拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える
黒金 泰美 1963 『中央公論』1963年7月号,pp.84-89
水上さん。まず最初に、総理にかわって、いわば番頭役の私が返事をかくことをお許し願いたいと思います。折角、総理にあてておかきになったあなたに対して、礼を失することとは思いましたが、なにぶんにも多忙な総理の日常をご賢察下さって、ご容赦を願う次第です。
私は、あなたの文章を拝読して、心身の不自由な子供たちへの国の施策に対する深い関心、とりわけ、そうした子供をもたれる親御さんとしてのお気持に胸をうたれました。先週末、総理が箱根に静養に赴かれた折、ぜひこれを読んでいただきたいとお願いいたしました。総理も、感動された模様です。帰京した翌々日の閣議で、突然、厚生大臣に「水上さんの文章を読んだか」と質ねられ、「対策を報告してもらいたい」と要望されました。
ご承知のことかと思いますが、池田さんは、大蔵省で税務署長をつとめておられたころ、それこそ数千万に一人しかないといわれる、難病にかかられました。闘病、五ヵ年、ほんとうに奇蹟的に恢癒されたのであります。その五年の間に、自分自身で体験された苦悩、「全財産をなげうっても全快させたい」と治癒に全力を払われた、ご両親はじめ近親の方の情愛、こうした思い出が現在、当面しておられる、あなたのお嬢さんの苦痛、あなた方ご両親の心情に通うものがあったかと思います。あなたのお嬢さんの「直子」というお名前が、看病の途中に亡くなられた前夫人、そのゆかりで名づけられた総理の長女の、それとくしくも同じことが池田さんの胸を一層強く打ったのかもしれません。
水上さん。私は、あなたのお嬢さんとあなた方ご両親に心△84▽85から同情の念を禁ずることができません。同時に、あなたが、あの一文を草して、私どもをはじめ社会の人たちの関心をひきおこして下さったことを、素直な気持でうけとりたいと思います。と申しながら、あなたがあえて家庭内の秘事をさらけだしてまで、あのような訴えをなさらなければならなかったことについて、私自身深く反省しております。定時制高校を卒業した人たちの就職の問題にせよ、今度の問題にせよ、池田総理が陽の光、水の養分のたらぬ方面に心を配っておられることは、側近にいてつねに感じられるのです。それなのに、私どもの不行届きから、あえてあなたが書かれるまで、問題として取り上げることができなかったことを残念に思い、反省している次第です。
水上さん。前がきが長くなりましたが、本論に入りたいと思います。
現在、心身に障害をもつ子供さんたちへの対策は、児童福祉法の規定にしたがって行なっております。この法律によりますと、肢体不自由、つまり「身体の不自由な子供」と「精神の薄弱な子供」との三つに分けて、それぞれについて治療と教育との施設をもうけております。身体不自由な子供のための施設は全国に五十五ヵ所ありますが、国はこの設備をするために必要な金の二分の一を補助することにして、本年度の予算では一億三千五百万円をくみ、療養、教育などの施設の運営に必要な金については、その十分の八を補助することとして、本年度は八億二千万円をくみ、この外に義手、義足などを支給するため必要な育成医療費について、同じく十分の八の補助金三億六千万円等を加えると、ほぼ十二億五千万円の予算になります。
精神薄弱な子供のための施設は、全国で百六十六ヵ所ですが、同様の補助率で、施設費に一億六千万円、療育費に十一億五千万円、合計十三億円ほどの予算を計上しております。お嬢さんのかかられた、ご病気の手術なり、予後の手当なりは、「身体不自由児の施設」でとりあつかうことにしております。
このように、一応は、不十分ながらも、身体の不自由な子供と精神の薄弱な子供とに対する児童福祉の施設はできております。ところで、問題は、身体も不自由であり、しかも精神も薄弱だという、いわば「二重苦の子供」たちのあつかい方です。児童福祉法が、身体不自由と精神薄弱との三つに区別してその療育施設をきめているため、その双方からとりのこされた二重苦の子供たちを、どこで療養し、教育するのか、そのとりあつかいに厚生省は困っていたのです。ご指摘のとおり、東京都下にある私立島田療育園に対する国の補助は、二ヵ年間の合計が千万円であります。しかし、これは前にあげました、身体不自由あるいは精神薄弱なる子供たちを療育するための補助金ではありません。それとは別に、二重苦の△85▽86子供たちをどの施設でどうあつかったらよいか、その方法を検討するための研究費に対する補助金です。厚生省もこの問題をなおざりにしていたわけではありません。島田療育園に研究をお願いすると同時に、先進諸国の実例を視察して検討をつづけていたのです。
