■96/09/20 96/04/23 4回PSW及びCPの業務及び資格化に関する研究議事録NO5 ※NIFTY-Serve:GO MHWBUL(厚生省行政情報)より  ここには厚生省関連の行政がたくさん掲載されています。  アクセスしてみてください。 といったご意見に対して、当会としましては、「臨床心理士」認定制度の活用につい ては、当研究班の課題である『精神科ソーシャルワーカー及び臨床心理技術者の業務と 資格化に関する研究』において検討されている国家資格化の要件によって、その可能性 の是非が明確になることと思うのです。 以上、全心協としましては、この委託研究の報告を受けまして、当会ではこのように 考えておりますことを述べさせていただきました。 谷野副座長 あまり多くの議論が日看協に集中するのを避ける意味でも、臨床心理の方 のはあとからとして、全心協から出されたことから先に、もし、これはちょっと勘違い ですよとか、反論があれば、このことについて、まず発言してもらえないでしょうか。 小川 1つ、これは確認の意味もあるんですけども、最後にこの「附」というところで 書いたのは、臨床心理士認定制度の活用については、これはいまのところペンディング だという、それを確認してよろしいですね。 それともう1つ明確にしたいことは、ここで書かれている専門性というもの、臨床心 理技術者の専門性は、どの程度のことを考えているのか。たとえば学部卒なのか、それ ともどういうトレーニングコースを考えているのか。臨床心理士の資格の問題と絡めて 、ちょっと言っていただけると─── ─── 大森 われわれとしましては、最低限学部卒、4年制の大学卒を前提に考えております 。臨床心理士との整合性につきましても、ここの場で課題にいずれなっていくかと思う んですが、私の個人的な考えとしては、その臨床心理士というのが大学院の修士卒でも ありますし、いずれこの国家資格化がなされた暁には、そういうスーパーバイザー機能 としても、じゅうぶん果たし得る人達ではないかと思いますので、そういう関係でお互 いうまくいけたらなというふうには考えております。 谷野副座長 小川先生いいですか。それでは岡谷さんのほうから──── 岡谷 1つは、たしかに資格化の問題と看護教育の高等化の問題とは、直接的には関係 ない話ではありますけれども、私達が、実際の病院のなかで考えていくときに、臨床心 理士の人達というのは、心理テストと心理相談とそれから心理療法ということを心理学 という学問基盤を持って行われる、非常に専門性の高いところなんだろうなというふう に解釈をしているわけです。 たしかに看護婦も、患者さんの心理的な問題についてケアを提供しますけれども、心 理判定ということはいっさいしませんし、それから心理療法というのも、私達はカウン セリングの技術を使ったり、あるいは心理療法、精神療法と言われるもののアプローチ の方法論を使ったりして、あるいは知識をですね、とくに患者さんの精神力動というか 、患者さんの行動と心の機能にはいったいどういう関連や意味づけがあるのかというこ とを、探りながら、患者さんの理解をしようとします。 それはあくまでも患者を理解していくための1つの方法論として、そういうものを使 っていくわけですけれども、ほんとうに患者さんの内面の問題に関して深く関わって、 いわゆるセラピーをするということは、実際にはあまりないことなんですね。たぶんカ ウンセリングのような状況とか、あるいは生活レベルで患者さんが困っていることに相 談に乗るなかで、そういう精神的な問題等、たとえばカタルシスを起こすとか、そうい うような働き掛けはすると思います。セラピーについての知識も、リエゾン・ナースと かクリニカル・ナース・スペシャリストなどは、実際に教育分析を受けたり、そういう ことをして持ってはいるんですけれども、実際にするかというと、そういうことはあま りないわけで、そういう意味ではむしろ、もしセラピーが必要な場合には、精神科医に リファーするか、あるいは心理の専門家の人にリファーするかという判断を、看護婦は するんだと思います。 だから、そういう意味でいうと、臨床心理士の人達に期待していることというのは、 非常に専門的な、むしろ精神科医と同等のレベルのそういう心理学を基盤とした知識、 技術というものを持って、実際に患者さんのセラピー等がやっていただけるようなこと を期待しているわけです。だから、そういうことを考えると、医療職のなかに入って来 るような資格とか、そういうことで、はたしてじゅうぶんなのかどうかという点があっ て、むしろより専門職として医療のなかに入って来られるほうがいいのではないかと思 います。 