、体温調節とか脈拍を乱しやすい、副作用の強い薬である(川合証言一四丁)。
 またクロルプロマジンの自律神経作用は、身体状況によってては、体温降下作用があるといわれている(川合証言一六丁)。
 右に述べたことから、クロルプロマジンによる薬物療法を行うについては、投薬前に十分な身体的諸検査を行なったうえ、投薬後も専門医もしくは専門看護婦(士)による患者の身体状況の把握とりわけ保温の確保は不可欠である。
 ところが、臼井は、投薬前の諸検査も行なわず、また投薬後の措置を何等とることなく、慢然鈴木に対しコントミン(クロルプロマジン)の投薬指示を行なった。右の如き臼井のクロルプロマジンの投薬指示が鈴木凍死の一因となったのである(四方鑑定助川意見書・川合証言二二丁・木村、渡辺意見書)。
(八) 臼井の拘置所に対する「症状の経過如何によっては専門施設で医療処遇することが必要」との報告ないし上申について
 臼井は、鈴木の症状につき、「比較的速やかに鎮静していくであろうという予想を立て、なおかつ二週間の経口投薬(注コントミンを含む)を指示しておりましたので、まあ余程の変化がない限りは、次の定期の診察日(注、二週間後、臼井自身が診察するのは四週間後)でもよかろう」と考え(第七回臼井証言四〇丁)、「症状の経過如何によっては専門施設で医療処遇することが必要」との旨の報告(上申)をし、右報告については、それに基づいて医務部長が采配するであろうと考え鈴木の診察を了えているのである。
 当時の鈴木の状態から判断して、即座に専門医療機関に送るべきであったことは前述のとおりであるが、前記の報告(上申)を残し鈴木の診察を了えた臼井の処置は、医療と呼ぶには余りにもお粗末であり、その専門医としての資質を疑わざるをえない。右報告(上申)は拘置所の医療体制から考えれば、何の意味、効果もなく、臼井は瀕死の患者を目のあたりにしながら慢然放置したといっても過言でなく、現実に鈴木は臼井の診察三日後の二月一六日朝凍死するのであるが、その間医師の診察を一度も受けることなく、まさに見殺しの状態で凍死していくのである。
(九) 臼井の注意義務違反
 以上のとおり、当時の鈴木の身体、精神状況およびその置かれた環境から判断して、慢然放置すれば死に至ることは予測しえたのに、医師臼井は鈴木に対し適切な治療措置として即座、早急に環境条件の改善の指示および栄養補給、睡眠、保温等につき専門医として適切な施療、措置をなすべきであったのに、右措置を怠ったうえ、重ねて、事前の身体的諸検査も経ずかつ保温の極めて不十分なままでのクロルプロマジンの投与は控えるべきであったのに、臼井自身も証言で認めるとおり保温に対する配慮等の全くないままクロルプロマジンを投与し、更にはその投薬後の診察、看護体制に対する配慮をなすべきであるのになさず、看守らに対しても何の注意すら与えなかった。
右の結果鈴木を凍死に至らしめたものであり、医師臼井の過失は明白である。
第七、原告の損害
一、原告は鈴木の死亡により以下の損害を蒙った。
 鈴木は原告にとって三人息子のうちの一人である。原告の夫は、鈴木誕生のころより病床にあり昭和二四年死亡した。原告は、戦中、戦後の食糧難時代を女手一つで鈴木を育ててきたのである(原告本人尋問調書一丁〜二丁)。
 鈴木も原告に迷惑をかけまいと、小、中学生時代は新聞配達をしながら通学し、中学卒業後は昼間呉造船所で溶接工として働きながら定時制高校に学び、広島大学政治経済学部に進学した。又、鈴木は親想いの子であり原告としては鈴木の将来に大いな期待を寄せていた(原告本人調書三丁〜五丁)。
 原告は、鈴木が逮捕され拘留されていることを訴外武内和子より昭和五一年二月一四日土曜日に連絡を受け、この事実を初めて知り、同月一六日月曜日に同人に面会すべく広島県呉市より来阪した。この日原告は、鈴木の死体に面会させられようとは露も知らず、大阪拘置所で鈴木の死顔に直面させられ涙も出ない深い悲しみの淵にたたきおとされたのである(原告本人八丁〜一四丁)。
 息子を失った母親としての失望は大きい。とりわけ原告は、困難な時代を女手一つで育ててきて、その将来に大いな期待をなしていた息子を突如として失ったのであり、その失望は余りにも大きく、その精神的苦痛は金銭に換え難いのであるが、あえて金銭に換算するならば、その慰藉料は金四〇〇万円を下ることはない。
二、原告は鈴木の蒙った損害を唯一の相続人として相続している(甲第五六号証)
1.逸失利益 金二六、三四九、六四四円
(一) 鈴木は小、中学生のころより新聞配達をなし、高校時代も昼間呉造船所で勤務しながら学び、大学時代も様々なアルバイトをしながら学んだ労働意欲旺盛な、且つ、身長一七五センチメートル、体重八〇キログラムといった頑強な身体を有する青年であった(原告本人調書一丁〜四丁、武内和子証人調書四丁〜六丁、検甲第一号証)。 
 鈴木は、昭和五一年二月一日浪速警察署に逮捕された当時は西大阪ゴルフセンターに勤務し、その勤務状態もほぼ皆勤の状態であった(甲第七号証)。
(二) 鈴木は精神障害で入院歴を有するが、その労働能力は何ら減退するものではない(木村政紘証人調書一九丁裏)。
 鈴木が昭和五〇年一月に入院した際の主治医である木村医師は、鈴木の退院にあたり定職につき生活を安定させるよう指導し、鈴木は右指導どおり西大阪ゴルフセンターに勤務し、この間一ヵ月又は二ヵ月に一回の割合で右木村医師のもとに通院した。
 木村医師は、右退院後の勤務状態に何らの支障もなく、随分と症状のよい状態であったと証言されている(同証人調書一五丁裏〜一六丁)。
 右木村医師はじめ川合医師、城医師のいずれもが、鈴木の症状であった非定型精神病と労働能力との関係について、「悪い状態のとき以外、もとどおりの状態で働けるしよくなっている時期に心因的な要因を日常的に解決してやっていけば再発を防止できる」旨証言している(木村証人調書二〇丁表、川合証人調書二六丁、城証人調書)。
 又、非定型精神病の場合、性質的に働き者でまじめな人が多く、一般的傾向として年令がいくに従って安定してくる(川合証人調書二七丁)のである。
(三) 従って、鈴木は通常の労働能力を有し、現に西大阪ゴルフセンターに勤務しておったのであり、賃金センサス昭和五一年第一巻第一表によれば同年令の平均賃金は月額金二二四、五九一円となり、単身者としての同人の逸失利益を新ホフマン式により計算すれば左のとおりとなる。
@ 死亡時の年令 三三歳
A 稼働年数(六七歳まで)三四年 新ホフマン計数一九・五五三八 二二四、五九一円×一二ヵ月×1/2×一九・五五三八=二六、三四九、六四四円
2.慰藉料
 鈴木は大阪拘置所移監の後、その精神症状を悪化させ、徐々に自己防衛できない状態に陥っていった。大阪拘置所では鈴木の病歴、武内和子の訴等より容易に鈴木の房内での動静の原因を把握し得たにもかかわらず、これをせず、又、臼井の診察により鈴木が意識障害に陥っており自己防衛をなし得ないことが認識されてからも、厳寒の中、食物も食べない、眠らない、保温しないといった状態のまま放置され、衰弱に衰弱を重ねた上死亡したのである。
 この様に意識障害に陥り、自己防衛できない鈴木を放置し、その衰弱に進むにまかせる行為はまさに「虐殺」という言葉さえあてはまるむごたらしい仕打ちであり、鈴木は、このむごたらしい仕打ちの中で苦しみ抜いて死亡したものであり、その凄絶さからすればその死を慰藉するのに相当する金額は一〇〇〇万円を下ることはない。
3.弁護士費用 金二〇〇万円
 原告は被告の不法行為により本訴提起を余儀なくされたのであるが、被告側は本訴提起前においては、死因究明させないまま鈴木の死体を火葬しようとして原告に火葬許可書への署名、押印を強要したり、又、本訴中においても地元警察官による嫌がらせを受ける等の妨害をなしてきている。
 右のような被告側の妨害を乗り越え本件訴訟は遂行されてきたものであり、原告は、原告訴訟代理人らとの当初の約束どおり勝訴のあかつきには認容額の五%を弁護士費用として支払うものであり、弁護士費用の支払をも併せ右のとおり請求する。
三、被告の過失相殺の主張について
 過失相殺で本来問題となる被害者の過失は、損害発生についての過失である。
 本件被害者である鈴木は、大阪拘置所で拘禁され活動の自由を奪われている状態で、大阪拘置所及び嘱託医らに放置され、その結果、凍死という損害を蒙ったのである。従って、被害者である鈴木及び原告には凍死という結果発生に何らの過失も存し得ない。

被告最終準備書面
第一、鈴木国男(以下「鈴木」という。)の死因は、次のとおりである。
1.鹿児島大学医学部名誉教授城哲男は、鈴木が非定型精神病の既往歴を有し、かつ、今回もこれが発病したことは確実であり、したがって、その激症ともいうべき急性致死緊張病であった可能性があるので、それによっても死亡するはずであったところ、たまたま厳寒期の二月に遭遇したので、合わせて凍死にも陥ったと考えられる旨述べている(昭和五七年二月二日付け 城哲男証言調書、乙第一五号証)。
2.大阪市立大学医学部法医学教室教授助川義寛は、凍死の場合、死亡直後の体温は摂氏二五度(以下「摂氏」を省略する。)
以下であり、死亡から七時間後の体温が二二度であったとすれば、死体体温の降下速度により逆算し、更に室温も合わせ考慮すると、死亡時の体温は三六度前後となるから、凍死以外の死因であっても矛盾はない旨述べている(乙第三号証)。
3.同大学医学部神経精神科教授川北幸男は、クロルプロマジン服用中の突然死による論文中に、低体温が死因と確定された報告や、これを死因と推定する報告は見当らず、自己の知るところでも低体温による突然死はない旨述べている(乙第一七号証)。
4.鈴木の症状は、以下に述べるとおり、文献(乙第一〇号証)で紹介されている典型的な急性致死緊張病のそれに合致している。
(一) Billlng&Freemanは定型的な急性致死緊張病の症候群では、全経過中に三つの病相を示すと述べている。すなわち、「発生に先行して、前駆期ともいうべきものがあり、その期間は二週間から数か月に及び、その症状は一般の分裂病にみられる症状である。次いで第一期に入り激しい精神運動興奮がみられ(この時期にはしばしば自傷行為等があるという。)それに伴ってアクロチアノーゼ、血圧の低下等が認められるようになる。第二期に入ると、精神運動興奮は漸次原始的となり、このころから意識混濁が発言し、昏迷状態を示してくる。
