HOME > 全文掲載 >

Y裁判闘争の10年の記録――法廷証言集

多摩川保養院を告発し地域精神医療を考える会

1980/09/01 


Tweet
last update: 20240308


はじめに

10年にわたるY裁判への御支援とカンパありがとうございました!!
裁判は昨年「和解」という形ではありましたが、一応の決着をみました。
この機会に、今まで「かごのとり」で裁判状況をお知らせしてきたものや、準備書面などをひとまとめにしようということで、この本を出すことになりました。
Y裁判は、無診察・無同意による精神病院への40日間の入院という現行法にのっとってさえ「あるはずのない」事件でしたし、「あってはならない」事件でした。
しかし、残念なことに、Yさんと同様の目にあった人々が全国各地に居りますし、その意味で一人Yさんだけの問題ではない大きな問題をかかえた事件としてこの裁判は存在していました。
Y事件は、他の医療被害事件と同様に、医学のベールにつつまれて多くの困難に直面しました。
まず、Yさんの入院へと運ばれた折の資料が全て相手側の作成したものであり、それらの資料を病院側はいかようにも使い分けることが可能であったということでした。また、Yさんの入院時に居なかった筈の医師もいつの間にか居たこととされ、診察もカルテがないのにした、とされるなどでした。
そして、これらのウソをあばく証人をこちら側で出せない、という歯がゆさがありました。
それらを証明できるのは、その場に籍をおく現場の職員であり、これをあばくことで生活の手段を奪われる人達でした。・・・・・・。
更に、Yさんの入院期間中に、Yさんの話をきちんと聞くという医者がいなかった、というのも大きな障害でした。(もっとも、そのような医者がいれば、この事件は起きなかったわけですが)
つまり、主治医松永証言「カルテには書いてないがおかしなことはありました」の様に病院側では閉鎖された病院内でのYさんの「病状」をいくらでもデッチ上げることができるのに対して、Y側には、当時のYさんの「病状」を証明(病気ではないという証明)できる医師がいない訳です。
これら多くの困難をかかえた上に、「専門医が診断を下しているのだから間違いはあるまい」との裁判官の先入観、更に、「裁判上は診断論争に入らない」と裁判官自身が述べて最も重要な医療内容を無視して裁判が進められる有様でした。
こういった状況の中で、Yさんは「裁判上の和解」という形をとらざるを得なかった訳です。
私達は、この裁判を通じ、精神医療や現行裁判の問題など実に多くを学びました。これらの経験を以下の資料を参考としながら、他の多くの闘う仲間が共有していただけるのなら幸いです。
また、Y問題は裁判上では一応の決着をみましたが、まだ対川崎市との関係で闘いを続けておりますので、今後とも一層の御支援を下さるようお願い致します。
多摩川保養院を告発し、地域精神医療を考える会
事務局員一同

Y氏のあいさつ

10年の裁判闘争を振りかえって
79年5月、本裁判は多摩川保養院が誤った情報をもとにして入院させてしまった。という内容の和解書のとりかわしで一応の終結をむかえた。
実に、事件後10年目のことであった。
しかし、本事件は、複雑怪奇で神でなければ判らないというものではなかった。事件関係者が一番はじめにとるべき常識的な行為を行わなかったことにある。センター、保健所は相談があったら、まず第一に、その内容が事実であるか確認すること、警察は出動依頼があったにせよ、その出動依頼内容の客観性を吟味すること、病院は連れて来られた者に対し必ず診察をするという極めて常識的な事である。問題は、この単純で常識的な事を何故伝えなかったのか、ということにある。それは、全く当事者を知らない、会ったこともない者同志が寄り集って、事前に「病者だしかも重症だろうから要入院だ」と処分のレールをひいてしまったことにある。
保健所は「病者」とデッチ上げ、警察は保健所の判断を信頼し、初診もなく無条件に収容する。
そして彼等は口をそろえて言う「サービスでやってあげたのだ」と。確かに聞えはいい。だが、結局、誰一人として理由なく精神病院にぶちこまれる者のことなど考えていない、差別意識丸出しのなれあいでしかない。肝心なのは、当人が「病者」であるか否かではなく、彼等が「病者」と決めたことから起っていることである。「精神障害者」というレッテルを張られることが、今日の社会では死刑宣告と同じ重みを持っていることなど全く分っていない。
くり返すが、本事件は、常識的判断力を失ったところからきている。基本的人権というものを素直に尊重するという立場が少しでも残っていたならば、強制連行、不当入院は防げたはずである。
これを誤らせたのは、保健所・警察・病院の精神病に対する偏見であり、差別観であった。ケースとしてとり上げた以上、〝病者であらねばならぬ〟精神病院に連れてこられたのだから〝病者に違いない〟という専門性の裏にかくされたごう慢さである。ケースワーカーも警察官も医者も人間であるから誤りを免れるわけにはいかないといってすますには、「精神病者」というレッテルを付けられた者とその家族の苦悩はあまりにも大きすぎる。
そして裁判を長びかせたのは、裁判官の予断と偏見である。精神病に入れられた以上病者にちがいないという予断。公的機関は中立で、一方に偏った不利益行為はしないという迷信。裁判官がいみじくも言ったように「精神病者は決して病者と認めないから病者なのであり、危い者である」といった差別意識である。そういうものがからみ合い法廷は聞かれる。保健所・警察・病院の証人は、そのような意識を十分活用して、デタラメな証言をする。それに対し直接抗弁が出来ぬ歯がゆさがある。法廷は紳士の場として流れる。欺瞞を満載して開かれる。
法廷は、当事者は各々対等という建前になっている。しかし、それは建前だけであって実際は、無力な個人が強大な公的機関・病院と対等に太刀打ちできるものではない。特に現裁判が証拠第一主義を採るには、それなりの意義があるが、本事件の様にカルテをはじめ証拠の全てが彼等の手によるものであり、その解釈も彼等の裁量の中にある場合個人は医者の支援を得たとしても、法廷ではその解釈に疑義をはさむ程度の反撃しかなしえない。病院の医者が当時の状態をみて、病者と判断したと断言してしまえば、裁判所はそれを採用してしまうといった権力同志のなれ合いがある。
どんなに反撃されようが、医者が病気だと言い張ればそれが通ってしまう。権力は身内を疑うということはないからだ。
しかし、このような法廷闘争の中で、裁判上の和解であっても、裁判所が「誤った情報による入院であり、同意が不成立である」と認定したことは、本人不在・入院先行している今日の「精神障害者」を取巻く諸情勢の中で持つ意義は大きい。
これは、10年もの長きにわたり、ねばり強く支援し共に闘ってくれた「多摩川保養院を告発し地域精神医療を考える会」の諸兄姉。積極的な法廷闘争をくりひろげてくれた木村壮弁護士、近藤勝弁護士、菅原克也弁護士、特別補佐人として保健所・多摩川保養院で行なわれている精神医療の実態を鋭く追及してくれた吉田哲雄先生、福井東一先生をはじめ物心にわたり様々な支援をしてくれた皆様方の力なくしてはあり得なかったと考える。
さて、病院は自らの非を認めたが、これで終ったわけではない。強制連行した行政(保健所・警察)が無傷のまま残っている。裁判中、自らのやった行為の責任を多摩川保養院と結託し病者キャンペーンをすることで逃れようとした彼等の行為は決して許されないものである。私は対病院闘争の勝利をテコに彼等に対し新たな闘いを組んでいく決意でいる。更に、今日の「精神障害者」への差別・偏見が強い社会情勢の下、社会から隔離された鉄格子の中で、具体的に訴えることもできず、声にならない悲痛な叫びをあげている人々がいかに多いかを知り、「精神障害者」の上にぬくぬくとふんぞり返っているだけではあきたらず、刑法改「正」ー保安処分新設をもくろんでいる権力に対し闘っていきたいと思う。

父母のあいさつ

このたびは、弁護士・特別補佐人の医師・そして、御支援下さいました皆々様に深く感謝いたすと共に心から御礼申し上げます。
昭和44年、私達夫婦は、息子に対し誠に申訳けのない取りかえしのつかない事を引き起してしまいました。
関西方面の大学に行きたいという本人の希望を承知しておきながら、いざ受験となると関西はダメだ。東京か横浜にしなさいと本人の気持などを一向に考えず、一方的に、いや命令的にやめさせてしまいました。
本人は話を聞いて欲しいと何回となく申しましたのに、私共は話を聞こうとしないどころか、逃げ廻っておりました。
そんなくり返しの毎日が続き、家の中もゴタゴタしてしまい、会社の上司に話しましたところ、附属病院の医師を紹介して下さいました。お逢いいたし相談にのってもらいましたところ、先生は「こうした問題は世間一般によくあることです。よく息子さんと話し合えば解決します。もし、まだ心配の様でしたら、川崎市の精神衛生相談センターにケースワーカーという人がおりますから。
相談するのも一つの方法かと思います。
ケースワーカーは親身になって話を聞いてくれたり。アドバイスしてくれ、話の内容は他言しないし、安心して相談できる人です」と言われましたのでセンターに行ってしまいました。
しかし、先生の話と大違いで恐しいところでした。ケースワーカーの岩田・今井・保健婦など、この人達の怖さ、相談にのってくれるどころか自分達の考えで事を進めてしまい思いもよらぬ方向に発展してしまいました。
その為に、本人を苦しめ取りかえしのつかない事になってしまいました。
私達がしっかりしていたなら、こんな事態にならなかったのに、と悔みきれません。
自分達の愚さが身にしみ、本人に申訳けない。
今後どうしたら良いのか困り果ててしまいました。
そんな時、御支援下さいました皆々様のおかげで今日こうしていられることを心から感謝いたしております。誠に有りがとうございました。

輔佐人をつとめて
東大病院精神神経科医師 吉田哲雄

友人からのすすめをうけて私がY裁判の原告輔佐人になったのは1973年のことであった。
そして何よりも、原告本人の熱心で几帳面な態度、支援する方達の堅実なとりくみに心を打たれ、微力をつくして輔佐人をつづける決意をかためたのである。
当初は原告代理人の三浦弁護士が、精神衛生相談センター職員、被告病院職員などの証言に際してほとんど尋問らしい尋問をせず、不慣れな私があわただしく代りに立つという有様で、今考えてもその不十分さが残念である。
その後原告代理人が交代し弁護団として充実してからも、裁判所がどうも被告側の肩をもっているように感じられた時期がある。私たちが重要であると考える質問をさえぎられたり、やや苦しかったこともあった。
しかし、被告病院医師に対しては、心ゆくまでとはいえないにしても、かなりの時間をかけた尋問ができた。
輔佐人をつとめながらY事件について学び、自らについても反省しながら考えた。この事件は医療従事者である私にとって重い課題である。
Y事件は丁度川崎地区で精神病の早期発見、早期治療というかけ声がさかんであった頃におこっている。そういう背景も影響していたのであろうが、この事件においては、医療従事者の安易な先入見がとくに大きな役割を果しているように思われる。
すなわち、精神衛生相談センターのケースワーカーが、限られた情報をもとに、Y氏が精神分裂病であるという先入見をもつ。それがそのまま所轄保健所につたわる。入院先の主治医もこの先入見にしたがって行動する。
そのうちに、おそらく主治医も、実は精神分裂病という診断に疑問を抱いたのではないかと私は推測する。そして相談役のような立場の古閑医師の診察結果をまって診断を変えたというのが真相ではなかろうか。法廷では主治医はあくまでも当初の診断をくつがえそうとはしなかったのであるが。
これが法廷でなくて精神科医の集りでの討論であれば、本件における被告側の誤診はすでに十分明らかになっているといえよう。精神科医がこのY裁判資料を読めば、おのずと誤診を納得するであろう。
しかし裁判という場の制約性から、和解条項において事実上誤診をみとめる文章がもりこまれるのにとどまったのも、やむをえないことであろう。
その他、院内での諸問題については法廷で原告本人から鋭く指摘したわけであるが、とにかく裁判は終った。
今後は原告のYさんがこれまでの大変な苦しみを越えて、ますます強く、豊かに前進されることを祈ってやまない。

熱烈メッセージを送る!
ー大阪PSW懇談会ー

★ Yさん裁判勝利おめでとうございます。
10年もの長期にわたって裁判を闘ってこられたYさん並びに「考える会」の皆様に心から敬意を表し拍手を送ります。
これは、裁判所での闘い以外のねばり強い法廷外での多摩川保養院を告発する闘いがあったからこそ〝勝利〟することができたと思います。
長い間御苦労でした。
★ Y裁判や「考える会」が、この10年間与えた社会的な影響は絶大なものがありました。
まず、Yさんの裁判闘争に立ち上るという力強い意志と不当な扱いを許さない毅然とした態度や、その持続する力は、全国の医療被害に泣く人々に励まし、また、進むべき方向を示しました。
また、「考える会」の法廷内外にわたる具体的な告発する活動は、多摩川保養院に入院する患者家族にその実態を知らしめ、同院を改善する具体的動きなどへと影響を与えました。
一方、「考える会」は、精神医療の現実を様々な学会で鋭い問題提起をしています。
入院中心主義、地域管理保安処分体制を批判や指摘にとどまらず、日々精神医療にたずさわる現場労働者の中味に、常に加害性と癒着する構造にある視点を問題提起したのは、歴史的に評価されることだったと思います。
★ 川崎市は1日も早くYさんに謝罪せよ!
「考える会」は、Y事件の発端である川崎市当局に対して謝罪要求の闘いを組んでいると聞いています。
Y事件に関係した一方の当事者は、Yさんに謝罪して賠償金を払いました。当然、一方の当事者である川崎市当局が謝罪しない限り、この闘いに一つのくぎりをつけることにはなりません。Yさんにとって納得のいく終結ができるよう大阪から支援いたします。

Y事件とは

69・10・4(土)Y氏の父は、川崎市精神衛生相談センターを訪れた。
その頃、Y氏と父は、浪人中のY氏(当時19才)の勉強部屋新築をめぐり感情的に対立し、父としては、Y氏との対立の上に、Y氏の浪人生活の不規則な生活の状況もあって、不安を抱いていた。
そこでセンターを訪れた。
そこのケースワーカーは、父から短時間に、父子の感情的対立やY氏の浪人生活の不規則な状況を聞き、即時に「これは重症の精神分裂病である。
すぐ入院させないと大変なことになる」旨、言い放った。
父は、びっくりした
白衣を着て医師然としたケースワーカーが明確に「重症の分裂病だ!」と断言したことに父は、その道の専門医であり、その医者が下した診察であるから間違いないと信じ込み、極度のろうばいに陥った。
同日夜、父はセンターに相談に行ったことをY氏の母に話した。
母は、これに抗議し、家庭訪問等の話を一切ことわるように言い、父はすぐさまセンターに断りの電話を入れた。
しかしながら、ケースワーカーを専門医と信じ込んでいた父は、「専門医」に、重症の分裂病であると断言されたことが頭に深く残り不安を残していた。
誰もY氏に会っていない!
ー本人不在ー
センターから連絡を受けた川崎大師保健所のワーカーは、一方的にY氏宅を訪問し、母が訪問を断って、ワーカーは「これが私の仕事だ」「病気を隠すことは本人のためにならない」等言って、Y氏のことを根掘り葉掘り強引に聞きだそうとした。
母は、通常の父子の感情的対立やY氏の不規則な浪人生活状況を、まるで精神病と決めつける態度のワーカーに対して、「Y氏の行動は何ら異常なものではない。浪人生活を送っている今の若者にありがちな生活状況にすぎない」と強く言い、二度と訪問することのないようワーカーに要求した。
同ワーカーは「これが仕事です。また来ます」と言い残して帰ったが、母は、公的機関が動き始め「医師」から分裂病と決めつけられた事態になってしまったことに、Y氏が強制的に入院させられるのではないか、と不安を感じたのである。
(注)このワーカーはY氏と話をしたこともないのに、Y氏をチラッと見ただけで、「精神分裂の始まりのように思われる」旨、記録している。
事件当日(10月11日)のこと
Y氏は当日ささいなことから、母とケンカした。
母は受験生活で精神的安定を必要とするY氏の立場を思い、家を離れた。
しかし、こんな時にワーカーがきたら、Y氏を精神病と決めきけ事態を更に複雑にしてしまうのではないか。と考え、母は先手を打ってワーカーの訪問阻止のため大師保健所に向った。
保健所で
当日(土)の午後、ワーカーは不在でK保健婦が母と会った。そして、これまでの経過を説明し母の考えを保健婦に伝えた。
その際、Y氏の浪人生活、肩や腰の痛みで気分が多少イライラしているらしい点を母が告げたところ、保健婦は「早く入院させ肩と腰を治療させた方が良い。保健所でも良い総合病院を御世話できると思う」と相談に乗ってくれたのである。
母は、Y氏が肩・腰の痛みで苦しんでいたので、どこか良い病院はないものかと、知人に以前から相談していた。(慶応大学病院に車でいくという具体的な話もでていた)
それで、保健所の総合病院紹介・・・・・の話に、渡りに舟とばかり乗り、Y氏の肩・腰を治そうと考えたのである。
夕刻父に会って「いい病院」の話をし、それじゃ折角だから頼もうということで、再度、保健所を訪れ、「先程の病院の件を宜しく」と告げて母は先に帰り、あとは父に任せた。
精神病院行きが決定されていた
一方、保健所はY氏を既に「精神障害者」として把握し、親の考えとは別に、収容へと事を進めていたのである。
まず、手始めに川崎警察に応援を求め強制収容先ー精神病院を探し、多摩川保養院と話をつけたのである。これで、強制入院の体制はでき上った。
捕獲人は、Y氏宅へ
Y氏宅を訪れた保健所の職員ら(課長(医師)、保健婦、センターのワーカー、警察官2名 合計5名)は、事情を知らないY氏に、「一緒に来い」などと告げ、これに応じないY氏に手錠をかけて病院まで連行している。
(注)全ての証言が「Y氏はそのときおとなしかった」といっている。
病院は、入院体制完了であった
病院では看護人がY氏を待っていた。父はわけのわからないまま、書類にサインをさせられてしまったのである。
Y氏は2階の保護室にブチ込まれ、注射により意識を失った。この間医師の診察はなかった。
(注)法廷では、同意の不成立・無診察が重大な争点となっている。
Y氏、洗濯物にメモを入れる
Y氏は、医者からさっぱりわけのわからない質問を受け、しかもその質問は行政側からのメモに基づいて行われていることを知や、機をうかがい、洗濯物の中に「①ここは精神病院であること、②ここを出るには、行政側の出したメモや保健所を追求する以外にないこと」などを書いたメモを入れることに成功した。
親の抗議行動開始
メモを見た両親、とりわけ母はびっくりした。
まさか自分の息子が精神病院に入っているとは思いもしなかったからである。
Y氏の入院後数日にして、母は一刻も早くY氏を退院させるべく、病院・保健所とかけ合うのであるが、相手側の壁は厚くなかなか効を奏さなかった。
とりわけ主治医は、けんもほろろに、取り合わなかった。
(注)Y氏入院後1週間の面会禁止があり、そのため、日時が経過した。
恫喝した保健所
入院後、25日目に保健所に行った母の抗議に対して、ワーカーは、「とにかく何の病気であれ病院に入院したのだから良いだろう!」「何なら八王子の病院にまわす!」とおどし、更に母をも精神病者扱いにする始末であった。
Y氏、薬づけ、人間性の無視に苦しむ
不法監禁を強いられたY氏は、多量の向精神薬の投与により、思考能力を奪われたり、尿が出なくなったりなど数々の副作用に苦しめられた。
更に、劣悪な病院の中で、生活空間が極めて狭い、貧弱な食事、通信の自由の制限(実質的禁止)等々、世間では考えられないような人間性を無視した扱いに苦しめられたのである。
これらを踏まえ、我々は73夏に賠償請求の拡大を行った。
「転院」を名目に、退院をかちとる
Y氏入院後40日目に、病院は「転院を理由とした退院」を認めざるを得なくなった。「転院」としたのは、Y氏の同室の者が退院のための知恵を絞り出してくれたからである。
両親は、逐にY氏を奪還した。
退院後の差別と偏見に苦しむ
退院後、Y氏は高校時代の友人からもレッテルをはられ、更に、弁護士・裁判所・人権擁護課などからは、「あまり公にしない方があなたのためになる」と恫喝された。
一度、精神病院に入れられたことを以って世間の人々は、Y氏を「やっぱりあの人はおかしかったんだ」と思い込んでしまう差別意識、これが、「法の番人」と言われる者の意識の中にも根深く入り込んでいるのである。
71・12・1、Y氏は多摩川保養院を相手どって民事訴訟に踏み切った。

裁判経過

読むにあたって
①重複している質問などについては、略してあります。
②甲○○号証というのは判りにくいので、カルテとかセンター記録・・・・というように書き換えてあります。
③原告については実名で出てきますが、これを「Y」と直してあります。
④裁判所に提出された文書が膨大なため、この記載を略してあります。
⑤タテ書きのものをヨコ書きに直しているものもあります。
⑥誤字については直してあります。
⑦文中「原告」とはY氏です。

訴状

川崎市○○△△番地
原告    Y
川崎市下野毛946
被告 多摩川保養院
右代表者院長 山本善三
昭和46年12月1日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
訴訟代理人(略)
損害賠償請求事件
訴訟物の価額 ¥1,000,000円也
貼用印紙額      ¥7,900円也
請求の趣旨
被告は原告に対し、金1,000,000円及びこれに対する本訴状送達の翌日より完済ふまで、年5分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求める。
請求の原因
1.原告は肩書地に住所を有し、本件事故当時満19才(昭和25年6月15日生)の心身共に健やかな男子であった。
被告は精神病患者らを収容し治療することを目的とする医療機関である。
2.昭和44年10月11日、原告は突然、被告病院に強制入院の措置をとらされ、爾後同年11月19日までの計40日間もの長期にわたり、その自由を剥奪されると共に、精神薄弱者、薬物の中毒者及びアルコール中毒者らと共に収容生活を余儀なくされた。
3.ところが、原告は当時何らの精神的疾病なく、心身共に完全に健やかな男子であったものであり、右措置は全く違法な、原告に対する重大なる人権侵害(身体・自由の不法なる拘束)である。
4.原告は思いもよらぬ前記身体・自由の拘束にさらされ、強制収容中も作業療法と称する使役にかりたてられたり、被告側からの不当な扱いを受けたり、被告病院内の劣悪な状況下での緊張した人間関係におかれたり、精神病患者と起居を共にさせられたりするなど、計り知れないショック(精神的・肉体的苦痛)を長期にわたって被った。
この精神的・肉体的苦痛は、到底金銭には見積もり難いが、敢えてこれを金銭に見積って右苦痛を慰謝するならば、金1,000,000円が相当である。
よって原告は被告に対し、右金員及びこれに対する本訴状送達の日の翌日より完済まで、年5分の割合による遅延損害金の支払いを求め、本訴に及んだ次第である。

証拠方法

口頭弁論において提出する。

答弁書

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年1月17日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右被告訴訟代理人
弁護士
請求の趣旨に対する答弁
1.原告の請求を棄却する。
2.訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
請求の原因に対する答弁
1.第1項の事実中、原告が健康であったとの点は否認する。その余の事実は認める。
2.第2項の事実中、強制入院の点は否認する。
入院は、原告の保護義務者(精神衛生法20条参照)たる親権者父訴外○○○○の申込にかかり、同人の同意による(同法33条参照)ものである。
その余の事実は認める。
3.第3項の事実は否認する。原告の入院時、及びその後退院までの状況は次のとおりである。
(1)昭和44年10月11日、まず川崎市衛生部精神衛生相談センターより被告方に入院依頼の電話があり、同日午後7時45分同市大師保健所の所員、警察官並びに父○○付添の上来院し、○○から入院が申込まれた。
(2)右時点における原告の状態は、前手錠を施され、服装が乱れ、興奮していて、明らかに格闘の跡があり、また声をかけても応答なく、外来患者として診察できないものと認められた。
また、入院申時に前記センターから送致された資料の記載によれば、自閉・暴行・被害的思考・昼夜の区別のない生活態度・好争性等が認められた。
而して、これらの所見があるときは、まず精神分裂病の疑いをもつものが、精神医学上の常識である。
(3)そこで、同日原告を入院せしめ、翌日被告方勤務医鈴木一郎、翌々日同松永昇が各診察した結果、自閉・発作性躁暴・被害妄想・病識欠如等の症状の存在を認め、一応精神分裂病と診断された。
(4)その後、診察・治療を継続した結果、11月13日、原告の病症は、最終的に精神病質に心因反応が加わったものと診断された。(但し、精神分裂病の疑いが全くなくなった訳ではない。)
(5)40日間に亘る入院期間中に、治療の効果として反応症状は軽快し、且つ○○が、原告をして整形外科治療のため綜合病院に、入院せしめることを理由に退院を申出たので、原告主張の日原告を退院せしめた。
4.第4項の事実中、原告の精神的・肉体的苦痛の程度は不知。
原告が精神障害者であり、この点その他の入院患者との間に何ら差異はないのであるから、他に迷惑をかけない患者同志同室せしめたことを苦痛とするのは当らない。その余の事実は否認。

準備書面

準備書面(1)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年2月21日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右原告訴訟代理人
弁護士
被告が原告に対してとった強制入院の措置は、明らかに法律に違反する、違法不当な行為である。
即ち、それは精神衛生法33条の規定に二重に違反する措置である。
同条は『精神病院の管理者は、「診察の結果精神障害者であると診断した者につき」、「医療及び保護のため入院の必要があると認める場合において保護義務者の同意があるときは」、本人の同意がなくともその者を入院させることができる。』
と定める。
ところが、被告のとった措置は、同条の定める、かかる手続要件(本人の同意なしに、いわば強制的に入院させることが許されるための必要不可欠な前提要件)に、二つの観点から、明らかに違背する。
1.(同条違反の第一の観点)
同条の規定から明らかなように、精神病院の管理者が、本人の同意がなくてもその者を入院(以下強制入院と呼ぶことにする)させることができるのは、あくまでも、「精神病院の管理者」が、(本人を)「診察の結果精神障害者であると診断した」結果についての場合である。
換言すれば、本人に対し強制入院の措置をとることが許されるためには、その入院措置に先立って、当該精神病院の管理者において、本人を診察し、かかる診察の結果、精神障害者であると診断された場合であることが絶対に必要なのである。
また、その場合、強制入院という、一歩誤れば重大な人権侵害となりかねない場合であることを思うとき、ここでいう、事前の「診察」及びそれに基づく「診断」は、いずれも極めて厳格かつ慎重になされなければならないものであることは、誰の目にも明らかなところである。
ところが、被告は、かかる手続要件を履践せずこれに違背した。
被告は原告を入院させるにつき、何ら、事前に原告を「診察」してはおらず、従って当然、その診察の結果原告を精神障害者であると「診断」したものでもない。
即ち、被告自身答弁書でも明らかにしているように、原告を強制的に入院させたのは、昭和44年10月11日であるが、その入院当日である同日はじめて「川崎市衛生部精神衛生相談センターから送致された資料」なるものを唯一のよりどころとして、そのまま右「資料」のみに基づいて、被告自身は事前に何の診察もせずに、「精神分裂病の疑い」をもったというのである。
このことは、二重の意味で、同条に違背する。
一つは、精神衛生センターから送致された資料なるものに目を通しただけで、事前に被告自身のなすべき「診察」をなすことなく、他人の作成にかかる右資料のみで、極めて安易に、不用意に、精神分裂病の疑いをもつに至ったということを根拠に、右同日、そのまま原告に対し強制的に入院措置をとったことである。
二つには、同条の要件を満たすには、単なる「精神障害者の疑い」では足りないのであって、診察の結果「精神障害者である」と診断した場合でなければならないこと、法文上明らかであるにかかわらず極めて安易に、単なる「疑い」をもっただけで、そのまま原告に対し強制入院の措置をとったことである。
2.(同条違反の第二の観点)
同条はまた、入院措置の前提要件として、「保護義務者の同意があるとき」と定める。
ところで、ここで「保護義務者」とは、同法20条1項によれば、本人の「後見人・配偶者・親権を行う者及び扶養義務者」と定められ、同条2項によれば、保護義務者が数人いる場合の順位を定めて、第3順位として、やはり同様に「親権を行う者」と規定されている。
そして、原告の場合、当時未成年者であり、かつ配偶者もなく、原告の両親がともに健在であったものであるから、同条のいう保護義務者に該当するのは、「親権を行う者」即ち、両親である。
ここで「親権を行う者(親権者)」とは、民法818条に根拠を置くものであることは、いまさらいうまでもなく明白なことであるが、同条によれば、両親がいる場合は、その親権の行使は、両親が共同してこれを行使することとされている。
しかるに、被告自身が、明らかに認めるところであるが、原告に対する入院措置につき、同意を得たのは父訴外○○○○のみであって、母の同意は何ら得ていない。
これは明白に精神衛生法33条の規定に違反している。
3.以上、二つの観点のいずれからも、被告の行為は精神衛生法33条の規定に明らかに違反しており、かかる安易な違法行為に基づく原告の入院が、重大な人権侵害行為であることはこれまた明らかであるといわねばならない。
以上

準備書面(2)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年3月13日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右原告訴訟代理人
弁護士
1.被告の昭和47年1月17日付準備書面における、「原告の入院時、及びその後退院までの状況」についての認否。
(1)第3項(1)は、同年同月同日、原告が強制的に(父他数人によって手錠をかけられ)、被告方に連行されたことは認めるが、その余は不知。
(2)同項(2)乃至(4)は、いずれも不知。
(3)同項(5)は、父○○が原告をして整形外科治療のため綜合病院に入院せしめることを理由に退院を申出たとのことは不知。
2.原告が精神衛生法33条による措置(以下本件措置という)をうけるに至ったまでの経緯(原告と実父との間の問題について)。
(1)原告と実父との間に、これまで全く意見の対立がなかった訳ではないが、これは通常世間の父子の間に存するありふれた見解の相違が介入し、詮索するまでもない事柄である。
即ち、原告は小さいころから山が好きで、登山行きの希望を述べたところ(高校生時代から)、父が、危険だからというのに反対をしたということがあったが、これは通常どこでも見られる光景であって、それぞれの立場からみれば当然うなづける意見である。
このことで父子が対立したといっても、常識からいっても、ことさにとり立てるまでもないことは勿論である。
そのほかにも、細かいことをとり立てれば、両者間に感情的な摩擦が生じたこともいくつもあったであろうが、いづれも実の父子なればこその、愛情の発露のあらわれにすぎないものである。
(2)本件措置の直接の経緯は、当時原告が大学の受験勉強をしていたのであるが、勉強部屋に不満があったところ、父が原告をそのためにノイローゼになったものと誤解し、昭和44年10月4日、父単身で(本人は行ってない)、川崎中央保健所を訪ねたところ、応対した岩田某が、父の話を簡単に聞いたのみで、精神異常と即断したので(本人を診察したのでは全くない)、父はそれを信じ、同月11日、川崎市大師保健所におもむいた末、本件措置に同意したというものである。
結局、本件措置に至るまでの間、一切、直接本人自身を診察したことは全くない。
3.求釈明
(1)本件の場合、保健所が精神病についての診察・診断をなすことの法的根拠は何か(特に精神衛生法上の位地づけ如何)。
(2)本件の場合、川崎市衛生部精神衛生相談センターとは、精神病の診察等について、いかなる権限と根拠をもつのか(特に精神衛生法上の地位如何)。
(3)本件の場合、(1)記載の保健所と(2)記載のセンターとは精神病の診察等についてどのように関係するのか(関連づけられるのか)
(4)本件の場合、被告が前記(1)、(2)、(3)に各記載した機関(あるいは機関相互間の関連)を通じて、これらが判断し、また作成した資料に基づいて、自己もまた判断を下し、原告本人を一度も診察しないまま、同人を入院させた措置の精神衛生法(殊にその33条)上の根拠は何か。

準備書面(3)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年3月13日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右被告訴訟代理人
弁護士
1.「診察をせずかつ精神障害を疑ったのみで入院せしめたことの違法性」について。
原告はまず、右の点の精神衛生法33条違反を攻撃するが、つぎの理由で、そもそも違法性がないか、または違法性は阻却される。
即ち
(1)原告来院時の状態は、答弁書第3項(1)及び(2)記載のとおりであった。
また、精神衛生記録センターの記録中には、原告が、
①昭和44年9月中旬、発作的に急に暴れるので、その母が避難して一週間位家をあけたところ、「悪口を言いふらして来たのだろう」と、母を殴打し、
②10月3日には、「ご飯をつくれ、寿司をとれ」と、バットを振り廻して暴れ、
③その前後2、3日「誰々を殺す」と言うようになっていた、等の事実が記載されていた。
これからすれば、原告の入院は(実際に3項以下の手続がとられたか否かは別として、実質的に)警察官職務執行法3条1項の定める「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、精神錯乱のため他人の生命・身体に危害を及ぼす虞れのある者に該ることが明らかであり、且つ応急の救護を要すると信ずるに足りる相当な理由のある」場合として、とりあえず原告を病院で、これを保護するためなされたものである。
而して、少くとも右の如き保護入院の外形的要件を備えている場合、これに応ずることに違法性はない。
(2)仮にそうでないとしても、原告の父○○・警察官・保険所員等は、原告の不法行為に対し、○○自身または母等の生命・身体を防衛するため、やむことを得ずして緊急の入院を求めたのであるが、右は民法720条1項に所謂正当防衛に該る。
従って、少なくもかような客観的要件が認められる場合、これに協力した被告の行為もまた、正当防衛の認識に出たものとして、違法性は阻却される。
(3)仮にそうでないとしても、上記状況下では、被告が原告の入院を拒むときは、
①○○には、原告を引取って保護義務を全うする能力がないこと、
②従って、警察官は、あらためて他の施設に原告を保護すべく試みる他ないこと、
③それは、原告の保護を遅延せしめること、
④仮に警察署で保護することにでもなれば、原告の保護を不適切ならしめる虞があること、
⑤これらは、○○・警察官・保健所員等の心身を労せしめ、時間を徒費させることになること、等が明らかであった。
かような場合、被告が医療・保護の施設と収容能力とを有しながら、精神衛生法33条の要件を完全に充足し得ないことを理由に、原告の入院を拒絶することは、却って社会的倫理観念ないし条理にもとるところというべきである。
従って、被告の所為は、かかる価値基準に照して是認せらるべく、違法性は阻却される。
2.「父のみの入院同意があり、母のそれがないことの違法性」について
原告はまた、右の点の精神衛生法33条違反を非難するが、次のとおり右の同意は適法有効である。
(1)原告入院時の状況は前項記載の如くであった。
かように緊急な事情が存在し、適法な手続(親権の行使としての同意を共同して行うこと)をなす余裕がない場合は、民法818条3項但書にいう「父母の一方が親権を行うことができないとき」に該るか、少くとも右規定が類推適用されて、父○○の同意のみで足りると解すべきである。
(2)原告の母は、原告が昭和44年10月11日入院してより後、同月13日、21日(○○同伴)、23日、27日、11月1日及び12日(○○同伴)の6回に亘り被告方に原告を見舞っているが、その間一回も原告を入院せしめたことに対す異議を述べたことがない。
従って、上記の度重なる見舞は、同女が入院を肯認しているものと見る他ない。
然ならば同女は、
①原告を入院せしめるに際し、あらかじめ、自己の同意権の行使を○○に委ねたものであるか。
②然らずとしても、○○の単独の同意について、右10月13日これを追認したものである。
から、そもそも○○の単独同意に瑕疵がないか、然らずとしても瑕疵は治癒された。
3.過失相殺
仮に被告の不法行為責任が免れないとしても、左記(1)、(2)の原告側の過失、及び(3)の原・被告側の事情が、賠償額算定上斟酌されるべきである。
(1)原告は自ら昭和44年7月下旬以降、自閉・暴行・昼夜の区別のない生活態度・被害的思考及び好争性を認められるような言動、特に入院直前には第1項(1)に述べたような言動に出ていたのである。
少くとも入院直前の原告には、責任能力が無かったのであろうし、或は7月以降既に責任能力は認め難い状態であったのかも知れないが、原告の責任能力を欠く部分については、保護義務者たる○○及び原告の母が、原告に「治療を受けさせるとともに、自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督」するという、精神衛生法22条1項所定の保護義務を怠っていたのである。
かかる精神障害の疑わしめる原告自身の常軌を逸した言動、及び右○○等の保護義務懈怠が、本件入院を必要ならしめた主因であるから、これらは何れも原告側に存する過失、または過失と同視されるべき事情である。
(2)原告の母が民法818条に反して、○○と共に原告の入院に対して同意をしなかったのは、即ち原告側の過失である。
(3)被告が原告を入院せしめたことは、その初めに原告指摘のような手続的違法があったとしても、答弁書第3項(3)以下記載のとおり、その直後の診察によって原告が精神障害者であることが診断され、その後原告は治療を受け得たのであるし、また原告の母は、入院・治療につき何ら異議を述べていない。
従って、原告の入院は、実質的には原告に利益を齎しこそすれ、何らの実害をも与えていない。

準備書面(4)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年4月11日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右被告代理人
1.被告の病院に於ける入院手続の慣行、ないし実際上の取扱いは、次のとおりである。
(1)精神衛生相談センターから入院依頼があった場合
同センターは川崎市衛生局内に置かれ、所長以下数名の精神衛生鑑定医が配属されている。
その業務は、精神衛生法7条に規定されているとおり、精神衛生に関する知識の普及、調査研究、相談及び指導のうち複雑または困難なものを行うのであるが、本件と関連する具体的な内容としては、診断・治療(投薬)・入院の紹介ないしあっせん・保健所に対する指導・地域の患者家族会や各病院のケースワーカーに対する連絡指導等がある。
同センターからの入院依頼の連絡は、電話で相当詳細な病状・病歴の説明と共になされる。
病院では、医師が、これに基づいて入院せしむべきか否か、入院せしむべきベット・室等を決定する。
入院時には、同センターから経過記録が病院に交付される。
本件の場合、電話は、ケースワーカー長橋千鶴が受け、医師松永昇が入院せしむべきことを定めた。
センター作成の資料は、当然診断上の参考に供される。
そもそも、精神病の特質として相当長期に亘る観察を経なければ診断できないものが多く、また入院までの経過は、患者自身から聴取することができないから、あらゆる過去の観察資料が大きな意味を持つが、センターのそれは、専門医の観察記録として特に重視されるのである。
(2)未成年者の同意入院の場合
神奈川県衛生部は、かねてより両親の同意は必ずしも必要ではなく、片親の同意で足りる旨、県下の病院を指導していた。
原告が、この点の手続的不備を横浜地方法務局人権擁護課に訴え同課が調査するに及んで、初めて県は、両親の同意を要する旨、指導方針を変更したのである。
従って、それ以前は、被告のみならず、県下の病院はすべて片親の同意によって入院せしめており、違法の認識は持っていなかった。
(3)警察官が患者を同行した場合
昭和47年3月7日付社団法人日本精神病院協会作成の入院手続についての文書(乙第9号証)を受領して、その旨を指摘されるまで警察官職務執行法3条に拠るものであるか否かをただすことはしていない。
被告等病院側とすれば、警察官は当然に法に定められたところに従って行動しているものとして考え、違法に入院せしめようとは疑わないから、求められるままに入院させていたのである。
(4)通常診察不可能の場合
患者が興奮したり、暴れたりして応答不可能の場合は、その状態の観察、附添者の申立て、前記(1)の如き観察資料等によって診断するほかないのであるが、かつてはとりあえず入院させて、爾後診察していた。
原告が、前記(2)の申立てをして人権擁護課の調査があってから後は、右の如くにしている。
(5)夜間等診療時間外の場合
被告の病院では初診は、「責任ある」「上級医師」(いずれも病院内の習慣的なもので、医師ごとに明確な区別ないし位置づけをしている訳ではない)がすることになっている。
当直医は、比較的若い医師や、アルバイトの医師等を充てることが多いからである。
また、当直医が入院時の診察をした場合にも、診療録には記載しない。
精神症状は急変することのないものであるから、前記の趣旨で上級医師の判断に委ねる訳である。
2.原告の入院時の取扱いは、次のとおりであった。
(1)診療時間内に前記センターからの電話連絡があったが、入院は時間外の午後7時45分であった(己第7号証)。
而して、原告の状態は、答弁書に述べたとおりであった。
当日の当直医は、中村剛医師(当時被告方に約3年の勤務歴)であったが、午後7時1であって、何もことさらとりたてて、第3者分勤務に就いていた。
右記の如く原告の入院は、前記(1)ないし(5)のすべての場合に該当しており、各項目に説明したとおりの取扱いがなされた。
(2)原告の入院を受付けたのは、被告方の看護士指吸嶺であった。
指吸は、原告の父○○○○に入院同意書、保証書等を自筆で記載させ、捺印させた上、原告を保護個室に収容した。
(3)中村医師は、直ちに原告を診察し精神障害を認めて、午後8時ウインタミン50ミリグラム入り一筒の筋肉注射を施した(己第8号証2)
しかし、診察の結果は診療記録に記載しなかった。
(4)その後の治療経過は、答弁書に述べたとおりである。
3.原告を入院せしめるに当って、被告の病院が診察しなかった旨の自白を撤回する。即ち、
(1)中村医師は、指示処置簿(己第8号証1、2)に、前記注射を施した旨記載している。
商品名ウイスタミンは、クロールブロマジン剤で、精神安定剤の代表的主薬である。
また、診察をしないまま投薬することはあり得ない。
従って、中村医師は原告の病名を確定しなくとも、精神障害の存する旨を診断し、その対症療法として、上処置をとったのである。
これらは、医学上の経験法則に照し、指示処置簿の記載内容から断定的に結論し得るところである。
従って、前記自白は真実に反する。
(2)被告の病院では、管掌者ごとに作成する各種記録を、患者ごとに再録・整理することまではしていない。そして、完結した記録は倉庫に収納保存される。
右指示処置簿もまた倉庫に保管されていたため発見が遅れ、これを探し出すまで中村医師が右処置をとったことが判明しなかった。
そこで、診療録(己第4号証)のみに依拠して、これに入院時の記載がないまま、これ無きものと錯誤に陥り、前記自白をしたものである。

準備書面(5)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年4月12日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右原告訴訟代理人
弁護士
1.昭和47年3月13日付被告準備書面に対する認否。
(1)同準備書面第1項の柱書は争う。
第1項の(1)のうち、原告来院時の状態が答弁書第3項の(2)の如きものであったとの点は否認。
また、答弁書第3項の(2)の記載で、被告が川崎市衛生部精神衛生相談センターから送致された資料により、原告に対し精神分裂病の疑いを持ったことが精神医学上の常識であるという点は争う。
同準備書面第1項の(1)のうち、精神衛生相談センターの記録中に、被告が同準備書面で引用している如き記録があることは認めるが、原告には、被告が引用した如き言動は全くその事実はない。
また、被告が主張する如き、原告に対し警職法3条1項の手続を発動して被告方に収容した旨の主張は、右警職法の趣旨を理解せずこれを曲解するもはなはだしい詭弁であり、同法同条をかような場合にその適用を認めることは、明らかに同法条の解釈・適用の限界を越えるものである。
(2)同準備書面第1項の(2)は争う。
原告にはそもそも被告が主張するが如き不法行為は存在しないのである。
(3)同準備書面第1項の(3)は争う。
そこでの被告の主張は、あえて被告の違法行為をなんとかつじつまをあわせようとするあまりの全くの詭弁である。
(4)同準備書面第2項の柱書は争う。
同第2項の(1)は争う。
被告の主張する如き民法818条3項但書の解釈は恣意的であるばかりか、かりにそういう解釈が許されるとしても、そもそも被告がいうような緊急な事情があって、共同親権の行使をなす余裕がなかった旨の前提事実が、全く事実に反する。
被告が原告に対して入院措置をとるまでの間に、母親の同意を得るいとますらなかったというものでは決っしてなく、むしろ、いくらでも同意を得る位の時間は存していたのである。
事実はむしろ、母親の反対を初めから予想して、父○○が、事前に同意を求めるために母親に話しかけることすらなく、単独で勝手に今回のような行動をとったものにすぎない。
(5)第2項の(2)は争う。
そもそも10月13日の日は、原告は看守から母が来たと告げられたのみで、母親と面会は出来なかったものであるし、母親が一度も原告の入院に対し、異議を述べなかったといっていることは全く事実と相違する。
むしろ、事実は、母親は、来院するたびに担当の松永医師等に対し、「センターの記録はまちがった事実を記載している」旨述べて、その記録のみに基づいて原告を入院せしめた措置に対して抗議をしていたのである。
しかし、この母の抗議に対して、松永医師は「保健所の方から記録が回ってきているのだから、保健所に抗議しろ」等と述べてまともに取り上げようとしなかったものである。
従って、同第2項(2)の瑕疵が治癒されたとの主張も、当然認められない。
(6)第3項の過失相殺の主張は全て争う。
 同項(1)の原告の言動について述べていることは全てその事実はない。
これは、ひとえに、被告が精神衛生センターの記録をそのまま何の抵抗もなく受け入れ、それを前提にしてここでも引用しているに過ぎないものであるし、そもそも、このセンターの記録なるものが、父○○が勝手に同センターの岩田某ソーシャルワーカーに述べたものを、そのまま右岩田が記載したものであって、真実性も全くないばかりでなく、そもそも資格を有し、権威もある精神医が記載したものでも何でもない。そもそも右岩田には、その資格がないものである。
また、同項(1)のうち、原告の父及び母に、精神衛生法22条1項所定の保護義務があるのに、それを怠っていたから過失相殺すべきである旨の主張は、同法同条の適用となるための前提要件を正しく把握しないことからくる誤った解釈である。
即ち、当然のことながら同法同条は、その明文上、「精神障害者」について(そのように診断されたものについて)、その保護義務ということを定めているものであるのに、ここで原告は、その「精神障害者」でも何でもなかった者だからである。
(7)同項(2)は争う。
原告の母は、同意すべき前提を原告が、なにも持ち合わせなかったから当然のことながら同意しなかったまでであって、同意しなかったことがむしろ正しかったのであるから、同意しないことをもって過失などというのは言外である。
(8)同項(3)は全て争う。
原告はまさに、かかる重大な手続的違法のゆえに、はかり知れない精神的苦痛を破ったのであり、その被害は甚大である。
かかる、一歩誤れば重大な人権侵害行為にもなりかねず、適法と違法とが、いわば紙一重で背中合わせになっているような、精神衛生法に基づくところの入院の措置については、被告の主張するように、手続的な違法を無視あるいは軽視する態度は、厳にいましめられるべきであって、このことは、もしも同法の手続的なものが軽んじられ、同法が濫用されたときの恐しさを想定すれば明らかであろう。
このことはまた、何らかの強制的な措置を講じている法律例においては、その全てに妥当する当然の大原則なのであって、従って逆にまた、そうした法律においては、手続要件こそまさに実体的効力の有効要件ともなっているほどのものなのであることは、デュー・プロセス・オブ・ローの原則をもちだすまでもなく自明の理である。
2.原告の主張
(1)被告の主張は、すでに左の二点にわたり、その主張自体が失当である。
即ち、その第一点は、精神衛生法第33条に基づく診察は、その当該精神病院の長が自ら行うべきものであることは、右法文の文言に照らし明らかであり、これを拡張解釈して病院長以外の精神科医の診察にても可であると解すべき何等の合理的理由なく、却って右法条による診察が、被診察者を医療及び保護のため精神病院に本人の同意なくして(勿論保護義務者の同意は必要であるが)入院せしめる必要があるか否かを判定するために行われるものであるから、その診断を誤るときは、個人の身体の自由を不当に拘束することにより、個人の基本的人権を侵害する結果を招来するため、換言すれば個人の基本的人権の保護に重大な結果を及ぼすため、法は特に精神病院の長自らの診察を要求しているものと解すべきであって、このことは精神衛生法29条に定める知事による入院措置の場合において、2人以上の精神鑑定医(一般の精神科医では足らず、しかも2人以上を必要とする)の診察を必要としている(もっともこの場合は、保護義務者の同意がなくても入院させることができるという点において、前記同法33条の場合と異なるが)ことによっても裏書されるというべきであるから、従って精神衛生法33条による診察は、当該病院長自ら行うべきものであるといわなければならないものであるところ、(後述判例引用)被告主張の原告に対する診察は、被告山本善三自らが行ったものでないことはいうまでもないばかりか、多摩川保養院の松永医師等がかろうじて、原告をすでに病院に強制的に収容させてしまったあかつきに、しかもその翌々日に至って初めて、原告に対する診察を行ったものであることは、被告自らの主張するところである。
従って、本件の場合には、そもそも病院長自らの診察どころか、事前に原告自らを診察することは、一さい、何人もこれをなしていないものであって、たかだか精神衛生センターの記録なるものにたよった(目を通した)のみである。
しかも、この記録なるものは、父○○が一方的に語ったことのみを、そのまま岩田ソーシャルワーカーが記載したものにすぎず、この岩田なる人物は、主に社会福祉関係の仕事が主で、従として精神衛生の相談(病院への紹介など事務的・補助的な仕事をするだけ)をしているものであったが、精神病の診断とか治療とかは、その資格も権限なく、出来ない立場の者である。
これらのことから、本件原告には その被によって収容されるまでの経緯として、到底、未だもって精神衛生法33条に基づく適法な診察というものは存在しないものといわなければならない。
次に、第二点はいうまでもなく、精神衛生法33条は、精神障害者であるとの診断がなされた者について、始めて入院の措置をとることが許されるものであることを明文上規定しているのであるが(精神障害者の疑いがあると診断された場合には、一定の条件のもとに、仮入院が許されるのみである「精神衛生法33条」)(後述判例引用)
被告は、本件原告の入院に際しては、たかだか前記センターの記録に目を通したのみであり、しかも、重要なことは、その結果(精神障害の疑いでなく)原告が精神障害者であると診断したので入院措置を講じたものではなく、安易にも、一応右記録に基づいて、(即ち、この記録自体何らの客観性ある資料でないばかりか、結局原告本人自身は一回も診察することなく)原告に対し精神分裂病の「疑い」をもったことにより、そのままそれだけで原告を入院せしめたというのである。
これまた、精神衛生法33条に基づく適法な診察がなされたといえないこと明文上いうまでもないことである。
以上、二点にわたって被告が自ら主張するところによっても、原告を精神衛生法33条に基づき、被告方に入院せしめたことは違法であるといわなければならないのであり、従って被告の主張は、すでにこの点において失当である。
(なお、以上二点にわたって精神衛生法33条の解釈について、同じ趣旨を判示した参考判例として、昭和38年2月13日東京地判、下民14巻2号184頁がある。)

準備書面(6)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年9月7日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右原告訴訟代理人
弁護士
1.原告は一貫して、被告が原告を入院させるに際してとった措置が、精神衛生法33条の規定に反しており、右規定は手続規定であって、しかも右規定の有している意義の重要性(即ち、もともと精神衛生法そのものが、ともすれば個人の不当不法な人身拘束にわたりかねない問題と、常に表裏の関係にあるものであるところ、同法33条をはじめとする手続規定を忠実に履践することを前提としてはじめて、当該個人の意に反する入院等の措置も、その違法性が阻却されて合法と認められるものであると解さざるを得ないものである)からして、これら手続規定は、もしこれらの規定に反したときは、その入院等の措置は違法たることを免れないものであり、従って民事上の不法行為あるいは刑事上の不法逮捕・監禁罪等の要件としての違法の要件を充足せしめる。その意味では単純な手続上の規定以上の意義、即ちより規範的かつ強行法的な意義と効果を有する規定であると解されるものであることから、本件被告の行為は明らかに原告に対する不法行為であり、損害賠償義務を免れないものであると主張してきているものである。
2.右にみた同法第33条違反の違法な措置について被告には明らかに過失が存するものである。
その過失を構成する具体的内容についての主張は、昭和47年4月12日付原告準備書面中「原告の主張」と題する部分において記述主張したところがそれである。
3.よって、被告の不法行為責任は明らかであるが、ここで百歩譲って仮りに、本件入院措置当時の原告の精神状況を問題にしてみたとしても(あくまでも当時原告が、実際上精神病の有無についてどうであったかという問題に立ち入るまでもなく、原告において一貫して主張してきている前述のとおりの被告の不法行為責任が成立するということは免れないものではあるが)、甲第1号証によれば、原告には「考え方にやや柔軟性の乏しい点があるやに思われるが、特に積極的な所見は認められなかった。但し家庭内に葛藤状況が存した事は否めない」と診断され(同診断をなした医師山田国雄は、精神病関係の専門医師である)、要するに原告には、当時家庭内での多少のいわゆる親子喧嘩の類の葛藤が存したことは事実としても、それをもって原告を精神障害者ときめつけ、イコールで結びつけるのは即断であり、たしかに原告には考え方にやや柔軟性に欠けるきらいがないではないが、だからといって特にそれ以上に積極的な所見(ここでは精神障害の事実をさす)は認められなかったと述べているのである。
(ちなみに、いわゆる専門家の間では、精神障害のうち精神病質は、もしかかる症状が存するのであれば、短期間にそれが現われたり、あるいは治癒して消滅したりする性質のものではないことが指摘されているところである(その参考資料は後に提出する)。
さらに、乙号証自体によっても、当時原告には何の精神障害も存しなかった(いきなり刑事らに手錠までかけられて強制的に逮捕、並びに入院させられたことにより、その時点での興奮が存したであろうことは、通常人でも十分にあり得るところである)ことは一層明らかである。
即ち(詳細は後にまた述べるが)、例えば入院直後から原告を観察し診断したときの記録である乙第4号証6以下数頁、或いは入院直後からの看護記録である乙第5号証の1以下によっても、いずれも、かえって原告の行動や態度その他について平常であるという診察が基調になっており、特に積極的な所見は認定されておらないこと明らかであるから、これらのことからも原告を入院させた本件措置が、全く違法なものであったことは明らかである。

準備書面(7)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年10月3日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右原告訴訟代理人
弁護士
1.事実関係
(1)原告が入院させられたときの事実経緯について
①原告は昭和44年10月11日、自宅にてテレビを見ながらくつろいでいたとき、突然数人の男が部屋に上がりこみ、原告に対して、「肩がおかしいから肩を診察する」等と言って近づき、近づきざま、突然そのままその場に原告を組み伏せ、そのままいきなり原告の両手に手錠をかけ、車に乗せて被告方へ連れ去られたものである。
車中で原告が「一体何の理由でこんなことをするのか」と詰めたが、何の返答もなされなかった。
②被告方病院につくと原告に対して、診察などは全くせず、いきなり被告方病院の二階の看護人詰所(らしきところ)に連れて行かれそこで、なにやら白紙にサインをするように強いられたが、原告が、それは何の目的に使用するのかを問うたところ何の返事もなかったので、原告はこのサインを拒否した。
そうしたところ、今度はすぐ看護人に両腕をつかまれ、そのまま二階にある独房に押しこまれてしまった。
しばらくして後、看護人がきて原告は押えつけられ無理矢理注射をされた(このときの人物が被告主張の中村剛医師であるか否かは不明)というものである。
(2)原告入院中の扱いについて
①原告は2日間独房で閉じ込められた後、大勢の患者と同居の部屋に移された(最初は8名、後には11名の患者と同居生活)。
そこでの生活は、人間を詰め込めるだけ詰め込んだという状態でぎゅうぎゅうしており、まさに定員オーバーの感があった。
②原告はここでの生活中、廊下・便所・風呂場などの掃除をさせられ、また袋張りの使役をさせられた。
③原告の入れられた同居人の中には、夜中にいきなり読経をはじめる患者もおり、そのたびに原告は安眠を防げられ、また、ぞっとするような薄気味悪い思いをさせられた。
2.原告の主張
(1)第1の(1)について述べたとおり、入院のさい、原告に対しては、何の診察もなされなかったものである。
この点に関し、被告の昭和47年4月11日付準備書面の3の(1)において、中村医師は、指示処置簿(乙第8号証1、2)に、前記注射をなしている・・・・(その注射は精神安定剤であって、これは)正常人に投与することは無意味である・・・・・また、診察しないまま投薬することはあり得ない・・・・と述べている。
しかし、精神安定剤は、正常人でも何らかの原因により一時的に興奮状態にあるときに使用することのあるのは、むしろ医学上の常識である。
既に述べたようにこのとき原告はいきなり何の理由も示されずに逮捕され、手錠までかけられて、連行されたことのショックから非常な興奮状態にあったことは明らかなことである。
被告はまた、原告に対し診察もしないまま、右注射をすることは「あり得ない」と述べ、そこから原告に対して診察は「なされている」と結論づけているが、これは一方的な推論の上に、強引に結論を押しつけようとするもので、事実に立脚した主張ではないこと勿論であり、従ってその主張自体失当である。
また、仮りに被告主張の前提をとったとしても、原告が被告方へ到着したのは、午後7時45分頃であったというのであり、また原告に対し注射をしたのは、同8時というのであるから、注射前に原告を診察したとしても、右の時間を最大限利用したとしても、せいぜい15分間のことである。
これは、本件と同じように精神衛生法第33条に違反した同意入院が問題とされた判例(東京地判昭和38年2月13日、下民集14巻2号184頁)が、その判示の中で、10?15分を費いやしたにすぎない診察について、叱責し、こうした事情を、右判決事案の原告について、精神障害者(精神障害の疑いではない)と診断されたと認めるのは困難であるとの認定にあたっての重要な事実のひとつにあげていることからも、かかる15分という時間をもって、十分な診察がなされたとはいい難いのである。
ここで問題とされるのは、あれこれの推論ではなく、診察をしたか否かの事実そのものなのであるから。
(2)第1の(2)について述べたとおり、原告の入院中、その①に述べた点については、近時新聞等のマスコミなどで、精神病院の経営のあり方や患者の扱い方などをめぐって問題とされ、社会問題化しているという状況の下で、被告方においても患者よりも経営の方が全面に押し出され、そのため「収容」されている「患者」にとっては、大勢が窮屈に詰め込まれた病室では、自己の空間すらもちえぬ状態であった。
このことは、「収容」されている「患者」間において無用の感情の摩擦を生じさせた。
これらの生活を強いられる事は、何故原告が「収容」されねばならず、治療を受けねばならないのか明らかでなく、説明すらもされない者にとって、形容しがたい苦痛の毎日であり、原告においても精神的苦痛が大きかったのである。
ために正常人としての原告にとってはことさら不快な思いの毎日が続いたのであり、その間被った精神的苦痛もまた大きいものがある。
②に述べた点については、前近代的、非合理的な社会制度及びそれに伴う法制度の下においてなればいざ知らず、およそ近代的・合理的な精神に立脚する社会制度ないし、法制度の下においては、いかにそれが受刑中であるとか、かりに精神病のために隔離中であるとかの特殊な還境のもとにあったとしても、現実にそこで何らかの労務を提供させられて何らかの経済的価値ある物を作出した以上、その労務提供に対して、対価として何らかの提供(反対給付)がなされなければならないことは当然のことなのであり、これを治療中とかの美名にかくれて、結局のところこれが収益を一方的に享受する結果となることは近代法の原則にももとる行為である。
刑務所受刑者の場合でも、その間労役についたことの対価は、支払われているではないか。
精神科医岡田靖雄氏(東大医学部卒)は、その著、「差別の論理」ー魔女裁判から保安処分へ(勁草書房刊)ーの中で、この点を鋭く指摘し、『・・・・配繕作業と称されるものは大部分の(精神)病院で作業治療の一種としておこなわれている。だがそれが治療であるといえるには、配繕作業患者のほかに配繕係りの職員がいて、その患者がいなくても業務に支障がなく、また治療的作業指導がなされているという条件が必要である。
また、その患者になんらかの形の報酬のだされることが必要である。というのは、資本主義体制では、労働はつねに報酬を前提としてなされるものであって、精神障害者の治療であるからといって、無報酬の労働を当然とするのは、きわめて不自然なことである。
作業が配繕にかかわるものであれば、その患者の特別な衛生管理もぜったい不可欠である。だが、これだけきっちりした条件に基づいた配繕作業がなされている精神病院がいくつあるだろうか?
多くの病院では作業治療の名目で、入院患者を使役して職員不足をおぎなっているのである。・・・・』と述べている。(同著310頁)
このように、いわば何のいわれもなく(原告は正常人であったのであるからなお更である)原告が、奴隷のように無報酬で使役をさせられたことにより、その精神的に被った屈辱と苦痛は、はかり知れないものがある。
その③については、かかる患者(これらの者は文字どおり真実精神障害者であろう)といわれなき同居生活を強いられたことにより被った屈辱感・不快感はまた大きなものがある。

準備書面(8)

原告   Y
被告 山本善三
昭和47年10月3日
横浜地方裁判所
川崎支部 御中
右被告訴訟代理人
弁護士
1.被告の昭和47年3月13日付準備書面第1項記載の各事実、並びにこれに対する被告の価値判断は、いずれも独立した主張ではなく、同準備書面第2項(1)、及び第3項の各主張についての背景的ないし斟酌されるべき事情として陳述する。
2.同準備書面第3項記載の「原告側の過失」とは、(1)原告自身の過失、(2)原告の父母の民法820条所定の監護義務懈怠、(3)同じく精神衛生法22条所定の保護義務懈怠のすべてが斟酌さるべきである、との趣旨である。
3.原告の「精神衛生法33条所定の診察・診断者は、被告でなければならない。」との同条の解釈を争う。
同法の法意は、精神病院の管理者(ないし長)に対して、当該精神障害者が入院による医療・保護を必要とするか否かと、病院側の受入態勢が如何にあるかとを勘案して、入院せしむべきや否やの認定の責任を帰せしめているのみである。その認定の前提となる診察・診断については、これを管理者(ないし長)自らがすると、他の専門の精神科医がすると、何ら区別していないものというべきである。(43・3・11東京高判、東高民時報19巻3号57頁参照)
原告援用の東京地裁判例は、(1)診察者が、院長の補佐としてではなく、独立の地位に於てなしたものであるから、同条所定の診察とはいえない、(2)上診察の結果、患者が精神障害者であると診断されたものとは認められない、という違法ある場合に関するもので、本件には不適切である。

訴訟告知書

川崎市
原告    Y  氏
川崎市下野毛946
告知人被告 山本善三
川崎市宮本町1
被告知人   川崎市
右代表者市長 伊藤三郎
横浜市中区日本大通1
被告知人   神奈川県
右代表者知事 津田文吾
右原被告間の横浜地方裁判所川崎支部昭和46年(ワ)第380号損害賠償請求事件につき、告知人は、被告知人に対し訴訟告知をする。
昭和48年4月13日
右告知人(被告)訴訟代理人
弁護士 玉田郁生
横浜地方裁判所
川崎支部 御中

告知の理由
1.原被告の右訴訟に於ける主張の概要は、つぎのとおりである。
(1)原告
原告は、昭和44年10月11日、精神障害者として、被告の経営する多摩川保養院に入院せしめられ、同年11月19日まで同院内に拘束された。しかし、原告は当時心身ともに健康であった。また、被告は、入院前の診断をせず、かつ、当時未成年であった原告の保護義務者たる両親のうち、父のみの同意を得ているに過ぎない。従って、被告の右入院拘束の措置は違法である。よって、原告は、被告に対し、慰籍料100万円の支払を求める。
(2)被告
原告は、当時精神障害者であったし、その入院は同意入院であった。被告は、医師中村剛の診察と右の旨の診断に基き、原告を入院せしめたのである。中村医師は、原告が診療時間外に来院した時、保健所職員と警察官とが附添い、かつ原告が手錠をかけられ、格闘の跡があったこと、川崎市精神衛生相談センターが原告の父から聴取・作成した原告の生活歴の記載等を、診断の資料に供した。また、当時、未成年者の同意入院についての神奈川県衛生部の指導内容は、「両親の同意は必ずしも必要ではなく、片親の同意で足りる」というのであった。従って、原告を入院せしめたことは違法ではない。仮に、違法としても被告にその認識が無かったこと、前述のような入院時の状況等からすれば、違法性は阻却される。また、仮に不法行為責任を免れないとしても、原告自身の入院前の言動、父母の監護義務懈怠等の事情が、賠償額算定上斟酌さるべきである。
(3)原告
センターの記録は全く事実に反する。また、原告はテレビを見ながら寛いでいたところ、突然組み伏せられて手錠をかけられ被告方へ連行されたのである。
2.ところで、告知人が、仮に診断を誤ったことを理由に敗訴するならば、保健所職員、及び警察官が前項(2)の原告来院時の状況を作出したこと、並びにセンターが誤った生活歴を示したことが、誤診を招く大きな原因となったものと言わざるを得ない。また、仮に同意入院手続の違法を理由に敗訴するならば、前項(2)の県衛生部の指導の誤りがこれを招いたものと言う他ない。
従って、告知人は、これらについて、被告知人等に対し、損害賠償を請求し得ることとなるものと思料される。(以下略)

準備書面

原告   Y
被告 山本善三
昭和48年12月17日
横浜地方裁判所川崎支部 御中
原告訴訟代理人
近藤 勝
木村 壮
菅原克也

準備書面⑨

第1 原告が被告経営多摩川保養院に強制入院させられた経過
1.昭和44年10月4日(土)原告の父○○○○は川崎市精神衛生相談センターを訪れた。
その頃原告と父○○は、浪人中の原告の勉強室新築をめぐり感情的に対立し、父○○としては、原告との対立のうえに原告の浪人生活の不規則な生活の状況もあって、徒らに不安を抱いていた。そこで同センターを訪れたのであった。同センターに勤務する岩田和郎ケースワーカーは、父○○よりきわめて短時間内に父子の感情的対立や原告の浪人生活の不規則な状況を聞き即時に「これは重症の精神分裂症である。即時入院させなければ大変なことになる」と言い放った。白衣を着医師然とした岩田和郎が明確に「重症の精神分裂症だ」と断言したことに父○○は岩田は専門医であり、その専門医が下した診察であるから間違いはないと信じ込み極度のろうばいに陥ったのである。同日夜父○○は同センターに相談に行ったことを原告の母○○に話したところ、がん固で現代的な感覚・生活様式をまったく知らぬ父○○が原告の不規則な浪人生活状況を異常と思い込み同センターに相談に行った事にあきれ果て、即時にセンターに電話し、家庭訪問等は一切せぬように言ったところ、父○○はこれに従いセンターにその旨電話したのであった。しかし岩田を専門医と信じ込んでいた父○○は「専門医」に重症の分裂症であると断言されたことが頭に深く残り不安を残していたのであった。
2.同年10月6日(月)同センターから事情を聞いた川崎市大師保健所のケースワーカー今井功は、何としても原告を入院させる必要があるとして、ケースワーカー岩田と相談のうえ原告宅を訪問したところ、母○○はこのような軽卒なセンター及び保健所の態度に強く抗議したのであるが、今井は「これが私達の仕事だ」「息子さんの病気を隠し立てするようなことは息子さん本人の為にならぬ」等と言い原告の家庭環境・生活歴・生活状況等を強引に聞き出そうとしたのである。母○○は、通常の父子の感情的対立や、原告の不規則な浪人生活状況を、まるで精神病と決めつけ、何が何んでも精神病院に送り込もうとする態度を露骨に示す今井に対し、「原告の行動は何ら異常なものではない。浪人生活を送っている今の若者にありがちな生活状況に過ぎぬ」旨強く言い渡し、二度とそのような態度をとり、又原告宅を訪問する等の行為を一切しないよう今井に要求したのであった。これに反し今井は「これが仕事です。又来ます」と言い残し帰ったのであるが、母○○はこのような公的機関が動きはじめ、「医師」(と母○○も思わせられていた)から重症の精神分裂症ときめつけられた事態にになってしまったことに原告が強制的に入院させられるのではないかとの不安を感じた。
3.同年10月11日、原告と母○○は些細な事から喧嘩をした。母○○は浪人生活で精神的安定を必要とする原告の立場を思い、近所の家に遊びに行ってしまえば喧嘩相手が無くなり原告のカンシャクも止むであろうと考え家を出てしまった。ところが先日の今井の「又来ます」との言葉を思い出し、母子が喧嘩し母が家を出ている場面に今井が再び訪れたらそれこそ原告を精神病と決めつけ事態を更に複雑にしてしまうのではないかと考え、大師保健所に出向き今井と会い、再び原告宅には来ない、原告を精神病扱いすることは止めるとの確約をさせる必要があると思った。
そこで大師保健所を訪れたところ、同所勤務の北浦保健婦が対応に出たので従来の経過を説明し、母○○の希望を言い渡した。その際原告の浪人生活、原告が肩と腰を痛めその関係で気分が多少イライラしているらしい点もある旨を告げたところ、同保健婦は、そういうことなら早く原告を入院させ肩と腰を治療させた方が良い、保健所でも良い総合病院を御世話してあげられると思うと親切に相談に乗ってくれたのである。母○○は、常々知り合いの警察官らにどこか良い病院はないものかと相談を思案していたので、この際良い総合病院を紹介してもらい原告の肩と腰を治療しようと決心した。そこでその日の夕刻父○○と共に再び大師保健所を訪れ、先程御世話いただいた病院の件を宜しく頼む旨を告げ、以後のことは夫○○に委せ1人で家に帰ったのである。
4.その間大師保健所の井沢予防課長が保健所に来、かねてよりの計画であった原告を精神病院に強制的に入院させる行動を開始した。
川崎警察署に電話をし、警察官の応援を求め、他方で入院先病院を捜し、被告経営の多摩川保養院(以下、被告病院という)に入院させる事を決定した。
原告宅を訪れるや、何も事情を知らぬ原告に対し、いきなり一緒に来いと告げ、これに応ぜぬ原告を羽交締めにし双方の手に手錠をかけ被告病院まで強制連行したのである。被告病院に着くや原告を廊下に待たせたまま、父○○を事務所近くの小さな診察室らしき個室に入れ、そこで入院に必要な書類一切を渡し手続きをとらせた。父○○が再び廊下に出るや原告は到着時と同様廊下で待たされていた。やがて二階から男が原告を連れに来、原告と伴に二階に消え去った。その後二階に連れていかれた原告は小さな保護室に入れられ、何ら医師の診察を受けることなく看護人から注射をされそのまま意識を失ってしまった。
5.その後、母○○は事態の重大性を知り、同月19日被告病院に原告を訪ねた後は何としても一刻も早く原告を退院させねばならぬと決心し、その旨被告病院・保健所に要求した。
10月28日には、被告病院医師松永昇に対し、原告を入院させた理由を問い質すとともに即時に原告を退院させる手続きをとるように要求したが同医師はまったく取り合わなかった。
11月5日には、大師保健所におもむいた所、今井ケースワーカーは「とにかく何の病気であれ病院に入院したのだから良いだろう」「何なら八王子の病院にまわす」等言い、更には母○○も精神病者扱いにする有様であった。
このように被告病院・保健所ともに一切母○○の要求を聞かず、被告は原告を同年11月19日に至るまでの長期間不当拘束を続けたのである。
第2 被告の自白撤回について
被告は答弁書第3項(3)に於て、原告を入院させる際に何らの診察も行わず入院させた旨自白したのであるが、昭和47年4月11日付準備書面第3項において右自白は真実に反する故に撤回すると主張するのであるが、前記の如く、被告経営の多摩川保養院は川崎市精神衛生相談センター及び大師保健所の何の根拠もなく原告を精神病と決め付け、入院手続を強行することに努力し、何らの診察も行わず原告を入院させたことは明白であり、被告の自白撤回は要件を全く欠くものであるので、その点強く異議を留めておくものである。

準備書面⑩

原告   Y
被告 山本善三
昭和49年2月18日
原告代理人弁護士
近藤 勝

木村 壮

菅原克也
横浜地方裁判所川崎支部 御中
当初の訴訟物の価額  金1,000,000円
貼用印紙額      金    7,900円
拡張後の訴訟物の価額 金2,000,000円
貼用印紙額      金   12,900円
追加すべき貼用印紙額 金    5,000円
第1 請求の趣旨の拡張
請求の趣旨第1項に
被告は原告に対し、金1,000,000円及びこれに対する本訴状送達の翌日より完済まで年5分の割合による金員を支払え。
とあるのを、
被告は原告に対し、金2,000,000円及びこれに対する昭和46年12月5日より完済まで年5分の割合による金員を支払え。
とし、請求を拡張する。
第2 請求の原因の拡張
1.原告は昭和44年10月11日から同年11月19日までの40日間、被告経営の多摩川保養院(以下単に保養院という)内に、その意に反し、かつ法的にまったく違法な監禁を強いられたのであるが、同所内における治療に名を借りた、人間性を一切無視された取り扱いを受けたのであった。以下、詳述する。
2.監禁状況
原告は、昭和44年10月11日監禁されてから、同月13日の午前まで、いわゆる「保護室」なる室内に閉じ込められた。それは約2坪程の狭い室であり、内に便所まで設えてあるものである。勿論ドアは施錠されており、外部に出ることはまったくできない。
食事も特別な差し入れ口から入れられ、内で一人で済まさなければならず、外部との接触は一切できないようになっている。採光が悪く薄暗い室内には、しめっぽい布団が敷かれているのみで、不衛生この上ないものである。
原告は、突然に「保養院」に監禁され、看護人より即時に注射を射たれ、気を失い気付いてみると、「保護室」に自分が監禁されており、以後数日間、室内に閉じ込められたのである。
しかし、「保護室」から出された後の監禁状態と言えども大差はなかった。夜は狭い室内に足のふみ場もない程多数の者が寝かせられ、朝起床時から夜再び就寝するまで、規則の名の下に、末尾添付の日課表の如く画一的に生活の全てに亘り、看護人から監視・干渉され、すこしでもこれに従わぬ態度を示すと、ありとあらゆる形での懲罰が下されるのであった。
3.さて以上のように保養院内に監禁された原告が、それから逃れる為、外部と連絡を取り、実情を訴えようとしてもそれは困難であった。
監禁後一週間というものは、理由の如何を問わず外部と接触することが許されず、それ以降においても原告が保養院内の実情について父母に訴えようとしても監視下における面会が許されるのみであって、懲罰や、長期監禁を暗にほのめかす態度を見、原告の父母が帰された後のことを思うと中々真実を訴えられないのであった。又手紙による連絡については、全て事前に検閲され、原告が不法な監禁に耐えられず、原告の母に対し実情を訴える旨の手紙を書いた際には、「入院の理由が分らぬ、主治医の松永医師も理由を教えてくれない。退院の手続きを至急執るようにして欲しい。保養院の食事のまずさは特別だ」との文言はマジックで消し去られ、無内容なものに変えられてしまったのである。同年10月27日、原告はワイシャツのカラー内に極秘に作成した手紙を隠し持ち、面会に来た原告の母に対し、看護人らに発見されずに手紙を渡すことに成功した。原告の母は、これによりあまりにもひどい保養院内における不法監禁の実情を知り、それ以降の懸命な努力の結果、原告はやっと40日後に被告による違法な監禁状態から解放されたのである。
4.投薬による身体侵害
保養院においては、入院者に対する大量の投薬が施されていた。それは名人の個別的事情を一切無視した、画一的なものであり、食事前に薬を飲まない者は食事を与えないという、非人道的強制による投薬であった。しかし、それでも飲まない者に対しては、看護人が無理矢理薬を飲ませることにやっきとなっていた。原告は保養院内に監禁中、看護人から毎日両親を強く押され、強引に口をこじ開けるというように強制的に投薬を施され、加えて、度重なる注射により、胃がただれ、急激に食欲の減退をきたした。体の衰弱に加え、大量の投薬の為、意識も常に不明な状態となり、歩行・呼吸すら困難な状態に陥ったのである。更に監禁後間もなく、一週間位の間は排尿・排便も思うように為せず、腹痛が断えぬ状態が継続した。
5.更に保養院内における監禁状態の苦痛の事例として例をあげれば、食事について言えば、大量の投薬による胃腸のただれ、食事内容の悪さによる食欲減退も手伝い、原告は常に空腹な状態であった。他方、普段は主食類についての差し入れが禁止され、オヤツ類についても、決められた短時間内に僅かな量が許されるのみであった。原告にとっての唯一の楽しみは、原告の父母が面会に訪れた際には院外から主食類を買い求め食べることが許されていたことであった。空腹に耐えながら原告の父母の面会を心待ちにして、面会の際は買い求めてきた主食類を二食分も三食分も一度に食べ尽くしてしまうような状態であった。
また、生活指導に名を借りた院内の清掃を強制的に割当てられ、看護人の厳しい監視の下に、毎日トイレ、廊下を清掃させられた。
それは治療の為の労働とは表向きであって、人手不足を入院者の強制的労働によって償っているに過ぎない。原告は、看護人に反抗した場合に課せられる不利益の数々を考え、苦痛な想いをしながら毎日の強制労働に従事していたのであった。
6.以上の如き監禁下における被告の著しく人間性を無視した取り扱いによって、原告の蒙った精神的損害は、とうてい金銭的評価を為し得ぬものであるが、敢えて、これを金銭的評価を為せば、被告による人権を一切無視した形での不法監禁であり、その監禁状況のひどさからして、金2,000,000円とするのが相当である。

準備書面⑪

原告   Y
被告 山本善三
昭和49年5月10日
右被告訴訟代理人
弁護士
横浜地方裁判所川崎支部 御中
第1 拡張にかかる請求の趣旨に対する答弁
   原告の請求を棄却するとの判決を求める。
第2 拡張にかかる請求原因に対する答弁
1.第1項の事実中、原告がその主張の期間、
その意に反して保養院に在院せしめられた事を認める。
その余の事実を否認する。
2.第2項第1段の事実中、原告が、その主張の期間保護室に収容されていたこと、保護室に便所が設けられている事、これから自由に出られず外部と自由に接触出来ない事、食事を一人でとったことを認める。その余の事実を否認する(保護室は3坪)。
同項第2段の事実を否認する(注射はなされたが、それは中村医師によりなされたものである)。
同項第3段の事実中、被告病院が男子病棟日課表記載のとおり医療・看護・生活指導をしていたことを認める。その余の事実を否認する(当時の男子病棟の患者収容状況は、定員228名に対し最高202名であった)。
3.第3項の事実中、被告が入院後一週間面会をせしめなかったこと、及び40日後退院させたことを認める。原告が10月27日その母○○に手紙を渡したこと及び母の努力なるものについては知らない。
その余の事実を否認する。
4.第4項の事実中、10月16日から暫く(同月27日大変良くなるまで)の間、排尿困難のあった事実を認める。
その余の事実を否認する。
5.第5項の事実中、原告が父母との面会時飲食物を供されてとった事実は知らない。
その余の事実を否認する。
6.第6項の主張を争う。
第3 時効の抗弁
原告が昭和49年2月18日請求を拡張したところから明らかとなった事実は、拡張前の請求が実は一部請求であったと云うことである。
明示的に一部請求として訴が提起された場合、債権の一部についてのみ時効中断の効力が生じ、残部にはその効力が及ばない(裁判昭和34年2月20日、民集13巻2号209頁)のであるが、この理は本件の如き黙示的な一部請求の場合も同様と考えられる。
而して原告の請求の拡張は、その主張自体から不法行為による損害賠償請求権の消滅時効完成後になされたこと、明らかである。
よって上拡張部分の請求権は時効により消滅している。

川崎市精神衛生相談センター記録

S・Y殿
44.10.4  父 ○○殿来所
Y殿
44.3月 県立○高卒(中学時代はクラス1、2番、高校時代はクラス中位)早大受験失敗
   4月 早慶予備校?
      旺文社のテストでは2000人中100番台、数学が得意。
   7月終りごろから予備校に通わなくなった。
   7月30日 勉強を全然やらなくなった。勉強部屋を造ってくれという要求があったので造ったところ
         (自分相談しないで造った
          窓をつける位置が気に入らない
          という理由で出来たばかりの唐紙を破ったり、部屋をクギづけにして1週間位こもっていた。
父殿が      「そんなに文句をいうなら、もう大学へ行かなくてもよいから就職しろ」といったら「お金が惜しくて行かせられないのだろう、みんなは学校へ行って勉強しているのに、自分は無駄に過してしまった。時を返してくれ」
Y殿の尊敬している方に来ていたゞいて話しをしてもらったが、早く帰れと追い返した。
性格 おとなしい。高校が受かった時、入学金の残の一部約2万円をお祝いにあげたら全部本を買う程勉強した。高校時代、柔道、山歩きなどいろいろ浅くやったが、これといって集中するものはなかった。高校時代の友だちは、表むきは友だちだけど、内心はみな敵だ、心からの友だちにはなれないし、なれなかった。
最近 部屋にとじこもりっぱなし、床やへ行くのみ。夜、昼の区別がない(夜ねむれない、くだらないこと、数字などかいている)、発作的に急にあばれる。
お母さんをひっぱたく→あまりひどいので、9月中旬1週間位家をあけたら、遊んでいたのだろう、自分の悪口を近所にいいふらしてきたのだろうといって、あばれ、お母さんをなぐった。
来客に対して家へ10分以上いたら、体罰を受けてもよいという誓約書を書かせたりする。
夕べ(10月3日)2時ごろ髪を洗え、お腹がすいた、ごはんをつくれ、寿司をとれといい出した。バットをふりまわしてあばれた。この2、3日○○を殺してやるというようになった。
薬 薬局でコントール?を買い飲ませたところ、おとなしくなったようだ。タキシラン6錠渡す。
10月6日11時 大師HC 今井さんと訪問予定
紹介は鋼管病院の小泉先生
ヘルニヤがあるので、病院へ行くようすすめたが拒否。

