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自由の平等

立岩真也 2001-2003


この連載は、加筆・修正し、そして序章をあらたに書き、2003年内に単行書として刊行される予定です(→2004年1月になりました)。加筆・修正は細かなものがほとんどですが、(ごくごく細かなものを入れ)何千箇所か変わっています。本の方をご覧いただければとありがたいです。本になりました。


◆2001/03/05「自由の平等・1」
 『思想』922(2001-3):54-82
◆2001/05/05「自由の平等・2」
 『思想』924(2001-5):108-134
◆2001/08/05「自由の平等・3」
 『思想』927(2001-8):98-125
◆2001/11/05「自由の平等・4」
 『思想』930(2001-11):101-127
◆2003/02/05「自由の平等・5」
 『思想』946(2003-02):95-122
◆2003/03/05「自由の平等・6」(最終回)
 『思想』947(2003-03):243-249


■毎回の目次

(1)

1 批判の批判
 1 概要
 2 「自由主義」による自由の剥奪
  1 自由による自由の剥奪
  2 所有の規則はそれを正当化しない
  3 妨げられない自由/行なう自由?
  4 自然の状態/制度による制約という区別、ではない
 3 ゲームからは答はでない
  1 ゲームにならない
  2 結果を正当化できない
  3 役に立つことはある
 4 迷惑をかけない限り勝手であるという説の検討
  1 「自然な感じ」?
  2 危害を加えない?
  3 身体の自由と所有の自由
 5 もっともっともな論
  1 帰属・表出
  2 努力・苦労
  3 寄与・貢献

2 批判の批判・2――嫉妬でしかない、について
 1 つまりうらやましいのだと言われる
  1 まじめにとりあうこともないかもしれないが
  2 それでも言っておくべきこと=この章の概要  2 批判の批判・2――嫉妬でしかない、について
  1 私ができることの否定の限界
  2 だが私ができることのよさは自明ではない
  3 私とできることをつなげてしまうもの
  4 切り離し、私のためにできることがあるとする
  5 できることもつことを肯定し分配を肯定する
  6 他人ができることはよいことになる
 3 さらに言われうることについて
  1 他者を低めること?・際限がないこと?
  2 固有性・多様性の破壊?
  3 むしろ批判は自らを否定する

3 「根拠」について
 1 自由のための贈与の強制
 2 「根拠」、としての人間的なもの
 3 自分のために、が届くところ
 4 利他主義の困難
 5 距離と普遍性について
 6 「根拠」について・暫定的な答
 7 中途半端さとつきあうこと

4 基準について
 1 何を置くかという問題の問題
 2 人により異なる→効用の平等→安価な/高価な嗜好
 3 だから客観的なものを、という解でよいか?
 4 多くを要求する人
 5 つつましやかな人
 6 総合評価について
 7 比べること
 8 基準について

5 リベラリズムについて
 1 後に残すこと
 2 答えが開く問い
 3 本人/環境の分割という答とその出自
 4 支払い失うものがある
 5 格差はなくならない
 6 収め所としての結果の平等
 7 それは過程・機会が大切であることと矛盾しない
 8 そして労働の機会が分配されることが支持される

6 リベラリズムについて・2
 1 そこに起こっていること
 2 決めること・選ぶことという案
 3 もっと普通の答
 4 世界にあるものの配置
 5 私との関係、から再び社会の解析

 

3 「根拠」について

◆(3)に関連する引用

★ 「ロールズの格差原理および社会的共通資産観は、原初状態における社会契約ないし合意の結果であって、そこでは公正性の条件を保証するために、人々は自分が恵まれた地位にあるか不遇な地位にあるかの情報は排除されている。したがって個々人が自分の現実の地位に基づいて道徳原理に合意できないと主張することは筋違いである。それは道徳原理に対して要請される公正性の条件のもとでの発言ではないからである。」()

★ 「慣れとは、大方は、感覚の鈍磨という、障害者にとってはまた堪えがたい意味をもっているのであるが、しかし良い、悪いの意味をこめない尺度の移行は、慣れによって生じることは事実である。大事なことは、慣れとは、関係の取り結びだということであろう。障害者本人と、あるいは障害者とかけがえのない関係を結んでいる者との関係を、取り結べたとき、障害者に対する異和感は消失するし、想像、類推の力によって、ほかの障害者への異和感を軽減させることはできるのである。そして慣れの深さによっては、差異の事実はかえってはっきりと残され、ときにはそれをあげつらうこともできるようになる。」(最首[1980→1984:234-235])