 そして、循環器障害はいよいよひどくなり、出血傾向もみられ、高熱を示し、その後短期間の内に呼吸停止又は循環失調で死亡するといわれる。これをわれわれの症例と比較すると、両例とも約一週間位の分裂病症状を呈した前駆期がみられた。次いで症例1では不穏、多動、衝撃行為等、症例2では不穏、徘徊、多弁等の激しい精神運動興奮の症状が認められた(しかしわれわれの症例ではこの時期にはアクロチアノーゼ、血圧の低下等の循環器障害の症状はあまり認められず後になってこれらが出現している。)更に病勢が進むと、両例ともそれまでみられていた精神運動興奮状態が急に強い昏迷状態に移行し、この頃より発熱、循環器障害、筋強剛、自律神経症状、出血傾向が出現し、それらが漸次強度となって、両例とも一週間以内に循環失調によって死亡している。」と述べている(乙第一〇号証一〇四一−g五三ページ)。
(二) ところで、動静視察表等によって認められる鈴木の症状は、次の指摘するとおりまさに右定型的症例に符号するのである。
(1) 犯行日である昭和五一年二月一日には同居中の友人をバット及び包丁で瀕死の重症を負わせるという行動に出ていることから、既に非定型精神病の再発があったことは明らかであり(前記城証言一九丁表)この前後がいわゆる前駆期に当たるものと認められる。
(2) 次に、保護房収容後の同月三日から一二日までの間はいわゆる第一期に当たるものと認められる。すなわち、右文献が定型的な症状として挙げている不穏、多動、衝動行為、徘徊、多弁等がすべてこの時期に出現しており、また、右文献に自験例1として紹介されている症例では、「寝巻を急に脱ぎすてて興奮を示し」、「流動食もすぐ吐き出して摂取しなくなり」との病相を示し、鈴木の行動の特徴となっている裸体、不食と合致している。
(3) 臼井医師が診断した同月一三日は第一期から第二期への移行期にあったと認められる。すなわち、第二期の特徴としては意識混濁と昏迷状態が挙げられているが、この時期ではまた意識混濁を疑わせる「アメンチア乃至せん妄様」が認められるだけで、昏迷状態の兆候はなかったからである。
(4) 同月一四日から死亡する一六日までの間はいわゆる第二期に当たるものと認められる。ここで注目すべきことは「精神運動興奮状態が急に強い昏迷状態に移行する」ということであり、現にそれまでには見られなかった「便器の上に座ってボヤーとしている。」「横臥して布団を全身にかぶっている。」「しゃがみこんで土間をなで回している。」「座り込んで洗面器と便器を手で交互になでている。」等昏迷状態を窺わせる行動が目立つようになっている。
 なお、筋強剛については、右文献の第2表に見られるとおり、一六例中僅か四例にしか発症していないので、むしろ出現しないのが普通であり、また鈴木の死亡後最初に診断した医師である大阪拘置所医務部長山本可也は鈴木の死因を循環失調である急性心不全の疑いとしており(証拠保全記録中の診療録二丁裏)、右文献が挙げている「循環失調による死亡」に当たる。
二、鈴木が非定型精神病に罹患していたことは原告も自ら主張しているところであり、これが極度に悪化した場合である(前記城哲男証言調書二二丁裏、乙第一三号証)急性致死緊張病の患者が死亡した場合、臨床検査及び部検所見では臨床的にみられる顕著な身体症状を裏付ける所見は全く見出せない(同証言調書二三丁裏、乙第一〇号証)のであるから、精神医学にも極めて造詣の深い法医学者である城名誉教授の鑑定結果及び証言は極めて信用性が高いということができ、これに右助川及び川北両教授の各意見をも合わせ考察すると、鈴木は非定型精神病が極度に悪化して急性致死緊張病にまで進んで死亡という転帰に至り、たまたま厳寒期であったため凍死の所見をも合わせ生じたものである。
三、原告はシュタウダーのいう致死性緊張病の特徴のうち身体的所見としての急激な皮下出血、四肢末端のチアノーゼ及び原因不明の異常な高熱を挙げ、これらが鈴木の死体に認められないから、鈴木は急性致死緊張病ではなかった旨主張するが、以下に指摘するとおり、右主張は失当である。
1. シュタウダーの右研究は一九三四年に発表されたものであり、その後の精神医学の進歩発展が反映されていない。例えば「異常な高熱」という点については、乙第一〇号証(七丁裏)によれば、著者が対象とした一六の症例中四〇度以上の発熱があったものは八例でその余は三八度から四〇度までの間の発熱にすぎなかったこと、乙第一七号証(一四ページ)によれば、高熱を伴うこともあるということで、必ずしも高熱を伴わない場合もあるのであるから、シュタウダーのいう「異常な高熱」を一義的に解釈してこれに拘泥することは妥当ではない。
2. 鈴木は厳寒期に裸体になっているのであるから、前記城哲男が医学者の立場から「裸になったといいますからね、寒いときに、だから熱もあったんじゃないですか。」と証言しているように(前記城哲男証言調書二四丁表)ある程度の発熱があったことが窺われる。
3. 皮下出血については、乙第一号証(二丁裏)によれば左右の肘部、下腿に皮下出血と認められる変色があったことが明らかであり、皮下出血があったことを裏付けている。
4. チアノーゼは解剖により見出すことができないものであり(昭和五七年三月九日付け城哲男証言調書二五丁表)、また動静視察表等にチアノーゼの記録がないのは保護房の視察孔されたが狭小であり、ガラスの透明度が低いこと、寒冷期に口唇等が紫色を呈することは日常しばしば体験するところであることから、医学知識にうとい保護房勤務の看守が気付かなかったにすぎないとも考えられチアノーゼが現れていた可能性がない訳ではない。
四、急性致死緊張病の本質は、生体のホメオスターシスの破綻にあり、これに罹患した場合、現在の医学水準では救出できる可能性が低く、また、これによって鈴木の異常な言動も容易に説明できる。
1. 甲第五号証として提出された三好功峰らの論文は、次のとおり述べている。
 「所謂シュタウダーの致死性緊張病といわれるもののうち、興奮疲弊症候群として身体的側面から理解できるものがある。
「致死」の例と寛解した例との間には本質的差異はなく、前者は生体のホメオスターシスの破綻が深刻で、現在のわれわれの治療法がおよばなかったものと考えられる。」(甲第五号証六三ページ)。
2. ところで、ホメオスターシスとは「生体が環境への適応や生命維持のために営む動的な平衡状態」をいうものとされているところ(乙第二三号証)、これの破綻があったために、例えば寒冷期に衣服を脱ぐ、不眠を続ける、食事を散乱させる等生命維持のために当然必要なことを拒否し、これら異常行動を鎮静化させるために行ったクロルプロマジンの施注も効果がなく、死への転帰を辿ったと考えるのが最も自然である。
3. したがって、大阪拘置所の職員が行った清潔で温かい衣類、寝具の提供、必要な栄養量が確保されている食事の給与等が効果を挙げ得なかったことは、ホメオスターシスの破綻がある以上当然のことといわざるを得ず、また、ホメオスターシスの破綻の解消については、現在の医学水準では専門的病院においてすら一六例中一三例が死亡するという研究結果(乙第一〇号証一〇三八ないし五〇ページ)があるほど困難なものであり、専門病院ほどの医療水準が要求されていない大阪拘置所にそれを期待することは不可能である。
第二、仮に、鈴木の死因が凍死であるとしても、著しい低温が身体外表に作用して体熱を奪取した場合に起こる典型的な凍死ではなく、クロルプロマジンの薬剤作用、低気温、着衣が不十分であったこと、疲労、空腹状態等複雑な要因が総合的に作用してもたらされた凍死である。以下、右の複雑な要因をなす諸事実を詳細に説明する。
一、証拠保全記録中の診療録、乙第八号証の一ないし四及び動静視察表によれば、臼井節哉医師(以下「臼井医師」という。)の処方に基づき、鈴木に対して二月一四日と翌一五日の各朝夕にクロルプロマジン五〇ミリグラムの筋肉注射が行われたが、乙第二、第一七号証等によると、クロルプロマジンが体温低下作用を有することは明らかである。
二、乙第五号証によれば、大阪市における昭和五一年二月の午前六時の気温は、二月三日二・六度、同月九日四度、同月一三日〇・五度、同月一四日四・六度、同月一五日八・六度、同月一六日一二・二度という推移をたどっているが、乙第二号証によれば、保護房内の温度は外気温の影響をさほど受けることなく、一二度前後以上に保たれているのである。
三、乙第七号証、第八号証の四、検乙第二ないし第四号証の各一、二及び動静視察表によれば、二月一五日に新たな布団(上、下)、毛布三枚、厚手のメリヤス肌着(上、下)及び毛糸のチョッキが提供され、同日午後五時三五分ころ保健助手が鈴木に対し注射をした後、看守らが鈴木に衣類を着用させ、布団及び毛布をかけて横臥させたが、その後、鈴木は掛け布団の上に横臥するなどし、午後一〇時三〇分以降は陰部を露出する程度にメリヤスのパッチを下げて横臥していた。
四、動静視察表によれば、鈴木は、二月三日入所以降同月一四日ころまでの間、昼夜を問わず興奮状態にあって激しく身体を動かしていたため相当の疲労が蓄積されていたものと窺われ、乙第一、第二、第六号証によれば同月一四日の三食及び同月一五日の朝食は食べたが、同日の昼夜及び夕食をとらず、同日夜は空腹状態にあった。
 ところで、東京大学医学部教授上野正吉著「新法医学」一二三ページ(乙第二一号証)において、「人間は充分に防寒用着衣をまとっていれば、零下四〇〜五〇度の極地も長時間これに耐えることができる。しかし湿潤と強風等の特殊な気象下、特にこれに空腹、疲労、精神上の沈鬱、焦燥その他の悪条件が加われば、さほど寒くないところでも 々凍死を来たす。」と述べられており、また、帝京大学医学部教授石山c夫著「現代の医学法」一五九ページ(乙第二二号証)においても「人間は寒さに対してはかなり抵抗力があり、温暖地方においては凍死例はまれであるし、寒帯地方(シベリアなど)においても通常の生活をしている限り、凍死は問題とならぬ。凍死の場合には酩酊者、小児、老人、負傷者、薬物中毒のような副因があるのが通例である。とくに意識障害は凍死を誘発する。たとえば完全に意識を消失した場合には室温が二八度C内外でも体温が低下するといわれる。温度の他に湿気や風速も重大な誘因と考えられる。」と同趣旨の記述がみられる。
五、以上の事実を総合すると、仮に、鈴木の死因が凍死であったとしても、鈴木が居住していた保護房の室温はおよそ一二度以上に保たれていたのであり、かつ、鈴木は、着衣の一部(メリヤスパッチ)を陰部が露出する程度下げてはいたものの、厚手のメリヤスシャツ、同パッチ及び毛糸のチョッキを着用し、その上布団を掛けていたのであるから、通常、凍死する状況にはなかった。したがって、四方教授の鑑定意見のとおりクロルプロマジンの投与による体温低下、室温、空腹状態等複雑な要因が相まって凍死に至ったものというほかない。