岩田元ケースワーカーの証言

陳述の要領
1972.4.16
被告代理人
岩田氏の紹介「岩田証人は当時市センターのワーカー。」
(略)
[診察はどうか。] それもしますが、それは主たる業務ではなく、いうなれば、つなぎ治療です。 (略) [センターは、保健所とはどういう関係になるのか] センターは保健所の活動を側面から援助します。在宅精神病者に対する社会復帰、訓練の援助等が、当時のセンターの重点活動でした。 (略) [その当時、原告について、誰かセンターに相談にきたことがあるか。] 昭和44年10月4日、原告のお父さんがセンターにみえられ、西というケースワーカーが相談にのりました。 [お父さんが相談に見えられて、その件は、西ケースワーカー限りで処理したのか。] いえ、西ケースワーカーは新米で、どういう方法をとるべきかについて明確な指針をお父さんのほうでも持っていない様子で、西ケースワーカーから私に対して、どうしたらよいかという相談があり、私もそれで途中からお父さんとの面談に加わりました。 [原告のお父さんの相談内容はどういうことであったか。] お父さんは自分の勤務されている日本鋼管(株)の診療所だと思いますが、そこの小泉医師の名刺を持って、同人から紹介されたといってやってきて、息子が7月頃から予備校に行かなくなった。夜昼の区別がない。勉強ができないというので勉強部屋を作ったところ、自分に相談なく作ったといって、唐紙を破った。外に母親を殴る。また相談にきた前夜、夜中に原告が二階からおりてきて、いきなり寿司を買ってこいといったとか。自分の頭を洗えと親にいったりする。この頃では殺す殺すというので、どうしたらよいかと思って相談にきたということでした。 [そういう親の相談に対し、あなたは何を答えたというのか、アドバイスをしたのか。] 医者に診てもらうこと。とくに専門医に診てもらうのが妥当だろうと、お父さんに勧めました。 [その勧め方だが、単純にそうしたほうがよいと勧めた程度か。] いえ、そうではありません。まず、私の方で、原告をこのセンターにつれてくることはできないか、とお父さんにいいましたところ、センターには大きな看板がたっているから、本人はそれを見たら入るのを拒絶するだろう、といわれるので、それじゃ保健所につれてこないかと私がいいますと、それも難かしいと思うというので、それじゃ専門医のところにと勧めたのです。 [精神病院に行くことは勧めたのか。] いろんな場合が想定されるが、現在の精神病院は鍵もかかっているし、即入院ということになれば、病院には鉄格子もあるというようなことも一応説明しました。そしてとにかく、専門医に診てもらうことを勧めたのですが、お父さんは、本人を説得して連れてゆくのは困難だといっておりました。 [それだけでお父さんは帰ったのか。] いえ、我々の方でいつでも援助しますから、とお父さんにいいますと、お父さんの方で、明後日の月曜日に家にきてもらいたいというので、我々の方でもそれではゆきましょうということで、隣りの部屋から栗田医院とかその他いろいろのところにあたり、入院することもあるのでよろしく頼むと電話で段取りをつけておきました。それでお父さんも帰られました。 [帰るとき、お父さんは、外に何かいっていなかったか。] 原告の母親とも相談しなければならないから、帰ったら母親とも相談して、後日センターにその相談結果を報告するからといって帰られました。 [先程あなたがいった、いつでも援助するということは、どういうことか。] とにかく専門医に原告を連れてゆくことを説得するについて、側面から説得援助するということです。 [その後、父親の方からセンターに連絡があったか。] その当日、お父さんが帰られて一時間ぐらいしてから、お父さんから電話があり、病院にいくことは母親が反対しているので、なかったことにしておいてくれといわれますので、我々の方で病院の方にも断っておきました。 (略) [父親が断わってきたことは記録にのせないのか。] それを記載した記録は、これとは別にあります。 (略) [あなたは原告が入院することに関与したのか。] しました。 [どんな関与をしたのか。] 翌週の土曜日、私が残業をしておりますと、大師保健所から電話があり、いま原告の母が相談に見えているが、話しを聞くと、父親がセンターに相談に行ったことがあるらしい、その時の相談内容はどういうことだったのか、との問い合わせがあったので、私はその時の相談内容と結局母親が反対して、受診を断わったことがあるから両親とはよく話しをして、相談にのってやってくれといいました。 [母親がどんなことで保健所に見えているのか、きいたか。] はい、私がお父さんからきいたと同じように、原告が暴れるので、相談にきたというようなことだったと思います。 [原告が入院する時、大師保健所の職員が関与していたようだが、あなたは知っているのか。] 知っています。土曜日でしたから。保健所のソーシャルワーカーは既に帰宅していたと思います。それで保健所から栗田病院等に連絡をとってやっていますが、具体的にどういう処置をとったらよいかわからないという電話がセンターの方に入りました。そうしましたら、丁度その時センターに多摩保健所の人が遊びにきていたので、その人が善意で大師保健所へ応援に行ったのです。 [その応援にいった人の名は。] 下川といいます。 [それでそのご、当日中に下川からあなたに連絡が入ったか。] ありました。 [どんな内容の連絡があったのか。] 原告の近所の人から、原告が家の中で暴れているという連絡があったと伝えてきました。私は父母の意見が違うから、よく考えてやってくれと念を押しましたが、父親がまだ帰ってこず、土曜の午后のことでもあり焦っていると下川はいっていました。 裁判官 [下川は大師保健所から連絡してきたのか。] そうです。 [保健所には下川の外に、誰かその場にいたわけか。] そう思います。 被告代理人 [原告を多摩川保養院に連れてゆくことについて、あなたは関与したか。] 関与しておりません。 [すると原告を多摩川保養院につれていったのは、下川の判断か。] いえ、保健所の方で、土曜日の午后ではありましたが、予防課長の井沢という者を呼び戻し、一応責任態勢がとれる状態でしたから、保健所に委せたわけです。 [その後、原告が入院したことは聞いたか。] はい、月曜日に下川から電話があり、多摩川保養院に入院した。ゴタゴタがあり、午后の8時頃までかかったといっておりました。 [原告の病名はきいたか。] 破瓜型の精神分裂症といっておりました。 [下川が原告の自宅に行ったかきいたか。] ききました。風呂の中に着物をつっ込んで、家の中がメチャクチャだったといっていました。 [原告の家にいくのに警察官を連れていったかきいたか。] きいておりません。ただ下川は手錠をかけたのは、乱暴だったといっているのを後に私はきいております。 (略) [原告が退院してから、入院当時のことを問題にしているということをきいたことがある。] 昭和45年の1、2月頃ききました。 [どういうことできいたのか。] 川崎市の市民相談室に御両親か原告本人が見えられて、人権を無視され、強制的に入院させられた。裁判にしたいと相談に見えられたそうです。それでその相談を担当した深瀬という者が後日関係者に集まってもらって話し合うからということで一旦帰ってもらい、後日本庁の飯田庶務課長がその意をうけて、関係者に集合がかかりそれで知りました。 [それはいつ頃、誰々が集まったのか。] 2月頃で、センターの岡上所長、私、大師保健所の相談員の今井さん、それに原告の御両親、それに飯田庶務課長が立ち会って話しをしました。 [下川はその会合に加わったのか。] 加わりませんでした。 [その会合では、どういう話しがでたか。] まず岡上所長が、父親が相談にきた経過を報告しました。 [経過を報告しただけか。] いえ、経過を追って、お父さんの述べられたことを確認していったわけです。 [岡上所長はその時はじめて原告の御両親にあったのか。] そうです。 [父親が述べたことを所長が確認していく中で、母親が父親似対して、そんなことまでいったのかというようなことはなかったのか。] 若干違う点はありました。原告が一週間部屋に閉じこもっていたことはなく、その期間は5日間だったとか、他人がきても、10分ぐらいで帰れといったりするのは、原告が病気だからではなく、他人に会いたくないからだ、とかいう程度の訂正はありました。 [外にどういう話しが、その席ででたか。] 手錠をかけるのはいきすぎではないか、との話しがでたのですが、そういう点については我々の方では知らない。警察の方にきいてくれと答えました。また原告に関するメモというか。 記録が多摩川保養院に渡っているという話しもでました。それに対しては、我々の方ではそういう事実は知らない。事実を調べて後日連絡すると答えました。 [いまでたセンターの記録を病院の方に渡すということは、やってはいけない行為なのか。] 下川が大師保健所に行くとき持っていったセンターの記録が、病院の方に渡っていることについて、岡上所長は、医師が正確に診断する為に渡したものであると両親に説明しておりました。また事実、そういう目的でセンターの記録を病院に渡してもおりました。 (略) [その後、横浜地方法務局人権擁護課から調査があなたの方にきたことがあるか。] あります。昭和45年4月だったと思います。 [どういうことで調査があったのか。] 手錠をかけて病院につれていったこと、ならびによく診断しないで入院させたということです。更に我々については、資格上の問題として、ケースワーカーであったのかどうか、また記録が病院の手に渡っていることについて、原告の方では秘密漏洩といっているが、この点についてはどう考えるかということが調査されました。 [記録というのか、メモが虚偽だということについてはどうか。] それはきかれておりません。 [その後、同法務局の人権擁護課から何か連絡なかったか。] それはわかりません。 原告代理人 (略) [先程、4日にお父さんが相談に見えて、そのさい栗田病院等に入院の段取りの為、電話連絡をしたといったが、そのとき多摩川保養院にも連絡したか。] そのときは連絡しておりません。 原告補佐人 [4日に父親から原告について相談をうけ、その後、父親の方からその件に関する断わりの連絡をうけた後、下川に原告に関する記録を渡すさい、家人の承諾を得たか。] 得ておりません。 [そういう記録を外部にだすことはときどきあったのか。] 一般には外部にだすことはありません。保健所にだすことはありました。 [最初父親から相談をうけた段階で、病院等に連絡したのは原告に何らかの精神障害があると判断して、それで問い合わせをしたのか。] いえ、受け入れ態勢をきいた程度です。 [父親から相談をうけて、あなたはどう思ったのか。] まず医師に見せるべきだと思いました。それで本人が出てきたがらない場合は、本人を説得して病院につれてゆく、それで病院に手配をしたわけです。 [原告が入院させられて、破瓜型の分裂症ときいたといったが、それは誰からきいたのか。] 月曜日に、下川から電話連絡があって、同人から医師がそういっていたということをきいたのです。 [夜間入院があった場合、神奈川県としては、どういう措置をとることになっているのか。] 通報しています。大体措置入院をとっていると思います。 原告代理人 [あとで法務局の人権擁護課で問題になったのは、どういう点ですか。] ろくすっぽ診断しないで入院させたということであったと思います。 [思いますというのはどういうことか。] 人権擁護課に訴えられた申立書の中にそういう趣旨が記載されているのをチラッとみたことがあるからです。 裁判官 (略) [原告を入院させるさい、どうして警察官が原告の自宅に臨んだのか。あなたはきいているか。] 大師保健所の予防課長から、原告の家に臨場するにさいし、原告の両親がいなかったので、それで立ち会ってもらったということをきいております。 [予防課長というのは、先程のべた井沢という男か。] そうです。 [しかし、現場には母親がいたのではないのか。] 原告が乱暴するので、知人宅に逃げ込んでいたそうです。 [原告宅に行くとき、一緒にいったのは誰か。] 下川、井沢課長、それに大師保健所の日直の保健婦です。 [病院に入院させる時、同行した者は誰々か。] 下川は同行しています。井沢課長が同行したかどうかは知りません。 大師保健所相談記録  44.10.4  市センターからtel         今井  本人の父親がセンターに相談にきた。  本人はバットで暴れる。7月頃から母に乱暴する。今春受験に失敗している。 最近、家を新築したが、勉強部屋を造ってくれれば勉強するといったが、出来上がった部屋が気に入らなくて、障子を破ったり、夜中に騒ぐ、暴れたあとは、少し静まっている。 自分は室内にとじこもり、外出せず、本など買ってくるように命令する。 父親はNHKのDr小泉に相談、市センターを紹介されてきた。売薬コントールをのませている。 ●HCでHVしてもらえないか。 ●土曜日、時間外になるので、何とか月曜までもたせられないか。市センターで応急手当たのむ。  44.10.6 市センターへtel         今井 その後、母は父が無断で相談に出かけたことに立腹、父にくいついたらしい。 10月5日(日)に家族会議を開くとのこと。 その間、本人は長野・甲府へ馬のサシミを食べに出かけている。 母は本人に殴られて、顔面をはらしているのに、何とかなると思っているらしい。 ●HCで訪問する!  44.10.8  訪問 母と面接           今井 玄関を入ると、挨っぽく、色んな物が散乱していて、あばらや同然。室内と外を四匹の猫が飛びまわっている。暗く、陰気な感じである。室内には柿がころがり、大きな旧時代のカマが置いてあり、食卓の上にパン食のあとがあり、そこに座布団が2枚重ねてあるという始末。母はHC.HVをやや警戒的にうけいれる。 ●本人のことは親の問題である。本人は親に反抗している。親が考えないで行動するので迷惑するといっている。 経過 夏の暑い部屋で勉強がつらいといって、個室を要求してきた。大工を呼んで作らせたが造りが気に入らないといって破壊した。自分の小遣で責任もって補修するといっている。 予備校に行っているが、勉強がいやになったのではないか。また、従兄らよりも上の学校を出たい、二・三流でなく、一流を出たいと思うが、実力が伴わない。あせっていて、勉強もできない。 今春は、早大(理)、都立大、スベリドメとして理科大を受験、みな落ちた。 9月15日から予備校が再びはじまったが、気のりしないで・・・・・その中に、部屋のことでぶつかり、母に乱暴しようとした。父があぶない、逃げろと大声でさけんだため、その后、本人は近所の人に顔みせできない、みんなに自分のことを知られたといって、外出せず、一日家にいる、淋しがりやである。 予備校の生徒が見舞(ギックリ腰、肩関節痛)にきたが、あれはライバル、信じられないなどいって自分のことは打ちあけないでいる。受験生はみな敵であると思ってるらしい。 腰や肩を医者にみてもらおうともしない。 母としてはどうしてよいかわからず、警察官に相談、刑事、獣医にも相談、田舎の祖父を呼んだり、それらの指示に従い5日間姿かくしたところ、みな裏目に反応してどうしようもない。おとなしい子が母を殴るというのは普通でない。病気ではないかという人が半分、何でもない、放任すればよいという人が半分で、困っている。 所見 ●親に確固たる信念がなく、母にしても何でも本人のいう通りにしてやっている。父は、今になっても背中を流してやったり、食事の好みを考えてやったり、疲れたと本人がいえばマッサージしてやるという子煩悩、一家の柱、中心のないという印象を話の中からうけとった。母は警察など権威にたより、相談、指示に従うが本人の反発をかっている。父は短気ですぐカッとするというところがあり、父ー母の交流がとぼしく、どの程度相違があるのかも自覚がない。 ●母は、ノイローゼではない、もしそうなら精神病院に送ると極たん。本人もそのことをケイカイ(工作していると思われたくないと母は思ってる)。しかし、家を建てたとしても解決しそうにないところで、母の葛藤もある。 ●本人の性格、最近の行動、思考内容を考えると、分裂病のはじまりのようにも思われる。 (本人は寝ていたが、水のみにおきてきたところをみると表情が固い。) ●母とて、近い中に破たんがくるものと予想される。 ●困ったらいつでもHCorセンターに来所のこと。(母もそうしたいというー親にもかなりの問題有) ●家族状況等は聴取せず。  44.10.11(土曜)  PM2.00  母来所相談  井沢Dr PHN北浦(日直)  所内面接  主訴  受験ノイローゼなんです。現在浪人中で7月から月一回床屋に行くだけで、あとは家の中にとじこもっている。このため肥満して居り、ズボンが入らなくなったことを「70日も外に出さなかったから」と母親に文句を云う。これをきっかけに腹をたて、衝動的に“おかまを投げる”“しゃもじで母を叩く”などの乱暴をする。母は恐くなって保健所にも来所したとのこと。以前にも4回くらいこんなことがあった。しかし、今日はいつもよりひどく興奮しており恐い。 10月8日 今井PSW HV后、夫婦で話し合っていたことを聞き本人は神経質になっていた。 ●父の意見:入院治療させた方がよい。精神衛生センターに独断で相談に行ったことを母は不満に思う。 ●母の意見:将来ある子で甘やかしすぎたという育児上の誤りで、病気ではないと思われるので入院は避けたい。 他の疾病ということで医師の診察は受けさせたい。 ●弟妹:兄は病気とは思わない。入院反対。 10月11日 本日父は「母子で意見をまとめておくよう」との言を残し出勤。 顔つきはふつう。夜ごそごそ歩き回ることはない。夜1:00?10:30 9時間の睡眠をとる。 ●母からみて本人が暴れる理由 ①親への不信感。 ②部屋(勉強)への不満、早期に改築すること要請。 ③大学入試へのあせりと不安。 ●乱暴するときも「10秒以内に答えないと叩く」と前置きし、秒読みしながら、母がふるえながら答えられないでいるとぽかんとたたく。 又、夜11時頃、何かおもしろい話しをしてと母にせがみ、「舌切りすずめ」の話しをすると「かわいそうだね」と云ったりする。 さらに入院が必要な場合出来ればヘルニア、ぎっくりごし等他の病名にて入院させたい。 〈指示したこと〉 ①夫に連絡すること。 ②近所まで帰り、様子をしばらく観察し5時までにその結果を連絡すること。  PM 3:00 Tel連絡  栗田病院にtel  栗田Dr 不在、飯島Dr 多忙にて往診出来ない。  PM 4:00 Tel連絡  隣の水島夫人よりtelあり、母は隣家にかくれていたところ、本人が捜しに来て、「帰らないと家の中がどうなるかわからない」とおどされて恐いので他の友人宅にかくれている。  PM 4:20 Tel連絡  母よりtelあり、本人の乱暴がますます激しくなり、水がいっぱいのふろ桶の中に家族の外出着を全部入れてしまった。 家の中はめちゃめちゃで母のことも「殺す」と云っている。入院の手続きをお願いします。夫への連絡は、まだしていない、夫への連絡を指示す。  PM 4:40 Tel連絡  栗田HPにtel  保護室がいっぱいで、5時もすぎるので、往診収容は無理とのこと。  PM 5:10 井沢Dr宅tel  他のHP収容依頼の指示あり、市内HPにtel。  多摩川保養院で、来院すれば入院できるとのこと。 (PM3:30 精神衛生センターtel、父来所しているが医師の診察なく、病名不明、新患とのこと。)  PM 5:50  父よりtelあり  入院について父母共々同意したとのこと。  父母の来所を勧め、井沢Dr、下川PSW、北浦PHVでこれからの措置を検討。 Tel連絡 ●家族に月曜日まで本人を家庭でみる自信がない。  Tel連絡 ●説得入院の可能性がうすい。 とのことで移送上の保護を川崎警察に依頼。収容費用(車代)は、精神衛生センターで出費することが決定される。  PM 7:30  訪問  患家宅HVし、井沢Dr、下川PSW、北浦PHVで一応の説得入院を試みたが効なく警官2人の保護を頼み多摩川保養院収容となった。  PM 8:00 本人のショックはあまり大きくなく、むしろ母のショックが大きかったのではないか。(母、弟、妹はHV収容時不在・・・・・あえてそうこころみた)。  医師の診断は破瓜型分裂病とのこと。父に入院時の一般指導を下川PSWより行われる。  同意入院。  10月15日  Tel連絡  (母より)           井沢  入院についての謝辞をくどい位に述べる。  HPに面会に行ってきたが、2日間保護室に入れられ3日目からは大部屋に移った。特に暴れたりはしていないとのこと。  44.11.5  Tel連絡 母から       今井 本人から退院の訴えがある。家族としても長期入院になると思っていなかった。どうしたらよいか、相談にいきたい。  44.11.5  Tel連絡 主治医 松永先生   今井  入院状況は、おとなしく素直である。顕現症状もなく、一見良好にみえるが、病識まったくなく親子ゲンカが原因だといっている。泰然としている。入院に対する積極的抵抗もない。 喋り出すと、バラバラで思考障害もみられ、長期治療型ではないかと思われる。  44.11.5  母来所             今井 手紙がきて、退院したい、入院理由がわからない、勉強できないと訴えている。 弟も家にかえってもつまらないといっている。 母、父とも夜中に目がさめて、本人のことを想い涙、食事もみなすすまず、息がつまるような日常である。このままの状態が続けば、一家が狂ってしまいそう。 親せきに相談したら、退院させろという。しかし、退院して再発(悪化)すると困る。試験のチャンスを与えてやりたい。そのために、室をととのえて勉強させたい。 母自身、安定剤を買ってのんだが効き目なし。 本人の病気についての理解。 母としては、父と本人の性格と同じ。父は結婚当時から物にあたる人、本人は母にあたる。弟も病気でない、何でもないのに入院は不要という。 母の兄弟も退院させろという。 母は情緒不安定、涙もろくなっている。本人のことで頭が一ぱい。母の不安定が一家を暗くしている様子。精神的に混乱をきたしている。話していることもまとまりがなく、矛盾、葛藤状態である。病的と想われる。母子の離乳ができないでいる。 ●母自身の情緒を安定すること。医学的指導をうけること。 ●市センター紹介。 ●その上で、現実的問題(患者と家族の)を解決するよう。  44.11.6 Tel連絡  PM3:00 西 市センターから            今井 本人の母来所したが、Dr岡上が寸用で出かけた折であり、適切な指導が出来ず、情緒不安定のまま帰った。 Dr小堀(中央HC嘱託医)にみせたが、“病院にまかせろ、HCやセンターに相談するからいけない”といわれたらしく、余計混乱したのではないか。(HPで相談できなかったからHCにきたことを受けいれられなかった)。  44.11.8 訪問 母に面接(室内は布団が3枚敷きっぱなし、整頓のあとがみられない) センターでは、Dr岡上不在のため残念だった。 Dr小堀の指導をうけたが、気が大きくもて、長期入院もあり、退院もさせられるといわれ、自分でもわかっているが、感情的にうけいれられないので困っている。ほんとに今日はつかれた。 ●母の気分が落ちつかず、同様状態が続くならば、センターを訪ねること。 母は、NKK婦人部の地区会長、土曜日、主治医に会うようすすめるが、会合のため不可能、理由は、せっかく仲よくなった会長連に勘づかれては困る。前回は本人の入院で出席できず、今回出ないとさぐられるという。 指示 次回管理会のこと。 44.1.5 退院届 S44.10.11?S44.11.19 未治 多摩川保養院 退院はまだまだだったが、母がHPへいって、病気にさせられてしまう、整形の治療はしてもらえないなど、Drに云って、HPとしても、家族の治療の態度に問題があり、一応引きとってもらった。Dr松永談 45.1.23 市民相談室からtel(深瀬課長)     今井 父が相談室にきて、息子を台なしにされた。人権をHCや警察に踏みにじられた。手錠をはめて精神病院に入院させられたと訴えている。状況を知りたい。〈入院時の扱いに不満、HPでの非人間的扱いをうけた〉。 ●概略入院状況をはなしておく。 ●市民相談室で再度、話しあいの機会をもつ。  45.1.24 訪問 母と面接 玄関に入れてくれないで母が飛び出してくる。木枯の中を庭で立話し、剣もホロロに返される。Dr 岡上、岩田、今井、(市民相談)深瀬氏 45.1.28 市民相談室で両親と面接。(市センターを借用)。 ①Dr岡上の提案で経過を確認しあう。 父・・・・病院は気狂いHPだった。保養院は診断の確定した人たちの入るところだった。保養するところで治すところではない。入院の時、手錠をはめ毛布をかけるとは思ってなかった。 母・・・・父がHCに勝手に相談したのがいけない。    そのために、家の中がゴタゴタした。HVを断っていたのにHVされた。本人は何ともないのに・・・・・。 (医療機関へ) 病院に対して不満である。保護室に入って1週間後でないと診察してもらえない。投薬もない。 看護婦に便秘を訴えたところ水を飲むよういわれ、5,000円置いた小遣銭も本人は調査しろという程、3,000円も請求している。使途不明確だ。 病院でなく収容所だ。患者を人間扱いしないだけでなく、家族をも精神病扱いにする。 (HCへ) 本人の行動に対するHCからのアドバイスがほしかった。一方的にきいて(父から)、これは重症だ入院ということは納得できない。入院にするか、通院にするかも相談してくれなかった。 (警察へ) 病人に対して手錠をかけるのはどうなのか。法的に正しいことか。 (結果) 人権をじゅうりんされて犯人扱いされ、将来のある子に精神的外傷を与えた、どうしてくれる。 本人の気持ちをどう解決してやればよいか。本人はもう何もかもだめになった。この土地に住めない。関東でないところにいきたい。精神病というレッテルを貼られ一生台なしであり、土方でも何でもして働くといっている。母もTVで刑事の出てくるもの、学生斗争の画面をみるにつき、入院時のことを想い出し、胸がしめつけられる。 まとめ ①手錠の件は、HCに権限はなく、警察できくこと。 ②HC→HPへの資料については、再度調査する。 ③HCとしても、今後の活動に役立てたい(今回の問題)。 ④本人は病気である。(Dr 岡上から)。 ⑤家族、親がもっとしっかりして責任をもつ必要がある。 親、本人と同席面接を行うこともできる(コミニケーションの障害、家族治療を目的として)ー(家族が拒否) ⑥HC、HP、警察に対する問題が解決しても、本人の今の状況は悪化すると予想され、今の本人への援助を親HC一緒に考えられないか。 (母はそっとしておいてくれという)。  45.2.3  (中島英夫議員秘書)  鈴木氏(外1名)来所       今井、所長 本人の母親から相談をうけた。状況がよくわからなかったので、聴取したい。 ●全経過、問題点(家族の理解)を説明、HCとしては、今后とも相談があれば全力をつくす。 只、家族に問題あるためHCから積極的に訪問などは考えられない。  45.2.5 Tel連絡 稻田HC、下川      今井 HC→HPへの資料提出について問い合わせる。 移送した家族状況等話し合う余裕なく、Drから参考にしたい旨意向あり、HP側で記録コピーしたもの。 45.3.4 父母来所               皆川 保健所から(市センターからの意)、本人が入院時にHPに紹介した連絡の内容を、中島議員の事務所に送ってもらったが、内容に信頼性がない。 (ナタをふりまわしたと書いてあるとのこと)。 (全部でない)。 2月3日、中島秘書にHCのカルテの写しを送ると約束して、届いてない。 ●今井に伝えておく。  45.3.7 多摩川保養院からtel        今井 父母が来院し、HCからのリコピーを見せろ、カルテをみせろといっている。HCからのリコピーをみせてよいか。HPのカルテは見せられない。 ●事実のままなので問題ない。  45.3.10 中島事務所からtel(鈴木秘書)   今井 家族からHCのカルテの写しが事務所に届けられているといってきているが、HCからは写しを送ってくれたか。 ●家族、本人にプラスになるならみせるが、治療的にマイナス、あとは公式の場以外にない。ー(具体的には裁判所など) 管理会議 A 放置 45.5.28 多摩川保養院からtel 長橋ワーカー  今井 本ケースのことで、横浜の人権擁護委員会から調査にきている。担当官は、当日入院に関わった者の名前を教えてほしいといっている。 ●事情がよくわからないので、HPではHCのことについては保留にしてほしい。もし、どうしても必要ならばHCへ直接問合わせてほしい。  45.5.28 川崎警察からtel  名取防犯係長       今井 人権委から県警本部に調査依頼があって、本ケースの措置について問い合わせがあった。川警には10月11日、本ケースについての記録がない。 ●入院についての事実のみ照会。  45.5.28 川崎警察からtel  出水田氏       井沢 当日HPに収容したときの警官から状況連絡、 当日担当した警察関係者 中島部長(私服) 出水田警官(制服)}である。 45.5.29 川崎名取氏来所            所長、渡辺、今井 本ケースから、人権委に対して訴えがあったらしい。 主訴は、①診察もしないで、おまけに、手錠をかけられて、無理に入院させられた。     ②月曜日に受診するというのに無理に入院させられた。 警察に対しては ①7人の者がいて、本人を押えられなかったか。 ②HCからたのまれれば追従するのか。 ③警職法乱用ではないか。 などとあり、状況を知りたいと思って来所した。 ●人権委から回答を求められたら、HCの回答を情報提供してほしい。 23 川崎警察名取防犯係長よりtel     井沢 (1)44.10.11 当日の状況について問合せ (2)人権委から連絡の有無について (3)父親の勤務先について 45.10.30 所内面接 人権擁護委員会から   本庄所長      2名の担当者が状況調査 小林課長      にくる。        渡辺係長                  今井 47.3.21 Tel連絡(川崎防犯) 勝野氏から    今井 3月14日、本人の父から藤崎交番に相談あったね。“親が強制入院させて、自分がメチャメチャになった。”といって親を責める。 母親に対して暴力をふるうこともある。 よく話せばおちつくが、すぐはじまる。 親がノイローゼになりそう。いつ爆発して乱暴するかしれない。夜も眠れないとのこと。 どうしたらよいか。 ●前例があるので慎重に。 HCとしては直接相談がないと手が出せない。 ●第三者に暴力をふるうことはないので、放置してもよいのではないか。様子をみる。  47.3.28 所内面接 本人来所        所長 井沢医師の証言 1974.9.2 尋問者・被告代理人 [昭和44年10月11日当時、あなたはどこに勤務していたのか。] 川崎市大師保健所の保健予防課長をしていました。 [あなたは医師の資格を持っていますか。] 持っています。 [右同年同日に原告が多摩川保養院に入院するについて、あなたは関与したのか。] しました。 [大師保健所としても関与してるのか。] そうです。 大師保健所相談記録を示す。 [これは何が書いてあるかわかるか。] わかります。 [これの2枚目以下の記録の作り方と名前の記載だが、どういう関係にあるのか。例えば昭和45年5月28日の記載をみると、今井を消して井沢とあったり、複数名で記載されている部分があったりするが。] 本来ならば相談を扱った人がその場であるいはその後すみやかに記載するのが原則ですが、その場に数名居合せたときは複数名で、あるいは担当している者が他の者よりこういうことが電話連絡あったよ、といわれて書く場合、あるいは所長課長等が職制上書くことがありますが、関与しない者が書くということは原則としてはあり得ません。 [例えば昭和47年3月28日の欄をみると今井を消して所長とあるが、これはどういうことか。] 当時私は大師保健所にいませんで、推測の域をでませんが、今井が関与して所長が会ったか、所長が主として関与したのか、そのどちらかだと思います。 (略) [昭和44年10月11日に原告を多摩川保養院へ入院させる前の段階で、大師保健所が相談記録を起こし、本件を扱うようになったのは何故か。] 川崎市の精神衛生相談センターはすべてのことを扱うので、そこで処理してもよいのですが、原告の居住が大師なので、大師保健所でかかわりをもったのです。 [それであなたの所管になったのか。] そうです。 [今井が訪問した結果、あるいはセンター等のやりとり等は、あなたは報告をうけていたのか。] ある程度状況が集まった段階で私のとこに上り、それから管理会にかけていました。 [昭和44年10月11日は土曜日か。] 憶えておりません。ただ私が家にいたところに保健所から電話があり、私がいくつか指示を与えて、その後出勤したと思います。 [乙11号証の、10月11日欄の、午后5時10分のところを見ると、他の病院への収容依頼の指示ありとあるが、この段階であなたはどの程度状況を把握していたのか。] よく憶えておりませんが、まず担当者から電話で報告をうけました。 [どういう報告であったか。] 本人が非常に興奮しているということなので、そうであれば最悪の場合には入院も必要となる場合もあろうから、診察の結果要即入院ということになっても病床等がなくて入院できないようでは困るから、入院のできる病院に一応あたってみろ、と指示したと思います。 [それで当日のあなたは原告宅に行ったのか。] 行きました。 [同行したのは誰々か。] 保健所をでたときは私と原告の母親と北浦保健婦の3人でいったのですが、途中で母親は車を降り、原告の家から少し離れた路地で下川カウンセラーと原告の父親とそれに私服の警察官と合流しました。 [合流して、打ち合せ等はしたのか。] その前に母親は、入院を依頼し、しかも警察の力を借りるようならみるに忍びない、弟等もいるのでなおさらだうだといって近くの友達のとこにいっているというので、最初は、私と北浦と父親とで一応説得してみようということになりました。 [下川は家に入らなかったのか。] 憶えていません。 [家に入って、誰がどのように説得したのか。] 私が原告の前に立ち膝で、話をして、お母さんから君が肩が痛い、腰が痛いといってるときいているがどうなんだ、といって肩を動かせてみると、俺はなんともないといっておりました。 [肩を痛い等とはどういうことか。] 母親からはなるべくなら入院させたくない、できるなら整形外科等で済ませたいんだということでしたので、まず肩のことで雑談して、話のいとぐちにしようとしたわけです。 [そのときの部屋の状況はどうであったか。] タンスの引き出しが全部あけはなされて、衣服が6畳の部屋だったと思いますが、そこに全部放り出されており、また風呂場のところにも放り出されていました。 [なんでこんなに散らかしているんだとあなたはきいたか。] ききました。 [その答えは。] いま憶えておりません。 [それに対する合理的返答があったか。] こんなことをするなら両親が心配するんだということをいったのですが、そのあとは記憶ありません。 [説得は何分ぐらいか。] 具体的に精神の話をしたのは5分間ぐらいです。 [精神の話の具体的内容は。] あなたはさっぱり部屋を出ないそうだが、部屋もこんなに散らかして、これだから父親も心配してきているわけで、一度精神科の医師に会って診てもらう必要があるのではといったのですが、原告は、自分はどこもおかしくないといって賛意を得られず、話の途中で立ち上がって、玄関から出ていこうとしました。 [それでどうしたのか。] とっくみあいが始まりました。 [あなたもそれに参加したのか。] していません。そしてその後制服の警察官がきたとたんおとなしくなりました。 [あなたは入院するまで病院についていったのか。] いっていません。下川らがついてゆきまして、私と北浦はそこから帰りました。 [大師保健所の相談記録をみると、10月11日の欄に、破瓜型分裂病とあるが、これは診断結果を知らされてわかったのか。] その夜か、日曜日だったと思いますが、気になっていたので、下川から北浦に連絡があったのを、北浦から電話できいたのだったと憶えています。 [あなたは母親にも会っているわけか。] 保健所で会っています。 [母親は入院に反対だったのか。] 最初はこのままでは困る、入院させてくれというので、それじゃあ両親の同意書が必要だからといって、父にもきてもらいました。その後母親も、こうなってからは、入院させてもらうより仕方なし、といっていました。 [後に本件は、法務局の人権擁護課で取り上げられているが、その経緯は知っているか。] 殆んど知りません。私は昭和45年7月31日付で川崎市を退職し、その後昭和47年4月にまた復職していますが、その間の詳しい経緯は知りません。 [未成年の入院のときは、両親の同意がいるのか。] そうです。 [同意について、当時書類のうえではどう扱われていたか。] これは本来県の仕事であり、我々としてはサービスとしてやっていたわけで、書類上どう扱っていたかは知りません。 [本件の後、取り扱いが改められたことがあるか。] あります。私は昭和47年4月に復職して、予防課長兼務となったのですが、担当者から、従来は両親の1人の同意で入院できたのを、神奈川県からの通知に基づいて書類のうえでも両親の同意を要すると改められたとききました。 (略) 被告代理人 大師保健所相談記録を示す。 (略) [下川はどういう身分というか資格で、本件に関与したのか。] 下川はカウンセラーで、精神相談員です。下川は昭和43年頃大師保健所によくきて情報収集し、勉強していた者ですが、本件では、好意で応援にきてくれたのです。 [まったく個人の資格でか。] 当日は土曜日で、精神衛生相談センターに電話で連絡したら誰もいず、それで下川にきてもらったのですが、私としては事後承諾的ですが、公務になると判断しています。ですから恐らく、下川に対しては時間外手当もついていると思います。 [するとその時点で、下川はあなたの指揮下に入ったのか。] そうです。その時点ではそうです。私としては専門家でないので、スタッフとして専門の人がいれば判断を誤まることもないだろうと思いました。 [当時この件の責任者はあなたか。] そうです。 (略) [あなたが最初に原告を知ったのはいつか。] 10月11日前に私の決裁印があれびその日かと思いますが、11日が最初ではないかと思います。 [何時頃か。] よくわかりませんが、午前中だったかもしれません。尤も確実に記憶してるのは、保健所から電話があってからで、北浦から本人の様子、両親の状況、センターの関与等をきき、これは大変と思いかけつけました。 [当日の状況は相談記録にあるとおりか。] そうですが、この他、家の中に灯油をかけるとか、ふりまいているとか、もっとひっ迫した状況でした。 [あなたのほうでは原告を入院させるべく、ほうぼうの病院へ電話連絡していたのではないのか。] 私としては、様子が普通でありませんから、一応プロの先生に診てもらったほうがいい、そして診てもらって要入院なのにベット数がなくて帰されるというようなことでは実効をあげにくい、それで、入院のできる病院にあたってみろと指示したのです。 [あなたは北浦から電話連絡をうけて、これは診察につれてゆかなければと決心したのか。] 当日うけた報告の内容から、常識で判断して、またセンターの関与もきいて、これは一度診て貰わなくては、と思いました。 [本人と面接した等とは、北浦からきいたか。] きいていません。 [すると診て貰わなくては、と考えたというあなたの判断はそういうきいたことだけから判断したのか。] そうです。 [あなたはその後、保健所にいって、原告の母親と会ったのか。] そうです。 [その間あなたは相談記録を見てるのか。] 見たと思います。それで状況を把握して、チビたげたをはいて、ふっとんできた感じの母親会って、原告の様子をききました。私のほうで応待したのは私、北浦、下川で、こういうことは父親の意見も大事だからということで、父親にもきてもらいました。 (略) [母親は最初原告を精神病院に入院させてくれといっていたのか。] 最初はしぶっていました。大学受験を目の前にして、なるべくならそういうことにかかわりをもたせたくないといっていました。 [精神障害の疑いがあるということについて、母親は納得したのか。] 私のほうからそういう疑いがあり、そう考えるのが相当だと説明しました。それに対し母親はそういうことならと、最終的に、入院することに同意しました。 [当日父親に原告が精神病だといっていたのか。] 専門の人に診て貰いたい、恐らく入院になるのでは、といっていました。 [それはあなたのほうの説得の結果そうなったのではないのか。] 当日は土曜日で、我々のほうでは、月曜まで待てるかというと、待てない、だから入院させてくれと父親はいっていました。 [母親は、入院することについて最後まで納得せず、しぶっていたのではないのか。] 少し興奮していて、このままでは家にも帰れない、と保健所にきたときいっていました。 [あなたのほうでは、その段階で両親の同意があったと判断したのか。] そうです。 [その同意というのは精神衛生法33条にいう同意と判断したのか。] それは病院あるいは県の判断することで、我々はその手伝いをしただけです。 [とすると、本件の場合は、あなたは法律的同意とは考えていないわけか。] はい、私としては民法82条の監護権の同意と判断しています。 [原告の家へむかう途中、原告の母親が途中で車から降りたというのは、みるに忍びないから、ということでか。] それもありますが、その外に自分が顔を出すと、殺されるかもしれないといって、降りられたのです。 [それで原告の家の近くの路地で下川らと合流したのか。] そうです。 [そこでどんな打ち合せをしたのか。] 第一次的には説得する、第二的には警察の力を借りるということです。 [どういう説得をするというのか。] 専門医に診て貰うということです。 [病院につれてゆくということは、最初から、保健所のかわらない見解だったのか。] そうです。病院のほうでは、つれてきてくれれば診てやるからといっていましたから。 [それで原告宅には誰々が入ったか。] 私と北浦が最初に入り、父親も入りました。 私服の警察の人も入りました。 [下川はどうか。] 下川は入ったかどうか記憶ありません。 [原告に会って説得し、連行するまでの時間は何分ぐらいか。] 10分以上はかかっているかもしれません。 [家に入ったとき、原告の様子はどうであったか。] 玄関入った部屋のおくの4畳半の部屋で、すわり机にすわっていました。 [あなたと北浦はどういう感じで家に上がっていったのか。] 普通知らない家を訪れると同じやり方で入ってゆきました。 [むこうはおはいり下さいといったのか。] 憶えていません。背後に父親がいたから、どうぞといったかもしれません。[家に入って、原告との話は。] 原告はあまり話をしませんで、すぐ要件に入りました。私は立ち膝で、同じ高さぐらいの位置で、至近距離から原告の肩をさわったりして、私が主に話をしました。 [北浦はあまり話をしなかったのか。] そうです。 (略) [あなたは原告に対し医者となのったのか。] なのりました。北浦については看護婦だといいました。 [4畳半の入口のところにいる私服の警察官については、誰だといったか。] 尋ねられていず、いってないと思います。 [それでどういう説得をしたのか。] お母さんが心配してるが、肩の具合はどうなんだ、と話のいとぐちとしてきりだしたところ、本人はどこもわるくないといっていました。 [その時点で、原告に異常が感じられたか。] 感じられません。問答も普通でした。 [精神の話をしたというが、前の肩の話等とはどう繋いだのか。] 家の中があまりにも乱雑なので、これはどうしたんだ、こういうことだから両親も心配するんだ、精神科にいって診て貰ったらどうだと話をしました。 [あなたはその時点で精神病と判断したのか。] 疑いは強いと判断しました。 [それはどういう見地からか。] 四囲の状況、とくに家の中の状況ですが、それと両親の話からです。 [母親は精神病じゃないんだといっていたのではないのか。] それはわかりません。ただその後両親から入院させて貰って有難とう御座いましたと御礼をいわれていますが。 [相談記録の10月11日の欄をみると、母は病気ではないと思う、弟は入院反対等とあるが、精神障害者と判断したのは何故か。] 原告の家の中の様子等から、精神障害者と判断するのが正当と思いました。 [あなたは説得したというが、そのときいつまで説得を続ける気でいたのか。] 夜のことでもあり、そんなに長くは説得できないと思っていました。 [どの程度説得したら警察に頼もうと考えていたのか。] 私としては、被保護者をいかにして安全に病院へ運ぶか、ということを考えておりました。それは既に保健所内部でも問題になっていて、それで警察のほうへも連絡してあったわけです。 [あなたのほうで警察を頼んで連行したのは、入院させる為か、それとも診察させる為か。] 私のほうでは、原告が精神病かどうか断定できず、それで一応専門医に診て貰おうということで、まして当日は土曜日で月曜まで両親がみれるならいいが、それができないというのであれば、我々はサービスとして、診て貰おうということだったのです。 [するとあなたがただけの判断で、病院へつれてゆこうとしたわけか。] そうではありません。両親の同意を得てつれていったのです。普通なら精神衛生法33条に基づき、県に連絡すればよいことなのですが、現在の状況では両親に対する危害があったりしては困る、それなら本来は県の仕事ですが、我々としてはサービスとしてやろうということになったのです。 [原告を入院させるについて、あなたは、両親の同意があり、かつ要望があるといったが、保健所等で両親と話をしたとき、そういう症状があるというので、入院等そういうふうにしむけたのではないのか。] しむけたといいますが、殺されてしまうという母の話やその他両親の話をきけば、普通の状態ではない、母親のいう整形外科につれてゆくより、精神科にまずゆくべきだと考えたわけです。 1975.3 尋問者・原告代理人 [当日の行動を時間的に確認したいのだが、あなたは午後の2時頃、母親と会って一旦帰り、それからまた保健所に出直してきたのか。] 母親には、午前中会ったような気がします。 昼食をたべて家に帰り、5時頃電話連絡をうけて保健所に戻ってきたと思います。 (略) [2時頃に母親から事情をきいた記憶はないか。] 昼をたべて家に帰り、私が夕方戻ってくるまで私はタッチしていませんで、中断してるというか、保健婦等がやっていると思います。 [中断するについて、今日の行動をどうすると指示したのか。] 保健婦に、御両親とよく相談するようにと指示しました。 (略) [その指示を与えた段階で、とにかく病院につれていく必要があると考えていたのか。] 私は2時か3時頃、適当な病院へあたってみるようにとはいっていました。というのは状況の如何では必要あれば診てもらわなくてはならないことも考えられ、市内の全部の病院をあたってみろ、病院を探しなさいとはいいました。 (略) [病院を探すということだが、保健婦に、病院を紹介せよと指示したのか。] かなり煮つまった段階では、両親と相談してどこか適当な病院へつれていくようにとはいいました。 [あなたのほうでは、原告について、入院の必要があるとの方針は、たてていたのか。] いえ、私のほうでは、両親がどうしても必要というなら協力するという方針でした。 [あなたが夕方でてきて、原告宅を訪ねた理由は何か。] まず受診を尋ねてみるということでした。本人が錯乱状態にある、即ち風呂(判読不明) ているという報告でしたので、両親だけで説得できないなら側面説得を保健所のほうでやろうということでした。 [前回のあなたの証言で、受診をする必要があるか否かを判断する為にとったと証言してるが。] それが第一歩で、第二次的には夜のことでもあり、安全搬送の問題もありました。 [原告と会う前にその判断をたてていたのか。] 両親や精神衛生相談員と会って、大ざっぱな方針はたててました。 [警察に対しては原告を診るから、ついてきてくれというのではなく病院へつれてゆくから応援を、ということで頼んだのか。] 本人が錯乱状態で乱暴する可能性も強いので最終的には、入院になる可能性が強い、できたら安全に運びたいということで頼んだと思います。 (略) [警察への要請はあなたが指示したのか。] 要請は両親との協議のうえですが、実際に警察にでかけたのは父親と下川で下川は父親の補佐的役割でついていったと思います。 [警察へは事前にゆく連絡はしたのか。] 父親が警察に行って正式な要請になったと思います。 [保健所のほうで独自に警察連絡しているのではないのか。] それは私にはわかりません。 (略) [下川は本件について最初から関与か。] いえ、当日の12時からだと思います。 [それ以前の、今井相談員らが、原告宅を訪問しているということを下川は知っていたのか。] 知らなかったと思います。が下川も資料を読み、また当日の、5時過ぎに我々と話をしていますから、わかっていると思います。 [多摩川保養院との連絡で、専門の医師に診てもらう必要があると判断したと思うが、病院のほうに専門の医師がいるときいたか。] 多摩川保養院のほうからは、きてくれれば診てあげますよといわれたということでした。 [本件の場合は土曜の夜なのだから、院長あるいは、経験の深い医師がいるかどうかの確認はしなかったのか。] 多摩川保養院は専門病院ですから、私としては、専門医がいると思いました。 [先方からは、当宿医がいるから、きてくれといわれたことはきいていないか。] きてくれれば、診てあげますよといわれたときいたので、つれてゆけば診てもらえると思いました。 [ということは、あなたの認識としては、多摩川保養院には、常に専門医が勤務しているという認識だったのか。] 専門病院ですから、大体泊まっているのではないかという程度の認識でした。 [それについて、あなたは具体的に把握していたのか。] していません。 [保健所の管理会のことだが、その制度の趣旨として、患者に対して何らかの処置がとられる前に、管理会にまわされるのか。] 処置というより、管理会はどうするかということの協議の場です。 (略) [本件の場合は、管理会へまわされたわけか。] はい。最終的には、何度かまわされています。 (略) 原告代理人 [原告を病院へつれてゆくことをきめたのは、現場をみて、それできめたのか。] 私のほうでは、あらゆることといいますか、一応すべてのことに対応できるよう全般的態度をとりました。 [あなたは、前回の証言で、病院へつれてゆくことは、最初から、保健所のかわらない方針だったといい、同じく前回証言した中島証人も、原告を入院させるという説得だったとのべているが、あなたは原告を診る前に既にもう入院をきめていたのではないのか。だから一応説得するが、だめなら警察の力を借りてでも、入院させるということで、警察と協議かつ依頼をしたのではないのか。] 私達が前もってきいていたことと、現実でかけてみて家の中の状況が違えば、私のほうでも入院は勧めない。しかし家の中が、事前にきいていた状況どおりであり、かつ、本人におかしな様子があれば受診を勧める必要があるから病院へ行くことを勧める。が事前に本人が暴れるということもきいていましたので、安全搬送ということも考えて警察にも頼んだというわけで、私のほうでは段階的に、対処できる態勢をとったわけです。 (略) [あなたは医師として、病院へゆく必要はないのか。あなたは前回の証言で下川が立会ったかどうか記憶がないといっているが、そうであれば、下川が先方へ話をするかどうかは、わからないのではないか。] 下川については、私も原告宅へ行く前に合流して一緒にいったわけであり、ただ私が説得しているとき、私の背後にいたかどうかさだかでないといっているだけで一緒に車にのって病院にいったのであり、むこうにゆけば説明するだろうし、車もいっぱいでしたから、私はいかなかったのです。 [端的にきくが、あなたが病院へ行かなかったのは、以前に原告を入院させるということがきまっていたので、屋上屋をかさねる必要がなかったからではないのか。] そんなことはありません。医師として行く場合もあります。ただ患者をつれてゆくときは医師がついてゆくことは普通ないと思います。 [保健所からの警察へ対する依頼の指示はあなたの指示によるのか。] 最終的にはそうなります。 [そのときの依頼の内容はこういうケースがあるのできてくれということか。] 憶えていません。 (略) [市内の病院にはすべてあたったのか。] 私があたってみろといいましたから、保健婦はあたっていると思います。 [どうしてそういう指示をしたのか。] 通常、精神科の病院はどこもいっぱいで病床が限られていますから、せっかく受診のため病院へ行っても、即要入院というような事態が生じた場合に病床がなく、入院できないというのでは話になりませんから、それでその点を確めてみるよう指示したわけです。 (略) [入院ということはあなたの視野に入っていたのか。] はい。最悪の場合はそうです。 (略) [先程の通知によると面接の次の手順として診断があるようだが、大使保健所としては、それも行われていなかったわけか。] うちの保健所で行っている定例的な精神衛生相談日であれば格別、土曜日などでは必ずしも行われてはおりませんでした。 (略) [本件の場合右の通知のとおり、やることについてどういうさしさわりがあったのか。] 本件の場合は診断がつけられるかどうかの問題があり、それで私のほうでは受診をすすめたわけです。 [当時保健所に診断のつけられる医師がいたのか。] いません。 [この通知に基づく医師は専門医ではないのか。] そうだと思います。 (略) 原告補佐人 [原告を病院へつれてゆくという考えは原告と会う前から、前もって決めていたわけか。] 最終的にはそうなるかもしれません。ただ御両親、保健婦、それに相談員らと協議し、最悪の場合は入院ということを決めたわけです。 (略) [あなたとしては専門医にみせたほうがよいだろうと判断したわけか。] そうです。 [あなたは前回原告について精神病の疑いありと思ったといったが間違いないのか。] 間違いありません。尤も広い意味でのですが。 [あなたが思ったのはどういう種類の精神病か。] 分裂病、あるいは入学試験の問題があって心理的又は心因性反応もあったかも知れません。 そんなことから精神障害者と思ったわけです。 [あなたが分裂病と考えた根拠は。] 本人が外にでないこと。風呂に入らないといっていること。床屋に行きたがらず、母親から童話の話をしてもらうとよく寝る、そんな点からです。 [本人が外にでない云々の話は予め母親からきいていたのか。] そうですが、父親がセンターに相談にいったときの記録を読んで知っていました。 [あなたが精神障害者と判断するについて、何故外に出ないのかあなたは追及したのか。] 私は両親に会ったのは5時すぎでしたから、その理由とかは両親に対して尋ねていないと思います。 [前回の証言でも、両親の話と家の中の状況から本人について障害あるのではと判断したというが、その外に分裂病と判断される理由等はあったのか。] 当時としては過保護とそれに幼稚な反応がみられました。例えば本人が急に馬の刺身をたべたいというと母親が山梨まで買いに出かけるといった過保護の点が一つ、それが18、9才の青年のいうことであれば幼稚というかやはり異常だと思いました。その他住宅のことでも勉強部屋を作ってもらったが気に入らず両親にくってかかる。また自分の考えていることが通らないと母親に刃物を突きつけたりするといったことも、記録の記載の中にはありました。 [あなたは分裂病の概念について当時どう考えていたのか。] 私はそちらの専門ではないので異常行動としてしか考えられません。 [それはヤスパースなんかのいう異常行動か。] 私は難しいことはわかりませんが常識からいっての判断です。 [あなたの常識だけから判断して、異常行動があるというだけで分裂病といえるのか。] よくわかりませんが、分裂病でなければ心因性反応かノイローゼということかもしれません。 [するとあなたとしては原告についていろいろの態様を考えたのか。] それはそうです。 [いっぺん異常行動があるとき、何故そういう行動にでるのかを尋ねないと重大な誤りを起こすと思われるがあなたは何故きかなかったのか。] 部屋が散らかっていることについては何故こんなに散らかしているんだとはききました。 [あなたは原告宅で原告と会って、最初から説得の態度で接したのか。] そうです。 [最初は原告に異常が感じられなかったというが、そうであれば何故本人のいいぶんをきかなかったのか。] 家の中が乱雑になっているので、これはどうしたんだと尋ねると、これはうちのことでお前なんか関係ないということで、具体的な説明は得られませんでした。 [私が疑問に思うのは、家の中が乱雑だけで行動が異常といえるのか、つまり一般社会の家庭のトラブルとして、その程度というか、そのようなあるのではないか。] それはあると思いますが、それプラス原告のことについては、18,9才の来年大学に入る青年の行為としては、おかしくないか、つまりあのとき現場に臨んでみて、正常だと考えるのは、少し条件がわるすぎたと思います。例えば外に出ないことも風呂に入らないことも個々の一つ一つを取り上げれば一般社会では確かにあり得ないことではないでしょうか。そういうことと母親に刃物を突きつけるとか風呂場に灯油をかけるとかそういった総合的なことから考えますと当時正常と考えるわけにはゆきませんでした。 [あなたは医師として、プロとしてではないという自覚で仕事をやってきてるのか。] そうです。 [あなたは予課長として、直接精神障害者に接したことは何度ぐらいあるのか。] 殆んどありません。市にはセンターがありますから全部そちらにゆきますし、そうでないとしても保健所には嘱託医がいますから、そこで対処してもらってました。 [あなたはまったく精神衛生相談にいったことはないのか。] ありません。 [すると原告を入院させるさいあなたは多摩川保養院へついてゆかなかったというが、下川に委せたわけか。] 結果的にはそうなります。 原告代理人(木村) [とするとあなたは原告宅で原告に接し説得したのは医師的見地からではないわけか。] 難しい質問ですが、私のもつその程度の知識で説得したということになるかも知れません。 [原告の母親に対して勧めた、受診の勧めについても、あなたのした説得は医師的見地からではないわけか。] 私達の常識ではどう考えてもおかしい。それで診てもらうことを勧めたわけです。 (略) 原告補佐人 [入院について、両親に対してはどういう状態だからつれてゆくといったのか。] 精神病あるいは精神障害の疑いがあるから診察につれていったほうがいいだろう、恐らく入院することになるだろうといいました。 [あなたは多摩川保養院の内情をどのように把握してたのか。] 医師がいるかどうか、ベッドが空いているかどうか、その程度です。 [医師がいるかどうかというのは。] 例えば精神を疑わせるような患者がいる場合、医師がいなくては駄目ですよ、という程度のことです。 原告代理人(菅原) [警察に要請したのも、あまり医学的判断を入れた要請ではないわけか。] 精神医学的ということでしたら、あまり専門的判断を入れた要請ということではないことになります。 (略) 原告 [あなたは5月11日の午前中私の母親と会っていないか。] 記憶がありません。 (略) [下川が本件に関与したのは、当日の12時頃からといったが、岩田和郎証人の証言と違うが。] 私の知る限り、下川が関与したのは私が保健所に戻ってきたその前からです。 [自宅に帰ったあなたに対し、当日大師保健所の誰からあなたに電話があったのか。] 保健婦からで、どうしましょうかという電話だったと思います。それで私は、往診してもらえる医師のいる病院を探せといったと思います。 (略) [しかしそういう指示をする前に、私に会い、私の言い分なりをきく必要があったのではないのか。] (略) 私のほうとしては通常の日であれば保健所の嘱託の先生に往診にいってもらうということも考えられたわけですが、当日の切迫した事情の下ではできなかったわけです。 (略) [乙11号証の記録をみると、当日の午后5時10分に他の病院へ収容依頼の指示をしたとあるが、当時多摩川保養院の看護夫だった指吸嶺証人の証言では、病院の事務長から、5時までに入院することになっているが、まだきていないから待機していてくれということだったといっているが。] 私の方では最悪の場合をも考えて病床の確保と、診る医師に居てもらうというお願いを病院にしてましたから、病院の方でもそういう態勢をとったかもしれません。また時間的には多少のずれはあるかもしれません。 (略) [警察に連絡して確かめたというのは、何を確めたのか。] 当時の状況からすれば入院の可能性が高い、そうなるとすると安全搬送という問題がおきてきますから、事務折衝として搬送についての依頼をしたのではないかと思います。 原告代理人(木村) [それは保健所として警察に依頼したわけか。] そうなると思います。 原告 [あなたが当日私の家にきたときのことだが、7時15分頃私の家にやってきてテレビを見ていた私の前にきてテレビを見えなくし肩の骨がなるそうだねといったのでは。] テレビを見えなくするというかじゃまをしたようなことはありません。肩がいたいそうだね、とはいいました。 (略) [肩の骨に関することできたというので、私としては早く帰ってもらいたいと思い、上半身裸になったのではないのか。] 憶えていません。ただ本人の手をとって円運動させてみた記憶はあります。また関節をみたこともありますが裸でみたかどうか・・・・・・。 [私が肩をならすとこれはおかしい病院へ行こうといったのでは。] 憶えていません。 原告代理人(木村) [あなたは、これはおかしいから、病院へ行こうとその時いったのか。] ちょっと憶えていませんが、肩についてはどうなんだね、とはいいました。 [そうしたら本人はどう答えていたか。] 俺はなんでもない、といっていました。 [肩については母親から事前にどういうふうにきいていたのか。] 肩がわるいときいていましたので、それを話のいとぐちにしようとしたわけです。 (略) [整形の病院へ入院することになっているといったことはないか。] ありません。私が肩のことをいったのは、別に本人をごまかした訳ではなく、それを話のいとぐちにしただけです。 [本人が肩がわるいといえば、あなたとしては病院へつれてゆくつもりだったのか。] 肩の話はあくまでもいとぐちですが、最終的にはそうなると思ってます。 (略) [肩の話は簡単に終ったのか。] 終りました。それで私は、家の中がこんなに散らかっているし、父親もそれできてるが、頭がおかしいのではといいました。 (略) [それで頭がおかしいから病院へ行こうといったのか。] 病院へ行こうと話をつづけたかどうか・・・・・。 ただ散らかっているのでどうしたんだというと、お前なんかに関係ないといって立ち上がり、スタスタと玄関の方へでてゆこうとしました。 (略) [あなたが説得してたというのはズバリいって何分ぐらいか。] 数分です。が話はとりあってもらえませんでした。 [それは頭がおかしいから病院へ行こうの説得か。] そうです。 (略) 原告補佐人 [肩の具合をきいて、本人がわるいといえば病院へつれてゆく積りだったと先程いったが、それはどういうことか、肩の病院へつれてゆくということか。] 肩云々のことはあくまで話の導入でそれで和ぐというかそこに対話がでてくるということです。 裁判官 (略) [本人につき具体的に結果としてとられた処置以外に考えられた処置としてはどのようなものがあったのか。] まず第一には、その晩そのまま放置し、月曜日に保健所の嘱託の先生に診てもらうということで、そのことについては原告の両親に対し、月曜日まで待てるかと話をしました。 [それに対し両親は何といっていたか。] とてもじゃないが、今晩は家に帰れないといっていました。また私の方では極端な場合は保健所のほうで手のつけようがなく放置しておくと本人が何か事件を起こして警察の留置場に放り込まれるようなことも考えられるかも、とも両親に対しいいました。 [それについて両親は何といっていたか] 母親が自宅の様子をみるべく近くのアパートに住む人に電話を入れると、あなたのところの息子から電話があって風呂桶に石油を入れた、どうなるかわからないという返答をきき、両親は放置させたら困るということをいっていました。 [その他考えられた処置は。] 神奈川県のほうに通報して、そこに委せよう、おそらく強制措置になるだろうということも両親に伝えました。 [その案については両親はどういっていたか。] 時間的に余裕ないといっていました。 [他に考えられた措置は。] 専門医に応診してもらうということで嘱託の先生に電話したのですが、主張かなんかで居なく、結果として、こういう処置になったわけです。 [父親と下川が警察にいったのは何時頃か。] 行く前に電話してると思いますが、行ったのは7時か7時30分頃だと思います。 [右の2人は警察をわまって、途中あなたがたと合流しようということだったのか。] そうです。 [あなたが保健所に戻ったのが午后5時頃だとすると、1時間あるいは1時間半ぐらい具体的話がもたれたわけか。] そうです。 [両親に対し、保健所はどういう立場で協力するのか説明したか。] 具体的にはあまりしていません。 [同意入院ということは両親に対しいったのか。] 入院するとなれば、強制措置入院か同意入院になるとはいいました。 原告代理人(木村) [あなたのほうの相談だが、いつ頃から始めたのか。] 私が保健所に戻ってからで、下川らと相談しました。 [そのとき既に病院に対し、収容依頼の指示があり、それに基づいて収容依頼していたわけか。] そうです。 [あなたのほうでは両親に対し、ああもできる、こうもできるといって、いま入院させないと大変なことになるといったのではないか。] そんなことはありません。私のほうではこれが限度ですよとはいいました。 [措置入院にしてもかなり長くかかるといっていたのか。] 今晩で解決という訳にはゆきませんよ、とはいいました。 裁判官 [あなたのほうとしては、どういう処置をとりたかったのか。] 私のほうとしてはただ経由するだけでかかわりたくはありませんでした。ただ当時措置入院は問題を起こしつつありまして、警察のほうもあまり積極的ではなく、県のやりかたもかなりあいまいでした。それで両親が本人を説得して病院につれてゆけるのであればそれが一番いいだろうと考えておりました。私としては保健所は表だってでないほうがよいだろうと考えていましたが、右の両親の説得について、なんとか側面的援助をしてあげたいとは思ってましたから保健所としても説得する、そして制服なんかではなく、私服の警察官とわからないような人に同道して病院にゆけたのだったらと現在も思っています。ただいづれにしろ、いままで病院等で診てもらうことのなかった本人が、結果的にいえば診て貰えたわけですから、その点に関してだけはよかったと思っています。 斉藤保健婦の証言 1975.12.16 尋問者・被告代理人 [あなたは、保健婦ですね。] そうです。 (略) [大師保健婦でYという者の相談を受理した多摩川保養院に最終的には入院させたという、それが、本件で問題になっているんですけど、川崎市にある保健所の相談記録の写しは、読んで来て下さいましたね。] はい。 大師保健所相談記録を示す。 (略) [「日直」とありますが、当日あなたは日直だったわけですね。] そうです。 (略) [10月11日の記載は、誰の文字ですか。] 私が書きました。 [これによりますと、この日は午後2時から記載が起こされていますね。一番最初に、母というのが、これはY氏の母ですね。] そうです。 [このときには、保健所内には、あなたのほかに誰がいましたか。] 私1人だったと思います。 [この母に、相談を受けた前の時点で、Y氏が精神衛生相談センターへ行ったり、センターと、大師保健所のあいだに、やりとりがあったというように、この記録に書いてあるんですが、あなたは、その経過を事前に知っておりましたか。] 知りませんでした。 (略) [いきなり母親から相談を受けたと、こういうことですか。] そうです。 [お読みになって来ているなら、おわかりと思いますけれども、主な訴えとしていくつかありますが、この法廷で、母親は、そんなことを一切いった覚えはないと証言しているんですよ。あなたはこの記録を書くのは、その場で相談を受けながら直ちに、書いていったんですか。] いいえ。 [どういうふうな書き方をするんですか。] 相談を受けて、その都度メモをしまして、それから当日が、土曜日でしたので、月曜日の13日に書いたんではないかと思います。 [ここには、これこれ、こういう指示を与えたとか、あるいは一番最後の8時からの項目ですね、何々とのことというのがありますね。そういう所内で何等かの決定をしたとか、情報やりとりしたとかいうのは、のぞきまして、主訴として書かれてあるいろいろの事実、この中には、あなたの推測なり、何なりで、母親のいったこと以外のことも書かれているというような可能性はありませんか。] ありません。 (略) [午後4時の項目がありますね。そこから、あとに水島夫人から電話があったとか、母親から電話があったとか書いてありますね。それに書かれてある電話の内容、これについてはどうですか。] 事実です。 [あなたが聞かれた通り、忠実に書いてあるわけ、忠実といっても省略は、あるかもしれないけど。] はい。 [この日の5時10分の項の所を開いてみて下さい。ここには井沢さんのお宅へ電話をしたと書いてありますね。] はい。 [その次、50分の項目で、父から電話があったと、この父というのは、Y氏の父ですね。] そうです。 [そのあいだに括弧に入れまして、3時30分の記載があるんですよ。これは、どうして、ここに、そういう記載がまぎれこんだのですか、記憶がありますか。] これは当日、相談内容をメモりながら書いて、あと13日の月曜日頃にこの記録を書きましたときにメモの中から3時30分の項目が脱けていたので、ここに付け足したんだと思います。 [ここに書かれてあるのは、医師の診断がまだないという趣旨のことが書いてありますね。] はい。 [それは、センターの話。] そうです。 [ここに入院というような言葉が出て来ておりますね、いくつか、栗田病院とか多摩川保養院とかへ電話をしておりますね。それは、どういう趣旨でそういう電話をされたのですか。] お母さんから相談受けまして、当時私のほうで、これに適切に対処するということがよくわかりませんでしたので、井沢先生に電話をして、助言を得たり、それから栗田病院は栗田先生が、大師保健所の嘱託医でした、それで先生に助言をしてもらったり往診をしていただきたいと思って電話をしました。 [母親が入院させてほしいといっているというふうに書いてありますね。この入院は、どういう所への入院を意味しておったんですか。母親の言葉としては。2項目の指示の直前に入院させたいという主訴の一番最後に書いてありますね。] お母さんとしては、ヘルニアとか、ぎっくり腰とか、精神病以外のほかの病名で入院させたいということでした。 [そもそも、母親が来た時に、腰の痛みの治療のために整形外科などの病院に入院させたいという相談ではなかったんでしょか。] そういう相談ではありませんでした。 [それを名目にして、精神病院へ、ということでしたんですか。] そうです。 [もう一つ、母親が来た時に、今井さんというケースワーカー、御存じですね。] はい。 [今井さんに、もう家へは訪問してもらいたくないというふうなこと申し出ませんでしたか、母親が。] そういう話はありませんでした。 [母親も父親も、終始、精神病院なんていう話は出なかったと証言しておるんですけれども、あなたとしては、古いことですから、はっきり覚えておられないと思いますが。] 相談のときに、精神病院とか、そういう名前を使って相談したかどうかという記憶はありませんけれども、精神衛生センターにお父さんが、相談にいらっしゃったのを、お母さんは非常に独断でいらっしゃったということを不満に思っていらっしゃいましたし、入院がもし必要ならば、ヘルニアとか、ぎっくり腰とかほかの病気で入院させたいというふうなことおっしゃっていましたから、そういう言葉使った記憶、私、ありませんけれども、暗黙の了解があったんじゃないかと、今から思います。 [井沢先生の所へ電話をしたら、井沢先生が保健所へ来ましたね。] はい。 [それから、本人の家を尋ねて、多摩川保養院へ入院させましたね。Y氏を。] はい。 [それに、あなた、どこからどこまで関与したんですか。] 2時にお母さんが相談にお見えになってからY氏の家を訪問して、御本人が車に乗って行かれたあとは現地で帰ったと思います。 (略) Y氏の家の見取図を示す。 (略) [当時の情景といいますか。そういうもの頭に浮びますか。あのとき、ああだった、こうだった、例えばY氏は、どこにいたとか、井沢医師がどこにいたとか、自分がどこにいたとか、どんなやりとりがあったとか。] あんまり、はっきりしませんけれど、Y氏は奥のほうのお部屋の4畳半と書いてある所にいらっしゃったと思います。井沢先生は襖の近くで御本人を説得なさって。 [立ってですか。坐ってですか。] 坐ってです。それから、お父さんも襖の近くだったと思います。 [あなたは。] 私は、井沢先生のうしろに坐っていました。 (略) [あとで、格闘のような状態になったことを記憶してますか。] はい。 [それは、どういうことから、そんなことになったんですか。] 井沢先生が本人を説得なさっているときに途中で、本人が玄関のほうに飛び出して行かれて、それから、それを押しとどめられて、それから格闘になったように思います。 [誰と誰とで、どんなふうにというようなこと記憶にありますか。] 御本人と、それから玄関にいた私服の警察官だと思いますけれども、その人と2人は覚えてますけれども、あと、よく覚えていません。 (略) [井沢先生の話の仕方ですが、例えば、何がなんでも連れて行くというような態度だったとか、あるいは威丈高にやっておったとか、あなたが印象に残っているものがありますか。] 具体的な言葉の内容までは覚えていませんけれども、坐って体のどこか具合がどうか、何か話をなさっていまして、何か、そんな話をされてていましたけれども、内容詳しくは覚えていません。 [態度といいますか、その場の雰囲気といいますか。] 普通の話をする感じで特に威丈高とか、そういうことはなくて、穏やかに話をされていたと思います。 [Y氏本人が外に出ようとしたのは、例えばトイレットでも行くとか、そういう静かな行き方だったんですか。] いや、玄関のほうに飛び出して行くという感じです。 [今の乙11号証に入りまして、この記録によりますと、7時30分の項目ですね、極めて簡単で、その場のやりとりというのが、非常に省略されておりますね、具体的な記載ございませんでしょう。] はい。 [これは、どういうわけだったんでしょうか。本人の状態とか、どんな経過で、どうしたとか、具体的には書かれていない。] 井沢先生や、下川相談員が来て下さる前は、それまでは、私が一人で相談受けたりしていましたので、そしてメモをなるべく、とりながらやってましたけれども、あと、先生がお見えになってからは、先生のほうにおまかせするというふうなことで、自分でも記憶のほうもはっきりしないし、よく覚えていません。そういうことで記録がこういうふうになったんじゃないかと思います。 (略) [一番最後の8時の項目、これは、あなたは、Y氏宅の現地で解散みたいなことになってしまったんですから、この記載は何に基くものですか。] これはコメントみたいな形で当日、土曜日でしたので、記録を月曜日にたしか書いたと思うんですけれども、その時に、下川さんが、病院について行きましたから、その結果を聞いて、コメントのような形で、ここに書いたものだと思います。 (略) [Y氏の父親なり、母親なりと、井沢先生が保健所へ来られてからの、やりとりの中で、井沢先生が警察へ留めてもらったらどうだというような話をしたなんて記憶はありませんか。] そういう記憶はありません。 原告代理人 (略) [だだ、井沢課長というのは、精神衛生の専門医じゃないですね。] はい、違います。 (略) [問題になっております昭和44年10月11日のことに移りますけれども、今見られているのは、乙11号証ですね。それは10月11日の段階ではこういった相談記録は、できていたんですか。665といって何かの記号が書いてありますが、それはできていたんですか。] できていたと思います。当日私が読んだかどうか覚えていませんけれども、記録はあったんだと思います。 (略) [そのとき見られましたか。10月11日のときに。] 自分の記録を書いたあと、貼付けたと思うんです。だから細かく読んだかどうか、よく覚えてないんですけど。 (略) [そしたら10月11日にこの記録があったかどうか、わからないんですか。] 11日当日は知りません。 (略) [原告の母親が午後2時頃来たということ、これ間違いないですか。] 間違いないです。 [記載事項としては、主訴というところに書いてあるんですけれども、こういう話から入って行ったんですか、初めは。] そうです。 [すでに母親は今井ケースワーカーに会って話をしているんですけれども、あなたは、全然そういうことを聞きもしなかったんですか。] 聞いていませんでした。 [そうじゃなくて母親からですよ。] お母さんからは、今井さんが、訪問してそのあとそのことを、御夫婦で話合ったというようなことは、お母さんの話からは、そういう話はありました。 [先程のちょっと証言と違いますね。聞いてたことになりますね。] 11日、お母さんからは、聞いてます。 [どういう内容でしたか。] 内容っていうのは。 [今井ケースワーカーと話合ったことですよ。] 内容は覚えてませんけれども、話合ったことを聞いて、本人はそのことを気にしていたというようなことは、お母さんが話されてました。 [本人というのはどなたのことをいうんですか。] Yさんです。 [母親としては、今井ケースワーカーのことについては、それだけですか。] そうです。 [気にしているというのは、具体的にはどういうことですか。] わかりませんけれども、お母さんは、本人が夫婦で、話し合っていたことを聞いて神経質になっていたということを、おっしゃっていたと思うんです。 [それで、具体的には、どうしてくれというような話なんですか。] しゃもじで、たたいたりとか。 [途中なんですけれども、今井ケースワーカーのことを聞いているんです。] 今井さんのことは、特にそれ以上は話されていなかったと思います。 [気にしてもう今井ケースワーカーに来てくれるなという話じゃないんですか。] 聞いていません。 [来てくれることに、あんまり喜んでないということを聞いているなら、そういう話に発展するんじゃないんですか。] 当日は、来てくれるなとか、そういう話はなくて、とにかく困っているから、相談に乗ってほしいということでした。 (略) [あなたは、この段階で、すでに指示したこととして、夫に連絡すること、二つ目として、近所まで帰り、様子をしばらく観察し5時までに、その結果を連絡すること、てなことを記載しているんですけれども、こういう指示与えたんですか。] ええ。 [これは、あなたの独断というんですか、考えですか。] 多分、その前に嘱託医だった栗田先生の所へ電話をして、栗田先生は、そのとき、いらっしゃらなかったんですけれども、ほかの先生に、こういうことで、相談に見えているんだけれども、どうしたものでしょうかって、相談しましたらもうしばらく様子をみていたらどうか、今忙しくて往診できないから、しばらく様子をみたらどうかというようなことを、いわれたんで、お母さんに、そのように話して、一時帰っていただきました。お父さんに連絡するということは、御夫婦両方で話し合われたほうがいいと思って、それは多分私の判断だと思います。 [お母さんが帰ったのは、何時頃ですか。] 3時過ぎだったと思います。 [その間、井沢医師のほうには、連絡とらなかったんですか。] 井沢先生に連絡して助言を得たかもしれません。 [先程、栗田病院のほうに連絡をとったというんですけれども、本来ならあなたの上司のほうに連絡をとるんじゃないんですか。] どうして係長のほうに連絡をしなかったのか覚えてませんけれども、そのときには、井沢先生に、電話をして、助言を得たいと思って電話をしたんだと思います。 [母親に会っているときにすでに、母親は原告を入院さしてくれといったんですか。] 2時頃、お見えになったときには、入院はさせたくないけれどももし必要だったら、精神病ということではなくて、言葉は、精神病とおっしゃったかどうかわかりませんけれども、ほかの病名でもって入院させたいというふうにおっしゃっていたと思います。 [この入院が必要な場合というのは、誰が判断することなんですか。] 専門医が判断することだと思います。 [専門医が、本人を見て、これは、入院した方が、いいと判断した場合ですか。] その通りだと思います。 [次に先程のことですけれども、母親は今井ケースワーカーに会っているということと、父親が、精神衛生センターに行ったということについて、不満に思ってたと、こういうような話、聞いたといわれましたね。] はい。 [そうすると、何か入院させたいという話は、あり得ないというふうに考えられるんですけれどもね。突然変ったんですか。] 突然変ったのかどうか知りませんけれども、私が相談受けたときには、そういう病気で入院さしたくないけれども、もし必要な場合は、ほかの病名で入院させたいというふうに、おっしゃってました。 [するとあなたのほうから、何かこの原告は精神病の疑いがあると、こういうような判断なり示唆なりをしたんですか。] 判断や示唆はしていないと思います。 [でも、母親がそういうふうに変ったと思われるような節があるんですけれども、そういうことなくて、ただ単に母親のいっていることを聞いてたんですか。] そういうことです。 [あなたのほうから何か具体的な示唆がないと、母親としては、精神衛生について詳しくはないわけですから、あなたのほうから示唆がない限り、あり得ないんじゃないんですか。] 私は示唆はしていません。で自分は判断がつかないので栗田先生か、精神衛生相談センターへ電話をして助言を得たということです。 [ただ助言を得たと言われても、しばらく様子を見て結果を報告するというくらいの内容じゃないですか。] その程度しかしてないと思います。 [午後3時ごろ、栗田病院に電話をしたというのは、どういうことで電話したんですか。] それは、お母さんから、相談を受けて、そういう精神病の疑いは、あったと思うんですよね。そういうことで、私には、わからないから栗田病院に電話をして、先生に助言してもらいたいと思って。 [疑いがあったというのはあなたの考えですか。]  ・・・・・・・・・・。 [あなたはそういう疑いがあると、原告を判断したんですか。] そういう可能性は、あるというふうに思ったんじゃないかと思いますけれども。それから井沢先生に助言を得たかもしれないけれども、嘱託で、精神衛生相談センターに来てくださっていた先生に、電話してみようと思って電話してみました。 [その相談というのは、具体的にあなたは、どういうことを考えられたんですか。相談というのはいわゆる入院させることなんですか。] いや、そうじゃないんです。お母さんがこういうことで困っているということで、おっしゃっていましたから、専門の先生にみてもらうということです。 [栗田病院に電話をして、その結果、栗田ドクターは不在、飯島ドクター多忙にて、往診できないということですけれども、これは、飯島先生に大師保健所へ来てくれということを話したと、読み取れるんですが、そういうことですか。] はい。 [ほかの病院には、当たらなかったんですか。] そのあと、お母さんから電話があってから、栗田病院のほうでは、往診できないということなので、井沢先生に相談したら、ほかの病院にも、聞いてみるようにということだったので、電話をしたと思います。 [ところが、午後4時40分の記載によりますと、栗田病院へ電話をしたところ、保護室がいっぱいで5時を過ぎるので、往診収容は無理とのことというふうになっていますが、この往診収容というのは、具体的にはどういうことなんですか。] 本人がいらっしゃらないということですので、専門医に来ていただいて、本人をみていただいて、それから診断があって必要だったら入院というふうな意味です。 大師保健所相談記録を示す。 [保護室がいっぱいでということは、入院できないということが前提じゃないですか。往診というところにウエイトがあるんじゃなくて、いわゆる入院させるということにウエイトがあるんじゃないですか。] 往診して必要があったら入院という。 [先ほどのあなたの証言によると、往診というのは、先生が大師保健所まで来て診断するということでしょう。] はい。 [この記載は、そういうことじゃないですか。保護室がいっぱいであろうが、医者が来ようと思えば、来られたでしょう。] それは、4時20分にお母さんから電話があった内容を栗田病院に私が話したら、そういうことで、往診して入院が必要だった時に、病院のほうでは、いっぱいなんで、入院できないということ、無理だというようなことだと思います。 [この段階では、お父さんなり、お母さんなり、いなかったんですか。] わかりませんでした。 [それから5時10分に井沢ドクター宅へ電話をしたとありますが、この段階で初めて井沢ドクターとは連絡がとれたんですか。] 記憶がはっきりしませんけれどももしかしたら母親の相談を受けてから、すぐそのあとに井沢先生に電話をして、相談してるかもしれません。 [そんな重要なことをなぜ記載してないんですか。]  ・・・・・・・・。 [あなたは、独自で判断するんじゃなくて、上司等に相談、あるいは指示を受けてそういう業務を行なうと言われたとすれば、井沢ドクターなりの指示というのは、重要なことではないですか。] その時なるべくメモをきちんととるように努力してあげたつもりなんですけれども、それを記録してた時に、記録が落ちているのかもしれません。そのへんはっきり覚えていません。 [あなたは、3時30分ころ、衛生センターのほうへ電話をしてるんですけれども、これはどうして衛生センターということが、わかりましたか。] お母さんの話に、お子さんが、精神衛生センターに勝手にいって不満だというようなことを話の中ではおっしゃっていました。 [そしてあなたは連絡をとったんですか。] そうです。 [これは、こういうことだけの連絡なんですか。そのほか何か話し合われたことが、ありますか。] よく覚えていませんけれども、その時にここに記載してるようなことを言われたんだと思います。 [精神衛生センターのほうから、具体的に何か指示なりは、あったんですか。]  指示はなかったと思います。 [何もなかったんですか。] ただ、精神衛生相談センターにこういうことで、相談に見えたことはあったというようなことだと思います。 [精神衛生相談センターのほうから、具体的にあなたのほうに電話があったということは、なかったんですね。] ないです。 [父親と母親が保健所へ来たのは何時ころですか。] お父さんから5時50分に電話があって、そのあとだと思います。 [この時、井沢先生も来られたんですか。] 井沢先生は何時ごろかは、はっきり覚えていませんけれども、私が井沢先生に電話してからしばらくしてからだと思います。 [それから下川という人も来られたようですけれども、これはどうして来られたんですか。] 3時30分ごろに精神衛生センターに電話をして、こういうことで相談に見えてるんだけれども、どうしたものかということで、下川さんは私の経験の浅いのを知っていらっしゃいますので、一応全員で応援に来てくだすったんだと思います。 (略) [あなたを含めて三者で措置を検討したということですけれども、家族に月曜日まで、本人を家族で見る自信がない、説得理由の可能性が薄いということで、移送上の保護を川崎警察に依頼したとあるんですけれども、川崎警察というのは、あなたを含めて三人で話し合った時に出たんですか。] そうです。 [警察にこういうような依頼をするというのは、どういうことなんですか。] 家族で見る自信がないということだったし、説得入院の可能性が、薄いということで依頼されたんじゃないかと思います。 [保健所では、いわゆる警察官まで協力を頼むというのは、多いんですか。] よくわかりませんけれども、私は、この時が、初めてで、おしまいです。 [こういった、警察まで依頼しようなんて提案したのは、どなたですか。] 誰だったかよく覚えていませんけれども私ではないと思います。 [収容費用は、精神衛生相談センターで出費することが、決定されたとありますけれども、これはどういうことですか。] タクシーを頼んだと思います。 [それは、いいんですけれども、これは大師保健所の職務としてやっているんでしょう。それにもかかわらず、精神衛生相談センターの名前が出てきて、お金を負担するというのは、どうしてこういうことが、出てくるんですか。] 私には、よくわかりません。 [これを見ると、何か精神衛生センターの指示に基づいて入院させる一つの手段のように思えるんですけれども、そうじゃないんですか。] そういうことでは、ありません。 [なぜ、こういうことになったんですか。] よくわかりません。 [保健所相談記録を見て下さい。ここに家族に月曜日まで本人を見る自信がないということで、その左のところにTEL連絡という形で書いてありますが、これは、どこへ連絡されたんですか。] これは川崎警察に依頼の電話をしたという意味だと思います。 [もう一つは、記憶ありませんか。] はい。 [川崎警察へ連絡されたのは、どなたですか。] 誰が電話したか、覚えていませんけれども、私じゃあありません。 [そのTELというのは、精神衛生センターへ連絡されたんじゃないですか。] そうではありません。 [それから車に乗って原告の家へ行ったわけですけれども、あなたは、父親と母親にこういった事情を話しましたか。こういうふうになったんだということを。] 私から話したという記憶は、ありません。 [誰から話したんですか。]  ・・・・・誰が話したか覚えていません。 [父親なり母親なりには、具体的な指示はんかは、何も与えなかったんですか。]  ・・・・・・・。 [父親と母親が、また保健所へ来た段階でのことを聞いているんですが。] お父さんとお母さんが、保健所へお見えになった時に、私からは話してないと思います。 [父親似印鑑と毛布を用意しろという指示を与えませんか。] していません。 [入院させる話はしなかったんですか。] 私はしていません。 [誰がしましたか。] 多摩川保養院に見てもらいに行こうという話は、井沢先生がおっしゃったかもしれませんけれども、よく覚えていません。 [多摩川保養院に見てもらいに行くという話だけですか。] そうです。 [入院の話じゃないですか。] そうでは、ありません。 [ただ、説得入院の可能性がうすいとか、移送上の保護を川崎警察に依頼するとか、あるいは7時半に説得入院を試みたが、云々とありますが、これは、入院を前提というような記載と思えるんですけれども、そうではないですか。] そうではなくて病院で見てもらって入院の可能性があるということで。 [そういうふうに読み取るんですか。この段階では、往診だとか、そういうことばは、全然出てきていませんよ。入院ということばは、出てきていますけれども。] 往診してくださる病院が、なかったということで、そのあとは来てくれれば、見てあげるということなんで行って見てもらうということです。 [入院というのは、もうその病院にはいるということじゃないですか。日本語の使い方としては、そうでしょう。診断というのと違うんじゃないですか。] 入院というのは一応専門医がご覧になって入院が必要であるかないかということで、先生が判断されて決めることですけれども、可能性としてそういう可能性があるということで書いたんだと思います。 [その専門医というのは、井沢先生を含めるんじゃないですか。] 精神科医ですから。井沢先生は精神科医ではありませんから含みません。 [原告宅の状況で、格闘をしたようなことを言われますけれども、具体的には、どういうようなことですか、殴り合ったというようなことがあるんですか。] 殴り合ったというのは、覚えていません。ただ押え付けるとかそういうようなことだと思います。 [押さえ付けるというのは、誰が誰を押え付けたんですか。] 瞬間のことだから、覚えていません。 [原告本人が、玄関に飛び出された時に、押しとどめたわけでしょう。] そうです。 [押しとどめたというのは、井沢課長かあるいは私服の警察官かどちらかじゃないですか。] 私服の警察官だったと思います。 [井沢課長は、その時どうしたんですか。当然本人の後ろにいるような感じがしますからね。同じように押しとどめたんですか。] 井沢先生はそうはしては、いらっしゃらなかったと思います。 [先に倒れたのは誰ですか。] 覚えていません。 [原告本人じゃないんですか。] 固って倒れたような気がします。 [押さえ付けてるような形で倒れたということですか。] 誰が一番上だとか、下だとかいうことは覚えていません。 [みんなが起き上がった時には、原告本人はどういうふうになっていましたか。] 手錠をかけられてそのあとは特に・・・・・・・。 (略) [井沢課長は、多摩川保養院、あるいは、病院で見てもらおうとか、あるいは、見てもらったほうがいいというような話をしていたんですか。] そうだと思いますけれども、はっきり覚えていません。 (略) [あなたは、その時父親なり母親と一緒にいなかったんですか。] その時お母さんはお家にはいらっしゃいませんでした。 [どうしてですか。] お母さんは、相談に見えた時から、家へ帰るのが恐いというようなことをおっしゃっていました。 [それで途中で降りたというんですか。] そうだと思います。 [途中で降りなさいというあなたの指示があったんじゃないですか。] そういうことを言った覚えは、ありません。 (略) [7時半のところで警察官2人の保護を頼み、多摩川保養院収容となったと、こういう記載があるんですけれども、こういうことは、事実なんですか。] そうです。 [とすると、これは前提がなければいけませんね。診断をして、病名があるということで収容になるんじゃないですか。これだといきなり収容になったという記載じゃないですか。] ・・・・・・・。 [あなたは、多摩川保養院に連れて行ったというのは診断のためだということでしょう。] そうです。 [ところが、この記載では、そうじゃなくて、もう既に病院にはいることは、当然のごとく、入院するんだということで警察官に保護を頼んで、多摩川保養院に収容されたと、こういうような記載ですよ。] この記録は、2、3日あとから書いていますから、一応結果を下川さんのほうから聞いて、それから書いたのでこういうふうに書いたんだと思います。 [結果を聞いたというのは、午後8時のことじゃないですか。たとえば、医師の診断は、破瓜型分裂症とか、ここに記載がありますからね。そういうふうに先ほど言われましたよ。 メモをしたあとで、月曜日に書いていますから、あとでまとめて書いた結果、こういうふうな形で書いたんだと思います。 そしたら、多摩川保養院に収容になったとは、記載できないんじゃないんですか。] ・・・・・・・・。 [それから、午後8時のところの下に、鉛筆書きで、管理会へと書いてありますね。これはどなたの字ですか。] おそらく清水係長の字じゃないかと思います。 [その下に青い印で同意入院という記載がありますが、これはどなたが押したんですか。] わかりません。私では、ありません。 [あなたは、入院するほどだったら入院の手続は、こういうものが、必要であるというような話をしたことがありますか。] してません。 [そうすると、たとえば印鑑が必要であるとか、そういうようなことなんか話したことは全然ないですか。] 私からはしてません。 [あなたからじゃないとすると、誰が話したことを知ってるんですか。] いえ、知りません。 原告代理人 [3時に、栗田病院に電話したという記載になっていますね。それから4時40分に栗田病院にもう一度電話をしたことになっていますね。それからこの記載では、5時10分に市内病院に電話をしたという記載になっておりますが、結局往診してくれる先生がいなかったんですね。] そうです。 [そこで、精神病だということで、入院させるということになると、どういうやり方があるか、あなたは知ってるでしょう。措置入院、同意入院、自由入院とあるのは、知っていますね。] はい。 [その三つのうちで、原告の場合は、どういう入院が、適当だと思いましたか。] 同意入院だと思います。 [あなたは、お母さんと話をする時に、同意入院というのは、こういうことなんだということをお話しになったでしょう。] していません。 [両親が同意しなければ、はいれないんだから、同意してくださいという話は、しませんでしたか。] 私はしていません。 [誰がしたかわかりませんか。] 私は知らないです。 [お父さんやお母さんは、話をしてる間に、同意入院というのは、どういうふうなものだということを知ってるようでしたか。] そういうことは話の中に出てきていませんから。 [5時50分に入院について、父母共々同意したとのことという記載がありますが、この同意というのは何ですか、同意入院の同意じゃないですか。] じゃないと思います。入院が必要ではないかということをお父さんとお母さんが同意したということだと思います。同じ意見になったということだと思います。 [あなたの理解ですと、その後お母さんは途中で車を降りましたね。] はっきり覚えていませんが、そうだと思います。 [それまでの間に、精神衛生法に基づく同意というのは、なさらなかったわけでしょう。] 覚えていません。 [だって、あなたは原告を入院させるについて、同意入院が然るべきである、というふうに判断されていたわけでしょう。先ほどのことばとしては。] 結果的にということです。 [あなたの証言ですと、病院までとにかく強制的にでも連れて行くんだと、こういうことでしたね。その時点で入院するというのは何入院だというふうに考えておられましたか。] 入院であるかということは、その時はわからないですから、何入院ということはその時はないと思います。 [そうすると入院のことは全然考えていなかったの。] 入院かどうかということは可能性としてはあったと思います。 [可能性として、しかも非常に高い可能性だとあなたは、思っておられたんでしょう。] 私は、よくわからないから相談したわけです。 井沢先生とかに。 [入院ということになった場合には、どういうふうな入院になるかということは考えていなかったんですか。] その当時、私にはそういうことはよくわかりませんでした。 (略) [あなたは精神衛生センターに3時30分に電話をしたと言いましたね。そこでは、どういう話をしましたか。] 具体的には、はっきり記憶していませんけれども、19才の男の人で、こういうことで相談に見えているんだけれども、それでお母さんの話だと相談に行ったという話なんですけれども、どうだったんでしょうかというふうなことだったと思います。 [そして、ここに書いてあるような答えで返ってきたんですか。] そうです。 [相手は誰でしたか。] はっきり覚えていません。 [これの回答を得たりとするということになると、やはりそれの担当をした方でしょうかね、どうですか。] そうだったかもしれませんけど、よく覚えてないです。 [記録をみて話しておったようですか、それとも自分の記憶にしたがって話しておったようですか。] よくわかりません。 [長い時間でしたか。] そんなに長い時間じゃなかったと思います。 [じゃあ記録を捜したり連絡をとったりするというようなことはなかったわけですね。] わかりません。 [岩田じゃないですか。あなたはセンターの岩田さんを知ってるでしょう。] 知ってますけれども、その当時は知っていたかどうかは、はっきりしません。 [あなたが5時50分の時点で、下川、井沢と措置を検討した結果、何らかの結論を出されているわけだね、その時点までに聞かれた、あるいは見られた資料というのは母親からの訴えだけですか。] そうだと思います。 [母親の言ってることだけで、以前に今井が調査したことだとか、あるいは岩田がやっていることとか、そういうことは一切なしで決めたと、こういうことだね。] はい。 [井沢課長もそういう資料しかないわけだね。あなたからの又聞きも含めて、母親からの訴え以外にはないわけでしょう。] 私は知りません。 [井沢と検討する時に、こういう資料が、こういう事実が、前にもあったんだというようなことが出ましたか。] 覚えていません。 [出なかったんでしょう。]  ・・・・・・記憶ありません。 [下川からは新たなあなたが見聞した以上の、原告本人についての事実がありましたか。] 覚えていません。 [とにかく、3人の検討の結果なんですが、それについては、あなたが見聞した以上の事実というのは、今記憶ないですね。] はい。 (略) [井沢課長に対して、母親から、こういう訴えがあるんだけれども、本人の病状はどうだろうかということで、あなたは、電話されたことがあるんですか、ないんですか。] 井沢先生には、お母さんから、こういう相談を受けているということを電話しました。 [その結果はどうなんですか。] 往診してもらうように電話をかけるようにということだったと思います。 [つまり、今あなたがおっしゃっているのは、この記録にありますように5時10分に井沢ドクター宅へTELというところですね。] はい。 [井沢課長としては、そういう訴えがあるんだったら、ほかの病院の往診を依頼しなさいと、こういう指示だったというんですか。] はい。 [井沢課長独自に、そういう訴えだったらこういう病状なんだという判断はしなかったんですね。] と思います。 [あなたも、井沢係長というのを、ふういうふうに専門医として見ていなかったわけですね。] 専門医としては見ていません。 [精神病医として、何らかの診断をくだすというような人じゃないんですね。] はい。 1976.3.2 尋問者・原告代理人 (略) [誰か相談に来た場合に、よく精神衛生業務の実態を説明して、それでいろいろ相談に乗りましょうという指示は受けていたでしょう。]  ・・・・・・。 [相談に見えた人がいたらば、精神衛生というのはこういう制度があって、こういうようないろいろな方法があるんですということを説明して、それで家族の方もこういう役割を果たしてくださいという説明をよくしなさいという指導を受けていたでしょう。] 具体的にそういう指導の場を設けて受けたという記憶は、はっきりしないんですけれど。 [あなたは、先ほど地域社会で解決していこうという方針があったという証言をしましたね。地域社会で精神衛生の問題を解決していく際には家族なり、あるいはその地域に住んでいる方に、よくいろいろな制度とか、あるいはいろいろの手続の問題とか、そういうのを教えないと運営できないでしょう。] そうですね。 [ですから、今言ったような姿勢で面接に来た人に対応しなさいという心構えを持っていたんじゃないですか。] 心構えは十分でなかったかもしれませんけど、訴えそのものは十分聞いて、それから相談しながらやっていくというような形だったと思うんです。そういうふうにやっていました。 [この件ですが、あなたは前回の証言でたとえば入院する場合に、これこれこういう手続があるとか、こういう方法があるという説明は一言もしませんでしたと証言しておりますけれども、それは間違いないですね。] はい、そうです。 [それで、お母さんなり、お父さんなりの会話で、精神病院という名前が明示的に出たこともないと、ことばとして出たこともないという趣旨の証言をされているんですけれども、その点はどうですか。] 精神病院という名称を、その時使いながら話したかどうかということは記憶しておりません。 [そういうことばが出なかったと思うということでしょう。] そういうことばを使ったかどうかは、はっきり覚えていません。 [あなたが、これは精神病院で診察を受けたほうがいいと判断したのはいつの時点でですか。] 栗田病院のほうに電話で相談したり相談センターへ電話で相談して、そのあとお母さんから電話があって、本人の状況を聞いた時点じゃないかと思います。 [お母さんが一度帰って、再度電話をして来たあとに、受診をさせたほうがいいなというふうに考えたわけですか。] そうです。 [その後、お母さんはもう一度あなたに会いに来ておりますね。] はい、保健所に見えています。 [その時にお母さんとの間で、精神病院でみてもらいましょうという話は出なかったでしょう。] 私からはしてないと思います。 [それは、どういう理由でなんですか。] お父さんとお母さんがあとで見えた時は、井沢先生や下川さんがいらしたんじゃないかと思いますけれども私は話した記憶がないです。 [前回の証言の時、あなたはお母さんとの間に暗黙の了解があったと考えているというような証言をしたんですけれども、あなたはそのあともお母さんと実際対応しているわけでしょう。] そうです。 [あなたのほうの考え方とすれば、原告をお医者さんに見せたほうがいいという考え方から、お母さんにいろいろ説明したり、あるいは、病院に問い合わせるなどの行為をしているわけでしょう。] みてもらったほうがいいということを、私が話したという記憶はありません。 [話したかじゃなくて、あなたはそういうふうな考え方で、いろいろな行動をしているでしょう、お医者さんを手配したり。] わからないから、専門・医師に相談したいと思って電話をしました。 [で、これは何とかみてもらえるようにと、いろいろ手をうったわけでしょう。] そうです。 [今あなたが証言したように、お母さんにはみてもらったほうがいいですよというふうに話していないわけでしょう、記憶ないでしょう。] 記憶ないです。 [それは、何か理由があったのですか。] 特に理由はないと思います。 [特にないといっても、あなたは原告をお医者さんにみてもらったほうがいいと思って行動をしていて、お母さんには言わないというのは、おかしいじゃありませんか。] みてもらったほうがいいかどうか、必要があるかどうかということを相談したいと思って電話をしたわけです。 [病院とかセンターとかにですね。] そうです。 [それであなたは見てもらったほうがいいというふうに判断したわけでしょう。] 最初栗田病院に電話をして相談した時は、しばらく様子をみたらどうかということでその旨、お母さんに話しました。 [結果的にはあなたはいろいろなところのアドバイスとか、あるいはその後の電話の件とか含めて、病院でみてもらったほうがいいというふうに判断したんでしょう。先ほど、そういう証言をしているんですけれども。] 判断はそういうふうにしたと思うんです。 [それだからこそ、お医者さんにみてもらえるようにいろいろ手配をしたわけでしょう。それは間違いないでしょう。] そうです。 [だからこそあなたから見れば、お母さんとの間に暗黒の了解があったんじゃないかという感じを受けたんでしょう。] はい。 [なぜお母さんにことばで、みてもらいなさいよということを言わなかったんですか。] 最初に栗田病院に電話をした時は、すぐみてもらえるような状況ではなかったんです。 [最初のことを聞いているんじゃなくて結果的にはあなたが被告の病院に電話をして、そのあとあなたが原告の家に行って、原告が連れて行かれるまで立合ったわけでしょう。] はい。 [そういう行動をあなたはしているわけでしょう。] はい。 [だから、こういう行動をしますから、お母さんよろしいですねとか、あるいは、これから受診させるようないろいろな方策をとりましょうとか、何でことばを出して言わなかったんですか、おかしいじゃないですか。] その時は、私だけではありませんでしたので、ほかの人からそういうあれがあったかもしれませんけれども、私が指導したというふうなことは覚えてません。 [ですから、あなたは、自分のやっている行動、私はあなたの息子さんがお医者さんにみてもらったほうがいいと考えるから、病院を手配したり、あるいは、息子さんのところへ行って車に乗せる手伝いをするとか、そういう行動をするので、お母さんも一緒にそうしましょうよと、お母さんに説明するのが当り前でしょう。] 説明したかもしれませんけれども、説明したというふうなことを覚えていないです。 [なぜ、そういうふうにお母さんに説明しなかったのですかと聞いているんですよ。] 覚えていません。 [あなたはその当時、お母さんに受診とか入院とかいう事項を説明する必要がないというふうに考えていたわけですか。] そのへんのことは、どういうふうに考えていたかはっきり覚えていません。 [初め、お母さんがあなたに相談に来た時に、お母さんは精神病院に入院するということに反対だったんだというようなことを言った覚えがあるでしょう。お父さんが勝手にセンターに行って云々ということで。] 最初相談に見えた時、そうだったと思います。 [お母さんは反対だったんだということを言っておるんでしょう。] 入院については反対だということだったと思います。 [お母さんが反対しているということを知っていながら、受診の際にお母さんに説明しないで自分たちの考えでお医者さんへ連れて行っちゃったという行動はおかしくないですか。] 最初にお母さんが2時に相談に見えた時と、あと、お母さんがお父さんと会って相談したあとに入院しなければいけないだろうというふうな意見になっていたと思いますが。 [思いますといっても、あなたは先ほどから入院させるという話は一度も出なかったというふうに証言しているでしょう、勝手にあなたのほうでお母さんがこういう気持だろうというふうに推測したんですか。] そうではなくて、精神病院に入院ということばを使って相談した覚えはありませんけれども、一応、入院が必要であろうということを、お母さんがあとでお父さんと会って相談した結果はそういうことだったというふうなことでした。 入院をお願いしますというような形で、お母さんたちは同じ意見だったという連絡がありました。 [初めお母さんは精神病院に入院させることを反対していたと、これは間違いありませんね。] はい。 [次以降入院という話が出た時も、精神病院に入院させるというような話は、まず出なかったと、入院ということばを使ったとしても、これも間違いないわけですね。] 二回目か三回目に連絡があった時に精神病院に入院というふうな意味で、精神病院ということばは使わなくても、入院ということで、お母さんとお父さんがおい出になった時はそういうことで、おっしゃっていたと思います。 [それが精神病院を意味するんだというふうに考えたわけですね。] そうです。 [その際も、なぜ精神病院の入院にはこれこれこういうような制度がありますよという説明をしなかったんですか。] 私からは説明していないと思います。 [なぜ、しなかったんですか。] 入院前の入院に関しての説明とかそういうのは、私からはしていませんけれども、井沢課長か、下川さんからあったんじゃないかと思います。私がその時そういう役割をとらなければならないような状況ではなかったというふうに思います。 [と思いますと言うんですけど、実際あなたは二回目にお母さんとお父さんが来た時に、付きっきりだったわけでしょう。]
ずっとそばにいたかどうかはっきり覚えておりません。
[要するにあなたは自分で現認した限りでは、あなたなり、あるいはほかの人が精神病院に入院ということばを使ったという事実はなかったわけでしょう。]
私の見た範囲ではないです。
[すると、お母さんが同意したんだろうということはあなたが推測したということですか。]
推測ではなくて、同じ意見になったということは聞きました。入院ということについて、お父さんとお母さんの意見が同じになったということを聞きました。
[誰に聞いたんですか。]
お父さんかお母さんかどちらかだと思います。
[それは精神病院に入院ということばで聞いたんじゃないでしょう。]
普通、入院というそういうことで、精神病院、精神病院というふうにそういうことばを出していつも話すというような形ではないと思うんですよね。だから入院というふうなことでしか聞いていないと思います。
[あなたは精神病院のことだというふうに考えたわけ。]
そうです。
[当日センターに連絡した際に、お母さんは反対しているので、お父さんのほうから同意をとりなさいという指示を受けたんじゃないですか。]
そういう指示はありませんでした。
[保養院に電話をかけた際、お医者さんは何時頃まで残っておるかという点は確認しましたか。]
確認していないと思います。
[あなたはその時受診させたいという気持で連絡をとったわけでしょう。]
はい。
[そうすると、お医者さんは残っていなくてもいいんだという気持だったわけか。]
いいえ、精神病院には先生は常時いらっしゃるというふうに考えていました。
[それで確認をとらなかったわけ。]
何時までいらっしゃるというような確認はとっておりません。
尋問者・原告代理人(木村)
[当日保健所にたずねてきた下川というのがいますね。この人は専門は何ですか。]
精神衛生相談員です。
[精神衛生相談員というのは、専門が分科しているんじゃないんですか。]
精神衛生法に精神衛生相談員でありますし、精神のほうの勉強をされていると思います。
[精神衛生センターで精神衛生相談員というのは何人いるか当時ご存じでしたか。]
はっきり覚えていませんけれども、兼務で7、8人だったと思います。
[それぞれ所掌分野が違うんでしょう、たとえばあなたがなさったようにこれは保健所なんかが直接訴えを聞いて、どういうふうに処理したらいいかということをやる人とか、そういう一つの精神衛生業務ですね、ほかにもあるわけでしょう、たとえば、病院との連絡をとって事務処理をする人とか、あるいは措置入院に関して尋問を司る人とか。]
そういうふうな業務負担があったということは聞いておりません。
[下川さんという人は体格のいい人ですか。]
そうですね、いいほうだと思います。
[身長はどのくらいの人ですか。]
よく覚えていませんけれども、167、8センチだったんじゃないかと思います。
[かなり体ががっちりした方ですね。]
そうです。
[当時、いくつぐらいの方でしたか。]
27、8才だったんじゃないでしょうか。
[この方がたとえば入院の手続について事務処理ができるとか、そういうことは確かめられませんでしたか。]
少なくとも私よりもそういうことに詳しいというふうに思っていました。
[精神衛生センターでは市民からの依頼によって病院に入院させるような手続をとるようなことはあったんでしょうか。]
わかりません。
[保健所で入院させたいんだけれども紹介してくれないかとかいうふうな依頼があった場合にどこそこの病院を紹介したり、あるいはわざわざ付いて行って入院の手続をとってやったり、そういうことをやっていましたか。]
病院を紹介したりということはあったんじゃないかと思いますけれども、そういうのは精神衛生の担当者がやっておりましたから。
[つまり、保健所の担当者ですか。]
そうです。
[あなた方が普通、収容ということばを使う時は何を意味するんですか。]
入院だと思います。
[当日あなたは多摩川保養院に電話をしたということですね。]
そうです。
[その時に原告の病状について、何か病院に報告をしましたか。]
お母さんから聞いた範囲のことを報告したと思います。
[事実を述べただけですか。]
そうです。
[それはお母さんから聞いたんだということも付け加えられましたね。]
はい、付け加えたと思います。
[原告に赴いた時に、井沢課長、それからあなた、下川、お父さん、それと警察の方が2名いたんですか。]
警察の方は何名かはっきり覚えていませんけれども。
(略)
[先ほど菅原代理人から聞かれた点で確認しますが、お父さんもお母さんもあなたの前では同意入院の同意はしていないのか。]
同意入院の同意じゃなくて、同じ意見に立ったということだったと思います。
[だからそれは精神病院の入院であれ、入院するという意見にたったからといって、精神衛生法による同意じゃないでしょう。]
そうだと思います。
[その診断結果が入院ということになった場合、あなた方は何入院だと思っていましたか。]
私は当時入院とか法律に対して一応読んでおりましたけれども、詳しくは知らなかったと思います。
[だけど措置入院とか同意入院とか、自由入院とかあるというのは知っているでしょう、常識でしょう。]
はい。
[だからY君の場合は何入院だというふうに思っておりましたか。]
入院の方法が何入院だというふうには考えていなかったと思います。
[そうするととにかく車で病院に警察付き添いでやったことで全部あなた方の業務は終ってしまったんですか。]
私の仕事はということだと思います。
[車で下川が多摩川保養院に行った時に、何か資料のようなものを持って行きましたか。]
私は知りません。
(略)
尋問者・原告代理人
[原告の家に車で行った際、お母さんがあなたと同じ車に乗っていたという記憶はないですか。]
一緒だったかもしれませんけれども、よく覚えてないです。
[あなたが相談記録というのを作成して、その中に病院に収容時、お母さんはいなかったと、あえてそう試みたというような内容の記載があるんですが、そのことから考えて思い出せませんか、はっきりしたことを。]
お母さんが相談に見えた時から、お家に帰るのは恐いということで保健所から一時お帰りになった時も、自宅でなくてご近所かお友達のところか、そういうところにいらした状況でしたので、家にはお母さんは帰れないというか、帰りたくないというか、そういう状況だったと思います。
[私が聞いているのは、収容時不在という部分に関係して、まず、お母さんと一緒に原告の家に向いましたね。]
はい。
[その際にあなたの車にお母さんが乗っていたかどうかそこらへんの記憶をよび戻してほしいということなんですが、乗っていたんじゃないんですか。]
 ・・・・・・・・。
[あまり確かでない。]
はい。
[あえてそう試みたという記載をした記憶は、あなたはあるわけでしょう。]
書いてあればそうです。
[その意味なんですが、どういう意味ですか。]
お母さんが家へ帰るのが恐いというような状況だから、家へ一緒に行くということは無理だというような判断があったんだと思います。
[あえてそう試みたというのは、保健所の側からみてそう試みたんだという記載なんですが。]
お母さんがお家へ帰るのに帰れないような状況だから、家に帰って刺激にならないような形で、あえてそういうふうにしたということだったのかもしれません。
[刺激を与えるといけないから、ここで降りなさいよと言って車から降ろして、家にいない状態を作り出したというふうに考えていいんですか。]
降りなさいと言った記憶は私にはないです。
[ことばで出たかどうかは別にして。]
そういうことだと思います。
[先ほど、入院のことを全然考えなかったと、入院の場合を想定しなかったという証言でしたけれども、それは間違いないですか。]
可能性としてはあったというふうなことだと思います。
[その場合にお母さんも一緒に病院にやらないとまずいんじゃないかという考えはなかったですか。]
お母さんが一緒に病院へ行くということは、無理なんじゃないかというふうに考えていたんじゃないかと思います。
[あなたもそういうふうに考えていたということ。]
私はそういうふうに感じていたと思います。
[お母さんは病院に行かないでもいいと考えていたわけね。]
行くのは無理だろうというふうな考え方だったと思います。
尋問者・輔佐人(吉田)
[保健所の相談記録についてお伺いしますが、いつもメモをとってから、このように改めてきれてに書くんですか。]
人によって違いますけれども、私は当時メモをとってから書いていました。
(略)
[いつも必らず時刻を含めてこのように詳しく書くんですか。]
私はなるべくそういうふうに心得たいと思っておりました。
(略)
[メモにないことは書かないんですか。]
書きません。
(略)
[TEL連絡とスタンプがありますが、そのスタンプは、これはやはりメモを見ながら打つんですか。]
そのスタンプは私が押した記憶はありません。
(略)
[もう一つ記録の中にあります医師の診断では母方の分裂病というのがありますが、これは誰から聞いて書いたんですか。]
下川から聞いて書きました。
(略)
[普通、受診でも入院でも、何科に行くかということは、どうしても大事なことですから明示しないことはないと思うんですね。]
[精神科だからいわないということは私共の経験からは、あり得ないことですけれども、本当にそれをいわなかったんですか。]
いった記憶はないです。
[つまり暗黙の合意とおっしゃるんですけれども、普通ならば明示しての合意であって、しかるべきところが、何故暗黙といわれているかということなんです。][そのいきさつをもう少し伺いたいんです。]
普段、相談のときに精神病院という、わざわざ断わらなくても、必らずしも断わらなくても通じるというようなことはあったと思います。
[それは、しかし、当時者が患者であるということが明白な場合であるとか、そういう場合にいえにことじゃないんですか。]
私は一応お母さんのほうで、お父さんが精神衛生相談センターに行ったということを話していらっしゃいましたし、そういうことで特に名称をあげてというようなことで、話してなかったかも知れませんし、ちょっとよくわかりません。
[ただお母さんが反対だということは、あなた自身ご存じだったということを証言されておりますんで、私質問したわけです。]
[ですから暗黙の合意という根拠を何故、つまり、あなたがいわれた意味は精神病院を含めての暗黙の合意といっておるつもりなんですけれども、その根拠がいまだに明白でないと思うんですが、どうして精神病院を含めて合意と認められたんですか。]
それはお母さんの話の中から、精神衛生相談センターにお父さんが行って相談をして、そういう話の中から、お母さんとしては最初の段階ではなるべく入院をさせたくないとおっしゃってましたし、そういうところから、そういうふうに判断しました。
[むしろ、最初にセンターにかかったからというだけですね、それだけの根拠ですね。]
そうです。
[もう一つ、精神病の疑いがあったと思うという件ですが、これはあなたの証言では、そういう判断はしていないともおっしゃっていますけれども、前回栗田病院に電話したいきさつを聞かれたときに、お母さんから相談を受けて精神病の疑いがあったと思うと述べておられるんですね。あなた自身が、そう思ったということ思うんですが、その意味なんですが、疑いがあったということは、精神病の疑いが濃いという意味なんですか。]
疑いがどの程度濃いかということは、当時の私には、わからなかったんじゃないかと思います。
[もしかすると精神病かもしれないという程度のことだったんですか。]
そうです。
[そう思った根拠は、どういう点でしょうか。]
お母さんからの話の中から、精神衛生相談センターで相談したり、栗田病院に電話したりして相談したりとかそういうことから、そういうふうに思ったんだと思います。
[お母さんの話から、そう思ったと。]
お母さんから相談を受けた内容から栗田病院や精神衛生相談センターへ電話して、そういうふうに思ったんだと思います。
[お母さんのいわれたことを栗田病院の先生に話したということなんですか、まず。]
お母さんがこういうことを相談に見えているんで、どうしたものでしょうか、と話したと思います。
[そうしたら栗田病院の先生も何かいったというんですが、精神病かも知れないといったというんですか。]
どういうふうにいわれたかということは、はっきり覚えてません。
[あなたは、あまり精神病のほうは、お詳しくないということなんですけれども、それでも独自の判断を出した。あなた自身のそれなりの判断で、精神病かも知れないと思ったということですか。]
いろいろな所に相談しながら、そういうふうに思ったんだと思います。
[どの程度疑いが濃いとかいうことはわからなかったということですね。]
はい。
[この原告の場合を精神衛生法の精神衛生鑑定にかけようという考えは持たなかったんですか。]
私は持たなかったです。
[あるいは下川さんとか、井沢さんは、如何でしたか。]
わかりません。
(略)
[そういうものを適用する場合についての知識は如何でした。]
当時よくわからなかったんだと思います。
[指導は受けていなかったんですか。]
指導受けたかどうか具体的に覚えてません。
[精神衛生鑑定の意味をどう理解しておられますか。]
当時は自傷の疑いがある場合に、鑑定2名の診断によって措置入院という制度があるぐらいの表面的なことぐらいしか知らなかったんじゃないかと思います。
[例えば、その制度が患者の人権を守る方に用いるべきだと、そういう指導は・・・・・。]
当時どの程度きちんと、そういったものを自分自身がもっていたかということは、はっきりしません。
尋問者・原告代理人
[当時お母さんが初めて来たときに、精神科でない病気で治療させたいという相談はされませんでしたか。]
そういう所で治療させたいということではなくて、そういう病名でもって受診させたいということでした。
[何を受診させたい。]
精神科の受診というふうに受取っていたと思います。
[そういう病名でもって受診させたというのは、入院は違う病名でさせたということの意味なんですか。]
受診の場合も、そういうほかの病名でもって受診させたいということでした。
[そういう病名で受診させたいということなんですけれども、どういう病院でまず受診させたいという希望でした。]
どういう病院でという話はなかったと思います。
[お母さん最初に来た時に、精神病院にみせることは反対であるという意見はあったわけでしょう。]
[先程そういう証言しませんでしたか。]
精神病院でみせるということが反対だという話ではなかったと思いますけれども。
[お父さんが精神衛生センターに行ったり、あるいは精神病院に入れようという話をしているけれども、自分は反対なんだという説明したんでしょう、初め。]
そうです。お父さんが精神病院入院というふうなことをいっているけれども、自分は精神病院に入院ということは反対だというふうにおっしゃってました。
[精神病院に、とにかく行くことが反対だったんでしょう、受診だけは賛成だったんですか。]
ほかの病名で受診はさせたいということでしたけれども、それが精神病院のことか、それとも保健所なり、家庭への往診だとか、そういうことの確認はなかったと思います。
[それで、あなたは、どういうふうに考えたんですか。その際にお母さんの気持をどういうふうに理解したんですか。]
お母さんは本人に対しては・・・・・・。
[本人を精神病院に連れて行くのではなくて、ほかの科がある、名目が立つようないろいろな科がある病院に連れて行きたいという希望を持っているんだなというふうに考えたんでしょう。]
いいえ。
[じゃ、どういうふうに考えたんです。]
ほかの病院、そのものに行ってというふうには確認していませんし、そういうふうにとられてなかったと思います。
[あなたはどういうふうに考えたんですと聞いているんです。]
お母さんは、ほかの病気のことをみるということで、ほかの病名を使って専門医にみてもらいたいというふうに、受取っていたんだと思います。
[その意味は、本人には例えば内科でみてもらんだよといって、実は、精神科しかない精神病院でみてもらうんでもいいんだと。]
裁判官
精神病院といっても誤導なんですよ。当初の段階では最初は往診してもらうことを努力したんじゃないですか。
尋問者・原告代理人(菅原)
[どうなんですか。]
行くということではなくて、みてもらうときに、ぎっくり腰とかなんとか、そういうほかの病気がどうなんだということで、みてもらいたいということです。
[そうすると病院に連れて行きたいという話は、そののちは出て来たわけでしょう、その日のうちに。]
その日のうちにですね。
[うん、初めは病院に連れて行きたいというふうにいい出したときに、あなたが今いったように、ほかの病名で連れて行きたいというふうな希望を洩らしていたんですか。]
いいえ。そういうふうに聞いていません。
[そうなりますと、病院に入れたいとお母さんがおっしゃったことについて、精神科の病院に入れたいというふうに理解した根拠、それがよくわからないんですけど、もう一度ちょっといってみてくれませんか。]
先程申しましたように、お父さんが精神衛生センター云々ということと、それからほかの病名で受診させたいということでしたので、そういうふうにお母さん、わかっていらっしゃるものだというふうに判断したと思います。
[精神病院に連れて行ってしまえば、ほかの病院で受診させるということが無理になっちゃうんじゃないんですか、そう考えなかった。]
あとから、お母さんのほうから電話があったときのお母さんは、ほかの病名でということでのこだわりは聞いてなくて、もっと切迫して困ったから、両親で話合ってお願いしたいということだったと思います。
尋問者・原告代理人
[あなたが前回主尋問に答えられてある点なんですが、お母さんは、まず、お父さんがセンターに相談に行ったということを怒っておられたわけでしょう。]
そうです。
[何故、怒っておられたんですか。]
お母さんに相談なく行ったということ。
[ですから何故怒っているんですか。]
お母さんに相談なく独断で行ったということです。
[それで怒る人いないでしょう。]
[あなたそれで怒った理由がわかった気でいるんですか、お父さんが子供のためにセンターに行ったと、私に相談なく行ったからといって怒るということで、あなたは、それで理由のすべてだと思いましたか。]
それだけじゃなかったかもしれませんけれども、そのときにきちんと確認していないです。
[あなたは一般的に窓口みたいにして一時的にしろやられたんで、おそらく精神病というのがどういうふうに世間でみられておるか、わかるでしょう。息子が精神病院に行ったと、あるいは精神病であるというふうに宣告された場合に、親はどういうふうに思うと思いますか、普通の病気を宣告されたと同じ気持だと思いますか。]
そうじゃないと思います。
[大変なことでしょう、だからお母さんとしては、精神病に連なるような精神衛生センターへの相談を独断でやったのが腹立たしいと、そういうことだったんじゃないですか、そうでしょう。]
そうだったかもしれませんけれども、そこまで話したかどうか覚えてないです。
[あなたは、お母さんは非常に不満に思っていらっしゃったと、入院がもし必要ならヘルニアとか、ぎっくり腰とか、ほかの病名で入院させたいというふうなことをおっしゃってましたから、そういう言葉、つまり精神病、そういう言葉使った記憶私ありませんと、こうおっしゃっているんですよ。]
[お母さんが非常に怒っていると、息子が精神病というふうに宣告させるような方向への相談に対して、しかもあなたの言葉でいえば、もし入院が必要だといっもヘルニアとか、ぎっくり腰とか、そういうほかの病名で入院させたいと、だから精神病という言葉を使いませんでした、あなたの証言の内容は。]
そういうふうにいっていたつもりはないです。
[入院の病名がヘルニアとか、ぎっくり腰なんですよ、あなたのおっしゃったお母さんの言葉というのが、それが今日の法廷では変ってきているわけですよ。お母さんは、精神病で入れても構わないんだけれども息子に対してはヘルニアとか、ぎっくり腰にするんだというわけでしょう。だから、そのくい違いは、どうなのかと、先程から相代理人も聞いている。]
裁判官
そうはいっていないでしょう。入院とまでは。
受診ということに限られると思いますよ。
尋問者・原告代理人
[受診ですね。前回の証言では、入院までいっているわけですからね。お母さんの言葉として・・・・・・・・ですから、そういうお母さんの気持があって、あなたがたとしては精神病ということに話を持っていかないように努力なさったんじゃないんですか、お母さんの気持があるんで・・・・・・。]
 ・・・・・・・・・。
[精神病の疑いがある人に往診をあなたは依頼されたことはありますか。]
具体的に思い出せないんですが。
[往診を依頼した際に、うちの保護室は一杯で入れられないから往診できないとか、入院が無理だから、入院させる施設がないから往診できないとか、こういう答えになって帰ってくるんですか。]
往診して必要だった場合にそういう用意がないからというようなことだと思います。
[保護室があるなしと、往診できるできないとは別でしょう。]
一応別ですけれども常識的にはやはり往診した以上、そこまで病院の先生としては、往診した結果どうするという予測をしてお考えになったんじゃないかと思います。
[自分の病院に入院させることができなければ、往診しないというふうにですか。]
そういう場合には、ほかの先生に任したいというふうなこと、理解できるような気がするんですけれども。
[往診をあなたが依頼されたのに対して、往診は保護室がないので駄目だと、こういうふうに断られたのは、これはあなたとしては疑問に思いませんでしたか。]
先程言いましたように、もし必要だった場合に先生としては自分の病院でみることができないということが予測された場合に、断られたのは、当時理解できたんだと思います。
[あなたとしては、いや往診だけでも結構ですと緊急を要しているんですという依頼はされなかったんですか。]
してないと思います。
[そうすると依頼する時には、保護室はあいておりますか、というふうに聞くんですか。]
いいえ、そういうわけではありません。
[あなたは栗田病院に電話しておりますね。4時40分に、その栗田病院からの回答は、保護室が一杯で往診内容は無理とのこと、という回答になっていますね。]
はい。
[あなたとしては、収容はともかくとして、往診だけでもというふうに依頼した記憶はないんだな。]
ないです。
[井沢先生のほうから、他の病院に収容してもらうように指示があったわけでしょう、書いてますからね。あなたは、あなたは先程、私の質問に答えて、収容というのは、入院のことだとおっしゃいましたね。]
はい。
裁判官
[正確には収容依頼の指示ということですよね。]
木村弁護士
[ですから、入院を依頼せよということですね。他の病院に入院というふうにおっしゃってたわけでしょう、その時点で。]
必要になった場合に入院もできるようということも含めて栗田病院で駄目だったら、ほかの病院に電話して頼むようにということだったと思います。
[収容を依頼しなさいという指示を受けたと、はっきり書いているから、それは入院を、あなたに依頼してくれと、ほかの病院に、そういう指示があったんでしょう。]
具体的な言葉で、どういうふうにおっしゃたのか、わかりませんですけれども、一応、そういう入院の可能性も含めて、そういうことで、ほかの病院も探すようにということだったと思います。
[入院しないのに何で病院を探す必要があるんですか。]
みてもらえる・・・・・・・
[みてもらうということは一言も書いてないですよ、ここには。その一段の欄に多摩川保養院で、来院すれば入院できるとのこと、ここで多摩川保養院ということが決ったんじゃないんですか。入院先が多摩川保養院だということが。]
最終的に入院かどうかということの決定は、専門医が行うことですから、往診をして下さる病院はなかったんですけれども、行けば診察して、必要ならば入院させてくれるというふうな・・・・・・
[多摩川保養院で、来院すれば、入院できるとのこと、という言葉に、あなたは、そういう意味をもたしているわけですか。今、おっしゃったように。]
そうです。
(略)
尋問者・原告代理人
[あなたが保健所の記録に書かれた原告宅訪問の際の記述は、あなたのメモに基づいて書いたんでしょう。]
そうです。
[原告宅に行ったときに、メモしたメモにすべてその記載があったんですね。]
訪問の前段階まではメモをとってましたけれども、訪問の段階になってからはメモをとっていません。
[それじゃ、あなた方は説得入院というのは、どういう意味で使うんですか。]
現状が、こういう現状では、例えば困るから、そういうことで本人に先生にみてもらうというような形で説得するということで使う。
[つまり診断をすゝめるのが説得入院ということなんですか、あなたの説明だと。]
その当時、そういうように思って書いたんじゃないかと思います。
[説得入院を試みるというのは、診断を受けなさいと、説得することなんですか。通常の用語法を聞いているんですよ。]
むりやりに入院ということではなくて、本人の了解を得るという形でみてもらって。
[みてもらんですか、入院させるんですか、どっちなの。]
みてもらうというような形で話をするんだと思います。
[それが説得入院というんですね。あなたにいわせれば間違いないですね。]
 ・・・・・・・
[説得入院という言葉は保健所ではよく使われる言葉ですか、実務上。]
使われていたと思います。
[説得入院というのは、どういう意味ですか。あなたがこのときに、どういう意味で書いたかということは、あとで聞きますからね。どういう意味で実務上使っているんですか。]
本人の了解を得て入院をするように。
[だから、強制入院、同意入院、自由入院というように分ければ自由入院のことでしょう。]
そうですね。
保健所相談記録を示す。
[10月11日の午後7時30分の項を見て下さい。患者宅訪問し、井沢先生、下川と北浦、あなたの旧姓ですね。で一応の説得入院を試みたとありますが、その説得入院は、どういう意味で書かれたんですか。]
本人の了解を得て入院ということだと思いますけれども。
[それをあなた方努力しなさったんでしょう。]
説得に努力したということです。
[Y君にあなた入院しなさいと、そういうふうに説得したんですね。]
入院しなさいというふうな説得じゃなかったと思いますけれども。
[説得入院を試みたというのは、どういうことですか。]
ここでこう記載したとき、後日結果がわかって、あとから書いたんで、こういう書き方をしてしまったんじゃないかと思います。
[どういう意味で書いたのか。]
病院でみてもらうということを試みたいということの意味で書いたんだと思います。
[何故、説得入院を試みたと書いたんですか。通常の用語例と違うのにどうして説得入院を試みたと書いたんですか。]
結果がわかってしまったから、そういうふうに書いたんじゃないかと思います。
[どうして、そういうふうになりますか。結果がわかったから説得入院を試みたという記載に。]
厳密には受診を試みたが、ということではないかと思いますけれども、あとで書いたときに結果がわかってしまって書いて、わかった上で書いたときにこういう書き方をしたんだと思います。
[だから、それがわからないんですよ。先程、裁判所からちょっとあったように入院か受診か、結果が入院したんだから入院と書いたと、結果的に書いたんだから、それはあり得ると思うんだが、結果入院になったから、説得入院を試みたということにはならんでしょう。]
入院というような疑いとか、そういうような可能性としてありまして、そういうようなことで最終的には専門医が判断して決定が行われることなんですけれども、そういうようなところから、こういうような書き方をしたんじゃないかと思います。
[あなたは医者に往診を依頼するというふうに思いたった、それはお母さんの話からですね。]
そうです。
[これは精神病の疑いがあるんじゃないかと、こう思われたからということですね。]
はい。
[本人に話を聞いてみようという気はありませんでしたか。]
本人に話を聞いてみなくてはいけませんけれども、私自身がそれを行うというふうには、当時、思っていませんでした。
[で、誰が行うということを思っていたんですか。]
誰か、もっと経験の深い人にというふうに思ってました。
[医者が往診のときに、聞くとか、そういうふうには思っていなかったんですか。だから、それでいいんだというふうに。]
そうだと思います。
[お母さんの話を一方的に聞いて、本人には直接あたらないまま、あなたは、精神病の疑いがあると判断されて、それでいろんな行動をとられた。どうして原告に、まず、その話を聞いてみようという気は起らなかったんですか。]
私自身じゃなくて、ほかの人に、できれば専門医に聞いてもらったほうがいいと。
[あなたが往診を依頼された専門医もその一人ですか。]
そうです。
[そうしますと、この日は土曜日の午後でしたね。疑いがあるというので、しかもあなた方は勤務時間外。]
私は日直ですから。
[あなたは、そうでしょうけど、井沢さんとか、下川とか、そういう勤務時間外の方が医者に受診を頼んで、その際に、原告から事情を聞くという手以外には考えなかったんですね。]
私はそうです。
[普通そういうふうに処理してよろしいんですか、保健所のやり方としては。]
こういう場合、主に精神衛生相談医(「員」が正しいと思うー事務局)で、精神衛生担当者というのが相談に応じる場合が殆んどで、私が日宿者として、そういうふうなことで精神衛生の対応の仕方だったらどうかということは、ちょっと私はわかりません。
[あなたとしてはわからないと、こういうことだね。]
はい。
[井沢課長という人は、どうでしたか、本人から話を聞いてみろというふうには指示されませんでしたか。]
私に聞いてみろという指示はされませんでした。
[井沢課長も、その自宅にいかれるまでその努力はなさらなかったでしょう。例えば、お父さんやお母さんに、連れて来てみないかというようなことは。]
私が聞いた範囲では、そういうの聞いていません。
[だから当日、具体的には、あなた方として、本人に直接あたるのは、まず受診のためのお医者さんなんだと、こういうことだったんだね。]
そうです。
[あなた方が今まで、さんざんいって来た受診のためのお医者さんに、本人に初めてあたってもらうということだったんだね。]
はい。
(略)
尋問者・裁判官
[先程の証言ですと、あなたが相談記録を書かれて、それを上司の手元に持って行くわけですか。]
提出するということになっていました記録を。
[すると、あなたの目の前で、あなたの回答内容をみてくれるわけですか。]
目の前の場合もありますけれども、大抵は、そうじゃなくて、すべての訪問がそうでしたけれども、母子とか、そういう訪問は、一応、上司が見るというか、そういうシステムになっていたんです。
[だけども、先程の証言ですとTEL連絡このゴム印は、あなたが押した記憶はないと・・・・・その見てくれた上司が押したんではなかろうかと、こうおっしゃいましたね。]
はい。
[どこの部分が電話の連絡かということは、あなたに聞かなければ、わからんでしょう。
この内容からいくと、電話で連絡したという記載がある部分もありますけれどもほとんどが、そうじゃないんですね、聞かれて、あなたの目の前で押したか・・・・・。]
聞かれて押されたというふうな記憶ないです。
[そうすると、あなたが提出したときにすぐに検閲しながら、あなたの説明を聞きながら押したんじゃなかろうかという推測が成立つんですけど、そういう記憶ありませんか。]
覚えてないですね。記録を読みやすくはっきりさせるためという意味でゴム印を使うというふうな習慣があったんですよ、その当時、よく読まないとその内容がつかめないからゴム印でTEL連絡、訪問ときちんとゴム印で押してあると記録そのものが読みいいとか。
[そうすると、あなたがそういうふうに押せと指示されて、あとから押したということは、あり得るわけ、ただその辺の記憶があいまいになっている。]
あいまいです。
[どうなんですか、そういうこともありましたか、当時、こういってゴム印を押した。]
あると思いますけれども、この場合、どうだったか覚えてませんけれども。
[とにかく、あなたの手元には、こういうゴム印は、なかったということですか、結論は。]
ゴム印は誰でも使える場合にはありましたけれども誰が押したかということは・・・・・・。
[同意入院という判を押しているんですよ、これは、どうですか、記憶ありませんか。]
私が押した記憶はないです。
[乙11号証の、こういう相談記録はきちんと整理されているんじゃないの。]
保管箱に入れて整理されております。
[当日、原告の母親が見えたときに今井との接触があるということは、聞いたわけでしょう。]
そうです。
[こういう相談記録がすでに、もうできているというふうに考えたんではありませんか。]
 ・・・・・・・・
[そのときに、見なかったとおっしゃるから、見たという記憶出て来ませんか。]
 ・・・・当時、どうだったか、非常にあいまいなんですよね。
[今のやり方からいえばすぐ相談記録ができているんじゃないかと考え及んで、前の記録を見ながら相談に応待するというのが普通ですけれども、その頃は、そこまでしたかどうか記憶がないということですか。]
そういう記憶はないですね。
[月曜日におそらく記入したんであろうという答えですが、そのときは、できてたことは事実でしょう。]
そうです。
[前の記載がね。]
はい。
(略)
[素人の立場で聞くんですが、前に精神病院に入院した病歴がなくまた精神病であるというような診断を受けたことのない人が初めて精神科のお医者さんに診断を受けて、精神病という診断を受け、あるいは疑いを持たれたときに、一旦帰して、もう一度来なさいとか、あるいは、通院するというような可能性はパーセンテージとしてはあるんですか、ないんですか、他の病気だったら通院なんていうことは、いくらでもありますよね、こと、精神病に限って、専門医がみて病歴がなくて、精神病という診断なりそういう疑いを持たれて、また、おいで下さいとか、あるいは、入院しないで通院でまかなえるというようなことがありうるのかどうか。]
あります。
[例えばどういう場合ですか。]
 ・・・・・・・
[前に精神病で入院して、ある程度、治療を受けたというんじゃないんですよ、私の聞いているのは。]
はい、あります。事例的にでもよろしいんですか。
[事例的にでもよろしい、あなたの得ている知識でも。]
そういうことはあるし、そういう方向での努力は、ずうっとされていると思いますけれどもなるべく入院という形をとらないという方向でやるということで、実際に、そういう例はあります。入院しないですんで、通院ということはあります。
[普通の病気と違って精神病の診断なり、精神病の疑いというのは、非常に日常の患者の状態をみて、結論を出される病気ではなかろうかと思うんですが、それで初診の場合、病歴がない人に、そういう疑いをもって往診ということが、ちょっと可能性としては、少ないんじゃないかと、素人は考えるんですがやはり精神病だという一応の診断なり疑いを持たれたら、まず前提としては入院をしてもらって経過をみるということに連がるんじゃないんですか、精神病の定義にもよりましょうけれども。]
今は、初めての発病なら、なるべく入院じゃなくて、在宅の方向で努力したほうがいいということで、そういう努力をして、やむを得ない場合に入院というふうな形です、というふうに理解してますけれども。
[今はという時点は、いつ頃からをいっているんですか。]
当時も、そういうことは、あったと思いますけれどもね。
[特に今はとおっしゃる、最近、そういうような傾向が出て来ているということでもあるんですか、あなた方を含めた専門家のあいだに。]
そうです。
[その、最近というのは、いつ頃ですか。]
40年の法改正あたりから、そうだと思います。
[精神衛生法の改正ということですか。]
はい、ちょうど歴史的には、段々そういう傾向だというふうに。
[先程、原告代理人がいろいろ聞かれたけれども、その前提になっているのは当時のあなたの意識とすれば精神病の疑い、あるいは、精神病という初めての、そういう診断が下った場合、即入院というふうに認識されてたんじゃなかろうかとも思うんですが、違いますか、当時の証人の認識というのは。]
そうじゃないと思うんですけど、だけど自分で、どういうふうに対応するかということの具体的に、そういうことでは経験が浅くて、よくわからなかったということです。
保健所相談記録を示す
[お母さんは結局何時頃に一旦帰ったんですか。]
3時以降だと思います。
栗田病院に電話をして、相談して、その結果もう少しお家へ帰って様子みてというふうなことですから、3時以降だというふうに思います。
[そうすると、午後3時、栗田病院TELこの記載まではいたわけですね。]
はい。
[栗田病院に電話をかけたのは、お母さんの目の前でかけたんですか。]
記憶がはっきりしないんですけれども、日直する場合、大抵は自分の席でしますので、その近くの電話でということだと思います。
[この電話の結果、嘱託医の先生に来てもらえないんだということは、お母さんに話してあるんですか。]
話したんではないと思いますけれども、はっきり覚えていないです。
[ただ、今の証言だと、その結論をお母さんに告げてから、一応、お引取り願ったというふうに証言されたようにみえるんだけれども、記憶では、そういうことですか。]
はい。
[すると、4時あるいは4時20分にお隣あるいは母親から電話があるまで、あなたは、何も行動をとらなかったということになるんですか。]
3時半に相談センターに電話して聞いています。
[その間に、とった行動というのは、あとで括弧書きで加えた3時半に衛生センターに入れたこの電話だけということになるわけですか。]
そうだと思います。あとのことはよく覚えていないです。
[少なくとも、井沢課長には、お母さんから電話してきたあとだということになるわけですか。それとも、その前に井沢課長に電話してるんですか。]
わからないです。
尋問者・原告代理人
[5時50分にあなたと井沢課長、それから下川でこれからの事情について検討しましたね、その時の相談記録の記載は、その当時のメモによるものですか。]
そうだと思います。
(乙第11号証 5時50分の欄を示す)
[1番下から3行目に説得入院の可能性がうすいというふうに書かれておりますが、これは、あなたが先ほど一般的な用語例として定義された説得入院の意味ですね。]
そうです。