★ 「ベイヤーの忠告に従えば、道徳教育者の使命は「なぜ私は道徳的でなければならないのか」という道徳的利己主義者の問いに答えることではなく、「どうして私は親戚でもない、不愉快な習慣を持つ、あかの他人のことを心配しなければならないのか」という、もっとしばしば発せられる問いに答えることだ、ということがわかるでしょう。後者の問いに対する伝統的な答えは、「親戚関係とか習慣とかいうものは道徳的に見て的はずれであり、同じ種の一員であるという認識から生ずる義務には関係ないことだから」というものでした。このような答えは説得力を持ったためしがありません。なぜなら、それは質問の論点を巧みにかわしているからです。単に同じ種の一員であるということが、本当により近しい親戚関係の代用になるのか、という疑問です。そのうえこの答えはニーチェの人の虚をつく反論に対してまったく無防御なのです。そのような普遍主義的な考えは奴隷の心にしか浮かばない、とニーチェは冷笑するでしょう。または、自分たちの自尊心と生活の糧が、神聖な、議論の余地のない、異論を受け付けないパラドックスを他人に受け入れさせることにかかっているインテリや聖職者の心をよぎるかもしれないと。
 より妥当な答え方は、次のように始まる長い、悲しい、感情を揺さぶる種類の物語を語ることです。すなわち「家から遠く離れて、見知らぬ人のあいだにいる彼女の立場になってみると、現状はこのようなものなのだから」あるいは「彼女はあなたの義理の娘になる可能性もあるのだから」あるいは「彼女の母親が彼女のために嘆き悲しむだろうから。」」(Rorty[1993=1998:163-164])

◆(4)に関連する引用

 「この問題は、固定化してしまった不平等や貧困を考える場合に、特に深刻なものとなる。すっかり困窮し切りつめた生活を強いられている人でも、そのように厳しい状態を受け入れてしまっている場合には、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい生活を送っているようには見えないかもしれない。長年に亘って困窮した状態に置かれていると、その犠牲者はいつも嘆き続けることはしなくなり、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまうであろう。このように、たとえ十分に栄養が得られず、きちんとした服を着ることもできず、最小限の教育も受けられず、適度に雨風が防げる家にさえ住むことができないとしても、個人の困窮の度合いは個人の願望達成の尺度には現われないかもしれない。  固定化してしまった困窮の問題は、不平等を伴う多くのケースで、特に深刻である。このことは特に階級や共同体、カースト、ジェンダーなどの差別の問題に当てはまる。このような困窮の性質は、(p.77)重要な潜在能力に関して社会的に生じた差異に注目することによって明らかにすることができるが、もし潜在能力アプローチを効用の尺度で評価してしまうと、それらの点は明らかにできないだろう。潜在能力アプローチを補完するものとして古い順応主義に舞戻ってしまうことは、慢性的に剥奪されている者が望むことすら許されていない潜在能力を過小評価することになり、新しいアプローチから得たものを(少なくとも部分的には)奪い去ってしまうことになるだろう。潜在能力の評価は、これらの潜在能力から得られる効用を単純に合計することによっては行なうことができない。根の深い慢性的な不平等を扱う場合、二つのアプローチから生ずる差は、極めて大きなものになる。」(Sen[1992=1999:77-78])

 「かりに幸福を求める機会の均等でなく、幸福の平等が目的であるとすれば、とてつもなく費用のかかる非現実的な目的を採用した人びとに、社会は巨額な基本財源を提供するようせまられるであろう。たとえばわたくしが、ひ弱なスポーツマンなのに、徒歩でエベレスト山頂にゆかなければ自分の人生は無価値であると信じるにいたったとしよう。それには、その登山旅行を可能とするために十分なシェルパやその他の支援の人びとを雇うのに、大量の資金を要するであろう。他方、幸福への機会の均等を求めることは、幸福をひきだす穏当な諸目的を選定する責任をわたくしに課すことになる。」(Roemer[1994=1997:24])

