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(医療と社会ブックガイド・19) 立岩 真也 2002/08/25 『看護教育』43-08(2002-08): http://www.igaku-shoin.co.jp http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/ 北海道の浦河町にある<べてるの家>とは何かはなかなか説明しがたいのだが、ホームページには「小規模授産施設、作業所、有限会社、共同住居の4つの柱からなる共同体の総称です」とあった。ここ2週間ほど時々開いているのに、さっき初めて組織図と地図が巻末に折り畳まれているのに気がついた。特に地図を見るとなんとなく感じがつかめる。そしてひどく存在感のある人々の写真、おもしろいと言うほかないイラストというか漫画(鈴木裕子・作)があってなんだかわかるような気がしてくる。この<ケアをひらく>シリーズの本は使っている紙が軽く、それで本も軽いのだが、その軽さがそうやってぱらぱら漫画を見ながら読むのに適してもいる。 これから書くように、ここで行われていることは理にかなったことだから、どこでもいろいろと使える技が入っていて参考になるかもしれない。しかしそれだけならいやだ、と私は思ってしまう。ここにあるのは「私は病気、はいそうです」みたいな乗りだ。そこがやはり大切なのであって、この乗りを外して、部分を取り入れたらかえって気持ち悪いことになるのではないかと思う(が、そんな半端なことはできないに違いない、とも思いなおす)。 この乗りを表わす標語がいくつもあるのだが、一つに「降りる生き方」という言葉がある(p.40等)。これにはあっさり舞台から降りてしまう爽快さがあるのだが、さらにここでは「心」が絡み、私に見えないものが見えたりもし、またどうにもなさけない部分もあるから、あっけらかんさだけでなくて、同時に、水底とか谷底とか、底の方にずっと下っていく艶めかしさがある。断言してしまうと、これは必然的に多くの人を捉える。この本がどれだけ売れても私は驚かない(ことにする)。 もっとも、人生がわかったような、患者に温かい眼差しを注いだりする、医療者による本、ではない本はこの本が初めてではない。あるにはあった。私がわずかに知っていると言えば身体障害の人たちがしてきたことだが、そこにこの乗りはあったし、だから私はおもしろいと思って調べたり書いたりしてきたのだ。精神障害の人たちだと、例えば集まる場所が5階にあるからというただそれだけで「ごかい」という名前のついた集団?が四国・松山にあり、たくさんは売れなかったと思うが、本も出ている。べてるの本ともう一冊並べるならそれかなと思った(しかしスペースがなくなったので次回)。 しかし、そうした人々にしても、そのまったく正しい姿勢を保ちながら社会で生き続けていくのは、なかなか難しいだろうなとも思っていた。なにせ世間はあまり正しくないのだから、なんとかやっていこうというときにはなにか工夫がいる。 ベテルの家はとても変わったことをしていると受け取られるのだろうか。しかし私は、当人たちがどう思っていようが、たいへんまっとうな道を行っている、正解だと思った。どのように正解なのか、まだわからないところもあるが、そう思った。自分一人の内側に閉じさせようとするこの社会の仕掛けが効かないようにし、問題を周囲に波及させ拡散させて、少し自分が楽になる、そういう装置を様々なかたちでもっていて、同時に、受け止める側(実はその人たちも受け止めてほしいと思うその人と同じ人たちだったりする)、受け止める装置もまた緩くできている。「大切なのは、あまり真剣に、深くこころから、そして熱心には信じないことである。」(p.208)そしてさらにそれを(世捨て人になりたくない人は)この世をなんとか渡っていく仕掛けにもしていく。ひとまとめで言うとそんなところだ。まず今回は、それを「仕事」「事業」に即して見ていこう。 べてるの家は商売をやっている。昆布を売っているし、「精神分裂病を生きる」全10巻(1巻6000円)というシリーズのビデオテープ等々も売っている(ホームページからも注文できる)。みなさんよく働くかというとそんなことはない。生産性は低い。それを無理して高くしてもしかたがないということになっている。うまくいくはずのないコンセプトで、しかしかなりうまくいっているという。これはとりあえず謎である。 経営・経済については詳しく書かれてはおらず(むろんこの本にはそれは不要だ)、よかったら誰か調べてもよいと思うのだが、読んでわかることにまず一つ「病気を商売にする」がある。まずは「障害者ねた」である。「プロジェクトB」(Bは病気)でビデオを売りさばいて「病気御殿」(北海道には昆布御殿というものがかつてあったという)を建てようというのである(p.90)。 ビデオはここだけの特産品である。これについては、先行者にだけに与えられる有利さがあり、残念ながらまねしてもうまくはいかないかもしれない。つまり(講演、ビデオ等)芸能系の仕事で誰もがやっていけるようには、ならないだろう。だが、それにしてもこれは、後で考えてみれば、一定のお客が確実にいて少しも不思議でない。しかしべてるの家の前には、この商売はなかった。 もっと普通のもの、昆布も売っている。昆布はたくさんあって、他のところのものを買っても同じ昆布だが、こちらのを買う人がいる。マーケティング的には「差異化」されている、付加価値があるということだ。むろんどこの作業所でもそうやって売ってはいる。