心理士の方達は実際にはクリニックなどを開いていらっしゃいますよね。そういう意 味で、ただ医療職のなかに組み込まれるような形ではない、もっと違う形での入り方を 検討する余地はないものだろうかということが、私達の大きな視点ではございます。 谷野副座長 もうちょっと、できれば、この全心協から出されたことについて、丁寧に 反論してもらえればいいと思うんですけれども。 岡谷 うちわのことで申しわけないんですが、かなりこの概要、結論のところで異議を なさってきておりまして、その分について言えば、稲岡先生の責任で執筆なさっている ことで、そのあたりで、どれだけ正確にお答えできるかどうかというのが、ちょっと自 信がないんです。 谷野副座長 岡谷さんの個人的な考えでいいんですがね。 岡谷 個人的な考えは、いま申したのと、この「看護学教育の高等化が急激に進み」と いうところのことなんですけれども、先程、PSWのところで、私達が申しましたよう に、ほんとうに多職種によるチーム医療が必要とされているということについては、ぜ んぜん異議はないんですね。ほんとうにそうだと思いますし、それは国民のニーズだと 思いますし、そういう意味でそれぞれの専門的な学問基盤を持って、それぞれの専門性 を尊重しながらチーム医療ができれば、いちばんいいというふうに考えているので、そ の点については同じことなんだと思うんですね。 ただ、それが、そういうことを言いながら、医師の指示というところで包括されてい くというところに問題を感じています。だからPSWにしてもCPにしても看護とは違 う、明確に看護がやっていることとは違う専門性のところで資格をつくっていってほし いということを、ここでは言いたいんです。 それから「精神保健・医療・福祉領域の各専門職間に不必要な葛藤が生じるのみでな く、精神障害者や家族を含め混乱を招くことになる」というのは、現実的にはいますで に、たしかにここでおっしゃっているように、いろいろな職種の人達がそれぞれの立場 で業務を行っているんですね。だから現実を見ますと、そんなに混乱を招いて招いて仕 方がないというような状況はなくて、それはそれぞれの施設での業務規定とか、いろい ろな役割分担だとか、機能分化だとか、そういったようなことで非常に変わってきてい ると思うんですね。 私が働いていた精神病院は、臨床心理の方も、それからPSWの方も、非常に多くの 方が働いていらして、1人だいたい入院患者さんを60人ぐらい受け持って、やってい らっしゃったわけですね。ただそこでは家族との関わりに関しては、ソーシャルワーカ ー、臨床心理士の人が責任を持つということが決められていて、そういう形での棲み分 けというか、業務分担というか、そういうことは行われていました。たとえばグループ 療法をやるときなどは、看護からもグループに入りますし、それから心理の人達、ある いはソーシャルワーカーも入って、医者も入ってという形で、それぞれの立場の人がグ ループを一緒に運営していくというような、そういう形での患者の治療に参画すること ができていたと思うんですね。 それは、もちろん患者さんにも、あるいは家族にも、誰がどういう役割をとるかとい うことを明確にそれぞれ周知徹底をして、そのなかでお互いに話し合いをしながら役割 分担を決めていくというようなことが、実際にはできていたからだと思うんですけれど も、そういうことがほんとうにできていけば、もちろん問題はないと思います。しかし 、現実に働いている中で、そういう業務分担ができることと、資格化のなかで、法的に どういう資格なのかということが明示されていくということは、私は違うのではないか と思っています。やはり法的な意味合いで資格化されていくということであれば、職種 の境界というか、区別とかいうか、そういうのは明確にならないといけないのではない かなというふうに思っております。 谷野副座長 あとはポイントだけでいいですから。 岡谷 それで「医師の指示の下に」ということに抵抗しているのは、先程来の議論とほ とんど同じなんですけれども、私は、どちらかというと、臨床心理技術者の方が行う業 務というのは、むしろ医師が行う部分とかなり重なってくるのではないかと感じていま す。そのあたりは、臨床心理の立場の方はどういうふうにお考えになっているのかとい うことを、こちらからお聞きしたいと思っています。 