下川元ケースワーカーの証言

1977.10.27
尋問者・被告弁護人
[昭和44年10月当時、あなたは、川崎市のケースワーカーとして勤務しておりましたね。]
はい。
[どこの保健所勤務でしたか。]
多摩川保健所でございます。
(略)
[44年10月11日にYという少年の多摩川保養院への入院、これに関与されたことがありますね。]
はい。
(略)
[多摩保健所に勤務しておられたあなたがなぜ大師保健所のそれに関係されたのか、その経緯を簡単に言っていただきたいんですが。どの時点からあなたは、それにかかわりをもつようになったんですか。]
当時たまたま私用で川崎市にあります精神衛生相談センター相談所というところに、私行っておりまして、保健所とセンター側で、相談があったことについて。
[保健所というのは、大師保健所ですか。]
はい。という電話なんかのやりとりがあったんですけれども、5時10分ぐらい前になりまして、家族が入院をさせることに、いわゆる同意したということで、どこか本人を診てくれる病院がないかどうかという電話の連絡があったわけですけれども。
(略)
[あなたが、かかわりを持ったのは。]
その後、センターに二台電話があったと思いますが、5時過ぎますと、ほとんどの病院というのは、夜間態勢にはいってしまいますし、往診も、もちろんだめですし、いくら家族が入院させたいということがあっても、それは不可能になるという判断をしたものですから、保健所側とセンター側で同時に近くの病院を捜したわけです。きょう入院させてくれるところがあるかどうかですね。時間的に切迫してたものですから、その時点から、私も一台の電話で手分けしまして、病院に連絡をしてその時点から私、この件に関与したと思います。
[あなたが病院捜しの手伝いという形で、これにかかわりを持ち始めた、その時点では、両親の同意があって入院と、あなたは、お聞きになったわけ。]
はい。
(略)
[どうして大師保健所、行くことになったんですか。]
当日、土曜日だったわけで、おそらく保健婦さんが当直という形で大師保健所におられたわけです。専門の大師保健所の精神衛生相談員及び医療ケースワーカーというものがおられなかったものですから、私のほうから自発的に行ったのか、それとも頼まれて行ったのか、明確な記憶はありませんけれども、お手伝いという形で行きました。
(略)
[大師へ行って、あなたとしては、どんなことをなさいました。]
大師保健所側の相談の内容だとか、いわゆる御両親の訴えに基づくわけですけれども、経過その他、担当の保健婦その当時いました保健婦から聞いたりあるいは記録なんかを一応見たのではないかと思います。
[センターの記録は、どうでした。]
センターの記録は読み、そして参考までに持参しております。
[そして、それらを読んだり、保健婦に聞いただけで、直ちに何か行動に移ったんですか。]
違います。私が到着してからか、そのあとか前か、ちょっと記憶にございませんが、お父さんに会いまして直接事情を聞いております。
[センターの記録だとか大師の記録は、お読みになりましたね。どんなことが書いてあったか御存じですね。それらのことを父親にたしかめたということですか。]
確めもしたと思いますし、その記録に表われていない細かいほかの事項も、おそらく聞いていると思います。
(略)
[母親については、どうですか。大師へは母親が、いろいろ細かいことをいって来たんでしょう。]
お母さんとは直接会っておりません。というのは話の途中でお母さん、保健所のほうへ見えられた記憶というのはあるわけですけれども、話会いの中に入って来られなかった、という記憶もあるわけです。
それで両親が入院について同意したということで、私、その前提で出かけておりました所、お母さんの様子が違うので、話し会いという形で、こちらのほうへ参加されるようにということを要請したことと、要するに、本人を説得して病院に連れて行くことは、不可能かも知れないから、もし今晩中に入院ということを考えるならば、警察の手伝いなんかも、借りなければならないということに達しまして、そういうことはしたくないという、お母さんの意見だったと思うんです。お父さんを通じて伝聞で聞いているわけでございますけれども。
[同意入院をするか、さもなければ、警察の手を借りて強制入院させるか。]
いえ、本人を説得しまして、本人が病院に入院することを承諾しまして、本人が行くといって下されば、問題がないわけですけれども、当時の、せっぱつまった状況から考えまして、そういうことは考えられなかったということと、精神衛生法24条との関係も当然私、考えたと思うんですね。
それで一応、警察にも相談したほうがいいと、入院については、助けてもらったほうがいいんじゃないかなという方向になって行ったと思うんですが、そういうことに関しまして、警察の手をわずらわしてまでも入院させることについては、お母さんは、かなり反対されたようです。
それで、まずいということですから、お父さんを通じて確認しているわけですね。
[その場に母親は同席していたんですか。]
保健所の中で、お父さんと話し会っていたわけですけれども、同席はしていません。玄関のそばまで来てたわけですけれども、同席するようにいったんですが、話に来なかったですね。
[母親は、]
はい、玄関の所で、こちらで話をしている様子を、うかがうような感じで待っていたようです。
[あなたとしては、すすめられたわけですね。こうしなさい、といって、母親のところへ。]
直接、私のほうで、お母さんのほうへ行って、ということじゃなくて、お父さんに呼びにやらしたということはあります。
[同意入院のような結論になったのですか、ならなかったのですか。]
最終的に私のほうでは、お母さんが反対しておられれば、ちょっと問題だし、その辺のことを、よく夫婦間で話して下さいということです。
それと、お母さんを土曜・日曜にかけて緊急避難という形で、避難させて、月曜日まで待機するのか、様子をみるのか、それともちょっと強引になっても、今晩中に、病院に連れて行って入院させるか、どちらかを選択して下さいとこちらのほうの決定じゃなくて、これを御両親のほうで選んで下さいということをいっているわけです。それについては、先程申し上げた通りお母さんにかなり抵抗があったものですから。
[結論にどうなりました。]
お父さんが、俺が納得させたからいいということで、今晩入院させてくれということで。
[途中、警察官などの応援を得てY方へ行っておりますね。]
はい。
[警察署へは、あなたと父親が行ったようですが、そういう記憶がありますか。]
そうです、おぼろげながらあります。
[そこでの、やりとりなんか覚えてますか。]
覚えてません。
[原告Y方に入って誰が、どういうふうに坐ったか御記憶がありますか。]
 ▽甲第4号証(Y氏宅の見取図)を示す。
[こういう間取りであったというようなことは御記憶がありますか。]
明確な記憶はないです。
[Y本人に合って入院を説得したのは誰ですか。]
主体的には当時、大師保健所のお医者さんでありました岩田ドクター(井沢のあやまり)だと思います。
[あなたは、どこで見ておりました。]
明確には覚えてませんけれども、すぐ斜めうしろか、横かに坐って見てたと思います。
[保健婦は。]
保健婦もそばにいたと思います。
[警察官は、どうでしたか。]
警官は家の中に入らないようにしてくれ、といった記憶があるものですから。外に待機して下さいというのは、やはり本人も刺激したくなかったですし、そういうことで、最初は、とにかく説得入院という形をしなければいけないと思いましたものですから。私のおぼろげな記憶では、途中から何か警察が勝手に入って来た、といったらおかしいですけれども、こちらの要請もなく一人、入って来たような気もします。
[原告方の家屋内の状況がどんなだったか記憶ございますか。]
はい。
[どんなふうでした。]
私の記憶によりますと玄関を開けますと、非常にただっ広い感じで襖なんかが、はずされてたような、そういう記憶があります。
[がらんどう。]
がらんとした感じです。
[それと。]
衣類だとか、そういうのが部屋中散乱していた、というような記憶があります。
[原告の態度については、何か記憶がございます。そのとき説得をしておるあいだの、例えば興奮しているとか、知らん顔して聞いてないとか、あるいは怒ったとか、にこやかに応対していたとか。]
極端に興奮していとか、そんなような印象は受けなかったように記憶しています。
[格別に記憶がないと。]
そうですね。
[ところが、あとで格闘になったようですね。]
ええ。
[そこのところは覚えてますか。]
格闘みたくなったということは覚えてますけれども、一瞬の出来事のようなことで、何てゆうか、あっというまに、そうなって細部にわたってというような記憶はないですね。
[どういうきっかけで、そうなったかということは記憶ないですか。]
本人が話の途中で怒鳴りまして、外のほうに行こうとしたわけですね。外に行こうとしたかどうかわかりませんけれど、方向としては玄関のほうですね。話が終ってないし、もっと落着いて話合いに応じるようにという形で、私はとめるというか、本人の行動を制止しようとしたと思います。それが、もつれ込んだ感じになってしまったんじゃないかと思います。
[手錠かけられたのは、そのときですか。]
はい。
[そして、そのまま病院へ行ったわけですか。]
そうです。
[そのときの手錠かけられてから病院に行くまでの原告の反応ということで、何か御記憶になっていることが、ありますか。]
非常に興奮したり、それからあるいは気が沈むといいますか、ショックなんかで気が沈んでしまうというような状態じゃなくて、むしろ、何か、そういう事態を本人が、かなり平静に受けとめているような感じがしたものですから、その点、私の経験なんですが、ちょっと違和感みたいなのを感じました。そういう記憶があります。
[すぐ直前に、怒鳴って外へ出て行こうとしたんでしょう。手錠をかけられたら暴れるとか、がっくりしてしまうとかそんな反応はなかったわけですか。]
なかったです。
[平静というのは、少しも動ぜずということ、黙り込んでしまったわけでもない。]
黙り込んでしまったわけでもない。おぼろげなんですが、手錠かけられた直後、かなりおとなしくなって、その後入院しなければならんというふうに、とにかく、みてもらわなければならんということに関して御本人は同意したというような感じは、私持っているんですけれども。
[病院までは一緒に行ったんですか。]
行きました。
[入院のための診察みたいなものがあったかなかったか、一つの問題なんですが、病院に行って、それらに関して、あなた記憶していることを述べてほしいんですが、まず、どういうことをなさいましたか、あなたとしては。]
細かいこと忘れてます。お父さんに入院の手続をとらせる指導をやったような気がします。
[それは、被告の病院の看護科の者か何かが、あるいは事務の者が書類など作る世話をしてたんではなかったんですか。]
そういう記憶はないですね。覚えてません。
[そのとき父親は同意したわけですね。書類を書いたわけですね。]
はい。
[母親は、どうでした。]
そのとき母親は聞いておりませんから、同意はしておりません。
[書類上。]
えゝ。
[それは手続としては不備であるというふうなことではなかったんですか。当時、一般に、どう取扱われていましたか、あなたの知る限りでは。]
未成年者の場合なんですが、私の記憶では、当時神奈川県では片方の親の同意でよかったのではないかというふうに思っています。といいますのは、前も未成年者の方を、そういう形で同意入院させたケースがあるわけですけれども、そういうときに、それに関しましては、これは法律上、まずいというような県の指導なり通達があった覚えは、私、今のところ記憶してないです。当時は、それでよかったんではないかと思います。
[本件が起ったのちには、そういう通達があったんではないですか。]
私、覚えておりません。
[あなたは多摩川保養院でお医者さんに会った記憶はありますか。]
診察室に呼ばれまして、自分、私、たしかめませんですから、その人が、お医者さんであったかどうかわからないんですけども、白衣をした方に診察室で経過説明なり、御本人の最近の様子なり状態を説明しております。
[センターと保健所で得た、あなたの知識。]
はい。当日行った家の状況だとか、本人の反応とか。
[その人が記録などをとっている様子でしたか。あるいは全然取らずに聞く状態でしたか。その辺りの御記憶は。]
ないですね。
[どんな人だったかは、記憶ありますか。]
眼鏡をかけてた記憶あります。やせてたような。
[年取っているとか、若いとか。]
ちょっと、それもはっきりわかりません。
[どのくらいの時間、説明したか記憶ありますか。]
わかりませんです。
[医者から診断名を聞いたというような記憶ありますか。]
明確な記憶はないです。
[大師の保健所の記録では破爪型の分裂病というふうに書いてあってあなたから報告があったんだというようなこと保健婦がいっておりましたんですが、そういう事実はあったでしょうか。]
翌々日、大師保健所に報告しておりますから。
[口頭ですか。]
電話です。その報告のときに大師保健所側のほうの記録があるということですから、そういうようなことは、いっているかもしれません。
[例えば原告方へ行ったときに単なる親子喧嘩、あるいは、それの甚しいものとか、しばらく放っておけば、おさまるものとか、というふうな印象を受けられましたか。そうではなかったですか。どうでしょうか。]
当時私の印象では単なる親子喧嘩の延長線上のものとは考えられなかったと思います。何等かの意味で精神科の受診、専門医の判断を仰ぐべきだというふうに判断したと思います。
尋問者・原告代理人
(略)
[同意の件についてですが、父親なら父親、母親なら母親の両親の一方の同意があればいいようなことを実例ではやったようなことがあるようにおっしゃったんですが、明確に母親が反対している場合、こういう場合には、やっぱりやれるんですか、一方の同意で。]
法律的には、やっぱりできないんじゃないかと思いますけれども。
[わからない場合にはできないということになると、両親とも明瞭に同意している場合でないといけないということになりませんか、法律的には。]
そうですね。
[それは、あなた方、行政官としても常識的に思っているわけでしょう。]
えゝ。
(略)
[このセンターの記録は、どこから持ち出したか記憶がありますか。あるいは誰から預かったとか。]
相談記録をファイルするボックスがございますから、それはYさんの相談記録という形でファイルありますから、それで取出して内容を当然把握しなければなりませんですから。
[取出して持って行ったと。]
はい。
(略)
[自分が持って行ったんだから当然読んだだろうと、そういうんですか、ほかに何か根拠ありますか。]
Yさんの入院につきまして、私が手伝うということなんですが、相手のことを知らないで手伝うことは出来ません、当然ですわね。で、その辺のところから明確な記憶はございませんけれども当然読んでいますし。
(略)
[あなた方が今までいわれていることを前提にしているんですが、極めて切迫した結果的には手錠までかけるような状況で本人の現在の状況を見ておられたんでしょう。
だから、そういうような状況にある人が精神科の入院という形では預かれませんと、入院の問題じゃありませんとこういうふうにいわれた場合にはそのあとはどうする気だったのか、そういうこと全然考えないで、ただ入院させることだけを念頭に置いていたのか。]
そういうことまで考えたかどうかということはわかりません。
[これは当時のセンターの所長の方が、そのことを非常に反省されておるんですが、事後措置もなく連れていったということについては問題にしませんでしたか、センターでは。
初めから入院ということを決めこんで行ったというのはセンターとしての問題があるんだというふうにおっしゃっているんですが、どうですか、問題にならなかった。]
覚えてません。
[問題になったかどうか覚えてない。]
はい。
[結局あなたはいずれにしても連れていこうということを思っておって、それの実行に踏切ったのは、お父さんが同意しているとお母さんも納得したということを聞いてからですか。]
はい。
[それが引金になりましたね。]
はい。
[あなた今までいっている同意というのは、何の同意の意味なんですか。精神衛生法の同意じゃないでしょう、第33で同意というのがありますね、その同意じゃないでしょう。]
私はその同意というふうな肥え方をして、ことを運んだと。
[当時ね。]
はい。
[今考えてどうですか。]
今考えますと、一応手続上、書類上もきちんととられまして、病院側から入院させなければならんということに対して、法律的に書類を書くという行為をもって精神衛生法上の同意入院の同意が成立すると思いますが。
[つまり、本件に即していうと、あなた方が病院に本人を連れてゆくと、そこで診断がちゃんとやられて、その上で診断を前提にして、同意を求めて、そして同意がなされて、手続が踏まれて、それで同意があったことになると、こうおっしゃっているんですか。]
と思います。
[あの当時、どうしてそういうことがあなたの頭の中になかったのかね、この同意でいいと思ったのか、あの当時、あなたは衛生法の同意だというふうに思っておったとおしゃったでしょう、どうしてそう思ったの、うっかりしたんですか。]
先程も申し上げました通り、入院という形が診断鑑別に連がるわけですね、診断鑑別が即入院に連がると、そういうような状態のケースがほとんどだったわけですから、そうすると実際私達の仕事の中では先に両親の同意書を取りまして、そして法律的にきちんとさせてから入院とかいうことにはならないわけですね、それらが渾然として同時進行ということが現場ではあったわけですから。
[今まで問題出て来なかったわけですね、この件までは、あなた問題に直面したことなかったんでしょう、そういうやり方で。]
はい。
[だけど考えてみると、それは間違いということですね。]
と思います。
(略)
[原告本人のお宅に行って、それで原告と話をして説得したということなんですが、説得は何の説得をしたの。]
入院をしなければいけないということですね。
[入院しなければいけないというふうに説得なさったわけですな。]
最終目的はそうだと思います。
[入院という言葉も出たんじゃないの。]
と思います。
[何科の病院というふうに説得がされたでしょうか。]
それは説得の中で病院の名前とか何科という記憶はございません。
[肩とか腰とか整形外科という話はございませんでしたか。]
はっきり覚えてないです。説得の内容、細部にわたって覚えていません。
[精神科に入院という話は出ないでしょう、金輪際。]
わかんないです、覚えてません。
(略)
[原告本人方の部屋に散らばっていたものが衣類とか、そういうものとおしゃったんですが、そういうものって何ですか、衣類だけじゃなかったですか。]
明確に記憶してませんですから、ただいろんなものが部屋の中に衣類を中心にして散乱しているというふうな記憶があるわけです。
(略)
[本人が説得中に外に出ようとして立上がったということなんですが、それを押しとどめようというふうに思われたのは、それは入院させなければならないからなんですか、あるいは本当にもっと続けたいからなんですか。]
それはあくまでも本人を説得して病院に受診させることを納得させるということが第一の使命でございますから、こちらの方で話の途中で突然立上って、語気を荒立てて、玄関のほうに行こうとしたということですから、押しとどめたということですね。
[説得関係は原告のほうから破られたということになりますね。]
そうですね。
[そうすると入院させるために押しとどめたんですか。]
そうでもないと思いますけど。
[まだ説得の可能性あると思いましたか。]
もっと話さなければいけんと、一方的に話を打ち切らんで。
[要するに入院させることが唯一の目的だったんでしょう、納得という過程を経てにしろ。]
そうですね。
[手錠かけられた直後に黙りこんでその後は平静だったということでしたね。]
ええ。
[ちょっと違和感を感じたということなんですが、その時点で、これは入院問題じゃないんじゃないかと感じませんでしたか。]
なんらかの意味で一応専門医にやはりみてもらう必要があるという判断をしたということです。
[ですから手錠はめられた後の状況見まして、非常に平静だったと、これはちょっと入院問題じゃないんじゃないかという、そういう疑い、出ませんでしたか、そういう疑いが出ても、みてもらわなければいけないということが出てくるんですから、あなた、みてもらわなければいけないと思ったというのは答えにならない。それまで入院させなければいけないというふうに思ったと、おっしゃっているでしょう、ですから、これは入院させるという問題じゃないんじゃないかというふうに思わなかったかと。]
当時、そういうふうに思わなかったですね。
[違和感というと、何に対して、違和感を感じた。]
全体の印象ですけれども、何と具体的には出て来ませんですけれども、専門的な、本人の醸し出す表情とか、そのとき、ちょっと私なりに違和感を持ったという記憶があるわけですね。
[どういう違和感ですか、精神病患者とすれば、これは少しおかしいということじゃなかったんじゃないんですか、違和感というのは、それとも平常人だとすると、おかしいいという違和感ですか。]
精神病患者としたらおかしいというような違和感ではないと思います。
[どういうことですかね。]
その事態を、かなり平静に受けとめていたような感じだったですね。
[だから違和感を感じたとおっしゃるんでしょう、どういう意味ですかと聞いているんです。]
通常ですと平静なことじゃないですから、何等御本人にとっては、そういう意味で、何かの反応は起って差支えないと思うわけですね、それと対比する形でもって、何か違和感みたいなのを感じたと記憶しているんです。
[落着いているのがおかしい。]
そういうことではないです。
[興奮したり、気が沈んだりしないで平静だったというのが違和感、おかしいということでしょう。普通の人の反応じゃないということなんですか。]
それは言葉でいうと、そういううことになろうかと思いますけれども、言葉で表現できない、何ていうんですか、全体の、そういうものもあるわけですね、当時、そういう形で、私の感覚の中では、そんな風に感じたと。
[興奮したり気が沈んでしまって全く話をしなくなったりする場合はどうなんですか。]
その場合も違和感を感じるかもしれませんですね、それは推測になって来ますから、その辺のことあれしても推測の推測を重ねて、いうことになるものですから、明確には、私、答えられないんですが。
[そうすると違和感を感じたというのはそういう行動の問題じゃないんじゃないの、だって興奮しなくても違和感を感じる、興奮しても違和感を感じると、あなた、おっしゃっているでしょう、そうじゃないの。]
 ・・・・・・・・
[本人は車の中で何か話をしましたか。]
はい。
[その時には、どういうふうな話振りでしたか。]
すごく明るい感じで話しました、明らかな。
[話の内容が支離滅裂ということはないですか。]
よく覚えてませんけれども、話の内容そのものも覚えてませんから、ただすごく朗らかに。
[話がおかしいなという印象は。]
それは記憶にないです。
[病院についてからのことですがね、原告本人の身柄を引渡しましたね、誰に引渡したか、どういう人に、記憶ないですか。]
記憶ないです。
[あなたが診察室みたいなところに呼ばれたというんですが、これは診察室だとはっきりしてますか。]
ちょっとわかりません。
[あなたが診察室みたいなところに呼ばれたのは、Y君がそのときには、どこにいたか記憶ありますか。]
記憶ないです。
[Y君があなたの前から姿を消したわけでしょう、それからすぐでしたか、診察室みたいなところに呼ばれたのは。]
少し待ったような記憶があります。
[あなたは記録は、いつ渡しましたか。]
先生と思われる人とお話中に、ほかの方が入って来まして写させてもらうから、ちょっとお借りできないかということで、そのときだと思います。
[それで、それをお貸しして、それはいずれ戻ってきたんですか。]
すぐ戻って来たと思います。
[その場で。]
はい。
[医者らしき人というんですが、この方とどういうことを話したのか、最近の様子とか経過説明だとか、こういうことなんですけれども、経過説明というのは原告の自宅に行ってから連れてくるまでの状態でしょう、そうですか。]
はい。
[最近の様子というのは何ですか。]
お父さんから聞いた話に基づいて、しゃべっているんじゃないかと思います。
[保健所で聞いた話。]
相談センターで相談されたことも。
[記録の。]
はい、それから保健所で相談されたことも、私が直接お父さんから聞いた話も全部含めてだと思います。
[そうすると、かなり時間がかかりますよ。]
(うなずく)
[どのくらいかかったか、わかりませんか。]
時間的には記憶がございません。
[メモとったかどうかも記憶ないわけ。]
先生がですか。
[うん、先生らしき人が。]
記憶ないですね。
[その場にはお父さんいたんですか。]
一緒にですか。
[うん。]
その記憶ないんです。私一人だったのか、お父さんが同席されたのか、記憶ないです。
[父親が同意書、書いたんでしょう、それはどこで書いたの。]
私の記憶では玄関席で書いたんじゃないかという記憶があるんですが。
[診察室に入る前。]
はい。
[先生らしき人には、まだ会っていない前ですね。]
と思います。
[誰か用紙でも持って来て書いてくれといったのかね。お父さんに。]
明確な記憶はないんですが、受付のところで、お父さんに書き方などアドバイスしたという記憶があります。
[それは着いてすぐという記憶ですね。]
その時間的にはちょっとわかりません。
[あなたの行政官としての知識の問題に戻るわけなんですけれども、お父さんの同意というのは、あらかじめの、実務的によろしいんですか。診断が前提にならなくてもいいかと聞いているんです。]
当時は、その同意は疑問に思わなかったですね。
[今はどうですか。]
今考えてみますと、やはり、そういう形は、問題があるのではないかというふうに判断します。
[同意書、書いたあと、診察室に医者らしき人に呼ばれたといわれましたね。その診察室の中で病名は告げられたかどうか記憶ないですか。]
明確な記憶はないです。本人の様子だとか、見方ですね、どういうような傾向というような形で、おぼろげながら質問している記憶があります。
[あなたが。]
はい。
[あなたの考え方として同意が得られたか、診察が行われたかという二つの関係については、センターや保健所の問題じゃないと思っていますか。病院の方でやるべきであって、自分たちとしては連れて行けば、そこで自分たちの仕事は終りと、こう思ってますか。]
終りだとは思いません。
[そうすると、診断だとか同意の関係で無診断、無同意、ということで、原告本人が入れられているとすれば、市の責任もあるというふうに考えますか。当時の取扱い例からの、あなたの意見ですけれども、どの辺まで仕事は関与しておったのか。]
それは法律的には市の仕事は、それで一応終っているんじゃないかと思います。
[連れて行った段階で。]
えゝ、あと家族とケースワーカーとしての立場ですが、その形での連がり、それから、もし、よくなって退院された場合に社会復帰の関係が連続して来ますものですから、そういう意味においては、ずっと連がっているというふうに思うわけです。
[診断があったかどうかとか、同意が得られたかどうかということについては関係ないと、市としては。]
そうですね。病院に連れて行った段階で、そのあとは病院の範ちゅうの仕事であると。
[医者らしき人ということなんですけれども、もうちょっと詳しく思い出せませんか。先程、眼鏡をかけた、やせた人という二つだけしか、出されてないんですが、例えば身長はどのくらいだったか。]
座ってましたから、はっきりわかりませんけど、印象としては小柄な方、やせている、全体の印象としては、小柄だというふうな、おぼろげながら印象があります。
[顔色が、例えば黒いとか、白いとか。]
特にそういう印象は。
[しゃべり方に特徴があるとか、なまりがあるとか、早口であるとか。]
そういうのも記憶してません。
尋問者・原告補佐人
[さきほど病院に連れて行って、誰に引き渡したかが記憶がないとおしゃいましたけれども、私共の場合、自分が当直医をしている場合は、そういう人を引き取るときに、きちんとした書類に、住所、職名、氏名、捺印というものをちゃんとして引き受けるということをするのを常としているんですけれども、そういうのが必要じゃないでしょうか。]
必要だと思います。
[当時は全然してなかったんですか。]
そういうようなあれは、ほかの病院でも、そういうような習慣と申しますか、そういうふうな形はなかったように記憶しております。
(略)
[ちょうどその晩に、引き渡すべきしかるべき人がいなかったということじゃないんですか。]
それはわかりませんけれども昼間の場合でも、夜の場合でも、そういうようなことを引き渡し書のようなもの、きちんとあれして、責任を明確にするというような形は、ほかの病院でもとってなかったと思います。
[ただ少なくとも警察の手をわずらわして、手錠まで掛けていく場合は、きちんとやるのが我々の経験なんですが、その点どうなんですか。]
少なくとも、病院側からは、そういう点は要請されません。
[今、考えてどうですか。]
やっぱり必要だと思いますね。
尋問者・原告代理人
[精神障害者保護取扱い報告書と題する書面ですが、これの二丁裏をちょっと見てください。警察にあなた方が行かれたとき、お父さんと二人で行ったとき、「家の中にガソリンをまち散らしたり言々」と、こうあるんですけれども、こういうことを警察に言った記憶ありますか。]
記憶はございません。
[そういう認識、あなたはなかったですか。言ったかどうかはともかくとして、原告宅に臨む前まで、部屋の中にガソリンがまき散らしてあるんだろうというふうに思っていたという認識ですね。記憶ないですか、今は。]
記憶ないですね。
[原告の家で説得中に原告本人が怒鳴って立ち上がったとおっしゃいましたが、怒鳴ったということは、はっきり記憶しているの。]
そうですね。
[どういうふうに怒鳴りましたか。]
何かどなるという表現が妥当かどうかわかりませんが、お前達は関係ないから帰れと言って。
[大きな声でしたか。]
大きな声だと思います。
尋問者・被告代理人
[法律的に評価して、どうであるとか、書類上形式が整っておるかどうか、それは全然別にしまして、あなた方の認識したところで、実質的に母親は、入院に結局反対だったとお考えなんですか、賛成したとお考えですか。]
私がお父さんに確認した範囲では、警察の手をお手伝いいただいて入院させるのは反対だと、入院そのものについては、反対だということではなかったと思ってます。そういうような、強引な入院のさせ方には反対するということです。
[精神病院に入院させること、それ自体に反対だという・・・。]
ではなかった思います。
[父親を通して確認したんで、じかには確認していないということですね。]
はい。
[手錠を掛けても入院させる、そのときの反応が奇異に感じたということですが、車の中でほがらかだったということも含めての印象ですか。]
と思います。
尋問者・原告代理人
[今、奇異とおっしゃったんですが、奇異に感じたというんじゃないでしょう。]
尋問者・裁判長
[さっきの言葉は違和感ということでしたが。]
尋問者・原告代理人
[証言を変えられたわけじゃないんですね。]
はい、変えたわけじゃないです。
[確認しておきますが、お母さんが入院に反対だとか、お父さんが、お母さんも入院に納得したという、お母さんの認識ある入院ですけれども、それは精神病院だということをわかった上での話だったんですか、お母さんは。]
直接私、お母さんにお会いしまして、お話し、してないものですから、お母さんが精神科の病院に入院ということについて、どういうふうに判断してたか、入院そのものについての同意、承諾が精神科であったか一般科であったかというのは、確認もしてませんし、覚えてもいませんですね。
[お父さん、お母さんと接触したり、意見を確認したりしたのは、あなたですね。井沢課長などがやったわけじゃないんですね。]
私ですね。お父さんに。

警察記録

昭和44年10月11日
川崎警察署
巡査部長  中 島 悟
川崎警察署長
   警視正 高 橋 喜 曾 次 殿
精神障害者保護取扱い報告書
みだしのこと 本職は部下の出水田一也巡査と共に左記の通り取扱ったので報告します。

