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>HOME >BOOK (医療と社会ブックガイド・66) 立岩 真也 2006/12/25 『看護教育』47-11(2006-12): http://www.igaku-shoin.co.jp http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/ 何回か「障害学」に関係する本を紹介した。その後もいくつも関連の本が出て、だいぶたまっている。今回はひたすら書名だけを列挙しよう、と思ったが、それはまた後で。今回は1冊だけ。 その前に雑誌の特集。前々回に「自立支援法」関連の本を紹介したが、『現代思想』(青土社)の12月号が「自立」の特集。私は白石嘉治さん(共編著に『ネオリベ現代生活批判示序説』(2005、新評論))と対談させてもらっている。また11月号が「ハリビリテーション」の特集。多田富雄さん(著書『免疫の意味論』(1993、青土社)他)がリハビリテーションを18月で打ち切る政策に怒っている。ついでにもう一つ、10月号の特集は「脳科学の現在」。 今回は前者について。著者は1962年に頚椎を損傷。グリニッジ大学で障害学を担当、現在は退職している。英国障害学会の学会誌Disability and Societyの編集に携わり、脊椎損傷者協会、イギリス障害者協議会等の障害当事者団体の運営にも関与。「障害学の主要なメンバーが障害当事者運動とコミットし、両者が連動しながら展開されているところに、イギリス障害学の特徴を見てとることができる。」(pp.237-238、横須賀俊司の「訳者あとがき」より)英国での運動の展開については、前回、書名だけ紹介した田中耕一郎『障害者運動と価値形成――日英の比較から』(2006、現代書館)に紹されているからご覧ください。 さて私は、1990年に出たもとの本をいちおう持ってはいた。ペーパーバックで、薄い本で、階段があって投票所の建物に入れそうにない車椅子の男性の写真という、たいへんべたなメッセージを伝える表紙の本だった。それに比べると、訳書は倍ほどに――たいていそうなるのだが――厚くなり、表紙はなんだかきれいで、すこし異なった印象を受ける。 この本はけっこう有名な本で、よく言及される。中でもよく引かれるのは、「社会モデル」の説明として、国勢調査局の調査の質問のリストとそれに対する代替案のリスト(p.29)例えば前者では「あなたの健康問題/障害は、現在の仕事に何らかの影響を及ぼすものですか?」、後者では「物理的環境または他の人の対応が原因である仕事上の問題を抱えていますか?」。ここは以前紹介した『障害学への招待』(明石書店)でも、さっきあげたもう1冊の英国の本でも引かれている。たしかにわかりやすい。 ここは重要なところでもあるから、上記の本のいずれかは読んでもらうのがよい。そこから考えるべきこともある。だが、それはそれとして、とりあえず当然のこと、とするならば、どこを読むか。 以前、英語版を買ってぱらぱらとみた時には、なにか懐かしいような感じがした。だいたい賛成だが、とくになにか新たに教えてもらうようなことが書いてあるようには思えなかった。この連載がなければ、また現在大学院(の隣の研究科の科目)で「障害学研究」といったものを担当していなかったら、この訳書を端から読むこともなかったように思う。 しかし、このたび読んでみた。読んでみると、書かれていることについて、本当なんだろうかなどと考えながら読むとけっこう使えるようにも思った。それは、この本がわりあい「大風呂敷」の話をしようとしていること、そして「なぜ」を説明しようとしていることと関わっている。 つまり著者は、資本主義と障害者、といった捉え方をする。そういう理解・論法は、かつては日本でも様々に(学問として成立したというわけではないが)あったように思い、だから懐かしい感じもしたのだが、そういえば、このごろそういうものを、日本の障害学近辺でも他でもあまり見かけない。それはそれでさびしいことだ。 今年出してもらった本(『希望について』、青土社)に、これからはもっと「天下国家」について考えよう、みたいな文章を幾つか収録したのだが、著者はその「体制」の話をする。それにはもちろん、英国障害学の社会運動との連接という要因もある。ただ実践的な志向をもった論のすべてがそういう大きな話に行くとは限らない。一部がそんなことを言うのだ。そして、話を大きくすると、ではどうするかも大きな話になり、容易に実現しそうにない話になってしまう。しかし、そもそも実践的な志向が強いから、変革は手放したくない。そこで、なかなか難しく、悩ましい話になってしまう。そこでこの本の場合は、「新しい社会運動」という、新しいものとして登場してからずいぶんの時間が経ってはいる運動論をもってきたりもする(第8章「無力化の政治――新しい社会運動」)。 