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お任せしましょう水上さん

花田 春兆 1963/10 『しののめ』51→
19681020 『身障問題の出発』,pp.78-85

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 (再録は『身障問題の出発』より。頁(△)もこの本での頁。

 「切捨て卸免のヒューマニズム」では、『婦人公論』の座談会での水上勉氏の発言に触れましたが、その原稿が印刷所でもたもたしている間に、当の水上氏は、粂件によっては重度障害の新生児に安楽死を与える生命審蓋会の設置に救いを求めようという座談会の発言から、鮮かに転進(?)して、重症児をなんとしても生かしていこうとする親の立場からの発言を、『拝啓・池田総理大臣殿』として『中央公論』に公開し、翌月の同誌に総理の代理の黒金官房長官の『拝復・水上勉殿』を書かせ、間髪を入れず、その『拝啓』を巻頭に載せた評論集町『日本の壁』を出版して了ったのです。
 これだけの間、一且原稿を印刷所に廻した以上、こちらとしては、如意樟を封印されてしまった孫悟空よろしく指をくわえて見ている、否読まされているより他ないのです。
 世間の人のスピードの早さも驚ぎですが、本誌の超時代的な超スロー・ペースも見事過ぎました。今になっては、この公開状の往復についての感想も時期おくれであり、更にこれから印刷する期間を入れると、そうした書簡がやりとりされえ事すら忘れられる頃です。そこに反って、忘却からの復活という意味もあり、巧く活用して下されぱ、丁度各省の予▽078 算が作成される時機に当るのですが、なんとしても一度お預けさせられたペンは走りが悪いのです。
 でも、ともかく一重度嘩害者の親としての素朴な訴えに、当局者が回答をしたという事実は貴重だと思います。一つの確実な消えない足がかりとして活用出来るのですから。
 勿論、回答者が名宛人でなく代役であった点とか、曲りなりにでも『厚生自書』などにも出ている重度障害者への対策の乏しさと必要性が、こうした直訴のカタチをとらねば為政者には果して通じていなかったのだろうかという不信感とか、不満は大ありです。
 緒局は、世に轟くネームバリューと、ジャーナリズムに占める位置と、そして一千万円という冒しがたい納税額の圧力のたまものであって、たとえ同じことを言ってもそれの備わっていない人であったなら答えが貰えたかどうか?。いくら数をもって実情をもって厚生省の窓口を叩き無名誌の誌面を埋めても所詮は………という一種の無力感もわきます。敗北主義や、偏ったスター主義に陥ったままで終る御心配は御無用ですが、極く自然な気持として湧いて来て了うのです。こうした世ならばそれに対応する為にも、多額の納税領はともかくとしてもネームバリューのある私たち自身のスタータレントが是非欲しいという気持………。しかし、声なき声、影なき影のような存在にしろ、無名無力でもそうした人々がいるのだという事実の持つ圧力。その圧力を感じさせる何物かが全く無かったとしたら、水上氏自身書くことをちゅうちょしたでしょうし、マスコミは取上げなかったでしょう。為政者は黙殺することに何の痛庫も感じなかつたでしょう。一時代前ならそうした△079 子供がいる事をすら恥としたであろうに、堂々とぺンにする事が出来るのも一人や二人のカせはなく、無名無力の人々多勢のカのおかげだと思うのです。
 それにしても、水上氏の『拝啓』は、現代社会と激しく切り結んでいる推理作家の書としては、あまりに私情的な匂いが強く些か物足りぬ感じのものでした。私信的なものだけに身に迫る切実感とか、一人の流行作家の納税額より心身障害児に対する一国の一年の対策費の方が少ないという驚くべき現実感とかはイキイキしていますが、同じ『日本の壁』所載の北海遭のボリオ問龍を扱った一篇が、足と数字を充分に駆使しているのに比べても遙かに拡がりと迫力を欠いていると見られます。
 だからこそ、累進課税の観明と東西ニケ所の療育園の補助の増額というタッタそれだけ(もっと広く根本的な障害者対策は見事に棚上げ)で、第三者には充分しているように思わせられるいとも効果的な『拝復』で逃げられて了ったのです。尤も組みし易しと見えからこそ回答をする気にもなったのでしょう。それに重度障害者となると、まさしく推定のその数を並ぺる為の受料を入手するのさえ出来難い現状なのですから、水上氏の責任ばかりではないのですが………。
 ところで水上氏は、肝腎な事を一つ気付かずにいるようです。いくらゴルフ場に通って健康に注意しても、脊髄破裂のそのお子さんが不測の事態で天折されない限りは平均余命からして親が先に逝くのは当然なのだ、と申しても失礼ではないでしょう。若し又、そんな場合を些かも考慮する必裏がなくてすむなら、そのお子さんに月何十万円かかろうが氏△080 は現在の収入の何割かでも充分事足りる筈なので、好んで肩凝らし徹夜までする必要はないのではありますまいか。
 水上氏よ。問題はこれからです。あなた亡き後、あなたが折角稼ぎ貯めた財産の何割が実際にお子さんの手に残るでしょうか。おそらく大半は相続税として”持っていかれ”て了うのです。この場合現在の税法では、お子さんがどんなに重症者で生活能力に欠けていたとしても、何らの配慮もなされはしないのです。そして持って行くだけ持って行ってもお子さんの手に何程かが残れぱ残った物が無くなり切るまで致府は何一つビタ一文してはくれないのです。
 あなたの衷現を借りればまさに、持って行くだけです。資本主義を旨とし私有財産を守り、しかも障害者福祉をロにする政党が政府を司っている国であってみれば、こうした重症者に財産相続税の特典を与える特例を用意していないのはどうにも不思讃でならないのです。
 水上さん。もう一度『拝啓・池田総理大臣殿』を書く必要があるのではありませんか。小幸な子供の将来を想つて必死に働きつつ同じような不安と不審の念に駆られているのであろう親たちの代表として………。