一、精神障害者住居、氏名等
   住居   川崎市○○△△番地
   無職      Y  19才
   右障害者の保護者
   前記同住居
   ○○○○勤務工員 ○○○○ 55才
二、保護者取扱い日時
   昭和44年10月11日午後7時30分ころから同日午後8時ころまでの間
三、取扱い場所
   前記障害者の自宅および多摩川保養院までの間
四、取扱い状況
(1)届出の内容
   本職が当直副主任をして勤務中である
   昭和44年10月11日午後7時15分ごろ、前記精神障害者の保護者である○○○○ 55才が、川崎保健所大師支所の精神衛生カウンセラー下川雅弘25才を同道して訪ずれ、本職ならびに出水田巡査(防犯課員)に対し、現在精神障害者のケースとして扱っている息の Yが 今夕から再び粗暴性が強まり 今 家の中でガソリンをまき散らしたり、親兄弟に乱暴し、タンスから衣類を取り出し、家の中に散乱させあばれ回っている。
 早速病院に収容したいが、私達では手に負えなく危害を加えられるおそれが十分あるので来て欲しい、との要請があった。
(1)保護を必要と認めた状況
(ア)前記要請を受けた本職ならびに出水田巡査は、当直主任野村警部補にこの旨報告し、その指示を受け本職は私服で、出水田巡査は製服で前記保護者および下川カウンセラーと同道し、前記保護者調達のタクシーで現場に向った。
(イ)現場到着は、同日午後7時30分ころであり、直ちに保健所員下川雅弘外3名が自宅内で1人うろうろしていた被保護者に対し、入院するよう説得にかかった。
 この際、保健所員と検討の上、第一次的には本人を説得し穏便に収容しようということになり、私服であった本職は保健所員と共に同道し屋内に入ったが、製服であった部下の出水田巡査は屋外で待機した。
(ウ)保健所員と同道した本職が屋内の状況を見たところ
玄関上り口のところに四畳半の間上ってつき当りが四畳半の間
左奥が六畳間の三間の間取りであったが、六畳間の整理ダンスの引き出しが全部引き出されその中の家族の衣類等が三間の部屋一面に持ち出されて散乱し、更に玄関そばの風呂桶の中の水の中にも持ち出された衣類が捨てられてあった。
また、玄関上り口の四畳半の間の部屋にある食卓の上の食器類等も食卓から投げ出され散乱していた。
一緒に立会った被保護者の実父も「あまり暴れるので、家族等も家の中に居られず屋外に逃げ出している」旨もらしており、右状況から届出内容とほぼ一致する異状な状況と認めた。
(エ)被保護者は、つき当り四畳半の間の部屋でテレビをつけうろうろしていたが、保健所員等が同人のそばに近寄りこんなに暴れてどうするのおとなしく病院へ行って治療を受けよう
と言う旨の説得を約10分位にわたり接待したが被保護者は顔が青ざめ興奮した状態で
あんたは誰だ 関係がないよ 俺は病院なんかに行く必要がないと答え、更に実父が「素直に言うことをきいて治療を受けてくれ」と言ったところ、
何んだ、お前が届けたんだな
あとで殺してやるからなと脅迫し
うるさいなと言っていきなり立ち上がり、本職の待機していた玄関上り口のところまで歩き出して来たので、本職は
まあ 待ちなさいと制止したところ、被保護者は
何んだ あんたはといい、いきなり右手拳を振り上げ本職の顔面めがけて殴りかかってきた。
本職はこれを左腕に振り払ったが、更に左手で本職のえり首をつかみ、押し返そうとし、これを止めに入った下川職員および実父に対しても両腕を振り回し、顔面等を殴ろうとした。
(オ)本職等は、被保護者の両腕を制止させながら、奥六畳の間の方に押しもどしたところ、なおも両腕を振り回し 足蹴りする等の暴行を加えたので、前記下川職員が被保護者の背後から抱きつき、両手足を制圧したが、被保護者は身長170位、体重7.80位の体力であり、全く下川職員の制圧がきかない状態であり、本職はこのまま放置できない危害の緊迫した状況と認め、かつ、応急の救護を要するものと判断し、被保護者の右足に左からの外掛け技をかけ、転倒制圧した。
これと同時に部下の出水田巡査も屋内にかけ込んで来たので「手錠をかけろ」と指示命令し、直ちに、両手錠(前側)をかけさせた。
(カ)両手錠の戒具を使用すると被保護者は急におとなしくなったので本職等外保健所員等で、横倒しにしたまま同人を抱きかかえ、屋外に待たせてあったタクシーの後部座席中央に乗せたが、この間残りの保健所員2名は何んら手を加えず、傍観の状態であった。
(キ)被保護者は、
川崎市下野毛946番地
多摩川保養院
に入院する手続きとなっていたので、同タクシーに乗車し同院に向い、同日午後8時ころ到着したが、進行中の車内においても被保護者は、前部助手席に同乗していた実父に対し、
お前が届けたんだな  覚えていろ
あとで何をされるかわからないぞ
馬鹿野郎
という意味の脅迫をするので戒具はそのまま使用し、同院に引き渡した。
(ケ)到着後、同院待合室において、おとなしくするから手錠をはずしてくれ、と頼むので、手錠をはずしたところ、被保護者は素直に診察を受け、入院手続きをすませた。
なお、実父は本職等に対し、
 助かりました。
 一時はどうなるかと思ってました。
と謝意を述べた。
五、保護取扱いの根拠法令
 警察官職務執行法
第3条第1項第1号

中島悟警察官の証言

1974.9.2
被告代理人
(略)
[あなたの本件に関与するきっかけとなったのは何か]
私は当夜当直で、職員が退庁して私達が当直態勢に入る前に、防犯の名取部長から引き継ぎをうけました。
[どういう事項に関する引き継ぎか]
保健所から応援要請に関する引き継ぎです。
[どういう理由で警察が応援するのかきいたか]
本件で保健所の職員の手におえず、緊白した状態になって、保健所から応援要請があったらいってくれということでした。
[乙第12号証をみると、下川というカウンセラーと原告の父親が10月11日警察署を訪ねてきたとあるが、あなたが2人からいきなりきいたのか]
いえ出水田巡査が窓口受付し、その後私が窓口にいって話をきいたと憶えています。
[あなたは主に二人のどちらから話をきいたのか]
はっきりしませんが、二人から交互に話をきいた記憶があります。
[あなたはそれで私服ででかけたのか]
そうです。
[出水田巡査も出掛けたのか]
そうです。出水田巡査は制服でゆきました。
(略)
[乙12号証をみると、現場について保健所の人と相談したように書かれているが、現場とはどこか、原告の家か]
いえ、原告宅ではなく原告の家から少し離れた路地で保健所の人と落ち合いました。
[そこで落ち合った人の名前はわかるか]
下川カウンセラー以外に2、3人いましたが、名前はわかりません。
[落ち合って、そこでどんな相談があったのか]
原告に対して第一次的に保健所のほうで説得する、なるべく刺激しないよう、警察は緊迫状態になったらでる、ということで打ち合せました。
[あなたは、原告の説得に関与したのか]
関与していません。
(略)
[乙12号証をみると、あなたは原告の左肩に手をかけて押しとどめたとあるが、そのときの状況はどういうことだったのか]
玄関を上ったり上り口の四畳半の部屋だったと思いますが、その部屋は茶卓がひっくり返って夕御飯をたべたあとらしき様子がうかがわれました。
そして原告に対しては、そのおくの四畳半の部屋で、保健所の人が10分間ぐらい説得してましたが、原告はそれに応えず、原告がでてきました。それで私はでられたらまずいと思い、左手で原告の左肩を押しとどめました。
[原告がでてきたというが、どういう感じででてきたのか]
とびだしてきた、という感じでそれで私はでられたらまずいと判断したわけです。
[その後格闘になったのか]
そうです。
[そしてあなたも、その後原告らと一緒に病院にいったのか]
いきました。
[乙12号証をみると、原告は手錠をかけられたらおとなしくなりとあるが、一方では父に対する脅迫的言辞であり、ちょっと矛盾するようだが]
父に対しては、お前が連絡したのだな、といっており、我々に対しては警察だったのだな、といっておりました。
[保健所の人に対しては何かいっていたか]
ちょっと憶えておりません。
[それで病院にいって、原告を病院の人に渡したわけか]
そうです。
[診察がすむ間、あなたがたは待っていたのか]
そうです。
[あなたがたは、病院のどこで待機していたのか]
病院に入って左通路の長イスにすわって医師のくるまで待っていました。
[医師がくる前にあなたがたは原告の手錠をはずしたのか]
はずしました。
[それで原告は、診察をうけたのか]
はい、私達のすわっていた長イスの筋向いのほうの部屋で診察をうけました。
(略)
[あなたはどの段階で帰ったのか]
診察後、原告の父親がおさまりました、どうも有難とうさんでしたと挨拶に見えられ、それから本署の車がくるのを待って帰りました。
[あなたは病院での原告の診察結果をきいているのか]
きいていません。
[原告の家族であなたが会ったのは父だけか]
そうです。
[母に会っていないのか]
会ってません。
[最初に原告の父と会ったとき、父親の様子はどうであったのか]
最初に父親に会ったとき、困っている、手に負えないといっていたのをきいています。
[警察の応援をたのむとは、原告の父親からもいわれたのか]
そうです。
[《原告代理人》名取部長から引き継ぎをうけたとき、精神病患者と報告をうけたのか]
精神障害者として継続取扱中である、所謂ケースとして扱っているという報告はうけました。
[あなたのほうから、原告がどういう状態にあるのか、ということはきいたか]
きいておりません、私が名取部長からいわれたのは、応援要請があったが、一旦断った。が緊迫態勢に入ってどうしてもと要請があったらいってくれということでした。
[保健所のほうでは既に入院態勢にあるときいたのか]
いえ、そういうことはきいていません。
[下川の身分資格について、乙12号証をみると、精神衛生カウンセラーとあるが、これは誰からあなたはきいたのか]
後日、保健所に電話を入れて確認しました。
[下川が原告の父親と2人できたとき、下川が身分をなのったのではないか]
いえ、下川の顔は、私は防犯課の少年係でしたからその前から知っていました。また名前も知ってました。
[下川は、保健所のほうでは、原告を病院に入院させることを決めているといっていたのか]
それについては記憶ありません。
[乙12号証の2枚目をみるとそう書いてあるが]
そう書いてあればそうかもしれません。現在記憶ありません。
[乙12号証をみると家の中で、ガソリンをまき散らす云々とあるが、こういうことは間違いなくいわれたのか]
いわれました。
[乙12号証の3枚目をみると、当直主任野村警部補にこの旨報告し、指示をうけとあるが、どういう指示をうけたのか]
我々がこういうことでいってきますから、というと、気をつけていってこい、その程度でした。
(略)
[あなたが現場にいったのは保護手続をとる可能性が大だったからか]
そうです。
[それは何から判断したのか]
届出内容からそう判断しました。
[現場にゆく前で路地で保健所の人々と相談したというが、その具体的内容は]
本人に刺激を与えてもまずいから、第一次的には保健所のほうで説得するということでした。
[説得するというのは、入院させる説得か]
そうです。
[それが失敗したら警察の力を借りるということか]
そうです。
(略)
[それであなたも一緒に原告の家に入ったのか]
一緒ではありませんが、順次家の中に入ってゆきましたから、説得は見ています。
[それで現実に家の中にガソリンがまき散らされていたか]
私もにおいをかいでみましたが、そういう事実はありませんでした。
[家に入って原告の父親はどうしていたか]
説得する保健所の人の背後に立っていました。
[あなたは最初原告を見たとき、原告はどうしていたか]
たってうろうろしていました。
[テレビはついていたか]
記憶ありません。
[原告が寝そべっていた記憶は]
それはありません。
[説得はどういうふうにして行われたか]
原告が立ってうろうろしてたのを保健所の人がすわらせて、あぐらをかいて話をしました。
[うろうろというのはどういうことか]
おくの四畳半の部屋で窓を見たりしていることです。尤もそれは瞬間的ですが。
[すわって説得を始めたというが、説得者は3人か]
だったと思いますが、はっきりした記憶はなく断言はできません。
[原告と説得者はどういう配置ですわったか]
憶えていません。ただ膝を寄せ合って話をしていたことは憶えています。
[説得は何分ぐらいか]
10分ぐらいです。
[その間、原告はすわっていたのか]
そうです。
[その間、原告は何といっていたか]
説得については、原告は全然ききませんで、背後にいる父親に対し、お前が届けたなと恨みをいっていました。
[説得の内容はどういうことであったか]
病院へ行こうという説得でした。
[どういう病院へか]
それはききとどけていません。
[精神病因への入院とはいっていなかったか]
それはいっていません。
[その間、あなたは近くにすわっていたのか]
5、6メートル離れていました。
[原告がいっていたのは父に対する恨みごとだけか]
いえ、説得の先生に対しても病院なんかにゆく必要はないといっていました。
(略)
[説得者らは所謂ズカズカという感じで家の中に入ったのか]
保護者の父親の案内で家の中に入りました。
[いずれにしろ、知らない者同士が初対面の時話をするような話し方ではなかったわけか]
そうです。
(略)
[その前に原告がでてきたときの状況だが、あなたは原告の肩に手をおいて何といったのか]
私は原告が玄関からでていくと思われたので、まあ待ちなさいといいました。
[あなたは原告を遮って原告と格闘するようなかっこうになったのか]
はい、私を見て、お前はなんだといって殴りかかってきて、私は玄関のほうに2、3歩押し返されました。その後カウンセラーの下川が止めに入って後からだきつくようなかっこうになったのですが、原告は下川に対しても腕を振り払うようにして殴るような形になりました。そして下川が両脇下に手を入れ、私も前から押さえるようなかつこうでいりみだれ、隣の六畳間の蒲団の敷いてあるとこで転倒させました。
[そのとき原告は何といっていたか]
なにすんだといっていました。
[その間何分ぐらいか]
30秒ぐらいです。
[×印から六畳間までかなりあると思うが]
下川、原告、私といりみだれて六畳間までいったのです。
[あなたが本件に関して書いたものは乙12号証の報告書及び保護カードだけか]
そうです。
[保護カードはどうなっているのか]
一年の保存ですから、既に廃棄になっています。
[保護カードには詳細に書かれているのか]
詳細に書きました。
[原告が六畳間で転倒したのはあなたが外掛けをかけたからか]
そうです。
[原告だけが倒れたのか]
いえ、下川も原告の下敷きになるようなかっこうで倒れました。
[その状態で手錠をかけたのか]
いえ、そうではありません。
[出水田巡査が手錠をかけると原告はおとなしくなったと乙2号証にあるが、それはあなた方が警察官であるということがわかったからか]
出水田巡査は制服をきていましたし、我々をみて、なんだ警察官かといっていましたから、そうだと思います。
[原告のそういう態度は病院で別れるまでつづいたのか]
そうです。
[別れるまでの間、原告があなたに対し、乱暴するような挙動にでたことはないか]
ありません。
[すると普通の状態か]
いえ、そうではありません。病院にゆく途中、車の助手席にすわっていた父親に対しては恨みごとをいっていましたから。
(略)
[病院へ何分ぐらいかかったか]
20分ぐらいで午後8時頃つきました。
(略)
[届出状況について、原告宅の様子及び原告本人の様子からどういうことが感じられたか]
私が制止したことについて、なんだこの野郎と殴りかかってきたこと、それに穏便に説得しているのに何か激高性というか、そういうものは感じられ、ノイローゼかなと思いました。また家の中の様子ですが風呂場のほうも散乱し、整理ダンスも荒らされていました。
[車中、原告の手錠をはずさなかったのは何故か]
我々に対してはおとなしかったのですが、父親に対する脅迫的言辞のあったこと、それにまだ興奮緊張した様子が感じられたからです。
[病院についておとなしくするから手錠をはずしてくれと原告はいったのか]
そうです。
[そういわれて、あなたは原告の手錠をはずしたわけか]
そうです。
[そうあなたが判断した理由は何か]
一つは本人がはすしてくれといったこと。他の一つは収容場所について、医師もいることからそう判断したわけです。
(略)
[着いて長イスにすわって、どの位あなたがたは待っていたのか]
車がくるまでしばらく待っていました。
[着いて診察をうけるまでどのくらいの時間か]
2、3分だったでしょうかね・・・・・・。
[着いて下川あるいは父親に対して何かいっていなかったか]
憶えていません。下川と父親は部屋に入ったり出たりしていました。
[それで医師が迎えにきたのか]
憶えていません。
[先程被告代理人の問に対し、医師がくるまで待ったと証言したが]
それは原告が診察室に入ったということです。
[どうしてそこが診察室とわかるのか]
診察室と表示がしてあったような気がします。
[その部屋に原告は誰と入ったのか]
憶えていません。たゞ私が記憶しているのは残ったのは私と出水田巡査で、その後何分かして二階に上り、その後おさまりましたと父親が挨拶にこられ、しばらくして本署の車が迎えにきましたので我々はそれにのって帰ったわけです。
[診察室に入ってから二階に上るまで何分ぐらいか]
10分ぐらいです。
[二階に上るとき原告一人で上ったのか]
記憶していません。
[父はどこから挨拶にみえたのか]
わかりません。
[車中で原告が浪人の話をしたというが具体的にどんな話をしたのか]
やや興奮して、くちびるをふるわせながら勉強が大変なんだといっていました。その他車中で手錠が痛いか、いたいなら手をゆるめようかというと、痛いのでゆるめたこともありました。
[本件は警察としては警職法3条1項1号の発動か]
そうです。
[同法3条1項1号にいう相当な理由はいつ確認したのか]
現場をみて、家の中の散乱した様子、それに原告が私にむかってきてえり首をつかみ下川にも殴りかかろうとした段階です。
[するとなんだこの野郎という言動をとったあたりからか]
そうです。
[乙12号証の報告書をみると、最後に原告は素直に診察をうけとあるが、これは素直に診察室に入るのを見たということか]
そうです。
[入院手続を済ませたとの記載が乙12号証にあるが、これはどうしてわかるのか]
それは原告の父親からいわれたことです。
原告代理人(近藤)
[あなたは立ったまま待機か]
そうです。私としては、現場の状況を見て、乱暴等があったらすぐ飛びだしてゆける態勢をとったわけです。
[乙12号証をみると衣類等が散乱していたとあるが、これはあたり一面に散らばっていたということか]
そうです。六畳間が特にひどく、整理ダンスから衣類が放り出されていました。整理ダンスの位置は末尾添付の図面上□で記入します。
[しかしその位置では押入れの前になるのではないか]
私はこのように記憶しています。
[同じく風呂桶の中にも衣類が捨てられてあったと記載されているが、本当か]
はい、その他風呂場にゆく廊下にもぬれたままの洗濯物が放り出されていました。
[あなたの立っていたところから風呂場の様子がわかったのか]
私は一ケ所に立ちっぱなしでいたわけではなく現場の状況を確認する為、のぞいています。
[風呂桶の中に衣類が放り込まれてあったというようなことは父親あるいは下川からきいたことなのではないのか]
そうではありません。
(略)
[原告の様子をみて、精神障害者特有の症状は見うけられたか]
保健所の職員が説得として面接している段階では特に感じられませんでしたが、説得のつづいている過程で、父親を怒鳴りつけたりして、緊張の度合がましてゆきました。
[本件を警職法3条1項1号の発動といったがどういう点から原告を精神障害者と判断したのか]
届出の内容、現場の状況、本人のつかみかかってきた挙動、それと私と下川と父親に対する危害の虞れ等が感じられました。
[原告があなたのほうにきたということは、あなたは外に逃げだすと判断したのか]
そうです。
[原告が説得するより逃げ出そうという態度及び原告が暴れると判断したのは、どの段階からか]
私が左手で制止した段階からです。
[するとその前は暴れ出すという虞れはなかったわけか]
父親に対して、お前が届けたな云々をいっていて、父親に対する乱暴の虞れはありました。
(略)
[車中の各人の位置は]
後部座席に、進行方向むかって右に出水田巡査左に私、その間に原告、前の座席に左右はわかりませんが、下川と父親がすわりました。
[病院にいったのは右の者だけか]
そうです。
[病院に行って、あなたは原告を病院の誰に渡したのか]
名前まできいていません。確か名前はきいて保護カードに記載したのだったか、よくわかりません。保護カードには書いたような気もします。
[病院にいって、看護士、あるいは看護夫に会ったか]
会っていません。
[あなたがた警察は、本件を警職法3条1項1号の発動といったが]
このときは、保健所のほうのケース扱い、即ち精神障害者あるいは、その虞れのあるものとして継続取扱中になっているということで、病院の施設に保護同行をしたということです。
(略)
[原告は病院に行っていきなり二階に上ったのでは]
二階にいったことは憶えていますが、いきなりいったかは記憶がありません。
[乙12号証の報告書だが、これは名取部長から指示をうけて書いたのか]
そうです。
[指示はいつあったのか]
当夜電話でです。それですぐ書いて名取部長に提出しました。
[名取部長はこれを誰に提出したのか]
後に監察のほうに出したとききました。
[横浜地方法務局の人権擁護課に申立があったということをきいたか]
ききました。
[いつ頃きいたのか]
ちょっとわかりません。
[それで、名取部長より事情をきかれたことはないか]
ありません。
[名取部長が大師保健所と連絡をとっていたことは知っているか]
知りません。
[大師保健所から取寄せた乙第11号証の昭和45年5月2日の欄をみると、「川警には本ケースについての記録がない」との記載があるが、そういう点から判断すると、乙12号証のあなたの報告書は、あとから書いたものではないのか]
いえ、当日か遅くとも翌日に書いたものです。
[この件について、あなたは名取部長からはどういうことをきいているのか]
私は名取部長からは、人権擁護課に訴えでて問題になっているときいています。
[乙12号証の報告書はね何かメモを見て書いたのか]
保護カードをみ、それに出水田巡査と相談して書きました。
[保健所等にも確認して書いたのか]
下川の役職等は電話を入れてききました。
[多摩川保養院にはどうか]
連絡していません。尤も所在地は電話帳簿で調べました。
原告代理人
[病院にいって本署から車が迎えにくるまで待っていたというが、本署への連絡はいつしたのか]
診察をうけている間です。受付のところのカウンターのところの電話で連絡しました。
[本件は警職法の発動だというが、あなたがたは病院についた段階で、自分の職務は済んだと考えたのか]
我々としてはあくまで保健所が主体で、警察はその保護同行というあうに考えており、診察室についてもおとなしいし、父親が入院手続もすんだ、有難うさんでした、というので、これでいいんだなと思いました。
[とすると、長イスにかけて待っていたというのは、車がくるまで様子を見ようということだったのか]
そうです。
[病院に8時頃着いたというのは間違いないのか]
間違いありません。
[原告が二階に上った時点の確認はしていますか]
していません。
[乙12号証は謄本となっているが原本はどうなっているのか]
監察官室のほうにあるときいたので、そこから謄本は貰いました。
[署に控はないのか]
あったのですが、移動のさい必要ないと思って廃棄したと思います。
原告代理人
[病院について、あなたがたは長イスにすわって待っていたというが、その間一度玄関に戻って原告に対しズボンと服を脱ぐようしかけなかったか]
私は、そういうことはしていません。
[看護士が服とズボンを脱がせるのを、あなたはそばについていたのでは]
そういうことは記憶ありません。
[それを原告が断わると、原告と看護士との間でもみあいがあったのでは]
記憶ありません。
[それで結局脱がせることができず、そのまま二階に上ったのではないか]
二階に上ったのはわかりますが、手錠をはずして後は、我々は原告とは接触していません。ただ私が記憶しているのは、一階の診察室に入り、それから二階に上ったと思います。
[一階の診察室に入ったのは、下川と父親では]
わかりません。
[記憶がはっきりしないのか]
そうです。
原告補佐人
[保健所職員の原告に対する穏便な説得にもかかわらずというが、穏便とは]
声の大きさ、穏やかさ等から判断した言葉です。
[原告に対しあなたは、なのらなかったというが、あなたの態度は穏便か]
私は原告の肩を押えた程度です。
[保健所職員の説得の内容は]
具合がわるかったら病院へ行って診て貰おうといっていたのはきいています。
[あなたが判断したという、緊迫興奮という根拠は、原告の父親に対する脅迫的言辞と、あなたに対する行為の二つか]
そうです。ただその前に病院へなんかゆく必要ないと強硬にいってました。
[被保護者を、病院につれてゆくケースでは、被保護者を漠然と病院に渡すのではなく、当直医師等から判を貰うのが普通なのではないのか]
繰り返すようですが、本件の場合、警察が単独で扱った事案ではなく、保健所のケース扱いで我々はただ応援にいったにすぎないので、我々としてはそこまでやる必要はないと思いました。
[保健所のケース扱いであったとしても、警察としては警職法の発動であるというなら、やはり一応、誰に引き渡したか、確認する必要があるのではないか]
我々としては必要があれば、あとからきけばよいと思いました。
[病院に被保護者を収容する場合、すぐその場で保護カードを書くのではないのか]
いえ、あとからきいて書きました。
[あなたが、被保護者を送っていって、診察に立ち会うことはあるか]
あります。
(略)
[あなたが同行していった場合、むこうの医師等と話をすると伺うが、本件の場合はどうか]
本件では、私は医師とは話をしておりません。
原告
[先程、あなたは私がおくの四畳半の部屋から玄関のほうへ飛び出してきたと証言したが、それはあくまであなたの判断で、私が便所へゆくのだということは考えなかったか]
私には現場の状況からみて、そういうふうには考えられませんでした。
(略)
裁判官
(略)
乙第12号証を示す(警察記録)
[これは、本件事件後に書いたのではないのか]
直後に書いたものでないことは事実です。
[単なる保護のケースであれば、こういうものは書かないというか、報告はしないのではないのか]
そうです。
[名取部長から、提出しろといわれたことはあるのか]
あります。人権擁護のほうで、問題になっているから出すようにといわれました。
[とすると、これを書いたのは、時期的にはかなりあとになるわけか]
そうです。

(1)カルテ

病症日誌
×.12 比較的静か
 昨夜は? 隣の人が騒いでよくねむれない。その上、寒くて今朝は頭が痛くなった。
 風邪を引いた様だ。 等聞けば素直に答える。
セレネース散    10mg
クロールプロマジン150mg
ピレチア      80mg
プロビタン    150mg
酸化マグネシウム 0.5mg
       (毎食後 3回)
10.13 浪人している。志望は早大、次に都立大。土木ならやはり埼玉、早大、あと中央。
勉強しなくなったのは自分の部屋がない。友にきいたら、皆協力してやってくれるのに家はやってくれない。
入院は、「テレビをみていたら、弟がねー行ったら思ったらすぐね。父が、医者つれてきたから診察器具もってないー
治すなら自分の意志でといい、WCに行こうとしたら突然3人位の♂がきて引倒し分らぬままHPにきたんです」
周りの人のいうことは余り気にならないが、きいてて、自分のこと間違ったようなことをいうでしょ 頭にくる。
例えば自分が大学に行きたがらないというなら別だが行きたい所が行きたくないような口ぶりで話してる。
幻聴などは否定す。繰られ感もないという。学校に行っても家がゴタゴタが治まらないとーやや不気嫌な表情だが顕著な体験は表わさず、病識はない、
鈴木Dr
松永Dr
44 10 11ウィンタミン50g/A筋注
44 10 12  〃  ヒルナミン25g2A筋注
44 10 13  〃
10.13母面会
10.16処方 前回同様、七日分
10.14入院前のことを聞く
饒舌、自分の行為をしきりに合理化するがいくらか分裂している。
最近、自分が荒れ気味であることは認める。来年大学の入試があるかどうかが気になる。勉強の能率が上らない。暴行があったと認める。母の行為に腹をたて母の和服を風呂につけた。それは自分の貯金でべん償する。
午前は勉強、午后からアルバイトをする。
44 10.15 血沈 検査 採血
44 10.15 ヒルナミン25g2A筋注
44 10.16 ピレチア 25g1A筋注
10.16尿がいくらきばってもでないという。
追加
処方 トレミン 2mg3Tab
看護婦
松永Dr
清水Dr
松永Dr
              パーキン  50mg 3Tab
             ピオタミン  75mg
                 7T(7日分)
10.18 検便    セレネース散  10mg
10.23  処方 クロルプロマジン 150mg
            ビタミンB1  10mg
             トレミン        6Tab
                        3×7T
10.18
10.19         ルボンノ+ウィンタミン25mg1錠
10.20    院長廻診                 松永Dr
10.20  排便困難
大便と一緒に腹圧を加えると出る
立ってだと出ない
昨日父と面会した。楽しかった
家でカラカミを破いたりしたことについて、「お母さんと話している所を父がきて チャチャを入れる そして 話ができない。これは母と僕の問題であるから 父は入れないでくれといったのです。
あとになってよく父がくるようになった。ー
破いたのはね、きたら破くぞと脅しの意味で親子喧カのもつれと思う(入院)
病気の説明は不可能
◎当分薬は半量とし尿通の回復をはかる
10.21 両親面会       相沢Dr
       ●他人行儀な感じだった
10.30            清水Dr
            RP)クロールプロマジン  75mg
                    ピレチア 100mg
                    トレミン  10mg
                     パーキン 3Tab
                酸化マグネシウム0.5
                          /3×7t
10.27この頃 体もてあましているようで退屈、勉強道具持ってもらったがここではおちついて出来ない排尿は大変良くなった
親子げんかで入った、イライラして親をハタイタ 普通じゃ親を叩くのはをかしい、それできたんじゃないかと思う
勉強はやっていた、夜型で学校から帰るとねちゃう
夜静かな時にやるのでー
態然と構える
入院し、始めは少しは休養と思ったが 17日もたつと退屈でしょうがない。鼻血が出る。
松永Dr
11.4                   Rp  do×7
11.1 母面会
11.13                  Rp  do×7
11.12 両親来院
両親は全く精神病についての認識は0 整形外科に入院せしむべきだったと思うとか 短気は性格、腰痛はどうだとか こちらの説明にのってこない
きた時も今も同じですね
始めにここにくる時ね、肩の骨治すと、つれてきたんです。
治してくれない、きくと精神科だという、をかしいなと思う。やっと病院に入ったと分った
7月勉強しなくなったのは、父は土木をやれという、自分は文科好きな方させてといったらだめだといわれ 勉強やっているとなんだか変な眼で見られ それでね、お父さんの眼をくぐりながら勉強した。
友は皆敵・・・・云々のことをきくと「いや、つき合っている そういうことはないでしょう。 その友は文科で合わないけど話題も多いし、よく遊びに行った」
松永Dr
11.13 面会中 応待はおよそととのって直に 異常なものはみとめがたい病状 既往、などについての認識;判断はおよそ確かである 健忘等はない
とくに人づきのよい面はないが、とくに自閉的ではない
友人もかなりあり、交際もしている
部屋の件に6月頃から・・・7月になると天井が低い 暑い、その他でイライラしてきた・・・
7月末に腰の痛みで:2?3日病み・・・痛みは漸次治ったが 生活のペースが乱れゴロゴロ・・・
被害者的傾向は相当あったが・・・妄想的な基礎のものとは感じが違う母をなぐり、父に倒した件については わるいことだという
判断はあるが・・・このへんの理解は、知識の幼なさによるもののよう。
興奮は 応的 爆発的の傾向によるもののよう。
以上から
心因反応+精神病質のように考えます。(古閑)
古閑Dr
11.15 入院当初の興奮、軽い思考減裂は殆どない
入院前 夜昼の区別がなくなったこと
親に対してかなり急激に出現した暴力的な傾向
極端な自己中心的な態度(戸を釘づけにするなどに対しては合理化してみせるが)
○両親の立場からは患者の行動がどうしても異常と映っていたーしかしこの人達は現在考えを変てー退院の便宜上?ー精神病と考えないと言い出している。
○現在ここではこの当時から考えられる非常識な生活態度をとっていないこと
○ 現在の状況に対する深刻さがないこと
私見では現在の状態像だけでなく、入院前の生活態度をみるとき この人元来の生活態度からみて(変 の度合が)納得できないものと感じられます。
勿論これも決定的なものではありませんが一つの問題はそれ程の精神病理的なものが(本来のこの人にとって)あったか否にあると思います。
現在の状態に対しては余り治療の効果がはかばかしくないので 一度薬を取ってみるのも一つの方法かと思います。
44.11.17   院長廻診
11.19父来院 総合病院でみてもらう
退院
清水Dr
松永Dr

(2)注射指示簿
(3)入院届

中村医師の証言

[被告代理人 あなたが医師の資格を取得したのはいつか]
昭和43年11月です。
[あなたは多摩川保養院に勤務してたことがあるか]
 あります。
(略)
[あんたの専門は何か]
一般内科ですが、研究しているのは呼吸循環器です。
[昭和44年10月11日に、原告が多摩川保養院に入院したが、あなたはそれに関係したのか]
しました。
[そのとき入院した原告の名前を憶えているか]
わかりません。
[むこうの原告席でセーターを着てる人がそうだが、記憶ないか]
ありません。
[あなたの当直のときに診断を求めに数人できて、あなたは原告に対し診断をしたようだが、警察の人と保健所の人たちが数人できた記憶はないか]
警察の方と保健所の人とお父さんと患者がきた記憶はありますが、この人がそうだったかどうかは憶えておりません。
[乙第8号証の2を示す。
これの月日の欄をみると、10月11日とあり下の赤字で書かれている部分の指示医師名をみるとあなたの名がみえるが、この下の赤で書いてある字はあなたの字か]
私の字ではありません。誰の字かわかりません。
[指示医師名としてあなたの名前があるが、指示の前提として何かをやったわけか]
そうだと思います。
[ウインタミン50ミリグラムとあるが、これはどんな薬か]
これはクロール・プロマジンの商品名の一つで精神病の興奮状態があったときつかう薬です。
[保健所の人は誰かきたとか、何人きたということはわかるか]
わかりません。
[警察は何人きたか、わかるか]
2人だったでしょうか、よく憶えていません。
[それにお父さんがきたわけか]
そうです。
[きたときの患者の服装あるいは態度は記憶しているか]
ちょっと憶えていません。
[警察官と保健所の人と一緒にきた患者をあなたは診たのか]
夜間ですと、他に医師はいませんし、病院にきたのですから診てると思います。
[みえた患者とは、病院のどこであなたは相対したのか]
よく記憶してませんが、診察室か、その近くにある面会室ー処置室かもーであってると思います。
[その部屋に入ったのは原告だけか]
いえ他の人も一緒に入ったと思います。
[誰々が、その部屋に入ったのか]
患者の他、保健所の人とお父さんだと思います。
[それで原告にどんな処置をしたのか]
いろいろ話をきいたことは憶えています。
裁判官
[そのときあった具体的な話なんかは憶えているのか]
憶えていません。
[ただ一般論として、当夜の当直医はあり、患者がきたのであれば、当直医としてそうであろうということか]
そうです。
[被告代理人ー具体的対話の内容は全然憶えていないのか]
そうです。ただ当夜、誰からか連絡があって、両親に乱暴して、家に火をつけるとかいって暴れている患者が警察につれられてくるという報告はうけてました。
[それは記憶してるわけか]
はい、そういうことはあまりあることではないので記憶しています。
[あなたが多摩川保養院に勤務してた約2年半ぐらいの間に、そういう形で入院するということは多いか]
私の知っている限りでは、本件をふくめて2回ぐらいですが、正確には憶えておりません。
[本件の場合、あなたが診てどんな診断をしたかというようなことは憶えていないのか]
憶えていません。
[新しい患者であるとすると、診察記録を起すと思われるのだが、本件の場合それがないのだが、本件の場合、あなたは記録を起こしたのか]
普通の場合であれば、勿論起こします。
[本件の場合は、あなたは記録を作ったのか]
作っていません。
乙第4号証の1ないし6を示す。
[多摩川保養院のカルテが、こういう様式のものであったことはわかるか]
わかります。
[本件の場合、何故あなたは記録を作らなかったのか]
夜間でカルテの用紙がみつからなかったからです。それで私は2号用紙にメモ程度のことを書いたと思います。
[カルテの用紙といい、2号用紙というのは、乙4号証でいうと、どの用紙か]
乙4号証の1ないし4の用紙がカルテの用紙です。2号用紙というのは、乙4号証の6の用紙をいいます。
[本件について、その2号用紙にあなたはどの程度のことを記載しているか記憶しているか]
憶えていません。
[それの行方がどうなったかは、わかるか]
わかりません。
[あなたはこの日原告に対し、ウインタミン50ミリを注射しているようだが、診断がつかない場合でもそういう注射をすることはあるのか]
はい、患者が興奮状態にあれば、やることもあります。
[あなたは、当時大学病院の内科に昼間勤めていて、夜、精神病院に勤務し、精神障害者を診る能力があったのか]
私はあったと思ってます。
原告代理人
[原告が多摩川保養院へ収容されたことについて問題にしているということをきいたのは、いつ頃か]
ちょっとわかりませんが、私が本件について知ったのは、裁判所から証人として呼出しがあり、またそれの少し前に多摩川保養院の薬局長の山本という者から、私が当直のとき入院した患者について、裁判沙汰になっているとの電話があり、そんなことから知りました。
[その電話では、10月11日に保健所、警察、それに父親が一緒にきたときのことなんだということだったのか]
そうです。
[あなたが原告ら数人が多摩川保養院のほうからきいて、それでそういうことがあったといってるわけか]
私はきいてそれで思い出したのです。
[とすると、あなたの記憶で原告らがきたのが10月11日であるかどうかわかるのか]
わかりません。
[あなたの記憶では、警察官が連行したというか、一緒についてきたりしたのは何回ぐらいあるのか]
本件をふくめて1回あったかどうか、もう1回ぐらいあったか、正確なことはわかりません。
[多摩川保養院は、玄関を入ってすぐ廊下か]
そうだと思います。
[あなたの待機してる部屋はどこか]
二階です。
[そこから玄関まで距離があるのか]
そんなにありません。
[あなたは両親に乱暴し、家に火をつけるといってあばれている患者を、警察官がつれてくるとの連絡をうけていたというが、いつ連絡をうけたのか]
私には、それが10月11日の当日に連絡をうけたのだったかどうかの詳しい記憶はありません。多分私がその日、多摩川保養院について、すぐ、7時頃でしょうか、事務の人か夜勤の看護婦あたりからきいたのだったのではないかと思います。
[それは前にそのことについて電話があって、それを引き継いだということか]
それはわかりません。
[それは入院する為つれてくるということだったのか]
そういうことだったんでしょうね。
[あなたは多摩川保養院に出勤すると、タイムレコードを押してたのか]
押してました。退勤するときも押してました。
[その出勤表は、給料の基本になるか]
私にそれはわかりません。
[あなたの出勤表の一番下に宿直何日と記入するところがあるが記憶ないか]
憶えていません。
ー後出の甲第6号証の1ないし4(出勤表)を示す。ー
[これの10月分のうらの一番下をみると、宿直2回とあるが、これは当月2回宿直したということか]
多分そうだと思いますが、私が書いたものではありませんから、詳しいことはわかりません。
[この頃、給料計算違いがあったことはないか]
記憶ありません。
[10月にあなたは3回宿直しているのに、宿直2回と書いてあるが、わかるか]
わかりません。
[あなたは原告を診断して、2号用紙に代用して書いたというが、これは所謂カルテになるのか]
そうではありません。私は2号用紙に連絡事項を書いたのです。
[すると改めて、カルテ用紙に書きかえるのか]
書き改める場合もありますし、そうしない場合もあると思います。そのまま日勤の先生に引き継ぐこともありました。
[2号用紙に書いたことは間違いないのか]
間違いありません。
[医師法24条1項に、カルテ記載義務事項のあることは知っているか]
知っています。
[カルテの保存義務のあることも知っているか]
知っています。正規に書き直せば、保存義務も生じると思います。
[あなたは本件で、書き直しということをやったか]
していません。
[他の先生が、あなたの書いたものを書き直すということはできるのか]
できると思います。私の診察としてみた印象を書いてありますから。
[するとあなたが、2号用紙に書いたのは、カルテとしてあるべきものになるのか]
そうなると思います。
[多摩川保養院では、カルテの保存は誰がやっているのか]
私にはわかりません。
[あなたは普通カルテの処理をどうしていたのか]
よく憶えていませんが、夜入院するようなことはあまりありませんでしたから、2号用紙に書いたりしてました。
[本件の場合はどう処理したのか]
書いてそのまま机のうえにおいていたか、あるいは看護婦に渡したのだったか、その点は憶えていません。
[本件の他に、カルテが紛失したということはあるか]
わかりません。
[ウインタミン50ミリを1人について注射をすると、時間にしてどのくらいかかるか]
長くて2、3分です。
[多勢に注射する場合、次から次へならばせてやるのか]
そういうオーダーがでてるのでしたらそうします。
[あなたがいま、2、3分というのは、さして引き抜くまでの時間か]
そうです。
[20名ぐらいの患者がいる場合、それに対して連続的に注射すると何分ぐらいかかるか]
ちょっと一概にはいえません。一部屋に多くいれば、早く終る、ということも言えます。
[1人2分にしても20名いれば40分はかかるわけか]
もっと短かいかも知れません。20人というと部屋数にして3部屋ぐらいですし、前もって20人分注射をつめておきますから。
[ミンザイ2号という薬を知っているか]
ちょっとわかりません。
[ヒルナミン50ミリという薬を知っているか]
知っています。注射と錠剤があると思います。
[内服の場合、あなたは手ずから患者に渡すのか]
そうではありません。
[精神衛生法33条の規定により、保護義務者の同意による入院が行なわれた場合は、県知事に入院届出をなすことになっていることは知っているか]
知っています。
[あなたが患者を診断したときは、あなたが診断したということで届出が為されるわけか]
そういう事務手続的なことは、私はタッチしていませんでしたから、私にはわかりません。
[入院届を出すとき、あなたに対して、こういうものを出すという相談もないのか]
ありません。私は日勤しているわけではなく、そういう手続は日勤の関係でやっていると思われ、私にはわかりません。
[あなたは、夜間入院の経験は、多摩川保養院に在勤中何度くらいあったか]
これを含めて1回だったでしょうか。
[知事への届書をみると、診察した医師が松永となっているが]
松永先生は日勤の先生で、改めて診察をしたのかもしれません。
[患者が病院にきた場合、精神病患者で、あるか否か判断するに、精神科の知識は必要ないのか]
必要だと思います。が、一般内科でも私は診断して障害者と判断しました。
[あなたが記憶している明らかなことは、事前につれてくるという連絡のあったことと、保健所、警察官、それに父親が病院にきたことだけか]
そうです。
[すると他のことは、すべて記憶があるわけでなく、経験に基づいてやっていたことだから、間違いないと思うということか]
はい、いつもそうしてましたから。
[いつもそうしてたということも、具体的に憶えていることは、あなたの指示で投薬してたということか]
そうです。
[一般論として、例えば歯医者は自分の治療した歯は何年たっても憶えてるということをきくが、医者の場合は、診た患者をすぐ忘れてしまうものなのか]
勿論忘れます。
[まったく憶えていないのか]
あばれているといった電話が入ったというような連絡だったですから、男だったという程度でしょうか。
原告代理人
[当日あなたが仕事を引き継いだとき、電話があったことについて、書類で引き継いだのか]
いえ、その件については口頭できいたと思います。
[多摩川保養院で治療するとき、注射はよくうつのか]
はい。
[そういう指示は誰がするのか]
病院には連絡簿があるのですが、日勤の先生から、この人とこの人に打てという指示があり、それとカルテをみて打ちます。
[本件について、具体的にこうしてくれといった申しおくりがあったか]
なかったと思います。
原告補佐人
[夜なのでカルテ用紙がみつからず、それで2号用紙に書いたというが、昼間は入院は多いのか]
多いとは思いますが、よくわかりません。
[新しく入った患者に対して使うカルテ用紙とは、セットになっているものをいうのか]
そうです。
[多摩川保養院には、事務のほうの当直もいるのか]
います。
[とすると、セットになってるカルテ用紙が見つからないということはわからないのだが]
用紙がなかったのだと思うのです。
[なかったのではなく、書かなかったのではないか]
いえ、書かないということはあり得ません。
[先程7時頃病院についたというが、大学からかけつけるわけか]
そうです。
[日勤は何時までか]
わかりません。
[あなたは日勤の先生と顔を合わせることはあるのか]
あります。ないこともあります。
[あなたは先程当直医として夜間の全責任を負うといったが、昼のことは知らず、づっとその状態で勤務してたわけか]
そうです。
[あなたは、内科医なのに精神病院にきたということは内科をとくに生かすというようなことできたのか]
特にそういうわけではありません。
[あなたは特に精神科の訓練をうけたことは]
インターンとここの週1回の当直だけです。
[多摩川保養院では筋肉注射は必ず医師がやるのか]
私の場合はそうです。
[当日、どんな勤務と一緒か]
憶えていません。
原告代理人
[あなたが原告を診たというのは、あなたの指示した投薬になっているということからか]
そうです。
[そして指示した以上診断はしているはずだということか]
そうです。
[診断をした以上、書いてないはずはないのに、カルテがないから、2号用紙に書いたのだろうということか]
そうです。
[とすると、診断をしていないということもありうるのでは]
いえ、私は診断はしています。患者が入って診断をしないということはあり得ません。
[しかし、あなたの知らない間に保護室に入れられるということもあり得るのではないのか]
そんなことは常識としてあり得ません。
裁判官
[あなたは、多摩川保養院の勤務は一貫して当直医か]
そうです。
[あなたは、この他精神病院に勤めたことがあるか]
定期にではありませんが、他の医師の代りにいったことはあります。
原告補佐人
[当直医の普通やる仕事は]
重症の患者を診ること、注射の指示があったらやること、回診、それに突発事項があればそれに対処することです。
[あなたは、朝は何時頃にでるのか]
まちまちですが、7時から9時頃で引き継ぎ事項があれば引き継ぎ、なければそのまま帰ります。
[知事への入院届出だが、入院したとき診た医師が書くのではないのか]
私はそうではないと思っています。

松永医師の証言

1976.10.28
被告代理人
(略)
[もっぱら多摩川保養院に専門に勤務するようになられたのはいつからですか]
39年9月からです。野村神経科医院には現在も行っています。
(略)
[原告のY、この人があなたの治療を受けたことがありますね]
はい。
(略)
[誰が入院当時診察したとか、その結果がどうであったとか、そういうことはご存じですか]
あとで伺ったところでは、中村先生が入院の時に診察なさったということを伺いました。
[あとでというのはいつ頃ですか。当時ですか、それとも本件の問題になってからですか]
ちょっとはっきり覚えがありません。
[いつ頃聞いたかはっきりしないけれどもということですか]
 ・・・・・・・・。
[Yが入院当時に既に聞いておったのか]
いえ、それはなかったと思います。
[中村医師の診断結果はあなたはお聞きになっていないんですか]
ちょっと記憶がおぼろげてせすけれども、中村先生がおでかけか何かの時に医局か外来か忘れましたけれども一言、二言、対話があったというような記憶がありますけれど、ちょっと記憶がはっきりしていないです。
[会話の内容は記憶していないですか]
とにかくヘヴェフレニーじゃないかというような破瓜型の分裂病じゃないかというようなことを言ってたと思いますけれども。
[中村医師から記録あるいはメモのようなものを引き継いだというような記憶がありますか]
ありません。
[あなたが原告をご覧になっていて精神障害があるかないか、それはどういう風に判断なさっていましたか]
精神障害はあったと判断しました。
[それは初めだけですか、退院までですか]
私が初めに本人に会ったのは、10月13日ですけれども、その時点でやはりセンターからの資料やなんかを先に読んでおりましたのでやっぱりこれだけ行動に問題があれば精神障害者じゃないかという判断をその時出たわけです。
[病名は何と考えましたか]
あの時点ではやはり分裂病の疑いというのを強くもったと思います。
[後に退院していますけれどもこの記録によると治ゆして退院したんじゃないんですね]
はい。
[乙第4号証の2を見て下さい。ここに退院の欄に未治と書きこんでありますね。退院の時にまだ治っていないというのは誰の判断ですか]
ここに記載した字は私だと思いますけれども、私でございます。
[センターからこの訴訟で取り寄せたんですから病院にあったものと中味は同じだと思いますが、それをご覧になってみて、それと全く同一内容のものであったかどうかわかりますか]
はい、わかります。同一内容のものでございます。
[あらかじめそれをお読みになって原告に接せられたということですか]
はい。
[中村医師との話し合いというのはそれより前ですか、あとですか]
あとだったと思います。
[あなたがその中で特に精神障害ありと判断をした。その後、分裂病の疑いが濃厚だと判断した。その判断の根拠になるものは何だったんでしょうか]
センターから書いてある記載の内容をみますとやはり異常行動としか考えられないというように判断したわけです。
[異常行動というのは常人にとっては理解不可能な行動だということですか]
はい、そうです。
[もっと何かほかに適切な言い方がございましょうか]
常人に理解できないという言い方ですと、誤幣がでてくるかも知れませんが、たとえばここに書いてありますようにお客さんに対して家へ10分以上いたら体罰を受けてもよいという誓約書を書かせたりするというような一筋は私どもが臨床の見地から分裂病を疑わせる言動だったと理解しております。
[乙第4号証の6以降の記載を見ていますと病院の中で必ずしも異常な行動など出ている形跡はないですね]
はい。
[あなたがご覧になっていて目の前で異常な行動に出たということはございましたか]
とにかく本人と接する時には学校の様子だとか希望とかできるだけくだけたような話から本人の緊張を緩めて、我々の方への接触性を高めるというような平凡な話というようなことで、その合間合間にたとえば人の言うことが気になるかというようなことをちょっと聞いて病的体験があるかどうか、探りをいれるというような接し方をしてきました。そしてこのカルテの記載に関してこの内容からでは顕著な病的症状というものは表面的には表わしておりませんでした。
[カルテというのは全てあったことを書くということではないですか]
ではないです。
[カルテに書かれていないことはないんだということにはならないですか]
ならないと思います。
[カルテに顕著な言動というのは記載されていないけれども実際にはあったとおっしゃるんですか]
カルテに書いてないことですから記憶に間違いがあるかどうかは別として、カルテに書いてある記載以外のことで病的な状態というものをキャッチしたわけです。
[どういうことでしょうか。具体的にあげていただきたいんですが]
たとえば乙第4号証の6、10月13日の記載ですが、下から4行目あたりに囲りの人の言うことが気にならないかというようなことを私が聞いたんじゃないかと思うんですけれども、あまり気にならないが聞いていて自分のことを間違ったことを言うでしょう、頭にくる云々ということで私は現場を見たわけではないんですけれどもちょっと被害妄想的な感じを受けました。
そのほか院内で廊下で会ったり、部屋にいる状況をみます時には概して自閉的で無為といいますか、ほかの患者さんに比べてじっとしているようなことで、それから服装や着脱衣なんかだらしがないというようなことから感情の鈍磨というような症状があるんじゃないかというように感じました。
[顕著な異常な行動が出ないということ、あるいは与えられた薬物の効果によってそうなったかも知れませんね]
はい、そういうこともあると思います。それから更に症状があっても故意に否定するという場合もありますので、たとえば現状はないというその時点で記載はそう書きましたけれども本当にないのか、あって隠している場合もあるからその辺のところはないという記載だけれども本当にないということは言えないと思います。
[記載以前に回答で異常体験などがないといっても、ないことにはならんということですか]
はい。
[薬の効果ということを今私が質問しかけたんですが、例えば感情鈍磨なんていうのも、薬の効果として出てくるのではないでしょうか]
薬を使いますと、多少薬の副作用で、ぼんやりするとか、鼻がつまるとか、動悸がするとか、眠気がするとかいうような副作用を表わすことがありますので、それが感情鈍磨というのと紛らわしい場合もあると思いますが。
[それを考慮しても感情鈍磨と認められたということですね]
はい。
[薬の副作用が続いておって、異常な行動に出ない通常人同様になっていると言ったら、どの段階で治癒となるのか、まだ治っていないと言うことになるのか、そのあたりの目安は、どこにおかれるんでしょうか]
これは本当に良くなってくると、本人の表情とか、言い方が違いが出てくるんですけれども、これはちょっとデリケートですから、ことばで表出するというのはむずかしいかも知れませんけれども、端的に、来客に体罰を加えるとかいうような異常言動、そう言ったものが病的であったという自覚が出てくることを、こちらでは期待していたんですけれども、そういう自覚が得られなかったと言うことで、まだ治療を要するという判断で、未治という判断が出たわけです。
[いわゆる病識がないという状態が続いておったということですか]
はい。
[かって自分のした言動は分裂病であっても、記憶しているものですか]
はい、記憶していると思います。たとえば電気ショック療法とか、激しい衝撃療法でも加えない限り、病的体験というのは大体覚えていると判断してもいいと思います。
[過去の自分の言動が、あれはおかしかったというように、自らわかるようになれば治ってきた、とこう考えてよろしいわけですか]
はい、一番大きな目標になるということです。
[いくつかのうちの一つですか]
はい。
[いくつかあるんですか]
それが一番大きな目標でございます。
けれども。
[それがなかったというわけですか]
 ・・・・・・・・。
[原告の取調べについて伺いますが、両親との面会を制限されておったというようなことが主張されておるんですが、入院1週間の間と、それから以後の間とを分けまして、入院1週間までの間の面会を制限なさいましたか、なさいませんか]
これは一般的なことでございますけれども、入院当初一週間ぐらいは刺激をしゃ断するといいますか、そういうような意味で、それから本人の症状観察なんかで、特別なことがない限りは面会を遠慮していただくと言った建前がございますので、その程度の制限はしたかと思います。
[1週間経過後はどうですか]
そのあとは大体希望通りに面会させた、と私は記憶しております。
(略)
[最終的に原告が退院したのは、どんなわけでしたか]
母親が主に私の面会に来院されたと記憶しておりますけれども、私が以外に思ったのは、一番初めお母さんに会って、どうかよろしくお願いしたいとか、十分良くなるまでお願いしますとかいうようなことばを期待するといっちゃあいけないんですけれども、それが全然逆で、初めから入院させるわけがないとか、整形外科のほうで腰痛はどうですか、というような話にばかりウェイトがかかってきて、私どもの説明は聞いていないような印象でございましたので、それだけ希望が強ければ総合病院で診てもらうほうが、よろしいんじゃないですかというようなことで退院になったと思います。
[○○側(注Y側)で退院を求めた理由は総合病院に入院するということだったんですか]
総合病院に行きたいとか、診てもらいたいとかいうことを言っておりました。
[それは母親が面会に来るようになってから終始そういう話が出たんですか]
大体そういう話が多かったと私は記憶しております。
[多摩川保養院が精神病院であるということは了解しておったようですか、わからなかったようですか]
それは承知していたと思います。
[それが不満のようだったということですか、それとも息子は精神病じゃないんだと主張しておったということですか]
何かそういうニュアンスが強く感じられました。
[あなたは病気なんだと、ここがこうおかしいんだとか、そんな話を母親に説明いたしましたか、いたしませんか]
したんですけれども、受け付けないというようなことでした。
(略)
[この入院届は誰がどこで作成するんですか]
事務のほうでいたしますけれども。
(略)
[あなたとすれば、ご自分で彼は精神分裂病であるとか、あるいはそこに書いてあるように症状としては、自閉、発作性躁暴、被害妄想、病識欠如というものがあると、こういったことを事務に言った覚えがないですか]
今、ちょっと記憶がございませんが。
[もしかしたら事務にそういう連絡をしたのは中村医師かもしれないということですか]
ちょっとわからないです。
[あなたの名前がそこに出ているということは、どういうことですか]
私の想像でございますけれども、これは知事へ出す入院届の事務でやる書類的な処理なもんですから、あるいは病名は、と私に聞かれて、何かここに病名を書かなければいけませんので、その時、分裂病と言ったのかもしれないですが、そのところはちょっと記憶がはっきりしてないです。
おそらく事務のほうでは、診療日と入院年月日とを合わせて書類の処理の方法として知事のほうには私の名前にして出したんではないかというような推測でございますが。
カルテを示す。
[この上部のほうに記載があって、その一番下に心因反応+、精神病質?がありますね、これは誰が書いたんですか]
これは私の字でございます。
[それは、先ほどのあなたの精神分裂病と違うんじゃないですか]
記憶違いがあるかもしれませんが、とにかく退院の時に一応この診断書の病名を書く欄には別の11月13日に診察なさったこの(乙第4号証の6、6ページから7ページを指す)古閑先生が記載された病名を一応便宜的に書いたかもしれません。
やはり何かのことで診断書を書いてくれとか、あるいは学校へ出すいろいろな、そういったようなことを慮って、その時には本当の病名といいますか、私の考えていた病名は伏せて、心因反応とかそういう病名にしたほうが本人のためによいのではないかということを慮って、古閑先生が記載なさった病名をここへ写したということだったと私は記憶しております。
[それは退院時に書いたんですか]
多分そうだったと思います。
原告代理人
(略)
[あなたの病院における地位なんですけれども、あなたの病院では上級医師と下級医師という区分けがございますか]
いや、特にそういうことは、普段は私どもは意識して自分が上級医師であるということは意識しておりません。
(略)
[そういたしますと、この入院届の関係でも実際はAといういわゆる下級、あまり経験がないお医者さんが見たんだけれども、届出の関係では経験豊富な上級の医師の名前で出すというようなことはやっておりませんね]
本件については、中村先生というのはパートの当直の医者ですから、おそらく事務のほうでは男子病棟の主任といいますか、あれだったもんですから私の名前をそこへ記載したんじゃないかというような想像でございます。
[実際の医療行為上は中村先生もあなたも区別はないでしょう]
同格といいますか、とにかく院内活動では若い先生も我々も別に意識して上だとか下だということで診療のどうのこうのということはございません。
[お医者さんですから当然どのお医者さんも患者さんを診るとカルテを作りますね]
はい。
[中村先生がパートでおられて患者さんを診ますね、その際にも当然カルテを作るんでしょう]
作るべきものだと思います。
(略)
[11日の記録は何かありましたか]
私は見ておりません。
[診察を始める前に、Y君がどういう経過で入院したという事情はどなたからお聞きになりましたか]
私は聞かずにただカルテを見て、そしてさっき申し上げたようなセンターの資料を見て、それから本人に面接したということでございます。
(略)
[入院当時の状況を参考にしないでも、一定の診察なり判断ができるというお考えだったわけですか]
それはケースケースによりますから、この資料を拝見して、私なりにすぐ急いでその当時の状況を掘り下げるというところまで考えがいたらずに、そのまま患者さんに面接したということでございます。
[センターから送られてきた記録というのは、あなたのほうで信憑性といいますか、そういう点のチェックというのは普通しないんですか]
これは私個人の考えかもしれませんが、あの資料を拝見しまして、内容が非常に具体性がある記載なんですね。たとえば幻聴があるとかないとか、一人事があるとかないとか、単語的なあれじゃあなしに体罰を加えてもいいとか、夜中の2時ごろ頭を洗えとか、寿司を何とかとか、釘付けにして1週間ぐらい困ったとか、こういった具体性のある内容ですから、これは無の頭で作れるようなものじゃないと、ですから私は信憑性を感じて、そのまま今でも信じてそれを病状として考えました。
[そうするとあなたの診察の方法なんですけれども、文書でいろいろな報告がありますね、大体その文書での報告が本人であるかどうかをチェックなさらずに診察の裁量に使われておるんですか]
一般的にはまず父兄とか、家族とか、配偶者とか、そういう方から最近の本人のご様子を聞くということです。この場合は資料がそれに該当しているというような解釈にあたりますか、あの資料はお父さんがセンターで話されたということで、私はこれ以上のものはないといっちゃあ言い過ぎかもしれませんが、あの場合は信憑性をもって受けとりました。
(略)
[この裁判が起こされて院長のほうから事情を聞きたいということで事情聴取をされたことはないですか]
事情聴取というよりも、カルテの記載内容を、もうちょっと病的な症状についての見解やなんかを記載したほうがよかったじゃないかというような注意を受けたことはありますけれども、それ以外には特に記憶ないです。
(略)
[中村先生とこの事件のことで話し合われたということはないですか]
さっきの病名について一言二言やりとりがあったという程度でそれ以外にはないです。
[裁判についての話というのはないですか]
ないです。
(略)
原告代理人
(略)
[あなたは先ほど、10月13日に本人に始めて会ったと言いましたね]
はい。
[その時にあなたの診断が一応できたわけですか]
仮にこれは本件とは別としましても分裂病なら分裂病といっても何月何日に分裂病と診断がついたというものとは性質が違いますので、今その時にと言われると返事ができませんけれども。
[そうすると、あなたの記憶だと10月13日に原告と面接をした時には診断をしたかどうかはわからないわけですね]
 ・・・・・・・・・。
[診察はしたけれども病名を決めたかどうかということは記憶ないですか]
結局、診察してすぐその場で明確な病名を出すということよりも、面接だけでだんだん面接を重ねながら追跡していくということですから。
[原告に対しては病名の判断はいつなさったんですか、何月何日頃で結構ですが]
 ・・・・・・・・・。
(略)
[あなたの先ほどの主尋問に対するご証言ですと、12日のカルテとセンターからの資料を見て本人に面接した結果、本人はこういう精神病なんだと、こういうふうにあなたは思ったとおっしゃいましたね]
はい。
[この時点で何の精神病なのか、精神病のうちの何なのか、病名としては分裂病の疑い、こう思ったんですか]
はい、そうです。
[13日の時点で]
はい。
[その際に本人の様子だけを見て分裂病の疑いをもたせるような徴候はなかったんですね]
いや、なかったと言い切れるか・・・・・・。
[あったんですか。それだけを見た場合ですよ、何の前提もなしに予備知識も何もなくて]
初め普通の話をしている時、自分はどこだとかそういう時には精神病らしい積極的な様子は伺えませんでした。
[ですから、本人の態度からは精神病であるとか、分裂病であるとか、そういうことは決しかねるわけでしょう]
分裂病という病名の結局私が診断した内容でございますが、思考奪取とか作為体験とか特有な症状がございますね、作為体験といいますと自分の意志じゃなしにほかの人によって動かされている、繰られているというような特有な体験、それから思考奪取とか思考伝播というと自分の考えが抜き取られてしまうとか、自分の考えがほかの人の頭にはいっていくというような特有の症状、そういう症状があるかないか私どもは聞くわけです。カルテにはないと書いてありますけれども、ないというのは否定しているという意味でございまして、そのないという内容ですけれども、奇妙なことを聞くもんだといぶかしそうに考えながらないというような返事をする場合は、一応正常圏のような範囲にとれますし、そういうことじゃなしに問意即答といいまして、問われたことを反射的にその場ででたらめみたいに答える問意即答に無表情にないと答える場合には同じ特有な病的体験についてのないという返事一つの中に180度の差異がございます。そして極論かもしれませんがそういったないという返事の中に分裂病であるかないかの大きな根拠となりうるようなものも考えられると、もちろんそれだけで全体的にというわけではないんですけれども、そういうような意味で私は初めのころはそうやって普通の面接のように思いましたけれども、本人の反応の仕方、その時の表情とかデリケートなしぐさといいますか、姿態、顔つきなんかとそれからこちらの問意の理解の仕方や返事の仕方の内容ということから、やはりこの方は分裂病だというふうに私はその時大体診断をつけたわけですけれども結局それをさっき何日ごろかと言われてとっさだったもんですから、10日とか何とか言ったかもしれませんが、大体根拠としてはそういうところで私は病名をつけたわけです。
[病名はいつつけたんですか]
いつつけたと言われると、さっき10日と申し上げたけれども、その時でも10日後でもおそらく私の頭の中の判断では同じだったんじゃないかと思いますけれども。
[分裂病ですか、疑いじゃなくて]
はい、ですけれども、やはりある程度は初めから分裂病と思うのは医者だけの心理かもしれませんが、抵抗を感じるものですから疑いということばを使うんですけれども。
(略)
[あなたが精神分裂病と断定される根拠というのはどこなんですか]
今申し上げたような病的体験に対する返事の仕方、ないという返事の仕方の中に180度の内容の違うものがあるというようなこと、そういうようなものはデリケートなその時の表情ですから、今ここで再現しろと言われてもできませんけれども、そういうようなことを、さっき申し上げたとおりセンターからの資料を・・・・・・。
[センターの資料ぬきでという話なんですが]
しかし、分裂病の診断をどこで決めたかと言われると・・・・・・。
[あなたは本人との面接をしたことと、それから12日のカルテを見たことによってあなた自身で精神分裂病だと断定される根拠はどこかと聞いているんですが、1つは対応ということばが出ましたね、原告の返事の仕方ということが出ましたね、ほかに何があるんですか]
ちょっと考えに被害的な大学へ行きたいのに行きたくないような素振で話してるというような、本人が被害的になっているんじゃないかというようなことを感じ取りました。それから病室の中でも無為といいますか、じっとしている自閉的といいますか、それで着装が割合だらしがない、何か感情が鈍いんじゃないかというようなことと、センターの資料やなんかのことを総合して私は分裂病と判断したわけです。
[そうするとセンターの資料はこの分裂病だという診断をするについてどの程度のウェイトをあなたはおかれたんですか]
かなりのウェイトということです。
[かなりというのはどういうことですか、このセンターの資料がなければ精神分裂病だという診断はできなかったという程度のものですか]
それは資料を見る前とあとですから比較はできません。
[センターの資料は誰からの情報収集であるかということについては、父からのものだということはご存じでしたね]
はい。
[これは最良のものだとあなたは先ほどおっしゃったんですけれども、これ以上のものはないとおっしゃるんですが、そういう考えですね]
肉身の父親が心配されて本当のことを打ち明けたんじゃないかとその時私は判断したんです。
[それであなたとしては父親から収集した情報、これはこれ以上のものはないというふうに考えて採用されたんですね、そのセンターの資料を]
はい。
[それで父親が心配して真実のことを言ってると思ったというんですか]
私は初めてカルテを見た時にはそういうように判断したわけです。
[真実のものであるということは父親に確かめられましたか]
いや、確かめておりません。
[あなたはただセンターの資料を見ただけですね]
見ました、確かに。
[センターの資料に関してそれ以外のことはされていないね]
はい。
[センターの職員に話を聞いたこともないわけでしょう]
ありません。
[あなたの精神分裂病だという診断は当時とそれから10日後も同じだったということですね]
はい、今からさかのぼってのあの当時のことを追想してですから。
[そうすると退院時において病名を書いたというのは、対外的に本人の利益を考えてということでしたか]
はい、そうです。
[カルテにもそういうふうに書くわけでしょう]
カルテにはあそこに書いてある通りです。
[違うことを書いているでしょう、対外関係を考えて診断書だとかそれに書くんだったらわかりますよ、そういう嘘の記載がいいかどうかは別として、とにかくカルテというのは医者が見る特別なもので、裁判所にさえも出さない、そういう資料でしょう、そこに対外的なことを考えて嘘の病名を書いたというんですか]
本人の便宜をはかったというだけで、嘘というまでは解釈しておりませんでした。
[あなたが精神分裂病と診断したということははっきり断定したということでしょう。それにもかかわらず心因反応プラス精神病質、全然違う病名じゃないですか、こういうのを対外的関係でなぜカルテに書くんですか]
それは現実に診断書を書くときなんかにちょっとそれを見て、それを参考にして書けるというようなことでございますけれども。
[そうしたらあなたは精神分裂病ということについてカルテに記載しましたか]
あのカルテには書いてないです。
[それじゃ病名に関して真実のことがまったくわからないじゃないですか]
まあ、こんな問題になったからそうですけれども。
[カルテには医師法で真実のことを書かなければいけないんじゃないですか]
本当の病名は確かにあそこに書いてないですから、落度だと言われても仕方がないです。
[あなたはそもそも診断を精神分裂病としなかったんじゃないですか]
いや、そんなことはないです。それはさっき申し上げたとおりですから。
(略)
[カルテの作り方ですが、初診の場合には新たにカルテを起しますね]
はい。
[そのカルテは普通所定の用紙に書きますね]
はい。
[所定の用紙に書かない場合もありますか]
普通は所定の用紙です。
[夜勤であっても宿直の場合でも]
それは所定の用紙だと思います。
[多摩川保養院で所定の用紙に書かなかった例はあなたはご存じですか]
私の記憶にはありません。
(略)
[あなたの病院ではきょう入院患者は全部で何人というチェックをしますか]
ええ、もちろん病院の年間報告がありますからきょう何人入院したということはやっています。
[その場合どういうやり方で確認するかということはあなたはわかりますか、たとえば1人ずつ数えていって担当者がそれで確認する方法もあるでしょうか]
1日に何十人も入院するわけではないですから1人か2人、せいぜい3人ぐらいですから、厳格にチェックしなくとも大体わかります。
[そうすると入退院数の加減でやるんでしょうか。入院者が3人いて退院者が2人だったら1人プラスと]
そうです。
[その確認はカルテを添付しますか]
カルテはいらないと思いますけれども。
(略)