 「かり(p.24)に、人びとが自由意志を働かせることがなく、すべての行為は個人の統御のおよばない諸要因に起因するのだとすれば、幸福への機会の均等は幸福の均等へと堕する。しかし、大部分の社会主義者もその他の人びとも、意志を発揮する領域はあるものだと信じており、それゆえまた「社会主義者が望むもの」のリストのどこにも機会という箇条を挿入しておくことが大切なのである。」(Roemer[1994=1997:24-25])

 「手段は、究極的には何か他のものによって評価されるから、手段の評価をその目的から全く独立に行うことは容易ではない。ジョン・ローマー(Roemer 1996b)は、この関係を巧みに利用した数学的な帰結を導き、それを(彼の論文のタイトルのように)「資源の平等は厚生の平等を意味する」と解釈した。この結果は精巧な公理の集合に基づいているが、その背後にあるアイデアは、資源の価値をその資源が生み出すものから求めようとするところにある。資源は、それ自体で価値をつけられるものではないので、このような関係に目を付けるのはもっともなことである。最終的な目的が厚生だけであるようなモデルを作って、「資源の平等は厚生の平等を生み出さなければならない」というローマーの定理が導き出される。
 資源の評価と厚生の評価との関係は、促進することが資源を評価する理由になる他の目的との関係と置き換えることができる。この興味ある結果の背景にある真の論点は、一般に手段の評価は目的の評価に依存しているということであって、特に資源と厚生が相互依存関係にあるということに限られるわけではない。」(Sen[1992=1999:124])。

ローマーの「批判の主張なポイントは、第一に、ドゥウォーキンの仮想的保険市場はそもそも「資源の平等」基準を設定するのに不適切なメカニズムではないか、というものであり、第二に、そもそも「資源の平等」基準は、ドゥウォーキンの言うように、本当に「厚生の平等」基準と相容れないないものだろうか、というものである。」(吉原[1999:167])

「センは、権利剥奪状況に対する反作用として形成されるような「安価な嗜好」をもつ人々に関心を向けている。安価な嗜好をもつ人々には、当人が受けとる資格があると予想するよりも多くの手当がなされることになるかもしれないけれども、機能に焦点をあてることは彼らを公正に扱うことに大いに役立つであろう。」(Roemer[1996=2001:220])

 「わたしたちの社会には、きわめて長期間にわたってあまりにも乏しいものだけで生存を維持してこなければならなかったために、そのニーズが生命をようやく維持できる必要最低限度にまで萎縮してしまったような人びとがいる。かれらの期待水準を引き上げ、かれらがそれなしでやってきたものに目を向けさせることは間違っているだろうか。……かれらの生活水準を改善しようとするどんな政治も、おそらくかれらが自分ではっきりと表明しえないであろうニーズを代弁しなければならない。まさにこれこそが、なぜ政治はかくも危険な仕事(ビジネス)なのかという理由なのだ。変革に向けて多数を動員するためには、期待水準を引き上げ、今そこにある現実の限界を跳び越えるようなニーズを創りださなければならない。ニーズを創出することはすなわち不満を創出すること、さらには幻滅をよび寄せることにほかならない。それは人生と希望をもてあそぶことに等しい。このゲームにおける危険を避けるただひとつの防御手段は、納得ずくでの同意(インフォームド・コンセント)という民主的な要件である。およそ人は、自分が代表するその当人たちが自分自身のものとしてはっきりと承認できないようなニーズを代弁する権利など有してはいないのだ。
 以上が、わたしが手はじめに提起した第一の問いであった。すなわち、見知らぬ他人たちのニーズを代弁することが正当なのはどういう場合なのか、という問いである。政治とは、たんに見知らぬ他人たちのニーズを代表する技というにとどまらない。それは、見知らぬ他人たちがこれまで自分ではっきりと表明する機会をもたないできたようなニーズに代わって語るという剣呑な仕事でもあるのだ。」(Ignatieff[1984=1999:19])

 

