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>HOME 『弱くある自由へ』の書評・紹介 ◆2001/06/16「「がんばらなくてもいい」と言える社会でありたい――『弱くある自由へ』著者立岩真也さん」(インタビュー) 『ふらっと』(ニューメディア人権機構) http://www.jinken.ne.jp ◆著者インタビュー 200101 『図書新聞』 ◆『創価新報』(創価新報刊行会)2000-11-15:11 著者の素顔ーこの人に聞く(↓) 『弱くある自由へ』の著者 立岩真也さん ◆井口 高志 2001/11/30 「書評 立岩真也『弱くある自由へ』」 『社会政策研究』02:219-223 ◆『臨場哲学通信』 www.melma.com/mag/22/m00017622/a00000003.html ◆born.tripod.co.jp/diary/diary.html ◆加藤 正太郎 2001/03/01 「私はその存在を肯定したい。――立岩真也『私的所有論』『弱くある自由へ』を読む」 『La Vue』5:7-8 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html ◆http://www.skd.ne.jp/2syoukai/hon/010105_k.html(↓) ◆石田 智秀 http://www15.u-page.so-net.ne.jp/qb4/chishu/bookmark/bioethics.html#weak(↓) http://www15.u-page.so-net.ne.jp/qb4/chishu/ ◆大澤 真幸 2001/01/28 書評(↓) 『読売新聞』2001-01-28 http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/0128_02.htm ◆倉本 智明 20010112 『週刊読書人』2369:4 ◆青木 みや 2000/12/17 http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3aab402f419d10105113?aid=02inose01&bibid=01940952&volno=0000 ◆柘植 あずみ 書評 共同通信配信 『山梨日日新聞』2000-12-03:8/『日本海新聞』2000-12-04:7 『新潟日報』2000-12-10:10/『沖縄タイムズ』2000-12-17:20 ◆最相 葉月(ノンフィクション作家)「新刊私の◎〇」(↓) 『朝日新聞』2000-11-26:13(読書) ◆いしばし りょうこ こども医者いしばしりょうこのページ http://www.asahi-net.or.jp/~dw3r-isbs/dhsc.html#Anchor98701 ◆http://blog.so-net.ne.jp/higetama/archive/20060819 ◆http://www.skd.ne.jp/2syoukai/hon/010105_k.html 弱くある自由へ 立岩真也著 青土社・本体2800円 ISBN4-7917-5852-8 自分のことを<強い人間>だと思いますか? この本の著者は、三年前に、「私的所有論」という本格的な理論書をだしている。その丁寧な議論は、専門家からも、一般の人からも高く評価されていたと思う。私も「私的所有」については、いつか、時間をかけて考えてみたいと思っている。だから、この著者にはずっと関心を持っている。 硬そうな話をし始めたと思われたかも知れない。でもこの著者も私も<難しい話>をしたいわけではない。<無理に考えることなどない>のが<健康>であると思っているのだ。この著者はこんな事をいっている。 「多分、とても当たり前のことではあるが、なにかの事情で自分がすでにあることを考えてしまっていて、そしてそのために行き止まっているとき、行き止まるまで考えてしまっているとき、なんでこの書き手はこんなふうに書いているのか、よくわかるということがあると思う。」とはじめにで書いている。 いろんなところで書いた文が混ざっているが、著者は、<やさしこと>はやさしく、<複雑なこと>は複雑に書いている。これは良いことだと思う。なんでもかんでも<やさしく>書いたり、逆に、なんでもかんでも<難しく>書くのはどちらも良いことではない。 この本では<自己決定><安楽死><差別><障害者><介護>などどれ一つとっても<大変な問題>がさまざまに論じられている。<生と死の技術>というこれからの社会で重要な意味をもつ問題に著者は柔らかく志高くせまろうとしている。私は彼の考えに寄り添いながら静かにこの本と出会っている。 