1977.2.17

原告補佐人
(略)
[それでは次のことに進めます。やはり精神科の場合、特に入院してくるとき何と言っても初めが大切ですね]
はい。
[ですから例え、センター資料があったとしてもやはり病院としての主体的責任において初診の医師がしっかりと診察しなきゃいけないと思うんですね。その点はいかがですか]
はい。
[診察した以上はその患者さんの現病歴つまり、現在の病気はいつ頃から起ったかと、どういう経過で今に至ったか、というつまり歴史というものやら、まさに入院した時の現在症、その時の状態というものをしっかりと把握して記録しなければおかしいと思うんですけれどいかがでしょうか]
それはその通りだと思います。
[ただこの前のお話でも、夜入院して来た○○さんに関して、カルテか、それに準ずるものがないということですが、いかがですか]
とにかくカルテに書いてある通りでございますので、記載がないということです。
[当夜はないですね]
はい。
[それと家族の方がついて来たんなら、その時やっぱりその家族から話を聞いて現病歴なるものをしっかり作るべきでないでしょうか]
はい。
[それもやってないわけですね]
カルテに書いてある通りでございます。
[そういうやり方をあなたの病院では認めているんですか]
 ・・・・・まあ決してこれはいいことじゃないと思っていますけど、いつもそういうわけじゃないんですけど。
[夜入院して来るということは滅多にないことなんですか]
あんまりございません。
[その初診は誰なんですか、この場合は]
この場合やっぱり中村先生だということですね。
[それじゃこういうことはあなたとしては男子病棟の責任者として困るわけですね]
もちろん、きっちり書いてもらわなくちゃ困りますね。
[初診の人が入院が必要だということを認めたという記録はないですね、こうこうこういうわけで入院が必要だと、何も書いてないわけですから、そういう記録はないわけですね]
見たかどうか、それは私じゃわかりません。
[やっぱり最初はただ入れておっただけということになりますね]
さぁ、それはちょっと私の口からじゃわかりません。
[あなた自身が3日目に最初にこの方をご覧になったと]
はい。
[その時あなたとして、この人は入院が必要だという根拠をどういうふうに持たれたんですか]
この間申し上げた通り、私はやっぱりセンターの資料を拝見して、これはやっぱり適切じゃないかと。
[その時の根拠はセンター資料であるということですね]
先ず、センター資料を読みましたですね。
[前回も若干出ましたけれども、夜の入院というのは滅多にあることじゃないけれども、いずれにしても入院というのは重大なことですよね]
はい。
[それについての引き継ぎの問題なんですけれど、はっきり引き継ぎがなかったんですか]
この間申し上げたような次第で、当直の先生はパートで夜来るだけですから、こと改めて引き継ぎというのはなかったです。
[夜変ったことがあったら、朝次の日の勤務に引き継ぐんじゃないでしょうか]
はい、そうです。
[それはやらなかったんですか]
それはやったんじゃないかと思いますけど。
[かと思いますと言いましたけど、どういうことで、やったということが言えますか]
11日、12日の頃は知りませんけど。
[そのことはわからないわけですか、あなたには]
はい。
[想像ですね]
 ・・・・・・まあ私、いなかったもんですから、そういう返事しんできません。
[この前の証言でも、あの時は手錠かけられて来たんだよということがあっちこっちからちびちびと入っていたということですけど、そんなことでいいんでしょうか、やはり重大なことじゃないんでしょうか、手錠かけられて来たということはあまり重大と思いませんか]
だから相当精神運動性の興奮でも激しかったんじゃないかというような想像をしたわけでございます。
[その程度の想像ですか]
はい。
[次にセンターの資料のことで若干伺いたいと思いますけれども、前回の証言でも、センターの資料がこれ以上のものはないというふうにあなたはおっしゃっているし、診断根拠としてかなりのウェイトを置くとおっしゃいましたね]
はい。
[そこで伺うんですけれど、お父さんの具体的な話だから、確かだろうとおっしゃいましたけれども、例えば幻聴プラスとかマイナスとか書いてあるよりは具体的だと、そういう御趣旨はわかるんです。ところが確かだろうという所は非常に疑問を感じますもので伺うんですけれども、やはりお父さんは素人だし、非常に記憶の確かな方かどうかとか、あるいは物事を客観的に掴むかということがわからないと思うんですけれど、そういう方の述べられたことをそのまゝ非常に確かだというふうに思われたのは大丈夫でしょうか]
私はあの資料を拝見した限りにおいては信憑性を感じました。
[感じただけですか]
はい。
[しかしそれ以上のことは確かめなかったんでしょう、もう一回家族に聞き直すとか、センターの職員に聞くとか、しなかったということですね]
確かめはしませんけれども、それに付則してちょっと申し上げてよろしかったらあれですけど、この本件とは別にしまして、例えば私共患者さんの診察の前に家族の方から本人の病状などを伺うことが多いわけですね、一番始めは、そういう時に例えば御主人が来まして、うちの家内がきのうの夜中、自分の目玉くり抜きに来ると言って叫び声上げて外に飛び出す、それで何回も110番呼んで助けを求め、それでパトカーが来て再度帰って部屋につかない内に、又110番するというようなことを御主人が私のほうへ述べられると、私そういうような場合でも一々パトカーに当って、そういうことがあったかどうか確かめるようなことはしていません。それと同じといったあれですけど。
[あんまり同じじゃないんですかね、つまりセンター資料というと本来なら然るべき専門家が、それなりの立場でしっかり受け止めて書いてくれるべきものでしょう、ところがこの場合のセンターの資料は具体的とおっしゃるけど、それは幻聴プラスというより具体的かもしれないけど、やはりただ外面的な原告の行動らしいことを書きつらねただけだと感ずるわけですね、だからそういう意味で具体的と言っても、どういう状況で原告が行動とったかということがむしろ具体的には書いてないと思うんですけれども、いかがでしょうか]
とにかく例えば高校入学の時の入学金の残りの3万円何がしをお祝として差し上げたら、みな本を買うほど勉強したとか、あのくだり一つ見ても、私は全然、無の頭でこれだけのことを作り出して書けるということはあり得ないと、やっぱり事実に則ったものと私はそういうように判断しました。
[無の頭とこの前もおっしゃいましたね、要するに架空の話を作ったんでないということはいいと思いますけれども、やはり具体的に原告が家庭の中で家族とどういう人間関係にあったかとか、そういうことがないと思うんですよ、あの記録は、そういうことが具体的にないと思うんですが、いかがでしょうかね]
見解はそうかもしれませんけれども、私はそのように解釈して信憑性を感じて情状として解釈しました。
[ただそれは感じた感じたとおっしゃるけれど、信憑性を感じた根拠はどういうことですか]
だから内容でございます。
[その内容が原告の外面的な言動らしいことを羅列してあるだけじゃないかと私は思うんですけどね]
それは先生の見解はそういうことでしょうけれども。
[今議論しているわけでないんで、伺っているんです。ただ感じられたとおっしゃるんで伺っていまして、こうこうこういう点でこう判断すると具体的と言ってよいのだと論理的に説明してほしいんです]
私はそういう論理学的なことじゃなく。
[論理学じゃなく論理的なことです]
論理的なことじゃ申し上げられません。具体的にあれを見まして、私がそう判断したわけです。
[センターの資料は医者が書いたもんだと思われたんですか]
さあ、そこは知りませんけど、精神衛生センターからのということで、それ確かめたか、確かめたかと言われると、私共はそれは人間ですので能力もあるし、一々確かめてということまでしていません。
[つまりその点は誰が作ったかということはあまり意識されてなかったということですね]
とにかくお父さんの述べられたものだというように。
[そうしますと、前回の証言との関連ですけれど、原告の行動が異常行動だというふうに、あなたおっしゃいましたね]
はい。
[ただやはり今と近い質問になりますけど、仮りに事実が書いてあったとしても、その行動の前後関係があまりにも乏しいんで、正常異常ということを判断するのは難しいんじゃないでしょうか]
それは見解の取り方もいろいろ出て来ると思うんですけれどもやはり釘づけするというようなことですと。
[ただ世間にはいろいろ、多少、普通しないことをなさる方もいっぱいあると思いますし、それが一々精神障害ということにはならないと思うんですがね]
はい。
[だから、やはり前後関係というか、背景が大事じゃないんですか]
それは、お説はお説かも知れませんけど、異常言動、異常行動と解釈したことは私いる時点ではそういうふうに判断しました。
[異常ということを常人にとって理解できないことだというふうに前回おしゃったと思いますけれど、それを診断の基準として持ってくるのはかなり危険だということは感じられませんか]
感じません。
[例えば、いわゆる常人という側の理解力というものにずいぶん巾があると思うんですね。例えばの話が非常に頭の堅い人でしたらちょっとでも平均からずれた行動は全部異常だと思うかも知れませんし]
それはその時、その時の解釈のしようがあると思いますが、ずい分巾があるでしょう。
[だから、私達は了解できるかどうかということを診断の基準には置かないというふうに教わっているんですけれど先生はいかがでしょう]
異常の面から見る場合と正常の面から見る場合の開きはございますから。
[どういう意味ですか]
だから先生方は資料に書いてある行動やなんかを正常の範囲と解されるのかも知れませんけど、私はそうじゃないと。
[だから、私はむしろ正常か異常かと判断する仕方を問題にしているんです。判断する側のいろんなこちら側の精神の特徴によって常人とは言うけれど、理解できるのか、できないのかということですので、言ってしまうのは危いんじゃないかということです]
本件は別としまして、やっぱり家庭の陳述から類するような行動というのはしょっ中接していますけど、そういうようなことで、その時、その時の判断で病的というように思うわけですから。
[やはりその時点でそう思ったという御主張ですね、大体において]
はい。
[更に進めまして、異常行動があるから分裂病を疑うということをかなり強く言われたけど、これは私、ちょっと論理の飛躍を感ずるので伺いますが、例えば、お客さんに十分以上家にいたら体罰を受けてもよいという誓約書を書かせるというくだりがありまして、これが仮りに事実としても、それですぐに分裂病らしいということが言えますかしら]
それは一つの例としてあの時も話したんですけれども、そのほか前回の時に申し上げたわけです。院内の行動とかなんとか。
[今、センター資料について伺っているんです、院内の様子はあとで伺いますので]
だけどやっぱりある程度総合的な見地から判断ができるわけですから。
[センターの資料について総合的な見地からどうとられるんですか]
センターの資料とか、院内で見たものとか、もちろんセンターの資料にはいくつもありますけど。
[つまり、院内の所見と診断の根拠とした話に移って来ますね]
はい。
[さっきおっしゃったように、それこそ明らかにあり得ないような、例えば、特定の政党が自分を迫害しているということでパトカーを呼ぶとかそういうようなことでしたら、又、別ですけれど、お母さんの着物を風呂の水につけちゃったということから、分裂病らしいというふうに思いましたか]
それもやっぱりそういうこととか、夜中に寿司をとれとかなんとか、いろいろ書いてあります、そういうような全体的に見てのことでございます。
[ただそういう水につけることだけで、分裂病らしいとおっしゃっているわけではないんですね]
そうです、それから、だんだん7月頃から勉強しなくなったとかなんとかいう、いろいろありますんで。
[私の聞き漏らしだと申し訳ないんですが、センターの資料というのはしばしば病院で受取って参考にされることはあるんですか]
あまりセンターから何回かあったかどうか、ちょっとありませんけど。
[やや一般論になりますけれども、精神科の診断において先入観に支配されないことが大事だということは教わっておられますでしょうね]
でもやっぱりある程度先入観が入るのは止むを得ないと思います。
[どういうふうにですか]
例えば、ぱぁっとあの資料を見て、これは分裂病じゃないかという考えが入って、その考えがあとに残っているといいますか。
[いや、むしろぱっと見て、いくつかの可能性を考えてという段取りをとらないでしょうかね]
必ず躁うつ病とかなんとか、ああいうもんじゃないかと区分けするということです。
[被告側が参考のためらしんですが、書証を出されまして、保崎秀夫先生、慶応の教授の書かれたものを出しておられるんですけど、同じ保崎教授が精神科の診断の進め方について本を出しておられて、その中でやはり、例えばただの反応としての興奮を病的興奮と間違えちゃ大変だから、とにかく先入観を持たずに見るべきだと言っておられるんですけど、いかがでしょうか]
その説もうなずけます。
[精神科の場合に、病気でもない人を強制的に入院させてしまって人権を侵害することもあるんだから、初めから病気かどうかということをどちらかにあまり先入観を持たないように接するべきだというように書いておられるんですけどいかがでございますか]
はい。
[先入観を持っちゃいけないということは認められますか]
はい。
[それでは、次にカルテのことで若干お伺いしたいと思います]
後に提出する甲四第10号証を示す。
[初めにどこの個所というわけじゃないんですけども、このカルテはさっき言いました現病歴を詳しく書く個所は決っているんですか]
はい。
[その欄はないんですか]
記載する欄はあるんですけど、内容が書いてないわけです。
[しかし、この欄こそ一番大事なんじゃないでしょうか]
大事な所でございますけれども。
[なぜ書いてないんですか]
それは、言い逃れみたいですけど、中村医師が書くべき所でございますので。
[そのことを中村さんに当時注意されなかったんですか]
当時って、この間お話しした通り、ちょっとすれ違いで会った時に聞くというだけで別れましたので、そこまで突っ込むことがなかったわけです。
[でも書いてなくて、あなたは困られたんじゃないですか]
それは書いてあるべきものが書いてないということは感じます。
[その時、病院としてきちんと聞いてなかったから書いてないということじゃないんでしょうか]
この通りですから不備であることは止むを得ません。
[現病歴、生活史共、空白ですね]
はい。
乙第4号証6を示す。
[このカルテの3ページに当る所ですけれども、そこが大体10月の15日から20日の間の記載に当る所なんですけれど、ここで精神状態についての記載が全然ないと思うんですけど、これはなぜでしょうかしら]
カルテの通りでございますので・・・・・。
[例えば精神状態があまり変化がなかったら書かなかったとか、いろいろ可能性があると存じますけど]
とにかく多人数の患者さんを受持っていのすので、毎日毎日というわけにはいきませんから、週に一ぺんとか10日に一ぺんとる位面接するということになりますので、記載洩れというか、こういうような形になったんだと思います。
(略)
[それから、これはどこのページということを言えない質問になりますけれども、原告が分裂病だとおっしゃるその根拠となる事実がカルテのどこに書いてありますでしょうか]
だから、前回申し上げた通り、カルテに書かないような部分があるわけですね。
[この前言われましたね]
はい。
[しかし、本当にカルテにないことを診断根拠として、あとで挙げてよろしいんでしょうかね]
これは結果論でございますけど、デリケートな表情の変化やなんか一番大事な所はなかなか文章にして表わすことは出来ないし、又あとからこんな問題になるということも知らなかったものですから。
[ただ、私も医者ですから伺うんですけれども、やはり診断書というのは一番大事なことだけを真っ先に書いて、枝葉のことは書かないということは忙しいからあるかと思うんですけど、そんな大事なことをなぜ書かれなかったんですか]
私としては、でも面接の合間、合間にちょっと探ぐりを入れたところを少しずつ書いているつもりでございますけどね。
[ただ、診断根拠になるようなことは、カルテに書いてないとおっしゃるわけでしょう]
このカルテに書いてある通りですから。
[カルテに書いてないことを診断根拠として、あとから付け加えるようなことをしてしまったらカルテの意味がなくなってしまうんじゃないんですか]
まあ精神症状を思わせるようなものをキャッチしたということは、直接ここに書いてあるつもりですけど。
[どこですか]
6ページの、7月勉強しなくなったのは、という所のくだりですけど、勉強しなくなったのはって、本人が説明しているわけですから、勉強しなくなったことですね、で、そう言ってあとの所でずっと来て、お父さんの目をくぐりながら勉強したという両向性というか矛盾というか、文章をおって読んでいけば何の変哲もない理解されるような内容ですけどその中で、そういった変哲のない中で、ちょっと矛盾じゃないかというように私共は判断したわけです。だからそういうような意味で私はそう判断したんですから。
[やはり、直接この点が病的だと記載されてないんですね。一見なんの変哲のない現象を記載されただけで]
変哲のないような中から、あるいはその下の、友は皆敵というようなことから云々ということから、いや、そんなことはない、よく遊びに来たというような所で何か言っている前後矛盾といいますか、そういうものを感じますし。
[それは、この記載からではちょっとそういうふうに読み取れませんですよね。つまり、あなたが矛盾を感じたということを書かれればよかったんですよね。やはりこの点が病的だということを明記されれば]
だから、そういうことが病的だということを表わしているということです。
[表わしているつもりということですね]
はい。
[それから、ちょっとカルテを離れまして、前回の証言で、あなたが分裂病の根拠というふうに述べられたことについての疑問がありますので伺いますけれども、原告の着衣がだらしがないということは、具体的にどんなふうなことだったんですか]
それはその時見た目ですからね。
[と言うと]
それを、ちょっと再現は難しいです。
[印象に残っておられるわけですか、実際記憶としてだらしがなかったと]
はい。
[カルテには書かなかったけれど]
はい。
[全然書きませんか、だらしなかったということだけが思い出されて、内容は浮かばないんですか]
そんなに細かに聞かれると・・・。
[細かくないですよ、ちっとも。患者さんについての記憶というのは割合医師というのは記憶に残りますね]
でも、どういう着物を着てたか、どういうことをしたか、そのことは全然記憶ありませんから。
[だからこそ、やはりカルテに書かれないとあとで困るんじゃないですかね]
まあ、カルテには書いてないのは事実ですから、おっしゃる通りかも知れません。
[それから、だらしない着衣というのも、世の中に一ぱいあると思うんですけど、これを感情鈍麻というふうに位置づけられたのは]
だから、それを一つだけ、個々に取り上げていけば判断はつかないかもしれませんね。
[総合的にするとしても個々のことがしっかり捉えていないと総合的に判断できないと思いますけれども。じゃ、着衣がだらしないという以外には何か感情鈍麻の所見があるんですか]
だから、無為で、じっとして動かないでいるとか。
[感情鈍麻の話はそれだけですね。あなたの記憶は着衣がだらしなかったと、その時思った]
今、頭に浮かぶ範囲ではそうかもしれませんね。
[無為ということですか]
はい。
[無為というのはどういう場合に無為というふうに精神医学的な意味で言えるんですか。無為という概念をちょっと説明してほしいんですけど]
私はそんなに難しく考えずに、何もしないというような普通の解釈で理解しております。
[病棟の中で何もしないという様子のことですね]
はい。
[ただ入院させられて何もすることがなかったら何もしないということもあり得ますでしょう]
はい。とにかくほかの患者さんに比べて、動きがにぶいとかじっとしているというようなことでございます。
[ほかの患者さんに比べてですか]
はい。全般的に見ての話ですから。
[同じような意味で医学的な意味での感情鈍麻というのはどういうふうに理解されているんですか]
それは今とっさに、この場で説明しろと言っても、普通、感情鈍麻で通しているものを、それ以上ここでちょっと説明は勘弁していただきたいんです。
[前回、裁判長からの質問で分裂病の形なんかも説明しているし、皆さんのわかり易いように精神分裂病の感情鈍麻はどういうものかということを述べていただけませんでしょうか]
それはお断りします。そこまでさらし者みたいにというと失礼ですけど、私はレールオフに書いてあるようなことを、ずっと読んで理解しているだけで、それをただ言動的にと言いますか、聖書に書いてあることを言えと言っても頭に入れてないですから説明できませんです。
[教科書に書いてあるようなことでよろしいと]
はい。
[例えば、どんな教科書を挙げられますか。先生のいいと思われる教科書]
教科書と言っても、私は笠松さんの本をちょっと見たりしていますから漠然と、と言っちゃなんですけど、その体系立てて感情鈍麻と思考奪取とか細かに精神医学的に言われても、本席ではどうかと思いますから。
[むしろ、私はそういう細い理論のことを言っているんじゃなくて、私も普通の臨床科ですから伺っているんですけど鈍麻といっても、反面鋭い面があるとか、いろいろ言いますね、実際経験してみますと、その辺のことを考えておられるかどうかちょっと伺いたいと思うんですけどね]
今、先生の言われた趣旨は、私にはわかりません。
[例えば、仮の話ですけど、身なりとか周囲の部屋の散らかり方には反応を示さないけれども、対人関係では非常に敏感だということがあり得るでしょう。分裂病の場合]
あるかもしれませんね。
[それからちょっと、笠松先生の教科書なんか出ちゃったんですけれど、診察とか記録の仕方について一応の方式というようなものがありますよね。精神医学の場合、多様ではあるけれどもその方式としては先生はどんな方法をとっておられますか]
20年から以上、この道に入ってて、しょ中、本を読むほど勉強もしておりませんし、長年の習慣でやっておりますんで、改めて聞かれると、ちょっと返事できません。
[それじゃ少し進みまして、さきほどのカルテ、乙4号の6の2ページの一番上をみていただきたいんですが、幻聴は否定すると書いてありますね]
はい。
[その次に、ゲマハトもないとおっしゃっているのは、ゲマハトというのは]
作為体験のことです。
[幻聴は否定しているけど、実はあると思ったということなんですか。この趣旨は]
あるかないかわかりませんけど。
[じゃ、はっきり、実はあると思ったんだという意味じゃないんですね]
そういうわけです。
[前回の証言で、当意即答と申しますとよく、コルサコフ症候群なんかで見られる症状だと思いますけれど、あなた、どういう意味で、ここで使われたんでしょうか]
表現ですからね。その場で、ぱっと返事すると。
[熟慮しないで返事をするという意味ですか]
はい、そういうようなことで当っていると思いますけれども。
[一般に質問に対する答え方には、質問するあなたのほうの態度とか聞き方が非常に影響すると思いませんか。つまり言わんとするところは患者さんの精神状態だけじゃなくて、むしろあなたの方の態度によって答え方が変ってくるだろうということなんですけれども、いかが認識されますか]
そう言われればそうかも知れませんですね。
[それからもう一つ念を押しますけれど、同じページの4行目から5行目にかけて、顕著な体験は表わさずという所ですけれども、ここも、表わさないけれども実はあるという、証言ですか、前回の証言は]
前景には表われていないという意味ですけどね。
[具体的にはどういうことですか、前景に表われないということは]
だから問診とか、面接の範囲でははっきりとキャッチしにくいといいますか。
[前景と言いますと、口でも言わないし、行動にも表われていないという意味ですね]
ええ、口には表わしてなかったですけど。
[行動にも表わしてないということですね]
面接時ですからね。
[面接時にとにかく表わしてないということですね]
はい。
[その次に同じ行にアインジヒトはないというのがあるでしょう。これは病識という意味ですか、同察という意味ですか]
病識と解したいですけど。
[正確にはクランクハイツアインジヒトですね]
はい。
[これはかなり重大なことなんですけど、これは決して教科書がどうのとか理論がどうのとかいうんじゃないんですけど、あなたの病識というものについての御理解をちょっと聞きたいんですよ、前回の証言でちょっと疑問があるものですから、病識についてどう理解していらっしゃるか]
普通は精神科の患者さんは、自分は病気だから治療を受けるとか、自分は病気だから医者の所へ行くという考えがないのが多いんですけど、そういうような状態ですね。病気だという自覚がないというように、一般的な考え方かも知れませんけれども。
[総合的に自分は病気だという自覚という意味ですか]
総合的にという表現はどうですかね。私何と返事していいか。ちょっと・・・。
[つまり自分がやったこういう言動が異常であるという、個々の言動を異常と自覚するという意味なのか、もっと漠然と自分自身がとにかく病気であるんだと、自分の全体の状況を言うのかということを]
この場合はおそらく後者の方で聞いたんじゃないかと記憶しますけど。
[しかし、さっきの保崎先生の本にもあるけど、初めから病気でない人が来る可能性もあるから、その場合は自分が病気じゃないというのは当然なわけでしょう]
それは初めから病気じゃない人でしたら、そういうことになると思います。
[そういう可能性は常に念頭におかなければいかんのじゃないですか]
御指摘の通りだと思いますね。
[そこで、このカルテを見て、さきほどから言ってるように、異常の体験を表わさないと書いてあるすぐあとに、いきなり、病識がないと書いてあるのは、こちらがちょっと戸惑ってしまうんですけれど、この脈絡はいかがなものでしょうか]
あの時点の判断で、そう書いたものは、この通りだと申し上げるよりほかないですね。
[何らかの理由で病気だと判断されておられて、それどんな質問して病識がないということを判断されたんでしょうね]
あの時点の問答の内容はちょっと今覚えてません。
[もちろん病気でない人を病気と誤ってはいけないということの重要性は十分認識しておられるわけですね]
はい。
[少し進めまして乙4の6の6ページを見て下さい。このページの一番下の方に11月13日付の記録がありますね]
はい。
[これは筆跡から見て署名も古閑となっているんですけど、古閑栄之助先生でよろしいですか]
そうです。
[この方は、前東大の助手であって、現在学芸大学の教授である方だと思いますけれども、多摩川保養院には、どういう関係で見えていたんでしょうか]
週に一ぺん来られて、主に脳波の判定とそれからあとは、男子病棟と女子病棟で興味のある人を診察なさるとかいうような程度だと思いましたけど。
[興味のあるというのはどういう興味ですか、古閑先生の興味を持たれるという意味ですか]
その療養といいますか、何かいろいろこういう問題になるような病気があるとか、いろいろなことを聞かれて。
[そうしますとどちらかというと、ある意味で権威のある顧問といいますか、普通の常識でいえばそのような役割と]
顧問かどうか知りませんけれども、古閑先生は権威のある先生だということは知っています。
[よく診断がわからない時に診ていただいて、多少示唆を得るということがあるわけですか]
はい、参考にしたり、教えを乞うたりというようなことはございますけれども。
[当時、もちろん保養院におられたんだろうけれど、ずっと長かったんですか、古閑先生は保養院関係は]
私が39年の9月に参りました時には既におられましたから、そのどれ位前からか知りませんけれども、それから48年位までおられたと思います。ちょっとそこは記憶違いがあるかもしれません。
[もちろんこの当時病院には馴れておられたわけですね。週1回と言われても]
そうでございます。
[この場合、本件の原告に関して、あなたが頼んで古閑先生に診ていただいたというようなことがありましたか]
これはどうでしたかね、私が頼んだかもしれませんし、ちょっとはっきりわかりませんけど、私の方からお願いしたかも知れません。
[なぜ診たかということは、ちょっとわからないけど、お願いしたかもしれないという位ですか]
はい。
[そこで古閑先生の書かれた内容はあなたはどういうふうに受けとられたでしょうか]
古閑先生は心因反応プラスプチコパチイ、精神病質ですね。一言いうと何か言い返されそうですけれども、精神病質と言いますと、私はだいたい、生来性の性格の異常とかなんとか言うような観念を強く持っていましたし、ちょっとこの方はパチイには私は該当しないんじゃないかと、それから、あと心因反応が受験地獄のあれで表われたんで、心因反応という解釈、これは一つの解釈だろうと思いますけれども、それを参考にして拝聴はしましたけど。
[つまり、結論部分に関しては、あなたは納得しておられないわけですね]
はい。
[さっきパチイとおっしゃったのは精神病質でいいわけですか]
はい、プチコパティの。
[精神病質に当らないと思うと、あなたの御意見ですね]
はい。
[それはどういう根拠ですか]
ですから精神病質、昔は偏執といいましたか、性格異常といいましたか、大体、生来性の性格異常といいますか、なんかそういった観念が私にあるものですから、この方のように、あの時点で44年7月頃から勉強しなくなったとかって書いてある所を見ると、それまでは真面目に学校1番、2番の成績をとるような状態だったというようなことを考えて、除外してもいいんじゃないかと思ったんですけど。
[つまり、ある時期から様子が変ったので、そういう一貫した性格の偏りとは違うんだというご趣旨ですね]
そういう意味ですけど。
[これは別に議論をいどむわけじゃないんですけれど、精神病質という概念だとか言葉については、現在はどういうご見解ですか]
概念って、あの中には念着力などということ位しか今、頭にございません。
[之々は性格が偏っているために自分と社会が悩むとかいろいろあるでしょう。定義みたいなものが]
はい。
[そういうものは妥当だと思っていらっしゃいますか、そういう精神病質の定義づけというものは]
妥当であるかないか、とにかく私共が習慣的にシュナイダーなんかの分けたのを読んでなるほどとうなずいて聞いているということだけで。
[どちらにしても本人の生活歴を十分知らないと精神病質かどうか言われないわけですね]
とにかく私はそういったようなことで精神病質じゃないというふうに判断したんですけど。
[だから、古閑先生の記載を見ましても特に精神病質という積極的な部分があまりはっきりしないんじゃないでしょうかね、そういう生活歴や何やらに触れるような記載は全然ないでしょう。どうでしょうかね、つまり、あなたは分裂病であるという観点で精神病質でないというようにおっしゃってるように受け取れますね。古閑先生は精神病質じゃないかとおっしゃるわけだけど、古閑先生自身の記載の内容は精神病質という記載を裏付けるような記載がないように思うんですけど、それ自体いかがですか]
そうですね、古閑先生がどうしておつけになったのか知りませんけど。
[古閑先生もセンター記録を見られたんですか]
おそらくご覧になったんじゃないかと思いますけど。
[カルテの前のほうなんかにくっつけてあったんですか]
はい。
(略)
[もうひとつ精神病質問題で伺いたいんですけど、かなり年令の若い方に精神病質ということを簡単に言っていいんですかね]
それはこのケースについてじゃなくて。
[このケースもたまたま若いから関係してくると思いますけどね]
 ・・・・・、ちょっとあんまり不意な御質問でちょっと困りますけど。
[特にございませんか]
はい。
[私、医者としてこのカルテをずっと拝見しますと入院期間中に親からいろいろ入院に対する異議の申立みたいなことがあったし、原告の診断についてあなた自身途中で疑問になったなんてことはないんですか]
私は感じませんでした。
[疑問になったから古閑先生に診察を頼んだと]
そういう訳じゃございません。
[今の部分の心因反応というほうは一応参考にしてもいいとおっしゃったですね]
いいえ、古閑先生はそういったことに重点をおいて心因反応という病名をつけられたんじゃないかという私の解釈ですから。
[このプラスと書いてあるけれども心因反応のほうが重要なんだという意味ですか、今の主張は]
私はさきほどプシコパチのほうはこの方には該当しないから、それで前の心因反応のほうですけど、古閑先生はそういった受験地獄の心的な苦痛というのを心因としてこういうように見解を出されたんじゃないかと推察するんです。
[古閑先生の立場を推察されるわけですね]
推察みたいなもんですね。
[ただ、もちろん心因反応というのもちょっと人が普通に怒ったとかしたぐらいでは心因反応とは言いませんでしょう]
はい。
[ちょっと深い根拠がないと言えませんですね]
はい。
[それからこの同じカルテで清水という先生が書いておられることがあるとおっしゃっていますけど、清水何とおっしゃるんですか]
清水信ですね。
[その方はどういう役割のお医者さんですか]
あの時は週3回位来ておったですかね。今は週1回か2回位しか来ていませんけど。
[受持関係とかそういうのはいかがですか]
あの当時は特定の患者さんは持ってなかったんじゃないかと思いますけどね。
[ということは病棟担当医でももちろんないんですね、週3回だと]
はい。
[そうすると何をなさったんでしょう、来てどういう役割ですか]
結局私が週2回ほかの病院に行きますから、そういう居ない日とかにこの清水先生なり、ほかの相沢先生なり、お見えになった先生が病棟でご覧になるというようなもので、そんなに深く考えていません。
[つまり、あいた日の応援役ということで例えば古賀先生みたいな立場の方と違うわけですね]
そうですね、古賀先生とはちょっと違うというか。
[で、留守番されてある程度意見をカルテに書いたりなさるわけですね]
はい。
[さきほどの乙4の6の7ページ、この一番下の部分に当たる記載が清水先生のとおっしゃいましたですかね]
そうです。これは清水先生の字です。ちょっと私、読みにくいですから困るんですけど。
[大変失礼ですけど、内容が非常にわかりにくいんですけれど、何を言わんとしているかがですね、これをちょっとあなたなりの受け取り方を説明していただきたいんですけれど。入院当初のアウフレーグングですね]
という字だと思います。
[軽いツェルファーレンハイトですね、これは]
はい、そうです。
[入院当初のアウフレーグングと言いますけど、入院当初は興奮してなかったんじゃないでしょうか]
この初めの方の記載ではそういうふうに書いてあるんですね。
[それでそこから先は入院前のことを書いてあるんですね]
入院前、夜昼の区別がなくなったこと、親に対してかなり、
[急激に出現したヂベルテーティッヒ、これはドイツ語としてはおかしいけど]
暴力的なという意味だと思いますけれど、傾向。
[極端な]
エゴツェントリッシュな態度(戸に釘づけにする)。
[などに対しては合理化してみせるが、というのはどういうような意味でしょうかね]
これはYさんのあの時の反応といいますか、取った行動は正当だということを言っているんじゃないかと思います。
[つまり、本人なりに説明をしたと、Yさんなりにこういうわけでやったんだということをここで説明したということですね]
じゃないかと思いますけどね。
[内容は書いてないんですね、残念ながら]
はい。
[この次は大体意味はわかるような気がします、両親の立場からは患者の行動がどうしても異常と映っていたこと、ということですね、しかしこの人達は現在考えを変え、?がついていて、精神病と考えないという意味でしょうかね]
言い出しているという記載です。
[それから先が非常にむずかしくなってくるんですけれど、家にいた頃のような非常識な行動はないという意味だと思いますよ、次のページに移りまして、つまり少なくともセンター記録にあるような行動は院内ではないと、非常識な行動なるものはないという意味でしょう]
はい。
[現在の状態に対する深刻さはないというのは本人のことでしょうね]
だろうと思いますけれども。
[本人の入院させられている状態だと思うんですけど]
この記載でしたらおそらくそうと思うんですけど。
[その次の私見ということ、説明していただきたいんですけど、この清水先生は原告についてどういうふうに医学的な見解を持っているのか、なかなか読みとりにくいものですから、私が勝手に読むよりも先ず先生に]
あの先生の字はちょっと・・・・・。
(略)

1977.6.9

原告補佐人
[前回速記録の20丁の表の最後から4行目に両向性という言葉が出てくるんですけれども、両向性というのは両価性ではないんですか]
いい違えたかもしれませんけれども両価世というのもとっさで・・・・・。
[この17ページにアンビバレンス、それと同じ意味でよろしいでしょうか]
両価性というつもりだったと思うんですけれども、これはとっさにいった言葉で理背ということをいおうとしてふらっとこういう言葉がでちゃったと思うんですけど。
[それじゃ専門的な意味で両価性という意味とは若干違うんですね]
違うかも知れません。
[11月12日と書いてあるこの記載の中に、友は皆敵云々のことを聞くと、いや、つき合っていると書いてありますね。友は皆敵というほうは先生の質問の言葉じゃないんですか]
そうです。
[「いやつきあっている」というのは本人の話ですね]
はい、そうです。
[本人自らが矛盾したことを述べたことほにならないんじゃないでしょうか]
これは一番終りのセンター資料の2枚目、高校時代の友達は表向きは友だちだけど内心は皆敵だ、心からの友だちにはなれないし、なれなかったということをいっていたことについてどういうことか私が伺ったわけですけれども、そうすると「いやつき合っている」とそういうことはないでしょうと、その友は文科で合わないけれども話題も多いしよく遊びに行ったという、こういう返事ですね。
[ということはつまり先生の質問を本人が否定されたということに過ぎないんであって、本人自身の考えの矛盾ということにはならないと思うんですが如何ですか]
私は友は皆敵ということからの書き出しなんですけれども、本人がいっているのはその友はといってどの友かわからないんてですけれども1人選んだらしいんですけれど、それは文科で合わないけれども話題も多いし、よく遊びに行ったと1人の特定の誰だかわからない友達を指していっているということで私はちょっと矛盾を感じたということでございます。
[前回の証言の御趣旨ですと友は皆敵というところからを本人の言葉のように誤解なさって、それと矛盾することを本人がいっているというふうに述べられたと思うんですけれども]
そういうことじゃなくて一番終りのセンターの内容のことを私が伺ったわけです。
[要するに友は皆敵ということに対して仲のいい人もいると本人が答えたにすぎないわけですね]
その友というのはわからないわけですよね。特定の1人だけを何かいっているようですから、私はそういうように判断したわけです。
[でも1人の仲のいい人がいたということで何等・・・・・・]
先生はそうかもしれませんけれども私はそういうようにあのときはちょっと合わないというふうに思いました。
[私だけじゃなくて常識的にみてちょっと理解しがたいんですけど]
 ・・・・・・・・・
[要するに思考の上の矛盾というふうに先生はそれを判断なさった]
矛盾とか理背とか。
[診断根拠というものがなかなか納得できにくく益々なったわけですけれども、両価性ということですと、分裂病にしばしば現われる症状といわれますね]
はい。
[今のお話ですと両価性ということは撤回されるわけですね]
そういうことですね。何か口がすべったといっちゃ申しわけないですけど。
(略)
[古閑先生は診断に懸念があったりする場合に頼まれて診ることが多かったといっておりますし、Yさんの場合はそうだったとおっしゃっているんですけれども、先生、依頼されたという記憶は全然浮びませんか]
依頼したかも知れません。
[前回証言のように古閑先生の結論は先生の御意見と違っているわけですけれども、それをめぐってYさんが在院中に古閑先生と話合いをなさいましたか]
特にございません。
[乙4号証の6の11月15日付の続きでもって11月19日付の上のところにきているところがございますね。これは前回裁判所から御注意受けまして質問変えまして継続致します。最後の3行目見ていただきたいんです。現在の状態についてはあまり治療の効果がはかばかしくないので一度薬を取ってみるのも一つの方法かと思います、と書いてありますね。これについて伺いたいんですけど治療の効果がはかばかしくないということは様子が変わらなかったということでしょうか]
ちょっと、とっさにはお答えできませんけど。
[治療がはかばかしくないという意見があったわけですね]
ほとんど診ないうちに退院になっちゃったものですから、この先生の見解ですから私はわかりません。
[それに関連して先生が分裂病であると思われた場合、そういう場合、急に薬を取ってみるというようなことはなさいますか]
私はそういうことは普通はないですね。
[本件においては薬は退院のときにやめられたわけですね。外来まで一応は処方したけれども]
一番表紙に書いてあるのが外来投与の分になっておりますけれども、退院のときに渡した薬ですけれども薬物療法は続けたわけです、その時点までは。
[このかなり上のほうに診断という欄がありますね。そこに精神病質と心因反応ではないかという疑問符がついておりますが、そういう最終的な診断がついておりますね]
これは一番初めここで説明した通りでございます。
[それについて、いわば患者本人に対する配慮のつもりで分裂病という名前を避けたという御趣旨の証言があったんですが、それは実は外に出す診断書なんかを書くときはこれは分裂病だと思って神経症というふうに配慮することがありますね。そうしますと、本人が不利益を蒙ってしまうというようなことがありますので・・・・・・それはよろしいですね]
はい。
[診断書ではそういうことは書くかもしれませんけれども、カルテではそういうことはしないんじゃないんでしょうか]
私はそこまで考えずに、この場合はそう書いたとさっき先生の御説明のあったような趣旨で書いたと記憶しておりますけれども。
[カルテでそういうことをするということは私はまず聞いたことはないので伺っているんで]
私の信じている病名とは違う病名を書いたということについては先般来の御説明通りほかに何もございません。
[先般来の御説明というとどういうことですか]
さっき先生が御指摘になったようなちょっと表面には病名をはばかるというふうな意味でここに記載をしたということでございまして、本当の病名を書かなくちゃいかんという御指摘のようですけれども、私はそうじゃなしに病名をはばかってここに書いたということでございます。
それが事実ですからしょうがないと思います。
[つまりカルテにおいては病名をはばかって診断名を書くことは普通ないわけであるから伺っているんですけれども]
そうかも知れませんけれどもこの場合は今、申し上げた通りでございます。
[精神病質というふうに書いてございますでしょう。その言葉も場合によっては分裂病と同じか、それ以上に本人にとって不利になるような病名じゃないんでしょうか]
それは不適切であるかどうか先生のお考えが正しいかもしれませんけれども。
[その154ページに精神病質という項目があるんですが、精神病質というのは平均から逸脱した人格であると書いてございますね。で、その異常性のために自ら悩みあるいは社会を悩ますものとされていますね。つまり、そういう問題がある人柄だというふうに決めつけることになるわけですからやはり精神分裂病と同様に本人にとっては不利な診断名にならないでしょうか]
まあ、それはお説の通りかもしれません。
[この前すでに度々出ていることですけれども本人は退院のとき治っていない、末治であるという御見解ですね]
はい。
[それは最初の状態と比べて変りがなかったという意味の程度で書かれているんでしょうか]
最初の状態と変りがあったかなかったか別として一応、一言申し上げるとまた、すぐやりかえされそうですけれども、結局、病識といっちゃ変ですけれども、やっぱり、あれだけの、私共は異常行動と判断したわけですけれども、そういった面についての私共の期待した自覚が得られなかったという意味でございます。
(略)
[家族の方に対する証人の応接振りについて伺いたいんですけど、本件の裁判で原告のお母さんは、あなたに対して非常にこわい先生であったと、ただ、こわいだけであったというふうに証言されているんですけれども、あなたは原告の家族に対して、穏やかに、親切に話しやすいように接せられたわけですか]
私は特別、Yさんだからどうとか、ほかのお客さんだとか差別する意識はございません、但し人間ですので、多少感情が入ったかもしれません。
[十分、家族のいい分を聞かれたという記憶はありますか]
こっちの説明を全然聞いてくれないといっちゃ悪いですけど、うまく行かなかったという点があると思います。
[あなたとしては、どういうことを説明されたんですか]
今、記憶に残っているところでは、とにかく入院されて、せんだって申し上げたのと、ダブっちゃいけませんかもしれませんけれども、要するにお母さんと初め面会して非常に意外な気持を持ったと、医者の方からよろしくお願いしますという言葉を期待するということは潜越でおこがましい次第(代)ですけど、大分裏腹な印象を受けまして親子喧嘩だというようなことで主張されますもんですから、私としましては、普通勉強部屋を作ってもらうというだけでも、両親にしてみれば大変な努力だと思います。それが窓の位置が気に入らないというだけで、あれだけの反応を示すことは、普通の親子喧嘩とは、とれないというような趣旨で、お母さんに話したと思います。
[診断に関する議論のようになってしまったわけですか、親とのあいだが]
診断という言葉が今、持ち出されましたけれども、それが適切かどうか、今のような内容なんですけれども。
[普通、家族がみえたら、家での様子を聞かれますでしょう]
はい、それが、結局、そういうことで、できなかったわけです。
[そういう努力をされたんですか]
はい。
[前回センターの申込記録の裏付けは直接お父さんに、たしかめられなかったという証言があったんですけれども、折角家族がみえたら、まず、そういうことをたしかめることから・・・・・]
それはあとからの御指摘ではそうかもしれませんけれども、私は、それまでしなくても、あの内容見まして、大丈夫、信憑性があると判断しました。
[精神科診断のすすめ方という慶応大学教授保崎先生がお書きになったものですが、1ページの中央辺りに、結局、精神科に関しては診断根拠が医師の経験や直感に基づくことが多いと書いてある、これについては・・・・・]
医師の主観が入ると思います。
[私もある範囲で、ほかの科以上にそうであるということを認めておるんですけど、大事なことは、ここに書かれていることは、単なる直感や経験だけではいけないんだということになると思うんですね。次に2ページ上から4行目のところに、正確な情報の基盤の上に総合して診断していくと書いてありますね、これは認められますね]
はい。
[特に中央辺りで、なお精神医学的診断にかかわる特性としては広く社会的な視野に立って判断する必要性、マクロの視野に立つ必要性のほかに人権にからんだ問題が起り得るということである、場合によっては強制的に入院させられ、人権を無視されるという危険性があるために、判断は極めて慎重でなければならないということである、常に冷静で、事、客観的な立場が要請されるわけである、ということは、お認めになりますか]
文章としてはこの通りだと思います。実際、これを私が履行したかどうかは別問題として。
[こういう方法が正しいと認められる]
レールブックに書いてある内容ですから。
[1.患者に関する情報を得るために必要なこととして、①情報を得る側(医師)に先入観があってはいけない]
先入観があるから、そういう言葉があるわけですから、先入観があっても、それに支配されてはいけないというような趣旨で理解しておりますけれども。
[先入観というより、最初の、その人の判断というのは勿論避けられないけれども、完全な先入観という場合は、十分根拠がないことが頭に入ってしまっていると]
先入観に、だから支配されてはいけないと。
[③として、後半に単なる羅列にならないようにするとなっておりますね、これも同じですね]
はい。
[10ページに、3というパラグラフがあって、中程のところに、診断のために「医師患者相互間の影響しあいが重要な意味を持っていると書いてある、これはお認めになりますか]
医師と患者と相互の心の融れ合いが望ましいということですね。
[3ページに2.家族との面接、家族からの情報の聴取という項目があります、その4行目になりますけれども、家人は本人の単なる情報提供者に過ぎなかったが、今日のように家族研究の進んだ状況では本人をめぐる家族内力動にかかわるものとして、これまでとは異なった詳細な家族内人間関係の情報提供者となって来るとありますね、こういうお考えは如何ですか]
それは、ここに書いてあるのを読めば、うなずけますけれども、8年ぐらいの前のあの時点ではこういうこと念頭になかった頃でございますので、常に、ここに書いてあることが頭の中に入っていたわけではございませんので。
[家族の側にも、いろいろ特徴がありますでしょう。そういうこと十分考慮した上で、より正確な情報をとらなければいけないわけですね]
家族も必要ですけれども、ですからセンターの資料が家族のいわれた、陳述されたこととして、こちらでは解釈したわけです。
[その後、折角、家族と接触されたけれども・・・・]
さっきいったようないきさつがありましたものですから、そこにタッチしないうちに退院ということになっちゃったわけです。
[家族に対して本人が泰然自若としているという説明をなさった記憶がありますか]
カルテには書いたかもしれませんけれども、家族にいった覚えはございません。
[カルテのほうには泰然と構えとかいう記載がたしかにあるんですね。これはどんなことをいっておられるんですか]
読んで字の如くですから。
[医学的な記載のつもりですか]
医学的な記載に合致するかどうか別問題として、そのときの私の感じたことを、そのまま記載したわけですから。
[何か、それは診断のために役立つような記載ですか]
そこまで考えずに。
[あなたとしては、あくまでも分裂病と思っていて、一生懸命治療しなければいけないと思っていたわけで、その旨を家族に説得なさったのですか]
それで結局40日ぐらいになったんじゃないかと思います。入院期間がですね。そういう説得を兼ねたりして、退院を望まれたんですけれども、本人のためだからというような趣旨で説得をして、どうしても連れて帰るというんで、11月の何日かに退院なさったということだと思います。
[ということは、もっと早く連れて帰りたかったけれども、あなたの方で説得して延したという御趣旨なんでしょうか]
私は故意に延ばそうとか、悪気があって退院を遅らせるということじゃないんですけど、本人のために私共の納得のいくような状態になるまでというようなことで説得して、それで中絶みたいな形になったというような判断でございます。
[大師保健所の方に対して、長期治療の方であるというふうにお話なさった記憶ありますか]
大師保健所の方とは私、会っていないんで、あるいは電話で、そういうことが・・・・・。とにかく直接会った記憶はございませんけど。
[長く入院させておかなければいけないような人だという意味ですか]
そういうことじゃないでしょう。こちらが納得いくだけよくなれば、いつでもお帰しするわけですから。
[予測として、これは長くなりそうだなと思ってそういうふうにおっしゃったんでしょうか]
あの時点の判断ですけれども、ちょっと今、頭の中に再現できませんので。
[院内で原告に対してなさった治療とか処置とかについて伺いたいんですけど、最初の証言にもありましたけれども、保護室に入れる基準というものについて、やはり、このこと自体、本人が非常に不利益になる場合に保護という意味で保護室に入れるということをおっしゃっていたわけですけれども、原告は病院に来てから全く興奮を示したという記載がないわけですね]
カルテには記載ございません。
[何故、保護室に入れられたんですか]
これはちょっと私も、卑怯かもしれませんけれども、本人と接する前のことですので。
(略)
原告(事務局より・・・ここでY氏自身の尋問に入っていく)
[当時、あなたと私の間でどのような問答が行われたか、ここで再現してみたいと思いますのでよく思い出して答えてください。あなたと最初会ったのは、2階の診察室と呼ばれる部屋でしたね]
本館の診察室でしたか。
[病棟の中の]
診察室だったと思います。
[その時あなたは入口から見て奥の机に坐っていましたね]
そうです。
[その部屋には2つ机があって、1つは入口のところ、1つは奥にあったと私は記憶しているんですが、その奥のほうの机に坐っていたんですね]
はい。
(略)
[先程の質問ですが、私がその部屋に入った時に、入口の近くに看護人の方が立っておられて、私があなたの机の横の丸椅子に腰掛けたら、その看護人の方があなたと私の間に来て立ったということは覚えていますか]
それは覚えてございません。
[あなたはそのとき、青焼のコピーみたいなもの見ていたんですけれども、それはセンターからの資料ですか、青いリコピーを見ていたと私は記憶してるんですけれども、どうですか]
それは見ていたかも知れません。
[それはセンターからの資料ですね]
多分そうだと思います。
[そのセンターからの資料がカルテには付いていないんですけれども、それはどうしたんですか]
どういう意味ですか。
[その当時青いリコピーがそのカルテにはさまっていたんですけれども、乙4号証にはそれが添付されていないということを聞いているんです]
裁判長
[質問の趣旨に青いリコピーのセンターからの資料をカルテに添付して、本当に張り付けちゃうという趣旨ですか]
原告
[私の見た時にはあったと思ったんですけれどもそれが出されてきたカルテには無いということがどうしてですか、ということを聞いているんです]
わかりません。
[通常そういう資料というものは、カルテに添付するわけですね]
ほかの医者の紹介とかは添付します。
[私が丸椅子に坐ってしばらくしても、あなたは青いリコピーを見ていて何も言わなかったですね]
そう・・・・・・・
[それで、私の方から、おととい、きのうと、あなた方がビタミン注射というへんな注射してからからだがだるくて眠くてしょうがないから、一体何をしたんですかという問いをしたんですけれども、それは覚えていますか]
大変申し訳ないんですけれども、たくさん患者さん診ているので覚えておりません。
[からだがものすごくだるくなったりしたのは、薬の副作用ですね]
恐らくそうだろうと思いますね。
[私から、ここはどこなんですかと、あなたに聞いたんですけれども、あなたはそれに対して、何も答えてくれないままに、一方的に、名前は、職業はないと聞いてきたのは覚えていますか]
ちょっと、・・・13日の問診録に書いてあるだけで、ちょっと、ここに書いてないことは記憶にないんですけれども、申しわけないんですけれども。
[私が先に尋ねているんだから、まず私の聞いたことに答えて下さいよと私が言ったら、あなたは、あんたは私の言うことに答えてればいいんですと、聞くのは私ですと、強い語調で言ったのは覚えていますか]
私は自分の性質としてそういう語調を言うというのは、納得いきませんけれども、あなたの記憶が正しいかもしれません。私ちょっと記憶ございません。決して逃げたり隠れたりする気持はないんですけれども。
[それで、私が予備校に行ってますというと、あなたは浪人しているのか、どこの大学を受けたと聞いたので、私が、理科、早稲田・都立大と言ったのは覚えていますか]
ここへ書いてありますから、そう言った趣旨で。
[で、あなたは青焼きの紙を見て、7月の終り頃から、学校に行かなくなったのはなぜと聞いてきましたが、私は夏休みだから学校に行く必要はないだろうと思って不思議に思ったんですけれども、なぜあなたはそういうふうに聞いてきたんですか]
夏休みという感覚があの時なかったから、それは私がその場に合わないことを聞いたかもしれません。
[7月の終り頃から、予備校に通わなくなったとありますが、やはりあなたはその時センターの資料に支配されていたんじゃないですか]
センターの資料ですね、信憑をおいたことは確かです。
[だから、そういうことを聞いてきたんですね]
大体予備校は夏でも夏期講座なんかが多いということもその時考えていたかどうか知りませんけれども。
[それからあなたは、私に、何も食べられないそうですね、と聞いてきましたね]
ここに書いてないことは、ちょっと記憶にないんですけれども。それは確かにあなたの方は、私の方とても印象的に残っているでしょうから、あなたの記憶の方が確かでしょうけれども、私はこんなに現在なるとは思っていなかったものですから、ほかの患者さんと同じような、ほかの患者さんについても、そういうふうに聞かれても、わからないと思います。7年前のことですから、あなたの方が私に対して、一対一で、私は200何人中の1人ですから、強烈な印象を持っておられるから、あなたの述べられることは恐らく確かなんかも知れませんね。私は記憶にないんですけれども。
[私はあなたの質問の意味がわからなかったので、いつ頃のことですかとあなたに聞いたんですが、返事がなかったので、私は勝手に推測して、高二のとき山で遭難した人が、水だけで3週間持ちこたえていることを聞いて同じ山に興味を持つものとして、どのくらい耐えられるか、1週間、1日ジュース3本でためしたことはありますと言ったんですが、あなたは、そんなことを聞いているんじゃない、と私の言っていることを止めたのは覚えていますか]
ちょっと記憶にございません。
[また、あなたが青いリコピーを見て、全然眠れないそうですねと、実際私にはありそうもないことを断定的に言ってくるので、私は驚いてしまいましたけれども、眠れないということは、なかったので、そんなことはないですよと言うと、あなたは青いリコピーを指さしましてここに書いてあるじゃないかと、むきになって言ったことを覚えていますか]
なんだか申しわけないようですけれどもね、どうも記憶がよみがえってきません。
[あなたが青いリコピーを見て、変なことばかり言ってくるので、私が、あなたにさっきから、変なことばかり言っているんじゃないかと、その青いリコピーに何が書いてあるのか見せて下さいと言って、手を伸してあなたの持っている青焼きの紙を取ろうとしたのを覚えていますか]
それは見ないでほしいと言って引き寄せたことは覚えています。そこは覚えているんですれどもね。
[そうすると、あなたは青いリコピーをさっと反対側に隠して、これはあんたが見てもしょうがないんだと、見せる必要はないと言ったので、見せろ、見せないの議論になったことは覚えていますか]
おぼろげですけれども、そういうことがあったような記憶ですね。
[結局あなたは青いリコピーを私に見せてくれませんでしたね]
見せませんでした。
[そこで、私は薬と注射の副作用で、鼻が詰まって、呼吸ができなくなったので、口の中がからからになって、喉が痛くなってきて、しゃべれなくなったので、水を飲んでくると言って中座したのは覚えていますか]
ちょっと記憶ございませんね。
[その時あなたが私を制止しようとしたんですけれども、それは記憶ないですか]
制止なんかしたですかね、私は、ほんとに正直に、別に記憶にないことはないと申し上げるより仕方ありません。
[私、あなたが制止したにもかかわらず、水飲みに行ったわけですけれども、それで、いちいち水を飲みに行くのは面倒くさいと思って、コップに水を入れて戻ってきたら、あなたは私が水を入れたコップを持ってきたのを見て、非常にびっくりしていましたね]
そうですか。
[覚えていませんか]
 ・・・じゃ、あるいは水でもぶっかけられると思って、びっくりしたのかどうか知りませんけど。
[水を持ってきた理由を私が言ったらば、あなたは落ち着いたようですけれども、そのことは覚えていますか]
そうですか、覚えてございません。
[それから、あなたの質問がまた始まったんですけども、浪人していて、早稲田を受けたんだね、どの部ときいてきたので、私は、友達は土木のほうが性に合っているし、はいりやすいと、日大とか早稲田、中央などを受けましたが、私は建築を選びましたと言ったのは覚えていますか]
多分それは記載がございますから、そのとおりじゃないですか。
[ただ、これは、友達は土木を受けるならと言って埼玉大、早稲大、中央を受けたと書いてあるんですけれども、私が建築を受けたということが書いてないんで、そこを伺ったんですけれども]
そんな細かいところまでは無理ですね、私の記憶じゃ。
乙第4号証の6を示す
[そこに、勉強しなくなったのは、自分の部屋がない、友に聞いたら皆協力してやってくれているのに、家はやってくれないと書いてあるところですが、ここはまずあなたがなんで勉強しなくなったんですかときいてきたんですね]
そうでしょうね。
[それで私はそんなことはないですよ、自分の部屋はなかったけれども、ちゃんとやってましたと答えたのを覚えていますか]
さあ、それはちょっとここに書いてある以外のことはわかりません。
[私は、ここのところで、あなたがちょっと省略したんじゃないかと思って聞いているんですけれどもそのへんは、思い出しませんか]
あなたのいわれていることを書いていったから、書きもらしがあったかもしれません。
[私が勉強をやっていたと言ったらば、あなたは非常に不満そうな顔をしていたんですけれどもそれはいったい何ですか]
それはちょっと考えられないことですね。
[私が勉強をしていたと言ったら、青焼きの紙を見て不満そうな顔をしていたということは、私には特に印象あるんですけれども、私は当時あなたの言っていることがよくわからなかったんです。自分のやっていることと、まるっきり違うことを言われているんで、これがずいぶん奇異に感じたんで覚えているんですけれども]
今、あなたに言われてみると、いけなかったというように思い返されるような次第ですから。
[で、私が自分の部屋がないというようなことを言ったらば、あなたは家の中で何か不満みたいなものはあるのかと聞いてきましたね]
そうですか・・・・。書いてありますかね。
[省略があるんできいているんですけれども。それで私がうちの親は私の話をほとんど聞かないで一方的に反対するんで、不満はありますと、特に山登りのことなんかでは、友達に聞いてもクラブ活動ならと家の人がみんな理解して協力してくれてやっているのに、うちでは、ただ反対するだけで、やってくれないんですと言ったのは覚えていますか]
あなたがそうリアルに言われるから、そのとおりなんでしょうけれども、私は記憶ございません。
[で、私はカルテを見て非常にびっくりしたわけですけれども、私は勉強のことと山登りのことをはっきり区別して言ったと記憶しているんですが、このカルテにはその辺がごちゃまぜになって書かれているんですが、なんでこんな書き方になったんですか]
そう言われましても、あの時点で、頭に浮ぶままあなたの言われるままを書いたのが、そういう形になっていますんで、ことさら意識的に山登りと勉強を混同しようというんじゃなくて、ありのままに書いたのがこうなっていると私には、そうしか申し上げられないんです。
[私の言うのが早過ぎて、あなたの書くのが遅くて間のことは飛ばしたということはあるかもしれませんね]
あるかもしれませんね。
[ここのところもそういうことがあったかもしれないということですか]
それはちょっとわかりませんけど。
[次にここで、あなたは私にどうしてここに来たのですかときいてきましたが、私がそれはこちらが聞きたいくらいですよと、何の説明もなく無理やり連れてこられたんですから初めにきいているでしょう。さあ答えてくださいよ、とあなたに言ったのは覚えていますか]
あの時点の問答の内容はちょっと記憶ございません。
[あなたは、私が言い終るか終らない内に顔を紅潮させて、きくのは私です。あなたは答えればいいんですと言ったのは覚えていますか]
語調がどうだったか記憶にないんです、みんな忘れているようにとられると私もつらいけれども。
[あなたがそう言ったことに対して私はすごくおっかなく感じたんですけれども]
あなたの受け取りがそうであれば、そのとおりだと思います。
[そして、私は、ここに連れて来られた全経過をあなたに話したんですが、それが乙4号証の610月13日の、テレビを見ていたら、弟がね・・・・・わからぬままに連れて来られたんですという部分にあたるんですか]
そうじゃないんですか。
[その棒線の部分は、あなたは省略したということですか]
結局、あなたの言うことが、ついていけなくなって、とばしたというんじゃないかと思いますけれども。
[その第一の省略部分を復活させて言いますと、11日の夜、家でテレビを見ていたら弟に電話がかかってきて弟が出かけたと思ったらということを言ったのを覚えていますか]
飛ばして、ブランクになっていますからちょっと記憶ないですけれども、あるいはそういうふうにつながるんでしょうか。
[その後、私はすぐに父と見知らぬ男達がはいってきたんですと言ったんですが、それをどうして、父が医者を連れてきたというふうに書いたわけですか]
これは、あなたの言ったとおりを私は書いたつもりですけれども。
[いや、そうですか]
そうじゃないと、私、自分で医者を連れてきたということは、私は何もそんなないわけですから、あなたの言われたことを書いたんですから。
[診察道具を持っていないというのは、どういうことになるわけですか]
あなたの言われたことだから。
[あなたが、ここのところで、私は見知らぬ男がはいってきたと言ったらば、その男は医者ですかと、あなたはきいてましたね。それで私は聴診器とか、そういう道具を持っていないんで医者じゃあないと思いますと言ったのを、あとから診察道具持っていないと書かれたわけじゃないんですか]
ここに書いてあるとおりですから。
[私には、その来た人達が名乗らなかったからわからないと、あなたに言っているわけですけれどもそれも記憶ないわけですか]
はい。
[で、その次の省略部分ですけれども、そこは、その男は肩の骨がおかしいんだね、と言って、私に近ずいて、肩をさわっただけで、これは大変だ、すぐ病院に行かなければだめだと言って無理やり連れて行こうとするんです。それで更に日本一の名医が待っているとか、手術の用意をしているとか、またまた変なことを言うので、私は肩のことなら大丈夫です、もし痛みだしたら、自分の知っている医師のところへ行きますよと言って小便しに行こうとしたら、後ろから飛びつかれ三人の男に引き倒され、手錠をかけられ、何が何だかわからぬまま連れてこられたんですよとそう言ったのを覚えていますか]
ここに書いてあるのが、今、あなたの言われたことですね。
[省略した部分を復活して言うと、私の言ったとおりですか]
そうでしょうね、記憶にないですけれども、結局、書ききれないで、線を引いて、次をだらだらと、あなたの言ったものをつなげていったんですから、つながりの間に、あなたの今言われたような趣旨があったんでしょうけれども。
[で、私はわからんままに、ここに来たんですと言ったけれども、あなたはここがどういうところだという説明は、私にしてくれませんでしたね]
そうかもしれませんね。
[で、通常、本人が聞いている場合には、あなたは説明する義務があるんじゃないんですか]
それは、私としては今ご指摘のあったことを言われると、ちょっと改めて私の至らぬ点がだいぶあったように感じますけれども、できるだけもちろん患者さんの言うことは聞いているつもりなんですけれどもね。
[次に乙4号証の6の最後から2行目なんですけれども、たとえば自分が大学に行きたくないなら別だけれども、行きたいところが行きたくないような口ぶりで話しているという記載があるんですけれども、ところがの主語は誰ですか、誰が行きたくないような口ぶりで話しているんですか]
それはわからない、あなたがこの間何か言ったかどうか、私は覚えてないんですけれども。
ところがの間に、あなたが人を言ったかどうか、私は記憶ないんですけれども。
[これは、私が言ったことばをそのまま書いたということですか]
はい、そうです。
[では、同じくカルテにまわりの人の言うことはあまり気にならないが聞いていて、自分のことを間違ったことを言うでしょう、頭にくると書いてあるんですけれども、ここは、あなたが誰もいないのに人の声が聞こえてきたり、まわりの人がやけに気になってしょうがないということはありますかときいてきたんですね。私が人の声が聞こえたりすることはありませんと言ったら、まわりの人のことはときいてきましたね]
まわりの人の言うことは気になりませんかというようなたとを私が聞いて、そのままあなたの返事をここへ、あなたの返事をここへ、あなたのお答えをつないで書いちゃったような形になっているわけですね。
[あなたの質問の廻りの人というのは漠然として私には誰を指しているのかわからなかったんですが、私は友達関係のことかと思って、あまり気にならないですといったのは覚えてますか]
それは、ちょっと記憶にございません、大体、これはあなたに限らず、私共は周囲の人、いつも家族、友達とかいわずに廻りの人々のいうことは気になりませんかというような問診に馴れているものですから、特定の人を指しての誰それのいうことが気にならないかというようなことで聞いたんじゃないんですけれども。
[廻りの人は誰れのことですか、私の聞いたの覚えてますか]
ちょっと記憶ございません。
[それについて、あなたは答えてくれなくて、家にいたときでもと聞いて来たのを覚えてますか]
さあ、ここに書いてあること以外には記憶にないですね。
[私は、今夜あなたが家族関係のことを聞いているんじゃないかと思って父母と話していると、いつも、私がまだ話し終らないうちに一方的にさえ切って、私のほうが間違っているように、決めつけていうんですとそんなことがあるので頭に来るんですといったのを覚えてますか]
記憶にないことばかり聞かれて・・・・・。
[それから、あなたが例えばどういうことで頭に来るんですかと尋ねてきたので、学校のことですと、私が答えたのを覚えてますか]
とにかく学校のこととか、日常生活のこととか将来のこととか、ありきたりなことから、あなたの緊張とか堅くなっているのをほぐすような気持で接したつもりなんですけどね。
[あなたの親は、あんたが大学に行きたがらないというなら行かなくてもいいといっているんじゃないか、大変ものわかりのいい親じゃないですかといったのを覚えておりますか]
私は、ちょっと考えられないんですけどね。

1977.10.27

原告本人(Y氏)
[前回の最後の質問なんですけれども、僕はあなたがうちの親は大変ものわかりのいい親だといったのを覚えているんですが、記憶ありませんか]
記憶ございません。
[僕はそういう記憶しているんで、それに続けて質問しますけれども、私が、私の親はそんな物わかりのいい親じゃないと、自分が大学に行きたくないというなら別ですけれども、私は大学に行きたいと思っていると、ところが父は秋田から集団就職できた人の話を持ち出したりして、集団就職する子は偉いと言って、大学に行かせたくない口ぶりで話しているんだということをあなたに話した記憶ありますか]
記憶ございません。
乙第4号証の6を示す(カルテ)
[10月13日のカルテを示す。一等下のところに書いてあるところについて質問したらば、記憶がないということなんですけれども、これは実際記憶ないわけですか]
ここに書いてあることは、読んで字の如くですけれども。
[今は記憶ないということですか]
書いてあることはわかります。
[わかるかどうかじゃなくて、そういうことを私が言ったということは記憶ないですか]
記憶ございません。
[あなたが、親もあなたも大学に行くことになっていれば問題はないじゃないですか。ほんとはあなたは大学に行きたくないんじゃないかと私に質問したことは覚えておりませんか]
覚えておりません。
[私が多摩川保養院に入れられてから、しょんべんの出が悪くなったのは、注射と薬のせいですか]
それは前、吉田先生からのご指摘もあって、お返事したとおりで、薬の副作用というふうに考えていいと思います。
[では、私がしょんべんが出なくなったので詰所に行って、しょんべんが出なくて困ると看護婦に言ったら、看護婦は薬のせいだから、からだが薬に慣れると出るようになりますから安心しなさいと、今は水をたくさん飲んで出るまで便所に立ってろ、と言ったんですけれども、そんなことを知ってますか]
知りません。
[看護課のほうでそういう指導をしていたということは、知ってますか]
そんなことはございません。
[やってないということですか]
そういう指導をしていたということは、私は身に覚えございません。
[指導はしてないけれども、看護課のほうでやっているかどうかはわからないということですね]
ええ、わかりません。
[で、あなたが、私に対して、病室で何をしているのかということを聞いてきたことはありますね。それで私が時にこれといったことはしていませんと、ここでは運動は全くできないし、体がなまって退屈ですと言ったことは覚えていますか]
 ・・・・ちょっと、細かいそういう問答まで覚えてございません。
[では、私が、ここに連れて来られてから勉強してないので、勉強道具をもってきてもらったが、机もないし、薬で頭がぼうっとしていて身にはいらないと、多くの人もいるので落ち着いてできないと、あなたに言った覚えがあるんですけれども、これは記憶ないですか]
覚えていないです。
[勉強道具をもってきてもらったということは覚えていないですか]
カルテにそういう字があったようですが。
[カルテに記載はあるけれども、今、記憶ないということですか]
はい。
[私は意見のちがいから親とけんかをしていますと言ったのに対して、あなたがお母さんを叩いたのは、そのけんかのときか、と尋ねてきたんですけれども覚えていないですか]
言われても覚えございません。
[私が、母親は約束を守らないで、いつものらりくらりと逃げてばかりで、全く誠意がないと、これが自分の親だと思うと、情けなくてしょうがなくて、たたいたことがあると言ったことは覚えていないですか]
記憶ございません。
[あなたが、私のそういうことを言ったことに対して、そんな親を見て、いらいらして叩いたのか、ということを聞いてきた、というふうに覚えているんですけれども、それは記憶ないですか]
記憶ございません。
乙第4号証の7を示す(カルテ)
[11月12日の一等下のほうを見てください。ここのところについてなんですけれども、ここのところはあなたは、高校時代の友達は表向きは友達だけれども、内心はみな敵だ、心からの友達にはなれなかったのは、どうしてかと聞いてきたというところですね]
友は皆敵、云々のところ、この書いてあるとおりですね。
[それで私が、そんなことはありませんよ、今も付き合っているし、そんなことはないでしょう。ただ文科系へ進んだ友達が多かったし、予備校も違ったので、なかなか会えないけれども、共通の話題も多いし、高校のときよく遊びに行ったというふうに言ったことは覚えていないですか]
ここに書いてある範囲のことはわかりますけれども。
[覚えていますか]
大体、あなたの言ったとおりじゃないかと思います。
原告代理人(弁護士)
[質問に答えて下さい。これが正確に記載されているかどうかということを聞いているんじゃないですから]
原告本人
[覚えていませんか]
はい。
[前回あなたが、友達の件で矛盾を感じたというのは、どういうことですか]
これは、いちばん終りに付いているセンターの資料のところですね。ここのところで2枚目から7行目、高校時代の友は、表向きは友達だけども、内心は皆敵だ、心からの友達にはなれないし、なれなかったということで伺ったわけですね。
この資料はお父さんの陳述でしょうけれどもそれを私が読んで、あなたに、ただしたわけです。
[前回あなたが、友達の件で矛盾を感じたとそうおっしゃってますんですが、そこのところは、センターの記録と私の言ったこととが、くい違うという意味ですか]
結局、あなたはそんなことないと、話題も多いしよく遊びに行ったということと、ここでは内心は皆敵だという表現とが、ちょっと一致しないという意味で申し上げたんです。
[ただセンターの記録は、形式的に父の言ったことを書いてあるんであって、これは必ずしも僕が言ったことを書いたわけではないですね]
それは私にはわかりません。
[友達のところで特定の一人しか友達いなかったというニュアンスで答えているんですが、それはセンターの記録に皆敵と書かれてあったからですか]
その友はと、あなたが言われたから、そのことで申し上げたわけです。
[ちょっと意味がわからないんです]
4号証の、今の友は皆敵云々のことを聞いて、その下の行の真中あたりですね、その友はとあなたが言われるんで、その友という言葉で私は何か特定という感じを持ったということですね。
[付き合っている友達と言えば何もおかしいことはないわけでしょう。友達にも色々ありますから、それ程親しい友達でない人もいるし、懇意にしている人もいるし、色々ありますから]
まあ、私はそのときは、そういうふうに感じたわけですね。おかしいというような感じで。
[しかし、あなたは私の交友関係について具体的にどういう付合いがあったかということは、全然わかってはないわけですね]
そうです。
[そう感じてしまったのは、センター記録にあなたの思考が支配されていたからじゃないんですか]
センターの資料は、前に申し上げた通り私は信憑をもって受け取っていると。
[だから、センターの記録と私の言ったことと比べれば、センターのほうをとったということ]
センターの資料というのは、あなたの言動やなんかを、お父さんがお話しになったんじゃないかと私は思ったわけです。
[ただ父の言ったことと私のやったことが、実際同じであるということとは限らないわけでしょう]
それは、私にはわかりません。答えることができません。
後出甲第14号証を示す
[これは、高校時代の付合いで山とか遊びに行ったときに撮ったり、撮ってくれた写真を集めたものです。
この写真、今見てもらったわけですが、この写真を見ても、あなたは私に友達はいなかったというつもりなんですか]
それは現在の時点で、その写真を持ち出されたんですから、あのときの時点の判断と違いますから、それは答えられません。
[センターの記録について、あなたは誰れからも説明は受けてませんね]
特別受けておりません。
[あなたと会うごとに、私は青いリコピーを見せてほしいと、いや見せられないというやりとりがあったということは覚えていますね]
それはこの間言ったとおりです。
[結局、見せてもらえなかったので、私が両親とあなたと、それに記録を書いた人を集めて事実調べをしてほしいと、そしたらその紙に書いてあることが正しいのか、僕の言うことが正しいか、わかるはずだと言ったんですが、あなたはそれを拒否したことは覚えていないんですか]
覚えておりません。
[私はそこのところ強烈にイメージあるんで、というのは拒否したときに、あなたはその記録はちゃんとしたところから送られてきているので間違いはないと、そう言ったのを覚えているんですが、覚えていないですか]
それはちょっとおぼろげですが、そういう記憶かどこかにあるような気がします。感じですから、イエスかノーかと言われると困りますが。
[あなたの言われるちゃんとしたところというのはどこだったんですか]
どういうことですか。
[ちゃんとしたところから送られてきたと]
それはセンターからという意味なんだと思いますね。
[当時すでに、センターの記録だということはわかっていたわけですか]
そうですね。
[それは誰れからも説明受けていないし、どこからこれが、乙1号証ですね]
これはセンターから送られてきた資料だということで、今まで私は、そう思っておりましたけれども。
乙第1号証を示す
[これはどうしてセンターの記録だとわかったわけですか。どこにもセンターという字は出てこないはずなんですが]
それは、とにかくセンターの記録だということは聞いたんですけれども、いつどこでと言われると、ちょっとわからないんですが。
[私はあなたから、この記録は保健所から送られてきたんだと、保健所の先生が書かれたんだから間違いないと聞いたことは覚えているんですが]
保健所という言葉がでたかどうか私は記憶ございません。
[はっきり言って、当時センターの記録かどうかわからなかったんじゃないですか。ただ川崎市から送られてきたということで]
それは記憶ないですね。とにかくセンターということだけしか頭にないです。
[センターということは、どこから聞いたんですか]
それもわからないです。
[センターの記録よりも、私があなたに言ったことのほうが、はるかに内容的に多いし、具体的であるんだけれども、あなたは私の言うことをどうして信用してくれなかったんですか]
それは、
[いつもセンターのほうの記録に私の考えを一致させよう、一致させようというふうに見えたんですけれども]
私はそれは解せません。私は普通の方と同じ気持で接したというだけですから。
[あなたの資料はセンターの資料で、センターの資料は100%信じたと、私の言うことは100%信じなかったと]
あなたの言うことを信じたとか、信じなかったということでなくて、あなたの言うことを問診ふうに書いただけで。
[くい違う部分がずいぶんあるんですけれども、そういうところは、どういうふうに考えられたんですか]
どういうふうにという考えじゃないんですよ。普通に問診して、普通に診察してその記録をカルテに残したんだから、あなたの言うことだから、はなから間違っているとか、うそだとか、そういうことでなくて。
[診断の判断はできないんですか]
診断のことにつきましては、最初に申し上げたとおりでございますけれども。
[前回の証言であなたは看護詰所の斜め前の目のとどきやすい203号にいる私を見て無為とか自閉とか思ったと言ってますね]
あの時の証言がそうだったらそうだと思いますが。
[私は203番には、入ってはいないんですけれどもね、あなたの見たのは別人じゃないんですか]
別人ということはないですね。ただ入院当初はいつも203号に入れるのが通例なんです。たまたま部屋が満員だったりして、ほかの部屋へ入れるということはあると思います。
だから、あなたが203号に入ったという錯覚があったかも知れません。あなたであるということは間違いないです。
[あなたは150人もの人を診ているんだと、その顔を全部覚えているんですか]
全部は覚えてないです。
[なぜ僕を覚えているんですか]
記憶は、あるところと、忘れているところがありますから。
[診察で時間とって話したことは、ほとんど忘れてしまっているのに、ちょっと通りがけに見たということだけ覚えているのは、私には不自然のように思うんですが]
さきほどから言われていることについて、記憶がおぼろげなんで、あいまいな返事ができないんで、私は記憶ないというしかないんですが。
[病室はベッドでなくて、ふとんですね]
はい。
[病室には押入れとかありませんね]
はい。
(略)
[電気ショック、つまり頭に電流を流すことですね。それは、特別の部屋を使ってやるわけじゃなく、一般の病室を使うわけですね]
そうですけれども、その場合は、その中の患者さん、全部外へ出てもらうんです。
[ちょっと窓のところから見えるんですか]
見えないように気を付けてやるつもりですけれども、そういう疎漏があったかもしれません。
[手足を押さえつけて、口にタオルをかませて電気ショックかけますと、相当大きなけいれんしますね、そういうのを見て、僕は何かすごく恐怖みたいなのを感じたんですけれども、そういうのを意識的に見させているんじゃないんですか]
とんでもないです。そんなことはありません。
(略)
[手紙を検閲されているということですけれども手紙検閲のルートについて、お尋ねします。私が手紙を書こうと思って詰め所に行ったらば、看護婦の人から下書きを書いてくるようにと言われたんですが、多摩川保養院では、手紙を書くには下書きを書かなければならないんですか]
少なくとも今はそういうことはないです。
(略)
[私が下書きを持って行ったら看護婦はこのまま出してもいいか相談してくると言って下書きを持ってどこか行ったんですが、あなた検閲していませんか]
あの当時、これはあなたに限って言うわけじゃないですけれども、検閲が全然なかったとは言わないです。検閲があったケースもありました。
あなたの場合は、ちょっと検閲したかどうか、わからないです。
[私が、返された下書きには、食事がまずくとか医者はやってもいないことを、どうしてやったのかといつも言ってくるので困ってしまうと、そういった部分に赤線引いたところを抜かして文章を書き直してこいと言われたんですが、そういう検閲をやっているということは知りませんか]
そういうことは知りません。
(略)
[手紙を出せないので、面会に来た母親に同じ内容のメモを洗濯物の中に隠して渡したんです。次の面会のときに母から証人の持っている記録が事実と違うことと、退院させてほしいと言ったが、あなたは退院させることはできないとつっぱねたと聞いているんですが、そういうことはどうですか]
とにかく、私共、よくなるまでは、そんなに短期に退院させないほうがいいんじゃないかという趣旨の説得をしたことは覚えております。
[あなたは母に、センターの記録にこういうことがあるから退院はだめですと言ったときに、母がその記録は間違っていますと言ったにもかかわらず、あなたがこれは保健所から来たもので間違いない、文句があるなら保健所へ言えと、間違っていたら、私は何をもとに診察したらいいんですか、と母親に言ったと、面会のときに母から聞いているんですが、それで母は困ったと言っているのを覚えているんですが、あなたはそういうことを言った覚えないですか]
そんな口のきき方をした覚えございませんが。
[母親は、あなたと会ったときに、うちの親子げんかだと言っていたということは覚えていますね]
はい。
[親子げんかだと言うからには、それなりの内容を言ったと思うのですが、覚えておりませんか]
覚えてません。
(略)
原告補佐人
[入院という一つの行為に関して、医者というものが関与しなければあり得ないということは先生お認めになりますね]
はい。
[そのときに医学的根拠というものは、入院に対する根拠というものは、どうしても必要だということは、お認めになると思うんですが、そのときの医学的根拠というものが、客観的なものでなければならないことも、お認めになりますね]
カルテだけからでは言えません。
[カルテと言っているんじゃないんです。客観的である必要があるということは、科学的根拠というものがやはり医学的根拠の根拠になるという]
精神科におきましては経験とか主観がどうしても入りますから。
[それでは、先生改めてお伺いしたいんですが、そういう主観的なもので入院させてもよろしいというお考えですか]
家族歴や、全部きちんと取らなければならないという、それが望ましいということですけれども、主観がはいったら、誤診だとか、経験だけでは診断違いだということも、あてはまらないと思いますけれども。
裁判長
[どうも意見にわたる質問は、してもらっては困りますが]
原告補佐人
[専門的意見ということで、そういうことで、一応先生が今まで述べられたものの総まとめとしてお伺いしたいんですけれども、原告が病気だということに対して、先生のいわゆる医学的根拠は何か、一言だけ教えていただきたいんですが]
初めに大体家族、いちばん本人の身近かでいちばん状況のわかっている人から容態、病歴を聞くわけですね。
原告代理人
[あなたのこれまでの証言、見まして今、福井補佐人がおっしゃったことが、やはり疑問として残るんですがね、要するにあなたとしてはどういう症状をもって、あるいは、どういう原告本人の行動をもって、破瓜型の分裂病という病名を付けるに至ったんですか]
破瓜型じゃないかと言われたのは、中村先生なんですが、やはり、たとえば家族の陳述で、ひとりごとが非常に多いとか、部屋の中にはいってブツブツ言っているという陳述がありますと私はそれを独語という症状として判断すると、いきなりそういう判断をしていいのかと言われる余地があるかもしれないですけれども、家族のそのときの真剣な表情とか、まず家族の陳述は信憑性があるという、表情とかそういうことで判断されることとか、あるいは夜中にこわいと言って外へ飛び出すと、幻視や幻聴の被害妄想があったんじゃないかと、そういうことも、症状として。
[それだけですか]
それと本人の診察ということもあるわけですね。
(略)

古閑教授の証言

1978.10.12
原告補佐人
(略)
[多摩川保養院で、実際になさっていたことは、どんなことでしょうか]
主に脳波の検査、外来の脳波室というのがありまして、そこで脳波の検査を2、3人依頼されてすると、そしてその検査の結果に関して判定をして、記載するという仕事が主であったのですが、暇な時もありまして、そういう時には外来が忙しいというような時には外来の手伝いをしまして、患者さん2、3人診察すると、それから時には、病棟のほうの患者さんに関して、診察してくれということで、これも2、3人診察するということがありました。
[証人が診察を頼まれる場合は、どのような場合だったんでしょうか]
これはいろんなケースがあったと思うんですが、大きく分けて、一つは常勤のお医者さんが、非常に忙しくて、手が廻らないと、わりと状態が安定しておって、あまり診察をしないという方を、そういう非常勤の医者が時々手を助けるというような意味の場合があったと思います。もう一つは、やはり診断が微妙だとか、むずかしいとか、そういう障害に関して多くの意見を求めるという形で私のような非常勤の医者の意見を求めたということがあったと思います。
[原告のYさんをご存じですか]
はい。
カルテを示す
(略)
[いま、お示ししたものは原告を証人が診察なさって記載したというものですね]
そうです。
[この場合は自分から希望して診察なさったんですか]
いえ、まあ記憶がどうも非常に曖昧なんですが、それは頼まれたと思います。
[どういうわけで頼まれたか、覚えていらっしゃいますか]
それもはっきりしないんですが、まあ、薄々の記憶ではやはり診断が微妙であるというようなものに該当すると思います。
(略)
[診察に要した時間はどのくらいだったんでしょうか]
これが確かじゃないんですが、おそらく2、30分であったろう。まあ言えることは1時間程度の時間じゃなかったし、4、5分じゃなかったと、おそらく2、30分、私の当時のやり方として、そのぐらいであったろうと思います。
[診察に当っては、この病歴の診察以前の記載というものを当然参照なさったのでしょうね]
はい、病歴はざっと拝見した記憶があります。
(略)
[以下、先程の書証をご覧になりながら、お答え願いたいと思います。お書きになったものについておうかがいしますけれども、最初に、面接中、応待はおよそととのっていると書いてありますけれども、これはどういうことを意味するのでしょうか]
まあ、これはカルテの記載なんで、日常的な用語の使い方とやや違うと思いますけれども、まあ、精神病院で診察する時に、いろんな病気の方の持っている非常に特殊なビヘービァだとか態度、言動、いろいろあるわけで、そういうものがまずあったとたんに認められればまずそれを書いておよその印象を書くということなんですが、そういう意味では会って暫くのあいだ特に特殊なものがなくて普通であったという意味だと思います。
[次に、直にアブノーマルなもの、つまり異常なものは認めがたいと書いてあるのも、ほぼ同じような意味ですか]
そのような意味だと思いますね。
[特殊な精神症状が認められない]
を、うかがわせるような症状といいますか、徴候といいますか、そういうものが直には認められないという具合に記載してありますね。
[次に、病状、既往などについての認識判断はおよそ確かであるとありますね]
はい。
[これは、どのようなことを意味しているのでしょうか]
病状といいますと、初めから病気を云々というようなことになりますが、どうも私共カルテに書く時に、そういう言葉を使いやすいのですがいろんな問題になるような行動があったということは、おそらくあったんだろうと思います。そういうこと、それらの時間経過などについて常識を持っていたということになりましょうか。
[そうしますと、病状と書かれたけれども精神病を前提として書いていらっしゃるんじゃないんですか]
うん・・・・・まあ、これは言い訳けめくけれども、常識範囲を超える様な行動がある時に病という言葉をどうも使いやすいんで、多分にそういう使い方であると思います。
[そうしますと、やや広い意味で使ったといいますか]
はあ、もともと私はそういう使い方をしがちなんで。
[その次の、アムネジー等はないと、これは健忘などはないということでよろしいですね]
ええ、アムネジーというのは、われわれの記憶およそ普通の記憶の確かさというのがあるわけで、それが明確に欠損していると、ある期間にわたって、明確に非常にそれが薄いというような場合には、アムネジーというんだと思いますが。そういうようなものを面接の過程で観察していくわけですが、まあそういうものがない。
アムネジーを云々する時に、多くの場合、意識障害の存在を仮定して考えるわけですが、アムネジーという言葉の裏には、そういう意味があるんだと思います。
[次に、特に人づきのよい面はないが、とくにアウティスティッシュではない、友人もかなりあり、交際もしているとありますね、このアウティスティッシュというのは自閉的ということでよろしいのですか]
はい。
[とくに、人好きのよい面はないがというのは、本人と面接した直接の印象で、そうおっしゃっているのか、あるいはいろいろ本人の話を聞いて判断なさっているか、あるいはその両方であるか、いろいろなことがあるかと思いますが、その点をご説明いただきたいと思います]
とくに人好きのよい面はないが、とくにアウティスティッシュではないという行は、これはおそらく診察の場面での私の観察結果の表現だと思います。
[そうすると、ある程度話をしておられて、とくに人ずきのよいというような人ではないと感じられたというようなことでしょうか]
ええ、こういうまあ病院で診察する時に、そういう対人接触ということが非常に重要な観察項目であるわけで、それを言っているわけで、それが特別なずれはなかったということを言っているんですね。
[アウティスティッシュという意味は、精神分裂病の症状としてよく使うのですが、それを念頭において書いていらっしゃるのですか]
そのようです。
[友人もかなりあり、交際もしているというのは、これは当然本人からお聞きになったことでしょうか]
そうです。
[それをお聞きになったということですね]
はい。
[それから以下本人のいろんないきさつのようなことが書いてあるところは、これは私共拝見しても本人から聞いたことの要点をお書きになったことのように思われますけれども、そうでしょうか]
そうだと思います。
[更に、被害的傾向は相当あったが・・・と書いてあって妄想的なゲルントのものとは感じが違うとありますね]
はい。
[ゲルントというのは規則でよろしいでしょうか、規範といいますか]
規範、要するに、物の考え方がやや常識からずれておるというような場合に、それが質的な相達といいますか、妄想というのがあるわけでとくに精神分裂病だけではありませんが、代表的な妄想は精神分裂病に現われるものだと思いますが、そのずれた考え、あるいは、極端な考えというものが非常に根の深い、その異常なベースを持っているという場合があるわけなんで、そういう細かい学問的な議論は私できませんけれども、そういうものを妄想というわけで、この場合にはそういう根の深い、妄想的な世界に根ざすといいますか、そういうものとは感じが違うだろうという具合に書いてあるのですね。
[単に被害的傾向と申しますと、はたで自分のことを話していることを、少し悪くとる傾向があるとか、そういうような意味でもよろしいわけですか、日常被害的傾向といった場合は]
日常的なことから、かなり強い、日常性を超えるといいますか、程度の強いものまでいろいろ世の中にはあると思います。で、そういうずれの程度が相当強かったという具合に書いてありますね。そんな意味だと思います。
[ただ、分裂病に代表されるような妄想とは感じが違うという意味ですね]
はい。
[次に母を殴り、父を倒した件については、悪いことだという判断はあるが、この辺の理解は知識の幼なさによるもののようであるとありますね]
はい。
[この前段は普通の文章で分りやすいかと思いますが、知識の幼なさによるものというあたりの説明をお願いしたいのですが]
まあ何かかなり程度の強い行動があったという前提でいろいろ聞いたんだと思います。で、私の記憶では、細かいことは忘れましたが、かなりの談話があったんです。で、その辺の話の内容からそういう行動を本人がどう理解するかということを当然推定するわけなんですが、ここにある意味は、年令相応よりは、そのへんの判断が幼ないという意味だと思います。
[面接、やりとりを通じて、そういうふうに感じられたということですね]
はい、数量的な表現というのは、非常にできないわけで、およそそういう表現で記載していったわけです。
[次に興奮はレアクティブエクスプロシーブの傾向によるもののようであるとありますが、レアクティブというのは反応的と訳してよろしいでしょうか]
はい。
[エクスプロシーブは爆発性ですか]
はい。
[この反応的というのは、どういう意味でしょうか]
やや心理学とか精神学的な傾向の言葉だと思いますが、何かある前のビヘービアがあって、その次の行動があるという、その間の関係が、まあ常識的な関連あるいは合理的な関連が認められる時に、普通レアクティブという具合に思いますが、それにプラスやや医学的なニュアンスの言葉で反応が常識的よりは強いという意味が含まれているという具合に私は使っております。
[そうしますと、まあ普通にもあり得ることだけれども、経度が強ければ、多少医学的に取り上げる]
そうです。問題になるということ。
[そうしますと、境目あたりの判断は非常に難しくなるような感じですね]
はい。
[エクスプロシーブは爆発性]
これは、よく使われるのは、性格、あるいは性質のカテゴリーの表現に使われるわけですね。
それだけではないと思いますが、比較的多く使われるのは、性格のカテゴリーの表現として使われるんですね。要するに、何らかの心理的原因に対する反応が、並みよりは急激な興奮に片向きやすい場合に使う表現だと思いますね。
[そうしますと、まあ程度の差みたいな、ことになるわけですか]
ええ、それはそうです。
[ということは、その程度の差を判断する医者がかなり主観をまじえてしまう虞れがある]
それはもう、こういう心理学的な診察の場合は当然そういうことが、もう避けられないわけですから。一方の考えでは、そういうことをしないという考えもありますけれども、まあ、しかし、一方ではしかるべき修練を積んで知識経験をなるべく豊かにして、平均的な判断基準をなるべく努力してもつと、そして、それに対するずれという形で判断していくという立場もあると思うんです。で、私はこの場合は、まあ、そういう立場に立っておる。但し、私の実際の能力はどうであったかというのは、又別の問題ですが。
[本件の場合、原告と父、母との間にトラブルがあったように記載されておりますけれども、そういういきさつで反応ということがあったとしますと、やはり父や母がどんな人物であるか、どんな人柄であるかというようなことについて、くわしくお聞きになったり、調べたりなさって判断なさった方がよろしいと思いますけれどもいかがでしょうか]
まあ、2、30分の診察のあいだにかなりの談話量があったと記憶しているんです。というのは、口が重かったという感じはあるんですが、全く黙ってお答えにならんということじゃなしに、かなり話合いをしたという記憶があるんです。で、その中で、お父さん、お母さんのことを、どれだけ聞いたということが、実は非常に思い出さないんです。あるいはあんまり聞かなかったかもしれないということはありますが、そのへんははっきりしません。
[その時、あるいは、その時以外に、お父さん、お母さんに直接会われたことはありませんか]
ありません。
[そうしますと、父や母との関係に関する爆発性とか、反脳性ということの判断が若干突込みが足りなかったということはございませんでしょうか]
私がちょっと、いまからの推定になったらますます曖昧なんですが、そういう事情の経過をかなりうかがったということは一方にあって、もう一つは、診察場面での、やはりご本人の態度、言葉いろいろそういうことを含めて、やはり医者の判断ということがありまして、そういう総合的な判断で、こういう表現をしたという、そういうことじゃないかと思います。
[家族から直接話を聞いたほうがよかったと思われますか、いまでは]
それは望ましくはそうだと思います。
[証人の診察の場面で、原告が直接爆発性を露呈したというようなことはございましたでしょうか]
それはありません。
[その記載の最後のほうに、以上から心因反応プラス精神病質のように考えます。そういう意味ですね。ドイツ語で書いてありますけれども]
そうです。
[心因反応ということは先程一応ご説明いただいたわけですけれども、この精神病質という言葉は先生はどういう意味でお使いになっていらっしゃいますでしょうか]
まあ、これは医学的な概念として、きわめて曖昧だということは、いまますますそうで、当時もそうであったわけですが、国によって学者によって、非常に意見が違うんですね。で、私がそれを専門的にどれだけ知っておったかというと、あまり知らなかったわけで、で、むしろかなり一般的な使い方をしておったわけです。で、要するに、われわれの性質、基礎性格といいますか、かなり長い期間にわたって変化の乏しい基礎的な性格というものがあるわけで、その一部が平均的な一般よりは、かなりずれておる、変異の程度がかなり大きいという場合に、一応問題になるわけですね。それを直ちに病気とか何とかということにはならないんですが、問題になるというくらいの広い概念で使っておったということです。
[そうしますと、性格の片寄りという程度の問題について述べたわけですね]
そうです。
[そういう性格について、本人だけを20分ないし30分診察なさって、判断するということはかなり慎重を要するんじゃないでしょうかしら]
はい、どういったらいいか・・・・・・。
まあ最終的に非常に権威を持って、こういう診断を下したというわけではないわけであって、まあそのためにはきわめて詳細な事情聴取とか、検査とかテストとかいうことを繰り返さなきゃいかんのでしょうけれども、私のこの場合に、このカルテの意味合いというものは、まあ、私の判断では、要するにディスカッションであると、なるべく多くの医者が、とくに微妙なケースの場合に、意見をかわしていくという形で、自分なりの意見をそこに提示するという立場で私はやったつもりです。で、まあ断定的な表現になっておりますけれども、そんなような意味合いで、いわゆる意見を提示したということだと思います。
[つまり先程引用しましたように、以上から心因反応プラス精神病質のように考えますという程度の一つの意見であると、ディスカッションの材料としての意見であるということで、よろしいでしょうか]
はい。
[そうしますと、少なくとも、精神分裂病であるという断定はできないということですか]
そうです。
[原告を診察したのは、この人を退院させていいかどうかというような設問でなさったんでしょうか]
そうではなかったように僕は思っておるんです。
依頼を受けたのは確かだし、そのとき、二言、三言何かあったけれども、そういう設問はなかったように記憶しております。
[その、難しいケースであるといいながらも、精神分裂病らしいというような情報があらかじめ先生に入っていたんでしょうか]
そういう表現ではなかったと思いますけれども、まあ、一つのこういう病院におけるこういう状況の多くの場合、常にそうだと思わないんですが、多くの場合に、分裂病はやはり基本に考えるわけなんですね。で、それがあるいはそうでないかもしれないという感じのニュアンスだったんじゃないでしょうか。
[分裂病を基本に考えるということは、数も多いということと、重大な疾患であるということでそれについてきちんと判断しなければいけないという主張でしょうか]
そうです。