■文献(166点)→本の文献表

安立 清史・杉岡 直人 編 2001 『社会学』,ミネルヴァ書房
愛敬 浩二  2000 「市場主義財産論の批判的検討」,『法の科学』29:50-62
有賀 誠・伊藤 恭彦・松井 暁 編 2000 『ポスト・リベラリズム――社会的規範理論への招待』,ナカニシヤ出版
アスキュー,デイヴィッド(Askew, David) 2000 「倫理的リバタリアニズム」,有賀・伊藤・松井編[2000:61-85] http://www.apu.ac.jp/~askew
馬場 靖雄 編 2001 『反=理論のアクチュアリティ』,ナカニシヤ出版
Barry, Norman 1986 On Classical Liberalism and Libertarianism, Macmillan=1990 足立幸男監訳,『自由の正当性――古典的自由主義とリバタニアニズム』,木鐸社
Berlin, Isaih 1969 Four Essays on Liberty, Oxford University Press=1971 小川晃一他・小川圭・福田歓一・生松敬三訳,『自由論』,みすず書房
Boucher, David & Kelly, Paul eds. 1994 The Social Contract from Hobbes to Rawls, Routledge=1997 飯島昇蔵・佐藤正志他訳,『社会契約論の系譜――ホッブズからロールズまで』,ナカニシヤ出版
Cohen, G. A. 1993 "Equality of What? On Welfare, Goods, and Capabilities", Nussbaum and Sen eds.[1993:9-29] ―――――  1995 Self-Ownership, Freedom, and Equality, Cambridge University Press.
Cornell, Drucilla 1995 The Imaginary Domain: Abortion, Pornography & Sexual Harassment, Routledge(=1998 後藤浩子訳,「寸断された自己とさまよえる子宮」,『現代思想』26-8:82-105 *第二章の訳)
―――――  1998 At the Heart of Freedom: Feminism, Sex, and Equality, Princeton University Press=2001 仲正昌樹他訳,『自由のハートで』,情況出版
―――――  2000 Just Cause: Freedom, Identity, and Rights, Rowman & Littlefield=2002 仲正昌樹監訳,『正義の根源』,御茶の水書房
―――――  2002 "The New Political Infamy: Women Who Mourn the Sacrilege of Feminism",立命館大学での講演(原稿)=2003 岡野八代訳,「フェミニストの構想力」(仮題),『現代思想』31-1
Dworkin, Ronald 1981a "What is Equality? Part 1: Equality of Welfare" Philosophy & Public Affairs 10:185-246
―――――  1981b "What is Equality? Part 2: Equality of Resources" Philosophy & Public Affairs 10:283-385
―――――  1990 "Foundations of Liberal Equality", Tanner Lectures on Human Values, volume2, Univ. of Utah Press.
江原 由美子 編 1995 『性の商品化――フェミニズムの主張2』,勁草書房
―――――  2001 『フェミニズムとリベラリズム――フェミニズムの主張5』,勁草書房
Friedman, D 1989 The Machinery of Freedom: Guide to a Radical Capitalism, 2nd ed., Open Court (1st ed. 1973)
Friedman, Milton 1962 Capitalism and Freedom, Univ. of Chicago Press=1975 熊谷尚夫・西山千明・白井孝昌訳,『資本主義と自由』マグロウヒル好学社
後藤 弘子 編 1999 『少年非行と子どもたち』,明石書店,子どもの人権双書5
後藤 玲子  1999 「社会保障とセンの潜在能力理論」,『経済セミナー』530(1999-3):25-30(特集:アマルティア・センの世界)
―――――  2002a 『正義の経済哲学――ロールズとセン』,東洋経済新報社
―――――  2002b 「ジョン・ローマー――機会の平等アプローチと社会保障」,『海外社会保障研究』138:43-54
Gray, John 1986 Liberalism, Open University Press=1991 藤原保信・輪島達郎訳,『自由主義』,昭和堂
Gutmann, Amy ed. 1994 Multiculturalism: Examining the Politics of Recognition,Princeton University Press=1996 佐々木毅・辻康夫・向山恭一訳,『マルチカルチュラリズム』,岩波書店
Habermas, Jurgen 1994 「民主的立憲国家における承認への闘争」,Gutmann ed.[1994=1996:155-210]
