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>HOME >BOOK (医療と社会ブックガイド・58) 立岩 真也 2006/03/25 『看護教育』47-03(2006-03): http://www.igaku-shoin.co.jp http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/ *以下は草稿(2005.1.8) 紹介しようと思ってずっとできなかった天田城介の本を紹介する。天田は1972年生まれの社会学者。立教大学の大学院を出て現在は熊本学園大学助教授。単著が2冊。1冊が今回紹介を始める『<老い衰えゆくこと>の社会学』、もう1冊が『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』(2004、ハーベスト社、394p. 3800)。最初の本は博士論文を本にしたもので、第3回日本社会学会奨励賞(著書の部)を受賞。他に医学書院から刊行予定の著書もあると聞く。 前回も紹介したが、2003年の何冊かの1冊にこの本をあげたことがある。次のように書いた。「とても大きな本で、もとは博士論文だが、退屈な本ではなく、気合が入っていて、私ら(以下)の世代ががんばって書いて、この辺りまで。だがそれは、これ以外の書きようがあるということか、ないということか。多分ある、と言いたいが、それがどういうものかは私にはまだよく見えない。」 「私ら(以下)の世代ががんばって書いて、この辺りまで」、つまり(今の私らがやれる)限界あたりまで行っているということ、その今の私らを基準にすれば、これは優れた本であるということ、しかし、「これ以外の書きよう」というより、ここに書かれたことが書かれた後で何を考えたり書いたりするのか、ということ、それが「まだよく見えない」という感じがあり、それは私に限っては、それから2年経っても変わらず、どうしたものかと今でも思っている。むろん天田にはたくさん書きたいことがあって、自身は困っていないと思う。だが、例えば私だったらこの本の続きに何を書くことになるのだろう、と考えてしまう。そんなことを考えたりしながら書こうと思うのでこの度の紹介はすこし長くなり、今回はその1回目ということになる。 『<老い衰えゆくこと>の社会学』は大きな本だが、筋は通っていて、その筋は単純にすると単純なものだ。その手前には天田に確信がある。彼は怒っているのだが、その場から退けないと思っている。あとはそれをどう書いていくか。本には様々な本があるが、この本もそんなでき方の本だと思う。 第一に、今この社会で、今この社会であるがゆえに、高齢者が存在させられているそのあり方が、基本的なところで、間違っているだろう、まずいだろうと思う。そこでそのことを言う、説明する。それは全体でなされているのだが、まず第1章「視座とアプローチ――自己と他者」、第2章「老年学の現在」で理論的に示される。 第二に、そのような社会の中では、実際、その高齢者自らにおいて、また周りの人において、両者の間で、様々につらいことがあり、苦闘が闘われる。それが調べられ、記述される。第3章「施設において老い衰えゆく身体を生きるということ――「痴呆性老人」によるアイデンティティ管理と施設介護」。第4章「在宅で老い衰えゆく身体を生きる家族を介護するということ――「痴呆性老人」と家族介護者の相互作用過程」、第5章「老い衰えゆく高齢夫婦の〈親密性〉の変容――〈老い衰えゆくこと〉の意味をめぐるエスノグラフィー」。 第三に、そうでないあり方というものがあるのではないかと思う。思うから、いまのこのあり方は違うと思ったのでもある。第6章「老い衰えゆく身体を生きる――〈老い衰えゆくこと〉の困難と可能性」、終章「〈老い衰えゆくこと〉の社会学による新たな地平へ」は全体をまとめながら、別のあり方に向けて書かれる。 第一・第二の部分を著者がまとめると問えばこんな感じになる。 「現代の老いを生きる人々は、老年期においても絶えず自らの身体を制御し、かつての価値や制度を吟味・改編の対象としつつ、自らが何者であるかを自問・再認する<再帰的自己>であることを暗黙のうちに命令されている。[…]こうした「絶えざる・寄る辺なき再帰性による物語」としての自己は、自らの存在が価値あるものであることを証明しようとしてアイデンティティ管理に躍起になり、また自己内部の<他者>としての発見とパラレルな形で、自己外部にある<他者>を発見/創出する[…]そして更には<他者>として発見/創出された人々は自らの自己の否定性を何とか返上しようと更なるアイデンティティ管理の実践へと囚われてしまう」(p.518) で、第三に、どうするか。 「<老い衰えゆくこと>をめぐるケアを媒介にした間身体性、すなわち「応答可能性としての主体」どうしの<あいだ>では、高齢者が「存在していること/存在してきたこと(be)」によって、あるいはその来歴によって、介護提供者も自らの「存在していること/存在してきたこと(be)が身体に繋ぎとめられ、また他者が語る言葉や声にもならない呟きや嘆きや叫びを通じて、お互いに「他者がいまここに現に・共に生きて在ること」を肯定することが可能化するのである。」