指吸元看護人の証言

48.4.16
被告代理人
(略)
[あなたはどういう資格で被告病院に勤務していたのか。]
看護士兼医療事務です。
[看護士の資格はいつ頃どこでとったのか。]
昭和41年か42年頃、和歌山県精神病院協会、看護学院でとりました。
(略)
[原告は入院するさい、あなたはその入院手続に関係したか。]
病院の事務長の命令で、事務室に待機しておりました。
[あらかじめ、原告が来院するということは知らされていたのか。]
知らされておりました。
[事前にどういう内容を知らされていたのか。]
一応患者が来るから、といわれておりました。
[かなり狂暴性のある患者で、入院を要するといったような指示をうけていたことはないか。]
そういう細かいことは憶えておりません。
[原告が来院したときの、原告の服装や態度は憶えているのか。]
原告の着衣はかなり乱れておりまして、手には手錠がかけられてました。警察官が一人、外に父親等が付き添ってこられました。原告の態度は、手錠はかけられていましたが暴れている、といった感じ、状態ではありませんでした。
[付き添いでこられた人達の態度はどうか。]
父親がオロオロしていたのを記憶しています。
[原告が被告病院にきて、どういう手錠がとられたのか。]
原告が来院して、私は現在名は忘れましたが、その晩の当直医に連絡しました。
[その医師は原告を直接診察したのか。]
したと思います。
[原告が来院して、同人を当直医のところに案内したのは誰か。]
私の方から医師に連絡すると、医師の方で、でてきました。
[どこで原告を診察したのか。]
夜間でしたので、一般の診察室を使わず、私の記憶では、小さな診察室を使ったと思います。
[小さな診察室というのは、事務室からどのぐらい離れているのか。]
ほんの少し、二?三メートルのところです。
[原告が来院して医師の診察をうけるまで、時間的にどのくらいたっているか。]
医師に連絡して、すぐやってきた、というぐらいの時間ですからごくわずかです。
[医師が原告を診察している時、あなたはその診察に立ち会ったのか。]
いえ事務室で待機しておりました。
[どのくらいの時間待機していたのか。]
正確におぼえておりませんが、三十分ぐらいで、何かあったらすぐに飛びだせるように待機しておりました。
[医師が診察して、その結果をきいたか。]
入院だ、とだけききました。
[それで、後の原告の入院手続は誰がしたのか。]
私です。
(略)
[乙二号証の一の入院同意書をみると、保護義務者として、父親の名前しかないが、当時原告が未成年であるということは知っていたのか。]
わかっていたと思いますが、記憶ははっきりしません。
[これには父の同意しかないが、父母がいて、その一方だけの同意でもいいということを、あなたは誰かからいわれていたのか。]
私が以前働いていた和歌山の病院では、父母の一方の同意しか得ていませんでした。この病院で、私が入院手続をとったのが本件が最初のケースですが、一方だけの同意だけでよいと思っておりました。
センター記録を示す。
[原告が入院するとき、こういう書類を持ってきたか。]
私に渡されたということはありません。
[あなたがこれをみたことはあるか。]
ありません。
原告代理人
[原告が来院することについて、病院の事務長から待機するよう命ぜられたさい、事務長からどういう内容の話があったのか。]
五時までに入院することになっているが、まだ来てないので待機していてくれということでした。
[五時までに入院するというのはどういうことか。]
確か外部から、五時までに入院するから、という連絡があったと思います。
[あなたは原告が被告病院で、どういうことをうけるため、くるときいていたのか。]
事務長から、入院するときいておりました。
[当夜の当直医は誰だったか。]
記憶ありません。
[当直医は何人か。]
一夜に一人です。
[来院して、原告を保護室というところに連れていったことはないか。]
そこに連れていったのは、かなりたってからです。
[保護室というのは診断室のことか。]
いえそうではありません。
[あなたのいた病院には、一般の診察室と、小さな診察室と二つの診察室があるのか。]
あります。通常は一般の診察室を使用するわけですが、夜間でそこは鍵がかかっていたので、たまたま小さな診察室を使用したということです。
[原告が来院して、まず診察をするということはわかっていたのか。]
わかっていました。
[それはどうしてわかるのか。]
来院すれば診察をするのはあたりまえのことですから。
[原告を保護室に連れていったという事実はあるのか。]
私が連れていった記憶があります。
[そこにはどういう目的で連れてゆくのか。]
医師の指示があって、それで連れていったと思います。
[その医師というのは、当直医のことか。]
そうです。
[原告に注射がうたれたということはあるのか。]
あります。
[注射は誰によって、いつ頃、どこでうたれたのか。]
場所は保護室だったと思います。医師が打ちましたが時間は何時頃だったか、記憶がありません。
[原告が注射をうたれるとき、あなたはなにをしていたか。]
患者の抑制をしておりました。
[抑制とは何か。]
注射針を折られたりすることのないように患者の身体を押えつけておくことです。
[そのさい、医師は注射以外の行為をしていないか。]
記憶ありません。
[注射が終って、そのあとどうしたか。]
保護室に鍵をかけ、医師も我々も一緒に詰所に引き上げました。
看者調査表を示す。
[これは診察する前に作ったものか。]
いえ診察がすんでから作りました。
[これは医師の指示に基づいて作成するものか。]
いえ入院があると、事務の方で作るものです。
[これをみると、大師保健所の人が原告に同行してきたという記載があるが、本当に付き添ってきたのか。]
書き間違いがないとはいいきれないですが、ここにこの通り書いてありますから間違いないと思います。
[原告が来院したのは何時頃か。]
午後の七時頃です。
[これには七時四五分とあるが。]
それは入院した時刻です。ですから来院はもっと早いです。
[入院することについての父母の同意について、前の病院にいるときは、その一方の同意のみで入院させていたといったが、それはどうしてか。]
事実上一方の同意のみで入院させておりまして、私も慣行として、そうやっておりました。
[本件の場合具体的に、院長とか事務長等から、父母の一方の同意でいいんだ、と指示されていたことはないか。]
記憶ありません。
[警察官が患者に同行してくる場合、被告病院ではどういう措置をとっているか。]
警察官が同行してくるのは、私には本件が最初のケースでしたからよくわかりません。
原告補佐人
[被告病院では、夜間における入院は、月は何回くらいあるのか。]
ちょっと記憶ありませんが、看護士である私は大体定時に帰っていますから、件数はそう多いことはないと思います。
[本件で原告が定時に入院することになっていたのに、遅れて来院した理由はきいたか。]
きいていないと思います。
[原告の着衣が乱れていたといったが、着衣のどの辺が乱れていたのか。]
とにかく普通の状態ではなく、ワイシャツがとびでていて、よごれていました。でも乱れていただけで、破れていたわけではありません。
[当直医は、何曜日は誰というふうに決まっていたのか。]
決まっていました。
[それでも原告が入院した日の当直医が誰であったか、記憶がないのか。]
はっきりはわかりません。
[医師が原告を診察したと思うといったが、そのとき、その診察に誰が立ち会ったか。]
私は立ち会っていません。外に誰が立ち会ったか、私は知りません。
[事務室と小さな診察室はどのくらい離れているのか。]
二メートルぐらい離れています。
[その小さな診察室にはどんな物が備えられているのか。]
ライト、ベッド、聴診器等が置いてあります。
[この部屋に入るとき、原告の手錠はどうなっていたか。]
はずしていたと思います。
[待ち合い室にいるときは、まだ手錠のかけられたままの状態か。]
そうです。
裁判官
[原告が診察室に入ったとき、父親等はどうしていたのか。]
父親は診察室に入っています。
[それは記憶あるのか。]
あります。
原告補佐人
[注射は原告のどこにうたれたのか。]
臀部です。
[この病院では夜間の入院はあまりないのか。]
そうです。
被告代理人
看者調査表を示す。
[入院時刻が七時四五分とあるが、入院時刻というのは、いつの段階をいうのか。]
私が書いているのは、患者を保護室に入れた時点です。
[そこに入れた後で乙七号証を書くわけか。]
そうです。
[原告を診察する時や、原告を保護室に入れるとき、暴れたようなことはないか。]
ありません。手錠をかけてきたわりには静かでした。
[あなたは原告に紙に名前を書かせたことがあるか。]
あります。
[何枚書かせたのか。]
保護個室に入れる時、本人かどうかを確めること、それに名札を作る為です。
裁判官
[付き添ってきた警官は制服か。]
そうです。
[その警官はいつ頃帰ったのか。]
八時すぎ、皆と一緒に帰ったと思います。
[当直の医師が診察する場合、父親も診察室にはいって、父親からも通常事情等はきくわけか。]
そうです。
[診察室は一階か。]
そうです。保護室は二階です。
[原告はあなたが見ている範囲では無言か。]
私に対しては一言もいっていません。
[他の人に対してはどうか。]
私はきいておりません。
(略)

(1)入院同意書
(2)患者調査表
(3)看護記録

長橋病院ケースワーカーの証言

被告代理人
(略)
[川崎市衛生部精神衛生相談センターから 入院依頼、斡旋等はあるか]
あります。
[そういう時、相談センターの誰から、被告病院の誰に連絡がくるのか]
相談センターのケースワーカーから、私どもの病院のケースワーカーに電話で連絡してきます。
[その入院状況等について、センターの方から詳細に伝えてくるのか]
電話連絡ですから、要点だけを伝えてきます。
[そういう連絡をセンターから受けると、被告病院の方ではどうするのか]
その患者が男なら男子病棟の主任医師に、女なら女子病棟の主任医師に口頭で伝えます。
[その結果どういう措置をとるか]
入院が必要な場合であれば、私どもの病院の入院受け入れ状況がどうであるかを婦長等にも相談して、受け入れるか否かを私が電話で返答します。
[則ち連絡のあった段階で、病院の方の受け入れ態勢がどうであるかによって、入院の諾否を決めるということか]
そうです。
[外に入院するさい、センターの方から、資料をよこすようなことはあるのか]
それはマチマチです。
[原告が被告病院に入院したのはおぼえているか]
前のことであり、よく記憶しておりません。
[原告が入院する際も、いまあなたが述べたような手続で入院手続をとったのか]
はっきり記憶ありませんが、多摩川保養院のケースワーカーは私しかおりませんから、そういう手続、経過で入院したと思います。
ーセンター記録を示すー
[これは原告の、相談センターにおける記録だが、原告が被告病院に入院するさい、これが添付されてきたことは知っているか]
知っています。
原告代理人
(略)
[センターの方から連絡があって、既に診察はセンターの方で済んでいるから、即入院させてほしいと、依頼してくることもあるのか]
私の方で電話連絡をうけるのは、保健所なんかからもありまして、入院させてほしいという依頼も多くあります。
(略)
[センター等から連絡があって、あなたが担当の医師に連絡し、その医師の判断指示をあおぐ段階で、病床の空き具合等の受け入れ態勢は別として、入院させるか否かが判断されるわけか]
いえそうではありません。後日患者が病院に来院されたさい、面接して入院させるか否かを決定するわけです。
ーセンター記録を示すー
[先程、原告が入院するさい、これも添付されてきたといったが、それはどういうことか]
私は、原告が入院された時間は、私が帰宅後の当直の時間で、私は立会っていませんので、詳しいことはわかりません。ただ、本件の事件が起きてから、カルテに添付されているのを見たことはあるということです。
(略)

小坂元看護人の証言

1978.2.9
原告代理人
[ところで、本件、四四年のことなんですけれども、Y氏という方が入院させられたという事件なんですが、本件をあなたが知ったのはどういういきさつからでしょうか。まずいつごろでしょうか。]
四八年に就職しまして、そのあと間もなくワーカーの人と話をして知ったと思います。
[ワーカーの人というのは誰でしょうか。]
長橋さんです。
[長橋ワーカーとどういう話をなさったんでしょうか。]
最初、精神病院に就職したのも初めてだったので、精神科のことと、及び多摩川保養院全体のこととか、入退院者どのくらいいるのか、女子病棟のことはほとんどわかりませんでしたので、女子病棟についてとか、いろいろ病院のことについて、勉強のために聞きに行ったわけですね。それで、そのときにいろいろ長橋さんが勉強していたというか新聞の切り抜きなんかスクラップしたものがありまして、それを見せてもらったりしてその中で、たとえばその前の年、四七年に三件連続して自殺事件があったんですが、その記事を見せてもらって、この病院で、大変なところだなという感じを持ったのを覚えています。
自殺の新聞記事を示す。
[この記事をご覧になったんでしょうか。]
もう少し枠が小さかったかなと思いますけれども、新聞が違うのかなと思いますが。
[この趣旨ですね内容は。]
はい。
[そういう話の中に本件の話も出てきたということなんですが、その本件についての話は、どういう内容だったんでしょうか。]
裁判があるという話ですね。
[ただそれだけですか、そのときは。]
それ以上詳しい話はしませんでした。
[その後、多摩川保養院の職員の中で本件について何か、話をされていたことを聞きましたですか。]
何度か裁判があるという話を聞きながら、いろいろ、うわさみたいな形で出ているのは覚えています。
[具体的にどういうことでしたか。]
裁判の何かコピーだと思いますが、それがまわってきまして、実際いろいろな話、そこから出てきたと思います。それでなんでこんなふうにして訴えられるのかなということで、看護婦さんから、こんなふうに訴えられたら私達の人権はどうなるのだという形で、要するに一方的に訴えられたら困るというような形で話しておりましたね。
[こんなことで訴えられたら私達の人権はどうなるのかという形で出されていたということですか。]
はい、そうです。
[被告保養院の職員は本件の争点だとか進行状況は、大体知っていたんでしょうか。]
大体知っていたと思います。
[本件の争点の一つである無診察入院があったかどうか、診察があったかどうかですね、この点について、何か具体的に話を聞かれたことがありますか。]
はい、あります。
[どういうことですか。]
夜勤のときが一番ゆったりした時間で、いろんな話がでるんですが、その中で、丹羽さんという看護婦さんから、当時、池田さんがまっすぐ連れてきたから悪いんだという形で話していました。また別の看護婦さんからは、いや、当時としては仕方がなかったんだと、池田さんだけが責められるのは、これはちょっとおかしいんじゃないかという形で、直接入院させたということをいろいろ話出ていました。
[丹羽看護婦さんというのは丹羽文子さんですか。]
そうだと思います。
[まっすぐ連れてきたというのは、どこにまっすぐ連れてきたということなんですか。]
看護者が玄関まで迎えに行きまして一応入院となっている人を階段を上ってそのまままっすぐ病棟の方へ連れて行くということです。
(略)
[当時としては、しょうがなかったと、こういう趣旨の発言を、他の看護婦がしていたというわけですね。]
はい。
[それはどういうことでしょうか。一般に、そういうことをやっておったということですか。あるいは医者がいなかったからやむを得ず、その場合だけやったんだという趣旨だったんでしょうか。]
入院が前もって決まっていたときは、看護者が出たということでわりあいあったらしいですね。実際そういう形でなされても、人も少いんだし、しょうがなかったんだというような感じです。
[要するに、原告本人を新入院病棟にまっすぐに連れていったという池田さん、この方の行為をめぐってのやりとりのように聞きましたけれども、その池田さんという方は、当時はどういう仕事の人だったんでしょうか。]
看護助手ですね。
(略)
[仕方がなかったということなんですけれども、その仕方がなかったというのは、ほかにも、あなたはこういう話を聞かれたことがございますか、そういう評価を。]
ほかにというと、別な意見としては看護者だけが何か悪者にされたら、とてもじゃないがやりきれないと、医者がもうちょっとしっかりしていればなんとかなったはずなのに、なんで私だけがしわよせ受けてしまうんだろうということで、医者に対しては批判が出ていました。
[結局、ふんいきとしては、看護婦など、あるいは看護助手というような医者の補助者の立場を擁護するような立場の意見が多かったということですか。]
そうですね。
[ところで医者の責任という問題が出たんですが、当宿医の出勤なんですけれども、きちきちと時間通り出勤しておったわけでしょうか。]
いや、そんなにきちんとなされてなくて、パートの医者なんかは、いつ来るのかという感じでずいぶん遅れたりなんかすることがありましたね。
[あなたが勤務しているときの状況でけっこうですが、今のはあなたが勤務しているときの状況ですか。]
そうです。
[居所が途中で不明になるというようなことがありましたか。]
食事にちょっと行くよとか、お風呂に行く人もありましたし。
(略)
[あなたが被告保養院に勤めておられたときの状況で結構ですが、夜間入院はどのようにしておりましたか。]
私の知っている限りでは、夜間入院は、ほとんどなくて、一応看護長などからは、夜間入院は一応断ってくれということで、看護者に伝わっておりまして、夜間入院依頼という形では電話があるんですね、病棟に直接電話がかかるんですが、それを断るやり方というか、対応の仕方を紙に書いて、電話の下の台というか、とびらの所へ張ったりしてありましたね。
[当宿医についておききしますが、当宿医はあなたのお勤めのときは、どういうふうに配置されておりましたか。]
男子病棟、女子病棟合わせて全病棟で一人だけです。
(略)
[夜、当宿医が、注射の必要がある場合に自ら注射をするわけでしょうか。]
来ない人と来る人がいまして、電話だけで、ちょっとやっておいてくれよというふうにして頼まれたりすることもありましたが、看護婦さんによっては、医者なんだから絶対やらせろということで、電話して来なければ呼びに行ったりして、看護婦さんから強制的にやらせるというか、それが当り前のことなんだからということで、呼びに行くこともありましたです。
[呼びに行くというのは、それは、当宿医のいわばたまり場というんですか、詰所ですか、そこにということですか。]
はい、医局です。
(略)
[被告保養院が当時当宿だったと言っている中村医師は、夜間のためにカルテの用紙がみつからなかったと言っておるんで、カルテの保管状況についてお聞きしたいんですが、これはどういうふうに置かれておりましたか。]
外来と病棟の方に両方カルテ、二号用紙なんか含めて置いてあります。
[これはすぐわかるようになっておりますか。]
すぐわかりますね。
[中村医師は当時一年間勤めがあるんですが、それ位経歴のある方は、カルテを捜せないということはあり得ますか。]
外来などやった人であれば、目につくところにあるので、すぐわかると思いますが。
(略)
[そこの患者名の下に看護計画という欄ですね、そこに、印鑑で生活指導・精神指導といったようなものがなされておりますね。これはどういうことを具体的にはなさるんでしょうか。]
これは特に意味がなくて、書類の整理上機械的に印鑑を押してくださいというふうに言われていまして、それで看護者が違ったやつを毎日やろうということで、ポンポンと押すんですけれども。
(略)
[その算用数字の6の欄に、ESというのは電気ショックのことですか。]
はい。
[あなたが勤務された当時、この電気ショックは行なわれておりましたか。]
大体、毎日のように行なわれておりました。
[松永医師はご存じですね。]
はい。
[この方はやっておりましたか。]
はい、わりあいやっていたと思います。
(略)
[この電気ショックのやり方なんですが、やり方としては、どこでやるわけでしょうか。]
男子病棟しか知りませんけれども、二〇五、二〇六号室という、二人か三人はいる部屋があるんですが、そこの一室を、そこに入っていた場合は、その人達にのいてもらって、その部屋でやりました。
(略)
[作業というのがありますね。]
はい。
[これは具体的には、どういうことをやっていますか。]
大体、大勢でやるときには新館というところと、三階のホールと言っておりましたが、そこの二ケ所でファイル、針を通したりしてとじるやつがあるんです。それの機械を四工程位に分けて、やっておりました。
[一日、何時間ぐらいやっていましたか。]
週の内五、六日やっていました。それで時間的に言うとたとえば月曜日は午前、午後と、午前は一時間半位、午後が二時間位ですか、通してやっていました。
[賃金はどうですか。]
そのファイルに関しては、全然個人的に払われておりません。
[ほかに、払われることがありますか。]
配膳の作業と、それから炊事の作業はお金を払っていたと思います。
(略)
[ところで面会についてお聞きしますが、面会の場所はどこで行なわれるんですか。]
二階のろう下の一部を使っていました。
[広くございませんか。]
そんなに広くないですね。むしろ狭いぐらいでいつもひっかかってました。
(略)
[看護者が立ち会いますね。これは何のために立ち会っているわけですか。]
一応逃げないようにと、脱院防止ということで。あとはマッチとか危険物ですね、そういうものをチェックするということで、見張りみたいな感じですね。
[会話の内容は聞くように努力するわけですか。]
聞いちゃいけないけれども、やはり何か事故があるといけないので、できるだけ聞かれないように聞いてくれというふうに言われています。
[面会時間は制限されていますか。]
一応一五分ということでやっています。
[これはどうしてですか。]
看護スタッフが少な過ぎるんですね。それで病棟がそれによって、あくものですから、できるだけ短時間に済ましてくれというふうに言われています。
(略)
[面会は自由にできましたか。]
入院して一週間は一応できないというふうになってました。
[面会日という日にしか面会できないんですね。]
そうじゃありません。
(略)
[あなたが勤めているときに、手紙の検閲は行なわれておりましたか。]
全部一応開封して、そのまま封をしちゃ絶対だめだということで、チェックはしてました。
(略)
[医者は、どうするんでしょうか。]
大体これはだめだということで、また病棟の方へ戻ってきます。
[戻ってきて、どうするの。]
引出しの中入れておきます。
[じゃ、もう出せないわけね。]
はい。
(略)
[昭和五〇年に、日本精神神経医学学会総会で、通信及び面会の自由に関する決議というのがなされたという事実はご存じですか。]
はい、知っております。
[この決議文が被告保養院の中に掲示されましたか。]
いえ、されていません。
(略)
[手紙は、どういうふうに扱うことになりましたか。]
そのあとだと思いますが、一応全部自分達で封をして切手はまだはらせなかったんですけれども、そのまま渡すとだから大丈夫だというふうにして、みんなに伝えました。
(略)
[保護室の件ですが、保護室は、どういう場合に使われるんでしょうか。]
大体けんかをやっているか、もしくは入院時は一応わからないからということで、様子をみるために保護室に入れるというのが普通に行なわれていました。
[入院時は普通入れるということになるわけですね。]
大体そうです。
(略)
[病室は狭いとか、広いとかいう印象はどうでしょうか。]
私が最初勤務した当時はものすごく狭く感じて、とにかく足のふみ場がないぐらいで、ふとんを敷いていることもあったんですけれども狭いなと思いました。
[二一一号室というのは、ご承知ですね。]
はい、わかります。
[松永医師は二五畳あると言っているんですが、何畳ですか。]
そんなに広くなくて、横に三組ふとん敷いて、それが三組敷いたらいっぱいだから、一二畳ぐらいじゃないかと思いますが。
[院長回診というのがありますね。]
はい。
[これは何日に一辺位行なわれますか。]
週に一応一回になっています。
[どういうことをなさるわけですか。]
大体ぐるっと婦長とついて見まわりですか、看護者の顔というか、ちょっと挨拶と、それから病棟の管理的なことで変化があったとか、そのへん見まわっている程度でしたね。
(略)
原告代理人
[このY事件のことを聞いたことに関してお聞きしたいんですけれども、看護婦らのうわさから、当時池田さんがまっすぐ病棟へ連れてきたのがいけなかったんだということを聞いたというんですけれども、これは医者の行為というのは、どういうふうになるわけですか。]
診察行為ですか。
[診察行為でもいいですけれども、それがどうだったということですか。]
それが全然なかったということですね。
[なかったということは、全く診察しなかったということですか。]
はい、そうです。
[あるいは、医者がいたかどうかについてはどうですか。]
それははっきり覚えていません。
[いたかどうかわからないけれども、診察してないということは、はっきりしているんですか。]
はい。
[結果的には連れてきたという看護者が悪者にされたのが不当だと、こういうようなふん囲気だったんですか。]
両方あるわけですね。
[両方とは。]
看護者がまっすぐ連れてきたんだからお前の責任だという人と、そうでないんだ、そういうふうにしたのは、医者がもうちょっとしっかりしてればいいんだから医者の責任だと、いうふうにして責任のなすり合いみたいな形でありました。
[それは看護婦とか、看護者の間ですか。]
看護婦さんが多かったですね。
(略)
[裁判に関するコピーがまわってきたというのは誰からまわってきたんですか。]
病院側からですが。
[何のためですか。]
一応みんな関心を持っているからということじゃないかと思いますが。
[何か特別指導みたいなことがあったということはありますか。たとえば、こういうことで病院は対処しているとか、こういうことが正しかったとか、こういう点はまずかったとか、こういうふうにしろとか、そういうことは聞いたことがありますか。]
そういうことはないですね。
(略)
[あなたも看護助手で池田さんも看護助手でしたね。]
はい、そうです。
[看護助手というのは具体的にどういうことをやるんですか。任務というか、職務というのは。]
とにかくいろいろ面会なり、入退院のときの迎えなり送りなり、非常に雑務的なことが多いんですが、それを業務としてやることが一番多かったです。
(略)
[これはいわゆる資格がない、ということですか。]
はい、そうです。
(略)
[池田さんというのは、どういう人か聞いたことがありますか。]
一緒に勤めてたんです。
(略)
被告代理人
[池田さんが原告の入院に関与したとあなたは聞いただけ。]
はい、そうです。
[玄関まで迎えに行ったのは池田さんだということ。]
そうですね。
[そういう話をした丹羽文子看護婦、この人はどこからそういうことを知ったというふうに言いました。]
夜勤のときにいろいろ話をしている中で。
[丹羽文子からあなたが夜勤のときに聞いたんですね。丹羽文子はどこからそういうことを聞いたのか。]
それはちょっとわかりません。
[その入院に丹羽が関与したわけじゃないんでしょうか。]
いや、違います。
[丹羽というのは、いつごろから多摩川保養院に勤めておったんですか。]
私が勤務していたときはいたんですが、その前前はちょっとわからないですね。
[さきほどのコピーがまわってきたというのは、あなたの記憶によると、どんなことの書かれたコピーですか。]
具体的には、直接見てないんですが。
[見てないの。]
はい。
[原告側の何か、原告を守るといいますか、精神医療を糾弾するというような側からの印刷物なんかは見たことがありますか。]
病院の中では、見たことがありませんね。
[病院の外では。]
私は直接見てません。
[今日まで見てない、勤務中じゃなく。]
退職してから、松沢病院に就職してから見たことがあります。
[幾種類か印刷物が出ているでしょう。]
はい、見ています。
[それは原告の立場から書かれたものでしょう。]
ち ちょっとわかりません。
[多摩川保養院を攻撃するような文書じゃなかったの。]
そう言えないこともないと思いますが。
[さきほどあなた、看護関係の記録などについて証言されましたが、それはあなたがかかわりあった限りの話でしょう。]
もちろんそうです。
(略)
[中村医師は、宿直であったとか、中村医師が診察したというような話は聞いたことがありますか。]
中村というのは知らないです。
[多摩川保養院内で、そんな話はきいたことない。]
ありません。
[あなたが勤務していたころは、すでに訴訟が起きていたんでしょう。四六年の一一月には訴訟が起きていたんですが、あなたが就職する一年半位前に。多摩川保養院で無診察だというような話があったんですか。]
はい、ありましたね。
[無診察だと原告側が言っているということでしょう。原告側が無診察だと攻撃しておるという話じゃないんですか。]
そういう話はなかったですね。
[多摩川保養院側で、無診察だということを認めておるという話ですか。]
そうですね。
[それは、はっきり聞いたのは丹羽さんだけ。]
別な看護婦さんもいましたけれども。
[別な看護婦さんというのは何という人。]
中村と言いました。
[中村何という人ですか。]
看護婦さんですけれども、ちょっと名前忘れちゃったですけれども。
[その人は原告の入院に関係した人?してないんでしょう。]
直接は関係してないと思いますが。
[直接かかわり合った人から話を聞いたことがありますか。]
池田さんとは何回かしゃべったことはありますけれども。
[池田さんは自分で取扱ったと言った。]
入院のときはいましたと。
[池田さん自身が入院手続を自分がやったと。]
入院の当日いたということを言ってました。
[いたというのは宿直。]
宿直で当直やっていたと。
[原告の入院を取扱ったかどうか、それは池田さんは何か言ってました。]
はっきり言ってませんでした。
(略)

山本薬局長の証言

1979.1. 25
被告代理人
[あなたと山本善三との身分的な関係はいかがですか。]
おじ、甥の関係です。
(略)
[原告、Yが入院した当時、多摩川保養院で入院実務は、どう扱われていたかをうかがいたいのですが。まず同意入院の場合、本件はまさにそうなんですけれども、父親の同意だけで入院しているんですよね。]
はい、その通りです。
(略)
[ところが未成年者の場合、親権者、父母が共同で親権を行使する、二人の同意がなければならないんじゃないのかというふうな疑問はなかったんですか。]
ありました。以前からそのことは知っています。
[どうされましたか、それで。]
この件のときは私はいなかったんで、相談にあずかっていませんですけれども、その二、三ヶ月前にも、その以前にもそういう例は何回もありまして、それでその都度、二、三回だと思うんですけれども、担当の県の予防課、精神衛生係のそういう入院同意関係の担当者に、当時石井という人だったと思いますが、その方に二、三回問い合わせています。法律ではこうなっているし、逐条解説でも両親の同意がいるから両親の同意をとらなきゃいけないんじゃないかと、医療事務の係長がいまして、いま言いました同意書に書いてある字がそうですけれども、その人から質問がありまして、彼の目の前で問い合わせをしています。家庭裁判所でもこれでもいいといっているし、それから厚生省の監査があって、それでも通っているし、こちらから書式を変えるまではそういう必要がないと何回もしつこく言われました。そのように行政指導通りにやりました。
[だからあなたとすれば直接の担当者に、片親だけでいいんだと言っていたわけですね。]
はい。もし片方が反対している場合は、入院させないように指導しました。
(略)
[精神衛生相談センターから入院させてほしいというような依頼がある場合はどうでしょうか。]
病院独自の決まったやり方がありますので、まず診察して、入院の必要をドクターが認めた場合、一応入院同意書というのを保護義務者に書いていただいて、経済的なこと、入院保証書、保険証、印鑑その他うち独自に患者調査表というのをつくっていますけれども、それを全部やった上に入院手続を終る、センターから来ようが全部そういうような書式をやらないと許可していませんでした。
[それはあなたの方針というか、指導あるいは教育がそうだということですか。]
そうです。そのように指導していました。
(略)
[警察官が連れてきたというような場合、警察官職務執行法というのがあるんですけれども、そこで保護してほしいというようなことはありますか。]
それ、このあいだ初めて聞いたんですけれども、恥しいことですけれども、全然知らなくて。
[その警職法をですか。]
警職法というのを全然知らなかったです。保護できるということも知らなかったもので、警察官といえども、さっき言った手続通りやらなければ入院を許可しないように指導していました。もし連れてきてもそういう諸手続が完了しないときはそのまま連れて帰っていただいて、ただアドバイスとして保健所とか、県に通知して鑑定みたいな方法がいいんじゃないかということは話すようにといいました。
[そういうことはしばしばあったんですか。]
よくありますですね。年に二、三回はあると思います。
[警察官が連れてきたからそのまま入れるということは。]
私の知っている限りではないはずです。以前はちょっとわかりませんけど。
(略)
[ところで、最後に、あなたと原告の両親とが会ったことがありますね。]
あります。
[何回ぐらいありますか。]
三回は会ってると思います。二、三回。三回以上会ってますかね。
[一番最初に会ったのはいつですか。]
Yさんの退院直前です。
[どういうことで会ったんですか。]
面会を求められたと思うんです。それでなんか松永先生に対することだと思いましたが、なんか、うちの子は外科の病気なのに外科へ連れていきたいと、それなのに退院をお願いしたけれども、松永先生がすぐなかなかOKしてくれないというようなことの相談だと思いました。
(略)
[ただ、そういう言うなれば陳情みたいなことを受けたわけですか。]
そうですね。
(略)
[それは退院のどれくらい前かご記憶ですか。]
記憶ないですけど、そんなに前ではないと思います。
[その次に会ったのは。]
退院して大分たってからだと思うんですが、やっぱりその時は名指しで来られたと思いますね。私、やっぱり会いました。
[どういう要件で来たんですか。]
なんか、センターからの資料、それを見せてほしいということでした。
[で、あなたは見せましたか、見せませんか。]
私は一応お断りしましたら、なんかその筋から手を回して、センターの資料を入手したので、それは多摩川保養院へ渡った資料と同じかとうかを確認したいからということで、どうしてもと言われたもんで。私、センターとそれから大師保健所に連絡したと思うんです。それで、許可をいただいて、これですかと見せた記憶はあります。
[そうしたら、両親はどうでした?]
そのことはよく覚えてるんですが、急にひったくるように取りまして、むさぼるように読みまして、両親で一生懸命必死になってメモをなさるんですね。そういう記憶があります。
それで、私が、このセンターの資料と、これ合ってますかと言ったら、そうですと、内容もお父さん言ったとおりですかと言ったら、そうですと言っておりました。お母さんもありがとうございましたと、ただ、ちょっと違ってるところもありますが、大体このとおりですね、と言われた記憶があります。
[それが第二回。]
はい。
[その後もまた会ってますか。]
その後また大分たってからですけれども、またいらっしゃいまして、今度は実は警察とセンターを訴えたいんで、準備をしているから協力してくれないかというようなそういう依頼にいらっしゃったと思います。
[あなたのほうではいろいろ努力するとか、しないとか、どんなことを訴えるのかというようなことを言われた。]
なぜかと言ったら、警官が何もしないで急に踏み込んで来て、息子に手錠をかけたんだと、だからその警察官と警察署を訴えるということをおっしゃいました。それから何でセンターを訴えるんですかと言ったら、医者でもない人が分裂病と診断して投薬までなさったんですか、その辺の事情わからないんですが、そのようなことをおっしゃって、それを訴えたいから協力してほしいというようなことを、おっしゃったように思いますけれども、実際には協力は何もしていません。
(略)
[ここへ証人になって出られたんですが、あなたは古閑さんと原告の病状といいますか症状について話をされたことがありますか。]
あります。古閑先生というのは土曜日の午後、脳波、睡眠脳波のほうの担当をうちのほうでしてもらっているものですから、土曜日の午後に見えるんです。それで、院長からそのカルテの中にたしか精神病質プラス心因反応と書いてクェッションマークしてあったんですよね、そういう内容があって、それはどういう意味がきくように言われまして。
[それはいつ頃の話?この訴訟の始まる前ですか、後ですか。]
病気じゃないのにという訴えがあってからですね。だから、人権擁護委員会の調査がはじまってからだと思いますね。
[院長にそのカルテの記載をきくようにと言われたんですか。]
どういう意味かきくようにと言われました。
[あなたおききになったの?]
はい、ききました。
[どういうお答えでした?]
ただ、アドバイザーとして、そういう考えも面白いんじゃないかと思って書いてみただけだと。そして、分裂病に違いないということを何回も繰り返しておっしゃってましたね。
原告代理人
(略)
[原告が入院した四四年一〇月一一日の日は病院におられましたか。]
ええ、いたと思います。これから入院があるということを聞いてましたですから、一人残して、たしか帰ったと思います。
[何時頃お帰りになったんですか。]
いつもと同じぐらいの時間ですから六時間後だと思います。
[この日は当直の医師というのはいたんですか。]
いましたね。中村医師ですか。
[何時頃来たかご記憶ありますか。]
私は記憶ないです。タイムカード見ればわかりますけど。
[医者が来る場合はあなたのほうへ来たとか、そういう挨拶ですか、報告みたいなのはないんですか。]
あります。事務の中にタイムカードがありまして、事務員がいますからそこへ現われて、事務の中でタイムカードを押しますですね。
それで、事務的な申し送りがあればそれを受けて、あと、いろいろなマスターキーというんですが、鍵をいただきますね、病院の。それからいろいろなところの鍵もついでに預かりますですね。だから、必ず来たということを確認できます。
[その日にお会いになったんですか。]
私は会ってません。当直者がいましたから、当直者が会ってると思います。
[とはどういう人ですか。]
事務で残ってた人ですね、指吸といいましたですね、その日は。
[指吸さんが中村という医師に会ったかどうかのことはあなたがおられる時のことですか。]
私は六時頃帰ってると思いますから、私はわかりません。
[それ以降ということですか。]
そうでしょうね。
[中村医師が来られたのは。]
私は記憶ないですから、よくわからないですが、多分、そうじゃないですか。
[それで、原告は入院することはあらかじめ知ってたということですか。]
そうですね、なんかそういう申し送りがあったと思います。なんか両親の同意をとるんで両親の母親のほうがなんか行方不明で、その人を捜して同意をとるために遅れて何時になるかわからないというような申し送りが、長橋というケースワーカーからあったと思います。それを私が残り番の事務当直の指吸に伝えて、頼んだと思います。
[長橋ケースワーカーというのは何時までいたんですか。]
五時ですね。保育園に子供を預けていたから五時丁度に飛び出しますね。
[あなたに申し送りがあったというのはどういうことですか。]
事務にいましたからです。
[直接指吸に連絡するということはなかったんですか。]
それはちょっとわかりません。指吸にも言ったかもわかりません。
[そうすると、その内容というのは単に今言った内容程度なんですか。]
だと思いますね。よくそこまで記憶はないですね。細かいことまでは。
[一番よく知ってるのは長橋ケースワーカーですか。]
そうです。
[あなたは直接、指吸にはそういう話をしたというんですが、指示したようなことはあるんですか。]
夜間の入院ですし、だから、入院の手続を完全にするように、そのことは念を押したと思いますけどね。
[具体的にはどういうことですか。]
さっき申し上げたとおり諸手続全部ですね。
[いわゆる入院同意書だとか、保証書とか。]
ええ、印鑑、保険証から調査表まで、全部やるようにということですね。事務員としてのすることですね。
[そうすると、あなたが帰られる前には原告が来たという記憶はないですか。]
ありません。
[直接タッチはしてなかったと、こういうことになりますか。]
はい。
[原告が入院したということを知ったのはどの段階で知りましたか。]
月曜日だと思いましたね。一三日医事係から書類ができてきまして、それが事務長の方に回りまして、事務長から私のほうに入退院関係の書類は回ってくる。その時に私が認めて印鑑を押すんですよ、完全にできた場合。その時点で知ったと思いますね。
[それはどこに押すんですか。]
病院独自の患者表というのがありまして、こへ押します。
乙第七号証を示す。
[このことですか。]
そうです。
[「患者調査表」と書いてありますね。]
はい。
[右側に認印として。]
それは入院した時に押します。
(略)
[これはあなたが当然見られたわけですね。]
そうです。
[これに何か書き込みしたことはないんですか。]
ありません。不備があったら完全にするようには差し戻します。
[これを見ますと「入院時の状況」というところに、「父親、警察官、大師保健所員と同行」と記載してあって、これは鉛筆だと思いますけれども、○じるしだとか矢印が書いてありますね。]
はい。
[これはどういうことなんですか。]
これは私にはわかりません。
(略)
[でも、そういう請求書の内容よりも警察官だとか大師保健所員だとか、○書いてあるとか、あるいは今井と、最初言いましたね、こういうのは結局普通の事務的な手続とちょっと違うような感じしますね。]
だから、これは病院独自です。
[どうして○打ったんでしょうかね。]
それは私は知りません。
[それからもう一つ○打ってある。鉛筆で○してあるのは入院のところの四四年一〇月一一日午後七時四五分のところに○が打ってありますね。]
そうですね。準備書面出す時でも何か○つけたんじゃないんですかね。
[誰がですか。]
担当者かなんかが、つけれんじゃないんですか。よくわからないですね。
[準備書面というのは普通は弁護士が作るものですがね。]
その資料をですか、よくわかりませんけどね。
[この時、何か話を聞いたことありますか、この患者調査表を見た段階で。]
ありません。
[特別問題になるようなことは聞きませんでしたか。]
はい。
[この日、原告が入院した時、入院するにあたって診察したかどうかについて、その後でもいいですけれども、聞いたことありますか。]
その後、ありますね。証人のあれで、証人の中村先生のほうの、証人のこういうのがありましたですね。
[証人に呼ばれた時ですか。]
ええ。その時中村先生と、あと指吸の証人の時にそのような話をしてましたですね。診察が行なわれたようなことを。
[そういうふうに聞いたんですか。]
ええ。
[誰からですか。直接聞かれたんですか。]
傍聴してて聞いたかどうか、よくわかりません。たしか聞いたと思いますね。
[そういうことじゃなくて、原告を医師が診察したか否かについて聞いたということ。]
そういうことについて聞いたことはありません。
[ないというのは、先程言われた法廷で傍聴するまで聞いたことがなかったということですか。]
と思いますね。特に聞いたことはないですね。当然、診察が行なわれておると思いましたですからね。
[あなたは人権擁護課から調査を受けたことありませんか。]
あります。
[これは赤穂さんという方ですか。]
はい。身分証明書も出されました。
[その時、そのことをきかれたでしょう。]
きかれました。
[入院する時に原告を診察したかどうかについて。]
いや、いきなり無診察で同意もとらずに入院さしたのは何事だと怒鳴りつけられました。
初対面で、びっくりしました。
[赤穂さんに会ったのはいつ頃かご記憶ですか。]
四五年頃だと思うんですけどね。
[四五年五月二八日頃じゃないですか。]
その頃だと思います。
[じゃぁ、当然、診察がなされたかどうかについて争いというのか、問題にしてることは内容を聞いてわかったでしょう?]
その時初めてわかったです。
[それについてどういうふうにお答えになりました?]
記憶はないですけども、こちらとしては診察なくして入院するというケースは一度もないですから、あったということに言ったと思いますね。それから同意も、こういう事情だと説明しましたですね、同意の件も。
[同意が問題になったんですか。]
同意のことも言いました。
[どういうふうに問題になったんですか。]
その時、県にうちから同意書送ってますですね。それを県からもらってきたのか、コピーしたのか、それを見せられまして、父親しか書いていないじゃないかということを言われました。それで、その事情を話しましたら、また県のほうへ行かれまして、それはわかったということになりました。
[その赤穂さんというのは何回ぐらい多摩川保養院のほうへ来たんですか。]
一回だけで、あとは一、二回、電話では何回もあります。
[最後的に人権擁護課の調査についての結果を知らされたでしょう?]
院長が聞いたと思います。
[院長からあなたお聞きになりましたか。]
聞いたと思います。
[どういう内容でしたか。]
はっきりは覚えてません。大分前の話ですから。
(略)
[また、先程のに戻りますけれども、人権擁護課から山本院長のほうへ口頭で話があったことについて記憶ないですか。]
ありません。あったということは聞きました。
[あったというのは?]
院長に何か結果が知らされたということは聞きました。
[それはいつ頃かご記憶ですか。]
記憶ありません。
[四五年の翌年の四六年の二月一六日頃じゃないですか。]
記憶ないですけど、そんなもんじゃないですかね、一年ぐらいたって。
[原告を、入院するにあたって、診察しなかったと、このように言われたんじゃないですか。]
さあ、私はわからないですね。
[同意についてもやはり両親の同意が必要だと、こういうような説示を受けたことはないですか。そういうふうにあなたが聞いたことはないですか。]
聞いたというより自分で本読んでますし、それは知っていました。必要だということは。
[だから片親の同意だけでは駄目なんで、両親の同意を得なさいと、こういうふうに言われたんじゃないですか。]
そうですね。
[それは聞いているでしょう?]
はい。
[あなた、前々から問題にしてた程度なんだから。]
そうです。
[それから同意に絡んで、入院の同意書を一〇日以内に保健所に出すべきものを遅れた点についても注意されたんじゃないですか。]
擁護委員会からですか。
[そうですよ。]
それは聞いていません。
[これが入院届ですね。]
そうです。
[この届というのは、保健所に多摩川保養院から出すべきものですね。]
そうです。
[これが実際出されたのはいつかわかりますか。]
わかりませんね。
[入院届を一〇日以内に出すことはご存知ですね。]
知ってます。
(略)
[じゃぁ、一〇日以内に入院届を出す点について先程言った人権擁護委員会から注意があったということはないですか。]
私は受けていません。
(略)

病気ではないという診断書
診断書
住所 ■■■
氏名 ■■
昭和■■年■月■■日生■■才
病名
附記 考え方にやった柔軟性の乏しい点があるやに思われるが、特に積極的意見は認められなかった。但し、家族内葛藤状況が存した事は否めない。
上記のとおり診断いたします。
昭和47年6月27日
横浜市港南区下永谷町1054番地
神奈川県立芹香院
医師山田国雄

山田医師の証言

1978.7.6
原告代理人
(略)
[芹香院にお勤めになったのは何年からでございますか。]
それは、昭和三二年の六月から九月までと一度金沢の国立病院に帰りまして、三七年の六月から、この四月一日までの一六年間でございます。
(略)
[芹香院の地位でございますが、どういうふうなお仕事をなさっておられましたか。]
四、五年前に心療科部長と、それから作業療法科部長。
[ここにおりますY原告をご存じでしょうか。]
はい、存じ上げております。
[最初にお知りになったのはいつでしょうか。]
四七年の春だったと思います。
[それはどういうことでお会いになったのですか。]
私の高等学校の同窓会が横浜で始終開かれるわけです。その時、三野研太郎という横浜法律事務所におります弁護士が後輩であるということがわかりまして、私は大学は結核でだいぶ遅れていて、ちょうど、その三野君が卒業した頃、卒業しているのです。で、彼の同級生で医者になっている連中と私がクラスが同じになっちゃって、それで患者さんを頼まれたり、それから不当なことで精神病院に入れられたんじゃないかということで調べてくれ、というようなことで頼まれまして。
(略)
[それで最初どこでお会いになりましたか。]
芹香院です。
[で、診察に要した回数は何度でございましたか。]
たしか七回ぐらいだったと思います。そして、ケースワーカーの村山君というのと、心理判定員の大場ジュンイチ君の協力を得ております。
[七回で、期間は何日ぐらいでございますか。]
これは四月の終りから、最終的には八月ですか・・・。よく覚えておりません。
(略)
[その診察の方法ですが、まず本人との面接はなさいましたですね。]
はい、面接が主でございます。
[そのほかに、どういう方法をおとりになりましたか。]
脳波をしりました。それからあとは心理判定員の大場君の協力と、ケースワーカーの村山君の協力を得ました。
[診察対象としましては、本人との面接のほかに母親とか、父親とか、そういうのはなさいましたか。]
はい。脳波をとったあとで、お父様に来ていただきまして、お母様にも一度来ていただいて、お目にかかっております。
(略)
[その入院させられた時の病名でございますが、どういうものだったというふうにお聞きになっていますか。]
それは三野君から聞かなかったような気がしますけど。
[本人あたりからはどうでしょうか。もしくは何か書面でもってですね。]
ええ、ご本人がコピーをしたのを持っておられまして、分裂病の疑いか何かになっていて、精神病質になっていたと思います。途中でかわっていたように思います。
乙第四号証の一を示す。
[カルテですが、これじゃございませんか。]
 ・・・これじゃないですね。何か印刷してあるやつでした。
[そうすると、まず精神分裂病という診断名がございましたか。それには。]
確たるものはなかったような気がするんですが。
[精神分裂の疑い]
そうだったと思いますけれども。
[それからどういうふうになっておりましたか。]
精神病質というふうに変っていたように思います。
[そうすると先生に対して原告からは、具体的に言うと、何を診察してほしいということだったんでしょうか。]
自分が病気でなかったということを私に診察してくれということを要求されたと思います。ただ精神鑑定となりますと入院していただいて長年月かかりますから、これは非常に費用がかかりますし、こちらも労力が大変でございますので、外来で通っていただいて現在の精神状態をうかがわせていただくというふうにお答えしたと思いますけれども。
[精神病ではないということを診察してくれと要求されたと言われましたが、結局その要件においてなさることはどういうことでしょうか。]
結局、現在のことに限るとは申しましたけれども、やはりYさんが高等学校へお入りになった頃からのことを、お話をずっと聞いてまいるわけですから、入院前後のこともやはりうかがっております。うかがわざるをえませんね。
[そこで原告が精神病であるかどうかの各方面からの診察をなさったということですね。]
はい。
[その診察に要した時間は延べ何時間ぐらいかかりましたでしょうか。]
一六、七時間だと思います。
[大場、村山両氏の所要時間も含めてでございますか。]
それは含めておりません。
(略)
[先生はこのお二人にはどういうことを命ぜられたり、あるいは報告を受けたりされたのですか。]
村山君とは相談しながらやったと思います。診察室から村山君は近いものですから。それから大場先生にはテストをやってもらいました。このテストのほうでも六時間から九時間ぐらいかかっているんじゃないでしょうか。
山田医師の診断書を示す。
[これは一番下に医師山田国雄とあって割印がございますが、これは全部先生がお書きになったものですか。]
さようです。
[そこでこの内容についてご説明願いたいのですが、この六月二七日という日付ですけれども、それまでには先程おっしゃったこの診断書をお書きになったあと一度だけおよびしたということをおっしゃいましたのでその分を差し引いた診察時間、診察期間これを考えればよろしいわけですね。]
はい。
(略)
[病名のところが空欄になっているのですがこれはどういうことでしょうか。]
病気でなかったから病名は書かなかったということです。ですから、健康であると。それから、初め、まだ就職もしていらっしゃらなかったし、国民保険を使いました。その時にはいわゆる精神病質人格の疑いとそれで保険を使ったのですが、途中で切り換えて健康診断ということで実費をいただいております。脳波をとる時点で健康診断ということで切り換えております。
(略)
[考え方にやや柔軟性の乏しい点が云々というふうな記載がございますが、これはどういうことでしょうか。この考え方にやや柔軟性の乏しい点があるやに思われるというのは。]
これは、心理の大場先生のほうから三種類ばかりのテストをやっていただきました。それに書かれていたのを使わせていただきました。というのはやはり自分で正確さを競う(「期そう」の誤り)という正確さを求めたいという態度で始終テストに臨んでおられますからそうなるとどうしても固くなります。そういうことです。病的ということではございません。
[とくに積極的な所見は認められなかったというのは。]
これは病的所見は全くなかったということです。
(略)
[その大場心理員の報告は、そういう考え方にやや柔軟性の乏しい点があるやに思われるという記載があったわけでしょうか。]
そうですね。ただそのあとに但し書がありまして、これは正確さを競おう(期そおう)としてテストに臨むとこういうふうなちょっと固くなった感じが出るということは注訳してありましたけど。
(略)
[先生が行なわれた脳波テストですが、その結果はいかがでしょうか。]
ノーマルでございます。
[そのあとに、但し、家庭内葛藤状況が存した事は否めないとありますが、これはいつの時点のことをおっしゃっているのでしょうか。]
これは、いまの時点と言いながら矛盾しているわけですけれども、高等学校の頃から山へ行きたいという気持になったり、それに家の方が反対されたり、それからご自分で早稲田をお受けになって、お入りになれなくて浪人なさって、ゼミナールへいらっしゃったりして、その時に自分の居室が欲しいということで、その居室を本人に相談なく親御さんがおつくりになったりして、本人も不満だったりしたこと、そういうことでお父さま、お母さまと多少気まずくなったということですね。Yさんとご両親との間のトラブルみたいな、それを葛藤状況と表現しております。
[特に父親、母親どちらがどうだというような先生の印象はございませんでしたでしょうか。]
お母さまは非常にはっきりしていらっしゃいましたが、お父さまがちゃんとしていらっしゃればこういうことが、起きなかったんじゃないかと思います。お父さまが川崎の精神衛生(相談)センターへある日の土曜日の午後に行ってらっしゃいますね、相談に。その時は、そこでYさんが具合が悪いということを相談なさったんだと思いますね。そこでセンターの人があちこち電話をかけたけど、土曜日は病院は当直がいたり、いなかったりで、どこも入れてくれる病院がなかった。二回目に大師の保健所へお父さまは行ってらっしゃいます。で、その時、お父さまがオーバーにおっしゃったのか、あるいは大師の保健所の方がもうちょっと、慎重にお調べになってYさんに会ってでもいらっしゃれば入院ということにならなかったんじゃないかと思います。が、それを聞いて、大師の保健所の方がおまわりさんを連れてすぐYさんの所へ行ったようですね。それで、こういう不祥事が起きたんだと思いますけれども。
[結局、そういう事態が発生したというのは、お父さんに問題があるということなんですが、どういうことですか。相談に行ったということを先生はおっしゃっているわけですか。]
それから本当にYさんが具合が悪くて相談にいらっしゃるんなら土曜日の午後にいらっしゃるんじゃなくて、普通の日に相談にいらっしゃると思うんですね。なぜ、土曜日ばかり、土曜日は保健所も休みでしょう、午後は。そこらへんがちょっと納得がいかないところでした。
[その点、父親から説明は受けられませんでしたか。]
はあ、受けたかもしれませんが、それ記憶にないのです。お父さまとお母さまのお話の内容はテープにとりましたんですが、そのテープが見つからないんですよ。
[それで、先生のご認識ですと、この破瓜型分裂病、あるいは破瓜病といわれるものは予後、どういうふうになるものだというふうにお考えでしょうか。]
精神分裂病は、いつも精神医会で問題になることですが、精神分裂病という病気が果してあるか、ないかとで、この分裂病をだいたい三つに分けまして、破瓜型、緊張型、妄想型と分けるわけです。で、一番難攻不落なのが破瓜型でございますね。破瓜型というその病名の由来は、破瓜期に発病して、これという特別なあれはないんですよね。
[破瓜期というのは青春期のことですね。]
そういうことですね。一番困るのは無為、何もしなくなると、自閉、感情鈍麻、そして何もしなくなるという経過をたどっていくんですね。
[先程、予後はどうか、というふうにお聞きしたんですが、発病しますと、これは進行するものなんですか。それとも放っておいて消退していくものでしょうか。そういうふうに一概に言えませんか。]
一概には申せませんが、一番難攻不落なので、なかなか、なおりが悪いということです。ですから、私、いま外来でつき合っている患者さんで十何年、破瓜型のままで、現在、病気を持ったままでいらっしゃる方、たくさんいらっしゃいます。
乙第一五号証を示す。
[これ、おわかりでしょうか。「精神医学」、村上仁とありますが。]
この方は存じております。
[それの五七六ページをご覧いただきたいのですが、真中より下の所に、破瓜病の説明があって、その中に、経過は、多くは進行性であり予後も不良なことが多いとありますが、経過は多くは進行性というのは、悪くなっていくということでございますか。]
そうですね、病気としては悪くなっていく。
[予後も不良なことが多いというのは、いま十何年というふうにおっしゃいましたが、どうなんでしょうか。退院したあと、いわゆる寛解するまでどのくらいかかるというふうに言われておりますか。]
破瓜型は、寛解は比較的むずかしいと思います。まあ緊張型は非常に最近、薬も出てまいりましたし、緊張型の方は普通の社会生活に戻れる方が随分多い、完全寛解にいきますね。
[破瓜型はむづかしいんですか。]
破瓜型が一番困るんじゃないでしょうか。
[緊張型というのは急性のようですね。]
そうです。
[なおりも、だから早いと。]
そうですね。
[破瓜型は慢性でございますね。]
ええ、まあ、分裂病の一番中核部分といったら、破瓜型になるんだと思いますね。だから緊張型を分裂病に入れない方もありますね。
学者によっては。
[昭和四四年一〇月一一日に原告は被告保養院に入院させられて、約四〇日ぐらいたって退院したわけですが、先生の診察をうけました約二年半ぐらい前なんですけれども、その、先生が直接診察された症状からして、二年半前の破瓜型分裂病というものの存在はいかがでしょうか。]
入院なさった以上、病院の方でそう主張なさるのはあれでしょうけど、入院なさって、三日目にはもう保護室から出ていらっしゃいますし、お父さんの要請で短期間に退院しておりますね。だから破瓜型としては考えられないんじゃないか。それからあとずっと薬をお飲みになったかどうかということ。
[飲んでおりません。]
ではちょっと考えられませんね。
[全く診察を受けたこともないんですけれども。行動が社会的に問題にされたこともない、そういう状況で、二年半後に診察にうかがっているわけです。先生の所に。]
社会的に問題にされたことはないということは、かなり、重要なことです。
被告代理人
[異議があります。唯今の尋問ですけれども、尋問自体の中で薬を飲んだことがないとか、診察を受けたことがないとかあるいは社会的な問題がこうではないとか、という前提を与えての回答を求めているわけですね。この尋問は不適当だと思います。制限願います。仮にそうだとすればという尋問ですか。]
原告代理人
そうです。
被告代理人
ないんだということではなくて、仮にそうだとすれば、ですか。
原告代理人
そうです。それは別に立証しますから。
被告代理人
だから仮定的質問なんでしょう。
原告代理人
そうですが。
裁判長
そういう前提で証言を求めて下さい。
原告代理人
[はい。そういう前提で、先程のような診察をなさったということになりますと、二年半前に破瓜型分裂病は存在したでしょうか。]
私はしえなかったんじゃないかと思います。
[特に、しえなかったということで、強調したい点はございますか。]
というのは、いま社会的にとおっしゃいましたね。まず分裂病の、私なりの診断基準を持っておりますが、それは、第一番目は自発性の減退、それから思考障害、三番目は感情鈍麻それから幻覚妄想体験、それから働けるかどうかという稼動能力、もう一つ社会適応性、この六つを基準にして、これがどれか、いくつかそろっているかどうかということできめております。それで、Yさんがおうちでは葛藤状況にあったけど、近所の方とのことを私はおうかがいしなかったんですが、ご病気でしたら、近所の方との折合いが悪いとか、お友達と折合いが悪いとか、そういう社会適応性の問題が必ず出てくると思うのですが、それがあったでしょうか。
[いや、私は聞いておりません。]
それがないと・・・。目立つものですから。
[先生の診察を受けました翌年の四月には○○大学に入学し、五三年の三月三一日卒業しまして、その年の、つまり今年ですが、四月八日に教師として就職して現在に至っているのですが。]
それを先程うかがいまして、驚いたんです。
むずかしい先生によくおなりになって。
[○○科の先生ということで。]
はい。
[そういう現在までの経過を見まして、いかがでしょうか。]
私は診察してから今日までお眼にかかったことはないわけです。診察いたしました時に、もう自発性減退、思考障害、感情鈍麻、幻覚、妄想体験というのは全然ございませんでしたからね。それが入院なさった時もなかったんじゃないかと思いますよ。
被告代理人
[いま自発性減退云々と、先程挙げられた診断基準にあたるもの、これは入院の時もなかったのではないかと思うとおっしゃいましたけれども、そのような判断の基準は何ですか。]
それはYさんの陳述だけです。
[先程、社会適応性について原告代理人に対して近所や友人との関係で折合いが悪いというようなことはあったんでしょうかと、あなたが質問されましたね。]
はい。
[あなたはそれを聞いていない。]
ええ、ないと思っていましたから。
[ないと思ったのは聞かなかったと、こういうことでしょう。そういうような事実をY本人あるいは両親から聞かなかったというだけのことですね。]
はい。お父さんやお母さんから聞いていたかもしれませんね。
[お忘れになったということ。]
そうです。テープにとっちゃいましてね。五年前ですから、どうも・・・。
[いま覚えていらっしゃらないということですか。]
そういうことはなかったと思います。家庭内だけでトラブルがあったけれども近所の方との折合いが悪かったということはなかったはずです。
[川崎市の精神衛生センターに父親が相談に行って、具体的にどのような生活態度であるといったか、その記録があるんですがね、それはご覧になりましたか。]
それは、見ておりません。
[大師保健所へ行って、父親なり母親なりが何といったか、どのような訴えをしたかということは、たとえば大師保健所の関係者からお聞きになるというようなことはしましたか。]
していません。
[本人が服薬しているか、いないかということはお聞きになったんですか。]
聞きませんでした。
[服薬しているか、いないかを明らかにする客観的なテストでもあるのですか。]
その時は、もう必要ないと思っていましたし。
[先入観で、そうおきめになったわけ。]
先入観ではございません。
[本人は薬を飲んでいれば薬の影響があるわけでしょう。]
そうです。
[あなたは先程、病気をもったままで一〇数年お付合いしてる外来患者がいると。]
はい。
[それは服薬を続けているから入院するまでもなく何とか社会的に適応しているんでしょう。]
そうですね。
[だから、Y本人は服薬をしているか、いないかということはお確かめにならないとわからないじゃないですか。]
それは脳波でわかります。お薬を飲んでる時はお薬を飲んでる脳波がすぐ出てまいりのすから。
[たとえば、精神分裂病だという脳波は、それははっきり現われるんですか。]
現われません。
[じゃぁ、脳波は何のためにとりますか。精神分裂病というのはそもそもあるか、ないかが争いもあるところだとおっしゃったんですが、三つの型を挙げましたな。]
はい。
[その三つの型が脳波でそれぞれわかるというようなものですか。わからないんですか。]
分裂病によく似たので非定型精神病というのがあるんですよ。これは緊張型に似ていますけど、それはやはり脳波所見が出てくるんです。
[それだけは。]
はい。
[ほかはわからないんですか。]
はい。
[じゃぁ、脳波はその非定型精神病に当るのじゃないかということで、とられたわけ。]
それは脳波をとっておかないと手落ちになりますから。癲癇という病気もありますし。それから交通障害とか頭をお打ちになって意識がもうろうとしていらっしゃる状態でおはいりになるということもあるでしょう。それは脳波で、かなり残って、脳波見てますと見当がつきますから。
[今挙げられたようなものを肯定するか否定するかという趣旨で脳波をとられた。]
そうです。
[それによれば脳波をとった時には薬は飲んでいなかったということですか。]
そうです。薬を飲んでいらっしゃる所見は全く出ていません。
[あなたは脳波には精神分裂病であるかないかということは現われてこないとおっしゃったんですが。]
ただ今申したように非定型精神病というのがあるんですよ。
[それであるかどうかというのは、ここでは争いになっていないんですよ。そうしますと、入院当時の生活態度はどうであったかということの詳細は、あなたとすれば本人から聞かれた?両親から聞かれた、そこにとどまるわけですね。]
はい。
[それをカルテにとっておられますか。テープの話はうかがいましたね。それをカルテにはとられましたか。テープだけですか。]
残念ながら、お父さま、お母さまはテープだけでした。
[ケースワーカーと相談をしてたとか、助力を受けたとおっしゃいましたが、具体的にはどういうことなんですか。]
ケースワーカーというのは家族の方の調整ですから、そういうことを聞いてもらう意味で、私一人では客観的に家庭内の状況なんか、私の独断に陥ると困りますから、そちらはむしろケースワーカーの専門でございますから、彼とY君と会ってもらいました。
[現在の状態を判定するということで、入院時、どうであったかということは先生の関心外といいますかね。]
と、お断りしたんですけど、結局、お聞きしていると初ゆの時からお述べになるから。
[そうすると葛藤なるもの、家庭内の、これは先程お述べになった程度のことしかお聞きになっていない。]
そうです。Yさん、非常に山へ登りたいという欲望が強い。
[気まずくなったという程度しかお聞きになっていないわけですね。]
ええ。Yさんの言葉で、関西の学校へいらっしゃりたいという、それはやはり気まずくなったからとおっしゃったから。
[気まずくなったという程度しか聞いていないわけですね。]
はい。
原告代理人
[先生が診察なさる際に保健所あるいは精神衛生センターの記録等、ご覧になりましたでしょうか。]
見ておりません。取り寄せないで。
センター記録を示す。
[この記録はご覧になっていませんか。]
はい。
[内容について今、お読みだったようですが、内容についてお聞きになっていなかった、あるいはこういった症状、こういった行動があったとすれば診察が異っていたと思われるようなことがありますか。それともみんなそういうことは考えて入れての診察だったでしょうか。]
[来客に対して、家へ一〇分以上いたら体罰を受けてもよいという誓約書を書かせたということを聞いていますか。]
これは聞いてはいませんけど。
[「夜昼の区別がない」こういう生活だというふうにお聞きになりましたか、なりませんか。]
これは聞いてはいませんけど。
[「発作的に急にあばれる」というようなことはお聞きになりましたか、なりませんか。]
聞いてはいませんけど。お母さんをひっぱたいたは聞いてますよ。
[それがあまりひどいので、母親が家を出たことはお聞きになりましたか。]
これはお父さんから聞いたと思います。
[そうすると、あなたは叩かないほうがいいという程度の叩き方だとお感じになったわけ?先程そうおっしゃったでしょう。]
ひっぱたいたですからね。
[叩かないほうがいいとは思いましたというふうにあなたおっしゃった。]
はい。
[母親が家を出る程度の叩き方をしたんだというふうに把握されたんですか、どうなんですか。]
そういうふうには思いませんでした。
[そこの下に、母親に対していろいろ言ってるんですな、「遊んでいたのだろう」とか「悪口を近所にいいふらしてきたのだろう」とか、そんなようなことを言って、母親をとがめていたというような事実はお聞きになりましたか。]
はい、それは聞いております。
[夜の二時頃「かみを洗え」と言ったということをお聞きになりました。]
別に聞いておりません。
[二時頃に「お腹がすいた、ご飯をつくれ」と要求したことは?]
聞いてないんですよ。
[「バットをふりまわしてあばれた」というような事実があったということはお聞きになっていますか。]
聞いていません。
[ほかに、ちょっとうかがいますが、先程鑑定をするとすれば、入院をしてもらって、相当長期間かかるとおっしゃいましたね。]
はい。
[長期間というのは大体どの程度ですか、一概には言えませんか。]
一概には言えませんね。
[もっとも短くて済むとして、どれくらい?]
二、三週間の場合もあれば、一ヶ月の場合もあれば、それから刑事の場合でも期間がなくてやむなく二週間でやってくれと言われる場合もありますね。
[それから、破瓜型の分裂病は予後が悪い、治療もしにくいとおっしゃいましたが、非常に初期の場合に治療を開始したのと、相当期間経過して治療を開始したのでは違いがありますか。]
早いほうがいいんです。
[早ければ治るということもあるんでしょうかね。]
あり得ると思います。
センター記録を示す。
[この具体的項目は先程お答えになったとおりのようですが、これを言われて、いや、こんなこともあったのかと、それだったら診察が変ってきたというような事実があるんですか。]
ないんですよ。というのは、やはりお父さんが学校へ行くのをやめろとかおっしゃいましたですよね。で、そういうときYさんはお父さんにそれはぶっつけられなくて、お母さんにしか言えなかったらしいですね。お母さんが、いつも私が責任を持つとおっしゃってたみたいです。Yさんがそのことを、お父さまの仕打ちなんかをお母さまに訴えようとなさると、お母さまはお昼ごろから夕方までいらっしゃらないということをうかがっておりますから、これはそう不思議とは思いません。
[表現を変えればそうなるということですね。]
はい。だから、お母さんが自分が訴えようとするのに対して逃げていらっしゃるということは私うかがっておりますから。
[そうすると、当時の家庭内の葛藤の主要な争点というのは、まず、関西の大学へ行きたいということと、山へ登りたいと、この二つでございますか。]
それから勉強部屋のドアの問題でございますね。入るドアを頑丈にしてほしいということと、それからもう一つこちらに出入口を作ってほしい。それが容れられなかったということですね。
[その要求は先生としては異常な要求だと思いましたか。]
あまり。今、アルコールの病院にいますけど、程度のいいお酒飲みだとそうじゃないんですけど、ちょっと飲み方のいいお酒飲みじゃないと、やはりY君のいう要求はあってもいいと思いますね。
[いや、三つの要求ですね。勉強部屋、関西の大学へ行きたい、山へ登りたい、この要求はY君の要求としては、通常の基準から言ってどうなんですか。異常な要求なんですか。]
私自身が山登りやってましたから、もっともだと思います。そして、私自身が子供が山登ると言ったらどういうかと思いますと、とめると思いますね。
[それの処理の仕方が少々父親の方に。]
そこがうまくいけばよかったと思います。
[そうすれば葛藤の対象の相手方というのは父親になりますか。]
お父さんだけど、直接お父さんに言えないから間接的にお母さんを回してお父さんに言う、セーブしてくれというあれでしたね。
[先程のセンター記録をご覧になっても診断書の記載は変える必要はございませんね。]
ないですね。
被告代理人
[あなたはお子さんが山へ登りたいと言えばとめるだろうとおっしゃった。とめた場合に、今乙一号証をご覧になりました項目、そういう行為に出られたとして、これは当り前と、通常の親子間の葛藤であるというふうにあなたならばお考えになるんですか。]
私は、山登ること、親からとめられましたけど、ともかく登っちゃいましたから。
[センター記録にいろいろな具体的な事実が書いてあったでしょう?そういうふうに反応を示して、それは当然だと、あなたはお考えになるでしょうか。ご自分の身に引き替えて、お考えになってどうですか。母親を殴るなんてことが始まって、これは通常の親子間の葛藤なりということで、すみますか。誰々を殺すなんて言い始めた、これは山登りをとめたからやむを得ないということになるんですかね。ノーマルな反応であると、こうなりますか。ならないでしょう。]
お母さまのお里が山なしにあったと思います。そこでは、おじさん達は山へ登ると言ったら行ってこいよと言って快く山へ登らせてくれたんですね。それと比較すると登らせてくれない親を歯がゆくお思いになったんじゃないでしょうか。
[それはいいでしょう。今お読みになった一つ一つ項目確かめました、そのような行動に出るのもノーマルな反応であると、けっしてアブノーマルでないということになるんですかという質問です。]
そうでないほうがいいと思いますが。
[正常な範囲内ですか。]
原告代理人
[どういう意味でしょうかね。正常というのは。病的かどうかということをおっしゃっているんでしょうか。]
被告代理人
[はい。]
青年期というのはとてもむすかしいものでしてね。アブノーマルが病気に結び付くならば私は否定しますね。
[アブノーマルであるけれども、病気とまでは言えない。]
病気に直結することはよほど考えてから慎重にします。ほかのいろいろな要因を考えなきゃいけない。病気というんじゃなくて青春期の危機状態というのがあるんですよね。その夜、昼区別のない生活は、ご本人の自由だと思いますが。勉強したり、考えたりすることは本人の自由だろうと思います。
[夜、昼区別のない生活というのは、これはあなたの基準であてはめると。]
試験の時は夜、昼なかったですからね。
[そういう場合もありますよね、人間って。しかし、そうであるか、ないかは別として、そういう生活というのは、あなたの基準に照らせばどれであったんですか。]
受験期ということを除けば異常でしょうけど、受験期でゼミナールに通ってる。ゼミナールに行こうか、山のほうを説得しようかと思っている間には、それを責められるのは酷じゃないでしょうか。
[勉強より説得が先、なんて状態にあっても。]
ええ。
[それは何か精神的な葛藤によって、そんな生活が導かれ、出て来て、やむを得ないというわけ。]
そうですね。
[母親に手を上げる、暴力をふるうなんてのも、これは通常の手庭では考えられないんですけどね。あなたの今挙げられた六つの基準に照らすと、どのあたりに該当するということですか。]
これは家庭内の実情というのがありまして、お父さまに対して直接Yさんが何か言えないようなところがあって、そのお父さんを非難する場合には、お母さんにとめてくれというふうないつも手順になっていたようですから。
ただ、お母さんに手を上げない方がいいと思いますが。
[その程度のものですか。]
お母さんがY君が抗議しようと思うと、お昼、Y君を避けていたという陳述もY君から聞いておりますけど。
[いや、そうなると、殴ってもまだ、ノーマルとは言えないけど、病的な反応ではないと、こういうことになるんですか。]
とにかく家庭内の葛藤状況にあったということで私は説明しているわけです。
[口げんかなり、ふくれてしまうとか、口もきかないということもあるかもしれんけど、殴るなんていうことも、そういう葛藤状況としては当然あり得ること?]
当然あり得るとは思いませんけどね。ないほうがいいとは思いますけど。あることもあるでしょうね。でも親父さんが子供を殴るのがよくて、子供さんが親父さんを殴るのはよくないということもないでしょう。
[同じレベルにお考えになるわけ?父親なり母親が子供に対して体罰を加えるのと子が親に対してするのと、あなたは同じレベルにお考えになるんですか。]
昔はそうじゃございませんでしたけど、最近はそう思っております。
原告代理人
[先生、今の議論は道徳の議論をなさっているんじゃなくて、病気かどうかという医学上のお話だとお聞きしてよろしいんですか。どうもごっちゃになっているようなんですがね。母親を殴るのはいいのか、悪いのか、これは悪いというのにきまってるんです。ただ、そういう状況が起こったY君の状況の中で、そういう行為が起こった、これは病気なんでしょうか、とおうかがいするんです。]
私は病気じゃなくて、葛藤状況という中に含めた、そういうことです。
原告代理人
[先程、被告代理人の質問に対して、破瓜型分裂病であっても早期に治療すれば治ることがあり得るかときかれて、あり得ると思いますと、お答えになりましたが、それは、はっきり破瓜型と診断がつくほどに発達した分裂病でも、実際早期に治ったという例が大分あるんでしょうか。]
短期間に破瓜型とは言えないんじゃないでしょうか。
[言うこと自体が。]
無理だと思います。期間が短かすぎます。
[本件の場合、そういう破瓜型だったけれども、治った例だというふうにお考えになるんでしょうか。]
それは無理でしょう。

心理判定員の証言

1978.10.12
原告補佐人
(略)
[原告Y君の心理テストをなさったことがありますか。]
はい、あります。
(略)
[テストの種類はご記憶でしょうか。]
二つやりました。一つは東大版の多面的人格診断表というんですけど、TPIといっています。それからロールシャツハテストです。
[ごく簡単にTPIの説明を。]
TPIといいますと、たとえば私は気が短いとか、あるいは気が小さいとか、いろいろ項目が三〇〇程度あると思うんですけど、それに、はい、いいえで自分で答えていくわけです。その答えの結果からたとえば分裂病的な傾向があるとか、あるいは抑うつ的な傾があるとかあるいはそう病的な傾向があるとか沢山あるわけですけど、そういうものがどの程度あるかということが出るわけです。
[性格を調べるわけですね。]
はい、そうです。
[それからロールシャツハテストは?]
ロールシャツハテストというのはカードがあるわけなんですけれども、そのカードにインクのしみは人によっていろいろな見方ができるわけです。どういう見方をしたかと、たとえば一枚目のカードですとコウモリとかいろいろ反応があるわけですけれど、どういう反応をしたかということでその人の性格とかあるいはものの見方とかあるいは異常があるかないかとか。
[つまり漠然とした画面を見てそれについてどう見えるかとか、なぜそう見えたかということをきいていくと、それを通じて本人の性格などを診断していく。]
性格もそうですし、分裂病であるかどうかということもわかりますけれど。
[それで甲一号証にある「考え方にやや柔軟性の乏しい点があるやに思われる」という報告をなさったご記憶ありますか。]
はい、あります。
[それでは今の文章の意味するところを説明願いたいと思います。]
要するに、ご本人は一応自分が病気かどうか見てくれというふうなことで来られたわけですから、できるだけ正確に答えたいというのかな、あるいは間違いのない答え方をしたいと、そういう姿勢だったと思うんですよ。そうしますと、答え方が固くなるんですよね。少し。そういうことをいっているわけなんですけれど。
[ご本人が正確に答えようとなさるから固くなるというご趣旨ですか。]
たとえば僕なんかここで緊張していますけど、要するに重要な場面ですから。たとえば自分が病気であるかないかということを調べられるという状況はすごく固くなるわけです。そうするとそれがロールシャツハテストの結果として出てくるということなんですね。
[TPIとロールシャツハテストと両方からそういうふうに思われたというより、ロールシャツハテストの方から。]
TPIのほうでも少しあります。それはやっぱり程度はひどくないんですけど、自分をよく評価するというかそういうふうな形で出ていることは出ています。でもそれは標準得点で七〇点があるわけなんですがそこまで達していないんで、だから特別自分をよく見せようとかしていたというわけじゃないんです。自分の評価がいいほうであるとそういうふうな意味なんですけど。
[ロールシャツハテストというのは性格テストとしてはかなりすぐれたものだとお考えですか。あるいはその特徴といいますか、どういう点にテストとしての特徴があると。]
かなり全体的につかめるというふうなことなんじゃないかと思うんですけどね。その人の人格の全体像みたいなものがわりと出易いと。
[甲一号証で「考え方にやや柔軟性の乏しい点があるやに思われる」のあとに「特に積極的な所見は認められなかった」という点は証人としては何か。]
私もそう書いたんですけれど。
[「積極的な所見」というのはどういう意味ですか。]
つまりロールシャツハテストの中で、作話反応とか、たとえばいろいろ分裂病とか精神病の特徴を表わすといわれている反応があるわけです。そういうものが全然なかったと、TPIのほうでも分裂病尺度というのがあるわけです。あるいは妄想尺度とかいろいろあるわけなんですけれど、TPIのほうでも全然異常がないわけです。たとえば抑うつ的なものもないし、強迫神経症的なものもない。そう病的なものもない。さっき言いましたように分裂病あるいは分裂病的なものもない。それから妄想型の分裂病でもない。そういうふうなことで全然病的なものはなかったと。
[そういう意味で「特に積極的な所見は認められなかった」ということですね。]
はい、そうですね。話を聞いても別におかしいと思いませんでした。

Y氏の叔父の証言

1978.10.12
原告代理人
(略)
[父親とのつき合いを通じて、父親に対してどういうような印象をお持ちでしょうか。]
酒が好きで、酒を飲んでいる時のほうが私と話をしている時間は多かったと思います。途中でコップ酒をやっちゃ帰ってきて、すぐ、お母さんが帰ってくるのを待って、お膳を出して仕度をしております。それから、すぐ酒をはじめますから、酒は好きなほうですね。
[あなたとお会いする時は、ほとんど酒の入った状態で会っておったということですね。]
はい。うちの田舎のほうへ来ても、好きな人だから顔見ればお茶よりも、酒を出すというような、そういうつき合いです。
(略)
[どういう話題が多いですか。]
話題といっても、これという信念の話題というか政治、社会問題とか、今日の新聞を見てなんていう話じゃなくて、私の記憶にあるのは、秋田の酒はうまいとか、そういうような一般的な日常生活上の話でもって、難しい話は全然しませんでした。
(略)
[そういうつき合い、あるいは話題を通じて、あなたは○○さんに対してどういう印象をお持ちになっておりましたか。]
父親としては、私も実は二二才の子供がおりますけど、あまり親が子を思うという思い方がちょっと我々とは違っていましたね。
[どういうふうに。]
会うと必ず酒が入っちゃいますから、酒の上の話だと思いますけれども、満州でいい女があったとか、そんな話は、普通じゃ私共、子供の前ではできないものですよね。だけど、あの人はそれを家庭内でしますからね。子供の前で言うことじゃないということは、いつも思いました。
[あなたは、原告Y氏とのつき合いはあるわけですが、つき合いというか、会って話をしたりすることは。]
そうです。年に二、三回ですけれども田舎から出てくると、結局話をするといえば、親父さんが帰ってくるまでの間は、Yと、Yの下に○○○というのがおりますけれども、Yの方がまあ年令も上ですから、ずっと話もわかるからよくいろんな話をしまして、Yも私の田舎へちょくちょく来て話しましたけどね。
[Y君はあなたに対して、どういうような態度をとっておりましたか。]
まあ、うちの子供も大きくなったからいい子になりましたけれども、同じ年令になってきて初めてYという子はいい子だなと、こういう感じです。
[話をしていて、この子供はわがままだとか、あるいはこんなことを言うのは、おかしいんじゃないかとか、Y、おまえおかしなことを言うなとか、そういうことを言ったことはありませんか。]
そういうことは全然ないですね。
[あなたに対してY君というのはどういうような感じを持っておったというふうに思っておられますか。]
何人もいない甥ですけど、要するに姉が二人ありますんで、その姉にも同じような子供がありますけれども、物事をおじけずに、正々堂々と話すYというのは態度はいいと思います。もう一人、Yのいとこにあたるわけですけれども○○○○というのがいますけれども○○○○という子はやっぱり親の育て方かもしれませんけど、おとなしい、おっとりした子で、性格的にはYのほうが明るくて何でも話のわかった子というふうにとれますね。
[○○さんとあなたのお姉さんとが結婚なさって以来、頻繁にお合いになっておったか、その頻度なんですが、何ヶ月に一回とか、どの程度お会いになっておられましたか。]
年に三、四度、そしてYのお父さんも一年に戦友会があったりしますから、毎年来て田舎へ一遍ぐらい来てました。三回から五回くらいの割合で会ってます。
[それはお父さんともそうですし、Y君ともそうだと、そのくらい会っておったと。]
はい。
[それで、あなたの感じをおききするんですが、あなたのお姉さんと○○さんとの結婚について、現在どういうふうに思っておられますか。]
現在はいいんじゃないですかね。
[何か、結婚された後の結婚生活について、あなた自身として感じるところがあったのではないですか。]
それは結婚当時からずっと子供を大きくするまでの間、私の家庭と比較しますと、酒ばかり飲んでるから、親子の話合いもないし、夫婦というのはつまらん夫婦じゃないかと思いましたけどね。
[夫婦同士の会話もなさそうだったんですか。]
はい。酒だけですからね。今朝、実は今年二度目ですか、寄ってきましたが、昔の、前の○○さんと随分変ってましたけどね。
[よくなっておった?]
はい、よくなってました。
[Y君は昭和四四年一〇月頃、精神病院に精神病に疑いがあるというので入院させられたんですけれども、その事実は、あなたご承知になったのはいつ頃のことですか。]
すぐ、あとのような気がしますけどね。うちの田舎に親がもう亡くなっていますけんど、親からすぐあと聞きました。
[どういうふうにあなたのお父さんは言っておられましたか。]
なんかおかしいとこへはいっちゃったらしいと、不思議だというんで、おかしいとか何とかいって、何だと言ったら、精神病院だという。それから、どういうわけではいったとかと聞いたですけど、そんな馬鹿なことはお父さんの聞き違いじゃないのって。その後、親父を乗っけて来たんですよ、川崎へ。そして、その話、はっきり聞いたわけです。
[誰から聞いたんです?]
姉から一部始終、詳しく聞いたですけどね。
[お姉さん、つまり母親は何と言っておられましたか。]
そんな馬鹿なことはないんだけんど、親父が酒を飲んで、癖が悪いからけんかしたんじゃないかと。なんかその辺におかしいことがあったですけどね。
[お姉さん、母親の説明はどういうことだったでしょうか。]
お父さんが、たしか交番だかへ飛んで行っちゃって、そしておまわりさんが来て、何しろ連れて行っちゃったと、そういう記憶がありますけんど。
[あなたのお父さん、おじいさんになるんですが、この方はその話を聞いた時にどういう感情を持っておられましたか。]
 ○○が馬鹿だからそんなことになったんだと言いました。
[○○さんがですか。]
はい。
[それから、あなたはどういうふうにお思いになりましたか。はいったということについて。]
まあ、けんかにしてもちょっと度が過ぎているけんど、結局、親が酒を飲んで騒いだんじゃないのかなという感じで、別にYに対して悪いというところはなし、ごく普通だと思いましたけどね。実は私の総領も一年浪人いたしまして、そして怒ったことがあるんですよね。
受かる、受かると言ったもんが、どうして受からんのだと、そして私もそんなことで失敗したですけどね。そんなことで親父と子供に溝ができるんですね。私が一遍、自分の息子に言ったことは今でも息子は忘れないですからね。今でもまずいことを言ったなと思っているんですがね。
[息子さんはどういうふうな態度をとられたんですか。]
その時はカッと怒ったんですけどね。
[あなたは浪人としておられる方の受験勉強の仕方というのはある程度ご承知なわけですね。]
はい知ってます。
[Y君が入れられる前、あなたとしてはY君といつ頃会ったというふうな記憶がありますか。入院したのは四四年一〇月なんですがね。]
その時に会って、その次のお正月四五年、正月来ていますね。
[その前はどうですか。]
前は八月か九月、私、大体年に一度位田舎がぶどうの本場でしょう、東京にいる兄弟が四人いるんですよ。それに一年に一度は必ずぶどうを二箱ぐらい持って回って、一日でぐるっと歩きますから。
[その時、会ったと言うんですか。]
たしか、時期とすれば九月じゃないですかね。
[直前になるわけですか。]
そうだと思うんですが。
[その時、お会いした時の印象と、四五年の正月にお会いした時の印象と何か印象に残るようなことはありませんか。行状についてですね。]
勉強してましたからね。正月は私が一晩泊めてもらったんだから、一杯飲んだから飲んでるとYは部屋から出て来なかったですけどね。
飯食って、ずっとはいっちゃって。
[特に印象に残るようなこと、ありませんか。]
親父と仲が悪いなということはよくわかりましたね。親父とほとんど話をしないですからね。その気持が、私三、四年前に自分の子供が浪人した時に、受かる、受かると言ってて、受からんで怒った時に、今話したように、結局親子の断絶というのが出てきましてね。だから○○さんとYの場合は酒飲んだり騒いだり、怒ったりするから、結局、私の一遍や二度の断絶なんてものじゃなくて親子の断絶があったわけですね、仲が悪いという。
[その断絶の責任というのは○○さんにあるというふうにあなたは言いたいわけですか。親父として少し思慮が足りなかったんじゃないかとね。]
酒が過ぎているんですよ、あの親父はね。
[そこで、あなたは○○さんに直接、おききになったことがありますか。Y君が入院したことについて。]
いや○○さんからは直接聞いたことはないですね。いつも姉が仲にはいっていますからね。
[○○さんとの付合いはその後、どういうふうになさいましたか。]
五年くらい前ですかね、○○さんとはちょっとしたことがあって、私は川崎の家へ来なくなったんです。
[何をしたんですか。]
 ○○さんが来ましてね。うちの母さんが殺されてしまうと言うんですね。姉ですが。何とかしてくれと言うんですね。それから、私はそこのところで怒ったんです。姉さんが殺されるといってどうして兄貴がうちへ来るんだと。殺されるといってうちへ来た時にはもうすでに殺されているんじゃないかと。さっさと家へ帰れって。夜の一〇時着ましたからね。それで、兄貴を追い出したんですけどね、それから私は来なくなったんです。だってさ、考えてみらゃ姉が殺される理由がわからない。殺される人を前において誰に殺されるかわからない、わざわざ山の田舎まで来る馬鹿がいますか。それで、私うんと怒ったんです。それから私、○○さんの家へは来なくなって、電話では姉とYとは話し合いましたけどね。
今年、今日寄ったのが五年振りに今日寄ったんです。
[殺されるって、誰に殺されるか、はっきり言わないんですか。]
それがわからん、だから、結局、○○さんにすらゃ、結局酒飲みなんですよね。酒を飲んじゃそういう馬鹿なことを言ってるんですよ。
[四四年一〇月頃、Y君が精神病院に入院したということで、今日まで訴訟が続いているわけですけど、あなたは今、現在Y君が病気だったんだがというふうに感じておられますか。]
いや、病気なんていうことより、今も話したとおり、五年前○○さんがそんなことを言って田舎まで来るんですからね。○○さんの方が病気だと思いましたよね。馬鹿なことをしたなと、その前もですね、そして、はっきりいやな兄貴だな、馬鹿なことをしたなと本当に馬鹿な親父だと、子に対して馬鹿な親父だなと思いまして、それで、私は○○さんと付合いやめちゃったんです。Yはその後、ちょこちょこ来ましたけどね。年に一度くらいは必ず来ましたからね。
[あなたのお子さんとの付合いはどうですか。]
総領とは仲がいいです。