 これも水上氏の筆になるものでずが、島田療育園訪問記が『婦人倶楽部』に載っています。ここで水上氏は、西村厚生大臣が△081
 −日本のように宗教心の薄い国民では施設を作ってもそういう場所で働く人が集まらないのではないか−
 と言ったのに、現実には、献身的な人々が集まり全画各地からの反響がある、という事実をあげて、そこにも政府の認識不足のある事を突いています。
 今はもう前厚生大臣になつた西村氏の言にも一理あるでしょう。しかしその一理は総理大臣や文部大臣としてならともかく、厚生大臣としては完全に失格です。集める上うに努カするのがお仕事ではありませんか。
 宗教心が薄い、そう着眼したなら、そんなものに頼らずもっと現実的に別の面でお考えになれなかったものか、と残念です。
 カギだけ書きます。
 小さい民間の施設で働く人々には、公務員並の俸給もべースアップも病気や退職後の保証も到底望めないのだそうです。現に私の知人にも、民間の重度障害者収容施設への就職の遺志は十分に持ちながら、生涯をそこで働いた後の保障の空しさに怖れを感じて踏み切れなかった人がいます。
 こうして状態を放置しておいて、単に宗教心の薄さだけを言えるでしょうか。

 女性週刊誌『J』が抗議され、K社が勧告を受けたようです。又してもの感じです。△082
 母体にサリドサイド剤を飲用させて奇形児出現の可能性の確率を確かめよラとし、胎児を堕した父母の手記を載せたカドで………。取材される者との間によくトラブルを起す程手前勝手なデフォルムをするのを常套手段とするK社ですし、早く言えば医学的知誠も無しに自分の子やその母体たる妻をモルモットにして了つた異常な(異常だからこそ売物になるのですが)父親なのですから、弁護する必要はありません。
 それにレントゲン写真にしろ死児の姿に見入る父親を写している写其は、演出を焦って文字通り屍をサラシ物にした愚を犯していてどうにも感心出来ません。
 (けれど、その他の、死児の兄に当るサリドマイド奇形の子の写真は、どれも可愛らしく撮れていて、同類の子が島田療育園などでエンゼルと愛称されているというのを肯かせるもので、不快感を与えるだの、見せ物視だのと騒ぎたてる程のものじゃないと思うのです)
 別件タイホ、私にはこの言葉が閃きました。どうも、欺してでも一人の医師の意を得れぱ母体ともども胎児をモルモットに出来、何らかのカタチで必ず危険を伴う中絶を簡単に行える、しかも、そうした行為をした人に対して何の手の打ちようもないズサンな優生保護法の腹イセに掲載誌を槍玉にあげたと思えたのです。
 どこかに逆コース的な匂いがするという人もいますが、堕胎天国などど言われている現状が人命軽視の風潮に拍車をかけられているとすれぱ、それを再検討する方が本節だろうと見当をつけたからです。△085
 ところが、あくまでも枝葉末節である筈の掲載公開した点だけが責められ、この種の児童の写真を公開するのは児童の人権無視であるという事になり、こうした児童に不快感を与える出版は自粛ずべきだ、という追討ちがかけられました。
