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>HOME >BOOK 立岩 真也 2002/07/25 『看護教育』43-07(2002-07) http://www.igaku-shoin.co.jp http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/ ●表紙写真を載せた2冊 ◆好井 裕明・桜井 厚 編 20000530 『フィールドワークの経験』,せりか書房,248p. 2400円 ◆野口 裕二 19960325 『アルコホリズムの社会学――アディクションと近代』,日本評論社,198p. 2000円 《おことわり》 いつもは、『看護教育』発売後、3月をすぎないと文章をホームページ上に掲載することはないのですが、このたび、関東社会学会で出口さんと立岩が報告することになり、その報告ともいささかの関係があるため、全文を掲載させていただきます。〜『看護教育』を講読しましょう。 出口泰靖は、前回あげた野口・大村編『臨床社会学の実践』(有斐閣、2001年)に、「「呆けゆく」体験の臨床社会学」を書いている。また次回その中身を紹介する『フィールドワークの経験』には「「呆けゆく」人のかたわら(床)に臨む――「痴呆性老人」ケアのフィールドワーク」が入っている。彼は1969年生まれの社会学者で、ホームヘルパー2級の資格をもっていて、特別養護老人ホームやグループホーム等で通いや住み込みのボランティアや研修生をしなから、そこから得たものを論文に書いてきた。私は彼が書いたものを読んで、ああそうなのかと思った。 つまり、呆けることがどんなことか、それが少しわかった気がしたのだ。身近にいたり、その人とつきあうことを仕事にしている人は知っていると思うかもしれないが、そうとも限らない。近くにいるから知ろうとしないこともある。 その私たちは、知らないながらも、なんとなく呆けるとは本人の自覚のないまま知的な能力が衰えていくことだと思っているのかもしれない。出口もそう思っていたと言う。ところが「私にとって衝撃的だったのは、Aさんのように自分が呆けはじめたことに「何らかの形で」気づいている人がいることであった。」(『実践』p.143)「彼女は「呆けゆくこと」の気づきを何らかのかたちで示し、その原因を自分なりに考え、仕事をし続けられないことに対して言いしれぬ不安を感じ、悲嘆に沈み、この事態に何とか対処しようとしている、ここで私の心を捉えて揺さぶった問いは、そうした「呆けゆく」体験をかかえた人たちにわれわれはどのようにかかわればよいのだろうか、ということだった。」(p.144) もちろん人により状態によって様々だろうが、呆けていくことについての自らの思いがあり、それがどんなものか、周囲の人が直接に体験することはできないのだが、そこをなんとか記述していく出口の記述を読んでいったとき、読む側も初めて少しわかったように思うのだ。例えば私が読んで思ったのは、不謹慎かもしれないが、酔っ払っている時の状態に近いところがあるかもしれないということだった。何の自覚もなくただ酔っ払っていることもあるが、我ながら酔っ払っていると思いながらとか、そこまではっきりしないが普段とは違うと思いつつ、あるはずのものが見つからないとか、辿り着くべきところに着かないとか、それで我ながらなさけない、といった感じに少し似ているのかな、などと思いながら読んでいく。さらに、気づかれないように取り繕ってしまったりすることもある(が隠しきれずに、やはり情けないと思ったりする)のも似ているように思ったりする。そのような「パッシング」という行いを記述したのは4月号で紹介したゴッフマンだが、なるほどここでもそんなことが起こるのだと思う。そして「高齢者福祉」や「痴呆老人の介護」についておびただしい文章が書かれてきたのだが、こんなことが詳しく書かれているものは見たことがなかったと思うのだ。 さらに出口は痴呆の人を相手にする人の側が、そんな態度をとることがある、知らないふりをすることがあることを言う。「「パッシングケア」…は、本人に「呆け」と直面させることは残酷であるとみて、そうした場面に出くわしそうになると話題をかえたり、「私は呆けたか」というような気づきにも、話をすりかえたり、やりすごしたりして、「呆け」様態を周囲の側から包み隠すケアである」(p.156)しかし、周りがそのようで、しかし本人は気づいているとなると、それを自分だけで抱えてしまってやはり困ってしまう。それはよくないのではないか。と出口は思い、呆けることを自らがわかることを組み入れてデイ・ケアをしているところを見つけて、今度はそこでどんなことが起こっているのかをやはり記述するのである。 社会科学は人間のしていることを相手にしているから当然なのだが、それが言うのは、言われてみればそう不思議ではなく、そんなこともあるだろう、というぐらいのことだ。だが、知らなくはないが、見過ごしているか見ないことにしていることをあらためてはっきりさせる意味はある。