しかし多分、「かわいそうな気持ち」といっしょにというのと違う買われ方がされている。 またもっと現場的に、昆布の販売場で具合が悪くなってしまって、まわりの人が売って買ってくれたという、「発作で売る」がある(p.71)。表に姿を表わし、そして人の力を借りる。それもまた、窮状に胸を打たれて、とはすこし違うように、そしてあざとくも思われなくもないが、やはり必然性をもって、「消費を喚起」するのだ。このことについては次回もう少し言えればと思う。 もう一つは、基本的な生活の手段は最低なんとかなることが前提になっていること。これは大切なことだ。べてるの家は儲かっている方だろうが、すこし関わっている人など様々だろうから、単純に割ればよいというものでないにしても、年商1億ほどを100人で割れば1人100万で、これは売上げだから、利益はもっと少ない。だからたいしたことがないと言いたいのではない。基本的な収入が年金にせよ生活保護にせよまずあった上で、儲けを狙うのだ。あるいは、その分、仕事を減らすことができる。 またその余裕が地域に対する「貢献」を可能にする。効率がよくないからとして他が撤退する部分あるいは参入のない部分で商売を展開し、地域に必要なものを提供する。建物や道路に(というか、それを作る会社に)お金を出して「地域振興」というやり方はもう(あるいは以前から)よくない、一人一人にお金を出した方がよいということでもある。 消費者の力を借り、また引き出し、社会の力を使う、この二つを組み合わせていく。これはこれしかない戦略である。むろん、それはここにしかない条件ではない。年金で食べながら近所の作業所へ、というのはむしろ一般的でさえある。ただ、それをどのような位置に置くか、力をどのように使い、抜いていくかである。 悩みを抱えた市民の相談を受ける「べてるのメンバーによる市民相談会」に人に頼まれると断わりきれず引き受けてしまい行きづまってしまう中年のサラリーマンがやってくる。下野勉(p.61に写真)は「これは重症ですね。このままいくと、めでたくぼくたちの仲間になれます。基本的に、あなたはいい人です。いい人なんだけど、自分をいい人だとは思えない」と言い、さらに松本寛(p.131に写真)は「病気になれば人にものを頼まれなくなるから、いっそのこと病気になるか、そんな会社を辞めるか」と言う。その人は真面目な人なので「会社を辞めたら食っていけないし」と返すのだが、松本は「そんなことないよ。生活保護を受けたらいいですよ」と答える(p.107)。 そういうスタンスから、にもかかわらず「会社」をやるのだ、この人たちは。下野勉はどんな会社にしたいかと聞かれて「一人ひとりが、いろいろある仕事を全部覚える。自分がいなくなったときでも、ほかの誰かがすぐ代わりになってくれる会社」(p.60)と答える。それが「永遠不滅のキーワード」としての「安心してサボれる会社づくり」(p.59)ということになる。言うだけなら言えることかもしれない。実際、下野はそう言いながら、言った後、休まずにがんばってしまい、疲れ果ててしまう。だから現実に、さぼることがてきる場を作り、自分でさぼれるようになっていこうというのである。 では、そうしてなぜ会社を作ってやっていくのか。これは愚問なのだろう。商売は、お金を儲けることは、苦労することも含めて、おもしろいことでもある。私たちの多くは、資金集めのための廃品回収やバザーや模擬店に熱中できる。それは稼ぎにもならない単調な仕事をさせられ、それが「訓練」だとされ儲からないことの言い訳にされることと違う。 同時に商売は難しい。とくに人間関係が難しい。けれど関係には否応なくそうであるしかない部分もある。人と関係していく以上はきつさはなくせないし、また完全になくしてしまってもつまらない。だが他方で、そのきつさを緩められる部分も、一人ではできないが、ある。両方を知り、両方でやっていく。やはりこれは正解だと思う。(続く) ●表紙写真を載せた1冊 ◆浦河べてるの家 20020601 『べてるの家の「非」援助論――そのままでいいと思えるための25章』,医学書院,256p.,2000円+税 ●載せられなかった本 ◆「精神病」者グループごかい 編 19840731 『わしらの街じゃあ!――「精神病」者が立ちあがりはじめた』 社会評論社,238p. 1600 ※ ◆「精神病」者グループごかい 編 199009 『わしらの街じゃあ!――「精神病」者が立ちあがりはじめた 増補改訂版』 社会評論社,254p. 1700 (200206品切) ※ ◆「病」者の本出版委員会 編 19950430 『天上天下「病」者反撃!』 社会評論社,230p. 2000+税 (200206有)※ http://www.shahyo.com (目次等紹介なし、ホームページから注文可) 20020804:誤字・誤記を訂正 ●cf. ◆立岩 真也 2002/10/25 「『べてるの家の「非」援助論』・2」(医療と社会ブックガイド・20) 『看護教育』43-09(2002-10):782-783(医学書院) ◆立岩 真也 2001/12/25「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」 『季刊社会保障研究』37-3:208-217(国立社会保障・人口問題研究所) ◇べてるの家 ◇精神障害 ◇障害者と労働 ◇書評・本の紹介 by 立岩 ◇医学書院の(白石正明が担当した)本 ◇BOOK TOP(http://www.arsvi.com/0w/ts02/2002008.htm) HOME(http://www.arsvi.com)◇ |