その結果、本年度の予算では、こうした二重苦の子供たちの療育対策として、専門の病棟を二ヵ所、精神薄弱児施設に付属としてつくるものを五ヵ所、決定しました。前者は、島田療育園と、びわ湖学園とで、百五十床分の設備費、百四十床分の療育費の補助を、後者は、北海道、栃木、愛知、三重、徳島の精神薄弱児施設にそれぞれ二十人分の療育施設をもうけることの補助を――補助の率は二分の一と十分の八の従前通りです――計上したのであります。あなたがご覧になった厚生白書には、昨年度までの実績しかのっていませんから、こうした改善策をご存じないのはむしろ当然です。また、この対策を講じただけでは十分でないことも勿論です。厚生省の調査によりますと、施設に収容して保護しなければならない、重い精神薄弱の子供だけでも全国で約一万三千人にのぼると申します。それに対して、国立の施設は百二十五人を収容する秩父学園一ヵ所にすぎず、既存の施設に今年度の分を加えても、収容されるものは三千人にも足りません。不十分なことはこの数字からみても明瞭で、将来この方面をもっともっと拡充しなければならぬことは当たり前です。
水上さん。あなたは、公共投資、文教、社会保障、という予算のいわゆる三本の柱の中で、社会保障関係の経費が財源不足の理由から低目に押えられて、どこまで重点をおかれるものかと懸念しておられました。私どもからみますと、この三本の柱はいずれも大切であり、ぜひしたいし、しなければならないことばかりなのでありますが、他方、限られた財源の中で按配する以上、どれもこれも十分というわけにはまいりません。
同様に、ご指摘の減税との関係も、国の仕事を多くするためには多くの税収が必要なのでありますから、国の仕事の方も多く、減税も多く、というわけにはまいらないのです。結局は、こうしたいろいろな要望を、均衡をとりながら、実行にうつしてゆくことが大切であると思います。ご承知の通り、本年度の予算は全体として十七パーセントの増加ですが、その中で、社会保障関係の経費は二十二パーセントも増加し、ことに児童福祉施策では、過去二ヵ年間に七十一パーセントもの増加をしめしていますから、これらの経費が重点的にとり上げられていることは事実であります。
私がここで特に申したいことは、予算をふやすことも重要でありますが、むしろ、それ以上に必要なことは、治療と教育とを担当する人の問題だということです。重い心身障害の子供たちに対する治療と教育について専門の知識をもち、こ△86▽87の困難な仕事にたえる精神力と、両親にもひとしい愛情とをそなえた人材をえることであります。たとえば、島田療育園における小林博士のような立派な方をえることは、まことに容易ならぬことなのです。外国の例をみましても、主に宗教団体がこのような児童福祉の仕事にたずさわっているのもこのためでありましょう。近ごろ、不幸な子供をもった親御さんたちが「親の会」をつくり、お互いに慰めあい、励ましあって、軽い病症の子供には養鶏などの生業をおしえ、その売上げで重症の子どもを療育するといった構想も生れてきたと聞いております。これらの点も研究に値する問題ではありますまいか。
さらに、遡って考えますと、不幸な子供たちが生れたのち、その療育に力をつくす以前に、不幸な子供たちが生れないように、健全な母体を育て、妊娠中に保養につとめ、これを立派に育て上げて行くことこそ必要なのであります。このためには、健全な家庭環境が必要な事ことは、いうまでもありません。
今朝の(五月二十六日)新聞をみていますと、厚生大臣は、児童福祉施設を一層増強すること、小児専門の病院を設置すること、心身障害者が社会に復帰する場合に国が援助して、住み込み、通勤双方のできる保護授産場をつくること、奇形児が生まれた場合すぐに専門の医者の診断をうけて早期の治療ができるよう、産院などに練達した看護婦を常駐させる方法等等を検討したいと述べて、サリドマイド・ベビー問題をはじめとする心身に障害のある子供たちに対して、徹底した対策を確立するよう、事務当局に指示したと報じています。
「世の中には、家にかくしてひそかに育てている人たちが何万人いるだろう。昔のように座敷牢に入れたり、まるで飼い殺しにするような状態から、何とかその子たちを救いたい」△87▽88と小林博士がいわれる通り、人目をさけ自宅に隠れて療養しがちだった結果、とかく手おくれになっていたこの問題が、とにもかくにも、ここまで進展してきたのであります。