Harris, John 1980 "The Survival Lottery", Violence and Responsibility, Routledge :66-84=1988 新田章訳,「臓器移植の必要性」,加藤・飯田編[1988:167-184]
Hayek, F. A. 1941 The Road to Serfdom=1992 西山千秋訳、『隷属への道』、春秋社
―――――  1960 The Constitution of Liberty, Routledge & Kegan Paul=1986-1987 気賀健三・古賀勝次郎訳、『自由の条件I〜III』、春秋社、ハイエク全集5・6・7
―――――  1976 Law, Legislation and Liberty, volume 2: The Mirage of Social Justice, Routledge & Kegan Paull=1987 篠塚慎吾訳、『社会正義の幻想――法と立法と自由II』、春秋社、ハイエク全集9
広井 良典 1999 『日本の社会保障』,岩波新書 [下]
廣松 渉 1972 『現代革命論への模索』,新泉社→1975 改装版 [下]
市野川 容孝・立岩 真也 1998 「障害者運動から見えてくるもの」(対談),『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000e:117-172]
Ignatieff, Michael 1984 The Needs of Stranger, Chatto and Windus=1999 添谷育志・金田耕一訳、『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』、風行社 稲葉 振一郎 1999 『リベラリズムの存在証明』,紀伊國屋書店
井上 達夫  1998 「講義の七日間――自由の秩序」,井上編[1998:1-72]
井上 達夫 編 1998 『自由・権力・ユートピア』(岩波新哲学講座7),岩波書店
石井 政之  1999 『顔面漂流記――アザをもつジャーナリスト』、かもがわ出版
―――――  2001 『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』、三輪書店
石川 准   1992 『アイデンティティ・ゲーム――存在証明の社会学』、新評論
―――――  1999 「障害、テクノロジー、アイデンティティ」、石川准・長瀬修編『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』、明石書店 :41-77
―――――  2000 「感情管理社会の感情言説――作為的でも自然でもないもの」、『思想』907(2000-01):41-61
石川 准・倉本 智明 編 2002 『障害学の主張』,明石書店
石川 准・長瀬 修 編 1999 『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』,明石書店
伊藤 恭彦  2000 「現代リベラリズム」,有賀・伊藤・松井編[2000:3-21]
岩田 靖夫  1994 『倫理の復権――ロールズ・ソクラテス・レヴィナス』,岩波書店
Kant, Immanuel 1797 Metaphysik der Sitten=1972 加藤新平・三島淑臣・森口美都男訳、「人倫の形而上学」、野田又男編『カント』 (世界の名著32):313-664, 中央公論社
笠井 潔   1995 『国家民営論――「完全自由社会」をめざすアナルコ・キャピタリズム』,光文社
加藤 尚武・飯田 亘之 編 1988 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」論』,東海大学出版会
加藤 秀一  2001 「身体を所有しない奴隷――身体への自己決定権の擁護」、『思想』922(2001-03):108-135
川本 隆史  1997 『ロールズ』,講談社
川本 隆史  2000 「自己決定権と内発的義務――<生命圏の政治学>の手前で」『思想』908(2000-2):15-33
川本 隆史 編 1998 『共に生きる』(岩波新哲学講義6)岩波書店
―――――  2003 『ケアの社会倫理学――生命倫理の組み替えのために』,有斐閣(近刊)
川本 隆史・高橋 久一郎 編 2000 『応用倫理学の転換――二正面作戦のためのガイドライン』,ナカニシヤ出版
菊池 馨実  2000 『社会保障の法理念』有斐閣
北田 暁大  2001 「政治と/の哲学,そして正義――ローティの文化左翼批判を「真剣に受け止め」,そしてローティを埋葬する」馬場編[2001:39-76]
北本 潮 2003 「Incentive論の再検討――労働と所得の規範理論に向けて」,東北大学大学院文学研究科修士論文
小林 公   1991 『合理的選択と契約』,弘文堂 法哲学叢書4
小泉 義之  2000 『ドゥルーズの哲学』,講談社現代新書
Kukathas, Chandran & Pettit, Philip 1990 Rawls : A Theory of Justice and its Critics, Polity Press=1996 山田八千子・嶋津格訳,『ロールズ――『正義論』とその批判者たち』,勁草書房
桑原 真木子 2001 「優生学の展開と教育学の関係に関する歴史的研究――戦前日本の優生学の展開と教育学研究会に注目して」,日本教育社会学会第53回大会報告
松井 暁   1999 「社会システムの倫理学――所有・福祉・平等」,高増・松井編[1999:131-151]
―――――  2000 「社会主義――基本理念からの再構築にむけて」,有賀・伊藤・松井編[2000:105-125]
三重野 卓  2000 『「生活の質」と共生』,白桃書房
