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都合のよい死・屈辱による死
――「安楽死」について――
立岩 真也
『仏教』(法藏舘,199801)
「安楽死」について、誰もがほんとうは知っているはずの
とても単純なことを確認し、(実は難問ではない)「難問」
を解く。そして安楽死に抗する根拠を述べる。なお以下で
主に念頭に置かれているのは、死ぬための積極的な処置を
医師等に行なわせる「積極的安楽死」である。★01
「自己決定」を主張してきた人たちがいる。それはたとえ
ば、女性であったり、病を生きる人、障害をもつ人たち
だった。ところが、「死に対する自己決定」と言って言え
なくはない安楽死に反対してきた人たち、疑問を示してき
た人たちもまた、自己決定を主張してきた人たち、具体的
には障害をもつ人たちなのである。ならば自己決定を主張
する人たちが安楽死を否定するのはおかしいと思うかもし
れない。この「矛盾」が「難問」として語られることがあ
る。しかし、これはおかしなことではない。このことをま
ず確認しておく。
*この文章は『弱くある自由へ』(青土社,2000年10月)に収録されました。手にとっていただければさいわいです。
■都合の悪い自己決定
■都合のよい自己決定
■屈辱による死
■問い方について
註
★01 依頼されたテーマは「出生前診断」だった。ただ、これにつ
いては拙著『私的所有論』(勁草書房、一九九七年)の第9章で
考えた。それで終ったと思わないが、今そこに書いたことに何かを
つけ加えるだけの準備がなく、書くことができない。なお同書には
安楽死についてまとまった記述はないが、本稿の全てはここから発
しており、またいくつかの発言や文献が紹介されている。索引等を
利用されたい。以下ではそこであげられなかった文献等を主に紹介
する。なお、ホームページ(……)からも関連情報を提供する。
東海大附属病院の「事件」もその後の京北病院の「事件」も、患
者の側の意思の表明はなかったのだから、そもそも「安楽死」とは
呼べない事件である。前者について永井明『病者は語れず――東海
大「安楽死」殺人事件』(文藝春秋、一九九五年)が重要。黒柳弥
寿雄『尊厳死を考える』(岩波書店、一九九四年)でもヨーロッパ
や日本の事情がある程度紹介され、論じられている。ただし述べら
れていることの一部に私はまったく同意しない。
★02 安積他『生の技法 増補改訂版』(藤原書店、一九九五年)。
★03 ここで医療者・病院の側は微妙である。これは構造的な問題
に起因する。自らが医療の負担を負っているのではなく、むしろ
医療行為は収入源なのだから、今の制度のもとで「生かしておく」
ことによって収入が得られるなら、生かそうとする、少なくとも
保険点数が増える方向での措置をしようとすることがあるだろう。
けれど同時に、ベッドの空きを考え収入面を考え、誰を病院に置
き誰に医療を行なうかを考えるなら、その人を看ない方が得な場
合もある。これらはまったく場合による。さらに、まず「治す人」
である医療者は、ともかく自分の知っていることをしないと落ち
着かず、同時に治らないことに対する構えがない。むしろ、治ら
ない存在は見たくない存在であり、敵でありさえする(ギャラフ
ァー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』、現代書館、一九
九六年)。こうして一方に「過剰」な医療に対する抵抗として、安
楽死を願うことがあり、医療サイドの意向に左右されることに耐
えられないと思うから、患者の自己決定が主張されてきた。ただ、
自己決定と言えばそれですむかというとそうではない。他方の安
楽死に対する懐疑・抵抗も、同じところから発している。
★04 ベンさんの事例に学ぶ会編『最高のQOLへの挑戦――難病
患者ベンさんの事例に学ぶ』(医学書院、一九九四年)所収の松本
茂「ALS患者と人工呼吸器の問題――患者の本音」。
★05 『私的所有論』一六八頁に引用、関連文献を紹介。安楽死の法
制化(に反対する)運動について、たとえば松田道雄『生きること・
死ぬこと』(松田道雄の本7、筑摩書房、一九八〇年)に再録さ
れた文章である程度知りうる。松田の思考がその後どんな道を
辿っていくか、別の機会に検討したい。川本隆史「老いと死の倫
理――ある小児科医の思索を手がかりに」(『現代日本文化論9・
倫理と道徳』所収、一九九七年、岩波書店)が参考になる。
★06 これは何冊か出ている書物でも確認される。ジャネット・あ
かね・シャボット『自ら死を選ぶ権利――オランダ安楽死のすべ
て』(徳間書店、一九九五年)、NHK人体プロジェクト編『安楽
死――生と死をみつめる』(日本放送出版協会、一九九六年)。報
道、発言、また日本の当事者の状況についての検証は別に行う。
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