人間は皆<強い>し<弱い>。<強い>だけの人も<弱い>だけの人もいるはずがない。どんな人にも<開かれている>本だと思う。どんな時にも<開かれている>本だと思う。 >TOP ◆石田智秀 http://www15.u-page.so-net.ne.jp/qb4/chishu/bookmark/bioethics.html#weak(↓) http://www15.u-page.so-net.ne.jp/qb4/chishu/ 弱くある自由へ 自己決定・介護・生死の技術 立岩真也 青土社 2000 『私的所有論』(勁草書房1997)という大部を著して、その中で「自己決定」について深く論じた著者が、その後に展開した現実を見据え、新たな思想を展開させている。 「自己決定」はある程度は便利な論理である。しかし、「堅い」自己決定は案外すぐに致命的な限界の壁にぶちあたる。だから「緩い」自己決定を手に入れた方が良いのではないか、ということが出発点にあり、そこからさまざまな問題が考えられている。 今は殆どどの論者も言及していないが、遺伝子診断と保険をからめて考察し、その関係をどうすべきなのか、著者なりの結論が提示されてもいる。 収録されている論文は雑誌『現代思想』に掲載されたものが多い。対談もある。どの論もかなりの説得力がある。 著者のホームページアドレスが本書冒頭部に記されている。ここへ行けば、びっくりするくらいたくさんの情報が得られる。もちろん紹介させていただきます。 http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm >TOP ◆大澤真幸(京都大学助教授) 「書評:立岩真也『弱くある自由へ』」 『読売新聞』2001年1月28日掲載 http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/0128_02.htm ◇存在と自己決定を考察◇ 本書は、生命倫理の基礎と社会福祉の実践を接続する論考を集めている。これは、『私的所有論』に続く立岩の単著である。前著は、生命倫理の専門家に好意的に迎えられ、相応の成功を収めた。だが私は、あの本を手に入れた読者の一割もあれを読み抜いてはいないのではないか、と疑っている。そのくらい立岩の論文は読みにくい。本書も読みやすいものではない。 立岩の立場は「緩い自己決定」論である。自己決定は尊重されるが、その人の存在と不可分に結びついているもの(例、臓器)は、技術的には処分可能であっても、自己決定による制御の対象にならない、とする立場だ。この立場は、通常の自己決定論を擁護するよりも、むしろ批判するものである。例えば、迷惑をかけない限り何をしてもよいとする自己決定の主張は、迷惑の範囲を規定しない限り無内容だし、人の世話を受けずには生きていけない人の自己決定を認めないことになる。中心的な論文は、高齢者や障害者の介助について論ずる。そこで、負担できるすべての人に資金と労働力を負担させて介助に必要な費用を完全にまかなう、理想的な福祉機構が実現可能かが、周到に検討される。 疑問も残る。立岩によれば、人の存在の尊重が自己決定の尊重に優先する。このことを論拠に、自殺(安楽死)を自己決定しようとする者に反論する権利が確保される。だが、人の存在とは何か? ただの物理的実在ではないとすれば、それは、既に萌芽的な自己決定(自律的選択)を含むのではないか? そうだとすると、存在と自己決定は分離できるのか? だが、疑問を誘発することもまた、本書の美徳である。読者は、本書を読んで、何かが解決したとは思うまい。むしろ、問題が最後まで手離されないこと、問いの深みに見合わない安直な「解決」の上に着地してしまわないこと、これこそが本書を価値あるものとしている。読みにくさの一因は、問いへのこうした執拗(しつよう)性にこそあるのだ。(青土社、2800円) ◇たていわ・しんや=一九六〇年生まれ。信州大学医療技術短期大学部助教授(社会学)。 >TOP ◆最相葉月(ノンフィクション作家)「新刊私の◎〇」 『朝日新聞』2000-11-26:13(読書) 〇1)『ニュース・エージェンシー』(里見脩著、中公新書・880円) ◎2)『弱くある自由へ』(立岩真也著、青土社、2800円) 〇3)『黄昏の哲学 脳死臓器移植・原発・ダイオキシン』(小松美彦著、河出書房新社、1600円) 「…(略)… 2)他人の権利を侵害しない限り、自分のことは自分で決めるという自己決定権。その前では、誰もが口を閉ざさざるをえない。でも、果たしてそんな権利は最初から存在するのか。先端医療技術を前に、何をどのように考えればよいのか。思考のレッスンをしながら、自分なりの、しかし、妥協したわけではない結論に至る。『私的所有論』に続く労作。 