Mill, John Stuart 1859 On Liberty=1967 早坂忠訳、「自由論」、関嘉彦編、『ベンサム J.S.ミル』(世界の名著38)、中央公論社、中央公論社 :211-348 =1971 塩尻公明・木村健康訳、『自由論』、岩波文庫
三品(金井) 淑子 1998 「新たな親密圏と女性の身体の居場所」川本編[1998:69-104]
見田 宗介 1996 『現代社会の理論――情報化・消費化社会の現在と未来』,岩波新書 [下]
宮本 太郎 編 2002 『福祉国家再編の政治』(講座福祉国家のゆくえ1),ミネルヴァ書房
森村 進   1994 「訳者あとがき」,Wolff[1991=1994:257-307]
―――――  1995 『財産権の理論』,弘文堂
―――――  1996 「リバタニアニズムの理論的基礎」,『情況』第II期7-8(1996-7・8):30-44
―――――  1997 『ロック所有論の再生』,有斐閣,一橋大学法学部研究叢書
―――――  1998 「アナルコ・キャピタリズムの挑戦」,井上編[1998:165-190]
―――――  2001 『自由はどこまで可能か――リバタニアニズム入門』講談社現代新書
森岡 正博 1988 『生命学への招待』,勁草書房 [下]
永井 均   1998 『これがニーチェだ』、講談社現代新書
Nagel, Thomas 1997 "Justice and Nature", Oxford Journal of Legal Studies 17-2
野口 裕二・大村 英昭 編 2001 『臨床社会学の実践』,有斐閣
Nozick, Robert 1974 Anarchy, State, and Utopia, Basic Books=1985,1989 嶋津格訳,『アナーキー・国家・ユートピア』,木鐸社→1992 木鐸社
Nussbaum, Martha C. 2000 Women and Human Development: The Capabilities Approach, Cambridge Univ. Press
Nussbaum, Martha C. & Sen, Amartya eds. 1993 The Quality of Life, Clarendon Press
大庭 健   1989 『他者とは誰のことか――自己組織システムの倫理学』,勁草書房
大庭 健・鷲田 清一 編 20001010 『所有のエチカ』,ナカニシヤ出版
小倉 利丸・立岩 真也 2002 「情報は誰のものか」(対談),『現代思想』30-11(2002-9):66-79
岡野 八代  2001 「リベラリズムの困難からフェミニズムへ」,江原編[2001:3-33]
―――――  2002 『法の政治学――法と正義とフェミニズム』,青土社
大川 正彦  1993 「ヘーゲル市民社会論における私的所有と社会的資源(上)――「自己所有権」テーゼ批判をめぐって」,『早稲田政治公法研究』41:243-259
尾近 裕幸  2000 「経済的リバタリアニズム」,有賀・伊藤・松井編[2000:40-60]
奥村 隆   1998 『他者といる技法――コミュニケーションの社会学』、日本評論社
大澤 真幸 1996 「<自由な社会>の条件と課題」,『社会構想の社会学』(岩波講座現代社会学26):113-147→大澤[2000:151-192]
―――――  2000 『「不気味なもの」の政治学』,新書館
Rawls, John  1971 A Theory of Justice, Harvard Univ. Press=1979 矢島鈞次・篠塚慎吾・渡辺茂訳,『正義論』紀伊國屋書店
―――――  1975 "A Kantian Concept of Equality", Cambridge Review 96→1985 J. Ranjchman & C. West eds. Post-Analytic Philosophy, Columbia Univ. Press., 1999 S. Freeman ed. Rawls Collected Paper.
Roemer, John E. 1986 "Equality of Resources Implies Equality of Welfare", Quarterly Journal of Economics 101:751-784
―――――  1994a A Future for Socialism,Harvard Univ. Press=1997 伊藤誠訳,『これからの社会主義――市場社会主義の可能性』,青木書店
―――――  1994b Egalitarian Perspective: Essays in Philosophical Economics, Cambridge Univ. Press
―――――  1996 Theories of Distributive Justice Harvard University Press=20010320 木谷 忍・川本 隆史 訳 1996 『分配的正義の理論――経済学と倫理学の対話』 木鐸社,388p. 4000 ※
Rorty, Richard 1993 "Human Rights, Rationality and Emotion", Stephen Shute and Susan Hurley eds. On Human Rights: The Oxford Amnesty Lectures 1993, Basic Books. =1998 「人権,理性,感情」,中島吉弘・松田まゆみ訳『人権について――オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』みすず書房,pp.137-165
Rothbard, M. N. 1994 For a New Liberty: The Libertarian Manifesto, Rev.ed., University Press of America