六、なお、乙第二号証によると、前記四方教授は凍死を招いた条件のうち、低気温ないし着衣の不十分については、二月一五日夜から同月一六日午前二時ころにかけての死亡当夜に鈴木が陰部を露出する程度にメリヤスのパッチを下げて布団の上に横臥していた点を指しているのであって、原告が主張するような収容後から同月一五日夕刻までの間に相当時間全裸でいたことを指しているのではなく、また、空腹状態についても、鈴木が同月一五日の昼食及び夕食を食べず、右死亡当夜に空腹状態であった点を指しているのであって、原告が主張する収容全期間を通じ総じて不食であったことを指しているのではないことに留意を要する。
 すなわち、原告が主張する鈴木の全裸や不食は、本件の特異な凍死とは因果関係がないのである。
第三、大阪拘置所の所長及び職員に過失はない。
一、鈴木の勾留
 鈴木は、訴外○○○○を殺害することを決意し、昭和五一年二月一日午前九時四〇分ころ、大阪市浪速区内において、ソフトボール用バットで同人の身体を数回殴打した上、更に文化包丁で前頭部を突き刺し、同人に対し左前頭骨穿孔性刺創等のひん死の重傷を負わせたが、殺害の目的を達しなかったものであるという殺人未遂の被疑事実により、同日逮捕され、同月三日勾留状に基づき大阪拘置所に収容された(乙第一四号証)。
二、拘置所の性格、医療体制等
1. 拘置所は勾留の執行場所として設置された国家機関であり、被疑者又は被告人を収容する場合には収容の根拠となりうる適法文書が完備していなければならず(監獄法一一条)、反面、右適法文書がある以上、拘置所として収容を拒絶できるのは、その者が伝染病に罹患している場合のみであり(同法一三条)、それ以外の者についてはすべてを収容しなければならず、そのため大阪拘置所に収容される被疑者及び被告人の中には相当数の精神障害者を含む病人が含まれている実情にある。この実情は社会に病人が存在し、かつ、その病人が犯罪行為に及ぶ以上不変のものといわざるをえない。
2. 拘置所が身柄を強制的に収容する国家機関である以上、収容者の生命、身体の保護のため適切な医療体制を整え、適切な医療を行う義務を負うことは当然であるが、医師を常駐させる法的義務はなく、また、あらゆる病気を想定して緊急時に必要な医療設備を設置する義務もない(東京地方裁判所昭和五四年八月二七日判決・判例時報九五三号八三ページ参照)。
 昭和五一年二月当時、大阪拘置所には医師八名が配置されていたが、いずれも内科医、外科医等であって精神科医は配置されておらず、精神科診療の必要が生じたときは、あらかじめ嘱託してある専門医を招へいして診療をさせていた。これは大阪拘置所に限っての特殊事情ではなく、他の行刑施設(ただし医療刑務所を除く。)でも同様である。
 昭和五〇年度頭初における大阪拘置所の精神科医招へい手数料は一五万五、〇〇〇円の予算措置が講じられていたにすぎなかったので、大阪拘置所長は他の専門医招へい手数料から八万五、〇〇〇円を削り、これを精神科医招へい手数料に充当し、更に予算増額上申をして同年度末に四万六、〇〇〇円の増額示達を受け、結局、同年度中に総額二八万六、〇〇〇円を臼井医師ほか一名の精神科医に支払っている。
 しかるに、同年度中に招へいした精神科医による診療を受けた者の延べ人数は九五名であり、受診者一人当りの手数料はわずか約三、〇〇〇円にとどまり、一般医療の場合に比し、極めて低額である。
3. 拘置所における医療義務は重要なものではあるが、本来の業務の一部をなすものにすぎず、病院のように医療を本来的業務とする施設と比較し、人的・物的両面において劣ったとしてもやむをえないというべきである。
 ちなみに、大阪拘置所の昭和五一年一月から同年一二月までの間の入所人員は四、八八二名であり、内二七五名が病監に収容され診療を受けているところ、これらの者にとっても診療の面に限れば専門病院で受診することが望ましいかもしれないが、それを重視するあまり安易に勾留の執行停止の上申等により釈放することは拘置所本来の義務を放棄することになり、ひいては勾留制度そのものの否定につながるのである。
三、保護房
1. 鈴木は、乙第四号証から明らかなとおり、入所当日である昭和五一年二月三日の午後一時二〇分ころ、新入調所において、看守から食事に関する指導を受けるや突然血相を変えて看守にとびかかる行動を起こし、その場に居合わせた職員から金属手錠で制圧され、保護房に収容された。金属手錠は保護房収容後直ちに解除された。
 鈴木は、動静視察表から明白に看取されるように、収容後同年二月一五日(死亡の前日)までの間、大声、放歌、扉及び壁の足蹴り、残飯・大小便・寝具破損等による房内汚損等を重ねたので、やむをえず保護房収容が継続された。
2. 鈴木が主に収容されたのは第六房で、その位置、構造等は昭和五七年二月一八日付け検証調書のとおりであり、房内の温度は乙第一一号証のとおりである。
 乙第一一号証は、昭和五六年二月一二日午前八時三〇分から同月一五日午前八時三〇分までの間、身長約一七〇センチメートル、年齢三三歳くらいの(鈴木に近以する)大阪拘置所職員六名を四時間ないし八時間交替で被疑者・被告人を収容するのと同一の方法で(ただし、服装は各自の私服を着用させた。)保護房に拘禁し、換気扇は動静視察表の記載と同一時刻に同間隔で作動させ、保護房内の床から一メートルの高さに温度計を設置し、被拘禁職員が一時間ごとに温度を記録し、他の職員が七舎二階の外気温(乙第五号証のとおり。)及び保護房前廊下の温度を測定したものである。右調査の際、換気扇を作動した場合及び保護房内で体操等をした場合の温度を測定したところ、前者については平均〇・四四度下降し、後者については平均〇・四九度上昇することも判明した。
 乙第一一号証によると、保護房収容後四時間を経過すれば、房内温度は一二度に達し、被収容職員の交替時に若干の低下はあるものの、外気温の影響をほとんど受けることなく一二度以上が保たれること、房内温度と保護房前廊下の温度差が概ね五度以上あることが明らかである。
四、過失について
1. 原告は、大阪拘置所の所長及び看守らが、鈴木の収容後死亡までの間、鈴木の生命の危険を十分に予想しえたのであるから、その生命の保持に必要な諸々の適切な処置をなすべき義務があるにもかかわらず、慢然これを怠った過失がある旨主張するので、これに対し、被告は次のとおり反論する。
(一) まず、以下に挙げる事実を総合すると、大阪拘置所の所長及び看守らに、鈴木の死亡について予見可能性がなく、したがって過失がないことは明らかである。
(1) 大阪拘置所の所長及び看守はいずれも医学的には素人であり、たかだか医務部に准看護士の資格を有する職員がいるにすぎず、これらの者が鈴木を急性致死緊張病と判断し、死亡について予見することは到底不可能である。
(2) 仮に、鈴木の死因が凍死であるとしても、前記のとおり、異常低温が身体外表に作用して体熱を奪取した場合に起こる典型的な凍死ではなく、クロルプロマジンの薬剤作用、低気温、メリヤスパッチを陰部が露出する程度に下げていたという着衣の不十分、疲労、空腹状態が総合的に作用して起こった特異な凍死であり、「低気温であること、クロルプロマジンを注射していたことが体温低下に強く影響したものといえる」(乙第二号証四丁裏)のである。つまり、もしクロルプロマジンの注射が行われず、低気温、着衣の状況、疲労、空腹状態という条件のみであったならば、体温低下はさほどではなく、凍死に至ることはおそらくなかったであろうと推認しうるのであって、クロルプロマジンの注射は鈴木の凍死に対して極めて重大な誘因となったものである。
 しかるに、クロルプロマジン投与中に起こる副作用としての体温の低下について注意を喚起している成書は極めて少なく(乙第一七号証一二ページ)、クロルプロマジンの商品名であるコントミンの説明書における「使用上の注意」の中でも体温低下については何ら触れられていない。したがって、医学的に素人である大阪拘置所の所長及び看守らが、クロルプロマジンの副作用を知り、前記のような複雑な条件の下における凍死を予見することは到底不可能であったというほかない。
(3) 乙第五号証によれば、大阪市内における昭和五一年二月の午前六時の気温は、鈴木の収容当初である二月三日は二・六度、同月四日二・四度、同月七日一・八度、同月八日一・五度、同月一〇日〇・七度、同月一二日一・九度、同月一三日〇・五度と極めて低かったのに鈴木は凍死に至っておらず、かえって、死亡の前日である同月一五日から気温は急激に上昇しているのである(ちなみに、同月一五日の気温は午前〇時七・九度、午前六時八・六度、正午一六・三度、午後六時一五・三度であり、翌一六日は午前〇時一三・〇度、午前六時一二・二度であって、二月にしては極めて暖かい目であった。)
 医学的に素人である所長及び看守らは、鈴木の収容以後一ないし二度などと極めて寒い日が続いたにもかかわらず何事もなく経過したのに、かえって八ないし一二度と暖かくなった時期に凍死するかもしれぬと予見することは到底不可能であった。
(4) 乙第七号証によると、二月一五日、鈴木に対し、布団上・下一組、毛布三枚、メリヤス上・下一組、毛糸のチョッキを着用させており、これら寝具及び衣類は、検乙第二ないし四号証の各一、二、同第五号証、同第六号証の一、二、同第七ないし第一〇号証から明らかなように、十分な保温性を有するものである。
 鈴木は、二月三日の収容以降死亡する前々日の同月一四日までの間、相当の時間にわたり全裸で過ごしていた(動静視察表)のに何事もなく、逆に死亡直前は同月一五日午後五時三五分ころ注射を受けた後、看守らから前記衣類を着用させられ、同日午後一〇時三〇分以降は陰部を露出する程度にメリヤスのパッチを下げてはいたものの、掛け布団の上に横臥していたのである(乙第七、八号証の四、動静視察表)。
 このような状況下において、所長及び看守らに凍死について予見可能性があったとは到底いいえないのである。