それから、これはPSWの方達は、コメントにも出ていたんですけれども、医療のな かだから、要するに最終的な責任は医師がとらなくちゃいけないわけで、だから、医師 はもうすでにチームリーダーとして存在するんだという論法だったんですけれども、病 院長が医師であるということで、監督責任というか、そこの設置主体者の監督責任とい うことであれば、それは会社の社長が、どんなことに対しても全責任を負うということ でやっているのと同じだと思うんですが、個々のチームを形成したときに、そのチーム のリーダーが必ずしも医師でなければいけないということはないわけで、それはナース がリーダーになったほうがうまくいく場合もあるでしょうし、問題とか、その状況によ ると思うんですね。 だから、あたかも、そのチームリーダーは医師でなければならないというようなとこ ろから出発するのは、おかしいんではないかなということを、ここでは表現したかった んです。 谷野副座長 それでは、とりあえずいまの説明に全心協の方──── 大森 ありがとうございました。かなり違いはないんだなと。先程来、PSWの議論の なかで出てきた論議が、クリアするかしないかというのが、大きな1つのポイントかな と思いましたのと、いま岡谷さんのほうからありました、「医師の指示」問題は、CP の資格化に当たっても。最終的には課題となってくるものと思います。 それからCP業務のなかでお医者さんの業務と、重なり合う部分とその違いについて ということですが、実際に心理テスト、心理アセスメント、心理査定に関しましては、 診療報酬上は医師でなければならない。臨床心理技術者は無資格ですから、当然それは 規定されているわけですけれども、実質もうどこの病院でも、お医者さん自らがやって いることはあり得ないし、そもそも心理テストは、われわれの専門性のところにあるわ けですね。ですから、そこの資格化というのは、当然われわれの独自性なり、専門性、 主体性というところが当然絡んでくる話題であろうと思います。 まして、医師教育のなかで、心理テストまでというのは、現状のカリキュラムではな いわけですから、むしろお医者さんになられてから、われわれが指導する場合だってあ るわけですから、こういった意味でも資格化が必要なわけです。 それから、心理療法に関してなんですが、医師の行う精神療法と、いわゆる心理の行 う心理療法が、どこがどう違うんだという議論が1つなされるかと思うんですが、原語 としましては、いわゆるサイコセラピーということで、同じ原点があるわけなんですね 。ただその違いを明確にするとすると、われわれはやはり心理学に依拠していますので 、学問的な背景が心理学もしくは臨床心理学というところからのアプローチなわけです 。精神科医の先生方はまた違うアプローチがあるわけで、そこがやはり全人格的に見る というところからすると、医学的な目で見たサイコセラピーとしての精神療法と、いわ ゆる心理学を学問的な背景にした心理療法としてのサイコセラピーは、また違ってくる というところがあろうかと思います。 現実にできること、いまできていることが、資格化されたことで弊害が生じるのでは ないかということについては、われわれは現実にできることが、より機能しやすくなる ための資格化であることを願って、この研究会は議論が進められていると思いますので 、その弊害が出ないような議論はいろいろさせていただきたいなというふうに考えてお ります。 斉藤 大森さんの説明で論は尽くしていると思いますけれど、もう1つお配りしたプリ ントの1ページ目を見ていただくと、資格を必要としている部分とは、きわめて僅かな 部分だということを、付け加えておきたいんですね。 3つの楕円が重なっている図がございますけれども、この3つの楕円が3つとも重な って矢印がついているところがあります。そこの部分が、医行為に踏み込んだ業務であ り、資格を必要とし、方法的には、医事法制のなかでは「医師の指示の下」の行為では ないかというふうに考えています。いま岡谷さんご指摘のもっと広い領域というものは 、もちろんこれを見ていただければわかると思いますし、そして心理学的な学問のなか で何が研究され、貢献しているかというのは、その上をごらんいただくとわかると思い ます。 このなかで、とくに医師と違う視点と思われるのは、発達の基準による理解の仕方を 持っているという点ですね。そこが非常に大きな特徴づけになっているということを、 ちょっと申しそえておきたいと思います。 谷野副座長 それでは臨床心理士の方、お待たせいたしました。 川上 日看協のほうで、これはおまとめになったものも面白いんですけれども、やっぱ り見方の角度が違うと、どれもこれも正しいというふうな感じになって聞こえてくるの が辛いところなんですけども、前回お示ししましたように、臨床心理をやっている人間 にとっては、方法論的な哲学的背景が、やっぱりアイデンティティのもとになっている んだという、そういう観点を貫いてちょっとコメントさせていただきたいんですけれど も。 