最首 悟  1980 「かけがいのない関係を求めて」『子どもの館』(福音館書店)1980年5月号→最首[1984:222-253]
――――― 1984 『生あるものは皆この海に染まり』新曜社
――――― 1993 「対話と討論・論争のひろば」『障害児を普通学校へ・会報』(障害児を普通学校へ・全国連絡会)126→最首[1998:129-135](「障害をもつ子と教育」と改題)
――――― 1994 「権利は天然自然のものか」『愛育』(恩賜財団母子愛育会)1994年2月号→最首[1998:387-392](「義務と権利」と改題)
――――― 1998 『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』世織書房
齊藤 純一 2000 『公共性』岩波書店
――――― 2001 「社会の分断とセキュリティの再編」『思想』925(2001-6):27-48
齊藤 純一 編 2003 『社会的連帯の理由』,ミネルヴァ書房(近刊)
Sandel, M. 1982 Liberalism and the Limits of Justice, Cambridge University Press=1992 菊池理夫訳,『自由主義と正義の限界』三嶺書房
Scanlon, T.  1988 "The Significance of choice", S. McMurrin ed. The Tanner Lectures on Human Values. Vol 8, University of Utah Press
Sen, Amartya 1979 "Personal Utilities and Public Judgements: or What's Wrong with Welfare Economics?", Economic Journal 89:537-558→Sen[1982=1989:168-194]
―――――  1980 "Equality of What ?" S. McMurrin ed. The Tanner Lectures on Human Values Vol.1, Univ. of Utah Press=1989 「なんの平等か?」,大庭健・川本隆史編訳『合理的な愚か者』,勁草書房
―――――  1982 Choice, Welfare and Measurement, Basil Blackwell=1989 大庭健・川本隆史訳,『合理的な愚か者――経済学=倫理学的探究』(部分訳),勁草書房
―――――  1987 The Standard of Living, Cambridge Univ. Press.
―――――  1992 Inequality Reexamined, Oxford Univ. Press=19990715 池本幸生・野上裕・佐藤仁訳,『不平等の再検討――潜在能力と自由』,岩波書店,263+63p.,2600円+税 ※
―――――  1999 Development as Freedom, Knopf=2000 石塚 雅彦訳,『自由と経済開発』,日本経済新聞社
重森 臣広  2002 「救貧法制の動揺とワークフェア構想――就労支援の三つの戦略」,宮本編[2002:185-214]
塩野谷 祐一 1984 『価値理論の構造』,東洋経済新報社
鈴村 興太郎 1999 「厚生経済学から福祉の経済学へ」,『経済セミナー』530(1999-3):20-24(特集:アマルティア・センの世界)
高増 明・松井 暁 編 1999 『アナリティカル・マルキシズム』,ナカニシヤ出版
竹内 章郎  1993 『「弱者」の哲学』,大月書店
―――――  1999 『現代平等論ガイド』、青木書店
田中 紗織  2002 「障害と道徳――身体環境への配慮」,2001年度千葉大学文学研究科人文科学専攻(価値分析論)修士論文*
立岩 真也  1994a 「夫は妻の家事労働にいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」,『千葉大学文学部人文研究』23 [下]
―――――  1994b 「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」,『Sociology Today』5 [下]
―――――  1995 「私が決め,社会が支える,のを当事者が支える――介助システム論」,安積純子他[1995:227-265] [下]
立岩 真也  1995 「何が性の商品化に抵抗するのか」,江原編[1995:207-235]
―――――  1997 『私的所有論』,勁草書房
―――――  1998 「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」,『仏教』42:85-93→立岩[2000d:51-63]
―――――  1998 「一九七〇年」,『現代思想』26-2(1998-2):216-233(特集:身体障害者)→立岩[2000e:85-116]
―――――  1998 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」,『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定権)→立岩[2000e:11-47]
―――――  1998 「「そんなので決めないでくれ」と言う――死の自己決定,代理決定について」(インタヴュー),『ヒポクラテス』2-5(1998-8):26-31→立岩[2000e:63-84]
―――――  1998 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」,『現代思想』26-9(1998-9):184-197(特集:遺伝子操作)→立岩[2000e:195-218]