(二) 原告は、二月三日から同月八日までの間に医師の診察を受けさせなかったことを過失であると主張するが、昭和四九年三月大阪拘置所に収容中の赤軍派関係被告人が中心となって「獄中組合」と称する組織を結成し、その後、他の過激派被告人や一般の被告人らを巻き込み、実力で監獄を解体するとして、房扉の乱打、シュプレヒコール、全裸となっての出廷拒否等拘置所の正常な機能を乱すことに狂奔し、拘置所の職員に暴力を振るうこともあり、鈴木の入所した昭和五一年二月当時は、赤軍派関係被告人五名を含む一三名が「獄中者組合」員を標ぼうし、右のような運動が相当活発に展開されている状況下にあり、元釜共闘の活動家である(乙第一四号証)鈴木が右運動に同調するであろうことは容易に推測され、また、前記第三の三の1で述べたとおり、鈴木は職員に暴行を加えようとして保護房に収容後は大声を発し、房扉・房壁を乱打するなど、その粗暴性、攻撃性が強く認められたので、所長及び看守らは「身体的なゆとり」(甲第一号証一ページ後段参照)がなく、生命の危険があるとも考えられず、一般に大声、房扉等の乱打、脱衣等の異常行動を続けることにより責任能力の減免を図り、あるいは勾留執行停止等による釈放を企図する被告人らが跡を絶たないという実情から、鈴木の異常行動についても、精神異常の疑いもあるが、詐病の疑いもあると考えて、通例のとおり経過観察を続けていたものであり、したがって、所長及び看守らの右措置に何ら過失はない。
(三) 中田医師が二月九日診察した後、二月一三日の臼井医師の診察までの間は医師の診察が行われていないが、所長は慢然放置したものではなく、中田医師から至急精神科医の受診を必要とする旨の報告を受けるや、直ちに臼井医師に来診を依頼し、臼井医師の大学病院における都合等から同月一三日に来診の運びとなったものである。(昭和五五年一一月一三日付け臼井節哉証言調書二八丁ないし二九丁)。
そして、動静視察表によれば、同月九日から同月一三日までの間に精神科医の診療がなかったことが原因となって鈴木の身体衰弱が早まったとは到底認められない。
(四) 原告は、所長が外医診療の措置をとらなかったのは過失であると主張するが、監獄法施行規則一一七条一項は、いわゆる外医診療につき、「治療ノタメ特ニ必要アリト認ムルトキハ監獄ノ医師ニ非ザル医師ヲシテ治療ヲ補助セシムルコトヲ得」と規定しているところ、「監獄ノ医師ニ非ザル医師」とは監獄の医官又は嘱託医の専門外の眼科、耳鼻科等の専門医と解されており(小野清一郎・朝倉京一著「改訂監獄法」三二三ページ参照)、本件では精神科専門医である臼井医師が大阪拘置所の非常勤医師として在籍していたのであるから、所長が外医診療の必要を認めず、その手続をとらなかったのは当然であり、右措置には何ら批難される余地はない。
 原告は、訴外竹内和世が面会申込の際、面会受付係官に対し、鈴木の主治医による診察の申入れをしたと主張するが、現行法上、在監者又はその関係者が外部の医師を指名して診療を希望すれば、これを許容しなければならないとする制度は存しないのであって、右申入れがあったとしても、所長としてはこれに拘束されるものではない。
(五)(1) 所長及び看守らは、臼井医師が診察した二月一三日から鈴木が死亡するまでの間、厳重な動静視察を行っていたが、これを臼井医師に報告しなかったことをもって過失といえないことは、以下に述べるとおりである。
(イ) 鈴木は、本件勾留前に、昭和四七年一一月、昭和四八年一月及び同年四月の三回にわたり大阪拘置所に入所したことがあり、そのうち二回目の勾留である同年一月一八日からの入所の際にも、入所翌日の同月一九日から同月二九日まで(途中二時間の中断を除く。)
保護房に収容され、その間、一部不食、脱衣行為、大声を発する、放歌、房扉足蹴り等の本件と同様な異常行動を継続していたのに、同年二月九日には何事もなかったかのように無事保釈出所している(乙第一九号証)。このような異常行動をとる収容者は鈴木以外にも散見されるが、本件のような不幸な結果は大阪拘置所開設以来現在までの四一年間に鈴木の場合以外にはなかったので、所長及び看守らが身体衰弱・病状悪化と考えず、いわんや死亡という結果を予見しえなかったことはやむを得なかったというべきである。
(ロ) 拘置所に収容される者の中には精神に障害を有する者が少なくなく(前記第三の二の2のとおり昭和五〇年度における精神科医による診療人員は九五名である。)
そのうち粗暴行為に出る者に対しては、クロルプロマジン等の向精神薬の投薬又は注射により鎮静化を図るのが通例であり、このような対処方法は医学上の常識でもあり(昭和五七年二月二日付け城哲男証言調書一二丁裏)、保護房で勤務する看守らも右の処置を実際に経験している。
 鈴木の場合、二月一三日に臼井医師の診察があり、その所見に基づき同月一四日及び同月一五日の朝夕計四回にわたり、クロルプロマジン各五〇ミリグラムの注射が行われたものであるところ、動静視察表によると、同月一四日午後三時に至り「便器の上に座ってボヤーとしている。」等やや鎮静化の兆しが認められ、第二回目の注射実施後である同日午後七時には「横臥して布団を全身にかぶっている。」、同日午後八時三〇分には「動きに鈍さが感じられる。」等鎮静化が進むかにみえたが、同日午後一〇時には「大声にて歌っている。しゃがみ込んだまま徘徊し、毛布を振り回している。」同月一五日午前三時には「布団をひきずり回したり、毛布を丸めたりして、房内を徘徊し、時々大声を発する。」、同日午前四時三〇分には「激しい勢いで頭を便器に突っ込む。」など再度粗暴性を発揮したものの、それも徐々に治まり、第三回目の注射実施後である同日午後一時以降は「布団を掛けて眠っている。」等完全に鎮静化した経過が認められる。
 このような経過を綿密に観察していた所長及び看守らは、前記経験等から、注射の薬効が現われ不眠が解消され、鎮静化も進行中であるから、臼井医師に対しあえて鈴木の状況を報告したり再度の診察を急いで要請したりはしなかったものであり、右措置をもって過失といわれる余地はない。
(2) 原告は、鈴木の喫食状況につき、動静視察表に独自の分析を加え、「全経過中、喫食が確認できるのは三七食中九食、多めにみるならば一五食である。」とし(甲第一号証六ページ)、所長及び看守らが栄養補給の処置を怠ったと主張するが、以下に指摘するとおり、右甲第一号証の記載は動静視察表の記載要領・実態を考慮せず、又は特定の意図をもって事実を歪曲した見解であるといわざるを得ず、乙第六号証により認められる喫食状況からすると、栄養補給を怠ったと非難されるいわれはない。
 まず、動静視察表は、所長以下の幹部職員が保護房内を常時視察することができないにもかかわらず保護房収容の継続又は解除の決定をしなければならないため、その判断資料とするため設けられた帳簿であり、三〇分ごとに記載される動静は、記載欄が小さいこともあって異常行動のみが記載されるのが実情であり、喫食という正常な行為が記載されないことがあったとしても、それは帳簿の右性格から当然である。例えば、甲第一号証によると二月一三日の夕食は不食と断定されているが、給食日誌(乙第二〇号証)によれば、当該食事内容は、かき揚げ、キャベツ、塩昆布及び八朔みかん一個であるところ、これらを午後四時に配食した記載はあるが、これらを喫食した旨の記載はない。しかし、同月一四日午前三時三〇分の欄には「夏みかんの皮を尻にしいたり、床にぶつけたりしてもてあそんでいる。」という記載があり、右八朔みかんの皮をむいて食べたことを裏付けている。
右は八朔みかんを食べる行為は正常な行動であるから記載せず、その皮を尻に敷いたりしてもてあそぶ行為は異常な行動であるから記載するという動静視察表の記載要領・実態を如実に示しており、配食の記載があって喫食の記載がないから不食を推定したり、配食の記載がないから不食とするのは誤りである。
 したがって、喫食状況については、当時保護房の監督部長として勤務し、直接状況を把握していた看守部長中村武士が作成した報告書(乙第六号証)の記載が措信できるものであり、これによれば三七食中五食が不食であったと認められる。もちろん喫食したとする中には、一部分を食べずに房内に散乱させたり、壁に塗りつけたりしたものもあるかもしれないが、通常、全収容者の三分の一くらいの者が体調等の理由で主食・副食の一部を残飯として残している実情にある。
 以上の事実からすれば、所長及び看守らが強制的な栄養補給等の処置をとらなかったことに過失はないというべきである。
(3) 原告は、鈴木の着衣につき「ほとんど全裸であるが、看守が着衣のすすめや着衣させる具体的努力を全くした形跡がないのはどうしたことか。」(甲第一号証七ページ)とし、所長及び看守らが保温等の処置を怠ったと非難するが、以下に指摘するとおり右主張は失当である。
 すなわち、乙第七号証によれば、看守らは鈴木が大小便、残飯で汚染したため、寝具につき七回、衣類につき五回の交換を実施しており、更に、乙第八号証の一ないし四によれば看守らは鈴木に注射した後、同人に衣類を着せ、布団を掛けてやるなど、それが職務であるとはいえ、不快感を伴う仕事を誠実に行っているのであって「具体的努力を全くした形跡がない。」などと非難されるべき筋合ではない。
 看守の右努力にもかかわらず、鈴木は相当期間を裸体で過しているが、次に述べるとおりこれは回避し得なかったものである。
 すなわち、鈴木に常時衣類を付けさせるには、その身体に対し実力を行使し、多少なりとも身体の自由を奪う必要があるところ、拘置所は人を強制的に拘禁する目的で設置された施設であり、その目的を達成するため身体を直接拘束する戒具の使用が監獄法一九条一項で認められているが、戒具の使用に当たっては「逃走、暴行若クハ自殺ノ虞アルトキ」のみに限定されており、かつ右使用要件は厳格に運用されており、大声を発することや暴行については保護房収容により目的を達しているので戒具使用の必要性は認められず、また脱衣行為が自殺目的のためになされているとは当時の状況から到底考えられず、結局、現行法下において鈴木が裸体になることを防止する手段方法はなく、前記のとおり鈴木に対し清潔な寝具及び衣類を提供するにとどめていたものである。
(六) 原告は、二月一三日、所長及び看守らが臼井医師から病状の経過如何によっては鈴木を専門施設で医療処遇することが必要である旨の報告を受けたのであるから、鈴木の状態を臼井医師に報告し、その指示を求めるなどして適切な病院に移して治療をなすべきであったのに、これを怠ったと主張するが、以下に指摘するとおり右主張は理由がない。
(1) まず、所長及び看守らが鈴木の状態を臼井医師に報告し、その指示を求めるなどしなかったことが過失といえないことは前記第三の四の1の(五)で述べたとおりである。