Y氏の父の証言

1975.3.25
原告代理人
[あなたが、川崎市の精神衛生センターを知ったのは、どういうきっかけでか。]
鋼菅病院の小泉先生にきいて知りました。
[小泉先生をあなたは、前から知っていたのか。]
いえ、私の上司の紹介で、です。
[原告のことについて、あなたは小泉先生と相談したのか。]
しました。
[具体的にどのような相談をしたのか。]
一つには、勉強部屋のことで、これは私達が原告に相談することなく大工に一任して作ったところ、俺に相談なく作ったと言って怒り出したこと、もう一つは進学の件で、原告は関西の大学に進みたいといっていたのですが、経済的な事情で私が反対して親子の間でトラブルがあって、それで小泉先生に相談したわけです。
[原告が関西のほうの大学に進学したいということについて、母親の考えはどうだったのか。]
それは、わかりません。
[それで小泉先生に相談して、先生は何といったのか。]
親子けんかで、受験生にそういうことはありがちなことだといわれました。
(略)
[小泉先生から、市の衛生センターにいったらどうか、といわれたのでは。]
いわれました。センターに行けば、いろんな専門の方がいて、いろんなことに相談にのってくれる、それに秘密も厳守してくれるから、ゆけといわれました。
(略)
[それであなたは、センターに行ったのか。]
行きました。
(略)
[それでセンターに行って誰に会ったのか。]
岩田という人に会いました。
[あなたが岩田に会ったというか、岩田を知ったのはその日が最初か。]
そうです。
[それで岩田とあなたは話をしたわけか。]
しました。そばに西という女の方がいましたが、主に岩田と話をしました。
[西さんの資格は。]
当時、知りませんでした。
[岩田の資格は。]
白衣をきてて、いろんなことを聞くので、当時、私は医者だと思っておりました。
(略)
[岩田が医者でないということを、あなたはいつ知ったのか。]
原告が多摩川保養院を退院した後です。
[西はそばにいて、あなたと口はきいたのか。]
口ははさみましたが、ほんのわずかです。
[岩田の証言によると、このとき最初にあなたに接したのは西で、途中、西から岩田にどうしたらよいかという相談があり、それで途中から岩田も相談に加わったといっているが、この点はどうか。]
そんなことはありません。
[それであなたは岩田にどういうことを話したのか。]
先程の小泉先生に話をした二つのこと、即ち、勉強部屋の件と進学の件、その外に趣味、食物といった日常生活のこと、その他原告と母親が話し合っているとこに、私が入ってゆくと原告が話ができないといって怒り出しますので、そういうことも話しました。
[そういうことを岩田は、メモにとっていたのか。]
はい。通常の紙の四分の一ぐらいの大きさの紙にメモをとっていました。
(略)
センター記録を示す。
[これをみると、昭和四四年一〇月四日あなたがセンターに来所とあるが、あなたがでかけたのはこの頃か。]
そうです。
[これをみると、できたばかりの唐紙を破るとか、部屋をクギづけにして一週間ぐらいこもっていると書いてあるが、あなたは、こういうことは岩田に話をしたのか。]
唐紙を破ったこと、及び部屋をクギづけにしたことは事実ですが、一週間部屋にこもっていたということはありませんし、また、そういうことを岩田にいったこともありません。
[あなたの勤務時間は、当時、何時から何時までだったのか。]
朝七時に家を出て、帰りは残業をやって七時半頃帰ってきました。
[とすると、あなたとしては、原告の日常の生活はよくわからない、あるいは知らないわけか。]
そうです。
(略)
[昼、あなたが家にいる時、原告があなたの前に出てこないことについて、不審をいだいた、あるいはおかしいと思ったことはあったか。]
昼は、原告は寝ていることが多かったですが、おかしいとは思いませんでした。
[センター記録をみると、最近部屋にとじこもりっぱなしで、夜昼の区別がない、夜ねむれない、くだらない数字などを書いている云々の記載があるが、この点はどうか。]
くだらない数字を書いているということはありました。でもそれは、数字の勉強だったと思っています。
[そういうことをあなたは、岩田に言ったわけか。]
いいました。
[同じく、乙一号証をみると、発作的に急にあばれるとあるが、そういう事実はあったのか。]
ありました。
(略)
[それは具体的にどういうことだったのか。]
発作的、ではありませんが、勉強部屋のことで、天井が低いとか、押し入れだけが狭いとか、そういうことで、私としても親が作ってやったんだから、黙ってはいってろと怒鳴ったりしたようなこともあり、親子間のトラブルがありました。
[発作的ということを岩田に対していったことはあるのか。]
それはありません。
[同じく乙一号証に、お母さんをひっぱたくとあるが、そういう事実はあったのか。]
ありました。
[ひっぱたくのがあまりにひどいので、一週間ぐらい家をあけたら・・・中略・・・お母さんを殴ったとあるが、母親が一週間ぐらい家をあけたという事実はあるのか。]
はい、鋼菅病院近くの平山さんというところへ行ってたことはありました。
(略)
[一週間も母親がいなくて、あなたは不審に思わなかったのか。]
思いました。がその理由が何だったのか、詳しいことは思い出せません。
[母親が一週間近くいないとき、原告の様子はどうだったか。]
非常におとなしかったです。
(略)
[同じく乙一号証に、来客に対して家に一〇分以上いたら体罰を受けてもよいという誓約書をかかせたりするとあるが、あなたはそういうことを岩田にいったことはあるのか。]
あります。
(略)
[誓約書をかかせるとあるが、誰に書かせるのか。]
母親に、です。
[どういう内容の誓約書を書かせるのか。]
忘れました。
(略)
[同じく乙一号証に、二時頃かみを洗え、お腹がすいた、寿司をとれといった記載があるが、こういうことをあなたは岩田にいったのか。]
いいました。
[事実こういうことはあったのか。]
ありましたが、二時頃かどうか正確なことはわかりません。夜、目を覚した時のことでしたが。
[夜、あなたが目を覚して右のようなことをきいて、何故、かみを洗えといっているのかわかったか。]
そのときはわかりませんでした。後になってわかりました。
[結局どういうことでかみを洗え、といっていたのだったか。]
当時原告はヘルニアで腰を曲げることができず、それで洗ってくれといっていた、ということでした。
[寿司をとれとか、御飯を作れ、ということを岩田にいったことはあるのか。]
御飯のほうは記憶ありません。寿司をとれといっていたのは記憶してます。それは一〇月一日のことです。
[一〇月一日とはどういう日か。]
この日は、私の誕生日で、私の家では誕生日には家族全員寿司をとってお祝いしてました。
[すると、寿司云々というのは、年中行事のことになるわけか。]
そうです。
[それをとりわけ岩田に語ったというのはどういう訳か。]
皆が食べる時に食べればよいものを夜になってとれというので・・・・・。
[するとあなたとしては原告の行動として異常だから言ったわけでなく、夜こういうことがあったということで岩田に語ったわけか。]
そうです。
[当時原告から寿司をとれ等言われて、原告に異常を感じたようなことはあったのか。]
ありませんでした。
[また同じく乙一号証にバットを振りまわしてあばれた、とあるが、あなたが岩田にこういうことを言ったことはあるのか。]
私から言ったことはありません。これは、私が岩田さんに対し原告が母親をたたくと言いましたところ、岩田さんから棒のようなものでたたくこともあるのかと言われ、ありますと答えたところ、こういう答えになったと思います。
(略)
[同じく乙一号証に、この二、三日○○を殺してやるというようになった、とあるが。]
私はそういうことは言ってません。
[あなたは原告と口論することはあったわけか。]
ありました。
[そういうとき、互いに捨てぜりふをいうこともあったわけか。]
死んじまえといったせりふをはいたことはあります。
[同じく乙一号証に、薬局でコントールを買い飲ませたところおとなしくなったようだ、とあるが、あなたがそういう薬を買い飲ませたことはあるのか。]
いつ頃かは忘れましたが、買ってきたことはあります。でも飲ませはしませんでした。
(略)
[これはどういうことで買ってきたのか。]
原告とたびたび口論をやるんで、そういうときは原告も気がたっているもんですから、そういうことを鎮めるため、薬局と相談して買ってきたわけです。
[岩田に対し、その薬がコントールという名前の薬であるということは言ったのか。]
それは言わなかったと思います。
[同じく乙一号証に、タキシロン六錠わたすとあるが、これはどういうことか。]
これは岩田さんから渡されたものでこの日相談を終えて、確か、これを飲むと静かになるからと言われたと思います。
[岩田から、この薬が精神安定剤とか、何々にきく薬だからということを言われたか。]
それは言われなかったと思います。
[あなたのほうから依頼して、薬をくれと言ったようなことは。]
ありません。
[そのもらった薬はどうしたのか。]
家に持って帰ってすてました。
(略)
[あなたは、このとき岩田とどのくらい話をしてたのか。]
三〇分か四〇分ぐらいです。
[最初から最後まで、岩田が主導権をとって話をしてたのか。]
そうです。岩田がこうではないかというふうに何をひかれて、私がそれに答えた形です。
[相談が終って、岩田は診断みたいなことを言ったか。]
いいました。
[岩田は何と言ったのか。]
これは精神分裂症だ、放っておくと大変だからすぐ入院させます、と言いました。
[それはタキシラン六錠をもらう前か、それとも後のことか。]
薬をもらう前です。薬は、私が帰る時もらったのです。
[どういう分裂症と言われたのか。]
分裂症の重症だと言われました。
[あなたは当時、精神分裂とはどういう病気であるか知っていたのか。]
よくわかりませんでしたが、精神病の一種であることはわかっていました。
[岩田に分裂症であると言われてあなたはどう思ったか。]
医者が言うのですから、病気だなと思いました。涙が出て仕方がありませんでした。
[それで岩田はどうしたのか。]
すぐ入院させましょうといって、その場で二、三ケ所病院へ連絡してました。
[あなたのほうで、どこか病院を紹介してくれとでも言ったのか。]
言ってません。
[岩田はそれでどこの病院へ連絡したのか。]
二、三ケ所電話連絡してて、確か三回目のときは栗田病院と言っていたように記憶しています。
[あなたは当時、栗田病院という病院を知っていたのか。]
当時は知りませんでした。現在は知っています。
(略)
[それであなたはどうしたのか。]
どうしたらよいでしょうかと尋ねると、月曜日に栗田病院のほうから車で迎えにゆくから待っているようにと言うので、私は薬だけをもらって帰りました。
[岩田の診断めいた内容の話を、あなたは自宅に帰って誰かに話をしたか。]
帰ってから原告の母親に、センターに行って話をしたら、分裂症ですぐ入院させると言われた、と話しましたところ、すごく怒られました。
[母親はどうして怒ったのか。]
自分に相談することなく私一人でセンターに行った、何故そんなところに行ったと怒られました。
[母親はセンターについて、何か考えを持っていたのか。]
わかりません。ただ小泉先生から、センターに行ったらと勧められたとは私も話をしていましたから、その程度のことは知っていたかもしれません。
[それであなたは、母親から怒られてどうしたのか。]
早速センターに断わりの電話を入れ、母親に怒られたから、月曜日にうちに来ないでくれ、と話しました。
[先方は誰が電話に出たのか。]
岩田だと思います。
[あなたの電話に対して岩田は何と言っていたのか。]
わかりましたと言って電話を切りました。
[入院の件は、それで納まったものとあなたは考えたわけか。]
そうです。
[翌一〇月五日には、あなたの家で家族会議を開いたのか。]
開いていません。ただ、センターに行ったとき、家族会議をもったことがありますかと言われ、そういうものをもったことはないと答えたことはあります。
[これの一〇月六日の欄をみると、一〇月五日に家族会議を開くとのこと、との記載があるが、こういうことを岩田に言ったことはないのか。]
ありません。
[その次に、その間、本人は長野甲府へ馬のサシミをたべに出かけていることあるが、そういうことを岩田に言ったことはあるのか。]
ありません。ただ岩田から、原告は何が好きかと尋ねられ、登山と食べ物では馬刺が好きですと言うと、馬刺はどこで売っているのかと尋ねるので、甲府あたりが本場ときいていますと答えたことはあります。
[現実に原告が甲府に食べに行ったことはあるのか。]
ありません。
[同じく乙一一号証に、母は本人に殴られて顔面をはらしてる云々とあるが、そういうことを、センターあるいは保健所で、あなたはのべたことがあるのか。]
ありません。
[そういう事実は、あったのか。]
顔が張れるほど殴ったりしたようなことはありません。
[一〇月四日に、センターに入院ことわりの電話を入れてのち、センターあるいは保健所の人と会ったのはいつか。]
センターの人とは会っていません。
[今井に会ったことはないか。]
ありません。
[原告が強制的に車で病院につれてゆかれた日、あなたは保健所に行ったのか。]
くらくなってから行きました。
[どういう理由で行ったのか。]
母親と一緒に行ったので、母親から一緒に行こうと言われたからです。それで私は、会社を定時に帰ってきたのですが、それから行きました。
[会社の定時は何時か。]
 午後四時で、それから自宅までは自転車で一五分ぐらいかかります。
[それで保健所に行って誰々がいたか。]
井沢、北浦保健婦、それにもう一人がいたと思います。
[そこでどんな話があったのか。]
いろんな話をして、最後に井沢がそれじゃ入院しましょうという話をしました。
[あなたが、この日母親と一緒に保健所へ行った目的は何だったのか。]
原告が腰を痛む、肩が痛いというので、母親と北浦保健婦の話で、それなら総合病院に入院させたらどうだろう、ということでしたので、私としても、もし岩田のいうとおり分裂であれば総合病院なら医者も多くいることだし、その診察過程でわかるだろうと思い、それなら総合病院に入院させてもよいということで、保健所に行ったのです。
[母親の気持としては、どうだったのか。]
はっきりしませんが、総合病院なら入院させてもよいという考えはあったと思います。
[原告は腰が痛いから入院したいと、言っていたのか。]
そうは言っていません。
[あなたと母親が原告を入院させようとした理由は。]
原告は登山が好きで、よく山に行っていたのですが、当時、東京農大のワンダーフォーゲル部のしごき事件があったものですから、私としては、原告が山に行くということに反対してました。そして私は、けがをしても健保の保健証は使わせないからな、と言っていたのですが、それに対して原告は、もしそんなことがあっても、絶対病院には行かんからなと言ってました。それでそういうことがあまりにも続くものですから、心配して入院させようと思ったのです。
[それは、精神病院に入院させようという気もちだったのか。]
そうではありません。
[当時あなたは、精神病院は、どんなところと認識していたのか。]
全然知りませんでした。
[自由をそくばくされるということは。]
知りませんでした。
[あなたは当時、精神病院へは、入院させたくないと考えていたのか。]
そうです。
[その理由は。]
原告の将来を考えてです。
[あなたとしても、当時、精神病院入りのレッテルをはられることは大変なことと考えていたわけか。]
そうです。
[その気持は、母親も同じか。]
そうです。ただ私達としては親子のトラブルがありましたので、総合病院へ入院させようと考えたわけです。
[親子のトラブルは腰痛及びこれにからむ登山の件で病院に行く、ゆかないの件が原因か。]
いろんなことがあったと思いますが、腰の件も原因の一つと考えていました。
[保健所では井沢、北浦を交えて話をしなさい、一方から、あるいは双方から原告を精神病院に入院させるという話が出たか。]
でません。
[入院させるという話は。]
総合病院へ入れようという話はありました。
[それは腰の病気で総合病院へ入院させようということか。]
そうです。
[入院の話は、どっちから言われたのか。]
話の最後に、入院させたほうがいいですねと言われました。
[それまでに至る話の内容は。]
忘れました。親子間のトラブルのことでしたが。
[原告を入院させるについて、警察に依頼するということについては、どうだったのか。]
井沢課長が入院させたほうがいいねと言って、私がはいと答えると、北浦保健婦がそれじゃ警察に依頼したほうがいいですねというので、私はしばらく間をおいて、はい、と言いました。
[そのとき、母親はなんと言っていたのか。]
母親はそのとき、いませんでした。
[その席では、最後まで精神病院へ入院させる話はでなかったのか。]
でませんでした。
[腰の病気で警察を頼むのいうのは、少しおかしいとは思わなかったか。]
先程話したとおり、ワンゲルのしごき事件にからんで、原告は病院へは絶対ゆかないからということを言っていましたので、警察が説得してくれたら行くんじゃないかということを考えました。
[手錠かけることを予想したことは。]
全然しません。北浦保健婦が警察に依頼すると言ったとき、私に印鑑と毛布を用意しろと言われたのですが、そんなことまでは予想しませんでした。
[井沢は警察に依頼する前に、こういう方法があるというようなことは言っていなかったか。]
言っていませんでした。
(略)
[保健所をでて、あなたはどうしたのか。]
下川と一緒に警察にゆきました。
[警察にいって、あなたは警察官と話をしたのか。]
ちょっとだけ、御苦労さん程度の話はしました。というのは下川が、中に入ると下川は警察の方と一緒に出てきた感じで、むこうは何か待機してた感じでした。
[それで車に戻ったのか。]
はい。そして自宅うらの道路で車から降りました。
[自宅に入ったのは誰々か。]
私が案内し、井沢、下川、北浦、それに警察の私服の方が入りました。
[そして自宅の近くに制服の警察官がいたのか。]
そうです。
[あなた方が玄関に入ったとき、原告の姿がみえたか。]
おくの四畳半でテレビを見てたのですが、途中、ふすまがあったと思います。
[原告はテレビをどんなかっこうで見ていたのか。]
たたみの上にあぐらをかいて見ていました。
[あなた方が部屋に入って、原告は姿勢を改めたか。]
いえ、同じ姿勢でした。
[それで誰か原告に話しかけたわけか。]
井沢課長が、原告の左横に立って、肩が痛むんだなとか、腰が痛いのかとか切り出しました。
[それに対し原告は何と言っていたか。]
もう直ったと言っていました。それについて井沢は原告をはだかにして見てました。
[井沢は実力ではだかにしたのか。]
そうではありません。そして井沢は、これは悪いな、入院したらいいな、ということを言っていました。
[それでどうしたのか。]
そうしたら、原告が立ちあがって歩きだしました。
[井沢が話しかけて、どのぐらいにして原告は立ち上ったのか。]
五分ぐらいしてです。
[その間、原告はすわったままか。]
そうです。その間井沢は立ったままでした。
[原告はテレビ見ているのを妨害されるかっこうになったのか。]
そうです。
[それで原告が歩き出してどうしたのか。]
下川がうしろからだきついて、はがいじめにしました。
(略)
[この図で原告は立ち上ってどっちの方向に行こうとしたのか。]
四畳半の部屋から六畳の部屋の方向へ行こうとしました。多分このとき、原告はトイレに行くつもりだったのだと思います。
[それで下川がはがいじめにして、どうしたのか。]
私服の警察官が前から原告に飛びつき、ちょうどサンドイッチみたいな形で倒れました。
[それですぐ手錠をかけたのか。]
制服の警察官が玄関のところにいたと思いますが、それを私服の人が呼んで手錠を六畳の間で私服がかけました。
(略)
[その間井沢や北浦はどうしてたのか。]
井沢は六畳間にいました。北浦は、私に対しお父さんは見ちゃいけないと言って、私を四畳半の部屋に押し戻しました。
[すると、原告が倒されるところは見ていないのか。]
いえ、公道よりの四畳半と、玄関よりの四畳半の境目あたりで見てました。が北浦に押し戻されたんで倒れる瞬間は見ていません。
[手錠かける瞬間や毛布をかぶせる瞬間は見ているのか。]
見ていません。ただ私服の人が手錠をよこせと言っているのは聞いています。
[そして原告は外につれ出されたのか。]
はい。
(略)
[その車はハイヤーか。]
わかりません。ただその車は、保健所から下川と一緒にのっていった車です。
[自動車のうしろの席には誰々がのったのか。]
原告が真中で、左右に警察官がのり、それに下川ものりました。
[原告は車の中であばれたのか。]
いえ、手錠をゆるめてくれとは言っていましたが他には言っていません。あばれてもおりません。
[勉強のほうが、うまくいっているか云々のやりとりはなかったか。]
ありませんでした。
[多摩川保養院について一見して病院であるということはわかったか。]
わかりません。別にこれといった感じはうけませんでした。また多摩川保養院という名称もわかりませんでした。
[鉄格子は見えなかったのか。]
夜で見えませんでした。
[病院の玄関を入るとき、何人で入ったのか。]
私、下川、原告、警官二名の計五人です。
[それでどうしたのか。]
入って長イスに原告を間にして警官二名がすわり、私と下川は入って左の事務所の入口のところで立っていますと、背の高い白衣の人がやってきて、お父さんですねと言われ、私は上にあがりました。
[その人の名前は。]
この法廷で最初証言にたった背の高い人です。
[指吸という人か。]
そうだと思います。
[指吸と思われる人以外に、同人が玄関に出てくるまでの間、病院の職員らしき人がいたか。]
いません。
[指吸はどこから出てきたのか。]
事務所から出てきたのではなかったかと思います。そしてお父さんですね、そうです、と言うとこっちに来てくださいと言われ、一旦事務室に入り、そこで指吸は机の引き出しから書類を出し、それをもって診察室に入りました。
[その間、下川はどうしていたのか。]
最初いた受付のところへずうっと立っていました。
[それで診察室に入ってどうしたのか。]
書類を示され、これに書き込んでくださいと言われて、書き込みました。
[何の書類か。]
入院の承諾書だと思います。
乙第二号証の一を示す。
(略)
[これらの書類を書いてどうしたのか。]
下川のところへ私は戻りました。
[事務室にあなた方が入って、あなたが下川のところへ戻るまでの時間は、どのぐらいか。]
五分ぐらいだと思います。
[ここの玄関を入るまでに、見えるところに鉄格子はないか。]
確か二階の窓のところにあったと思います。
下にはなかったと思います。
[あなたがここの鉄格子に気付いたのはいつか。]
一週間後、はじめて面会できたときです。これはおかしいな、と思いました。
[一週間後というのは、正確にいつか。]
一〇月一九日です。
[その間、母親は面会にいっていないのか。]
いっていません。
[一週間後にあなたは行って、はじめてここが精神病院と思ったのか。]
そうです。
[それで、原告に会って、様子はどうであったか。]
何を言ってもはい、はいで、まるで馬鹿みたいになっていました。顔色もよくありませんでした。
[何分ぐらい会っていたのか。]
一〇分くらいです。
(略)
[そして指吸はどうしたのか。]
私と一緒に診察室を出て、どこかへ行きました。そして少したって二階から白衣をきた別の人がやってきて原告を二階へつれてゆきました。
(略)
[それであなたはどうしたのか。]
下川と一緒にちょっとイスにすわり、それから帰りました。
[当夜、病院の人とは、先程の指吸ともう一人の者に会ったというが、当夜それ以外の人とは、会っていないのか。]
会っていません。
[下川とちょっとイスにすわったとき、話をしたか。]
原告が二階につれてゆかれた後に、下川から警察に御礼をしたいのだが千円くらい持っていないかと言われました。それに対して私は自転車で通勤してるのでパンク修理代くらいしか持っていませんと答えました。
(略)
[あなたはこれをどういうものと理解して書いたのか。]
たいした考えなく書いたのです。私としては通の病院の同意書と考えて書きました。
[多摩川保養院長殿と宛先になっているが、あなたはこれに書き込むとき、宛先に気付いたか。]
気付きません。
[川崎で有名な精神病院であるということはわからなかったか。]
わかりませんでした。
(略)
[その翌日あなたは保養院にいったのか。]
ゆきました。着換えを持ってゆきました。
[それで本人に会えたのか。]
会えません。
[病院にいって、名称が多摩川保養院とあるのを見たか。]
はっきりしません。
[鉄格子は見たか。]
無我夢中でわかりませんでした。
[一〇月二一日に母親が面会にいったのか。]
そうです。
[その面会のときの様子の報告をうけたのか。]
うけたと思います。
[あなたが、松永医師と最初に口をきいたのはいつか。]
三、四回目にいったときです。
[そのとき松永医師は病名は何と言っていたか。]
そうだなあ、あえて言えば、と三回ほどくり返してついに最後まで病名は言いませんでした。
[原告と面会するとき立会人がいて、言いたいことも言えないようなふんいきか。]
私は聞きたいことは聞きましたが、原告が卒直にものが言えるようなふんいきではありませんでした。
[何度か原告と面会して、そのさい原告からメモをもらったようなことは。]
三、四度面会にいったとき、会ってその際よごれた洗濯物をもって帰ったのですが、その中にメモが入ってました。
[そのメモには何と書いてあったのか。]
どうしてこんなところに入れられなくてはならないのか云々、ということで細いことは忘れました。
[既にそのときには、そこが精神病院であることはわかっていたのか。]
鉄格子、それに面会するときの様子などからわかっていました。
[それであなたはメモを見て面会にいったのか。]
行きました。
[原告が退院するまでの間、あなたは何度ぐらい松永医師に会ってるのか。]
三、四回会っています。
[それで、どんな内容の話をしてるのか。]
病名のこと、大師保健所からきてる書類があるが、それがだいぶ違ってるということ、そんな話がでました。
[病名についてはどうか。]
最後まで、答えてくれませんでした。
[大師保健所からきている書類云々というのは、どういうことか。]
松永医師に病名を尋ねたところ、自分のところは大師保健所からきた書類に基づいて診察してるというので、それは大分違っているのではないかと私が言いましたところ、それを見ずに何を見て診察するんだというようなことを言っていました。そして間違っているんなら文句は保健所に言えと言われ、そのあと怒り出し、今日は面会日でもないのに会わせてやっているんだ、と言うのでそのまま帰りました。
(略)
[松永医師に、原告の退院のことは要望したのか。]
しました。
[それについて松永はどう言っていたか。]
退院させると言っていました。
(略)
[退院するきっかけになったのは何か。]
メモを見て、病院側と交渉したからです。私としては、ここでは原告の腰や肩は診てもらえず、他の病院で診てもらいたいということを病院側に言ったのです。
(略)
[退院する前に、あなたは、松永医師に対し大師保健所からきている書類は間違っていると言ったというが、そのことはあなたにはどうしてわかったのか。]
大師保健所では、一度も精神病院に入院させるなんて言いませんでしたし、また北浦保健婦なんかとの話では総合病院へ入院させるということでしたから、精神病院へ入院させられて話が違うと思いました。
[それであなたのほうとしては、どういうことが書いてあるのか見たかったわけか。]
そうです。
[あなたとしては、大師保健所のそういう書類が精神病院に入院させられる有力な証拠になったと思ったわけか。]
そうです。
(略)
[三月一四日に、あなたは藤崎交番に行ったことがあるか。]
あります。
[どうして行ったのか。]
残業をして七時半頃私は自宅に帰ってくると原告がさかんに、何故俺を入院させたと言って責めるので、私は思い余って交番に相談に行ったのです。そして話をしましたら、酒を飲んでいますねと言われました。
[それはどういうことか。]
原告が無診察で入院させられたと言うと、警察の人は、精神衛生法上そんなことあり得ないと言われ、飲んでいないとき相談にきてくれと言われました。
(略)
原告代理人
(略)
[井沢は、家の中で精神病院にゆくことについて説得したのか。]
しません。家の中では精神病院の話は全然でません。
(略)
被告代理人
[原告が肩が痛い、腰が痛いと言い出したのはいつ頃からか。]
高校に入る頃からです。
[それで、それについて従前医師にみてもらったことはあったのか。]
臨港病院で診てもらったことあると思います。
(略)
[あなたは、原告とあまり話し合う機会がなかったのか。]
ありませんでした。
[すると、原告の様子を知るのは、専ら母親を通じてか。]
それもあります。
[本件の頃、現実に原告は腰を痛がっていたのか。]
母親からそういうことを聞いていました。
(略)
[小泉医師に相談したら、センターを紹介されたということだったが、小泉医師にどういうことを相談したのか。肩及び腰痛のことについてか。それとも親子のトラブルが絶えず、それで相談したのか。]
その双方について相談したのです。
[どっちが主か。]
主は家庭内のトラブルです。
[トラブルとは、どういうトラブルか。]
例えば、原告が唐紙を破り、勉強部屋をクギづけにしたようなことです。
甲第四号証を示す。
[これで原告の勉強部屋というのはどれか。]
右下の三畳です。
[この部屋について唐紙を破ったりというのは、原告はこの部屋に不満をもっていたわけか。]
入口を唐紙から木のドアにしてくれということ、右端の押し入れを殺してここを板敷にして、ここに出入口をつけてくれと原告は言ってました。
[そういうことを、あなたは原告とどういう機会に話し合ったのか。]
ちょっと忘れました。
[それは原告が唐紙を破ったりする前に、やったのか。]
そうです。
[それは、原告が改造がはかどらなくて破ったりしたのか。]
忘れました。多分それは、あったかもしれません。
[すると唐紙を破ったりするのも無理ないということだったのか。]
(答えない。)
[原告が唐紙を破るときを、あなたは見てるのか。]
見ていません。
[部屋をクギづけにしたりして、あなたはたしなめたりはしなかったのか。]
してます。何でしたと怒りました。
[それについて原告は何と言っていたか。]
忘れました。
[大学進学の件について、あなたは関西の大学へは金がかかり過ぎて駄目だと言ったというが、それについてどういうトラブルがあったのか。]
トラブルはあったのですが、どんな内容だったのか忘れました。
[しかし小泉医師に相談した主たる目的が家庭内のゴタゴタであったというのに、そういうことの内容がどうであったかを忘れてしまったというのは、少しおかしくはないか。]
(答えない。)
[原告と母親が話をしているところにあなたが入ると怒るというのは、どの部屋か。]
三畳の勉強部屋です。
[母はその部屋に入れるのに、あなたはその部屋に入れないわけか。]
はい、当時私は原告と意見が対立してまして、私が入ってゆくとすぐカッとなって話になりませんでした。
[それは、原告がカッとなるのか。]
はい、それに、私もカッとなって話になりませんでした。
[そのようなトラブルで小泉医師に相談したわけか。それはそんなに困ることなのか。もっと他に困ってた重大なことがあったのではないのか。]
進学のことなんかもあり、それで相談にいったわけです。
[口論が親子の間で毎日のようにあったのか。]
毎日のようにというわけではありません。時々です。
[口論の中で、不穏当な言葉をはくようなことがあったのか。]
口論ですから、私から原告に対し、この馬鹿野郎という程度のことを言うことはありました。むこうも、その程度のことは私に言ってました。
[殺すぞとかは。]
そんなことは言いません。
[ヘルニアというのは、どこのヘルニアか。]
腰骨だと思います。
[そういうことを医者に相談するならわかるが、他の家庭内のトラブルを医師に相談する気になったのは何故か。原告の様子が少しおかしかったから相談する気になったのではないのか。]
そんなことは、ありません。
[あなたは前から小泉医師を知っていたのか。]
そうではありません。この相談のときはじめて会ったのです。
[小泉医師は精神科か。]
そうだと後に知りました。
[どの科にゆくかというのはあなたの判断か。]
小泉先生は、上司から紹介されたのです。
[その上司には、あなたはどういう形で医師を紹介してくれと言ったのか。]
大学のこと、部屋のこと、腰痛のこと、そんなことで原告が文句ばかり言って困るということ、上司はそれはノイローゼの始まりじゃないかといって、小泉先生を紹介してくれたのです。
[すると、あなたが小泉医師と相談したとき、原告がノイローゼの始まりかという認識はあったわけか。]
そういう考えもありました。
[小泉医師に相談したとき、原告が母親を殴るということは言ったのか。]
忘れました。
[あなたは原告が母親を殴るのを見たことはあるか。]
一回見てます。
(略)
[他に母親から、殴られたと聞いたことは。]
退院してから一度原告が母親を殴ってるのを見たことがあります。俺の一生をメチャクチャにしたといって殴っていました。殴ったのは一発だったと思います。
[それをあなたは黙って見てたのか。]
私はカッとなって何をするんだと言って二人を引き離しました。
[すると、あなたが殴られているのを見たのは二回だけか。]
そうです。
(略)

1975.7.1

被告代理人
[あなたが、あなたのいう家庭内のトラブルについて、鋼菅病院の小泉医師に相談した内容は、あなたが川崎市精神衛生センターで述べられたこととほぼ同様のことを言ったのか。]
全く同様ということではありません。小泉先生には、家庭内のトラブルと進学の件、それに原告の腰痛といったことを話しました。
[原告が母親を殴るとか、発作的に急にあばれるということは小泉に話をしたのか。]
それは言っていません。
[客が一〇分以上いると体罰を加えるとか誓約書を書かせるといったことは。]
それは小泉先生に話しました。
[唐紙を破るとか部屋の出入口をクギづけにするといったことは。]
唐紙を破るということは言いましたが、クギづけにするとは言っていません。
[原告の尊敬している方にきてもらったら早く帰れと言って追い返したり、部屋にとじこもりっぱなしといったことは小泉に話をしたか。]
していません。
[すると、センターで記録されていることより、かなり少なく小泉医師に話をしているわけか。]
センターの記録は大分オーバーしています。
[小泉先生はあなたに対し、何故センターにゆけと言ったのか考えてみたか。]
はい、そこにはいろんな専門家もいるし、秘密も守ってくれるから、そこにいって相談しろと言われました。
[精神障害の疑いがあるから相談にゆけということだったのではないのか。]
よく憶えていません。
[すると紹介の意味もよくわからずに、センターに行ったということか。]
いろんなことに、相談にのってくれるから、行きなさい、ということで、私としては行っていろんなことを聞けばノイローゼかどうかわかると思って行きました。
[あなたはセンターに行って岩田から、原告は分裂症だと言われたというが、それがどういう病気か説明をうけたのか。]
うけていません。
[あなたからは質問はしなかったわけか。]
していません。
[すると何だかわからないまま帰ってきたわけか。]
私としては、医者が言うのだから間違いないと思いました。
[そう言われて、あなたはすぐ入院ということは考えなかったのか。]
考えません。
[精神病とはどういうものと、当時あなたは考えていたのか。]
わかりませんでした。
[するとそれが治療を要するか否か、あるいは入院を要するかということはどうか。]
精神病であれば、治療を要するということはわかります。しかし医者は原告にいっぺんも会っていないし、ですから精神病とすぐわかるものでもないと思いました。
[岩田らには病院で診てもらえと言われたのか。]
言われていません。
[それではセンターでどうしろと言われたのか。]
入院させるべきだとは言われました。
(略)
[昭和四四年一〇月一一日、あなたは、おくさんと大師保健所に行ったのか。]
そうです。
[あなたは前回、保健所に行っていろんな話をして云々とのべているが、それは具体的に言うとどんな話か。]
センターの岩田さんと話したようなことです。
[しかし、岩田と会ってからは一週間たっているが、かくべつつけ加えるようなことはなかったのか。]
ありませんでした。
[井沢証人の証言によると、「このままでは家に帰れない、入院させてくれ」ということを言われたと言っているが。]
私は言った憶えがありません。
[それなら、その日あなたは何故保健所に行ったのか。]
私は前回間違ったことをのべたと思いますが、私は事件のあった一〇月一一日の勤務は九時から五時までで、私は五時過ぎに帰ってきたと思います。すると妻が私を待っていて、大師保健所のほうで原告を総合病院に入院させてくれると言っているがどうしましょうか、と言ってきました。
(略)
[総合病院に入って何を治療すると言うのか。]
腰が痛いからということで、総合病院に入れば入院の過程において、もし分裂病だ、精神病だというのであれば、その過程でわかると思ったからです。
[原告は一方ではヘルニアで腰が曲らず、かみも洗えないといっておきながら、一方では登山をやるのか。]
腰がひどく痛くなったのは七月以降で、そのことも私はよく知らず、後に妻から聞いて、知ったことでした。
[母親に原告がかみを洗えと言ったことも知らなかったわけか。]
後に聞いたのだったかよくわかりません。
[あなた方御夫婦は、前回総合病院になら入院させてもいいと考えていたと言い、一〇月一一日に保健所に行く前にも総合病院に入院させようかということだったというのであれば、この日あなた方はどういうことで保健所に行ったのか。]
妻から聞いたことでは、北浦保健婦から、お父さんと一緒にきてくださいということだったそうです。
[当夜、原告が入院する際、あなたのおくさんはどこで、どのようにしてというか、どの段階で姿を消したのか。]
わかりません。
[大師保健所を出るとき、おくさんはあなたとは別の車にのったのか。]
よくわかりません。私は下川さんと二人で警察に向いましたが。私としては道案内のつもりで車にのりましたから、妻たちは先に行ってるものと思っていました。
(略)
[翌日あなたは病院に面会に行ったのか。]
行きました。
[行ったが動転していて病因名や鉄格子があることも気付かなかったというが、入院するときもあなたは気が動転していたのか。]
入院するとき警察官のやった行為をいろいろ考えると、どうしていいのかわかりませんでした。
原告代理人
[あなたはあなたの上司の紹介で小泉先生のところに相談に行ったというが、あなたの上司にも原告のことを話したわけか。]
そうです。原告の進学のこと、勉強部屋のこと、それに腰の問題などを話しました。
[それは上司に世間話としてしたのか、それともそういう指導があなたの会社でなされているのか。]
世間話として休憩時間に話をしたのです。するとそれからしばらくして係長と職長がやってきて、この車にのれと言って鋼菅病院につれてゆかれました。
[上司はどういう目的で鋼菅病院につれてゆくと言ったのか。]
その理由は聞きませんでしたが、私としてはノイローゼの始まりかなという気もあったものですから、それを聞きたいと思いました。
(略)
[あなたは小泉先生と会うということを、前もってわかっていたのか。]
わかっていません。私は鋼菅病院へ行くと言われただけです。
(略)
[すると小泉先生は、あなたが原告についてノイローゼの始まりじゃないかという不安を持っていたので、そういう不安があるならセンターもあるし、行ってみたらということになったわけか。]
そうです。
(略)
[あなたがセンターに行って、岩田から重度の分裂症と言われたというが、当時あなたは分裂症とはどういうものかわかりませんでした。]
わかりませんでした。ただ普通いうところの気違いですか、それの一種だとは思いました。
(略)
[岩田から重度の分裂症と言われて、あなたはそれを信用したのか。]
医者がいうのだから間違いないと思いましたが、原告の日常の行動と、私がいわゆる気違いとしてとらえているイメージとは一致しませんでしたから疑問にとどまりました。
[あなたの前回の証言で、岩田から分裂症と言われて医者がそういうのだから病気だなと思ったとあるがそうか、病気かなと思ったということではないのか。]
そうです。
[一〇月一一日、あなたは会社から帰る途中に、おくさんに会ったのか。]
会いました。
[そこであなたはおくさんとどんな話をしたのか。]
保健所のほうで総合病院に入院させてくれるというがどうしましょうかと言われました。
[それだけか。]
そうです。
[原告が家でどうしてる、といったことは。]
詳しいことは憶えていません。
[総合病院に入院させてやると言われて、あなたはどう思ったのか。]
入れてもいいだろうと思いました。
[当時原告との間の親子関係がギクシャクしていて、言葉のやりとり等もあったようだが、そういうトラブルは普通どのくらいで解決していたのか。]
しばらくすれば静かになります。
[当日原告が着物を風呂につけるといった、そういう状態でそのままあなたが自宅に帰ったらどうなるか。]
なんでこんなことをするんだと言って怒ったでしょうが、しばらくすれば平静に戻ったのではないかと思います。
[親子けんかをして平静になると原告はどうするのか。]
ぷいと離れて部屋にこもったり、外に出たりしますが、しばらくすれば戻ってきます。
(略)
原告代理人
[事件当日、多摩川保養院につれられて行って、あなたは入院同意書に名前を書いたといったが、あなたに書かせた人が、精神病で入院する場合には保護者の同意がいるんだという説明があったか。]
ありません。ただこれに書いてくれと言われただけです。
(略)
[唐紙を破ったというが、具体的には原告はどういうことから破ったのか。]
当時の唐紙はベニヤ板が中に入っていないやつで、開けようとしても強くやれば破れます。
唐紙を破ったのは私がいないときにやったことで、後に私は何故破ったのだとは言いました。
[部屋のクギづけのことだが、どういうふうに、またどういうことでしたのか。]
私が会社から帰って部屋に入ろうとすると、戸があきません。部屋の出入口は唐紙一枚の戸ですが、私はこの野郎、また入れないようにクギづけにしたなと思い、岩田さんにも、言ったわけです。
[すると、真実にクギづけにしたかどうかはわからないわけか。]
そうです。
[クギづけという状態はどのぐらい続いたのか。]
二、三日だと思います。
[このクギづけにしたという部屋は現在どうなっているのか。]
原告の弟が使っていますが、窓から出入しています。
[するとあいかわらずドアの出入りができないということか。]
そうではありませんが、友達がきたりして、私達親とは顔をあわせにくいこともあるでしょうから。
[岩田に対し、原告が発作的にあばれるということをあなたは言ったのか。]
言っていません。
[これは、あなたが言わないと岩田にはわからないことだから書かないことだと思うが。]
事実は言いましたが、発作的にあばれるということは言っていません。
[岩田の記載は微細にわたっているが、あなたはそういうことを岩田に言ったのか。]
岩田さんから、どんな細いことでもいいから言ってくれと言われて、それで述べたわけです。
[具体的にあなたのほうからクギづけにして云々ということを積極的に述べたわけか。]
そうではなく、むこうの質問に私はただ答えただけです。
原告代理人
(略)
[寿司をとれと言ったというが、そうではなく、既にとってある寿司を食べさせてくれ、すなわち寿司をとれということではなく、寿司をくれと言ったのではないのか。]
そうです。
(略)
被告代理人
(略)
[それから、原告からいろいろ言われた、思いあまって藤崎交番に行ったというが、原告からどういうことを言われたのか。]
俺の一生を台なしにしたということで、その外にもいろいろ言われましたが忘れました。
[何故台なしにしたというのか。]
気違い病院に入れられたということでです。
[あなたとしても大変なことをしたと思っているわけか。]
私としては大変なことをされたと思っています。
(略)
[センターで岩田らと相談したのはどのようなところでやったのか。]
誰もいない大きな部屋で真中に机とイスが二つありました。そして部屋の三分の一か四分の一ぐらいのところにカーテンが引いてありました。
[あなたはまず受付にいったのではないのか。]
忘れました。
裁判官
[あなたは原告についてノイローゼの始まりではないかと思ったというが、それはいつ頃からそう思うようになったのか。]
高校を卒業してからのことですが、詳しいことは憶えていません。
[ノイローゼについて、あなたなりに頭を描くことはあったわけか。]
それはありました。
[ノイローゼが始まったとすると医者の治療を要するという考えはあったのか。]
ありました。
[あなたの描いていたノイローゼだとすると、精神病の医者にかからなくてはならないと思っていたわけか。]
それは考えていませんでした。
[あなたが上司に話をしたというのは相談したということか。]
そうです。
[病院に行く前は小泉先生が精神科の医者であるということはわからなかったというが、センターに行く前にはどうか、わかっていたのか。]
わかっていませんでした。
[一〇月四日センターに行って岩田と話をしたとき、月曜日に栗田病院から迎えに行くから、あるいは栗田病院から医者をゆかせるということとは話にでたか。]
でました。
[栗田精神病院ということが岩田の話にでたのか。]
でました。
[そういうことをあなたは家に帰って、おくさんに話したのか。]
話しました。そうしたら、自分に相談なく勝手にセンターにいってそんなことを聞いてきて、といって怒られました。
[精神病について、あなた方はどう思ったのか。原告がそれにかかってるとその当時思ったのか。]
妻はそういうことはないと言ったのですが、私は医者が言うのだからそういうこともあるのかなと思いました。
(略)
[一〇月二日、あなたが会社からの帰宅途中、おくさんに会ったというのがどこで会ったのか。]
家から少し離れたところの道端です。向うは待っていました。
[何が一体起きたんだという話はなかったのか。]
あったんだと思いますが、詳しいことは忘れました。
[原告がこうこうこうなんだ、だから保健所に相談に行ったんだという説明はなかったのか。]
あったと思いますが、よく憶えていません。
[それであなたはどうしたのか。]
自転車を置きに家に帰りました。
[家の中を見たのか。]
はい、六畳間が散らかってるということだったのですが散らかっていませんでした。原告はテレビを見ていましたので、何をしたんだと言いました。
[原告との間に口論があったのか。]
あったような気もします。
[それからどうしたのか。]
それから家を出て、妻と一緒に保健所に行きました。
[保健所で井沢課長から、月曜まで待てないか、月曜まで様子をみませんか、と言われていないか。]
私はそういうことは聞いていません。
(略)
[精神病院に入れてみて、もし結果的に違っていたら大変なことになるから、いきなり精神病院に入れることは避けたい、ひとまず総合病院に入れてみようという話は。]
ありませんでした。
[総合病院に入れるという意味あいは、もしノイローゼの始まりというのであれば、精神科の専門の医師のいるところとは考えなかったのか。]
私はそこまでは考えていませんでした。
[あなたとしては、当面どのような治療を必要と考えていたのか。]
腰を二、三度打ったそうで、九月に入ってから腰が痛いということを言っていましたから、そういうほうの治療を考えていました。
[一〇月二日の段階で、あなた方としてはどういう動機から総合病院に入れたいと考えたのか。]
井沢や北浦保健婦が総合病院に入れてくれるというし、それに原告も腰が痛いということを言っていたからです。
(略)
[家に帰って、おくさんには入院の一応の経過は伝えたわけか。]
はい、警察官がきて、手錠をかけてつれていったと言うとびっくりしてました。
[あなたのおくさんが一週間ぐらい家をあけたとき、家事なんかは誰がやっていたのか。]
ほとんど私です。
(略)
[とにかくあなたとしては、あなたのおくさんが原告との間のトラブルで家を出ているというふうに理解してたわけか。]
そうです。
[事実そのとおりのことがあったわけか。]
家を出たといってもまるっきり出たわけではなし、時々用事をしに戻ってきてました。
(略)
[するとおくさんが一週間も家をあけたことをどのように考えていたのか。]
困ったことになった思いました。後に妻からもいろいろ聞きましたが、関西の大学に行くということや、部屋の問題で原告にいろいろ問いつめられて、とりあえず、姿をかくしたと聞いたと思います。
(略)
原告代理人
[一〇月二日にあなたは家に自転車を置きに行って、その際原告と口論したというが、具体的にどんな口論か。]
忘れました。
[それでは、そこで原告と口論したときどのような感じだったか。]
またこんなことをしやがったな、というぐらいにしか感じませんでした。
[あなたはそのときどこから原告に話しかけたのか。]
家に帰って、ちょっと風呂場を見て、それから玄関へ入って勝手口のところから、こんなことしやがってと言いました。距離にすれば三、四メートルのところからです。
[そのとき原告は何をしていたのか。]
おくの四畳半でテレビを見てました。
(略)
[口論してる間、原告に特にかわった様子は。]
それはありませんでした。
(略)
[それであなたはすぐ家を出たわけか。]
そうです。
[家を出るとき、大変なことをしでかしてくれて、という気持か。]
何と表現していいかよくわかりませんが、こんなことをしやがってという気持でした。
[総合病院に入れたいと思った直接の動機は原告の腰が痛いことだったと言うが、それはあなたにはわからなかったわけか。]
そうです。ただ一般的には痛いと言っていたのは前にも聞いたことはありました。
[むこうが入院させてやると言っていたこと以外の入院の動機はあるのか。]
ありません。
[入院させるということについては、どちらが主導権を持っていたのか。]
妻ははっきりこうだとは言いませんでしたが、私は総合病院なら入院させると言いました。
[保健所が総合病院に入院させてやると言ってるとは、あなたはおくさんから聞いているわけか。]
聞いています。

Y氏の母の証言

1975.7.1
原告代理人
[あなたの御主人が鋼菅病院の小泉先生のところへ行ったということを御主人から話されたことはあるか。]
私と主人と二人で小泉先生のところへ行ったことがあります。
(略)
[それで小泉先生には、どういう目的で話をしたのか。]
話をしたと言うより、上司が手配をしてくれたので、どういう目的でそこに行ったのかわかりません。
[具体的にどういう話をしたのか。]
私から見た本人、主人から見た本人について話をしました。
[それについて小泉先生はどう答えていたか。]
受験生にはありがちなことで心配ないと言われました。
[川崎市精神衛生相談センターに行けと小泉先生に言われたのか。]
私は記憶ありません。そこに行けと言われたという記憶はありませんが、センターの説明はうけました。
[どういう説明をうけたのか。]
秘密を厳守してくれるといった説明です。
[そこでセンターに相談に行こうかと話をしたことは。]
ありません。
[あなたの御主人はセンターに相談に行ったわけだが、そのことについてあなたに相談があったか。]
ありませんでした。
[これから乙一号証の記載内容について聞くが、まず原告が唐紙を破ったことはあったのか。]
破けていたということはありますが、当時の唐紙はベニヤ板の入っていないペナペナのでしたから、原告が故意に破ったということではないと思います。
[それは原告が勉強部屋について不満を言っているときに、故意ではなく破けたということか。]
そうです。
[部屋の出入口をクギづけにしたということは。]
原告の部屋の入口は唐紙半枚の戸ですが、原告が干渉されたくないと言って、あけないようにしたことはあります。
[現実、出入りできないようにクギをうったことはあるのか。]
あります。
(略)
[昼は寝て、夜は起きるといったことはあったのか。]
あります。受験生ですから、私としては格別変とは思いませんでした。また、他の受験生で、右と同様のやり方をしているということも見聞きしてました。
[同じく乙一号証をみると、発作的に急に暴れるとあるが、こういうことはあったのか。]
ありません。
[発作的ではないにしろ、原告が暴れるということはあったのか。]
ありませんでした。
[同じく乙一号証に、あなたをたたくとか殴ったという記載があるが、この点はどうか。]
たたかれたという記憶はありません。
[今まであなたは、原告にたたかれたということは。]
いつ頃かよくわかりませんが、この事件になる前に一回あります。
[本件になって、あなたは一週間ぐらい家をあけたことがあるか。]
あります。
[どうしてあなたは家をあけたのか。]
原告は関西のほうの大学に行かせてくれといっていたのですが、それを事前にやめさせたりして、原告と顔を合わせるのが辛く、それで四日程家をあけたのです。
[家をあけることは、家族には話をしたのか。]
はい、本人には顔を合わせたくないからと言いました。皆承諾してくれたと思います。また、家をあけたと言いましても、昼、本人がいないときは家に戻って用事をしたりしてました。
[そういう家に戻って用事をしてるようなとき、原告と会い、同人から、外で遊んでいるんだろうと非難されたことは。]
どこに行っているんだと言われたことがあり、知人のところに行っていると言ったことがありました。
(略)
[原告のあなたに対する責め方は相当厳しかったのか。]
進学についての結論がなかなかでず、彼にしてみれば早く結論をだして欲しかったと思います。また、私としても原告と少し離れて考えてみたいと思うこともありました。また、受験生活をしげきしたくないという考えもありました。
[体罰をうけてもよいという誓約書を書かせたりするということが乙一号証にあるが、この点はどうか。]
ありました。
[これは具体的にどういうことか。]
原告は私と話をしたいという希望をもっていまして、たまたま、私の友人が来宅したりして長話になるようなこともありました。私らが長話をすると原告の勉強のじゃまになるということは、わかっているのですが、つい、そうなることもありました。そういう長話になることが何度かあり、原告から、できたら僕と話をして欲しいということは言われてました。
[ということは、誓約書の件はあなたと話をしたいからということか。]
そうです。
[乙一号証に記載のある、一〇月三日に原告からかみを洗えと言われたことがあるか。]
あります。原告が腰を痛めて、腰が曲らないので自分で洗うことができず、かみを洗うのを手伝ってくれと言われ、手伝ったことはあります。
[それは、何時頃か。]
勉強してたのですから、一二時半頃だと思います。
[あなたは寝てたのか。]
いえ、まだ起きてました。
[その以前にも原告にかみを洗ってくれと言われたことはあるのか。]
ありません。洗ってくれと言われたのは、その一回だけです。
[洗う洗わないでイザコザのあったことは。]
ありません。
[同じ頃、やはり夜中に原告から、お腹がすいた、寿司をくれと言ったことは。]
それは、一〇月一日のことだったと思いますが、その日は主人の誕生日で、誕生日には我家では、いつも寿司をとってお祝いすることにしてるのですが、当日もいつものように寿司をとったと思います。が、本人が休んでいたので、私達は先に食べ、夜になってから、原告は自分の分をくれと言ったのだと思います。
(略)
[原告はバットをふりまわして、暴れるようなことがあるか。]
ありません。
[あなたのお宅にバットはあるのか。]
あります。
[何の為にバットを置いてあるのか。]
体調を整える為、外でふっていたことはあります。
[乙一号証には、このほか「○○を殺してやるというようになった」とあるが、あなたはその頃家族の人に右のようなことを語ったことがあるか。]
私が家族に言ったことはありませんし、また原告がそういうことを言っているのを聞いた、ということもありません。
(略)
[原告が父親と口論して、原告が大声をだすことはあったのか。]
ありました。父親は短気ですぐ怒り出すものですから、それにつれて原告も大きな声をだすことはありました。
[例えば、父親はどういうことですぐ怒りだすのか。]
父親は人のいうことを聞かず、すぐ怒り出すものですから、例えば、関西の大学に進学したいと言っていることに対して、父親は、我家の経済的な事情からですが、東京、横浜の大学に行け一点張りで、関西の大学に行くのは駄目だと頭ごなしに言うものですから、そういうことでです。
[原告に、精神安定剤をのませたことがあるか。]
ありません。
[原告にのませようとして、そういう薬を買ったことがあるか。]
原告にのませようとして買ったことはありませんが、主人は酒をのむとものすごく大きい声でしゃべるものですから、早く寝かせようとして、のんだら寝るのではないか、と思って買ったことはあります。
(略)
[御主人がセンターに相談に行き、帰ってきて、あなたに対しては、どのような説明があったのか。]
分裂病の重症と言われた、月曜日には病院から迎えにくるというので、私はびっくりして、主人にセンターでどのようなことを話したのかと言うと、たいしたことは言ってないということでした。
[それであなたはどうしたのか。]
主人の顔は青ざめていましたが、私は一方の言い分をきいて、本人を全く診ずに病気づけるというか、病気にしてしまうということはあり得ないと思うから、入院の話はことわってきてくれと主人に言いました。
[あなたは原告について、分裂病の症状があると思ったのか。]
私は全然思いませんでした。
[あなたとしては、原告との間のトラブルの原因は、何だと考えていたのか。]
腹をわって話をしたり、聞いたりしないからで、腹をわって話をすれば親子けんかですから、わかるのではないかと思っていました。
[原告と父親の間では、どのようなトラブルがあったのか。]
勉強部屋について、親が作ってやったんだから黙って入っていろ、と言って、そんなことからあまり口をきかない、というようなこともありました。
(略)
[原告がイライラしてる、ということは。]
イライラかどうかわかりませんが、そういう困ったという表情を見ることはありました。
[それがトラブルの起きる原因と考えることは。]
ありました。
[するとトラブルの原因について、あなたなりの理解はしていたわけか。]
そうです。
[御主人がセンターから帰ってきた日の翌日、あなたのお宅で家族会議を開いたことがあるか。]
ありません。
[その日原告が、甲府のほうに馬刺を買いに出かけたことは。]
いえ、家にいました。
(略)
[昭和四四年一〇月八日に、今井があなたの家を訪ねてきたことがあるか。]
あります。
[今井との間には、どんな話があったのか。]
大師保健所の今井という者です、という紹介がまずあり、私はもう入院については断わりの電話をしましたがと言うと、ちょっと、と言って玄関にすわり、センターの岩田さんから連絡がありましたが、分裂病の重症とのことなので本人に会わしてください、と言われました。
[あなたは今井に対し、何を根拠にと尋ねたか。]
尋ねたと思います。しかし今井さんは分裂病らしい、隠しているのは本人の為によくないことだから、お母さん、ぜひ会わせてくれ、と言われました。
[それに対し、あなたはどう答えたのか。]
私は、腰のことならわかるが、あなたのおっしゃるようなことは心配ないから、と言って断わりました。
[当日、原告は家にいたのか。]
いました。
[今井がいるとき、本人が出てきたか。]
便所に出てきました。
[あなたの家に、今井は何分ぐらい、いたのか。]
三、四〇分ぐらいです。
[それで今井は帰ったわけか。]
はい、今井さんに再度来てもらう必要はありませんからと言うと、これは仕事だからまた来ますと言って帰られました。何だか暇にまかせてきているようで、監視をうけているみたいで、実に不愉快でした。
[一〇月一一日に、あなたは大師保健所に行ったのか。]
そうです。
[何故、行ったのか。]
原告と御飯のことでイザコザを起し、こんな言いあいをしているときに、今井さんにまた訪問されたりすると精神病と断定されるのではないかと思い、それを心配して保健所に断わりに行ったのです。
[御飯に関するイザコザとは、どのようなことだったのか。]
当日は寒い日でした。それで私は冷い御飯を食べさせるより、あたたかい御飯を食べさせてやろうと思って御飯を火にかけていると、原告がやってきて、私に何を練っているんだと言いますので、練っているんじゃない、かきまぜているんだという口論がありました。
私もねそうだねとうけ流せばよかったのですが、あくまで、かきまぜているんだと主張したため、口論となって、原告が私からしゃもじをとりあげ、私の手をたたいたので、私も勝手にしろ、と言って表にとび出したのです。
(略)
[今井にそういうとこを見られたら困ると思ったのか。]
私はそれで、前の家に行っていると保健所から電話があったと言って、原告が連絡してきました。私は、それを放っておいたのですが、原告から再度連絡があり、強い調子で早くかえってこいと言われたので、もしこんなときに今井さんにこられたら困ると思いました。
私は、毎日頭の中で今井さんが来るのでは、と考えていましたのでいざこざを起こしているときに来られたら、どうしようと思い、断わりに行ったのです。
[それで、保健所に行って誰に会ったのか。]
今井さんはいなかったので、保健婦さんに今井さんのことを話して断わり、ついでに、原告が腰が痛くて困ってんですよ、ということを話しました。
[その保健婦に、実は、ノイローゼのことで、と相談したことはあるか。]
ありません。
[保健所で「乱暴するときも一〇秒以内に答えないと叩くと前置きして叩く」と言ったことがあるか。]
ありません。ただ早く答えてくれ、と言われてたことはあります。
[舌切り雀の話をすると、可哀想だね云々、という話は保健所でしたか。]
していません。
[本人が腰の痛みでイライラしてるんだと言ったことは。]
少しそれでイライラしてると言ったことはあります。七月の下旬から九月にかけて、腰の痛みが四回くらいあり、寝てる間に痛くなったり、洗面をしているときに痛くなったりしたことがありました。私は、それが心配で、ギックリ腰以上で椎間板ヘルニアになったりしたら困ると言ったことはありました。
[その前に、親子でけんかぱかりしてる、と言ったことは。]
あります。部屋の件とか、親子の話し合いできない、と言ったことはあります。
[それに対し、保健所の人はどう言っていたか。]
受験生を待っている親は大変ですね。それなら、お父さんと相談して、今日中に一緒にきてくださいね、と言われました。
[あなたは一刻も早く治療してみたいんだと、と言ったのか。]
整形の病院で診てもらいたいんだ、とは言いました。
[腰が痛いと受験勉強のほうもできないと思うが、そういうことは言ったのか。]
早く診てもらいたい、ということは言いました。
[今日中に来てくれ、と言われたというが、それはどういう意味か。]
私には、わかりません。とにかくそう言われたのです。
[保健所は、どうしてくれる、何をするところといったのか。]
保健所は市民の健康相談をするところだから、病院を世話してくれるんだな、また、原告は腰が痛いのに、なかなか病院にいきたがらないから、保健所が病院に行くことを説得してくれるんだな、と思いました。
[あなた方は原告に対し、何度か、腰痛なら病院に行けと言っていたのか。]
言ってはいましたが、たいしたことはないと言ってなかなか行こうとしませんでした。また、主人とけんかして、俺の保健証は使わせんからな、と主人が言ったところ、原告も意地になって、絶対に病院なんかには行かんから、ということを言っていたこともありました。また、腰が痛いといっても、四、五日すると痛みがうすらぐので、治ったような気になって、病院に行かなかった、ということもあると思います。
[それで、あなたは、保健所からその日家に帰ったわけか。]
はい、家に帰り、おつかいをすませ、主人が会社から帰る一時間前ぐらいに、会社の事務所に電話を入れて、途中で待ってるから早く帰ってきてほしい、という旨の伝言を主人にしてくれるよう頼みました。
[その間、原告は家の中にいたわけか。]
そうだと思います。私は、家の中に入っていないのでよくわかりませんが。でも顔は合わせています。
[その顔を合わせたとき、原告とやりとりをしたことはあるか。]
顔を合わせたとき、原告が私に、お前の着物を風呂の中に入れておいたからな、と言いますので、風呂場をのぞいてみると、事実その通りなのでカッとなり、畜生まさかこんなことをするとはと思い、外に飛び出しました。
[まさか、こんなことと言うが、そのことについて、何か思い当ることはあったのか。]
ありました。前から原告から着物を買ってほしいと言われていたのですが、なかなか買ってやれませんでした。その理由として、私は受験の費用もかかるし、母さんだって着るものは持っていないんだからねと言って、相手にしないでいたのですが、それに対し原告は母さん、持ってるじゃないか、持ってないと言うんなら、母さんどうなってもいいね、と言いますので、いい、と答えていたわけです。
そうしたら、私の着物が風呂につけてあったのです。
[右の、どうなってもいいね云々のやりとりは、いつあったのか。]
その前日です。
[原告は、そんなに着物を買ってくれ、と言っていたのか。]
はい、高校を卒業して学生服は着ませんし、適当な着るものがなく、買うのが日延べになっていました。
[それで、あなたはどうしたのか。]
主人の会社に電話を入れて、先程私がのべた趣旨の伝言を頼み、主人の帰り道はわかっていましたから、途中で待っていました。
[それで、御主人に会って、その日の出来事を主人に話したわけか。]
そうです。