3)市民科学者、故・高木仁三郎の若い人々へのメッセージが心にしみる。「自分の体を張って、本物の覚悟をしなくちゃならない」 >TOP ◆『創価新報』(創価新報刊行会)2000-11-15:11 著者の素顔ーこの人に聞く 『弱くある自由へ』の著者 立岩真也さん ――患者が自らの治療について決めるなど、自己決定権ということを最近よく耳にしますが、本書では“自己決定”について、障害者運動のなかで主張されてきた視点から見られていますね。 “自己決定”をスローガンに掲げてきた障害者運動はとても大切な運動だったと思うし、その意味で、自己決定というのは幻想ではなく★01、非常に大事な問題であると私は思っています。 しかし、それですべていくかと言えば、そうではないこともあります。例えば、安楽死の問題では、自己決定を主張してきた彼ら自身が死の自己決定に反対しています。 つじつまが合わないと思われるかもしれませんが、私はどこかでつじつまが合っていて、それが表向きには矛盾に見える主張になっているのだろうと思い、そこのところを肯定しながら、自己決定を限界づけることを考えてみたいと思ったのです。 ◇その人の存在を尊重するなかに自己決定の尊重も◇ ――“自己決定はそれ以上、問う必要のない前提ではない”と言われています。 自己決定といいますが、何の決定なのか、何について決定できるのかといった基本的な問題がまずあるし、決定できることの価値をどの辺に置くのか、本人が決定できない状況についてどう考えるのかという問題があります。自己決定で話がすべて終わってしまうということでは少なくともないと思います。 ごく簡単に私が考えていることを言いますと、存在を尊重することの一部に決定を尊重することがあるのではないかということです。したがって、Aさんという存在を承認するということがまず基礎的なところにあるのだろうと思います。Aさんの存在を認めるなかの一部分として、Aさんが決めることを尊重するという選択がある、基本的にはそう考えていいと思います。安楽死が、その基礎的なところを壊していることになっていないか、考える必要があります。 しかし、それが逆になると、まずいわけで、決定できるがゆえに、その存在を尊重するというのであれば、自己決定できない人は尊重されないことになってしまいます。 ――「決定しないことが可能になるような諸条件を造り出す」必要性にも触れておられますね。 具体的には、さまざまなケースがあると思いますが、いまの安楽死という文脈で考えてみれば、死ぬという決定、“自分はもう死ななければいけない”という決定をしなくてすむ条件、つまり、死の決定に追いやられてしまわない条件があってもよいのではないかと思います。 自分が何もできないと感じるとき、人は死を考えてしまうかもしれない。しかし、本人が何もできないことをどうやって社会が捉えるかという問題も同時に存在するのだろうと思うのです。 ――後半では、介護保険の問題にも触れておられますが、国家の役割についてはどう考えられますか。 国家が他のものと違うのは強制力を持つことです。ですから国家を考えることは強制力を持つことをどう考えるかということであると思います。しかし、強制と自由を対置させ、国家は自由を剥奪するもので、よくないと言えるかというと、それほど単純でもありません。 例えば医療や福祉に当てられる税金は、国民から強制的に徴収されたものです。少なくとも、ある人たちの自由、ある状態に置かれた人たちの自己決定というものを可能にする条件として税金を強制することが必要になってきます。つまり、ある面では強制するということが自由のための条件である場合があります。 しかし、何をやってもいいかというと、もちろんそうではないわけで、どこまでが国家がおこない、どこからは手を引くべきかということを私たちはやはりきちんと、考える必要があると思います。 ◇障害者の主張に社会は耳を傾けるべき◇ ――読み終えてみて、自己決定、介護等、障害者運動から学ぶ点が多いように思われます。 これまで、新聞、テレビにしても、障害者による組織的な活動、主張を取り上げることはあまりなかったと思います。今回、私は介護保険の話に触れて、彼らが介護をどう考えてきたかについて書きました。彼らにとっては十分すぎるほど論議してきたことなのだけれど、一歩外に出ると、まったくそれは知られていない。しかし、彼らの主張はとても普遍的で、アイディアにあふれています。 例えば、介護保険の問題についても、高齢者介護というスタンスからしか見れない介護と、彼らが考える介護というのは、発想からして違います。高齢者の増加という現実の問題はそれ自体よく分かるけれども、一方で、介護というものを受けるプロであり、介護について考えてきたプロである彼らが考えてきたことはどんなものなのか、社会はもっと知るべきではないかと思います。 