大森先生がお話いただいた、日看協の資料に対するコメントのなかにも、やっぱりダ ッチロールがあるんだと思うんですね。これは非難的に言うんではなくて、つまり無資 格だからこうだというふうな話と、それから本来こうあるべきだという話とが、やっぱ り重層的に、あるところあるところで入れ換わり立ち換わりすると。同じように、日看 協のお示しになっているこの資料でも、やはり同じようなことが言えるんだろうという ふうに思います。 ですから、そういう意味からいえば、われわれも同じだというふうに言っておいたほ うが、いいんではないかというふうに思います。 だから、ただいま現在の手短なコメントとして、私から申し上げるならば、最後に斉 藤先生がお示しになった、いまここで議論しているものは、小さいところの部分の有資 格化の議論なんだというふうなことをおっしゃったと思うんですよね。小さい部分。 だとするならば、私が、前回主張したように、むしろ大きいところを大事にして、そ して医療現場のお医者さんや看護婦さんや、さまざまなスタッフの人達と協力、連携関 係で入って行くということも、これも1つ考えられることで、この入り方については、 おそらく本来的には全心協の方々もご反対はなさらないんじゃないかと。もしそれがで きるならば。 そこについては、いや過去もう数十年無資格で非常に苦渋を嘗めて、そして、無資格 だからこそ、そのことがちゃんと、さまざまなチーム医療などということがうまくいか なかったという、今度は歴史的な事実を持ち出されることは、もう決まっているわけで すけれども、それは私の立場から言うと、議論の重層構造であって、ある種のダッチロ ールだというふうに思っております。 だから、われわれにもダッチロールがあるし、全心協にもダッチロールがあるし、日 看協のほうにもそれなりのまたダッチロールがあると。ただし、そのダッチロールは私 は意味があることであって、そのために、そのダッチロールをお互いどう、それこそ三 村先生のお言葉で言えば、擦り合わせることができるかということを、ここで議論して いるんだというふうに思っていますから、悪い意味で言っているんではございません。 ただ、1つの考え方としては、ダッチロールですね、非常に大袈裟に言えば左の方向 へ解決する方法と、それから右の方向へ解決する方法、どちらもあるかもしれないけれ ど、どちらがより実際的、現実的、そして最終的に国民のニーズに応え得るか。 それから、われわれの立場からすると、われわれの仲間である臨床心理士にとって利 益があるかということを、やっぱり考えざるをえないという、そういう立場だと私は思 っております。 小川 まず1つ、この黄色い本の34ページですけど、ここにこういう文言があります 。「はじめに」の2行目に「この領域への臨床心理技術者の進出は、看護者の独占業務 を侵害するものである」という断定した文章があるんですけど、われわれは、決して侵 害する気持ちはいっさいないというので、そのへん是非わかっていただきたいと思うん ですね。 それは前回、われわれが臨床心理行為ということを、こと細かに説明したと思うんで す。そういうふうな意味では、たとえば同じ業務をやったとしても、われわれは心理学 的観点からやっているわけで、看護の観点からやっているわけではないわけですよね。 ですから、何も侵害していないんだと、是非そこの誤解を解いていただきたいと思いま す。 ですから、そういう意味で、われわれの専門性というのは、この研究班がはじまって 以来、21世紀の新しいこれからの医療というふうなものを考えた上で、臨床心理とい う業務が、ある意味では従来の医療のなかにはなかった、そういう性格を持っているが ゆえに、いまこういうふうに議論されているんだということを是非わかっていただきた いと思うんです。 ですから、前回われわれが臨床心理行為というので、さんざん話したことを是非理解 いただきたいと思います。 それからもう1つ、いま全心協の大森さんから話があったことなんですけど、専門性 をどう考えるかということなんですね。そうすると、これ前回も議論したんですけど、 国家資格というのは、どうも大学院レベルでは馴染まないということは、よく言われて いるわけですけど、実際にわれわれがずっと頑張ってやってきた専門性というのは、実 際に大学の教官をしていて、学部のレベルで、そして患者さんが期待し、ドクターが期 待し、世間が期待するような専門性は、大学4年ではちょっと無理なんです。 ですから、そのへんを、言ってみれば、全心協は国家資格化ができればなんとかなる のではないかという、一種のバラ色の幻想を持っているような感じがするんです。