私の乏しい知識では的確なことはわかりませんが、脊椎破裂の手術は、現代の医学ではすでに危険なものではなくなってきたときいております。もとより、病症の軽重によりましょうが、専門の施設で、日夜を通じ、手あつい、生活訓練と技能訓練とを受けた結果、歩けるようになった子供が少なくないともきいております。政府をはじめ、医師の方々、親御さんたちがお互いに力を合わせて、一層の努力をはらい、一人でも多くの子供が厚生できる途をひらいてゆきたいものです。ぜひそうしなければなりません。
水上さん。お嬢さんのご恢癒を心からお祈り申して筆をおくことといたします。池田総理からも、くれぐれもよろしく申し上げるようにとのことでした。あなた方ご夫妻のご自愛とご健闘を切望してやみません。
二伸――― あなたは、税金にも言及しておられました。問題をはっきりさせるために、私は児童福祉の問題に限ってお答えいたしたのでありますが、簡単にこの問題にもふれておきたいと思います。
水上さん。あなたは、昨年、一ヵ年間に三千四百万円の収入があり、そのうちから所得税その他で一千一百万円に近い税金を納めたと書いておられます。仰せの通り、総理よりも遥かに多い所得です。一生懸命に、寸暇をおしんで、原稿用紙にかいた小説から入る金のうち、三分の一がよそへ逃げてゆくことを嘆いておられるご心情は私にも理解できます。しかし、残りの二千数百万円を、生活と貯蓄とにあてることができる、あなたは、もちろん、あなたの優れた才能からすれば当然の報酬でありましょうが、この場合はお嬢さんのご病気を一応別にして、経済的だけにみるならば何といっても恵まれた境遇だと思います。
秘書を雇って仕事をすれば、本人の労力がそれだけはぶけて楽ができるのに、人を雇わずに自分一人で苦労してはたらいた場合よりも、税金の少ないのは不公平だといわれますが、いかに累進課税の制度のもとでも、秘書に払う給料よりも、給料を払わずに働いた結果ふえる税金の方が多いということはまずありますまい。秘書を雇って給料をはらった残りの所得よりは、多少は税金を多く払っても自分一人ではたらいた場合の方が、手取りは多いと思います。もし、働けば働くほど、働いて所得が多くなれば多くなるほど、たとえば所得一万円あたりの税金の負担が大きくなるという意味でのご不満だとすれば、現在の法律が累進課税の建前を採用している点からみて、やむをえないと申すほかありません。
次に、あなたは、「今日のように高所得を持続することは△88▽89そんなに続くものではなく」、「無収入の年のことも計算に入れて、一生懸命働いて」いるといって、生活の不安定を懸念しておられます。仰せの通り、著述業は、年々の収入に激しい変動がおこりがちな仕事です。そのために、法律にも、著述とか、漁業とかの所得については、収入の多い年に税の負担が過重にならぬよう、俸給など普通の場合とちがった計算方法をつかって、軽減策を講じております。この点は、あなたの申告にも適用されていますので、いまさらの感がないでもありませんが、念のために申しそえました。
医療費の問題につきましては、控除の制度が認められております。病気や怪我を治療するために支払った金額が、所得の五パーセントをこえた場合には、このこえた額のうち最高限度十五万円までを所得から差引いて、残りに税金をかけています。ただ、この点、ご承知がなかったためか、あなたの申告にもれていることを残念に思います。また、障害者の控除として、一人当たり六千円ずつを税金の額から差引くことは、奥さんのお話のとおりです。
最後に、書かでもがなのことかと思いましたが、あなたの文章の中には、政府と自由民主党とが大資本の擁護をはかっていると二遍もかいてあります。水上さん。あなたのような方までが、本当にそう考えておられるならば、私はいささか心外に存じます。資本蓄積のために減税の措置を講じたことは事実ですが、それは、貿易の自由化など世界経済の変遷に応じて、経済の発展を図ってゆくために必要な手段でありまして、大資本の擁護などではありません。
議論をはじめれば、この点だけでも、長くなりますので、もうやめますが、私たちの生活を向上させるためにも、社会保障その他の政策を強化するのに必要な財源を長期にわたって確保するためにも、国全体の経済を発展させてゆかねばならぬことをご一考ねがえれば幸です。 (五月二十六日)
◇水上 勉 196306 「拝啓池田総理大臣殿」,『中央公論』1963年6月号,pp.124-134
◇黒金 泰美(くろがね・やすみ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E9%87%91%E6%B3%B0%E7%BE%8E
再録:窪田好恵