たていわ・しんや 信州大学医療技術短期大学部助教授。1960年新潟県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。千葉大学助手などを経て現職に。社会学専攻。著書に『私的所有論』(勁草書房)、共著に『生の技法』(藤原書店)など。 ……以下の注は掲載紙にはありません。 ★01 本の「帯」に「自己決定という幻想」とある。(立岩) >TOP ■この本(に収録された文章)への言及(61) ◆加藤 秀一 20010305 「身体を所有しない奴隷――身体への自己決定権の擁護」 『思想』922(2001-03):108-135 ◆中根 成寿 2001 「「障害がある子の親」の自己変容作業――ダウン症の子をもつ親からのナラティブ・データから」 立命館大学大学院社会学研究科・修士論文 ◆夏目 尚 2001 「障害者のアイデンティティポリティクスについて――ディスアビリティ/インペアメント概念再考」 静岡県立大学大学院国際関係学研究科国際関係学専攻・修士論文 ◆佐保 邦枝・杉田 聡 200103 「「自己決定/自己決定権」の概念の再検討――「他者」と共にある「自己決定」」 『医療者・患者関係の転換と患者の主体化に関する現状分析と理論開発』:073-076 (山崎 喜比古 研究代表者 平成11〜12年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究成果報告書,145p.) ※ ◆佐古 輝人 200103 「スピノザ問題考――ホッブズ問題は何を問うているのか」 2001/03 パーソンズ研究会 2001/12 間共研 www.lian.com/SAKO/papers/spinoza.pdf (第5章「生命の科学・技術と社会:覚え書き」) ◆林田 幸広 20010913 「ポスト・フーコー的法権力の台頭――差延に感染する<否(ノン)>権力」,『九大法学』82:163-236 ◆星加 良司 20010915 「自立と自己決定――障害者の自立生活運動における「自己決定」の排他性」 『ソシオロゴス』25:160-175 ◆清水 昭美 2001/10 「オランダ安楽死法案可決と安楽死の実態――医療職の倫理とは」 『Nursing Today』16-11(2001-10):070-073 ※ ◆森岡 正博 2001/11/10 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』 勁草書房,477+17p. 3800円+税 ◆清水 昭美 2001/11/25 「「死にたい」の背後にあるもの」 『看護教育』42-10(2001-11):852-858 ※ ◆土屋 葉 2001 「「障害者家族」のリアリティ構成」 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較文化学専攻(社会学)・博士論文 ◆脇田 愉司 2001 『福祉・存在・原点・魂の共同性をめぐって――障害・福祉・原論』 130p. ※ ◆土橋 茂樹 2001 「今、倫理学に何が求められているのか」 『人文研紀要』41(中央大学人文科学研究所) http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/article19.html ◆谷川 玲子 2002 「医療サービスの決定における知的障害者のインフォームド・コンセントのあり方についての実証的研究」 神戸薬科大学退学院薬学研究科・修士論文 2001年度 ◆木下 貴文 2002 「<無自覚の共同性>論序説 ―<社会(内)的公共性>のための個人的通路」 『社会システム研究』5:193-209 http://fischer.jinkan.kyoto-u.ac.jp/~adachi/tmp/ ◆土屋 葉 20020615 『障害者家族を生きる』,勁草書房,237p,2,800円 ◆石川 准 20021031 「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」 石川・倉本編[2002:017-046]* *石川 准・倉本 智明 編 20021031 『障害学の主張』,明石書店,294p. \2600 ◆星加 良司 2002/11/16 「「障害学」の到達点と展望――「社会モデル」の行方」 第75回日本社会学会大会報告 ◆阿部 耕典 2003 「支援費制度・コンシューマリズム・アドボカシー――利用者個人の主体性とその権利を中心としたサービスシステムのために」 東京都立大学大学院社会学研究科修士論文 ◆天田 城介 20030228 『<老い衰えゆくこと>の社会学』,多賀出版,595p. 