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「年二七六万円」を夫が払う?
―妻の家事労働の経済的評価を考える―

立岩 真也 1997/12/01

『開花』1-2(1997-12):108-109,わかさ出版
但し掲載された文章は私が書いたものと異なります→編集部より謝罪。
ここに掲載されているのはもとの原稿です。



■経済企画庁の計算

 編集部から次のようなお電話をいただきました。
 「今年の五月、経済企画庁経済研究所から、一般のサラリーマン家庭での専業主婦の家事労働に対する年間評価額を、約二七六万円とする試算が公表され、この数字が果たして妥当かどうか、様々な見解が寄せられていますが、どう考えますか。」

■払っている人もいるらしい

 そして報酬を支払っている家庭の例をいくつか示していただきました。

A夫は五十代の大学教授で、年収は約一六〇〇万。毎月二〇万円
 の住宅ローン、保険料、光熱費、食費などは、すべて夫の給料か
 ら支出している。さらに、夫は妻に家事労働の報酬プラス小遣
 いとして毎月一五万円支払っている。妻は、その中から自分の
 買物の支払いをしている。
B夫は四十代の銀行副支店長で、年収は約一五〇〇万円。住宅ロ
 ーンは毎月二五万円。副支店長の夫は、朝早く帰宅も遅いうえ、
 土日の出勤もある。そのため、妻は夫の世話で毎日の睡眠時間
 が少ない。さらに、三人の子育ても妻の大きな負担になってい
 る。その結果、夫婦で話し合い、夫は妻へのいたわりの気持ちを
 込めて、妻に一五万円の月給を支払うことを決めた。しかし、
 その後、家の一部を改築するのにローンを組んだため、妻への
 報酬が家計費を圧迫するようになり、七万円に半減した。妻は、
 その大半を子供の教育費に当てている。
C夫は五十代の設計事務所経営者で、年収は約一五〇〇万円。毎
 月の住宅ローンは二〇万円。妻に対して、三人の子育て、姑の
 介護もあり、毎月三〇万円を支払っている。しかし、妻は月給
 の中から住宅ローン、教育費、食費のそれぞれ三分の一ずつを
 支払っている。その合計額が毎月二七万円になる。つまり、妻
 が自由に使える金は、月三万円にしかならない。

 ずいぶんと高給取りばかりが並んでいるな、Aの夫も少なくとも国立大学の教員ではあるまい、などと思ったのですが、それはさておき、もっともなような、けれどよくわからないような気もする計算をして、お金を支払っている人もいるようです。
 他に、時々でてくる話としてこういうものもあります。たとえば一日に八時間家事に従事している妻に対して、平均的な報酬を支払うとする。他方、夫の方も8時間働いていて、平均的な報酬を得ている。夫が妻に報酬を支払うとすると、夫の給料の全額が妻の方にいってしまって、夫の側には何も残らない。さてこれは妥当な計算でしょうか。こんなことも含めて少し考えてみることにしましょう。

■子どもには手間もかかるがお金もかかる

 まず、この夫婦に子どもがいるとして、子どもに関わる仕事が妻の仕事の中には含まれます。この妻は専業主婦で、夫は子供の面倒をみない夫だとすると、子どもにかかる手間は妻が、お金の方は夫が出していることになります。子どもが大学を出るまでにかかる費用は子二人なら五〜六〇〇〇万円くらいはかかります。住居費を考えるとさらにかかっている場合が多いでしょう。他方の妻の子どもにかける時間をお金に換算すると、夫の側の支出とそう変わらないはずです。子にかかるコストは夫と妻で折半というのが妥当だと考えると、計算はこれでおしまい、子どもに関係する仕事については夫は妻に払わなくてよいということになります。(ということは、離婚して子どもが妻の側に行ったら、子どもにかかるお金は全額夫が払わないとならないということでもありますが。)

■夫に対する労働だけでどれほど稼げるか

 とすると、今度は、夫の生活に対して妻が行なう仕事をとりだし、それに対して払うということになります。妻は夫が働いて稼ぐことに間接的にではあれ寄与しているわけだから、言ってみれば夫の労働力という商品の原料の一部を供給しているのだから、それに対して夫が払うということです。
 しかし、朝会社に行ったまま昼も夜も外で食べたり飲んだりして帰ってくる夫に対する妻の労働、そしてその報酬はどのくらいのものでしょうか。それほど高額にはならない場合が多いと思います。

■そして自分の分は払わないとならない

 そして妻はそれを全て自由に使えるわけではありません。妻はその労働から得られる報酬から食費や家のローンの人数割分を払う、等々ということになります。
 こうして計算してみると、計算の仕方によっていろいろな数字は出てきますが、専業主婦の場合、その主婦という仕事を有償化したとしても、それはけっして稼ぎのよい、わりのよい仕事にはならないという結論になると私は考えます。どんぶり勘定で一家の家計から自分の服や何かを買っているという現状に比べてもです。夫が妻を雇用していると考えると、むしろ夫はその妻の給料分以上を妻の生活に対して払っているということもずいぶんあるはずです。(とすると、にもかかわらず、なぜ夫は妻を家庭に置きたがるのかの方が不思議に思えてくるのですが、このことについての解釈をここで述べる余裕はありません。)
 先にあげていただいたA・B・Cの三つの例は、いずれも計算のどこかに不適切というか、アバウトなところがあることがおわかりいただけると思います。また、経済企画庁経済研究所の年間約二七六万円という数字ですが、この数字自体が高いか低いかはここでは述べません。低いという計算も十分成り立ちうると思います。ただ見落してならないのは、以上で述べたこと、つまり、その全額を夫に請求することはできないということ、また、妻は自分の手取りから支払わなければならない費用がずいぶんあるということです。
 では、夫の雇い主である企業が払うことにしたらどうか、国が払うことにしたらどうか、まだまだ考えようはありますけれど、それでも妻がそう有利にはならないという結論はそんなに動かないと私は思っています。

■問題は別のところにある

 ただ、例えば夫婦の親の世代の介護(ほとんどを家族そして女性が担っています)のことが絡んでくると、話が相当違ってくるのは確かです。今回はこのことについては考えませんでした。私は、女性はどんどん外に出て働けばよい、介護については(そして育児の相当部分は)社会的に(つまり税金を使って)費用を負担するようにすればよい、それが、一番合理的だと、(税金が高くなって損をするよう思うかもしれませんが、それは見かけ上のことで)一番経済的だと考えています。高齢化社会が進行していくと労働力の不足が心配だというようなことがよく言われますが、私達の社会は女性の労働力を少しも有効に活用していないのです。
 家事労働を経済的に評価することの意味がないとは言いませんが、それが現在女性が置かれている閉塞状況から脱するための鍵になるとは思えません。家族のあり方を再考し、変えていく鍵になるとは思えません。問題は、男性と女性が会社と家庭という場所に固定されていること自体にあるのだと考えます。



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