この方法論は、体制も幾度か変容してきたことにも対応する。第7章「無力化の政治――その存在可能性」では、1970年代の福祉国家再編以降が扱われている。ただ今回はそれ(次の数え方だと第三段階)はおいて、もっと手前のところ、第3章「障害と資本主義の到来」から一部を。 どうも乱暴な話ではないかとも思える。技術の進歩が身体系の障害者に対してはプラスに働くのではないかといったこともすぐに思いつく。また、過去がその後よりもよかったというのも本当なのだろうかという疑問も感じる。どうも私たちは、資本主義がなになにをもたらしたという話をそのまま信じないような癖をつけてしまったのかもしれない。 ただ、考えてみると、資本主義という名称が最適であるかどうかは別に、基本的には、この理解は当たっているのではないかと思える。著者自身はあまり展開していないが、幾つか要因が考えられる。まず、生産と生活とがあまり分離していない社会と異なって、生産だけがなされる場が成立すると、その生産能力において半端な存在はどう遇せられるか。また、生産力が高まるに応じて労働力に余剰が生じていくといった要因の作用。そんなことを考えていくと、資本主義が俺たちを、という話もありそうに思える。 ただ、もっと素朴な基本的なところで、仕事ができなければ(できなくさせられていれば)稼げないという仕組みのことについてはこの人はどう考えるのだろう。稼げるにしても、補っても残る差異があるなら、差は残るだろう。それはどうするのだろう。そんな疑問は、この種の議論をする人たちに対しても残る。社会に批判的なこの人たちにしてもどこを自らの立ち位置と定めているのかわからないところがある。 そんなところを残しつつ、次に施設化と医療化の話が続く。 施設化について。「就労可能であるにかかわらず仕事に就こうとしない人々を、就労できない人々と分離することが重大な問題として浮上したのである。」(p.73) 「施設へと人々を社会から引き離すことでイデオロギー的気運が生まれ、部分的にせよ、その結果、障害は恥ずべきものへと変化した。」(p.74) これだけだと、ここも乱暴な感じだが、しかし、ここもそうでもないと思う。そしてこうした理解は「人道主義」の発展という通常の理解を全面的に否定するわけではなく、むしろそれを含めた説明を提供するはずだ。紙数の制約から私の言い方も乱暴になってしまうが、とにかく、とりあえず生きている人を殺すわけにはいかないとしよう。そこでどうしようかとなって、話が続いていくということだ。次に、いったんできて、それが制度のもとに置かれるなら、あまりにひどければ批判され、いくらかはましなものになっていく。すると、当初の期待のようには安くあがらないことにもなる。それが「脱施設化」にも関わってくる。リハビリテーションの期間制限もそんなことと無関係ではない。障害者の社会運動は、脱施設を主張し、医療やリハビリテーションにも懐疑的・批判的であった。ところが、別の人が同じことを言うように見えることがある。いったいどうなっているのかと考えるためにも、なぜそれはあるか、社会の何とそれは関わっているのかと考えることは必要なのだ。 次に「医療化」。(続く) [表紙写真を載せた本] ◆Oliver, Michael 1990 The Politics of Disablement, Macmillan, 152p. ASIN: 0312046588 [amazon]=20060605 三島亜紀子・山岸倫子・山森亮・横須賀俊司訳,『障害の政治――イギリス障害学の原点』,明石書店,276p. ASIN: 4750323381 2940 [boople]/[amazon] ※, [他にとりあげた本] ◆Barnes, Collin ; Mercer, Geoffrey ; Shakespeare, Tom 1999 Exploring Disability : A Sociological Introduction, Polity Press ISBN-10: 0745614787 ISBN-13: 978-0745614786 [amazon]=20040331 杉野 昭博・松波 めぐみ・山下 幸子 訳,『ディスアビリティ・スタディーズ――イギリス障害学概論』,明石書店,349p. ISBN:4-7503-1882-5 3800+税 [boople]/[amazon] ※ ◆田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [boople]/[amazon] ※, UP:20061102 REV:1107(誤字訂正) ◇障害学 ◇医療と社会ブックガイド ◇医学書院の本より ◇書評・本の紹介 by 立岩 ◇身体×世界:関連書籍 |