8500 ※ ◆朽網 由紀 2003/03 「容貌問題を巡る「語り」と「法」」 九州大学大学院法学研究科修士論文 ◆樋澤 吉彦 2003/03 「「自己決定」を支える「パターナリズム」についての一考察――「倫理綱領」改訂議論に対する「違和感」から」,『精神保健福祉』34-1:62−69 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/0300hy.htm ◆星加良司 2003/09/30 「「障害の社会モデル」再考――ディスアビリティの解消という戦略の規範性について」 『ソシオロゴス』27:054-069 ◆檜山 平(宮崎大学) 2003/10/13 「社会福祉システムにおける妥協と選択」 日本社会学会第76大会報告 ◆北田 暁大 20031025 『責任と正義――リベラリズムの居場所』,勁草書房,398+36p. 4900 ※ ◆宮坂 道夫 2003/12 「ALS医療と医療倫理」 cf.ALS http://www.clg.niigata-u.ac.jp/~miyasaka/place/ALSpaper.html ◆天田 城介 20040330 『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』,ハーベスト社,394p. 3800 ※ ** ◆貴戸 理恵 20041120 『不登校は終わらない――「選択」の物語から〈当事者〉の語りへ』,新曜社,327p. ISBN:4-7885-0927-X 2940 [boople] ※ ◆中根 成寿 20050825 「障害者家族の父親のケアとジェンダー――障害者家族の父親の語りから」,『障害学研究』01:158-188 >TOP ■1998/01/20「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」 『仏教』42:85-93(特集:生老病死の哲学) 25枚 →『弱くある自由へ』(青土社,2000)に収録 ◆池永 新 2003/10/13 「現代終末期医療に関する社会学的考察――終末期医療の可能性に」 日本社会学会第76回大会報告 ■1998/02/01「一九七〇年」 『現代思想』26-2(1998-2):216-233 70枚 →『弱くある自由へ』(青土社,2000)に収録 ◆瀬山 紀子 1999 「<語り>と<コミュニティ>の生成 −障害を持つ人々の語りを通して」 1998年度お茶の水女子大学人間文化研究科発達社会科学専攻応用社会学コース修士論文◆倉本 智明 19990331 「異形のパラドックス ――青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」 石川准・長瀬修編『障害学への招待 ―社会、文化、ディスアビリティ― 』 明石書店 1999年3月31日 ◆倉本 智明 19991225「ピアの政治学」 北野他編[1999:222-236]* *北野 誠一・石田 易司・大熊 由紀子・里見 賢治 編 19991225 『障害者の機会平等と自立生活――定藤丈弘 その福祉の世界』,明石書店,293p. 2800 ※ ◆松波 めぐみ 2001 「『障害文化』論が多文化教育に提起するもの」 大阪大学大学院人間科学研究科修士論文 ◆杉野 昭博 20010607 「障害の文化 〜盲人文化を中心として」(講演記録 文責・松波めぐみ) リバティセミナー「障害学の現在」 第2回 ◆児島 亜紀子 20020625 「誰が「自己決定」するのか――援助者の責任と迷い」 古川・岩崎・稲沢・児島[2002:209-256]* *古川 孝順・岩崎 晋也・稲沢 公一・児島 亜紀子 20020625 『援助するということ』 有斐閣,261+4p. 2200 ※ ◆星加 良司 2002/09/15 「「障害」の意味付けと障害者のアイデンティティ――「障害」の否定・肯定をめぐって」 『ソシオロゴス』26:160-175 ◆霜田 求 2002/09/20 「遺伝子操作と〈生の質〉の個体モデル」 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ2-1/paper14.htm 『医療・生命と倫理・社会』Vol.2 No.1(オンライン版) http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ2-1/index.html ◆山下 幸子 2003/10/13 「健常者として障害者介護に関わるということ――1970年代障害者解放運動における健全者運動の思想を中心に」 日本社会福祉学会第51回全国大会報告 ◆田中 耕一郎 20050825 