その ときに、われわれが養成という観点から考えて、また、ある意味では患者さんからほん とうに信頼されて、是非臨床心理士の人に話をしてみたい。それからお医者さんが、こ れは是非、臨床心理士の方に相談してみられたらいいんではないかというような発想が 出てくる専門性を、われわれがつくるためには、学部卒ではどう考えても難しいという ことを、是非理解していただきたいと思うんです。 乾 さっき斉藤先生が言われた話の「資格を必要としている部分はきわめて僅かな部 分」について資格化をしていくとという点について、もう少し議論すべきなんではない かなと私は思うんですが。というのは、CPにとっての小さな領域の資格化が結果的に は大きな領域まで網を被せることになるので、その発想が果たして21世紀のユーザー のためになるのかどうか、懸念するからです。斉藤先生が小さな領域と大きな領域と言 われたので、このへんもうちょっと議論深めていきたいと思うんですが、如何でしょう か。 斉藤 小さい領域にしか資格は必要ではないというふうに言ったわけではありません。 いま医事法制が厳然とそこにあって、すでに40年近くそのなかで私はやってきた、そ の経験にもとづいた話をしているわけですね。そこで急務として問われているというこ とが、21世紀につながっている課題であるという理解で如何でしょうか。 川上 その話自体がダッチロールだと言っているわけですよ。ダッチロールでいいんで すよ。ダッチロールでいいんだけど、いま乾先生がお聞きになったのは、小さいところ と大きいところというのは、じゃ大きいところはどうするんですかということを、お聞 きになったと思うんですが、その点は先生はまだお答えになっていない。 斉藤 先生方がご苦労して確立してこられた認定臨床心理士というのは、私も持ってお りますし、それは自主的な自己規制のシステムとしては素晴らしいと思います。ただ、 よほど自分で心得て自己規制に活用していきませんと、またそこに新たな偏りが起こっ てくるという現実もあるわけですね。 そういう意味で、とにかくいま医行為というこ とのなかでの責任性に関与するときにどうするか、さんざん苦労してきたことを、私は 後輩の方達に苦労していただきたくないという、非常に単純素朴な発想です。 越野 お話のほうもよくわかるのですが、ただ、これからのものを考えていった場合、 保健・医療・福祉が統合されようとしている、そういうなかで、われわれ児童相談所も 、当然絡んでいくことが予想される。そういう場合に、やはり狭い領域でいいのかどう なのかということに1つの疑念があります。 現実問題は、これから擦り合わせていくのでわかりませんけれども、理念的には、や はり臨床心理に根差しているわけなので、それを分断するような形にしない形がなんと か模索できないか、できることなら、われわれ福祉もそれに乗っていける、そういうも のを目指したいというのが、全判協の考え方です。 斉藤 おっしゃるとおりだと思います。保健とか福祉は、個人のなかで培われた自由な 発想とか創造性とか、そういうものに支えられて業務が展開していく部分が、非常に大 きいと思うんですね。 私自身の経験から申しますと、資格はありませんけれども、医行為としての責任を自 主的には担おうとして医師の指示は尊重してきましたし、その一方で、もっと心理の専 門家として行える自由な発想が、いろんな形で保健・福祉とのつなぎ手として役立って きたと思うんですね。そういう両方のいい機能を、どのように心理士が実践していくか ということの問題だと思うんですが、ですから、縛られる部分というのは、非常に、ま た小さい大きいで言うと怒られますけれども、小さいと思っています。 岡谷 質問なんですが、心理士の方達から見て、医行為というふうにおっしゃっている ものは、どういうものなんでしょうか。 大森 これは医療現場にいますと、いわゆる傷病者の方がお見えになるのは当然なんで 、とりわけそのなかでも鬱病、人格障害、アノレキシアの患者さんへのサイコセラピー では、生命に関わる問題をはらんでる場合があります。そういう意味では、われわれが 。生命に危険の及ぶ恐れのある人達のサイコセラピーを行う上では、医師の指示ないし 連携というのは当然のことで、そこの部分ではやはり医行為というものは含まれている というふうに考えております。 岡谷 でも、その場合は保助看法の業務の解除というより、医師法の解除じゃないんで すか。 NO6に続く   問い合わせ先 厚生省大臣官房障害保健福祉部精神保健福祉課      担 当 三宅(内3055) 電 話 (代)3503-1711 (直)3501-4864 E-mail kmiyake@info.ncc.go.jp