(2) 次に拘置所は、法律上明文の規定はないとしても、実務上の慣行として、被疑者・被告人が重篤な病状に陥り拘置所の医療設備をもってしては生命の安全を期し難い場合、裁判所に対し勾留の執行停止(刑事訴訟法九五条)の職権発動を促す上申をしているが、前記第三の二の3で述べたとおり、収容者の中には多数の病人が含まれているところから、勾留の執行停止の安易な運用は国の刑事政策の崩壊につながりかねないので厳に避けるべきであるうえ、本件の場合、二月一三日、精神科専門医である臼井医師が精神分裂病の疑いと診察し、注射を指示するとともに、経過いかんによっては専門医に引き渡すことが必要と思われる旨報告したのであるから、前記第三の四の1の(五)等で述べた状況下においては、所長として拘置所の医療設備をもってしては鈴木の生命の安全を期し難いとまで判断しうる状況にはなく、右上申をしなかったことはやむを得ないものというべきである。
(3) 監獄法四三条一項は病院移送の要件として「監獄ニ在テ適当ノ治療ヲ施スコト能ハスト認ムル病者」であること及び「情状」を挙げているところ、所長は、前記第三の四の1の(五)で述べたとおり、専門医から投薬治療を続けながら経過観察が必要である旨の診断報告を受けたのであるから、監獄内で適当な治療を施すことができないと考える余地はなく、また鈴木は、同居中の友人を殺害しようとし、ソフトボール用バット及び包丁で瀕死の重傷を負わせたという凶悪な殺人未遂の被疑者であるところから、「情状」においても病院移送の要件を満たさないと認められるので(「情状ニ因り」とは、対社会的に影響の大きい、いわゆる凶悪犯人などでないこと、逃走、罪証隠滅その他戒護及び紀律上の虞の特にないことなど疾病自体以外の情状をいうものと解されている。)前記「改訂監獄法」三二九ページ、所長が病院移送の手続をとらなかったことに過失はない。
2. 大阪拘置所の所長及び看守らの過失責任の有無を判断する場合、拘置所が行政機関である以上、無定量の義務を負うものではなく、与えられた予算、職員及び設備で業務を遂行しなければならないから、義務も当然にその範囲内で負うにとどまるものであり、したがって、昭和五一年当時の人的・物的条件の上に立って過失責任の有無が判断されるべきであり、このような観点から、前記のとおり、所長及び看守らに過失はないというべきである。
第四、臼井医師に過失はない。
 原告は、臼井医師が生命と健康保持のため適切な治療措置をとるべき義務があるのに、これを怠ったうえ、誤った治療を施した過失があると主張するが、以下に述べるとおり、臼井医師に過失はない。
一、まず、臼井医師は「精神分裂病の疑い」と診断しているが、その診察方法はごく一般的なものであり(昭和五七年二月二日付け城哲男証言調書一五丁)、その診断は断定ではなく、あくまでも疑いであって、典型的な精神分裂病には意識障害はないとされている(右証言調書一一丁表)ところ、臼井医師は「意識も完全には清明とは言えず、アメンチアないしせん妄様」と診療録に記載して(証拠保全記録中の診療録)典型的な精神分裂病ではないとの判断を示しているのである。
 鈴木は非定型精神病であったと認められるが、非定型精神病は、元来、いわゆる三大精神病のいずれの範ちゅうにも当てはまらないものの呼称であって、現在でもその内容や範囲に関する認識は諸家によってまちまちであるといわれている(乙第一二号証一五三ページ)。したがって、臼井医師の診断は、前記のとおり、典型的な精神分裂病ではないとの判断も含んでいる点から、正鵠を得ているといえる。
 また、精神分裂病であっても非定型精神病であっても、興奮状態にあるときの治療方法は同一(鎮静剤の投与)であり(前記城哲男証言調書一一丁表、乙第一七号証二二ページ)、臼井医師は後記のとおり、適正な治療をしているのである。
二、原告は、臼井医師が診断に際し、鈴木の病歴・発症の経過等を聴取せず、検温、検脈、心肺機能検査等を怠った旨主張するが、次に指摘するとおり、右主張は失当である。
1. 臼井医師が診断の際に鈴木の病歴を聴取又は把握することが不可能であったことは明らかであり、発症の経過については、医務課職員から報告を受け、動静視察表を見て十分に把握している(前記臼井節哉証言調書三丁裏)。
2. 動静視察表によれば、二月一三日における鈴木の病状が興奮状態の真っ最中にあったことは明らかであり、このようなときに検温、検脈、心肺機能検査等を行うことが不可能であることは、前記証人城哲男の「保護房に入れまして、注射でもして手当して、落ち着いた段階でやらなきゃ、暴れてる最中にはできません。」という証言(昭和五七年二月二日付け証言調書一二丁裏)及び前記川北教授の「例えば著しい興奮を示す分裂病患者が入院した場合、クロルプロマジンなどのフェノチアジン系抗精神病薬を患者の手足を押さえ強引に注射するのは常道である。興奮が著しいときは脈の触診や胸部の聴診などは不可能であるし、いわんや血圧測定などは及びもつかないのが実情である。との意見(乙第一七号証二二ページ)から明らかである。
 原告申請の証人木村政紘及び同川合仁は医師であれば検温、検脈等を行うことが可能であると証言しているが、これらの証言は措信できない。
三、原告は、クロルプロマジンが低体温を引き起こすことは研究初期から判明していたのであるから、この使用に際しては保温が看護の基本的注意義務となるのに、その指示をしなかったことは過失であると主張するが、これに対し、被告は次のとおり反論する。
 すなわち、乙第一七号証(一七、一八ページ)によれば、クロルプロマジンを投与しても精神科の臨床面においては副作用としての低体温及びその結果としての死亡例はみられないこと、乙第一二号証によれば、クロルプロマジンの製品名であるコントミンの説明書には詳細な「使用上の注意」が記載されているが、そこには保温に留意すべきであるとする記載は全くなく、逆に、高温環境にある患者には観察を十分に行い慎重に投与すべきである旨の記載がある。したがって、保温がコントミン投与中の看護の基本的注意義務であるとする原告の主張は誤りである。
 なお、昭和五七年二月二日付け城哲男証言調書一五丁裏及び乙第一七号証九ページによれば、臼井医師が指示した一回五〇ミリグラム、朝夕二回の筋注という投与量及び回数についても問題はない。
四、原告は、臼井医師の診察後の処置に関し、栄養補給、睡眠、体温保持等につき看守に注意を与え、同時に自らも栄養剤等の投与をすべきであったのに、これを怠った過失がある旨主張するが、次に述べるとおり、臼井医師の処置は正当であって過失はないというべきである。
1. 前記城哲男証言調書二二丁表、乙第一〇号証一〇三六ー四八ページによれば、鈴木の主たる死因と考えられる急性致死性緊張病は非常に珍しい病気であると認められるから、臼井医師が「二月一三日の診察時、栄養状態は普通であり、動きの中に力強さがあり、コントミンで鎮静化を図ることができるならば、食事をとるであろうし、睡眠もとるようになり、着衣もするようになる。特に激しい発作の患者の場合、鎮静化も早いので、それを期待して点滴等特別の処置をしなかった。」こと(前記臼井節哉証言調書一四丁以下)は正当な措置というべきである。
2. 乙第一〇号証によれば急性致死緊張病の症例はほとんどの場合死亡すること(一〇三八−五〇ページ)及び大量輸液・鼻腔栄養・強心剤・呼吸中枢刺激剤・各種解熱剤・各種抗生物質・向精神薬を施しても効果がなく、専門病院においてすら治療方法がないとされており、精神医学について最も新しく、かつ権威があるとされている「現代精神医学大系」の若生論文においても同趣旨の記述がみられる(乙第一三号証三〇三ページ)。
 以上から明らかなとおり、急性致死緊張病は、専門の病院においてすら確立した治療方法はなく、死亡する可能性が大きいのであるから、原告が主張する拘置所外の専門病院への入院をさせていたとしても死亡する可能性が大きく、大阪拘置所内において栄養補給、保温等の措置を講じていたとしてもやはり死亡した公算は大であって、結果回避の可能性がなかったものというほかない。
 なお、保温の点については、右若生論文によれば、「露出した体表面を氷で冷やし、体温を二七度Cぐらいに保ち、電解質のバランスに注意しながら約三日間、低体温状態に保って、良い効果を生じたという報告もある。」(乙第一三号証三〇三ページ)とされており、むしろ保温することが有害であると考える余地さえある。
3. 仮に、鈴木の死因が凍死であるとしても、前記のとおり、クロルプロマジンの薬剤作用、低気温、着衣が不十分であること、疲労、空腹状態が総合的に作用して起こった特異な凍死であるところ、法医学者ならばいざ知らず、一般の精神科臨床医が凍死の症例を扱うことはほとんどなく、ましてや、右のような特殊な条件が総合的に作用して起こる特異な凍死の症例を扱うことはないであろうことは経験則上明らかであり、現に臼井医師は室内での凍死の症例を知らない旨証言しているのであり(昭和五五年一一月一三日付け臼井節哉証言調書一七丁)、したがって、臼井医師に凍死についての予見可能性はなかったものである。
 このことが、数ある法医学の成書のうち、右のような特殊な条件が総合的に作用して起こる特異な凍死について著述とているものは、乙第二一、第二二号証のほかには散見されず、乙第二一、第二二号証においても極めて短い説明がなされているにすぎないことからも十分に裏付けられるものである。
第五、検察官に過失はない。
一、原告は、自由刑の任意的執行停止(刑事訴訟法四八二条)及び必要的執行停止(同法四八〇条)を論拠として検察官に勾留執行停止及び釈放の義務があると主張するが、同法は、自由刑の執行停止とは別に、被告人の勾留の執行停止につき九五条で裁判所が勾留の執行停止の権限を有することを明記し、同法二〇七条一項により被告人の勾留に関する規定は被疑者に準用されている。したがって、検察官に勾留執行停止及び釈放の権限はなく、その義務もないのであるから、右主張は主張自体失当である。
二、検察官は勾留の執行停止につき裁判所に対し意見を述べることができる規定されている(刑事訴訟規則八八条)。
 しかし、右規定は検察官に対し意見陳述の機会を与えているにすぎず、(有斐閣ポケット注釈全書「改訂刑事訴訟法」一八六ページ)、検察官が勾留執行停止の請求をしても、それは裁判所の職権発動を促す意味をもつにすぎず、したがって、裁判所は、かかる請求に対して何らの裁判をなす義務も負わず、検察官の意見が事実上裁判所に尊重されるとしても、それは裁判所の判断とは相当因果関係がない(最高裁昭和二四年二月一七日判決・刑集三巻二号一八四ページ、東京地裁昭和五四年八月二七日判決・判例時報九五三号八三ページ)。
 右のとおり、検察官には裁判所に対して勾留の執行停止の職権発動を促すべき義務がないことは明らかである。
三、右一、二で述べたとおり、検察官に勾留の執行停止及び釈放の権限並びに義務はないから、これらがあることを前提として検察官に過失があったとする原告の主張は失当である。