「障害者運動と「新しい社会運動」論」,『障害学研究』01:088-110 ◆田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [boople]/[amazon] ※, p.105 >TOP ■1998/02/01「障害者運動から見えてくるもの」(市野川容孝との対談) 『現代思想』26-2(1998-2):258-285 ◆松波 めぐみ 2001 「『障害文化』論が多文化教育に提起するもの」 大阪大学大学院人間科学研究科修士論文 ◆森田 真弓 2002/03 「名づけ――ことばの不可能性を越えて」 大阪女子大学文学研究科社会人間学・修士論文より ◆北田 暁大 20031025 『責任と正義――リベラリズムの居場所』,勁草書房,398+36p. 4900 ※ p.374:「出生前診断っていうは自己決定の問題であるかどうかさえ疑わしい[…]変な話だと思うんだよね。」(149) ◆田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [boople]/[amazon] ※, 「現代の日英障害者運動は、1960年代という時代の「跳ね上がった気分」☆の中から誕生した新しい社会運動(new social movement)である。」(p.15) >TOP ■1998/07/01「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」 『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定) 【了:19980610】 *この論文は『弱くある自由へ』に収録されました。 ◆松原 隆一郎 19980729 「ウォッチ論調・自己決定権」 『朝日新聞』19980729 ◆旭 洋一郎 19981018 「社会福祉、障害者福祉と知的障害者の「自己決定」」 日本社会福祉学会第46回大会(1998.10.18 明治学院大学)報告レジュメ・資料 http://media.nagano.ac.jp/asahi/jiko.html ◆藤崎 宏子 20000331 「家族と福祉政策」 三重野・平岡編[2000:111-137]* *三重野 卓・平岡 公一 編 20000331 『福祉政策の理論と実際――福祉社会学研究入門』 東信堂,263p. 3000 ◆臼井 正樹 200007 「自己決定と福祉――自己決定概念の福祉分野における意義と限界」 『社会福祉学』41-1(62):135-150 ◆田中 俊英 2000? 「不登校と「決定」――自己決定と規範を考える」 『臨床哲学』03 http://member.nifty.ne.jp/donutstalk/jiko.htm ◆菅野 摂子 20010519 「出生前診断における妊婦の受診態度と医療者のかかわり」 『保健医療社会学論集』12:115-126 ◆児島 亜紀子 20020625 「誰が「自己決定」するのか――援助者の責任と迷い」 古川・岩崎・稲沢・児島[2002:209-256]* *古川 孝順・岩崎 晋也・稲沢 公一・児島 亜紀子 20020625 『援助するということ』 有斐閣,261+4p.,2200 * ◆向井 承子 20030825 『患者追放――行き場を失う老人たち』 筑摩書房,250p. ISBN:4-480-86349-4 1500 〇教材・入試での使用 ◆20020313 東京大学入学試験・論文II(文I) 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ・解説:Z会 http://www.zkai.co.jp/high/tokushu/jouhou/univ/data/anlys/2002/022_01T1.asp ◇2002 増進会出版社『受験科小論文』理系問題2月 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ◇2002 河合出版『2002大学入試小論文問題集』 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ◇2003 増進会出版社『受験科小論文』文系問題1月 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ◇2003 増進会出版社『夏季集中Xシリーズ』 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) >TOP ■第5章 生命の科学・技術と社会:覚え書き ◆200410 平成16年度第2回駿台全国模試 国語 「科学・技術はわかろうとする・変えようとする試みである。