(p.533) そして、これだけであればいかにも抽象的だが、天田は現実にそんな場面があることを書いていくし、本の終わりの方で、とくに「理論的」な話が好きな人は、気取って、しようとしない、具体的な提言を幾つかする。それらもまたもっともなものだと私は思う。 ただ、こうした把握をごくもっとも、と思うかどうかは人によるのかもしれない。他に様々な了解の仕方があった。 まず高齢者のことについてろくに書かれない時期、書かれるとすると否定的に書かれる時期があり、その後、高齢者への偏見を指弾し、「普通の人間」として高齢者を語る語り方が現われる。しかしそれだけでよいのだろうか、と思う。 とすると、「医療社会学的」に、「医療化」といったものの言い方で事態を言えばよいか。つまり医学・医療のもとで高齢者の経験が「痴呆」とか「認知症」という病気にされてしまった、と。 天田はいずれもが「はずしている」と思う。そのことは、博士論文ということもあるのだろうが、先行研究をまとめながら進んでいく第2章――ここは既存の研究を概観できるところで、そういう領域を勉強したい人には有益なところだ――あたりで論じられる。 「これまで先行研究で指摘されてきたような医療化によって「痴呆」が作られたという「テクノロジー決定論」は論理的な説明力を欠いており、むしろ近代社会が<自己同一性>とその前提たる全能的不死観としての<生>を欲望するがゆえに、「医療化」が産出・徹底化され、「痴呆」が作りあげられた、と考えるべきであろう。 […]高齢社会における近代的自己の人生全般への拡大化・普遍化によって登場した「主体的高齢者」と、医療化によって「発見」された「痴呆性老人」は、言わば<自己同一性>の原理を母体として生み出された双生児・分身なのだ。」(p.531) こんなふうに考えていくこと、それは天田一人の道行きではなかった。他の人たちはまた別の機会に紹介するとして、とくに社会学の同年代の研究者としては第18回(2002年7月号)で紹介した出口泰靖の仕事がまず注目される。 そして小澤勲の本がある。小澤は1938年生まれの精神科医。長く京都府立洛南病院に勤めた。今回検索して初めて知ったのも含め、知らない間に多くの本が出ている。学術書として『痴呆老人からみた世界――老年期痴呆の精神病理』(1998、岩崎学術出版社、258p.、3000+)は出ていたのだが、これは知っている人が知っているという本だった。その後「瀬戸内寂聴氏絶賛!!「痴呆への恐怖からの救いの福音書」老いも死も受容する覚悟はついている。ただ痴呆になるのだけが怖い。この世の最後に残った恐怖を、この書は一掃してくれた。」という「帯」がついている『痴呆を生きるということ』(2003、岩波新書、223p.、740+)が出て、多くの人に読まれることになった。たしかによい本だと思う。さらに小澤勲・土本亜理子『物語としての痴呆ケア』(2004、三輪書店、309p.、1890)、単著の『認知症とは何か』(2005、岩波新書、208p.、735)と出ている。 私はこの人の名を1970年前後からしばらくの精神医療改革運動に関わった人として知った。ただ、その人が「痴呆」の本を書いた時不思議には思わなかった。この人はずっとやってきて、ここに立つことになったのだと思った。 彼自身はこのところそういったことは語らないようだ。天田が小澤にインタビューしたものも近く刊行されると聞くが、そこでも小澤は昔話を語らなかったという。わかる気もする。その羞恥のようなもの、一人の臨床医として知っていることを書くのだという構えと、例えば天田がせねばならないと思う話とはどこが同じでどこが違うのか。そんなところから、だんだんと考えていこう。(続く) [表紙写真を載せる本] ◆天田 城介 20030228 『<老い衰えゆくこと>の社会学』,多賀出版,595p. ISBN:4-8115-6361-1 8925 [boople]/[amazon]/[bk1] ※ ** [とりあげた本] ◆天田 城介 20040330 『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』,ハーベスト社,394p. ISBN:4-938551-68-3 3800 [amazon]/[boople]/[amazon]/[bk1] ※ ** ◆小沢 勲 199806 『痴呆老人からみた世界――老年期痴呆の精神病理』,岩崎学術出版社,258p. ISBN:4-7533-9807-2 3150 [amazon]/[boople] ※ ◆小澤 勲 20030718 『痴呆を生きるということ』,岩波新書新赤0847,223p. ISBN:4-00-430847-X 777 [boople]/[amazon] ※ ◆小澤 勲・土本 亜理子 200409 『物語としての痴呆ケア』,三輪書店,309p. ISBN: 4895902153 [amazon]/[boople] ◆小澤 勲 20050318 『認知症とは何か』,岩波新書・新赤版942,208p. ISBN4-00-430942-5 C0247 735(700+) [amazon]/[boople] UP:20060108 REV: ◇医療と社会ブックガイド ◇医学書院の本より ◇書評・本の紹介 by 立岩 |