 どこかズレて行きまず。悪い方にです。多くの人に実惰を如らせる事によってこそ対策も促進する事が出来るのではないでしょうか。自粛は萎縮されて了っては漸く盛り上ろうとしていろものがモトのモクアミになりかねません。否、むしろ”クサイモノにはフタ”式に押しっぶされそうとする勢力に利用されかねません。私たちにはその方が恐しいのです。それに、手記の取上げ方には、新開や放送で非難されている程の酷さは感じられませんでした。手記、つまり父親の行為を無批判で載せているのでなく、批判は加えてあり、更に”世の批判に供する”という意図も窺えます。第一、仮にこの特異の手記が他社に持込まれたとして、出し方はともかく取上げずに見拾てる編集者かいるでしょうか。他の人は知らず私なら、多少の危険よりも、報道しない事の怠慢の方を怖れたでしょう。
 たしかにこの手記(どうも巧く出来すぎている気がします)は異常ですが、異常さに隠されて了っているこの父親を異常さに追込んだものを見落して了っていいものでしょうか。サリドマイド剤を造つた会社、認可した厚生省、更にこの手記の通りだとすると、方便にせよ「人体実験」という言葉を口走ってこの父親をこの異常な行為へ追いやる暗示を与えて了った製薬会社のひと………
 「一〇パーセントの正義感。それ位は認めてやるべきだろうな。掲哉した意図の九十パ△084 ーセントはアヤシゲなモノだが、例え僅かでもその正義感は圧迫すべきじゃないんだ。ケシカランよ」
 或る友人はこう言って償慨しています。果して正義感と呼べるシロモノかどうかは別にしても通じるものはある筈です。第一児童の人格の尊重、などと言われると、それならこうした子供達へ積極的に充分な施策をしておいでですか、反問したくなりまず。
 本人本位に支給されるべき障害者年金さえ(成人ですよ)保護者の収入云々で停止しておいて、果して個人の人権が尊重されていると言えるでしょうか。”予算が不足だから”許されるなら、民間会社には”儲ける為には仕方がない”が許されるでしょう。
 どうも、こう拡げると際限ありません。が、この抗犠一つからでも、厚生省、製薬会社(場合によつてはライバルの会社)・サリドマイドベビーの親たちの集い・光文社(同じくライバルの出版社)それぞれの意図と、これらの反目と提携・暗躍など幾通りかを想定出来て一篇の推埋小読になりそうです。
 しかし、餅屋は餅屋と言います。水上氏にお任せしましょう。

 −注−
 三十八年十月 「しののめ」五一号
 時間的には「切捨て御免のヒューマニズム」に続くもの。

◆花田 春兆 19681020 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7,163p. 350 ※r copy:A4/東京都障害者福祉会館403


◆水上 勉 196306 「拝啓池田総理大臣殿」,『中央公論』1963年6月号,pp.124-134

◆黒金 泰美 196307 「拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える」,『中央公論』1963年7月号,pp.84-89


cf.
立岩 真也 2012/12/24 「『生死の語り行い・1』出てます――予告&補遺・6」
 生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa06.html


再録:立岩 真也
UP:20150219 REV:
花田 春兆  ◇重症心身障害児施設  ◇障害者(運動)史のための年表  ◇障害者(運動)と安楽死尊厳死  ◇安楽死尊厳死  ◇全文掲載 
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