第六、損害について
一、鈴木について逸失利益の損害は認められない。
1. 原告人尋問(昭和五七年二月二日付け本人尋問調書四丁)、証人川合仁の証言(同証人調書三九丁裏)、同城哲男の証言(昭和五七年二月二日付け同証人調書二〇丁)、東京足立病院、陽和病院、松見病院、光愛病院及び七山病院の各病床日誌によれば、鈴木は一七歳のころ非定型精神病を発病し、広島大学中退後は日雇労働者の救済活動をすると称して東京の山谷及び大阪の釜ヶ崎等で暮らし、本件に至るまでに昭和四五年一月二七日から同年四月一八日まで東京足立病院、昭和四七年一月二〇日から同年二月二二日まで陽和病院、昭和四九年一一月一九日から同年一二月六日まで松見病院、同月九日から同月一五日まで光愛病院、同月一四日から昭和五〇年一月三一日まで七山病院(ただし、光愛病院の退院日と七山病院の入院日との間には重複した記載がある。)の合計五回にわたる精神病院入院歴を有するとされているところ、そのうち少なくとも三回が精神衛生法に基づくいわゆる措置入院であること、一般に非定型精神病の治癒率は約八割であるとされているが、再発の可能性が高く、再発を招く要因としていわゆるドヤ街でその日暮らしをするなど劣悪な環境の中にいることが考えられること、頻繁に発病して入院している右入院歴等からみて、鈴木の場合は約二割であるとされている非治癒の範ちゅうに属するものと考えられる。したがって、鈴木が健康であって通常の労働能力を有したとは到底認められない。
2. 原告は、鈴木が逮捕当時ゴルフ練習場で働いていたと主張し、証人武内和世も鈴木が西大阪ゴルフセンターで働いていた旨証言しているが、昭和五一年二月三日付け勾留状(乙第一四号証)の被疑者職業欄には「無職」と記載されており、この記載は、被疑者が警察で身上経歴について供述し、勾留質問でも裁判官に対し人定事項を述べた結果が裁判所書記官により記載されるという手続からして信頼しうるものであるが、更に昭和四八年一月一八日付けの勾留状(乙第一八号証)には職業として「建設労務者」と記載されていることの対比からしても十分に措信し得るものであるから、鈴木が逮捕当時に無職であったことは明らかである。
3. 「鈴木国夫さんアルバイト支給額」と題する書面(甲第八号証)には、鈴木が昭和五〇年六月一日から逮捕前日の昭和五一年一月三一日まで継続して西大阪ゴルフセンターに勤務していた旨記載されているが、これがもし事実であるなら、鈴木は取調警察官及び裁判官に対し職業を「ゴルフ(練習)場従業員」と供述したはずであり、「無職」と供述するはずがないこと、右書面は勤務したという時期から四年も後に作成されており、出勤簿及び賃金台帳等の資料による裏付けがないことなどからその信憑性はない。
 仮に、右書面の記載が事実であるとしても、鈴木に対する支給額は一か月四万五、〇〇〇円ないし八万一、五〇〇円(平均七万二、八二四円となる。)であって、これは原告が主張している平均賃金額を大きく下回り、生活費及び非定型精神病の再発防止に必要と思われる医療費を上回る収入でないことは明らかである。
4. 以上の事実によれば、原告が主張するような賃金センサスによる平均賃金を基礎とする逸失利益は到底認められず、また、日雇労務者として稼働する可能性があるとしても、生活費及び非定型精神病の再発防止に必要と思われる医療費を上回る収入を得るものとは認められないから、鈴木について逸失利益の損害はないといわねばならない。
二、鈴木の慰謝料について
 原告は、鈴木が大阪拘置所移監後苦しみに苦しみ抜いて死亡したものであるとして慰謝料金一、〇〇〇万円を請求しているが、鈴木は勾留状に基づき適法に収容されていたものであること、精神病により脱衣するなどして死亡という結果を自ら招いたものであるから、右主張は失当というべきである。
三、原告の慰謝料について
 鈴木は精神衛生法にいう精神障害者であり(同法三条)、原告はその保護義務者であって(同法二〇条)、鈴木に治療を受けさせるとともに、鈴木が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督するなどの義務を負っていたものである(同法二二条)。仮に、原告が保護義務者に該当しないとしても、原告は鈴木の実母であり、原告のほかには鈴木を扶養することのできる親族が存在しなかったのであるから、保護義務者に準じて右と同様な義務を負っていたというべきである。
 しかるに、原告本人尋問の結果によれば鈴木には前述のとおり度重なる措置入院の事実があるにもかかわらず、原告は当初のうち面会に行っただけで、右義務を全く果たしていないことが認められる。原告は、鈴木が心神喪失もしくは耗弱の状態で犯罪を行い、繰り返し入院措置を受けたことを熟知していたはずであり、右保護義務を果たさずに放置すれば、早晩、鈴木が非定型精神病を再発、又は悪化させ、犯罪行為に及び又は事故にあって最悪の場合は死亡することもあり得ることを当然念頭に置いていたと思われる。
 原告が右保護義務を果たしていたならば、鈴木が殺人未遂の所為に及んで本件勾留に至り不幸な転帰をとることがなかったことは明らかであるから、原告には重大な過失があるというべきである。
 したがって、原告の慰謝料についての主張は失当である。
第七、過失相殺の主張
 仮に、被告に損害賠償責任があるとしても、賠償額の算定にあたっては、鈴木及び原告に前記のとおり重大な過失があることを参酌すべきである。

原告追加準備書面
原 告 鈴 木 花 子
被 告    国
 右当事者間の御庁昭和五四年(7)第五八二号損害賠償請求事件について、原告は左のとおり弁論を準備する。
昭和五七年七月一五日
弁護士  桜 井 健 雄
同    武 村 二三夫
同    関 根 幹 雄
同    藤 田 正 隆
同    甲 田 通 昭
大阪地方裁判所
第三民事部 御 中

第一、被告の第三準備書面第一(死因)についての反論
一、Billig&Freemunの病相によるとして
 原告は、昭和五七年六月二四日付準備書面において、乙第一五号証鑑定書、及びこれの作成者であり、被告申請における城哲男証人の急性致死緊張病に対する見解を批判した。
 被告は第三準備書面において、はじめて鈴木が急性致死緊張病である旨の具体的主張をなした。これによれば、被告すら急性致死緊張病につき右城証人の独自の見解をとらず、工藤論文(乙第一〇号証)に引用されているBillig,o-.W,T.Am.J.Psychiat.100:633(1944)によっている。そこで仮にBillig&Freemanの示す病相によるとしても、鈴木が急性致死緊張病に罹患していたとは到底いいがたいことを以下論証する。
1、高熱について
 Billig&Freemanも「高熱(直腸温で摂氏四三、三度位を)」あげている。どの報告書も高熱を必発していること、鈴木が裸になったことから発熱を推定する城証人の供述は根拠として非常に薄弱なこと、特別保護房における密度の高い観察、及び四回の筋注でも発熱あるいは、これをうかがわせる所見がないこと等からすれば、鈴木に発熱はなかった、と考うべきことは既述した。さらに高熱が存した場合組織の酸素消費量は大きく解剖所見で血液が鮮紅色を呈すことはありえないとするのが医学上の常識である。
2、アクロチアノーゼ
 Billig&Freemanは、病相を前駆期、第一期、第二期とわけ、その第一期でアクロチアノーゼ(末端チアノーゼ)等がみられるとし、工藤論文ではその自験例では二例ではその時期ではなくあとの時期(第二期)に出現したとしている。
被告は、昭和五一年二月一四日から一六日まで鈴木はこの第二期にあったことを主張するが、この時期を含めても鈴木にはアクロチアノーゼが出現していない。
3、昏迷
(一)Billig&Freemanは、その第二期において、「昏迷状態を示してくる」とし、被告は、鈴木につき「臼井医師が診断した二月一三日は第一期から第二期への移行期にあったと認められるとした上、「同月一四日から死亡する一六日までの間はいわゆる第二期にあたるものと認められる。ここで注目すべきことは『精神運動興奮状態が急に強い昏迷状態に移行する』ということであり、現にそれまでには見られなかった『便器の上に座ってボヤーとしている。』『横臥して布団を全身にかぶっている。』『しゃがみこんで土間をなでまわしている。』『座り込んで洗面器と便器を手で交互になでている。』等昏迷状態を窺わせる行動が目立つようになっている。」としている。
(二)しかしながら、同月一四日から一六日の間、鈴木が昏迷状態にあったとは到底考え難い。昏迷とは、精神運動制止があり、何らの意思的表現がみられず、外部からの刺激に対してもよく反応しない状態をいう(南山堂医学大辞典、縮刷版七五三頁)。しかし、動静視察表によれば「夏みかんの皮を尻にしいたり、壁にぶっつけたりしてもてあそんでいる」(二月一四日一三時三〇分〜一四時〇〇分)「便器付近に『めしつぶ』をつぶして塗りまわしている」(同日一三時三〇〜一四時〇〇)、「五時二五分頃、丸めた布団の上に仰向けに横臥し、「眠たい電気を消してくれ」と小さな声で申し出る」(一五日)という鈴木の行動の記載があり、それからすれば、鈴木が昏迷状態になかったことは当然であり、このことは臼井医師すら認めるところである(臼井証人第八回二〇〜二一丁)。
 また、被告のあげる「便器の上に座ってボヤーとしている」あるいはしゃがみこむ、すわりこむ、との状態は、昏迷を示すものではなく、鈴木の身体的疲弊が進行していることを示すものに他ならない。
 以上からすれば、鈴木は一四日から一六日までの間、昏迷状態にあったとする被告の主張の誤りは明白である。
4、以上にみたように、Billig&Freemanの病相によるとしても、鈴木には、被告の主張するような高熱及び昏迷状態がみられず、さらにアクロチアノーゼその他の循環器障害も存しない。したがって右の病相からしても鈴木は急性致死緊張病にかかってはいなかったという結論に到達せざるを得ない。 
二、皮下出血について
1、被告は、シュタウダーのあげる四つの診断基準のうち、皮下出血は「左右の肘部、下腿に皮下出血と認められる変色」が存したので鈴木には、右皮下出血があったとしている(被告前記準備書面第一、三、3)。右の「変色」をシュタウダーのあげる「皮下出血」とするならば、被告のよるところのBillig&Freemanの病相の「出血傾向」と当然結びつけてしかるべきだが、何故か、被告はこれをしていない。