[…]出過ぎたことではないかとも思われる。」 >TOP ■1998/09/01「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」 『現代思想』26-9(1998-9)(特集:遺伝子操作) *この論文は『弱くある自由へ』に収録されました。 ◆武藤 香織 199811 「ハンチントン病の発症前遺伝子検査と医療福祉的サポートの現状」 『医療と社会』8(3):67-82. ◆武藤 香織 2000 「逆選択の防止と「知らないでいる権利」の確保――イギリスでのハンチントン病遺伝子検査結果の商業利用を手がかりに」 『国際バイオエシックスネットワーク』第30号(2000.10.31) pp.11-20 ◆山野 嘉朗(愛知学院大学法学部教授) 20001205 「保険と危険選択と遺伝情報――保険理論・法政策」 『賠償科学』25:22-38(日本賠償科学会) ◆齊藤 純一 2000 「社会の分断とセキュリティの再編」『思想』925(2001-6):27-48 (文献名としてあげられているのは『弱くある自由へ』) ◆中島 孝子(流通科学大学サービス産業学部講師) 「遺伝子検査と保険」 『ひょうご経済』70 http://www.heri.or.jp/hyokei/hyokei70/70idensi.htm ◆武藤 香織 20020201 「検体のまま取り残されないために――ハンチントン病をめぐって」 『現代思想』30-02(2002-02):228-245 ※ ◆瀬戸山 晃一 20020320 「遺伝子情報異質論の批判的検討:遺伝子情報の特殊性と他の医療情報との区別可能性――果たして遺伝子情報は独自の特質を有しているのか?」 『医療・生命と倫理・社会』Vol.1 No.2 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ1-2/setoyama.htm ■2000 「遠離・遭遇――介助について」(1〜4),『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000e:219-353] ◆前田拓也 2003/04/26 「介助者のリアリティへ――障害者の自己決定/介入する他者」 障害学研究会関西部会第18回例会 >TOP ■試験問題 ◆20020313 東京大学入学試験・論文II(文I) 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ・解説:Z会 http://www.zkai.co.jp/high/tokushu/jouhou/univ/data/anlys/2002/022_01T1.asp ◇2002 増進会出版社『受験科小論文』理系問題2月 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ◇2002 河合出版『2002大学入試小論文問題集』 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ◇2003 増進会出版社『受験科小論文』文系問題1月 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) ◇2003 増進会出版社『夏季集中Xシリーズ』 「自己決定の主張とは……示すことがないということである。」(pp.16-18) …… 2004,2005,2006,2007 etc. ◆200410 平成16年度第2回駿台全国模試 国語 第5章 生命の科学・技術と社会:覚え書き 「科学・技術は分かろうとする・変えようとする営みである。[…]出過ぎたことではないかとも思われる。」 ◆20060129 東京都立看護専門学校 看護学科3年課程 国語 「科学・技術は分かろうとする・変えようとする営みである。[…]逃れることができなくなってしまう。」 →教学社・大学入試シリーズ『2007-2008年度 首都圏公立看護専門学校』 ◆200702 早稲田大学国際教養学部 「保険への加入申請……次のようなことが言える。」 ◆2007 大阪経経済大学 「科学・儀出は分かろうとする・変えようとする営みである。[…]逃れることができなくなってしまう。」 01 20001023 02 20001030 03 20010331 04 20010531 05 20040615 06 2005 07 200708 REV:.. ..20021105,13,15,20030212,16,0403,0530,0630,0827,1019 20040107,17 20050206,0810 20070308 0402 0731 ◇『弱くある自由へ』 ◇立岩真也 |