そしてそれは、出口の場合はどうやって呆けゆく人たちとつきあっていったらよいのだろうという関心につながっている。毎日忙しく働いていると、そんなことを考えたら日常の仕事が滞る。しかしそれではやはりまずいなら、立ち止まらないとならない。研究者だけがそれを行うこともないのだが、とりあえず研究者がそれを行なってもよい。 野口裕二は1955年生まれ、前回紹介した本の編者であり、またたしか出口泰靖の師でもあったはずの社会学者だ。私思うに、臨床社会学の主唱者・首謀者の一人となる以前、彼の最初の本『アルコホリズムの社会学』がすでにおもしろい本である。 酒がどうしても飲みたいという感じは、私はわかるように思う。しかし、なぜそこまでなって抜けられないのかは、わかるような気もするが、わからないところもある。次に、アルコホリズム(普通はアルコール依存症と言われることが多いのだろうが、野口はあえてこの語を使う)の人たちのセルフヘルプ・グループ、例えばAAといった組織があるのだが、あれはなかなか不思議なことをやっているようにも思われ、なにやらうさんくさくも感じられるのだが、しかしなにか核心をついた活動のようにも思われる。これらはいったいどんいうことなのだ、それをどう理解したらよいかと思う。 アルコホリズムに付着するスティグマの成り立ち、アルコホリズムの医療化の過程、セルフヘルプ・グループ、集団精神療法と地域ネットワーク、「共依存」と「アディクション」がこの本では論じられるのだが、とくに私の関心に引きつければ、まず第1章「アルコホリズムとスティグマ」で、アルコホリズムを「意志の病」とする人々の信念について述べている部分。彼はそれが誤りであることが証明されない構造になっていることを指摘する。つまり酒をやめられれば意志が強い人で、その人はアルコホリックではなかったことになり、他方やはりやめられなければ、それは意志が弱い、だから正真正銘のアルコホリックだとされるのだと言う(pp.22-23)。なるほどそうかもしれない、とも思う。 こんなこととも関わり、本の後半、第10章で野口は、G・ベイトソンの議論を紹介して、酩酊は、覚醒時の自分のあり方が誤っていることに対する正しい修正だと考えられると言う。ここで自分が間違っているとは、その人が人間関係で失敗しているといったことを指すのではなく、自らが「意志する主体」であること、自らを制御する主体であろうとすることが――これはもちろん、近代社会では正しいあり方とされるのだが、しかし――間違っているということだ。人は酒を飲んで酩酊してそれを修正する。それは人をアルコホリズムに導くものでもあるのだが、AAの成功とは、そのような自らが自らを統御しようとする私のあり方を放棄することから始めることにあるのだと言う(pp.171-172)。そうかなあと思うところは残る。だがそれだけですべて説明できるかどうかはともかく、言われればそうかと思うところはある。前回紹介した樫村愛子による「自己啓発セミナー」の分析もそういうものだった。知らない現実をまず明らかにするところから始まる出口のような研究もあるし、まるで知らないのでもないがよくわからないものをどう理解するかというところで読んでしまう仕事もある。 野口は東京都精神医学総合研究所等で斎藤学らと仕事をしてきた経験がある。私は「現場至上主義」は支持しない。またアルコホリックの人がどうなろうと知らないという人が研究してもかまわないと思う。しかしどんな研究が結果としておもしろいかと言えば、相手をおもしろいと思いながら、このままではつらかろうと思い、ではどうしようかといったことを考えている人が考えて書いたものであることが多い。まず野口は断酒会やAAがおもしろいと思ってしまい、その前にアルコホリックの人に思い入れてしまったのだ。 同時に、そんな自分自身も含めて距離をとることが、相手が何なのかを言うためにも、どうするかを考えるためにも、求められることがある。そのとき「学問の蓄積」が使えることがある。野口自身が序章で逸脱論、医療社会学、臨床社会学、近代社会論と列挙するように、彼はアルコホリズムに対するのに特定の接近法だけを使ったのではない。例えば臨床社会学といった、ある対象領域や接近の方法や構えを包括する旗印を掲げ、本を編集し、その全体を盛り立てていくことにも意義はあるだろう。ただ結局は、そこで起こっていることは何なのかという問いが基本の問いなのではある。その問いに答えるのに野口のこの本は短すぎる。それが惜しい。アルコホリズムについてもっと書いてほしい。出口には、呆けることについて、どうだわかったか、という本を書いてほしい。 UP:2002 ◇野口・大村編『臨床社会学の実践』(有斐閣、2001年) ◇好井 裕明・桜井 厚 編 20000530 『フィールドワークの経験』,せりか書房,248p. 2400円 ◇出口 泰靖 ◇野口 裕二 ◇書評・本の紹介 by 立岩 ◇医学書院の(白石正明が担当した)本 TOP(http://www.arsvi.com/0w/ts02/2002007.htm) HOME(http://www.arsvi.com)◇ |