 これは、被告の主張が、体系的医学的根拠によるものではなく、思いつき的なつまみぐいによることを示している。なおBillig&Freemanは、興奮から昏迷への移行ないし反覆という緊張病の病相と、急性致死性緊張病の病相にとりいれているところにその特徴が存するが(臼井証人もこれに従うものである。同証人七回二三丁。)これ以外は、前記シュタウダーの診断基準とは大きな違いは認めがたい。
2、四方医師は、鈴木に存した損傷の状況及び成因につき明確な説明をしている。すなわち、同医師作成にかかる昭和五一年一〇月一日付鑑定書(乙第一号証)では
一、本件鈴木国男の死体に存在する損傷は、左腰部左右肘部、左右下腿に指頭大乃至梅実大の精陳旧な皮下出血を認める。
二、右損傷発の起原因について。鈍体的外力の打撲作用によるものであり、種々の物体によって発起可能であり、特に用器的特徴はない。又その程度は軽く特に死因に関するものではない。
としている。すなわち、右損傷(皮下出血)は外力の打撲作用によることは明白である。鈴木が致死性緊張病でない、とする川合医師はもちろんのこととして、致死性緊張病であるとする臼井医師、城医師においてさえ、右損傷(皮下出血)についての四方医師の考察に疑問をさしはさまず、これと致死性緊張病とを結びつけていない。右損傷については証拠保全にかかる写真も存するところ、本件で登場した各医師はこれらの写真をも検討した上で、右四方医師の考察を一致して支持しているものである。被告の主張は何ら医学上の根拠を有さないものであり、たまたま「皮下出血」という文言の一致のみをとりあげたものにすぎない。
第二、被告の第三準備書面第三についての反論(拘置所所長ら)
一、被告の主張
 この点に関する被告の主張は、立証のなかったことをも前提として限られた人的・物的条件の中で、医学的知識のない素人である拘置所所長、職員らはそれなりのことをしたから過失がないというのに尽きるものであるが、原告は、何もあり得べき拘置所を前提に本件過失を主張しているものではなく、極めて不十分であり改善される余地がある拘置所の体制ではあるが、現在の様々な条件の中で取られるべき処置が取られておれば、当然鈴木の死は防ぐことができたものであるし、又、医療体制なりに問題はあるものの、医療的知識のない通常人でも鈴木の状況を冷静に見ておればその異常は当然予測できたし、又できたはずである旨主張しているのである。
以下順次反論する。
二、拘置所の医療体制について
(一)、被告の主張は、拘置所と病院とは同じような施設を持ち得ない旨、主張している。
 そして、東京地方裁判所昭和五四年八月二七日の判決を引用しているが、その判決の引用は極めて不正確であり、右判旨は、近くの病院へ来診もしくは同病院よりの往診を受ける体制を作っていたため、医療体制に不備はなかったというにすぎないものである。
 原告の主張は、拘置所の医療体制が不完全であることの問題点を指摘しつつも、本件の場合は、現在の種々の条件下の中でもなされるべきことがなされていなかったことを主張しているものである。
 すなわち、被勾留者で病気の者は全て病院へ移送されるべきであると述べているものではなく、重度の精神障害者である本件の如き場合は、その処置が採られるべき必要があった旨述べているのである。
 とりわけ、本件の場合、自己防衛機能をなくし、かつ自己の症状を訴えることもできなくなっている人物であるから、当然のことながら専門的施設でない限り、その治療が行ない得ないものであり、かつ、本人が苦しみを訴えることが不可能であるから、他人による注意深い観察に基づき、本人の医療のために何が必要であるかを決定しえない状況になっていたものであるから、病院移送の方法が取られるべきものであったというのである。本人の哀訴による対応しか予想していない拘置所では本人による哀訴が不可能になった時点で病院移送がなされるべきであったのである。
 右の如き処置は現行の拘置所の体制でも取り得べきものであったとし、又、本件の死因が凍死である以上、常駐している医師による診断も可能であり、その事によって本件の結果を回避しうる可能性があったものであるから、現行の拘置所の体制を前提としても拘置所所長並び看守らの過失は明らかである。
(二)、保護房について
 被告は乙第一一号証をもとに保護房内での保温について述べているが、右の書証がどのような方法で作成されたものであるか、詳細は不明であるし、かつ病者と健康な人間との発熱量の違いや換気扇の稼働回数等も明らかにされていないので、その証明力がないに等しいものである。
三、過失について
1、この点についての被告の主張は予見可能性がなかったというに尽きるものであり、その理由として、主としてクロルプロマジンの薬理作用が体温降下の原因であり、その事を拘置所職員が知り得なかったのは当然であるからというのである。
2、まず、被告の昭和五七年六月二四日付の準備書面において今まで凍死の例がなかったということで、予見可能性がない旨主張しているが、その事自体は立証が全くなされていない点をさておくとしても、「凍死」なるものはまともに身柄監視をしていさえすれば防止できるものであるからであって、右の事は、過失の大きさを主張する根拠となり得ても予見可能性の不存在の根拠とはなり得ないものである。
 又、鈴木が仮病であるかもわからないので経過観察したというのであるが、「仮病」であるかどうかについては、数時間乃至は一日間ぐらいなら、仮病を装うことも可能であるが、数日間の経過を真撃に観察すればその状態が仮病であるか否かの判断は明確に行いうるものである。(又、被告はその点「獄中者組合うんぬんの・・・・・・」の何ら立証されていない事実に基づき、その主張をなしている。)
3、この点についての原告の主張は昭和五七年六月二四日付の準備書面のとおりであるが、それにつけ加えて、とりわけ二月一四日より死亡に至るまでの看守の過失について反論する。
 被告の主張は、看守らが専門家でなかったから「死」に至っても仕方がないのだというようである。
 しかしながら、本件は「凍死」であり、かつ鈴木のるい痩状況(検乙第一号証と検乙第二号証の二三の対比で一〇日余りの間で如何に鈴木が痩せたかよく理解できる。又顔面が痩せるのはその痩せ方が極端な場合に限るともいわれている。)
並びに、動静視察表の一四日から死に至るまでの記載を併せて考えれば、その主張に理由がないことは明白である。
 鈴木は、拘置所にありながら、行路病死者の如く、何らの治療も受け得ず、かつ死に至る様子を逐一監視されながらも、そのまま放置されて死亡するに至ったものである。
(行路病死者でさえ、もし、通行人が気がつけば、その様子を確かめ、異常があれば救急車の依頼をするため一一九番のダイヤルを回すであろうことを考えれば、拘置所の看守の処置の非常識さは明白であろう。)
 すなわち、一四日以降の動静視察表を検討すればその事は明白である(着衣、摂食睡眠に異常があるのは各看守が当然知り得べき事実であった)。
以下、主だった記載を挙げる。
一四日  二〇時三〇分  動きに鈍さが感じられる
     二一時〇〇分  ・・・しゃがみこんで・
     二三時三〇分  右同
一五日   〇時     右同
      〇時三〇分  右同
      一時     右同
      二時     右同
      四時     ・・・鈍いで動作で・・
      四時三〇分  動作が鈍い
     一一時     ・・・はいずりまわっている・・・・・
     一二時     上体だけ起したがすぐに横になる。食事にぜんぜん手をつけず・・・・
     一五時     ・・・時々動いている
     一六時     時々かすかに頭や腕が動いているだけである
     一七時     意識もうろう状態
     一八時〜二二時 身体を横たえた状態が続く
     二二時三〇分  ・・・布団の上にはうようなかっこうで左右に動いている
     二三時     ぼんやりと横たわっている
一六日   〇時     ぐったりした格好で目を半開きにしている
      〇時三〇分  ・・・横臥し、あまり動かない
      一時     うずくまるような格好で手足を振わせ・・・・・
      一時三〇分  くの字になり身体をふるわしていた
 以上のどれをとってみても、通常人であれば、医師を呼ぶべき状況であることは明白であり、そのまま放置すれば死に至るかもしれないという予見を持ち得る可能性のあったことは明らかである。ましてや二月一六日〇時以降は死に至る苦しみを現認しながら、そのまま放置しているのである。
 そのことをコントミンの効用だと誤解したとの被告の主張は、看守がコントミンの薬理作用を熟知していないという点を除いたとしても、コントミンの作用は鎮静作用だけであり、身体がぐったりする状況や、動きが極端に鈍くなること、はいずりまわるような状況、更には手足を振わせるというような状況を起りうるはずもないのであり、その理由もないことは明らかである。
 又、保護房内であるということから、その状況把握が困難であるということは、右の責任を減殺する理由にはならないものである。
 保護房はその動静の視察を監視すべきものを収容してあり、かつ、テレビカメラも各房ごとに備えられており、しかも、保護房収容には医師の診断が必要(その継続も同様である)であることなどと考えあわせると、より厳格な監視義務が各看守に課せられているものであり、その意味からも、看守らの責任は明白である。
4、又、二月一五日の夕方には準看護士の資格を持つ者がクロルプロマジンを注射しているのであるが、その際、相当程度皮膚温は降下していたと推測されるから、この点からも拘置所の過失は明らかである。
5、又、拘置所は医師を常駐させており(本件の場合、いかなる専門でも医師であればよい)当該医師にとっては、保護房の構造(とりわけ外気との通風)いかなる温度で凍死がおこりうるかということ、鈴木の摂食、保温状況等について、知っていたはずであろうし、又、知りうべき立場にあったものであるから、拘置所(その代表者としての所長)としては、本件の如き場合、鈴木が死に至るかもしれない予見可能性を少なくとも、二月一四日以降は持ちうるはずのものであったというべきである。
 右のことがなされなかったのは、身柄管理の点についてだけが最終的な責任者であるのか、とりわけ病人の場合は医師は右のことにどのようにかかわりあいを持つのかについて、全く決められていないという無責任体制であったのかもしくは体制が取り決められてあったのが、全く実行されなかったかのいすれかがその理由と思われる。
 右の点から考えても拘置所の過失は明白である。