1975.12.16

原告代理人
[保健所から帰ってお父さんと相談したわけですね。]
そうです。
[それで、もう一度保健所に行こうというふうに決めたわけですか。]
そうです。
[その間に、保健所のほうに行きますという連絡をしたことがありますか。]
ありません。
[保健所の記録では、四時二〇分頃にあなたが保健所に連絡をしているという記載があるんですが。]
しておりません。
[保健所に行くということは午前中行ったときに、確定的に約束してきたことなんですか。]
そうです。
(略)
[お父さんが会社から帰ってきて、あなたといつも一緒におりました。]
ちょっと家に帰って、自転車置きに行ったあいだは、あいております。
[それ以外は一緒にいた。]
はい。
(略)
[保健所に行って誰と話をしましたか。]
保健婦です。
(略)
[どういう話をしたか覚えておりますか。]
整形外科に治療に行きたいということなんです。
[で、なんとか保健所に手を貸してくれという話ですか。]
その前に保健婦から、もしそういうことだったら再度保健所へいらっしゃいということですから。
[その際に精神病院に入れようとかいう話は出ました。]
出ません。
[精神病院という名前が会話の中で出たことはありますか。]
ありません。
[何分ぐらい話し合いましたか。]
そんなに話しておりませんから、二〇分なんて話しておりません。
[話の内容は。]
私は整形外科へ入院さしたいということでお話を進めました。
[どういう手続で入院させようか、どこに入院させようかとか、そういう話をしたわけですか。]
いえ、それは、全部保健所がしてくれたんで私にはわからないんです。
[すると二〇分間、どういう手続について話し合いがされたんですか。]
保健婦から井沢医師を紹介されました。
[入院については、確定的に話がついてあとは先生が紹介されたと。]
はい。
[合計、保健所で、井沢医師を含めて話をされたのが二〇分間ということですか。]
そうです。そのくらいだと思います。
[井沢医師から警察に連れて行くという話が出たことありますか。]
あります。
[それは、どういう話の中で警察云々ということが出てきたんですか。]
今日は土曜日だから月曜日まで警察へ留めたらどうだと、私は警察ですかと言ったら、あちらには医者もいるし安心だから、警察へ留めたらどうかと言われたもので。
[その話があなたなり、お父さんなりとのどういう会話のやりとりの中で出てきたんですか。]
お父さんとの会話でなしに、むしろ保健婦から井沢医師が聞いていたというような感じで、私にはその点、わからないんです。
[井沢先生と何か、あなたなり、お父さんなりが話を進めていたんですか。応待していたんですか。]
井沢医師とは会話らしい会話しておりません。
[突然、井沢医師が警察云々といって話をし出したわけですか。]
はい、そうです。
[それまでは、保健婦と話をしていた。]
はい、そうです。
[警察へ留めたらどうかという話を聞かされて、あなたはどう思いましたか。]
不思議に思いました。
[何を言っているのか、わからなかったですか。]
はい。
[で、その話は、どういう結論になったんですか。]
警察へ留めなければ、それじゃ病院へ入院させるんですかということでしたから、その通りですと言ったんです。
[井沢医師が、あなた達と話をしたのは警察云々の話だけですか。]
はい。
[突然、口をはさんできたわけですね。]
はい、そうです。
(略)
[すると二回目に保健所に行って、おこなわれた話し合いというのは、あまり記憶にない。多少の事項を保健婦との間で話し合ったということだけですか。]
はい、そうです。
[警察に依頼して原告を、どこかの病院に連れていこうという話は聞いておりました。]
聞いておりません。
(略)
[原告は、それまで腰のことで入院するという話に強く反対していたんですか。]
はい、反対ということはないですけれども、なかなか行きたがらなかったものです。
[あなたの説得では応じないようなふんいきだったんですか。]
はい、そうです。
[何回か、行きなさいという話をしたことあります。]
あります。
[整形の病院に入院させることについて、ほかに何かプランといいますか、予定といいますか、そういうものをその当時持っておりましたか。]
はい。
[どういう内容のプランを持っておりました。]
知合いの刑事が、二、三日したら、事件がおわったら休暇をとって、慶応の整形外科へ連れて行ってやると言っていたものですから、その日のくるのを待っていたんです。
[休暇をとってと言うと、その前一週間ぐらいの話ですか。]
一〇月に入ってからなんです。
[あなたはその刑事さんに、本人を説得してもらおうと思っていたわけですか。]
私が言うより、知合いの刑事が言ったら、多分診察してもらいに行くんじゃないかなとは思っておりました。
[その当時、原告とあなたが話し合いをするとよくけんかになってしまうんですか。]
それほどでもないですけど。
[あまりうまく話が通じないときが多かったわけ。]
はい、そうです。
[それは前に証言した大学の進学の問題とかいうのが残っているというか、そういう感情的なしこりがあったからですか。]
多分にあります。
[当日保健所に、整形の病院に入院させてもらうという依頼というか、お願いしたのも、あなたがやるよりか保健所にやってもらうと、うまくいくというふうに考えて、そういう行動をとったわけですか。]
いえ、違います。知合いの刑事がわざわざ休暇をとってきてくれるのは気の毒だし、保健所がそうしてくれるならば、そのほうがいいなと思ったんです。
[自宅の近くで車から降りて、その後、あなた、どういう行動をしておりました。]
私はボーとして、どうしていいか、わからなかったんです。
[というのは、何を。]
ここで顔を出したらいけないんじゃないかなという気持が十分ありましたし、保健所信用しておりましたから、時間のくるのを待つよりほかしょうがないと思っておりました。
[あなたとすれば、本人を整形の病院に入院させるという一つのことが終って、肩の荷がおりたような感じだったわけ。]
整形で診てもらって、なんでもないというと本人ともども私も安心するから、次の受験に対してという気持が十分ありましたから。
[その晩、お父さんから入院のいきさつについて話を聞かされました。]
ありません。
[全然、話がなかったですか。]
帰ってきたときに毛布を持ってまいりましたから、私は毛布のことは全然わからなかったもので、どうして毛布を持ってきたんだといったら、手錠かけられたんだよと言われまして。
[そのほかのことは詳しくは聞かされなかったのですか。]
主人もショックのようで私と語ろうとしなかったんです。疲れたといって。
[どういう病院に入院したという点は聞きましたか。]
いいえ。
[お父さんがあまり詳しく話をしないで、あなたはどういう感じを抱きましたか。]
手錠がショックで語らなかったのかな、私も聞きださなかったんです。
[何かおかしいなという感情は抱きませんでした。]
抱きました。
[入院した翌日病院に行ったわけですね。]
はい。
[どういう目的で。]
洗面道具、着替えを届けにいきました。
[そのほか、どういう病院に入院したんだろうという疑問点を解こうという気持はなかったんですか。]
あくまで保健所信用しておりましたから。
[ただ、お父さんが、あまり入院の経過を語らなかったときにおかしいなと思った。]
無理して連れていかれたから手錠かけたのかなという疑問は、うんと残ったんですけど、その程度でした。
[病院のふんいきは、普通の病院と同じ感じがする病院なんですか。]
はい、そうです。
[建物とか、窓とか、応待なんかで異常な点は感じませんでした。]
はい、建物とか玄関入ったところの感じでは普通の病院と、何等変っておりません。
[その日、本人と面会できたんですか。]
できません。
[できないと病院の方に言われたわけ。]
はい、着替えを持っていきましたら二階から五〇がらみの白衣を着た、一見医師らしい方が見えまして、洗面道具預かりますと言うから病室へ案内してくださいと言ったら、今日は面会できないです、面会は一週間後でないとできませんから、一週間後にきてくれということで、とりつくしまもなく二階へ上ってしまったんです。
[何故ですかと質問するチャンスもなかったんですか。]
はい、そうです。
[その出てきた人以外に病院の関係者というのはいなかったんですか。]
おりません。
[一〇月一五日に大師の保健所のほうに本人の病状なり、現状なりを電話で知らせたことはありますか。]
ありません。
[保健所の記録では、あなたが、入院さしてどうもありがとうという電話を入れていると記載されているんですけれども。]
ありません。と申しますのは、本人とも会っておりませんし、病院は洗面道具を持っていっただけですから、内容は何にもわかっておりませんから。
[実際本人と初めて会ったのはいつですか。]
二一日です。
[それ以前には本人が、どういう状態ですという電話を入れるはずがないわけですか。]
はい。
[二一日に本人と会ったときの様子は、どんなでした。]
本当に別人のようになっておりました。
[それを見て、あなたは、どういう気持を抱きました。]
本当にショックでした。
[それで、病院なり、医師なりに、何か理由をただしに行ったやんですか。]
面会行ったときに、立合人で白衣を着た御方が、そばに付いているんです。どうしたんですかとただしまして、ここはどういう病院なんですかと聞きました。
[そしたら何と答えたんですか。]
もう少し時間が経てば、大丈夫ですよと言って、引揚げられてしまったんです。
[何か本人の主治医に病状を聞かしてくれと申込みをしませんでしたか。]
その方が医師だと思っておりましたから。
[それ以上、あまり詳しく話してくれないんだと思ったわけですか。]
はい、そうです。
[本人の口から何か、どういう場所に置かれているとか、どういう現状なんだということは、二一日の日、語られましたか。]
いいえ、二一日は話しかけても答えが返ってこないというような状態で、声を出すのも苦痛だ、喉が渇いてしょうがないという、そのくらいで、ほんとに何にもそういったことは、もうろうとしていたみたいでした。ですからそういったようなことは、まだ聞いておりません。
[あなたは非常に不安になったわけですね。]
はい、そうです。
[その次に本人に面会したのは、いつですか。]
一日おいて二三日です。
[そのとき、本人の様子はどうでした。]
二一日に会ったときと変らない、いくらか意識がはっきりしているんじゃないかなという程度でした。
[そういう様子を見て、おかしいなと、また思いましたか。]
はい、思いました。
[当日は本人の主治医に会っておりますか。]
おります。
[どういう内容のことを聞かされましたか。]
整形外科へお願いしたんですけれども、あまり本人が変っているので、これはどうしたことなのですか。
[御質問したわけですか。]
はい。
[先生の名前は。]
松永医師です。
[何と答えておりました。]
ここは腰の治療なぞする所じゃない。
[二三日に行ったわけですか。]
二三日は本人があまりに変っているんで、何でこんなふうになったんですか、教えてください。治療はどんなふうなことですかということを言ったけれども、先生はあまり語りませんでした。
[具体的には何もしゃべってくれなかったの。]
はい、そうです。
[追い返されちゃったような形になったわけですか。]
そうなんです。
[非常におかしいという感情を抱きましたか。]
はい、そうです。
[当日、本人からメモを渡されませんでしたか。]
はい、直接ではないですけれども、洗濯物の中に入っておりました。家へ帰って見ましたら。
[そのメモによると、どういう要望なり訴えをあなたにしてますか。]
ここは精神病院である、早く退院したいということでした。
[そのメモを見て、どういう感じを抱きました。]
ほんとに言葉にあらわせないほどの驚きでした。
[今までおかしいなと思っていたことが、いっぺんにわかったという。]
はい、そうなんです。
[何をしようと思いましたか。]
ここにいたら困る、早く退院しなければということで、退院、退院で先生に話を聞いてもらいたくて。
[そういう行動をしようと決心したわけね。]
はい、そうです。
[そのメモを見たのは何時頃ですか。]
面会がすみまして、家へ帰ってからですから夜です。
[翌日すぐ病院に行ったんですか。]
そうです。
[誰に会いました。]
松永医師です。
[二四日。]
はい。
[松永先生にどういうことを言いましたか。]
私はあくまで整形外科と確信しておりましたが、ここの病院は精神科で息子が精神科に入院しているなんて心配である。ですから早く退院させてほしいということをお願いしました。
[そうしましたら松永先生は、どういう答えをしました。]
腰の治療は、ここはする所ではないと、一喝で怒られてしまったような感じで、それならば、本人はどうしていますかと言うと、おとなしい、他人に迷惑をかけるようなことはない、またここでも先生は語ってくれませんで、背中を向けて次の人のカルテを見て、看護婦さんに次の人を呼びなさい、お宅はもうこれだけですと追い返されて、とりつくしまもないありさまで。
[どういう病気か聞きました。]
はい、何故息子がこういう所に入院しなければならないんですかと言いましたら、病気か、あえて言えば何だろうなということで、ほんとに精神病院へ入院するというような答えがくるような返事でなしに、病名も言ってもらえなかったんです。
[すると、あなたが退院さしてくれっていう要求は全くとりあってくれずに、病状を聞かしてくれという要求に対しても、どういう病気かも教えてくれなかった。]
具体的な返事はもらえなかったんです。
[松永先生とは何分ぐらい話しました。]
ほんの少ししか会ってくれません。
[二四日のことですけれども、そのまま病院から帰ってきてしまったわけですか。]
とりつくしまがなくて。
[どうしたらいいか、わからなかったわけですか。]
はい。
[そのあと何回も病院に行きました。]
はい、行きました。
[合計何回ぐらい病院に行きましたか。]
三日に一度ぐらい行っております。
[三日に一度ぐらいは松永先生に退院さしてくれという要求をしていたわけ。]
松永先生の代理の先生のときもありました。
[三日に一度というんですが、あなたとすれば、一刻も早く出したいと思ったわけでしょう。]
そうなんです。
[それを毎日行かなかったのは何か理由があったんですか。]
はい、当時、その病院には面会日というのが決っておりまして毎日行けなかったんです。それと私がちょっと体の具合を悪くしちゃいまして、熱を出してしまって、自分の体が動けなくなったということもあります。
[面会日でない日に行って、先生にも会えないで帰ってきたということもあったんですか。]
あります。
[松永先生は、あなたから何回も退院さしてくれという要求を受けて、どういう態度をとっておりました。]
退院させるのは本人のためによくないというようなことで、ほんとに面会日でもないのに面会さしてやっているんだといって頭から怒られているんです。
[全然、とりあってくれなかったわけですか。]
はい、そうです。
[病名にしろ、病状についても、全然説明してくれないわけ。]
ですから私の方から聞き出すんです。じゃ本人はどうしていますかと言うと泰然自若として構えている、おとなしいというようなことで、ほかには何にも言ってもらえないんです。
だから私はどこへお願いしたら話を聞いてもらえるのかと思って、ほんとに困ってしまったんです。やり方がわからないから病院に再度お願いするよりほかなかったんです。
[そのうち松永先生の方で、自分の責任で入院さしているんじゃないんだというような説明を受けたことありますか。]
あります。
[それはいつ頃だか覚えております。]
一一月の一日だと思います。
[あなたが再三にわたって退院させようと、あるいは病状説明しろとかいう要求を出していたので一種の言い逃れと言いますか、自分の責任ではないんだということを言い出したわけね。]
そうです。
[どういう理由で入院さしているんだというふうに言い始めたんですか。]
先生は何をもとにして本人を精神病にしているんだというのを私がたずねましたら、保健所からきている資料だというんです。
[その資料があるから本人を退院させるわけにはいかないんだ、ということを言ったわけですか。]
はい、そうです。
[それで、その資料についてあなたと松永先生の方でやりとりがありましたか。]
はい。
[どういう内容の。]
また、ここで松永先生に怒られてしまって、私は何をもとに診察したらいいんだと、保健所からきた資料があるじゃないかと、もし文句があるなら保健所へ言えと、私は先生の方から保健所へお願いしてくれませんかと言ったら、自分でそういうことはしろということで。
[結局、退院させたいんならば保健所とかけあえという説明を受けたわけですか。]
はい、そうです。
[松永先生の方から病状とか病名の説明がありましたか。]
言ってもらえませんでした。
[一一月一日の話ですよ。]
はい。
[それであなたは保健所とかけあわないと、退院させられないんだと考えたわけね。]
はい。
[保健所に行ったわけですか。]
そうです。
[いつ頃ですか、それは。]
体の具合が悪くて動けなくなってしまって多分四、五日後に行きました。
[保健所に行って誰と話しました。]
今井さんです。
[あなたは何と言って保健所に要求したの。]
先生の持っている資料がこちらからきていると、先生はそれに基づいて診察しているというけれども、間違いがあるから訂正してほしいから、そうしないと本人が退院できないからということをお願いしたんです。
[松永先生が退院させたいんなら保健所に行って来いというんで来ました、という説明をしたわけね。]
そうです。そうしましたら、今井さんは、お母さん書類が違っていてもいいじゃありませんか、本人は現に病院に行っているから病院にまかせろと言って、ここでもとりあってもらえなかったんです。それよりか、八王子に閑静な病院があるから移しましょうかまで言って、私はそれはもう遠いからお断りしますということで、そしたら、お母さん本人のことなど考えないでお母さんの体のこと考えて、自分の体のこと考えなさい、本人は病院にまかしておきなさいと言うんです。
[それであなたはどうしようと思いましたか。]
そのとき今井さんがお母さんも具合が悪いから、私の上司に岡上という先生がいるから、その先生に診てもらえということだったんです。私は病院へ行っても駄目、保健所へ行っても駄目、誰かに話を聞いてどういうふうにしたら退院できるかなということを聞いてもらいたい、教えてもらいたいということで中央保健所へ行きました。
[岡上という人に会いに行ったの。]
誰でもよかったんですけど、全然知りませんから岡上先生を訪ねました。
[いつのことですか。]
翌日です。
[それで岡上先生と話をしたんですか。]
いいえ、不在でした。
[誰と話をしたの。]
偶々、小堀先生という内科の先生がおりまして、その先生に、どういうふうにしたらいいか教えていただいたんです。
[退院させるにはどうしたらいいか。]
はい、そうです。
[そしたらどういうふうに説明していました。]
保健にしているならば、親が病院に申し出れば病院は退院させることができるんですって、病院側としては退院させなければならないようになっているんだから、だからよく相談して本人のいいような道をとってやってくれ、というふうに親切に教えていただきました。
[要するに、病院はあなたが要求すれば拒否できないんだから、もう少し強く要求しなさいという説明を受けたわけですか。]
そうです。
[それで結局また病院と交渉するようになったわけですか。]
はい。
[その後、病院と何回ぐらい退院について交渉というか要求をしに行きましたか。]
松永先生を訪ねて行きましたら、今度は出張だということでなかなか会えないんです。代理の先生に申し出ましたけれども、主治医である松永医師の許可がないと退院できないということで、またまた日延べになってしまったんです。その間、二、三回病院とかけあいましたけど、らちがあかなかったんです。
[最後に松永先生と会ったのはいつですか。]
一二です。
[一一月の。]
はい、そうです。
[あなたは退院さしてほしいと要求したわけ。]
はい。
[そしたら松永先生は何て言ってました。]
二千万あるならば退院さしてやるのも結構だ。
そして勉強部屋作ってやるのもいいでしょう。
ただ本人がいくら立派な部屋を作ってやっても満足しないだろう、退院させるのはお宅の勝手だということでした。それじゃ退院してもよろしいですねということで。
[それまでは、あなたが何回退院さしてくれとお願いしてもとりあってくれなかったわけでしょう。]
そうなんです。
[それが態度が変ったんですか。]
はい、そうです。出張だといって、なかなか会えなかったこともありますし、一二日は退院させるなら、させるということの許可をもらったんです。
[あなたの方で、前要求したのと違う形で要求したり、あるいは小堀先生から聞いた話を松永先生にしたりしたの。]
私は小堀先生からそういう知識をいただきましたものですから、強引に退院にむけて病院に抗議すれば退院さしてくれるんじゃないかなと、確信をもっておりましたので、くどいように病院に頼んだんです。
[それ以前、小堀先生から説明を受ける前も何回も退院さしてくれと頼んでたわけでしょう。]
はい。
[そのときは、拒否されたわけでしょう。]
はい、病院は保健所へ言え、保健所は病院へまかしておけということで、どこへ行けば退院できるんだろうと、退院さしてくれるんだろうと迷いましたけれど。
[一一月一二日のときは、松永先生が退院させましょうと言った理由は、あなたの方でわかりますか。]
させましょうじゃなくて、退院させてくださいと強引に頼んだので、それなら勝手にしろというような態度でした。
[それ以前に要求したときには強引には頼まなかったの。]
保健所へ行け、病院へ行けといって、どっちへ行ったら、何をしたら真実を聞いてもらえるのかという迷いも相当ありましたから。
[あなたの態度が非常に強かったから、退院さしてくれたという感じなわけですか。]
私は小堀先生の知識をいただいたものですから。
[保健所へ行ったとか、小堀先生から説明を受けたということを松永先生に話しました。]
いいえ話しません。
[保健所へ行ったことも話さなかった。]
保健所へ行ったけれども病院へまかせろという話をしたと思います。それと、もう一つ、今井さんが私を病人扱いにして、それは小堀先生に会った日なんですけれども、四〇度以上の熱を出して家へ帰ってきたんです。休もうと思ったら今井さんがきて、お母さん岡上先生が病院で待っているから、すぐ私の車に乗って岡上先生に診てもらいに行きましょうと迎えにきたんです。
[松永先生にした話の内容ではないんですね。]
そうです。
[五日のときですか。]
そうです。
[精神科の先生に診てもらえと、あなたにすすめたわけ。]
はい。
[それで迎えにきたわけ。]
はい。
[それは五日のことですか。]
六日です。中央保健所へ行った日ですから。
[あなたが中央保健所、センターへ行った目的ですが、別段診察を受けるために行ったんじゃないんでしょう。]
はい、病院も保健所も聞いてくれないから。
大師保健所と中央保健所と連がりがあるから、当時私は衛生センターというのはわかりませんでしたから、誰か話を聞いてくれる人がいるんじゃないかなという気持で行きました。
[そうするとそれは、今井さんのすすめとか、今井さんが迎えにきたことと全然無関係ですね。]
いいえ、きっかけは、中央保健所へ行ったのは、今井さんがそのきっかけを作ってくれたんです。
[あなたが診察するんでという話と無関係に中央保健所に行ったんでしょう。]
はい、そうです。
[本人、退院したあと、腰の病院に連れて行きましたか。]
一番心配だったものですから退院したあと、整形外科に診てもらいました。
[いつのことですか。]
一九日が退院で、一日おいて二一日に行きました。
[どこの病院ですか。]
日本鋼菅病院です。
[被告の多摩川保養院に退院後に訪問したことありますね。]
はい、あります。
[いつ頃ですか。]
明くる年、四五年だと思います。
[どういう目的で行ったんですか。]
私共が整形外科をお願いしたのに、何で多摩川保養院という精神科の病院に入院させられたのか、その経路などを私は知りたかったものですから。
[抗議にも行ったわけですか。]
はい。
[市の法律相談に行ったことありますか。]
あります。
[いつ頃ですか。]
 それも明くる年です。
[それは、どういう目的で法律相談に行ったの。]
法的に違法じゃないかと思いまして。法律の専門のお方にお話を聞きたくて、あがりました。
[あなたとすれば、原告本人が精神病院に入れられたことが納得できなかったわけ。]
そうなんです。
[それで相談した結果どういう結論になったの。]
それがまた面白いようになってしまって・・・。
どういうふうな経過でそんなになったのか、私にはわかりませんけれども、法律相談にいったんですけれども、さあ行きましょうって、また衛生センターに連れていかれてしまったんです。私は衛生センターに行く必要ないとさんざ拒否したんですけど、その市役所の課長の力に押されて行かざるを得なくなってしまったんです。
[それは、法律相談の場所からですか。]
市役所ですね。
[市役所の中で法律相談やっているわけでしょう。]
全然違うところへ連れて行かれたんです。
[法律相談できなかったわけ。]
そうなんです。
[別の場所に連れて行かれて市の方から何か言われたの、あなた。]
課長が、忙しいお方が待っていますから行きましょうと言うんです。どこへ行くんですかと言ったら、衛生センターだと言うんです。
やっぱり話が違うから私は行きませんと言ったら、行ってもらわなければ困ると、市役所という弾圧に押されて行ってしまったんです。
[それで何かこの件について説明なり、あるいは話が出たんですか。]
しょうがないので行ったら、またそこには、今井、岡上、岩田というお方がおりまして、どういう経路で何故に精神病院へ入院したのか、また手錠など何でかけたのか、説明してほしいということを聞いたんです。
[説明してくれたんですか。]
岡上先生、本人とは一度も会っていないのに、あなたの息子は病気ですよとか、手錠かけたのは警察だから保健所は何ら関係ないからというような、またそんなことでした。
[法律相談に行くということは保健所の人とか、中央保健所の人とか、市のほかの課長なり何なり、知らせて行ったわけじゃないんでしょう。]
はい、そうです。全く違う所へ連れて行かれてしまったということです。
[市の人権擁護課という所へ行ったことありますか。]
それは横浜市で。
[それは、どういう目的で行ったの。]
保健所へ行っても話がわからんから、中島事務所で相談のってもらおうと思って、中島事務所から横浜の弁護士の陶山というのを紹介されて行ったんです。陶山弁護士が、これは人権擁護課の方が先で、もし人権擁護課が受け取らなかったら俺の所へ持ってこいということで、陶山弁護士の紹介で人権擁護課へ行きました。
[行った目的なんですけれども。]
それは以前述べましたと同じように、法的にそれが正しいのかということを知りたかったのです。
[強制的に本人が入院させられちゃったことに納得がいかなかったわけね、]
そうです。
[入院させられた当日、あなたは本人を整形病院に入院させたいという気持をもっていたわけ。]
保健婦とのやりとりで、今日でないと入院さしてもらえないというふん囲気だったので。
それで、その日になったんです。
[これがいい機会だと。]
はい、そうです。
[それは、さっき説明したように、前々から入院させたいと思って具体的な計画まで立てていたので。]
そうです。
[お父さんとあなたは、あんまり話し合いをするということはないんですか。]
ほんとに重点にふれるとけんかになってしまうということで、あんまり話しません。
[どんなことでも。]
小さなことは話し合いでまとまりますが、大きなことで。
[そういうふうなことでなくて、常日頃こういうことがあったよとか、ああいうことがあったよという話を頻繁にする方なんですか。]
普通の家庭と比べると少ないと思います。
[お父さんの方が、あまり話をしない人なわけですね。]
はい。
[本人と誓約書というのを書いたという部分がありましたね。]
はい、ありました。
[その誓約書が書かれた理由なんですけれども、その当時、本人とあなたとあまり話し合いがされていない状態だったんですか。]
それは、あくまで関西の大学がからむんですけど、それで他人が来るとべらべら長いことしゃべっているけれども、本人とはなかなか話さないということで、今度から努めて本人と話をするからということで、そういうふうな結果になってしまったんです。
[本人とまず話し合いがよくされていなかった状態だったわけね。]
はい、そうです。
[それで、よくされていないというのはあなたの方が話し合うのを逃げていたような状態だったわけね。]
はい、そうです。
[その話し合いの内容というのは、学校のこととか、部屋のこととか、あるいは服のこと。]
はい。
[あなたが話を逃げていたというのは、何か理由があったんですか。]
私と主人とで、まだ意見がまとまらないから、はっきりと本人と会話ができなかったから、私がぐずぐずしていたんです。
[本人はあなたに、大学どこへ行っていいのか早く結論を出してくれとか、部屋のことで早く結論を出してくれという要求をしていて、あなたが逃げてばかりいたので、そういう誓約書を書かされたと。]
はい、そうです。
[別段、あなたが他の人と話しちゃいけないとかあまり長い間おしゃべりしちゃいけないという意味ではないわけですね。]
はい、そうです。
[入院の当日、近所の方の家に行っておって電話がかかってきたという件なんですけど、前回保健所から電話がかかってきたと証言をしているんですが、これは間違いですね。]
はい、違います。
[どこから、かかってきた電話ですか。]
知人です。
[着物を買ってやらないという点についてですが、本人にどのぐらいの期間、着物なんかを買わないで。]
裁判官
[それは、裁判所、よくわかっているんですがね、そう読めませんか。つまり学校を卒業しちゃったでしょうし、学生服着るわけにいかない、そうだとすると、ブレザーコートほしい期間でそれを買ってやらなかった、そういうことじゃないですか。そうでしょう。]
そうです。
[着物というんじゃなくて、いわゆる外出するようなとき、学校卒業しちゃって学生服じゃなくてブレザーコートみたいのを買ってほしい、だけどそれを買ってやらなかった、まだ浪人中じゃないかと。]
原告代理人
[ブレザーの要求というのは、高校在学中のときから要求されていたんでしょう。]
はい。
[ただ、卒業後じゃなく、足掛け二、三年にかけて、上着を買ってくれという要求をされていたわけですね。]
そうです。
[大師保健所から、車で自宅にむかう途中あなたは車から降りましたね。]
(うなずく。)
[その時に、あなたが乗っていた車には何人乗っておりました。]
私を含めて三人です。
[運転手も含めてですか。]
はい。
[あなたに降りろと言った方はどなたです。]
保健婦だと思います。
[名前は。]
北浦。
[そういう約束がもともとあって降りたんですか。それとも突然そう言われたんですか。]
突然言われました。
[あなたはどうしてですかと聞かれなかったんですね。]
はい、聞きませんでした。
[それはどういうことだと判断して聞かなかったんですか。]
無理して保健所が説得してくれるので、私が顔出さない方がいいという保健所の計らいかなというふうにとってしまったもんですから。
[要するにその説得なり、あるいは結果的にみれば暴力的に連れていってるわけですがね、そういう事態をあなたに見せたくないということなんでしょうか。それともあなたが行くと説得がやりにくくなるからということだったんでしょうか。あなたはどう感じたんでしょうか。]
私は後者の方だと思います。
[それは保健所に行く前にちょっといざこざがありましたね。]
はい。
[そういうことは保健所の方は知っているとあなたは思ったんですね。]
はい、そうです。
[知り合いの刑事ということをおっしゃったんですが、この刑事というのは名前は。]
山口です。
[その下はわかりませんか。]
 ・・・ちょっとわかりません。
[当時は、どこの警察署にお勤めでした。]
川崎署です。
[この人とは古くからのつきあいなんですか。]
はい、そうです。
[今もおつきあい。]
今現在はしておりません。
[引越したかなんかですか。]
はい、そうです。
[当時は近所にいらっしゃったわけですね。]
いいえ、川崎警察におりましたから、ちょいちょい来ておりました。
[どうして来たんですか。]
非番のときなど遊びにひょっと来たり、本当に心安く、業務上でなしに知り合いという形でお茶飲みに来たよという感じで。
[近所でもない、親戚でもない、そういう人が人の家を訪ねるというのはなんでしょうか。]
私共の所が来やすいんじゃないですか。当時川崎署で戸籍調査かなんかしたのがきっかけで知り合いました。
[Y君が入院させられるまでどのくらいのおつきあいだったんですか。]
そうですね、二、三年じゃないかと思います。
後出甲第八号証を示す。
[あなたが行かれた多摩川保養院、ナンバー一の写真を見てください。そこはどこに写っておりますか。]
ちょっとこれでは私はわかりません。多分、ここじゃないですか。
[一番右側に写っている建物がそうであると思うと。]
はい、そんなような気がします。
[ナンバー二を見てください。この風景には見覚えありますか。]
ありません。
[多摩川保養院が一番むこうの建物として写っておりますがね。]
変ってしまったんでしょうか。私わかりませんです。
[ナンバー三の写真、この風景には見覚えありますか。]
玄関の所はありますけれど、当時は多摩川保養院という字はなかったです。
[ナンバー四の写真ですが、これは玄関というふうに書いてあるんですが、そうですか。]
はい、そうです。こちらからこういうふうに入りまして。
[この写真で言えば受付の方にはどういうふうに入って行くわけですか。]
これ真直ぐに入ります。
[あなたが最初に洗面具等を持って病院に行って二階から人が降りてきたという話でしたね。]
はい。
[その時に入って行ったのはこのナンバー四の写真の手前から奥の方に入っていったということですか。]
はい、そうです。
[ナンバー三の写真で言えば、どこから入って、いったことになるんですか。]
この正面です。
[車のいる手前から入っていったと。]
はい。
[これは右へ入るんですか、真直ぐ行けばいいんですか。]
真直ぐです。
[ナンバー三の車とナンバー四の車は同じ車なんですがね。ですから位置関係からすると、ナンバー三の写真で真直ぐに入るというふうに言いますと、左側に入るということになりますよ。]
ここへ入るんです。
[だったら、ナンバー四の写真で言えば、受付へは手前から奥へ進んで左へ曲るということですね。]
はい。
[ナンバー三及びナンバー四の写真ですね、これを見ますと鉄格子らしきものが窓にはさまっているわけなんですがね。]
ちょっとそれはわからないんです。
[まずあることを確認してください。ありますね。]
はい。
[あなたが最初に行かれた時には、この鉄格子には気付かれましたか。]
気付きません。
[ということは気を付けて見なかったんでしょうか。]
そんなに目立たないと思うんです。
[鉄格子というような感じですか。]
いいえ、違います。
[それに気付かれたのは、精神病院だとわかってから後ですか。]
はい、そうです。
[それまでは特に注意をひくようなものではないんでしょうね。]
そうです。ちょっとした団地にはあるような。
[窓の盗難よけのサクのような感じだった。]
はい、そうでした。
原告代理人
[一番初めに病院に行かれた時に、二階から一見医者らしき者が出てきたと。]
(うなずく。)
[その者があなたが持っていったものを持って二階に上っていったわけですね。]
はい。
[外に誰もいなかったと言うんですが、そこには受付はないんですか。]
受付は当日休みでカーテン締まっておりました。
[誰もいないわけですね。]
はい。
[一一月六日に大師保健所の今井に会ったときに、今井の方では病院にまかせようという内容と同時に、八王子に閑静な病院があるから移した方がいいと言った。]
はい、そうです。
[あなたはそれにどう答えたんですか。]
現 現在でも遠くて困っているので、八王子などと言えば息子と連絡がとれないから困りますからお断りしますと言って断りました。
[法律相談というのは当日行ってすぐやってくれるものなんですか。]
いいえ、違います。
[どういうことをしなければいけないんですか。]
主人に先に行って、法律相談日が何日であるか調べて来てもらいたいと言って頼んだんです。それでその当日がそうだということで主人ともども行きました。
[こういう内容の相談があると言ったのはどこに言ったんですか。]
それは主人が四、五日前の日に行きました。
[どこに行ったんですか。]
だから主人に市役所に行って来てくれと言って頼んだんです。
[市役所のどこかわかりませんね。]
私はわからないんです。
[お父さんが内容についても市役所に言っているわけですね。]
だろうと思います。
[であなたが法律相談の当日行きまして、こういう内容で法律相談に来たんだと、これは言われたわけでしょう。]
そうです。
[そうしたらすぐセンターの方へ、ということになったわけですか。]
そうです。
[待ち構えていたような感じですか。]
忙しいお方が待っているからすぐ行くようにという課長の強引な言い方で、行きません、いや行ってもらわなくては困ると、私は行く必要がないというやりとりはあったんですけれども。最終的には行ってしまったということです。
[本人と最初に会ったときの印象なんですが、目付はどういう感じでしたか。]
とろっとしていました。
[顔色はどうです。]
蒼白。
[言葉はどうです。]
すぐには答えられない、声が出ない、こちらから話してもすぐ返事がかえってこない。
[話をするわけでしょう。]
はい。
[その話振りはどうです。]
なんかもうろうとしていて、正しい返事がかえってこないということ。
[いわばピントのはずれた返答になるわけですか。]
はい、そうです。
[それもハキハキしていない。]
はい、そして私共に対しても敬語ではいとかいいえとか言うような、他人行儀になってしまった。
[それから、立って歩いてきたわけでしょう。]
それが私共面会した時には既におりましたから、来る時はわかりませんでしたけれども、歩行困難なようでした。
[見たんですか、それは。]
帰る時に。
[支えられているような感じですか。]
そうです。
[話をする時には病院の職員が立会っているわけですね。]
そうです。
[どういうことを話していいとか悪いとかいうことは言うんですか。]
いいえ、そばにいますから、本当に話が充分できなくて、お前病院にいて何しているんだというようなことが聞き出せないようなふん囲気なんです。
[メモとっているような感じですか。]
いえ、メモはとっておりません。
[面会時間は、これは一回目だけじゃなくてずっと続いてで結構ですが、何分位もらえました。]
大体一五分くらいしかもらえません。
[もうこれで終りと言うんですか。]
はい、そうです。
[もう話ができないような感じになるわけですか。]
はい、そうです。時によっては引揚げてしまう時もありますし、先に帰ってくださいと言う時もあるし。
[本人を連れていくわけですか。]
はい。
[週に何回でしょうか、面会日は。]
大体三回位と思います。
[何曜日、何曜日ですか。]
それははっきりと覚えておりませんが、週に三回位だったと思います。
[あなた病気で面会あるいは医者に退院要求には行けなかったと言いましたね。]
(うなずく。)
[何の病気ですか。]
風邪をこじらせてしまって中耳炎をおこしたんです。
[熱を出したんですか。]
ものすごい熱を出しました。
[何日位寝込まれたんですか。]
六日の日が最高に具合が悪かったんですけれども、もう無理しても病院に行ってましたから、行っては休み又休みというようにして、できるだけ病院へ行くように努めたんですけれども、でも四、五日は休んだと思います。
原告補佐人
[あなたと医者との面会はどんな部屋で行なわれたんでしょうか。]
一見診察室だと思います。入口の右側の小さなお部屋でした。
[面会の時間は何分位でした。]
その時によって違いますけれども、ただ頭から怒られるというような時は五分か一〇分位ものすごく短いんです。
[次々と外の患者の家族があとに待っている状態ですか。]
はい、そうです。
[松永医師はどういうタイプのお医者さんでしたか。]
ただこわいという印象だけです。
被告代理人
[あなた前回、親子の間のトラブルの原因がわからないという言い方をしており、また思いあたるという言い方もしておるんですがね、その原因というものはあげてみればどういうことですか。]
関西の大学問題、お部屋の問題、親子けんかなどがからんでおります。
[親子けんかの原因は何ですか。]
やはり話し合いがうまくゆかないからだと思います。
[話題は何ですか。]
大学受験です。
[話し合いがうまくゆかないというのは時間がないからですか。]
いえ、時間はありますけれども。
[一二分にありますね。]
はい。
[何故話し合いができなかったんですか。]
はい、結論が出ないからです。
[先程、あなたは夫との相談がまとまらないから、はっきり返事ができないという言い方をしましたね。]
はい、それと同じ意味です。
[あなたは夫と、子供の将来について進学のことを話し合ったことはあるんですか、ないんですか。]
話し合いはありますけれども、結局、経済状態で結論が出ないということなんです。
[関西の学校にあげられないという結論が出ているんじゃないですか。]
ですけれども私は、できるだけ本人の意志にそいたいなと思うけれども。
[経済問題というのはどういうふうに差障するんです。]
やはり送金など、とだえたらどうしようかということ。
[誰の送金。]
本人にです。
[誰が送金するんです。]
私共でしょう。
[そうするとあなた方は、プランが立つでしょう。学資調達のプランが立つか立たないかのどちらかでしょう。]
ですけれども、ちょっとそれが不安ですから。
[そうすると、確たる経済的な見通しが立たないということだったんですか。]
そうです。
[それじゃ駄目だという結論がすぐ出るんじゃないですか。]
そうすぐは言いきれないと思います。
[それは、あなたが煮えきらないのか、お父さんが煮えきらないのかどちらだったの。]
半々位でしょうね。
[Y君と話し合ったのは、主として、あなたですか、父親ですか。]
私です。
[いつも堂々めぐりの話だけ、そうするとそれがけんかに発展するわけですか。]
はい、そうです。
[そうすると始終けんかしてたということ。]
始終ではないでしょうけど、やはりけんかは多いですね。
[あなた、打たれたことがあると、この前言ってましたね。]
はい、一度あります。
[それは、どういう機会に。]
やはり話し合いのときに。
[何の話し合い。]
 ・・・何の話し合いって、やはり今までの親子けんかですね。
[せがれにぶたれるなんてのは、親としては非常に強烈な印象を受けただろうと思いますよ。]
私 私もぶち返してます。
[子供が親に手をあげるというのは、よくよくのことでしょう。しかもあなた一回しか記憶ないんだから、じゃぁあの時はこういうことだと明確に述べられてしかるべきだと思うんですが、どうですか。]
ですが、些細なことですから忘れてしまうんです。
[些細なことでも、この子は親に手をあげるような子だったんですか。]
思い出せないということはないですけれども、例えば、ご飯を練っていて。
[それは、しゃもじで手をぶたれた話ですね。]
はい。
[その外にもあるでしょう。あなたもぶち返したというのは。]
はい。
[それは何ですか。]
何ですかと言われても。
[例えば、しゃもじで手を打たれた時はご飯を暖めようとして、こんなやりとりがあったと。]
覚えております。
[ぶたれたのは、それは記憶がないんですか。]
はい、それ程記憶がないです。一度位あったと思うけど。
[お金など投げるなんてことは、ありませんでしたか。]
ありません。
[なんか話をしろなどと言って、あなたにせがむことはありませんでしたか。]
ありません。
[一〇月一一日ですが、夫と待ち合わせたということでしたね。]
はい。
[何で夫の勤め先に電話をして待ち合わせようとしたんですか。]
それは保健婦から、今日中にお父さんと相談してこいと言われたもんですから。
[それは、整形外科へ入院するため。]
はい、そうです。
[整形外科へ入院というのは、そうさし迫ったこととあなたは思ったんですか。]
ええ、保健婦との会話のやりとりで、今日でないと説得してくれないんじゃないかと思いましたもんですから。
[誰が誰を説得する。]
保健所が本人を。
[土曜日の夕方というのは、保健所としても勤務時間外でしょう。]
はい。
[病院だって勤務時間外ですね。]
はい。
[異常だとは思わなかったんですか。]
思いません。
[面会日は週三回とおっしゃっておりましたね。]
はい。
[それは、病院内に掲示かなんかしてありました。]
掲示はないですけれども、次の面会はいつですかと聞いて帰りますから。
[病院側の都合をあなたが聞くんですか。]
掲示してあったか、それとも聞いたか、週に三回という記憶はありますけれども。
[掲示をしてなかったと今言ったでしょう。]
それがどちらか今わからない。多分掲示はしてあったと思います。
[病院で言われたのか、掲示をしてあったのか、記憶は定ではないですね。]
いいえ、掲示はしてあったと思います。
[そうすると、面会日は何曜日とか、何時から何時までとか、書いてあったの。]
はい。
[何と書いてありました。]
月水金であるか、火木土であるか、当時のことは曜日ははっきり覚えておりませんけれども。
[一日置きだった。]
ええ、そうです。
[時間は何時から何時まで。]
大体午後から面会に行きました。
[掲示には何時から何時までと書いてありました。]
そこまでは、はっきり覚えておりません。
[あなたは面会時間内に行くように心掛けたんでしょう。]
はい、そうです。
[何時から何時まで行くべきだというふうなことを、行動起すときには、そういう基準になるものがあったはずでしょう。]
ですけれど、大体朝行けば間に合うからということで別に気にもしませんでしたから、面会時間の切れるとかいう時間は。
[じゃ曜日だけを確かめて行ったということ。]
はい、そうだと思います。
[面会する場所は。]
二階の踊り場、みたいな所です。
[特別な面会のための部屋があったわけじゃないんですか。]
そうじゃないんです。
[そこは、誰でも通れるでしょう。]
はい、通れます。
[トイレなども近くにありますね。]
はい、あります。下にあります。
[二階にもあったんじゃない。]
私は二階のおトイレ使ったことないから、便所というのは記憶ありません。
[誰でも自由に通れる場所だったでしょう。]
はい、そうです。
[誰かが常時、立会っているんですか。]
はい、そうです。
[どういう人ですか。]
白衣を着た男の方です。
[看護婦ということはない。]
ほとんどありませんでした。
[あなた方が話していると、どこにいるんですか。]
すぐ前におります。
[終始そこにいるんですか。]
はい、そうです。
[座っているの。]
はい、そうです。
[あなた方が面会した間に、外の人も面会しているということはなかったの。]
あります。
[それは、どういうたぐいの人なのか、職種なり病院の立場のどんな人なのか聞いたことあります。]
聞いたことありません。
[その人が、怒るんですか。]
立会人の方には怒られません。お医者さんに怒られました。
[松永医師ですか。]
はい。
[立会人の人は別に。]
もう少し待ってください。これで面会終りですからということで。
[別に、無理に、あなたを制止するようなことはない。]
はい、そうです。
[じゃぁ、あなた方としては比較的気軽にしゃべられたわけですね。]
でも前にいますから、気軽というふん囲気ではありません。
[法律相談に行く話をしましたね。]
はい。
[法律相談はどこでやっていたんですか。]
川崎市役所です。
[市役所のどこですか。]
法律相談室です。
[それは、どこにありましたか。]
私が思っていたのは下だと思います。
[正面玄関入るんですか。]
はい、そうです。
[入って、どちら。]
今まで、相談受けたことがないもんですから。
[あなたが行ったのは、どこですか。]
二階なんです。
[法律相談室みたいな掲示はありました。]
いいえ、ありません。
[あなたは、○○だということを、どこで名乗ったんですか。]
大きなお部屋の課長の前です。
[市役所へ入って二階に連れて行かれたと言いましたね。]
はい、主人に案内されました。
[夫と一緒にどこにも立寄らないで真直ぐ。]
そうです。
[その部屋は、どんな掲示が出ておりました。]
防犯課か予防課か、防犯課かもしれませんね。
どちらかです。
[法律相談と何の関係もなかったわけ。]
ですから、私は不思議でしょうがなかったんです。
[法律相談に行こうとして出かけたけれども、それらしきものは何もしなかったということですね。]
できなかったです。
[あなた方夫婦は、なんか話し合ってて、重点に触れるとすぐにけんかになると言っておりましたね。]
はい。
[親子もけんかするし、夫婦もけんかしてたわけですか。]
はい、多分にありました。
[さっき重点に触れるという言い方をしましたが、重点に触れるというのはどういうことですか。]
関西の大学です。
[それから。]
お部屋の件。
[部屋と言ったって、部屋を更に改造するかどうかの問題。]
そうなんです。
[あなたは、改造説ですか。]
はい、そうです。
[改造すると言ったって、出入口が問題だったんでしょう。]
はい、そうです。
[出入口だけでしょう。]
いいえ、天井が低い、押入れが大きいとか、本当に勉強部屋でないんです。
[そうすると相当なお金がかかりますね。大掛かりな改造すれば。あなたとしては、そういうお金を出す余裕は充分あったわけ。]
いいえ、どこかから融資してもらって。
[Y君に服を買ってやらない、二年も三年もというのは、何故買ってやらなかったんですか。]
何故と言われたら困りますけれども、やはり経済的な問題もあるし、努めてできる範囲で生活してもらいたいということで。
[ブレザーコートなりなんなり買うか、買わないか。]
当然、買ってやらなきゃいけないんです。
[それを経済的な問題で見送りにしてきたわけでしょう。]
(うなずく。)
[そうすると、あなたの言う部屋を融資を受けても大改造したいと、ちょっとバランスがおかしいですね。]
ええ。
[おまけに、関西の大学へやる、また更に大きな費用がかかりますね。]
はい。
[あなたは積極説で、夫は常に消極説だったわけ。]
はい、そうです。
[あなたが、金がないと言っても譲らず夫とけんかしたわけですか。]
そうばかりとは言えませんけれども。
裁判官
[一〇月一一日、土曜日のことを、お聞きしますけれども、先程前回の証言を訂正されましたね。ご飯を暖めることでけんかになって、あなたが家から出て行ったときに電話がかかってきたと。その電話は保健所の電話だと前回言ったのを、そうではないと、単なる知人からの電話だと訂正されましたね。]
はい、そうです。
[そうすると前回の証言では、その保健所からきた電話だということがかなり意味があるように証言しておったんですがね。つまりこういうふうにトラブルがあるところに保健所の今井さんが来られては困ると、そこへ保健所からの電話がきたと、そういうことで、保健所へ出かけて行ったと、今井さんに来なくて結構ですという断りを言うために出かけたんだと、こういうふうに証言しているんですよ。その点はどうなりますか。]
それは互助会の会員からですから、保健所でなしに知人です。
[今井さんに来られては困ると、今井さん来なくていいですよという断りを言うために保健所に出かけたということは。]
それはその通りです。
[およそ何時頃、保健所に行ったんですか。]
二時位だと思います。
[あなたの家から歩いて、すぐ行けるんですか。]
歩けば三〇分位です。
[どういうふうにして行ったんですか。]
車で行きました。
[タクシーで。]
はい。不便なところですから、バスがないもんですから。
[何分位で行ったわけ。]
五分位で行くと思います。
[あなたお一人で二時頃行ったときは、主に北浦保健婦さんと話したんでしょう。]
そうです。
[今井さんに来なくてもいいというような話をしたわけですか。]
今井さんしか知らなかったものですから、今井さんを訪ねていったら不在で、それで北浦保健婦がどういう内容か私に話してくれれば今井さんに伝えますから、ということで話になったんです。
[その話の内容は、まず、あなたの方から、今井さんに私の家を訪問しては困る、とこう話したんですか。]
はい、そうです。それで四日の日に主人が衛生センターに行きまして、お断りの電話を入れたにもかかわらず今井さんが来た、再度帰る時にこれは私の仕事ですから又来ます、と言って帰ったんですけれども、私のとこは来てもらう必要はないからということでお断りしたんです。
[それは、どうして整形外科に入院するというような話に発展してしまったんですか。]
私は保健所で精神の方ではなしに、現在腰が痛くて困っているんですよ、という話になってしまったんです。そうしたら北浦保健婦がそうですか、受験生を持つ親は大変ですよなんて言ってくれて、本当に女の一対一での会話みたいな話だったんですけれども、それじゃ入院するなら、お父さんと相談して今日中に来てください、というような話にまで発展したんです。
[そういう話であなたは保健所を出たわけですね。]
はい。
[出るまでの時間はおよそどの位だったんですか。]
一時間位いたと思います。
[帰りはやはりタクシーで帰ったの。]
歩いてきました。
[そこで家に着いてから、家の様子を見たんですか。]
お使いに行ったりなんかしておりました。
[家に帰らないで、お使いの方に廻ったりして、それで家に戻ってきたのはどの位ですか。]
四時過ぎだと思います。
[そこであなたの衣類が水につけられているという状態を見たわけですね。]
はい、そうです。
[多少のやりとりが原告とあった。]
はい。
[その後は、お父さんを待ってたと、こういうことですか。]
そうです。
[お父さん帰って来られたのは何時頃ですか。]
当時五時までお仕事ですから、帰りが三〇分くらいかかりますから、五時半頃じゃないかと思います。
[お昼ご飯のことからけんかみたいなことが始まったんでしょう。]
(うなずく。)
[あなたの証言を全体として聞いていると、その日の午後は原告を避けて家に近付かなかったように聞こえるんですけれども、そういう形ではあるわけ。]
そういう点もあります。
[それはどうしてですか。親子なんだからもっと話し合ったら良さそうなもんですが。]
私に、まだ主人との話の結論が出てませんから、話するとどうしてもはっきりした答えが出ないということで、私も困ったなあ、どうしようかなあということで、どうしても話がスムーズに進まないからです。
[北浦保健婦との話も結局そういう内容を話して、いろいろ話が北浦さんとの間にあったんじゃないですか。]
はい、入ってると思います。
[そうすると、その当時での、あなたのお家での大学受験のいろんな問題でいろいろもめているということを、結局打明けて話したということになるでしょう。]
そうなんです。
[お父さんと保健所に再度出かける前に、電話したことはないというふうに、先程おっしゃっているんですけれどもね。]
はい。
[保健所の記録を見ますと、あなたの衣類を水につけているというような電話があなたからあったというふうに書かれてあるんですよ。記憶ありませんか。]
ありません。
[あなたのご近所に水島さんというお家はありますか。]
あります。
[保健所の記録には、水島夫人からも電話があって、原告があなたを捜しにきたりして、こわい、というような電話があったようなことが残っておるんですがね。そういうことは後で聞いてませんか、保健所なり水島さんから。]
はい、聞いております。
[どなたから聞いております。]
水島自体からです。
[水島さんは、あなたが保健所に相談に行ってるということはご存じだったのかな。]
それはわからないです。
[あなたが出かける前に、保健所に相談に行きますと断って行ったんじゃないですか。]
断りません。
[一二日のことですが、洗面道具を持って行ったとおっしゃいましたがね。一人で行かれたんですか、お父さんと一緒ですか。]
主人と二人です。
[その次にあなたが行かれた時には、お一人ですか、それともお二人ですか。]
二人です。
[その中間に、あなた一人で行かれたことがあるんじゃないですか。]
ありません。一週間面会謝絶だったもんですから。
[病院の記録によると、一三日にお母さんがお一人で面会に来られたような記録が残っているんですがね。]
行っておりません。
[保健所の記録には、先程も質問がありましたように、一五日にあなたが保健所に電話をして、原告本人の入院の状況を連絡してきたかのような記録が残っているんですがね、そういうことはありませんか。]
はい、内容が全然わかりませんから電話を入れてません。行きませんから。
[二日間保護室に入れられ、三日目からは大部屋に移ったというような内容の電話が保健所にはいったという記録が残っております。]
一週間の面会謝絶って言われたから一週間後に行きましたから、病院の内容はさっぱりわかりません。
[本人に会わなくても、病院だけ出かけたということはありませんか。]
ありません。
[先程、市の法律相談のことが出ましたがね。初め行ったのはお父さんなんでしょう。]
そうなんです。
[その翌日あたりに、あなたのお宅に今井さんが訪ねてきたということはありませんか。お父さんが市に相談に行ったということを踏まえて、そして今井さんの方からあなたのお宅に面会に来たということはありませんか。]
ちょっと記憶ないです。
[保健所の記録には、どうもそのようなことが書かれているんですけれどもね。]
ちょっと記憶ないです。
[お父さんが一人で先に市に行って、その内容をあなたに話しましたか。どういうことだったと今日は。]
いえ。相談日が何日であるかということを聞いてきてくれというんで、お父さんは幾日幾日だよ、その時においでと言ったというだけのものだったんです。指定された日を言っただけです。
[保健所の記録によりますと、その相談内容をよく聞きとった上で、次の日に、次の日というのは、この次あなた方がみえる時には、関係者をぞろりと揃えているように手配ができてたように記録には載っているんですけれどもね。]
そうなんです。
[そういうことなんだということをお父さんから聞いてませんか。]
全然。主人もびっくりしたんですから。
(略)
[前に証人に立った井沢医師の証言とはかなり食い違う点があるんですがね。あなたの方が二度目に保健所に行った時には、井沢医師は既に来てたんですか。それとも、あなた方が行ってから来たんですか。]
行った時には来ておりました。
[警察で保護してもらったらという話が出た、というふうに言いましたね。]
はい。
[先程の証言ですと、あなた自身も変に思ったというんですがね。]
今日は土曜日だから、月曜日まで警察にとめると言われたんです。
[どうもその点が私共にはわからないんですけれども。]
私にもわからないんです。何でそんなことを言ったのか。で、罪もない子がなんで警察へとめなきゃならないんですか、と先生が聞いたんです。
[そうしたら、何と言いました。]
それじゃ入院しましょうか、と言うんです。
保健所とすれば、警察へとめるか、入院させるかどちらかとれ、と言うんです。
[腰の病気で、警察で保護するというのは、話が続かないでしょう。]
ですから、何でそんなこと言うのかなと不思議に思いました。
[つまり、今現在、原告の状態から見て何とかしなければいけないという事が問題だったんじゃないですか。つまり、衣類を水につけたり、あなたが家に帰れないで原告を避けてると、そういう状況が問題にされたんではないですか。]
それほど、私としては煮詰まった感じじゃなかったんですけど。
[月曜日まで待てませんか、という話は出ませんでしたか。]
警察にとめろと言ったんです。
[その外に。]
ないんです。
[月曜日まで待てませんかと。]
ないんです。
[お父さん、お母さんのほうで今日と明日の日曜日は何とか本人をなだめて、月曜日まで待ってくださいと、そんなふうな話は出ませんでしたか。]
そういう言い方でなしに、土曜日から月曜日まで警察にとめろと言いまして。

和解に至る経過

裁判所で損害賠償請求を行う
1971(昭和46)年12月、Yさんは1人で裁判闘争を行うこととなった。訴訟の要点をまとめると、以下のようになる。
賠償額ー200万円(当初100万円。のちに拡大して200万円)
請求原因ー①40日間にわたる身体・自由の不法拘束があったこと
     ②精神的・肉体的苦痛をこうむったこと
1973年になってから、神奈川県の労働者が中心となって、Yさんを支援していこうということになり、裁判上の具体的争点として、次の諸点を明らかにしていくことになった。
1.川崎市が本人不在のまま、入院を先行させたことー事件当日まで誰もYさんに直接会っていないばかりか、会う前からすでに入院のレールが敷かれていた。
2.警察官導入と手錠使用ー全ての証言が「Yさんはおとなしかった」といっているにもかかわせず、市職員が暴力をもってYさんを倒したうえ打ち合わせどおり手錠をかけてまでYさんを強制収容していったことに対する責任追及。
3.同意の不成立ー民法と精神衛生法上からも、同意入院は不成立であった。両親は病院への入院に同意していなかった。
4.誤診ーこれは、裁判上の天王山である。具体的には、入院時は無診察であり、主治医のカルテから、病者であるという規定はとうていできない。「分裂病」診断についても根拠が全くない。
5.入院期間中の劣悪な処遇ー身体の拘束にとどまらず、作業療法という名の強制使役・手紙の検閲・薬による副作用などYさんが具体的にこうむった苦しみ。

証言
これを、4つのグループに分けることができる。
1.警察ー病院側証人として出廷
「精神障害のケースとして取扱い継続中であるが、すでに入院させることになっているので、ぜひ、協力してほしいと保健所から頼まれ、警官2名が現場に行った。手錠をかけたのは、警職法を発動したまでで、あくまで、保健所に頼まれて応援しただけ」と証言することによって、責任を全て市側に転嫁している。
2.市側ーセンターのケースワーカー、保健所の予防課長(医師)、同保健婦及びケースワーカーの4人で、いずれも病院側の証人として。
①センターのワーカー
「事件1週間前に父から相談をうけ、市内の病院に電話で問いあわせた。後刻、親から電話があって、相談はなかったことにしてくれといわれたので、保健所にその旨伝えた。メモは、事件当日、現場にむかったケースワーカーに渡した」
②予防課長、保健婦
「当日、保健所内で父母に会った。夕刻Yさんの家に着いた。Yさんはおとなしくしていた。10分位してから、Yさんが立ち上ったので格闘のようになり、手錠がかけられた。入院同意については、暗黙の了解があったと思う。保健所が動いたのは、あくまでサービスである」とし、自らの責任を親に転嫁している。
3.病院側ー当直医、看護士、ケースワーカー主治医、薬局長
①当直医(アルバイト医)
「当日のことは記憶にない。注射指示簿に名前がのっているので診察をしたはず」と主張したが、肝心のカルテには記載がない。
②看護士(事件当夜の事務当直を兼ねる)
「入院した以上、父に同意書をかかせ、入院時診察もしたはずだ」と証言。
③主治医。翌々日に診察。破瓜型分裂病と診断。
補佐人からその根拠を尋ねられると「無為自閉・・・・・」と答え、無為自閉が否定されると、「メモを最大のよりどころとして、総合的に判断した」と答えた。また、当時のYさんの症状については、ことこまかく証言したにもかかわらず、Yさん自身による診断時のようすや、メモの内容についての追及には、「覚えていません」の一点ばりで全く答えることができなかった。
4.Y側ー両親、県立病院の医師と心理判定員、元被告病院の医師、Y氏の叔父。
①両親ー父「センターに行って、精神病だといわれた。(Yの)母から、何故そんなところへ行ったのかといわれ、今日の話はなかったことにしてくれとセンターに電話した」母「Yが夜中に寿司をとれ、というのが異常だとされているが、これは、(Yの)父の誕生日に寿司をとる習慣があって、Yは夜起きて勉強するものだから(夕食時は寝ている)、別にどうということはない。このようにメモはいいかげんである。入院同意はしていない」
②県立病院の医師と心理判定員「長時間かけて、Yさんを診たが、診断書に書いたとおり、精神病はなかった」
③元被告病院医師(現在学芸大学教授)
「精神分裂病ではないが、『心因反応+精神病質』という当時の自分の診断の可否については、診察時間が短いので、断定はできない」
④叔父「Yさんと(Yの)父とのトラブルについては、父の方にかなりの非があったと思う」

証言のまとめ
Yさんの眼目とした「誤診はかちとられたか」という点について検討すると、医学論争としては、ほぼかちとられたと思われるが、裁判の上ではむずかしい。行政及び病院側証人の全てが、Yさんを病者=入院妥当という路線のもとに証言しているにもかかわらず、私たちは直接的な有力な証人がいないという限界がはっきりしているうえ、診断は病院という密室で行われ、なおかつ、主治医と称する者が自己保身の立場から決して誤診を認めないからである。一方、同意の問題に関しては、病院側に過失があったことは明白であるが、裁判上は形式的な不備としてのみ片付けられてしまうことも明白であった。

和解
証言のまとめからわかるように、民事裁判としてあくまでもやり抜き判決を求めたとしても、現行法のもとでは、Yさんがかちうるのはせいぜいのところ同意の不備の点でしかあり得ないと思われた。とすれば私たちは裁判上の和解にのり、その中で有利な条件を選ばざるをえない。
そこで私たちは、裁判上の和解について次の7点をまとめた。
1 和解金として、200万円を支払うこと
2 母親の同意を得ず、父親の真意に基づく同意を得なかったこと
3 入院前の診察診断を行わなかったこと
4 原告は精神病ではないこと
5 被告は原告のカルテ等一切を破棄すること
6及び7は略。

1979年5月8日、和解にのぞんでYさんは1?7を主張したが、病院側は「精神病ではなかったこと」の明記を決して認めず、最後まで固執した。
結局、同日、「裁判上の和解」として次のようにまとまった。

和解条項
1 被告は原告に対し、和解金として170万円を昭和54年5月末日限り、原告代理人木村壮事務所に持参または送金して支払う。
2 本件紛争は、母親の同意を得ず、かつ外部の誤った情報に基づき、精神障害があるものと疑われた不幸な事件であったが、原告が社会人として円満な社会生活を営んでいるということに鑑み、ここに和解金の授受をもって本件紛争を終了させることとする。
3 被告は、直ちに原告に係る診療記録一切を廃棄する。
4 原告は被告に対し、今後、被告の病院に対する関係で本件紛争に関し、攻撃的言動をしない。
5 原告と被告との間には、本和解条項に定める外に、何らの債権債務のないことを相互に確認する。
6 原告は、その余の請求を放棄する。
7 訴訟費用は各自弁とする。

和解の評価と今後の闘いの方向
私たちは、裁判と並行して、Yさんの不当拘束に対する川崎市の責任追及を、※「質開質問状」(1976年3月)を通じて行い、以後も申し入れ、交渉を行ってきた。これらを加味して、「和解条項」の「2」について若干説明を加えると、この条項は、和解以降の対市交渉に向けた手がかりの1つである。とりわけ「外部からの誤った情報に基づき」というのは、市側の誤った対応を指すもので、市は、この枠から逃げられない。
また、「精神障害があるものと疑われ」というのは、事実上の誤診の表示である。
私たちの闘争は、これからやっと本番を迎えたといって過言ではない。やっと半分が・・・・・・という段階である。なぜなら、証人に立った精神医療従事者が自分の身をかばい、今もって、Yさんに謝罪をしていないばかりか、そのような人々が、今なお、医療の現場で、のうのうと仕事をしているからである。こういったことも含めて、川崎市に対しては、衛生局を窓口として、謝罪要求を行っているが、昨年の段階での市の回答が不十分であるため引続き交渉を続行している。市に対する申し入れ書は次のようなものである。

昭和54年6月7日
申し入れ書
川崎市衛生局長殿

多摩川保養院を告発し地域精神医療を考える会
代表 阿 部 信 真
Y事件に関する申し入れについて
去る昭和51年5月18日付、衛生局との確認書に基づき、以下の点について申し入れます。

1. Y事件に関する衛生局の交渉窓口を再開すること。
2. 昭和51年3月19日付、公開質問状の回答を行なうこと。
3. 市として、Y氏に対し、全面謝罪すること。
4. Y氏に対し、慰謝料として、金200万円を支払うこと。
5. 事件関係者との事実確認会を設定、再開すること。
6. Y氏に対する相談記録等一斉の記録、資料をY氏に返却すること。
 以上6点の事項について昭和54年6月19日まで回答を要請します。

以上、和解の経過と今後の方向について述べたが、私たちは、今後も闘い続けていくつもりである。引続き皆様のご支援をおねがいする。

ー資料ー
※「公開質問状」
前略、私はさる1969年10月11日、川崎市大師保健所及び同精神衛生センター(以下市センター)により、警察官を導入し強制的に多摩川保養院なる精神病院に入院収容された者です。
現在、多摩川保養院を相手どり、民事訴訟を起しています。多摩川保養院に入院、収容させられる過程において、大師保健所、市立センターの果した役割の重大さというものが裁判を進めていく中でますます大きくなってきています。それ故、今までに数人の川崎市の職員の方々が証人として出廷されました。このように裁判にも発展した本事件は川崎市行政に重大な問題をなげかけており、これを看過、黙殺することはできません。以下次の諸点について公開質問をします。
(回答日4月9日午後3時) 1976年3月19日

〔1〕本事件に関する川崎市の見解、及び事件後6年間に具体的にどのような処置をとったのか明らかにされよ。
〔2〕川崎市が横浜地裁川崎支部の嘱託により同支部に提出された市センター、大師保健所の記録について
(1)当時、市立センターケースワーカーであった岩田和郎氏は1973年4月16日証人として出廷された時、1969年10月4日私の父親が市立センターより帰った後に市センターに電話を入れていること、それを記載した記録は別にある旨証言されていますが、提出された記録の中にはそれを記載した記録がないのは何故か。
(2)大師保健所相談記録には10月6日の項に当時大師保健所ケースワーカー今井功氏が市センターに電話を入れていることの記載がありますが、これに対応する記載が提出された市センターの記録にないのは何故なのか明らかにされたい。
(3)同じく、大師保健所相談記録の10月11日の項に当時大師保健所北浦美智子(現在斉藤)氏が市センターに電話を入れているとの記載がありますが、これに対応する記載が提出された市センターの記録にないのは何故なのか明らかにされたい。
(4)前記、岩田和郎氏は1969年10月11日本件に関して大師保健所におもむいた下川雅弘(当時多摩保健所ケースワーカー)氏より、市センターに電話があった旨、証言していますが、その記録がないのは何故なのか明らかにされたい。
(5)11月8日、母親が市センターを訪ずれて小堀医師と面接しているが、その記録が提出された記録にないのは何故なのか明らかにされたい。
(6)1970年1月2日、父親が市民相談室を訪ずれているが、何故その記録は提出していないのか明らかにされたい。
(7)1970年1月28日、市センターで父母との面接を、岩田、今井、岡上、深瀬の4氏で行っているが、その記録が提出された記録の中にないのは何故か明らかにされたい。
〔3〕1969年10月4日、父親が市センターにおもむいた時、市センターケースワーカーであった岩田和郎氏のとった行為について
(1)法廷において岩田氏は父の話を聞き、栗田病院とか、その他いろいろなところへあたり、入院することもあるのでよろしく頼むと電話で段取りをつけたと証言しているが、ここにおける段取りとは一体、何を意味するのか具体的に示されたい。
(2)また、同氏は「まず医師にみせるべきだと思いました。それで本人がでてきたがらない場合は本人を説得して病院につれてゆく、それで病院を手配した」と証言していますが本人である私に会い情報確認をせず、またしようとはせず、即、病院を手配しているのは何故ですか。またいつもこのような形で行っているのですか。
(3)父親が帰るとき岩田氏はタキシラン6錠を渡しているが、これは医師の指示で渡したものか、また渡した目的は何ですか。
(4)市センターは本人を全くみないで、他の人の言を聞いただけで情報確認もせずして薬を渡すことができるのですか。
〔4〕
(1)大師保健所相談記録10月6日の項で今井氏が市センターとの電話のやりとりの中で「10月5日家族会議・・・・・思っているらしい」との記載があるが、これはどこから入手した情報なのですか。
(2)また「HCで訪問する!」との記載があるが、市センターに4日父よりの電話で今井氏の訪問等はなかったことにしてくれと断わってきたと岩田氏は証言しているが、これとの関係はどうなるのか明らかにされたい。
〔5〕1969年10月11日大師保健所のとった行為と他機関との関係について
(1)大師保健所予防課長井沢方宏氏、同所保健婦北浦美智子氏、市センター岩田和郎氏、多摩保健所の下川雅弘氏はいずれも本人に会うなり、情報確認の行為を全くしようとはせずして病院への連絡、収容、依頼しているが何故か。またいつもこのような形で行っているのか。
(2)北浦保健婦は同日市センターに電話をして種々の指示を受けているが、いかなる指示が誰からあったのか明らかにされたい。
(3)北浦保健婦は井沢課長に電話をして指示をあおいでいるが、この指示の内容はどのようなものですか。また井沢課長が指示を与えたとすれば、どのような判断根拠によるものか。
(4)下川雅弘氏は本件に関して大師保健所におもむいているが、それはどのような立場で行ったのか。
(5)市センターに遊びにきていたにすぎない、下川氏を大師保健所におもむかせ、その際岩田氏が市センターの記録をもたしたのは正常な行政行為ですか。またその目的は何ですか。
(6)井沢課長は証言で、この件に関して管理会にかけたと述べているが、その内容と結論。
(7)川崎市が指導している保健所の行う本人説得というものは情報確認を全くしていない内から収容、病院を決めていて、警察官を導入し、本人が拒否できないような状態にして行うのか。
(8)井沢、北浦両氏はともにサービスで行ったと証言しているが、ここでのサービスとはいかなる法的根拠にもとずくものか。またそれは誰に対するどのようなサービスですか。
(9)岩田氏が下川氏に渡した市センターの記録が多摩川保養院にわたっているが、これは秘密保持義務違反とはならないのですか。
〔6〕本事件の裁判に川崎市衛生局地域保健係皆川氏が毎回傍聴に来ており、ときには多摩川保養院側の弁護士と法廷外で協議したりしていますが皆川氏はどういう立場できているのですか。もし、出張(あるいは勤務時間中に抜け出して)で来ているとすれば、川崎市は本事件に関しての立場性を明らかにしてもらいたい。また全川崎市職員に本事件を公けにしないのは何故ですか。
(付記)以上について、多摩川保養院から出された川崎市あての訴訟告知書及び、日本精神医学ソーシャルワーカー協会より出された報告を踏えた上で回答されたい。

西山意見書 昭和四七年一一月二日
東京都立墨東病院神経科
医師 西 山 詮
川崎地方裁判所
裁判官 殿
被告(山本善三)答弁書および同準備書面ならびにその他の資料を詳細に検討した結果、精神医学にかかわるところの大きい若干の点につき、以下のごとく意見をのべる。
一 昭和四七年四月一一日付被告準備書面における第三項(一)にいうところの「医学上の経験法則」について。
(一) まずクロールプロマジンについて説明すると、これが今日でも精神安定剤の代表的なものの一つであることは被告のいう通りである。
しかし、このクロールプロマジンは、ある疾病には特効的な作用をもつが、他の疾病には用いても効果がないか、あるいは用いてはならないといった、いわゆる疾病特異性をもつのではない。それは疾病の種類を問わず、強い興奮状態や不安状態などに対して用いられる。したがって、興奮状態や不安状態にある個人をすべて精神障害者と呼ぶ(これは精神科医療における慣例に反する)のでないかぎり、精神障害者でない者、すなわちいわゆる正常人に投与されることもある。そして、この薬剤が興奮や不安を鎮静する作用があるという事実からもわかるように、ある種の心理状態にある個人を単に鎮圧するために、非医学的に用いられる危険もつねに存するのである。
ところで被告は「精神安定剤は、正常人に投与することは無意味である」と主張して、これをもって精神安定剤を投与された者が、精神障害者であるとの診断を下す診察がなされたことの証明に給しようとするかのごとくであるが、このような論証は正しくない。精神医学をもち出すまでもなく、正常人に対するこの薬剤の投薬が無意味であることが、この薬剤が正常人に対して投与されないことを証明するものでないことはいうまでもなかろう。まさに医学的には無意味な投与がなされたのではないかということこそ目下問題にされていることなのであって、解明されねばならない疑問を根拠の一つにして、他の立言を証明することはできない。
(二) つぎに「診察をしないまま投薬することはあり得ない」という被告の主張は、「診察をしないまま投薬することはあるべきでない」という当為を表明するときにのみ正しいといえよう。換言すれば、投薬はそれに先立つ診察を要請するのである。しかるに今問題になっていることは「診察をしないまま投薬すること」があったか、なかったかの事実の問題である。他の客観的な事実(たとえば診療録の記載)の提示によって証明すべき立言(「投薬に先立って診察がなされた」)を当為の問題にすりかえ、独断的な断定によってこれを前提の一つにし、これをもって証明すべき立言と同一の結論を導き出そうとするのは、明らかに循環論証の虚偽に属する論証であろう。
(三)さて、この第三項(一)の論旨を明らかにするために、これをつぎのように要約することができるであろう。
もしも投薬がなされたならば、それに先立つ診察が要請それる。しかるに投薬はなされた。したがって、これに先立つ診察が要請される。
以上の要約は論理学にいうところの仮言的三段論法における前件肯定式の形式的妥当性を満たしている。そして内容的にも、第一前提は医療にたずさわる者に対する基本的要請であり、何人にとっても真である。第二前提は指示処置簿の記載内容(乙第八号証二)がこれを証明している。かくして右の結論は真でなければならないが、これによれば、投薬に先立つ診察と診断の要請されることがますます明らかになるのみである。すなわち遅れて発見された指示処置簿は、処置に先立つ診察と診断をますます強く要請する契機にはなっても、決して診察と診断の存在を証明することはできないのである。診察と診断が存在したことの証明は他の客観的事実によらなければならない。
二 昭和四七年一月一七日付被告答弁書における第三項(二)にいわゆる「精神医学上の常識」ならびに関連事項について(一)右答弁書第三項(二)によると、昭和四四年一〇月一一日被告ら病院に到着したときの原告は、「前手錠を施され、服装が乱れ、興奮していて、明らかに格闘の跡があり、また声をかけても応答ない」状態にあったとされている。しかし、この状態をもって「外来患者として診察できない」ことの正当な理由にすることは不可能であろう。なぜなら、このような興奮状態は、場合によっては診察を困難にして、そのために長時間を要求するものではあっても、決して診察の省略を正当化するものではないからである。むしろ「外来患者として」診療すべきか否かは、被告ら病院の医師自らが診察して、これを決定しなければならなかったのである。
(二) 被告は川崎市衛生部精神衛生相談センターの資料の記載から「自閉・暴行・被害的思考・昼夜の区別のない生活態度・好争性等が認められた」といっている。しかしこれは事実というよりもひとつの解釈というべきである。
すなわち、このような事実から当然に精神分裂病が疑われたというよりも、むしろ同センターからの資料によって精神分裂のみを疑い、すでに入院を決定していたという事情こそ、他の事実(たとえば親子のけんか)をあたかも疾病現象であるかのごとくに解釈せしめた原因だったと考えられるのである。
いずれにしても、他人の情報から単に精神障害や疾病を疑ってみるということ、自ら診察した上で精神障害の存在を確かめ、その一様態として、たとえばそううつ病や癲癇ではなくて精神分裂病が疑われるという診断を下すこととは、全く異質な事柄である。そしてこの場合、さまざまな資料から疑いをもつという点に関していえば、安易に精神分裂病のみを疑ったということは、慎重を欠くことではあっても、けっして「精神医学上の常識」とはいえないであろう。
診断に際しての基本的方法としては、疾病の種類の診断の前に、まず精神障害があるかないか、すなわちこの件についていえば、原告の興奮状態等が疾病等にもとづくものか、あるいは単なる親子のけんか、その他の闘争にもとづくものかについて慎重な検討が必要だったのである。原告を入院させるにあたっては、このように基本的な検討が必須だったのであり、そのためにこそ入院前の診察が要請されるのである。
(三) 答弁書第三項(三)によれば、被告ら病院側は原告の入院翌日および翌々日の診察の結果、「自閉・発作性そう暴・被害妄想・病識欠如等の症状の存在を認め」、これを有力な根拠として精神分裂病の診断を下したという。
しかし、それぞれの当該日の診療録の記載をみると、入院翌日、すなわち昭和四四年一〇月一二日の原告は「比較的平静」であり、種々の問いかけに対して「素直に答える」状態にあると述べられているのみであって、精神分裂病を診断せしめる所見は一つとしてこれを発見しえない。入院翌々日、すなわち同一三日の診療録の記載は、その大半は原告の陳述を筆記したものからなり、最後に、診察をした医師の観察と見解の要約が附加されている。ところがこれらを見ると、原告が幻聴等や作為体験(ドイツの精神医学者クルト・シュナイダーによって精神分裂病診断の第一級症状とされている)などの存在を否定したことを医師が確認しているにすぎないのであって、むしろ積極的に病的症状と確認できるものを見出すことが非常に困難なのである。したがって右のごとき症状なるものの列挙は他からの資料に誘発され自らの診察を省略せしめた予断が、入院後にももち越されていることの証左と考えざるをえないであろう。さらにいえば、症状として添加された「病識欠如」における「病識」とは、自己が病気であることの自覚というほどの意味である。したがって当然に、病気であることが確かなときにはじめて、その存否を論じうるものであることは明白である。病気であることの自覚の欠如によって、病気の存在を証明することはできない。そもそも「病識欠如」とは、疾病の存否の判断に際してもち出されるべき「症状」ではなくて、たかだか疾病の様態ないし疾病に対する人間の心的態度について述べることができるものにすぎなかったのである。
診療録と答弁書によって明らかなように、この精神分裂病の診断に対しては、被告ら自身後に強い疑問を抱くにいたり、被告も診断を変更することを余儀なくされている。してみれば、その存在の疑わしかった「精神分裂病」において主張された「病識欠如」とは、被告ら病院における診断能力に欠陥があったことを疑わせるものといわねばならない。
かくして、入院前の診察を欠いたという決定的な失点に加えて、入院直後になされたと称される当直医の診察も、その困難が予想されるにもかかわらず、想定される診察時間はたかだか一五分にすぎず、あまつさえその診療記録を全く欠いているというのが実情である。さらに、「責任ある」「上級医師」らの診察も、診断学上の基本的な検討を欠いたがために、収容前の予断が充分な批判と考察を経ないままに診断へともちこまれることを許し、収容時に問題のあった入院を四〇日間の長きにわたって続行させることになったと考えられるのである。
(四) 以上に関連して、昭和四七年四月一一日付被告準備書面第一項について意見をのべる。
同項(一)に「精神病の特徴として(中略)入院までの経過は患者自身から聴取することができない」と述べられているが、これは正しくない。臨床的な経験からいえば、事実は患者自身から聴取しうることが少なくないのである。さらに、右の文章は条件的立言であるから、これを正確に書き直すならばつぎのようになる。すなわち「ある人が精神病の患者であれば、その人から入院までの経過を聴取することができない」というのである。ところがこの立言の前件はまず診察によって確かめられねばならないものであった。にもかかわらず被告は、入院前の診察をしないままに精神病の患者であることを自明の前提として、右の立言を肯定しようとしているのである。
本件の場合は、被告ら病院が原告自身から入院までの経過を聴取する努力さえもなかったという事実が重大なのである。そのような診察を省略することによって被告らは、原告がはたして入院や投薬等を必要とする患者であったか否か、そしてそのときの状態がはたして強制入院もやむをえないものであったか否かを確認する機会を失ったのである。
つぎに同項(三)において、被告は「警察官は当然に法に定められたところに従って行動しているものと考え、違法に入院せしめようとは疑わないから、求められるままに入院させていた」というが、これもまた入院の正しい方法とは考えられない。
いうまでもないことながら、警察官職務執行法は警察官の職務を定めたものではあっても、医師の職務を定めたものではなく、まして医師が精神衛生法に違反することを強制するものではない。入院が必要であるかの判断は、当該病院の医師に委ねられているのであり、医師が自らの責任において入院を決定するのが当然なのである。警察官職務執行法も精神衛生法も、医師が警察官に求められるままに人を入院させよとは規定していない。被告らの病院におけるがごとく、精神病院への入院が警察官に求められるままになされるとすれば、その意味するところは精神科医の医療における主体性を捨て去ることであり、病院を留置場や保安施設に変えてしまうことにほかならない。従来、精神科医療が治安対策や刑事政策によって歪曲され、自ら反医療へと変質してきたことの根本原因の一つは、医師の主体性の放棄にあったのである。このようなことが被告ら病院において通例になっているとすれば、精神科医療にとってのみならず広く一般の人権にとっても由々しい問題といわねばならない。
つぎに同項(五)の「初診」については、被告のいうようにもしそれが「責任ある」「上級医師」によってなされるべきものならば、それは当然に昭和四四年一〇月一一日、原告の入院に先立ってなされるべきであった。精神衛生相談センターからの連絡は診療時間内にあったのであるし、これによって医師が入院せしむべきことを定めた(同項(一))のであるから、原告が病院に到着するまで「責任ある」「上級医師」の少なくとも一人が待期すればよかったのである。
かりにやむをえぬ事情によって、しかるべき医師を待期させる都合がつかなかったとしても、当直医がその責任と能力のかぎりにおいて、入院に先立つ診察をすることもできたのである。そして診察をしたならば、上級医師であると当直医であるとを問わず、診療録に所見などを記載しておくのが通例でもあり本来的でもある。被告は、「当直医が入院時の診察をした場合にも、診療録には記載しない」と、あたかもそれが当然のことであるかのごとくにいっているが、そのような原則は一般に認められていない。適確な記載のあることがつねにのぞましいのである。とくに本件の場合のように、入院以来主治医等の診察によって病状の把握された患者に対して主治医等の指示にもとづいて処置をするにとどまる通常の場合とは異って、当日はじめて入院せしめられた者について当直医が診察し、自らの指示にもとづいて処置を行なう場合には、診察の結果を診療録に記載しておくことは、ほとんど必須というべきではなかろうか。
最後に、同項(五)において「精神症状は急変することのないものである」と述べられているが、これもまた二重の意味で正しくないことを指摘せねばならない。右の文は厳密にいえば仮言的立言であってつぎのように分析できる。すなわち、精神症状がもしあるとすれば、それは急変することのないものである、というのである。しかるに立言の前件については、精神症状、すなわちなんらかの病的症状がそもそもあったのかどうかの事実が、診察によって確認されていない。
三 入院中の「治療」について
(一) 昭和四七年三月一三日付被告準備書面の第三項(三)において、被告は原告に対してなされた入院治療が、「実質的には原告に利益をほどこしこそすれ、何らの実害をも与えていない」と主張しているので、この点につき意見をのべる。
まず治療の前提となる診察と診断についていえば、入院に先立つ診察のなかったことは被告も認めるところである。つぎに入院直後の診察によって原告が精神障害者であることが診断されたという点についても、すでにのべたように、充分で適切な診察があったとする何らの証明もないことが明らかである。
さらに、入院翌日および翌々日の「責任ある」「上級医師」による診察の結果は、これを診療録の記載によってみるかぎり、精神分裂病の診断はいうに及ばず、精神障害の存在を積極的に裏づける所見さえ欠いており、むしろ逆にそのような精神障害の存在を疑わしくする記載が多くみられるのである。
そして、入院後約一ヶ月を経た昭和四四年一一月一三日における他の医師(診療録には「古閑」(?)の署名がある)の診察は、上記診断に重大な疑義を呈するものとなり、被告も最終的には診断を変更せざるをえなかったのである。もちろん、単に誤診をなしたことをもって医師を非難するのは酷である。しかし、この件のような誤診は、入院前の診察による基本的な検討を欠いたという事情や精神衛生相談センターからの連絡等から安易に精神病のみを疑い、警察官に対して医師たるものの主体性を放棄して、予断にもとづいて強制収容を決定する等の手続上の粗略と密接な関係にあることが考えられるのであって、純粋に医学上の困難のためになされた誤診とは厳に区別されなければならない。
(二) では、このような誤診のもとにいかなる処置がとられたかをつぎに検討してみよう。
診療録と看護記録によると、昭和四四年一〇月一一日の入院当日から同一五日まで、クロールプロマジン五〇ミリグラムまたはレボメプロマジン(クロールプロマジンと似て強力な精神安定剤の主薬)五〇ミリグラムが注射によって毎日投与されており、加うるに同一〇月一二日からは経口投与剤としてクロールプロマジン一五〇ミリグラムとハロぺリドール(クロールプロマジンとは系統が異なるが、やはり強力な精神安定剤である)一〇ミリグラムその他が処方されている。注射および経口投与を合計すればかなり大量の薬物投与といえよう。はたせるかな同月一六日には、診療録に「尿がいくらきばっても出ないという」と記載されているように、排尿障害を生じたのである。このような場合、排尿障害は精神安定剤の副作用によることが疑われるが、被告ら病院もまたこれを考慮したらしく、従来のクロールプロマジンまたはレボメプロマジンの注射を急遽中止している。しかし経口的にはクロールプロマジン一五〇ミリグラムとハロペリドール一〇ミリグラム等の投与が続行され、これら精神安定剤を減量することなく、むしろ副作用に対抗するために他の薬剤を追加投与するという方法をとった。排尿障害は同月二〇日にもまだ存在していたことが診察によって確認されており、その後ようやくにして経口投与剤も変更されたのである。
以上は薬物の過剰投与を疑わせる事実である。
(三) 医療の問題でない場合に、当該個人を強制的に入院せしめて強制的に投薬するとすれば、その入院や投薬はただ外形的に「治療」に似るのみであってけっして医療ではなく、監禁や薬物による鎮圧等であるにすぎない。
そして、もしかりに精神の障害や精神病のあることが正しく診断され、治療の必要なことが明らかにされたとしても、これに対する薬物の種類と量は、その個人の状態に応じて適切に処方されるべきである。精神障害の存在は、けっして無条件に薬物の投与のあらゆる方法を正当化するものではない。「比較的平静」で、問いかけに対して「素直に答え」、精神病に特徴的とされる症状も見い出すことのできない状態に対する処方としては、被告ら病院における右のごとき薬物の質および量は、著しく釣合を欠き、大量に過ぎたものといわねばならないであろう。
このようにみてくると、入院治療およびその一環をなす薬物療法も、そもそもそれらが治療でありえたかに重大な疑問があり、またもしそれらがかりに治療的にほどこされたことを認めるとしても、その実施に適切を欠くところがあったといわねばならない。
かくして原告の入院は、実質的にも原告に利益をもたらしたとはいい難く、むしろ原告に対して不利益をもたらした疑いがきわめて濃いというべきであろう。
以 上

意見書
精神科医師
岡上和雄
貴庁昭和四六年(ワ)第三八〇号損害賠償請求事件(原告、Y、被告、山本善三)について意見を述べたいと思います。
意見の前に私の立場を述べます。
本事件原告訴状に対する被告側答弁書、同準備書面、被告側訴訟代理人の川崎市宛訴訟告知書に川崎市精神衛生相談センターと本事件の関連を示す記載があります。
私は、昭和四三年一月から同四六年六月まで、すなわち事件当時を含む三年六ヶ月の間、前述精神衛生相談センター所長の職にあった者です。その後は、昭和四六年七月より同四六年八月まで川崎市心身障害総合センター社会復帰医療センター準備室長、昭和四六年九月より同五二年九月まで同所長として、主として精神科関係の診療に従事しておりました。
私が川崎市職員として在職したのは昭和四二年十一月一日より昭和五二年九月三十日までの九年十一ヶ月であります。
以下、私は本事件について当時、本事件に関わりをもった川崎市公務員として精神科医師として思うところを述べようとするものであります。
意見
本事件の争点のひとつは、ひとりの少年(当時)がある日、突然、身柄を拘束され、それが四十余日にわたって継続された事実に対し、それが正当な根拠をもっていたか否かという点にあると考えます。
以下、その点について手続、経過その他について以下の順序で述べることとします。
一、入院前における医学的手続要件
二、原告を入院に至らしめた経過の分析
三、精神衛生相談センター相談記録の診断上の価値
四、補足的意見
(一)精神医学的診断と精神科医の態度
(二)原告に対する被告病院側担当医の診断について
(三)入院前における「切迫した状況」と精神衛生法第三三条に基づく入院との関係
一、入院前における医学的手続要件
医療機関への入院という診療の形態は当事者との契約を基本とするものであり、この原則は精神科医療でも同様であります。
にもかかわらず精神病院への入院について、当事者の同意に基づかない入院に関する特別な規定が設けられているのは、現に本人の意志に基づかない入院を考慮しなければならない事態が存在すること、ならびに精神病院の管理者に入院中の者に対し行動の制限を加え得る権限を与えている(精神衛生法第三八条)ところから生じたものと考えられます。
本事件の場合、精神衛生法第二九条に関連する手続がなく、原告の同意もありませんから当然、同法三三条の要件をみたしていたか、否かが法手続上の重要な点となります。
周知のように、精神衛生法第三三条による入院に際しては、本人に代り保護義務者の診察の申込みがありついで入院の同意を必要としますが入院の前提条件として以下の二点がみたされていることが要請されております。
イ、同法第三三条にいう精神障害者と診断されていること
ロ、入院が必要と認められる状態であること
すなわち、精神衛生法による入院が本人にとって強制という不利益的側面をもつために、対象に限定を加えているのであります。
イについては、精神衛生法の原則的なことがらでありますから、特に説明を要しないと思います。
ロについては、精神衛生法三三条に「その者が精神障害であって、入院を要する状態であること」と明記されていますし、さらに、具体的には、去る昭和三六年の厚生省公衆衛生局長通知(精神障害者措置入院及び同意入院取扱要領について)において、同意入院(すなわち同法第三三条に基づく入院)も保護義務者の同意があるとはいえ、患者自身にとっては、強制であるので、対象の決定について精神病院の長は十分慎重な配慮を要するものである、と記されており、同意入院を行なうことができる場合の標準が示されております。
本事件の場合も上述イ。ロの要件が入院前に果されていることが、まず不可欠なことであります。
なお、これに関連し、すでに昭和三二年厚生省公衆衛生局通知(精神障害者の取扱について)において、入院させるにあたっては、医師が本人に面接もせず、診断を下すことのないよう厳に注意すること、とありますが、これは保護義務者の入院同意手続にさきがけて、医師の診察が必須であることを示したものにほかなりません。
いうまでもなく医師は、診察をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならぬ義務を負い(医師法第二四条)、記載にあたっては病名、主要症状などを記すことが要請されております。(医師法施行規則第二三条)。
本事件のように、入院の根拠が、奪われる場合、まず必要なことは、原告の入院に際しての被告側医師の診察所見の提示であり、そこに既述イ、ロの要件(法第三条にいう精神障害者であること、入院を要する状態と認められること)が含まれていることと考えます。保護義務者の入院同意手続の問題は、この前提のあとに生ずる要件であります。周知のように、精神衛生法第三三条に基づく入院に関しては、その実施にあたり、精神病院の管理者に大きな権限を与えられておりますからその責任も格別に重くここに述べた手続要件をみたすことは必要最小限の義務といわなければなりません。
本事件の場合にも、被告病院側医師みずからの面接による診察所見が示されそれに対し、原告側が反論を加える形になればいわゆる診断をめぐる争いになり得ると思いますが、入院前ないし入院時における医師の診察所見の提示がないかぎり診断論争以前の問題として、同法第三三条に基づく入院としての要件を欠くといわざるを得ません。
二、原告を入院に至らしめた経過の分析
前節で、被告病院側に入院前ないし、入院時診察所見について必要十分な提示がないかぎり、精神衛生法第三三条に基づく入院に関する医学的要件を欠くとみざるを得ないことを述べました。
本節では異例とも思われる事態が何故に発生したかを今少し経過をさかのぼってふり返ってみたいと考えます。
さて、ある種の環境のもとに精神衛生の問題が多発することは、今や動かしがたい経験的事実であります。個人全体とそれを包む環境から切り離した疾病という概念が抽象的概念に過ぎないという見方は、他の臨床科の領域でも指摘されることでありますが、精神科ではとくに重要な観点であります。
そこで、精神科の場合には、とくに初診の場合誰によってどんな理由で診療の場にもち出されたとか、ということの検討がしばしば大切な着眼点となります。
本事件の原告が被告病院側に強制連行されるまでに関わりをもったのは当時、私が所長であった川崎市精神衛生相談センターと川崎市大師保健所であります。川崎市精神衛生相談センターは、川崎市条例に基づき精神衛生に関する相談、指導及び診療を行ない、並びに精神衛生に関する知識の普及及び調査研究を行なうことを業務とする精神衛生に関する専門機関のひとつであり、他方保健所は精神衛生に関する第一線行政機関(精神衛生法第四二条同四三条保健所法第二条九号の二、昭和四一年厚生省公衆衛生局長通知(保健所における精神衛生業務について))と定められております。したがって、その入院までの経過は非専門機関ないし一般市民によって精神障害を疑わしめる存在にさせられた場合と同一にみる訳にはゆきません。
当然より適切な把握が行なわれているべきでありました。もちろん当日の条件として時間的制約その他の事情がありそれを十分に行ない得たかどうかという点もありますが、結果的にみて次にあげるような何点かの反省点を残したことは明白なことと考えます。
イ、昭和四四年十月四日、父親が精神衛生相談センターに来所職員が受理面接をしているが、その後の関わりについて所長として報告を求め雨後の方針について協議を怠ったこと。
ロ、昭和四四年十月十一日原告を被告病院側に連行するにあたり、原告との面接、事態の確認を第一義的なこととせず、すべてを被告病院側に委ねる形で処理したと考えられること。
ハ、明白な根拠を有しないと思われる状況で、原告の身体を抑制したこと。
ニ、結果的に警察官の手錠のもとに病院に強制連行することとなったが、その際応援に来ていた他保健所職員を付添わしたのみで大師保健所職員は同行せずまた受診後の帰宅を予想した待機もなかったと推定されること。
ホ、原告退院後昭和四五年一月二四日、原告の両親が原告の入院をめぐる問題について川崎市で行なっている市民相談に来所の折、私は精神科医として立ち合っているが、論拠不鮮明のまま原告に対し適切とはいえない応接を行なったこと。
ヘ、昭和四四年十月四日、精神衛生相談センターにて来談した原告の父親似ペラジン二五ミリグラム錠六錠を指示径路不明のまま手渡した事実ならびに昭和四四年十月十一日、原告入院時に精神衛生相談記録としては、きわめて不備な記録を被告病院側の求めに応じ無条件に複写せしめた可能性のあること。
以上のうちイホヘはいづれも私が所長であった精神衛生相談センターないし私自身に直接関わるみのであります。
これらに関連し次に被告病院側が診断の材料として重視しているとみられる昭和四四年十月四日原告の父親が精神衛生相談センターに来所した際の相談記録の診断上の価値について述べてみたいと思います。
三、精神衛生相談センター相談記録の診断上の価値
イ、本記録は、父親の目を通じ父親にとって理解しがたい原告の言動を記したものであります。ある人にとって理解できない言動が精神病の現象と直接的に結び付くものでないことはあまりにも明瞭なことでありますからこれ自体が単独で診断の根拠になることはあり得ません。
ロ、また本記録は相談記録としてもいちじるしく未熟であります
相談業務の対象は基本的に来談者でありますからまずもって来談者の気持を理解し、来談者自身に気持のゆとりをもたらすことを第一とするものであります。
本記録では来談者である父親の気持の動きが把握されておりません。またどんな支持、どのような示唆を与えたかも不明であります。
これらの点は専門機関として原則的なところでの未熟を示すものと反省せざるを得ません。
さらに付け加えれば、本記録には母親、本人の訴えがありませんから状況把握の素材としてもきわめて不備であることは申すまでもありません。
ハ、もちろん現実には不備な記録から出発せざるを得ないことも少なくはありませんが、どの場合でも診断の基本は本人の病的主観体験ないし顕著な客観症状の把握といった診察所見と相談記録の双方を合せて総合所見というとすれば病的主観症状ないし、顕著な客観症状と相談記録における事項との照合もって総合の具体的な内容とすべきと考えます。
以上、病的主観体験ないし顕著な客観症状等を示す診察所見がないかぎり本記録の診断上の価値はないことを述べました。
四、補足的意見
(一)精神医学的診断と精神科医の態度
精神衛生相談を行なっておりますと、現に精神病を患っている者が、病人ではないその家族を精神障害だから入院させてほしいといってくることがあります。また、高熱にうなされている他の病人があやまって精神病として連れてこられることもあります。当人の言動に関し、了解が困難になると他科の医師を含めさまざまな人がその者に対し、精神障害を疑いやすいことは直視しなければならない事実と考えます。
一方精神医学的診断、診断に基づく入院は他の臨床科のそれとくらべ次の二つの意味で安易にはできない問題を含んでおります。
第一は次の引用文に記されているように「・・・・・安易に精神病院に収容することは、厳に慎まなければならない、このような体験は、その人間の精神構造に修復しがたい傷跡を残す危険性がある」。という点であります。
精神病院に対する不当な偏見は将来において打破してゆかなければならないのは当然として現に「○○病院行き」ということばに象徴されるような社会の態度が根強くある以上、無益な入院を避ける努力は精神科医にとって避けることのできない課題といえます。
第二は、不必要な診断名はそれを与えられたことによって当事者の自己不信を招く可能性がある点であります。
以上は、精神科医の責任の重要な側面として受けとめるべきことと考えます。
「分裂病の好発年令である思春期には、情緒面が不安定で思考も主観的、感傷的、空想的で潔癖であり精神外傷やさまざまの情緒刺激の影響を受けやすい、したがって患者の生活史的背景や現在の環境についてよく調査し患者の症状がこれら思春期の心的特性に照らして共感できるものである場合には診断はとくに慎重に下すべきである。
たとえば登校拒否の形で現われた症状が、両親の態度や学校生活に対する矢望や反抗の表現であることもある。したがって、ある個人の思考や行動がその年代層の平均から逸脱するからというだけで分裂病と判断し、安易に精神病院に収容することは厳に慎まなければならない。このような体験は、その人間の精神構造に修復しがたい傷跡を残す危険性がある。精神科医の手には患者の基本的な人権がゆだねられていることを常に自覚し、診断は慎重の上にも慎重を期さなければならない」。
以上は、初心の精神科医に対して書かれた解説的な本からの抜粋であります。
右に関連し、次に原告に対し被告病院主治医が明言している精神分裂病(破瓜型)にしぼって私見を述べたいと思います。
(二)原告に対する被告病院側担当医の診断について
被告病院側主治医が原告に対して診断名として与えた精神分裂病(破瓜型)、破瓜型分裂病とは一般的に、「経過はふつう進行性で直線的にあるいはごくわずかの回数の憎悪(シュープ)ののちに分裂性痴呆という末期状態に至る」ものをさすか、時により、「症状の如何にかかわらず若年期に発病する分裂病を破瓜病的」と称する立場があります。一方そこには「思春期には、一見破瓜病とまったく区別のつかなような状態が、神経症あるいは危機反応として起こり得るので診断には慎重を要する」という当然の指摘もあります。
ところで前述のいずれの立場をとるにせよ、破瓜型分裂病の治癒が決して容易ではなく、長期の治療継続を要する事実は大方の認めるところであろうと思います。でありながら、ここには退院後そして医療から離れてすでに八年実社会で自己実現を果しつつある原告の姿があります。
精神科医として、この関係をどうとらえるかは、今日の段階に至ってきわめて重要なポイントであります。これに関連し、左に引用する一文はきわめて有益と考えます。
「私に(とって)は、分裂病状態を診断する時、破瓜、緊張、妄想型などの下位分類をつけることはその定型的な症例をのぞいては、もう十年以上も前から例外的なことになっている。
また分裂病状態の他に境界状態、欠陥状態などという誤解を生み易い診断は避けて分裂性傾向とか反応とか後遺状態などの診断を用い、「分裂病」は経過をみた上で明らかなものに限定して用いている」。
この前東京大学教授(精神医学)の分裂病の診断に対する考え方は、謙虚に受け止めるべきことと考えます。
特に最後段の「分裂病」(という診断名)は経過をみた上で明らかなものに限定して用いている」という診断に対する態度は本事件にとって大変教訓的であります。
そもそも、精神科の治療とは、ある側面でとらえれば、精神障害者を「社会的に」精神障害者でなくすることに第一義的な使命があるともいえるものであります。すでに十分というに足りる年月を経て、その生活のあり方も追跡できる今日分裂病(破瓜型)であったか否かを判断する材料は豊富になったというべきであります。
その際、十分な根拠がないが分裂病(破瓜型)に固執するのと、確実といえる根拠がないからそれを否定するのといすれが精神医学的ないし医療的に正しいのかどうかを考慮することも肝要な点だと思います。
私は当時の川崎市精神衛生相談センターの所長として原告のその後の歩み社会に対するかまえを若干知るに及んで分裂病(破瓜型)というわけにはゆかないと強く感じているものです。
あわせて被告病院側に今なお分裂病(破瓜型)なる診断を固執せしめている状況をつくり出した経過に、行政側の精神科医として強く責任を感じていることも付け加えておきたいと思います。
(三)入院前における「切迫した状況」と精神衛生法第三三条に基づく入院との関係
別表中、申請通報件数とは、精神衛生法第二三条、同二四条、同二五条、同二六条に基づき「その精神障害のために自身を傷つけ、又は他人に害を及ぼすおそれがある」という判断のもとに、申請通報もしくは届出された件数で本事件発生前後の五年間の数値を示したものであります。
この表で重大な関心を払わなければならないことは、「自傷他害のおそれがある」という極端な状況と受け止められた場合でも調査によって鑑定の必要がないと認められたものがかなりあり、さらに、鑑定の結果該当症状をもたなかったものが相当数あり、加えて、調査の結果、鑑定にもち込まれながらなおかつ精神障害者でなかったものが常に存在する点であります。
この表が示すものは、「切迫した状況」の有無を入院の当否と短絡的に結び付けてはならないという事実であります。
以上

※この意見書は、原告側が裁判所に提出する予定で岡上医師に依頼したものであるが、未提出のまま裁判が終了したため最終の意見書ではありません。
事務局


*作成:桐原 尚之
UP:20170228 REV:2024/03/08
全国「精神病」者集団  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)