―――――  1998 「分配する最小国家の可能性について」,『社会学評論』49-3(195):426-445(特集:福祉国家と福祉社会)
―――――  1999 「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」,『科学』1999-03(800号記念特集号・いま,科学の何が問われているのか)→「生命の科学・技術と社会:覚え書き」,立岩[2000e:173-194](大幅に加筆)
―――――  1999 「自己決定する自立――なにより,でないが,とても,大切なもの」,石川・長瀬編[1999:79-107]
―――――  1999 「子どもと自己決定・自律――パターナリズムも自己決定と同郷でありうる,けれども」,後藤編[1999:21-44]
―――――  2000a 「選好・生産・国境――分配の制約について」(上・下),『思想』908(2000-2):65-88,909(2000-3):122-149
―――――  2000b 「遠離・遭遇――介助について」(1〜4),『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000e:219-353]
―――――  2000c 「「能力主義」という差別」,『仏教』50:55-61(特集:差別の構造)
―――――  2000d 「死の決定について」,大庭・鷲田編[2000:149-171]
―――――  2000e 『弱くある自由へ』,青土社
―――――  2000f 「所有」,『政治学事典』,弘文堂:514-515
―――――  20001120 「多元性という曖昧なもの」,『社会政策研究』1:118-139 ―――――  2001 「なおすことについて」,野口・大村編[2001:171-196]
―――――  2001 「国家と国境について」(1〜3)『環』5:153-164,6:153-161,7::286-295
―――――  2001 「停滞する資本主義のために――の準備」、栗原彬・佐藤学・小森陽一・吉見俊哉編『文化の市場:交通する』(越境する知・5)、東京大学出版会
―――――  20011110 「常識と脱・非常識の社会学」,安立・杉岡[2001]
―――――  20011201 「所有と流通の様式の変更」,『科学』71-12(832):1543-1546
―――――  20011225 「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」,『季刊社会保障研究』37-3:208-217*
―――――  2002- 「生存の争い―医療の現代史のために」(1〜),『現代思想』30-2(2002-4):150-170,30-5(2002-4):51-61,30-7(2002-6):41-56,30-10(2002-8):247-261,30-11(2002-9):238-253,30-12(2002-10):54-68,30-13(2002-11):268-277,30-15(2002-12):208-215,31-1
―――――  2002a 「分配的正義論――要約と課題」,『季刊社会保障研究』38-2:112-119*
―――――  2002 「パターナリズムについて――覚え書き」,『法社会学誌』(日本法社会学会) ―――――  2002 「ないにこしたことはない、か・1」、石川・倉本編[2002](近刊)
―――――  2003 「<ジェンダー論>中級問題」(1〜),『環』12:243-249(特集:近代化の中の「ジェンダー」),13
―――――  2003a 「分配的正義論――要約と課題」,山口編[2003]
―――――  2003 「社会的分配の理由」,齊藤編[2003]
―――――  2003 「パターナリズムについて――覚え書き」(仮題),川本編[2003]
渡辺 幹雄  2000 『ロールズ正義の行方 増補新装版』,春秋社
―――――  2001 『ロールズ正義論再説――その問題と変遷の各論的考察』,春秋社
Wolfe, Christopher 1994 「ドォウォーキンの平等主義的自由主義」,Wolfe ; Hittinger eds.[1994=1999:46-74]
Wolfe, Christopher & Hittinger, John eds. 1994 Liberalism at the Crossroads, Rowman & Littlefield=1999 菊池理夫・石川晃司・有賀誠・向山恭一訳,『岐路に立つ自由主義――現代自由主義理論とその批判』,ナカニシヤ出版
Wolff, Jonathan 1991 Nozick : Property, Justice and Minimal State, Basil Blackwell=1994 森村進・森村たまき訳,『ノージック――所有・正義・最小国家』,勁草書房
山口 定 編 2003 『新しい公共性を求めて』,有斐閣
山森 亮 2000 「貧困・社会政策・絶対性」,川本・高橋編[2000:140-162]
山根 純佳 2003 「リベラリズムの臨界――中絶の自己決定権をめぐって」,『思想』947(2003-3)
吉原 直毅 1999 「分配的正義の理論への数理経済学的アプローチ」,高増・松井編[1999:152-175]
吉本 隆明  1978 『論註と喩』、言叢社


REV:20020905,1210,20030204,09,13,0811, 20170127
『自由の平等』  ◇Core Ethics ?? / Core Sociolgy ?? 
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