四、被告の主張は本件の凍死の原因が複雑であるために「凍死」を予見し得なかった故に拘置所側に過失がないというものであるが、「凍死」が起り得る条件にあったことは、その結果発生からも裏づけられており、かつその死が突然死でないためその死に至るまで先述した如く何回となく、鈴木の生命を救う措置がとれる機会はあったのである。
 身柄を管理するものがその責任を負わなければならないのは他の議論をするまでもなく、右の事だけを考えただけで明白であるといわねばならない。
第三、医師臼井の過失についての反論
一、医師臼井の過失については、原告昭和五七年六月二四日付準備書面で詳述したとおりであるが、昭和五七年六月二四日付被告準備書面の問題点を念のため指摘する。
二、前記準備書面第四の二項1中「動静視察表を見て十分に把握している」との記載は証拠に照らし誤まりである。臼井はその証言で動静視察表は見ていない旨はっきり証言している(臼井証言調書三一丁)。
 同二項2で検温、検脈等は不可能であったと主張し、城証言、乙一七号証を引用する。
 原告は、「暴れている最中に」検温、検脈が可能であると主張するのではなく、ある程度時間をかけ患者が落ちついた時点で可能だということであり、木村証人、川合証人が検温等が可能であると証言するのもまさにその趣旨である。
三、第四の三項については、クロルプロマジンが低体温を引き起こす作用のあることは原告準備書面で証拠を引用して述べたとおりであり、精神科医であればクロルプロマジンの薬理作用の基礎知識として当然知っていなければならないことであり、コントミンの説明書に保温の注意書がないことを以て保温を投与中の看護の基本的注意でないとするのは、全く見当はずれの主張である。
四、第四の四項中、1・2の急性致死性緊張病を前提とする主張は、前提を誤まっており反論の要はないが、2の末尾の部分で、「むしろ保温することが有害であると考える余地さえある」という記述が、本件で保温が有害であると考える余地があるという趣旨の主張であれば、誤解もはなはだしい。急性致死性緊張病は通常高熱を伴なうのであるが、その場合に「体表面を冷やせば良い効果を生じたという報告がある」というのが若生論文であり、高熱があったと考える余地のない本件で、保温が有害であるとの主張は全く的はずれである。
 3については、鈴木の凍死が薬剤作用、低気温、着衣の不十分、疲労、空腹状態等が作用して起こったことと、凍死の予見可能性の問題とどう結びつくのか趣旨不明といわざるを得ないが、厳寒期に全裸に近い状態で放置すれば凍死するということは少くとも医学的基礎知識を持つ医者であれば(素人であっても感覚的にも)予期し得るところであり本件で医師臼井に凍死の予見可能性のあったことは、多言を要しない。
第四、検察官の過失についての反論
一、被告は昭和五七年六月二四日付準備書面において検察官に勾留の執行の停止及び釈放の顕現並びに義務はないから、これらがあることを前提として検察官に過失があったとする原告の主張は失当とする。
(一)、まず右主張については、被告は昭和五四年一一月一五日付被告第二準備書面において勾留執行指揮者は、被勾留者が著しく心身の健康を害することのないように適切に勾留を執行、継続し、場合によっては、身柄の拘束を解くべき責任を負っていること、さらには、検察官は勾留の継続が被疑者の心身の健康を著しく損うことを認識した以上は、勾留裁判をした裁判官所属の裁判所に通報して勾留の執行停止の裁判をするように職権発動を促すか、あるいは被疑者の釈放を指揮する義務を負うことはいずれも認めていたのである。
 従って被告の前記主張は自白の撤回ないし自白の撤回に準ずるものとして許されない。
(二)、次に、勾留の執行停止は裁判所の権限で、検察官は裁判所に対し意見を述べることができるだけであるから、検察官に勾留の執行停止の職務発動を促すべき義務はないと主張するが、勾留の執行停止の裁判そのものは裁判所の権限であるとしても、昭和五四年一〇月一二日付原告準備書面第二、二Aで明らかにしたとおり、刑訴法四八二条、同四八〇条、同四八一条一項等の規定から判断するならば、検察官は披勾留者が執行に耐えうるかどうかを考慮し、被勾留者が執行により心身の健康を害するような事態を生ずれば、検察官としては、勾留の執行停止の職権発動を促すべき義務のあることは明らかである。
(三)、さらに被告は、検察官に釈放の権限並びに義務はないと主張するが、検察官は被疑者勾留において、勾留請求が裁判所において認められても、捜査の必要性がなくなったこと等勾留する必要がなくなった場合は、勾留期間中といえども被疑者の人権保護ということから、検察官に釈放の権限及び義務があることは自明であろう。
 現に、検察実務においても、被疑者について勾留の必要性がなくなったと判断した場合には、被疑者を釈放しているのである。
 以上からすれば、被疑者が勾留執行に耐えない健康状態であると判断した場合には、検察官は、勾留執行指揮者として被疑者を釈放する義務があるのは当然であろう。検察官には一般市民、他官庁の職員に比し個人の生命、身体等の保護については一段と高い識見をもち、高度の注意義務が課せられているのである(東京地判昭和三四年九月一九日下民一〇・九ー一九五六参照)。
 被告は勾留の執行により被疑者の健康が著しく害されたとしても、検察官はとるべき権限も義務もないと主張するのであろうか。極めて理解に苦しむのである。
 以上、検察官は勾留の継続が、被疑者の心身の健康を害し、勾留執行に耐え得ない状態であると認識した以上は、勾留執行停止の申立をなし、勾留の執行停止の裁判をするよう職権発動を促がすか、あるいは被疑者の釈放ないし病院移送等の適切な処置をとる義務がある。
第五、損害についての反論
一、鈴木国男の逸失利益について
 逸失利益の算定において主に被害者の経済的な要因を基礎に算定してきているが、これは損害の定型化等の中における一つの擬制であり、人間が将来に亘っていかなる利益をどれ程逸失したかについては単に人間の経済的な側面からのみでは判定できない。
 被告は鈴木国男の逸失した利益を極めて低く評価し、生活費、治療費を上回らないと主張する。
 しかし、逸失利益については、単に経済的な要因のみから評すべきではないのであるが、国男の労働能力をとってみても、当公判廷にて証人となった三名の精神科医の全てが「非定型精神病の場合、年令がいくなりして心因的要因の落ち着きの中でもとどおり働ける」と証言し、更に事件当時の担当医が「国男の退院後の状態について西大阪ゴルフセンターでの勤務状態等に何らの支障なくずい分よい状態であった」旨証言している。
 これに対し被告は国男の労働能力について消極的な主張をなすが、これは前記精神科医の証言に反するものであり、又非定型精神病の治癒率が八割であって国男が残り二割の非治癒の範ちゅうに属する等全く証拠に基づいた主張ではない。
二、鈴木国男の慰藉料について
 被告は国男が死の結果を自招したからと慰藉料を否定する。
しかし、被告も認めるように国男は拘置所保護房において意識障害を起し自らの保護ができなかったのである。
 原告は、被告が国男の意識障害を認め自ら保身できる状態でなく苦しみ抜いているにもかかわらず、これを放置したことにより、国男が蒙った精神的損害の賠償を主張しているのである。
三、原告の慰藉料について
 被告は原告が精神衛生法上の保護義務者の義務を果さなかった旨主張し、国男の死に重大な過失があり原告の慰藉料請求は失当との全く非常識な主張をしている。
 原告が国男の死に対しいかなる過失があったというのか。被告は国男を拘禁した後、一度なりとも原告にその旨通知したことがあるのか。
 被告は、橋本こと武内和子が大阪拘置所に赴き接見を求めたにもかかわらずこれを拒否し、右武内が医療接見等の必要を訴えたにもかかわらずこれを拒否したのであり、国男の拘禁状態について外部に知らせることを極力拒んだのである。
 原告は右武内よりの連絡によりはじめて国男が拘禁されていることを知り、拘置所が土曜日の午後、日曜日の接見を拒否する状態にあることを知らされていたこともあり、月曜日の早朝大阪拘置所に向い国男との接見を求めたのであり、このとき既に国男は死去していたのである。
 この様な被告の態度を省ることなく原告の過失云々と主張すること自体極めて非常識である。
 又、被害者側の過失の考慮されうる範ちゅうは、損害発生についての過失である。従って、国男の凍死という損害発生についてそもそも原告の過失が云々されるものではない。

編 集 後 記
▽長期にわたる裁判闘争もようやく結審をむかえた。わたし達は、毎年やってくる2月16日に怒りを新たにしながら、闘い続けてきた。裁判の進行とともに、権力の保安処分新設への動きも急速ににつまってきた。また、これに対して、広範な反保安処分戦線も全国的に形成されつつある。
▽裁判の記録を読み返すとき、わたし達は、このあからさまな障害者抹殺攻撃を、あらゆる詭弁と強弁を動員して正当化しようとする権力の姿を見ることができる。まさに保安処分新設の成否をかけた前哨戦として、国側代理人はがんばっているのである。
 しかし、鈴木君の母堂を中心に結集した多くの同志の持続したとりくみにより、公判の内容に於ては、その争点の総てに関して、国側の主張を粉砕したと確信している。今年中には下される予定の判決においても、この権力犯罪の責任を糊塗しきることは不可能であろう。
▽鈴木君の死は、一方では、わたし達闘う側にも大きな問いを投げかけている。それは疾病の中に追い込まれていくひとりひとりの人とそのまわりの人々が、その病態を対象化しつつ、差別と抑圧に反撃し続けていくという、わたし達の側の団結の質の問題である。この点については、この7年間の闘いの中で大きく前進しているとはいい切れないところがある。
▽編集を終えてみると、裁判の全過程をできるだけ詳細に、かつ正確に報告したいとする意図が、紙面を読みにくいものにしてしまったかもしれないが、第二の鈴木君を出さないという闘いの深化のために、ぜひ読み通していただきたいと思う。
▽わたし達の闘いは、悲しみをのりこえて、常に戦列の先頭に立ってこられた母堂鈴木花子さんの、おおらかで力強い姿勢にはげまされてきた。今後も、最後の勝利をかちとるまで、ともにたたかい続ける決意である。


*作成:桐原 尚之
UP:20170226 REV:20170320,
鈴木國男虐殺糾弾闘争(S闘争/S支闘)   ◇全国「精神病」者集団  ◇全文掲載
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